【創世記1:1~10】(2021/01/03)


【1:1】
『初めに、神が天と地を創造した。』
 これから見ていく創世記1章は非常に重要な箇所です。その重要性は、どれだけ強調しても強調し過ぎるということはないでしょう。何故なら、その箇所では、私たちの住んでいるこの世界がどのようにして制作されたか書き記されているからです。そのような事柄にあまり興味はない、と思われる方は幾らかでもおられるかもしれません。しかし、全く興味がない、と思われる方は恐らくいないと思われます。一体、誰が自分たちの世界における始原の状況に心を傾けないままでいられるということがあるでしょうか。このように創世記1章は、あまりにも重要な箇所です。ですから、この箇所を無視して素通りすることは決して出来ません。

 この1:1の箇所は、創世記1章における序文のような部分です。ですから、この箇所では、創世記1章の全体における本質が豊かに示されています。

 さて、この箇所では『神が天と地を創造した』と書かれていますが、この『天』と『地』とは一体どのような意味でしょうか。まず『地』とは、私たちが今住んでいるこの地球を指しています。これは後に続く内容を見れば一目瞭然ですから、詳しい説明は必要ありません。次に『天』とは、この地球の上空にある大気圏の場所を指しています。聖書において『天』とは、この世界ではない霊的な世界を指して書かれている箇所が多くあります。例えば、キリストは聖徒たちに『天にいます私たちの父よ。』(マタイ6章9節)という呼びかけを祈りの冒頭で口にするように指示されましたが、これは父なる神が霊的な世界という意味の『天』におられるということです。ここでの『天』とは大気圏という意味における天ではありません。私たちが今見ている創世記1:1の箇所では、霊的な世界ではなく大気圏を指して『天』と言われています。何故なら、後の箇所である1:8では、大気圏の場所が『天』であると言われているからです。このように聖書で「天」と書かれていたならば、私たちはそれがどの場所を言っているのかよく考えねばなりません。すなわち、それは霊的な世界という意味の天なのか、それとも大気圏という意味の天なのか、ということです。霊的な世界について言われている箇所を大気圏について言われていると捉えたり、それとは逆に大気圏について言われている箇所を霊的な世界について言われていると捉えたりすれば、聖書を正しく理解できないことに繋がってしまいます。

 聖書は、創造論を説いています。それは、この創世記1:1の箇所を見るだけでも分かります。進化論が普遍的な思想として通用している近代において、この創造論を疑わしく思う人は世の中に多い。しかし、本当に疑わしいのは進化論のほうだと言わねばなりません。何故なら、進化論を広めたダーウィン自身が、自分の主張した進化の学説に疑問を抱いていたからです。彼の有名な「種の起源」を見れば分かりますが、ダーウィンは進化論に致命的な欠陥があることに気付いていました。すなわち、彼は進化がもし本当にあったとすれば無数に存在しているはずの不完全な中間生物の化石がまったく見つからないことに気付いていました。彼自身が告白している通り(彼は正直に何かを言う傾向がありました)、ダーウィンはこの問題に非常に悩まされました。ですが、彼はこの進化論により自分の名声を確立させるという野心を達成せんがために(自伝で告白しているように彼は非常な野心家でした)、この大きな問題を素通りしたのです。結局、ダーウィンはこの問題を解決することがありませんでした。といいますのも、解決しようにも解決しようがないからです。これだけでも進化論を拒絶するのには十分すぎるほどです。何故なら、ダーウィンも言ったように、これは「致命的な欠陥」だからです。このような重大な問題があるにもかかわらず、進化論が今見られるように世界中へと広まったのは、元はと言えば教会がこの進化論に抵抗せず、むしろ妥協して半ば受け入れたからです。「半ば」と言ったのは、つまり進化論をそのまま十全に受容したのではないということです。19世紀において進化論に妥協した教会は次のように考えるに至りました。「神は創造をなされたが、それは進化という非常に長い現象を通してであった。すなわち、神は進化という長い現象のもとにこの世界を創造された。」お分かりでしょうか。教会は、創造論に進化論という非聖書的な教説を混ぜ合わせたのです。このように教会が進化論に対抗しませんでしたから、世界中に進化論が満ち広がることになりました。聖書において教会は『真理の柱また土台』(Ⅰテモテ3章15節)と言われています。そのような教会が進化論を受け入れたわけですから、世界にも進化論が蔓延されてしまったというわけなのです。柱また土台である存在でさえ間違った学説を受け入れたのであれば、世界は尚のことそれを受け入れてしまいましょう。つまり、進化論は真理の保持者である教会から言わば「お墨付き」を受けたような状態になりました。この世界では、たとえ進化論を主張しても、教会が激しく批判してくるということはなくなったのです。これでは進化論が広まるのも無理はありません。これを何かに例えるならば、誰かが犯罪を行なっているのを警察官が見ても、注意もしなければ逮捕もしないままでいるようなものです。これでは犯罪が頻繁に行なわれたとしても無理はありません。もし教会が進化論を拒絶していたとすれば、世界も進化論を受け入れることはなかったはずです。私たちは堅く創造論の立場に立ち、この進化論を拒絶せねばなりません。そのようにするのが、神に従うということであり、聖書に立つということであり、クリスチャンとして歩むということです。進化論を全的に拒絶しない教会は神の御心に適っていません。

