【Ⅱサムエル記23:24~24:7】(2023/06/11)


【23:24】
『あの三十人の中には次の者がいた。』
 この箇所から39節目までに『あの三十人』が列挙されています。この30人は、ダビデの時代において、よく人々に知られていたと思われます。ここで『あの三十人』と書かれていることから考えるならば、彼らはこのⅡサムエル書が書かれた時代でも、人々によく知られていたかもしれません。ちょうど21世紀の日本人が、昔の人であるにもかかわらず織田信長や豊臣秀吉や徳川家康をよく知っているのと同じように。この30人のリストは、Ⅱサムエル記が書かれてる時代まで、文書か口伝もしくはその両方において忘れ去られることがありませんでした。それは、このようにして彼らの名が聖書の中で永遠に記録されるためでした。神は彼らの名が記録されるのを望まれたのです。このリストは、Ⅰ歴代誌11章の箇所でも記されています。彼らの数が「30」だったのは、彼らの数が十分だったことを示しています。聖書において「30」は十分な量また時間であることを示すからです。キリストが公の場で御活動を始められたのも「30」歳の時でした。ヨセフがパロからエジプトの支配者に任命されたのも「30」歳の時でした。ちなみに聖書では「40」も十分さを示しています。

『ヨアブの兄弟アサエル。』
 『ヨアブの兄弟アサエル』は既に私たちがよく確認したあの人物であって、先に見た通り、アサエルはアブネルを深追いしたために殺されてしまいました(Ⅱサムエル2:18~23)。このアサエルがイスラエルの猛者だったことは間違いありません。特に足の速さでは極めて優れていました(Ⅱサムエル2:18)。このようだったアサエルは『あの30人』として数えられるに相応しい強者でした。

【23:24~32】
『ベツレヘムの出のドドの子エルハナン。ハロデ人シャマ。ハロデ人エリカ。ペレテ人ヘレツ。テコア人イケシュの子イラ。アナトテ人アビエゼル。フシャ人メブナイ。アホアハ人ツァルモン。ネトファ人マフライ。ネトファ人バアナの子ヘレブ。ギブアの出のベニヤミン族リバイの子イタイ。ピルアトン人ベナヤ。ガアシュの谷の出のヒダイ。アラバ人アビ・アルボン。バルフム人アズマベテ。シャアルビム人エルヤフバ。ヤシェンの子ら。』
 多くの戦士たちが順々に列挙されています。これらを見ると、父と共に名が書かれている者と、父と共には書かれていない者がいることに気付きます。その名が父と共に書かれている者は、その者の父の名が確認できたからなのでしょう。一方、父の名が書かれていない者は、父の名が確認されていなかったと考えられます。父の名が書かれていない者も、もし父の名が確認されていたとすれば、父の名と共に書かれていたかもしれません。というのも、聖書において子をその父と共に書き記すのは通例のことだからです。32節目で書かれている『ヤシェンの子ら』が、実際にどれぐらいの人数だったかは分かりません。『ヤシェンの子ら』は2人だけだったかもしれませんし、7人いた可能性もあります。

【23:32】
『ヨナタン。』
 あのヨナタンも30人の中に含まれていました。これは私たちがよく知っているサウルの子でしょう。ヨナタンと同名の人物だったのではないはずです。ダビデは哀歌の中で、『ヨナタンの弓は、退いたことがなく』(Ⅱサムエル1章22節)、ヨナタンは『わしよりも速く、雄獅子よりも強かった』(Ⅱサムエル1章23節)と言いました。ダビデがヨナタンについてこう言ったのですから、ヨナタンが『あの三十人』として数えられるに相応しかったのは明らかです。他方、このリストの中でサウルは記されていません。恐らくサウルは王だったので、民衆と同じ枠に入れられるべきではないと判断されたのでしょう。しかし、もしサウルが王でなく一般民衆としての兵士だったとすれば、サウルもこの30人の中に含まれていた可能性は非常に高かったはずです。何故なら、ダビデは哀歌の中で、サウルも強かったことを示しているからです(Ⅱサムエル1:22、23)。

