【民数記11:31~16:11】(2022/01/02)


【11:31~35】
『さて、主のほうから風が吹き、海の向こうからうずらを運んで来て、宿営の上に落とした。それは宿営の回りに、こちら側に約一日の道のり、あちら側にも約一日の道のり、地上に約二キュビトの高さになった。民はその日は、終日終夜、その翌日も一日中出て行って、うずらを集め、―最も少なく集めた者でも、十ホメルほど集めた。―彼らはそれらを、宿営の回りに広く広げた。肉が彼らの歯の間にあってまだかみ終わらないうちに、主の怒りが民に向かって燃え上がり、主は非常に激しい疫病で民を打った。こうして、欲望にかられた民を、彼らがそこに埋めたので、その場所の名をキブロテ・ハタアワと呼んだ。キブロテ・ハタアワから、民はハツェロテに進み、ハツェロテにとどまった。』
 民が願い求めていた肉は、ウズラとして遠くからやって来ました。神が風によりウズラを運ばれたので、その高さは『二キュビト』すなわち88センチにもなりました。このためユダヤ人は一番少ない者でも『十ホメル』(2.3トン)の肉を獲得できました。これは凄まじいことです。ところが、この肉は裁きとして運ばれてきました。ですから、大いに肉が食べられると喜悦したのも束の間、すぐにも肉の腐敗により疫病が生じました。このため肉を求めた者たちは疫病で死んでしまいました。このように多すぎる恵みはもはや恵みでなく、むしろ裁きです。辛いのが欲しいからといって辛すぎる食べ物が出されたならば内臓が破壊されます。快楽が欲しいからといって最強の麻薬であるヘロイン―それは全身に性行為の1000倍ぐらいの快楽が生じるといいます―をやれば身体と人生がおかしくなってしまいます。ユダヤ人たちも肉を求めましたが、多すぎる肉が与えられたので、かえって害をもたらすものとなりました。このようにして欲深い者たちは葬られました。その場所は『キブロテ・ハタアワ』と呼ばれました。これは「欲望の墓」という意味です。この出来事は後の時代の聖徒たちの教訓のために起こりました。欲望そのものが断罪されるものだというわけではありません。神はユダヤ人に肉を食べたいと言ってよいと語られましたし(申命記12:20)、堕落前のアダムにも善悪の知識の木を例外として園の木から心の赴くままに何でも食べてよい自由が与えられていました(創世記2:16~17)。もし欲望を持っていけないとすれば、食物を求めたペテロは断罪されねばならなくなりますし(使徒の働き10:10)、イチジクを食べたいと思われたキリストも非難されねばならないことになってしまいます(マタイ21:18~19)。駄目なのは、欲望を持つことではなく―もちろん持って良い欲望は正しい欲望に限られますが―、欲望の不満により神を蔑ろにすることです。欲求不満により神を蔑ろにするならば裁きが下されます。何故なら、その人は自分の欲求を神よりも上に置いたからです。この時のユダヤ人がしたのは正にこれでした。

 こうしてユダヤ人は、この『キブロテ・ハタアワ』から東に40kmほど離れた『ハツェロテ』に進みます。

【12:1~2】
『そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。彼らは言った。「主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。」主はこれを聞かれた。』
 そうこうしているうちに、モーセの姉ミリヤムがアロンと共にモーセの妻のことで非難をし始めました。モーセがユダヤ人であるにもかかわらずハムの子孫であるクシュ人を妻にしていたからです。確かにユダヤ人であれば最も望ましいのは同族と結婚することでした。しかし、モーセの場合は状況が状況でしたから、ユダヤ人以外の女性と結婚していたとしても仕方ありませんでした。このように非難したことをきっかけに、ミリヤムとアロンはモーセと自分たちが同等であるべきだと主張します。何故なら、神はモーセとだけでなくミリヤムとアロンとも話されたからです。つまり、神と話したという点で変わらないのだから、モーセより自分たち2人のほうが下に位置づけられているのはおかしいと言うのです。2人がこのように言ったのは、モーセに対するそれまで隠されていた妬みが遂に目に見える形として芽を出すことでした。このように2人が非難したのは致命的な愚かさであり、すべきではありませんでした。

【12:3】
『さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。』
 これは誇張でなく文字通りに捉えるべきです。モーセが世界一謙遜だったということは、彼の言葉から十分すぎるほど感じ取れるからです。先に見た民数記11:11~15の箇所でも、モーセは100万人以上もの人間を委ねられている最高指導者であるにもかかわらず、誇ったり光栄に思っている様子を見せることは全くありませんでした。むしろ、モーセは「どうして私などが民の指導者なのだろうか…」という思いを抱いていたことが分かります。彼に高慢なところは全くありませんでした。だからこそ神はモーセをイスラエルの最高指導者に選ばれたのです。というのも、神は謙遜な者に恵みをお与えになられる御方だからです(Ⅰペテロ5:5)。

【12:4~8】
『そこで、主は突然、モーセとアロンとミリヤムに、「あなたがた三人は会見の天幕の所へ出よ。」と言われたので、彼ら三人は出て行った。主は雲の柱の中にあって降りて来られ、天幕の入口に立って、アロンとミリヤムを呼ばれた。ふたりが出て行くと、仰せられた。「わたしのことばを聞け。もし、あなたがたのひとりが預言者であるなら、主であるわたしは、幻の中でその者にわたしを知らせ、夢の中でその者に語る。しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。彼はまた、主の姿を仰ぎ見ている。なぜ、あなたがたは、わたしのしもべモーセを恐れずに非難するのか。」』
 神はアロンとミリヤムを呼び出され、この2人が思い違いをしていると示されました。すなわち、2人は神と話したという共通点のゆえモーセと自分たちが同等だと思っていましたが、モーセは神と直に語り合っていたのでモーセのほうが格上とされるべき正当な理由を持っていたのです。確かに、神はアロンとミリヤムにも話しかけられましたが、モーセとの会話に比べるとその親密さの度合いが格段に違っていました。神の言われることは正しく絶対的な意味を持ちます。それゆえ、2人は反論することも弁明することもできませんでした。モーセに次ぐ権威を持っていたこの2人でさえ、このような愚かさを持っていました。人間とは惨めなものです。

【12:9~10】
『主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた。雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリヤムは、らい病にかかり、雪のように白くなった。アロンがミリヤムのほうを振り向くと、見よ、彼女はらい病にかかっていた。』
 神が怒られたので、裁きによりミリヤムはらい病にかかります。ミリヤムは白いミイラと化しました。これは神の怒りが目に見える形で現われたのです。女であれば、神に対してでさえ嘘を言ったり、嘘を言っても駄目ならば泣き崩れて憐れみの赦しを引き出そうとしかねません。女はそういうことをする場合が多いのです。私は女が嫌いだからこう言っているのではありません。私はただありのままを言っているだけです。私が今女に関して言ったことを偏見だとか女性軽視と言うのであれば、その人は女についてよく知らないのです。神はこういった女の性質を完全に理解しておられます。それゆえ、ミリヤムにらい病の裁きを与えるとすぐにも去って行かれ、ミリヤムが神に何か言う機会をお与えになりませんでした。女の強情さに付き合うことはできないからです。

