【Ⅱサムエル記12:9~31】(2023/02/19)


【12:9】
『それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。』
 ダビデは本当に豊かな御恵みを神から受けたのですから、そのような御恵みを下さった神に感謝しつつ仕えるべきでしたが、ダビデは寧ろ神とその御言葉を蔑み罪に陥りました。ここで『それなのに』と神が言っておられる言葉は非常な重みがあります。ダビデは神の御前で為すべき振る舞いを為しませんでした。このため犯した罪の度合いは非常に大きいのです。ダビデは自分で実際にウリヤを殺していませんから、罪を免れると思っていたかもしれません。確かにダビデの手が直接、ウリヤを殺したというのではありません。ウリヤに手を下したのは敵でした。しかし、神はここでダビデが『ウリヤを剣で打ち』殺したと言っておられます。何故なら、ダビデが意図したので敵によりウリヤは打ち殺されたからです。ウリヤを打ち殺した敵は、ダビデから遠く離れたダビデの手として機能していました。そのうえ更にダビデはバテ・シェバを自分の妻としました。これは強奪の罪です。他人の妻を殺人により奪うというのは、普通であれば犯したくても犯せない罪です。ですからダビデが犯したこの罪は実に凶悪でした。

 神から御恵みを豊かに受けた人は、そのようにして下さった神に対し、感謝しつつ仕えるべきです。そうしなければ神に対して無礼を働くこととなりかねないからです。私たちがここで見ているダビデのように。この世の社会で受けた恵みに相応しくない振る舞いをする人は、どうなるでしょうか。忘恩の徒として非難されてしまうでしょう。しかし、受けた恵みに相応しい振る舞いをすれば、非難されることはありません。神と人間の関係の場合でもこれは同じなのです。

【12:10】
『今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』』
 ダビデがその受けた御恵みに相応しい振る舞いをしなかったので、神はダビデに報いを与えられます。神は『今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。』とダビデに宣告されます。『剣』とは「殺人による死」というほどの意味に解されるべきです。つまり、これからダビデの王家からは報いとして誰か死ぬ事件が止まないようになります。実際、これからダビデの身内からは死人が出ることとなります。後の箇所で書かれている通り、ダビデは息子のアブシャロムさえ殺されて失いました。ダビデは本当に大きな罪を犯しました。神を蔑んで殺すべきでない者ウリヤを無謀にも殺したのです。ですから、報いとしてダビデの身内もウリヤと同じように殺されるのです。神は人がした通りのことをその人にもされる御方だからです。これからダビデは自分と関係の深い人物を死により失いますから、悲しみと精神的な痛みに苦しめられることとなります。こうしてダビデはその犯した罪に対する大きな代償を支払わねばならなくなったのです。ダビデは罪を犯したことでバテ・シェバと結ばれましたが、その罪に対して与えられた報いを考えるならば、割に合わなかったことは明らかです。

【12:11】
『主はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行なおう。』」』
 神はまた別の裁きが与えられることをダビデに宣告されます。神はその裁きをダビデに『聞け』と言っておられます。これはその裁きがダビデにとって耐え難い内容だったからです。しかし、ダビデがどれだけ聞きたくなかったとしても、ダビデはその裁きがどのようであるか聞かねばなりませんでした。神はもう一つの裁きとして、ダビデの家から災いが起こるようにされます。その災いとは、ダビデの妻たちとダビデの『友』が交わるという災いです。この『友』とは、ダビデの子アブシャロムを指しています(Ⅱサムエル16:22)。ダビデが他人の妻を奪ったので、ダビデも他人から自分の妻を奪われてしまうのです。しかも、神がダビデに与えられる裁きは、ダビデが行なった悪事を何倍にも強めた度合いでした。ダビデは『隠れて』他人の妻を奪いました。しかし、アブシャロムは『白昼公然と』ダビデの妻を奪います。またダビデが奪い取った妻はただ一人だけでした。しかし、アブシャロムはダビデの複数いた妻たちを奪い取ります。このようにしてダビデはその犯した罪に対する大きな代償を支払わねばならなくなりました。これは密かに10万円を盗んだ者が、多くの報道関係者が見ている前で200万円を嘆きつつ返すようなものです。神がこのような裁きを与えられるのは、ダビデにどれだけ大きな罪を犯したか強く悟らせるためだったはずです。

