【Ⅱサムエル記19:11~41】(2023/04/09)


【19:11~12】
『ダビデ王は祭司ツァドクとエブヤタルに人をやって言わせた。「ユダの長老たちにこう言って告げなさい。『全イスラエルの言っていることが、ここの家にいる王の耳に届いたのに、あなたがたは、なぜ王をその王宮に連れ戻すのをためらっているのか。あなたがたは、私の兄弟、私の骨肉だ。それなのに、なぜ王を連れ戻すのをためらっているのか。』』
 全イスラエルは再びダビデを王に戻そうとしていましたが、そのことはダビデにも知られました。ですから、ダビデは自分が全イスラエルの王として戻るべきだと感じます。神の御心は、ダビデがイスラエルの全体を統治することでした。だからこそ、新しく王として立てられたアブシャロムが裁き殺され、このように全イスラエルが再びダビデを王として求めることとなったのです。もしダビデが神の御心でなければ、アブシャロムが殺されなかったか、殺されてもイスラエル人の心がダビデを求めることはなかったでしょう。こうしてダビデは『祭司ツァドクとエブヤタル』を通し、イスラエル人が自分を再び王として迎えるよう告げさせます。ダビデは「私を王に戻したければグズグズしている場合か。」と言いたかったのです。何故なら、既に見た通り、イスラエル人たちは為すべきことをすぐ為していなかったからです。ダビデがこのようにして再び全イスラエルの王となるのは自然なことでした。ダビデはまずユダ族に対し、自分を王として王宮に戻させるよう求めます。これはユダ族がダビデにとって『私の兄弟、私の骨肉』だったからです。これまでダビデは一時的に王としてイスラエル人から離れていました。しかし、もう彼が再び王に戻る時期となりました。ダビデのように神が立てた王は、一時的に離れることがあっても、バネのように再び元の状態へと戻るものなのです。

【19:13】
『またアマサにも言わなければならない。『あなたは、私の骨肉ではないか。もしあなたが、ヨアブに代わってこれからいつまでも、私の将軍にならないなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。』」』
 ダビデは、アマサをヨアブに代わる将軍として任じるつもりでした。ダビデがアマサを『私の骨肉』と言っているのは、アマサがダビデと同じユダ族だったからです。ダビデもアマサも、またこの2人以外のユダ族の人も、元を辿れば族長ユダという1人の人物において一つでした。ユダ族の人々は全てこのユダから生まれたのですから、これは確かにそうです。ダビデはもしアマサが将軍にならなければ『神がこの私を幾重にも罰せられるように』とさえ言って誓います。もしアマサがダビデの将軍になることを拒めば、アマサはダビデを神罰に委ねることとなります。ですから、アマサは絶対にダビデの将軍とならねばなりませんでした。このようにしてダビデは前の将軍だったヨアブを退け、アマサを新しい将軍としました。ダビデがアマサを新しく将軍に任じたのはどのような理由からだったのでしょうか。私たちが既に見た通り、ダビデに対し民の前で語るべきだと勧めたからなのでしょうか。これは違うでしょう。それではヨアブがダビデの息子を殺した張本人だったからなのでしょうか。これはあり得そうですが、ヨアブはダビデとその家族を助けようとして殺害したのですから(Ⅱサムエル19:5~6)、ダビデはこのような理由からヨアブを退けたと言えないかもしれません。ダビデがヨアブをアマサと交代させたのは、アブシャロム派だった大勢のイスラエル人を自分になびかせるためだったはずです。既に見た通り、アマサはアブシャロムに任じられて将軍となりました(Ⅱサムエル17:25)。ダビデがこのアマサを将軍とするのは、つまりアマサが将軍となるよう任じたアブシャロムの意思を尊重し立てることです。このようにすればダビデがかつてアブシャロム派だった人々の好意を獲得できるのは間違いないのです。つまり、ダビデは統治の戦略としてアマサを将軍職に残したというわけです。

