【民数記1:1~5:10】(2021/12/19)


 『民数記』は、前の巻であるレビ記と同様、主に祭儀律法が書き記されています。この巻で特に注目すべきこととして、イスラエル人たちがヨシュアとカレブを除いてカナン侵攻に尻込みした出来事が挙げられます。これはあまりにも致命的な罪、不信仰でした。このため彼らは侵攻していれば入れたはずのカナンに入れず、裁きとして40年も荒野を彷徨わねばならなくなったのです。このユダヤ人の罪と不信仰が、私たちの前に大いなる教訓として示されています。この巻も出エジプト記やレビ記と同じで、そこに書かれている神の命令の部分はモーセが直接書き記したでしょうが、巻そのものを一つの文書として成り立たせたのは王朝以降のユダヤ人でしょう。これについては既に述べていますので、これ以上何かを言うことはしません。

【1:1】
『人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。』
 記述は出エジプトから2年と2か月が経過したところから始まります。これは前の巻であるレビ記の続きです。

【1:2~16】
『「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。あなたとアロンはイスラエルにおいて、二十歳以上の者で、すべて軍務につくことのできる者たちを、その軍団ごとに数えなければならない。また部族ごとにひとりずつ、父祖の家のかしらである者が、あなたがたとともにいなければならない。あなたがたの助手となるはずの者の名は次のとおりである。ルベンからはシェデウルの子エリツル。シメオンからはツリシャダイの子シェルミエル。ユダからはアミナダブの子ナフション。イッサカルからはツアルの子ネタヌエル。ゼブルンからはヘロンの子エリアブ。ヨセフの子のうちからは、エフライムからアミフデの子エリシャマ、マナセからペダツルの子ガムリエル。ベニヤミンからはギデオニの子アビダン。ダンからはアミシャダイの子アヒエゼル。アシェルからはオクランの子パグイエル。ガドからはデウエルの子エルヤサフ。ナフタリからはエナンの子アヒラ。」これらの者が会衆から召し出された者で、その父祖の部族の長たちである。彼らがイスラエルの分団のかしらたちである。』
 神は、モーセにイスラエル人の人口調査をせよと命じられます。人口調査については既に出エジプト記30:11~16の箇所で定められていました。どうして人口調査をすべきか聖書は何も示していません。恐らく、管理しやすくするため、戦争の際に円滑に事を遂行するため、ユダヤ人が自分たちの民族についてよく知るため、後の聖徒が先祖たちの詳細について知れるため、などといった理由があったのだと思われます。調査されるのは『二十歳以上の者』です。ユダヤにおいて成人年齢は12歳でしたから、20歳以上の者だけが成人であるというわけではありません。調査で数えられるのは『男子』だけでした。女子は男子に従属する助け手としての存在ですから数えられませんでした。また、レビ人だけは調査の対象外とされました(民数記1:47)。これについてはまた後ほど見ることになります。調査をするのはモーセとアロンです。この2人に部族ごとに召し出された部族長が助手とされます。その数は全部で13人です。7節目で書かれているユダ族の長『ナフション』は、キリストの肉的な先祖です(マタイ1:4)。

【1:17~19】
『さて、モーセとアロンは、これら指名された者を伴い、第二月の一日に全会衆を召集した。そこで氏族ごとに、父祖の家ごとに、二十歳以上の者をひとりひとり数えて、その家系を登記した。主がモーセに命じられたように、モーセはシナイの荒野で彼らを数えた。』
 神から人口調査の命令を受けたモーセとアロンは、13人の部族長たちを助手とし、早速、荒野でイスラエル人たちを数えました。登録された者は全部で『六十万』(民数記1章46節)いましたが、調査にどれだけの時間がかかったかは分かりません。

【1:20~21】
『イスラエルの長子ルベンの子孫は、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、ひとりひとり名を数えられた二十歳以上で軍務につくことのできるすべての男子であった。ルベン部族で登録された者は、四万六千五百人であった。』
 まずは長子ルベンの部族から調査結果が書かれています。これはルベンが長子だからであり、ルベン族が最初に調査をしたとか、または最初に調査をし終えたというわけではなかったはずです。もしかしたら、そういうことだった可能性も全くないとは言えません。しかし、ルベンが最初に書かれているのは、この部族が長子の子孫たちだったからだとすべきでしょう。つまり、もしルベンが長子でなければ、長子である他の部族が第一番目に書かれていたはずです。ルベン部族は『四万六千五百人』ですが、これは全部族中で7番目です。先にも述べましたが、この数はあくまでも『二十歳以上の者で、すべて軍務につくことのできる者たち』(民数記1章3節)である男子のみだという点に注意せねばなりません。女、子ども、軍務に就けない男子も含めれば、2倍また3倍以上の数がルベン部族にいたことは間違いありません。これは当然ながら他の部族にも言えることです。

【1:22~23】
『シメオンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、ひとりひとり名を数えられ登録された二十歳以上で軍務につくことのできるすべての男子であった。シメオン部族で登録された者は、五万九千三百人であった。』
 シメオン部族は『五万九千三百人』であり、イスラエルの部族中3番目の数です。シメオン人は比率的にかなり多くいたのです。

