【民数記21:10~24:13】(2022/01/16)


【21:10~15】
『イスラエル人は旅立って、オボテで宿営した。彼らはオボテから旅立って、日の上る方、モアブに面した荒野にあるイエ・ハアバリムに宿営した。そこから旅立って、ゼレデの谷に宿営し、さらにそこから旅立って、エモリ人の国境から広がっている荒野にあるアルノン川の向こう側に宿営した。アルノン川がモアブとエモリ人との間の、モアブの国境であるためである。それで、「主の戦いの書」にこう言われている。「スパのワヘブとアルノンの谷川とともに、谷川の支流は、アルの定住地に達し、モアブの領土をささえている。」』
 ユダヤ人はカナンを目指して旅を続けます。彼らはエドムの領土を通れなかったので、エドムの国境にある『オボテ』や『イエ・ハアバリム』に宿営しながら歩みを進めました。このエドムのすぐ北側にモアブ人の領土があります。ユダヤ人はモアブの領土も通過せず、迂回して遠回りせねばなりませんでした。そして彼らはモアブの北境にある『アルノン川の向こう側に宿営』しました。

 14~15節目では『主の戦いの書』からの引用がされています。これは私たちが全く知らない、既に失われた文書ですが、古代のいつかまでは見ることができました。文書名が示す通り、これはユダヤ人の戦争に関する記録書です。これは神が後の時代の人間は見なくてもよいとされた文書ですから、今では失われていたとしても嘆くべきではありません。もっとも、この文書がこれからどこかの遺跡で完全な状態であれ断片的な状態であれ発見されることにならないとは誰にも言いきれないのではありますが。

【21:16~18】
『彼らはそこからベエルに向かった。それは主がモーセに、「民を集めよ。わたしが彼らに水を与える。」と言われた井戸である。そのとき、イスラエルはこの歌を歌った。「わきいでよ。井戸。―このために歌え。―笏をもって、杖をもって、つかさたちがうがち、民の尊き者たちが掘ったその井戸に。」』
 続いてユダヤ人は『ベエル』すなわち井戸のある場所に導かれました。神がそこで民に井戸水を与えて下さるのです。その井戸水は『民の尊き者たちが掘った』井戸の水でした。この時の喜びゆえ、ユダヤ人たちは歌を作って歌いました。この時は前のように岩から水が出たのではありませんでした。

【21:18~20】
『彼らは荒野からマタナに進み、マタナからナハリエルに、ナハリエルからバモテに、バモテからモアブの野にある谷に行き、荒地を見おろすピスガの頂に着いた。』
 ユダヤ人は旅を続けて『ピスガの頂に着いた』のですが、ここは後にモーセがカナンを見下ろすことになる場所でした(申命記3:27)。ユダヤ人はカナンのすぐ手前まで来ました。あと少し行けば目的地に入れるのです。

【21:21~25】
『イスラエルはエモリ人の王シホンに使者たちを送って言った。「あなたの国を通らせてください。私たちは畑にもぶどう畑にも曲がってはいることをせず、井戸の水も飲みません。あなたの領土を通過するまで、私たちは王の道を通ります。」しかし、シホンはイスラエルが自分の領土を通ることを許さなかった。シホンはその民をみな集めて、イスラエルを迎え撃つために荒野に出て来た。そしてヤハツに来て、イスラエルと戦った。イスラエルは剣の刃で彼を打ち、その地をアルノンからヤボクまで、アモン人の国境まで占領いた。アモン人の国境は堅固だったからである。イスラエルはこれらの町々をすべて取った。そしてイスラエルはエモリ人のすべての町々、ヘシュボンとそれに属するすべての村落に住みついた。』
 イスラエルはエモリ人の領土を通りたかったので、前にエドム人に対してしたように(民数記20:14~17)、使者を送って通行の許可を得るようにしましたが駄目でした。エドム人に許可を求めた際は結果的に平和に事が終わりましたが、今度は戦いに発展してしまいました。しかしイスラエル人は敗北せず、かえってエモリ人の領土をことごとく占領しました。すなわち、『アルノンからヤボクまで、アモン人の国境まで』奪い取りました。これはエモリ人が裁きと滅びに定められていたからです。しかし、アモン人の領土までは攻め取ることができませんでした。ユダヤ人がエジプト脱出後に土地を占領したのは、これが最初でした。これから次々とユダヤ人はカナンの地を占領していくことになります。なお、この時に占領したエモリ人の地は、後になると、北半分がガドに、南半分がルベンに割り当てられます。この場所は死海の北東にある部分です。この時にユダヤ人がエモリ人の王シホンを撃ち取ったことについて、詩篇では次のように神の恵みが称揚されています。『主は力ある王たちを、殺された。その恵みはとこしえまで。エモリ人の王シホンを殺された。その恵みはとこしえまで。』(136:18~19)神はイスラエルに対する恵みゆえ、エモリ人の王シホンを殺して下さったのでした。

【21:26~30】
『ヘシュボンはエモリ人の王、シホンの町であった。彼はモアブの以前の王と戦って、その手からその全土をアルノンまで取っていた。それで、ことわざを唱える者たちが歌っている。「来たれ、ヘシュボンに。シホンの町は建てられ、堅くされている。ヘシュボンから火が出、シホンの町から炎が出て、モアブのアルを焼き尽くし、アルノンにそびえる高地を焼き尽くしたからだ。モアブよ。おまえはわざわいだ。ケモシュの民よ。おまえは滅びうせる。その息子たちは逃亡者、娘たちは捕われの身である。エモリ人の王シホンによって。しかしわれわれは彼らを投げ倒した。ヘシュボンからディボンに至るまで滅びうせた。われわれはノファまでも荒らし、それはメデバにまで及んだ。」』
 ユダヤ人が占領したエモリ人の領土は、もともとエモリ人の領土ではなく、モアブ人の領土でした。ある時にエモリ王シホンがモアブ人を攻め滅ぼし、その地を奪い取ったのです。その占領に関して歌われたエモリ人の歌が27~30節目で引用されていますが、それを見るとかなり酷い蛮行をしたようです。エモリ人はモアブ人に容赦しなかったと推測されます。このようにしたのは呪われていたエモリ人に相応しかったと言えましょう。