【19:14】
『こうしてダビデは、すべてのユダの人々を、あたかもひとりの人の心のように自分になびかせた。』
 このようにしてダビデは、自分から離反していたイスラエル人たちの心を掴み、取り返しました。ダビデがイスラエル人の心を取り戻すのに成功した理由は、2つありました。一つ目は再びダビデを王にしたいというイスラエル人の求め通りに振る舞ったことであり、二つ目はダビデがアマサにおいてアブシャロムの意思を立てたことでした。しかし、このようにしてダビデが人々の心を獲得したのは、全て神がダビデとイスラエル人に働きかけて下さったからでした。

【19:14~15】
『ユダの人々は王のもとに人をやって、「あなたも、あなたの家来たちもみな、お帰りください。」と言った。そこで王は帰途につき、ヨルダン川に着くと、ユダの人々は、王を迎えてヨルダン川を渡らせるためにギルガルに来た。』
 ユダの人々は早くダビデを王に戻さなければならないと思っており、ダビデに自分を戻すよう促されたので、ダビデがエルサレムに戻るようダビデのもとへ人を遣わしました。彼らは、ダビデの家来たちも、ダビデと共に戻るよう求めます。ダビデはこのように人々が自分を戻すようにし、自分自身から積極的に戻ることはしませんでした。ダビデは王でしたから招かれる仕方で戻るのが相応しかったからです。こうしてダビデはエルサレムへ出て行き、『ヨルダン川に着』きました。すると、ユダの人々がダビデを迎えるためギルガルの町にやって来ます。『ギルガル』とはヨルダン川のすぐ西にある場所です。これはヨルダン川を渡るのに手間がかかるからです。このようにしてダビデは帰還したのですが、この時にダビデと再会したユダの人々はどのような思いだったでしょうか。実際はどうだったか分かりませんが、非常に申し訳ないという思いを持っていたと推測されます。

【19:16~17】
『バフリムの出のベニヤミン人、ゲラの子シムイは、ダビデ王を迎えようと、急いでユダの人々といっしょに下って来た。彼は千人のベニヤミン人を連れていた。』
 既に私たちが見た『シムイ』も、この時には、ダビデを迎えにやって来ました。このようなシムイの態度は、以前の態度とは大違いです。どうしてシムイは前の態度から自分を変えたのでしょうか。これは状況が劇的に変わったからです。これまではまだアブシャロムが生きていましたから、エルサレムから逃げざるを得なくされたダビデは、神から呪われているに違いないと思えたのです。しかし、アブシャロムが死んでしまったので、シムイはダビデが実のところ呪われていなかったことを悟るのです。このようなわけでシムイはダビデに良い態度を取ることとなったのでした。このような者を日和見主義というのです。このような者は信用することが難しく、危険を齎す可能性が非常に高い。何故なら、その時は良くても状況が変われば裏切る可能性を大いに持っているからです。日和見主義者にとって大事なのは自分とその命だけなのです。この時に日和見主義者シムイが『千人のベニヤミン人』を連れて来たのは、彼の心理的な不安を示していたのかもしれません。シムイはダビデに対し大きな罪を犯していたのですから、大勢の連れと共にやって来たとしても不思議なことはありませんでした。一人だけだと心細いというわけです。

【19:17~18】
『サウル家の若い者ツィバも、十五人の息子、二十人のしもべを連れて、王が渡る前にヨルダン川に駆けつけた。そして彼は、王の家族を渡らせるために渡しを渡って行き、王が喜ぶことをした。』
 私たちが既に見たあのツィバも、この時には、ダビデを迎えるためヨルダン川までやって来ました。彼が『十五人の息子、二十人のしもべを連れて』来たのは、ダビデの帰還が非常に重要な出来事だったからです。王が再びイスラエルで統治するため、戻って来たのです。であればどうして総勢で出迎えなくていいはずがあるでしょうか。ダビデは大勢の出迎えを受けるに相応しい存在だったのです。それというのも、ダビデは御民の国における王であり特別に選ばれた器また神の僕だったからです。ツィバがヨルダン川を渡ると、『王が喜ぶことをした』と書かれています。この『喜ぶこと』とは何だったのでしょうか。これは恐らく、ダビデに歓迎の言葉を述べたか、ダビデの帰還が華やかになるため何らかの演出をした、ということが考えられます。しかし、聖書はこれが何だったか詳細を述べていませんから、実際はどのようなことがされたのか分かりません。