 神が、この『天と地を創造した』のは何故だったのでしょうか。その理由は何でしょうか。それは、神の栄光が現わされるためでした。箴言16:4の箇所では『主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り』と書かれています。神であられる主が天地創造において目的とされたのは、御自分の栄光を現わすためです。もし神の栄光が現わされるという目的のために天と地が創造されないというのであれば、この天地は創造されていなかったはずです。何故なら、その場合、天と地が創造されても神にとって何の意味もないからです。神は意味のないことをなされる御方ではありません。私たち人間でさえ、まったく意味がないと分かっていることは行なおうとしないものです。もっとも、私たち人間の場合、堕落しており、不完全であり、知性と理解も有限ですから、時にはまったく意味がないと分かりつつも何かをしてしまうという愚かさに陥る傾向から誰も免れてはいない、という点で神とは違っているのではありますが。

 神は天地を創造される以前、何をしておられたのでしょうか。その時、神は永遠に存在し続けておられました。その時に神が何をしていたのか具体的に言い表すことは不可能です。ただ神が愛と義と栄光のうちに存在しておられたと言うことしかできません。その時には、まだ時間も空間も創造されていませんでした。粒子という物質世界の最小単位である要素や、御使いたちさえもまだ存在していませんでした。このような時の状態について私たちが何かを言うことは決して出来ません。何故なら、その時の状態は私たちの理性を超え出ているからです。キリストは、その時のことについて父なる神にこう言っておられます。『今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。』(ヨハネ17章5節)この状態については、もうこれ以上何かを言っても仕方がありません。どれだけ考えたとしても、一向に分からないままだからです。では神が天地を創造される以前、何が存在していたのでしょうか。この質問にも前の場合と同様に答えねばなりません。すなわち、その時にはただ神だけが愛と義と栄光のうちにおられたのです。繰り返しになりますが、これ以上のことを探究することは出来ません。

 それでは、神が天と地を創造されたのはいつなのでしょうか。それは紀元前4000年頃です。つまり、この世界は今から約6000年前に創造されました。これは、教会が19世紀になって進化論の世界観に毒されるよりも前に持っていた一般的な見解です。数百年、1000年ほどの違いが算出方法によってもありますが、どの学者たちもだいたい紀元前4000年頃が世界創世の年だと理解してきました。ルターもケプラーもニュートンもそのように考えていました。何故でしょうか。それは、聖書の記述に基づいて算出すると、このような年代が導き出されるからです。知識と意欲のある方は、実際に聖書の記述から世界創世の年を算出してみればよいでしょう。そうすれば確かに聖書は今から6000年前に世界が創造されたと教えていることが分かります。聖書を神の言葉であると信じる者は、今述べられたように考えるべきです。正しい信仰を持つ者たちが、どうして進化論などという誤謬の体系に惑わされていいはずがあるでしょうか。

