週報:【恵みとまことであるイエス・キリストの救いとその重要性】(2026/01/18)


箴言3:3でソロモンはこう述べています。「恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きしるせ。」これはどのような意味でしょうか。「恵み」と「まこと」は旧約聖書の多くの箇所で一緒に語られています。この「恵みとまこと」とは、神によるキリストの救いを意味しています。何故なら、ヨハネ1:17ではこう書かれているからです。「というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」ここで言われているように「律法はモーセによって与えられ」ましたが、それにより救いは得られませんでした。というのも律法を誰も完全に守り行なえないからです。パウロが言ったように、「律法によっては罪の思いが生じる」のです。「罪を犯さない人間は一人もいない」とソロモンも言っています。もしモーセの律法を全て守れるなら、人はそれにより命を得られるでしょう。律法に書かれている通り、「それを行なう者はそれによって生きる」のだからです。しかし、全ての人は罪を犯しますから、誰も律法により救いを得ることができません。ですから、神は救いをキリストの十字架により実現して下さいました。その救いが「恵みとまこと」と言われているのです。何故なら、キリストの救いは神の恵みそのものだからです。その救いは「まこと」です。つまり、何の不純さも不完全さもそこにはありません。神の恵みとまことは、このキリストの救いに最もよく示されています。神は御自分の御子をさえ死に引き渡されるほど、救いに選ばれていた者たちを愛して下さったのだからです。このような救いの「恵みとまこと」をソロモンは「捨ててはなら」ず、「首に結び」、「心の板に書きしる」すよう命じています。つまり、その救いは何よりも重んじられねばならないのです。この救いに天国と地獄がかかっています。この救いがなければ人は地獄に行くしかありません。日本にはまだこの聖なる救いがほとんど与えられていません。その救いを重んじるどころか、与えられてさえいないわけです。このため、神の「恵みとまこと」であるキリストの救いが、この日本にも宣べ伝えられねばなりません。キリストは日本にいる人々が救われるためにも、十字架の上で死んで下さいました。ですから、日本人も罪を悔い改めて信じるならば、キリストの救いに与かることができます。聖書にはこう書いてあります。「この方を信じる者は、誰でもその名によって罪の赦しが受けられる」。「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ1:16)