【ルツ記2:15~4:13】(2022/07/17)


【2:15~16】
『彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落しておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」』
 食事を終えるとルツがまた落ち穂拾いに行ったので、ボアズはルツに再び良くしてやり、このためルツは豊かに落ち穂を拾い集めることができました。ボアズがこのような計らいをしたのは、ルツがひもじくなったり嫌な思いをしないためでした。ルツが聖徒であるナオミに良くし主なる神に帰依していたので、神もボアズを通してルツに良くして下さったのです。というのも神とは『恵み深い者には、恵み深く』(詩篇18:25)して下さる御方だからです。オルパもナオミと一緒にユダヤに行っていれば、このように幸いを味わえたでしょうに。このルツを考えても分かる通り、神とその聖徒に良くする者は、たとえ異邦人であったとしても神から良くしていただくことができます。トマス・ジェファーソンは信仰を持たなかったものの、教会の礼拝に出席して献金までしていたので、彼の名は偉大とされました。J・S・ミルと松下幸之助もキリストを大いに称賛していたので、彼らも人間社会で称賛されることになりました。一方、ニーチェのように神とその聖徒を憎み批判する邪悪な者は、往々にして裁かれて腐れ果ててしまいます。神とその聖徒を蔑ろにしたので、自分も蔑ろにされるのです。神と聖徒に悪くする者たちには昔から幸いな終わりが与えられないものです。ですから、全て人は信仰を持っていないにしても、神とその民に対して良くするべきです。そうすればたとえ救われない滅びの子であり、最終的には地獄へ落とされるのだとしても、この今の世界では地上的な恵みを神からいただくことができるでしょう。

【2:17~18】
『こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。彼女はそれを持って町に行き、しゅうとめにその拾い集めたのを見せ、また、先に十分食べてから残しておいたのを取り出して、彼女に与えた。』
 ルツは『朝から』(ルツ記2章7節)昼食を挟んで『夕方まで』落ち穂を拾い集めていましたが、これは彼女の勤勉さと真面目さを示していると見てよいでしょう。ボアズが計ってくれたので、ルツは落ち穂から大麦を『一エパ』すなわち23リットルも得ることができました。ルツはナオミのもとに帰り、その得た大麦を見せます。この大麦がこれから彼女たちの食糧となるのです。また、ルツは昼食の時に残しておいた炒り麦をナオミに与えて食べさせました。この箇所からはルツの善良さが感じられます。このように聖徒たちと共にいて神から良くされていたルツはどれだけ幸せだったことでしょうか。彼女がこのような幸いを受けたのは神から選ばれていたからでした。しかし、オルパのほうはモアブの地で汚れたモアブ人と偽りの神々である偶像どもに囲まれて過ごしていたので糞も同然の状態でした。これはオルパが神から選ばれていなかったからです。

【2:19~23】
『しゅうとめは彼女に言った。「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女はしゅうとめに自分の働いてきた所のことを告げ、「きょう、私はボアズという名の人の所で働きました。」と言った。ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」モアブの女ルツは言った。「その方はまた、『私のところの刈り入れが全部終わるまで、私の若者たちのそばを離れてはいけない。』と私におっしゃいました。」ナオミは嫁のルツに言った。「娘よ。あの方のところの若い女たちといっしょに出かけるのは、けっこうなことです。ほかの畑でいじめられなくても済みます。」それで、彼女はボアズのところの若い女たちのそばを離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れの終わるまで、落ち穂を拾い集めた。こうして、彼女はしゅうとめと暮らした。』
 ナオミはルツがどこで多くの落ち穂を拾い集めたのか気になったので尋ねると、ボアズの畑であったことが分かりました。先にも述べた通り、ルツはそこがボアズの畑と知っていたのでその畑に行ったわけでなく、そもそもボアズという人がナオミとどのような関係にあるのかさえ知りませんでした。この世界に偶然はただの一つもありません。神がルツをボアズの畑に導かれたのです。ルツがボアズの畑で働いたと聞いたナオミはさぞ驚いたに違いありません。また、この時にナオミは安心したはずです。というのもルツはボアズと親戚であるナオミの嫁だった女性だからです。ボアズがこのようなルツにこれからも良くするだろうことはほとんど確実でした。自分と強い関係を持つ人間ほど、誰かを委ねて安心できる人間が他にいるでしょうか。いないでしょう。ですから、ルツがボアズの畑に行ったのは、ナオミに対する神の恵みだったことでもありました。

