【Ⅱサムエル記1:22~2:32】(2022/12/25)


【1:22】
『ヨナタンの弓は、退いたことがなく、サウルの剣は、むなしく帰ったことがなかった。』
 ダビデはヨナタンとサウルの戦いぶりを思い出しつつ称揚しています。『ヨナタンの弓は、退いたことがなく』とは、弓使いであったヨナタンが戦場で臆病になり逃げたことなど無かったという意味でしょう。誇張でこう言っているのではありません。ヨナタンは本当に退かない勇敢な戦士でした。これはヨナタンが道具持ちと2人だけで、敵陣に乗り込んだことからも分かります(Ⅰサムエル14章)。『サウルの剣は、むなしく帰ったことがなかった』とは、サウルがその剣でいつも敵を打ち倒していたという意味でしょう。サウルは強い戦士だったはずです。彼はイスラエル人で最も背が高かったのですから(Ⅰサムエル9:2)、その攻撃範囲が非常に広かったことは間違いなく、更に彼は近衛兵たちの援護をいつも受けていたはずでしょうから、いつも敵を打ち殺していたのです。ですから、これはやや詩的な言い方であるものの、誇張されているのではありません。この箇所におけるやや詩的な称揚の言葉を誰も蔑んではなりません。誰でも葬式の時になれば、このような言い方で故人を持ち上げない者はいないのですから。

【1:23】
『サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。』
 ダビデはサウルとヨナタンが『愛される、りっぱな人だった』と言い、称揚しています。これは一般的なことを言っているだけであり、この2人が全く誰からも敵対されたり反発されたりしなかったと言っているのではありません。しかし、サウルについて言えば、神の御前でこのようではありませんでした。御前においてサウルは神から嫌われる立派でない人だったからです。しかし、ここでは御前におけるサウルのことを言っていません。もし御前でのことであれば、ここではこう言われていたでしょう。「サウルは御前に罪深く、神から見捨てられた人だった。」これは事実だったものの、ここでは個人を偲ぶために歌っているのですから、これでは相応しくありませんでした。

『生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、』
 サウルとヨナタンはその生涯に亘り一緒でした。王室が家族で揃っているのは微笑ましいことです。この微笑ましさは私たちも経験しています。皇室で天皇家が家族揃っている光景は微笑ましいものです。しかし、王家の家族関係がギクシャクしたり壊れたりすれば、人々は大丈夫なのかと思って平安を失います。これを歌っている時のダビデはどのような気持ちだったでしょうか。この親子が一挙にイスラエルから失われたのです。ダビデは自分の身を引き裂かれるほどの思いだったに違いありません。

『わしよりも速く、雄獅子よりも強かった。』
 ダビデはこの2人の強さを詩的に言い表しています。『わしよりも速く』とは、サウルとヨナタンが戦いにおいて俊敏だったということです。2人はあまりにも俊敏だったので、鷲よりも速いと感じられたほどでした。『雄獅子よりも強かった』とは、サウルとヨナタンが戦いの猛者だったということです。雄獅子でさえ、この2人ほどには敵を打ち倒せなかったはずです。このような詩的表現を誰も問題視してはなりません。もし問題視するなら、美辞が多い葬式の弔辞をも問題視せねばならなくなります。ですから、ダビデの歌について問題視する人はあまり葬式のことを知らないのかもしれません。

【1:24】
『イスラエルの娘らよ。サウルのために泣け。サウルは紅の薄絹をおまえたちにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた。』
 ダビデは『イスラエルの娘ら』である若いイスラエル女たちが『サウルのために泣』くよう命じています。これはサウルが『紅の薄絹をおまえたちにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた』からです。若い女は国における華です。サウルは彼女たちが更に美しく輝くよう装飾品を与えていました。これは女たちにとっても喜ばしいことだったでしょう。美しさは女の美点であり誇りとなる要素なのですから。しかし、このようにしてくれたサウルはもう死んでいなくなりました。ですから、ダビデは良くしてくれたサウルのため女たちが泣くよう命じたのです。

