【民数記28:26~34:12】(2022/01/30)


【28:26~31】
『初穂の日、すなわち七週の祭りに新しい穀物のささげ物を主にささげるとき、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。あなたがたは、主へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなさい。それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。あなたがたの贖いのためには、雄やぎ一頭とする。あなたがたは、常供の全焼のいけにえとその穀物のささげ物のほかに、これらのものと―これらは傷のないものでなければならない。―それらにつく注ぎのささげ物とをささげなければならない。』
 続いて初穂の祭りで捧げる犠牲に関して定められています。初穂の生贄も、やはり常供の生贄の代わりとしてはなりません。神がいちいちこのように繰り返して命じられたのは、ユダヤ人が鈍く頑なな民だったからです。また全てを知っておられる神は、ユダヤ人がやがて祭儀においていい加減になることを予知しておられました。ですから、神の側に責任はないことを分からせるべく、このように何度も繰り返して同じことが命じられたのでした。この初穂の祭りについては既に説明された通りです。

【29:1~6】
『第七月には、その月の一日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日としなければならない。あなたがたは、主へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなさい。それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。あなたがたの贖いのためには、罪のためのいけにえとして、雄やぎ一頭とする。これらは、定めによる新月祭の全焼のいけにえとその穀物のささげ物、常供の全焼のいけにえとその穀物のささげ物、および、それにつく注ぎのささげ物、すなわち、なだめのかおりとしての主への火によるささげ物以外のものである。』
 ユダヤの7月には大きな行事が3つあります。そのうち、ここでは第1日にラッパが吹き鳴らされる日に関して定めています。この日は既にレビ記23:24~25の箇所で定められていましたが、前回は短く定められていただけでした。今回は特に生贄のことについて詳しく定められています。この日はラッパが吹き鳴らされて記念とされる日です。これは恐らく第7月は大贖罪と仮庵祭という非常に大きな行事が行なわれるからなのでしょう。ラッパの日に捧げられる生贄にも、やはり穀物の捧げ物が添えられなければなりません。また、この日に捧げられる生贄は日毎の生贄および新月祭の生贄と重なりますが、当然ながら日毎の生贄と新月祭の生贄とは別として捧げられなければなりません(6節)。

【29:7~11】
『この第七月の十日には、あなたがたは聖なる会合を開き、身を戒めなければならない。どんな仕事もしてはならない。あなたがたは、主へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭を捧げなさい。これらはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは贖いのための罪のためのいけにえと、常供の全焼のいけにえ、それにつく穀物のささげ物と、これらにつく注ぎのささげ物以外のものである。』
 7月に行なわれる2回目の行事である大贖罪が再び定められています。これは既にレビ記23:27~32の箇所で定められていました。この時に捧げられる犠牲も、やはり他の犠牲と別にして捧げられねばなりません。これまで大贖罪の日はアロンが主にあって全てを執行していました。アロンが死んでからはエルアザルに交代となります。

【29:12~38】
『第七月の十五日には、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。あなたがたは七日間、主の祭りを祝いなさい。あなたがたは、主へのなだめのかおりの火によるささげ物として、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛十三頭、雄羊二頭、一歳の雄の子羊十四頭をささげなさい。これらは傷のないものでなければならない。それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛十三頭のため、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊二頭のため、雄羊一頭につき十分の二エパ、子羊十四頭のため、子羊一頭につき十分の一エパとする。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。二日目には、若い雄牛十二頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。三日目には、雄牛十一頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。四日目には、雄牛十頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。五日目には、雄牛九頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。六日目には、雄牛八頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物とする。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。七日目には、雄牛七頭、雄羊二頭、一歳の傷のない雄の子羊十四頭、これらの雄牛、雄羊、子羊のための、それぞれの数に応じて定められた穀物のささげ物と注ぎのささげ物とする。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。八日目にあなたがたはきよめの集会を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。あなたがたは、主へのなだめのかおりの火によるささげ物として、全焼のいけにえ、すなわち、雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなさい。これらの雄牛、雄羊、子羊のための、穀物のささげ物と注ぎのささげ物とは、それぞれの数に応じて定められる。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。』
 7月に行なわれる第3回目の行事である仮庵祭が定められています。ユダヤ人たちはこの祭りの祭、かつて自分たちが仮庵生活をしていたことについて忘れないため、仮庵に住みます(レビ記23:42~43)。この祭りでは日毎に規定通りの犠牲を捧げねばなりません。2頭の雄羊と14頭の子羊を捧げるというのは全ての日で同じです。この時に捧げる子羊が14頭だったのは、「14」ですから、それが数量において多くないことを示しています。しかし、雄牛の犠牲は、初日の13頭から1日につき1頭減らされていきます。どうして雄牛の犠牲は徐々に減っていくのでしょうか。これを理解するのは非常に難しいと思われます。これについては2つのことが考えられます。一つ目は、数量に変化をつけることでマンネリが防止されるということです。二つ目は、七日目の「7頭」に注意を払わせるということです。「7」とはそれが完全であることを示しますから、「7」という数字に関わる事柄は注目されるべきです。人間には動くものに注意を払う傾向があります。ですから、雄牛の犠牲における完全性を注目させるため、神は7日目の「7頭」に向けて日々1頭ずつ減らしていったのだと思われます。この仮庵祭での犠牲も、他の犠牲と別にして捧げられねばなりません。

【29:39~40】
『あなたがたは定められた時に、これらのものを主にささげなければならない。これらはあなたがたの誓願、または進んでささげるささげ物としての全焼のいけにえ、穀物のささげ物、注ぎのささげ物および和解のいけにえ以外のものである。」モーセは、主がモーセに命じられたとおりを、イスラエル人に告げた。』
 ここまで語られた犠牲の祭儀は、どれも単体として取り扱われねばなりませんでした。つまり、他の犠牲の祭儀と纏めたり、他の犠牲の祭儀の代わりとしてはなりません。神は、人間がすぐに楽をしようとすることについてよく知っておられます。ですから、このようにこれまで定められた祭儀は個別的に、つまり独立して行なわれねばならないと言われたのです。それは、聖なる共同体においては『ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行な』(Ⅰコリント14章40節)わねばならないからです。

【30:1~2】
『モーセはイスラエル人の諸部族のかしらたちに告げて言った。「これは主が命じられたことである。人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。』
 ある人たちが誤って考えているように誓いは何であれ禁じられているというようなことはなく、この箇所から分かるように、誓いそのものは罪ではありません。しかし、誓うならばその誓い通りにしなければいけません。もし誓いを破るならば罪となり裁かれてしまいます。申命記23:21~23の箇所ではこう書かれています。『あなたの神、主に誓願をするとき、それを遅れずに果たさなければならない。あなたの神、主は、必ずあなたにそれを求め、あなたの罪とされるからである。もし誓願をやめるなら、罪にはならない。あなたのくちびるから出たことを守り、あなたの口で約束して、自分から進んであなたの神、主に誓願したとおりに行なわなければならない。』伝道者の書5:4~6の箇所でもこう書かれています。『神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。神は愚かな者を喜ばないからだ。誓ったことは果たせ。誓って果たさないよりは、誓わないほうがよい。あなたの口が、あなたに罪を犯させないようにせよ。使者の前で「あれは過失だ。」と言ってはならない。神が、あなたの言うことを聞いて怒り、あなたの手のわざを滅ぼしてもよいだろうか。』

