【民数記24:14~28:25】(2022/01/23)


【24:14~15】
『今、私は私の民のところに帰ります。さあ、私は、この民が後の日にあなたの民に行なおうとしていることをあなたのために申し上げましょう。」そして彼のことわざを唱えて言った。』
 バラムは帰り際に、将来に起こる出来事を預言します。それはユダヤが未来にモアブへと行なうことについてでした。バラムには神の霊が臨んでおられましたから(民数記24:2)、未来について預言することができました。

【24:15~19】
『「ベオルの子バラムの告げたことば。目のひらけた者の告げたことば。神の御告げを聞く者、いと高き方の知識を知る者、全能者の幻を見る者、ひれ伏して、目のおおいを除かれた者の告げたことば。私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。その敵、エドムは所有地となり、セイルも所有地となる。イスラエルは力ある働きをする。ヤコブから出る者が治め、残った者たちを町から消し去る。」』
 またもバラムはまず自分のことについて示します。15~16節目で言われているのは、『いと高き方の知識を知る者』という部分を除けば、先に見た民数記24:3~4の箇所と同じです。『いと高き方の知識を知る者』とは、神に属する未来の知識がバラムに与えられていたということです。異邦人なのにこのような恵みを受けるのは大変珍しいことです。神は異邦人にも働きかける自由を持っておられます。

 17節目では、この預言が遠い未来のことだと示されています。『私は見る』また『私は見つめる』とは、バラムがあたかも目で見るかのようにして未来の出来事を知っているという意味です。

 ここで預言されているのはキリストのことです。『星』また『杖』と言われているのはキリストを指します。これは文字通りの意味ではありません。『モアブのこめかみ』と言われているのは、霊的に騒がしい不敬虔なモアブ人のことです。何故なら、『こめかみ』とは端に位置している部位だからです。『騒ぎ立つ者』とは不信仰な全ての者を言っています。これらの者の『脳天を打ち砕く』というのは、つまりキリストにより不信仰な者が罪人として定められるということでしょう。というのも、『信じない者は罪に定められ』(マルコ16章16節)るのですから。『エドム』とは先に述べた通り、ユダヤ人の兄弟ですが、しかしユダヤの『敵』でもありました。『セイル』とはこのエドム人が住んでいた山のことです。18節目でエドムの地がキリストの所有地になると言われているのは、御父が御子に万物をお与えになられたからです(ヨハネ3:35)。『万物』がキリストの手に渡されたのですから、当然ながらエドムの所有地もキリストの所有になったわけです。『イスラエルは力ある働きをする。』と言われているのは、イスラエルから出るキリストが救いを実現され、悪魔を打ち滅ぼされたことでしょう。『ヤコブから出る者』もキリストを指します。このキリストは御国を王として『治め』られます。『残った者たち』とは御国に入れられず、御国の外に残されたユダヤ人を指していると考えられます。その者たちを『町から消し去る』と言われているのは、キリストの御国に入らなかったユダヤ人が紀元70年にエルサレムで滅ぼされることだと思われます。

【24:20】
『彼はアマレクを見渡して彼のことわざを唱えて言った。「アマレクは国々の中で首位のもの。しかしその終わりは滅びに至る。」』
 続いてバラムはアマレク民族の未来を預言します。バラムが『アマレクを見渡して』いたのは死海の東の場所からでしたが、アマレク人のいた方角は南西のほうでした。アマレク人はシナイ半島で遊牧生活をしていたからです。このアマレクについての預言も、バラムに臨んでおられた神の霊によりました。アマレクが『国々の中で首位のもの』と言われているのは、強さの首位を言っています。アマレク民族は獰猛・好戦的なことで知られていました。しかし、強かったこのアマレク人も『その終わりは滅びに至る』のです。神は前からアマレクの滅びを定めておられました(出エジプト記17:14)。これはアマレク人がユダヤに酷いことをしたからです。神はアマレクに復讐されるのです。聖書には書かれていませんが、ヨセフスによればアマレク人はユダヤ人の性器を切り取って放り投げるという愚行をしたようです。これが本当だったとすれば神が『わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。』(出エジプト記17章14節)と言われたのは非常に納得できます。アマレク人の『滅び』はサウルが王の時に実現されました(Ⅰサムエル記15章)。もっとも、サウルはアマレクの聖絶を中途半端な形でしか実行しなかったのではありますが。

【24:21~22】
『彼はケニ人を見渡して彼のことわざを唱えて言った。「あなたの住みかは堅固であり、あなたの巣は岩間の中に置かれている。しかし、カインは滅ぼし尽くされ、ついにはアシュルがあなたをとりこにする。」』
 続いてケニ人の預言が語られます。『ケニ人』とは『モーセの義兄弟』(士師記1章16節)の民族でした。この民族は丘の起伏に隠れるようにして住んでいました。そこはあまり自然が豊かである土地ではありません。22節目で言われている『カイン』とは何でしょうか。カインとその子孫はもうとっくの昔に消え去っていますから、これが比喩表現であることは明らかです。これはアマレク人を示しています。というのもアマレク人はカインのように忌まわしい者だったからです。ですから『カインは滅ぼし尽くされ』るとは、ユダヤ人がアマレク人を殲滅することです。この『カイン』という言葉を文字通りに捉えるのは愚かです。その場合、ここで何が言われているのか全く理解できなくなりますから。しかし、カインであるアマレク人が滅ぼされても、ケニ人は滅ぼされず『とりこに』されるだけで済みます。確かに神はケニ人もユダヤ人の餌食として定めておられました(創世記15:19)。しかし、ケニ人の土地はユダヤ人に与えられても、ケニ人そのものは滅びを免れました。それは彼らがイスラエル人に親切なことをしたからです(Ⅰサムエル記15:5~6)。このケニ人を『とりこにする』ユダヤ人がここでは『アシュル』として示されています。アシュルとはセムの子です(創世記10:22)。ユダヤ人がアシュルとして示されたのは、ユダヤ人をセム族として示すためだったと思われます。こういうわけですから、この箇所の預言は既にサウルの時に全て成就されています。

