【Ⅱサムエル記3:1~30】(2023/01/01)


【3:1】
『サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。』
 ユダ族はダビデを王に立てており、ユダでないイスラエルの部族はイシュ・ボシェテを王に立てていました。まだこの時には国が一つでしたから、自然が命じる通り王も一人であるべきでした。しかし、どちらも自分たちの王こそ正当的だと思っています。相手に譲るということはどちらもしません。こういうわけで『サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた』のでした。これは内乱状態ですから望ましくありませんでした。悪いのはもう全くイシュ・ボシェテ側でした。何故なら、神はサウルの王権をダビデへと移されたのだからです。これには神の言葉が証拠としてありました(Ⅰサムエル15:28)。イシュ・ボシェテは勝手に民衆から王として立てられていただけでした。ダビデの家は神に祝福されており、サウルの家は祝福されていませんでした。このため、『ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くな』りました。神に祝福された群れが強くなり、祝福されていない群れは弱くなる。これはいつの時代でもそうです。例えば、キリスト教とユダヤ教がそうです。キリスト教には神がおられたので祝福されてますます強くなり、ユダヤ教には神がおられなかったので栄えることもなくずっと同じままの状態に留まり続けています。

【3:2~5】
『ヘブロンでダビデに子どもが生まれた。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。次男はカルメル人でナバルの妻であったアビガイルによるキルアブ。三男はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブシャロム。四男はハギテの子アドニヤ。五男はアビタルの子シェファテヤ。六男はダビデの妻エグラによるイテレアム。これらはヘブロンでダビデに生まれた子どもである。』
 ダビデがヘブロンで住むようになると、そこで6人の子どもが生まれます。それまでは2人の妻がいたものの、子どもが生まれていませんでした。恐らく戦いや逃走に専念するため生むのを控えていたのかもしれません。この「6」(人)という数字は<人間>を意味している可能性があります。この箇所ではダビデに生まれた子どもとして男の子だけが書かれています。これには2つが考えられます。すなわち、本当に6人とも男の子だったか、女の子は省略しているか。女の記述を省略するのは聖書で珍しくありません。この箇所から分かる通り、ダビデは既に娶っていたアヒノアムとアビガイル以外にも、4人の妻を娶りました。律法では多くの妻を娶ることが禁止されていますから(申命記17:17)、ダビデは2人目の妻を娶った時点で既にアウトでした。ダビデはそれに加えて4人もの妻を娶ったのですから、律法を何重にも犯していたことになります。古代が一夫多妻を容認する時代だったにしても、ダビデは律法が命じる通り1人の妻だけを持つべきでした。何故なら、世の風習がどうであれ、結婚に関する神の御心は一夫一妻だからです。また、この箇所から分かる通り、ダビデは6人の妻にそれぞれ一人ずつ子を生ませたようです。6人とも2人以上の子を生むことはありませんでした。ダビデは妻同士の嫉妬が生じるのを心配したのでしょうか。詳しくは分かりませんが、そうだった可能性もあります。

【3:6】
『サウルの家とダビデの家とが戦っている間に、アブネルはサウルの家で勢力を増し加えていた。』
 アブネルがサウルの家でますます強くなっていたのは、アブネルに知識があったからです。何故なら、ソロモンが『知識のある人は力を増す』(箴言24章5節)と述べているからです。知識があれば選択肢も増え、より幸いな選択を行なえるようになりますから、他の人に優った勢いで進むことができます。このアブネルは只者ではありませんでした。ダビデはアブネルを『偉大な将軍』(Ⅱサムエル3章38節)と言っています。政治が腐敗していない時代には、このような輝かしい有力者が出るものなのです。ローマの共和制末期にもカエサルやキケロをはじめ数々の偉人が出たものでした。

