【Ⅱサムエル記13:1~39】(2023/02/26)


【13:1~2】
『その後のことである。ダビデの子アブシャロムに、タマルという名の美しい妹がいたが、ダビデの子アムノンは彼女を恋していた。アムノンは、妹タマルのために、苦しんで、わずらうようになった。というのは、彼女が処女であって、アムノンには、彼女に何かするということはとてもできないと思われたからである。』
 ダビデがアモン人を奴隷にして後、ダビデの家で大変なことが起こります。それは誠に忌まわしい出来事でした。ダビデには『アムノン』という長子がいました(Ⅱサムエル3:2)。『アブシャロム』はダビデの三男です(Ⅱサムエル3:3)。このアブシャロムには『タマル』という妹がいました。この3人はダビデが父であるという点で同じでした。しかし、母はアムノンとアブシャロム・タマルで異なりました。すなわち、アムノンの母は『アヒノアム』(Ⅱサムエル3章2節)であり、アブシャロム・タマルの母は『マアカ』(Ⅱサムエル3章3節)でした。長子アムノンは、あろうことか妹のタマルを恋してしまいます。タマルはまだ『処女』で結婚していませんでしたから、正式な相手を持つことが可能な状態です。しかし、アムノンにとってタマルは妹であり、とても結婚できる相手ではありませんでした。そのため、アムノンは『妹タマルのために、苦しんで、わずらうようになった』のでした。もしタマルが既に結婚していたとすれば、諦めも付いたかもしれません。しかし、彼女は処女だったのですから、アムノンは大きな葛藤に悩まされたのです。これは禁断の恋であって罪です。何故なら、アムノンにはもう近親相姦の芽が出始めているからです。既に近親相姦の序章は始まっていました。アムノンとタマルは母がそれぞれ異なりました。もし母も一緒だったとすれば罪は極限にまで大きかったでしょう。しかし、母が異なっていたとしても大きな罪であることに変わりはありませんでした。恋の対象として許されるのは、血縁的に近くない相手だけです。家族である女を恋したアムノンは明らかに正しい道から逸脱していました。

 アムノンがこのような罪に陥ったのは、恐らくダビデの一夫多妻に対する呪いなのでしょう。律法は明らかに一夫多妻を罪としています。それが罪であれば呪いも、一夫多妻の当人に対してであれその家族に対してであれ、注がれることになります。実際、多くの妻を持つならば、往々にして妻たちか子どもたちに呪いとして問題が起きてしまいます。妻たちの場合、妻たちが互いに憎み合い、状況が悪いと殺害行為が起きたりします。夫を独り占めできないので、夫を殺した妻もいました。子どもの場合、このアムノンのように性的な逸脱やその他の面で堕落が起きたりします。しかし、そのような呪いが注がれるのは、一夫多妻に対する報いなのですから、文句を言えません。何故なら、神は罪を裁かれる御方だからです。一夫多妻という罪を犯した者とその家族が悲惨になったとしても自業自得なのです。

【13:3】
『アムノンには、ダビデの兄弟シムアの子でヨナタブという名の友人がいた。ヨナタブは非常に悪賢い男であった。』
 アムノンの友人であった『ヨナタブ』は『ダビデの兄弟シムアの子』でしたから、つまりアムノンの親戚でした。この関係を2023年の天皇家で分かり易く言えば、愛子さまに対する眞子さんが該当します。このヨナタブは『非常に悪賢い男』でした。こういう者がどこの場所にもいるものです。そういった者が悪に加担・援護したりするならば、多くの害が生じることになります。

【13:4】
『彼はアムノンに言った。「王子さま。あなたは、なぜ、朝ごとにやつれていくのか、そのわけを話してくれませんか。」アムノンは彼に言った。「私は、兄弟アブシャロムの妹タマルを愛している。」』
 アムノンが思い煩っているのは外観から誰の目にも明らかでした。恋の思い煩いは非常に深いので、どうしても外面に表出してしまうのです。溜め息を付いたり、何か淋しいような目つきだったり、とにかく通常の状態とは違うのです。このようなアムノンの状態に気付いたヨナタブが『そのわけを話してくれませんか。』と尋ねたところ、アムノンはありのままに話します。アムノンが素直に話したのは、ヨナタブが『友人』(Ⅱサムエル13章3節)だったからでしょう。アリストテレスが「ニコマコス倫理学」で述べた通り、友人とはもう一人の自分また自分の分身なのですから。自分に対するかのように素直に話すからこそ友人であるわけです。友情がなければどうして素直に話せましょうか。ヨナタブが恐らくアムノンの様子を気にして尋ねたのも、やはりアムノンが『友人』だったからなのでしょう。もっとも、ヨナタブの場合、何か下心があって尋ねた可能性もあります。何故なら、彼は『非常に悪賢い男』(Ⅱサムエル13章3節)だったからです。