【19:18~20】
『ゲラの子シムイも、ヨルダン川を渡って行って、王の前に倒れ伏して、王に言った。「わが君。どうか私の咎を罰しないでください。王さまが、エルサレムから出て行かれた日に、このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王さま。心に留めないでください。このしもべは、自分の犯した罪を認めましたから、ご覧のとおり、きょう、ヨセフのすべての家に先立って、王さまを迎えに下ってまいりました。」』
 ツィバに続いてシムイもヨルダン川を渡り、ダビデの前に進み出ました。既に見た通り、このシムイはダビデに対してとんでもない罪を犯していました(Ⅱサムエル16章)。これは死刑に処せられても当然の罪でした。しかし、シムイは赦しを求めてダビデのもとに行きました。このような巨悪を犯したのであれば、シムイは死刑に処せられる可能性がかなり高いわけですから、ダビデの前に行かず、ずっと逃げ隠れたままでいるという選択をすることも出来たでしょう。しかしながら、シムイは赦免の期待を抱いて、ダビデの前に進み出ることを選びました。ここで書かれている通り、シムイは『自分の犯した罪を認め』ていました。彼はダビデに対して犯した罪を悔い改めたか、ダビデの前で悔い改めようとしていました。そのような反省の態度を示すため、彼は『ヨセフのすべての家に先立って、王さまを迎えに下』ったのでした。もし本当に罪を認め反省していなければ、このようなことは決して出来なかったでしょう。

【19:21】
『ツェルヤの子アビシャイは口をはさんで言った。「シムイは、主に油そそがれた方をのろったので、そのために死に値するのではありませんか。」』
 アビシャイは、シムイがダビデを呪ったので死刑に処せられるべきだろうと言います。これは律法に適った言葉でしたから、何か間違ったことを言ったのではありませんでした。アビシャイは前もシムイを死刑にすべきだと言っていました(Ⅱサムエル16:9)。このようなやり取りがここでは書かれていますが、私たちは決して『主に油そそがれた方をのろった』りしないようにしましょう。神から裁かれたくなければ、です。『主に油そそがれた方』を呪うのは、その方に油を注がれた主を呪うことも同然なのです。これは大変に恐ろしいことです。

【19:22~23】
『しかしダビデは言った。「ツェルヤの子らよ。あれは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。あなたがたは、きょう、私に敵対しようとでもするのか。きょう、イスラエルのうちで、人が殺されてよいだろうか。私が、きょう、イスラエルの王であることを、私が知らないとでもいうのか。」そして王はシムイに、「あなたを殺さない。」と言って彼に誓った。』
 アビシャイが言ったことはもっともでした。しかし、ダビデはシムイを死なすべきだというアビシャイの意見を退けます。何故なら、『きょう』はダビデがイスラエルの王に戻った日だったからです。王が前の状態に戻るというのは喜ばしい日です。そのような日に死刑が行なわれるのは相応しくありません。この日に死と死体と血はマッチングしていませんでした。しかし、アビシャイはこれらをマッチングさせようとしていたのです。ですから、アビシャイがシムイの死刑を求めたのはダビデに『敵対しようとでもする』ことでした。ダビデはこのアビシャイの意見を決して受け入れることが出来ませんでした。こうしてダビデはシムイに命を奪わないと言って誓います。このようにしてシムイの期待通りのことが起こりました。シムイが『このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王さま。心に留めないでください。』(Ⅱサムエル19章19節)と言った言葉は受け入れられたのです。これがダビデ王でなければシムイは死刑にされていたかもしれません。ネロやカリグラであれば間違いなく死刑となっていたでしょう。この時の王がダビデだったのはシムイにとって幸いなことでした。

