【Ⅱサムエル記9:5~11:5】(2023/02/05)


【9:5~7】
『そこでダビデ王は人をやり、ロ・デバルのアミエルの子マキルの家から彼を連れて来させた。サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテは、ダビデのところに来て、ひれ伏して礼をした。ダビデは言った。「メフィボシェテか。」彼は答えた。「はい、このしもべです。」ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。』
 ダビデはメフィボシェテに恵みを施すため、彼をその住まいから連れて来させます。メフィボシェテは『足の不自由』(Ⅱサムエル9章3節)な人でしたから、ダビデのもとまで運ばれて連れて来られたはずです。メフィボシェテはダビデのもとに来ると、ダビデに礼をします。この時にメフィボシェテは恐らく多かれ少なかれ恐れていたと思われます。何故なら、サウルの治世がもう既に終わっていたからです。王が変わると、前に王族だった者たちが殺されるのはごく一般的なことです。ダビデが『恐れることはない。』と言っているのは、メフィボシェテが恐れていたことを示すのでしょう。このようにダビデはメフィボシェテが恐れないように語りかけます。ダビデは恩恵を施すためにこそ呼び出したのだからです。

【9:7】
『あなたの父祖サウルの地所を全部あなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。」』
 ダビデは2つの恵みをメフィボシェテに施そうとします。その恵みはダビデを通して神がメフィボシェテに与えられる恵みです。一つ目の恵みは、『父祖サウルの地所を全部あなたに返そう』ということです。サウルの地所は、サウルが死んでから、恐らくダビデの領地となっていたはずです。ダビデはその地所をメフィボシェテに返そうとします。サウル家で生存者はメフィボシェテだけでしたから、その地所は全てメフィボシェテに返されることとなります。もし他にも生存者がいたとすれば、その者とメフィボシェテとで分割により返されていたと思われます。二つ目の恵みは、メフィボシェテが『いつも私の食卓で食事をしてよい』ということでした。これは実に大きな恵みです。何故なら、王と共にいつも食事が出来るというのは大きな光栄だからです。しかも、王の食卓ですから、食事の内容が上等だったことは間違いありません。更に食事代が「無料」だったことも間違いありません。メフィボシェテは恩恵としてダビデと共に食事が出来るのだからです。この2つの恵みは、恵みとして十分な内容でした。

【9:8】
『彼は礼をして言った。「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか。」』
 ダビデからの恵みについて聞いたメフィボシェテは『礼』をします。つまり、ダビデから受ける恵みを拒絶しなかったのです。世の中には王から受ける恩恵を恐れ入って拒絶する人もいるのです。メフィボシェテはダビデの言った恵みに驚かされました。彼はどうしてそのような恵みが施されるのか全く理解できませんでした。というのも、メフィボシェテはダビデとヨナタンの契約を知らなかっただろうからです。またメフィボシェテは自分を『死んだ犬』に例えています。これはメフィボシェテの属するサウル家が王家として既に滅びたからであり、唯一の生存者であったメフィボシェテ自身も足が不自由なので『死んだ犬』のように身動きできなかったからです。なお、この箇所もそうですが、聖書の中で犬が良いことを表現するために用いられることはありません。

【9:9~10】
『そこで王はサウルの若い者であったツィバを呼び寄せて言った。「サウルと、その一家の所有になっていた物をみな、私はあなたの主人の子に与えた。あなたも、あなたの息子たちも、あなたのしもべたちも、彼のために地を耕して、作物を得たなら、それはあなたの主人の子のパン、また食物となる。あなたの主人の子メフィボシェテは、私の食卓で、いつも食事をすることになる。」ツィバには十五人の息子と二十人のしもべがあった。』
 メフィボシェテが受ける恩恵について語られると、ダビデはツィバを呼び出し、メフィボシェテに与えられる恩恵を伝えました。これはツィバも聞いておくべき事柄でした。何故なら、ツィバはこれからメフィボシェテと大いに関わるのだからです。このツィバには『十五人の息子と二十人のしもべ』がありました。ツィバが多産だったのは古代ですから普通のことです。僕が多くいたのも、王家に仕えていたのですから、不思議なことではありません。ツィバの子および僕の数に象徴的な意味は含まれていないはずです。ダビデは、このツィバ一家が得た食物をメフィボシェテの食物になると定めます。これはメフィボシェテの足が不自由なため働きにくかったからなのでしょう。これは地所および王の食卓に続く第三の恩恵でした。

