【民数記5:11~11:30】(2021/12/26)


【5:11~31】
『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。もし人の妻が道をはずして夫に対して不信の罪を犯し、男が彼女と寝て交わったが、そのことが彼女の夫の目に隠れており、彼女は身を汚したが、発見されず、それに対する証人もなく、またその場で彼女が捕えられもしなかった場合、妻が身を汚していて、夫にねたみの心が起こって妻をねたむか、あるいは妻が身を汚していないのに、夫にねたみの心が起こって妻をねたむかする場合、夫は妻を祭司のところに連れて行き、彼女のために大麦の粉十分の一エパをささげ物として携えて行きなさい。この上に油をそそいでも乳香を加えてもいけない。これはねたみのささげ物、咎を思い出す覚えの穀物のささげ物だからである。祭司は、その女を近寄らせ、主の前に立たせる。祭司はきよい水を土の器に取り、幕屋の床にあるちりを取ってその水に入れる。祭司は、主の前に女を立たせて、その女の髪の毛をとかせ、その手にねたみのささげ物である覚えの穀物のささげ物を与える。祭司の手にはのろいをもたらす苦い水がなければならない。祭司は女に誓わせ、これに言う。『もしも、他の男があなたと寝たことがなく、またあなたが夫のもとにありながら道ならぬことをして汚れたことがなければ、あなたはこののろいをもたらす苦い水の害を受けないように。しかしあなたが、もし夫のもとにありながら道ならぬことを行なって身を汚し、夫以外の男があなたと寝たのであれば、』―そこで祭司はその女にのろいの誓いを誓わせ、これに言う。―『主があなたのももをやせ衰えさせ、あなたの腹をふくれさせ、あなたの民のうちにあって主があなたをのろいとし誓いとされるように。またこののろいをもたらす水があなたのからだにはいって腹をふくれさせ、ももをやせ衰えさせるように。』その女は、『アーメン、アーメン。』と言う。祭司はこののろいを書き物に書き、それを苦い水の中に洗い落とす。こののろいをもたらす苦い水をその女に飲ませると、のろいをもたらす水が彼女の中にはいって苦くなるであろう。祭司は女の手からねたみのささげ物を取り、この穀物のささげ物を主に向かって揺り動かし、それを祭壇にささげる。祭司は、その穀物のささげ物から記念の部分をひとつかみ取って、それを祭壇で焼いて煙とする。その後に、女にその水を飲ませなければならない。その水を飲ませたときに、もし、その女が夫に対して不信の罪を犯して身を汚していれば、のろいをもたらす水はその女の中にはいって苦くなり、その腹はふくれ、そのももはやせ衰える。その女は、その民の間でのろいとなる。しかし、もし女が身を汚しておらず、きよければ、害を受けず、子を宿すようになる。これがねたみの場合のおしえである。女が夫のもとにありながら道ならぬことをして身を汚したり、または人にねたみの心が起こって、自分の妻をねたむ場合には、その妻を主の前に立たせる。そして祭司は女にこのおしえをすべて適用する。夫には咎がなく、その妻がその咎を負うのである。」』
 ある妻が不倫をしたにせよしていないにせよ、夫から不倫の嫌疑をかけられた場合、誓いの儀式を行なわねばなりません。儀式の内容はここに記されている通りですが、この儀式は儀式そのものからして注目せねばなりません。何故なら、この儀式はその儀式自体にも大きな意味と効力があるからです。女は本能的に男を欺く術に長けています。エバはまだ堕落していなかった純粋な聖なるアダムを騙してしまいました。遊女ラハブも王の使いを見事に騙しました。私が女についてこのように言うことを偏見だと思ってはなりません。これを偏見だと思う人は、知性があまりないか、よく考えていないか、女のことをほとんど知らないのです。女が平気でサラっと嘘をついているのを見たことのない人は恐らくいないのではないでしょうか。神もそのような女の性質をよく知っておられました。ソロモンも女の欺瞞について述べています(箴言30:20)。そこで書かれている通り、女は行なっていながら「私は行なっていない。」と言うのです!しかし、女は全体的に言えば男よりも信心深い傾向を持っています。ですから、神はここで書かれているような儀式を行なうことで、女を試すようにされたのです。女が不貞により汚れていたとすれば、たとえ言葉で欺くことは出来たとしても、このような恐るべき儀式をしているうちに心配になって真実を告白する可能性が高いからです。女は男に比べると宗教において純粋・一途になる傾向を強く持っていますから、このような儀式は彼女たちの心に対して非常な効果を持ちます。もし儀式を行なっているうちに恐ろしくなって、不倫を告白するのであれば、それで全てが明らかとなります。しかし、不倫をしていた場合、もし頑強に告白を拒んで水を飲むのであれば、神の裁きによりその水が恐るべき悲惨を女に齎してしまいます。当時はまだ神がユダヤで公然と奇跡を行なっておられましたから、水を飲んだら不貞をしていた場合に悲惨になるという今では考えられない呪いが起きていたと信じなければいけません。前にも述べた通り、今の時代における感覚で、神がまだ奇跡を行なっておられた頃の古代ユダヤを判定すべきではありません。神はこのような儀式により、言葉で巧みにその場を切り抜けようとする女をやり込められるのです。それは生まれながらの女優である女に対して言葉で解決をしようとしても難しい場合が多いからなのです。女を造られた御方は、女に対してどうすればいいか全て御存知であられます。また、この箇所では書かれていませんが、女が呪いの水により悲惨を受けた場合、身体的に悲惨となるばかりでなく、死刑に処せられることにもなります。何故なら、律法は不貞を死に定めているからです(レビ記20:10)。

【6:1~5】
『主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも干したものも食べてはならない。彼のナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。』
 ここからナジル人に関する規定が書かれています。『ナジル人』とは何でしょうか。これは、ある期間だけ神に全く自分の身を捧げている聖別された人、またそのような誓いをした人を指します。これは敬虔のためになされるものです。また、これは命令でなく自発的に行なわれます。ですから、たとえナジル人の誓願をしなかったとしても罪にはなりません。このナジル人の規定は、もう今では廃止されています。何故なら、この規定の中では、レビ人の祭司や動物犠牲について定められていますが、それらはもう消え去ったからです。また、この規定では聖俗についても言われていますが、それは旧約時代に関することです。それゆえ今の時代では誰もナジル人になることができません。

 キリストは、少なくとも公生涯の時はナジル人ではありませんでした。何故なら、ナジル人はここで言われているように葡萄酒を飲めないからです。公生涯のキリストは葡萄酒を大いに飲まれました(マタイ11:19)。もしキリストがナジル人であれば、福音書ではそのことについて示されていたでしょう。しかし、福音書はそのように示していません。しかし、公生涯になる前であれば、キリストもナジル人となられたことがあったかもしれません。それは律法の要求をことごとく全うするためです。しかし、たとえそのようなことがあったとしても、聖書はそのことについて何も触れていません。聖書に書かれているナジル人の明白な実例は、サムソンです。サムソンは『胎内にいるときから神へのナジル人』(士師記13:5、16:17)でした。聖書がナジル人の実例について示しているのはごく稀です。これは、あまりナジル人になる人がいなかったことを示していると推測されます。

