【Ⅱサムエル記19:42~20:19】(2023/04/16)


【19:42】
『ユダのすべての人々はイスラエルの人々に言い返した。「王は、われわれの身内だからだ。なぜ、このことでそんなに怒るのか。いったい、われわれが王の食物を食べたとでもいうのか。王が何かわれわれに贈り物をしたとでもいうのか。」』
 イスラエルの10部族から不満を訴えられたユダ族は、反論します。ユダ族の人々は、ただダビデが『身内』だからというので、ダビデを出迎えに行っただけでした。ただ同族の者である王を迎えに行っただけ。ですから、ユダ族は何か悪いことをしているつもりなど全くありませんでした。ユダ族が『王の食物を食べた』とか、王から『贈り物』を受けたとか、そういったこともありませんでした。ユダ族は王から見返りを求めないで出迎えに行ったはずです。こういうわけでユダ族の人々は、イスラエルの10部族がどうして憤るのか理解できませんでした。

【19:43】
『イスラエルの人々はユダの人々に答えて言った。「われわれは、王に十の分け前を持っている。だからダビデにも、あなたがたよりも多くを持っているはずだ。それなのに、なぜ、われわれをないがしろにするのか。われわれの王を連れ戻そうと最初に言いだしたのは、われわれではないか。」しかし、ユダの人々のことばは、イスラエルの人々のことばより激しかった。』
 ユダ族の反論に対し、イスラエルの人々は反論します。イスラエルの人々は『王に十の分け前を持っている』と言いましたが、これは彼らが10の部族だったからです。すなわち、ユダ族とマナセ族を除くイスラエルの10の部族です。その10部族が『分け前を持っている』というのは、つまり年貢または年貢に該当する税のことです。彼らは税を納めることでダビデとその王制を支えていました。しかし、ユダ族は1つの部族だけであり、ダビデに対して1部族の税しか納めていません。イスラエルの人々の場合は「10」です。ですから、彼らはユダ族に対し『ダビデにも、あなたがたよりも多くを持っているはずだ』と言います。それなのにユダ族は自分たちがダビデを出迎えることで、イスラエルの10部族に先んじました。これはイスラエル10部族にとって気に入らないことでした。ユダ族が彼らを『ないがしろにする』ようだったからです。しかも、ダビデを王として連れ戻そうと最初に言ったのは彼らでした。このため、イスラエルの部族にはダビデを出迎えに行く権利があったはずです。ところが実際に出迎えに行ったのはユダ族でした。ユダ族がこうしたのは10部族にとって耐え難いことでした。本来であれば自分たちが行なえると思っていた事柄なのに、他の者たちにそれを取られてしまうというのは、大きな屈辱を齎すものです。

 このように両者の間では言い争いとなりましたが、その言葉が『より激しかった』のはユダ族でした。『より激しかった』とは、どのような意味でしょうか。これはユダ族のほうが口調・論調に勢いがあったか、もしくは内容に説得力があったか、という意味でしょう。この2つのうち両方であった可能性もあります。

【20:1】
『たまたまそこに、よこしまな者で、名をシェバという者がいた。彼はベニヤミン人ビクリの子であった。』
 ダビデたちがいた場所には、シェバというベニヤミン人がいました。このベニヤミン人は、ユダ族やイスラエル10部族と共にダビデのもとへ来たのではありませんでした。何故なら、ここでは『たまたまそこに』いたと書かれているからです。つまり、シェバがいた場所にダビデたちが歩いて来たので出会ったということです。

 ここで『たまたまそこに』シェバがいたと書かれているのは、ダビデとシェバが何の意図もなしに出会ったというだけのことです。つまり、これは単に人間の出会いについて言われているだけです。何が言いたいのかといえば、これは究極的な事柄ではないということです。この世界で起こる全ての出来事は神の定めによります。すなわち、神の計画にない出来事がこの世界で起こることは決してありません。何かが起これば、それは神の意図した出来事です。ですから、神から見れば、この世界で何かが『たまたま』起こるということは絶対にありません。ここに書かれているダビデとシェバの出会いもそうですが、人間にとっては偶然である出来事も、神の御前にとっては必然である出来事なのです。それゆえ、ここで『たまたま』と言われているのは、人間にとっての捉え方です。