 アロンはミリヤムのようにらい病の裁きを受けませんでした。アロンもミリヤムと共にモーセを非難したのですから、らい病にかかっていてもおかしくありません。どうしてアロンはらい病にかからなかったのでしょうか。これには2つの理由が考えられます。一つ目は、アロンがイスラエルの祭儀全体を統括する大祭司だったからです。そのアロンがらい病で汚れたらイスラエルの祭儀に支障が出ます。それはイスラエル共同体の根幹に関わります。もし大祭司が汚れたならば、誰が至聖所に入って祭儀を行なうのでしょうか。それゆえ、神はアロンを裁きから免れさせたと考えられます。二つ目は、この度の非難はミリヤムが主体となって行なわれたからです。民数記12:1の箇所を見ると、ミリヤムがアロンをモーセに対する非難へと引きずり込んだと推測されます。つまり、アロンはミリヤムに誘われなければモーセを非難していなかった可能性が高いと思われます。実際、ここまでの箇所を見ても、アロンはモーセに対して非難の気を持っているかのようには思えません。ですから、神はミリヤムだけを裁かれたのだと考えられます。この2つのうち可能性として高いのは一つ目の理由のほうです。

 この出来事から、私たちは神の人を軽率に非難すべきでないことを学ばなければなりません。そうすれば神の怒りを燃え上がらせ、裁きを招くからです。パウロがペテロを非難したように、誰の目にも非難されるべき罪を犯していることが明らかな場合は、非難したとしても問題ないかもしれません(ガラテヤ2:11~12)。何故なら、もしそうでなければパウロのペテロ非難は過ちだったことになりますが、聖徒のうち誰がパウロの非難を過ちだと見做すでしょうか。ミリヤムのようにすべきでない非難をすれば、神の裁きは免れないでしょう。それは大きな罪だからです。パリサイ人たちもキリストを軽率に非難しました。そのため彼らは断罪され、滅ぼされ、地獄に堕ちて行きました。古代ローマもキリスト教を軽率に非難していました。ですから、神の復讐により、自分たちの非難していたキリスト教により滅んでしまいました。

【12:11~15】
『アロンはモーセに言った。「わが主よ。私たちが愚かで犯しました罪の罰をどうか、私たちに負わせないでください。どうか、彼女を、その肉が半ば腐って母の胎から出て来る死人のようにしないでください。」それで、モーセは主に叫んで言った。「神よ。どうか、彼女をいやしてください。」しかし主はモーセに言われた。「彼女の父が、彼女の顔につばきしてさえ、彼女は七日間、恥をかかせられたことになるではないか。彼女を七日間、宿営の外に締め出しておかねばならない。その後に彼女を連れ戻すことができる。」それでミリヤムは七日間、宿営の外に締め出された。民はミリヤムが連れ戻されるまで、旅立たなかった。』
 アロンは、自分たちが犯した罪の罰から免れさせてくれとモーセに懇願します。アロンは神に懇願していません。モーセに対して懇願しています。これは、モーセが2人の罪を赦し、神に2人を憐れんで下さるよう願い求めてくれるようにするためだったと思われます。このアロンが12節目でミリヤムについて言っている表現は非凡なところがあります。アロンがモーセを『主』と呼んでいるのは、実際にモーセが本当の主であるという意味ではありません。これは単に「主のような存在」という意味です。何故なら、アロンの主はヤハウェだからです。アロンの言葉を受けて、モーセは神がミリヤムを癒して下さるように願い求めます。神はモーセの願いを聞き入れて下さいました。しかし、ミリヤムが癒されるのは7日後でした。ミリヤムは癒されるまで宿営の外に追放されていなければなりません。14節目では、ミリヤムがレビラート婚を拒絶した男のように7日間恥ずべき状態になると例えられています(申命記25:1~10)。こうしてミリヤムは自分の犯した罪に対して懲らしめを受けました。この時にミリヤムが何を言ったか、どのような態度を示したのか、聖書は何も示していません。彼女が反省の態度を見せたのか、黙っていたのか、強情に弁明したのか、私たちには何も分かりません。ただこれ以降、ミリヤムは二度とモーセを軽率に非難しなくなったと思われます。

【12:16】
『その後、民はハツェロテから旅立ち、パランの荒野に宿営した。』
 7日経ってミリヤムが癒されると、民はハツェロテから北に広がるパランの荒野へ宿営の旅を続けました。目的地は至福の地カナンです。もう間もなく民はカナンの地に入植できるのです。神は、もうすぐに民がカナンを占領するよう導かれるつもりでした。少なくともこの時点ではそうでした。しかし、これからイスラエル人は……

【13:1~2】
『主はモーセに告げて仰せられた。「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」』
 神は、12部族の長たちをカナンへ偵察に遣わされます。カナンを偵察するのは、これからそこを占領するからです。目的となる事柄や場所について事前に知っておくのは知恵であり思慮です。誰がこれを疑うでしょうか。また民の上に立つ族長たちが自ら偵察に行くのは、彼らが指導者だからです。指導者が民の誰よりも知識と情報を持っておくべきであり、何も知らないでは指導者に相応しくありませんから、族長たちが直に占領すべき地を見るべきでした。誰がこうするのを間違っていると言うでしょうか。また、族長たちが偵察するのは、彼らこそ先知の恵みに与かるべきだからです。一番上の立場にいる者が、下にいる誰よりもある重要な事柄を先んじて知るべきでしょう。誰がこれを問題だと思うのでしょうか。

【13:3~20】
『モーセは主の命によって、パランの荒野から彼らを遣わした。彼らはみな、イスラエル人のかしらであった。彼らの名は次のとおりであった。ルベン部族からはザクルの子シャムア。シメオン部族からはホリの子シャファテ。ユダ部族からはエフネの子カレブ。イッサカル部族からはヨセフの子イグアル。エフライム部族からはヌンの子ホセア。ベニヤミン部族からはラフの子パルティ。ゼブルン部族からはソディの子ガディエル。ヨセフ部族、すなわちマナセ部族からはスシの子ガディ。ダン部族からはゲマリの子アミエル。アシェル部族からはミカエルの子セトル。ナフタリ部族からはボフシの子ナフビ。ガド部族からはマキの子ゲウエル。以上は、モーセがその地を探らせるために遣わした者の名であった。そのときモーセはヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた。モーセは彼らを、カナンの地を探りにやったときに、言った。「あちらに上って行ってネゲブにはいり、山地に行って、その地がどんなであるか、そこに住んでいる民が強いか弱いか、あるいは少ないか多いかを調べなさい。また彼らが住んでいる土地はどうか、それが良いか悪いか。彼らが住んでいる町々はどうか、それらは宿営かそれとも城壁の町か。土地はどうか、それは肥えているか、やせているか。そこには木があるか、ないかを調べなさい。あなたがたは勇気を出し、その地のくだものを取って来なさい。」その季節は初ぶどうの熟すころであった。』
 モーセは、12部族の長たちをカナンの地へ遣わします。この12人に、道具持ち、記録係、世話係、僕や奴隷、また子どもが付いて行ったかどうかは分かりません。また、旅に役立つ家畜が付いて行ったかも分かりません。私たちがよく知っている『エフネの子カレブ』は、ユダ族の長でした。カレブは一般の民の一人ではありませんでした。私たちはカレブカレブとは言いますが、彼がユダ族のリーダーだったことにはほとんど言及しません。カレブが族長だったことは、そこまで重要だとは言えないかもしれません。しかし、彼がユダ族だったということは、多かれ少なかれ注目に値します。また、同じく私たちがよく知っている『ヌンの子ホセア』は、エフライム族の長でした。当時の世代の者のうち例外的にカナンへ入れた者の一人であるこのホセアは、ヨセフの子孫だったからこそそのような恵みを受けられたのかもしれません。彼の名は『ホセア』でしたが、モーセにより『ヨシュア』と命名されました。これは彼がモーセの後継者になる人物だったからです。ヨシュアはやがてヌンの子というよりはモーセの後継者としての意味合いが強くなる人物です。ですから、彼にモーセが新しく命名したのは適切でした。この『ヨシュア』というヘブル語の名前は、ギリシャ語では「イエス」です。つまり、ヨシュアはイエス・キリストを予表しています。何故なら、ヨシュアが敵であるカナン人の国を攻め取ったように、キリストも敵であるサタンの国を攻め取ったからです。確かにキリストは『悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし』(ヘブル2章14節)てしまわれました。この箇所で言われている12人の長たちは、先に民数記1:5~15の箇所で言われていた長たちとは異なります。先に言われていた長たちも長でしたが、この箇所で言われているのはまた別の長だったのでしょう。共和制のローマに2人のリーダー(執政官)がいたことからも分かる通り、複数のリーダーがいてもおかしいということはありません。なお、モーセとアロンは彼らと共に偵察しに行きませんでした。モーセは統括と指導の仕事を、アロンは祭儀の仕事をすべきだったからです。もしモーセとアロンがイスラエルを留守にすれば、イスラエル共同体は運営的に停止してしまいます。