 聖書はどうしてエモリ人の歌を引用しているのでしょうか。これはエモリ人に対して神の報いが下されたことを示すためです。エモリ人は惨たらしい略奪行為によりモアブを占拠しました。ですから、報いの神がユダヤ人を通して、エモリ人もかつて自分がした通りに占拠されるようにされたのです。彼らの歌が引用されることにより、エモリ人の蛮行をよく知れますから、私たちはエモリ人が自分たちの行ないに対する報いを受けたのだとよく理解できるのです。そういうわけですから、私たちは注意せねばなりません。私たちもエモリ人のようになってはならないということを、です。キリストも言われたように『剣を取る者はみな剣で滅び』(マタイ26章52節)るのですから。エモリ人は剣を取ったので剣により滅ぼされたのでした。

【21:31~32】
『こうしてイスラエルはエモリ人の地に住んだ。そのとき、モーセはまた人をやって、ヤゼルを探らせ、ついにそれに属する村落を攻め取り、そこにいたエモリ人を追い出した。』
 モーセ率いるイスラエルは、更にエモリ人の領土への占領を徹底しました。彼らがこのようにしたのは合法でした。神はアブラハムの頃から、エモリ人の地をユダヤ人に与えると言っておられたからです(創世記15:18~21)。ですから「古代ユダヤ人は他の民族を滅ぼす野蛮な侵略民族だった。」などと非難することはできません。神が敵どもの領土をユダヤ人に与えておられたのだからです。地球の所有者は大地の居住権を好きなように分配する自由を持っていないとでもいうのでしょうか。こざかしい不敬虔な口は閉ざされよ。

【21:33~35】
『さらに彼らは進んでバシャンへの道を上って行ったが、バシャンの王オグはそのすべての民とともに出て来た。彼らを迎え撃ち、エデレイで戦うためであった。しかし、主はモーセに言われた。「彼を恐れてはならない。わたしは彼とそのすべての民とその地とをあなたの手のうちに与えた、あなたがヘシュボンに住んでいたエモリ人の王シホンに対して行なったように、彼に対しても行なえ。」そこで彼らは彼とその子らとそのすべての民とを打ち殺し、ひとりの生存者も残さなかった。こうして彼らはその地を占領した。』
 ユダヤ人は更に北上し、オグ王の支配するバシャンにまで進みます。すると『バシャンの王オグ』がイスラエルと戦うべく総力を挙げて迎え撃ってきたので、イスラエルはたじろぎました。しかし神がバシャン人たちもエモリ人のようにされると言われたので戦ったところ、神の御恵みにより勝利することができました。こうしてユダヤ人はバシャンの地も獲得しました。この地は後にマナセ族へと割り当てられました。この時にユダヤがバシャン王オグに勝利したことについて、詩篇では次のように神の恵みが称揚されています。『主は力ある王たちを、殺された。その恵みはとこしえまで。…バシャンの王オグを殺された。その恵みはとこしえまで。』(136:18、20)

【22:1】
『イスラエル人はさらに進んで、ヨルダンのエリコをのぞむ対岸のモアブの草原に宿営した。』
 ユダヤ人は、ヨルダン川のすぐ西にあるエリコを見渡せる場所にまで来ました。もうカナンの地へはあと一歩です。このエリコは死海から北に10kmほどの場所にあります。しかし、モーセはヨルダン川を越えてカナンの地に入ることができませんでした(申命記3:27)。モーセはメリバの場所で罪を犯したからです。これは欲しがっている貴重な品が目の前にあるのに、ショーケースに閉じ込められているので触(さわ)れず手にも入らないのと似ています。

【22:2~6】
『さてツィポルの子バラクは、イスラエルがエモリ人に行なったすべてのことを見た。モアブはイスラエルの民が多数であったので非常に恐れた。それでモアブはイスラエル人に恐怖をいだいた。そこでモアブはミデヤンの長老たちに言った。「今、この集団は、牛が野の青草をなめ尽くすように、私たちの回りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であった。そこで彼は、同族の国にあるユーフラテス河畔のペトルにいるベオルの子バラムを招こうとして使者たちを遣わして、言わせた。「今ここに、一つの民がエジプトから出て来ている。今や、彼らは地の面をおおって、私のすぐそばにとどまっている。どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私よりも強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」』
 古代では考えられないぐらいの人口だったユダヤ人がエモリ人を殲滅したので、その出来事を見ていたモアブ人とその王バラクは大いに恐れました。キケロが「トゥスクルム荘対談集」の中で述べた通り、恐れとは将来に降りかかるかもしれない危害を感じて不安がることです。つまり、モアブ人たちはやがて自分たちもユダヤ人からエモリ人のようにされるのではないかと予想して不安がったのです。もしユダヤ人が自分たちを襲う可能性など全くないと確信していたとすれば、モアブ人はユダヤ人を恐れていなかったかもしれません。しかし、彼らの恐れは杞憂でした。何故なら、ユダヤ人はモアブに侵略することがなかったからです。モアブ人の出自は呪われていたとしても義人ロトの子たちでしたから、神はイスラエルにモアブを支配させられませんでした。創世記15:18~21の箇所における領土付与の約束でも、やはりモアブについては挙げられていませんでした。もっとも、王朝時代になるとモアブはイスラエルの属国として服することになります。しかし、それは一時的であり、モアブはしばらくするとイスラエルからの独立を勝ち取ることになりました。

 バラク王は、民族の存亡がかかっていたので、有効的な祝福と呪詛を行なうことで知られていたバラムに使者を遣わし、バラムがイスラエルを呪うように要請します。そのようにしてイスラエルが呪われたならば、イスラエルに勝利できると考えたからです。バラムがこうしたのは相当な恐れがあったことを示しています。何故なら、非常に恐れていたというのでなければ、わざわざバラムに頼み込むということはしていなかったはずだからです。それにしてもこのバラクという者は愚かなことをしたものです。彼が呪われるのを欲した相手は神の民だったからです。神の民を呪わせてただで済むはずがありません。バラクがこのようにしたのは、彼が呪われたモアブ人の一人だったからなのでしょう。呪われた者は呪われたことをするものです。一方、祝福された者は祝福されている者として相応しいことをするものです。つまり、呪われた木は呪われた実を生じさせ、祝福された木は祝福された実を生じさせます。こういうわけですから、私たちはその実(行ない)によって木(人間)を見分けることができるのです(マタイ8:20)。