【13:5】
『ヨナタブは彼に言った。「あなたは床に伏せて、仮病を使いなさい。あなたの父君が見舞いに来られたら、こう言いなさい。『どうか、妹のタマルをよこして、私に食事をさせ、私に見えるように、この目の前で病人食を作らせてください。タマルの手から、それを食べたいのです。』」』
 ヨナタブは、アムノンがタマルと事を行なえるため、悪しき助言をアムノンに与えます。仮病によりタマルから病人食を食べさせてもらえば上手く行くであろう、と言うのです。なるほど、確かにこのようにすれば邪悪な行為に進めるかもしれません。何故なら、このようにすれば何も不自然ではないからです。このようなヨナタブの助言は悪い意味で完璧でした。ヨナタブがこういった計画を考えられたのは、彼が『非常に悪賢い男』だったからに他なりません。しかし、このような計画は当然ながら罪でした。それというのも、これはタマルおよびダビデを欺くことだからです。神は『欺いてはならない。』と命じられました。

【13:6】
『そこでアムノンは床につき、仮病を使った。王が見舞いに来ると、アムノンは王に言った。「どうか、妹のタマルをよこし、目の前で二つの甘いパンを作らせてください。私は彼女の手から食べたいのです。」』
 アムノンには、ヨナタブの助言が良いと感じられました。ですから早速、アムノンはヨナタブに言われた通り、悪しき仮病を使って、床で病人らしく振る舞います。ダビデが心配して見舞いに来たので、アムノンはタマルの手から病人食を食べたいと願い求めます。彼が言った『二つの甘いパン』は、アムノンとタマルの甘い関係を示しています。そのパンをアムノンが『目の前で』作るよう求めたのは、『美しい』(Ⅱサムエル13:1)タマルの姿をしばらく眺めるためだったはずです。アムノンはタマルの美しさに全く惹かれていました。もしタマルが別の場所でパンを作ったならば、アムノンはタマルの美しさを目の前でじっと眺めることができないのです。

【13:7~9】
『そこでダビデは、タマルの家に人をやって言った。「兄さんのアムノンの家に行って、病人食を作ってあげなさい。」それでタマルが兄アムノンの家に行ったところ、彼は床についていた。彼女は粉を取って、それをこね、彼の目の前で甘いパンを作って、それを焼いた。彼女は平なべを取り、彼の前に甘いパンを出したが、』
 ダビデはアムノンのため、タマルを呼び寄せ、アムノンに病人食を作るよう指示します。タマルは、それが王である父の命令だったので、また兄のため、言われた通りに来て、パンを焼いて出します。ダビデはまさかアムノンが欺いているなどと少しも思わなかったでしょう。同様にタマルもアムノンが悪事を企んでいるなどとは考えもしなかったでしょう。しかし、タマルは間もなくアムノンの罠にかかろうとしていました。いや、既に彼女はもう罠にかかっていたと言えます。

【13:9】
『彼は食べようとしなかった。アムノンが、「みな、ここから出て行け。」と言ったので、みなアムノンのところから出て行った。』
 アムノンは、タマルが出したパンを全く食べませんでした。アムノンにとって最初からパンなどはどうでもよかったのです。彼が食べて味わいたかったのはタマルの美貌に他なりませんでした。アムノンはタマルに対する欲情に飢えていたので、早く事を行なうため、その場にいた僕たちをそこから退場させます。僕たちはまさかアムノンが悪事を行なおうとしているなどと思わなかったはずです。神がアムノンの悪を許可されたので、僕たちはアムノンがいた場所からすんなり遠ざかりました。