 ナオミは良くしてくれたボアズに神から祝福されるよう願います。この願いは聞き届けられたはずです。何故なら、神はボアズのように善良な者には良くして下さる御方だからです。このボアズはナオミにとって『買い戻しの権利』を持つ人物でした。買い戻すというのは人でなく土地のことです(レビ記25:25)。これはボアズがナオミと実に近い関係を持っていたということです。ナオミは神の祝福をボアズに対し望みましたが、彼女はその神について『生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない』と言っています。『生きている者』に神が恵みを施されるというのは説明しなくてもいいでしょう。しかし、『死んだ者にも』神が恵みを施されるというのはどういう意味でしょうか。これは聖徒たちのことです。つまり、神は聖徒たちが死んでからも天国で恵みを施し続けて下さるということです。ですから、『死んだ者』とは聖徒でない者のことを指していません。何故なら、聖徒でない者は死により恵みが全く取り去られるからです。

 ボアズはルツに自分の畑にいるよう求めましたが、これはナオミの歓迎することでした。何故なら、ボアズの畑で落ち穂拾いをしていれば『いじめられなくても済』むからです。ナオミは嫁ルツのことを思いやっていました。このルツもそうでしたが、全て他人を思いやる人は、自分も他人から思いやられるのです。こうしてルツはこれからもずっとボアズの畑で働くことになりました。ここで私たちはルツの行なっていた落ち穂拾いが「労働」だったことに注意せねばなりません(ルツ2:7)。神は憐れみ深い御方ですから、貧しい人たちもこのように落穂拾いという仕事を行なえるよう定めておられたのです。それは無為が放埓と犯罪の温床だからです。しかし、しっかり労働するならば悪徳から遠ざけられ道徳に導かれます。しっかり自分の手で働いて糧を得ることは、全く人間的な営為ですから、まともな人間性をその人のうちに形作るのです。ですから、落穂拾いが情けによる奴隷的な卑しい仕事だったと考えるべきではありません。これはれっきとしたまともな仕事だったと考えるべきです。

【3:1】
『しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。』
 『あなたがしたように、あなたにもされる』(オバデヤ書)ので、ナオミに良くし良い思いを抱いていたルツは、ナオミから良くされ良い思いを抱かれていました。このため、ナオミはルツに結婚させようとします。結婚して夫と一緒にいたほうが、姑であるナオミと共にずっと過ごしているより、ずっと望ましいと思えたからです。ここでナオミがルツに結婚させようとしているのは、古代において結婚の主導権は親また親に相当する者が持っていたからです。ですから、ナオミはごく普通のことをしているだけです。ロックフェラーをはじめとした陰謀家たちが社会の結婚観を変えた現在においては、主に恋愛結婚が当たり前であり、結婚の主導権はほとんど結婚する当事者たちにありますから、ナオミがしたようなことは稀にしか行なわれません。ですから、ナオミのしていることが理解しにくい人もいるかもしれません。ですが、古代の社会でナオミのしたことは何もおかしくありません。日本でも戦前はこのような結婚が行なわれていました。それゆえ、私たちは聖書の時代背景をよく弁えて理解するようにしなければなりません。もし今の時代性を基準にして聖書を読もうとするならば、聖書の内容を間違って理解したり理解できなくなりかねません。

【3:2~5】
『ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてからはいって行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」』
 ナオミはルツの結婚する相手としてボアズに狙いを定めます。ボアズはナオミたちにとって『親戚』だからです。ルツとボアズは親戚関係にありますが、親戚でありながら血における繋がりは一切ありませんでしたので、血が近いからというので問題になることもありません。ですから、ナオミにとってボアズはルツの夫として正に相応しいと思えたのです。ナオミは、ボアズが寝たらその足もとに寝るようルツに指示します。これは結婚したいという意思表示です。何故なら、結婚とは下腹部の一体化だからです。一体化なしに結婚はなく、結婚していても一体化しないのであればそれは結婚していると言い難い状態なのです。この時にルツが『からだを洗って、油を塗り、晴れ着をまと』うべきだったのは、ルツが清らかな花嫁としてボアズのもとへ向かうべきだったからです。ルツはナオミの命令を全て受諾しました(5節)。これはルツがナオミの善意を蔑ろにしたくなかったからなのでしょう。また、ルツにしてもナオミの提案は望ましいと思えたからなのでしょう。