 モーセは族長たちを偵察に行かせる際、カナンの地を詳細に調査するよう指示します。これは、これからその地を占領するからです。神がユダヤ人にカナンを占領させることは既に決定済みでした。ですが、だからといってユダヤ人がカナンを事前に調査しなくてもいいということにはなりません。神がある事柄で働いて下さるにしても、人間の側では為すべき義務を決して怠らない。このようにしてこそ神も豊かに働きかけて下さるのです。神が必ずカナンをユダヤ人に占領させて下さるというので、ユダヤ人が何もせず怠けていたら、どうしてカナンを占領できるでしょうか。神が占領させて下さるのであれば、ユダヤ人もしっかりと義務を果たすべきなのです。この時にモーセはカナンの果物を取って来るよう命じます。これはカナンでの至福における前味を堪能することで、希望を強め、イスラエル人の意気が高まるようにするためです。もしカナンの果物をイスラエル人が見、食べたならば、イスラエル人がカナンを早く占領したくなるよう急かされるのは目に見えています。

【13:21~24】
『そこで、彼らは上って行き、ツィンの荒野からレボ・ハマテのレホブまで、その地を探った。彼らは上って行ってネゲブにはいり、ヘブロンまで行った。そこにはアナクの子孫であるアヒマンと、シェシャイと、タルマイが住んでいた。ヘブロンはエジプトのツォアンより七年前に建てられた。彼らはエシュコルの谷まで来て、そこでぶどうが一ふさついた枝を切り取り、それをふたりが棒でかついだ。また、いくらかのざくろやいちじくも切り取った。イスラエル人がそこで切り取ったぶどうのふさのことから、その場所はエシュコルの谷と呼ばれた。』
 こうしてユダヤ人はエルサレムの近くにあるヘブロンまで北上しましたが、これはかなりの距離であり、完全に敵の陣営に入り込んでいます。地図を見るとかなり大胆に進んだと感じられます。これは彼らが臆していなかったことの印です。そこにはアナク人がいましたが、これはカナンの子孫です。ですからハム人です。またイスラエル人はそこにあった果物を切り取り、持ち帰りました。このような果物が多くあるからこそ、そこは『乳と蜜の流れる地』と呼ばれたのです。『乳と蜜』という言葉では食生活・味覚の甘美さも他の甘美さと共に示されているからです。

【13:25~29】
『四十日がたって、彼らはその地の偵察から帰って来た。そして、ただちにパランの荒野のカデシュにいるモーセとアロンおよびイスラエルの全会衆のところに行き、ふたりと全会衆に報告をして、彼らにその地のくだものを見せた。彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます。」』
 族長たちは『四十日』偵察しましたが、これが指定された日数なのかそうでないのかは分かりません。聖書で「40」は十分さを示す象徴数ですが、ここで言われてる『四十日』は実際の日数でもあります。また、この『四十日』という日数は、出発して帰って来るまでの総日数ですから、カナンの地を実際に偵察した日数はもっと少なかったはずです。

 偵察から帰って来た族長たちは、カナンから持ち帰った果物を皆に見せます。この果物は本当にカナンが『乳と蜜の流れる地』であるという明白な証拠品でした。もしそこに乳と蜜が流れていなければ(これはあくまでも表現ですが)、恐らく果物もなかったはずです。これはイスラエルにとって良い知らせでした。民はますますカナンの地が恋しくなったに違いありません。

 しかし、すぐ続けて民を悲観させる知らせも伝えられました。すなわち、族長たちはカナンの地には城壁があり、そこの住民は大きくて力強いと知らせました。これはユダヤ人にとって脅威に感じられました。このようなことは結果的に言えば伝えないほうが良かったのですが、族長たちは調査結果をしっかり伝えねばならなかったので、隠しておくことはできませんでした。このようにユダヤ人は昔から今に至るまで、ある事柄を大胆に抵抗なく伝達する性質があります。最近でもアウシュビッツ収容所に投獄されたユダヤ人が、まだ投獄されず隠れている仲間のユダヤ人たちがどこにいるかを、包み隠さずナチスの所員に伝え知らせたのです。この結果、更に多くのユダヤ人が収容所送りにされたので、邪悪なヘスでさえユダヤ人の性質について驚愕せざるを得ませんでした。このような性質はアウシュビッツのユダヤ人や私たちが今見ている族長たちのような場合であれば最悪の効果を生じさせますが、神の真理を伝え知らせる伝達員としてはこれほど相応しい人たちはいないでしょう。これこそ神がユダヤ人を御自分の民として選び取られた大きな理由の一つではないかと考えられます。

【13:30】
『そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」』
 ユダ族のカレブは、神とその全能の御力を信頼していました。彼は、神がユダヤ人をカナンに住まわせて下さるという約束を信じていました。その約束はアブラハムの頃からありました。このため、カレブはユダヤ人が必ずカナンを占領できると皆に説き聞かせます。それは、神が定められた以上、ユダヤ人は必ずカナンを侵攻できるからです。また神はカナンの民族よりも大きくて強い御方だからです。このように説き聞かせたカレブは正しい信仰を持った敬虔な人でした。この箇所では書かれていませんが、ヌンの子ヨシュアもカレブのようでした。私たちも、このカレブのようになるべきでしょう。相手がいかに強いといっても、神のほうが遥かに強いのです。敵がどれだけ大きくても神のほうが大きいのです。そうであれば、神に信頼する者にとって、敵の強さと大きさなど取るに足りません。神のほうが相手よりも弱く小さければ話は別だったでしょうが、そういうことはないのです。

【13:31~14:4】
『しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。そこで、私たちはネフェリム人、ネフェリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」そして互いに言った。「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」』
 カレブとヨシュア以外の族長たちは、カナンの住民が強くて大きいので、とてもじゃないがそこを占領することなどできないと嘆いて尻込みしました。これは何という不信仰、何という愚かさ、何という軟弱さでしょうか。神の約束は必ず実現することを知らなかったとでもいうのでしょうか。神の御前ではカナンの住民など塵以下の存在だということを悟れなかったとでもいうのでしょうか。神が共におられるのに敵に打ち勝てないとでもいうのでしょうか。彼らとて神の定めと神の御力について知らないわけではなかったはずです。それでは、どうしてここにおいて恥ずべき醜態を見せたのでしょうか。それは彼らが敵たちの恐るべき脅威に圧倒され精神を麻痺させられたので、正しく理性を行使できず、全能の神について思いを及ぼすことができなくなったからでしょう。つまり、簡単に言えば恐怖のあまり何も考えられなくなったのです。御覧ください、目に見える物質の力は何という大きな効力を有していることでしょうか。人間は、物質的な力や大きさに屈しやすいのです。これは一つの例ですが、地域で喧嘩が一番強いので自信満々な不良少年も、もし身長2m30cmの大男が現われたならばその大きさに圧倒されて自信など容易く吹き飛ばされてしまうでしょう。一方、神の御力は最強であってあらゆる物質の力を遥かに上回っていますが、目に見えないので、多くの人間はそれを無視しそれに信頼することができません。ここに信仰の難しさがあります。それゆえ、信仰のない未信者や私たちが今見ているユダヤ人のようにまだ信仰的に未熟な人は、物質的な大きさや力を前にすると屈しやすいのです。カレブとヨシュアは強い信仰を持っていたので、物質を超越した態度を取ることができました。