【13:10~11】
『アムノンはタマルに言った。「食事を寝室に持って来ておくれ。私はおまえの手からそれを食べたい。」タマルは自分が作った甘いパンを兄のアムノンの寝室に持って行った。彼女が食べさせようとして、彼に近づくと、彼は彼女をつかまえて言った。「妹よ。さあ、私と寝ておくれ。」』
 アムノンはタマルを犯すため、タマルに食事を持って来させ、タマルが近付くようにします。タマルが言われた通りにすると、アムノンはタマルを捕まえて犯そうとします。間もなく近親相姦の罪が犯されようとしていました。アムノンがこのようにしたのは誠に忌まわしいことでした。

【13:12】
『彼女は言った。「いけません。兄上。乱暴してはいけません。イスラエルでは、こんなことはしません。こんな愚かなことをしないでください。』
 タマルは当然ながらアムノンの無謀を拒もうとします。恋している対象ではない者、そもそも恋の対象にさえなり得ない者であるアムノンが、いきなり自分を犯そうとしたのですから、彼女が拒絶したのは当然のことです。もし拒絶しなかったとすれば、タマルは気が狂っていたのです。ここでタマルが言っている通り、『イスラエルでは、こんなことはしません』でした。このような愚行は他の国で行なわれていたことだからです。日本では今でもこのような風習を保ち続けている地域があるそうです。

【13:13】
『私は、このそしりをどこに持って行けましょう。あなたもイスラエルで、愚か者のようになるのです。今、王に話してください。きっと王が私をあなたに会わせてくださいます。」』
 この箇所でタマルが言っていることは、どのような意味でしょうか。この箇所はやや難しいので、しっかり理解したいところです。まず『私は、このそしりをどこに持って行けましょう。』というのは、タマルのアムノンに対する『そしり』を誰にも訴えることが出来ないという意味です。この強姦が通常の場合であれば人々に訴えることもできたはずです。しかし、この事件は近親相姦ですから、人々に訴えることができません。何故なら、近親相姦とはイスラエル社会で話すのさえ恥ずかしく忌まわしいことだからです。もし話せばダビデ王家に恥辱を与えることとなります。つまり、タマルはこの事件を訴えることにより、自分で自分の家族たちを害することになるのです。タマルはそんなことをするほど愚かでありませんでした。次に『あなたもイスラエルで、愚か者のようになるのです。』というのは、アムノンが神の民でありながら律法を知らない愚かな不法者である異邦人と同様になるという意味です。神の民が愚かな異邦人のようになるのは致命的なことでした。つまり、タマルはこのように言って、アムノンが悪事を止めるようにしたわけです。アムノンは行なおうとしている悪事を行なわず、愚か者となるべきではありませんでした。アムノンが愚か者のようにならないのは、アムノンにとってもタマルにとってもダビデにとっても良いことだったからです。そして『今、王に話してください。きっと王が私をあなたに会わせてくださいます。』という部分ですが、これはどういう意味でしょうか。これは非常に難しいと感じられます。タマルはどうしてこのようなことを言ったのでしょうか。これは恐らく、もしアムノンの恋のことでアムノンがダビデに話すならば、ダビデはアムノンとタマルを結婚させないまでも良い関係となるよう取り計らってくれるであろう、という意味だと考えられます。2人の仲が良くなるぐらいであれば恐らく問題はなかっただろうからです。この解釈が正しかった場合、タマルが『会わせてくださいます。』と言ったのは、つまり「良い関係にしてくれる」という意味になります。しかし、タマルの気が動転していたので、このような理解しにくいことを言った可能性もあります。私たちの経験からも分かる通り、驚くべき出来事が起きた際、私たちは何だかよく分からないことを言ってしまうものです。福音書に書かれている通り、ぺテロも山上でキリストの変容が起きた際、気が動転してしまったので、何を言うべきか分からず、勝手なことを口にしてしまいました。