【1:24~25】
『ガドの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ガド部族で登録された者は、四万五千六百五十人であった。』
 ガド部族は『四万五千六百五十人』であり、これは8番目です。

【1:26~27】
『ユダの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ユダ部族で登録された者は、七万四千六百人であった。』
 ユダヤにおいて最も重要であるユダ部族は『七万四千六百人』いましたが、これは全ての部族のうち最も多い数です。この部族は、将来にメシアが出ると定められていた部族です。だからこそ、ユダ族は他の部族に比べて人口が多かったのでしょう。というのも、自分たちの部族からメシアが出られると知っていれば、自然と子を生むように導かれるからです。もし子を生まなければメシアも現われないのですから。

【1:28~29】
『イッサカルの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。イッサカル部族で登録された者は、五万四千四百人であった。』
 イッサカル部族は『五万四千四百人』おり、これは5番目の多さです。

【1:30~31】
『ゼブルンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ゼブルン部族で登録された者は、五万七千四百人であった。』
 ゼブルン部族の『五万七千四百人』はイスラエルの部族で4番目です。

【1:32~35】
『ヨセフの子孫については、エフライムの子孫で、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。エフライム部族で登録された者は、四万五百人であった。マナセの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。マナセ部族で登録された者は、三万二千二百人であった。』
 ヨセフの子孫は、エフライム部族が『四万五百人』でイスラエル中のうち5番目、マナセ部族は『三万二千二百人』で諸部族のうち最も少ない数です。

【1:36~37】
『ベニヤミンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ベニヤミン部族で登録された者は、三万五千四百人であった。』
 ベニヤミン部族の『三万五千四百人』はマナセの次に低い順です。ベニヤミン部族は、イスラエルにあってあまり多産ではなかったのでしょう。

【1:38~39】
『ダンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ダン部族で登録された者は、六万二千七百人であった。』
 ダンの部族はユダ部族に次いで多く、その数は『六万二千七百人』でした。ダン部族は多産の傾向が強かったのでしょう。

【1:40~41】
『アシェルの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。アシェル部族で登録された者は、四万一千五百人であった。』
 『四万一千五百人』いたアシェル部族は、イスラエルで9番目の多さでした。

【1:42~43】
『ナフタリの子孫は、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ナフタリ部族で登録された者は、五万三千四百人であった。』
 『五万三千四百人』いたナフタリ部族は、イスラエルで6番目の多さです。

【1:44~46】
『以上がモーセとアロン、またイスラエルの族長たちが登録した登録名簿である。この族長たち十二人は、それぞれ、自分の父祖の家のための者であった。それで、父祖の家ごとに登録された二十歳以上のイスラエル人で、イスラエルで軍務につくことのできるすべての者、すなわち、登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。』
 このようにモーセとアロンは助手である族長たちと共に、イスラエルの人口調査を終えました。登録された数は『六十万三千五百五十人』です。この数字は、出エジプト記12:37、38:26の箇所でも示されていました。この数字の内訳を、部族ごとの順位で示すと次の通りになります。

1  ユダ    7万4600人(民数記1:27)
2  ダン    6万2700人(民数記1:39)
3  シメオン  5万9300人(民数記1:23)
4  ゼブルン  5万7400人(民数記1:31)
5  イッサカル 5万4400人(民数記1:29)
6  ナフタリ  5万3400人(民数記1:43)
7  ルベン   4万6500人(民数記1:21)
8  ガド    4万5650人(民数記1:25)
9  アシェル  4万1500人(民数記1:41)
10 エフライム 4万 500人(民数記1:33)
11 ベニヤミン 3万5400人(民数記1:37)
12 マナセ   3万2200人(民数記1:35)

この数字を見ると、一桁が全て「0」であり、二桁はガド以外は全て「0」であることに気付きます。これは一桁を全て四捨五入し、二桁を5か0にするという指示が出ていたからなのかもしれません。聖書において数字を整えるのは珍しいことではありません。もっとも、これはあくまでも推測に過ぎません。もしかしたら、本当にこの数字の通りだった可能性も十分にあります。

【1:47~49】
『しかしレビ人は、彼らの中で、父祖の部族ごとには、登録されなかった。主はモーセに告げて仰せられた。「レビ部族だけは、他のイスラエル人といっしょに登録してはならない。また、その人口調査もしてはならない。』
 既に触れましたが、レビ部族だけは人口調査の対象外でした。どうしてレビ部族は例外だったのでしょうか。それは、この部族には相続地の割り当てがなく、彼らは神に直接登録されていたからです。もしレビ部族に相続地が割り当てられていたとすれば、彼らも他の部族と同様に調査の対象とされていたでしょう。しかし、レビ部族だけ例外とされたのは差別ではありません。これは天皇や皇族の方が選挙権を持てなくても差別とされないのと同じで、差別ではありません。

