【Ⅱサムエル記17:23~18:17】(2023/03/26)


【17:23】
『アヒトフェルは、自分のはかりごとが行なわれないのを見て、ろばに鞍を置き、自分の町の家に帰って行き、家を整理して、首をくくって死に、彼の父の墓に葬られた。』
 アヒトフェルは自分の案が1回目と異なり拒絶されたので、かなり大きなショックを受けたはずです。このため彼は案が拒絶されたことを理由として自殺しました。日本人で言えば、ちょうど事業に大失敗したので責任を感じて自殺する人と似ています。アヒトフェルが死んだ時の年齢については分かりません。彼が『ろばに鞍を置』いたのは、これからろばに乗って帰宅するためです。『自分の町の家』とは、『ギロ』(Ⅱサムエル15:12)という町の家であり、そこはユダ族の相続地に属する山地でした(ヨシュア記15:48~51)。彼が『家を整理した』のは、死ぬ前に為すべきことをしっかり為しておくためでした。彼は『首をくくって死』にましたが、首を吊って死ぬというのは古代でも今と変わらなかったのです。アヒトフェルが『彼の父の墓に葬られた』のは、今の時代と同じで、ごく自然なことでした。このようにアヒトフェルが自殺して死んだのは、神の裁きが彼に下されたからでした。彼は正しい者であるダビデを殺そうとしました。このため、彼は自分で自分を殺すことになったのです。聖書が言っているように『正しい者を憎む者は罪に定められる』からです。ところで、ここ以外の箇所でもそうですが、聖書はこの箇所で自殺の理非について何も論じていません。ここでは、ただアヒトフェルが自殺したとだけ記されているだけです。しかし、だからといって自殺しても問題ないということにはなりません。何故なら、本当に正しい者であればそもそも自殺するような状況に追い込まれないでしょうし、たとえ追い込まれたとしても決して自殺するには至らないからです。実際、聖書で正しい者が自殺した出来事は何も書かれていません。聖書で書かれている自殺者は、このアヒトフェル以外にもサウルや裏切り者ユダがいますけども、それらの自殺者はどれも正しくない者たちでした。ですから、自殺の理非が論じられていないということを自殺の首肯へ結び付けることはできません。この事柄については以前にも述べておいたところです。

【17:24~26】
『ダビデがマハナイムに着いたとき、アブシャロムは、彼とともにいるイスラエルのすべての人々とヨルダン川を渡った。アブシャロムはアマサをヨアブの代わりに軍団長に任命していた。アマサは、ヨアブの母ツェルヤの妹ナハシュの娘アビガルと結婚したイシュマエル人イテラという人の息子であった。こうして、イスラエルとアブシャロムはギルアデの地に陣を敷いた。』
 ダビデたちは、ヨルダン川を渡ってから、ギルアデの北にある『マハナイム』に着きました。その時、アブシャロムの陣営も、ダビデたちを追いかけ、ヨルダン川を渡りきりました。アブシャロムの陣営はかなりの数でした。こうしてアブシャロムの陣営がダビデの陣営に対峙することとなります。親と子が、しかも王である親と王子である子が戦争をするのです。これは異様な光景だったと言わなければなりません。このようになったのはアブシャロムが謀反を起こしたからでした。もし彼が謀反を企てていなければ、このような戦いも起きませんでした。しかし、アブシャロムが謀反を起こしたのは、ダビデの犯した罪に対する懲らしめでした。もしダビデが大きな罪を犯していなければ、アブシャロムもこのような謀反を起こしていなかったでしょう。箴言でも言われている通り、『いわれのない災いはやって来ない』からです。私たちはこのことをよく弁えておくべきです。

 これまでイスラエルの軍団長はずっとヨアブでした。しかし、このヨアブはエルサレムをダビデと共に逃げていました。空白状態になったイスラエルの首都エルサレムは、アブシャロムが乗っ取りました。このため、アブシャロムはイスラエルの軍団長として、ヨアブに代わって『アマサ』という者を据えました。この『アマサ』とはヨアブと関係の近い人物です。アマサは簡単に言えば、ヨアブの親戚が産んだ子どもです。2023年時点での皇室で例えるならば、小室眞子さんが子を産んだと仮定して、愛子さまに対するその子がアマサに当たります。この例えで愛子さまはヨアブに対応しています。『ヨアブの母ツェルヤの妹ナハシュ』は、つまりヨアブの叔母さんです。その叔母さんの『娘アビガル』は、つまりヨアブと年齢的に近かったであろう親戚の女です。この親戚の子が軍団長として任命されたアマサでした。