【19:24】
『サウルの子メフィボシェテは、王を迎えに下って来た。彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、爪も切らず、ひげもそらず、着物も洗っていなかった。』
 メフィボシェテも、ダビデを出迎えるため、ダビデのほうへと向かいました。彼はダビデがエルサレムから逃げた日から長い間、自分の身体に関する手入れをしていませんでした。どうして彼はダビデがいなくなってから、自分について何もしなかったのでしょうか。これは逃げて悲惨な状態にあったダビデを心配していたからなのかもしれません。またはダビデという最高の権力者が惨めな状態となっているのに、自分のほうは幸いを得るというのが、抵抗に感じられたからなのかもしれません。つまり、ダビデが惨めになっているのであれば自分も惨めになっているべきだ、というわけです。

【19:25】
『彼が王を迎えにエルサレムから来たとき、王は彼に言った。「メフィボシェテよ。あなたはなぜ、私といっしょに来なかったのか。」』
 メフィボシェテがダビデの前に来ると、当然ながらダビデはメフィボシェテがどうして自分と共にエルサレムから来なかったのか尋ねます。既に見たようにメフィボシェテはダビデから大きな恩恵を受けましたが、そのような恩恵を受けたメフィボシェテが、ダビデと運命を共にしようとしないのは、どうもおかしいと感じられたのです。これではメフィボシェテがダビデをどうでもいいと思っているかのようでした。ダビデはここでメフィボシェテに「尋ねている」というより「責めている」といったほうが適切かもしれません。

【19:26~28】
『彼は答えた。「王さま。私の家来が、私を欺いたのです。このしもべは『私のろばに鞍をつけ、それに乗って、王といっしょに行こう。』と思ったのです。しもべは足なえですから。ところが彼は、このしもべのことを、王さまに中傷しました。しかし、王さまは、神の使いのような方です。あなたのお気に召すようにしてください。わたしの父の家の者はみな、王さまから見れば、死刑に当たる者にすぎなかったのですが、あなたは、このしもべをあなたの食卓で食事をする者のうちに入れてくださいました。ですから、この私に、どうして重ねて王さまに訴える権利がありましょう。」』
 メフィボシェテは、自分もダビデと共にエルサレムから出るつもりだったと言っています。彼は驢馬に乗って出るつもりでした。メフィボシェテは足が不自由でしたから、徒歩で行けないというのはもっともです。しかし、このように言ったメフィボシェテは、実際にダビデと共に行くということがありませんでした。ここでメフィボシェテはこのように『思った』と言っています。つまり『言った』ではないのです。メフィボシェテはこのように思ってから、それについて口にしたのでしょうか。これについては分かりません。ただ思っただけかもしれませんし、思ってから言ったということも考えられます。続いてメフィボシェテは、ツィバが自分を『中傷』したと言っています。この『中傷』が何であるかは既に前の箇所で見た通りです(Ⅱサムエル16:3)。前の箇所ではこれが中傷であると分かりませんでしたが、この箇所でメフィボシェテははっきり中傷だと言っています。つまり、実際にメフィボシェテはあのような言葉を言わなかったということです。そしてメフィボシェテは、自分をダビデの思うようにしてほしいと求めています。それというのもメフィボシェテは既に王家として滅んだサウル家の一員だったのに、ダビデから大きな恩恵を受けたのだからです。28節目で書かれている通りです。あれほどの恵みを受けただけでも特別なことだったのですから、メフィボシェテに『重ねて』『訴える権利』は全くありませんでした。もしメフィボシェテがここでダビデにこれ以上の訴えをしたとすれば、それは非常に僭越なことでした。

【19:29】
『王は彼に言った。「あなたはなぜ、自分の弁解をくり返しているのか。私は決めている。あなたとツィバとで、地所を分けなければならない。」』
 メフィボシェテがダビデに弁解を述べたのは、無意味なことでした。何故なら、ダビデはもう既にメフィボシェテのことでどうするのか決めていたからです。メフィボシェテが何を言っても、ダビデの決定は変わりませんでした。ですからメフィボシェテが弁解したのは無駄に精神を使うことでした。ダビデはメフィボシェテに与えた地所を、ツィバに分け与えさせるつもりでした。これはツィバが、ダビデの逃げた時に、援助物資を携えてやって来たからです(Ⅱサムエル16章)。このような援助により、ダビデは地所の分与を決定したのです。メフィボシェテの場合、ツィバと異なり、ダビデのもとにやって来ませんでした。2人の態度が違っていたのは明らかです。ツィバは良い態度を見せたのですから、良い態度を見せなかったメフィボシェテの地所を、分け与えられてもよかったのです。このため、ダビデはメフィボシェテの弁解を全く考慮しませんでした。このようにしてメフィボシェテはダビデのもとに行かなかった報いを受けました。しかし、これはメフィボシェテが悪いのですから、全く自業自得でした。もしメフィボシェテもツィバのように行っていたとすれば、結果はここで書かれているのと異なっていたでしょう。その場合、メフィボシェテに与えられた地所は全てメフィボシェテが所有するままだったと思われます。

