週報:【迫害から無視へと転換した今の状況について】(2024/03/10)


かつて教会は実際的な迫害を受け、多くの苦難を味わい、支配者や民衆から滅ぼされようとされました。例えば、古代ローマ帝国は教会をローマの国教と異なるからというので除き去ろうとしました。しかし、今やもう昔のように教会は実際的な迫害を受けなくなっています。勿論、国や地域によっては今でも昔のごとく迫害される場所もあるでしょうが、このようなケースは珍しくなっています。これは教会が普遍的な世界宗教として地球に根付いたからです。教会がまだ迫害され消し去られようとしていた頃は、その迫害が逆効果の結果を生じさせていました。教会は滅ぼされようと攻撃されるのですが、攻撃されればされるほどその勢力が強くなったのです。この世はこのような現象に当然ながら驚き不思議がりました。これは筋肉が鍛錬により痛めつけられると強くなるのと似ています。ですから、ルターが「教会が最も苦しい時に教会は最も良い状態にある。」と言ったのは正しいのです。使徒もそういった苦難が幸いであると教えています。「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2)と使徒は言ったのです。キリストも教会が苦難を味わう時は幸いであると教えられました。しかし、この世とサタンは近代になってこのことに気付きました。教会は苦しめられれば苦しめられるほど逆に大きくなるということを、です。教会を滅ぼそうとした人々は、結果的に教会を強くさせていたのです。勿論、本当に教会を強くさせたのは人々というより、神の御恵みです。このようにして教会はこれまでますますその勢力を広めることになったのです。このような事柄に気付いた世の人々は、近代になってから教会を攻撃しなくなり、寧ろ無視する方針へと切り替えました。無視すれば教会は強まらなくなると考えたからです。ニーチェはこのような戦略がかなり成功していると述べています。実際、近代の教会はあまり調子に勢いがありません。もし今でも教会が迫害されていれば、今の教会は昔と同じぐらい強かったかもしれません。21世紀となった今でも、やはり人々はこのような戦略を変えようとしていません。しかし、このように教会を無視するならば、無視した世の人々がその報いを受けることになります。まず教会を無視すれば、人々は聖なる御救いを受けられなくなります。教会が語る御言葉を無視するのですから、人々がキリストの御救いを受けられなくなるのは当然のことです。こういうわけで教会を無視する時代に生きる人々の多くは、地獄へ落ちる不信仰な人ばかりとなります。また教会を無視するならば、キリスト教の国にも不信仰な人々が増えますから、その国は祝福の力を失うことになります。欧米諸国家が非キリスト教国の台頭を脅威に感じることとなったのは、明らかにこのような不信仰が原因です。もし欧米に教会を無視する人々が増えなければ、今でも欧米は非キリスト教の国に対して圧倒的な優位を保てていたでしょう。アメリカも教会を無視する傾向が強くなりましたから、呪いとして銃乱射事件や不法移民など多くの問題に悩まされることとなっています。人々が教会を無視する方針に切り替えた場合、昔のように教会が強まらなくなるものの、結局は不信仰な自分たちが無視したその果実を刈り取ることになるのです。