【24:23~24】
『彼はまた彼のことわざを唱えて言った。「ああ、神が定められたなら、だれが生きのびることができよう。船がキティムの岸から来て、アシュルを悩まし、エベルを悩ます。しかし、これもまた滅びに至る。」』
 カインを滅ぼしアシュルを虜にするユダヤ人も、神の定めなしには存続できません。ですから、バラムは『ああ、神が定められたなら、だれが生きのびることができよう。』と言っています。これは正に「アーメン。」と言われるべき言葉です。ですから、ユダヤ人もやがて『滅びに至る』ことになります。それは『キティム』の『船』であるローマ人が来て滅ぼされるからです。ダニエル11:30の箇所でも『キティムの船』という言葉でローマ人が示されています。『キティム』とはキプロスですが、これはつまり遠くから敵がやって来るということです。このユダヤの滅びは紀元70年に起こりました。この箇所ではユダヤが『アシュル』と言われると共に『エベル』とも言われています。『エベル』とはユダヤ人の祖先であり(創世記10:24)、「ヘブル人」というユダヤ人の呼び方はこの『エベル』に基づいていますが、これはユダヤ人をその歴史性において示そうとしているのだと考えられます。つまり、「エベルに連なるユダヤ人の歴史も遂に終わりを迎える。」ということです。この箇所の預言も既に全て成就しています。

【24:25】
『それからバラムは立って自分のところへ帰って行った。バラクもまた帰途についた。』
 こうして2人は自分の住まいへと帰って行きました。すなわち、バラムはペトルに、バラクはモアブに。

【25:1~3】
『イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、主の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。』
 モアブ人は、自分たちもイスラエルの餌食にされるのではないかと恐れていましたが、杞憂に過ぎませんでした。イスラエル人はモアブを襲うどころか、モアブの女を求め、彼女たちと一緒に交わったからです。モアブの女は自分たちの偶像崇拝にイスラエル人を誘ったので、イスラエル人は食べたり楽しんだりしてモアブの神々を崇拝しました。このことについてパウロはⅠコリント10章の箇所で言及しています。これは最悪の罪でした。イスラエル人が自分たちの神を捨てて、本当は存在しない偽りの神々に心を移したからです。これは妻が不倫をして夫でない他の男に心を移すのと同じです。イスラエルとは神の妻でしたから。このため神はイスラエル人に怒りを燃やされました。これは当然でした。この時の偶像崇拝について、「イスラエル人はまだまだ未熟だったので仕方なかった。」などと弁護することはできません。それはある殺人者について「彼はまだまだ未熟だったので殺人をしたのも仕方なかった。」などと弁護されるべきでないのと同じです。

【25:4~9】
『主はモーセに言われた。「この民のかしらたちをみな捕えて、白日のもとに彼らを主の前でさらし者にせよ。主の燃える怒りはイスラエルから離れ去ろう。」そこでモーセはイスラエルのさばきつかさたちに言った。「あなたがたは、おのおの自分の配下のバアル・ペオルを慕った者たちを殺せ。」モーセとイスラエル人の全会衆が会見の天幕の入口で泣いていると、彼らの目の前に、ひとりのイスラエル人が、その兄弟たちのところにひとりのミデヤン人の女を連れてやって来た。祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスはそれを見るや、会衆の中から立ち上がり、手に槍を取り、そのイスラエル人のあとを追ってテントの奥の部屋にはいり、イスラエル人とその女とをふたりとも、腹を刺し通して殺した。するとイスラエル人への神罰がやんだ。この神罰で死んだ者は、二万四千人であった。』
 神は偶像を拝んだユダヤ人を処刑せよと命じられます。聖書は偶像崇拝を死に定めているからです。偽りの神々を拝むというのは、真の神とその唯一性・絶対性を否定することです。そのように神を否定する者は神から存在的に否定されるのです。つまり、裁かれて殺されます。この時に裁き殺されたのは『二万四千人』でしたが、これはいかに偶像崇拝をしたユダヤ人が多かったか示しています。この死者数は実際の数字ですが、そこに象徴的な意味は潜んでいないと思われます。

 悲しむべき悲惨な出来事が起きたので『モーセとイスラエル人の全会衆が会見の天幕の入口で泣いて』いました。これを悲しまなければ一体どのような出来事を悲しめというのでしょうか。このように、またもやユダヤ人は大きな罪に陥りました。ユダヤ人は神にしっかりその心を根付かせていませんでした。だからこそ、再びこのような反逆的巨悪に陥ったのです。

 しばらくすると偶像崇拝に陥ったあるユダヤ人がミデヤン女を連れて会衆の前を通り過ぎたので、ピネハスは2人の入って行ったテントの中に入ってこの2人を処刑しました。2人の『腹』が刺し通されたのは、ユダヤ人たちの罪深い欲望が断罪されたことを意味しているのかもしれません。何故なら、パウロは欲望のことを腹と言っているからです(ピリピ3:19)。この『腹』は腰の辺りだった可能性もあります。この場合、ピネハスは行為中に処刑を為したことになります。ピネハスのこの行為により神罰が停止されます。もしピネハスがこうしていなければ、もっと多くのユダヤ人が死んでいたはずです。ピネハスがしたこの殺人は、悪い殺人すなわち犯罪者としての殺人ではなく、死刑としての殺人すなわち合法的な正しい殺人でした。何故なら、この時には神とモーセにより死刑の命令が下されていたからです(民数記25:4~5)。

