【Ⅱサムエル記18:17~19:10】(2023/04/02)


【18:17】
『イスラエルはみな、おのおの自分の天幕に逃げ帰っていた。』
 将が倒れたならば敗北となりますので、アブシャロムを失ったイスラエル軍は敗北となりました。もうイスラエルの兵士たちはどうすることも出来ません。彼らの全てはアブシャロムの死について聞いたはずです。ですから、彼らは『おのおの自分の天幕に逃げ帰ってい』ました。ちょうど森の動物が巣穴に大急ぎで戻るかのようだったでしょう。

【18:18】
『アブシャロムは存命中、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから。」と考えていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブシャロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。』
 アブシャロムはまだ生きている時、自分の名を残すため、『一本の柱を立ててい』ました。これは彼が『私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから。』と考え心配したからです。アブシャロムには『三人の息子』(Ⅱサムエル14:27)がいました。しかし、この息子たちはまだ父のことを覚えられないほど幼かったか、そうでなければ父を尊ぶ息子たちではなかったのでしょう。ですから、アブシャロムは記念碑を作り自分の名が人々に記憶されるようにしたのです。もし彼に自分の名を覚えてくれる息子がいたとすれば、このように記念碑を立てていたかどうかは分かりません。彼がこのような記念碑を立てていたのは、遅かれ少なかれ死ぬことになると考えていた証拠でしょう。もしそう考えていなければ、どうしてすぐにも死ぬかのように記念碑など立てたでしょうか。彼は重大な罪を犯したのですから、死の裁きを予想していたとしても不思議なことはありません。アブシャロムは自分の名を残すため記念碑を立てましたが、別にこのような記念碑を立てなくても、彼の名は記憶されることになりました。私たちがこの巻で見ている通り、彼の名は聖書で永遠に刻まれることとなったからです。もっとも、アブシャロムはやがて聖書で永遠に記憶されることになるなどと少しも予測していなかったでしょうが。アブシャロムが立てたこの記念碑は『アブシャロムの記念碑』と呼ばれ、Ⅱサムエル記が書かれた『今日』までイスラエル人たちに知られていました。この『今日』とは私たちが生きている今日ではありません。この記念碑が立てられた『王の谷』は、『シャベの谷』(創世記14:17)と呼ばれる谷であり、アブラハムもそこにいたことがあります。

【18:19】
『ツァドクの子アヒマアツは言った。「私は王のところへ走って行って、主が敵の手から王を救って王のために正しいさばきをされたと知らせたいのですが。」』
 ダビデに報告する役割を持っていた『ツァドクの子アヒマアツ』は、アブシャロムの死について報告しようとします。しかし、自分で勝手に報告しに行くのではなく、まずヨアブに話してから報告しようと思いました。これは重大な件なのでヨアブにも話しておくべきだったからです。このアヒマアツは、アブシャロムが死んだのは神の裁きだと理解していました。これは正しい理解でした。しかし、だからといってヨアブがアブシャロムを殺害していいということにはなりませんでした。というのもダビデはアブシャロムを殺すなとはっきり命じていたからです。

【18:20~21】
『ヨアブは彼に言った。「きょう、あなたは知らせるのではない。ほかの日に知らせなさい。きょうは、知らせないがよい。王子が死んだのだから。」ヨアブはクシュ人に言った。「行って、あなたの見たことを王に告げなさい。」クシュ人はヨアブに礼をして、走り去った。』
 ダビデに報告しようとするアヒマアツでしたが、ヨアブはアヒマアツを行かせようとしません。何故なら、この日は『王子が死んだのだから』です。悲劇が起きたその当日に、アヒマアツのようなダビデと近い関係を持つ者が報告したならば、ダビデの受けるショックは極めて大きいものとなりましょう。近い関係を持つ者ほど伝わる度合いは大きくなるからです。ですから、ヨアブはアヒマアツが『ほかの日に知らせ』るよう命じます。少し時間が経ってから報告するならば、報告によるショックも少しは和らぐのだからです。その代わり、ヨアブは『クシュ人』がダビデに報告するよう命じます。『クシュ人』とはアフリカに住むハム系の異邦人であり、黒人です。このような異邦人であれば、ダビデが報告を聞いても、受けるショックの度合いは少ないものとなります。何故なら、異邦人しかもハム系の異邦人とユダヤ人は民族的に近い関係を持っていないからです。このように命じられたクシュ人は、報告するためダビデのもとへ走って行きます。このアフリカ人は、ヨアブの統括する群れに属する兵士また使いの者だったと考えられます。このことからも分かりますが、古代のイスラエルには黒人も見られました。