 しかし、どうして誓いを果たさなければいけないのでしょうか。その本質的な理由は何でしょうか。それは聖徒たちが神の似姿として神に似ているべきだからです(レビ記11:45)。神は『偽りを言うことがない』(民数記23章19節)のです。つまり、神は決して偽誓されません。ですから、神に似るべき聖徒たちは、神が偽りの誓いをされないように偽りの誓いをすべきではないのです。誓いを果たさない人は神に似ていません。神は神の似姿として人間を創造されました(創世記1:26~27)。それゆえ、誓いを果たさない人は神の御心に適っていないため罪とされるのです。

 ルターの『修道誓願について』という有益な著書では、修道誓願が無効だと言われています。修道誓願では清貧・貞潔・従順の3つを誓いますが、その誓いは神に対してなされます。どうしてルターが修道誓願は無効だとするかと言えば、その誓いは守り得ないからです。貞潔の誓いについて言えば、聖書の御言葉に反しています。パウロは『しかし、もし自制することができなければ、結婚しなさい。』(Ⅰコリント7章9節)と言っているのです。他の人の例に漏れず修道士たちも自制できませんでしたが、独身の誓いがあるので結婚することもできず、多くの修道士たちは恥ずべき不品行の徒にならざるを得ませんでした。カルヴァンも同様に修道誓願は無効だとしています。しかし、聖書には誓いを必ず果たせと書かれています。では修道誓願を否定したルターやカルヴァンは聖書に反したことを言ったのでしょうか。この修道誓願は確かに無効であったと思われます。それは、例えば誰かが神に対して「私はこれから必ず10年以内に100億光年離れた惑星に行きます。」と誓うのと一緒だからです。この誓いを今の時代で果たすのは不可能であり、1000年後の時代でさえ果たせない可能性が十分にあります。それは実現不可能という点で誓いの要件を満たしていません。ですから、このような誓いは罪とされないはずです。つまり、それは果たす必要がありません。それを果たそうとしてもどのようにして果たせるでしょうか。守り通すことのできない貞潔の誓いもその通りです。ですから、かつて修道誓願を立てたルターは誓ったにもかかわらず後ほど結婚しましたし、このルターは修道誓願を立てた他の多くの修道士たちをも結婚させたのです。今述べたような無思慮な誓いはそもそも最初から誓うべきではありません。そのような誓いをした愚かな修道士たちは私たちにとって教訓としての存在です。

【30:3~16】
『もし女がまだ婚約していないおとめで、父の家にいて主に誓願をし、あるいは物断ちをする場合、その父が彼女の誓願、あるいは、物断ちを聞いて、その父が彼女に何も言わなければ、彼女のすべての誓願は有効となる。彼女の物断ちもすべて、有効としなければならない。もし父がそれを聞いた日に彼女にそれを禁じるなら、彼女の誓願、または、物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に禁じるのであるから、主は彼女を赦される。もし彼女が、自分の誓願、あるいは、物断ちをするのに無思慮に言ったことが、まだその身にかかっているうちにとつぐ場合、夫がそれを聞き、聞いた日に彼女に何も言わなければ、彼女の誓願は有効である。彼女の物断ちも有効でなければならない。もし彼女の夫がそれを聞いた日に彼女に禁じるなら、彼は、彼女がかけている誓願や、物断ちをするのに無思慮に言ったことを破棄することになる。そして主は彼女を赦される。やもめや離婚された女の誓願で、物断ちをするものはすべて有効としなければならない。もし夫が夫の家で誓願をし、あるいは、誓って物断ちをする場合、夫がそれを聞いて、彼女に何も言わず、しかも彼女に禁じないならば、彼女の誓願はすべて有効となる。彼女の物断ちもすべて有効としなければならない。もし夫が、そのことを聞いた日にそれらを破棄してしまうなら、その誓願も、物断ちも、彼女の口から出たすべてのことは無効としなければならない。彼女の夫がそれを破棄したので、主は彼女を赦される。すべての誓願も、身を戒めるための物断ちの誓いもみな、彼女の夫がそれを有効にすることができ、彼女の夫がそれを破棄することができる。もし夫が日々、その妻に全く何も言わなければ、夫は彼女のすべての誓願、あるいは、すべての物断ちを有効にする。彼がそれを聞いた日に彼女に何も言わなかったので、彼はそれを有効にしたのである。もし夫がそれを聞いて後、それを破棄してしまうなら、夫が彼女の咎を負う。」以上は主がモーセに命じられたおきてであって、夫とその妻、父と父の家にいるまだ婚約していないその娘との間に関するものである。』
 夫のいる妻および父の保護下にいる娘が誓いを立てた場合について定められています。妻また娘が誓った場合、夫また父がその誓いについて何も言わなければ、その誓いは有効とされます。何故なら、この場合、黙っているというのは誓いを事実上有効にしたのだからです。往々にして口を閉ざすことは首肯の表明となるものです。しかしながら、夫また父が妻また娘の誓いを禁じるならば、その女が立てた誓いは無効にされ破棄されます。何故なら、家族契約の主体者(夫また父)が従属者(妻また娘)を支配するのであって、その逆があってはならないからです。要するに、従属している女が立てた誓いの最終的な決定権はその女の主体者にあります。それゆえ、『やもめや離婚された女』が立てた誓いはどれも有効となります。そのような女性は誰にも従属していないからです。主体者を持たない女性が誓う場合は、夫また父が誓う場合と同じになります。

 パウロがⅠコリント14:34の箇所で『律法も言うように、服従しなさい。』と妻たちに命じたのは、私たちが今見ている箇所を根拠としたのかもしれません。というのも、妻が夫に服従すべきだと命じている点で、パウロの命じたことはこの律法と一緒だからです。しかし、パウロが根拠としたのは、創世記3:16の箇所で妻に宣言された『彼(夫)は、あなたを支配することになる。』であった可能性もあります。創世記も「律法」と言われていたのですから、創世記の箇所が根拠とされた可能性も十分にあります。いずれにせよ、今私たちが見ているこの箇所から分かる通り、妻は夫に服従せねばなりません。妻とは夫に従属する助け手としての存在なのですから。