【9:11~13】
『ツィバは王に言った。「王さま。あなたが、このしもべに申しつけられたとおりに、このしもべはいたします。」こうして、メフィボシェテは王の息子たちのひとりのように、王の食卓で食事をすることになった。メフィボシェテにはミカという名の小さな子どもがいた。ツィバの家に住む者はみな、メフィボシェテのしもべとなった。メフィボシェテはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足が共になえていた。』
 ツィバはダビデの命令を聞いて、拒絶したり反抗したりせず、そのまま受け入れました。これは自然なことだったと言えます。何故なら、もう既にサウル家は王族として途絶えていたからです。もう滅びた王族の一員メフィボシェテにこのような大きい恩恵が施されるのです。であれば、そのようにしてくれるダビデ王の命令に服するのは自然なことなのです。こうしてツィバ一家はメフィボシェテの僕となりました。これまでツィバはヨナタンを主人として仕えていました。これからは仕える主人がヨナタンの子に切り替わったわけです。

 こうしてメフィボシェテは、ダビデの言葉通り、本当に王の食卓で食事をすることとなります。ダビデは息子たちと共に食事をしていました。その中にダビデの息子ではないメフィボシェテがいるのです。これはあまりにも大きな恵みでした。このことから、ダビデがメフィボシェテを非常に尊重していたことは明らかです。メフィボシェテは『ロ・デバル』(Ⅱサムエル9章4節)から『エルサレム』に住まいを移しました。これは王の食卓で食事をするようになったからでしょう。遠くにいればダビデの王宮まで足を運びにくくなります。またメフィボシェテは『いつも』ダビデの食卓で食事をしました。もしヨナタンがいなければ、またはヨナタンがいてもダビデと契約を結んでいなければ、メフィボシェテはこのような恵みに与かれていなかったはずです。メフィボシェテは『両足が共になえていた』のですから、健常な身体の人ではありませんでした。それでもダビデはメフィボシェテを蔑ろにしませんでした。ここにはダビデの寛大さが現われています。

 12節目に書かれている通り、メフィボシェテに『小さな子どもがいた』というのは、つまりその子が養子でもない限り、メフィボシェテが結婚していたということです。この子どもは『小さな』子でしたが、実際に何歳だったのかは分かりません。この子もダビデと共に食事をしたのは恐らく間違いありません。何故なら、息子は親と契約的に一体だからです。神の契約をよく知っていたダビデが、メフィボシェテが来るのは許しておきながら、メフィボシェテの子を許さなかったというのは考えられません。

【10:1~2】
『この後、アモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。ダビデは、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように。」と考えた。』
 『アモン人』の国はイスラエルの東に位置しています。アモン人も、モアブ人と同じく、ロトの子孫である民族です。このアモン人の王が死んだので、『その子ハヌンが王とな』りました。死んだナハシュ王の死因が何だったかは分かりません。ダビデは、死んだナハシュの子ハヌンに真実を尽くそうと考えました。「真実を尽くす」とは、つまり心からの善意をもって良くするという意味です。かつてダビデはナハシュ王から真実を尽くされていました。ですから、それに報いようとしたわけです。ダビデがナハシュから受けた真実がどのようであったか、聖書には記録されていません。しかし記録されていないからといって無かった出来事だということにはなりません。ナハシュ王はダビデに良くしてくれました。しかし、この王とその国家は、イスラエル民族に対しては攻撃的でした。ヤベシュ・ギルアデのユダヤ人たちを酷く取り扱おうとしたのです(Ⅰサムエル11章)。ですから、ナハシュはイスラエル民族にとって敵である存在でした。ダビデはこの王がイスラエルの敵であるからといって、自分の受けた恩を蔑ろにするということはしませんでした。イスラエル民族においては敵であっても、ダビデ個人にとっては恩のある人物だからです。