【1:25】
『ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。』
 ダビデは、Ⅱサムエル1:19の箇所に引き続き、再びイスラエル兵たちの敗北を嘆いています。この繰り返しは、その起きた出来事が実に重大だったからです。それが重大で記憶するに値したからこそ、このように繰り返しているわけです。ダビデは勇士たちの死がショックであり、心がそのことで一杯でした。それゆえ、このように再び彼らの死について歌うよう動かされたのです。

【1:25~26】
『ヨナタンはおまえの高き所で殺された。あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。』
 ダビデはヨナタンのことで嘆き悲しまずにいられませんでした。私たちの多くは、ダビデがヨナタンのことでどれだけ悲しんだか想像できないでしょう。というのも、私たちの多くは、ヨナタンのような友を、友情の絶頂期に、しかも憎き敵から殺された経験を持っていないはずだからです。もしこのような経験を持つ人がいれば、ダビデの悲しみを理解できるかもしれません。しかし、そのような人は稀であるはずです。

 ダビデにとってヨナタンは『兄弟』も同然でした。ダビデとヨナタンの絆はそれほど強かったのです。このヨナタンはダビデを『大いに喜ばせ』ました。何故なら、ヨナタンはダビデを自分のように愛したからです(Ⅰサムエル18:1、3)。愛していれば人を喜ばせるものです。『愛は隣人に対して害を与えません』(ローマ13章10節)から。ヨナタンのダビデに対する愛は、『女の愛にもまさって、すばらしかった』と言われています。女の愛は一途で、強く、偽りがありません。ヨナタンの愛はこのような愛にも優っていました。既に妻を2人も娶っていたダビデがこう言ったのですから、これは間違いありません。ヨナタンの愛は他ではあまり見られない特別な愛だったのでしょう。

【1:27】
『ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた。』
 ダビデはもう再びイスラエル兵たちの戦士を嘆きます。彼らの死をダビデが嘆いたのは、Ⅰサムエル1:19と25の箇所に続いて3度目です。ダビデは彼らの敗北に大きな衝撃を受けていたのです。ここでダビデは彼らを『戦いの器』と表現しています。これは、戦いという液体が入れられる容器にイスラエル兵を例えています。聖書で人間を器になぞらえるのはよくあることです。このような敗北を喫したイスラエルとの戦いにダビデが臨んでいたとすれば、どうなっていたでしょうか。同胞であるイスラエル人を敵とせねばならないことにダビデは悩まされたはずです。その場合、ダビデは地獄の思いを抱いていたでしょう。しかし、神はダビデをそのようになさいませんでした。

 こうしてサウルとヨナタンおよび多くのイスラエル兵に関する悲しみの歌が終わりました。これは内容的に短いものの冗長さがない心こもった哀歌でした。サウルについて言えば、彼は神の御前で酷い人物でした。しかし、人間社会においては、この通りダビデにより王として相応しい嘆きの歌を受けました。

【2:1】
『この後、ダビデは主に伺って言った。「ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。」』
 哀歌を歌い終えたダビデは、『ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。』と神に伺います。ダビデはユダ族でしたから、ユダの相続地にこそいるべきではないかと思われたからでしょう。しかし、これまではサウルに捕えられる恐れがあったので、なかなかユダの地へと行けませんでした。そこはイスラエルの領土であり、サウルの手が及ぶ場所だったからです。しかし、もう今やそのサウルは死にました。ダビデがサウルに捕えられる恐れはなくなりました。ですから、ダビデはもうユダに行ってもいいかもしれないと考えたのです。

 この通りダビデはいつも神に伺って御心を求める人でした。彼の心は自分自身にではなく神にありました。もし心が自分自身にあれば、このようにいつも伺ったりはしなかったでしょう。これこそ聖徒たちのあるべき姿です。それゆえ、私たちもこのようなダビデを見習わねばなりません。

