週報:【父なる神が愛しておられる御子とその御救い】(2024/03/24)


父なる神は御子を愛しておられ、その愛は完全であって少しも揺らぐことがありません。御父はその愛ゆえ、御子に万物をことごとくお与えになりました。「父は御子を愛しておられ、万物を御子の手にお渡しになった。」とヨハネ福音書で書かれている通りです。万物をことごとくお与えになるというのは、完全な愛の証拠として相応しいことです。もし与えるのが少しだけとか半分ぐらいだったとすれば、御子に対する御父の愛は完全でなかったことになります。しかし御父の愛は完全でしたから、限りなく全てが御子に与えられたのです。御父の愛しておられるこの御子が、私たち罪深い人間のため、罪の身代わりとして十字架で死んで下さいました。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。」(イザヤ53:5)と書かれている通りです。御子とその犠牲の死は、父なる神にとって無限の重要性があります。ですから、この御子による犠牲の死を信じる者は、御子のゆえに父なる神と和解させられ、永遠の御救いに与かることができます。パウロが聖書でこう言っている通りです。「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」(ローマ5:10)御父が愛しておられるこの御子を信じない限り、罪深い人間が神と和解させられ救われることは決してありません。このため、聖書は次のように言っているのです。「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒の働き4:12)もし御子を信じないのであれば、救いとして定められている御子を信じないのですから、当然のこととして神から永遠に罰されます。そのような人は「いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる」(ヨハネ3:36)のです。つまり、地獄でいつまでも苦しみながら神の御怒りを受け続けねばなりません。神が御自分の愛しておられる御子を救いのため死に引き渡されたにもかかわらず、その御子を信じないのであれば、どうして救われて天国に行くことができるでしょうか。このような御子とその御救いを受け入れない人たちは、邪悪で不信仰な忌まわしい罪人として、永遠の断罪に値します。要するに、この御子イエス・キリストに全てがかかっています。御子を信じる人は永遠に祝福されますが、呪われた人たちは地獄の刑罰に定められているのです。ですから、この御子は、救いと地獄における絶対的な指標であられます。こういうわけで神が愛しておられる御子イエス・キリストは、私たち人間にとって、またこの世界にとって、究極の重要性を持っておられる御方なのです。