【創世記10:6~11:30】(2021/03/28)


【10:6】
『ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。』
 次はハムの子孫における歴史です。どうしてハムが2番目に示されているのかは分かりません。『クシュ』とはエチオピアのことです。このエチオピア人をはじめ、アフリカにいる純粋な黒人は、どれもハムの子孫です。『ミツライム』はエジプトです。このミツライムは愚かなので、アララト付近から南のほうに、しかも暑い地方へと入植したのです。古代のエジプト人は、動物を崇拝したり魔術に凝ったりと、おかしな点を多く持っていました。私の推測するところ、これは彼らの始祖であるミツライムの愚かな遺伝子が強く作用しているのでしょう。『カナン』とは、今のパレスチナ地方における創建者です。このカナンの子孫であるカナン人たちは、非常な邪悪さに満ちていました。これはカナン人の始祖であるカナンがハムの邪悪さを強く受け継いでいたからに他なりません。このカナンの系譜は明らかに呪いを受けています。ノアが『のろわれよ。カナン。』(創世記9章25節)と言った通りです。なお、モリスはこのカナンが中国にある「河南」と関わりを持っていると考えています。確かに、中国の河南省は、古代中国文明の発祥地の一つとされています。しかし私の考えでは、これはハムの子カナンと関わりを持っている「河南」ではなくて、黄河との関わりにおける「河南」であると思えます。これは明らかに「河北」と位置的に反対という意味での「河南」だからです。モリスはアメリカ人であり漢字の意味に精通していませんから、この点については考えを誤ったと見るべきでしょう。

【10:7】
『クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。』
 クシュの子である『セバ』の入植した地は鉱物で知られていました。『ハビラ』は、創世記2:11の箇所でも書かれています。ラマの子である『シェバ』は、あのシェバの女王がいた地における創建者です(Ⅰ列王記10:1)。恐らく、シェバの女王は、シェバの地にいたのですから、ハム系だったのでしょう。「恐らく」と言ったのは、もしかしたらこの女王がセム系かヤペテ系であった可能性もないわけではないからです。というのも、その国にいる一般的な種族と異なる種族の人間が支配者として君臨するケースは何も珍しくないからです。日本の企業である日産も、ある時期まではカルロス・ゴーンというレバノン人が統括していました。もしシェバの女王がハム系であり、この女王がシェバかシェバ近辺の生まれだったとすれば、黒人であった可能性が高いでしょう。

【10:8~12】
『クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。』
 有名なニムロデはクシュの子であり、ハム系でした。このニムロデは、人類で最初の王でした。あらゆる王の源流が彼のうちにあります。彼は非常に巧みな猟師であったと、ここでは言われています。恐らく、彼の弓における腕前は完璧な領域に達していたのでしょう。しかし、その猟師としての能力は神の恵みによりましたから、『主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。』という諺が当時の世界では有名になりました。ニムロデの狩猟的な攻撃精神は、動物を狩ることだけでなく、人間の支配と国土の征服にも現われています。要するに、ニムロデは根本的に獰猛な人だったので、動物と人間に対して征服の手を差し向けたというわけです。すなわち、動物に対しては猟をすることにより、人間に対しては力と権力を持って服従させることにより。ロスチャイルドは自分をニムロデの子孫だと見做しましたが、その人物が正にこれです。

 このニムロデは、その旺盛な征服欲に突き動かされ、次々と各地を占領していきました。あのバベルはニムロデにより創建されました。ニネベもそうです。恐らく、今のイランとイラクの地域における大部分をニムロデは支配していたでしょう。当時の世界観はまだ非常に狭かったので、たとえイランとイラク辺りの地域を支配しただけでも、全世界を支配しているかのように思えたはずです。

 ニムロデが人類で最初の王だったというのは興味深いことです。確かに、聖書はニムロデ以前に王がいたとは僅かさえも示していません。アダムまたノアが人類の王だったと考える人もいるかもしれませんが、この2人が王だったとは聖書に書かれていません。つまり、人類は2000年間も王を持たずにいました。これは、つまりこういうことなのでしょう。『主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。』という諺が示しているように、当時の世界は非常に有神論的でした。そのため、人々は天におられる神こそが人類の支配者であると認識していました。当時の人々は神が人間を支配しているという認識を持っていたので、別に人間の支配者を求めはしなかったのです。ちょうど、サムエルの時代になるまではユダヤ人が人間の王を求めなかったように。ところが、ニムロデという野心の塊のような者が現われ、初めて王として人間を支配するようになったのです。このように王とは、まだ4000年の歴史しか持たず、割と歴史が浅い存在です。今の時代では、あらゆる権威を破壊しようと活動しているイルミナティやフリーメイソンなどといった陰謀家集団により、王という存在の力と光が弱められてしまっています。彼らは新世界秩序(NWO)を実現させるため、どうしても既存の権威を掻き消し、弱め、滅ぼしたいのです。陰謀家の一人であったレーニンも、全ての権威が破壊されることを求めていました。しかし、これからどうなるにせよ、人間世界から完全に王がいなくなることはないでしょう。何故なら、人間とはその性質上自然と自ら支配者を求めるものであり、また高い地位に立ちたがる野心家がこの世からいなくなることもないからです。