【22:7~14】
『占いに通じているモアブの長老たちとミデヤンの長老たちとは、バラムのところに行き、彼にバラクのことづけを告げた。するとバラムは彼らに言った。「今夜はここに泊まりなさい。主が私に告げられるとおりのことをあなたがたに答えましょう。」そこでモアブのつかさたちはバラムのもとにとどまった。神はバラムのところに来て言われた。「あなたといっしょにいるこの者たちは何者か。」バラムは神に申し上げた。「モアブの王ツィポルの子バラクが、私のところに使いをよこしました。『今ここに、エジプトから出て来た民がいて、地の面をおおっている。いま来て、私のためにこの民を呪ってくれ。そうしたら、たぶん私は彼らを戦って、追い出すことができよう。』」神はバラムに言われた。「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。またその民をのろってもいけない。その民は祝福されているからだ。」朝になると、バラムは起きてバラクのつかさたちに言った。「あなたがたの国に帰りなさい。主は私をあなたがたといっしょに行かせようとはなさらないから。」モアブのつかさたちは立ってバラクのところに帰り、そして言った。「バラムは私たちといっしょに来ようとはしませんでした。」』
 バラクの使いから要請を受けたバラムに対し、神はイスラエルを呪うこともバラクの使いたちに付いて行くことも禁止されました。何故なら、イスラエルとは神の民であり祝福されていたからです。このような民を呪っていいはずがどうしてあるでしょうか。この時に神がバラムに語られた方法は、私たちが話すように実際的な音声によったか、バラムの脳内だけに認識される音声が鳴り響いたか、どちらかでしょう。どちらにせよ神が明白な言語をもって語られたのは間違いありません。なお、9節目では神があたかもバラクの使者たちを知っていないかのように語られていますが、もちろん神が彼らのことを知らなかったというわけではないという点に注意せねばなりません。神はここでバラムを導くため、人間のようにして語られただけです。黙示録7:13の箇所でも、長老が同じやり方でヨハネに話しかけています。

 このバラムという人は異邦人でした。それにもかかわらず彼は神からの働きかけを受けており、神と交信することができていました。旧約時代にもこのような例外的人物がいたのです。メルキゼデクもこの例の一人として挙げてもよいかもしれません。神には、ユダヤ人しか神の民ではない旧約時代にあって、ある異邦人にその人が異邦人であるにもかかわらず御自分を強く関わらせる自由と権利がありました。

【22:15~20】
『バラクはもう一度、前の者より大ぜいの、しかも位の高いつかさたちを遣わした。彼らはバラムのところに来て彼に言った。「ツィポルの子バラクはこう申しました。『どうか私のところに来るのを拒まないでください。私はあなたを手厚くもてなします。また、あなたが私に言いつけられることは何でもします。どうぞ来て、私のためにこの民をのろってください。』」しかしバラムはバラクの家臣たちに答えて言った。「たといバラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれても、私は私の神、主のことばにそむいて、事の大小にかかわらず、何もすることはできません。それであなたがたもまた、今晩ここにとどまりなさい。主が私に何かほかのことをお告げになるかどうか確かめましょう。」その夜、神はバラムのところに来て、彼に言われた。「この者たちがあなたを招きに来たのなら、立って彼らとともに行け。だが、あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行なえ。」』
 バラクは自分たちの命がかかっているので、何としてもイスラエルが呪われてほしいと思っていました。ですから、今度は使者たちの数と質を強化させて遣わし、再びバラムがバラクの要求を受諾するよう働きかけました。すると神はバラムに対し、神の御告げだけを行なうというのであれば使者たちに付いて行ってもよいと条件付きの許可を出されました。これはたとえバラムがバラクのところに行っても、ユダヤ人を呪うことさえしなければ、ユダヤ人が呪われることはないからです。

 このバラムは後ほどイスラエルにより殺されます(民数記31:8)。ペテロはバラムを『気違い』(Ⅱ手ペロ2章16節)と非難しています。ヘブル11章の中でも、バラムは正しい信仰者としてその名を挙げられていません。このようなバラムでしたが、彼がこの箇所で主の御言葉によらねば何もすることはできないと言っているのは、誠に正しいことでした。バラムがこの言葉通りにしていたのであれば、それはそれとして良いことでした。バラムという人は正しくありませんでしたが、この言葉は心に留められるべきでしょう。何故なら、聖徒たちが神の御言葉によらず何かをするということは望ましくないからです。神の御言葉により歩むというのが私たちの本分なのです(伝道者の書12:13)。このようにバラムのような者が語ったとしても、それが正しい言葉であれば、私たちは心に留めるべきです。キリストも、忌まわしいパリサイ人たちが正しいことを言うのであれば、それがパリサイ人の言ったことであっても守り行なうようにと命じられました(マタイ23:2~3)。話す主体者が邪悪だからというので、正しい言葉さえも退けるというのは愚かである証拠です。何故なら、その語った主体者は悪くても、その語られた言葉は正しいからです。

【22:21~35】
『朝になると、バラムは起きて、彼のろばに鞍をつけ、モアブのつかさたちといっしょに出かけた。しかし、彼が出かけると、神の怒りが燃え上がり、主の使いが彼に敵対して道に立ちふさがった。バラムはろばに乗っており、ふたりの若者がそばにいた。ろばは主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見たので、ろばは道からそれて畑の中に行った。そこでバラムはろばを打って道に戻そうとした。しかし主の使いは、両側に石垣のあるぶどう畑の間の狭い道に立っていた。ろばは主の使いを見て、石垣に身を押しつけ、バラムの足を石垣に押しつけたので、彼はまた、ろばを打った。主の使いは、さらに進んで、右にも左にもよける余地のない狭い所に立った。ろばは、主の使いを見て、バラムを背にしたまま、うずくまってしまった。そこでバラムは怒りを燃やして、杖でろばを打った。すると、主はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」バラムはろばに言った。「おまえが私をばかにしたからだ。もし私の手に剣があれば、今、おまえを殺してしまうところだ。」ろばはバラムに言った。「私は、あなたがきょうのこの日まで、ずっと乗ってこられたあなたのろばではありませんか。私が、かつて、あなたにこんなことをしたことがあったでしょうか。」彼は答えた。「いや、なかった。」そのとき、主がバラムの目のおおいを除かれたので、彼は主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたは、あなたのろばを三度も打ったのか。敵対して出て来たのはわたしだったのだ。あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ。ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を巡らしたのだ。もしかして、ろばがわたしから身を巡らしていなかったなら、わたしは今はもう、あなたを殺しており、ろばを生かしておいたことだろう。」バラムは主の使いに申し上げた。「私は罪を犯しました。私はあなたが私をとどめようと道に立ちふさがっておられたのを知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」主の使いはバラムに言った。「この人たちといっしょに行け。だが、わたしがあなたに告げることばだけを告げよ。」そこでバラムはバラクのつかさたちといっしょに行った。』
 バラムは出かけたものの、バラクの使者たちとは行かず、自分勝手な道に進みました。彼が使者たちと行かなかったのは、何かの理由があったのでしょう。しかし、いかなる理由があったにせよ、バラムが勝手な方向に進んだのは罪でした。何故なら、神は『彼らとともに行け。』(民数記22章20節)とバラムに命じられたからです。神は、「彼らとともに行ってもよい。」と言われたのではありません。