 ダビデがこのように考えたのは、正しく良いことであり、神の御心に適いました。何故なら、神とは真実で正しい御方だからです。この神は礼儀に違反しない徳のある振る舞いを喜ばれます。ダビデは正しい人であって、正しい振る舞いをしようと心がけていました。ですから、ナハシュのゆえハヌンに真実を尽くそうとしたわけです。私たちも受けた真実に対して真実をもって返すべきです。私たちもダビデと同じ神の民であり、神の御前に正しく振る舞うことが求められているからです。

【10:2】
『そこで、ダビデは家来を派遣して、彼の父の悔やみを言わせた。』
 ダビデはナハシュの真実に報いるため、ハヌンにナハシュが死んだことの悔やみを伝えました。この悔やみの言葉は真実な内容でした。何故なら、ダビデはナハシュから真実な取り扱いを受けたからです。ダビデは自分自身で行くことをせず、『家来を派遣して』悔やみの言葉を伝えさせました。ダビデ自身が行かなかったとしても無礼ではありませんでした。何故なら、王とは忙しく大変なことが多いからです。

【10:2~4】
『ダビデの家来たちがアモン人の地に来たとき、アモン人のつかさたちは、彼らの主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとに悔やみの使者をよこしたからといって、彼が父君を敬っているとでもお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来をよこしたのではありませんか。」そこでハヌンはダビデの家来たちを捕え、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあたりまでにし、彼らを送り返した。』
 ダビデの家来たちがアモン人の国へ行くと、アモン人の首長たちが、ハヌン王にダビデのことで悪しき疑いを持たせようとします。この首長たちは、ダビデが攻略のため使者たちを遣わしたと思いました。また彼らはダビデがナハシュを敬っているなどと思いませんでした。その国を滅ぼすべく調査させる目的で遣わされる使者という存在は、昔から珍しくありません。しかし、ダビデは本当に純粋な気持ちから使者を遣わしたのでした。ですから、この首長たちはとんでもないことをしました。彼らはダビデのことで好意的になるべきだったのです。

 ハヌン王は、首長たちが自分に話す言葉を、愚かにも受け入れてしまいます。このためハヌン王はダビデの遣わした使者たちに侮辱を与え、ダビデのもとへ送り返しました。ハヌン王は狂暴な仕打ちをしたというのではありません。ハヌンがしたのは単なる侮辱であり、愚弄しているだけです。しかし、この行ないによりハヌン王はダビデの善意を全く蔑ろにしました。この王は、首長たちと同じく判断を誤りました。このように提言者たちの提言により惑わされて誤る王は昔から珍しくありません。それというのも、王は提言者たちの提言が真実であるかどうか、しばしばハッキリ判断できないからです。

【10:5】
『ダビデにこのことが知らされたので、彼は彼らを迎えに人をやった。この人たちが非常に恥じていたからである。王は言った。「あなたがたのひげが伸びるまで、エリコにとどまり、それから帰りなさい。」』
 ダビデの家来たちが帰って来ると、ダビデは使いを遣わし、エリコでしばらく待機しているよう命じます。家来たちが恥ずべき状態でダビデのもとまで来ることは配慮されるべきだったからです。衣であれば取り替えればすぐに問題はなくなります。しかし、髭は伸びるまでに時間がかかります。この家来たちは、半分になった髭が全部元通りとなるまで待たず、いっそのこと全て剃り落とすという選択も出来たはずです。しかし、この時代のイスラエル人男性は、男のシンボルである髭を備えておくのが一般的だったはずです。今でもイスラエルの男性で髭を生やしている人は少なくありません。ですから、ダビデは髭が元通りになるまで待機するよう指示したのです。この家来たちが殺されなかったのは不幸中の幸いでした。しかし、彼らは大変に大きい恥辱をアモン人から受けました。

