【創世記11:31~13:18】(2021/04/04)


【11:31】
『テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。』
 テラは、アブラハムとロトとサラを連れてカナンの地に行こうとしました。どうして彼らはカナンに行こうとしたのでしょうか。カナンに同胞である他のヘブル人たちがいて、彼らと合流しようとしたのでしょうか。エベルには子が沢山いたでしょうから、この可能性がないわけではありませんが、実際はどうだったのか分かりません。理由がどうだったにせよ、私たちはテラがカナンに行こうとしたと知っていればそれだけで十分です。なお、テラがカナンへ出かけた時、既にハランは他界していました。

 しかしながら、彼らはカナンに行かず、カランに行ってそこで住むことにしたようです。これは一体どうしてだったのでしょうか。理由は私たちによく分かりません。しかし、一つだけ確かなことが言えます。それは、まだこの時に彼らがカナンに入るのは神の御心でなかったということです。何故なら、この世界では、神の御心でない限り、何も起こり得ないからです。

【11:32】
『テラの一生は205年であった。テラはカランで死んだ。』
 テラは205歳で死にましたが、これは当時の水準からすれば普通の寿命でした。今で言えば90歳ぐらいで死ぬようなものです。

 これでテラの歴史が示し終えられました。これからは聖書の中で非常に重要な人物であるアブラハムについて話が展開されることになります。

【12:1~3】
『その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」』
 ここからはアブラハムの話となります。これ以降、創世記では、アブラハム、イサク、ヤコブという順番で話が展開されていきます。この創世記もそうですが、聖書の記述は非常に秩序だっています。ですから、聖書の内容は非常に区切りやすく、取り扱いやすく、語りやすい。これは段落など考慮せず無造作に書きまくるアシュケナージ系ユダヤ人のアドルノとは大違いです。

 神はアブラハムがカランと父から離れるように命じられましたが、これは何故だったのでしょうか。神がアブラハムにこう命じられたのは、アブラハムに強く働きかけることが出来るためでした。もしアブラハムがカランの地と父から離れなければ、彼に新しい歩みはなく、神の働きかけも受けられなかったでしょう。その場合、アブラハムは古い状態のままです。しかし、神はアブラハムが新しい歩みに置かれるのを望んでおられました。そのためには、カランと父テラがアブラハムにとって言わば足かせとなってしまいます。何故なら、馴染みのある古来からの土地や人物は、人をその現状に留め置かせておく作用があるからです。ですから、神はアブラハムがそれまでに馴染んできた事柄・要素から離れ去るようにされたのです。要するに、アブラハムは言うなれば神にリクルートされたわけです。例えが少し適切ではありませんが、神がアブラハムに新しい歩みをさせようとしたのは、ある社長が誰かに対して「ねえ、君。もっと素晴らしい人生にしてあげるから今の会社から離れてうちの会社に来てくれないかね。」などと言うのと似ています。もし神がアブラハムを特別に選んでおられなかったとすれば、このような霊的リクルートはなかったでしょう。その場合、アブラハムは別に新しい歩みをする必要がありませんから、何か他の理由でもない限り、いつまでもカランに住み父テラと一緒にいたかもしれません。

 神は、アブラハムが命令に従うならば、彼を大いなる者にすると約束されました。神がそのように約束されたのです。ですから、もしアブラハムが神に従うならば、そのようになるのです。それは、親が子どもに対し「もし1日も休まずに学校を卒業したら海外旅行に連れて行ってあげよう。」と約束するのと同じです。もし子どもが親に従い無欠席で卒業したならば、確かにその子どもは旅行へ行けるでしょう。アブラハムは神に従ったので、確かに偉大な者とされました。私たちキリスト者は、彼を「信仰の父」と呼んで評価しています。ユダヤ教徒とイスラム教徒においてもアブラハムは偉大な人物です。つまり、少なくとも36億の人がアブラハムを偉大であると考えています。ですから、神はここで真実を言われたということが分かります。