 このナジル人は誓いによってなります。ですから、ナジル人は根本的に意志的な存在でした。人がナジル人である期間は、葡萄や葡萄で作られたものを何であれ口にできません。これは神に全く身を捧げた存在として、肉の楽しみから超越しているべきだったからです。もし口にするならば罪となりました。しかし、その人は葡萄や葡萄で作られたものを口にできなくなると知った上でナジル人になったのですから、そのようになったとしてもそれほど苦痛は感じなかったはずです。また、ナジル人である期間中は、髪を伸ばし続けねばならず、頭に剃刀を当てることができませんでした。『頭にかみそりを当ててはならない』と書かれているのに注意すべきです。これは、つまりナジル人は聖であるゆえ、その身に傷を付けかねないことは避けねばならないからです。神への聖なる存在がどうして傷ついていいでしょうか。これはゴッホの何十億円もする絵画に僅かであっても傷が付けられるべきではないのと似ています。というのも、ゴッホの絵画は聖であるというのではないにしても、絵画また芸術の世界においては神聖と言っても差し支えない絵画だからです。

【6:6~12】
『主のものとして身を聖別している間は、死体に近づいてはならない。父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らのため身を汚してはならない。その頭には神の聖別があるからである。彼は、ナジル人としての聖別の期間は、主に聖なるものである。もしだれかが突然、彼のそばで死んで、その聖別された頭を汚した場合、彼は、その身をきよめる日に頭をそる。すなわち七日目にそらなければならない。そして八日目に山鳩二羽か家鳩のひな二羽を会見の天幕の入口の祭司のところに持って来なければならない。祭司はその一羽を罪のためのいけにえとし、他の一羽を全焼のいけにえとしてささげ、死体によって招いた罪について彼のために贖いをし、彼はその日にその頭を聖なるものとし、ナジル人としての聖別の期間をあらためて主のものとして聖別する。そして一歳の雄の子羊を携えて来て、罪過のためのいけにえとする。それ以前の日数は、彼の聖別が汚されたので無効になる。』
 ナジル人は徹底的に聖でなければいけませんから、たとえ家族が死んだ場合でも、死体により身を汚してはなりませんでした。祭司たちの場合、家族であれば身を汚すことができました(レビ記21:2)。しかし、ナジル人は家族でさえ駄目でした。つまり、ナジル人には祭司をも上回るほどの聖さが求められているのです。とはいっても、ナジル人の誓いを立てた人はこのことを理解した上で誓いを立てたのですから、家族の死体に触れることができなかったとしても文句は言えませんでした。もし思いがけず死体により汚された場合は、生贄を捧げて贖いをしなければなりません。汚されてから『七日目』に清められますが、その日にそれまで伸ばしていた髪を剃ります。そして八日目に罪過のための生贄を捧げてから、ナジル人として再スタートすることになります。すなわち、その日に初めてナジル人になったかのように見做されます。それまでナジル人ではなかったとされるのです。

【6:13~21】
『これがナジル人についてのおしえである。ナジル人としての聖別の期間が満ちたときは、彼を会見の天幕の入口に連れて来なければならない。彼は主へのささげ物として、一歳の雄の子羊の傷のないもの一頭を全焼のいけにえとして、また一歳の雌の子羊の傷のないもの一頭を罪のためのいけにえとして、また傷のない雄羊一頭を和解のいけにえとして、また種を入れないパン一かご、油を混ぜた小麦粉の輪型のパン、油を塗った種を入れないせんべい、これらの穀物のささげ物と注ぎのささげ物を、ささげなければならない。祭司はこれらのものを主の前にささげ、罪のためのいけにえと全焼のいけにえとをささげる。雄羊を和解のいけにえとして、一かごの種を入れないパンに添えて主にささげ、さらに祭司は穀物のささげ物と注ぎのささげ物をささげる。ナジル人は会見の天幕の入口で、聖別した頭をそり、その聖別した頭の髪の毛を取って、和解のいけにえの下にある火にくべる。祭司は煮えた雄羊の肩と、かごの中の種を入れない輪型のパン一個と、種を入れないせんべい一個を取って、ナジル人がその聖別した髪の毛をそって後に、これらをその手の上に載せる。祭司はこれらを奉献物として主に向かって揺り動かす。これは聖なるものであって、奉献物の胸、奉献物のももとともに祭司のものとなる。その後に、このナジル人はぶどう酒を飲むことができる。これがナジル人についてのおしえである。ナジル人としての期間に加えて、その人の及ぶ以上に主へのささげ物を誓う者は、ナジル人としての聖別のおしえに加えて、その誓った誓いのことばどおりにしなければならない。」』
 ナジル人の期間が満ちたら、様々な犠牲を聖所の入口で捧げねばなりません。その時にそれまで伸ばしていた髪を剃り落とします。もうナジル人ではなくなるので髪も剃られねばならないからです。この時に捧げられる捧げ物の胸と腿は、祭司に分け前として与えられます。これ以降、その人はナジル人ではなくなりますから、葡萄や葡萄から出来たものを口にできるようになります。また、ナジル人の誓いに加えて他の誓いも立てていた場合は、その誓いも果たさねばなりません。ナジル人の誓いのゆえ他の誓いが無効になるということはありませんでした。なお、ナジル人としての聖別期間には、特に決まりがありません。それは任意によるからです。

【6:22~27】
『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」』
 神は、モーセにアロンとその子らがイスラエル人を祝福するよう命じられました。もしアロンとその子らが神に願うならば、神はその願いを聞かれ、イスラエル人を祝福して下さるからです。ここで神がイスラエル人を守られるようにと言われているのは、神がイスラエル人の守護者であられるからです。またここで神がイスラエル人を恵まれるようにと言われているのは、イスラエル人が神の子たちだからです。また神がイスラエル人に平安を与えられるようにと言われているのは、イスラエル人が神の民だったからです。この箇所で『主が御顔をあなたに照らし』と書かれているのは、太陽が人々を照らすかのように神がイスラエル人に恵みを賜わるようにということです。また『主が御顔をあなたに向け』と書かれているのは、神がイスラエル人を嫌悪し退けられないようにということです。何故なら、嫌いであればどうして御顔を向けられるのでしょうか。私たちにしても嫌いな人には顔さえ向けたくないはずです。なお、この箇所における24~26節は、教会においてよく知られている聖句です。というのは、内容的に素晴らしい上、様々なシーンで使いやすい聖句だからです。

【7:1~3】
『モーセは幕屋を建て終わった日に、これに油をそそいで、聖別した。そのすべての器具と、祭壇およびそのすべての用具もそうした。彼がそれらに、油をそそいで聖別したとき、イスラエルの族長たち、すなわち彼らの父祖の家のかしらたち―彼らは部族の長たちで、登録を担当した者―がささげ物をした。彼らはささげ物を主の前に持って来た。それはおおいのある車六両と雄牛十二頭で、族長ふたりにつき車一両、ひとりにつき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に連れて来た。』
 幕屋が建て終わると、モーセは油によりその幕屋を聖別しました。それを聖別せず俗のままにしておけば神のために使えないからです。この時に使われた油が最上の物だったことは間違いありません。幕屋に油を注ぐということについては、既に出エジプト記40:9~11の箇所で定められていました。

 その時に12部族の長たちは、それぞれ一人ずつ1頭の牛を捧げにやって来ました。これは献品であり、2頭で一つの車両となっています。これは当時の車であり、幕屋の奉仕のため使われるよう捧げられました。