【3:7】
『サウルには、そばめがあって、その名はリツパといい、アヤの娘であった。あるときイシュ・ボシェテはアブネルに言った。「あなたはなぜ、私の父のそばめと通じたのか。」』
 サウルは『リツパ』というそばめを持っていましたが、そばめは他にもいた可能性が高いでしょう。1人だけしかそばめがいないというのは考えにくいからです。ダビデもソロモンも多くのそばめを持っていました。古代の王にとってそばめを持つというのは一般的なことです。しかし、それが風習だからといって、イスラエルの王がそばめを持つのは相応しくありませんでした。何故なら、神は『姦淫してはならない。』と命じておられるからです。アブネルはこのリツパと交わっていました。交わった理由は当然ながら欲望でしょう。遊び用の女は別の男にも使われるのがしばしばです。というのも彼女たちは純潔また夫への貞心という堅固な防壁を持たないからです。ルベンも父のそばめと交わりました(創世記35:22)。イシュ・ボシェテは、アブネルがリツパと交わったことを咎めます。イシュ・ボシェテは、父のそばめが奪われたことを、自分のことのように感じたのでしょう。恐らく、アブネルがリツパと交わったのは、サウルの死後だったかもしれません。もしサウルの生存中に交わったとすれば、サウルから咎められ、サウルとアブネルの関係が悪くなっていたと考えられるからです。サウルが死んだというので、主人を失ったリツパにアブネルが迫ったというのは考えられる話です。もっとも、サウルの生存中に交わったものの、ただサウルに知られなかっただけである可能性もありますが。アブネルが交わった時期は聖書に書かれていないので、このように推測するしかありません。

【3:8~10】
『アブネルはイシュ・ボシェテのことばを聞くと、激しく怒って言った。「この私が、ユダの犬のかしらだとでも言うのですか。今、私はあなたの父上サウルの家と、その兄弟と友人たちとに真実を尽くして、あなたをダビデの手に渡さないでいるのに、今、あなたは、あの女のことで私をとがめるのですか。主がダビデに誓われたとおりのことを、もし私が彼に果たせなかったなら、神がこのアブネルを幾重にも罰せられますように。サウルの家から王位を移し、ダビデの王座を、ダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に堅く立てるということを。」』
 アブネルはイシュ・ボシェテに咎められると、激しく怒りをぶちまけます。アブネルはただ『サウルの家と、その兄弟と友人たち』に対する敬意と友愛のため、イシュ・ボシェテを『ダビデの手に渡さないでいる』だけでした。つまり、アブネルはイシュ・ボシェテその人のためにイシュ・ボシェテに良くしているのではありませんでした。もしサウルの家およびその関係する者たちがいなければ、恐らくアブネルはイシュ・ボシェテに良くしていなかったでしょう。というのも、アブネルはダビデが全イスラエルの王になるという御心をよく知っていたからです(9~10節)。「仕方なくこうしている。」「サウルたちのためにイシュ・ボシェテを守らなければ面目が立たない。」アブネルがこういった温情からイシュ・ボシェテをダビデに引き渡していなかったのは間違いありません。それなのにイシュ・ボシェテは、リツパのことでアブネルを咎めました。これでは仕方なく良くしてやっているアブネルの怒りが爆発したとしてもおかしくありません。勿論、イシュ・ボシェテが咎めたこと自体は間違っていませんでした。確かにアブネルは咎められるべき行為をしていたからです。妻でない女と交わるということにおいて。また他人のそばめを奪って交わるということにおいても。しかし、たとえアブネルが咎められるべき行為をしていたにしても、イシュ・ボシェテがアブネルを咎めるべきではありませんでした。彼が咎めたのは、「あなたはもう私に良くしてくれなくてもよい。」と言うのも同然でした。我慢して情けをかけてくれている相手の悪徳はひとまず問題にしないほうがよいのです。思慮がないとこのイシュ・ボシェテのように愚かにも平気で咎めてしまいます。例えば大怪我をした際、憎んでいたのに人類愛からわざわざ治療してくれた敵の前で悪いことを言うのも、良くありません。その敵は自分に良くしてくれているのですから、ひとまず悪口は慎むべきなのです。もし悪口を言えば、その敵から情けの思いが失われるので、せっかく行なっていた治療を止めてしまうことにもなります。