【12:13】
『ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」』
 神から断罪されたとなれば弁明することは全くできません。何故なら、神は正義そのものであられるからです。義なる神は完全に正しい断罪を下されます。それゆえ、神の断罪に抗弁する者は偽り者とされてしまいます。ですから、神から断罪されたダビデは御前に罪を悔い改めます。ダビデが行なったのは誠に大きい悪事でした。しかし、このようにすぐ悔い改めたのは正しいことでした。このような悔い改めの迅速さが聖徒たちには求められています。悔い改めを遅らせるのはよくありません。このように悔い改めたダビデはここで『主に対して』罪を犯したと言っています。「ウリヤに対して」とは言われていません。これでは、あたかもウリヤに対しては何も悪いことをしていないかのようです。ウリヤは滅ぼされるべきヘテ人だったので、ダビデに殺されたとしても罪とはならなかったのでしょうか。まさか、そんなことはないでしょう。実際、神はダビデのウリヤ殺しを『悪』(Ⅱサムエル12章9節)だとしておられます。ダビデが神だけに罪を犯したかのように言っているのは、恐らくウリヤが既に死んでいたからなのかもしれません。つまり、ダビデはその時において罪を断罪する審判者が神しかいないと言いたかったのかもしれません。というのも、もうウリヤは死んでいるので、ダビデを罪人として裁きたかったとしてもできなかったからです。

『ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。』
 神は憐れみ深い御方なので、悔い改めたダビデを赦されました。これは詩篇51篇からも分かることです。このようなわけで神とは『赦しの神』であられます。ダビデは罪を赦されたので『死なない』ようになりました。何故なら、罪が赦されたのであれば死の裁きも取り去られるからです。もし罪が赦されたのにもかかわらず死の裁きが下されるとすれば、そもそも赦されていなかったことになります。ですから、ダビデが赦されていなければ、ダビデは死ぬことになっていたかもしれません。ダビデは殺人の罪を犯したからです。神は『いのちにはいのち』と律法の中で言われました。神がダビデを赦されたのは、イエス・キリストによりました。何故なら、罪の赦しはこの御方によらねば決してないからです。ダビデはキリストの贖いを受けていましたから、そのキリストのゆえに神から罪の赦しを受けたのです。

【12:14】
『しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」』
 先にも見た通り、ダビデがウリヤを死なせるようにさせたのは、戦術としては馬鹿げていました。ダビデの指令通りにしたヨアブも、どうしてウリヤを意味なく死なせるべきだったのか不思議に思ったはずです。もしダビデが本当に正気の思いからこういった戦術を採用したとすれば、ダビデは指揮官として無能だったと言わねばなりません。このように愚かな振る舞いを見たアモン人たちも、やはりイスラエルのしたことは普通でないと思いました。このため、『主の敵』であるアモン人はイスラエル人に対する『侮りの心』を持ちました。「ははは、あんな馬鹿なことをするとはイスラエルも大したことがないんじゃないのか。」などとアモン人は思ったはずなのです。これは主の御心に適いませんでした。何故なら、イスラエルとは主御自身の部族だからです。このため、神はバテ・シェバがこれから産むダビデの子どもを死なせることになさいました。

【12:15】
『こうしてナタンは自分の家へ戻った。』
 全て事が終わったので、『ナタンは自分の家へ戻』りました。ナタンの家がどこにあったかは分かりません。この時にナタンはどのような思いで帰ったでしょうか。私たちにその思いは分かりませんが、いずれにせよナタンは自分の為すべきことをしっかり為しました。彼は神から告げよと言われたことを全て告げたのだからです。預言者として召された者は誰でもそのようにしなければいけませんでした。

『主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を打たれたので、その子は病気になった。』
 バテ・シェバはダビデにより子を身籠っていたので、その子を産みました。その子は少なくとも産まれる際においてしっかりしていました。すなわち、流産はバテ・シェバに起きませんでした。しかし、神が先に宣告しておられた通り、その子は死に至るため『病気になっ』てしまいます。この病気がどのような病気だったかは分かりません。これは偶然に生じた病気でなく、神が働きかけたので生じた病気でした。神がこのようにされたのは、ダビデがもう二度とウリヤの件でしたような悪事をしないためです。ですから、これは裁きというより神が親としてダビデを叱ることでした。もしダビデが悪事を犯していなければ、バテ・シェバに産まれた子どもが死ぬこともなかったでしょう。この箇所でバテ・シェバがもう再婚したのにまだ『ウリヤの妻』と言われているのは注目すべきです。つまり、聖書はダビデが不当にバテ・シェバを得たと非難しているわけです。何故なら、バテ・シェバは本来であればずっと『ウリヤの妻』のままでい続けるべきだったからです。