【7:4~9】
『すると主はモーセに告げて仰せられた。「会見の天幕の奉仕に使うために彼らからこれらを受け取り、レビ人にそれぞれの奉仕に応じて渡せ。」そこでモーセは車と雄牛とを受け取り、それをレビ人に与えた。車二両と雄牛四頭をゲルション族にその奉仕に応じて与え、車四両と雄牛八頭をメラリ族に、祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある彼らの奉仕に応じて与えた。しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものにかかわる奉仕は、肩に負わなければならないからである。』
 族長たちの捧げた車両は受領され、レビ人が奉仕するために用いられることとなりました。その捧げ物は御心に適ったのです。ゲルション族には、4頭すなわち二両が奉仕のため与えられました。メラリ族には、ゲルション族の2倍の雄牛および車両が与えられました。これはメラリ族がゲルション族よりも、奉仕する場所の範囲が広かったからです。広いのですからより多くの車両が与えられねばなりません。しかし、ケハテ族に車は与えられませんでした。それはケハテ族の取り扱う聖具は、彼ら自身が負うべきだからです。その中には契約の箱や燭台や祭壇などがあります。このような特に重要な聖具を、動物の車で運ばせてはいけないのです。

【7:10~11】
『祭壇に油そそがれる日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物をささげた。族長たちが自分たちのささげ物を祭壇の前にささげたとき、主はモーセに言われた。「族長たちは一日にひとりずつの割りで、祭壇奉献のための彼らのささげ物をささげなければならない。」』
 祭壇奉献の時になると、12部族の長たちが、一人一人一日ごとに捧げ物を捧げることになりました。これは祭壇が聖別され奉献されたことを記念し感謝するために行なわれます。「12人の行為を1日で済ませず12日もかける理由は何なのか。」と問われるかもしれません。これは、12人が12日かけて毎日一人ずつ祭壇で捧げることにより、祭壇とそこで行なわれる儀式は一つ一つの部族と大いに関わっていることを示すためでしょう。つまり、一つ一つの部族が祭壇とその儀式を蔑ろにしてはならないということです。もし12人分を1日で済ませてしまえば効率的であるものの、祭壇に関して重大な認識が持てなくなりかねません。これは、即位した天皇に各国からやって来た賓客が個別的に一対一で向き合って握手するのと、幾らか似ています。一対一で向き合うからこそ真摯さを感じられるようにもなります。捧げ物を捧げる順番は、既に見た民数記2:3~31の箇所で示されていた順番と同じです。つまり、イスラエルにおいてより重要である部族の順に捧げ物が捧げられます。

【7:12~17】
『第一日にささげ物をささげたのは、ユダ部族のアミナダブの子ナフションであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミナダブの子ナフションのささげ物であった。』
 まず第一日目はユダ部族から始まります。ユダ部族が初めの名誉を獲得したのは自然なことでした。この部族はメシアの部族として定められているからです。捧げられたのは、『全焼のいけにえ』と『罪のためのいけにえ』と『和解のいけにえ』です。罪過のための生贄はありません。この時に捧げられた『銀の皿』とは、前に書かれていた『注ぎのささげ物を注ぐための皿』(出エジプト記25:29、37:16)とは異なります。ここで捧げられるのは『銀』の皿ですが、前に書かれていたのは『純金』の皿だからです。また、この箇所で『七十』、『十』と書かれている数字は、神聖さ、完全さを意味していると思われます。『百三十』という数字には意味がないと考えられます。

【7:18~83】
『二日目にはイッサカルの族長、ツアルの子ネタヌエルがささげた。彼はささげ物をした。銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがツアルの子ネタヌエルのささげ物であった。三日目にはゼブルン族の族長、ヘロンの子エリアブであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがヘロンの子エリアブのささげ物であった。四日目にはルベン族の族長、シュデウルの子エリツルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがシュデウルの子エリツルのささげ物であった。五日目にはシメオン族の族長、ツリシャダイの子シェルミエルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがツリシャダイの子シェルミエルのささげ物であった。六日目にはガド族の族長、デウエルの子エルヤサフであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがデウエルの子エルヤサフのささげ物であった。七日目にはエフライム族の族長、アミフデの子エリシャマであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミフデの子エリシャマのささげ物であった。八日目にはマナセ族の族長、ペダツルの子ガムリエルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがペダツルの子ガムリエルのささげ物であった。九日目にはベニヤミン族の族長、ギデオニの子アビダンであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがギデオニの子アビダンのささげ物であった。十日目にはダン族の族長、アミシャダイの子アヒエゼルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがアミシャダイの子アヒエゼルのささげ物であった。十一日目にはアシェル族の族長、オクランの子パグイエルであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがオクランの子パグイエルのささげ物であった。十二日目にはナフタリ族の族長、エナンの子アヒラであった。そのささげ物は、銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭。これがエナンの子アヒラのささげ物であった。』
 12人目の族長まで、その捧げる捧げ物の内容は、1人目の族長と全く変わりません。ですから2人目から12人目までの註解をする必要はないでしょう。全く同じ内容が書かれているのですから、どうして再び同じことを書くべきでしょうか。私は手間を惜しんでいるわけではありません。ただ註解の必要がないだけです。しかし、このように部族ごとしっかり捧げたことが書き記されているのは、神が個々の部族としっかり向き合っておられることを意味しています。つまり、神はイスラエルの諸部族をどれも蔑ろにしておられません。聖書を一つの文学として読む人は、このような繰り返しを苦痛に感じるかもしれません。しかし聖書とは聖徒たちに向けられた契約の書物ですから、私たちはそのことをよく弁えねばなりません。

【7:84~88】
『以上が祭壇に油がそそがれる日の、イスラエルの族長たちからの祭壇奉献のささげ物であった。すなわち銀の皿十二、銀の鉢十二、金のひしゃく十二。銀の皿はそれぞれ百三十シェケル、鉢はそれぞれ七十シェケル。これらの器の銀は、合わせて、聖所のシェケルで二千四百シェケル。香を満たした十二の金のひしゃくは、聖所のシェケルでそれぞれ十シェケル。ひしゃくの金は、合わせて百二十シェケル。全焼のいけにえとして家畜は合わせて、雄牛十二頭、雄羊十二頭、一歳の雄の子羊十二頭、それにそれらにつく穀物のささげ物。また罪のためのいけにえとして雄やぎ十二頭。和解のいけにえとして家畜は合わせて、雄牛二十四頭、雄羊六十頭、雄やぎ六十頭、一歳の雄の子羊六十頭。これが祭壇に油そそがれて後の祭壇奉献のためのささげ物であった。』
 12人の族長により捧げられた奉献物が纏められています。『十二』はイスラエル12部族を、また選びを示しています。『百二十』とは12かける完全数10ですから、12の強化版となります。6は聖書において人間を示します。それゆえ、6かける完全数10である『六十』は6の強化版と見做してよいでしょう。『七十』は全く十分であることを示します。