【23:33~34】
『ハラル人シャマ。アラル人シャラルの子アヒアム。マアカ人アハスバイの子エリフェレテ。ギロ人アヒトフェルの子エリアム。』
 ここで注目すべきは『ギロ人アヒトフェルの子エリアム』です。『アヒトフェル』とは、ダビデからアブシャロムに寝返った謀反者の議官でした(Ⅱサムエル15:12)。このアヒトフェルは非常に優れた議官でした(Ⅱサムエル16:23)。彼の子である『エリアム』も優秀な人物だったのです。この『エリアム』は、Ⅱサムエル11:3の箇所でバテ・シェバの親だとされています。であればこの『エリアム』はバテ・シェバの父だったのかもしれません。しかし、Ⅰ歴代誌3:5の箇所では、バテ・シェバの親が『アミエル』と書かれています。その箇所ではバテ・シェバが『バテ・シュア』と書かれていますから、『アミエル』という名の呼び方が問題となるでしょう。

【23:35】
『カルメル人ヘツライ。アラブ人パアライ。』
 『カルメル人』とは、あのナバルがいたカルメルの出であるということです(Ⅰサムエル25:2)。イスラエル軍には『アラブ人』もいました。『アラブ人』とは今の時代にも多くいますが、アブラハムの子イシュマエルの子孫たちです。アラブ人は民族的にユダヤ人の兄ですが、選民ではなく異邦人です。しかし、このような異邦人であってもイスラエル軍で戦っていたのです。恐らくこのアラブ人は在留異国人だったのかもしれません。そうでなければ雇われ兵士だったということでしょう。古代のユダヤ人は選民意識を非常に強く持っていましたが、だからといってユダヤの共同体に異邦人が全くいないというわけではありませんでした。在留異国人として前々からユダヤの共同体にいたり、親しく仲間になろうと願い求める者であれば、異邦人であってもユダヤでは退けられることがありませんでした。

【23:36】
『ツォバの出のナタンの子イグアル。』
 この『ナタン』とは、私たちが前に見たあの預言者ナタンと異なった人物です。単に名前が一緒なだけです。何故なら、あの預言者ナタンはイスラエルの出であるイスラエル人だったからです。しかし、『ツォバ』とは異邦人の国です。ですから、この『イグアル』も先に見た『アラブ人パアライ』と同じで異邦人でした。しかし、このような異邦人であっても『あの三十人』に含まれていたのです。つまり、『あの三十人』はイスラエル人だけに限定されていませんでした。これはイスラエルが決して依怙贔屓をされない御方である神の共同体だったからなのでしょう。

『ガド人バニ。』
 『ガド人』とは、12族長であったガドをその先祖に持つガドの子孫である部族です。このガド族の相続地は、ヨルダン川の東に位置していました。

【23:37】
『アモン人ツェレク。』
 アモン人は、呪われた近親相姦の子らであって、異邦人でした。しかし、ここではそのような『アモン人』も『あの三十人』に含まれています。

『ツェルヤの子ヨアブの道具持ちベエロテ人ナフライ。』
 私たちのよく知るあのヨアブの『道具持ち』も『あの三十人』の中に数えられています。優秀な人物の下には優秀な者がいるものです。

【23:38】
『エテル人イラ。エテル人ガレブ。』
 『エテル人』はカレブを始祖としています(Ⅰ歴代誌2:53)。このエテル人が2人も『あの三十人』に含まれていたというのは、カレブに対する祝福ゆえなのでしょう。何故なら、先祖に対する神の祝福は子孫にまでも及ぼされるからです。神が『わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施す』(出エジプト19章6節)と言われた通りです。

