【Ⅱサムエル記3:31~5:7】(2023/01/08)


【3:31~32】
『ダビデはヨアブと彼とともにいたすべての民に言った。「あなたがたの着物を裂き、荒布をまとい、アブネルの前でいたみ悲しみなさい。」そしてダビデ王は、ひつぎのあとに従った。彼らはアブネルをヘブロンに葬った。王はアブネルの墓で声をあげて泣き、民もみな泣いた。』
 アブネルは不当に殺されたわけですから、当然ながら彼のため悲しむべき葬式が行なわれました。ダビデも民もその葬式に参加しました。この時に『ダビデ王は、ひつぎのあとに従った』のですが、礼節を重んじるダビデのことですから、この『ひつぎ』は恐らくかなり立派だったと推測されます。アブネルの遺体は、ダビデの住んでいた『ヘブロン』へと葬られました。この時にダビデは民が『着物を裂き、荒布をまと』うよう命じます。着物を裂くのは心が悲しみで引き裂かれたことを象徴し、荒布を着るのは心が痛んで荒れていることを象徴しています。これは実に象徴的な振る舞いです。王も民も全てアブネルのために泣き悲しみましたが、アブネルという重要人物が殺されたのですから、泣いたのは当然のことでした。しかもアブネルはダビデのため張り切って尽くそうとしていた矢先に殺されたのですから、アブネルのためには悲しむべき確かな根拠がありました。強力で重要な味方が不幸な死に方をするのは大きな悲しみを齎すものです。

【3:33~34】
『王はアブネルのために悲しみ歌って言った。「愚か者の死のように、アブネルは死ななければならなかったのか。あなたの手は縛られず、あなたの足は足かせにつながれもせずに。不正な者の前に倒れる者のように、あなたは倒れた。」民はみな、また彼のために泣いた。』
 ダビデは詩人、歌手、奏者だったので、アブネルのため悲しみの歌を歌いました。ダビデはかつてサウルとヨナタンのためにも哀歌を歌っていました(Ⅱサムエル1:19~27)。この歌は短いものの悲しみが強く感じさせられる内容となっています。この時にダビデが感じていた悲しみはどれほどだったでしょうか。ダビデはこの歌で、アブネルが『愚か者の死のように』死なねばならなかったと嘆いています。それはアブネルの『手は縛られず』、その『足は足かせにつながれもせずに』殺されたからです。つまり、アブネルは偉大な者として相応しい死に方をしなかったということです。確かにアブネルの死は、アブネルの偉大さに相応しい死ではなく、とても平凡であっけない死に方でした。またダビデはヨアブを『不正な者』と呼んでいます。何故なら、ヨアブは律法に違反して復讐の殺人を行なったからです。律法に基づいた行ないをするのが「不正でない」つまり「正しい」ことなのです。ダビデがこの哀歌を歌うと、それを聞いた民は、既に泣いていたのですが再び泣きました。つまり涙の更新が起こりました。悲しい時に悲しい歌を聞けばますます悲しくなるのは当然です。しかし、ダビデがこのように民の悲しみを増幅させたのは正しいことでした。この時はアブネルの死を十分に悲しむべきだったからです。このような理由から、古代では葬式によく悲しみを増幅させるため泣き女が呼ばれたものです。

【3:35~37】
『民はみな、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとしてやって来たが、ダビデは誓って言った。「もし私が、日の沈む前にパンでも、ほかの何物でも味わったなら、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」民はみな、それを認めて、それでよいと思った。王のしたことはすべて、民を満足させた。それで民はみな、すなわち、全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った。』
 ダビデはアブネルのことで非常に悲しんでいたので、食事を取りませんでしたが、王を気遣った民が、『ダビデに食事をとらせようとしてやって来』ました。ダビデはこれを拒絶します。何故なら、食物の喜びと死の悲しみは矛盾するからです。喜びと悲しみは正反対の感情です。喜べば悲しみが薄れ、悲しめば喜びは薄れます。この時に悲しみが薄れるのは望ましくありませんでした。何故なら、アブネルほどの重要人物が死んだのは大いに悲しむべきことだからです。それにこれほどの悲しい時に食物を取っても楽しくなどないはずです。それゆえ、ダビデは決して夕方まで食事を取らないと誓いつつ断言しました。ダビデにとって、アブネルの死による悲しみが食物で薄まるぐらいならば、神から幾重にも罰せられたほうが遥かにましだと思えました(35節)。ダビデのこういった態度を見て、民は満足しました。ダビデが正しいことをしていたからです。往々にして支配者が自己犠牲を払うのは人々の目に良く映るものです。また民はダビデの態度を見て、アブネルが死んだのはダビデの意志と全く無関係であることを知りました。何故なら、もしダビデの意志によりアブネルが死んだとすれば、ダビデがこれほどまでに悲しんでいるのは説明できないからです。勿論、ダビデが悲しんでいるよう見せかけたとすれば話は別ですけども、ダビデはそもそもアブネルを死なせようなどと塵ほども願っていませんでした。