【1:50~53】
『あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびそのすべての付属品を管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これを管理し、幕屋の回りに宿営しなければならない。幕屋が進むときはレビ人がそれを取りはずし、幕屋が張られるときはレビ人がこれを組み立てなければならない。これに近づくほかの者は殺されなければならない。イスラエル人は、軍団ごとに、おのおの自分の宿営、自分の旗のもとに天幕を張るが、レビ人は、あかしの幕屋の回りに宿営しなければならない。怒りがイスラエル人の会衆の上に臨むことがあってはならない。レビ人はあかしの幕屋の任務を果たさなければならない。」』
 レビ人は、幕屋とその用具を管理し、保持し、取り扱う職務がありました。幕屋が移動する際には取り外したり張られたりしますが、それを行なうのはレビ人であり、その時に他の部族の者が近づくならば殺されることになりました。何故なら、幕屋を取り扱う任務はレビ人にだけ与えられているからです。また、レビ人以外の部族は幕屋から離れた場所で宿営しましたが、レビ人だけは幕屋の回りに宿営せねばなりません。レビ人たちが幕屋から離れて宿営するのは許されませんでしたし、レビ人以外の部族がレビ人のように幕屋の回りに宿営したならば裁かれたはずです。

【1:54】
『イスラエルの人々は、このようにし、すべて主がモーセに命じられたとおりに行なった。』
 ユダヤ人たちは、これらの件については、全て忠実に守り行ないました。偶像崇拝に関する件でも、このように忠実であったならばどんなに良かったことでしょうか!!!

【2:1~2】
『主はモーセとアロンに告げて仰せられた。「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。』
 イスラエルの諸部族は、その部族の始祖を示す旗印のもとに、天幕から離れて宿営せねばなりませんでした。天幕から離れるべきなのは、ユダヤ人が『うなじのこわい民』であって罪深いからです。ただし、レビ人だけは罪深くあっても、神に仕える部族として天幕の近くに宿営せねばなりませんでした。また個々の部族は自分たちの旗を持っていました。例えば、ユダ部族であればイスラエルの子ユダを示す旗を、イッサカル部族であればイスラエルの子イッサカルを示す旗を持っています。この旗の形状や素材については何も示されていません。

【2:3~9】
『前方、すなわち東側に宿営する者は、軍団ごとにユダの宿営の旗の者でなければならない。ユダ族の族長はアミナダブの子ナフションである。彼の軍団は、登録された者が、七万四千六百人である。その隣に宿営する者は、イッサカル部族であり、イッサカル族の族長はツアルの子ネタヌエルである。彼の軍団は、登録された者が、五万四千四百人である。ついでゼブルン部族がおり、ゼブルン族の族長はヘロンの子エリアブである。彼の軍団は、登録された者が、五万七千四百人である。ユダの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十八万六千四百人。彼らが先頭に進まなければならない。』
 聖所の入口は東に向いていましたから、東が聖所の『前方』です。その『前方』に宿営するのはユダ族であり、それにイッサカル族、ゼブルン族と続きます。ユダ族が最も重要な位置に宿営するのは、間違いなくユダ族からキリストが出られるからです。古代ユダヤにおいて、キリストがユダ部族から出るということを知らない者はいませんでした。ですから、ユダ族が聖所の真正面に宿営することになったとしても、その優位性に妬みを抱くユダヤ人は恐らくいなかったでしょう。ちょうど天皇が特別な席に座っていても妬みを抱く人がいないのと同じです。

【2:10~16】
『南側にはルベンの宿営の旗の者が、軍団ごとにおり、ルベン族の族長はシェデウルの子エリツルである。彼の軍団は、登録された者が、四万六千五百である。その隣に宿営する者はシメオン部族であり、シメオン族の族長はツリシャダイの子シェルミエルである。彼の軍団は、登録された者が、五万九千三百人である。ついでガド部族がおり、ガド族の族長はデウエルの子エルヤサフである。彼の軍団は、登録された者が、四万五千六百五十人である。ルベンの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十五万一千四百五十人。彼らは二番目に進まなければならない。』
 第一番目の群れに続く第二番目の群れは『南側』に宿営するのであり、その順番はルベン、シメオン、ガドです。イスラエルの配列においては、このように南が第二番目です。西また北が二番目なのではありません。

【2:17】
『次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営は、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。彼らが宿営する場合と同じように、おのおの自分の場所について彼らの旗に従って進まなければならない。』
 レビ人は天幕の回りに宿営せねばなりませんでしたが、天幕と共に移動する際も、天幕の近くにいなければなりませんでした。移動する際は天幕から離れてもよい、というわけではありませんでした。何故なら、彼らは天幕に関わる任務を遂行せねばならないからです。また、このレビ族にも他の部族と同じように旗がありました。

【2:18~24】
『西側にはエフライムの宿営の旗の者が、その軍団ごとにおり、エフライム族の族長はアミフデの子エリシャマである。彼の軍団は、登録された者が、四万五百人である。その隣にマナセ部族がおり、マナセ族の族長はペダツルの子ガムリエルである。彼の軍団は、登録された者が、三万二千二百人である。ついでベニヤミン部族がおり、ベニヤミン族の族長はギデオニの子アビダンである。彼の軍団は、登録された者が、三万五千四百人である。エフライムの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十万八千百人。彼らは三番目に進まなければならない。』
 第三番目の群れとして宿営するのは天幕の『西側』であり、エフライム、マナセ、ベニヤミンという順です。天幕は東に入口を向けていましたから、『西側』とはすなわち天幕の裏側です。