【2:1~3】
『すると主は彼に、「上って行け。」と仰せられた。ダビデが、「どこへ上るのでしょうか。」と聞くと、主は、「ヘブロンへ。」と仰せられた。そこでダビデは、ふたりの妻、イズレエル人アヒノアムと、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルといっしょに、そこへ上って行った。ダビデは、自分とともにいた人々を、その家族といっしょに連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町町に住んだ。』
 神の御心はダビデがユダの地へと帰ることでしたから、『上って行け。』とダビデに答えられます。これはダビデがユダの地へ行っても安全であるか、危険であっても神が守られることを意味していました。何故なら、もしそうでなければ神はダビデに対する配慮を欠いておられたことになるからです。御自分の僕が伺ったのにもかかわらず、僕を危険な場所に行かせるか、たとえ危険な場所に行かせても守られないというのであれば、神は慈しみ深くない御方だということになってしまいます。続いてダビデが『どこへ上るのでしょうか。』と聞くと、神は『ヘブロンへ。』と答えられますが、そこはダビデが住んでいたツィケラグから30kmほど北東にあり、ベツレヘムからは南に30kmほど離れています。神はこのヘブロンでダビデを王に立てようとしておられました。こうしてダビデは2人の妻を連れてヘブロンに上ります。ダビデは敬虔だったので神が示された御心に背きませんでした。この時にはダビデの家来たちとその家族も、ヘブロンに行って住むこととなりました(3節)。これは彼らがダビデという頭に属する肢体の部分だったからです。頭が動けばその動きに肢体も合わせるのは理の当然です。

【2:4】
『そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそいでユダの家の王とした。』
 ダビデがヘブロンで住むようになると、ユダ族の人々はダビデを王に立てました。人々はダビデに王権がサウルから移されるというあの宣告を知っていました(Ⅰサムエル15:28)。彼らがダビデを王としたのは、この宣告に動かされてのことだったはずです。ダビデが油を注がれたのは、王になるための任職儀式でした。ダビデは既にサムエルから王としての油注ぎを受けています(Ⅰサムエル16:13)。しかし、その時のダビデはまだ正式な王となりませんでした。ダビデが正式な王になるのはこの時でした。ですから、ダビデは再び王としての油注ぎを受けたわけです。

 国の王となるためには2つのことが必要です。まず一つ目は神からの召しです。誰であろうと神から召されることなしに王となることはできません。何故なら、王権を人に与えるのは神だからです(ローマ13章)。ダビデにはこの召しがありました。以前の王であるサウルにも召しがありました。二つ目は、民衆の容認です。民衆の容認なしに王となるならば、それは不正な王である僭主となります。こういう非合法的な支配者が古代ギリシャには多くいました。神の召しが無ければ民衆も容認しないものです。しかし、神の召しがあれば民衆も容認します。神がその人を王に立てるべく民衆の心を動かされるからです。ダビデとサウルには、神の召しだけでなく、この民衆による容認もありました。