 『地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』と書かれているのは、パウロが言っているように福音です(ガラテヤ3:8)。これは、つまりアブラハムが持ったような正しい信仰において、全ての異邦人が祝福に満ちたキリストの救いに入れられる、という意味です。つまり、『信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受ける』(ガラテヤ3章9節)わけです。この預言は成就しています。しかし、旧約時代においては、異邦人たちはこの預言の内容からかけ離れた状態にありました。当時の異邦人は、神の祝福を受けることがなく、アブラハムのような信仰を持とうとさえしなかったからです。

 ところで、神がアブラハムにこう語られたのは誰にでも聞こえるような直接的な音声によったのでしょうか。それともアブラハムの脳内に彼だけが認知できるような音声が与えられたのでしょうか。または空間上に鳴り響く直接的な音声だったものの、アブラハム以外の人には聞こえないような音声だったのでしょうか。これらはどれも可能性としてはありますが、実際にどれが本当だったのかは分かりません。実際はどうだったにせよ、私たちは神がアブラハムに本当に直に語られたということを知っていれば、それだけで十分です。

【12:4~5】
『アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、75歳であった。アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。』
 アブラハムは、神の命令を実行しました。アブラハムが命令に従った時、どのような心情だったのでしょうか。聖書はただ淡々と事柄の流れを記しているだけですから、彼の心情についてはよく分かりません。ヘブル11:8の箇所によれば、アブラハムはどこに行くか知らないで出発しました。こう書かれています。『信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。』これが普通の人であれば、「出て行けと言っても一体どこに行けというのか。」などと呟いて、従うのに躊躇していたかもしれません。しかしアブラハムは問答無用に神に従いました。ここに彼の信仰があります。このように信仰とは、ああだこうだと言わず神に従い信頼することです。人はああだこうだと愚かにも迷ったので罪に陥りました。ソロモンがこう言っている通りです。『私が見いだした次の事だけに目を留めよ。神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を探し求めたのだ。』(伝道者の書7章29節)

 この時にはロトもアブラハムに付いて行きましたが、どうしてロトも一緒だったのでしょうか。アブラハムが一緒に来るよう勧めたのでしょうか。ロトが自分から一緒に行きたいと申し出たのでしょうか。これについては詳しく分かりません。ただロトがアブラハムと一緒に出かけたのは正解でした。何故なら、神は『あなたを祝福する者をわたしは祝福し』(創世記12:3)とアブラハムに言っておられたからです。これは、つまりアブラハムに味方したり良くするならば、神もその人に味方したり良くして下さるということです。私たちは、アブラハムのような神の僕がどこかにいれば、是非とも味方したり良くするべきでしょう。そうすれば、神も私たちに良くして下さるからです。かの松下幸之助はキリスト者ではありませんでしたが、キリストとその行ないをしばしば称賛し、キリストとその聖なる宗教が悪く思われるようには決してしませんでした。ですから、神も彼に良くして下さり、大いに経営の力をお与えになられました。この人は「経営の神様」と呼ばれて今でも尊ばれていますが、これは彼がキリストを称賛したことに一つの要因を見いだせます。これとは逆に、アブラハムのような聖なる人に敵対するならば、神による悲惨は避けられないと見てよいでしょう。ネロ然り、ローマ帝国然り、江戸幕府然り、です。というのも、神が『あなたをのろう者をわたしはのろう。』(創世記12:3)とアブラハムに言われたのは、アブラハム以外の聖なる人物についても同じことが言えるからです。

 この箇所から分かるのは、モーセ率いるユダヤ人たちがカナンに入るよりも前に、既にアブラハムがカナンに入っていたということです。つまり、ユダヤ人という種族は、カナン侵攻の時に初めてカナンに入ったわけではありませんでした。これは覚えておくべきことです。