【25:10~13】
『主はモーセに告げて仰せられた。「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、わたしのねたみをイスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、わたしの憤りを彼らから引っ込めさせた。わたしは、わたしのねたみによってイスラエル人を絶ち滅ぼすことはしなかった。それゆえ、言え。『見よ。わたしは彼にわたしの平和の契約を与える。これは、彼とその後の彼の子孫にとって、永遠にわたる祭司職の契約となる。それは彼がおのれの神のためにねたみを表わし、イスラエル人の贖いをしたからである。』」』
 ピネハスがしたことは、神の妬みを代わりに示すことでしたから、その行為により神罰が停止されました。このため、神の妬みによりイスラエル人の全体がことごとく滅ぼされることはなくなりました。神はピネハスの行為により、御自分の妬みが物質的に表現されたので満足されました。ですから「もう神罰は停止される。」ということになったのです。もしピネハスが2人を殺していなければイスラエルはどうなっていたことでしょうか。ピネハスがこのようにしたので、記念としてピネハスの子孫には祭司職が永続的な定めとなりました。もちろん、ピネハスが何もしなかったとしても、ピネハスの子孫はアロンに連なっていますから祭司職として定められていました。しかし、神はピネハスを喜ばれたので、あらためてピネハスに連なる子孫を祭司職として言わば再指名されたのでした。ですから、ピネハスの子孫が祭司であることはピネハスの記念になるのです。

【25:14~15】
『その殺されたイスラエル人、ミデヤン人の女といっしょに殺された者の名は、シメオン人の父の家の長サルの子ジムリであった。また殺されたミデヤン人の女の名はツルの娘コズビであった。ツルはミデヤンの父の家の氏族のかしらであった。』
 ピネハスに殺されたユダヤ人とミデヤン人の名前が記されています。ユダヤ人のほうはシメオン族の人でしたが、自制心のなかったシメオンのDNAが強く作用したのかもしれません(創世記49:5~7)。このようにしてこのシメオン人の名はこの地上で永遠に記憶されることとなりました。これは大変な不名誉です。神を捨てて偶像に走る裏切り者は『地にその名がしるされる』(エレミヤ17章13節)のです。ユダも主を捨てたので永遠に地上にその名が残されることとなりました。神は御自分を捨てる者にこのような報いを与えられます。これは非常に恐ろしいことです。

【25:16~18】
『主はモーセに告げて仰せられた。「ミデヤン人を襲い、彼らを打て。彼らは巧妙にたくらんだたくらみで、あなたがたを襲ってペオルの事件を引き起こし、ペオルの事件の神罰の日に殺された彼らの同族の女、ミデヤンの族長の娘コズビの事件を引き起こしたからだ。」』
 神はミデヤン人に復讐せよと命じられます。これはミデヤン人がユダヤ人を罠に引き込み、偶像崇拝へと陥らせたからです。もちろんユダヤ人が罪を犯したのは、罠に引き込まれたユダヤ人自身にその責任がありました。しかし、ユダヤ人を偶像崇拝に導いたミデヤン人にも罪がありました。ですから神はミデヤン人を罰し滅ぼせと言われたのです。

【26:1~4】
『この神罰の後、主はモーセと祭司アロンの子エルアザルに告げて仰せられた。「イスラエル人の全会衆につき、父祖の家ごとに二十歳以上で、イスラエルにあって軍務につくことのできる者すべての人口調査をせよ。」そこでモーセと祭司エルアザルは、エリコをのぞむヨルダンのほとりのモアブの草原で彼らに告げて言った。「主がモーセに命じられたように、二十歳以上の者を数えなさい。」』
 神は20歳以上の男子であるユダヤ人を人口調査せよと指示されます。約40年前の人口調査で登録されたユダヤ人は(民数記1:1~3)、この40年の間にカレブとヨシュアを除けば全て死んでいなくなっていました(民数記26:63~65)。つまり、この時のイスラエルは完全に前と異なる新しい世代から構成されていました。ですから、イスラエルの人的様相が新しくなっていたこの時において、人口の再調査がされるべきだったのです。

【26:4~11】
『エジプトの国から出て来たイスラエル人は、イスラエルの長子ルベン。ルベン族は、エノクからはエノク族、パルからはパル族、ヘツロンからはヘツロン族、カルミからはカルミ族。これがルベン人諸氏族で、登録された者は、四万三千七百三十人であった。パルの子孫はエリアブ。エリアブの子はネムエルとダタンとアビラムであった。このダタンとアビラムは会衆に選ばれた者であったが、彼らはコラの仲間にはいり、モーセとアロンに逆らい、主に逆らったのである。そのとき、地は口をあけて、彼らをコラとともにのみこみ、その仲間は死んだ。すなわち火が二百五十人の男を食い尽くした。こうして彼らは警告のしるしとなった。しかしコラの子たちは死ななかった。』
 まずは長子ルベンの部族から書かれています。ルベン族には、『エノク族』『パル族』『ヘツロン族』『カルミ族』の4つの部族がありました。『エノク』とは洪水前のエノクから取られた名前なのかもしれません。ルベン族の人口は『四万三千七百三十人』でしたが、これは40年前の『四万六千五百人』(民数記1章21節)より2770人減っています。既に見た通り、『ダタンとアビラム』はこのルベン族でした(民数記16:1)。もしかしたら父祖ルベンの奔放なDNAがこの2人の中で暴れ回ったのかもしれません(創世記49:4)。この2人はコラおよび250人の男たちと共に殺されましたが、これは『警告のしるし』としての裁きでした。神は「もうこういうことをするな。」と示すべく威嚇・見せしめの裁きを下されたのでした。しかし、コラの子たちは裁きを免れました(11節)。これは父の罪は子に関係がないからです(申命記24:16)。つまり、子たちは親であるコラのように邪悪ではなかったということです。コラの子孫はやがて詩篇を記すほどまでになります。親にだけ帰されるべき罪というものがあります。その罪により子が災いに苦しむことはありません。