【2:25~31】
『北側にはダンの宿営の旗の者が、その軍団ごとにおり、ダン族の族長はアミシャダイの子アヒエゼルである。彼の軍団は、登録された者が、六万二千七百人である。その隣に宿営する者はアシェル部族であり、アシェル族の族長はオクランの子パグイエルである。彼の軍団は、登録された者が、四万一千五百人である。ついでナフタリ部族がおり、ナフタリ族の族長はエナンの子アヒラである。彼の軍団は、登録された者が、五万三千四百人である。ダンの宿営に属する、登録された者の総数は、十五万七千六百人。彼らはその旗に従って最後に進まなければならない。」』
 4番目、すなわち最後に進む群れは『北側』に宿営するのであって、ダン、アシェル、ナフタリと続きます。これは聖所の右側の場所です。

【2:32~34】
『以上がイスラエル人で、その父祖の家ごとに登録された者たちであり、全宿営の軍団ごとに登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。しかしレビ人は、主がモーセに命じられたように、他のイスラエル人の中で登録されなかった。イスラエル人は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行ない、それぞれの旗ごとに宿営し、おのおのその氏族ごとに、父祖の家ごとに進んだ。』
 この箇所では、人口調査に関する記述が締めくくられています。この通り、イスラエル人はレビ人を除いて各部族ごとに登録名簿を作りました。これについてユダヤ人たちは間違いなく行ないました。

【3:1~4】
『主がシナイ山でモーセと語られたときのアロンとモーセの系図は、次のとおりであった。アロンの子らの名は長子ナダブと、アビフと、エルアザルと、イタマルであった。これらはアロンの子らの名であって、彼らは油そそがれて祭司の職に任じられた祭司であった。しかしナダブとアビフは、シナイの荒野で主の前に異なった火をささげたとき、主の前で死んだ。彼らには子どもがなかった。そこでエルアザルとイタマルは父アロンの生存中から祭司として仕えた。』
 アロンの子は4人いましたが、既にレビ記で見たようにナダブとアビフは主の御前に異なった火を捧げたので、裁かれて死にました。ですから、エルアザルとイタマルの2人が『父アロンの生存中から祭司として仕え』ていました。ナダブとアビフに『子どもがなかった』と言われているのは、神がこの2人を増やされなかったということです。私たちにしても、嫌いな人が増えてほしいとは思わないでしょう。神もこの2人を嫌われたので、増えるのを望まれませんでした。もっとも、これは一般原則というわけではありません。バプテスマのヨハネやアンブロシウスやカルヴァンのように神から愛されていても増やされない人は沢山いるからです。これとは逆に、神から憎まれているものの大いに増やされたチンギス・ハーンのような者もいます。ただナダブとアビフのように神から嫌われていて増やされるのを望まれていない人は、どうしても増えません。

【3:5~10】
『主はモーセに告げて仰せられた。「レビ部族を近寄らせ、彼らを祭司アロンにつき添わせ、彼に仕えさせよ。彼らは会見の天幕の前で、アロンの任務と全会衆の任務を果たして、幕屋の奉仕をしなければならない。彼らは会見の天幕のすべての用具を守り、またイスラエル人の務めを守って、幕屋の奉仕をしなければならない。あなたは、レビ人をアロンとその子らにあてがいなさい。彼らはイスラエル人の中から、正式にアロンにあてがわれた者たちである。あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。ほかの人で近づく者は殺される。」』
 レビ人たちは、言わば助手としてアロンとその後継者である大祭司にあてがわれていました。彼らは大祭司の手足となって天幕のために奉仕するのです。彼らは天幕を張ったり解体したりせねばなりません。彼らだけがこの任務を担当します。他の部族がその任務に加わろうとすれば裁かれて殺されました。何故なら、これはレビ人だけが行なうべき特別な任務だからです。

【3:11~13】
『主はモーセに告げて仰せられた。「わたしはイスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものである。初子はすべてわたしのものだからである。エジプトの国でわたしがすべての初子を打ち殺した日に、わたしは、人間から初めて家畜に至るまでイスラエルのうちのすべての初子をわたしのものとして聖別した。彼らはわたしのものである。わたしは主である。」』
 神は律法の中で、イスラエルにおける初子は人間も家畜も御自身に捧げるよう定めておられます。何故なら、『初子はすべてわたしのものだから』です。神は、イスラエル民族において、レビ部族を初子として取られました。普通に考えれば、イスラエル民族で初子と呼べるのは長子ルベンです。しかし、神はルベンではなくレビを初子であるかのように引き取られました。これは、レビ部族が神のものとして御前で聖なる奉仕を行なうからなのです。もしルベン族が祭司の部族だとすれば、神はルベンを取られていたでしょう。