【10:6~8】
『アモン人は、自分たちがダビデに憎まれるようになったのを見て取った。そこでアモン人は使いをやって、ベテ・レホブのアラムとツォバのアラムの歩兵二万、マアカの王の兵士一千、トブの兵士一万二千を雇った。ダビデはこれを聞き、ヨアブと勇士たちの全軍を送った。アモン人は出て、門の入口に戦いの備えをした。ツォバとレホブのアラムおよびトブとマアカの人たちは、別に野にいた。』
 アモン人は、自分たちがしたことでダビデに嫌われたことを察します。そこでアモン人はイスラエルと戦うべく準備をします。まず彼らは他国から兵士たちを多く雇いました。その兵士たちはアモン人たちと異なり『野』(8節)にいました。アモン人たちは『門の入口に戦いの備えをし』、街とその周囲にいました。

 ダビデはアモン人が戦おうとしているのを知ると、戦いのため『ヨアブと勇士たちの全軍を送』ります。ダビデが全軍を送ったのは、ダビデが本気を出していたということです。というのもアモン人たちはダビデを侮辱したうえ、多くの兵士たちを集めたからです。このような防衛戦争であれば聖書は何も禁じていません。防衛戦争が禁じられるべきでないということは、自然に分かることです。何故なら、もし敵が攻めて来るままにしておけば自分たちは滅びてしまいかねないからです。

【10:9~12】
『ヨアブは、彼の前とうしろに戦いの前面があるのを見て、イスラエルの精鋭全員からさらに兵を選び、アラムに立ち向かう陣ぞなえをし、民の残りの者は彼の兄弟アブシャイの手に託して、アモン人に立ち向かう陣ぞなえをした。ヨアブは言った。「もし、アラムが私より強ければ、おまえが私を救ってくれ。もし、アモン人がおまえより強かったら、私がおまえを救いに行こう。強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町町のために全力を尽くそう。主はみこころにかなうことをされる。」』
 イスラエル陣営は『前とうしろに戦いの前面がある』状態でした。つまり、挟み撃ちにされた状態でした。真正面にはアラムの兵士がおり、後ろにはアモン人の兵士がいました。ヨアブは『イスラエルの精鋭全員からさらに兵を選び』、前にいるアラムと戦おうとします。残りの兵士たちは兄弟アブシャイに任せ、アブシャイが後ろにいるアモン人と戦うよう指示を出します。つまり、戦いの担当をそれぞれ決めたわけです。戦争においては秩序や纏まりが大きな意味を持つからです。ヨアブはもし自分たちがアラムから負けそうならばアビシャイに助けるよう求めます。もしアビシャイがアモン人から敗けそうであればヨアブはアビシャイを助けに行きます。こういう取り決めが戦争では重要となります。アラムもアモン人がどちらも弱ければ全て問題はありません。しかし、敵がどちらも強ければ最悪の状態に陥ります。

 ヨアブはアビシャイに『強くあれ。』と言って励まします。これから行なう戦いは命懸けの戦いだったからです。またヨアブは『われわれの民のため、われわれの神の町町のために全力を尽くそう。』とも言っています。この戦いではイスラエル人とその町がかかっていました。もしイスラエルが負けたならば、イスラエル民族とその住まいが攻撃されたり奪われたりしかねません。ですから、もしヨアブたちが全力を尽くさなかったならば、それは愚かなことでした。『主はみこころにかなうことをされる。』という言葉は次のような意味です。「勝つのも負けるのも全ては神の御心にかかっているが、御心がどちらであろうとも、私たちとしては神の民とその町々のため力の限り戦おう。」