 ところで、古代ユダヤ人はこのように死の悲しみを食物で消し去らないようにする傾向がありました。もし食物を口にすれば必然的に快楽・喜びが生じます。しかし、その時は言うまでもなく悲しむべき時です。ですから、ダビデのように誰かが死んだ際に断食するというのは、理に適っていました。これに比べ今の日本はどうでしょうか。葬式に参加すれば必ず何らかの飲食物が出され、皆でそれを一緒に食べます。上等な食事が出されることもあります。参列者には何らかの品が紙袋入りで渡されます。もし死者のことを真に悲しんでいるのであれば、葬式の時に何か食べる気持ちが出ないはずだとも思えます。しかし、日本人はしっかり食べるのですから、つまり死んだ人と自分たちとは世界がもう変わっていると割り切っているのかもしれません。もし古代ユダヤ人が現代日本の葬式に参列したとすれば、恐らく出された食事に手を出さず悲しんでいたと思われます。彼らは死をよく悲しむことで知られていたのですから。

【3:38】
『王は家来たちに言った。「きょう、イスラエルでひとりの偉大な将軍が倒れたのを知らないのか。』
 ダビデはここでアブネルを『偉大な将軍』だと言っています。アブネルは力量と成果においても名声においても偉大だったのでしょう。彼はサウルに将軍とされ、国家内で勢力を増し加え(Ⅱサムエル3:6)、イシュ・ボシェテさえ恐れさせ(Ⅱサムエル3:11)、ダビデにさえ認められた人物ですから、只者でなかったことは確かです。彼を他の誰かに例えれば誰でしょうか。恐らくカエサルとかロンメルがそうだと思われます。

 ダビデはここで家来たちにアブネルの死を強く意識させようとしています。家来たちがダビデに食事を取らせようとしたのは、彼らがアブネルの死をあまり考えていないようだったからです。ですから、ダビデはここで家来たちを叱責していることになります。ダビデはこう言いたいのです。「今はアブネルの死を大いに悲しむべき時であるが、それにもかかわらず食事を取らせようとするのは、つまりアブネルの死についてあまり考えていないということか。」

【3:39】
『この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」』
 ダビデは生まれの低い人でしたが、自分が『油そそがれた王である』という自覚をしっかり持っていました。これは正しいことでした。たとえ生まれが低くても、召されたのであればその召しに堅く立つべきだからです。サウルの場合、このようではありませんでした。サウルもダビデと同様、生まれの低い人でした。しかし、サウルは自分の生まれが低いということに精神的な縛りを受け、王としての召しに堅く立っていませんでした(Ⅰサムエル15:17~19)。これは正しくありませんでした。私たちはダビデのほうを見習わねばなりません。何故なら、生まれが低くても召しは召しであり忠実とならねばならないからです。サウルのように生まれの低さに捕われて召しを蔑ろにするならば、その召しさえ取り去られかねません。「私は別に支配者じゃないから関係のないことだ。」などと思うべきではありません。たとえ支配者でなくても先輩であれ上司であれ責任者であれ上に立っていれば、その立場に忠実となる必要があるからです。もし忠実とならなければ悲惨が生じかねません。

 ダビデは王になってからまだそれほど長い時間が経っていませんでした。ですから『今はまだ力が足りない』ので、『ツェルヤの子ら』は『手ごわすぎる』のでした。つまり、この時点でのダビデにツェルヤの子らを十分に取り扱う力はまだありませんでした。ダビデの力がかなりついていれば、彼らを力強く取り扱うことができたでしょう。しかし、この時のダビデにはまだ取り扱えないほど、ツェルヤの子らは強大でした。ちょうど年齢がまだ幼いのでスポーツの全国大会に出場して勝利できないのと似ています。

 この時点でダビデはまだツェルヤの子らを取り扱えませんでしたから、ダビデは『主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように。』と言って、ツェルヤの子らの処理を神の裁きに委ねます。既にダビデが強い力を持っていれば、王権により、ツェルヤの子らを正しく裁き取り扱えばよかったでしょう。しかし、まだ力が足りないのでダビデは神に全てを委ねたのです。ダビデが力不足により彼らを裁けなかったとしても、神が裁いて下さいます。何故なら、神は悪を嫌われ罰せられる御方だからです。