【10:13~14】
『ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、パテロス人、カスヒルム人―これからペリシテ人が出た―、カフトル人を生んだ。』
 ユダヤ人の宿敵であったペリシテ人はハム系であったことが、この箇所から分かります。ペリシテ人の邪悪さと野蛮さは、彼らがハム系だったことを考えれば、容易に納得できます。また、このペリシテ人とエジプト人の始祖が一緒だったというのには(つまりミツライム)、いささか驚かされます。

【10:15~19】
『カナンは長子シドン、ヘテ、エブス人、エモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。』
 カナンの子孫は邪悪な氏族ばかりです。神は、アブラハムに対し、ここで言われているヘテ人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与えると約束されました(創世記15:18~21)。これは、これらの氏族が邪悪であって、その住んでいた土地に居続けるのは相応しくなかったからです。これらの氏族がカナン系だったことを考えれば、これは特に驚くべきことではありません。同性愛が満ちていたため天からの火で焼き尽くされたソドムやゴモラなどの街々も、やはりカナン系でした。

【10:20】
『以上が、その氏族、その国語ごとに、その地方、その国により示したハムの子孫である。』
 ハムの系譜は以上でした。ノアの3人の息子の歴史記述のうち、このハムの記述がもっとも長い(ヤペテは4節分、ハムは15節分、セムは11節分)。これは、創世記の著者が生きていた時代において、ハム系に関する情報がもっとも残されていたから、もしくは知られていたからなのでしょう。

【10:21~22】
『セムにも子が生まれた。セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。』
 最後はセムの系譜です。どうしてセムが最後なのかは分かりません。この箇所から、セムがノアの長子だったことが分かります。何故なら、ここではセムについて『ヤペテの兄であった』と書かれており、先に見た9:24の箇所ではハムが『末の息子』だったと書かれていたからです。しかし、セムが長子だったといっても、他の2人の兄弟と年齢的に離れていたわけではありません。

 『アシュル』とは、アッシリヤの地域における創建者です。このアシュルの入植した地は、間もなくハムの孫であったニムロデに征服されてしまいました(創世記10:11)。有名な『アラム』はセム系でした。キリストはアラム語を話したと言われています。

【10:23】
『アラムの子孫はウツ、フル、ゲテル、マシュ。』
 『ウツ』とは、ヨブの住んでいた地における創建者です(ヨブ記1:1)。このことから、ヨブがセム系だった可能性は高いでしょう。確かにヨブの純水な敬神性は、セム族に見られる傾向と合致しています。ヨブがヤペテ族であればもっと哲学的・理性的だったでしょうし、ハム族であればあのように純粋な信仰を持つのはなかなか難しいでしょう。もちろん、だからといってヨブがヤペテまたはハムであったという可能性が0%だということにはなりませんが。

【10:24~25】
『アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。』
 アルパクシャデの孫の『エベル』とは「ヘブル」であり、この人はユダヤ人(ヘブル人)における直接的な先祖です。このエベルはユダヤ人と強い関わりがありますから、著者もエベルについてはやや詳しいことを書き記しています。なお、ヘブル人であるユダヤ人がどうしてユダヤ人と言われるようになったといえば、それは彼らのうちにメシアがそこから生まれる「ユダ族」がいたからです。

 エベルの子の一人には『ペレグ』という名が付けられましたが、それは『彼の時代に地が分けられたから』でした。この「ペレグ」とは、「分ける」という意味の語源「パラグ」の派生語です。『地が分けられた』というのは、バベルの塔における裁きが起きた際、地に住む人々がそれぞれ国語ごとに分割され散らされたことを言っています。ですから、これは地球の地面が物理的に地割れのような現象を起こしたという意味ではありません。このバベルの塔の事件については、もう間もなく見ることになります。