【7:89】
『モーセは、主と語るために会見の天幕にはいると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた。』
 神は、契約の箱にある2つのケルビムの間から、モーセに語られました。それは実際の御声でした。これを聞いたのはモーセでした。何故なら、イスラエル人は直接主の御声を聞きたがらないからです(出エジプト記20:19)。このようにモーセはいつも主と会い、会話をしていました。このためモーセの顔はずっと輝きを放っていたのでした。しかし、神はどうしてケルビムの間から御声を発されたのでしょうか。「別にケルビムの間からでなくても御声を発することはできたのではないか。」と問われるかもしれません。確かに、神はケルビムの間からでなく、どこからでも御声を発することができました。しかし、神はケルビムの間から語られるのを望まれました。これはケルビムの間から語られることで、威容を生じさせるためだったと考えられます。ちょうど王が語る際、王の前に起立した兵士が並んでいれば、王に威容が感じられるのと同じです。

【8:1~4】
『主はモーセに告げて仰せられた。「アロンに告げて言え。あなたがともしび皿を上げるときは、七つのともしび皿が燭台の前を照らすようにしなさい。」アロンはそのようにした。主がモーセに命じられたとおりに、前に向けて燭台のともしび皿を、取りつけた。燭台の作り方は次のとおりであった。それは金の打ち物で、その台座から花弁に至るまで打ち物であった。主がモーセに示された型のとおりに、この燭台は作られていた。」』
 アロンは、『七つのともしび皿』に明かりを灯し、それを燭台に載せ、常に聖所が照らされているようにすべきでした。アロンは夜中にも聖所で働かねばなりませんでした。これはきつい仕事だったと思われますが、80を過ぎた老体のアロンには本当にきつかったでしょう。しかし、アロンは『百二十三歳』(民数記33章39節)まで生きました。この『ともしび皿』が置かれる燭台は、金を打って作られました。この燭台作成については既に出エジプト記37:17~24の箇所で定められていました。

【8:5~13】
『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「レビ人をイスラエル人の中から取って、彼らをきよめよ。あなたは次のようにして彼らをきよめなければならない。罪のきよめの水を彼らに振りかける。彼らは全身にかみそりを当て、その衣服を洗い、身をきよめ、若い雄牛と油を混ぜた小麦粉の穀物のささげ物を取る。あなたも別の若い雄牛を罪のためのいけにえとして取らなければならない。あなたはレビ人を会見の天幕の前に近づかせ、イスラエル人の全会衆を集め、レビ人を主の前に進ませる。イスラエル人はその手をレビ人の上に置く。アロンはレビ人を、イスラエル人からの奉献物として主の前にささげる。これは彼らが主の奉仕をするためである。レビ人は、その手を雄牛の頭の上に置き、レビ人の罪を贖うために、一頭を罪のためのいけにえとし、一頭を全焼のいけにえとして主にささげなければならない。あなたはレビ人をアロンとその子らの前に立たせ、彼らを奉献物として主にささげる。』
 レビ人が神への奉献物となります。人が奉献物として捧げられるのです。これは、レビ人が全く神に捧げられた存在として幕屋で奉仕するからです。そのため、神はレビ人を御自分への捧げ物として求められました。この時にイスラエル人がレビ人の上に手を置くのは、イスラエル人が自分たちの中からレビ人を神に捧げるからです。これはあたかも「これが私たちから主へ捧げられる奉献物なのです。」とでも言っているかのようです。また、捧げられる時には罪の清め、贖いがなされます。神に捧げられる存在は清められていなければならないからです。細菌だらけの汚らわしい医者が、洗浄もせずに手術室へ入って手術を行なうべきではないのと同じです。レビ人の全体が神に捧げられます。例外となるレビ人はいません。もしいたとすれば、その人はレビ人ではないことになります。

【8:14~19】
『あなたがレビ人をイスラエル人のうちから分けるなら、レビ人はわたしのものとなる。こうして後、レビ人は会見の天幕の奉仕をすることができる。あなたは彼らをきよめ、彼らを奉献物としてささげなければならない。彼らはイスラエル人のうちから正式にわたしのものとなったからである。すべてのイスラエル人のうちで、最初に生まれた初子の代わりに、わたしは彼らをわたしのものとして取ったのである。イスラエル人のうちでは、人でも家畜でも、すべての初子はわたしのものだからである。エジプトの地で、わたしがすべての初子を打ち殺した日に、わたしは彼らを聖別してわたしのものとした。わたしはイスラエル人のうちのすべての初子の代わりにレビ人を取った。わたしはイスラエルのうちからレビ人をアロンとその子らに正式にあてがい、会見の天幕でイスラエル人の奉仕をし、イスラエル人のために贖いをするようにした。それは、イスラエル人が聖所に近づいて、彼らにわざわいが及ぶことのないためである。」』
 こうしてレビ人は初子として奉献され、神の所有となりました。何故なら、初子は神の専有物だからです。イスラエル人の肉的な初子が奉献される代わりに、レビ人が霊的な初子として奉献されたのです。このことについて、レビ人も他の部族も文句は言えません。何故なら、人間は神の選びと召しに全てがかかっているからです。レビ人が祭司の部族として奉献されたのは、『イスラエル人が聖所に近づいて、彼らにわざわいが及ぶことのないため』でした。すなわち、レビ人が幕屋にいないためユダヤ人が勝手な儀式をしたりして裁かれてしまわないためでした。このような裁きが起こらないため、レビ人が幕屋に言わば担当者として置かれたのでした。

【8:20~22】
『モーセとアロンとイスラエル人の全会衆は、すべて主がレビ人についてモーセに命じられたところに従って、レビ人に対して行なった。イスラエル人はそのとおりに彼らに行なった。レビ人は罪の身をきよめ、その衣服を洗った。そうしてアロンは彼らを奉献物として主の前にささげた。またアロンは彼らの贖いをし、彼らをきよめた。こうして後、レビ人は会見の天幕にはいって、アロンとその子らの前で自分たちの奉仕をした。人々は主がレビ人についてモーセに命じられたとおりに、レビ人に行なった。』
 このようにしてレビ人は神に奉献され、天幕で聖なる職務を行なうこととなりました。これは自発的ではありませんでした。レビ人は「自称祭司職」ではなかったのです。これ以前、レビ人は祭司の一族ではありませんでした。それまでレビ人は他の部族と同じような部族として見做されていたはずです。その数がイスラエルのうちで最も少ない部族であるという点を除けば、です。それにしても、大量虐殺者であるレビの子孫がこのように祭司の部族として選ばれたというのは、私たちの目からすれば不思議に思えますが、神は私たちが不思議に思うからこそそれを為さる御方なのです。

【8:23~26】
『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「これはレビ人に関することである。二十五歳以上の者は会見の天幕の奉仕の務めを果たさなければならない。しかし、五十歳からは奉仕の務めから退き、もう奉仕してはならない。その人はただ、会見の天幕で、自分の同族の者が任務を果たすのを助けることはできるが、自分で奉仕をしてはならない。あなたは、レビ人に、彼らの任務に関して、このようにしなければならない。」』
 レビ人ではあっても、25歳以上50歳以下でなければ、天幕の奉仕を行なうことはできませんでした。先の箇所では、『三十歳以上』(民数記4:3、23、30)の者が奉仕する者として登録されると書かれていました。しかし、この箇所では『二十五歳以上』の者でも奉仕ができると書かれています。これは恐らく本格的な奉仕は30歳からなのですが、25歳から5年の間は見習い期間だったということなのかもしれません。50歳を過ぎた者は、奉仕者たちの助手をすることしかできなくなります。神は25~50歳という知的にも身体的にも衰えがそれほど生じていない者たちを奉仕者として求められたからです。