【31:1~12】
『主はモーセに告げて仰せられた。「ミデヤン人にイスラエル人の仇を報いよ。その後あなたは、あなたの民に加えられる。」そこでモーセは民に告げて言った。「あなたがたのうち、男たちは、いくさのために武装しなさい。ミデヤン人を襲って、ミデヤン人に主の復讐をするためである。イスラエルのすべての部族から、一部族ごとに千人ずつをいくさに送らければならない。」それで、イスラエルの分団から部族ごとに千人が割り当てられ、一万二千人がいくさのために武装された。モーセは部族ごとに千人ずつをいくさに送った。祭司エルアザルの子ピネハスを、聖具と吹き鳴らすラッパをその手に持たせて、彼らとともにいくさに送った。彼らは主がモーセに命じられたとおりに、ミデヤン人と戦って、その男子をすべて殺した。彼らはその殺した者たちのほかに、ミデヤンの王たち、エビ、レケム、ツル、フル、レバの五人のミデヤンの王たちを殺した。彼らはベオルの子バラムを剣で殺した。イスラエル人はミデヤン人の女、子どもをとりこにし、またその獣や、家畜や、その財産をことごとく奪い取り、彼らの住んでいた町々や陣営を全部火で焼いた。そして人も獣も、略奪したものや分捕ったものをすべて取り、捕虜や分捕ったもの、略奪したものを携えて、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原の宿営にいるモーセと祭司エルアザルとイスラエル人の会衆のところに来た。』
 神はミデヤン人に対する復讐を指示されます。これはバアル・ペオルでの件に対する復讐です(民数記25:1~5)。前に復讐が命じられた時は(民数記25:16~18)、復讐の実行はまだでした。この時になって復讐を実行すべきこととなりました。ミデヤン人たちは本当にイスラエル人に酷いふざけたことをしました。もちろんイスラエル人にも罪の責任はありましたが、もしミデヤン人たちがイスラエル人を罪に引き込まなければ、『二万四千人』(民数記25章9節)ものイスラエル人が裁き殺されることもなかったのです。ですから、神はミデヤン人に正当なる復讐を果たせと命じられたのでした。この復讐が終わると、遂にモーセも他界して先祖たちと一緒になります。つまり、ミデヤン人の殺戮はモーセの生涯において最後の大事業でした。

 ミデヤン人を滅ぼす際には、部族ごとに千人ずつ、合計1万2000人のイスラエル人が召集されました。『千人』とは実際の人数でしたが、この数字には象徴的な意味もあったはずです。すなわち、これは完全数10の三乗ですから、徹底的な完全さを示しています。それゆえ、私たちはこの時に召集された戦士の群れが最強を極めていたと解すべきです。この戦争時にモーセがピネハスを『聖具と吹き鳴らすラッパをその手に持たせて、彼らとともにいくさに送った』のは、つまりピネハスが軍勢の指揮官だったということなのだと思われます。大祭司エルアザルが送られなかったのは、大祭司が聖所から離れてはいけなかったからです。モーセが戦士たちと共に行かなかったのは120歳という高齢のゆえ身体を自由に使えなかったからです(申命記31:2)。こうしてイスラエル人たちは、ミデヤン人の男子をその5人の王たちと共に殺戮しました。王たちの中に見られる『フル』という名前は、アロンと一緒にモーセの手を支えたあのフルではないはずです(出エジプト記17:12)。この時にはバラムも殺されました。彼は『占い師』(ヨシュア記13章22節)でしたが、占いは死に値する罪だったからです。既に見た通りバラムは神により預言した人でしたが、聖書はイスラエル人のバラム殺害を全く問題としていません。しかし、イスラエル人は女と子どもは生かしておきました。ああ、彼らは一体何ということをしたのでしょうか。このミデヤン女たちのせいで、ミデヤン人たちが神の復讐により殺戮されることになったのですが…。復讐を齎した張本人である彼女たちを殺さず生かしておいたというのは、ユダヤ人たちの精神が愚鈍だったことを示しています。

 ところで、神の民に悪を行なうというのは恐ろしいことです。そうすると神からの復讐を受けるからです。神と神の民は契約的に一体です。このため神の民に悪をするのは神に対する悪となります。ですから、神は御自分の民に悪をする者に復讐されるのです。これについては歴史を見れば一目瞭然です。パロはユダヤ人を行かせまいと何度も頑なになったので、最後は水に呑み込まれて死にました。紀元1世紀のユダヤ人たちはキリストとその弟子たちを憎んで敵視したので、紀元70年にローマ軍を通して滅ぼされてしまいました。古代ローマはキリスト教徒を白眼視し迫害したので、自分たちが憎んでいたそのキリスト教により滅ぼされました。江戸幕府はキリスト教を禁圧しましたが、やがて消滅し、日本はかつて自分たちが禁圧していた宗教を奉じる白人たちの文化により塗り潰されることとなりました(明治維新)。ヒトラーとナチスはドイツ教会を何とか政府の支配下に置こうとしたので、滅んで消え失せてしまいました。神は復讐の神であられますから、これからの時代でもこういった出来事が何度も繰り返して起こることでしょう。要するに、神の民に悪を為す者たちは自分たちに悪を為しているのも同然です。神の民への攻撃は必ず神からの復讐として報いられるからです。この時に復讐されたミデヤン人たちもその通りでした。

【31:13~20】
『モーセと祭司エルアザルおよびすべての会衆の上に立つ者たちは出て行って宿営の外で彼らを迎えた。モーセは軍勢の指揮官たち、すなわち戦いの任務から帰って来た千人の長や百人の長たちに対して怒った。モーセは彼らに言った。「あなたがたは、女たちをみな、生かしておいたのか。ああ、この女たちはバラムの事件のおり、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、主に対する不実を行なわせた。それで神罰が主の会衆の上に下ったのだ。今、子どものうち男の子をみな殺せ。男と寝て、男を知っている女もみな殺せ。男と寝ることを知らない若い娘たちはみな、あなたがたのために生かしておけ。あなたがたは七日間、宿営の外にとどまれ。あなたがたでも、あなたがたの捕虜でも、人を殺した者、あるいは刺し殺された者に触れた者はだれでも、三日目と七日目に罪の身をきよめなければならない。衣服、皮製品、やぎの毛で作ったもの、木製品はすべてきよめなければならない。」』
 モーセは、戦いから帰って来た戦士たちが女や子どもたちを生かしておいたので、指揮官たちに怒りを燃やします。ミデヤンの女たちが悲惨の元凶だったのですから、モーセが怒ったのは当然でした。ところで、『人の怒りは、神の義を実現するものではありません』(ヤコブ1章20節)。聖書の全体が人に対し怒るなと命じています。しかし、この時にモーセが怒ったのは問題ありませんでした。むしろモーセが怒ったのは正しいことでした。パウロが福音を撥ねつけたユダヤ人に対して怒ったのも正しいことでした。何故なら、神に関することで不正やいい加減なことなどが為された場合は、怒るのが正しいからです。神や神に関する神聖な事柄であっても怒らないというのであれば、その人は神を愛しておらず、神のことなど別にどうでもいいと思っているのです。だからこそ、例えば神の名誉に関わることで酷い不正が為されたとしても、怒ったりせず静かにしているわけです。ですから、ここでモーセが怒っていることを私たちは非難すべきではありません。