【10:13~14】
『ヨアブと彼の部下の兵士たちがアラムと戦おうとして近づいたとき、アラムは彼の前から逃げた。アモン人はアラムが逃げるのを見て、アビシャイの前から逃げて、町にはいり込んだ。そこでヨアブはアモン人を打つのをやめて、エルサレムに帰った。』
 ヨアブたちがいざ命懸けでアラムに立ち向かおうとしたところ、予想していなかったことが起き、『アラムは彼の前から逃げた』のでした。神の御心はヨアブたちにおける勝利でした。ですから、神はヨアブたちに大きな力と勢いを与えられました。このため、ヨアブたちは全力の勇気で戦おうとしたわけです。一方、神はアラム兵たちに臆病を与えられました。このため、奮い立って戦おうとするヨアブたちを前にして、アラム兵たちは逃げ去ったのです。主の御心はこのようになることでした。もし御心がヨアブたちの敗北だったとすれば、ヨアブたちとアラム兵の振る舞いは全く正反対になっていたでしょう。アラム兵がヨアブたちから逃げ去るのを見たアモン人も、自分たちの前にいたアビシャイとその陣営から逃げ去りました。つまり、アモン兵たちはアラム兵の臆病に伝染したのです。古代の書物を読み慣れている人であれば分かるはずですが、古代の戦争で臆病が仲間たちに伝染するということは珍しくありませんでした。ある1人の者が恐れたために全軍が恐れたというケースもあります。ですから、アモン人がアラムの逃走を見て逃げ去ったとしても不思議ではありませんでした。戦場では兵士たちの精神が最高に敏感なので、ちょっとしたことでも大いに揺り動かされるほどです。アモン人が逃げて『はいり込んだ』『町』とは、アモン人の町を指します。このような結果になったのを見たヨアブは、『アモン人を打つのをやめて、エルサレムに帰』りました。ヨアブはアモン人を追撃することも出来ましたが、そうしませんでした。これは恐らく戦いに一区切り付けたり、ダビデに戦いの結果を報告するためだったと思われます。

 ヨアブは、まさかこのような結果になると思わなかったはずです。ヨアブがⅡサムエル10:11~12の箇所で言った言葉は、明らかにこれから敵と戦うことを前提とした内容です。敵が逃げると予め分かっていたならば『全力を尽くそう。』などとは言わなかったはずです。しかし、この通り予想だにしなかった結果となりました。正にソロモンが『何が起こるかを知っている者はいない。』と言った通りです。こういった思いがけない結果となる戦いはこれまでの歴史で幾つもありました。

【10:15~16】
『アラムは、自分たちがイスラエルに打ち負かされたのを見て団結した。ハダデエゼルは使いを送り、川向こうのアラムを連れ出したので、彼らはへラムに来た。ハダデエゼルの将軍ショバクが彼らを率いていた。』
 アラムの者たちはイスラエルに打ち負かされたものの、だからといって臆病になったりせず、寧ろ再びイスラエルに立ち向かうべく『団結』しました。敵に負けたままでいるというのは屈辱的です。敵に屈服したり恐れるというのは耐え難いことです。特に憎んでいたり軽蔑したりしている敵に負けた場合はそうです。ですから、この世では打ち負かされても諦めようとしない敵が多いのです。アラムは、イスラエルを倒すため更に兵士たちを集めました。ツォバの王『ハダデエゼル』は、『川向こうのアラムを連れ出したので』、将軍ショバクが新しい兵士たちを引き連れてやって来ました。数を増し加えればイスラエルに勝利できると考えたわけです。数が大きな力となって勝利を齎すケースは珍しくないからです。

【10:17】
『このことがダビデに報告された。すると、彼は全イスラエルを集結し、ヨルダン川を渡って、へラムへ行った。アラムはダビデに立ち向かう陣ぞなえをして、彼と戦った。』
 アラムが再び戦おうとしているのを知ったダビデは、『全イスラエルを集結し』て戦いに行き、実際にアラムと戦いました。今度の戦いではダビデが最高指揮官として向かいました。前の戦いでダビデは出向かず、ヨアブに軍勢を委ねて送り出したのでした。ダビデも出向くというのは、この戦いの重要性をよく示しています。