【12:6~7】
『アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。』
 アブラムが旅をしている途中、神がアブラハムの前に現われ、その地をアブラハムの子孫に与えると約束されました。ここで言われている『子孫』とは、パウロが言っているようにイエス・キリストのことです(ガラテヤ3:16)。この約束は、創世記13:15、15:18、17:8でも繰り返されています。この預言の約束は、既にイエス・キリストにおいて成就されています。何故なら、キリストは預言を成就させるために来られたからです(マタイ5:17)。アブラハムは、自分に現われて下さった神のために祭壇を築きました。これは感謝と畏敬と崇拝から出た行ないです。この祭壇では、動物犠牲が捧げられました。何故なら、祭壇と動物犠牲は切っても切り離せない関係を持っているからです。動物犠牲はイエス・キリストを表示しています。神は、その捧げられた動物を、あたかもイエス・キリストという神の小羊が犠牲として捧げられたかのように見做しておられました。それゆえ、このことから、アブラハムはキリストの贖いを受けていたということが分かります。

 神がアブラハムに現われたのは、実際的な現われ方だったでしょう。つまり、ここで主が現われたと書かれているのは、単なる寓意ではないということです。実際、創世記18:1~2の箇所を見ると、本当に神がアブラハムの前に現われておられます。神は、ヨシュアの前にも実際的に現れておられます。ヨシュア記5:13~15の箇所で書かれている通りです。

【12:8~9】
『彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。それから、アブラムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。』
 アブラハムはそれからも旅を続けました。彼は神に導かれるままに旅をしていました。何故なら、彼は神の僕だったからです。なお、この箇所でも『祭壇』のことが書かれていますが、アブラハムが祭壇を築く度に動物犠牲を捧げていたことは明らかです。祭壇を築きながら動物を捧げないというのは、妊娠しているのに子どもがいつまでも生まれないのと一緒で、有り得ないことだからです。

【12:10】
『さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。』
 アブラハムのいたネゲブには飢饉があったので、彼は難を逃れるため、エジプトにしばらく移ることにしました。当時のエジプトは最先端の国でしたから、そこには多くの食糧があったのでしょう。そうでなければ、どうしてアブラハムはエジプトへ行ったのでしょうか。説明できません。また、この箇所では『この地のききんは激しかった』と書かれています。これは、その地に対する呪いが激しかったことを意味しています。何故なら、飢饉とは呪いにより発生するからです。

【12:11~13】
『彼はエジプトに近づき、そこにはいろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」』
 アブラハムは、美しい妻のためエジプト人に殺されないようにと、その妻が自分の妹として振る舞うことを求めました。アブラハムほどの信仰者でも―彼以上の信仰者がどこにいるでしょうか―、人や集団を恐れることがあるのです。ここでアブラハムは、妻に偽りを言わせようとしているように見えます。しかし、これは偽りを言わせようとしているかのようであるものの、実はそうではありませんでした。何故なら、後にアブラハムが言っている通り、サラはアブラハムの妻でありながら妹でもあったからです(創世記20:12)。アブラハムほどの人物が、軽々しく愚かな出鱈目を自分の妻に言わせようとするというのは、確かにあり得ないことでした。

 この箇所を読んで、「サラはもう70代にもなっていたのに未だに美貌が残っていたのか」などと疑問に感じる方がおられるかもしれません。アブラハムは70代の妻サラに対して確かに『見目麗しい』と言っています。今の時代を見ても分かる通り、70代にもなれば美はほとんど女から除去されてしまいます。ですから、ラ・ロシュフコー侯が言ったように「老年は女の地獄」です。子どもを生んでいれば生んでいるほど、美が失せる速度もそれだけ増します。この疑問の解決は難しくありません。当時はまだ絶対的な寿命が減退しつつある時期だったので、70代でもまだまだ美貌が保持されているケースは珍しくなかったはずなのです。1000歳近い寿命があった時期であれば、例えば700、800歳ぐらいにならなければ、美の衰えはやって来なかったと思われます。サラは全部で『127年』(創世記23章1節)生きましたから、70代ぐらいではまだそこまで美が失われていなかったのでしょう。しかもサラはこの時にはまだ子を生んでいませんでしたから、尚更そうだったと言えます。子を生まない女ほど若々しいのは私たちが日頃から見ている通りです。そのうえ、黒人系であるエジプト人からすれば、黒人系でないサラは非常に清らかに見えたはずです。何故なら、黒よりも黒くないほうに清らかさを感じるというのが私たち人間の自然な感覚だからです。アメリカの黒人女性たちも、やはり白人女性のほうが綺麗だと感じていますが、だからこそ肌を白くする化粧品を塗ったりするわけです。今述べた見解に納得できない人は、70代ぐらいなのにまだまだ美しさの残っている女性を思い浮べたらよいでしょう。女優などで稀にそのような人がいます。サラもそのような例外的女性だったと考えたらよいのです。