 アブネルはイシュ・ボシェテに情けをかけているのに咎められたので、その心がもう全くイシュ・ボシェテから離れ去りました。アブネルにとってイシュ・ボシェテはもうどうでもいい存在となりました。我慢の糸が切れたのです。これは当然でした。何故なら、アブネルがイシュ・ボシェテの立場について我慢しているのと比べれば、サウルのそばめと交わったことは小さいことだからです。どう考えてもイシュ・ボシェテが神の御心に反して王職を持っていることは、アブネルがリツパと交わったことよりも酷かったのです。ですから、アブネルが王職のことで我慢していたとすれば、尚のことイシュ・ボシェテはアブネルの不義について我慢すべきでした。このため、アブネルは心をイシュ・ボシェテからダビデに向き変えました。アブネルはこれから神の御心通り、必ずダビデを全イスラエルの王にしようとします。もしそのように出来なければ神が自分を『幾重にも罰せられ』るようアブネルは誓っています。これは物凄い決意でした。このようにダビデに心の向きを変えたという点で、アブネルは正しいことをしました。

 このようにイシュ・ボシェテは『あなたはなぜ、私の父のそばめと通じたのか。』(Ⅱサムエル3章7節)という少しの言葉で破滅を招きました。この言葉が示しているは、イシュ・ボシェテが自分に良くしてくれているアブネルを全く気遣っていないということだったからです。ベーコンが「随想録」で正しく言っている通り、短い言葉で破滅する人がこれまで多かったのです。このイシュ・ボシェテもそうでしたし、ネブカデネザル王も『この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。』(ダニエル4章30節)という少しの言葉により悲惨な状態となったのです。カエサルも「スラは文字を知らなかった。」という短い言葉により破滅しました。これはソロモンがこう言っている通りです。『死と生は舌に支配される。』(箴言18章21節)ですから、私たちは言葉に気を付けねばなりません。ベーコンは、ふっと出てくる短い言葉に注意せよと言っていますが、正にその通りです。もし気を付けなければ、私たちが発する言葉は死を齎す滅びの剣となりかねません。愚かな者はあれこれと無思慮に喋るので滅びに近いのです。『愚か者の口は滅びに近い。』と箴言で言われている通りです。

 アブネルがここで『ユダの犬のかしら』と言っているのは、どういう意味でしょうか。これはユダ族を『犬』と言って蔑んでいるのです。聖書で<犬>は愚弄していることを示すために用いられる表現です。ですから『ユダの犬のかしら』とは、少なくともアブネルたちにとって、非常に恥ずべき者だということです。つまり、アブネルは自分がそのような恥ずべき者として扱われたのも同然に恥辱を感じさせられたと訴えているのです。確かに良くしてくれている相手を咎めて引き下げるのは、その相手のプライドを大きく傷付け、大いに恥ずかしめることです。「言語道断」とは正にこのことです。イシュ・ボシェテはアブネルを咎めることで、絶大な侮辱をアブネルに与えたわけです。

【3:11】
『イシュ・ボシェテはアブネルに、もはや一言も返すことができなかった。アブネルを恐れたからである。』
 イシュ・ボシェテがアブネルを咎めたのは致命的でした。アブネルがイシュ・ボシェテに反発した言葉の内容は、もっともでした。こうしてイシュ・ボシェテは罠に陥った小動物のようになります。ですから、イシュ・ボシェテは『アブネルを恐れた』のです。そのため、『イシュ・ボシェテはアブネルに、もはや一言も返すことができな』くなりました。イシュ・ボシェテはもうどうしようもありませんでした。謝罪しても意味はなかったでしょう。何故なら、神がダビデに全イスラエルの王権を持たせるということはイシュ・ボシェテも知っていたからです。このようにしてイシュ・ボシェテの運命は全く終わりました。いや、サウルに王権の移転が宣告された時からもうイシュ・ボシェテの運命は終わっていました。