【17:27~29】
『ダビデがマハナイムに来たとき、アモン人でラバの出のナハシュの子ショビと、ロ・デバルの出のアミエルの子マキルと、ログリムの出のギルアデ人バルジライとは、寝台、鉢、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒り麦、そら豆、レンズ豆、炒り麦、蜂蜜、凝乳、羊、牛酪を、ダビデとその一行の食糧として持って来た。彼らは民が荒野で飢えて疲れ、渇いていると思ったからである。』
 ダビデがマハナイムに行くと、アモン人と2人のギルアデ人が、援助物資を多く持ち運んで来ました。彼らはダビデたちの状態を心配したのです。ギルアデ人だけでなくアモン人まで助けにやって来たのは、アモン人がイスラエルの僕になっていたからです(Ⅱサムエル12:26~31)。もしアモン人がイスラエルに敵対したままの状態であれば、このように助けに来たかは分かりません。しかし、アモン人は既にイスラエルの僕となった以上、イスラエルを助けに行くべきだったのです。この出来事からも分かる通り、神は御自分の民である聖徒たちを気遣って下さいます。何故なら、聖徒とは神の子らだからです。これは親が自分の子を憐れんで養うのと同じです。

 3人は、ダビデたちのため、幾つもの物資を持ち運んで来ました。このように援助しようとしたのは真実な心からだったはずです。『寝台』が持ち運ばれたのはダビデやその家族、疲れた者や病気の者が休むためだったかもしれません。『鉢』は食料を保管したり料理するためだったと考えられます。『土器』は恐らく料理のためだったと推測されます。『小麦』はもちろん食べるためです。『大麦』もやはり食べるためでした。『小麦粉』も同様です。『炒り麦』も。『そら豆』も食糧です。『レンズ豆』もダビデたちが食べます。『蜂蜜』は麗しい甘さにより疲れた精神が元気付けられるためです。『凝乳』は渇きを癒すため。『羊』は肉のためだったはずです。『牛酪』は牛肉とミルクのためです。これらがそれぞれ具体的にどれぐらいの量だったかは分かりません。また、3人の中で誰が、何を、どのぐらい、持ち運んで来たのかも分かりません。聖書は持ち運ばれた物資を一括して書いているだけだからです。しかし、詳細がよく分からなくても、どうということはありません。

 ここでは大いに注目すべき重大な部分があります。それは『炒り麦』だけ援助物資を記述する中で2回書かれていることです。これは決して素通りできないことです。どうしてここでは『炒り麦』だけ2回も書かれているのでしょうか。冷静に考えてみましょう。これは何か異なる種類の『炒り麦』が持ち運ばれたことを示しているのでしょうか。こうだった可能性は低いと思われます。このⅡサムエル記の筆記者がうっかりミスをしたので、『炒り麦』を2回も書いてしまったということはあり得ません。何故なら、パウロがⅡテモテ書で言った通り『聖書はすべて神の霊感による』のだからです。神が聖書で筆記者にミスを書かせたというのは考えることさえ許されません。完全であられる神が不完全な記述を書かせられるというのは考えられないからです。考えられるのは2つです。一つ目は、この箇所を複写する際、ある複写者が誤って『炒り麦』を2つも写してしまったということです。つまり、Ⅱサムエル記の原本には『炒り麦』という言葉が一つしかありませんでした。聖書の原本は完全に霊感されていますが、複写して写本を作る際に人間的なミスが生じるというのはよくあることです。70人訳聖書を訳した古代ユダヤ人たちも、これは人間的な複写ミスだったと考えていたようです。何故なら、ヘブル語原文からギリシャ語に訳された70人訳聖書では、2度目すなわち『レンズ豆』という言葉に続いて書かれている『炒り麦』はないからです。70人訳聖書の場合、『炒り麦』という言葉は一つだけです。このようであった可能性は非常に高いでしょう。二つ目は、ここで象徴性が示されているということです。ここでは運ばれた物資で「14」という象徴数を示そうとしている可能性があります。ここで挙げられている物資の数を数えて下さい。全部で14あることが分かるはずです。つまり、『炒り麦』という言葉を余分に一つ加えることで「14」としたのかもしれません。聖書で象徴数を示すため、記述上の数を整えるということは珍しくありません。もしこうだったとすれば、ここでは持ち運ばれた援助物資の総量が、ダビデたちにとって全然足りなかったことが示されています。何故なら、聖書において「14」という数字は「少ないこと」(また短いこと)を象徴しているからです。このようだった可能性もないわけではないはずです。もしこうだったとすれば、ここでは意味なく『炒り麦』が無駄に繰り返されているのではありません。この2つの説は、どちらを採用しても不敬虔また非聖書的だということになりません。ですから、読者は好きなほうを選べばいいでしょう。70人訳聖書の訳者は一つ目の説を採用しましたが、70人訳聖書が訳された時代は預言者も現われなくなっていたあまり霊的に恵まれていない時代でしたから、その訳者がそもそも「14」の象徴性を知らなかったため、一つ目の説を採用するしか選択肢がなかった可能性もあります。