 モーセとアロンは既に80歳を超えていたのに幕屋での奉仕を行なっていましたが、この2人だけは例外でした。もし例外でなければ、そもそもこの2人はイスラエル解放のために召し出されていなかったでしょう。何故なら、2人は上限年齢から30歳もオーバーしているからです。彼らだけは例外でしたから、50歳を過ぎたレビ人たちが「俺たちはもう50を過ぎたから奉仕できないのに、どうしてモーセとアロンは80をさえ過ぎているのに奉仕しているのだ。」などと言うことはできませんでした。

【9:1~5】
『エジプトの国を出て第二年目の第一月に、主はシナイの荒野でモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人は、定められた時に、過越のいけにえをささげよ。あなたがたはこの月の十四日の夕暮れ、その定められた時に、それをささげなければならない。そのすべてのおきてとすべての定めに従って、それをしなければならない。」そこでモーセはイスラエル人に、過越のいけにえをささげるように命じたので、彼らはシナイの荒野で第一月の十四日の夕暮れに過越のいけにえをささげた。イスラエル人はすべて主がモーセに命じられたとおりに行なった。』
 ユダヤ人はエジプト脱出後の2年目に過ぎ越しの祭りを行ないました。これはユダヤ人にとって2回目の過ぎ越し祭でした。この祭りについては既に以前の註解書で説明をしておきました。

【9:6~8】
『しかし、人の死体によって身を汚し、その日に過越のいけにえをささげることができなかった人々がいた。彼らはその日、モーセとアロンの前に近づいた。その人々は彼に言った。「私たちは、人の死体によって身を汚しておりますが、なぜ定められた時に、イスラエル人の中で、主へのささげ物をささげることを禁じられているのでしょうか。」するとモーセは彼らに言った。「待っていなさい。私は主があなたがたについてどのように命じられるかを聞こう。」』
 2回目の過ぎ越し祭では、死体により汚れているので生贄を捧げられない人たちがいました。これまで過越し祭で汚れた人がどうすればいいのかということは示されていませんでした。このため、モーセたちはひとまずのところ、汚れた人々が過ぎ越し祭に参加しないようにしておいたのだと考えられます。何故なら、何も示されていない以上、そうしておくのが無難だからです。ところが、汚れた人々がやって来て、どうして自分たちは捧げ物を捧げてはならないのかとモーセに問います。この問いはもっともでした。モーセは彼らに何と答えればいいか判断がつきません。ですから、神にどうすればいいか伺いを立てに行きます。モーセがこのようにしたのは正解でした。世の中では、分からないことがあっても神に伺わず、自分の勝手な考えにより答えてしまう人が多いからです。

【9:9~12】
『主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。あなたがたの、またはあなたがたの子孫のうちでだれかが、もし死体によって身を汚しているか、遠い旅路にあるなら、その人は主に過越のいけにえをささげなければならない。第二月の十四日の夕暮れに、それをささげなければならない。種を入れないパンと苦菜といっしょにそれを食べなければならない。そのうちの少しでも朝まで残してはならない。またその骨を一本でも折ってはならない。すべて過越のいけにえのおきてに従ってそれをささげなければならない。』
 神は、汚れていても過ぎ越しの生贄をしっかり捧げねばならないと言われます。これはユダヤに属する一員であれば誰でも過ぎ越しの生贄を捧げるべきだからです。神は出エジプトの際、ユダヤ人の全てを過ぎ越されました。ですから、ユダヤ共同体の人間であれば、たとえ汚れていても生贄を捧げなければいけません。また、『遠い旅路にある』者も、やはりしっかりと生贄を捧げねばなりませんでした。ただこの2種類の人たちの場合、通常よりも1か月遅れで生贄を捧げることになります。これは通常の場合とは異なったケースだからです。このような通常でないケースにおいて、あたかも通常であるかのように規定日に事が為されてはいけませんでした。しかし、時期が遅いという一点を除けば、通常の場合と他に変わるところはありません。

【9:13】
『身がきよく、また旅にも出ていない者が、過越のいけにえをささげることをやめたなら、その者はその民から断ち切られなければならない。その者は定められた時に、主へのささげ物をささげなかったのであるから、自分の罪を負わなければならない。』
 もし汚れておらず、またユダヤ共同体の中にいるのにもかかわらず、過ぎ越し祭に参加しない者がいれば、その者は神の御前とユダヤの共同体から追放されねばなりません。その人は、自分たちを救うために行なわれた神の過ぎ越しを、過ぎ越し祭に参加できるのに参加しないことにより、事実上否定または無視しているからです。そういった者が神の民であり続けることはできません。これは致命的な罪でした。

【9:14】
『もし、あなたがたのところに異国人が在留していて、主に過越のいけにえをささげようとするなら、過越のいけにえのおきてと、その定めとに従ってささげなければならない。在留異国人にも、この国に生まれた者にも、あなたがたには、おきては一つである。」』
 ユダヤにいるユダヤの一員であれば、たとえ在留異国人であっても、主の過ぎ越し祭に参加し生贄を捧げることができました。在留異国人だからといって、過ぎ越し祭に関する規定に何かがつけ加えられたり取り去られたりするということはありませんでした。それというのも、『神は人を分け隔てなさいません。』(ガラテヤ2章6節)と書かれているからです。神の民の一員というのであれば、ユダヤ人であっても在留異国人であっても掟が同様にして適用されねばなりません。ここに神の人々に対する平等があります。

【9:15~23】
『幕屋を建てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。いつもこのようであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。雲が天幕を離れて上ると、すぐそのあとで、イスラエル人はいつも旅立った。そして、雲がとどまるその場所で、イスラエル人は宿営していた。主の命令によって、イスラエル人は旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた。長い間、雲が幕屋の上にとどまるときには、イスラエル人は主の戒めを守って、旅立たなかった。また雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らはただちに旅立った。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立った。二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った。彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。』
 幕屋が建てられると、神の臨在を示す雲の柱が幕屋の上に起こり、夜は火の柱となりました。この雲は神の存在とその栄光を示しており、火はそれに加えて夜に民を照らすという目的がありました。ユダヤ人は、この雲に導かれるままに進みました。すなわち、時間の長短を問わず、雲が動かなければユダヤ人も動かず、雲が動けば即刻ユダヤ人も動きました。この雲の柱また火の柱については、既に出エジプト記の註解書で論じておきました。

 新約時代に生きる私たちも、主なる神の導きにより歩まなければなりません。出エジプト記の註解書でも述べましたが、今の時代では、時また状況により神の導きが分かります。ジョナサン・エドワーズは、所属していた教会の教会員から反発されたので、出て行かざるを得なくなりました。この時こそが導きであり、彼がそれまで所属していた教会を出る時だったのです。これは雲が動いたので人も動くことでした。エドワーズが追い出される前から自発的に出るのは間違っていました。何故なら、まだ神の明白な導きがなかったからです。それは雲がまだ動いていないのに人が勝手に出発することでした。