【10:18~19】
『アラムがイスラエルの前から逃げたので、ダビデはアラムの戦車兵七百と騎兵四万をほふり、将軍ショバクを打って、その場で殺した。ハダデエゼルに仕えていた王たちはみな、自分たちがイスラエルに打ち負かされたのを見て、イスラエルと和を講じ、彼らのしもべとなった。アラムは恐れて、それからはもう、アモン人を救おうとはしなかった。』
 ダビデたちがアラムと戦ったところ、先の戦いと同じく、アラムは再び逃げ去りました。これは勝利の神がダビデと共におられたからです。全て勝敗はこの神にかかっています。ですから、神が共におられたダビデは勝ったのです。一方、アラムには神が全くおられませんでした。ですから、彼らは敗北するしかありませんでした。神により勝利したダビデは『戦車七百と騎兵四万をほふり』ましたが、これはかなりの数です。ダビデがこうしたのはアラムから反逆の力を奪い去るためだったはずです。この「700」および「40000」という数に象徴的な意味は含まれていないはずです。またダビデは『将軍ショバクを打って、その場で殺し』ました。これはこの将軍が多くの軍勢を率いてやって来たからです。

 『ハダデエゼル』は、多くの王たちを支配する大王でした。この大王に支配されていた多くの王たちは、ダビデが自分たちに勝利したのを見て、自ら進んでダビデに服しようとします。これは服したほうが安全であり利口だからです。もしこれからもダビデ率いるイスラエルに敵対したままでいれば滅ぼされかねないのです。こうしてダビデは大王となりました。教会でほとんど言及されることはありませんが、ダビデは実のところ「大王」でした。何故なら、ダビデは多くの王を自分に服させた王の王だったからです。これ以降、もうアラムはアモン人に協力しようとしなくなります。アモン人を助けようとしたからこそ、このような悲惨を味わうことになったからです。

【11:1】
『年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。』
 ダビデがアラムを打ち負かした年は過ぎ去りました。それからの年について、ここからの箇所では書かれています。『年が改まり』という部分に深い意味はありません。これは単に時間の流れを示しているだけです。

 『王たちが出陣するころ』というのは、イスラエルに『打ち負かされ』(Ⅱサムエル10:19)てダビデの僕とされた王たちが、ダビデの指令により出陣したことです。彼らはダビデに服したので、ダビデの命令通りにしなければいけませんでした。古代ローマも属国にした国の王たちを意のままに動かしたものです。ダビデの僕とされた王たちが全て出陣したのか、全ては出陣しなかったのか、この点については詳しく分かりません。彼らが出陣したのはアモン人を滅ぼすためでした。ダビデも『ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出し』ました。全軍を送ったのはダビデが本気だったということです。イスラエル軍が王たちと共に戦った結果、『彼らはアモン人を滅ぼし』ました。神がイスラエル陣営と共におられたからです。この時に彼らが『包囲した』『ラバ』とは、アモン人の国における首都であり、そこは国のかなり西側に位置しています。

 ダビデ自身は、この戦いに出陣せず、『エルサレムにとどまってい』ました。王には為すべき重要な国務がありますから、本当に重要な戦いでもない限り、ダビデは出陣しないようにしていたのかもしれません。しかし、ダビデが都に留まっていたとしても罪ではありませんでした。王が必ず戦争に出陣しなければならないという法はないからです。

【11:2】
『ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。』
 ダビデは『ある夕暮れ時』に『床から起き上がり』ました。ダビデがそれまで寝ていたのか、休んでいたのか、考え事をしていたのか、祈っていたのか、ということについてはよく分かりません。そして起き上がると『屋上を歩』きます。散歩のためか、運動のためか、移動のためか、何のために歩いていたかは分かりません。ダビデが屋上を歩いていると、そこから『ひとりの女』であるバテ・シェバが目に入りました。彼女は『からだを洗ってい』たのですが、ダビデとバテ・シェバの距離がどのぐらいだったのかは不明です。バテ・シェバは恐らくダビデに見られているのを気付かなかったと思われます。ダビデが彼女をどのぐらい眺めていたか私たちには分かりません。ダビデがこのようにタイミングよく彼女を見たのは、摂理がそうなるよう働きかけたからです。そのようになったのは、ダビデの罪性が顕わになるためでした。