【18:1】
『ダビデは彼とともにいる民を調べて、彼らの上に千人隊の長、百人隊の長を任命した。』
 いつの時代であれ、どこの場所であれ、王は軍の最高司令官であるものです。ダビデもその一人でした。ですから、ダビデは人員を調べ、彼らの上に『千人隊の長、百人隊の長』を任命します。多くの軍勢において整然とした秩序と統括は重要だからです。もし長に兵士たちが管理されなければ、カオスな状態が生じかねません。ダビデに任命されたこの長たちがどれだけいたかは不明です。

【18:2】
『ダビデは民の三分の一をヨアブの指揮のもとに、三分の一をヨアブの兄弟ツェルヤの子アビシャイの指揮のもとに、三分の一をガテ人イタイの指揮のもとに配置した。』
 ダビデは軍勢を『三分の一』ごと3つのグループに分け、それぞれのグループをヨアブとアビシャイとイタイに統括させました。このように全体を3つに分割したのは、より管理し易くするためです。古代ローマも多くの国々を支配・管理していましたが、「分割して統治せよ」という原則に従っていたのです。ダビデがこれら3人を統括官として任命したのは、彼らが信頼に値する人物だったからでしょう。ヨアブとアビシャイについては信頼性がもう確証済みです。『ガテ人イタイ』は、たとえ死んだとしてもダビデと共に歩むと誓ったのですから(Ⅱサムエル15:21)、信頼に値する人物だと見做されたのでしょう。ダビデがこのように一つの全体を3つに区切るのは理知的でした。

【18:2~4】
『王は民に言った。「私自身もあなたがたといっしょに出たい。」すると民は言った。「あなたが出てはいけません。私たちがどんなに逃げても、彼らは私たちのことは何とも思わないでしょう。たとい私たちの半分が死んでも、彼らは私たちのことは心に留めないでしょう。しかし、あなたは私たちの一万人に当たります。今、あなたは町にいて私たちを助けてくださるほうが良いのです。」王は彼らに言った。「あなたがたが良いと思うことを、私はしよう。」』
 ダビデは勇士であり男でしたので、自分も兵士たちと共に戦いたいと願い求めます。これまでずっとダビデは戦い続けて来ました。ですから、この度も戦いたいと思ったのは自然なことでした。ダビデが自分も一緒に兵士たちと戦いたいと言ったのは、ダビデからすればおかしくなかったはずです。しかし、民はダビデの願いを拒絶します。というのもアブシャロムたちが求めているのはダビデ一人だけだからです。民が言っている通り、アブシャロムたちにとってダビデ以外の者はどうでもいい存在です。このダビデが打ち取られたらダビデの陣営は完全に敗北してしまいます。ですから、民はダビデが町にいて民を助けるよう求めます。このように民が言ったのはもっともでした。また、ダビデも道理の分かるまともな人でした。このため、ダビデは民の意見を受け入れ、戦いに参加することを諦めました。このように民の正しい意見を受け入れるのは、王として正しいことです。何故なら、正しい王とは正しい意見を受け入れる王のことだからです。頑なになった老王の場合、高慢になっていますから、たとえ正しい意見であっても、それが臣下また一般の民衆の意見だというので、往々にして受け入れないものです。このような王であれば知的な若者にさえ劣ります。ソロモンはこう言っています。『貧しくても知恵のある若者は、もう忠言を受けつけない年とった愚かな王にまさる。』(伝道者の書4章13節)