 シェバはすぐ後に見る通りダビデを呪いますが、『よこしまな者』であるとここで書かれています。先に見た通り、シムイもダビデを呪いましたが(Ⅱサムエル16章)、しかし『よこしまな者』であるとは言われていませんでした。つまり、シムイのほうは邪悪な者ではありませんでした。もしシムイも邪悪であれば『よこしまな者』だと言われていたことでしょう。この2人はどちらも王を呪うという同じ悪を行なったのに、一方は『よこしまな者』だと言われており、他方はそのように言われていません。この違いは一体どういうわけなのでしょうか。この違いは「悔い改め」にありました。シムイはダビデを呪ったものの悔い改めましたが(Ⅱサムエル19:19~20)、シェバは悔い改めをしませんでした。悔い改めるのは謙遜な精神を持っていなければ難しいしょう。であれば悔い改めなかったシェバはその精神において高慢だったことになります。このような高ぶった者であったため、悔い改めたシムイと異なり、シェバは邪悪な者だと言われているのです。ここで『よこしまな者』と言われているのは、直訳だと「べリアルの者」です。

『彼は角笛を吹き鳴らして言った。「ダビデには、われわれのための割り当て地がない。エッサイの子には、われわれのためのゆずりの地がない。イスラエルよ。おのおの自分の天幕に帰れ。」』
 シェバは、前にシムイがしたのと同様、ダビデを呪います。この通り、似たような出来事は繰り返し起こるものです。二度の世界大戦もそうでした。ここでシェバは、ダビデがイスラエルの地で相続地を持っていないと言っています。ダビデは神により『割り当て地』が与えられていませんでした。何故なら、ダビデは王であり一般人と違ったからです。このため、ダビデはいかなるイスラエル人にも譲るための土地を持っていませんでした。このようにシェバはここでダビデが他のイスラエル人と違うということを示そうとしています。ダビデがこのようであるため、シェバはイスラエル人たちがダビデから離れ去るように命じます。シェバがこのようにしたのは、恐らく彼と同じベニヤミン人だったサウルが王でなくなり、ベニヤミン人でないダビデが王となったからなのでしょう。つまり、部族的な嫉妬によりダビデを惨めな状態に陥れようとしたというわけです。この時にシェバは『角笛を吹き鳴らし』ましたが、これはイスラエルの全体に力強く語りかけるためでした。シェバのダビデに対する嫌悪感は極めて大きかったはずです。そのような大きい嫌悪感が、大いに告げるという振る舞いを生じさせたのでしょう。

【20:2】
『そのため、すべてのイスラエル人は、ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王につき従って行った。』
 シェバが愚かなことを言ったので、ユダ族を除くイスラエル人たちは、ダビデに付き従うのを止めてしまいました。恐らく先の件によりダビデのことで生じていた不満が、シェバの言葉を通して爆発したので、ダビデなど別にもうどうでもいいと思うことになったのでしょう。もしシェバが何も言っていなければ、イスラエル人はダビデから離れていなかったかもしれません。ダビデから離れた彼らは、シェバを自分たちの首領としました。神から王権が与えられているダビデを捨てて、神から王権を与えられていない邪悪な者に付き従うとは、一体どういうわけなのでしょうか。彼らは理性を失っていたと考えざるを得ません。しかし、『ユダの人々』だけは、これまでと同様、ダビデに従うことを止めませんでした。これはユダ族にとってダビデは身内の者だったからなのでしょう。血における近いもしくは親しい関係は、なかなか断ち切られたり蔑ろにされることがないものです。

 このようにしてダビデは悲惨に陥りました。ユダ族でないイスラエル人の全てが離れ去ったのですから、ダビデは大きく動揺させられたはずです。それは詩篇からも推察できることです。しかし、このような出来事が起きたのは、神がダビデに与えられた試練でした。神はこのような苦難により、ダビデを鍛えようとされたのです。ですから、結果的に言えば、このような出来事が起きたのは、ダビデにとって益でした。パウロがローマ書で言った通り、神は全てを働かせて益として下さるのです。ところで、ダビデからこのようにイスラエル人が離反したのは、これまでに述べたのと同様で、やはりキリストを予表していました。何故なら、キリストからも、ダビデと同じように、多くのイスラエル人が離反したのだからです。この通りキリストとダビデは対応しています。ですから、キリストをより知るために、ダビデについて知るのは大きな意味があるのです。