【18:22~23】
『ツァドクの子アヒマアツは再びヨアブに言った。「どんなことがあっても、やはり私もクシュ人のあとを追って走って行きたいのです。」ヨアブは言った。「わが子よ。なぜ、あなたは走って行きたいのか。知らせに対して、何のほうびも得られないのに。」「しかしどんなことがあっても、走って行きたいのです。」ヨアブは「走って行きなさい。」と言った。アヒマアツは低地への道を走って行き、クシュ人を追い越した。』
 クシュ人が出て行ったのを見たアヒマアツは、自分も報告のため出て行きたいと願い求めます。何故なら、アブシャロムが死んだのは実に大きな出来事だったからです。今の時代でも、王子が死んだというのに、報道しようとしないマスコミがあるでしょうか。そんなマスコミはないでしょう。アヒマアツがマスコミだというのではありませんけども、マスコミが報道すべき義務感を持つように、アヒマアツもそのような義務感を持ったのです。溢れる心の思いは行動を生み出さずにいられません。それゆえ、何とか報告したいという思いに満ちていたアヒマアツは、ダビデのもとに出て行きたがったのです。ヨアブはこのようなアヒマアツを少し不思議に感じました。何故なら、たとえ報告しても『何のほうびも得られない』からです。また後の日に報告したほうがダビデの受ける衝撃も抑えられるでしょう。ですから、ヨアブは時間が経ってからにすべきだと考えていました。ところがアヒマアツが何とか報告したいと切願したので、ヨアブは彼を出て行かせることにします。こうして出て行ったアヒマアツは、先に出ていたクシュ人を追い越します。これは、クシュ人がヨアブから命じられて出て行ったに過ぎなかった一方、アヒマアツは自分の意志で出て行ったからなのでしょう。つまり、クシュ人と違いアヒマアツは本気だったということです。アヒマアツがクシュ人よりも俊足だったということではなかったはずです。また、ここでヨアブがアヒマアツを『わが子よ。』と言っているのは、もちろん血縁関係のことではありません。このように言われたのは、アヒマアツがあたかもヨアブの子どもであるかのごとくヨアブに服従すべき存在だったからです。古代のユダヤ人は、本当の子どもでなくてもこのように呼ぶことがしばしばありました。使徒も使徒の教えを受ける聖徒たちに『子どもたちよ。』と呼びかけています。

【18:24】
『ダビデは二つの門の間にすわっていた。見張りが城壁の門の屋根に上り、目を上げてみていると、ただひとりで走って来る男がいた。』
 ダビデは、いち早く報告を受けるため、ずっと門のところに座っていました。彼がこうしていたのは自然でした。何故なら、この戦いでは息子がかかっていたからです。息子とは自分の分身です。ですから、自分のことが重大に感じられるのと同様、息子のことも重大に感じられるわけです。暫くすると、見張りが『ただひとりで走って来る男』を確認します。これはアヒマアツでしたが、ずっとクシュ人の先を走ったままで来たのです。すなわち、アヒマアツがクシュ人を抜かしてから、再び追い抜かされることはありませんでした。

【18:25】
『見張りが王に大声で告げると、王は言った。「ひとりなら、吉報だろう。」』
 見張りが見たアヒマアツは、まだ遠くにいたので、もう少し経たなければ誰なのか分かりませんでした。しかし、誰かがやって来たことだけは明らかに分かりました。見張りから誰かが来たと知らされたダビデは、きっと吉報を持って来た報告者に違いないと思います。吉報が聞けるという想定に確かな根拠はありませんでした。ダビデはただ吉報だと思いたかっただけです。