 モーセはイスラエル人が生かしておいたミデヤン人のうち、未婚の若い処女を除いて全て殺すよう命じます。どうして処女だけは生かしておくべきだったのでしょうか。ミデヤン人がユダヤ人を悪に引き込んだのですから、ミデヤン人の全ては処女であっても殺すべきであったのではないでしょうか。ミデヤン人の処女を生かしておくのは『あなたがたのため』でした。つまり、その処女たちをユダヤ人の男に嫁がせるためでした。異邦人であるミデヤン人でもユダヤ人と結婚すれば、ユダヤ人と一体になり、夫であるユダヤ人のゆえに聖められます(Ⅰコリント7:14)。そして、ユダヤ人とミデヤン人の間に生まれる子どもも聖められます(同)。ですから、結婚させるためミデヤン人の処女は生かしておいても問題ありませんでした。しかし、一度でも男と交わったことのあるミデヤン女は殺されねばなりませんでした。聖なる民であるユダヤ人に異邦人の女が嫁ぐ場合、まだ全く使われていない新品の女が相応しいからです。またモーセは、戦いから帰って来た戦士たちを7日の間、宿営の外に留まらせます。これは戦争の際に殺人や死体で汚れた者が宿営の中を汚さないためでした。『人を殺した者、あるいは刺し殺された者に触れた者』は汚れているので律法の規定通りに清められねばなりません。その汚れた者に属する『衣服、皮製品、やぎの毛で作ったもの、木製品』も汚れていますから清めねばなりません。1万2000人ものユダヤ人が行ってミデヤン人の男を全て殺したのですから、戦争から帰って来たユダヤ人たちの大半は汚れを持っていた可能性が高いでしょう。だからこそ、僅かさえ汚れた者が宿営に入って宿営を汚染しないため、モーセは戦いから帰って来た全ての戦士たちを宿営の外に留まらせたのでしょう。つまり、モーセは万一にも宿営が汚されないために、一人も殺さず死体にも触れなかったので汚れていない戦士たちも含めて彼らを外で待たせたのです。

【31:21~24】
『祭司エルアザルは戦いに行った軍人たちに言った。「主がモーセに命じられたおしえのおきては次のとおりである。金、銀、青銅、鉄、すず、鉛、すべて火に耐えるものは、火の中を通し、きよくしなければならない。しかし、それは汚れをきよめる水できよめられなければならない。火に耐えないものはみな、水の中を通さなければならない。あなたがたは七日目に自分の衣服を洗うなら、きよくなる。その後、宿営にはいることができる。」』
 続いて大祭司エルアザルが、火に耐える戦利品は火で焼いてから水で清め、火に耐えない戦利品はそのまま水で清めよと命じます。汚れた異教徒であるミデヤン人の所有物をユダヤ人が所有するためには、汚れを清める必要がありました。これはちょうど菌の付いた物品を私たちが洗浄してから使用するのと似ています。今の時代ではもうこのような清めをする必要はありませんが、古代ユダヤ人たちはまだ霊的な幼児の段階にあったので、このようにして聖俗の概念を体得せねばなりませんでした。また、エルアザルは汚れたものに触れた戦士たちが自分の衣服を洗って清めるようにも命じました。それまでは宿営の中に入れません。何故なら、宿営は神聖な場所なので絶対に汚されてはいけないからです。

【31:25~47】
『主はモーセに次のように言われた。「あなたと、祭司エルアザルおよび会衆の氏族のかしらたちは、人と家畜で捕虜として分捕ったものの数を調べ、その分捕ったものをいくさに出て取って来た戦士たちと、全会衆との間に二分せよ。いくさに出た戦士たちからは、人や牛やろばや羊を、それぞれ五百に対して一つ、主のためにみつぎとして徴収せよ。彼らが受ける分のうちからこれを取って、主への奉納物として祭司エルアザルに渡さなければならない。イスラエル人が受ける分のうちから、人や牛やろばや羊、これらすべての家畜を、それぞれ五十に対して一つ、取り出しておき、それらを主の幕屋の任務を果たすレビ人に与えなければならない。」そこでモーセと祭司エルアザルは、主がモーセに命じられたとおりに行なった。従軍した民が奪った戦利品以外の分捕りものは、羊六十七万五千頭、牛七万二千頭、ろば六万一千頭、人間は男と寝ることを知らない女がみなで三万二千人であった。この半分がいくさに出た人々への分け前で、羊の数は三十三万七千五百頭。その羊のうちから主へのみつぎは六百五十七頭。牛は三万六千頭で、そのうちから主へのみつぎは七十二頭。ろばは三万五百頭で、そのうちから主へのみつぎは三十二人であった。モーセは、主がモーセに命じられたとおりに、そのみつぎ、すなわち、主への奉納物を祭司エルアザルに渡した。モーセがいくさに出た者たちに折半して与えた残り、すなわち、イスラエル人のものである半分、つまり会衆のものである半分は、羊三十三万七千五百頭、牛三万六千頭、ろば三万五百頭、人間は一万六千人であった。モーセは、このイスラエル人のものである半分から、人間も家畜も、それぞれ五十ごとに一つを取り出し、それらを主がモーセに命じられたとおりに、主の幕屋を果たすレビ人に与えた。』
 神は、戦士たちが奪い取ったミデヤンの人間と家畜を、戦士たちと会衆で折半せよと命じられます。人間的に考えれば、戦いに行かなかった会衆は労苦をしていないのですから、奪い取った人や家畜を受けられないとするのが自然かもしれません。しかし、神は戦いに行かなかった会衆にも戦利品をお与えになります。ダビデも、途中で立ち止まった者たちに分捕り物を分け与えています(Ⅰサムエル30:21~25)。しかし、戦士たちと会衆では、与えられた分捕り物の中から神に捧げる貢ぎの度合いが違います。すなわち、戦士たちは500分の1を分捕り物から捧げればよいのに対し、会衆は50分の1を捧げねばなりません。その分捕り物のために労苦したのは戦士たちです。ですから、戦士たちは会衆に比べて貢ぎの比率が10分の1でよいのでした。会衆は実際に戦いませんでしたから、戦士たちの10倍も貢ぎを捧げねばならないとしても文句は言えません。むしろ、会衆は実際に戦わなかったのにもかかわらず分捕り物を獲得できるのですから、感謝し大いに喜ぶべきでした。この時にユダヤ人がミデヤンから奪い取った人や家畜の数は少なくありませんでした。生かしておいたミデヤン人の処女だけでも『三万二千人』いました。ここで有名な「フェルミ推定」をしてみましょう。生かされたミデヤン人の処女がミデヤン人の女性全てにおける20%だと仮定すれば、ミデヤン人の女性は16万人いたことになります。ミデヤン人の女性と男性の数が同じだったと仮定すれば、ミデヤン人の総人口は32万人だったことになります。最終的に残されたミデヤン人は『三万二千人』の処女だけでしたから、殺されたミデヤン人の総数は28万8000人だったことになります。これはあくまでも仮定上のことですが、かなりの数です。さて、この時に捧げられた貢ぎは神に捧げられたのですが、神はそれをレビ人に分け前として与えられました。これは生贄を捧げる時にレビ人が分け前を受けるのと同じです。

