週報:【勢いと教会の進展】(2024/05/26)


ルターによれば、キリスト教の発展に必要なのは「勢い」です。あまり思考しないで聞くならば、これは確からしいと思えることです。何故なら、勢いそのものに状況を良い方向へ進める力があることは、誰にも疑えないからです。ルターは全プロテスタントの父であり、神がルターを起こされなければ私たちも存在していなかったでしょう。ルターはカルヴァンも「我が父」と呼んで敬意を抱いていました。スポルジョンもよくルターについて言及しました。このようなルターが言ったことですから、これは考えるに値します。ルターはプロテスタントの最初ですから仕方ないものの、後続のカルヴァンに比べると神学的に厳密また高度ではない傾向があります。カルヴァンについてはルターも「学者」と呼んで学問的な優位性を認めていました。ですから、ルターの言葉はしっかりと吟味される必要があります。キリスト教の発展に勢いが必要であるというのは、初代教会を考えても分かります。この初代教会ほど勢いの満ちていた時代が他にあるでしょうか。その時にはキリストから直接的な教えを受けた使徒たちがおり、その使徒たちに諸教会が指導されていました。しかも、その時代にはまだ奇跡や異言なども見られました。凄まじい勢いがあったからこそ、使徒の時代には教会が世界中に満ち拡がったわけです。パウロは使徒時代に福音が「世界中で実を結んでいる」と言いました。これは実に大きな教会の発展でした。宗教改革の時代にも、やはり非常な勢いがありました。だからこそ、神の御恵みによりプロテスタントはかなりの勢力となるまで拡がったのです。宗教改革者たちには勢いがありましたから、教皇主義者たちがプロテスタントの拡がりを封じることはできませんでした。もし宗教改革に勢いがなければ、教皇主義者たちに抑え込まれ、プロテスタントは衰退し消滅していた可能性もあります。聖書でも、力と共に勢いが良い賜物とされています。「神こそ御民に力と勢いを与えて下さる御方です。」と書かれている通りです。この勢いとは神に属する神の要素です。聖書では「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」と書かれています。「熱心」とは勢いがあることです。ですから、神の要素である勢いを賜物として受けている者は、神が何かを成し遂げるように何かを成し遂げることができるわけです。こういうわけで、確かにキリスト教の発展に勢いが重要となるのは間違いないと言えましょう。福音のために熱心となるならば、主に喜ばれることにもなります。しかし、この勢いには知識を伴わせる必要があります。何故なら、知識のない勢いは失敗や躓きの原因となるからです。それはソロモンがこう言った通りです。「熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者は躓く。」(箴言)使徒たちや宗教改革者たちには、勢いと共に知識もあったのです。使徒たちにはキリストの教えという神聖な知識が満ちており、宗教改革者たちも聖書研究を何より重要視していたからです。つまり、重要なのは知識と共に働く勢いなのです。