【10:26~30】
『ヨクタンは、アルモダテ、シェレフ、ハツァルマベテ、エラフ、ハドラム、ウザル、ディクラ、オバル、アビマエル、シェバ、オフィル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみな、ヨクタンの子孫であった。彼らの定住地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。』
 ヨクタンの子である『ハビラ』という名前は、ハムの孫にもありました(創世記10:7)。創世記2:11の箇所で言われていたハビラとは、もしかするとハム系ではなくセム系のそれであった可能性があります。また『シェバ』という名前も、ハムの孫にありました(創世記10:7)。Ⅰ列王記10:1の箇所で言われていたシェバの女王が住んでいるシェバも、ハム系でなくセム系であった可能性があります。『オフィル』の入植したオフィルという地は、ヨブ記28:16の箇所から推測するに、どうやら金の産出で有名だったと考えられます。

 ここで言われているように、ヨクタンの子孫は『高原地帯』に住んでいました。これは、もしかすると彼らの敬神性を示しているのかもしれません。というのも、聖書において山とは神のおられる場所を象徴しているからです。神の神殿があったエルサレムも山に取り囲まれた高原地帯にありましたし、モーセも山において神と会いましたし、キリストもよく山に登って祈られました。ヨクタンはセム系であって、しかもユダヤ人の始祖であるエベルの子なのですから、高原地帯という彼らの定住地が彼らの持つ敬神性を示していた可能性はかなり高いと見てよいでしょう。

【10:31】
『以上は、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに示したセムの子孫である。』
 セムの系譜は以上でした。

【10:32】
『以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。』
 ここまで書かれたのが、洪水後の初期時代における氏族の詳細です。私たちは、世俗の学者さえも認めざるを得ないこの記録に信頼すべきです。そうしなければ、正しい歴史認識が得られなくなります。その場合、ノアの堕落した子孫に過ぎない類人猿という存在を、全人類の共通の先祖として見做すというとんでもない思い違いをしてしまうことになります。この創世記10章に歴史の真実が示されているのです。どうして、その記述を受容しようとしないのでしょうか。もし、この記述が疑わしいと思うならば、実際に自分で歴史を研究し、創世記10章の記述が正しいか確かめたらよいのです。

【11:1】
『さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。』
 バベルの事件が起こるまで、人間には単一の文字と話し言葉しかありませんでした。ここで言われている『一つのことば』とは書き文字のことであり、『一つの話しことば』とは口で話す言葉のことです。この単一の言語が何だったかは分かりません。昔からよく言われるのは、これがヘブル語だったというものです。ヘルダーの有名な「言語起源論」という本の中でも、この見解に触れられています。これは、つまりヘブル語は神が聖書を書き記すために用いられたほどの言語だから最初からあったに違いない、という推測に基づく見解です。確かに、この考えにはもっともらしい感じがします。しかし、それは単なる思い、推測に過ぎないのであって、この見解はあまりにも論拠が弱すぎると言わねばなりません。何故なら、最初からあった言語を聖書に用いなければいけないという必要性は必ずしもありませんし、ヘブル語が聖書に用いられているからというのでヘブル語が最初からあった言語だということにはならないからです。このように論拠が弱いのですから、この見解はあくまでも諸説の一つとして取り扱わねばならないものです。バベルの事件まで言語が単一であったというのは、自然なことでした。単一の言語で人類社会全体が事足りているというのに、わざわざ労苦して新しい言語を開発するということほど暇で馬鹿げた狂気の行為が他にあるでしょうか。これは例えるならば、現代の日本人が、何故か日本語でない別の言語を新しく制作して日本人たちに話させようとするようなものです。これがどれだけ愚かで迷惑な行為であるか分からない人は恐らくいないでしょう。というのも、今の日本人は日本語だけで事足りていますから、わざわざ別の言語を新しく生じさせる必要など全くないからです。

【11:2】
『そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。』
 この頃、人々の多くはシヌアルの地に移住していました。このシヌアルはニムロデの支配していた領地です(創世記10:10)。この地域は当時における最先端の文明だったと推測されます。つまり、人々は都会に群がっていたのでしょう。ちょうど日本において、若い方々が華やかさの満ちた東京に移住したいと願い、実際に移住するようなものです。活気のある華やかな地域は、花に引き付けられる蜜蜂のように、人を集めるものです。

 このシヌアルへの移住は、少なくともこの当時においては、神の御心に適っていませんでした。何故なら、神は人類全体に『地に群がり、地にふえよ。』(創世記9章7節)と命じておられたからです。人々はシヌアルへと人口を集約させることで、地に広まろうとしないという神の願いとは全く逆のことをしていたのでした。この時には、地球にまだまだ人間の満ちていない地域が非常に多くあったはずなのに。