【3:14~20】
『主はシナイの荒野でモーセに告げて仰せられた。「レビ族をその父祖の家ごとに、その氏族ごとに登録せよ。あなたは一か月以上のすべての男子を登録しなければならない。」そこでモーセは主の命により、命じられたとおりに彼らを登録した。レビ族の名は次のとおりである。ゲルションと、ケハテと、メラリ。ゲルション族の氏族名は次のとおりである。リブニとシムイ。ケハテ族の諸氏族はそれぞれ、アムラムとイツハル、ヘブロンとウジエル。メラリ族の諸氏族は、それぞれ、マフリとムシ。これらがその父祖の家によるレビ人の諸氏族である。』
 ここで神はそれまで登録されていなかったレビ人も登録せよと命じておられます。先にレビ人が登録されていけないと言われたのは(民数記1:49)、他の部族と一緒にして登録してはいけないからでした。つまり、彼らは単独で登録されるべきでした。このレビ部族は、3つの族があり、それはゲルションとケハテとメラリです。この3つの族にはそれぞれ複数の氏族があり、ゲルションンはリブニとシムイ、ケハテはアムラムとイツハルとヘブロンとウジエル、メラリはマフリとムシに区分されています。つまり、レビ部族という一つの部族に3つの区分があり、その3つの区分に更なる8つの区分があります。レビ部族の場合は『1か月以上のすべての男子を登録しなければならない。』という点で、20歳以上の者が登録されるべきだった他の部族と異なっています。

【3:21~26】
『リブニ族とシムイ族はゲルションに属し、これらがゲルション人の諸氏族であった。数を数えて登録された者は、一か月以上のこれらすべての男子で、登録された者は、七千五百人であった。ゲルション人諸氏族は、幕屋のうしろ、すなわち西側に宿営しなければならなかった。ゲルション人の、一族の長は、ラエルの子エルヤサフであった。会見の天幕でのゲルション族の任務は、幕屋すなわち天幕と、そのおおい、会見の天幕の入口の垂れ幕、庭の掛け幕、それに幕屋と祭壇の回りを取り巻く庭の入口の垂れ幕、そのすべてに用いるひもについてである。』
 まず最初はゲルション族が記されます。この部族は天幕の『西側』すなわち後ろのほうに宿営しなければなりません。既に見たように、天幕の回りにおいて西側は第三番目の場所です。ですから、ゲルション族に任されている職務は、第二番目の場所に宿営するケハテ族に任されている職務よりは重要度が低く、第四番目の場所に宿営するメラリ族に任されている職務よりは高い重要度でした。

【3:27~31】
『アムラム族、イツハル族、ヘブロン族、ウジエル族はケハテに属し、これらがケハテ人の諸氏族であった。これらの一か月以上のすべての男子を数えると、八千六百人であった。彼らが聖所の任務を果たす者である。ケハテ諸氏族は、幕屋の南側に沿って宿営しなければならなかった。ケハテ人諸氏族の、一族の長は、ウジエルの子エリツァファンであった。彼らの任務は、契約の箱、机、燭台、祭壇、およびこれらに用いる聖なる用具と垂れ幕と、それに関するすべての奉仕である。』
 モーセもその部族であったケハテ族は二番目に記述されているものの、レビ族のうちでは一番重要な『南側』に宿営していました。彼らには、ゲルション族とメラリ族よりも重要な任務が委ねられています。それは『聖所の任務』です。すなわち、彼らは『契約の箱、机、燭台、祭壇、およびこれらに用いる聖なる用具と垂れ幕と、それに関するすべての奉仕』に携わります。

【3:32】
『レビ人の長の長は祭司アロンの子エルアザルであって、聖所の任務を果たす者たちの監督であった。』
 ゲルション族とケハテ族とメラリ族の族長たちを統御するのはアロンの子エルアザルでした。「アロンではなくエルアザルが3人の族長たちを監督していたのか。」と問われるかもしれません。エルアザルが3人の族長たちを統御していたからといって、アロンがエルアザルよりも優位になかったということではありません。アロンは、3人の族長たちを統御しているエルアザルを統御していたからです。ですから、アロンも間接的には3人の族長たちの統御者であったと言えます。

【3:33~37】
『マフリ族とムシ族はメラリに属し、これらがメラリの諸氏族であった。数を数えて登録された者は、一か月以上のすべての男子で、六千二百人であった。メラリ諸氏族の父の家の長は、アビハイルの子ツリエルであった。彼らは幕屋の北側に沿って宿営しなければならなかった。メラリ族に任じられた務めは、幕屋の板、その横木、その柱と台座、そのすべての用具およびそれに用いるすべてのもの、庭の回りの柱とその台座、その釘とそのひもについてである。』
 位置的に四番目である『北側』に宿営するのはメラリ族でした。彼らに任された務めは、他の2部族に比べると、その重要性において劣っています。しかし、劣っているのはあくまでも比較の上であって、メラリ族の職務も重要であることに変わりはありませんでした。何故なら、メラリ族も他の2部族と同様、聖なる幕屋に関わる職務を遂行するのですから。