【19:30】
『メフィボシェテは王に言った。「王さまが無事に王宮に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです。」』
 メフィボシェテは、地所をツィバにも分けよと命じたダビデの命令を受け入れました。というのも、メフィボシェテはダビデの言いなりになるべき状態にあったからです。ちょうど鳥籠の中で主人に飼われている鳥のように。この時、メフィボシェテは地所を全てツィバに取られても構わないとさえ言いました。メフィボシェテは命を奪われなかっただけで、もう既にダビデから大きな恩恵を受けていたからです。つまり、メフィボシェテにとって地所は言わば「オマケ」も同然だったのです。彼は命を救われただけでも既に十分過ぎると感じていました。

 ところで、疑問に感じられることとして、メフィボシェテの言った言葉とツィバの言った言葉はどちらが真実だったのでしょうか。メフィボシェテはツィバの言ったことが中傷であると言っており、ツィバはメフィボシェテがダビデを蔑ろにしたと言いました(Ⅱサムエル16:3)。どちらの言葉も真実だったということはあり得ません。必ずどちらかが嘘を付いていたのです。もしメフィボシェテの言葉が真実であればツィバの言葉は真実でなく、ツィバの言葉が真実であればメフィボシェテの言葉は真実でありません。果たしてどちらの言葉が正しかったのでしょうか。これは難しい問題です。まずメフィボシェテの言葉が嘘だったとします。この場合、メフィボシェテは本当にダビデを蔑ろにしたことになります。メフィボシェテがダビデと共にエルサレムから出て行かなかったのは、このように考えることで十分に説明できるでしょう。何故なら、この場合、メフィボシェテはダビデに見切りを付けたのだからです。しかし、そうであるならば、どうしてメフィボシェテはここまでずっと身の手入れをしていなかったのでしょうか。これはもしかしたらダビデが帰って来る可能性もあると考えたからなのでしょう。このように自分の手入れをしておかなければ、たとえダビデが帰還したとしても、上手に弁解ができるのだからです。実際、そのようにしてメフィボシェテは弁解をしました。次にツィバの言葉が嘘だったとします。この場合、メフィボシェテはダビデを蔑ろにしていなかったことになります。メフィボシェテが自分で言った通り、メフィボシェテは本当にダビデと共に行こうとしました(Ⅱサムエル19:26)。しかし、ツィバにはめられたため、本当はダビデと共に行きたいのに行けなかったのです(Ⅱサムエル19:27)。このようであったケースもあるはずです。このように2つのケースについて考えましたが、この2つのどちらが本当だったかは、残念ながら分かりません。メフィボシェテはここで地所を全てツィバに取られてもいいと言っているのですから、メフィボシェテのほうが正しかったことになるのでしょうか。そうであるとは限りません。何故なら、メフィボシェテは自分が潔白であると見せかけるため、このように言った可能性もあるからです。しかしながら、どちらのほうが真実だったか分からなくても、何か私たちに解釈上の致命的な問題が生じるということはありません。ダビデは自分のもとに彼らが実際に来たか来なかったということだけを問題にしていますから、どちらの言葉が真実だったか分からなくても、どうということはないのです。