【10:1~10】
『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「銀のラッパを二本作らせよ。それを打ち物作りとし、あなたはそれで会衆を召集し、また宿営を出発させなければならない。この二つが長く吹き鳴らされると、全会衆が会見の天幕の入口の、あなたのところに集まる。もしその一つが吹き鳴らされると、イスラエルの分団のかしらである族長たちがあなたのところに集まる。また、あなたがたがそれを短く吹き鳴らすと、東側に宿っている宿営が出発する。あなたがたが二度目に短く吹き鳴らすと、南側に宿っている宿営が出発する。彼らが出発するには、短く吹き鳴らさなければならない。集会を召集するときには、長く吹き鳴らさせなければならない。短く吹き鳴らしてはならない。祭司であるアロンの子らがラッパを吹かなければならない。これはあなたがたにとって、代々にわたる永遠の定めである。また、あなたがたの国で、あなたがたを襲う侵略者との戦いに出る場合は、ラッパを短く吹き鳴らす。あなたがたが、あなたがたの神、主の前に覚えられ、あなたがたの敵から救われるためである。また、あなたがたの喜びの日、あなたがたの例祭と新月の日に、あなたがたの全焼のいけにえと、和解のいけにえの上に、ラッパを鳴り渡らせるなら、あなたがたは、あなたがたの神の前に覚えられる。わたしはあなたがたの神、主である。」』
 ラッパが二本作られました。これは合図のためです。これが二本であるのは、1本だと出すべき合図を全て出せないからです。しかし、3本もある必要はありませんでした。このラッパが、最高の銀で、最高の職人により、最高の仕方を用いて作られたのは間違いありません。これが金ではなく銀で作られたのは、幕屋に直に関わる聖具ではないからでしょう。もしこのラッパが聖所また至聖所の中で使われる聖具であれば、金で作られていた可能性が大いにあります。

 このラッパは、吹き方と数により合図の意味が変わります。全ての民が召集される場合は二本で長く吹き鳴らし、部族長だけが召集される場合は1本で長く吹き鳴らします。また短く吹き鳴らすのは出発の合図です。1回目に短く吹き鳴らすと1番目の並び順である『東側に宿っている宿営』が出発し、続いて2回目に短く吹き鳴らしたならば2番目の並び順である『南側に宿っている宿営』が出発します。これは3番目の西側に宿っている宿営、4番目の北側に宿っている宿営でも同様です。ただこの箇所では2番目以降は省略されています。

 戦争が起きた際はラッパが短く吹き鳴らされます。これはイスラエル人が『あなたがたの神、主の前に覚えられ、あなたがたの敵から救われるため』でした。これはイスラエル人たちが神に認められる印となる合図でした。戦いの合図では本数がどうであるのか示されていません。また会合の日にもラッパが吹き鳴らされねばなりません。これも、やはり神にイスラエル人が覚えられるための印となる合図でした。この際において吹き鳴らすラッパの本数および音の長さはここで示されていません。

 ラッパをアロンの子である祭司でない者が吹き鳴らすのは罪でした。これはレビ人である祭司が神の所有だからです。イスラエル人はそのような神の専有物が発する合図により動かされねばならないのです。

 ところで、この箇所の9節目を見ると、聖書は防衛戦争であれば否定していないことが分かります。9節目で神は明らかに戦争そのものを問題としておられないからです。実際、古代のユダヤ人は幾度となく防衛戦争を行ないました。しかし、神はそのような戦争を非難されることがありませんでした。むしろ、ダビデの例が示す通り、御自身自ら戦争の指示を出されることさえありました。それゆえ、実際は戦争に行きませんでしたが、国のために戦おうと奮起したニーメラーは間違っていませんでした。これとは逆に、いかなる戦争をも拒絶するエホバの証人は間違っています。これは彼らが戦争を否定していることの一つの事例ですが、彼らはドイツ政府がドイツ国民を兵士として動員させた際、全く応じようとはしなかったのです。彼らは聖書を正しく理解できていません。だからこそ、聖書はキリスト教徒がいかなる戦争にも参加すべきでないと教えているなどと勘違いしているのです。これは彼らに聖霊が与えられていないからなのです。聖霊が与えられていないのに、どうして聖書を正しく理解できるでしょうか。

【10:11~28】
『第二年目の第二月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。それでイスラエル人はシナイの荒野を出て旅立ったが、雲はパランの荒野でとどまった。彼らは、モーセを通して示された主の命令によって初めて旅立ち、まず初めにユダ族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発した。軍団長はアミナダブの子ナフション。イッサカル部族の軍団長はツアルの子ネタヌエル。ゼブルン部族の軍団長はヘロンの子エリアブ。幕屋が取りはずされ、幕屋を運ぶゲルション族、メラリ族が出発。ルベンの宿営の旗が、その軍団ごとに出発。軍団長はシュデウルの子エリツル。シメオン部族の軍団長はツリシャダイの子シェルミエル。ガド部族の軍団長はデウエルの子エルヤサフ。聖なる物を運ぶケハテ人が出発。彼らが着くまでに、幕屋は建て終えられる。また、エフライム族の宿営の旗が、その軍団ごとに出発。軍団長はアミフデの子エリシャマ。マナセ部族の軍団長はペダツルの子ガムリエル。ベニヤミン部族の軍団長はギデオニの子アビダンであった。ダン部族の宿営の旗が、全宿営の後衛としてその軍団ごとに出発。軍団長はアミシャダイの子アヒエゼル。アシェル部族の軍団長はオクランの子パグイエル。ナフタリ部族の軍団長はエナンの子アヒラ。以上がイスラエル人の軍団ごとの出発順序であって、彼らはそのように出発した。』
 主が荒野で語られてから19日後に(民数記1:1)、イスラエル人は出発しました。その日に雲が動いたからです。それまでの19日間では、12部族の族長たちが12日かけて祭壇奉献のために捧げ物を捧げたり、幕屋を建てたりしていました。幕屋からの進み方が定められてから進んだのは、これが初めてでした。まずはユダ族およびユダ族に連なるイッサカル部族とゼブルン部族の3部族が出発しました。この3部族が出発している間に、ゲルション族とメラリ族が幕屋を解体し、持ち運べるように働きます。そして3部族の最後尾であるゼブルン族が出発した後、すぐに付いて行けるようにしました。ですから、ゲルション族とメラリ族は3.5番だと見做してよいでしょう。このゲルション族とメラリ族に続いて南に宿営していたルベン部族、シメオン部族、ガド部族が出発します。つまり、南の3部族の先頭であったルベン部族は、ゲルション族とメラリ族のすぐ後に付いて行きました。この南の3部族に『聖なる物を運ぶケハテ人』が続きます。ケハテ族は6.5番目と見做せます。雲が宿営の場所に着いて止まると、東の3部族がそこに到着し、それからすぐにゲルション族とメラリ族が到着して幕屋を建て始めます。この建設は、6.5番目であるケハテ族が到着するまでに完成されねばなりませんでした。つまり、ゲルション族とメラリ族は、自分たちに続く3部族が全て到着し終えるまでに幕屋を完成させねばなりません。ケハテ族が到着したら、すぐにも幕屋に聖具を持ち運べるようにすべきだったのです。このケハテ族に、西の三部族、北の三部族と続きます。こうしてイスラエルの12部族は主の定められた宿営地に宿営するわけです。