【26:12~14】
『シメオン族の諸氏族は、それぞれ、ネムエルからはネムエル族、ヤミンからはヤミン族、ヤキンからはヤキン族、ゼラフからはゼラフ族、サウルからはサウル族。これがシメオン人諸氏族で、二万二千二百人であった。』
 シメオン部族には、『ネムエル族』『ヤミン族』『ヤキン族』『ゼラフ族』『サウル族』の5部族がありました。シメオン部族は『二万二千二百人』いましたが、これは前に登録された『五万九千三百人』(民数記1章23節)より3万7100人も減っています。バアル・ペオルでの事件およびコラの事件の後に起きた反逆事件で裁き殺されたユダヤ人は、その大半がシメオン人だったということなのでしょうか。つまり、そのためにここまでシメオン部族の数が減少したということなのでしょうか。実際はどうだったか分かりませんが、いずれにせよこれは凄まじい減少数です。

【26:15~18】
『ガド族の諸氏族は、それぞれ、ツェフォンからはツェフォン族、ハギからはハギ族、シュニからはシュニ族、オズニからはオズニ族、エリからはエリ族、アロデからはアロデ族、アルエリからはアルエリ族。これがガド諸氏族で、登録された者は、四万五百人であった。』
 ガド族の部族は『ツェフォン族』『ハギ族』『シュニ族』『オズニ族』『エリ族』『アロデ族』『アルエリ族』の計7部族です。ガド族の人口である『四万五百人』は、40年前の『四万五千六百五十人』(民数記1章25節)から5150人減っただけであり、ほとんど数は変わっていません。

【26:19~22】
『ユダの子はエルとオナン。しかしエルとオナンはカナンの地で死んだ。ユダ族の諸氏族は、それぞれ、シェラからはシェラ族、ペレツからはペレツ族、ゼラフからはゼラフ族。ペレツ族は、ヘツロンからはヘツロン族、ハムルからはハムル族。これがユダ諸氏族で、登録された者は、七万六千五百人であった。』
 イスラエルのうち最も重要な部族であるユダ族は、『シェラ族』『ゼラフ族』、ペレツの部族として『ヘツロン族』と『ハムル族』がいました。『ペレツ』はキリストの肉的な祖先です(マタイ1:3)。ユダ族は『七万六千五百人』であり、40年前の『七万四千六百人』(民数記1章27節)より1900人増えています。この増加はユダ族が祝福されていたからだと思われます。ユダの子『エルとオナン』はヤコブ一族がエジプトに移住する前に死んでしまい、遂にエル族とオナン族は存在しないままとなりました。というのもエルとオナンに子孫は与えられなかったからです。

【26:23~25】
『イッサカル族の諸氏族は、それぞれ、トラからはトラ族、プワからはプワ族、ヤシュブからはヤシュブ族、シムロンからはシムロン族。これがイッサカル諸氏族で、登録された者は、六万四千三百人であった。』
 イッサカル族は4部族あり、『トラ族』『プワ族』『ヤシュブ族』『シムロン族』でした。『六万四千三百人』いたイッサカル族は、40年前の『五万四千四百人』(民数記1章29節)から9900人の増加ですが、これはこの部族が祝福されていたからでしょう。

【26:26~27】
『ゼブルン族の諸氏族は、それぞれ、セレデからはセレデ族、エロンからはエロン族、ヤフレエルからはヤフレエル族。これがゼブルン人諸氏族で、登録された者は、六万五百人であった。』
 ゼブルン族には『セレデ族』『エロン族』『ヤフレエル族』の3部族があります。『六万五百人』いたゼブルン族は、40年前の『五万七千四百人』(民数記1章31節)から3100人増えています。

【26:28~37】
『ヨセフの子孫の諸氏族は、それぞれ、マナセとエフライム。マナセ族は、マキルからはマキル族。マキルはギルアデを生んだ。ギルアデからはギルアデ族。ギルアデ族は次のとおりである。イエゼルからはイエゼル族、ヘレクからはヘレク族、アスリエルからはアスリエル族、シェケムからはシェケム族、シェミダからはシェミダ族、ヘフェルからはヘフェル族。ヘフェルの子ツェロフハデには、息子がなく、娘だけであった。ツェロフハデの娘の名は、マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。これがマナセ諸氏族で、登録された者は、五万二千七百人であった。エフライム族の諸氏族は、それぞれ、次のとおりである。シュテラフからはシュテラフ族、ベケルからはベケル族、タハンからはタハン族。シュテラフ族は次のとおりである。エランからはエラン族。これがエフライム族で、登録された者は、三万二千五百人であった。これがヨセフの子孫の諸氏族である。』
 ヨセフの子孫はマナセ族とエフライム族の2つがあります。マナセ族には『マキル族』、『ギルアデ族』として『イエゼル族』『ヘレク族』『アスリエル族』『シェケム族』『シェミダ族』『ヘフェル族』がありました。マナセ族の人口は『五万二千七百人』でしたが、これは前回の『三万二千二百人』(民数記1章35節)から2万500人も増えています。この激増が祝福を示していることは間違いありません。ヘフェル族のツェロフハデには娘しかありませんでしたが、イスラエルは男系により氏族が続く社会でしたから、娘しかいないというのはあまり喜ばしいことではありませんでした。エフライム族には『シュテラフ族』『ベケル族』『タハン族』、シュテラフの子孫として『エラン族』がありました。『三万二千五百人』いたエフライム族は、前の『四万五百人』(民数記1章33節)から8000人減少していますが、この減少はこの部族があまり祝福されていなかったからなのでしょう。

【26:38~41】
『ベニヤミン族の諸氏族は、それぞれ、ベラからはベラ族、アシュベルからはアシュベル族、アヒラムからはアヒラム族、シェフファムからはシュファム族、フファムからはフファム族。ベラの子はアルデとナアマン。アルデからはアルデ族、ナアマンからはナアマン族。これがベニヤミン族の諸氏族で、登録された者は、四万五千六百人であった。』
 ベニヤミン族には『ベラ族』『アシュベル族』『アヒラム族』『シュファム族』『フファム族』、ベラの子として『アルデ族』と『ナアマン族』がありました。このベニヤミン族は『四万五千六百人』いましたが、これは40年前の『三万五千四百人』(民数記1章37節)から1万200人の増加であり、祝福があったということなのでしょう。