 この時にバラムとその驢馬の前に現われた『主の使い』とはキリストです。何故なら、この使いは35節目で、神が言われたことが明白な20節目と同様のことを言っていることから分かる通り、神だからです。しかし、ここでは『主』ではなく『主の使い』と書かれています。これはこの使いがキリストであったことを意味します。聖書は、キリストが神の使いであると教えているからです。この『主の使い』を被造物である御使いとして捉えるべきではありません。『主の使い』は創世記16章の箇所でも、ハガルに対して現われています。

 この出来事からも分かるように、御心でなければ人の道は主により阻まれます。この世界では御心でなければ何も起きないからです。それどころか、もし御心でない道を行こうとすれば、主に殺されることにさえなりかねません。というのも罪に対する報いは死だからです(ローマ6:23、エゼキエル18:4)。バラムも御心に背いたので、もう少しで主に殺されるところでした(33節)。ですから私たちは御心と異なった道に歩まないよう最大限の注意を払わねばならないのです。どうか、私たちがバラムのしたように御心に反した道を歩まず、万一御心に反した道を歩んでしまったとしてもバラムのように裁きの死からは免れることができるように。

 この時にバラムが『三度』驢馬を打ったのは、驢馬が『三度』バラムの思い通りに動かなかったからですが、これがそれぞれ『三度』起きたのは、摂理がこの出来事を強調させるためこうしたのでした。つまり、これは無意味に『三度』起きたのではありません。

 ここでは驢馬が人間の言葉を喋っていますが、この驢馬が以前から人間の言葉を喋っていたというわけではありません。神がこの時にだけ特別に働きかけ喋らさせたのです。神にはこのようなことができます。もっとも、この時に驢馬が話したのは、あたかも人間であるかのごとく話していたのではなかった可能性が高いでしょう。驢馬と人間の声帯は同一ではないでしょうから、恐らく驢馬の声帯が発せられる可能な範囲内において人間の言葉を発していたと思われます。このように聖書で動物が喋っている箇所は、他にも創世記3章があります。そこでは蛇が喋っていました。この2つの出来事はどちらも動物が喋っていたという点で同じですが、幾らかの点で異なっています。まず、驢馬は神により喋るようにされたのですが、蛇はサタンにより喋るようにされました。また、驢馬は自分の意志で喋りましたが、蛇は自分の意志だけでなくサタンの働きかけを伴いつつ喋っていました。また、驢馬は喋ることで罪を犯しませんでしたが、蛇は喋ることで大きな罪を犯しました。

【22:36~40】
『バラクはバラムが来たことを聞いて、彼を迎えに、国境の端にあるアルノンの国境のイル・モアブまで出て来た。そしてバラクはバラムに言った。「私はあなたを迎えるために、わざわざ使いを送ったではありませんか。なぜ、すぐ私のところに来てくださらなかったのですか。ほんとうに私にはあなたを手厚くもてなすことができないのでしょうか。」バラムはバラクに言った。「ご覧なさい。私は今あなたのところに来ているではありませんか。私に何が言えるでしょう。神が私の口に置かれることば、それを私は語らなければなりません。」こうしてバラムはバラクといっしょに出て行って、キルヤテ・フツォテに来た。バラクは牛と羊をいけにえとしてささげ、それをバラムおよび彼とともにいたつかさたちにも配った。』
 バラムを迎えたバラク王は、バラムがもっと早く来なかったことについて不満がりました。バラクはもてなしの力が弱いと思われているのでバラムが急いで来なかったと感じていました。王にとって自分の寛大さが不十分だと思われているので来てもらえないのは、戦争で打ち負けることよりも屈辱的です。このようなバラクの不満に対し、バラムはもう来てやったのだから文句を言うなと応じています。そして、バラクはバラムを連れて生贄を捧げに行きます。生贄を捧げる対象は、もちろんモアブの偶像です。

 先に見た18節の箇所と同様、38節目でもバラムは正しいことを言っています。すなわち、『神が私の口に置かれることば、それを私は語らなければなりません』。この言葉は「アーメン」と言われるべきです。この言葉は神から遣わされた預言者たちの使命をよく言い表しています。また、これは預言者だけでなく牧師たちにも適用されるべき言葉です。つまり、牧師は神の言葉通りのことを説教において語らなければなりません。

【22:41】
『朝になると、バラクはバラムを連れ出し、彼をバモテ・バアルに上らせた。バラムはそこからイスラエルの民の一部を見ることができた。』
 翌日、バラムはバラクに連れ出されてイスラエル人の『一部』を見ました。バラムはイスラエル人の噂を恐らく聞いていたでしょう。しかし、バラムが実際にそれまでイスラエル人を見たことがあったのかなかったのかは、分かりません。この時にバラムが見たのはイスラエル人の全てではありませんでした。イスラエル人は実に多くいましたから、バラムの立っていた場所からでは、角度が浅くて一部しか見えなかったのでしょう。イスラエル人は私が今住んでいる静岡市の人口すなわち約70万人よりも遥かに多くいました。そのような数多い民族を一挙に見るのであれば、非常に高い山へと登らねばなりません。