【2:4~7】
『ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬った、ということがダビデに知らされたとき、ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使いを送り、彼らに言った。「あなたがたの主君サウルに、このような真実を尽くして、彼を葬ったあなたがたに、主の祝福があるように。今、主があなたがたに恵みとまことを施してくださるように。この私も、あなたがたがこのようなことをしたので、善をもって報いよう。さあ、強くあれ。勇気のある者となれ。あなたがたの主君サウルは死んだが、ユダの家は私に油をそそいで、彼らの王としたのだ。」』
 ダビデの耳にも、ヤベシュ・ギルアデ人の行なったサウルに対する善が、聞き入ってきました。ヤベシュ・ギルアデ人がサウルに行なったことは正しいことでした。この善については、前巻の最後で書かれていました。ダビデはこのようにしたヤベシュ・ギルアデ人のもとへ使いを送り、祝福の言葉を伝えました。ダビデが王になってから初めて行なったのは、これでした。サウルに関わる事案が第一番目。このことからダビデがどれだけサウルを尊重していたのか分かります。ダビデがサウルをこれほどまで尊んでいたのは、律法に適っていました。律法では『民の上に立つ者をのろってはならない。』(出エジプト記22章28節)と命じられています。支配者を呪うなというのは、逆に言えば支配者を尊重せよということです。ダビデはヤベシュ・ギルアデ人に『主の祝福があるように』、また『主があなたがたに恵みとまことを施してくださるように』と願います。彼らはサウルという支配者に善を行ないました。ですから、ダビデは彼らに神から善への報いが注がれるよう願ったわけです。またダビデ自身もヤベシュ・ギルアデ人に『善をもって報いよう』としていました。油注がれた王に良くした者たちを良く取り扱うのは、良いことだからです。ダビデは実際の行為をもって彼らに報いたことでしょう。ビデがここで『さあ、強くあれ。勇気のある者となれ。』と言っているのは、ヤベシュ・ギルアデ人を励ましているのです。何故なら、『あなたがたの主君サウルは死んだが、ユダの家は私に油をそそいで、彼らの王としたのだ』からです。サウルは死んだもののダビデが新しい王として立てられたのですから、王がいないというので弱気になる必要はありませんでした。もうダビデが王となったのですから、ヤベシュ・ギルアデ人はこのダビデに従って雄々しく歩めばいいのです。もしダビデが次の王として立てられず、イスラエルに王が不在のままだったとすれば、ヤベシュ・ギルアデ人は王が不在だからというので悲嘆し弱々しくなってもおかしくありませんでした。

 ヤベシュ・ギルアデ人のように支配者を良く取り扱ったり、ヤベシュ・ギルアデ人のような者たちを良く取り扱うのは、神の御心に適った望ましいことです。主に立てられた権威者に良くするのは、どこでも、いつでも、良いことです。それがサウルのような神から見捨てられるような王であっても、そうです。何故なら、人が悪くても、その人が主に立てられた権威者であることに変わりはないからです。もし人が悪いというので蔑ろにすれば、神と神が付与された権威を蔑ろにしてしまいます。それは罪となります。ですから、たとえ人が悪くても神の権威において権威者は尊重されるべきなのです。

【2:8~10】
『一方、サウルの将軍であったネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテをマハナイムに連れて行き、彼をギルアデ、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、全イスラエルの王とした。サウルの子イシュ・ボシェテは、四十歳でイスラエルの王となり、二年間、王であった。ただ、ユダの家だけはダビデに従った。』
 サウルの将軍アブネルは、ペリシテ人から殺されていませんでした。アブネルはサウルの将軍でしたから、当然ながらダビデが王になるのを認められませんでした。もし認めれば今は亡きサウルを蔑ろにしてしまいます。ですから、アブネルはサウル亡き今、『サウルの子イシュ・ボシェテ』を王に立てました。王に立てた場所は『マハナイム』でしたが、ここはギルアデの地にあります。こうしてイシュ・ボシェテは『ギルアデ、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、全イスラエルの王と』されましたが、『ただ、ユダの家だけはダビデに従』いました。この王には民衆の支持があったものの、神からの召しはありませんでした。ですから、イシュ・ボシェテは『二年間』だけしか王の座に留まれませんでした。彼が『四十歳』で王になったのは、それまでの生涯が十分な期間だったということです。聖書において「40」は十分さを示す数字だからです。

 イシュ・ボシェテのように神から召されず王となれば、短命に終わるなど良いことはありません。古代ギリシャの僭主たちもやはりそうでした。これは当然です。神が嘉しておられなければ祝福を受けることは決して出来ないからです。民衆の容認だけがあっても御心でなければどうしようもありません。私たちはこのことをよく弁えておくべきでしょう。