 ここで言われている『ネフェリム』という言葉は、創世記6章の箇所で既に出てきました(創世記6:4)。創世記でネフェリムと言われていたのは大巨人のことでしたが、カナンにいたネフェリム人が創世記6章における大巨人の子孫だというわけではありません。何故なら、その大巨人は大洪水により死んだからです(創世記7:21~22)。この箇所で言われている『ネフェリム人』は、昔のネフェリムのように巨体だったのでこう呼ばれていたに過ぎません。ですから、ここで『ネフェリム人』と言われているからというので、「これは創世記6章の大巨人の子孫だ。」とか「ノアの大洪水では生き残ったネフェリムがいた。」などと考えることがあってはなりません。それではカナンにいたネフェリム人はどのぐらい大きかったのでしょうか。推測の域を出ませんが、3~5mぐらいはあったと考えられます。何故なら、ネフェリム人に対してユダヤ人は『いなごのように見えた』からです。ヘロドトスの本では、巨人の遺骸が発掘されたことについて記録されていますから、昔にそのような巨人がいたと聞いても疑うべきではありません。もちろん今の時代ではそのような巨人はもういません。ですが、だからといって今の基準で、昔の世界を判断しようとするのは合理的な根拠が欠けています。というのも、今がこうだからといって昔もそうだったとは限らないからです。ですから、昔に巨人がいたことなどなかったなどと言うのは、ただの推測か願望です。実際に巨体人間の遺骸が発掘されており、その写真もあるのですから、昔は今と違って巨人がいたとするのが自然な考えでしょう。

 このネフェリム人を見たユダヤ人は絶望したので、カナンに行けば殺され、妻子たちは奪い取られるなどと勝手に想像してしまいました。彼らのうちでは、恐怖が恐怖を呼び起こしていました。こういった経験をしたことのある人は少なくないかもしれません。人は悲観的になると極みまで悲観的になってしまうのです。このように恐れの連鎖に呑み込まれたユダヤ人たちは怠け者でした。彼らは使命を果たすことにおいて怠け者だったので、わざわざ苦労をしたくないために、こういった恐怖に自らを陥らせていたのです。何故なら、そのようにすれば大変なことをわざわざしなくてもよい正当な理由が生じるように感じられるからです。「これこれこういった危険性があるはずだから行なわなくても仕方あるまい。」などと思って。このように恐れと怠惰は密接に関連しています。恐れるから怠惰になるのであり、怠惰になりたいからこそ恐れに自ら陥るのです。このことについてソロモンはこう言っています。『なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される。」と。』(箴言22章13節)『なまけ者は「道に獅子がいる。ちまたに雄獅子がいる。」と言う。』(箴言26章13節)恐れない者は勇気を持って進み行くので勤勉になります。

 こうして尻込みしたユダヤ人たちは、愚かにもエジプトに引き返そうとします。これは狂気の沙汰でした。それはやっと解放されて自由になった元囚人が、再び獄舎へ戻って奴隷状態になるのを願うのと一緒だからです。こんな馬鹿げたことがあるでしょうか。彼らは帰る際に『ひとりのかしらを立て』ようとしましたが、これはモーセでない別の指導者を選び出すということです。彼らはもうモーセなどどうでもよくなっていました。ああ、彼らは一体なんという無様な振る舞いに陥ったことでしょうか。神がこのモーセを通して労役に呻いていたユダヤ人たちを奇跡的に解放して下さったというのに。これほどの忘恩が他にあるでしょうか。

【14:5】
『そこで、モーセとアロンは、イスラエル人の会衆の全集会の集まっている前でひれ伏した。』
 このようなユダヤ人たちの愚かな謀反を受けて、モーセとアロンは平伏したと書かれていますが、誰に平伏したのでしょうか。神にでしょうか、民衆全体にでしょうか。これは神にだと思われます。民数記16:4の箇所でもレビの子たちが反逆した際、モーセは『ひれ伏した』と書かれていますが、その直後にモーセは『レビの子たちよ。あなたがたが分を越えているのだ。』(民数記16章7節)とレビの子たちに言い返しています。もしモーセが反逆したレビの子たちに対して『ひれ伏した』のであれば、そのすぐ後でレビの子たちに毅然と言い返したことは説明できないと思われます。何故なら、平伏すというのは相手に屈服して何も言い返さないということだからです。ですから、私たちが今見ている箇所でも、モーセは人にでなく神に平伏したと考えられるのです。民数記20:2~6の箇所でも民衆がモーセとアロンに反逆しましたが、その直後にモーセとアロンは人にでなく神に対して平伏しています(民数記20:6)。こちらのほうでは謀反の直後に神に平伏したことが明らかです。私たちが今見ているこの箇所も反逆の直後に平伏しているという点で一致していますから、やはりここでは神に対して平伏したことが言われているのでしょう。そもそも、モーセが民衆に対して平伏すというのは、それ自体からして考えにくいと言わねばなりません。何故なら、モーセは民に対してへいへいするようなつまらない小物ではなかったからです。

【14:6~9】
『すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地はすばらしく良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」』
 ヨシュアとカレブは真の信仰者でした。ですから、ユダヤ人たちが愚かにも謀反している中にあって、ヨシュアとカレブは神への信仰を貫き通しました。2人が民衆に反対して叫ぶのは命の危険を伴いました。こうしたのはこの2人だけでした。この2人は、御心に適うのであれば必ずカナンを占領できると信じて疑いませんでした。これは正しいことでした。何故なら、神の御心は絶対に実現するからです。また9節目で言われている通り、カナン人から神の守りは取り去られていました。それは彼らが極みまで堕落していたからです。カナン人に裁きの滅びは間近でした。ですから、神もカナン人に守りをお与えになりません。それゆえ、イスラエル人は必ずカナン人を駆逐することができたのです。彼らの強さや大きさは関係ありません。この時に2人が着物を引き裂いたのは、怒りと心の激動を示すためです。古代人はこのようにして心の状態を表出させていました。これは感情をよく表わす国の人であればあまり違和感を持たないかもしれませんが、日本人のようにシャイな国民ですと少し分かりにくいところがあるかもしれません。この勇気ある信仰者の2人は全ての正しい信仰者にとって先輩です。私たちもこの2人に倣わねばならないでしょう。

 ヨシュアとカレブのように、いつの時代でも本当に正しいのはごく僅かな人だけです。それ以外の人々は誤謬と無知の中に放置されています。それは、堕落した世界にあって唯一正しかったノア、異端者だと言われながらも地動説を確信し続けたコペルニクス、全く無視され続けたものの絵を描き続けたゴッホなどを考えれば分かります。これは神がごく僅かな人にだけ特別な恵みを注がれる御方だからなのです。

【14:10】
『しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。』
 恐怖で頭がおかしくなっていたユダヤ人たちは、自分たちの意向に反することを主張しているヨシュアとカレブが目障りだったので、この2人を打ち殺そうとします。もし2人の言う通りにしてカナンに侵攻しても、そこにいるカナン人に打ち勝てるとは思えなかったからです。もしそういうことをすればユダヤ民族が全滅してしまうと彼らには感じられたのでしょう。そんなことがあってはなりません。だからこそ、民衆はカナンに自分たちを行かせようとする2人を殺そうとしたのでした。もう彼らには神も神の御力も考えられなくなっていました。彼らの頭は恐怖で満ちていたからです。これは反抗的な牛に例えることができます。飼い主がその牛に仕事をさせようとしてやって来ます。しかし、その牛は仕事をして大変な思いをしたくないので、自分のところに来た飼い主を殺そうとするのです。