 ダビデのような支配者や指導者などは強大になれるまで、まだ「時」が訪れていない場合も多くあるでしょう。そのような場合は、神に処理を委ねるか時が来るまで待つしかありません。まだ時が来ていないのに自分で処理しようとすれば、悲惨が生じかねません。ダビデの場合で言えば、この時点でツェルヤの子らを真正面から取り扱おうとしていれば、怒った彼らの反発や策略によりダビデは悲惨となりかねませんでした。何故なら、彼らはまだダビデにとって『手ごわすぎる』のでしたから。

【4:1】
『サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルがヘブロンで死んだことを聞いて、気力を失った。イスラエル人もみな、うろたえた。』
 アブネルの死はイシュ・ボシェテおよびイスラエル人に大きな衝撃を与え、彼らの精神を弱らせました。それは重要な大人物であった将軍が死んだからです。彼らの悲しみは非常に大きかったはずです。

【4:2~3】
『サウルの子イシュ・ボシェテのもとに、ふたりの略奪隊の隊長がいた。ひとりの名はバアナ、もうひとりの名はレカブといって、ふたりともベニヤミン族のベエロテ人リモンの子であった。というのは、ベエロテもベニヤミンに属するとみなされていたからである。ベエロテ人はギタイムに逃げて、寄留者となった。今日もそうである。』
 イスラエルの国には『略奪隊』がありました。これは国家の正式な部隊であり、軍隊の一つなのですから、犯罪的な群れだったなどと勘違いしないようにしたいものです。現代の国家でも例えば爆撃隊がいたところで問題にはされません。そのように古代イスラエルに『略奪隊』がいても問題ではありません。この略奪隊にいた2人の隊長が、イシュ・ボシェテから離反しました。これはアブネルが死んだからなのでしょう。神がダビデを全イスラエルの王にするという宣言もありましたから、この隊長たちはイシュ・ボシェテに仕えるのを諦めたのです。そのままイシュ・ボシェテに仕え続けていても、最終的には意味が無くなるからです。つまり、早々に見切りを付けたというわけです。こうしてイスラエルには大将軍アブネルが失われ、略奪隊の隊長たちも離反することになりました。政権や体制が末期に迫ると、このように諸々の悲惨が続けて起こるものです。イシュ・ボシェテの支配はもう間もなく終わろうとしていました。古代ローマも共和制の末期には、多くの悲惨な出来事が起きたものです。この隊長たちは『ベニヤミン族』でしたから、サウルおよびその子イシュ・ボシェテと同族の者でした。

【4:4】
『さて、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な息子がひとりいた。その子は、サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされたとき五歳であった。うばがこの子を抱いて逃げるとき、あまり急いで逃げたので、この子を落とし、そのためにこの子は足なえになった。この子の名はメフィボシェテといった。』
 これまでの箇所では書かれていませんでしたが、ヨナタンは妻帯者であり、『足の不自由な息子がひとりいた』のでした。この息子は、もしヨナタンが王になっていれば、王子となっていた者です。彼はヨナタンが死ぬ5年前に生まれていました。この子は『メフィボシェテ』という名であり、乳母が落としたので、足が不自由になってしまいました。これはサウルの呪いによるのでしょう。サウルの呪いにより、その子ヨナタンは殺され、その孫メフィボシェテは足が使えなくされたのです。というのも、子孫はその始祖と契約的な関係を持つからです。サウルの孫であるメフィボシェテが、サウルと契約的に無関係だというのではありません。ですから、サウルの呪いがサウルと繋がりを持つこのメフィボシェテにも及ぼされたわけです。神は呪いを子孫の代にまで及ぼされる御方だからです(出エジプト記20:5)。メフィボシェテが足なえになった責任を乳母は負うべきでなかったはずです。何故なら、悪いのは全てサウルだからです。このサウルが呪いを引き起こしたのです。もしサウルが呪いとなる罪を犯していなければ、その子ヨナタンだけでなく、孫のメフィボシェテも悲惨にならないで済んだでしょう。