【23:1~7】
『バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊をここに用意してください。」バラクはバラムの言ったとおりにした。そしてバラムとバラクとは、それぞれの祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一頭とをささげた。バラムはバラクに言った。「あなたは、あなたの全焼のいけにえのそばに立っていなさい。私は行って来ます。たぶん、主は私に現われて会ってくださるでしょう。そうしたら、私にお示しになることはどんなことでも、あなたに知らせましょう。」そして彼は裸の丘に行った。神がバラムに会われたので、バラムは神に言った。「私は七つの祭壇を造り、それぞれの祭壇の上で雄牛一頭と雄羊一頭とをささげました。」主はバラムの口にことばを置き、そして言われた。「バラクのところに帰れ。あなたはこう言わなければならない。」それで、彼はバラクのところに帰った。すると、モアブのすべてのつかさたちといっしょに、彼は自分の全焼のいけにえのそばに立っていた。バラムは彼のことわざを唱えて言った。』
 バラムはバラクに7つの祭壇およびそれぞれ7頭ずつの雄牛と雄羊を用意させます。これらが「7」だったのは、祭儀における聖性と完全性を象徴させるためです。つまり、意味もなく「7」が選ばれたのではありません。用意が整うとバラムは、7つの祭壇にそれぞれ2頭ずつ、合計14頭の生贄を捧げました。捧げた対象はもちろんヤハウェです。これはユダヤ人がヤハウェに犠牲を捧げているかのようです。しかし、この人は異邦人でした。この時に用意された犠牲の動物は最上の個体だったと思われます。何故なら、バラムはヤハウェに捧げる動物として良い個体を求めた可能性が高いからです。バラク王も『私に言いつけられることは何でもします。』(民数記22章17節)とバラムに言って、寛大さの範囲を極限まで押し広げているわけですから、接待の意味もあり最上の個体を用意した可能性が高いのです。

 バラムが生贄を捧げると、神はバラムに現われて下さいました。旧約時代では捨てられていた異邦人に対し、神があたかもユダヤ人に対してそうするかのごとく御自分を直接御示しになるのは、非常に珍しいことです。このバラムのように、旧約時代で異邦人に神が直接現われて下さった出来事は他に僅かしかありません。それは、アビメレク王(創世記20:3~7)とネブカデネザル王(ダニエル書4章)とベルシャツァル王(ダニエル書5章)などがそうです。神が旧約時代で異邦人にも現われたのは、私たちが今見ている箇所を含め、いずれの場合もユダヤ人との関わりがある時かつ王が関与している時に限られていたことは明らかです。

【23:7~10】
『「バラクは、アラムから、モアブの王は、東の山々から、私を連れて来た。『来て、私のためにヤコブをのろえ。来て、イスラエルに滅びを宣言せよ。』神がのろわない者を、私がどうしてのろえようか。主が滅びを宣言されない者に、私がどうして滅びを宣言できようか。岩山の頂から私はこれを見、丘の上から私はこれを見つめる。見よ。この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。だれがヤコブのちりを数え、イスラエルのちりの群れを数ええようか。』
 バラムは神から受けた言葉をバラクに告げ知らせます。まず、バラムは自分がイスラエルを呪うようバラクから連れ出されたことについて語ります。バラムは『東の山々』のほうに住んでいました。バラクはそこから西のモアブへとバラムを連れて来たのです。バラクが『ヤコブをのろえ。』また『イスラエルに滅びを宣言せよ。』と言ったのは、ユダヤに対する強い敵意があったことを意味します。しかし、その敵意は憎悪や差別に基づいてはいなかったでしょう。民数記22:2~6の箇所から分かる通り、この敵意は恐怖と危機感に基づいていたはずです。それにしてもバラクは愚かなことを願ったものです。彼が呪いと滅びを願ったその相手は、神の聖なる民だったのですから。

 バラムは、神が祝福された民族を呪い、その滅びを宣言することはできないと言います。もしそのようなことをすれば、かえって呪って滅びを宣言した者が呪われ滅びに定められるでしょう。何故なら、神は御自分の民に敵対する者に敵対されるからです。バラムがこのように言ったのは、バラクを不満がらせることでした。バラクはユダヤ人を呪うようにと言ったのにバラムは呪っていないからです。このように預言者は相手の顔色を気にせず、神からの言葉をそのまま告げねばなりませんでした。

 9~10節目では、イスラエルがどのような民族だったか示されています。イスラエル人は孤立した民族でした。彼らは神にのみ属し、『おのれを諸国の民の一つと認めない』のです。神がイスラエルを他の民から引き離しておられました。それはイスラエル人が他民族と慣れ合うことで、彼らの汚れに影響されないためでした。パウロも言ったように、『友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます』(Ⅰコリント15章33節)から。また、イスラエル人は本当に沢山いました。ですから、塵を数えることができないように、彼らの数を数えることはできませんでした。イスラエル人がここまで増えたのは、神がアブラハムに『わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。』(創世記13章16節)と約束されたからでした。

【23:10】
『私は正しい人が死ぬように死に、私の終わりが彼らと同じであるように。」』
 『正しい人』とはユダヤ人を指します。何故なら、ユダヤはキリストにより贖われて義と認められていたからです。キリストなしに神の御前で『正しい人』はありえません。バラムは自分が『正しい人』であるこのユダヤ人と同様の最後を迎えたいと願っています。これは、つまりバラムもユダヤ人のように天の神の御許に召されたいということです。これはユダヤ人について良く言うことでした。つまり、これはユダヤ人に対する祝福の言葉です。

【23:11~12】
『バラクはバラムに言った。「あなたは私になんということをしたのですか。私の敵をのろってもらうためにあなたを連れて来たのに、今、あなたはただ祝福しただけです。」バラムは答えて言った。「主が私の口に置かれること、それを私は忠実に語らなければなりません。」』
 バラクは自分の願いとは正反対のことが行なわれたので不満がりますが、バラムは神に従って為すべきことをしたまでだと応じます。先にバラムは神から示されることをそのまま告げると、バラクに言っておいたのでした(民数記23:3)。バラクは何としても呪ってもらいたかったでしょう。しかし、神はイスラエルが呪われるようにされませんでした。ですから、バラクがどれだけ不満がっても仕方ありませんでした。