【14:10~12】
『そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現われた。主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行なったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」』
 ヨシュアとカレブが殺されようとしていた時、神がその栄光をもって介入されたので、2人は守られました。もし神が介入して下さらなければ2人は殺されていたでしょう。神はこのように、御自分に信頼する者を守られる御方です。ルターも神に信頼していたので、ヴォルムス国会での危険な時、奇跡的な仕方で助け出されました。ここで神の栄光が現われたと書かれているのは、神の栄光を示す雲が民に対して現われたということです。

 神は謀反を起こしたユダヤ人たちを疫病で滅ぼそうとされます。彼らが滅ぼされるのは当然でした。何故なら、彼らは幾度となく神を蔑ろにしたのですから。しかし、モーセだけは滅ぼされず、『彼らよりも大いなる強い国民に』されると言われています。これはモーセが偉大な人物として後世に至るまで記憶されるということです。モーセは民と違い、謀反を起こしていませんから、滅ぼされる必要がありませんでした。民が滅ぼされるのに対しモーセは高められるというのは、出エジプト記32:9~10の箇所でも言われていました。

【14:13~19】
『モーセは主に申し上げた。「エジプトは、あなたが御力によって、彼らのうちからこの民を導き出されたことを聞いて、この地の住民に告げましょう。事実、彼らは、あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主がまのあたりに現われて、あなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱のうちにあって、彼らの前を歩んでおられるのを聞いているのです。そこでもし、あなたがこの民をひとり残らず殺すなら、あなたのうわさを聞いた異邦の民は次のように言うでしょう。『主はこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、彼らを荒野で殺したのだ。』どうか今、わが主の大きな力を現わしてください。あなたは次のように約束されました。『主は怒るのにおそく、恵み豊かである。咎とそむきを赦すが、罰すべき者は必ず罰して、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす。』と。あなたがこの民をエジプトから今に至るまで赦してくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」』
 モーセは神の名誉に訴えて赦しを願いましたが、これは大きな効果がありました。神は御自身の名誉のゆえイスラエルを赦して下さいました。神にとって御自分の名誉は最も重要ですから、イスラエルを滅ぼすことでその名誉が汚されるということになってはならないからです。ここでモーセは神の恵みにより赦して下さるよう求めています。民はこの時にあまりにも大きい罪を犯しました。しかし、神の恵みは民の罪を無限に上回っていました。実に神の恵みは、御自分の一人子をさえ罪のため惜しまず十字架に架からせるほどに巨大です。その巨大さは無限です。ですから、神は御自分の無限の恵みにより、民の罪を赦して下さるのです。もし神が御自分の名誉を顧みられなかったとすれば、また神が恵み深くない御方だったとすれば、イスラエルに赦しはなかったでしょう。ところで、13~14節目で言われている通り、エジプト人はヤハウェが柱によりユダヤ人を導いておられることを知っていました。エジプト人が知っていたとすれば、エジプト人以外の民族にも知られていたとするのが自然です。何故なら、これをエジプト人だけが限定的に知っていたというのは考えにくいからです。当時の異邦人たちは、荒野に行けば実際にヤハウェが柱によりユダヤ人を先導しておられる様子を確認できたのです。「それでは、ヤハウェがユダヤ人を荒野で導いておられることについて記録された異邦人の文書は残っているのか。」などと誰かが問うかもしれません。私の知る限り、そのような文書は残されていません。しかし、だからといって何か問題が生じるということはありません。というのも、モーセの時代に書かれた文書は、著名だったであろう文書でもほとんど残されていないからです。この時代の状況を考えるならば、荒野でのイスラエル人について記録した異邦人の文書がずっと残されていると期待することは非常に難しいと言わねばなりません。王の事績について書かれた文書でさえ、失われているか、たとえ残っていても欠けた部分が多くあったりするのです。それなのにユダヤ人という異邦人からすれば重要性をほとんど持たない民族における荒野生活を記した文書が残っていたとすれば、それは驚くべきことであり奇跡的だと言わねばならないでしょう。

【14:20~24】
『主は仰せられた。「わたしはあなたのことばどおりに赦そう。しかしながら、わたしが生きており、主の栄光が全地に満ちている以上、エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行なったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、みな、わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることがない。ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。』
 神は、モーセの願い通りにイスラエル人を赦されました。神は赦しの神であられるからです。これでもはやイスラエル人が滅ぼされることはなくなりました。この時に神が赦されたのは、彼らが待ち望んでいたキリストのゆえでした。何故なら、キリストによらなければ罪の赦しはありえないからです。

 イスラエル人は滅ぼされずに済んだものの、その時にいた者たちは、カナンの地に入れなくされました。というのも彼らは至福の地カナンに相応しくなかったからです。この時から既に謀反を起こしているようでは、どうしてカナンに入ってから神に服従できるでしょうか。今神に従えないのであれば、カナンに入ってからも従えないでしょう。ですから彼らからカナンの恵みは取り上げられました。これは悲劇です。しかし、こうなったのは全て彼らの態度に原因がありましたから自業自得でした。もし彼らが従順であればすぐにもカナンの地へ入れたのです。この不従順なユダヤ人についてヘブル3:18の箇所ではこう書かれています。『また、わたしの安息にはいらせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。』この箇所で『十度』と言われているのは象徴表現であって、これは「とにかく何度も」という意味です。これは厳密に文字通りに捉えるべきではありません。

 カレブと、この箇所では書かれていませんがヨシュアだけは、例外的にカナンへ入ることができました。この2人は謀反を起こしていないのでカナンに入れない理由がないからです。この時にいたユダヤ人のうち、やがてカナンに入れたのはこの2人だけでした。

【14:25】
『低地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、あす、向きを変えて葦の海の道を通り、荒野へ出発せよ。」』
 もう当時のユダヤ人はヨシュアとカレブを除いてカナンに入れなくなりましたが、それでみ神は彼らに旅を続けさせます。彼らは荒野を彷徨わなければいけないからです。神はもはやイスラエル人を滅ぼされません。ですから、『アマレク人とカナン人』を避けて歩ませました。アマレク人は強くて獰猛だからであり、カナン人は少なくともこの時のユダヤ人には勝ち目がなくなったからです。どちらと戦ってもイスラエル人は滅ぼされかねません。『葦の海』すなわち紅海の『道』とは、紅海の沿岸に沿った道を指しているのでしょう。

【14:26~27】
『主はモーセとアロンに告げて仰せられた。「いつまでこの悪い会衆は、わたしにつぶやいているのか。わたしはイスラエル人が、わたしにつぶやいているつぶやきを、もう聞いている。』
 ユダヤ人は飽きもせず神への呟きを続けていました。神に対する根本的な不満が彼らの心の奥底にあったのかもしれません。ですから、その不満が呟きとなって泉のようにブクブク吹き上がっていたのでしょう。これはもうどうしようもありません。どうしようもないからこそ、彼らはカナンに入れなくなったのです。このように不敬虔な者はいつでも神への呟きを持ちます。しかし、敬虔な者はいつでも神への賛美を持ちます。それは、ダビデが『私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。』(詩篇34:1)と言った通りです。ヨブも辛い中にあって神への賛美を止めませんでした。不敬虔な者はこのようにできません。それゆえ不敬虔なのです。