【13:14】
『しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうとはせず、力ずくで、彼女をはずかしめて、これと寝た。』
 この時のアムノンは、欲情の力が思慮を完全に上回っていました。アムノンは全く欲情に突き動かされていました。ですから、『アムノンは彼女の言うことを聞こうとはせず、力ずくで、彼女をはずかしめて、これと寝た』のです。こうしてアムノンは愚かにも近親相姦の罪を犯しました。これは神が死罪としておられる悪です。アムノンがそのことを知っていたにせよ知らなかったにせよ、とにかく最悪に愚かなことをしたものです。ところで、アムノンが犯したこの罪と、ダビデがバテ・シェバに関して犯した罪では、どちらのほうがより罪深かったのでしょうか。まず、悪事を成し遂げた計画性では、ダビデのほうがアムノンを上回っていました。何故なら、ダビデは自分自身で悪事を企みましたが、アムノンは友人のヨナタブに提案されて悪事を成し遂げたからです。罪の大きさでも、やはりダビデの方が上でした。ダビデは殺人と姦淫という2つの罪を犯したのに対し、アムノンは姦淫の罪しか犯さなかったからです。邪悪性また凶暴性でも、ダビデのほうが優っていました。ダビデの犯した悪は凶悪そのものだったからです。しかし、異常性という点ではアムノンのほうが上回っています。ダビデの犯した罪は欲深い者であれば誰でも犯し得る範囲内の罪であるのに対し、アムノンの罪はほとんど全ての人がそもそも犯すことを心に思い浮かべることさえないからです。姉妹を犯すというアムノンの罪は人間の正しい道から全く逸れてしまっています。

【13:15】
『ところがアムノンは、ひどい憎しみにかられて、彼女をきらった。その憎しみは、彼がいだいた恋よりもひどかった。アムノンは彼女に言った。「さあ、出て行け。」』
 近親相姦の罪を犯し終えたアムノンは、それまでとは異なり、タマルを恋していた以上の度合いで憎み始めます。ですから、アムノンはタマルを自分の家から追い出そうとします。憎んでいる者と一緒にいるのは耐え難いことだからです。アムノンが急にタマルを憎み始めるようになった理由は何だったのでしょうか。聖書はその理由について何も示していません。これには3つのことが考えられます。一つ目の理由は、アムノンがタマルから愛の応答を得られなかったからです。アムノンがタマルから『二つの甘いパン』(Ⅱサムエル13章6節)を求めたことから分かる通り、アムノンは明らかにタマルの愛を望んでいました。しかし、それを得られなかったので不満に思って逆上したのです。二つ目の理由は、アムノンが自分の悪事に嫌気を覚えたということです。彼は自分がどれだけ忌まわしいことをしたのか、行為の後で強く感じ取ったのかもしれません。つまり、自分の悪事に対して抱いた憎しみが、その悪事の対象者であるタマルにまで及ぼされたということです。三つ目の理由は、単に欲望の行為が終わったということです。魂への愛を伴わない肉体への愛情だけで行なわれる行為は、それが終わると人に虚しさを齎すのです。これは夫婦の行為が終了後にも満足感を齎すのと異なります。このような虚しさを感じたので、アムノンはタマルを嫌に思ったのかもしれません。

【13:16】
『彼女は言った。「それはなりません。私を追い出すなど、あなたが私にしたあのことより、なおいっそう、悪いことです。」』
 追い出そうとしたアムノンに対し、タマルは『それはなりません。』と言って、応じようとしません。何故なら、アムノンは追い出すことで、自分の犯した近親相姦罪を自分から遠ざけ無かったことにしようとしていたからです。そのようにするのは、『あのこと』である近親相姦罪より『なおいっそう、悪いこと』でした。アムノンはとにかく自分の犯した罪から逃げようとしていました。それは害を受けたタマルにとって耐え難いことでした。今でも強姦された女性は、強姦した男から往々にして軽く取り扱われるものです。これはその男が犯した女性を尊重していないからです。つまり、そもそも最初から軽んじているからこそ強姦をするわけなのです。アムノンは一体どうするべきだったのでしょうか。彼はタマルを自分の家から追い出さず、しっかり自分の罪と向き合い、反省と謝罪をすべきでした。それこそ人間として当然すべきことでした。

【13:16~18】
『しかし、彼は彼女の言うことを聞こうともせず、召使の若い者を呼んで言った。「この女をここから外に追い出して、戸をしめてくれ。」彼女は、そでつきの長服を着ていた。昔、処女である王女たちはそのような着物を着ていたからである。召使は彼女を外に追い出して、戸をしめてしまった。』
 アムノンは犯した罪による精神的な乱れとアムノンへの憎しみで、普通の状態でなくなっていました。彼はとにかく罪の問題とアムノンから離れたくて堪りませんでした。ですから、アムノンは僕たちに無理矢理、タマルを追い出させます。