【19:31~32】
『ギルアデ人バルジライは、ログリムから下って、ヨルダン川で王を見送るために、王といっしょにヨルダン川まで進んで来た。バルジライは非常に年をとっていて八十歳であった。彼は王がマハナイムにいる間、王を養っていた。彼は非常に富んでいたからである。』
 ダビデがエルサレムに帰還する際は、あの『バルジライ』も、『見送るため』ダビデと一緒に進んでいました。このバルジライはダビデを助けに来てから(Ⅱサムエル17:27~29)、『非常に富んでいた』人だったので、ダビデをずっと『養ってい』ました。このことからも分かる通り、神の僕である者には、神がこのような援助者を通して恵み深く養って下さるものなのです。このバルジライは『八十歳』でしたが、この年齢に数字的な意味はありません。というのも聖書で「80」という数字には象徴性がないからです。

【19:33】
『王はバルジライに言った。「私といっしょに渡って行ってください。エルサレムで私のもとであなたを養いたいのです。」』
 ダビデは道理を弁える人だったので、バルジライをエルサレムで養うことにより、これまで逃亡中の自分を養ってくれたバルジライに報いようとしました。バルジライはこのような報いを受ける権利がありました。何故なら、バルジライが王を養うというのは大きな善だったからです。しかも、ダビデは神の僕である王でした。ですから、尚のことバルジライは報いを受ける権利がありました。ダビデがこのように報いようとしたのは律法に適っています。律法は礼節に違反しないことを求めているからです。

【19:34~37】
『バルジライは王に言った。「王といっしょにエルサレムへ上って行っても、私はあと何年生きられるでしょう。私は今、八十歳です。私はもう善悪をわきまえることができません。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声を聞くことさえできません。どうして、このうえ、しもべが王さまの重荷になれましょう。このしもべは、王とともにヨルダン川を渡って、ほんの少しだけまいりましょう。それ以上、王はどうして、そのような報酬を、この私にしてくださらなければならないのでしょうか。このしもべを帰らせてください。私は自分の町で、私の父と母の墓の近くで死にたいのです。』
 バルジライはダビデの言葉通りにすることも出来ましたが、エルサレムで養ってもらっても、間もなく死ぬのですから、どうにもならないと思いました。『王といっしょにエルサレムへ上って行っても、私はあと何年生きられるでしょう。』と彼が言っている通りです。『私はもう善悪をわきまえることができません。』と彼が言ったのは、つまり頭が十分に働かなくなっているということです。『食べる物も飲む物も味わうことができません。』と言ったのは、若い時のように飲食物の喜びを得られなくなったということです。『歌う男や女の声を聞くことさえできません。』と言ったのは、『「何の喜びもない。」と言う年月』(伝道者の書12章1節)がもうバルジライに訪れていたからです。こういうわけで惨めな老年となっていたバルジライにとって、ダビデの世話になるのは恥ずかしいことだったのです。もしダビデがバルジライの息子だったとすれば話は違ったかもしれません。しかし、ダビデはバルジライと血縁関係を持たない王でした。またバルジライが若かったとしても話は違ったかもしれません。しかし、バルジライはもう『八十歳』でした。このような理由から、バルジライはヨルダン川を渡って少しだけ行き、ダビデを見送ることにしました。ヨルダン川を渡らないで見送るのは、王に対してあまり相応しい態度ではありませんでした。ヨルダン川を渡ってからもずっとダビデと共に行くのは、バルジライとしてはやり過ぎだと思えました。彼にとってはヨルダン川を渡って少しだけ行くのが適切でした。もしバルジライがダビデに養われるとすれば、エルサレムで死ぬことになったでしょう。そうすればバルジライはエルサレムで葬られることになったかもしれません。しかし、バルジライは『自分の町で、私の父と母の墓の近くで死にたい』と願っていました。ですから、尚のことバルジライはダビデにエルサレムで養われたくありませんでした。日本人の多くもそうですが、人は死ぬ前の時期であれば、よく馴れた場所や人々の間で過ごしたいと願うものです。バルジライもそのように願う者の一人でした。