【14:28~38】
『あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。ただエフネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほかは、あなたがたを住まわせるとわたしが誓った地に、だれも決してはいることはできない。さらわれてしまうと、あなたがたが言ったあなたがたの子どもたちを、わたしは導き入れよう。彼らはあなたがたが拒んだ地を知るようになる。しかし、あなたがたは死体となってこの荒野に倒れなければならない。あなたがたの子どもたちは、この荒野で四十年の間羊を飼う者となり、あなたがたが死体となってこの荒野で倒れてしまうまで、あなたがたの背信の罪を負わなければならない。あなたがたが、かの地を探った日数は四十日であった。その一日を一年と数えて、四十年の間あなたがたは自分の咎を負わなければならない。こうしてわたしへの反抗が何かを思い知ろう。主であるわたしが言う。一つになってわたしに逆らったこの悪い会衆のすべてに対して、わたしは必ず次のことを行なう。この荒野で彼らはひとり残らず死ななければならない。モーセがかの地を探らせるために遣わした者で、帰って来て、その地について悪く言いふらし、全会衆をモーセにつぶやかせた者たちも。」こうして、その地をひどく悪く言いふらした者たちは、主の前に、疫病で死んだ。しかし、かの地を探りに行った者のうち、ヌンの子ヨシュアと、エフネの子カレブは生き残った。』
 神は、裁きとして、ユダヤ人たちに自分が言った通りのことを実現されました(民数記14:2)。荒野で『二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ』のです。このため、その時に20歳以上だったユダヤ人は全て荒野で死体と化しました。その死体は、地中に埋められるか近くの川もしくは海に葬られたはずです。しかし、20歳以下のユダヤ人はカナンに入ることができました。ところで最近のユダヤ人は、ハンナ・アーレントなどがそうですが、ユダヤの偉大な先祖たちにしか目を向けません。しかし、そのようにして誇っても高ぶりが生じるだけであり、愚かになります。彼らはこのような恥ずべき歴史にこそ目を向けねばなりません。そして心を痛めなければなりません。そうしてこそ真に賢くなることができるからです。彼らは謙遜のうちに知恵があることを知らねばならないのです。私が言ったことについて、ヤコブはこう言っています。『あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。』(ヤコブ4章9節)ソロモンもこう言っています。『悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。』(伝道者の書7章3節)キリストもこう言っておられます。『悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。』(マタイ5章4節)

 既に見たようにユダヤ人の偵察期間は『四十日』でしたが、神はこの1日を1年とし、ユダヤ人が40年間も荒野を彷徨うようにされました。これは彼らが神に逆らうとはどういうことなのかよく悟るためであり、大いに反省するためです。もし彷徨う期間が400日であれば、神に逆らうことの重大さをあまり理解できず、反省もしにくかったでしょう。それでは意味がありません。ですから、神は40日を40年の刑罰に倍増させられたのでした。こういうわけですから、神とは恐れられねばならない御方です。神の下される刑罰は非常に大きいからです。

 この時に民を悲観させた10人の族長たちは、裁きとして疫病で殺されました。これは彼らの罪があまりにも大きかったからです。民がカナン侵攻に尻込みした原因はこの族長たちが悪く言いふらしたことでした。もし彼らがカナンの地について悪く言っていなければ、民は絶望しておらず、侵攻に尻込みしなかったはずです。全ての元凶はこの族長たちなのです。ですから、彼らは死ななければいけませんでした。

【14:39~45】
『モーセがこれらのことばを、すべてのイスラエル人に告げたとき、民はひどく悲しんだ。翌朝早く、彼らは山地の峰のほうに上って行こうとして言った。「私たちは罪を犯したのだから、とにかく主が言われた所へ上って行ってみよう。」するとモーセは言った。「あなたがたはなぜ、主の命令にそむこうとしているのか。それは成功しない。上って行ってはならない。主はあなたがたのうちにおられないのだ。あなたがたが敵に打ち負かされないように。そこにはアマレク人とカナン人とがあなたがたの前にいるから、あなたがたは剣で打ち倒されよう。あなたがたが主にそむいて従わなかったのだから、主はあなたがたとともにはおられない。」それでも、彼らはかまわずに山地の峰のほうに登って行った。しかし、主の契約の箱とモーセとは、宿営の中から動かなかった。山地に住んでいたアマレク人とカナン人は、下って来て、彼らを打ち、ホルマまで彼らを追い散らした。』
 イスラエル人は裁きの言葉を聞いて、やっと目を覚ましました。モーセを通して告げられた神の宣言が、イスラエル人が犯した罪の重大さをよく実感させたからです。現代でも、それまでは平気でいた犯罪者が死刑宣告を下された途端に様子を変えて動揺したりするものです。この時、イスラエル人はやっとのことでカナン侵攻を行なおうとしました。自分たちが為すべきことをしていなかったと感じたからです。これは、癌の宣告を受けた人が、その日から急に食生活を変えようとするのに似ています。

 やり直しをしようとするイスラエル人に対し、モーセは成功しないから止めよと警告します。何故なら、彼らは神に背いたからです。神は御自分に背く者と共に歩まれません。私たちは、自分の気に入らない人と何かをしたいとは思わないはずです。同様に神も御自分に背く者たちが気に入らないので、一緒に歩もうとは思われないのです。神は御自分に忠実な者と共に歩まれます。

 モーセが警告したにもかかわらず、ユダヤ人は自分たちに言われたことに反対するのが好きだったようであり、勝手にカナンへ行こうとします。これは神の御心に適いませんでした。神のおられる箱と神の使いであるモーセは彼らと一緒に行こうとしなかったことが、それを良く示しています。もしこれが御心でれば箱もモーセも一緒に行っていたでしょう。このためカナンのほうに行ったユダヤ人は、そこにいたアマレク人とカナン人に打ち負かされてしまいました。

【15:1~12】
『主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。わたしがあなたがたに与えて住ませる地にあなたがたがはいり、特別な誓願を果たすために、または進んでささげるささげ物として、あるいは例祭のときに、主へのなだめのかおりをささげるために、牛か羊の群れから全焼のいけにえでも、ほかのいけにえでも、火によるささげ物を主にささげるときは、そのささげ物をささげる者は、穀物のささげ物として、油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパを主にささげなければならない。また全焼のいけにえ、またはほかのいけにえに添えて、子羊一頭のためのそそぎのささげ物としては四分の一ヒンのぶどう酒をささげなければならない。雄羊の場合には、穀物のささげ物として、油三分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の二エパをささげ、さらに、注ぎのささげ物としてぶどう酒三分の一ヒンを主へのなだめのかおりとして、ささげなければならない。また、あなたが特別な誓願を果たすため、あるいは、和解のいけにえとして、若い牛を全焼のいけにえ、または、ほかのいけにえとして主にささげるときは、その若い牛に添えて、油二分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の三エパの穀物のささげ物をささげ、また注ぎのささげ物としてぶどう酒二分の一ヒンをささげなければならない。これは主へのなだめのかおりの、火によるささげ物である。牛一頭、あるいは雄羊一頭、あるいはどんな羊、やぎについても、このようにしなければならない。あなたがたがささげる数に応じ、その数にしたがって一頭ごとにこのようにしなければならない。』
 この時に20歳以下だったユダヤ人のため、また後に生まれて来るユダヤ人のため、神は捧げ物について更に詳しい規定を立てられました。この箇所では、動物の捧げ物に穀物や葡萄酒といった捧げ物を加えるべきだと定められています。つまり、捧げ物は動物の捧げ物だけではいけないというわけです。ここで言われている定めは、捧げられる動物一頭ごとに適用されます。すなわち、ここで言われている一つの規定を、複数の動物が捧げられる際に纏めて適用してはなりません。