【20:3】
『ダビデはエルサレムの自分の王宮にはいった。王は、王宮の留守番に残しておいた十人のそばめをとり、監視つきの家を与えて養ったが、王は彼女たちのところには通わなかった。それで彼女たちは、一生、やもめとなって、死ぬ日まで閉じ込められていた。』
 こうして遂にダビデはエルサレムに再び戻り、王宮へと帰りました。神がダビデの場所として定めておられたのはこのエルサレムでした。だからこそ、ダビデはこのように再びエルサレムへと戻って来たわけです。ちょうど伸ばした輪ゴムが再び元通りの状態となるように。神は、いつの時代でも、どこの場所でも、このようになさいます。誰が何を思い何を行なおうとも、人は神が定められた通りの場所に置かれるしかありません。王宮に帰ったダビデは、『王宮の留守番に残しておいた十人のそばめをとり、監視つきの家を与えて養』うようにしました。しかし、ダビデはそれ以降、決して『彼女たちのところには通』いませんでした。すなわち、夜の交わりであれ日常的な交わりであれ、ダビデはそばめたちを求めたりしませんでした。このため、このそばめたちは事実上の『やめも』として『監視つきの家』に死ぬまで居続けました。ダビデが彼女たちを自分から断ち切ったのは、彼女たちがダビデに対する裁きのため用いられたからなのでしょう。ダビデの罪に対する懲らしめとして、彼女たちはアブシャロムに犯されたのですから、彼女たちはダビデにとって自分の罪を示す存在です。彼女たちの存在そのものが、ダビデに対し「あなたは罪を犯したのだ。」と暗黙のうちに語りかけるのです。ダビデが霊的に鋭く敏感だったことは間違いありません。ですから、ダビデは彼女たちが自分の犯した罪を感じさせるため、このように隔離して閉じ込めたままにしたというわけなのでしょう。このようになったのはダビデが犯した罪のためであり、自業自得でした。もしダビデが罪を犯していなければ、ダビデは彼女たちとそれまで通り交わりを続けることができていたでしょう。

【20:4~5】
『さて、王はアマサに言った。「私のために、ユダの人々を三日のうちに召集し、あなたも、ここに帰って来なさい。」そこでアマサは、ユダの人々を召集するために出て行ったが、指定された期限に間に合わなかった。』
 シェバが多くのイスラエル人を連れてダビデから離れたのは、危険な事態でした。ダビデはこの事態に何とか対処しなければいけません。そこでダビデは、シェバたちに対抗するため、アマサに『ユダの人々を』召集するよう命じます。ダビデがアマサにこう命じたのは、アマサが新しくダビデの将軍に任じられたからです(Ⅱサムエル19:13)。ダビデはもうヨアブに頼もうとしませんでした。これはヨアブが既に将軍の職から退けられていたからです。ダビデはアマサに召集の期間として『三日』を指定します。これは召集するために十分な期間を与えたのです。というのも、これは1日が「3」回続く時間だからです。聖書において「3」は十分であることを意味します。またダビデは、アマサがユダの人々を召集すると共に、彼自身も『ここに帰って来』るよう命じます。ダビデはアマサが自分のもとに帰って来ることぐらい分かり切っていたはずです。アマサもダビデから何か言われなくてもダビデのもとに帰っていたでしょう。しかし、ダビデは確認のためアマサが帰るようにと言ったのです。このようにしてアマサは、ダビデの命令通り、ユダの人々を召集しに向かいました。ところがアマサはダビデの指定した期限内に召集することが出来ませんでした。ダビデが無茶な期間を指定したということはないはずです。ダビデが道理を弁えないような愚かな人だったということはないはずです。であれば、期限内に召集できなかったのは、アマサのほうに問題があったことになります。恐らく、ユダの人々はアマサが将軍として招集しに来たことをよく思わなかったのかもしれません。そのため、アマサは嫌がるユダの人々をなかなか召集できなかったと。ユダの人々は、それまでずっと将軍だったヨアブのほうを気に入っていた可能性が高い。それがどのような理由からであるにせよ、アマサがダビデの言われた通りに召集できなかったのは致命的な失態でした。古代ローマ軍で居眠りをした監視兵は死刑となりましたが、アマサがこの時に犯した失態は、ローマ軍における居眠りよりも酷かったと言わねばなりません。何故なら、この時の状況は非常に危険であり、ダビデたちが生きるか死ぬかがこの招集に大きく関わっていたからです。