【3:6~11】
『こうして、彼女は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。ボアズは飲み食いして、気持ちがよくなると、積み重ねてある麦の端に行って寝た。それで、彼女はこっそり行って、ボアズの足のところをまくって、そこに寝た。夜中になって、その人はびっくりして起き直った。なんと、ひとりの女が、自分の足のところに寝ているではないか。彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。』
 ボアズが飲み食いして寝ると、ルツはその時を狙い、寝ているボアズの足もとに寝ました。ボアズは起き直ると、当然ながらルツがそこにいるのを知って、大変に驚きます。自分の下腹部に女が頭を近づけて寝ていながら驚かない男はいないはずです。

 ボアズが起きると、ルツはボアズに『あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。』と言いますが、これはボアズに対する結婚の求めです。ボアズはこの求めを承諾します。何故なら、ルツは貞潔を重んじるふしだらでない女性だったからです。ルツは『貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかった』のです。もしルツが娼婦のようにふしだらな女性だったとすれば、ボアズはルツの求めを承諾していなかったかもしれません。またボアズがルツの求めを承諾したのは、ルツが人々から評判のしっかりした女性だったからです(11節)。ボアズは『有力者』(ルツ2章1節)であり、自己の名誉を傷つけることは出来なかったでしょうから、もしルツの評判が良くなければルツの求めを承諾していなかったはずです。この出来事からも分かる通り、ルツがナオミと共にユダヤへ行ったのは大正解でした。ルツがこのようにしている時、オルパはモアブで汚物にまみれていました。

【3:12~13】
『ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類です。しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやみすみなさい。」』
 ボアズは自分よりも更に買い戻しの権利を強く持つ親類がいるのを知っていたので、ルツにおける買い戻しをその親類に譲ろうとします。何故なら、より近い権利を持つ者が、より買い戻す権利を有しているからです。ボアズは自分よりも近い買い戻しの権利を持つ親類の存在を隠し、さっさとルツを自分で買い戻してしまうこともできました。こういった行ないは今に至るまでどこの国でも行なわれることです。人間は欲に弱いからです。しかし、ボアズはそのようなことをしませんでした。ボアズは欲望よりも規律を優先させる立派な人士だったのです。しかし、もしより近い権利を持つその親類が買い戻しを拒絶するならば、ボアズが買い戻しをすることになると、ボアズはここで言っています。彼がこう言ったのはもっともなことでした。

 ボアズがここで『主は生きておられる。』と言っているのは、誓いの言葉です。古代ユダヤ人が誓う際はよくこのように言われていました。サウル時代のユダヤ人もこのように言っています(Ⅰサムエル記14:45)。サウルもこのように言っています(Ⅰサムエル記14:39)。これは、つまり「生きておられる主が今話された言葉の確かな証人であられるから、もし私が自分の言った言葉通りにしなければ、私は証人であられる主から偽証者として罰せられても構わない。」という意味の言葉です。しかし古代のユダヤ人はこのような長い言葉により誓うのでなく、『主は生きておられる。』と短い言葉で言わば省略的に誓っていたのです。

【3:14~18】
『こうして、彼女は朝まで彼の足のところに寝たが、だれかれの見分けがつかないうちに起き上がった。彼は、「打ち場にこの女の来たことが知られてはならない。」と思ったので、「あなたの来ている外套を持って来て、それをしっかりつかんでいなさい。」と言い、彼女がそれをしっかりつかむうちに、大麦六杯を量って、それを彼女に負わせた。こうして彼は町へ行った。彼女がしゅうとめのところに行くと、しゅうとめは尋ねた。「娘よ。どうでしたか。」ルツは、その人が自分にしたことをみな、しゅうとめに告げて、言った。「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方は、この大麦六杯を私に下さいました。」しゅうとめは言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから。」』
 ボアズはルツと一緒にいたことを知られたくなかったので、ルツから離れ1人だけで町へ行きます。これはまだ人々の間で騒がれたくなかったからでしょう。

 ボアズはルツから離れる前、ナオミへの土産として『大麦六杯』をルツに持たせて帰らせました。この行為にはボアズの善良さが現われています。大麦が「6」杯だったのには何か意味があるのでしょうか。これは特に意味がないと考えられます。

 こうしてルツとナオミは事の成り行きを見守ることとなります(18節)。もうこれからは、ボアズと買い戻しの権利を持つ親族に全てがかかっているからです。ルツとナオミは為すべきことをし終えたのです。