【15:13~16】
『すべてこの国に生まれた者が、主へのなだめのかおりの、火によるささげ物をささげるには、このようにこれらのことを行なわなければならない。また、あなたがたのところにいる在留異国人、あるいはあなたがたのうちに代々住んでいる者が、主へのなだめのかおりの、火によるささげ物をささげる場合には、あなたがたがするようにその者もしなければならない。一つの集会として、定めはあなたがたにも、在留異国人にも、同一であり、代々にわたる永遠の定めである。主の前には、あなたがたも在留異国人も同じである。あなたがたにも、あなたがたのところにいる在留異国人にも、同一のおしえ、同一のさばきでなければならない。」』
 『神にはえいこひいきなどはない』(ローマ2章11節)ので、ユダヤ共同体の一員であれば、この定めがユダヤ人にも在留異国人にも等しく適用されます。古代ローマには、ローマ市民にだけ適用される市民法と、ローマ市民以外にも適用される名誉法(万民法)の2つがありました。しかし、捧げ物に関する神の法においてそのようなことはありません。というのも、動物による捧げ物の本質はキリストとその犠牲にあるからです。キリストに何かが付け加えられたり、そこから何か取り去られたりしていいはずがありません。『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じ』(ヘブル13章8節)であられるからです。ですから、ユダヤ人だからというので捧げ物の定めに、何か増し加えたりそこから減らしたりしてはなりませんでした。在留異国人でも同じことが言えます。定めがユダヤ人にも在留異国人にも同様に適用されねばならないというのは、既に語られていたことです。

【15:17~21】
『主はまたモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。わたしがあなたがたを導いて行く地にあなたがたがはいり、その地のパンを食べるとき、あなたがたは主に奉納物を供えなければならない。初物の麦粉で作った輪型のパンを奉納物として供え、打ち場からの奉納物として供えなければならない。初物の麦粉のうちから、あなたがたは代々にわたり、主に奉納物を供えなければならない。』
 ユダヤ人がカナンの地に入ったならば、そこで収穫した初物により作られた奉納物を捧げなければなりません。これは既に言われていたことです。人間であれ家畜であれ初めの存在は神に捧げられねばなりませんでしたが、これは作物でも同様でした。初物の占有権は神にこそあります。

【15:22~29】
『あなたがたが、もしあやまって罪を犯し、主がモーセに告げられたこれらの命令のどれでも、主が命じられた日以来、代々にわたって主がモーセを通してあなたがたに命じられたことの一つでも行なわないときは、もし会衆が気づかず、あやまってしたのなら、全会衆は、主へのなだめのかおりのための全焼のいけにえとして、若い雄牛一頭、また、定めにかなう穀物のささげ物と注ぎのささげ物、さらに雄やぎ一頭を罪のためのいけにえとして、ささげなければならない。祭司がイスラエル人の全会衆の贖いをするなら、彼らは赦される。それが過失であって、彼らは自分たちの過失のために、ささげ物、主への火によるささげ物、罪のためのいけにえを主の前に持って来たからである。イスラエル人の全会衆も、あなたがたのうちの在留異国人も赦される。それは民全体の過失だからである。もし個人があやまって罪を犯したなら、一歳の雌やぎ一頭を罪のためのいけにえとしてささげなければならない。祭司は、あやまって罪を犯した者のために、主の前で贖いをしなければならない。彼はあやまって罪を犯したのであるから、彼の贖いをすれば、その者は赦される。イスラエル人のうちの、この国に生まれた者にも、あなたがたのうちにいる在留異国人にも、あやまって罪を犯す者には、あなたがたと同一のおしえがなければならない。』
 もしユダヤ人の会衆が全体として罪を犯したならば、雄牛と雄山羊により贖いをしなければなりません。そうしてユダヤ人の全体は赦されます。それは、その捧げ物がイエス・キリストとその血を指し示しているからです。ヨハネが言っているように、キリストの血により全ての罪は清められます(Ⅰヨハネ1:7)。繰り返しになりますが、ユダヤ人たちが捧げる動物の犠牲そのものには全く何の意味もなかったことを忘れないようにすべきでしょう(ヘブル10:4)。ただその動物がキリストを象徴している限りにおいて、神の御前で意味と効力を持つのです。

 この定めは個人が罪を犯した場合でも同様です。ただ個人の場合は『雌やぎ一頭』を捧げるだけで済みます。民全体の捧げるべき動物に比べて個人の捧げるべき動物は少なく価値も低いのですが、これは民全体に比べて個人がその存在において小さいからです。なお、捧げられた雌山羊における肉は祭司の分け前として与えられます。

 この定めもやはりユダヤ共同体にいる全ての者に共通して適用されます(29節)。

【15:30~36】
『国に生まれた者でも、在留異国人でも、故意に罪を犯す者は、主を冒涜する者であって、その者は民の間から断たれなければならない。主のことばを侮り、その命令を破ったなら、必ず断ち切られ、その咎を負う。」イスラエル人が荒野にいたとき、安息日に、たきぎを集めている男を見つけた。たきぎを集めているのを見つけた者たちは、その者をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。しかし彼をどうすべきか、はっきりと示されていなかったので、その者を監禁しておいた。すると、主はモーセに言われた。「この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。」そこで、主がモーセに命じられたように、全会衆はその者を宿営の外に連れ出し、彼を石で打ち殺した。』
 誤ってでなく、弱さからでもなく、全く故意に罪を犯す者は赦されず、神の御前とユダヤ共同体から断ち切られ滅ぼされねばなりませんでした。その者は『主を冒涜する者』だからです。彼は根本的に神に服従する意思を持っていませんから、そのような者は民の間から除かれねばならないのです。このことについてヘブル10:28の箇所ではこう書かれています。『だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。』これは国家で言えば、国を転覆させようとする反逆者です。その者は意図的に国を転覆させようとする危険な暴徒なのですから、多くの国において赦されることなく死刑となるでしょう。全く故意に違反を犯す者は、この反逆者のようですから滅ぼされるのです。誤って罪を犯すのであれば赦しがあります。その人は仕方なく罪を犯してしまったからです。弱さから罪を犯した者にも赦しがあります。その者は弱さから罪を犯したものの、本当であれば罪を犯さないでいたいと願っているからです。このためペテロは3度も主を否んだにもかかわらず赦されたのです。ペテロは弱さのゆえに主を否んでしまったからです。ダビデがバテ・シェバの件で犯した大きな罪にも赦しが与えられました。ダビデは明らかに意図してあの重罪を犯しましたが(あれが意図的でなかったとは考えられない話です)、しかしながら、それは弱さに基づいていたからです。コリント人の不品行も意図的な罪ではあったものの赦しの余地が与えられていました(Ⅱコリント12:21)。これもやはり弱さに原因があったからです。赦し主であられるキリスト御自身も、不品行を犯していた女を赦されました(ヨハネ8:11)。この女も弱さのゆえ姦淫に陥ったからです。しかし、もう全く根本的に故意の罪を犯すならば赦されません。その者の心には神に従いたいという思いが全く存在していないからです。このためキリストを売り渡したユダの罪は赦されませんでした。ユダの罪は完全に故意だったからです。サウルがペリシテ人を全滅させなかった罪も赦されませんでした(Ⅰサムエル15章)。サウルの罪は故意であり、彼は神の命令に真っ向から対峙してそれを愚かにも投げ捨てたからです。「このような命令は守らなくてもいいのだ。」という反逆的な精神状態が彼にはあったのです。キリストを悪霊憑きだと罵ったパリサイ人たちの罪も赦されませんでした。キリスト御自身がこの罪は赦されないと宣言しておられます。このパリサイ人の罵りは全く故意によるのであって、それは誤りによるのでも弱さに基づくのでもありませんでした。ニーチェの聖書批判、キリスト教に対する愚弄もやはり赦されない罪でした。彼は明らかに意図して悪意から聖なる書物と宗教を罵っていたからです。