【2:11】
『ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は、七年六か月であった。』
 ダビデがヘブロンで王だったのはユダ族に対してであり、ユダ族を除いた全イスラエルの王だったのはサウルの子イシュ・ボシェテでした。『ただ、ユダの家だけはダビデに従った』(Ⅱサムエル2:10)のであり、『全イスラエル』が王として認めたのはイシュ・ボシェテだったからです。しかし、このダビデもやがて全イスラエルを支配する王となります。ダビデは支配の階段を徐々に上がって行きました。まずは羊飼いとして家畜を支配していました。続いてゴリアテを退治してから、多くの兵士たちを支配する隊長となります。その次にサウルから逃れて後、数百人の家来とその家族たちを支配する指導者となりました。そうしてからダビデはヘブロンでユダを支配する正式な王となります。それからダビデは全イスラエルの支配者になるのです。これは生物や植物が徐々に成長するのと一緒です。このように神はダビデをゆっくり高い地位へ昇らせました。いきなりダビデが至高の地位に引き上げられなかったのは、ダビデが高ぶらないためだったのでしょう。一挙に最高の段階まで引き上げられると、高ぶって堕落し、悪魔の罠に陥りかねないからです。サウルは正にこうなりました。パウロが信者になったばかりの者は教会の管理者とならないよう求めたのも(Ⅰテモテ3:6)、これと同じ理由からでした。サウルは神から愛されていませんでした。だからこそ、いきなり最高の地位へと引き上げられました。このためサウルは腐敗して堕ちたのです。しかしダビデは神から愛されていました。ですから、徐々に高い地位へと上げられたわけです。ダビデがヘブロンで王だった『七年』という期間は、「7」ですからその期間が内容的な完全さを持ち御心に適っていたということです。『6』(か月)という数字のほうは、何も意味が無いと考えられます。もしあるとすれば「人間」という意味でしょうか。しかし、この6は無理に意味を見出そうとしないほうが無難かもしれません。

【2:12~17】
『ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテの家来たちといっしょにマハナイムを出て、ギブオンへ向かった。一方、ツェルヤの子ヨアブも、ダビデの家来たちといっしょに出て行った。こうして彼らはギブオンの池のそばで出会った。一方は池のこちら側に、他方は池の向こう側にとどまった。アブネルはヨアブに言った。「さあ、若い者たちを出して、われわれの前で闘技をさせよう。」ヨアブは言った。「出そう。」そこで、ベニヤミンとサウルの子イシュ・ボシェテの側から十二人、ダビデの家来たちから十二人が順番に出て行った。彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手のわき腹に剣を刺し、一つになって倒れた。それでその所はヘルカテ・ハツリムと呼ばれた。それはギブオンにある。その日、戦いは激しさをきわめ、アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされた。』
 アブネルがイシュ・ボシェテの家来たちを連れてマハナイムからギブオンへ行くと、ヨアブもダビデの家来たちを連れてギブオンへ行きました。『ヨアブ』とは、サウルの殺害を実行しようとしたアビシャイの兄弟です(Ⅰサムエル26章)。アブネルとヨアブが出会うと、『十二人』の若者を出して互いに決闘させることとなりました。「12」人だったのは、その若者たちが「選ばれた」ことを意味しています。聖書で「12」は<選び>の意味があります。両陣営が死の戦いをした結果、ダビデの陣営がアブネルとイスラエルの陣営を打ち負かします。神の御心はイシュ・ボシェテでなくダビデが王になることだったので、イシュ・ボシェテの家来たちは負かされることになったのです。

【2:18~19】
『そこに、ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルが居合わせた。アサエルは野にいるかもしかのように、足が早かった。アサエルはアブネルのあとを追った。右にも左にもそれずに、アブネルを追った。』
 ダビデはギブオンに来ていませんでしたが、ヨアブとその兄弟たちである『アビシャイ、アサエル』は来ていました。『アサエル』はここで初めて出てきます。この『アサエルは野にいるかもしかのように、足が早かった』のですが、その俊足は神からの賜物でした。このような俊足を持った人がどこの国にもいるものです。彼はアブネルをその俊足をもって追いかけます。アブネルは、ダビデの陣営に兵士たちが敗けたので、逃げていたのでしょう。当然ながらアブネルはアサエルに追いつかれてしまいます。自分よりも足が速い人に追われるのは嫌なものです。