【31:48~54】
『すると、軍団の指揮官たち、すなわち千人の長、百人の長たちがモーセのもとに進み出て、モーセに言った。「しもべどもは、部下の戦士たちの人員点呼をしました。私たちのうちひとりも欠けておりません。それで、私たちは、おのおのが手に入れた金の飾り物、すなわち腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなどを主へのささげ物として持って来て、主の前での私たち自身の贖いとしたいのです。」モーセと祭司エルアザルは、彼らから金を受け取った。それはあらゆる種類の細工を施した物であった。千人の長や百人の長たちが、主に供えた奉納物の金は全部で、一万六千七百五十シェケルであった。従軍した人たちは、戦利品をめいめい自分のものとした。モーセと祭司エルアザルは、千人の長や百人の長たちから金を受け取り、それを会見の天幕に持って行き、主の前に、イスラエル人のための記念とした。』
 神の恵みにより、ミデヤン人を滅ぼしたユダヤ人の戦士は一人も死にませんでした。戦争で死者が0人だというのはなかなか珍しいことです。神がユダヤ人に良くして下さったのです。このことから考えると、ミデヤン人との戦いでは、ユダヤ人による一方的な殺戮が繰り広げられたのでしょう。このような恵みを受けたので、戦士たちの指揮官たちは、自分たちが得た戦利品を神への贖いとしたいと申し出ます。『贖い』とは、神の恵み深い働きかけに対する応答また感謝のことです。モーセはこの申し出を良しとし、指揮官たちから供え物を受け取りました。その供え物は天幕で『記念』とされましたが、これは恐らく記憶のため何か天幕の用に使われたということなのでしょう。

 私たちも、神から恵みを受けた場合、このようにして感謝を示すべく記念の献金や奉仕などをすべきでしょう。そうするのは敬虔なことです。私たちは人間から良くされたならば感謝や協力などで応じるでしょう。人間に対してでさえそうするのであれば、尚のこと神に良くされた場合はそうせねばなりません。私たちは不敬虔な反逆のユダヤ人を見習うべきではありません。しかし、この時に捧げ物を持って来たユダヤ人については見習うべきです。

【32:1~5】
『ルベン族とガド族は、非常に多くの家畜を持っていた。彼らがヤゼルとギルアデの地を見ると、その場所はほんとうに家畜に適した場所であったので、ガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザルおよび会衆の上に立つ者たちのところに来て、次のように言った。「アタロテ、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、セバム、ネボ、ベオン。これら主がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべどもは家畜を持っているのです。」また彼らは言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。」』
 神が家畜を豊かに所有させておられたルベン族とガド族は、この時にイスラエル人たちの滞在していたギルアデの地すなわち死海の北東の場所が家畜に適していると感じたので、そこからヨルダンを渡らないでそこに定住したいと恐る恐る申し出ました。本来であればルベン族とガド族も他の部族と共にヨルダン川を渡り、カナンの地を制圧すべきでした。途中で気に入った場所があったからといって、自分たちだけ他の部族と別になりカナン侵攻をしないというのは許されないことでした。それは実に自分勝手なことだからです。この2部族が欲しがった場所は、イスラエル人が来るまではエモリ人の住んでいた場所であり、死海の東側に広がる場所でした。

【32:6~15】
『モーセはガド族とルベン族に答えた。「あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたは、ここにとどまろうとするのか。どうしてあなたがたは、イスラエル人の意気をくじいて、主が彼らに与えた地へ渡らせないようにするのか。私がカデシュ・バルネアからその地を調べるためにあなたがたの父たちを遣わしたときにも、彼らはこのようにふるまった。彼らはエシュコルの谷まで上って行き、その地を見て、主が彼らに与えられた地にはいって行かないようにイスラエル人の意気をくじいた。その日、主の怒りが燃え上がり、誓って言われた。『エジプトから上って来た者たちで二十歳以上の者はだれも、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはできない。彼らはわたしに従い通さなかった。ただ、ケナズ人エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らは主に従い通したからである。』主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がったのだ。それで主の目の前に悪を行なったその世代の者がみな死に絶えてしまうまで彼らを四十年の間、荒野にさまよわされた。そして今、あなたがた罪人の子らは、あなたがたの父たちに代わって立ち上がり、イスラエルに対する主の燃える怒りをさらに増し加えようとしている。あなたがたが、もしそむいて主に従わなければ、主はまたこの民をこの荒野に見捨てられる。そしてあなたがたはこの民すべてに滅びをもたらすことになる。」』
 モーセはルベン族とガド族の願いを聞いて、彼らの言ったことを問題視します。40年前に偵察者たちは全イスラエルを尻込みさせましたが、あの時の悲劇がこの2部族によりまた繰り返されると思われたからです。モーセは再び神の怒りにより、イスラエルが荒野に捨て置かれるのではないかと感じました。そして遂にはイスラエルが滅ぼされることにもなると心配しました。これは、ちょうど道の通りでショーケースの中に入っているオモチャを子どもが欲しがったので、親がその子どもを問題視して叱るのと似ています。モーセが彼らの願いを問題視したのは正しく当然でした。もしモーセが問題視していなければ、モーセはイスラエル人も神の約束も別にどうでもいいと思っていたことになるからです。しかし、この箇所ではモーセがルベン族とガド族に「怒った」とは書かれていません。これはモーセが彼らの願いを問題視し危機感を抱いたものの、まさか再び40年前のようにはならないだろうと多かれ少なかれ考えていたことを示しているのかもしれません。