【20:6~7】
『ダビデはアビシャイに言った。「今や、ビクリの子シェバは、アブシャロムよりも、もっとひどいわざわいを、われわれにしかけるに違いない。あなたは、私の家来を引き連れて彼を追いなさい。でないと彼は城壁のある町にはいって、のがれてしまうだろう。」それで、ヨアブの部下と、ケレテ人と、ペレテ人と、すべての勇士たちとは、アビシャイのあとに続いて出て行った。彼らはエルサレムを出て、ビクリの子シェバのあとを追った。』
 このままではシェバが逃げて『城壁のある町』に隠れてしまうかもしれませんでした。そうすればシェバは十分に態勢を整えることができます。そのようになれば、シェバは『アブシャロムよりも、もっとひどいわざわいを、われわれにしかけるに違い』ありませんでした。これは実に恐ろしいことでした。ダビデはこのシェバを逃がさないため、アビシャイにシェバを追跡するよう命じます。先のアマサの場合もそうですが、ダビデはもうヨアブに何か命じることをしていません。これはヨアブがダビデの息子アブシャロムを殺した張本人だったからなのでしょう。ヨアブはダビデの子を殺したのですから、ダビデはヨアブに抵抗を感じていたと思われるのです。こうしてアビシャイは『ヨアブの部下と、ケレテ人と、ペレテ人と、すべての勇士たち』を連れて追跡に出かけます。この時にアビシャイの連れて行った人々がどれだけいたかは分からないものの、かなりいたと推測されます。この箇所では、前の箇所と同じで、『ケレテ人と、ペレテ人』がやはり組にして書かれています(Ⅱサムエル15:18、8:18)。また後の箇所を見ても分かる通り、この時にはヨアブもアビシャイと一緒に行っていました。