【4:5~8】
『ベエロテ人リモンの子のレカブとバアナが、日盛りに、イシュ・ボシェテの家にやって来たが、ちょうどその時、イシュ・ボシェテは昼寝をしていた。彼らは、小麦を取りに家の中まではいり込み、そこで、彼の下腹を突いて殺した。レカブとその兄弟バアナはのがれた。彼らが家にはいったとき、イシュ・ボシェテは寝室の寝床で寝ていたので、彼らは彼を突き殺して首をはね、その首を持って、一晩中、アラバへの道を歩いた。彼らはイシュ・ボシェテの首をヘブロンのダビデのところに持って来て、王に言った。「ご覧ください。これは、あなたのいのちをねらっていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。主は、きょう、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」』
 この隊長たち2人の心は、既にイシュ・ボシェテから離れており、ダビデに移っていました。イシュ・ボシェテの賞味期限、いや、消費期限は既に切れていました。消費期限の切れた食品を喜んで食べたいと思う人はあまりいないでしょう。そのようにこの2人もイシュ・ボシェテの期限がもう終わっていたことを察していたのです。彼らはイシュ・ボシェテを暗殺します。彼らは、他のイスラエル人と同様、神がダビデを全イスラエルの王にされると知っていました。それを自分たちの手で実現しようとしたわけです。この2人は『小麦を取りに』入るよう見せかけ、またはそのついでに、イシュ・ボシェテを密かに殺しました。どうやら兵士や家来たちはイシュ・ボシェテの近くにいなかったようです。イシュ・ボシェテはちょうど『昼寝をしていた』ので、2人は容易く暗殺することができました。後の箇所で分かる通り、この暗殺は罪であり本来であれば止めるべきでした。しかし、イシュ・ボシェテの死が御心だったので、神は彼らの極悪をあえて許容して用いられたのです。神が御心のため許容されたにしても、彼らの極悪はあくまでも極悪であり、すべきではありませんでした。2人は殺されたイシュ・ボシェテの首を切り取り、ダビデに見せるため、ダビデのいる場所まで歩いて持ち運びました。これは2人の心がダビデにあったからです。つまり、彼らは王であるダビデの好意を得ようとしました。敵の支配者における首ほど持って行けば大きな報奨を受けられる物はないからです。この持ち運んでいる様子を絵画で描いたとすれば、非常にグロテスクな絵画となったでしょう。何故なら、2人は勝利のため首を持ち運んでいるというより、自分たちの罪を持ち運んでいたからです。それは呪いの場景です。しかし、彼らが『主は、きょう、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。』と言ったのは恐らく正しいでしょう。ダビデもかつてサウルには神から必ず復讐が下されると言っていました(Ⅰサムエル26:10)。神は契約的な御方ですから、サウルに復讐が下されるなら、その子孫たちにも復讐が及ぼされるのです。

【4:9~12】
『すると、ダビデは、ベエロテ人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。かつて私に、『ご覧ください。サウルは死にました。』と告げて、自分自身では、良い知らせをもたらしたつもりでいた者を、私は捕えて、ツィケラグで殺した。それが、その良い知らせの報いであった。まして、この悪者どもが、ひとりの正しい人を、その家の中の、しかも寝床の上で殺したときはなおのこと、今、私は彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らないでおられようか。」ダビデが命じたので、若者たちは彼らを殺し、手、足を切り離した。そして、ヘブロンの池のほとりで木につるした。』
 ここでダビデが言っている通り、神はこれまでダビデの『いのちをあらゆる苦難から救い出してくださった』のでした。ダビデはこのことをよく知っていました。神は、ダビデを猛獣から、ゴリヤテから、サウルから、ペリシテ人やアマレク人といった敵の民族から、幾度となく守り救っておられました。これはダビデが神を信じ神に信頼していたからです。神はこのような信仰者を守り救い出して下さいます。ルターもそのようでした。ルターは神に対して敬虔な信仰者だったので、神によりローマ・カトリックという敵から守られ救い出されていました。一方、サウルは苦難から救い出されずとうとう死んでしまいました。これはサウルが神に対して不敬虔な人だったからです。

 ダビデはかつてサウルの殺人者を死刑に処していました(Ⅱサムエル1章)。彼が死刑に処せられたのは当然であり自業自得でした。何故なら、神は『いのちにはいのち』と言っておられるからです。サウルを殺した者は、サウルが苦しみから解放されるため、誤った善意からサウルに止めを刺しました。つまり、今で言えば病院で患者を安楽死させることです。これが善意から出た殺人だったとしても、その殺人者が死刑になるだけの十分な根拠となりました。であれば、『レカブとその兄弟バアナ』には尚のこと殺されるべき根拠がありました。何故なら、イシュ・ボシェテはサウルと異なり『正しい人』であり、この2人は『その家の中の、しかも寝床の上で殺した』からです。このためダビデは彼らを『悪者ども』と呼んでいます。こうしてダビデはレカブとバアナを死刑に処しました。ダビデは王であり、剣の権威を神から与えられていましたから(ローマ13章)、律法に基づいて死刑を命じることができました。ダビデは『若者たち』に死刑を行なわせます。いつの時代であれ、どこの国であれ、王は僕たちに刑を執行させるものです。またダビデはここで自分を『あらゆる苦難から救い出してくださった主』にかけて死刑に処すると言っています。これはつまり絶対に死刑を下すということです。