【11:3】
『彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。』
 人々が『石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた』のは、文明と技術の発達を示しています。これは、近代になってから人々が馬車の代わりに自動車を用い、ワープロの代わりにパソコンを用いるようになったのと同じです。このような発達そのものは何も悪いことではありません。

 神は、このように人類全体に普遍的な恵みを与えて文明が発達するようにして下さいますが、このような恵みを「一般恩恵」と言います。これは、極悪人を含めた全ての人間たちに一般的に注がれる恵みのことです。この一般恩恵のもっとも分かりやすいのは、太陽です。太陽の光は外にいれば例外なく誰にでも降り注がれるからです。「特殊恩恵」という恵みは、これとは違っています。こちらのほうは、聖徒たちにだけ注がれる霊的な恵みのことです。一般恩恵だけであれば、未信者の人も受けることができます。しかし、未信者の人が特殊恩恵も受けたいのであれば、どうしてもキリスト信仰を持たねばなりません。何故なら、キリスト信仰を持たない限り、神の聖徒になることはできないからです。

【11:4】
『そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」』
 繁栄と富は、人を高ぶらせてしまいます。箴言28:11の箇所で『富む者は自分を知恵のある者と思い込む。』と書かれている通りです。文明が発達しつつあった当時の人たちは、その発展に伴い高慢となりました。そのため集合して町を建て、天にまで達する塔を建てようとしました。これはバベルの塔のことですが、彼らは高く聳える塔を造ることで神に対抗しようとしたのです。『名をあげよう。』とは、つまり神に並び立つようにしよう、神をも凌駕しよう、という意味です。ある偽典によれば、当時の人たちは大気圏の場所が天井のようになっており、そこに神がおられると思っていたようです。ですから、そこに達する塔を建てて神に挑戦しようとしたと。これは本当にそうだった可能性があります。もちろん、神は実際には大気圏の場所に物理的な存在者としておられるというのではありませんでしたが。また、その偽典には、バベルの塔が築き上げられた無数の石に、バベルの町に住んでいた住民一人一人の名が刻まれたということも書かれています。この行為は『名をあげよう。』という彼らが発した言葉と合致していますが、実際はどうだったか分かりません。もしかしたら、そういうこともあったのかもしれない、としか言いようがありません。昔の書物には、このような真偽の定かでない話がよく書かれています。私たちは、そのような話に出会った際、誤謬に陥らないよう、よく吟味せねばならないでしょう。このバベルの塔は、今まで幾度となく絵画の題材に使われてきましたが、その絵画の内容にはよく気をつける必要があります。何故なら、それはあくまでも想像に基づく描写であって、実際はその通りでなかった可能性も十分にあるからです。

 このように皆で一緒にバベルの塔を建てようとした理由は一体なんだったのでしょうか。それは、『われわれが全地に散らされるといけないから』でした。この当時の人たちは、まだノアおよびセム、ハム、ヤペテの生きていた時代にいましたから、当然ながら神が人類に命じられた増殖と拡散の命令をよく知っていました。この時の人々はどんどん新しい地域へ良い意味で離散すべき状況 にありました。つまり、『地に群がり、地にふえよ。』(創世記9:7)という命令を積極的に実行すべきでした。ところが、当時の人たちはそれを嫌がりました。何故なら、まだ見知らぬ地域へと満ち広がることには不安と不満があったからです。人は、往々にして未知・未開発の領域へ進んで行くことを面倒くさがったり怖がったりするものです。ですから、当時の人たちの多くは、拡散するよりは集合するということを選んだのでした。散らされるべきだったのに、散らされるのを自分たちで阻止したのです。ここに当時の人々の罪深さが現われています。何故なら、彼らは神の命令を明白に知っていたのに、その命令とは反対のことをしていたからです。

 21世紀の今でも、これと似たような計画が実現に向けて進められています。私が言っているのは、父ブッシュやゴルバチョフやサルコジなど多くの著名人もその実現を求めたNWO(ニュー・ワールド・オーダー)のことです。このNWOとは、単一の国家と政府を樹立し、一部の独裁者たちが世界を全体主義的・社会主義的に支配するという野心の極みとでも言うべき計画です。国連は、まだ力も弱くその真の姿からは遠く離れていますが事実上の世界政府です。要するに、国連とは世界政府の前段階です。人類全体が協同して塔を建設するという神への反逆行為が行なわれたのは、ニムロデの領土であったバベルです。人類を一つの有機体として統括しようとするNWO計画における代表的な首謀者も、ニムロデの子孫を自認するロスチャイルドです。バベルの塔の建設と、現代におけるNWOに精神的な共通点があるのは否めません。このNWOにおいて過去の歴史が繰り返されているのでしょうか。その可能性はかなり高いと思われます。