【23:39】
『ヘテ人ウリヤ。』
 あのウリヤも『あの三十人』として数えられています。このウリヤは非常に忠実な戦士でした(Ⅱサムエル11:11)。彼は忠実なだけでなく強かったとも考えられます。聖書から彼の強さが実際に分かるというのではありません。しかし、強かった可能性はかなり高いのです。いや、実際に彼は強かったことでしょう。だからこそ、ここで『あの三十人』として含まれているのです。

『全部で三十七人である。』
 『全部で三十七人である』とここで言われているのは、『あの三十人』のことではありません。『あの三十人』としてⅡサムエル23:24~39の箇所で書かれているのは「32人」ですが、これについてはすぐ後ほど見ることになります。この32人に、23:8~17の箇所に書かれていた3勇士と、23:18~19の箇所に書かれていたアビシャイと、23:20~23の箇所に書かれていたベナヤを合わせたのが『三十七人』なのです。32たす3たす1たす1=37です。つまり、『三十七人』とは23:24~39の箇所で書かれていた者の総数でなく、23:8~39の箇所で書かれていた者の総数です。さて、『あの三十人』と書かれていながら実際には32人の者が23:24~39の箇所で書かれているのは、どういったわけなのでしょうか。私の理解によれば、これは本当に最初から30人のリストでした。しかし、途中で『アサエル』(23:24)と『ヨナタン』(23:32)と『ウリヤ』(23:39)が死んだので、誰か他の3人がこのリストに補充されたのです。こうだったとすれば、23:32の箇所で書かれていた『ヤシェンの子ら』は4人だったことになります。こういったわけで、ここでは『あの三十人』のリストに最低でも32人の者たちが書き記されているのです。なお、この「37」という数字には何も象徴的な意味がありません。

【24:1】
『さて、再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。』
 ここから内容がダビデの日常に関する話へと切り替わります。よって、ここから新しい章とされているのは適切でした。他の場所でも述べましたが、聖書の章と節は後世の人間が勝手に区分したものであり、その区分は神に霊感されていませんから、聖書本文の内容まで非難するという結果にならない限り、もし不適切であれば非難したとしても全く問題はありません。カルヴァンも不適切な章の区分をしばしば非難しました。さて、『主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった』のは、ダビデの不遜がその理由でした。ダビデのような支配者は、その支配する集団の頭であり、最も重要な人物です。このようなリーダーの不遜に対する罰は、その集団の全体にまで及ぼされます。たとえ集団の成員は何も悪い行為をしていなかったとしても、頭のゆえ悲惨を受けてしまいます。この通り、リーダーまたリーダー的な存在は、その集団を大きく左右する存在であることが分かります。ですから、トップに立つ者は誰であれ大きな責任を持つのです。ここでは主の怒りが『再び』燃え上がったと言われていますから、前に主の怒りが燃え上がった時を前提としています。前に主が怒られた時とは、Ⅱサムエル記21章で書かれていたギブオン人の件による飢饉のことでしょう。というのも、先の箇所を調べるならば、前に主が怒られた時とは、その出来事の時しか考えられないからです。これはウリヤ事件の際における神の怒りではなかったはずです。

