週報:【マラキ以降に廃止された預言者職と静岡】(2024/05/19)


神は、まずサムエルから初めて、数多くの預言者を長らくユダヤに遣わされ続けました。聖書に収められている預言者の書は、大預言者の書が4巻、小預言者の書が12巻であり、合計で16人の預言者となります。しかし、ユダヤに遣わされた預言者は16人より遥かに多く、それは数百人単位または数千人単位でした。しかも、ユダヤには神から立てられた正当な預言者だけでなく、神が立てられなかった偽の預言者すなわち自称預言者も現われました。ですから、古代ユダヤ社会にとって預言者はあまり珍しい存在であると言えませんでした。しかし、サムエルから約600年後に現われた預言者マラキ以降は、もうユダヤに預言者が遣わされなくなりました。マラキからキリストの時代になるまで約400年の間、神はユダヤにおいて預言者職を全く廃止されたのです。これは神がどれだけ多くの預言者をユダヤに遣わしても、ユダヤ人はその預言者を冷遇し迫害し殺害するばかりだったからです。こんなことばかりが長く続いたため、神はもう預言者を遣わしても意味が無いと判断されたのです。実際、マラキ以降でさえ預言者がまだ遣わされていたとしても、ユダヤ人は預言者に対する酷い取り扱いを止めようとしなかったはずです。これを伝道者の書3章の言い方で言えば、「預言者の派遣に時があり、派遣の廃止に時がある。」となりましょう。ここ静岡も今はまだマラキ以前の時代と同様であると言えます。それは神が今でもまだ静岡の人々に福音を前から引き続き告げ知らせておられるからです。これは神がまだ静岡の様子を見ておられるからです。すなわち、静岡の人々はもしかしたらこれから救われるかもしれないという期待があるため、神はまだ静岡に福音を満ち拡げておられるのです。神が忍耐強く静岡に働きかけておられるのを私は強く感じます。マラキ以前のユダヤも、やはりまだ悔い改めるかもしれないという期待があったため、神は預言者をユダヤにずっと遣わし続けておられました。しかし、この静岡もやがてマラキ以降の状態と同様になる可能性がかなりあります。何故なら、告げ知らされた聖なる福音を無視するのは真理に対する公然の侮辱行為だからです。そのような不信仰に神は心を痛められます。もし静岡の人々がこういった不信仰な状態を延々と続けるならば、神もずっと静岡に福音を告げ知らされ続けることはされないでしょう。その場合、神がかつてマラキ以降は預言者をユダヤから取り上げられたのと同様、静岡にも福音がもう告げ知らされないようにされるかもしれません。もう福音は静岡に十分過ぎるほど告げ知らされています。こうなれば静岡は地震と噴火により神から罰せられることになるでしょう。不信仰には呪いがあるのみだからです。しかし、これから静岡が悔い改める可能性は僅かばかりでもあるはずです。これから静岡の人々が「あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改め神に立ち返りなさい。」という御言葉の通り、キリストを信じて悔い改め神に立ち返るならば、神はこの静岡を憐れんで下さるでしょう。そうなれば福音はずっと静岡に留まるのです。地震と噴火による被害も神は最小限に抑えて下さるでしょう。何故なら、人々が救われるならば街は豊かに祝福されるからです。