【11:5~7】
『そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」』
 神は、この時に『人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られ』ました。『降りて来られた』とは、どのような意味でしょうか。これには2通りの意味が考えられます。一つ目は、これは神が御使いのペルソナにおいて実際に地上世界を視察されたということです。旧約聖書では、神がこのようにしておられる事例が幾つか書かれています。二つ目は、これは単に神による裁きの時が近づいたことを言っているに過ぎないというものです。この意味の場合、実際に神がこの世界を視察されたということにはなりません。創世記18章を見ると、神は実際にソドムの町を視察しに来られたことが分かります(18:20~22)。この視察は象徴として語られたのではなく、本当の視察でした。ですから、このことを考慮するならば、私たちが今見ている箇所で『降りて来られた』と書かれているのは、文字通りの意味であった可能性が高いと思われます。

 いかなる方法であったにせよ、とにかく主は、バベルの町で行なわれている塔建設における事業を確認されました。その事業は、裁かれ、封じられるべきものでした。ですから、主は裁きとして『そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないように』されました。このようにすれば、事業を続行することが出来なくなるからです。これは英知ある裁きでした。主は、そこにいる人々を滅ぼすこともおできになりました。しかし、そのようにして裁かれるのは御心ではありませんでした。何故なら、この時は人々が大いに増え広がるべき時期だったのであり、裁きにより人口が減るのはあまり望ましくなかったからです。もし人々が大いに増え広がった時代であれば、言語の混乱ではなく死滅の裁きが与えられていた可能性もあります。

 また、このような裁きが与えられたのは、『今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはな』かったからです。つまり、もう後戻り出来ない段階にまで反逆の歩みが進んでいたのです。ですから、「これはもう裁かねばならない。」ということで、裁きが下されたのです。これは、身体の表面に腐敗がある段階にまで広まったので、すぐにも足を切断しなければいけなくなるようなものでした。何事であれ悪にはもう改善の余地がなくなってしまう段階があります。その段階にまで至ると、もう後戻りは一切できなくなり、ただ裁きが来るのを待つしかなくなります。これは、あのユダがよい例です。ユダがキリストを売った時、ユダはもう改善不可能な段階に至っており、それ以降は裁きを受ける道しか残っていませんでした。

【11:8~9】
『こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。』
 主が人々の言葉を混乱させた次第はどのようだったのでしょうか。これは聖書に何も書かれていないので、よく分かりません。推論としては、このような考え方ができます。まず、主がアブラハムの前に現われた時のように御使いのペルソナにおいてバベル人の前に現われました。そして、バベル人に新しい言語の開発を勧め、古い言語は使わないように働きかけました。その提言を受け入れたバベル人たちはそれぞれ新しい言語を開発し使用しましたが、そのようにしているうちに元々使っていた言語を忘れてしまいました。言語の能力は、ずっと使っていないと衰えるものだからです。そうして後、言語が互いに通じないため人々の間に仲違いが生じ、一緒にいても仕方ないので自然と各地に離散することになったのです。しかし、主が超自然的に働きかけられたということも考えられます。これは、可能性としてはかなり高いと思われます。いずれにせよ、私たちは主が言語を大いに混乱させられたということを知っていれば、それだけで十分であり、解釈上の問題は何も生じません。この時から、この町の名は『バベル』と呼ばれるようになりました。これは「混乱」を意味する「バラル」というヘブル語に基づいています。

 人々が自主的に地に拡散しようとしなかったので、神は強制的に人々が散らばるようにされました。彼らが自分から各地に満ち広がっていれば何も問題はなかったでしょう。しかし、彼らはそのようにせず、むしろ拡散とは逆のことをしました。ですから、神の介入が必要となったのです。このように神とは、御心が行なわれなかった場合、強引に御心を実現させられる御方です。何故なら、神とは世界の主権者であられ、御心の実現は絶対だからです。ところで、現代におけるNWOを、バベルの塔建設の繰り返しの出来事として仮定してみましょう。この場合、NWO計画は一体どうなるのでしょうか。神がバベルの塔を邪魔されたように、NWO計画も邪魔されるのでしょうか。もしこれがバベル事業の再来だとすれば、その可能性はかなり高いでしょう。現在、NWOにおいては人々が自分たちだけの統一社会を創建しようとしており、それは神を中心とする企てでは決してありません。いや、それはよく言われるように、むしろルシファーによる企てです。ですから、これからNWOは挫折し、超国家機構が壊滅され、ますます国家が細分化され、国家主権も更に強固にされる可能性があります。つまり、今企まれているのと全く逆のことが起こるのです。バベルの塔の時にも、人々が企んでいるのとは全く逆のことが起きましたから、これは荒唐無稽な予測では決してありません。