【18:4】
『王は門のそばに立ち、すべての民は、百人、千人ごとに出て行った。』
 こうしてダビデの軍勢は隊長たちに率いられて送り出され、ダビデは町に留まり、『門のそばに立ち』ました。ダビデが門のところに立ったのは、戦況の報告をすぐに聞くためだったはずです。この戦いではダビデの息子であるアブシャロムがかかっています。ダビデに敵対しているのはダビデの息子なのです。ですから、ダビデは一早く報告を聞きたいと思ったのです。もしダビデが門におらず、町の奥で待機していたとすれば、報告の伝達が多かれ少なかれ遅れてしまいます。先に古代で門は裁判を行なう場所だったと述べましたが、この時のダビデは裁判のため門のところに立ったわけではありませんでした。

【18:5】
『王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じて言った。「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」民はみな、王が隊長たち全部にアブシャロムのことについて命じているのを聞いていた。』
 ダビデは、3人の隊長たちに、アブシャロムと戦うならばアブシャロムを『ゆるやかに扱ってくれ』るよう求めます。つまり、アブシャロムを殺したり痛めつけたりするなということです。ダビデに敵対していたのは、ダビデの息子でした。ですから、ダビデはこの戦いでアブシャロムが悲惨なことにならないか心配だったのです。ダビデは隊長たちの『全部』にこのことを命じました。何故なら、もし告げられなかった隊長がいれば、その隊長は何も言われていないのですから、アブシャロムに害を与えかねないからです。この時、人々はダビデがアブシャロムのことで命じているのを耳にしていました。戦いに勝利しなければいけないと分かっているものの、敵の将(すなわちアブシャロム)を好意的に扱わなければいけないというのは、なかなか珍しい戦いです。

【18:6~8】
『こうして、民はイスラエルを迎え撃つために戦場へ出て行った。戦いはエフライムの森で行なわれた。イスラエルの民はそこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日、その場所で多くの打たれた者が出、二万人が倒れた。戦いはこの地一帯に散り広がり、この日、剣で倒された者よりも、密林で行き倒れになった者のほうが多かった。』
 こうして王の部隊と王子の部隊が戦うという世にも珍しい戦いが始まりました。イスラエルに敵対する外国民族から見れば、こんなに不思議な光景はなかったでしょう。敵の民族は、イスラエル人が何をしているのか、恐らく理解できなかったと思われます。しかし、敵にとってこのような戦いは好都合でした。何故なら、自分たちは何もしていないのに、イスラエル民族が自分たちで勝手に殺し合いをするのだからです。この時に『戦いはエフライムの森で行なわれた』のですが、この場所はベニヤミン族の相続地における北、マナセ族の相続地における南でした。神が共におられたのはダビデの側でした。それゆえ、アブシャロム派の兵士たちは、ダビデ派の兵士たちに打ち負かされます。この日には『二万人』もの『打たれた者が出』ましたが、これはかなりの戦死者です。この「20000」という数字に象徴性は含まれていないはずです。この通り戦いで死亡した兵士たちは多かったのですが、それよりも『密林で行き倒れになった者のほうが多かった』のでした。『行き倒れ』になるとは、つまり疲労や飢え渇きなどにより倒れて動けなくなることです。

 このような悲惨が起きたのは、ダビデの犯した罪がその原因でした。ダビデが罪を犯してから、神はダビデに対し『今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。』(Ⅱサムエル12:10)と言われたのです。もしダビデがあのような大罪を犯していなければ、こういった悲惨な出来事も起こらなかったでしょう。この通り、罪を犯すならばやがて悲惨が自分に降りかかって来ます。私たちはこのダビデを教訓とすべきです。もし罪を犯すならば、私たちもダビデのように悲惨を味わわなければいけなくなるからです。