【3:38】
『幕屋の正面、すなわち会見の天幕の前方に当たる東側に宿営する者は、モーセとアロンまたその子らで、イスラエル人の任務に代わって、聖所の任務を果たす者たちであった。他の人でこれに近づく者は殺される。』
 最も重要な場所である『天幕の前方に当たる東側』には、『モーセとアロンまたその子ら』が宿営します。これはモーセとアロンが神の使いだったからです。『他の人でこれに近づく者は殺される。』と言われているのは、レビ人以外が天幕の任務に関わったならば殺されるという意味です。これについては民数記1:51の箇所でも書かれていました。

【3:39】
『モーセとアロンが主の命により、氏族ごとに登録した、すべての登録されたレビ人は、一か月以上のすべての男子で、二万二千人であった。』
 レビ人で登録された者は『一か月以上のすべての男子』であったにもかかわらず、『二十歳以上の者』(民数記1章18節)が登録された他の部族で最も少なかったマナセ部族よりも少ない数でした(民数記1:35)。これはどれだけレビ部族の数が少なかったかということを示しています。もしレビ部族も『二十歳以上の者』が数えられていたとすれば、レビ人の登録数は更に少なくなっていたのであり、1万人ぐらいだった可能性もあります。しかし、神はこのように少ない部族であるレビ人たちを、御自分のものとして取られました。

【3:40~51】
『主はモーセに仰せられた。「イスラエル人のすべての一か月以上の男子の初子を登録し、その名を数えよ。あなたは、わたしのために、わたし自身、主のために、イスラエル人のうちのすべての初子の代わりにレビ人を取り、またイスラエル人の家畜のうちのすべての初子の代わりに、レビ人の家畜を取りなさい。」モーセは主が彼に命じられたとおりに、イスラエル人のうちのすべての初子を登録した。その登録による、名を数えられたすべての一か月以上の男子の初子は、二万二千二百七十三人であった。主はモーセに告げて仰せられた。「レビ人をイスラエル人のうちのすべての初子の代わりに、またレビ人の家畜を彼らの家畜の代わりに取れ。レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは主である。レビ人の数より二百七十三人超過しているイスラエル人の初子の贖いの代金として、ひとり当たり五シェケルを取りなさい。これを聖所のシェケルで取らなければならない。一シェケルは二十ゲラである。そして、この代金を、超過した者たちの贖いの代金として、アロンとその子らに渡しなさい。」こうしてモーセはレビ人によって贖われた者より超過した者たちから、贖いの代金を取った。すなわちイスラエル人の初子から、聖所のシェケルで千三百六十五シェケルの代金を取り、モーセは、主の命により、この贖いの代金を、主がモーセに命じられたように、アロンとその子らに渡した。』
 神は、イスラエル人の初子の代わりとしてレビ人を取られると言われたので、イスラエル人の初子を実際に登録させました。登録した結果、イスラエル人の初子はレビ人の登録数よりも『二百七十三人超過』していましたから、その超過分の人数に値する贖い金が支払われることとなりました。すなわち、モーセがレビ人以外のイスラエル諸部族から贖い金を取り、その贖い金がアロンとその子らに渡されることとなりました。このようにすれば、その贖い金によりレビ人たちの不足分―それは273人です―が充足されるからです。それにしても、イスラエル人の初子とレビ人の登録数がたったの273人しか違わなかったというのは注目されるべきだと思えます。神の摂理によりこのぐらいの違いしか生じないようになったのです。

【4:1~15】
『主はモーセとアロンに告げて仰せられた。「レビ人のうち、ケハテ族の人口調査を、その氏族ごとに、父祖の家ごとにせよ。それは会見の天幕で務めにつき、仕事をすることのできる三十歳以上五十歳までのすべての者である。ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものにかかわることであって次のとおりである。宿営が進むときは、アロンとその子らははいって行って、仕切りの幕を取り降ろし、あかしの箱をそれでおおい、その上にじゅごんの皮のおおいを掛け、またその上に真青の布を延べ、かつぎ棒を通す。また、供えのパンの机の上に青色の布を延べ、その上に皿、ひしゃく、水差し、注ぎのささげ物のためのびんを載せ、またその上に常供のパンを置かなければならない。これらのものの上に緋色の撚り糸の布を延べ、じゅごんの皮のおおいでこれをおおい、かつぎ棒を通す。青色の布を取って、燭台とともしび皿、心切りばさみ、心取り皿およびそれに用いるすべての油のための器具をおおい、この燭台とそのすべての器具をじゅごんの皮のおおいの中に入れ、これをかつぎ台に載せる。また金の祭壇の上に青色の布を延べなければならない。それをじゅごんの皮のおおいでおおい、かつぎ棒を通す。聖所で務めに用いる用具をみな取り、青色の布の中に入れ、じゅごんの皮のおおいでそれをおおい、これをかつぎ台に載せ、祭壇から灰を除き、紫色の布をその上に延べる。その上に、祭壇で用いるすべての用器、すなわち火皿、肉刺し、十能、鉢、これら祭壇のすべての用具を載せ、じゅごんの皮のおおいをその上に延べ、かつぎ棒を通す。宿営が進むときは、アロンとその子らが聖なるものと聖所のすべての器具をおおい終わって、その後にケハテ族がはいって来て、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死なないためである。これらは会見の天幕で、ケハテ族のになうものである。』
 レビ人のうちケハテ族は、最も重要な奉仕が割り当てられていました。ですから、彼らの責任はあまりにも重大でした。しかし、責任が大きいからこそ光栄ある職務に召されているとも言えたでしょう。このケハテ族は至聖所および聖所の聖具を運ぶわけですが、それらの聖具はまずアロンとその子らが覆ってからでなければ運べませんでした。覆ってからでなければ裁かれて死ぬからです。ケハテ族でさえ聖具をこのように取り扱わなければなりませんでした。これは神のおられる聖所とそこにある聖具を恐れさせて軽んじないようにするためです。後に見るゲルション族とメラリ族もそうですが、ケハテ族で『三十歳以上五十歳まで』の者が登録されるのは、この年齢の者たちが天幕で奉仕を行なうからです。この年齢設定は理に適っています。知性と思慮の面で言えば、30歳以下ではまだ未熟さが多く見られますし、50歳以上になると老いの衰えが多かれ少なかれ見え始めるからです。体力と健康の面でも、この年齢設定は実に合理的です。