 ここでバベルの塔に関する話は終わりますが、最後にジックラトについて述べておかねばなりません。世の中には、このバベルの塔が、実はバベルにあったジックラトのことだと言っている人がいます。私は言いますが、これをジックラトだと考えるのは誤っています。何故なら、これが紀元前7世紀頃のジックラトだとすれば、その時に言語の混乱が生じたり人々が散らされたりしたのでしょうか。私の知る限り、そのような歴史的事実はありません。また、よく頭を働かせて考えるべきです。もしこれがジックラトであったとすれば、創世記の著者ほど愚かな人は他にいなかったことになります。何故なら、その場合、著者は誰も信じるはずのないことを平気で書いたことになるからです。著者が創世記を記す数百年前にジックラトが造られた際、人々のうちに言語の混乱が生じた。そして、その時にはバベルにいた人たちが地の全面に散らされた。こんなことは考えるだけでも馬鹿げています。ですから、これがジックラトだったという見解は退けられねばなりません。

【11:10】
『これはセムの歴史である。』
 ここから11:26の箇所まではセムの歴史について示されています。ヤペテとハムの歴史は示されていません。何故なら、著者はこれからセムに連なるアブラハムのことを語ろうとしているからです。つまり、著者はアブラハムの話に移るため、セムから流れを繋げようとしているわけです。

【11:10~11】
『セムは100歳のとき、すなわち大洪水の2年後にアルパクシャデを生んだ。セムはアルパクシャデを生んで後、500年生き、息子、娘たちを生んだ。』
 セムは100歳になってアルパクシャデを生みました。それは『大洪水の2年後』でした。恐らく、このアルパクシャデはセムの長子だった可能性が高い。長子でなければ次男か三男ですが、四男だったことはありえません。なお、100歳の時に子を生むというのは、この時代においては別におかしいことではありませんでした。

 セムは全部で600年生きました。セムの時、すなわちノアの2代目からは、もう既に幾らか寿命の減退が始まっています。ノアは950年生きたのに、セムは350年も少なくなっています。このように洪水後から人間の寿命が減り始めた理由は何だったのでしょうか。その理由を、セムが100歳になる時までの間に見出すことはできません。何故なら、その時までのセムであれば、大洪水よりも前の時代の人間たちと状況・条件は全く変わらないからです。寿命減退の理由は、明らかにセムが100歳以降の時にあります。何故なら、セムが100歳頃の時から、人間を取り巻く環境的な要素が大いに変化したからです。セムの時から寿命が減ったのは、恐らくセムが若い時から太陽光線を激しく浴びるようになり(若いといっても100歳ですが)、そのため遺伝子に損傷が生じたからだと思われます。というのも、大洪水が起きてからは、太陽光線を遮る大水が上空から消え失せたからです。このためセムの時から寿命が減り始めたと考えるのは、あくまでも推論に過ぎませんが、しかしこれは一つの可能性として大いに検討されるべき見解です。それというのも、人がどれだけ生きるかということは科学的に言えば遺伝子の指示にかかっているからです。

【11:12~13】
『アルパクシャデは35年生きて、シェラフを生んだ。アルパクシャデはシェラフを生んで後、403年生き、息子、娘たちを生んだ。』
 アルパクシャデはシェラフを35歳の時に生み、全部で438歳生きました。シェラフがアルパクシャデの長子だったかどうか私たちには分かりません。また、シェラフの他にどれだけ子どもがいたかも分かりません。