【26:42~43】
『ダン族の諸氏族は、次のとおりである。シュハムからはシュハム族。これがダン族の諸氏族である。すべてのシュハム人諸氏族で、登録された者は、六万四千四百人であった。』
 ダン族は『シュハム族』だけであり、『六万四千四百人』いたその人口は、40年前の『六万二千七百人』(民数記1章39節)から1700人増えましたが、数的にほとんど変わっていません。これは呪われることもなければ前に比べて豊かに祝福されたというわけでもないことを意味しています。

【26:44~47】
『アシェル族の諸氏族は、それぞれ、イムナからはイムナ族、イシュビからはイシュビ族、ベリアからはベリア族。ベリア族のうち、ヘベルからはヘベル族、マルキエルからはマルキエル族。アシェルの娘の名はセラフであった。これがアシェル諸氏族で、登録された者は五万三千四百人であった。』
 アシェル族には、『イムナ族』『イシュビ族』『ベリア族』、ベリアの子孫として『ヘベル族』および『マルキエル族』がありました。アシェルの娘『セラフ』が記録されているのは(46節)、この女がイスラエル社会でよく知られていたか、記録されるに値するような女だったからなのでしょう。アシェル族は『五万三千四百人』であり、40年前の『四万一千五百人』(民数記1章41節)から1万1900人も増えていますが、この増加は祝福を意味しているのでしょう。主に祝福されると増えるからです。

【26:48~50】
『ナフタリ族の諸氏族は、それぞれ、ヤフツェエルからはヤフツェエル族、グニからはグニ族、エツェルからはエツェル族、シレムからはシレム族。これがナフタリ族の諸氏族で、登録された者は、四万五千四百人であった。』
 ナフタリ族には『ヤフツェエル族』『グニ族』『エツェル族』『シレム族』がありました。『四万五千四百人』いたナフタリ族は、『五万三千四百人』(民数記1章43節)いた40年前と比べて8000人の減少ですが、これはあまりナフタリ族が祝福されていなかったことを意味しています。

【26:51】
『これがイスラエル人の登録された者で、六十万一千七百三十人であった。』
 世代が総入れ替えされたイスラエルの登録人口は『六十万一千七百三十人』でしたが、これは40年前の『六十万三千五百五十人』(民数記1:46)と比べて1820人減っているだけであり、ほとんど変わっていないことが分かります。これはイスラエルに対する祝福が大幅に増し加えられたということもなければ、大幅に呪われることにもならなかったことを意味しています。神は、イスラエルの人口が多いままに保たれることを望まれました。以下は、40年前の調査人口と比較したこの時の調査人口(1)および前回と比較した調査人口の増加順位(2)です。

(1)
ユダ    7万6500人(+ 1900)
ダン    6万4400人(+ 1700)
イッサカル 6万4300人(+ 9900)
ゼブルン  6万 500人(+ 3100)
アシェル  5万3400人(+11900)
マナセ   5万2700人(+20500)
ベニヤミン 4万5600人(+10200)
ナフタリ  4万5400人(- 8000)
ルベン   4万3730人(- 2770)
ガド    4万 500人(- 5150)
エフライム 3万2500人(- 8000)
シメオン  2万2200人(-37100)

(2)
1  マナセ   5万2700人(+20500)
2  アシェル  5万3400人(+11900)
3  ベニヤミン 4万5600人(+10200)
4  イッサカル 6万4300人(+ 9900)
5  ゼブルン  6万 500人(+ 3100)
6  ユダ    7万6500人(+ 1900)
7  ダン    6万4400人(+ 1700)
8  ルベン   4万3730人(- 2770)
9  ガド    4万 500人(- 5150)
10 ナフタリ  4万5400人(- 8000)
10 エフライム 3万2500人(- 8000)
11 シメオン  2万2200人(-37100)

【26:52~56】
『主はモーセに告げて仰せられた。「この人々に、その地は、名の数にしたがって、相続地として割り当てられなければならない。大きい部族にはその相続地を多くし、小さい部族にはその相続地を少なくしなければならない。おのおの登録された者に応じて、その相続地は与えられなければならない。ただし、その地はくじで割り当て、彼らの父祖の部族の名にしたがって、受け継がなければならない。その相続地はくじによって、大部族と小部族の間で割り当てられなければならない。」』
 ユダヤ人がカナンの地を占領したら、部族の人数に応じて地が割り当てられねばなりません。すなわち、『大きい部族にはその相続地を多くし、小さい部族にはその相続地を少なく』します。少ない部族が多くの相続地を持つのは不適切ですし、多くいる部族が少しの相続地しか持たないと狭くて住むのに困るからです。土地の割り当ては『くじ』によりました。このような重要事項がくじにより決められると聞いて驚く人もいるかもしれません。しかし、『くじ』は聖書的な決定方法です。何故なら、それは神に決定を委ねることだからです。箴言にはこう書かれています。『くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。』(16章33節)くじは使徒を決めるために使われたほどのやり方です(使徒の働き1:26)。ですから、くじとは決して軽々しい決定手段ではありません。相続地が割り当てられている出来事についてはヨシュア記で書き記されています。

