週報:【どうして救われる者は少ないのか】(2024/05/12)


使徒はキリストに「救われる者は少ないのですか。」と尋ねました。キリストは山上の説教で、「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:13~14)と言われました。つまり、キリストによる永遠の救いを受ける者は少ないことが分かります。これは今の世界を見ても分かります。何故なら、「この方以外には、だれによっても救いはありません。」(使徒の働き4:12)と聖書が述べる通り、キリストの他に救いはないからです。キリストを唯一の主とするのはキリスト教だけです。しかし、その中で真に救いがあるのはプロテスタントだけです。カトリックは聖人崇拝をする行為義認論者であり、正教会はイコン崇拝をする冒涜神観の人々ですから、そこに救いはありません。ですから、今の世界で真に救われている者は少ないことが分かります。ここ日本においても救われている者の数はほんの少しだけです。というのも、今の日本においてプロテスタント人口は0.333%しか存在しないからです。つまり、99%以上の日本人はキリストによる救いを受けていません。しかし、ここでどうして神は数われる者の数を少なくされたのかという疑問が生じます。神は救われる者の数を多くすることもできました。しかし神はそうされず、多くの者が地獄へ行くように定められたのです。神は何も無意味に行なわれませんから、救われる者が少なくされたことにも理由はあるのです。地獄に行く者が多くされたのは、神の正義が豊かに現わされるためです。地獄で神から罰せられる者の数が多ければ多いほど、それだけ神の正しさも豊かに示されることとなるからです。例えば、日本でこれまで10000人もの犯罪者を完璧に裁いた名裁判官がいたとすれば、どうでしょうか。その名裁判官は、まだ10人しか裁いていない裁判官より、卓越した正義の持ち主であると見做されることでしょう。つまり、地獄で罪を罰される者が多いほど、その罪人たちを通して神の正義の栄光がより豊かに現わされます。ですから、神は御自分の栄光のため、地獄で罰される者を多くされたのです。また救われる者が少ないのであれば、それだけ神の天国における御恵みは浮き彫りにされることとなります。何故なら、何かが貴重であればあるほど、その価値と有り難さの度合いも増すからです。例えばダイヤモンドは貴重ですから、その価値と有り難さも大きいものがあります。しかし水や空気であれば誰でも享受できる普遍的なものですから、あまり感謝されることはありません。天国での祝福が最も有り難く感じられるのは、そこにいる聖徒たちが「自分たちは多くの者の中から永遠の祝福を受けるよう特別に選ばれていた。」などと自分たちに対する選びの希少性を感じる時だと思われます。経験も教える通り、自分だけが特別な選びを受けた際に人間は強く感激するものです。ですから、神は天国での至福が最大限に感謝されるため、救われる者を救われない者と比べて少なくされたのです。