【4:1~2】
『一方、ボアズは門のところへ上って行って、そこにすわった。すると、ちょうど、ボアズが言ったあの買い戻しの権利のある親類の人が通りかかった。ボアズは、彼にことばをかけた。「ああ、もしもし、こちらに立ち寄って、おすわりになってください。」彼は立ち寄ってすわった。それから、ボアズは、町の長老十人を招いて、「ここにおすわりください。」と言ったので、彼らもすわった。』
 ボアズが門の場所に行き座ったのは、ルツのことで公の取り決めをするためです。何故なら、古代社会において町の門は、裁判や議会といった公式的な集まりをする場所だったからです。ですから『有力者』(ルツ2:1)であったボアズはその門のところに座ったのです。

 ボアズは自分よりも買い戻しの権利を強く持った親類が来たので、ルツの事案を取り決めるため、その親類を呼び止めます。そして、ボアズは『町の長老十人』を門のところに呼び寄せます。これはルツの事案を権力者たちの前で公に決定するためです。この時に招かれた長老の数が『十人』だったのは、他にも長老がいたものの、完全数である10に合わせて呼び寄せたということなのでしょうか。それともベツレヘムに長老は10人しかいなかったので、単にその全てを呼び寄せたということなのでしょうか。どちらなのか私たちには不明です。

【4:3~4】
『そこで、ボアズは、その買い戻しの権利のある親類の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。私はそれをあなたの耳に入れ、ここにすわっている人々と私の民の長老たちとの前で、それを買いなさいと、言おうと思ったのです。もし、あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。しかし、もしそれを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。あなたをさしおいて、それを買い戻す人はいないのです。私はあなたの次なのですから。」すると彼は言った。「私が買い戻しましょう。」』
 買い戻しの権利を持つ人が来たので、ボアズは土地のことで彼に話し始めます。ナオミの夫であるエリメレクが死んだので、ナオミはエリメレクの所有する畑を売ろうとしていました。その畑は当然ながら買い戻しの権利を最も持つ親類が買い戻すべきでした。それで買い戻しの権利を持つ人はこの話に納得し、その畑を買い戻そうとします。これで畑が買い戻されたならば、その畑はこの買い戻しの権利を持つ親類の所有となるのであり、ボアズの所有とはなりません。

【4:5~6】
『そこで、ボアズは言った。「あなたがナオミの手からその畑を買うときには、死んだ者の名をその相続地に起こすために、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買わなければなりません。」その買い戻しの権利のある親類の人は言った。「私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。あなたが私に代わって買い戻してください。私は買い戻すことができませんから。」』
 ボアズが畑を買うならば畑と共にモアブ女ルツも買い娶らなければならないと言ったところ、親類の人は考えを変え買うことを止めます。これは親類の人が『親類の役目を果たすことを喜ばな』(ルツ記3:13)かったからです。畑を買い戻すだけならば彼はまだ買うつもりでいました。ところが、モアブ人とレビラート婚をしてまで買い戻すつもりはありませんでした。これが普通の場合であれば、つまり娶る相手がユダヤ人の場合であれば、この親類の人が拒絶したことは非難されるべきでした(申命記25:5~10)。しかし、この場合は違いました。何故なら、ユダヤ人は異邦人と結婚する義務を持たないからです。ですから、この親類がルツとのレビラート婚を拒絶したのは悪いことではありませんでした。聖書がこの親類の実名を伏せているのは、これが理由なのでしょう。つまり、この時は結婚する相手が相手だっただけに、この親類の名誉が守られているのです。彼はモアブ人を娶りたくなかったので、土地の買い戻しをボアズに譲ります。ボアズもモアブ女のルツと結婚しない選択をすることが可能でした。しかし、ボアズはルツを娶るつもりでいました。

【4:7~8】
『昔、イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、すべての取り引きを有効にするために、一方が自分のはきものを脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける証明の方法であった。それで、この買い戻しの権利のある親類の人はボアズに、「あなたがお買いなさい。」と言って、自分のはきものを脱いだ。』
 親類の人は買い戻しの権利をボアズに譲るため、当時のイスラエル社会で譲渡の証明手段とされていた習慣により、買い戻しの権利を正式にボアズに譲りました。この譲渡のやり方は『習慣』であり神の命令ではありません。ですから、私たちは譲渡をする際、この『習慣』に則って譲渡をする必要がありません。私たちは私たちの時代に習慣とされているやり方で譲渡すればいいのです。この時に親類の人が『はきものを脱いだ』のは両の足だったと思われます。これはレビラート婚を拒んだ男に靴を脱がせるのと似ていますが(申命記25:9~10)、親類の人が行なったのはこれと違った意味です。