【12:16~17】
『ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。彼の家の長老たちは彼のそばに立って、彼を地から起こそうとしたが、ダビデは起きようともせず、彼らといっしょに食事をとろうともしなかった。』
 ダビデは新しく産まれた子が病気になったと知って、非常な不安と恐れで満たされたはずです。このため、ダビデはその子のため断食して御前にずっとひれ伏します。ダビデは王室の『長老たち』が起こそうとしても起きようとしないほど、心底からひれ伏していました。自分や親族が大きな病にかかったことのある人ならば、この時のダビデの気持ちが分かるかもしれません。ダビデがこのようにひれ伏したのは、後の箇所から分かる通り、もしかしたら主が子どもを助けて下さるかもしれないと思ったからです(Ⅱサムエル12:22)。ダビデは主の宣告が揺るがないことをよく知っていたでしょう。しかし、ダビデは神が憐れみ深い愛の神だということも同時に知っていました。ですから、もしかしたら神が働きかけて下さる可能性もあると僅かな希望を抱いて御前に懇願したわけです。

【12:18】
『七日目に子どもは死んだが、』
 神は言われたことを実現される御方ですから、前に言われた通り、ダビデに新しく産まれた子どもを死なせられました。7日前に与えられた病気が死を齎したのです。ダビデが断食しつつ懇願したのは無意味となりました。神は、ダビデの祈りを聞かれませんでした。これはダビデが大きな罪を犯したからです。ダビデは最悪の行ないをしたので、反省するため教訓の痛みを受けるべきでした。このため、神はダビデが祈ったにもかかわらず、子を死なせられたのです。子が死なないもののダビデが教訓を得ないことより、子が死ぬもののダビデが教訓を得られるほうが、遥かに優っていました。何故なら、ダビデは神の僕であり、国の王であり、特別に選ばれた器だったからです。それゆえ、子どもが死んだのはダビデにとって益となる出来事でした。もし子どもが死なないため、ダビデが神から懲らしめられていなければ、どうなっていたでしょうか。この場合、ダビデは悪に対する神からの懲らしめを受けていないのですから、また再びウリヤにしたような悪事を犯していたかもしれません。この子どもはすぐ死なず、『七日目』に死にましたが、この数字は何か意味がありそうです。神はどうして「7」日目に子を死なせたのでしょうか。子が病気だだった期間は「7日」だったのですから、子は本当に病気だったということが示されるためなのでしょうか。これはありそうなことです。こうでなければ子が「7日」生きたのですから、確かにこの世に生きていたことが示されるためなのでしょうか。これはどうでしょうか。先に述べた意味のほうが正しいと私には思われます。もしこうでなければ、子が「7日」目に死んだのは、つまり8日目の割礼を受けられないで死んだのですから、子の悲惨さを示しているのでしょうか。これはありそうな意味です。バテ・シェバが産んだ子は『男の子』(Ⅱサムエル11:27)でした。イスラエルの男子は全て生まれて8日目に割礼を受けるべきでしたから、もしこの子が8日目まで生きていたなら、やがて死ぬと分かっていたものの割礼を施されていた可能性がかなり高い。しかし、そのようには出来ませんでしたから、この子が神から喜ばれない呪われた子だったということを、この『七日目』という期間は示しているのかもしれません。子が産まれてからすぐ死ぬというのは悲しいことです。親はその子と一緒にいることができません。ダビデは子が死んだことで非常に後悔したと思われます。「こんな悲しいことになるならば罪など犯さなければよかった。」ダビデがこのように思った可能性も十分あります。ところで、この子がどのような名を付けられたのか聖書は示していません。何も名を付けられなかった可能性もあります。何故なら、この子は死ぬことが前から分かっていたのですから、名を付けることに思いが向かなかったはずだからです。すぐに死ぬと分かっている子であれば名を付けたところで何の意味があるでしょうか。悩みで苦しめられていたこの時のダビデに、名を付けようとする余裕があったとはとても思えません。もしこの子に名が付けられなかったとすれば、この無名の子は本当に呪われた悲惨な子だったと言えるかもしれません。