 18節目で言われている通り、タマルは自分が処女である王女だと示すため『そでつきの長服を着て』いました。これはイスラエルのような社会において王家の者が清らかであるべきだったからです。異邦人の国でさえ、王家の者はクリーンであるべきだったはずです。であれば尚のことイスラエルではそうあるべきでした。何故なら、イスラエルとは神に選び取られた聖なる民族だったからです。このような長服が処女を示していたのは、恐らくヨセフがその根拠なのでしょう。私たちが既に創世記で見た通り、ヨセフは主人の妻に誘惑されても清らかさを堅く保ちました(創世記39章)。このようなヨセフの清らかさに倣えということで、誰かが王女たちは自分が清らかな処女であると示すため『そでつきの長服』を着るべきだと提案したのでしょう。というのも、『そでつきの長服』とはヨセフの着ていた着物だったからです(創世記37章23節)。

【13:19】
『タマルは頭に灰をかぶり、着ていたそでつきの長服を裂き、手を頭に置いて、歩きながら声をあげて泣いていた。』
 追い出されたタマルは悲しみに満ちていました。彼女がされた悪事を考えるならば、彼女が悲しんだのは当然のことだと言わねばなりません。タマルが『頭に灰をかぶ』ったのは、自分が灰のように惨めだということを示すためです。「私と灰はあまりにも悲惨だという点でどう違うのでしょうか。」と言いたいわけです。『着ていたそでつきの長服を裂』いたのは、彼女から処女が失われたことを示しています。実際、彼女の身体は裂けたのです。『手を頭に置い』たのは、彼女が悩ましい状態にあることを意味しています。現代人も悩ましい状態の時には、手を頭の部分に持って行くものです。『歩きながら声をあげて泣いていた』のは自然なことでした。もしタマルがこのように泣き悲しまなかったとすれば、彼女は気が狂った人物だったことになります。このようなタマルの気持ちが僅かでも分かるようであれば、その人の精神は正常です。しかし分からないのであれば、生まれながらにして共感性を持たない人や事故・病気などで共感性が失われた人であれば別として、そのような人の精神は多かれ少なかれ堕落しています。

【13:20】
『彼女の兄アブシャロムは彼女に言った。「おまえの兄アムノンが、おまえといっしょにいたのか。だが妹よ。今は黙っていなさい。あれはおまえの兄なのだ。あのことで心配しなくてもよい。」それでタマルは、兄アブシャロムの家で、ひとりわびしく暮らしていた。』
 タマルはアムノンの家から追い出されて後、どうやらアブシャロムの家に向かったようです。しかし、聖書はそのことを直接ハッキリ書いていません。タマルが追い出されてからダビデのもとへ行くことはありませんでした。タマルが自分からアムノンの悪事について話したのか、それともタマルの長服が裂かれているので明らかだったのかは分からないものの、アブシャロムはタマルがアムノンに犯されたことを知りました。事態が事態ですから、アブシャロムは悲しんでいるタマルを自分の家で保護するようにします。これは妹に対する兄らしい配慮ゆえです。アブシャロムは、タマルに『あのことで心配しなくてもよい。』と言って気を落ち着かせようとします。彼がこう言ったのは、彼がこれからアムノンを殺そうとしていたからです。「オレがお前の鬱憤を晴らしてやるから穏やかに待っていろ。」と言いたいわけです。

【13:21】
『ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。』
 ダビデもアムノンの悪事について知りましたが、彼はそれを『聞いて激しく怒』りました。ダビデがこの悪事を知ったのは、アブシャロムが僕を通じてダビデに知らせたからなのでしょうか。その可能性はあります。広まった悪事の噂が流れてダビデにも届いたので、ダビデはアムノンの悪事を知ったのでしょうか。そうだった可能性もあります。アムノンが自分自身でダビデに話したということはないでしょうか。これも可能性としてかなりあります。いずれにせよ、アムノンの悪事はバレないままでいませんでした。何事であれ隠れたままでいることは決してできないからです。ダビデはアムノンの悪事を怒ったものの、複雑な気持ちだったと思われます。何故なら、悪事を犯したのは自分の子であり、悪事の被害者も自分の子だからです。ダビデはアムノンを罰しようにも家族の情が作用したはずなのです。また、ダビデはアムノンの罪より遥かに大きな罪を犯し、少し前に神から見過ごしてもらったばかりでした(Ⅱサムエル12:13)。自分は神から赦していただいたのに、その自分が他人の罪を糾弾・断罪するというのは、なかなか難しかったはずです。もしダビデがアムノンに厳しく向かったとすれば、神にこう言われかねませんでした。「私はお前の大きな罪を見過ごしてやったのに、お前は自分の子を憐れもうとしないのか。」