 32~36節目の箇所では、今述べた『故意に罪を犯す者』の事例として、安息日であるのに薪集めの仕事をしていた者について示されています。この者は安息日に仕事が禁止されていると知っているにもかかわらず、神の命令を無視し、後ろに投げ捨て、高慢にもそれに逆らっていました。これは誤ってでなく弱さからでもありませんでした。彼の心には根本的な神への敵意、軽蔑の念がありました。ですから、この者は赦されず、憐れみを受けることなく死刑に処せられたのです。もし彼が誤って、もしくは弱さから罪を犯していたならば、つい先ほど見た箇所からも分かるように赦しが与えられていたでしょう(民数記15:27~28)。ところで、この32~36節目の箇所でも、またもや安息日の遵守に関わることが書かれています。聖書で安息日は最も厳しく命じられている命令の一つであると私はこれまで何度も述べましたが、それはこの箇所からもよく理解することができるはずです。

【15:37~41】
『主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて、彼らが代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、その隅のふさに青いひもをつけるように言え。そのふさはあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こし、それを行なうため、みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行ない、あなたがたの神の聖なるものとなるためである。わたしはあなたがたの神、主であって、わたしがあなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から連れ出したのである。わたしは、あなたがたの神、主である。」』
 神は、ユダヤ人が聖なる命令を忘れないため、その着物に房と紐を付けるよう命じられます。それを見て神の命令を思い起こすためです。聖なる神の聖なる民ユダヤは、聖なる命令に従って聖なる歩みをすべきでした。ですから、神はこのように命じられたのです。「しかし、そのようなことをしなくても、ユダヤ人が神の命令を忘れず、それを守り行なうことはできるのではないか。」と誰かが問うかもしれません。確かに、そのようにできる人もいたかもしれません。しかし、この時のユダヤ人について考えると、まだ赤子のような状態であったと言わざるを得ません。実際、彼らは霊的に言えば生まれたばかりの赤子でした。ですから、このような言わば補助手段を着物に付ける意味は大いにあったのです。しかも、このようにするのは未熟でない敬虔な聖徒たちにも有益でした。何故なら、敬虔な聖徒であっても不完全な人間であることに変わりありませんから、忘却の愚かさから免れることはできないからです。戦後の調査で天才であることが判明したIQ130以上もあるゲーリングでさえ、チャーチルの言葉を引用した際、間違えました。つまり、彼はチャーチルの言葉を完全に記憶できていませんでした。これほどの知性の持ち主でさえ記憶が曖昧になることについて考えるのであれば、この時のユダヤ人たちが世にあるもののうち最も覚えておくべき神の命令を忘れないようにするため補助手段を付けるべき必要性があったことを理解できないほど愚鈍な人は恐らくいないはずです。

 キリストは、別にこのような房や紐などを付けなくても、律法を忘れることなどありませんでした。何故なら、キリストは律法の制定者であられるからです。律法の制定者がどうして律法を忘れることなどあるでしょうか。しかし、このキリストは罪を全く犯されませんでした。罪とは律法に違反することです。それゆえ、この箇所における律法の通り、キリストの着物に房と紐が付けられていたことは明らかです。

【16:1~3】
『レビの子ケハテの子であるイツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの子オンと共謀して、会衆の上に立つ人たちで、会合で選び出された名のある者たち二百五十人のイスラエル人とともに、モーセに立ち向かった。彼らは集まって、モーセとアロンに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」』
 しばらくすると、レビ人のコラという者が、250人の仲間を伴ってモーセに反逆しました。彼らは妬みに駆られており、モーセとアロンが自分たちの上に立っているのが気に入らなかったのです。このような嫉妬に基づく反抗は現代でも珍しくありませんから、彼らがどういう心理状態だったのか詳しく説明しなくても読者は分かるはずです。この時、コラたちは『欲しがってはならない。』という戒めに違反していました。または『盗んではならない。』という戒めに違反していたと考えることもできます。何故なら、コラたちは神がモーセとアロンに与えられた権威、権力、尊厳を奪い取ろうとしていたからです。いずれにせよコラたちは実に大きな、しかも致命的な罪を犯していました。

【16:4】
『モーセはこれを聞いてひれ伏した。』
 先に述べておいた通り、ここでモーセが『ひれ伏した』のは、コラたちにではなく神に対してだったはずです。そうでなければ、すぐ後ほどモーセがコラたちに強く反発していることを説明できないでしょう。誰かに平伏しているのに、その人に強く反発するというのは矛盾しています。一体このようにする人がどこにいるのでしょうか。もしモーセがコラたちに平伏していたとすれば、モーセは強い言葉でコラたちに反発していなかったはずです。そもそもモーセが反逆者たちに平伏したと考えるのは、モーセという超大物を過小評価している証拠です。これはカエサルが元老院議員たちに土下座するのと同じぐらい考えられないことです。

【16:5~11】
『それから、コラとそのすべての仲間とに告げて言った。「あしたの朝、主は、だれがご自分のものか、だれが聖なるものかをお示しになり、その者をご自分に近づけられる。主は、ご自分が選ぶ者をご自分に近づけられるのだ。こうしなさい。コラとその仲間のすべてよ。あなたがたは火皿を取り、あす、主の前でその中に火を入れ、その上に香を盛りなさい。主がお選びになるその人が聖なるものである。レビの子たちよ。あなたがたが分を越えているのだ。」モーセはさらにコラに言った。「レビの子たちよ。よく聞きなさい。イスラエルの神が、あなたがたを、イスラエルの会衆から分けて、主の幕屋の奉仕をするために、また会衆の前に立って彼らに仕えるために、みもとに近づけてくださったのだ。あなたがたには、これに不足があるのか。こうしてあなたとあなたの同族であるレビ族全部を、あなたといっしょに近づけてくださったのだ。それなのに、あなたがたは祭司の職まで要求するのか。それだから、あなたとあなたの仲間のすべては、一つになって主に逆らっているのだ。アロンが何だからといって、彼に対して不平を言うのか。」』
 モーセは、神の選びという事実をもってすべてが解決されるようにしようと言っています。なるほど、考えたものです。神が誰を指導者として選ばれるか実際に見れば、その事実を前にして、コラたちは何も言えなくなってしまうというわけです。このようにして解決を図ろうとしたモーセは、コラたちより知性と人間のレベルが何段も上でした。このような人物に挑戦するとは阿呆なことをしたものです。また、この箇所でモーセが『レビの子たちよ。あなたがたが分を越えているのだ。』と言い返しているのはもっともです。これは国会議員や地方公共団体の首長たちが、総理大臣に対して「総理。あなたが国のトップに立って統括しているのは分を越えています。」などと言うのと似ています。分を越えているのは総理大臣ではなく国会議員や首長たちのほうなのです。この例えでは、モーセが総理大臣であり、議員や首長たちがコラとその仲間たちに該当します。

 イスラエルのうちで、レビ族だけが特別に選び取られ、『主の幕屋の奉仕をする』ことができました。レビ族ほど神の近くにいる部族は他にありませんでした。実際、彼らは主の幕屋の近くにいることができました。これは計り知れない特権でした。他の部族はレビ族のようにしたくても絶対できないのです。聖職売買が行なわれていたカトリックとは違い、金でレビ族の立場を買うことなどできませんでしたし、例外的にレビ族のようになれるレビ族以外の部族の者もいませんでした。それなのにレビ族は自分たちに与えられた恵みに満足せず、感謝もせず、それどころか神の使いであるモーセとアロンに立ち向かうことで神に逆らいました。これは彼らの罪でした。このことからも分かる通り、地位を求める欲望には限りがありません。高い地位に引き上げられたら更に高い地位が欲しくなるのです。グリム童話に出てくる貧しい男の妻が良い例です。その妻は徐々に高い地位を求め、ローマ教皇にさえなりましたが、最後には神になりたいとさえ願ったのです。カエサルも終身独裁官というローマ最高の地位から全く降りるつもりがありませんでした。サタンも自分に与えられた恵みと地位に満足せず、神になろうとしたのです。