 この天地創造に対する信仰は、聖書の全体に対する信仰と大いに関わっています。もし天地創造を純粋に信じることが出来るならば、ノアの大洪水も、出エジプトの際に起きた諸々の奇跡も、キリストの復活も信じることが出来るでしょう。それというのも、その人は世界が創造されたという最も巨大と言うべき御業を信じることが出来ているからです。これほどまでに超大な奇跡は他にないのです。それさえも信じれるのであれば、尚のこと、それ以外の奇跡は信じることが出来るというわけです。しかし、この天地創造を信じれないのであれば、それだけ聖書に書かれている奇跡や不可思議な事柄も信じることが出来ないでしょう。何故なら、その人はそもそも神の全能性を信じていないからです。

【1:2】
『地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。』
 ここで言われている『地』とは先に述べたように「地球」を指しています。

 ここでは『地は形がなく、何もなかった』と言われていますが、これは一体どのような意味でしょうか。地球という惑星がまだドロドロとしていたので何も定かなものはなかった、という意味でしょうか。それとも地球そのものがまだ何も存在していなかった、という意味でしょうか。正しいのは前者のほうです。すなわち、まだ世界が創造されたばかりの時は、私たちが今立っている地球の固形部分が液状のような状態だったので、何も定かではありませんでした。卑俗な例えですが、これは卵焼きを作る時のことを考えれば分かりやすいと思います。卵をフライパンに入れた時は、まだ全体がドロドロとしており、しっかりとした形状は見られません。しかし2分も経てば、全体が固まってくるので、しっかりとした形状が見られるようになります。地球の大地がまだ何もなかったとここで言われているのは、そのようなものです。

 まだ創造されたばかりの地球には『大いなる水』が覆っていました。つまり、地球の全ての部分が海のようだったのです。これは、海王星のようであったと思えばよいでしょう。ですから、まだその時には地が現われていませんでした。『大いなる水』とは、「豊かに溢れる水がそこにあった」ということです。創世記7:11および8:2の箇所でも『大いなる水』という言葉が使われています。聖書はこのように言って、非常に壮大な水がそこにあることを示しています。また、その時には『やみ』が全てを満たしていました。右も、左も、上も、下も、中央も、外側も、全てが真っ暗闇だったのです。これは、まだ光がその時には造られていなかったからです。光がなければただ闇だけしかなく何も見えない、というのは子どもでも分かることです。それというのも、私たちは光や光の反射を通して視像を得るからです。

 『神の霊は水の上を動いていた』とは一体どういった意味でしょうか。まず『神の霊』とは、言うまでもなく神の第三位格であられる聖霊です。その聖霊が『水の上を動いていた』とは、つまり聖霊なる神が地球を覆っている大水を全て統御しておられた、という意味です。『動いていた』とは創造における支配のことです。何故なら、この世界は全て神により造られたからです。つまり、ここでは『動いていた』と言うことで、神が全てに働きかけておられたことを教えています。私たちは、神が何の意味もなくただ水の上を動いておられただけであるなどとは思わないようにすべきです。神は英知の御方であって、意味のないことは何もなさらない御方だからです。

【1:3~5】
『そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。』
 創造が開始されたばかりの時には、まだ光が存在していませんでした。その時は、ただただ闇がそこにあるのみでした。この宇宙空間に何も存在していなかったというわけではありません。光が造られるより前にも、この地球やその地球を構成している粒子は存在していましたし、空間や空間を構成している物質も存在していました。ただ光がなかったので、その時には何も見えない状態だったのです。