『主は「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ。」と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。』
 この部分は、解釈がどうしても必要であり、また危険もあります。下手に解釈すれば致命的な理解を持ちかねませんから注意が必要となります。こういった箇所は、もしどうしても理解できないというのであれば、無理をして理解しようとせず、分からないまま我慢して保留するのが利口であり無難です。さて、まずここで主が『さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ。』とダビデに言われたのは、実際の言葉によってではなかったはずです。つまり、これはダビデが神の予定により自然と動かされたということを示しています。何故なら、これから私たちが見る通り、ダビデは『イスラエルとユダの人口を数え』たからこそ主の御怒りを燃え上がらせたからです。もしその通りに行なえば罰が下されることになる命令を、神がダビデに実際の言葉で命じられるということは考えにくいのです。もしこういうことがあったとすれば、神はダビデが悪をするよう命じられたことになります。これはシムイに対し『ダビデをのろえ。』(Ⅱサムエル16:10)と神が言われたと書かれているものの、神が実際の言葉でシムイにこういった命令を下されたのではないのと同じです。シムイが『ダビデをのろえ。』という神の御心に突き動かされたのと同じで、ダビデも神の御心に突き動かされたことがここでは言われているのです。次に、ここと同じことが書かれているⅠ歴代誌の箇所では、サタンがダビデに『イスラエルの人口を数えさせた』(21:1)と書かれています。これはよくよく注意して解釈せねばならないことです。これは、こういうことになるでしょう。つまり、まずサタンがダビデを悪に陥らせようと願い、その願いが実行できるよう神に許可を求めました。すると神はダビデの敬虔さを試すべく、ダビデが敬虔であるか調査するためサタンに許可を出されたということです。これはヨブ記1章・2章で書かれている神とサタンのやり取りと全く同じことです。ですから、ダビデが人口調査するのはサタンの願いであり、ダビデを試すという限りにおいて神の御心でもありました。ここで『イスラエルとユダ』と言われているのはユダヤの全土を指しています。

【24:2】
『王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録して、私に、民の数を知らせなさい。」』
 ダビデは、ヨアブを将軍の職に再び戻していました。ヨアブに代わって将軍となったアマサが死んだのであれば(Ⅱサムエル20:10)、ダビデはヨアブを再び将軍にするしかなかったでしょう。というのもヨアブでなければ誰が将軍に相応しいのでしょうか。ゲーリングがナチスの最高幹部まで上り詰めたのは、その優秀さを考えれば自然なことでした。カエサルも同じ理由から、ローマの頂点に上り詰めました。優秀な者は自分が収まるべき高い地位に自然と収まるものなのです。ダビデはこのヨアブに、イスラエルの人口調査をするよう命じます。ダビデがヨアブに命じたのは、ヨアブがダビデの側近であり、イスラエルのナンバー2だったからです。『ダン』の相続地はイスラエルの最北部にあります。『ベエル・シェバ』とは、イスラエルの最南端のほうにある場所です。つまり、『ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエル』とはイスラエル全土を指しています。ダビデがこのような調査を命じたのは、大きな権勢を誇り、喜び、自尊心を満足させるためでした。ダビデは単なる欲望に基づいてこのような調査を命じたのです。それは御心に適いませんでした。それが御心に適わなかったからこそ、神はこの調査に対し御怒りを発されたのです。もしダビデが正しいことをしていたとすれば、神は怒っておられなかったはずです。ダビデは、サタンに調査するよう誘惑される前から、誇りに浸かりたいという高慢な精神を持っていたはずです。サタンはこのようなダビデの高慢に目を付けたのです。そして、もしダビデを誘惑すれば、ダビデはその誘惑にすんなり乗るんじゃないかと考えたはずです。このため、サタンはダビデが誘惑に乗るかどうか試してはいかかでしょうか、などと神に対し提案したわけです。もしダビデが本当に高慢な精神を持っていればサタンの誘惑により調査するでしょう。神は、ダビデの本性がどのようであるか実際に御覧になるため、サタンがダビデに誘惑するのを許されたわけです。Ⅰ歴代誌21章の箇所と共に考えるならば、このような理解となるでしょう。

【24:3】
『すると、ヨアブは王に言った。「あなたの神、主が、この民を今より百倍も増してくださいますように。王さまが、親しくこれをご覧になりますように。ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」』
 ダビデの命令を聞いたヨアブは、ダビデがどうしてこのような命令を出すのか疑問に感じます。何故なら、自分の罪深い欲望を満たすという理由以外に、このような命令が下された意味を見出せなかったからです。ダビデが命じた調査は紛れもない罪でした。ですから、ヨアブはⅠ歴代誌21:3のほうでダビデに『なぜ、わが君はイスラエルに対し罪過ある者となられるのですか。』と言っています。ヨアブがこのように疑問を呈したのは間違っていませんでした。ここでヨアブは神がイスラエル民族を『今より百倍も増してくださいますように』と願っています。また多く増えたイスラエル民族をダビデが『親しく』『ご覧になりますように』ともヨアブは言っています。民が大いに増え、ダビデがその増えた民を好意的に思うというだけであれば、何も問題はありませんでした。ダビデが問題だったのは、権勢の凄さを知り、驕り高ぶってニヤニヤするために人口調査をしたことなのです。