【4:16】
『祭司アロンの子エルアザルの責任は、ともしび用の油、かおりの高い香、常供の穀物のささげ物、そそぎの油についてであり、幕屋全体とその中にあるすべての聖なるものと、その用具についての責任である。」』
 エルアザルは幕屋とそこにある聖具全般に責任を負っていました。この責任は非常に重大でした。もし間違いを犯したならば裁きは避けられなかったと思われます。何故なら、その責任は神の聖なるものに関わっているのですから。このエルアザルはケハテ族の奉仕を監督しました。

【4:17~20】
『ついで主はモーセとアロンに告げて仰せられた。「あなたがたは、ケハテ人諸氏族の部族をレビ人のうちから絶えさせてはならない。あなたがたは、彼らに次のようにし、彼らが最も聖なるものに近づくときにも、死なずに生きているようにせよ。アロンとその子らが、はいって行き、彼らにおのおのの奉仕と、そのになうものとを指定しなければならない。彼らがはいって行って、一目でも聖なるものを見て死なないためである。」』
 神は、モーセとアロンにケハテ族を何としても滅びないように命じられます。ケハテ族は最も重要な任務を委ねられていたので、消え去ることになってはいけないからです。そのため、アロンとその子らは、聖所の聖具をどのようにして、またどの聖具を取り扱えばよいのか教えねばなりませんでした。もし聖具をいい加減に取り扱ったり間違って使ったりすれば裁かれて死ぬからです。神は聖具をしっかりと取り扱わない者を殺されました。聖具は聖ですから聖い取り扱いをすべきなのです。

【4:21~28】
『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「あなたはまた、ゲルション族の人口調査を、その父祖の家ごとに、その氏族ごとに行ない、三十歳以上五十歳までの者で会見の天幕で務めを果たし、奉仕をすることのできる者をすべて登録しなければならない。ゲルション人諸氏族のなすべき奉仕とそのになうものに関しては次のとおりである。すなわち幕屋の幕、会見の天幕とそのおおい、その上に掛けるじゅごんの皮のおおい、会見の天幕の入口の垂れ幕を運び、また庭の掛け幕、幕屋と祭壇の回りを取り巻く庭の門の入口の垂れ幕、それらのひも、およびそれらに用いるすべての用具を運び、これらに関係するすべての奉仕をしなければならない。彼らのになうものと奉仕にかかわるゲルション族のすべての奉仕は、アロンとその子らの命令によらなければならない。あなたがたは、彼らに、任務として、彼らがになうものをすべて割り当てなければならない。以上がゲルション諸氏族の会見の天幕においての奉仕であって、彼らの任務は祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある。』
 ゲルション族であるレビ人も、ケハテ族と同様、やはりアロンとその子らの指導により奉仕をせねばなりませんでした。天幕の奉仕に独創性は求められていません。ただ指示通りに事を為すのが彼らの任務だからです。エジソンやヘンリー・フォードのように革新的なことをしようとすれば、罪に定められたでしょう。ちょうど天皇や王が国事行為を規定通りに行なうべきなのと一緒です。このゲルション族は、ケハテ族を監督していたエルアザルではなく、イタマルが監督していました。エルアザルは『レビ人の長の長』(民数記3:32)でしたからゲルション族も管理していたでしょうが、直接的にはイタマルの指導下にあったということです。