【3:12】
『アブネルはダビデのところに使いをやって言わせた。「この国はだれのものでしょう。私と契約を結んでください。そうすれば、私は全イスラエルをあなたに移すのに協力します。」』
 アブネルの心は変転したので、ダビデに寝返ることとなりました。イシュ・ボシェテからすればこれは裏切りです。しかし、彼は文句を言えませんでした。何故なら、アブネルの裏切りはイシュ・ボシェテにより引き起こされたからです。「自業自得」とは正にこのことです。アブネルがダビデと『契約』を結ぼうとしたのは、つまりアブネルがユダ族の味方またダビデ陣営の一員になるということです。『この国はだれのものでしょう。』というのは、つまりイスラエル国は神がダビデに支配されるよう定めておられるということです。これには神の言葉が証拠としてしっかりありました。

【3:13~16】
『ダビデは言った。「よろしい。あなたと契約を結ぼう。しかし、それには一つの条件がある。というのは、あなたが私に会いに来るとき、まずサウルの娘ミカルを連れて来なければ、あなたは私に会えないだろう。」それからダビデはサウルの子イシュ・ボシェテに使いをやって言わせた。「私がペリシテ人の陽の皮百をもってめとった私の妻ミカルを返していただきたい。」それでイシュ・ボシェテは使いをやり、彼女をその夫、ライシュの子パルティエルから取り返した。その夫は泣きながら彼女についてバフリムまで来たが、アブネルが、「もう帰りなさい。」と言ったので、彼は帰った。』
 アブネルの寝返りをダビデは『よろしい。』と言って歓迎します。相手側の大将軍が味方になるのは望ましいことだからです。ダビデに追い風が吹き始めました。しかし、ダビデは条件付きでアブネルと契約を結ぼうとします。それはアブネルがダビデの妻だった『サウルの娘ミカル』を連れて来ることです。彼女は本来的にダビデの妻でしたから、ダビデの妻として返されるべきでした。サウルが彼女をダビデから取り去り『ライシュの子パルティエル』に与えたのはとんでもないことでした。ダビデはこのようにしてアブネルの忠誠心をテストしようとしました。もしアブネルがダビデの要求通りミカルを連れて来れば、アブネルはダビデのため全的に服従できるでしょう。しかし、もし連れて来れなければ、他のことでもダビデに服従することはできないでしょう。ですから、アブネルがミカルを連れて来るかどうかは非常に重要でした。これはキリストが言われた御言葉からも分かります。『小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。』こうしてダビデはイシュ・ボシェテに使いを送り、ミカルを返すよう求めます。イシュ・ボシェテは、神とその御心およびダビデを恐れたでしょうから、ダビデの求めに応じざるを得ませんでした。状況が拒むことを許しませんでした。こうしてイシュ・ボシェテは、ミカルを『その夫、ライシュの子パルティエルから取り返した』のです。当然ながら妻を取られたパルティエルは泣いて懇願しますが、アブネルに『もう帰りなさい。』と言われたので諦めるしかありませんでした。こうしてアブネルは自分の忠誠心をダビデに対して示しました。アブネルはダビデのために『もう帰りなさい。』と言ったのだからです。パルティエルは『泣きながら』妻に付いて行きましたが、こうしても虚しいだけでした。泣こうが死のうがミカルが妻として戻ることはもうなかったからです。そもそもミカルが強制的にダビデから引き離され、パルティエルに与えられたこと自体からして、異常な出来事だったのです。

【3:17~18】
『アブネルはイスラエルの長老たちと話してこう言った。「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていたが、今、それをしなさい。主がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、およびすべての敵の手から救う。』と仰せられているからだ。」』
 アブネルはダビデを全イスラエルの王にしようとしたので、『イスラエルの長老たち』と話をします。この長老たちは、『主がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、およびすべての敵の手から救う。』と仰せられている』ことを知っていました。主はイシュ・ボシェテによりイスラエルを救うなどと言われませんでした。ですから、イスラエルの長老たちは『かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていた』のでした。このため、アブネルは『今、それをしなさい。』と言って、長老たちがダビデを王にするよう働きかけました。アブネルはこの通り長老たちに命令できるほどの力を持っていました。それは彼が『サウルの家で勢力を増し加えていた』(Ⅱサムエル3章6節)からです。アブネルは、イシュ・ボシェテでさえ恐れさせるほどの力を既に持っていました(Ⅱサムエル3:11)。神がアブネルを強くされたのです。神はアブネルを通じて、ダビデが全イスラエルの王になるよう導こうとしておられたからです。