 しかし、神が『光よ。あれ。』と命じられると、その命令の通りに光が生じました。この出来事からも分かる通り、神は命令一つで全てを生じさせることの出来る御方です。実に素晴らしいことです。これこそ神が神である所以であると言えましょう。何故なら、誰が命じるだけで何かを生じさせるということが出来るでしょうか。誰も出来ません。『この世の神』(Ⅱコリント4章4節)であるサタンでさえ、そのようなことは全く出来ないのです。また、この光は、神が命じられると一瞬のうちに生じたと考えるべきです。つまり、光は徐々に形成されつつ創造されたというのではありません。何故そう言えるかといえば、光という存在を考えれば分かるように、光という被造物は「ある」か「ない」かのどちらかでしかないからです。もし光がそこに僅かばかりでも「ある」のであれば光は「ない」のではありませんし、それとは逆に光がそこに「ない」のであれば光は「ある」のではありません。光が「ある」のであれば光は「ある」のであり、光が「ない」のであれば光は「ない」のです。光が「ある」のに「ない」とか、「ない」のに「ある」ということはありえません。ですから、光の創造は即座に行なわれたと考える以外にありません。このようにして創造された光は神に『よしと見られ』ました。何故なら、神は光を御自身の御心の通りに創造されたからです。私たち人間から見ても、この光は良い被造物です。その証拠に、今に至るまでこの光という被造物を批判したり光を造られた神に文句を言った人間はただの一人さえもいません。マルキ・ド・サドやホーキングのような神を憎んでやまない不敬の輩でさえ、光について悪く言ったりはしませんでした。例えばサドは「神の馬鹿野郎!」とは言いましたが、「光の馬鹿野郎!」とは言いませんでした。何故なら、光は誰が見ても良いとしか思えない被造物だからです。これはこの世界を健全に存在させるための最も基本的な要素です。そのような要素である光が悪く造られていたとすれば、この世界は滅茶滅茶になっていたに違いありません。しかし神は恵み深い大いなる御方ですから、光を悪く造るなどということはなさいませんでした。

 神は『この光とやみとを区別され』ました。何故なら、それらは明らかに違うからです。光は光であって闇ではなく、闇は闇であって光ではありません。『神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。』と書かれているのは、どういった意味でしょうか。これは私たちの住む地球を見方の基点として語られています。鋭い方であれば、もうどういうことか察したに違いありません。神は、私たちが今見ている太陽の場所に大きな光を生じさせられたのです。その時にはまだ太陽は造られておらず存在していませんでしたが、今太陽のある場所には、私たちからすれば太陽が放っているとでも思えるかのような巨大な光が置かれたのです。要するに、その光に照らされている地上の明るい部分が『昼』と名づけられ、光に照らされていない暗い部分は『夜』と名づけられたわけです。それでは、その光のあった場所に今では太陽が置かれているのはどういうことなのでしょうか。これについては第4日目の創造について語られる場所が来れば論じられることになります。

 ところで、この光が造られたのは、第1日目のどのぐらいの時期だったのでしょうか。これについては全く分かりません。それというのも、聖書には光が第1日目のどの時間に造られたのか何も書かれていないからです。光が造られたのは世界が創造されてから1分後、10分後だったのかもしれません。もしかしたら1時間後だったこともありえます。そうではなく10時間後だったという可能性もないわけではありません。しかし20時間後というのは恐らくないのではないかと思われます。何故なら、20時間後というのはちょっと遅すぎるのではないかと感じられるからです。

【1:5】
『こうして夕があり、朝があった。第一日。』
 ここで『第一日』と言われているのは、私たちの日常生活における1日のことです。つまり、これは「24時間としての1日」のことです。ですから、この『第一日』という言葉は文字通りに捉えて問題ありません。これを単なる象徴としての言葉として捉えるのは間違っています。何故なら、ここでは象徴ではなく実際の時間について示されているからです。また、進化論の体系に毒され、この『第一日』という言葉を非常に長い時間、すなわち数億年または数十億年の単位として捉えることは絶対にできません。そのように捉えるのは、進化論などという非聖書的な誤謬により、聖書の内容を歪めて汚すことに他なりません。聖徒である者たちは、絶対にそのような愚に陥るべきではありません。出エジプト記20:8~11の箇所を見ていただきたい。そこでは、創世記1章で語られている時間が一般的な感覚として捉えられるべき時間であることが示されています。すなわち、出エジプト記の箇所では、神が創造の第7日目に休まれたのだから神の民もそれに倣って7日目には休まなければならない、と命じられています。ですから、私たちが今見ている箇所で『第一日』と言われているのは明らかに「24時間」のことなのです。