【2:20~23】
『アブネルは振り向いて言った。「おまえはアサエルか。」彼は答えた。「そうだ。」アブネルは彼に言った。「右か左にそれて、若者のひとりを捕え、その者からはぎ取れ。」しかしアサエルは、アブネルを追うのをやめず、ほかへ行こうともしなかった。アブネルはもう一度アサエルに言った。「私を追うのをやめて、ほかへ行け。なんでおまえを地に打ち倒すことができよう。どうしておまえの兄弟ヨアブに顔向けができよう。」それでもアサエルは、ほかへ行こうとはしなかった。それでアブネルは、槍の石突きで彼の下腹を突き刺した。槍はアサエルを突き抜けた。アサエルはその場に倒れて、そこで死んだ。アサエルが倒れて死んだ場所に来た者はみな、立ち止まった。』
 アブネルはアサエルの追跡が気に入りませんでした。ですから彼はアサエルに、自分ではなく若者を捕えて略奪しろと命じます(21節)。それでもアサエルが追跡を止めなかったので、アブネルはアサエルに殺されてもいいのかと脅迫します(22節)。しかし、アサエルが追跡を止めなかったので、アブネルはアサエルを刺し殺します。これはアブネルの罪でした。そして、『アサエルが倒れて死んだ場所に来た者はみな、立ち止まった』のですが、これはイスラエルの重要人物が殺されたからです。アブネルはアサエルを殺すべきでなかったでしょうが、アサエルの追跡にも問題がありました。それが問題だったことは、すぐ後ほどヨアブも悟ることになります(Ⅱサムエル2:26~27)。

【2:24~25】
『しかしヨアブとアビシャイは、アブネルのあとを追った。彼らがアマの丘に来たとき太陽が沈んだ。アマはギブオンの荒野の道沿いにあるギアハの手前にあった。ベニヤミン人はアブネルに従って集まり、一団となって、そこの丘の頂上に立った。』
 アサエルが殺されたものの、ヨアブたちはアブネルの追跡を決して止めませんでした。彼らはアサエルを殺したアブネルに恐怖しませんでした。とにかくアブネルを追い続けねばならないという強い思いがあったのです。『彼らがアマの丘に来たとき太陽が沈んだ』のですが、そこにベニヤミン人がアブネルのため集合します。これはダビデの陣営に対抗するためでした。この時に戦いの匂いが強く漂っていたのは間違いありません。

【2:26~28】
『アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまでも剣が人を滅ぼしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵士たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」ヨアブは言った。「神は生きておられる。もし、おまえが言いださなかったなら、確かに兵士たちは、あしたの朝まで、自分の兄弟たちを追うのをやめなかっただろう。」ヨアブが角笛を吹いたので、兵士たちはみな、立ち止まり、もうイスラエルのあとを追わず、戦いもしなかった。』
 アブネルはヨアブたちの追跡に耐えられませんでした。ですから、理をもって説き、ヨアブたちが追跡を止めるよう求めました。このままでは再びアサエルのような死者が生じかねません。そうすれば事態がエスカレートしてますます悲惨となりかねません。そのような悲惨が生じてもいいものか、とアブネルはヨアブたちに悟らせようとします。ヨアブはアブネルの言葉に納得し、追跡を止めることにしました。イスラエルが悲惨になるのは良くないということぐらい、ヨアブは少し考えればよく分かったからです。というのも、イスラエルとはヨアブの兄弟また同胞であり、神の民だったからです。しかも、もしイスラエルが内乱により滅亡すれば、メシアもそこから出られなくなります。そうなれば人類の贖いも実現しなくなってしまいます。これは実に重大なことです。それゆえ、ヨアブたちは追跡を止めるのが正しいのでした。もしアブネルが説得しなければ、ヨアブたちは追跡を止めていませんでした。ヨアブはこのことを『神は生きておられる。』と言って誓います。アブネルに悟らされなければ分からないほど、ヨアブたちは追跡の熱に心を奪われていたわけです。