【32:16~19】
『彼らはモーセに近づいて言った。「私たちはここに家畜のために羊の囲い場を作り、子どもたちのために町々を建てます。しかし、私たちは、イスラエル人をその場所に導き入れるまで、武装して彼らの先頭に立って急ぎます。私たちの子どもたちは、この地の住民の前で城壁のある町々に住みます。私たちは、イスラエル人がおのおのその相続地を受け継ぐまで、私たちの家に帰りません。私たちは、ヨルダンを越えた向こうでは、彼らとともに相続地を持ちはしません。私たちの相続地は、ヨルダンのこちらの側、東のほうになっているからです。」』
 ルベン族とガド族はモーセに自分たちの要求を問題視されたので、最初はヨルダン川を越えてカナンに入らないと言っていましたが(民数記32:5)、自分たちの要求が叶えられるのはカナン征服後にすると言いました。カナンを他の部族と一緒に征服した後であれば、ヨルダン川より東の部分であるギルアデの地を望み通り割り当ててもらってもいいはずだ、と言うのです。なるほど、確かにこうするのであれば彼らの要求は何も問題なくなります。やはり、この時のユダヤ人は前の世代とは違っていました。40年前のユダヤ人の場合はカナンに乗り込むことを嫌がりましたが、この時のユダヤ人はカナンに乗り込むことを嫌がらなかったからです。

【32:20~32】
『モーセは彼らに言った。「もしあなたがたがそのようにし、もし主の前に戦いのため武装をし、あなたがたのうちの武装した者がみな、主の前でヨルダンを渡り、ついに主がその敵を御前から追い払い、その地が主の前に征服され、その後あなたがたが帰って来るのであれば、あなたがたは主に対しても、イスラエルに対しても責任が解除される。そして、この地は主の前であなたがたの所有地となる。しかし、もしそのようにしないなら、今や、あなたがたは主に対して罪を犯したのだ。あなたがたの罪の罰があることを思い知りなさい。あなたがたの子どもたちのために町々を建て、その羊のために囲い場を作りなさい。あなたがたの口から出たことは実行しなければならない。」ガド族とルベン族はモーセに答えて言った。「あなたがたのしもべどもは、あなたの命じるとおりにします。私たちの子どもたちや妻たち、家畜とすべての獣は、そこのギルアデの町々にとどまります。しかし、あなたのしもべたち、いくさのために武装した者はみな、あなたが命じられたとおり、渡って行って、主の前に戦います。」そこで、モーセは彼らについて、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、イスラエル人の部族の諸氏族のかしらたちに命令を下した。モーセは彼らに言った。「もし、ガド族とルベン族の戦いのために武装した者がみな、あなたがたとともにヨルダンを渡り、主の前に戦い、その地があなたがたの前に征服されたなら、あなたがたはギルアデの地を所有地として彼らに与えなさい。もし彼らが武装し、あなたがたとともに渡って行かなければ、彼らはカナンの地であなたがたの間に所有地を得なければならない。」ガド族とルベン族は答えて言った。「主があなたのしもべたちについて言われたとおりに、私たちはいたします。私たちは武装して主の前にカナンの地に渡って行きます。それで私たちの相続の所有地はヨルダンのこちら側にありますように。」』
 ルベン族とガド族の言ったことを受けて、モーセはそういうことであればと彼らの願いを受諾しました。何故なら、確かにカナン征服後に彼らの願い通りのことが実現されるというのであれば全く問題ないからです。ただし、モーセはこの2部族が必ず自分たちの言った通りにしなければならないと言いました。何故なら、口で誓ったことは必ず果たさなければならないからです(民数記30:2)。ルベン族とガド族が約束して言ったことは誓いとして見るができます(民数記32:16~19)。「誓います」とは言っていないからといって、誓わなかったということにはなりません。エフタやヤコブも「誓います」とは言わなかったものの、実際は誓っていたのだからです(士師記11:30~31、創世記28:20~22)。これが誓いだとすれば、確かにこの2部族は自分たちの言った通りにしなければいけません。もし口で言った通りにしなければ罪とされ裁かれてしまいます(23節)。これは申命記23:21の箇所でも言われていることです。このようにして、もうルベン族とガド族は自分たちの言ったことを撤回できなくなりました。口で一度言った以上、もうその通りにせねばなりませんでした。後ほどユダヤ人がカナンを征服すると、ルベン族とガド族が望んだ地は彼らの相続地となります。そこはイスラエル人に征服される前はエモリ人の住んでいた場所ですが、北の半分がガド族、南の半分がルベン族の相続地となりました。こういうわけで、ルベン族とガド族の件は全く問題なくなりました。この2部族がカナン征服の先頭に立って行くと約束したからです。

【32:33~42】
『そこでモーセは、ガド族と、ルベン族と、ヨセフの子マナセの半部族とに、エモリ人の王シホンの王国と、バシャンの王オグの王国、すなわちその町々のある国と、周辺の地の町々のある領土とを与えた。そこでガド族は、ディボン、アタロテ、アロエル、アテロテ・ショファン、ヤゼル、ヨグボハ、ベテ・ニムラ、ベテ・ハランを城壁のある町々として、または羊の囲い場として建て直した。また、ルベン族は、ヘシュボン、エルアレ、キルヤタイム、ネボ、バアル・メオン―ある名は改められる。―またシブマを建て直した。彼らは、建て直した町々に新しい名をつけた。マナセの子マキルの子らはギルアデに行ってそこを攻め取り、そこにいたエモリ人を追い出した。それでモーセは、ギルアデをマナセの子マキルに与えたので、彼はそこに住みついた。マナセの子ヤイルは行って、彼らの村々を攻め取り、それらをハボテ・ヤイルと名づけた。ノバフは行って、ケナテとそれに属する村落を攻め取り、自分の名にちなんで、それをノバフと名づけた。』
 こうしてモーセは、ルベン族とガド族またマナセの半部族に、エモリ人の地とバシャンの地を相続地として割り当てました。マナセの半部族が得た相続地は、ガド族の相続地の北側に広がる場所です。マナセの相続地は、ユダ族の相続地と並んで諸部族のうち最も広い面積でした。それはイスラエルの最も北東に位置しています。このようにして、まず3つの部族が他の部族に先んじて相続地を割り振られました。

【33:1~2】
『モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとに、エジプトの地から出て来たイスラエル人の旅程は次のとおりである。モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書きしるした。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。』
 40年前のエジプト脱出からこの時に至るまでの旅程が記録されます。これは後世の聖徒たちがモーセ時代の歴史を知るためでした。その歴史は神による聖徒たちの贖いと密接に結びついているのですから、それを記録し、後の時代の聖徒たちが知れるようにするのは重要な意味を持っているのです。

【33:3~4】
『彼らは第一月、その月の十五日に、ラメセスから旅立った。すなわち過越のいけにえの翌日、イスラエル人は、全エジプトが見ている前を臆することなく出て行った。エジプトは、彼らの間で主が打ち殺されたすべての初子を埋葬していた。主は彼らの神々にさばきを下された。』
 まずユダヤ暦初月の15日にエジプトを脱出したことから記されます。これは記念すべき重要な日でした。それゆえ、古代のユダヤ人にとって、この日は覚えておくべき日でした。というのは、もしこの時に神の救いが与えられていなければ、ユダヤ人はずっとエジプトで虐待に苦しみ続けていただろうからです。この脱出の際、ユダヤ人は『臆することなく出て行』きました。これは、大いなる神が共におられるおいう安心感と遂にエジプトから解放されるという歓喜のゆえです。