【18:25~26】
『その者がしだいに近づいて来たとき、見張りは、もうひとりの男が走って来るのを見た。見張りは門衛に叫んで言った。「ひとりで走って来る者がいます。」すると王は言った。「それも吉報を持って来ているのだ。」』
 見張りは、第一の者に続いてやって来る第二の者を確認しました。この第二の者はあのクシュ人です。しかし、このクシュ人もまだ遠くにいたので、見張りはそれが誰なのか分かりませんでした。また誰かがやって来たと聞かされたダビデは、その者も『吉報を持って来ている』と言います。これもやはり根拠がなく、ただこのように思い込みたかっただけです。それというのも、2人も悲報を持って来るというのであれば、それはダビデにとって耐え難いことだからです。

【18:27】
『見張りは言った。「先に走っているのは、どうやらツァドクの子アヒマアツのように見えます。」王は言った。「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」』
 暫くすると第一の走者が更に近づいて来たので、よく見えるようになり、その者は『アヒマアツ』だということが分かるようになりました。第一の走者がアヒマアツのようだと聞かされたダビデは、『良い知らせ』が聞けるだろうと期待します。ダビデはそのように思いたかったのです。「あなたの息子アブシャロムは穏やかに捕らえられ、今はあなたが来るのを静かに待機しているところです。」などと言われることを想定していたのです。何故なら、アヒマアツは『良い男』だったからです。しかし、これは根拠に欠けています。何故なら、『良い男』だからというので、必ずしも良い知らせを持って来るとは限らないからです。これは例えるならば、日本人であれば誰でも平和で優しい良い人ばかりだろうと外国人が思うのと似ています。確かに日本人にはこのような人が多いでしょう。しかし、日本人だからといって犯罪的だったり悪い人がいないわけでもないのです。

【18:28】
『アヒマアツは大声で王に「ごきげんはいかかでしょうか。」と言って、地にひれ伏して、王に礼をした。彼は言った。「あなたの神、主がほめたたえられますように。主は、王さまに手向かった者どもを、引き渡してくださいました。」』
 アヒマアツがダビデのところに来ると、まず挨拶をしてひれ伏しました。彼が『ごきげんはいかかでしょうか。』と言ったのは、ヘブル語で「シャロム」となり、今のユダヤ人もよく使う言葉です。まずこのようにアヒマアツがしたのは、王に対して無礼な態度を取らないためです。そして、アヒマアツはまず『あなたの神、主がほめたたえられますように。』とダビデに言います。何故なら、『主は、王さまに手向かった者どもを、引き渡してくださいました』からです。確かにこれはその通りでした。神はアブシャロムの群れをダビデの群れに対し敗北させられました。つまり、神がダビデたちに勝利を与えて下さったのです。それゆえ、そのような勝利を下さった神には栄光が帰されねばなりませんでした。今の時代に生きる私たちも、神に勝利を与えられたならば、神に対して栄光を帰さねばなりません。勝利したのにその勝利の功績を神に帰さず、自分たちに帰する人は世の中に多いのです。そのようにするのは神を蔑ろにすることであり、良くありません。

【18:29~30】
『王が、「若者アブシャロムは無事か。」と聞くと、アヒマアツは答えた。「ヨアブが王の家来のこのしもべを遣わすとき、私は、何か大騒ぎの起こるのを見ましたが、何があったのか知りません。」王は言った。「わきへ退いて、そこに立っていなさい。」そこで彼はわきに退いて立っていた。』
 ダビデは、息子アブシャロムのことを気にかけていました。イスラエル軍にとって、ダビデ派の兵士たちは別にどうでもいい存在でした。イスラエル軍が何よりも求めていたのはダビデの首だったからです。それと同じで、ダビデもイスラエル軍の中でアブシャロムこそが重要でした。何故なら、イスラエルの兵士たちは個々の兵士として見做されるだけですが、アブシャロムは代わりがない自分の息子だからです。ダビデがアヒマアツにアブシャロムのことで尋ねると、アヒマアツはただ『大騒ぎの起こるのを見ました』とだけ答えます。アヒマアツはアブシャロムがどうなったのか知らない振りをしています。しかし彼がアブシャロムの死を知っていたのは確かです(Ⅱサムエル18:19~20)。それにもかかわらずアブシャロムの死を知らないように振る舞ったのは、ダビデと近い関係を持つ者がそのことについて知らせるべきではないからです。先にも述べた通り、報告する者との関係が近いほど心に受ける衝撃も大きくなるのです。ですから、アヒマアツは間もなくやって来るクシュ人に、アブシャロムの死を報告させようとしました。クシュ人が報告するのであれば、ダビデが受ける精神的な衝撃も幾らかは和らぐだろうからです。もうアヒマアツからは何も聞き出せないので、ダビデはアヒマアツを下がらせます。するとアヒマアツは命令された通り『わきに退』きました。ダビデは間もなく来る第二の走者から報告を受けようとしたのです。