【3:19】
『アブネルはまた、ベニヤミン人とじかに話し合ってから、』
 アブネルはダビデのもとに行く前、まず『ベニヤミン人とじかに話し合』いました。これはベニヤミンがサウルとその子イシュ・ボシェテの部族だったためです。誰でも自分たちの群れでない群れに属する者が王に取り替えられるのであれば、人間の自然な情として、多かれ少なかれ抵抗感を持つはずです。私たち日本人にしても、もしこれから日本人でない人物が次の天皇になるとすれば、多かれ少なかれ抵抗感を持つはずです。自分たちの国の権威者は、出来れば自分たちの国の人物であってほしいものなのです。これからイスラエルの王がベニヤミン族でないユダ族に属するダビデとなりますから、ベニヤミン族とはしっかり話をしておく必要があったのです。

【3:19~20】
『ヘブロンにいるダビデのところへ行き、イスラエルとベニヤミンの家全体とが望んでいることをすべて彼の耳に入れた。アブネルが二十人の部下を連れてヘブロンのダビデのもとに来たとき、ダビデはアブネルとその部下の者たちのために祝宴を張った。』
 ベニヤミン族との話を終えたアブネルは、遂にダビデのもとへ行きます。こうしてアブネルは全き変転を果たしました。裏切られたイシュ・ボシェテはもうどうしようもありませんでした。この時に『アブネルが二十人の部下を連れて』行ったのは、アブネルに強い権勢があったからです。権力者が部下を連れて行くのは、世の常です。「20」(人)という数字は実際の人数ですが、これに何か象徴的な意味はないでしょう。相手側の偉大な将軍アブネルが寝返って来たので、ダビデは『祝宴を張っ』て大いに歓迎しました。自分たちに大きな力となる重要人物が味方になったのです。ですから、ダビデが大いに歓迎したのは自然なことでした。このダビデはユダ族の王であり、アブネルもイスラエルにおける大人物です。ダビデには多くの部下がいたでしょうし、アブネルも『二十人の部下を連れて』来ていました。よって、この時の祝宴が大規模だったことは間違いありません。

【3:21】
『アブネルはダビデに言った。「私は、全イスラエルをわが主、王のもとに集めに出かけます。そうして彼らがあなたと契約を結び、あなたが、望みどおりに治められるようにしましょう。」それでダビデはアブネルを送り出し、彼は安心して出て行った。』
 アブネルはダビデの前で彼を全イスラエルの支配者にすると約束します。アブネルはダビデを『わが主、王』と呼んでいます。神がダビデを全イスラエルの王に定めておられたのですから、アブネルがダビデをこう呼んだのは間違っていませんでした。ダビデがイスラエルで『望みどおりに治められ』るためには、イスラエルの民がダビデ『と契約を結』ばねばなりません。アブネルはそれを実現するため『全イスラエルを』ダビデのもとへ『集めに出かけ』ようとします。アブネルはダビデのために奔走するわけです。こうしてダビデはアブネルを送り出し、アブネルはダビデを全イスラエルの王にすべく出て行きました。ダビデが全イスラエルを支配するようになるのは時間の問題でした。

【3:22~25】
『ちょうどそこへ、ダビデの家来たちとヨアブが略奪から帰り、たくさんの分捕り物を持って来た。しかしそのとき、アブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかった。ダビデがアブネルを送り出し、もう彼は安心して出て行ったからである。ヨアブと彼についていた軍勢がみな帰って来たとき、ネルの子アブネルが王のところに来たが、王がアブネルを送り出したので、彼は安心して出て行った、ということがヨアブに知らされた。それでヨアブは王のところに来て言った。「何ということをなさったのですか。ちょうどアブネルがあなたのところに来たのに、なぜ、彼を送り出して、出て行くままにしたのですか。ネルの子アブネルが、あなたを惑わし、あなたの動静を探り、あなたのなさることを残らず知るために来たのに、お気づきにならなかったのですか。」』
 ヨアブとダビデの家来たちが略奪から帰って来た際は、もうアブネルがダビデのもとから去っていましたので、ヨアブたちとアブネルが会うことはありませんでした。ヨアブは、アブネルがダビデのもとへ来たものの既に出て行ったということを聞きました。もしヨアブたちの帰るのがもう少し早ければ、またはアブネルの出て行くのがもう少し遅ければ、この2人は会っていたでしょう。しかし、神はそのようになさいませんでした。この時には2人が会わないことこそ御心だったからです。実に、御心でなければ何一つ実現しないのです。