 この時に神はエジプトの『神々にさばきを下され』ました。これは出エジプト記12:12の箇所でも言われていることです。しかし、神がエジプトの神々に裁きを下されるとはどういう意味なのでしょうか。これは神がエジプトの神々を無に等しい存在として断罪されたということです。すなわち、エジプトの神々は、ヤハウェの裁きからエジプト人たちを助け出せませんでした。このためエジプトの神々は無力であることが明らかにされました。また、エジプトの神々は、ヤハウェがエジプト人からユダヤ人を連れ出すのを阻止できませんでした。ここにおいても、やはりエジプトの神々には何の力もないことが明らかとされました。このようにして神は、エジプト人の神々に屈辱を与えるという形で、エジプト人の神々を裁かれたのでした。つまり、それは実際的な裁きでした。その時、ユダヤ人の神すなわち全宇宙の神こそが本当の神であり、あらゆる神々に優っておられることがまざまざと判明しました。異教徒であったイテロもこのことを認めました(出エジプト記18:10~11)。

【33:5~49】
『イスラエル人はラメセスから旅立ってスコテに宿営し、スコテから旅立って荒野の端にあるエタムに宿営した。エタムから旅立ってバアル・ツェフォンの手前にあるピ・ハヒロテのほうに向きを変え、ミグドルの前で宿営した。ピ・ハヒロテから旅立って海の真中を通って荒野に向かい、エタムの荒野を三日路ほど行ってマラに宿営した。彼らはマラから旅立ってエリムに行った。エリムには十二の泉と、七十本のなつめやしの木があり、そこに宿営した。ついでエリムから旅立って葦の海のほとりに宿営し、葦の海から旅立ってシンの荒野に宿営した。シンの荒野から旅立ってドフカに宿営し、ドフカから旅立ってアルシュに宿営し、アルシュから旅立ってレフィディムに宿営した。そこには民の飲む水がなかった。ついで彼らはレフィディムから旅立ってシナイの荒野に宿営し、シナイの荒野から旅立ってキプロテ・ハタアワに宿営した。キプロテ・ハタアワから旅立ってハツェロテに宿営し、ハツェロテから旅立ってリテマに宿営した。リテマから旅立ってリモン・ペレツに宿営し、リモン・ペレツから旅立ってリブナに宿営した。リブナから旅立ってリサに宿営し、リサから旅立ってケヘラタに宿営し、ケヘラタから旅立ってシェフェル山に宿営した。シェフェル山から旅立ってハラダに宿営し、ハラダから旅立ってマクヘロテに宿営した。マクヘロテから旅立ってタハテに宿営し、タハテから旅立ってテラに宿営し、テラから旅立ってミテカに宿営した。ミテカから旅立ってハシュモナに宿営し、ハシュモナから旅立ってモセロテに宿営した。モセロテから旅立ってベネ・ヤアカンに宿営し、ベネ・ヤアカンから旅立ってホル・ハギデガデに宿営した。ホル・ハギデガデから旅立ってヨテバタに宿営し、ヨテバタから旅立ってアブロナに宿営し、アブロナから旅立ってエツヨン・ゲベルに宿営した。エツヨン・ゲベルから旅立ってツィンの荒野、すなわちカデシュに宿営し、カデシュから旅立ってエドムの国の端にあるホル山に宿営した。祭司アロンは主の命令によってホル山に登り、そこで死んだ。それはイスラエル人がエジプトの国を出てから四十年目の第五月の一日であった。アロンはホル山で死んだとき、百二十三歳であった。カナンの地のネゲブに住んでいたカナン人、アラデの王は、イスラエル人がやって来るのを聞いた。さて彼らはホル山から旅立ってツァルモナに宿営し、ツァルモナから旅立ってプノンに宿営し、プノンから旅立ってオボテに宿営し、オボテから旅立ってモアブの領土のイエ・ハアバリムに宿営した。イイムから旅立ってディボン・ガドに宿営し、ディボン・ガドから旅立ってアルモン・ディブラタイムに宿営した。アルモン・ディブラタイムから旅立ってネボの手前にあるアバリムの山々に宿営し、アバリムの山々から旅立ってエリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原に宿営した。ヨルダンのほとり、ベテ・ハエシモテからアベル・ハシティムに至るまでのモアブの草原に彼らは宿営した。』
 ユダヤ人の40年間における旅程が淡々と記録されています。40年という期間にしては、それほど多くの場所に宿営したのではなかったと感じられます。ユダヤ人がここまで宿営した回数は41回です。実際は場所により宿営する期間が異なっていたでしょうけども、平均的に言えばほぼ1年につき1つの場所に宿営していたことになります。しかし、移動の期間もありましたから、実際は例えば平均して9か月につき1つの場所に宿営していたということも考えられます。ですから、ユダヤ人が一つ一つの場所に宿営している期間はかなり長めだったことになります。なお、私たちはユダヤ人の宿営した回数にエジプトも含めるべきでしょう。そうすると、ユダヤ民族がカナンから出て再び帰って来るまでの宿営回数は総計「42回」だったことになります。この「42」という数字は、聖書においてそれが「神の定めであること」また「短いもしくは少ないこと」を意味する象徴数です。つまり、ユダヤ人がカナンに帰るまで宿営したのは全て神の定めだったのであり、その宿営した回数はカナンから離れていた年月を考えれば非常に少なかったのです。このように42回の宿営における「42」という数字は象徴的な意味を持ちますが、しかしそれは単なる象徴だけの意味があったわけではなく、象徴数であると同時に実際の回数でもあったことに注意せねばなりません。これらの旅程で起きた出来事については、既にここまでの註解で見た通りです。ここで既に述べたことを再び繰り返す必要はないでしょう。エジプトも含めユダヤ人がカナンに帰るまで宿営した42の場所を順序ごと以下に示します。