【13:22】
『アブシャロムは、アムノンにこのことが良いとも悪いとも何も言わなかった。アブシャロムは、アムノンが妹タマルをはずかしめたことで、彼を憎んでいたからである。』
 アブシャロムは、あの事件のことでアムノンを殺そうと思うほど憎みました。殺すのはいけませんでしたが、彼がアムノンを憎んだのは自然なことだったでしょう。アブシャロムには、タマルに起きた不幸が自分のことでもあるかのように感じられたでしょうから。しかし、アブシャロムはその憎しみをアムノンに知られないよう隠しました。これは憎しみが知られたことで逃げたり対策を取ったりしないようにするためだったはずです。つまり、アムノンを確実に殺すためだったはずです。もしアムノンに憎しみが感じ取られたならば、それだけアムノンを殺しにくくなるのは確かです。この通りアブシャロムは憎しみを知られないようにしましたが、今でも憎しみを隠すことが世の中では往々にあるものです。憎しみを表に出さず秘めたままにするのは、恐ろしい事態に繋がる場合が少なくありません。何故なら、その場合、言葉や態度で憎しみを表さない代わりに、手を出すことが少なくないからです。

【13:23~24】
『それから満二年たって、アブシャロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブシャロムは王の息子たち全部を招くことにした。アブシャロムは王のもとに行って言った。「このたび、このしもべが羊の毛の刈り取りの祝いをすることになりました。どうか、王も、あなたの家来たちも、このしもべといっしょにおいでください。」』
 アブシャロムはアムノンの事件があってから、すぐにアムノンを殺したりしませんでした。恐らくアブシャロムは殺すのに調度良い時が来るのを待っていたのかもしれません。このため、アムノンの事件が起きてからもう『満二年たって』いました。その時、アブシャロムは『羊の毛の刈り取りの祝い』をするため、『王の息子たち全部を招くこと』にしました。また彼は父であるダビデ王もその祝いに招こうとします。そればかりでなく、アブシャロムはダビデの『家来たちも』招こうとします。これは大勢のほうが祝いの喜びが増し加わるからです。結婚式や宴会がそうですけども、多く集まったほうがより大きな祝いとなるのは、私たちも経験からよく知っています。しかし、すぐ後ほど見る通り、この度の祝いにおいて大きな悲惨が起こります。祝いの時には悲惨な出来事が起こりやすいものなのでしょうか?私がこのように言うのは、既に見た通り、ナバルも『羊の毛の刈り取りの祝い』をしていた時に破滅的な悲惨が降りかかったからです(Ⅰサムエル25章)。ヨブの息子たちにも、やはり『祝宴』を開いて祝っていた際に、大いなる破滅の悲劇が襲いかかりました(ヨブ記1章)。

【13:25】
『すると王はアブシャロムに言った。「いや、わが子よ。われわれ全部が行くのは良くない。あなたの重荷になってはいけないから。」アブシャロムは、しきりに勧めたが、ダビデは行きたがらず、ただ彼に祝福を与えた。』
 祝いに招かれたダビデは、ただ息子に祝福を与えるだけで、決して招きに応じようとはしませんでした。これはダビデが家来たちを連れて行くならば、そこに集まった人々の『重荷』となるからです。この時の祝いにおける中心は言うまでもなくアブシャロムです。つまり、アブシャロムが祝宴の主催者です。しかし、アブシャロムよりも力のある父ダビデが来るならば、集まりのバランスが崩れてしまいかねません。アブシャロムは父が来ないことを残念がったでしょう。しかし、ダビデが行かないのはアブシャロムのためだったのです。

【13:26~27】
『それでアブシャロムは言った。「それなら、どうか、私の兄弟アムノンを私どもといっしょに行かせてください。」王は彼に言った。「なぜ、彼があなたといっしょに行かなければならないのか。」しかし、アブシャロムが、しきりに勧めたので、王はアムノンと王の息子たち全部を彼といっしょに行かせた。』
 ダビデが行きたがろうとしなかったので、アブシャロムは『兄弟アムノン』を祝いに行かせるよう願い求めます。これは祝いの場でアムノンを殺すためでした。遂にアムノンを殺す時が来たというわけです。しかし、ダビデはアムノンを行かせることを不思議がります。何故なら、アムノンが祝いに行くべき特別な理由を見出せなかったからです。アブシャロムは、ここでアムノンだけについて言っています。他の兄弟については言っていません。これではダビデが不思議がったとしても不思議ではありません。これから大事怪が起こりますけども、大事件の前にはこういった不可解なことが起こるものなのです。アブシャロムがどうかどうかと勧めたので、ダビデはアムノンを行かせることにしました。これは『アブシャロムが、しきりに勧めた』からです。聖書で言われている通り、『忍耐強く説けば首領も納得する』(箴言)ものなのです。