 さて、これは重要なことですが、先に見た創世記5章の箇所で年数が10倍されていると考えた人は、私たちが今見ているこの箇所の場合はどう考えるのでしょうか。もしこの箇所でも10倍説を適用せねばならないとすれば、アルパクシャデは43.8歳(?)生き、3.5歳(?)の時にシェラフを生んだことになります。43歳の生涯だったというのは問題ありませんが、3歳の時に子どもを生むというのは大変素晴らしいことではないでしょうか。洪水前の時代の人でも、流石にここまで早く子どもを生むことはしませんでした。「いや、そうではない。確かに先に見た創世記5章の箇所では年数が10倍されていたが、この創世記11章の箇所では年数が10倍されていない。」とでも言われるのでしょうか。であれば、この箇所から分かる通り、アルパクシャデが『シェラフを生んで後、403年生き』、全部で438歳まで生きたことを認めねばならなくなります。10倍されていないというのは、こういうことだからです。彼が438歳まで生きたのを認めるとすれば、創世記5章で言われていた1000年近い寿命も認めざるを得なくなります。何故なら、438年生きたことを認めているのに、1000年近い寿命は認めないということはおかしいからです。438年も1000年近い年数も現代の基準からかけ離れてるのですから、一方の寿命を受け入れるというのであれば他方の寿命も受け入れるのが自然でしょう。このように創世記5章において10倍説を唱えた人は、この創世記11章の箇所になると窮地に追い込まれてしまうことになります。年数10倍説は、創世記5章では適用できても、創世記10章ではとても適用できません。もし適用したとすれば、今見た通りシェラフが3歳で子を生んだと結論しなければいけなくなるのです。ペレグとレウとセルグも3歳で子を生んだことになります(創世記11:18、20、22)。ナホルの場合、2歳で子を生んだことになります(創世記11:24)。創世記5章と10章をどちらも正しく理解するには、そこで言われている年数を文字通りに捉えなければいけません。ですから、年数10倍説は退けられねばならないことが分かります。

【11:14~15】
『シェラフは30年生きて、エベルを生んだ。シェラフはエベルを生んで後、403年生き、息子、娘たちを生んだ。』
 シェラフはエベルを30歳の時に生み、全部で433年生きました。

【11:16~17】
『エベルは34年生きて、ペレグを生んだ。エベルはペレグを生んで後、430年生き、息子、娘たちを生んだ。』
 エベルは34歳の時にペレグを生み、464歳まで生きました。このエベルはユダヤ人の直接的な祖先ですから、決して蔑ろにされるべきではありません。もっとも、残念なことに、私たちはこのエベルという人物について全く詳細を知らないのですが。

 このエベルは464歳の生涯であり、その父シェラフは433歳の生涯であり、その祖父アルパクシャデは438歳の生涯でした。この3人はどれも同水準の寿命です。しかし、これよりも1代前のセムは600歳の生涯でした。つまり、アルパクシャデの代から寿命がだいたい100~200歳ぐらい減退しています。これは明らかに遺伝子の損傷によります。もし遺伝子が原因でなければ他に何が原因だというのでしょうか。またアルパクシャデはその父セムよりも62年早く死んでいます。シェラフはその祖父セムよりも32年早く死んでいます。エベルはその曾祖父セムが死んでから僅か29年後に死んでいます。これは寿命が減退しつつある時期でなければありえない出来事です。当時の人たちは、これについて一体どのように思っていたのでしょうか。寿命が減っていることを大いに嘆いていたのでしょうか。それとも寿命を徐々に減らしておられる神に文句を言っていたのでしょうか。

【11:18~19】
『ペレグは30年生きて、レウを生んだ。ペレグはレウを生んで後、209年生き、息子、娘たちを生んだ。』
 ペレグはレウを30歳の時に生み、その生涯は239年でした。このペレグの系譜までは、既に創世記10章で示されていました。

【11:20~21】
『レウは32年生きて、セルグを生んだ。レウはセルグを生んで後、207年生き、息子、娘たちを生んだ。』
 レウは32歳の時にセルグを生み、全部で239歳生きました。ユダヤ人はこのレウのDNAも持っています。ですから、レウは私たちにとって、それなりに重要な人物です。ですが、私たちはレウのことを全く知っていません。

【11:22~23】
『セルグは30年生きて、ナホルを生んだ。セルグはナホルを生んで後、200年生き、息子、娘たちを生んだ。』
 セルグは30歳の時にナホルを生み、その生涯は230年でした。このセルグはテラの父ナホルを生みましたから、それなりに重要な人物です。何故なら、テラとはアブラハムを生んだ人だからです。

 このセルグは230歳生き、その父レウは239歳生き、その祖父ペレグも239歳生きました。これら3人の寿命はどれも同じ水準です。しかし、それ以前の3代(アルパクシャデ、シェラフ、エベル)は、400歳以上の寿命でした。ですから、ペレグの代から寿命が200歳ぐらい減退していることが分かります。つまり、ペレグの頃から遺伝子が更に損傷されたわけです。この損傷における理由は、遮断されなくなった太陽光線以外に考えられません。また、ペレグはその父エベルが死ぬよりも191年前に他界しています。レウはその父祖エベルよが死ぬりも161年前に他界しています。セルグもその曾祖父エベルが死ぬより138年前に他界しています。こんなことは今では到底考えられません。ペレグ、レウ、セルグの代における人々が、寿命の著しい減退に気付いていたことは間違いありません。何故なら、エベル以降の代の人たちがエベルの代の人たちよりも次々と早く死んでいったからです。これは大変恐ろしいことです。今こういうことが起きたとすれば、人々は間違いなく混乱し、あまりの不条理に叫び出す人も多く現われるでしょう。このような悲惨を見た当時の人たちはどのように思っていたのでしょうか。絶望したのでしょうか。それとも神に向かって怒りを発したのでしょうか。