【26:57~62】
『さてレビ人で氏族ごとに登録された者は、次のとおりである。ゲルションからはゲルション族、ケハテからはケハテ族、メラリからはメラリ族。レビ諸氏族は次のとおりである。すなわち、リブニ族、ヘブロン族、マフリ族、ムシ族、およびコラ族。ケハテはアムラムを生んだ。アムラムの妻の名はヨケベデで、レビの娘であった。彼女はエジプトでレビに生まれた者であって、アムラムにアロンとモーセとその姉妹ミリヤムを産んだ。アロンにはナダブとアビフとエルアザルとイタマルが生まれた。ナダブとアビフは主の前に異なった火をささげたときに死んだ。その登録された者は、一か月以上のすべての男子二万三千人であった。彼らは、ほかのイスラエル人の中に登録されなかった。彼らにはイスラエル人の間で相続地が与えられていなかったからである。』
 続いてレビ族の登録について記されています。レビ族は、大きく分けて『ゲルション族』『ケハテ族』『メラリ族』がいました。レビ族にはこの3部族のどれかに分類される5つの部族すなわち『リブニ族』『ヘブロン族』『マフリ族』『ムシ族』『コラ族』がありました。40年前に登録された時は8部族いましたから(民数記3:18~20)、前より少なくなっています。前とは違いシムイ族とアムラム族とイツハル族がここで書かれておらず、その代わりにコラ族が新しく書かれています。コラ族は40年前にはいませんでした。また、この箇所ではアムラムからアロンとモーセとミリヤムが生まれたことについて書かれていますが、これは既に見た通りです。アロンには4人の子がありましたが、『ナダブとアビフ』の2人は裁かれて死にました。これも既に見た通りです。この時に登録されたレビ人は『二万三千人』であり、前の『二万二千人』(民数記3章39節)より1000人減少しているだけですから、40年前とほぼ同じであるとしてよいでしょう。神はイスラエルの祭司集団であるこのレビ族が昔と同様の数に保たれることを望まれました。

【26:63~65】
『これがモーセと祭司エルアザルが、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、イスラエル人を登録したときにモーセと祭司エルアザルによって登録された者である。しかし、このうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエル人を登録したときに登録された者は、ひとりもいなかった。それは主がかつて彼らについて、「彼らは必ず荒野で死ぬ。」と言われていたからである。彼らのうちに、ただエフネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほかには、だれも残っていなかった。』
 今回の登録者のうち、40年前に登録された者は『エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほかには』誰もいませんでした。前回の登録者は、この40年の間に荒野で死に絶えたからです。すなわち、『六十万三千五百五十人』(民数記1章46節)の登録者は2人を除いて全て滅びました。前回の登録時に20歳だった者も、60歳までに死んでしまいました。もうアロンとミリヤム、またフルもイスラエルからはいなくなっていました。そしてモーセも間もなくイスラエルから消え去ることになります。この時に登録された場所は『エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原』でした。これは死海のすぐ北西にある場所です。まだヨルダン川は渡っていませんので、ヨルダン川のすぐ東側であったと見られます。

 それにしても恐ろしいことです。40年前の登録者たちは神に反逆したので、荒野で滅びたのです。彼らは40年も荒野で惨めな思いをしなければいけませんでした。もし彼らが反逆していなければ即座にカナンで喜び楽しめていたでしょうに。しかし、この悲劇は私たちに対する教訓として起こりました。ですから私たちは彼らのようにならないようにすべきなのです。

【27:1~5】
『さて、ヨセフの子マナセの一族のツェロフハデの娘たち―ツェロフハデはヘフェルの子、ヘフェルはギルアデの子、ギルアデはマキルの子、マキルはマナセの子―が進み出た。娘たちの名はマフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。彼女たちは、モーセと、祭司エルアザルと、族長たちと、全会衆との前、会見の天幕の入口に立って言った。「私たちの父は荒野で死にました。彼はコラの仲間と一つになって主に逆らった仲間には加わっていませんでしたが、自分の罪によって死にました。彼には男の子がなかったのです。男の子がなかったからといって、なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」そこでモーセは、彼女たちの訴えを、主の前に出した。』
 先に見たツェロフハデには娘しかいませんでしたが、その娘たちが不可避的に生じた不満をモーセに訴え出ました。彼女たちは、自分たちの父に男子がいないからというので自分たちから相続権が奪われてもよいのか、と言うのです。なるほど、この言い分は実にもっともです。我が国日本でも、皇族に男子が生まれないからというので天皇制を廃止すべきだというのは、ありえない理屈です。ツェロフハデの娘たちが父の死後、女しかいない自分たちに相続地が与えられなくていいのかと不満がったのは、皇族に女子しか生まれないので天皇制が廃止される場合と似ています。彼女たちは父ツェロフハデはコラの仲間にならなかったと言っています。これは主張です。つまり、彼女たちは父が反逆者どもの仲間にならなかったのだから、父には相続権が残されたままであり、その相続権は自分たちに継承されるべきでないのか、と言っているのです。確かにもしツェロフハデがコラの仲間入りをしていたら、罰としてツェロフハデから相続地が取り上げられたとしても文句は言えなかったでしょう。しかし、ツェロフハデはコラの仲間になりませんでした。この問題をモーセは処理できませんでした。神がこのような事案についてまだ何も指示しておられなかったからです。このため、モーセは解決を求め、この問題を主の御前に持って行きました。ところで、この問題はツェロフハデの家族だけに限られなかった可能性が高いと言えます。イスラエルには100万人以上もの人間がいたのですから、ツェロフハデ一家のように娘しかいない家族は他にもいた可能性が高いのです。もしそうだった場合、この民数記でツェロフハデの事案が書かれているのは、娘しかいないイスラエル人の家族をツェロフハデ一家が代表しているということになるでしょう。