【23:13~18】
『バラクは彼に言った。「では、私といっしょにほかの所へ行ってください。そこから彼らを見ることができるが、ただその一部だけが見え、全体を見ることはできない所です。そこから私のために彼らをのろってください。」バラクはバラムを、セデ・ツォフィムのピスガの頂に連れて行き、そこで七つの祭壇を築き、それぞれの祭壇の上で雄牛と雄羊とを一頭ずつささげた。バラムはバラクに言った。「あなたはここであなたの全焼のいけにえのそばに立っていなさい。私はあちらで主にお会いします。」主はバラムに会われ、その口にことばを置き、そして言われた。「バラクのところに帰れ。あなたはこう告げなければならない。」それで、彼はバラクのところに行った。すると、モアブのつかさたちといっしょに、彼は全焼のいけにえのそばに立っていた。バラクは言った。「主は何とお告げになりましたか。」バラムは彼のことわざを唱えて言った。』
 バラクは他の場所にバラムと連れて行き、そこで再びイスラエルを呪ってもらおうとバラムに働きかけました。場所を変えれば今度は呪ってもらえると考えたからです。彼らは『ピスガの頂』から、北の方面に展開しているユダヤ人をその目で見ました。この時にも、7つの祭壇で合計14頭の犠牲獣が捧げられました。同じ方式により、もう一度再び犠牲が捧げられることになります(民数記23:29~30)。今度も神はバラムに現われて下さいました。これは神がバラムを通してバラクに御言葉を告げられるためです。

【23:18~24】
『「立て、バラクよ。そして聞け。ツィポルの子よ。私に耳を傾けよ。神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。見よ。祝福せよ、との命を私は受けた。神は祝福される。私はそれをくつがえすことはできない。ヤコブの中に不法を見いださず、イスラエルの中にわざわいを見ない。彼らの神、主は彼らとともにおり、王をたたえる声が彼らの中にある。彼らをエジプトから連れ出した神は、彼らにとっては野牛の角のようだ。まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。神のなされることは、時に応じてヤコブに告げられ、イスラエルに告げられる。見よ。この民は雌獅子のように起き、雄獅子のように立ち上がり、獲物を食らい、殺したものの血を飲むまでは休まない。」』
 バラムが神から受けた言葉をバラクに知らせています。まず、バラムはバラクを2度呼んでいます。これはバラクに強く呼びかけているのです。というのも、神から告げられる言葉は非常に重要ですから。『立て』と言われているのは「よく耳を傾けよ。」という意味です。つまり、精神的に立てということです。バラクが座っていたからこう言われたのではありません。バラクは前からずっと『立っていた』(民数記23章17節)のですから。

 続いてバラムは、神は人間ではないので、偽ることも悔いることもしないと言っています。人間は不完全で罪深いので偽るということをします。神は完全で義なる存在であられます。ですから、神が偽るということはありません。また、神は決して悔いることがありません。人間は未熟で未来のことを知らないために間違ったことを行ない、後ほど悔います。しかし、神に未熟さはなく未来を全て知っておられますから、何か間違いを犯して悔いるということがありません。聖書では神が悔いたと書かれている箇所もあります(Ⅰサムエル記15:11)。しかし、これは本当の意味で神が悔いたということではありません。何故なら、Ⅰサムエル記では、神が悔いたと書かれてからすぐ後ほど『この方は人間ではないので、悔いることがない。』(15章29節)と書かれているからです。神が悔いたと書かれているのは、あたかも人間が悔いた際にそうするのと同じように計画の進路を別の方向へと動かされたということです。もし神が本当の意味で悔いるとすれば、聖書には矛盾があることになってしまいます。もし神が本当の意味で悔いるとすれば、自分のしたことを本当の意味で悔いる存在は不完全な存在ですから、もはや神とは言えないでしょう。

 神はイスラエルを呪わず祝福されました。ですからバラムはイスラエルを祝福することしかできません。預言者が神の意志に反することをしてはいけないからです。預言者はたとえ死んでも神から受けた命を実践せねばなりませんでした。何故なら、そうしなければ神に裁き殺されてしまうからです。

 『ヤコブの中に不法を見いださず』と言われている箇所の『不法』とは占いことです。モアブには占いがありましたが(民数記22:7)、ユダヤは占いを知りませんでした。神がユダヤ人に占いを禁じておられたからです(レビ記19:26)。少なくともこの時のユダヤには占いがありませんでした。しかし、後の時代になるとイスラエルに占いが蔓延ってしまいます(Ⅰサムエル28:3)。この時のユダヤにはモーセの強力な監視眼が光っていたはずです。すなわち、何か悪事が行なわれたならば、モーセにそれが報告されていたはずです(民数記15:32~33)。ですから、モーセ時代のイスラエルでは占いなどしたくてもできなかったでしょうし、あえて行なう者がいてもすぐ取り締まられていたはずです。ところで、当時のユダヤに占いがなかったというのは何と良かったことでしょうか。今の日本などは占いがスポーツと同じぐらいに珍しいものではありません。どうか、この日本からも占いがなくなるように。『御心が天で行なわれるように、地でも行なわれますように。』アーメン。

 22節目で神はイスラエルにとって『野牛の角のよう』と言われていますが、『角』は威厳と強さを示しています。神は権威ある支配者としてイスラエルを治めておられました。また神は強い角である御方としてイスラエルと共におられました。

 24節目では、イスラエルが獅子に例えられています。獅子は最強の獣ですが、つまりイスラエルに打ち勝てる民族はいませんでした。何故なら、無敵の神がイスラエルと共におられたからです。神が共におられる民を一体どの民族が打ち倒せるというのでしょうか。ありえないことです。

【23:25~26】
『バラクはバラムに言った。「彼らをのろうことも、祝福することもしないでください。」バラムはバラクに答えて言った。「私は主が告げられたことをみな、しなければならない、とあなたに言ったではありませんか。」』
 バラクは、ユダヤ人を祝福してほしいとは言えませんし呪ってほしいと言っても祝福されてしまいますから、もう祝福も呪いもしないでくれとバラクに言います。この時にバラクが抱いていた精神状態はどのようなものだったでしょうか。もしバラムが預言者でなければ容赦なく死刑に処していたかもしれません。また王を前にして王の願いとは全く正反対のことをしたバラムは、どれだけ大胆だったでしょうか。バラムがこのようにしたのは預言者としての使命感からでしょう。