 では、どうしてここでは先に『夕』が語られており、『朝』が次に語られているのでしょうか。どうして『朝』のほうが『夕』よりも先に語られていないのでしょうか。確かに私たちの感覚からすれば、朝のほうを夕よりも先に置いたほうが適切であると感じられるかもしれません。何故なら、1日は朝から始まるのであって、朝の次に夕が来るからです。しかし、創造について記された創世記1章では、明らかに夕のほうが先に語られるべきでした。何故なら、既に見た通り、最初にあったのは『夕』すなわち闇のほうだったからです。『朝』すなわち光は、夕よりも遅くに存在するようになったのです。ですから、ここでは先に存在していた夕を先に語っているというわけです。もし夕ではなく朝のほうが先に存在していたとすれば、この箇所では「こうして朝があり、夕があった。」と書かれていたことでしょう。

 この夕と昼には何か象徴的な意味があるのでしょうか。それはあります。まず「昼」ですが、これは光ですから、神の子らである聖徒たちを象徴しています。何故なら、聖徒とはイエス・キリストという真の光に照らされて輝いている光の子らだからです。次に「夕」は闇ですから、全ての未信者を象徴しています。何故なら、キリストという光に照らされなければ全ての人はサタンの暗闇の中にいるからです。聖徒が光でありそうでない人たちが闇であるというのは、パウロが次のように言った通りです。『しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。』(エペソ5章4~7節)ですから、私たちは昼と夜を見て、聖徒と未信者について体感的に理解することができます。すなわち、聖徒たちは昼に視界が明瞭なように霊的な事柄に明るく、未信者たちは夜に視界が不明瞭なように霊的な事柄に暗いのです。

 第1日目の創造は、ここで記述が終わります。この創造の第1日目の箇所では書かれていませんが、第1日目には時間と空間も創造されました。これはあまりにも明白です。というのも、もし時間が創造されていなかったとすれば、光が生じるなどということは考えられないからです。光が生じるというのは、明らかに時間という被造物を前提にしています。また空間でも同じことが言えます。もし空間が創造されていなかったとすれば、光が存在するということもありえないからです。要するに、時間と空間は、創造が開始されると同時に生じました。ですから、これら2つの被造物は、全ての物質存在における順序的な長子であるということになります。この第1日目の時には、恐らく御使いたちも創造されたはずです。第1日目に彼らが創造されたと考えるのが、もっとも自然であると感じられるからです。しかし、本当に1日目に御使いたちが創造されたとしても、1日目のどの時期に創造されたのかはまったく定かではありません。創造後10分後に造られたのかもしれませんし、1時間後だったのかもしれませんし、もっと遅くに造られたということもありえます。

【1:6~8】
『ついで神は「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」と仰せられた。こうして神は、大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。するとそのようになった。神は、その大空を天と名づけられた。』
 創造の2日目には、地球を覆っていた大いなる水が上と下とに移動されました。その時、水が上下に移ったので、真ん中の部分が空白になりました。そこの場所が大空すなわち天となりました。

 下にある水は、この時にはまだ水だけの状態でした。つまり、まだそこには地が現われていませんでした。もう一度、海王星を思い浮かべていただきたい。この時の地球における表面は、まだあの海王星の表面のようであったのです。

 この箇所から分かるように、大昔の時代には、上のほうの場所に大きな水が存在していました。その水は、美しい眺めだったに違いありません。何故なら、神は全てをよく造られたからです(創世記1:31)。恐らく、太陽光線を吸収してキラキラ輝いていたと推測されます。つまり、今の私たちの天上観と昔の人たちの天上観はかなり違っています。私たちは上のほうの場所に水があるなどとは間違っても考えません。しかし昔の人たちは、上のほうの場所に水がないなどとは間違っても考えませんでした。今の時代で上のほうに水があるなどと言ったら、間違いなく馬鹿にされるか驚かれるでしょう。昔の場合は、それとは逆で、上のほうに水がないと言ったら馬鹿にされるか驚かれるかしたのです。昔の人間の寿命が今より10倍もあったのは、この大水が理由でした。どういうことかと言えば、大気圏にある巨大な水が太陽の放つ有害な物質を遮断していたので、それが地表に降り注がれず、人間の遺伝子に悪影響が及ぼされずに済んでいたのです。しかし、上の水がなくなると、太陽から放たれる有害な物質がもはや遮断されなくなったので、人間の遺伝子に害がもたらされるようになりました。このため人間の寿命が少なくなったのです。大洪水が起き、上にあった大水が消えてから人間の寿命が徐々に減り始めたのですから、人間の寿命が縮まったのは、このように考えるしかありません。