【4:29~33】
『メラリ族について、あなたはその氏族ごとに、父祖の家ごとに、彼らを登録しなければならない。三十歳以上五十歳までの者で、務めにつき、会見の天幕の奉仕をすることのできる者たちすべてを登録しなければならない。会見の天幕での彼らのすべての奉仕で、彼らがになう任務のあるものは次のとおりである。幕屋の板、その横木、その柱とその台座、庭の回りの柱と、その台座、釘、ひも、これらの用具と、その奉仕に使うすべての物である。あなたがたは彼らがになう任務のある用具を名ざして割り当てなければならない。これが会見の天幕でのすべての奉仕に関するメラリ諸氏族の奉仕であって、これは祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある。」』
 メラリ族もゲルション族と同じでイタマルに監督されました。最も重要な任務を持つケハテ族をエルアザルが担当し、ケハテ族よりは重要でない任務を持つメラリ族とゲルション族はイタマルが担当します。このことからエルアザルのほうがイタマルより格上であったことは明らかです。エルアザルはイタマルよりも先に生まれていたのでしょう。

【4:34~49】
『そこでモーセとアロンと会衆の上に立つ者たちは、ケハテ族をその氏族ごとに、父祖の家ごとに、三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めにつくことのできる者を、すべて登録した。その氏族ごとに登録された者は、二千七百五十人であった。これはケハテ人諸氏族で登録された者であって、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、モーセとアロンが、モーセを通して示された主の命令によって登録した者たちである。ゲルション族で、その氏族ごとに、父祖の家ごとに登録され、三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めにつくことのできる者の全員、その氏族ごとに、父祖の家ごとに登録された者は、二千六百三十人であった。これはゲルション諸氏族で登録された者であって、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、モーセとアロンが主の命により登録した者たちである。メラリ諸氏族で、その氏族ごとに、父祖の家ごとに登録され、三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めにつくことのできる者の全員、その氏族ごとに登録された者は、三千二百人であった。これはメラリ諸氏族で登録された者であって、モーセとアロンが、モーセを通して示された主の命令によって登録した者たちである。モーセとアロンとイスラエルの族長たちが、レビ人を、その氏族ごとに、父祖の家ごとに登録した登録者の全員、三十歳以上五十歳までの者で会見の天幕で、働く奉仕と、になう奉仕をする者全員、その登録された者は、八千五百八十人であった。モーセを通して示された主の命令によって、彼は、おのおのその奉仕とそのになうものについて、彼らを登録した。主がモーセに命じたとおりに登録された者たちである。』
 モーセとアロンがレビ人で奉仕可能な者を登録したところ、全部で『八千五百八十人』いました。この数は少ないと思う人もいるかもしれませんが、奉仕者としては多すぎもせず少なすぎもしなかったと私には思えます。イスラエルの総人口を200万人だと仮定すれば233人に1人が奉仕者であり、150万人だと仮定すれば174人に1人が奉仕者だったことになります。100万人いう仮定は不可能です。

【5:1~4】
『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に命じて、らい病人、漏出を病む者、死体によって身を汚している者をすべて宿営から追い出せ。男でも女でも追い出し、彼らを宿営の外に追い出して、わたしがその中に住む宿営を汚さないようにしなければならない。」イスラエル人はそのようにして、彼らを宿営の外に追い出した。主がモーセに告げられたとおりにイスラエル人は行なった。』
 神は、諸々の汚れた者たちを宿営から追放せよと命じられます。これは汚れた者たちにより、神の住まわれる宿営が汚染されないためでした。神は聖ですからそのおられる場所も聖でなければいけません。こうして汚れた者たちは宿営の外で生活せねばなりませんでした。しかし、だからといって彼らが異邦人のように永遠の救いから遠ざけられたというのではありません。宿営の外にいた者も、選ばれていたのであれば、やがて天国に入ったでしょう。ただ地上の宿営は聖でなければいけなかったので、汚れた者たちは選ばれていた者であっても、追放されねばなりませんでした。しかし、彼らも清められたならば再び宿営に住むことができました。神がこのように命じられたことを差別だと見做してはなりません。ウイルスが生じた時と同様、神は御自身の聖なる宿営を聖く保つべく彼らを追放されたに過ぎないからです。危険なウイルスに感染した者が隔離されることを差別だと見做すほどに愚鈍な人は恐らくいないでしょう。

【5:5~10】
『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げよ。男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。もしその人に、罪過のための弁償を受け取る権利のある親類がいなければ、その弁償された罪過のためのものは主のものであり祭司のものとなる。そのほか、その者の罪の贖いをするための贖いの雄羊もそうなる。こうしてイスラエル人が祭司のところに持って来るすべての聖なる奉納物はみな、祭司のものとなる。すべて人の聖なるささげ物は祭司のものとなり、すべて人が祭司に与えるものは祭司のものとなる。」』
 ユダヤ人が他人に損害を与えて罪を犯した場合、そのユダヤ人は罪を告白して悔い改め、20%を上乗せして弁償しなければいけません。このようにするのは実に自然であり正しいことです。しかし、その弁償金を受け取る者が誰もいなければ、それは祭司の所有として与えられました。「どうして弁償金が祭司の所有となるのか。」などと文句を言うことはできませんでした。何故なら、神がそのようにせよと定められたからです。このように祭司に与えられた物は何であれ祭司の所有となりました。祭司はこのようにして与えられた物により生活していたのです。神が民からの物により祭司が生活するよう定められたのですから、ユダヤ人のうち誰もこのことに反対することはできませんでした。