『ダビデの家来たちは、その子が死んだことをダビデに告げるのを恐れた。「王はあの子が生きている時、われわれが話しても、言うことを聞かなかった。どうしてあの子が死んだことを王に言えようか。王は何か悪い事をされるかもしれない。」と彼らが思ったからである。』
 ダビデの家来たちは子が死んだことを知ったものの、それをダビデに報告しませんでした。ダビデは御前にひれ伏していたので、子が死んだ現場にはおらず、そのため子が死んだことをまだ知りませんでした。ダビデはまだ子が生きている間でさえ、家来たちの促しに応じようとはしませんでした。このことからダビデの精神状態が普通でなかったことは明らかでした。であれば、子の死についてダビデが聞いたならばダビデは一体どのような状態になるだろうか、と家来たちは思って恐れたのです。

【12:19】
『しかしダビデは、家来たちがひそひそ話し合っているのを見て、子どもが死んだことを悟った。それでダビデは家来たちに言った。「子どもは死んだのか。」彼らは言った。「なくなられました。」』
 家来たちは子が死んだことをダビデに話さなかったものの、思慮もなく『ひそひそ話し合って』いたので、その話を聞いたダビデに子の死が知られてしまいました。ダビデが『子どもは死んだのか。』と聞くと、家来たちは偽るべきでないと感じましたので、『なくなられました。』と答えます。家来たちは隠しても、もう既に遅いと分かっていましたから、ダビデに対し沈黙することもしませんでした。何事でも隠し続けることはできないものです。このように結局のところ、家来たちは最初から子が死んだことをダビデに伝えても、結果として何も変わりませんでした。

【12:20~23】
『するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮にはいり、礼拝をしてから、自分の家へ帰った。そして食事の用意をさせて、食事をとった。すると家来たちが彼に言った。「あなたのなさったこのことは、いったいどういうことですか。お子さまが生きておられる時は断食をして泣かれたのに、お子さまがなくなられると、起き上がり、食事をなさるとは。」ダビデは言った。「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」』
 子どもが死んだのを知ったダビデは、神の御前にひれ伏すのを止め、『地から起き上がり』ました。そして、まずダビデは『からだを洗』います。これまで、ずっと身体を洗っていないままだったからです。続いてダビデは『身に油を塗り』ますが、これはたしなみのためです。イスラエル以外の国でもそうでしたが、古代人は油を身に塗ることを文化的な慣習としていました。それからダビデは『着物を着替え』ますが、これもそれまで長らく着替えをしていなかったからです。すると、ダビデは『主の宮にはいり』ます。この時にはまだ神殿が建てられていませんでしたから、この『主の宮』とは幕屋を指しています。ダビデはそこで『礼拝をし』て御名を崇めます。彼がこのようにしたのは、もう通常の状態に戻るべきだったからです。礼拝をすると、ダビデは『自分の家へ帰』りました。すなわち、幕屋の場所から王宮へと戻りました。家に帰ったダビデは久しぶりの食事をします。これも、やはりもう通常の状態に戻るべきだったからです。このようにダビデは、それまで懇願していた状態から、突如として状態が変わりました。これは急激な変転でしたから、それを見た家来たちは非常に驚きます。これは日本が鎖国を解いて急激に西洋化したのと似ています。日本も以前とは全く正反対の急転換を遂げたのです。ですから、日本のこういった変わり様は実に驚くべきものでした。ダビデのこういった変転に驚いた家来たちがその理由を尋ねると、ダビデはもう懇願しても仕方がないのだと答えます。これは確かにダビデの言う通りです。例えば、罰金を既に支払い終えたのにもかかわらず、まだ罰金を支払うべきかどうか悩んでいる人がいたとすれば、明らかにおかしいでしょう。ダビデが子の死後も懇願し続けるのは、このようなおかしい人と同じでした。ですから、家来たちはダビデがどうして急に振る舞いを変えたのか納得できたはずです。

 23節目でダビデが『私はあの子のところに行くだろう』と言っているのは、つまりダビデも子どもと同様に死ぬということです。ダビデの場合、すぐ死ぬというのではありませんでした。ダビデはこれから定まった時が来た際、死ぬのです。しかし、これからやがてダビデが子と同様の運命を受けるにしても、もう『あの子は私のところに戻っては来ない』のでした。ダビデがどれだけ懇願しても、ダビデはもう地上でその子と一緒にいられないのです。ですから、ダビデは子の死のことで完全に諦めていたはずです。