【10:29~32】
『さて、モーセは、彼のしゅうとミデヤン人レウエルの子ホハブに言った。「私たちは、主があなたがたに与えると言われた場所へ出発するところです。私たちといっしょに行きましょう。私たちはあなたをしあわせにします。主がイスラエルにしあわせを約束しておられるからです。」彼はモーセに答えた。「私は行きません。私の生まれ故郷に帰ります。」そこでモーセは言った。「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じであり、私たちにとって目なのですから。私たちといっしょに行ってくだされば、主が私たちに下さるしあわせを、あなたにもおわかちしたいのです。」』
 モーセの義父レウエルの子ホハブは、ここまでイスラエル人と一緒にいました。このホハブにとってシナイの荒野は庭も同然だったと思われますが、そのためイスラエル人たちの案内役をしていたのです。イスラエル人たちは荒野に来たばかりなので地理的に疎かったからです。このようなホハブはイスラエル人にとって『目』でしたから、モーセたちは離れてもらいたくありませんでした。またモーセはホハブが大事な人なので、彼にも自分たちの受ける幸せを受けてほしいと思っていました。このためモーセはホハブに離れないでくれと懇願しましたが、ホハブは一緒に行こうとはしませんでした。モーセたちにとっては残念でしたが仕方ありません。

【10:33~36】
『こうして、彼らは主の山を出て、三日の道のりを進んだ。主の契約の箱は三日の道のりの間、彼らの先頭に立って進み、彼らの休息の場所を捜した。彼らが宿営を出て進むとき、昼間は主の雲が彼らの上にあった。契約の箱が出発するときには、モーセはこう言っていた。「主よ。立ち上がってください。あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように。」またそれがとどまるときに、彼は言っていた。「主よ。お帰りください。イスラエルの幾千万の民のもとに。」』
 こうしてイスラエルは旅立ちましたが、契約の箱が彼らを先導していました。神は契約の箱のところにおられました。ですから、契約の箱に先導されていたイスラエル人は神に導かれていました。これはホハブがイスラエル人と共に行かなかったことを示していると思われます。何故なら、主が契約の箱においてイスラエルを先導しておられるのであれば、どうしてホハブの導きが必要でしょうか。この箇所では旅立ってから『三日の道のり』のことが記されています。これは三日後、すなわち民数記11:1の箇所になるまでは目立った事件が何も起きなかったからです。

 神のおられる契約の箱が出発する時と宿営すべき場所に留まる時、モーセが言っていたことは注目に値します。モーセは、箱が出発する際には敵どもが蹴散らされるよう願いました。これは神とその聖なる軍勢が進むからです。そのような存在が屈服されたり敗北したりすべきではありません。むしろ、敵どものほうこそ神の御前から退くべきなのです。詩篇68:1の箇所で、ダビデも同じことを言っています。また箱が留まる時、モーセは神にイスラエルのうちに帰還していただきたいと願っています。これはイスラエルと共に出陣しておられた神が、宿営地においてイスラエルと共に宿営されるからです。ここでイスラエルの民が『幾千万』と言われているのは文字通りに捉えてはなりません。イスラエルの総人口は恐らく150~200万人だったはずだからです。『幾千万』とは実に多いという意味です。実際、世界人口がまだ少なかった紀元前14~13世紀で数百万人というのは非常に多い数でした。

【11:1~3】
『さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。すると民はモーセに向かってわめいた。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。主の火が、彼らに向かって燃え上がったので、その場所の名をタブエラと呼んだ。』
 ホレブ山から出て三日経つと、ユダヤ人たちは神に対して呟いてしまいます。すると、神の怒りの炎が燃え上がり、その炎が『宿営の端をなめ尽くし』ました。その炎を見たユダヤ人たちは喚き散らしましたが、モーセが祈ったところ、その火は消えました。モーセは以前と同様、神の名声に訴えたと推測されます(出エジプト記32:11~13)。どうやら、この時に炎で焼き尽くされたユダヤ人はいなかったようです。この場所は主の炎が燃え上がったので『タブエラ』と呼ばれましたが、これは「燃える」という意味です。この場所はホレブ山の麓にあります。

【11:4~9】
『また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」マナは、コエンドロの種のようで、その色はブドラハのようであった。人々は歩き回って、それを集め、ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていた。その味は、おいしいクリームの味のようであった。夜、宿営に露が降りるとき、マナもそれといっしょに降りた。』
 そうこうしているうちに、イスラエルのうちにいた外国人がエジプトでの豊かな食生活を恋い慕って不満をぶちまけました。エジプトにいた時は、色々な食品を自由に食べていました。しかし荒野にいる今はマナだけしかありません。後にも触れる通り、マナが美味しくなかったというわけではありません。ただずっとマナだけなので飽き飽きし、エジプトにいた頃のほうが幸いな食生活だったと嘆いたのです。これは一見すると仕方のない嘆きだったとも感じられます。しかしよく考えると、これは彼ら外国人に忍耐が無かったことを示していると分かります。何故なら、彼らはもう少し経てばカナンの地に入り、そこで食べたい食物など幾らでも食べることができるからです。マナだけしか食べられないのは荒野にいるほんの少しの間だけでした。それゆえ、彼らの盲目的近視眼は大きな断罪に値します。カルヴァンは、ここで言われている『きゅうり』『すいか、にら、たまねぎ、にんにく』がエジプトの偶像だったと見做しています。確かにエジプト人が何でもかんでも神に仕立て上げたのは事実です。ですが、ここで言われているのは単に食材のことでしょう。この箇所で「腹」のことが言われているのは火を見るよりも明らかだからです。彼らはマナだけで単調だったゆえエジプトでの豊かな食事を思い起こしているのです。また、ユダヤ人たちも外国人と共に泣き喚いて無様な振る舞いをしました。これが外国人だけであれば話はまだ分かりました。ところが神の民として召し出されたユダヤ人さえもこのように嘆くとは何事か。ああ、彼らユダヤ人たちはもう少しすれば乳と蜜の流れるカナンで至福を味わえるということを知らなかったとでもいうのでしょうか。このように外国人と共に嘆いたユダヤ人は弱く、愚かで、未熟だったと言わねばなりません。

 『マナ』については既に出エジプト記の註解書で述べておきました。これは美味しく、食べやすく、調理しやすく、露と共に生じ、週の6日目でない日には持ち越すことができない、今では食べることも見ることもできない荒野時代限定の不思議な食べ物でした。これは命のパンであられるイエス・キリストを示しているという点で、あまりにも大きな意味と重要性があります(ヨハネ6章)。神はユダヤ人を天からのマナすなわちパンにより生かされました。これは神の子たちが、イエス・キリストという真のパンにより生きることを示しています。何故なら、荒野でのマナはキリストの影だったからです。