【11:24~25】
『ナホルは29年生きて、テラを生んだ。ナホルはテラを生んで後、119年生き、息子、娘たちを生んだ。』
 ナホルはテラを29歳で生み、全部で148歳生きました。このテラはアブラハムを生みましたから、注目されるに値します。ナホルの頃になると、寿命の減退が限界まで達し、もうそれ以上は下がらなくなったように思われます。ナホルの148歳という寿命は、現在の水準にほとんど近づいているからです。このナホルは、父セルグよりも52年前に他界し、祖父レウよりも29年前に他界し、曾祖父ペレグが死んだのと同じ年か死後1年後に他界しています。これはあまりにも悲惨であると感じられます。曾祖父よりも長く生きられないとは…。恐らく、当時の人たちは、このまま行けば人間の寿命は一体どうなるのか、と不安になったのではないでしょうか。寿命は明らかにどんどん減っていたのですから、彼らがこのように思ったとしても、不思議ではありません。しかし幸いなことに、いつまでも寿命が減退し続けることにはなりませんでした。何事にも限度というものがあるものです。

【11:26】
『テラは70年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。』
 テラは、アブラムとナホルとハランが生まれ揃った時には70歳でした。さて、これはテラが70歳の時に三つ子としてアブラムとナホルとハランが生まれたということでしょうか。それとも、これは単にこの3人が全て生まれ揃った時にテラが70歳だったと言っているだけなのでしょうか。その場合、テラが70歳の時に生まれたのは、3人のうち誰だったのでしょうか。残念ですが、これらのことについて私たちには分かりません。ただ一つ言えるのは、テラは70歳の時に子を生んだということです。

 この頃のアブラハムは、まだ『アブラム』という名前でした。アブラハムとは神により新しく与えられた名だからです。聖書は、アブラハムと改名されるまでは、彼を『アブラム』と呼んでいます。この改名については、また後ほど見ることになります。

【11:27】
『これはテラの歴史である。』
 ここから11:32の箇所まではテラの歴史が示されています。どうして『これはテラの歴史である』と言って話が改められているのでしょうか。これは、テラが重要な人物だからです。あの偉大なアブラハムは、このテラがいなければ存在していませんでした。テラあってこそのアブラハムです。ですから、テラは偉大なアブラハムの父である以上、特別的に取り上げられるに相応しい人物だったのです。

【11:27~28】
『テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。』
 ハランの子『ロト』は、アブラハムの甥であり、ソドムから特別的に救出された人であり、モアブ人とアモン人の始祖ですから、重要な存在です。教会はこれまでこの人物について幾度となく論じてきましたが、これからも論じ続けるでしょう。有名であればしばしば語られるのが常だからです。

 ハランはカルデヤ人のウルで生まれました。彼はカルデヤ人でした。アブラハムとハランもそうだったでしょう。このハランは、生まれ故郷であるカルデヤのウルで、父テラが生きている間に他界しました。恐らく、ハランはカルデヤの地から出たことがなかったと推測されます。

【11:29~30】
『アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。サライは不妊の女で、子どもがなかった。』
 アブラハムの妻は『サライ』という名でしたが、後ほど神がサラという名に変えておられます。それまで聖書は彼女を『サライ』と呼んでいます。彼女の改名については、後ほど見ることになります。サラは不妊でしたが、それは神が彼女の胎を閉ざしておられるからでした。つまり、何らかの原因により受精が実現しないよう神が働きかけておられました。というのも、まだサラが妊娠するのは神の御心に適っていなかったからです。神には何事にも時があるのです。後ほど「時」が来ると、サラは妊娠して子を生むようになりました。

 ナホルは姪の『ミルカ』を妻としていました。姪(または甥)と結婚するのは、当時においては珍しくありませんでした。セムとハムとヤペテの子たちは姪(または甥)と結婚しましたが、時代がそのような流れのうちにありましたから、まだ当時においてそのような結婚にはあまり抵抗を感じなかったのです。ハランの子の『イスカ』については、まったく詳細が分かりません。