【27:6~11】
『すると主はモーセに告げて仰せられた。「ツェロフハデの娘たちの言い分は正しい。あなたは必ず彼女たちに、その父の兄弟たちの間で、相続の所有地を与えなければならない。彼女たちにその父の相続地を渡せ。あなたはイスラエル人に告げて言わなければならない。人が死に、その人に男の子がないときは、あなたがたはその相続地を娘に渡しなさい。もし娘もないときには、その相続地を彼の兄弟たちに与えなさい。もし兄弟たちもいないときには、その相続地を彼の父の兄弟たちに与えなさい。もしその父に兄弟がないときには、その相続地を彼の氏族の中で、彼に一番近い血縁の者に与え、それを受け継がせなさい。これを、主がモーセに命じられたとおり、イスラエル人のための定まったおきてとしなさい。」』
 モーセがこの問題を主のところに持って行くと、主はツェロフハデの娘たちの言い分を正しいとされました。何故なら、女だけしかいないからというので父から相続権を継承できなくなるというのは不条理だからです。ですから、彼女たちはこれまでイスラエル人たちが度々反逆したのとは違い、傲慢なことを言ったのではありませんでした。この時以降、神は子どもが女しかいない家族の相続権に関する定めを打ち立てられました。すなわち、女の子どもしかいない人が死んだ際、その相続地は娘たちに与えられ、娘がいなければ死んだ者の兄弟たちに与えられ、兄弟がいなければ死んだ者の叔父に与えられ、伯父がいなければ死んだ者と最も近い血縁関係を持つ者に与えられます。神の言われたこの定めは誠に理に適っています。律法の本質は愛です。それゆえ、神はこのように死んだ者の娘たちであっても相続地を受けられる定めとされたのです。もし女の子どもしかいない場合は娘たちから相続権が取り上げられるという定めであったならば、その娘たちは惨めになるのであって、律法も愛の法ではないということになっていたでしょう。

【27:12~14】
『ついで主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエル人に与えた地を見よ。それを見れば、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたように、あなたの民に加えられる。ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。』
 神はモーセをアバリム山に登らせ、その生涯の最後にそこから約束の地を見るようにさせました。これはカナンの地がイスラエルに与えられるという神の約束の真実性を、モーセがカナンを間近で見ることにより確認するためでした。モーセはその地を遠くから見るだけで、そこに入ることはできません。何故なら、モーセはメリバの場所で致命的な罪を犯したからです。神はその罪に対する裁きとして、モーセからカナンの地を取り上げられました。この箇所で『メリバテ・カデシュ』と言われているのは「聖なる者の争い」という意味です。では、もしモーセがメリバで罪を犯していなければ、モーセはカナンに入ることができたのでしょうか。これはその通りです。しかし、もう120歳という高齢だったのですから、どちらにせよカナンに入る前の段階で死んでいたのではないでしょうか、と問う人がいるかもしれません。それは違います。モーセが罪を犯さなければ、モーセはあと数年、または神が良しとされるなら10年以上も生きて、カナンに住むことができていたでしょう。罪のためモーセはカナンの手前で120歳の時に死ななければいけなくなったのです。この箇所でモーセに『あなたの民に加えられる。』と言われている意味は、既に見た通りです。

 このモーセも、私たちの前に教訓として置かれています。これは特に牧師や神学者といった指導の立場にある人が教訓とすべきです。何故なら、モーセは指導者だったからです。モーセほどの指導者でさえ、罪を犯したならば裁かれてしまいました。いや、むしろ指導者だからこそ、罪を犯した際に裁かれたと言ったほうがよいかもしれません。というのも上に立つ者の責任は大きいからです(ヤコブ3:1)。ですから、私たちはモーセのようにならないよう気をつけねばなりません。どうか神が私たちを豊かに守って下さいますように。

【27:15~17】
『それでモーセは主に申し上げた。「すべての肉なるもののいのちの神、主よ。ひとりの人を会衆の上に定め、彼が、彼らに先立って出て行き、彼らに先立ってはいり、また彼らを連れ出し、彼らをはいらせるようにしてください。主の会衆を、飼う者のいない羊のようにしないでください。」』
 モーセは自分が死んだ後のイスラエルを憂い、自分の次に指導者となる人物を立ててくれと神にお願いします。モーセにとってイスラエルは世話の必要な幼子でした(民数記11:12)。これまでイスラエル人はモーセに指導され続けていました。そのモーセが死んでいなくなるのです。ですから、モーセが自分のいなくなったイスラエルについて不安を感じたのは自然なことでした。これは、例えば10歳にも満たない子どもを多く持つ親が死ぬ際、その子どもたちの歩みを思って心配がるのと似ています。イスラエル人はモーセに指導されていた時でも反逆的でした。であればモーセが死んで指導者を失ったイスラエル人は一体どうなっていたことでしょう。モーセほどの指導者がいても悲惨なのであれば、指導者を欠いた時の状態は尚のこと悲惨になっていたはずです。それゆえ、モーセが神に自分の後継者を願い求めたのは正しいことでした。

【27:18~23】
『主はモーセに仰せられた。「あなたは神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを取り、あなたの手を彼の上に置け。彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼を任命せよ。あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエル人の全会衆を彼に聞き従わせよ。彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために主の前でウリムによるさばきを求めなければならない。ヨシュアと彼とともにいるイスラエルのすべての者、すなわち全会衆は、エルアザルの命令によって出、また、彼の命令によって、はいらなければならない。」モーセは主が命じられたとおりに行なった。ヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命した。』
 神はモーセの後継者として、モーセの従者であった『ヌンの子ヨシュア』を任命されました(出エジプト記33:11)。ヨシュアは『神の霊の宿っている人』でした。つまり、ヨシュアは肉に従って歩まず神の霊により歩んでいる敬虔な人でした。モーセがこのヨシュアの上に手を置いたのは公的な叙任の儀式であって、全会衆の前で権威を分け与えるためです。パウロとバルナバも任職された際、その頭の上に手を置かれました(使徒の働き13:3)。エルアザルがヨシュアのために使う『ウリム』については、既に出エジプト記の註解で述べた通りです。これからイスラエルは、共同体の指導者としてヨシュアから牧されることになります。しかし、会衆の移動における出入りは大祭司エルアザルが行ないました(21節)。このヨシュアもイスラエルの偉大な指導者です。しかし、ヨシュアもモーセの偉大さには優っていませんでした。申命記34:10の箇所では、『モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。』と書かれているからです。キリストが山上で変貌された時にも、現われたのはモーセであって、そこにヨシュアは現われませんでした。