【18:9~10】
『アブシャロムはダビデの家来たちに出会った。アブシャロムは騾馬に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。ひとりの男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブシャロムが樫の木に引っ掛かっているのを見て来ました。」』
 アブシャロムが密林を『騾馬に乗って』移動していたところ、『大きな樫の木の茂った枝』に引っ掛かり、宙ぶらりんとなってしまいました。枝が斜めか横に飛び出て道の上方を妨げていたのです。この密林は枝が生い茂っていた場所ばかりだったのかもしれません。アブシャロムを乗せていた騾馬は、アブシャロムを残して、そのまま走り去って行きました。これから間もなくアブシャロムに最悪の不幸が襲いかかろうとしていました。このようになったアブシャロムを『ひとりの男』が目的します。彼はアブシャロムに対し何かすることをせず。まずヨアブにアブシャロムのことを報告しました。彼は3つに区分された群れの中でヨアブに統括されるグループの兵士だったはずです。

【18:11~13】
『ヨアブはこれを告げた者に言った。「いったい、おまえはそれを見ていて、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。私がおまえに銀十枚と帯一本を与えたのに。」その男はヨアブに言った。「たとい、私の手に銀千枚をいただいても、王のお子さまに手は下せません。王は私たちの聞いているところで、あなたとアビシャイとイタイとに、『若者アブシャロムに手を出すな。』と言って、お命じになっているからです。もし、私が自分のいのちをかけて、命令にそむいていたとしても、王には、何も隠すことはできません。そのとき、あなたは知らぬ顔をなさるでしょう。」』
 報告者から報告を受けたヨアブは、どうしてアブシャロムを見つけた際に打ち殺さなかったのかと不満がりました。ヨアブはアブシャロムを殺すなというダビデの命令を受けていました(Ⅱサムエル18:5)。ヨアブが、このダビデの命令を忘れたとか理解できていなかったとか、そういったことは考えられません。ヨアブはアブシャロムの死がダビデに嫌がられるということぐらい百も承知だったはずです。それにもかかわらずヨアブはアブシャロムの死を求めたのです。この時に報告した男は、ダビデがアブシャロムについて言った命令を聞いていました(Ⅱサムエル18:5)。このため彼はダビデの命令通り、アブシャロムを殺したくありませんでした。何故なら、『王のことばには権威がある』(伝道者の書8章4節)からです。ですから、この報告者は正しい判断をしていました。間違っていたのはヨアブのほうでした。もしこの報告者がアブシャロムを殺したとしても、彼は王にその殺害行為を隠したりできませんでした(13節)。何故なら、この報告者はアビデ王に忠実な人物だったからです。根が真面目だったというのもあったかもしれません。しかし、そのようにアブシャロムの殺害行為をはっきり知らせても、ヨアブが『知らぬ顔をなさる』ことは間違いありませんでした。ヨアブはダビデからアブシャロムを殺すなと言われていたからです。ここでヨアブが与えると言った『銀十枚』とは、つまり報告者に対する報酬でした。また『帯一本』というのは勲章のような物だったはずです。

【18:14~15】
『ヨアブは、「こうしておまえとぐずぐずしてはおられない。」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真中に引っ掛かったまま生きていたアブシャロムの心臓を突き通した。ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブシャロムを取り巻いて彼を打ち殺した。』
 この報告者がアブシャロムを殺しそうもないと見て取ったヨアブは、自分自身でアブシャロムを殺すことに決めました。『ぐずぐずしてはおられない。』とアブシャロムが言ったのは、もしゆっくりしていればアブシャロムが宙ぶらりんの状態から降り、逃げるかもしれなかったからです。この時にヨアブは『手に三本の槍を取り』ました。これは確実にアブシャロムを殺すためでした。1本を投げて失敗してもまだ2本残っており、2本目が失敗してもまだ1本あり、3本目で殺せる可能性があるのです。こうしてヨアブは、まだ宙ぶらりんのままだったアブシャロムを槍で殺してしまいます。ヨアブが『アブシャロムの心臓を突き通した』のは、すぐさま絶命させ、生き延びることがないようにするためだったはずです。ヨアブが槍でアブシャロムを突き通すと、『ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも』続いてアブシャロムに死の打撃を与えます。このようにアブシャロムが殺されたのは、アブシャロムが兄弟アムノンを殺したことに対する神からの裁きでした。アブシャロムはアムノンの命を奪いました。ですから、アブシャロムも命を奪われるべきだったのです。何故なら、神はこう言われたからです。『かりそめにも人を打ち殺す者は、必ず殺されなければならない。』もしアブシャロムが兄弟殺しの罪を悔い改めていたとすれば、殺人の罪を悔い改めたダビデと同様、神の裁きを免れていたでしょう。しかし、アブシャロムは自分の犯した罪を悔い改めていませんでした。このため、アブシャロムの罪は赦されずそのまま残っており、こうして死の裁きを受けるに至ったわけです。