1  エジプト
2  スコテ(民数記33:5)
3  エタム(民数記33:6)
4  ピ・ハヒロテ(民数記33:7)
5  マラ(民数記33:8)
6  エリム(民数記33:9)
7  葦の海(民数記33:10)
8  シン(民数記33:11)
9  ドフカ(民数記33:12)
10 アルシュ(民数記33:13)
11 レフィディム(民数記33:14)
12 シナイの荒野(民数記33:15)
13 キプロテ・ハタアワ(民数記33:16)
14 ハツェロテ(民数記33:17)
15 リテマ(民数記33:18)
16 リモン・ペレツ(民数記33:19)
17 リブナ(民数記33:20)
18 リサ(民数記33:21)
19 ケヘラタ(民数記33:22)
20 シェフェル山(民数記33:23)
21 ハラダ(民数記33:24)
22 マクヘロテ(民数記33:25)
23 タハテ(民数記33:26)
24 テラ(民数記33:27)
25 ミテカ(民数記33:28)
26 ハシュモナ(民数記33:29)
27 モセロテ(民数記33:30)
28 ベネ・ヤアカン(民数記33:31)
29 ホル・ハギデガデ(民数記33:32)
30 ヨテバタ(民数記33:33)
31 アブロナ(民数記33:34)
32 エツヨン・ゲベル(民数記33:35)
33 カデシュ(民数記33:36)
34 ホル山(民数記33:37)
35 ツァルモナ(民数記33:41)
36 プノン(民数記33:42)
37 オボテ(民数記33:43)
38 イエ・ハアバリム(民数記33:44)
39 ディボン・ガド(民数記33:45)
40 アルモン・ディブラタイム(民数記33:46)
41 アバリムの山々(民数記33:47)
42 モアブの草原(民数記33:48~49)

 アロンは123歳の時にホル山で死にました。この時代にここまで長生きするのは凄まじいことであり、それは神の恵みによりましたが、アロンの死因が何だったかは分かりません。アロンがどのような死に方をしたにせよ、私たちはやがてこの大祭司であった人物と会うことになります。

 ところで、イスラエル人が荒野で40年間も生き続けたということは、正に神が彼らとずっと共におられたことを意味しています。何故なら、何もない荒野に40年もいて食べ物はどうするのでしょうか、飲む水はどこにあるのでしょうか、持参してきた飲食物が尽きたらそれからどうするのでしょうか。あの荒野の状態を考えれば、たったの100人でさえ1か月ほども生きられなかったはずです。このように言うことさえ言い過ぎかもしれません。10人でさえ20日ほども生きられなかったはず、と言ったほうがいいかもしれません。それなのに100万人以上もいるイスラエル人は40年もあの荒野で生き続けていたのですから、神がイスラエル人と共にいて彼らを養っておられたのは明々白々なのです。確かに神はユダヤ人が死なないようずっとあそこで彼らを生かしておられました。この養いにおける神の恵みは褒め称えられなければなりません。

【33:50~56】
『エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときには、その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をみな、こぼたなければならない。あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住みなさい。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。あなたがたは、氏族ごとに、くじを引いて、その地を相続地としなさい。大きい部族には、その相続地を多くし、小さい部族には、その相続地を少なくしなければならない。くじが当たったその場所が、その部族のものとなる。あなたがたは、自分の父祖の部族ごとに相続地を受けなければならない。もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、わき腹のいばらとなり、彼らはあなたがたの住むその土地であなたがたを悩ますようになる。そしてわたしは、彼らに対してしようと計ったとおりをあなたがたにしよう。」』
 神は、ユダヤ人がカナンに侵入したならば、征服を徹底せねばならないと命じられます。すなわち、そこにいるカナン人を全て駆逐し、そこにある偶像および偶像崇拝の場所を滅ぼし尽くさねばなりません。もしカナンの住民を残すならば、そのカナン人たちはユダヤ人にとって『目のとげ、わき腹のいばらとなり』ますから、大いにユダヤ人は苦悩することとなります。何故なら、箴言でソロモンが教えている通り、愚か者と共にいれば害を受けたり自分まで愚かになるからです。カナン人とは愚か者でなくて何でしょうか。また52節目で偶像に関して言われていることには3回の繰り返しが見られます。それというのも、滅ぼせと命じられている『石像』と『鋳像』と『高き所』はどれも「偶像」という言葉のもとに一括できるからです。つまり、これが3回の繰り返しによる強調だとすれば、ユダヤ人は何としてもカナン人の偶像を偶像崇拝が行なわれるその場所と共に滅ぼさねばならないと強く言われていることになります。『高き所』というのは、偶像を崇拝する場所が高い所にあったのでこう言われています。このようにユダヤ人がカナン人とその偶像を徹底的に死滅させるのは合法でした。何故なら、神が裁きのためユダヤ人を死刑執行人として動員させられるのだからです。またユダヤ人がカナン人の土地を奪い取るのも合法でした。何故なら、世界の所有者であられる神がユダヤ人にカナン人の土地を与えられるのだからです。ユダヤ人がカナンの地を征服したら、部族の大小に応じてくじ引きで相続地が割り振られなければなりませんでした(54節)。これについては既に見た通りです。

【34:1~12】
『主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に命じて、彼らに言え。あなたがたがカナンの地にはいるとき、あなたがたの相続地となる国、カナンの地の境界は次のとおりである。あなたがたの南側は、エドムに接するツィンの荒野に始まる。南の境界線は、東のほうの塩の海の端に始まる。その境界線は、アクラビムの坂の南から回ってツィンのほうに進み、その終わりはカデシュ・バルネアの南である。またハツァル・アダルを出て、アツモンに進む。その境界線は、アツモンから回ってエジプト川に向かい、その終わりは海である。あなたがたの西の境界線は、大海とその沿岸である。これをあなたがたの西の境界線としなければならない。あなたがたの北の境界線は、次の通りにしなければならない。大海からホル山まで線を引き、その境界線の終わりはツェダデである。ついでその境界線は、ジフロンに延び、その終わりはハツァル・エナンである。これがあなたがたの北の境界線である。あなたがたの東の境界線としては、ハツァル・エナンからシェファムまで線を引け。その境界線は、シェファムからアインの東方のリブラに下り、さらに境界線は、そこから下ってキネレテの海の東の傾斜地に達し、更にその境界線は、ヨルダンに下り、その終わりは塩の海である。以上が周囲の境界線によるあなたがたの地である。」』
 神が、カナン入植後に境界線とすべき場所を指示しておられます。境界線で区切られたユダヤ人の地は今のパレスチナの地域一帯であり、かなりの面積です。神がその境界線を定められました。人間が定めたのではありません。その定められた地はユダヤ人にとって狭すぎるものではありませんでした。逆に大きすぎて困るということもありませんでした。神が適切な境界線を定められたからです。神は聖徒たちに対して最善のことをして下さいます。南側の境界線は、『塩の海』(死海)から南西に続いて『海』すなわち地中海に至るまでです。これはかなりの長さです。西側の境界線は地中海ですが、これは非常に分かりやすい境界線です。北の境界線もかなりの長さです。東は、キネレテの海と死海を結ぶヨルダン川が境界線となります。しかし、その境界線の東側には、マナセの半部族、ガド族、ルベン族の相続地がありました。この3部族の相続地については本来の予定地に含まれていないのに相続地とされたのですが、境界線を越えた場所にユダヤ3部族の相続地があったとしても問題にはなりません。