【20:8~10】
『彼らがギブオンにある大きな石のそばに来たとき、アマサが彼らの前にやって来た。ヨアブは自分のよろいを身に着け、さやに納めた剣を腰の上に帯で結びつけていた。彼が進み出ると、剣が落ちた。ヨアブはアマサに、「兄弟。おまえは元気か。」と言って、アマサに口づけしようとして、右手でアマサのひげをつかんだ。アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。ヨアブが彼の下腹を刺したので、はらわたが地面に流れ出た。この一突きでアマサは死んだ。』
 アビシャイたちが進んで行くと、アマサと出逢うことになりました。アマサはダビデから指示された期限を過ぎても、まだ召集を完了させることができていませんでした。この時のアマサはまだ招集をしている状態だったのでしょうか。それは分かりません。彼が召集しないままダビデのもとに帰ろうとしなかったということも考えられます。いずれにせよ、アビシャイたちと会ったアマサは気まずかったと思われます。アビシャイたちがアマサと出逢うと、ヨアブが一行からアマサの前に進み出ます。ヨアブはもう既に将軍でなかったものの、これまでずっと将軍だったわけですから、この時もリーダー格として振る舞っていたのでしょう。この時のヨアブが『自分のよろいを身に着け』ていたのは、これからシェバの群れと戦うことになる可能性があったからです。ヨアブが『さやに納めた剣を腰の上に帯で結びつけていた』のも、やはり戦いが起こることを前提にしています。ヨアブが進み出ると、ヨアブの腰から『剣が落ちた』のですが、これはアマサに死の危険がないと安心させるためだったはずです。ヨアブはここでアマサを殺すつもりでいました。ヨアブがアマサに『兄弟。おまえは元気か。』などと言って親愛の口づけをしようとしたのも、やはり殺意を隠すためだったはずです。何故なら、このようにすれば、アマサはまさかヨアブが自分を殺そうとしているなどと感じなかっただろうからです。ところが、このように言ったヨアブは『右手でアマサのひげをつか』みました。これはヨアブが左手に持っていた剣に注意を向けさせないためです。このように髭を掴まれたならば、アマサの意識はどうしても顔のほうへ集中されざるを得ません。すなわち、意識はヨアブの手から完全に遠ざけられます。ヨアブがこのようにしたのは何としてもアマサを殺すためでした。こうしてヨアブは出会った途端にアマサを刺し殺します。ヨアブは『一突き』だけでアマサを殺しました。これはヨアブが本気の力でアマサを刺したからでしょう。それというのも、強力な心の思いは、強力な実際の行ないを生じさせるからです。ヨアブは絶対にアマサを死なせねばならないと思っていたはずなのです。アマサは『はらわたが地面に流れ出』るという死に方をしましたが、この死に方はイスカリオテのユダと同じ死に方でした。アマサの場合もユダの場合も、これは非常に悲惨な死に方です。ユダは呪いのため、あのような恐るべき死に方をしました。であれば、ユダと同じ死に方をしたアマサも呪われていた可能性があります。呪われていなければどうしてこのように悲惨な死に方をしたでしょうか。ヨアブがこのようにアマサを殺したのは、恐らくアマサがダビデの指示を守れなかったからだと考えられます。つまり、ヨアブは軍隊としての死刑をアマサに下したのでしょう。先にも述べたように、居眠りをしたぐらいで古代ローマの監視兵が死刑に処せられたほどだとすれば、王の将軍ともあろうアマサが王から与えられた指示を守れなかった場合は、尚のこと死刑に値します。もしこうだったとすればヨアブはこの時に正しいことをしたことになります。しかし、ダビデはこの殺人行為を悪く捉えています(Ⅰ列王記2:5)。この出来事は『ギブオンにある大きな石のそば』で起こりましたが、『石のそば』で起きたというのは恐らく霊的な意味を持っています。どういうことかと言えば、この時にはキリストが強く働きかけておられたということです。何故なら、聖書において『石』は多くの箇所でキリストを象徴しているからです。この箇所でも石はキリストの象徴である可能性があります。

 ところで、この時にヨアブが行なった巧みな殺し方を考えるならば、ヨアブは知性がかなり高かったと感じさせられます。ヨアブはアマサを欺くようにして素早く殺したからです。もしヨアブの知性が高くなければ、上手にアマサを殺すことは難しかったでしょう。ゲーリングもそうでしたが、軍の最高指揮官に任じられるような者は、知性の高い者が多いのです。しかし、アマサのほうはそこまで知性が高かったと思えません。何故なら、アマサはダビデの指示通りにユダの人々を召集できませんでしたし、既に将軍アブネルを殺していたヨアブが自分をも殺す可能性のある人物だったということを考え警戒できていなかったからです。

【20:10~13】
『それからヨアブとその兄弟アビシャイは、ビクリの子シェバのあとを追った。そのとき、ヨアブに仕える若い者のひとりがアマサのそばに立って言った。「ヨアブにつく者、ダビデに味方する者は、ヨアブに従え。」アマサは大路の真中で、血まみれになってころがっていた。この若い者は、民がみな立ち止まるのを見て、アマサを大路から野原に運んだ。そのかたわらを通る者がみな、立ち止まるのを見ると、彼の上に着物を掛けた。アマサが大路から移されると、みなヨアブのあとについて進み、ビクリの子シェバを追った。』
 ヨアブに殺されたアマサの死体は、その死んだ場所にそのまま置かれ続けていました。アマサは将軍でしたから、そこに来たユダの人々は、当然ながらアマサの死体に目を留めます。しかし、人々がアマサの死体に気を取られていたら、その間にシェバがますます逃げてしまいます。そのようになるのは避けねばなりませんでした。何故なら、アマサが死んだからといって、ダビデの指示が蔑ろにされていいはずはないからです。このため、『ヨアブに仕える若い者のひとり』が、シェバの死体に覆いを掛け、その死体を『野原に運』びました。この若い者がこのようにしたのは正しいことであり、またそのようにすべきでした。この時にこの若い者は、ヨアブにユダの人々が付き従うよう命じます。もう既に将軍だったアマサは死んだのですから、ユダの人々には新たに指揮する者が必要でした。ヨアブこそその者に相応しいのは確かでした。何故なら、ヨアブはこれまでずっとイスラエルの将軍だった者だからです。こうしてユダの人々は『みなヨアブのあとについて進み、ビクリの子シェバを追』いました。