【12:24】
『ダビデは妻バテ・シェバを慰め、彼女のところにはいり、彼女と寝た。』
 ウリヤの件に一区切り付くと、ダビデはウリヤと子が死んだので悲しみに沈んでいる『バテ・シェバを慰め』、夫として妻への配慮を見せます。しかし、これは一体なんなのでしょうか。バテ・シェバが悲しんでいる原因は、そもそもダビデが悪いことをしたからです。もしダビデが巨悪を犯していなければ、バテ・シェバはダビデから慰められるような状態に陥っていなかったことでしょう。この通りバテ・シェバの悲しみはダビデがその原因ですから、そのダビデがバテ・シェバを慰めるというのは、どこか矛盾しているようにも感じられます。つまり、「あなたのせいでバテ・シェバが慰められなければいけなくなったのではないか。」というわけです。そしてダビデはバテ・シェバを慰めた後、『彼女のところにはいり、彼女と寝』ます。これも何なのでしょうか。悪事により奪い取った女性と気兼ねすることもなく交わるとは…。これではダビデが好色の塊だと見做されても仕方なかったでしょう。バテ・シェバと交わるにしても、ダビデは反省のため少々の自制をすべきだったと思われます。恐らくこの時期のダビデは高い敬虔さを保てない状態に陥っていたのでしょう。

【12:24~25】
『彼女が男の子を産んだとき、彼はその名をソロモンと名づけた。主はその子を愛されたので、預言者ナタンを遣わして、主のために、その名をエディデヤと名づけさせた。』
 バテ・シェバは、ダビデにより身籠った子を、しっかりと産みます。今度は以前のように産まれてから悲惨な事態が起こったりしませんでした。産まれた子による懲らしめは、もう前に産まれた子の出来事が起きただけで十分だったからです。ダビデはその子に『ソロモン』と名づけますが、これは「平和」という意味です。ソロモンという重要な王が、罪により奪われたバテ・シェバから産まれたというのは、注目すべきことです。何故なら、これは神が罪を用いられたということだからです。ソロモンの誕生は御心でした。しかし、このソロモンを産むバテ・シェバが奪われた姦淫罪は御心に適っていませんでした。御心に適わない罪を通して御心が実現される。こういうわけで、神は私たち人間の知性を遥かに高く超えておられるのです。

 ここで言われている通り、『主はその子を愛され』ました。どうして神はソロモンを愛されたのでしょうか。これはソロモンが罪の経緯により産まれた子だったからなのでしょう。パウロもⅠコリント1章で示した通り、神は悲惨な者をこそ寧ろ愛される御方だからです。ですから、もしソロモンが通常の経緯により産まれた子だったとすれば、神から特別に愛されてはいなかったかもしれません。神はソロモンを愛されたので、ダビデが名づけたのとは別に『エディデヤ』という名を付けられ、そのことをダビデが知るようナタンに告げさせます。ソロモンは「ソロモン」でもあり「エディデヤ」でもあります。どちらも彼の本当の名前です。しかし、この『エディデヤ』という名前が出て来るのは聖書でここだけです。教会でもこの名前について言及されることはごく稀です。エディデヤについて述べられるのは、この箇所における講解説教の時か、この箇所の註解文が書かれる時ぐらいでしょう。私もエディデヤについて言及したのはここが初めてです。

【12:26】
『さて、ヨアブはアモン人のラバと戦い、この王の町を攻め取った。』
 ヨアブ率いるイスラエル軍は、まだずっとアモン人と戦い続けていました。イスラエル兵たちが戦場で大変な思いで戦っているのに、ダビデはエルサレムで罪の楽しみを味わっていました。『ラバ』とはアモン人の王であり、ヨアブが『攻め取った』『町』とはアモンの国における首都ラバテ・アモンです。ヨアブはこの町を攻略していました。ダビデが先に『剣はこちらの者も、あちらの者も滅ぼすものだ。』(Ⅱサムエル11章25節)と言ったのは真実だったのです。それというのも、神はイスラエル軍と共におられたからです。一方、アモン人には神がおられませんでした。これではイスラエルに打ち負かされたとしても当然です。