【19:37】
『しかしここに、あなたのしもべキムハムがおります。彼が、王さまといっしょに渡ってまいります。どうか彼に、あなたの良いと思われることをなさってください。」』
 バルジライは、ダビデがバルジライを養う代わりに、『キムハム』に良くやってほしいと願い求めます。この『キムハム』はここで初めて出て来ます。この人物はどのような者なのでしょうか。彼はバルジライから幸いになることを願われています。ですから、バルジライにとって近い、もしくは親しい関係にある人物だったことは明らかです。Ⅰ列王記2:7の箇所を見ると、彼はどうやらバルジライの子だったようです。『キムハム』がバルジライの子だったのであれば、バルジライがダビデから良くされることを求めたのは納得できます。この通りバルジライは、この機会を利用して、キムハムが幸いになるよう取り計らいました。バルジライはこの時、良くしてくれた恩に報いたいというダビデの良心を満足させる意図も持っていたはずです。というのもダビデは道理を弁える人でしたから、何らかの形で恩に報いずにはいられなかっただろうからです。

【19:38】
『王は言った。「キムハムは私といっしょに渡って来てよいのです。私は、あなたが良いと思うことを彼にしましょう。あなたが、私にしてもらいたいことは何でも、あなたにしてあげましょう。」』
 ダビデは、バルジライの求めを承諾しました。これでキムハムはダビデから良くされることが決定しました。バルジライがダビデを養ったことに対する報いは、このようなものでした。バルジライのダビデに対する善はバルジライへと返って来たわけです。善を行なうのは大事です。またダビデは、キムハムに良くするだけでなく、バルジライが『私にしてもらいたいことは何でも、あなたにしてあげましょう。』とも言いました。もしバルジライが何かダビデに求めれば、ダビデはその求め通りにしていたでしょう。しかし聖書を見る限り、バルジライはどうやらキムハムのこと以外で何か求めたりしなかったようです。

【19:39~40】
『こうして、みなはヨルダン川を渡った。王も渡った。それから、王はバルジライに口づけをして、彼を祝福した。バルジライは自分の町へ帰って行った。王はギルガルへ進み、キムハムもいっしょに進んだ。ユダのすべての民とイスラエルの民の半分とが、王といっしょに進んだ。』
 このようにして人々はヨルダン川を渡り、ダビデも皆と一緒にそこを渡りました。しかしバルジライは『ヨルダン川を渡って、ほんの少しだけ』(Ⅱサムエル19章36節)行くだけのつもりでしたから、あまり行き過ぎることをせず、暫くしてから『自分の町へ帰って行』きました。ダビデはもし出来るならば、このバルジライをそのまま連れて行き、エルサレムで養いたかったはずです。しかしバルジライの希望によりそれは出来ませんでした。この通り自分の思い通りにならないことが世の中では多いものです。

 それからダビデたちはヨルダン川のすぐ西にある『ギルガル』に行きましたが、バルジライはこのギルガルの場所まで一緒に行きませんでした。『キムハム』はダビデと共にこのギルガルまで来ており、これからもダビデと共に進んで行きます。この時には『ユダのすべての民とイスラエルの民の半分』がダビデと共にいましたが、その総数がどれぐらいだったのかは分かりません。ダビデと同様、キリストも多くの人々を連れて歩かれました。前にも述べた通り、ダビデとキリストは対応しています。ダビデはこのような点でもキリストを予表していたのです。

【19:41】
『するとそこへ、イスラエルのすべての人が王のところにやって来て、王に言った。「われわれの兄弟、ユダの人々は、なぜ、あなたを奪い去り、王とその家族に、また王といっしょにダビデの部下たちに、ヨルダン川を渡らせたのですか。」』
 ダビデたちがヨルダン川を渡ってから、『イスラエルのすべての人が』ダビデのもとへやって来ました。彼らはイスラエルの10の部族でしたが、帰還するダビデを出迎えたく願っていました。ダビデを王として戻そうと言ったのは彼らでした(Ⅱサムエル19:43)。しかし、ダビデを実際に戻そうと出迎えたのは『ユダの人々』すなわちユダ族でした。このように自分たちが出迎えられなかったことは、ユダ族でないイスラエル人たちにとって不快なことでした。もう既にユダ族がダビデを出迎えて一緒に進んで来たのですから、再び出迎えをやり直すということはできません。このため、ユダ族に対する『イスラエルのすべての人』の憤りはかなり激しかったはずです。