 ヨアブは、アブネルがダビデの動静を探りに来た密かな侵入者だとしか思えませんでした。ヨアブはまさかアブネルが良いことのために来たなどとは考えられませんでした。これはヨアブが兄弟アサエルをアブネルに殺されていたからなのかもしれません。つまり、兄弟を殺したアブネルに対する憎しみゆえ、アブネルが来たことを悪く捉えてしまったわけです。私たちの経験も示す通り、激しい憎しみは正常な理性の感覚を歪め、その憎んでいる者の言行を悪い方向にしか捉えられなくしてしまうものです。たとえ、憎んでいる者が真に善をしていても、その善の背景に悪を見出そうとすることは珍しくありません。

【3:26~27】
『ヨアブはダビデのもとを出てから使者たちを遣わし、アブネルのあとを追わせ、彼をシラの井戸から連れ戻させた。しかしダビデはそのことを知らなかった。アブネルがヘブロンに戻ったとき、ヨアブは彼とひそかに話すと見せかけて、彼を門のとびらの内側に連れ込み、そこで、下腹を突いて死なせ、自分の兄弟アサエルの血に報いた。』
 ヨアブは何としてもアブネルを殺さねばならぬと思っていたでしょうから、『使者たちを遣わし』て、アブネルを自分のいたヘブロンにまで戻らせました。遣わされた使者たちが何人だったかは分かりませんが、数は別にどうでもいいことです。そしてアブネルに会うと、ヨアブは巧みにアブネルを『突いて死なせ』ました。この時に突き殺したのが、剣によったのか、槍によったのか、それ以外の凶器によったのか、怪力の拳によったのか、私たちは知りません。ただアブネルは恐らく即死だったと思われます。この時に殺したのはヨアブだけでなくヨアブの兄弟アビシャイもでした(Ⅱサムエル3:30)。ヨアブは兄弟アサエルを殺されたことに対する復讐として殺しました。ヨアブは憎しみと怒りに突き動かされていました。ですから、アブネルを殺すことに罪悪感はなかったでしょう。寧ろ、アブネルを殺さないほうが罪悪感の発生また増加となったはずです。何故なら、殺されたアサエルの血がアブネルに対する復讐を求めて叫んでいたことは明らかだからです(創世記4:10)。ダビデは、ヨアブがしていたことを全く知りませんでした(26節)。これはヨアブがこのことをダビデに知らせなかったからです。ヨアブがアブネルを殺そうとしていることについてダビデに知られたら、ダビデがアブネルの行ないを阻止しようとするのは明らかでした。阻止されたら復讐も出来なくなるのでヨアブはダビデに知らせず単独で行動したわけです。

 この通りヨアブが行なったのは、兄弟を殺されたことに対する復讐でした。『自分の兄弟アサエルの血に報いた』(27節)と書かれている通りです。この復讐は神の御前で正しかったのでしょうか、それとも間違っていたのでしょうか。神の律法では、血の復讐者が復讐のため殺人者を殺してもいいと定められています(民数記35:19~21)。つまり、神は私的な死刑を許しておられます。ですから、ヨアブが殺された兄弟のため復讐したのは、神の御前で問題なかったことになります。もし殺人者が死の復讐を受けなくても、やがて捕えられて法により社会的に死刑となります。捕えられず法的に殺されなかったとしても、神が必ず摂理によりその殺人者を死なされます。ですから、どのようにせよ殺人者は死なざるを得ません。それゆえ、ヨアブが私的に死刑を下さなくても、結局のところアブネルはやがて死んでいたのです。律法を考えるならば、ヨアブがここで咎められるべきことをしたとは言えません。しかし今の私たちについて言えば、社会の法が律法に基づかない限り、私的な死刑を復讐として下すべきではありません。私たちの場合、死ぬべき殺人者に自分で復讐したりせず、社会の法によりその者が死刑を受けるよう今は求めるべきです。何故なら、ペテロがこう言っているからです。『人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。』(Ⅰペテロ2:13)もし私的な復讐による殺人が法で許容されていない社会であれば、私たちはその社会の法が律法にしっかり基づくまで、私的な復讐による殺人を全く控えるべきです。民数記35章の律法に社会が服する時代となってから、初めて私たちはヨアブのように復讐しても問題なくなるわけです。その場合は、律法が社会の法となっているわけですから、自分で死刑を下しても犯罪行為とはなり得ません。