【12:27~29】
『ヨアブはダビデに使者を送って言った。「私はラバと戦って、水の町を攻め取りました。しかし今、民の残りの者たちを集めて、この町に対して陣を敷き、あなたがこれを攻め取ってください。私がこの町を取り、この町に私の名がつけられるといけませんから。」そこでダビデは民のすべてを集めて、ラバに進んで行き、これと戦って、攻め取った。』
 ヨアブに攻め取られた町が『水の町』と呼ばれていたのは、恐らくその町に水が多くあったからだと考えられます。水が少ししかなければこのように呼ばれていたとは思えないからです。

 攻め取られた町は、その町を攻め取った者の名で呼ばれるようになるのが、自然なことです。ヨアブはもう間もなく水の町を完全に攻め取るという段階まで進んでいました。このままではヨアブが町を攻め取ることにより、その町にヨアブの名が付けられてしまいかねません。このため、ヨアブはダビデが自分に代わって町を攻め取るよう要請します。すると、『ダビデは民のすべてを集めて、ラバに進んで行き、これと戦って、攻め取』りました。ヨアブがこのように要請したのは全く正しいことでした。何故なら、将軍たる者は自分でなく王をこそ立てるべきだからです。名誉は王にとって最も重要な要素の一つです。ペルシャの大王アルタクセルクセスもそうでしたが、この名誉が台無しにされたために容赦なく家来や民衆を殺した王は、古代で決して少なくありませんでした。近代において多くの皇帝や王が支配力をほとんど完全に奪われたのにもかかわらず大人しく振る舞っているのは、名誉だけは以前と変わらないまま保たれているからに他なりません。この名誉が高い状態で変わらず存続しているからこそ、皇帝や王は支配の力を失っても穏やかでいられるわけです。ですから、ヨアブが王の名誉を損ねなかったのは当然なすべきことだったのです。

【12:30】
『彼は彼らの王の冠をその頭から取った。その重さは金一タラントで、宝石がはめ込まれていた。その冠はダビデの頭に置かれた。彼はまた、その町から非常に多くの分捕り物を持って来た。』
 アモン人の王は、イスラエル軍から逃げ切ることができませんでした。神がこの王をイスラエルに渡されたからです。それゆえ、アモン人の王はイスラエルの手中に陥る他ありませんでした。この王は『宝石がはめ込まれていた』『金一タラント』の冠を頭に付けていました。『一タラント』とは34kgですから、『金一タラント』の冠というのは、かなり高価だったことが分かります。このような価値ある冠は、王の権力をよく象徴しています。この高価な冠はアモン人の王から取られ、ダビデの頭に置かれます。これはダビデがアモン人の王に優越していることを示しています。古代ローマが諸国の王に優越したのと同様、ダビデも多くの王に優越しました。しかし、そのようになったのはダビデ自身の力によるのではありませんでした。そうなったのは、神がダビデに力を与え、強くし、高く引き上げて下さったからなのです。

 ダビデたちはまた攻め取った町から『多くの分捕り物』を得ました。それは神が御恵みにより与えて下さったのです。それらの分捕り物が具体的にどのような内容だったかは、書かれていませんから分かりません。ダビデがこのように分捕り物を取ったのは何も問題ありませんでした。何故なら、神はアモン人の所有物を全て聖絶せよと命じておられなかっただろうからです。サウルの場合、アマレク人の所有物を全て聖絶せよと命じられたのにそうしなかったので、大きな罪を犯すことになったのです。

【12:31】
『彼はその町の人々を連れてきて、石のこぎりや、鉄のつるはし、鉄の斧を使う仕事につかせ、れんが作りの仕事をさせた。ダビデはアモン人のすべての町々に対して、このようにした。こうして、ダビデと民のすべてはエルサレムに帰った。』
 ダビデは攻め取った町のアモン人たちをイスラエル国に『連れてきて』、自分たちのため利用することにしました。アモン人はこうしてイスラエルの奴隷となりました。かつてはイスラエル人がエジプト人の奴隷として『れんが作りの仕事』をしていました。しかし、今やイスラエル人がエジプト人のようになっています。イスラエル民族もかなり変わったのです。ダビデはアモン人を聖絶せず、寧ろ奴隷として利用することを選びました。これは全く問題ありませんでした。何故なら、神はアモン人を滅ぼすよう命じておられなかったからです。

 こうして一区切り付いたので、ダビデおよび民の全ては、エルサレムへと帰ります。すなわち、敵の国であったアモン国から60kmほど南西に離れたエルサレムへ、ヨルダン川を渡って帰りました。