【13:28~29】
『アブシャロムは自分に仕える若い者たちに命じて言った。「よく注意して、アムノンが酔って上きげんになったとき、私が『アムノンを打て。』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」アブシャロムの若い者たちが、アブシャロムの命じたとおりにアムノンにしたので、』
 こうしてアブシャロムは、アムノンが酔った際、僕たちにアムノンを殺させました。僕たちがアムノンの殺害を恐れたのは間違いありません。アムノンは王子だったからです。ですから、アブシャロムは『強くあれ。』と言って僕たちを力付けています。王子に命じられたのでなければ、どうして王子を殺害することなど出来たでしょうか。このようにしてアブシャロムの憎しみは殺害という形で実を結びました。彼がアムノンを殺したのは非常に悪いことでした。しかし、アムノンもアブシャロムと同じぐらい悪かったのです。というのも、もしアムノンが近親相姦という死罪を犯していなければ、こうしてアブシャロムから殺されることもなかったからです。しかしながら、この2人よりも悪いのはダビデでした。何故なら、ダビデがあのような大きい罪を犯したので、ダビデ王家は殺害事件から逃れられなくなったのだからです。神がダビデに『今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。』(Ⅱサムエル12:10)と宣告しておられた通りです。この時にアブシャロムは自分で手を下さず、僕たちに殺させましたが、アムノンを殺したのはアブシャロムでした。また僕たちは自分の意志とは関係なく、ただアブシャロムに命じられるままアムノンを殺したのですが、それでも僕たちは無罪とされませんでした。彼らの手がアムノンを死なせたのですから、アムノンを殺した責任は当然ながら僕たちにもあります。

【13:29】
『王の息子たちはみな立ち上がって、おのおの自分の騾馬に乗って逃げた。』
 祝いに集まっていた『王の息子たち』は、アムノンが殺されたのを見て、自分たちにも危害が及ぼされるのではないかと恐れました。そのため彼らは『おのおの騾馬に乗って逃げ』ました。しかし、実際は逃げなくても全く大丈夫でした。何故なら、僕たちはただアムノンを殺せとだけアブシャロムに命じられていたからです。アブシャロムはアムノン以外の兄弟たちを殺すつもりがなかったはずです。この時にダビデの息子たちが『騾馬』に乗って逃げたのは、彼らが騾馬により祝宴の場所である『エフライムの近くのバアル・ハツォル』まで来たからです。

【13:30~31】
『彼らがまだ道の途中にいたとき、ダビデのところに次のような知らせが着いた。「アブシャロムは王の子たちを全部殺しました。残された方はひとりもありません。」そこで王は立ち上がり、着物を裂き、地に伏した。かたわらに立っていた家来たちもみな、着物を裂いた。』
 ダビデの息子たちが逃げる『道の途中にいたとき』から、もうダビデには事件の報告が届きました。これは間違いなく伝令用の早馬に乗った僕が、『騾馬』(Ⅱサムエル13:29)に乗ったダビデの息子たちよりも、早くダビデのいるエルサレムに到達したからです。これは古代の時代ですから、緊急用の早馬が王家にいたのは当然のことです。物凄いスピードで報告を持ち運ぶ俊足の伝令使がいたとも考えられますが、早馬によったと考えるほうが自然だと思えます。しかし、今でもそうですが第一報は誤報であることがしばしばです。この時もやはりそうでした。ダビデに報告を伝えた者は、本当はアブシャロムがアムノンただ一人だけしか殺していないのに、『王の子たちを全部殺し』たと言ってしまいました。この報告を聞いたダビデは『着物を裂き』、ダビデの近くにいた僕たちもそうします。これは心が驚きや怒りや悲しみで大いに引き裂かれたからです。王子たちが全て殺されたと聞かされたのです。であれば、どうしてこのように気持ちをまざまざと表明しないでいられたでしょうか。