【18:31】
『するとクシュ人がはいって来て言った。「王さまにお知らせいたします。主は、きょう、あなたに立ち向かうすべての者の手から、あなたを救って、あなたのために正しいさばきをされました。」』
 暫くするとクシュ人が来て、ダビデに戦況の報告をします。このクシュ人は、神がイスラエル軍をダビデ軍に敗北させられたと報告しました。これは正にその通りでした。アブシャロムを裁き、ダビデを守り助けるため、神はアブシャロムの群れをダビデたちに引き渡されたのです。

【18:32】
『王はクシュ人に言った。「若者アブシャロムは無事か。」クシュ人は答えた。「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者のようになりますように。」』
 ダビデは兵士たちのことよりアブシャロムのことを知りたがっていたので、『若者アブシャロムは無事か。』と言ってクシュ人に尋ねます。すると、クシュ人はダビデの敵が全て『あの若者』すなわちアブシャロムと同じようになればいいと答えます。クシュ人は直接的にアブシャロムの死を告げませんでしたが、このように言うのは、暗に「アブシャロムは殺された。」と言うことでした。ダビデが最も聞きたくない最悪の報告がダビデに齎されました。このクシュ人は単に自分が見たことを報告しただけでしょう(Ⅱサムエル18:21)。もしかすると、彼はアブシャロムが王子であるということさえ、よく知らなかったかもしれません。彼があまり事情を弁えていなかったからこそ、ヨアブはこのクシュ人に報告させようとしたのかもしれません。何故なら、あまりよく分かっていなければ、このような場合に語る際、恐れたり心配したりすることもなくなるからです。

 ダビデは前にアブシャロムを殺すなとしっかり命じていました(Ⅱサムエル18:5)。その命令は隊長だけでなく、全ての兵士たちがしっかり聞いていました。隊長や一般の兵士たちは王が命じたことに聞き従うものです。ですから、ダビデはまさかアブシャロムが殺されたりしないと思っていたはずです。そのように思っていたからこそ、ダビデは報告者たちが吉報を持って来たなどと期待したわけです(Ⅱサムエル18:25、26、27)。吉報とはアブシャロムが殺されてないという知らせです。ところが、ダビデが期待していたのと全く正反対の知らせをダビデは聞かされました。この通り、世の中においては期待とは全く異なることが起こるものなのです。善を期待したのに悲劇が起きたり、不安に思っていたのに喜ばしい出来事が起こったりします。しかし、全ては御心通りのことが起きているのです。

【18:33】
『すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」』
 決して聞きたくない報告を受けたダビデは、大きな悲しみのため『門の屋上に上り、そこで泣』きます。屋上に上ったのは、王として泣く場所を弁えたからです。目立つ場所で堂々と泣くのは適切でなかったのです。これは『ただ全てのことを、適切に、秩序をもって行ないなさい。』というパウロの言葉に適った振る舞いでした。ソロモンが言った通り、全てのことには『時』があります。それと同じで全てのことには「場所」もあるものなのです。この時にダビデが『身震いし』たのは、心に受けた衝撃が外面へと反映されたからです。人の精神と身体は一体ですから、精神の状態は身体において現われ出ざるを得ないのです。悲しんだダビデは、ここで『アブシャロム』また『わが子よ』と何度も言い続けました。ただ1回だけでなく何度も、です、これはダビデの嘆きがいかに大きかったか示しています。ダビデは息子を殺されて失ったのですから、このように激しく嘆いたとしても自然なことでした。しかし、このアブシャロムの場合、サウルとヨナタンの場合とは違い、哀歌が歌われることはありませんでした(Ⅱサムエル1章)。これはアブシャロムが謀反者として神に裁き殺されたからなのでしょう。また、ここでダビデは『私がおまえに代わって死ねばよかったのに。』と言いましたが、これは本当の思いだったはずです。もし本当にこのように思ったのでなければ、ここまで激しく泣き悲しむこともなかったはずだからです。