【11:10~15】
『モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がり、モーセも腹立たしく思った。モーセは主に申し上げた。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのでしょう。なぜ、私はあなたのご厚意をいただけないのでしょう。なぜ、このすべての民の重荷を私に負わされるのでしょう。私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。それとも、私が彼らを生んだのでしょうか。それなのになぜ、あなたは私に、『うばが乳飲み子を抱きかかえるように、彼らをあなたの胸に抱き、わたしが彼らの先祖たちに誓った地に連れて行け。』と言われるのでしょう。どこから私は肉を得て、この民全体に与えなければならないのでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『私たちに肉を与えて食べさせてくれ。』と言うのです。私だけでは、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。私にこんなしうちをなさるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を苦しみに会わせないでください。」』
 神は欲深いユダヤ人たちの我が儘に憤慨されましたが、モーセも憤慨していました。ユダヤ人はこのように欲求不満をぶちまけるべきではなかったからです。幼い子どもがあれを欲しいこれを欲しいと喚き立てれば、親はその子どもに憤慨するでしょう。神とモーセはこの親のようでした。もっとも、神は実際にユダヤ人の親だったのに対し、モーセは親のように過ぎなかったという点で違っていますが。モーセはユダヤ人たちを負うのに耐えられなかったので、神に死を願います。これはユダヤ人たちの要求や嘆きによって生じる心労が非常に重かったからです。そのような心労に悩むぐらいならば早く死んだほうがいいとモーセには思えました。80にもなれば身体だけでなく精神も衰えます。そのようなモーセにとって、ユダヤ人たちによる心労はどれだけ辛かったでしょうか。しかし、モーセが心労を苦痛にして死にたいと願ったのは断罪されるべきだったのでしょうか。これについて私は判断がつきません。もしモーセが苦しいので自殺するか自殺しようとしていたとすれば、間違いなく断罪に値しました。しかしモーセは自殺しようとしていません。ただ辛いので神が死により速やかにその辛さから解放させて下さるようにと願い求めただけです。

【11:16~20】
『主はモーセに仰せられた。「イスラエルの長老たちのうちから、あなたがよく知っている民の長老で、そのつかさである者七十人をわたしのために集め、彼らを会見の天幕に連れて来て、そこであなたのそばに立たせよ。わたしは降りて行って、その所であなたと語り、あなたの上にある霊のいくらかを取って彼らの上に置こう。それで彼らも民の重荷をあなたとともに負い、あなたはただひとりで負うことがないようになろう。あなたは民に言わなければならない。あすのために身をきよめなさい。あなたがたは肉が食べられるのだ。あなたがたが泣いて、『ああ肉が食べたい。エジプトでは良かった。』と、主につぶやいて言ったからだ。主が肉を下さる。あなたがたは肉が食べられるのだ。あなたがたが食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日だけではなく、一か月もであって、ついにはあなたがたの鼻から出て来て、吐きけを催すほどになる。それは、あなたがたのうちにおられる主をないがしろにして、御前に泣き、『なぜ、こうして私たちはエジプトから出て来たのだろう。』と言ったからだ。」』
 神はモーセの苦しみを顧みて下さったので、モーセに与えられていた霊を70人の長老たちにも与え、彼らにも重荷を負わせるようになさいました。後の箇所で書かれているように、これはモーセの上にある預言の霊が長老たちにも与えられるということでした。そうすれば70人の長老たちには権威と尊厳が増されることになります。そうしたならば彼らも多かれ少なかれモーセのようになります。このようにして70人の長老たちにはモーセのように重荷を負うべき正当な理由が生じるのです。

 また神はユダヤ人の欲望に応じ、彼らに肉を備えることにされました。しかも、それは短い間だけでなく『1か月も』でした。ところがユダヤ人たちは肉を食べられるからといって喜ぶことなどできませんでした。というのも、神は善意からユダヤ人たちの欲望を叶えるのではなく、裁きとして叶えることにされたからです。ですから、後に書かれている通り、ユダヤ人たちはやっと食べられるようになった肉により大変な悲惨を味わうこととなりました。

【11:21~23】
『しかしモーセは申し上げた。「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけで六十万です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一か月の間食べさせる、と言われます。彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚を全部集めても、彼らに十分でしょうか。」主はモーセに答えられた。「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」』

 モーセは、肉を与えると言われたのが裁きであるとまだ気づいていませんでした。何故なら、神はまだそれが裁きであると示しておられないからです。モーセは『徒歩の男子だけで六十万』人もいるユダヤ人に1か月もの間、どのようにして肉を食べさせられるのか疑問に感じました。手持ちの家畜を屠ったり、近くにあった海(紅海およびアカバ湾)で猟をするならば、数日は肉を食べられたかもしれません。しかし1か月も肉を食べるというのはモーセからすれば難しいと思えました。このように疑問を感じていたモーセに、神は『主の手は短いのだろうか。』と答えられます。神の御手は無限の長さですから、肉を無限にユダヤ人のもとへ備えることさえ可能でした。神に出来ないことが何かあるのでしょうか。では、肉の補給が難しいと思ったモーセは、神の全能について信じていなかった、あるいは知らなかったとでもいうのでしょうか。もちろんモーセは神が全能であられると信じていたでしょう。しかし、この時には神の全能に思いを及ぼすことを忘れていたのです。

【11:24~30】
『ここでモーセは出て行って、主のことばを民に告げた。そして彼は民の長老たちのうちから七十人を集め、彼らを天幕の回りに立たせた。すると主は雲の中にあって降りて来られ、モーセと語り、彼の上にある霊を取って、その七十人の長老にも与えた。その霊が彼らの上にとどまったとき、彼らは恍惚状態で預言した。しかし、それを重ねることはなかった。そのとき、ふたりの者が宿営に残っていた。ひとりの名はエルダデ、もうひとりの名はメダデであった。彼らの上にも霊がとどまった。―彼らは長老として登録された者たちであったが、天幕へは出て行かなかった。―彼らは宿営の中で恍惚状態で預言した。それで、ひとりの若者が走って来て、モーセに知らせて言った。「エルダデとメダデが宿営の中で恍惚状態で預言しています。」若いときからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアも答えて言った。「わが主、モーセよ。彼らをやめさせてください。」しかしモーセは彼に言った。「あなたは私のためを思ってねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」それからモーセとイスラエルの長老たちは、宿営に戻った。』
 神は、モーセに与えておられた預言の霊を、70人の長老たちにも分け与えられました。この時、モーセの上にある霊が少なくなったというのではありません。モーセの上にある霊は変わりませんでした。ただモーセの霊は変わらないままで70人の長老たちにもそれが与えられたのです。物理世界では分け与えられれば量が減ってしまいますが、霊の世界ではこういうことがあるのです。預言の霊をモーセから分与された長老たちは、『恍惚状態で預言し』ました。これは神の霊に満たされて預言をしたということです。何か狂気に似た現象として捉えてはなりません。この時に預言が重なることはありませんでした。何故なら、神の霊とは秩序と平和の霊であられるからです。この時、モーセのところには行かなかったエルダデとメダデにもモーセの霊が与えられました。これはエルダデとメダデも長老だったからです。霊は場所を超越していますから、この2人がモーセと一緒にいなかったことは妨げになりませんでした。なお、彼らがモーセのところに行かなかった理由は書かれていませんから分かりません。Ⅰサムエル記では、サウルもこのようにして預言をしたことが記されています。このエルダデとメダデが預言をした際、『ひとりの若者』が、それどころかヨシュアでさえ、エルダデとメダデの預言に驚きました。ヨシュアにおいてはこの2人の預言を止めさせようと働きかけました。しかし、モーセはヨシュアの思いに反し、エルダデとメダデも預言するのが望ましいとしました。何故なら、聖徒たちは全て預言者となるのが理想的だからです。確かに聖徒たちが全て神の霊により預言したとすればどれだけ素晴らしいでしょうか。このため、パウロも聖徒たちが全て預言できるように求めたのです(Ⅰコリント14:1、39)。