【24:4】
『しかし王は、ヨアブと将校たちを説き伏せたので、ヨアブと将校たちは、王の前から去って、イスラエルの民を登録しに出かけた。』
 ダビデの高慢な欲望は非常に強い度合いでした。またダビデはイスラエルの王であり、最高の権力を有していました。このダビデに対し逆らったり反発できる人はイスラエルの中で誰もいませんでした。ですから、ダビデはヨアブを『説き伏せ』てしまいます。ダビデはそうすることが出来たのです。勿論、ダビデはそのようにしないほうが良かったのですけども。神は、ダビデが罪を犯さないよう抑制することもお出来になりました。しかし、神はこの度においてそのようになさいませんでした。何故なら、神はこの時にダビデの本性がどのようであるか見ようとしておられたからです。こうしてヨアブはダビデの命令通り、イスラエル人の人口調査をすべく出て行きます。ダビデは『将校たち』も説き伏せていたので、将校たちもヨアブと共に出て行きました。この将校たちが何人いたかは分かりません。ヨアブはダビデの命令が罪であると分かっていたのですから、乗り気でなかったに違いありません。しかし、ヨアブはダビデに従うしかありませんでした。脳が指示を出すならば肢体が必然的に動かねばならないのと同じだったからです。

【24:5~7】
『彼らはヨルダン川を渡って、ガドの谷の真中にある町、ヤゼルに向かって右側にあるアロエルに宿営し、それから、ギルアデとタフティム・ホデシの地に行き、さらにダン・ヤアンに行き、シドンに回った。そしてツロの要塞に行き、ヒビ人やカナン人のすべての町々に行き、それからユダのネゲブへ出て行って、ベエル・シェバに来た。』
 まずヨアブたちは、エルサレムを出て東に行き、『ヨルダン川を渡』ります。そして東または北東に30kmぐらい進み、『ガドの谷の真中にある町、ヤゼルに向かって右側にあるアロエルに宿営し』ました。そこをもう少し東に行くとアモン人の国となります。ヨアブたちはこの宿営地を拠点にし、ガド及びルベンの地で人口調査をしたのでしょう。続いてヨアブたちは北上して『ギルアデとタフティム・ホデシの地に行き』ました。そこではマナセの半部族の調査がされたのでしょう。それから彼らは北上し、『ダン・ヤアンに行き、シドンに回』り、そうしてから『ツロの要塞に行き』ました。ここではダン、ナフタリ、アシェル、ゼブルン、イッサカルの相続地における調査をしたのでしょう。そうしてからヨアブたちは南下し、『ユダのネゲブへ出て行って、ベエル・シェバに』至りました。つまり、ヨアブたちはエルサレムを出てから、ギリシャ語の「ρ」をなぞるような道順で進んだのです。しかし、Ⅰ歴代誌21:6の箇所で書かれている通り、『ヨアブは王の命令を忌みきらった』ので、『レビとベニヤミンとを、その中に登録し』ませんでした。この2種類のイスラエル人だけは調査結果に含めなかったか、そもそも最初から調査していなかったか、どちらかです。ヨアブはこのようにすることで、ダビデの罪深い命令に僅かでも抵抗したのです。この通りヨアブはダビデの命令を忠実に行ないませんでしたが、しかしそれは神の御心に適っていたはずです。何故なら、ヨアブはほとんど強制的にダビデの悪に加担させられていたからです。もしヨアブが全くダビデの命令を実行していなければ、ヨアブはより神の御心に適っていたことでしょう。