【19:1~3】
『そうこうするうちに、ヨアブに、「今、王は泣いて、アブシャロムのために、喪に服しておられる。」という報告がされた。それで、この日の勝利は、すべての民の嘆きとなった。この日、民が、王がその子のために悲しんでいる、ということを聞いたからである。民はその日、まるで戦場から逃げて恥じている民がこっそり帰るように、町にこっそり帰って来た。』
 ダビデがアブシャロムのため喪に服しているということは、当然ながらヨアブにも報告されました。後の箇所から分かる通り、ダビデのこういった振る舞いは、ヨアブの気に入りませんでした。しかし、ヨアブがダビデの喪を不満に感じたのはしっかり根拠がありました。

 敵に対する勝利はいつでも喜びを齎すものです。しかし、この時は珍しくそのような喜びがありませんでした。何故なら、『民が、王がその子のために悲しんでいる、ということを聞いたから』です。先にも述べた通り、王と人民とは一体であり有機体です。それゆえ、頭である王が悲しんでいるのであれば、その身体である人民は喜ぶことが出来ないわけです。頭は悲しんでいるのに身体が喜ぶというのであれば、それは不自然なのです。このため、勝利した兵士たちは戦場から逃走した臆病者でもあるかのようにこっそり帰りました。勝利したのに嘆くことになるというのは、かなり珍しい出来事です。しかし、このようになったのは仕方ありませんでした。何故なら、ダビデが悲しんでいるのは彼の息子が死んだためだったからです。兵士たちもそのことがよく分かっていましたから、あえて文句を言ったり不満がったりすることは恐らくなかったと思われます。

【19:4】
『王は顔をおおい、大声で、「わが子アブシャロム。アブシャロムよ。わが子よ。わが子よ。」と叫んでいた。』
 ダビデは、その大きな悲しみにより、大声でずっと泣き叫び続けていました。ダビデがこのようであったのは、全ての人員に知られていたはずです。しかし、事情が事情なので、人々はダビデのことで不満を漏らしたり怒ったりしなかったはずです。ただヨアブを除いてはそうだったはずです。ところで、この時の出来事は、もし絵画として描くならば印象深い傑作が出来上がりそうです。何故なら、絵の題材が良いからです。アブシャロムのことで泣き悲しんでいるダビデと、うつむきながらとぼとぼと家に帰っている多くの兵士たち。これは良い絵が描けそうです。

【19:5~7】
『ヨアブは王の家に行き、王に言った。「あなたはきょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう。それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。」』
 暫くすると、ヨアブはダビデのもとに行き、ダビデがアブシャロムのことで喪に服したことを非難します。ヨアブはダビデが家に帰ってから非難しました。すなわち、ヨアブは人々が大勢いる前でダビデを非難しませんでした。これはダビデの名誉を傷つけないためだったはずです。ヨアブがダビデの悲しみを非難したのは、しっかりした理由がありました。それはダビデが自分と自分の家族を殺そうとしていたアブシャロムの死について嘆き、そのアブシャロムを殺した兵士たちを無視していたからです。もしこのアブシャロムが殺されなければ、ダビデとその家族は滅ぼされていたかもしれません。ですから、アブシャロムが死んだのは、確かなところダビデにとって幸いな出来事でした。それにもかかわらず、ダビデは兵士たちに対し感謝したり良い言葉を与えたりしませんでした。これではヨアブに非難されても仕方ありません。ダビデはアブシャロムが死んだので他に何も考えられなかったかもしれません。しかしダビデがこのように振る舞ったのは、民を蔑ろにすることでした。ダビデはアブシャロムの死について嘆かないでいるか、もし嘆いても人々のことを考えるべきでした。ここでヨアブは人々の感じた不満を代表者として代弁していたと言っていいでしょう。