 レカブとバアナは『手、足を切り離』され、その死体は『ヘブロンの池のほとりで木につる』されました。手と足が切り離されたのは、彼らの手がイシュ・ボシェテを殺し、その足で死体を持ち運んだからです。このような者たちの手と足は切り離されるべきなのです。彼らが木につるされたのは、彼らが呪われた者たちだったからです。律法では『木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。』(申命記21章23節)と書かれています。確かにこの2人は呪われていました。呪われているからこそ呪われた殺人に手を染めたわけです。

【4:12】
『しかし、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンにあるアブネルの墓に持って行き、そこに葬った。』
 イシュ・ボシェテは呪われていなかったので、その死体すなわち首は木につるされませんでした。彼の死体はアブネルの墓でアブネルと共に葬られました。これはイシュ・ボシェテとアブネルが非常に近い関係を持っていたからなのでしょう。ダビデはアブネルの死体と同様、イシュ・ボシェテの死体も丁重に葬ったでしょう。ダビデは礼節を重んじる人でしたから。

【5:1~3】
『イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかも、主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる。』」イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデ王は、ヘブロンで主の前に、彼らと契約を結び、彼らはダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。』
 これまでダビデを正式な王として立てていたのはユダ族のみでした。ユダ族を除く『イスラエルの全部族』はまだダビデが正式な王であると認めていませんでした。しかし、ダビデが全イスラエルの王となる「時」になりました。このため『イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来て』、ダビデを正式な王に立てました。こうしてダビデはユダ族でないイスラエルの王ともなるため油注ぎの儀式を受けました。イスラエルの全部族がダビデを王にすることは根拠なきことでありませんでした。何故なら、神がダビデについて『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる。』と言っておられたからです。神の宣言は絶対的な根拠です。また2節目で言われている通り、サウルが王だった時でさえイスラエルを動かしていたのはダビデでした。つまり、ダビデの影響力が凄まじかったということです。その影響力は本当に大きかったので、サウルでさえダビデのことで振り回されてばかりいました。Ⅰサムエル記を見れば分かる通りです。ここでイスラエルの長老たちが自分たちをダビデの『骨肉』だと言っているのは、彼らがダビデと契約的な運命共同体だという意味です。古代の世界では、契約的な一体性を示すためこのような表現がよく用いられていたようです。ラバンもヤコブに『あなたはほんとうに私の骨肉です。』(創世記29章14節)と言いました。

【5:4~5】
『ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。ヘブロンで七年六か月、ユダを治め、エルサレムで三十三年間、全イスラエルとユダを治めた。』
 『ダビデは三十歳で王となり』ましたが、「30」(歳)というのはそれまでの期間が十分だったことを意味します。ヨセフがエジプトの支配者になったのも『三十歳』(創世記41章46節)の時でしたが、これも同様の意味です。ダビデが『四十年間、王であった』のは、「40」(年)ですから、その期間が十分だったことを意味します。モーセは40年間イスラエルを導きましたが、これも同様の意味でした。まずダビデは『ヘブロンで七年六か月』支配しました。この期間は既にⅡサムエル2:11の箇所でも示されていました。続いて『エルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた』のは、その期間が清かったことを示していると考えられます。何故なら、律法によれば「33」は清めを意味するからです(レビ記12:4)。キリストの地上における生涯も33年でした。つまり、その生涯が清らかだったということです。

【5:6~7】
『王とその部下がエルサレムに来て、その地の住民エブス人のところに行ったとき、彼らはダビデに言った。「あなたはここに来ることはできない。めしいや足なえでさえ、あなたを追い出せる。」彼らは、ダビデがここに来ることができない、と考えていたからであった。しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である。』
 これまでエルサレムは異邦人である『エブス人』に占領されたままであり、まだイスラエル人の手に渡っていませんでした。そこにある『シオンの要害』は堅固だったからです。このため、エルサレムにいたエブス人は『ダビデがここに来ることができない、と考えてい』ました。ですから、彼らはダビデに『めしいや足なえでさえ、あなたを追い出せる』と言って強がって見せました。しかし、ダビデはこの要害を攻め取ります。神がそこをダビデに与えられたのです。ダビデはこれ以降、ここで全イスラエルとユダを治めることになります。こうして、そこは『ダビデの町』と呼ばれるようになります。