 このようにヨアブの復讐は合法的であるとも思えるのですが、続く箇所を見るとこの復讐は悪とされています。つまり、先に述べたことの何かが違っているのです。聖書が内容的に矛盾していたり間違っているということはありません。聖書に偽りはないからです。それでは次の箇所を見ることにしましょう。

【3:28~30】
『あとになって、ダビデはそのことを聞いて言った。「私にも私の王国にも、ネルの子アブネルの血については、主の前にとこしえまでも罪はない。それは、ヨアブの頭と彼の父の全家にふりかかるように。またヨアブの家に、漏出を病む者、らい病人、糸巻をつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないように。」ヨアブとその兄弟アビシャイがアブネルを殺したのは、アブネルが彼らの兄弟アサエルをギブオンの戦いで殺したからであった。』
 注意深く見ていかねばなりません。先に見た通り、律法は私的な報復による殺人を容認しています。何故なら、命には命が返されなければならないからです。例えば、ある人が自分の妻を殺されたとして、その人が妻の殺人者に復讐したとしても、問題にはなりません。この世の法律では問題とされても、神の御前では問題にされません。これは律法から間違いありません。ところが、ダビデはヨアブが行なった復讐殺人を断罪しています。ダビデは民数記における律法を忘れていたのでしょうか。ダビデほどの者が律法を忘れるとは考えにくいでしょう。では一体どうしてダビデはヨアブの律法に適っているよう思える復讐を悪として断罪したのでしょうか。これの答えはこうです。そもそもアブネルがヨアブの兄弟アサエルを殺したのは、罪に定められない合法的な殺人だったのです。何故なら、アブネルが殺した時は、まだ戦争の最中もしくは戦争の延長線上にあったからです。戦争時に敵を殺しても罪とならないのは誰でも知っていることです。ダビデも戦争で実に多くの敵たちを殺しました。しかし、その殺人は戦争行為だったので罪とされなかったわけです。このように、そもそもアブネルは戦争で合法的にアサエルを殺したので、復讐されるべき理由を持っていませんでした。それにもかかわらずヨアブは兄弟のため勝手な復讐をアサエルに下しました。だからこそ、ダビデはその復讐を悪として断罪したのです。もしアブネルが戦争時でない時にアサエルを不当に殺していたとすれば、アブネルは復讐されるべき当然の理由を持っていました。その場合であればヨアブたちがアブネルに復讐したとしても罪とはなりませんでした。そうであれば律法で許容されている復讐が行なわれたのですから、ダビデもヨアブの復讐を問題視したりはしなかったでしょう。このように私たちはそもそもアブネルのアサエル殺しが合法行為だったということを理解せねばなりません。戦争でさえ敵を殺してはならないなどと誰があえて言えるでしょうか。

 ダビデはここでヨアブの罪が自分にもイスラエル王国にも関係ないと宣言しています。何故なら、ヨアブはダビデの命令により復讐しておらず、自分勝手に復讐したのだからです。このため、ダビデはヨアブとその家系が呪われるよう宣言します。『それは、ヨアブの頭と彼の父の全家にふりかかるように。』という言葉は、つまりヨアブとその子孫たちが殺人罪の呪いを負うようにという意味です。29節目で挙げられている不幸な者たちは、呪いのために現われる者たちです。ヨアブは律法に違反して復讐の殺人をしたのですから、その子孫と共に呪いを受けるのは当然でした。