【20:14~15】
『シェバはイスラエルの全部族のうちを通って、アベル・ベテ・マアカへ行った。すべてのべリ人は集まって来て、彼に従った。しかし、人々はアベル・ベテ・マアカに来て、彼を包囲し、この町に向かって塁を築いた。それは外壁に向かって立てられた。ヨアブにつく民はみな、城壁を破壊して倒そうとしていた。』
 シェバは逃げ続け、『アベル・ベテ・マアカ』という町に隠れました。そこにいた『べリ人』はダビデに敵しシェバに組しました。彼らは愚かな人たちでした。何故なら、彼らはシェバに敵しダビデに組するべきだったからです。この『アベル』という町は、イスラエルの最も北にあります。つまり、シェバはかなり北まで逃げたことが分かります。彼がこれほどまで北に遠い場所へ逃げたのは、彼の高ぶりを示しているのかもしれません。何故なら、サタンも高ぶっていましたが、その高ぶりにより北のほうへと上昇したのだからです。このようにアベルに行ったシェバでしたが、ユダの『人々』はその町ごとシェバを包囲します。ヨアブたちは、シェバの隠れている町の城壁を破壊して攻略するつもりでした。古代の戦いでは、往々にして城壁を打ち破れば勝敗が決まりました。というのも、もし城壁が破られたならば、そこから兵士たちが流れ込むので、その城壁に囲まれた内部の場所は悲惨な状態となるからです。

【20:16~19】
『そのとき、この町から、ひとりの知恵のある女が叫んだ。「聞いてください。聞いてください。ヨアブにこう言ってください。ここまで近づいてください。あなたにお話ししたいのです。」ヨアブが彼女のほうに近づくと、この女は、「あなたがヨアブですか。」と尋ねた。彼は答えた。「そうだ。」すると女は言った。「このはしためのことばを聞いてください。」彼は答えた。「私が聞こう。」すると女はこう言った。「昔、人々は『アベルで尋ねてみなければならない。』と言って、事を決めるのがならわしでした。私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者のひとりです。あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。あなたはなぜ、主のゆずりの地を、のみ尽くそうとされるのですか。」』
 ヨアブたちがアベルを包囲すると、そこにいた『ひとりの知恵のある女』が出て来て、ヨアブに質問しようとします。ヨアブは彼女の質問を聞くことにしました。何故なら、女が何を言うのかヨアブには分からなかったからです。もしかしたらこの女は重要なことを何か言うかもしれないのです。まずこの女は『アベルで尋ねてみなければならない。』という諺を示します。『アベル』とはヨアブたちが包囲していた町の名前です。この諺が、アベルとの周辺地域だけで語られていたのか、それともイスラエルの全体で語られていたのかは、よく分かりません。女がこの諺を示したのは、自分が僭越なことをしているのではないと示すためでした。つまり、自分自身から何か傲慢にも尋ねるのではないということです。そして、彼女は自分が『イスラエルのうちで平和な、忠実な者のひとり』だと言っています。これは彼女が何か悪いことを尋ねたりしないということです。というのも『平和な、忠実な者』であれば正しいことを尋ねるはずだからです。実際、彼女はそのような者でした。彼女はここでアベルを『イスラエルの母である町』と言っています。これはどうしてなのでしょうか。これは恐らく、イスラエルの最北部にあったアベルが、あたかも子どもが母を見上げるかのような場所に位置していたからなのでしょう。このアベルからイスラエル人たちが多く生まれるという意味ではなかったはずです。イスラエル人が他の場所でも多く生まれていたのは明らかなことだからです。この女は、ヨアブたちがどうして『主のゆずりの地を、のみ尽くそうとされるの』か理解できませんでした。『のみ尽く』すというのは、つまり占領したり滅ぼしたりするということです。ちょうど食物が口で飲み込まれると人から滅ぼされるように。ヨアブたちがアベルを包囲したのは何か理由あってゆえのことだと思われたので、彼女はそれが何か知ろうと思い、このようにヨアブに尋ねたのです。