【23:27~30】
『バラクはバラムに言った。「さあ、私はあなたをもう一つ別の所へ連れて行きます。もしかしたら、それが神の御目にかなって、あなたは私のために、そこから彼らをのろうことができるかもしれません。」バラクはバラムを荒地を見おろすペオルの頂上に連れて行った。バラムはバラクに言った。「私のためにここに七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雌羊をここに用意してください。」バラクはバラムが言ったとおりにして、祭壇ごとに雄牛と雄羊とを一頭ずつささげた。』
 バラクはもう一度場所を変えれば神の意志も変わるかもしれないと考え、バラムを別の高い場所に連れて行き前と同様の用意をしました。この時もイスラエルは一部しか眺められなかったのでしょうか。民数記24:2の箇所を見ると、どうやら今度はイスラエル全体を眺めることができたようです。つまり、3回目に登った『ペオルの頂上』は非常に高い場所でした。地球が球形であり遠くにある存在はなかなか見えないといっても、非常に高い場所から眺めるというのであれば多くの存在が見えるようになります。

 この3度目の祭儀行為により、これでバラムとバラクが捧げた犠牲獣の総数は42頭になりました。すなわち、1回目に14頭の犠牲が、2回目と3回目にもそれぞれ14頭の犠牲が捧げられました。14が3回続いて「42」になるということの秘儀は、既に「再臨論」の中で十分に論じましたが、ここで再び論じても良いでしょう。何故なら、本註解書を読んでいる人が、「再臨論」をこれまでに読んだのか、またこれから読むことになるか、私には分からないからです。本註解書しか読まない人もいるかもしれません。聖書において「14」という数字には意味があります。私たちは神の恵みにより知れていますが、ほとんど全ての聖徒がこのことを知っていないと思われます。この数字は聖書の中で幾つも出てきます。ヤコブがラケルのために仕えた年数は「14」年でした(創世記31:41)。パウロが第三の天にまで引き上げられたと言ったのは『十四年前』(Ⅱコリント12章2節)の話でした。月の汚れにおける期間は「14」日です(レビ記12:5)。この「14」という数字は、その数量や時間が僅かだということを示しています。というのも、ヤコブが仕えた7年間は『ほんの数日のように思われた』(創世記29章20節)のですから、それに7年加算された14年も僅かにしか感じられなかったはずだからです。この場合は時間ですが、これは数量でも同様のことが言えます。また、この「14」という数字の成り立ちは「7たす7」であると理解すべきです。バラムが用意した14頭の犠牲獣も雄牛の7頭たす雄羊の7頭でしたし、ヤコブがラケルのために仕えた14年間もやはり2つの7年から成り立っていたからです。そして「42」という数字は、この「14」が3つ積み重なった数字です。これは私たちが今見ている箇所から分かるだけでなく、マタイ1:17の箇所からも分かります。そこで書かれている通り、アブラハムからキリストまでの代は全部で42代でしたが、マタイはこれを3つの14代に区分しているからです。この「42」は今私たちが見ている部分で捧げられた犠牲獣の総数である他に、同じくこれもたった今見たキリストに関わる代の総数でしたし、666である獣ネロに定められている期間―『四十二か月』(黙示録13章5節)―でもありました。この数字は、その数字に関わる事柄が神の強い働きかけの下にあることを示しています。もちろん、この世界に起こる出来事は常にことごとく神の働きかけの下にあります。しかし、「42」という数字において起こる出来事は<特に>神が強く働きかけておられます。つまり、聖書で「42」という数字に関わっている出来事は、神が強く関与しているという強調の意味を持つのです。42という数字に関わる聖書の出来事をよく考えてみるといいでしょう。そうすれば、確かにその出来事には神が大いに働きかけておられる、言い換えれば神が特にそれを注目しておられる、ということが分かるでしょう。今の教会は聖書の象徴的な要素に疎くなっているので、なかなかこういった事柄が教えられていません。しかし、それは聖書の事柄なのですから、大いに教えられる必要があります。

【24:1~3】
『バラムはイスラエルを祝福することが主の御心にかなうのを見、これまでのように、まじないを求めに行くことをせず、その顔を荒野に向けた。バラムが目を上げて、イスラエルがその部族ごとに宿っているのをながめたとき、神の霊が彼の上に臨んだ。彼は彼のことわざを唱えて言った。』
 今度もまた神が御自身の御言葉をバラムの口に置かれました。『神の霊が彼の上に臨んだ』と書かれているのは、神の霊がバラムの口を通して語られたということです。それゆえ、これから書かれるバラムの言葉は神の言葉です。これまで2回も神はイスラエルを祝福されたので、バラムはイスラエルの祝福こそが神の御心だと悟りました(1節目)。というのも、既に2回も祝福が命じられたのですから、3回目になってから呪いが命じられるとは考えにくいからです。もし3回目に呪いが命じられたとすれば、神の本当の御心はイスラエルの呪いだったことになりますが、そうであればそもそも最初の1回目から呪いが命じられていたでしょう。バラムが高い場所から見るとイスラエルは『部族ごとに宿っている』状態でした。このようなイスラエルの秩序だった宿営については既に確認した通りです。

【24:3~9】
『「ベオルの子バラムの告げたことば。目のひらけた者の告げたことば。神の御告げを聞く者、全能者の幻を見る者、ひれ伏して、目のおおいを除かれた者の告げたことば。なんと美しいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。それは、延び広がる谷間のように、川辺の園のように、主が植えたアロエのように、水辺の杉の木のように。その手おけからは水があふれ、その種は豊かな水に潤う。その王はアガグよりも高くなり、その王国はあがめられる。彼をエジプトから連れ出した神は、彼にとっては野牛の角のようだ。彼はおのれの敵の国々を食い尽くし、彼らの骨を砕き、彼らの矢を粉々にする。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を横たえる。だれがこれを起こすことができよう。あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる。」』
 まずバラムは神からの御言葉を告げる自分自身について示します。バラムは『目のひらけた者』でした。これはバラムがヤハウェこそ真の神であると悟っていたからです。他の異邦人は盲目でした。ですから、ヤハウェこそ真の神であると悟りませんでした。暗闇の世界である異邦人の中にあって、バラムだけがヤハウェに光を見ていました。彼の目は閉じていなかったのです。それゆえ、バラムは『目のおおいを除かれた者』です。また、バラムは『神の御告げを聞く者』でした。ユダヤ人でもないのに神から御告げを聞くというのは珍しいことです。彼は『全能者の幻』も見ていました。これは御告げが伴っているので本当に神からの幻でした。世の中に神から幻を見せられたと言う人は多くいますが、どの人も幻を見たとしか言っておらず、御告げが伴っていなければ、それが神からの幻かどうか私たちには分かりません。聖書に書かれている例を見れば明らかなように、神からの幻には御告げ、すなわち御言葉が伴うものなのです。またバラムは神に『ひれ伏して』いました。これはバラムが神の命令に耳を傾け、それに服従するような態度の持ち主だったということです。つまり、これはバラムの傾向を言っています。常にことごとくバラムが神に服従できていたというわけではありません。というのも先ほどバラムは神に背いて歩みを進めていたからです(民数記22:21~35)。