【13:32~33】
『しかしダビデの兄弟シムアの子ヨナタブは、証言をして言った。「王さま。彼らが王の子である若者たちを全部殺したとお思いなさいませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブシャロムの命令によるので、アムノンが妹のタマルをはずかしめた日から、胸に持っていたことです。今、王さま。王子たち全部が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」』
 ダビデたちが衝撃を受けていた一方、ヨナタブは何が起きていたのか悟っていました。ヨナタブは、殺されたのがただアムノンだけであると分かっていました。何故なら、アブシャロムが殺意を抱いていたのはアムノンだけだったからです。ヨナタブは、アブシャロムが決して他の兄弟を殺したりしないと確信していました。このため、ヨナタブは殺されたのがアムノンだけであるとダビデに告げます。ダビデはそのことを聞いて幾らかでも安心したでしょうか。それともヨナタブの言葉を信じなかったでしょうか。聖書には何も示されていませんから分かりません。

 ヨナタブはここでも悪賢さを現わしています(Ⅱサムエル13:3)。というのも、彼はここで自分がアムノンを悪へと唆したことについて隠しているからです。もしヨナタブがアムノンに悪事を勧めなければ、アムノンは悪事に進んでいなかったかもしれません。しかし、ダビデにアムノンを唆したことが知られたら、ヨナタブは非難されたり逃げたりしなければいけなくなりかねません。ですから、ヨナタブは自己防衛のため唆したことについて何も言わなかったわけです。

【13:34~36】
『一方、アブシャロムは逃げた。見張りの若者が目を上げて見ると、見よ、彼のうしろの山沿いの道から大ぜいの人々がやって来るところであった。ヨナタブは王に言った。「ご覧ください。王子たちが来られます。このしもべが申し上げたとおりになりました。」』
 アムノンを殺したアブシャロムはエルサレムに戻らず逃げました。彼が逃げたのは当然だったでしょう。何故なら、王子を殺したのですから、もはやこれまでのような生活をし続けることが出来ないのは明らかだからです。

 しばらく経つと、ヨナタブの話した通り王子たちが戻って来たので、ダビデと王子たちは共に泣き悲しみました。アムノンが死んだのは近親相姦に対する裁きでした。ですから、アムノンが殺されたのは必然でした。つまり自業自得だったのです。しかし、王子の一人が死んだことに変わりはありません。その死は悲惨でした。ですから、ダビデと息子たちはアムノンの死を悲しまずにいられませんでした。

【13:37~39】
『アブシャロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、いつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでいた。アブシャロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。ダビデ王はアブシャロムに会いに出ることはやめた。アムノンが死んだので、アムノンのために悔やんでいたからである。』
 アブシャロムは、逃げてから『ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところ』に住むこととなります。彼がこうしたのは自然でした。何故なら、『タルマイ』はアブシャロムの祖父だったからです(Ⅱサムエル3:3)。『ゲシュル』とは、イスラエルの北にあり、キネレテ湖の東に位置しています。『エフライム』(Ⅱサムエル13:23)の地からこのゲシュルまでは北に100km近く離れています。ですから、アブシャロムはかなりの距離を逃げたはずです。アブシャロムは祖父の国に『三年の間』いました。これはタルマイがアブシャロムの事件をそこまで大きな問題としなかったということです。何故なら、もし大きな問題とすれば3年間もゲシュルにいることは恐らく出来なかっただろうからです。「エルサレムに戻って謝罪をすべきじゃないかね。」などとタルマイから言われて帰らされていた可能性もあるわけです。

 ダビデはアムノンの死について、ずっと悔やみ続けていました。親にとって子の不幸な死が齎す悲しみは消し去り難いものなのです。何故なら、本来であれば親である自分のほうが先に死ぬはずなのに、子のほうが先に死に、しかも嘆かわしい死に方で死んだからです。親はどうして子のほうが先に死ぬなどと思ったでしょうか。ところが、そのようなことが実際に起きたのですから、ダビデのような子に先立たれた親は、どうして悲しみ続けずにいないはずがあるでしょうか。このようにダビデはアムノンのことで悔やみ続けていたため、アブシャロムに一度も会おうとはしませんでした。もしダビデがアブシャロムに会えば、アブシャロムに対する怒りが生じかねず、またアムノンのことでも更に悲しみが深まりかねなかったからです。