 紀元前2300年頃に大洪水が起きましたが、その大洪水を引き起こす天の大水は創造の初めから備えられていました。つまり、約1700年の間、大水が天上の場所に見られたわけです。これは何を意味しているのでしょうか。これは、世界が造られてから、しかもまだ人間が堕落するよりも前から、既に大洪水による裁きが予定されていたということです。永遠の昔から人間が大洪水により裁かれると定められていたからこそ、創造の初めからその大洪水に必要となる大水が既に用意されたのです。もし大洪水が予定されていなければ、上の場所に大水が備えられていたかどうか定かではありません。何故なら、その場合、大洪水を起こすための大水が上空に備えられている必要はないからです。その場合、上に大水があるべき理由としては、有害な太陽光線から人間を守るということ以外にはなくなります。いや、それにしても神のなされることは実に素晴らしく、驚嘆せざるを得ません。神は、何もかもをあらかじめ織り込み済みなのです。

【1:8】
『こうして夕があり、朝があった。第二日。』
 これも、やはり24時間としての1日です。この1日分が幾千万年、幾億年、またはそれ以上の期間を示すと捉えるのは間違っています。そのように捉える人は、聖書解釈において呪いを受けています。呪いを受けているからこそ、そのような間違った捉え方をするのです。もし祝福されていたとすれば、この1日分を24時間として捉えていたでしょう。

 神は、地球を覆っていた大水が上下に移されることに1日分を使われました。ここで次のような疑問を持たれる方が、もしかしたらいるかもしれません。「神はどうしてそのようなことに1日も時間を費やされたのか。そんなことに1日もかける必要があったのか。」しかし、よく考えていただきたい。地球を満たしていた巨大な水が上と下に移動させられるというのは、あまりにも凄まじい事象です。そのような出来事に1日が費やされるのは何もおかしいことではありません。聖書の他の箇所でもそうですが、あまりよく考えないと、「どうしてそうなのか。」などと思うことになりがちです。しかし、よく考えるならば、聖書に書かれていることは実にもっともであると気付かされるのです。

【1:9~10】
『神は「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。」と仰せられた。するとそのようになった。神は、かわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、それをよしとされた。』
 ここからは第三日目の創造について記されています。

 3日目が始まった時は、まだ地上の表面には水しかありませんでした。つまり、いくら泳ぎ回っても這い上がれる場所など全くなかったのです。ですから、この時の地球に人間がいたとしたら、絶望するしかなかったと思われます。

 しかしながら、神が『天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。』と命じられると、水から地が現われ出ました。これは一体どういうことなのでしょうか。科学的な説明をしていただきたい、と思われる方がいるかもしれません。よろしい、幾らかでも科学的な説明をすることにします。つまり、こういうことなのです。神の命令により地球を覆っていた大水が地球の内部へと吸収され、そのため水位が下がったので、より上のほうにある地面から順々と現われ出るようになったのです。水位が下がったので地表が現われたというのは間違いありませんが、水位が下がった詳しい理由については分かりません。何故なら、21世紀の今になってさえ、まだ地球の内部については解明されていないからです。地球の内部について確実なことが分かるようになるまでは、この件について確言することは難しいと言わねばなりません。まだ今の段階では、これについて口を慎むか、あくまでも推測に過ぎないという前置きのもとに何かを語る、というのが思慮です。ひとまず、今の時点では「とにかく水位が下がった」とだけ理解していれば問題ないでしょう。というか、そのようにするしかないのではありますが。また、今私たちが知っている地球上の地図と、大昔における地球上の地図が同一のものであるかどうか定かではありません。何故なら、ノアの大洪水を境にして、表面に現われている地形の姿が変化したかもしれないからです。大水が地に降り注いで大洪水が起きたために地表の姿が変わった、というのは十分に考えられる話です。しかし、これについては何も確定的なことは言えません。というのも、大洪水よりも前の時代における地図上の地形について私たちには何も知る術がないからです。