 続いてバラムはユダヤの聖所における美しさを賛美します。これはユダヤの聖所が視覚的に美麗だったからです。既に見た通り、聖所には金や銀が満ちており、そこには完璧な装飾と秩序がありました。それは正に「神の芸術品」でした。ですから、『なんと美しいことよ。』と言われているのは、誇張とか単なる表現また象徴としての言い方ではありません。5節目では、繰り返しの強調がされています。すなわち、ユダヤについては『ヤコブよ』、『イスラエルよ』と繰り返されています。聖所については『あなたの天幕は。』、『あなたの住まいは。』と繰り返されています。このようにユダヤの聖所はモーセ時代からその美しさが賛美されていました。新約聖書でも、聖所の素晴らしい美しさに感心している人々が描かれています(ルカ21:5)。古代ではユダヤの聖所よりも美しいものはないと、ずっと言われていました。この聖所について『延び広がる谷間のように』と言われているのは、聖所における広大さが示されています。『川辺の園のように』と言われているのは、その見栄えの良さが示されています。『主が植えたアロエのように、水辺の杉の木のように』と言われているのも、やはり美しさのことです。『その手おけからは水があふれ、その種は豊かな水に潤う』と言われているのも、見て目に心地良い外観が言い表されています。

 『その王はアガグよりも高くなり、その王国はあがめられる。』という部分は、2通りの解釈があります。一つ目は、王制時代のイスラエルについて言われているという解釈です。この場合、『王』とはダビデを、『王国』とはイスラエル王国となります。『アガグ』というのは当時において最強国だったアマレク(民数記24:20)の王を呼び表す呼称です。これはエジプトの支配者である「パロ」やスラブ語圏で君主の呼称として使われた「ツァー」と同じです。確かにダビデ王はアマレク人の王よりも偉大な君主でした。また、ダビデの王国は社会的な意味で崇められるような国でした。というのもダビデの王国は非常に強かったからです。将軍でもそうですが、強い国は社会的に崇められるのが歴史の常です。古代ローマも強かったので、他国の王たちがやって来た際には元老院議員たちの前でひれ伏して媚びへつらったものです。二つ目は、キリストについて言われているという解釈です。この場合、『王』はキリストを、『王国』はキリストの御国を指します。確かにキリストはアガグよりも高い御方であられます。何故なら、キリストとは『地上の王たちの支配者』(黙示録1章5節)すなわち王の王であられるからです。またキリストの御国が『あがめられる』と言われているのは、何も驚くに値しません。というのも御国とはキリストの支配される聖徒たちという領土また領域だからです。この2つの解釈はどちらも無理がありません。私個人としては2つ目の解釈を好ましく思うのですが、読者は各自好きなほうを選べばよいでしょう。

 8~9節目で言われているのは、2回目に語られた内容とかなり似ています(民数記23:22、24)。イスラエルが獅子のようだと言われているのは、バラク率いるモアブがイスラエルに打ち勝つことはできないということです。バラムはこう言っているかのようです。「もしモアブがイスラエルと戦うならば獅子が獲物を食い尽くすように滅ぼされるであろう。」つまり、これはモアブの敗北を宣言しています。9節目の部分はユダ族について預言された創世記49:9の箇所と同じことが言われています。

 『あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる。』というのはアブラハムに言われた言葉でしたが(創世記12:3)、これはアブラハムの子孫であるユダヤ民族についてのことでもあります。ユダヤ人を祝福する者は神に味方しているので祝福され、ユダヤ人を呪う者は神に敵対しているので呪われてしまいます。私たちは自分の妻や子どもに良くしてくれる人であれば好意を抱くでしょうし、酷いことをする人であれば嫌悪するはずです。これと同様で、神もユダヤ人に良くする者には良くし、悪くする者には悪くされるのです。この言葉はバラクに対する非難として見ることができます。というのも、これはバラクに対し「あなたはユダヤを呪おうとしているが、そんなことをすればあなたのほうが呪われるであろう。」と言っているのも同然だからです。

【24:10~13】
『そこでバラクはバラムに対して怒りを燃やし、手を打ち鳴らした。バラクはバラムに言った。「私の敵をのろうためにあなたを招いたのに、かえってあなたは三度までも彼らを祝福した。今、あなたは自分のところに下がれ。私はあなたを手厚くもてなすつもりでいたが、主がもう、そのもてなしを拒まれたのだ。」バラムはバラクに言った。「私はあなたがよこされた使者たちにこう言ったではありませんか。『たとい、バラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれても、主のことばにそむいては、善でも悪でも、私の心のままにすることはできません。主が告げられること、それを私は告げなければなりません。』」』
 バラクは自分の願いとは正反対のことを3度もされたので憤りましたが、バラムを処罰するわけにもいきませんから、バラムに立ち去るよう命じます。これに対し、またもバラムは私は神から告げられたことを知らせたまでだ、と言って応じます。バラクは良い結果を望んでバラムを呼び寄せたのに、彼にとっては悪い結果となりました。ストレスが溜まるだけでした。これではバラムを呼ばなかったほうが、かえって良かったかもしれません。愚かなことをしようとするからこうなるのです。ところで、全ての預言者はこのバラムのようであるべきでした。すなわち、預言者は金銀などといった財宝が前に置かれても神の御告げを取り次ぐという職務を何よりも第一とせねばなりませんでした。そうしなければ裁きによる神の怒りが注がれて死んでしまうからです。