【4:9~10】
『そこでボアズは、長老たちとすべての民に言った。「あなたがたは、きょう、私がナオミの手から、エリメレクのすべてのもの、それからキルヨンとマフロンのすべてのものを買い取ったことの証人です。さらに、死んだ者の名をその相続地に起こすために、私はマフロンの妻であったモアブの女ルツを買って、私の妻としました。死んだ者の名を、その身内の者たちの間から、また、その町の門から絶えさせないためです。きょう、あなたがたはその証人です。」』
 こうしてボアズは公的にナオミからエリメレクが所有していた相続地を買い戻しました。親類の人が権利を譲渡したわけですから、ボアズに土地を買い戻す権利が戻ったからです。この時に買い戻した価格がどれだけだったかは書かれていないので分かりません。また、ボアズは土地と共にモアブ女ルツをも買い、娶りました。これはルツとの間にルツの夫だったマフロンの子を生むことで、その相続地がマフロンの血筋から切り離されてしまわないためです。本来であればレビラート婚は血の繋がった兄弟によりなされるべきでしたが、エリメレクの家族で残っている男はいなかったのですから、エリメレクの親戚であるボアズがレビラート婚を代行することになったわけです。

 このようにして土地と共にルツをも買い戻したボアズは正しい人でした。ボアズは娶ることになる女がモアブ人であるからというので、エリメレクの家系が絶やされることを許さなかったからです。ボアズはたとえモアブ人を娶ることになろうとも、メシアがそこから生まれるかもしれないユダ族の一氏族を消し去らないようにしたかったのです。というのもメシアがどの氏族の子孫として生まれるのかまだユダヤ人は知らなかったからです。ボアズがこのようにしたので、神はボアズをメシアがそこから出るダビデの先祖とされました。もしボアズがモアブ人は嫌だからというのでルツとレビラート婚をしていなかったとすれば、ボアズはダビデの先祖になっていなかったかもしれません。

【4:11~12】
『すると、門にいた人々と長老たちはみな、言った。「私たちは証人です。どうか、主が、あなたの家にはいる女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように。あなたはエフラテで力ある働きをし、ベツレヘムで名をあげなさい。また、主がこの若い女を通してあなたに授ける子孫によって、あなたの家が、タマルがユダに産んだペレツの家のようになりますように。」』
 公式に事が決定したので、長老たちと民衆は、ボアズに祝福を与えます。ボアズについて幸いな取り決めがされたからです。人々はルツが『イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのように』なることを願います。これはルツの生む子が、ユダヤ人としてユダヤ社会にしっかりと根差すように、という願いです。これは最大限の祝福です。というのも『ラケルとレア』はヤコブと共にユダヤ人の根だからです。また人々はボアズの働きと名声が栄えるようにも願います。ボアズは幸いな取り決めをしたのですから、人々はボアズの歩みと名が恵まれるよう願ったのです。なお、ここで言われているベツレヘムの『エフラテ』は、やがてキリストが御生まれになる場所です。ミカ5:2。また人々はルツとボアズの子により、ボアズの家系が『ペレツの家のようにな』ることをも願います。これは、つまりボアズの子孫が絶えることなく続くようにという願いです。何故なら、ペレツの家系はこの時に至るまでずっと続いていたからです。要するに、人々はボアズの家系がすぐに絶え果てたエルおよびオナンと同様にならないよう願っているわけです。

 この時に長老たちと民衆は、ボアズが畑と共にルツを買い取ったことの証人となりました。ですから、エリメレクの畑とルツは人々の前で正式にボアズに属することとなりました。私たちも公的に事柄が決められるのを望むべきです。何故なら、神は平和と秩序の神であられるからです。私たちはこの神の子どもなのです。神の子であるキリスト者にクーデターとか不正とか違法といった行為は全く相応しくありません。神は平和と秩序の神なのですから、その子らである私たちも平和と秩序を追い求めるべきなのです。

【4:13】
『こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところにはいったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。』
 こうしてボアズは土地とモアブ女ルツを買い取りましたが、これは全て主から出たことでした。よって、この時の取り決めは全く御心に適っていました。もし御心でなければこのような取り決めはされていなかったかもしれません。御心でなかったら、そもそもエリメレクが死んでいなかったかもしれず、エリメレクが死んだとしてもマフロンはモアブ女ルツを娶っていなかったかもしれず、マフロンがモアブ女ルツを娶っていたとしてもマフロンは死んでしなかったかもしれません。全ては神の御心により起こります。偶然の出来事は世の中に一つさえもありません。それからボアズは土地と共に娶ったルツとの間に男の子を生みます。子が2人の間に生まれるのも、やはり神の御心でした。もし御心でなければルツはサラやラケルのように不妊となっていたかもしれません。