【28:1~8】
『主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしへのなだめのかおりの火によるささげ物として、わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。彼らに言え。これがあなたがたが主にささげる火によるささげ物である。一歳の傷のない雄の子羊を常供の全焼のいけにえとして、毎日二頭。一頭の子羊を朝ささげ、他の一頭の子羊を夕暮れにささげなければならない。穀物のささげ物としては、上質のオリーブ油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパとする。これはシナイ山で定められた常供の全焼のいけにえであって、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。それにつく注ぎのささげ物は子羊一頭につき四分の一ヒンとする。聖所で、主へのそそぎのささげ物として強い酒を注ぎなさい。他の一頭の子羊は夕暮れにささげなければならない。これに朝の穀物のささげ物や、注ぎのささげ物と同じものを添えてささげなければならない。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。』
 神は、常供の捧げ物について再び定めておられます。これは既にシナイ山で40年前に定められていたことです(出エジプト記29:38~42)。この定めがこのように繰り返されたのは、この時にはイスラエルの世代が全く新しくなっていたからでした。この時にこの定めについて聞いたユダヤ人たちは、同じ定めが語られた40年前にはまだ名簿に登録されていなかったか、生まれてさえいませんでした。ですから、再び40年前に語られた定めが語られるのは意味のあることでした。この常供の捧げ物は『気をつけて』捧げられねばなりません。つまり、心構えにおいても数量においても質においても時間においても間違いが犯されてはいけませんでした。何故なら、それは聖なる祭儀だからです。適当に行なったり間違えて行なうのであれば、神の御心に適わない祭儀となってしまいます。

【28:9~10】
『安息日には、一歳の傷のない雄の子羊二頭と、穀物のささげ物として油を混ぜた小麦粉十分の二エパと、それにつく注ぎのささげ物とする。これは、常供のいけにえとその注ぎのささげ物とに加えられる、安息日ごとのいけにえである。』
 安息日には、日毎に捧げる常供の生贄に加え、もう2頭の子羊および子羊に伴わせる穀物の捧げ物と注ぎの捧げ物を捧げねばなりません。これは常供の生贄の代わりに捧げるのではありません。つまり、安息日にはいつもの2倍の捧げ物が捧げられるのです。どうして安息日には2倍の捧げ物になるかと言えば、安息日は神に定められた聖なる日だからです。この安息日に捧げる生贄も、他の生贄と同様、最上級のものでなければならなかったのは言うまでもありません。

【28:11~15】
『あなたがたは月の第一日に、主への全焼のいけにえとして若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなければならない。雄牛一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の三エパ。雄羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の二エパとする。子羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の一エパ。これらはなだめのかおりの全焼のいけにえであって、主への火によるささげ物である。それにつく注ぎのささげ物は、雄牛一頭については二分の一ヒン、雄羊一頭については三分の一ヒン、子羊一頭については四分の一ヒンのぶどう酒でなければならない。これは一年を通して毎月の、新月祭の全焼のいけにえである。常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物に加えて、雄やぎ一頭が、主への罪のためのいけにえとしてささげられなければならない。』
 ユダヤ人は、『月の第一日』の『新月祭』にも規定通りの生贄を捧げねばなりません。これも、やはり『気をつけて』捧げられる必要があります。不誠実であったり誤魔化しがそこにあってはなりません。新月祭に捧げられる生贄にも、やはり穀物の捧げ物および注ぎの捧げ物を伴わせなければなりません。すなわち、生贄の動物だけでは駄目でした。また、新月祭の生贄も、やはり常供の生贄とは別の生贄として捧げられます。常供の生贄の代わりとして新月祭の生贄だけを捧げるのは罪であって、ずるいことです。ところで、このような生贄の祭儀を行なうのはさぞや面倒だったであろう、と思う人がいるかもしれません。確かにキリストにより全ての祭儀律法を全うしている新約時代の聖徒たちからすれば、このような犠牲行為が面倒臭く思えたとしても無理はないかもしれません。死と血と灰と火と汚物と悲鳴とを伴う動物犠牲があまり心地良いことだと感じられなかったのは明らかです。弱い人であれば動物の叫び声や死ぬ姿、その流れる生々しい血を見て吐き気を感じた可能性は高いでしょう。また疑いもなく小さな子どもには衝撃的な儀式だったでしょう。しかし、ユダヤ人がこのような儀式を行なうのはどうしても必要でした。何故なら、諸々の犠牲はキリストを指し示しているからです。この時にはまだキリストが現われていなかったのですから、神の民は動物の犠牲によりキリストを表象しなければいけませんでした。それゆえ、もし動物の犠牲を捧げなければ、ユダヤ人たちにキリストの贖いはなかったことになります。言うまでもなく神の民とは、キリストの贖いあってこそ神の民です。もしキリストの贖いがなければ、それはもはや神の民とは言えません。ですから、面倒だからというので動物の犠牲を規定通りに、しかも誠実な心構えにより捧げることをしないというのはあってはならないことだったのです。

【28:16~25】
『第一の月の十四日は、過越のいけにえを主にささげなさい。この月の十五日は祭りである。七日間、種を入れないパンを食べなければならない。その最初の日には、聖なる会合を開き、どんな労役の仕事もしてはならない。あなたがたは、主への火によるささげ物、全焼のいけにえとして、若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなければならない。それはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。それにつく穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパをささげなければならない。子羊七頭には、一頭につき十分の一エパをささげなければならない。あなたがたの贖いのためには、罪のためのいけにえとして、雄やぎ一頭とする。あなたがたは、常供のいけにえである朝の全焼のいけにえのほかに、これらの物をささげなければならない。このように七日間、毎日主へのなだめのかおりの火によるささげ物を食物としてささげなければならない。これは常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物とに加えてささげられなければならない。七日目にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。』
 初月の14日から行なわれる過ぎ越しの祭りについて再び定められています。既に述べたように、この時のイスラエルは完全に世代が一新されていましたから、再び過ぎ越し祭の定めが語られるのは大いに意味のあることでした。過ぎ越し祭で捧げられる生贄も、やはり常供の生贄の代わりではなく、常供の生贄に加えて捧げられるべき生贄でした。この過ぎ越し祭の生贄にも穀物の捧げ物を添えて捧げねばなりません。