 ダビデがこのままの状態を続ければ、人々の心はダビデから離れてしまいます。何故なら、ダビデは人々に恥をかかせたまま何も対処しようとしないからです。このままでは人々が呆れてもうダビデに服従しなくなってしまいます。そうなったなら、ダビデには最悪の不幸が齎されることとなります。従属者たちがそれまで従っていた支配者を捨てて離れるというのは惨めさの極みだからです。ヨアブはそうならないため、ダビデが人々の前に出て、『ねんごろに語』りかけるよう勧めます。何のために語るのかといえば、それは民の心を取り戻すためにです。ヨアブがこのように勧めたのは、言葉により人の心は動かされるからです。言葉の力は人間を支配します。このため、古代では雄弁家が全てを支配すると言われたのです。ヒトラーもその言葉すなわち演説により全ドイツを思いのまま支配したのです。

【19:8】
『それで、王は立って、門のところにすわった。人々がすべての民に、「見よ。王は門のところにすわっておられる。」と知らせたので、すべての民は、王の前にやって来た。』
 ダビデは、ヨアブの言ったことがよく理解できました。ヨアブがダビデに言ったことはもっともでした。ダビデは正しい道理が分からないほど愚かになっていませんでした。もしダビデがヨアブの言葉を退けたとすれば、ダビデは愚かだったことになります。こうしてダビデは、人々に語るため、『門のところにすわ』りました。すると人々が呼びかけられてダビデのもとへ集まって来ました。この時はまだ人々の心がダビデから離れていなかったのです。しかし、ヨアブが言った通り、『今夜』(Ⅱサムエル19章7節)を過ぎれば、民の心はダビデを見放していたはずです。つまり、ダビデが行動を起こしたのはギリギリセーフだったというわけです。

『一方、イスラエル人は、おのおの自分たちの天幕に逃げ帰っていた。』
 ダビデ派でないイスラエル人、すなわちアブシャロム派だったイスラエル人は、敗北してから、どうしようもなくなりましたから、『自分たちの天幕に逃げ帰ってい』ました。これについては先の箇所でも書かれていた通りです(Ⅱサムエル18:17)。

【19:9~10】
『民はみな、イスラエルの全部族の間で、こう言って争っていた。「王は敵の手から、われわれを救い出してくださった。王はわれわれをペリシテ人の手から助け出してくださった。ところが今、王はアブシャロムのために国外に逃げておられる。われわれが油をそそいで王としたアブシャロムは、戦いで死んでしまった。それなのに、あなたがたは今、王を連れ戻すために、なぜ何もしないでいるのか。」』
 アブシャロム派だったイスラエル人たちは、アブシャロムが殺されてから、ダビデに対する態度を変えていました。この場合もそうですが、状況に変化が起こるならば人の態度もその変化に応じて変わるものなのです。イスラエル人たちは、ダビデが敵から自分たちを助け出してくれたことについて思い返しました。もしダビデが助けていなければ、イスラエル人は敵から滅ぼされたり悲惨な目に遭っていたかもしれません。神がダビデを通してイスラエルを助けて下さったのは明らかでした。しかし、このダビデはアブシャロムのゆえ国外に逃げている状態でした。ダビデは民のせいで逃亡していたも同然でした。何故なら、もし人々がアブシャロムを王として立てなかったならば、アブシャロムの群れは大きくならなかったでしょうから、謀反を企てることも難しくなり、ダビデが危機に陥ることは無かっただろうからです。ところが、このアブシャロムは既にもう殺されていなくなりました。であれば民にとって望ましいのは、再びダビデを自分たちの王にすることです。しかしながら、民はダビデを連れ戻すために『何もしないでい』ました。本来であればすぐに為されるべきことが、全く為されていない。このため、民の間では言い争いが起きていたのです。

 この箇所で言われている通り、アブシャロムは王となるための『油』注ぎを受けていました。これまでの箇所ではアブシャロムの油注ぎについて書かれていませんでした。彼がこのような儀式を受けたのは、つまり彼が人々の間で正式な王にされたということです。しかしながら、彼は神から王になるよう任じられていませんでした。もし本当に神から王として任じられていたとすれば、既に見た通り、神から裁き殺されるということはなかったでしょう。この通り、人間たちに立てられても神から立てられなければ意味はないのです。