 この箇所からも分かる通り、聖書は女性の美しさを肯定しています。それは神から与えられた御恵みだからです。神の賜物である美しさを、どうして聖書が否定するでしょうか。自然に考えても、「美しさ」を嫌悪すべき要素だと見做すのは明らかにどうかしています。美しさそのものは賜物なのですが、それに対する人の態度が問題となります。つまり、美しさは良くても、それに対する姦淫が駄目だというわけです。

【11:3~4】
『ダビデは人をやって、その女について調べたところ、「あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか。」との報告を受けた。ダビデは使いの者をやって、その女を召し入れた。女が彼のところに来たので、彼はその女と寝た。―その女は月のものの汚れをきよめていた。―それから女は自分の家へ帰った。』
 ダビデが使いを遣わして調べさせると、ダビデの見た女はバテ・シェバという『ヘテ人ウリヤの妻』だったことが分かります。神が、バテ・シェバとウリヤを夫婦として結び合わせたのです。ダビデはバテ・シェバの美しさに虜となっていました。バテ・シェバは稀に見る絶世の美女だったと思われます。そこで欲情に突き動かされたダビデは、『使いの者をやって、その女を召し入れ』ました。ダビデが王という国家の権力者だったからこそ、このように出来ました。バテ・シェバも相手が王ですから拒絶することはしませんでした。しかし、これは明らかに王権の濫用でした。他人の妻をその王権により奪い取る王また皇帝は、歴史において珍しい存在ではありません。カリグラ帝も、市民の妻を奪って楽しんだと歴史は記録しています。

 4節目で書かれている『月のもの』とは月経のことです。律法は、月経により女性が汚れると定めています。ですから月経の期間は男と交わることができません。もし交わるならば汚れが伝染するからです。しかし、バテ・シェバは『月のものの汚れをきよめてい』ました。ですから、交わることで月経の汚れが男にも共有されはしませんでした。『その女は月のものの汚れをきよめていた。』という部分は、恐らくダビデがバテ・シェバの状態を確認して知っていたということだと考えられます。ダビデがまさか月経に関する律法を知らなかったということはありえません。ダビデが月経に関する律法を知っていたのであれば、当然ながら姦通に関する律法も知っていたはずです。ダビデが姦通についての律法を知らなかったということは考えられません。つまり、ダビデは肉の思いが律法よりも優先されていたことになります。この時のダビデは間違いなく肉の思いにより動いていました。

 3節目で書かれている通り、ウリヤは『ヘテ人』でしたが、このヘテ人は神の滅びに定められていた異邦人です(創世記15:20)。確かにヘテ人という民族は滅ぼされるべきでしたが、ウリヤというヘテ人の個人はまた話が別でした。ウリヤがイスラエル共同体にいたというのは、彼が在留異国人だったことを意味しています。つまり、滅ぼされるべき異邦人の出身ではあってもイスラエル共同体の一員でした。ウリヤはこのような存在でしたから、ヘテ人だからといって害されるべきではありませんでした。このようなヘテ人であれば、しっかりイスラエル共同体の仲間として取り扱われなければなりません。ダビデは彼がヘテ人だからというので、彼とその妻に対して平気で悪を行なえたという可能性もあります。しかし、ウリヤがヘテ人だからといっても害するのは悪いことでした。実際、神はダビデがウリヤに関して行なったことを非難しておられます。

【11:5】
『女はみごもったので、ダビデに人をやって、告げて言った。「私はみごもりました。」』
 バテ・シェバは当然ながら身籠りましたので、そのことをダビデに知らせます。ここにおいてダビデは大きな問題に直面します。彼女の妻であるウリヤに罪悪がバレてしまうという問題です。このような問題は現代の日本でも多く起きています。不倫を通じて妊娠したことが夫に知られてしまうというのが、それです。