【18:16】
『ヨアブが角笛を吹き鳴らすと、民はイスラエルを追うのをやめて帰って来た。ヨアブが民を引き止めたからである。』
 軍の将が死んだならば勝敗は決まるものであり、この時もイスラエル軍の将であるアブシャロムが死にましたので、勝敗がすぐ決まりました。何故なら、最高司令官であるアブシャロムが死んだのであれば兵士たちはどうすることも出来ないからです。頭が死んだなら身体はどうしてそれまでと同様に動き続けられるでしょうか。頭とは将であり、身体とは兵士たちです。このように神はアブシャロムの側に敗北を与えられました。これはアブシャロムが死罪を犯したからでした。このようになったのでヨアブは戦いが終結したことを示す『角笛を吹き鳴ら』します。すると、ヨアブが角笛で合図したものですから、『民はイスラエルを追うのをやめて帰って来』ました。思いがけない突然の勝利と敗北。ダビデ派の人員のうち、いったい誰がこのような終わり方になると思ったことでしょうか。誰もこのような終わり方は予想していなかったはずです。何故なら、人々はダビデがアブシャロムについて言ったことを知っていたからです。

【18:17】
『人々はアブシャロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石くれの山を積み上げた。』
 このようにアブシャロムは木に引っ掛かったままの状態で殺されました。つまり、彼は木から下に降りることが出来ませんでした。彼はヨアブたちに殺されてからも、まだ木に引っ掛かったままでした。これはアブシャロムの引っ掛かった度合いが非常に深かったことを示しています。これは一つの推測ですが、長い枝が服か鎧をかなり貫いたため、その枝を離すのが難しかったのかもしれません。もし引っ掛かった度合いが浅ければ、すぐにも降りることができ、逃げられていたかもしれません。しかし、神は彼が裁かれるため、深く引っ掛かることを望まれました。木に引っ掛かったままで死んだアブシャロムを民は降ろし、深い穴に入れ、そこに石の山を積み上げました。この『大きな石くれの山』は墓のつもりだったのでしょう。人々がアブシャロムの死体を『深い穴に投げ込』んだのは、間違いなくダビデのことがあったからです。人々は当然ながら、頭だけであれ身体の全体であれ、死体となったアブシャロムをダビデのもとに持ち運ぶことができませんでした。そうすればダビデはショックでどのようになるか分からなかったからです。このため、アブシャロムの死体をダビデが見ないため彼らは穴に投げ込んだのです。このアブシャロムが死んだ年齢については分かりません。ただダビデが『若者』(Ⅱサムエル18章12節)と言ったのですから、30代後半より下だったことは間違いないはずです。というのも、40を過ぎていたなら『若者』などとは言われていなかっただろうからです。20代であればもちろんですが、30代であれば今でも若いと言われることがしばしばあります。ところで、アブシャロムが木に引っ掛かったままで死んだことは、霊的に深い意味がありました。それはアブシャロムが呪われていたということです。何故なら、律法では『木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。』(申命記21章23節)と書かれているからです。彼はアムノンを殺すという呪われるべき死罪を犯したのですから、呪われていたのは確かです。つまり、彼が木にかかった状態で死んだのは、偶然そうなったというわけではありません。呪われた者として死ぬため、神の摂理がこのような死に方へとアブシャロムを導いたのです。