【2:29】
『アブネルとその部下たちは、一晩中アラバを通って行き、ヨルダン川を渡り、午前中、歩き続けて、マハナイムに着いた。』
 敗北したアブネルたちは、ギブオンから北東に70km以上も離れたマハナイムまで、ヨルダン川を越えて帰りました。『一晩中』進んだのは、マハナイムに早く帰りたかったからでしょう。もしアブネルがヨアブに悟らせていなければ、ヨアブたちはマハナイムまでアブネルたちを追跡していたかもしれません。アブネルたちが馬で移動していたのではなかったはずです。しかし、ロバであれば連れて来ていたかもしれません。ロバと一緒に進んだとしても『歩き続けて』という記述は可能です。

【2:30~32】
『一方、ヨアブはアブネルを追うのをやめて帰った。兵士たちを全部集めてみると、ダビデの家来十九人とアサエルがいなかった。ダビデの家来たちは、アブネルの部下であるベニヤミン人のうち三百六十人を打ち殺していた。彼らはアサエルを運んで、ベツレヘムにある彼の父の墓に葬った。ヨアブとその部下たちは、一晩中歩いて、夜明けごろ、ヘブロンに着いた。』
 ヨアブたちも、自分たちが出発した場所へと帰ります。アブネルを追跡したり捕獲したりできませんでしたが、ひとまず勝利者として帰ることができました。彼らも『一晩中歩いて』帰りましたが、ギブオンからヘブロンまでは南に45kmほど離れています。アブネルたちよりも、こちらのほうが帰宅場所まで短い距離です。またヨアブたちはアブネルたちのようにヨルダン川を超える必要もありませんでした。

 ヨアブたちは、ヘブロンに帰る際、その途中にあったベツレヘムで、携えて来たアサエルの死体を葬りました。そこに『彼の父の墓』があったからです。アサエルの父がベツレヘムに墓を持っていたのですから、アサエル一族はベツレヘム人だったのでしょう。家族が一緒の墓に葬られるのは、ここ日本でも今に至るまで一般的なことです。ギブオンからベツレヘムまでは20kmほど南に離れています。ベツレヘムからヘブロンまでは25kmほど南に離れています。

 この箇所では戦いの結果について書かれています。ヨアブたちの損失は、ダビデの家来が『十九人』であり、アサエルも含めると20人でした。神がダビデ陣営におられましたから、このぐらいの損失で済みました。19も20も、ここでは何も象徴的な意味を持っていないはずです。他方、アブネルたちの死者は『三百六十人』であり、これはダビデたちの13倍です。アブネルたちに神がおられなかったので、また神がおられるダビデの陣営と戦ったので、このように大きな損失となりました。アブネルがどれだけの兵士を連れて来たのか書かれていないので、この360人が全体に比べてどのぐらいの割合だったのかは分かりません。360という数字に象徴的な意味は含まれていないでしょう。こういうわけで、アブネルたちはマハナイムからギブオンまで行かなかったほうが、またはギブオンまで行ってもダビデ陣営と戦わなかったほうが、遥かに良かったのです。アブネルたちには何も良いことがありませんでした。

 ところで、ヨアブがアブネルに悟らされてそれ以上追跡を行なわなくなったのは、神が働きかけたからでした。イスラエルを愛しておられる神は、イスラエルに更なる争いが起こることを望まれませんでした。もしそうでなければ、アブネルがヨアブを追い返そうとしなかったか、追い返そうとしてもヨアブが反発していたので、イスラエルにはますます大きな悲惨が生じていたことでしょう。