 ここでのアブラハムの言葉からすると、エジプト人は善良な民族でなかったように思われます。美人の妻がいるためにエジプト人は嫉妬して自分を殺すだろうとアブラハムは言っているからです。このエジプト人は、ユダヤ人を400年間も奴隷にして苦しめた民族です。これは彼らが善良でないことを示していると私には思えます。しかもエジプト人は、ペリシテ人と出自を同じくするハム系の民族です(創世記10:13~14)。であればエジプト人が忌まわしい民族だったとしても不思議ではありません。あの忌まわしいペリシテ人と同じDNAを持っている民族が、どうして純粋に善良でありえましょうか。

【12:14~15】
『アブラムがエジプトにはいって行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。』
 アブラハムが予測していた通り、エジプト人はサラの美貌に反応しました。昔から美人は着目される存在なのです。このため、サラはパロ(すなわちエジプトの王)の宮廷に妻となるため召し入れられました。つまり、高官たちがパロの妻に相応しいと思えるぐらいにサラは美しかったということです。

 このサラもそうですが、昔から美しい人は悲惨になることが少なくありません。美貌は注目されざるを得ないうえ、欲望と嫉妬の対象となるからです。ですからセネカが「美人と賢者は孤独に住むのがよい。」と言ったのはもっともです。もし美人が孤独に生きれば、サラのようになることはそれだけなくなるからです。人の前に出るからこそ、サラのように大変になるのです。何故なら、目に恒久的な蓋をすることはできず、ソロモンも言うように『目は見て飽きることもな』(伝道者の書1章8節)いからです。誰が美人に反射して届く光から私たちの目を遮れるでしょうか。

【12:16】
『パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。』
 パロは、サラのゆえに、自分の親戚となったアブラハムに多くの贈り物を与えました。親戚とは、自分の身体の部分も同然です。ですから、パロがアブラハムに良くしてやったのは何も不思議ではありません。人は、自分と自分に属する人を喜んで愛するものだからです。

 このようにパロがアブラハムを富ませたのは、神から出たことです。つまり、神がパロを通してアブラハムに多くの財産を与えられました。それゆえ、アブラハムが富んだのは、アブラハムの力や努力にはよりませんでした。この世であれば、このような境遇をラッキーだと言うでしょう。実に、神によらなければアブラハムのように富むことはできません。『人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません。』(ヨハネ3章27節)と書かれている通りです。ソロモンもこう言っています。『主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。』(箴言10章22節)世の中では、富んでいるのを自分の力能に帰している人が多くいます。彼らは思い違いをしています。その人に素晴らしい力能があっても、神がその人を富ませなければ、その人が富むことはありえなかったでしょうから。

【12:17】
『しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。』
 パロは知らず知らずのうちに他人の妻を召し入れていましたが、これは神の御心に適いませんでした。というのも、それは姦淫の罪だったからです。ですから、神は『パロと、その家をひどい災害で痛めつけ』ました。『家』とは、エジプトの王室またはエジプト全体を意味しています。このことからも分かる通り、神はパロのような姦淫者を嫌われ、その者に裁きをお与えになります。聖書でこう書かれている通りです。『神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれる』(ヘブル13章4節)。

【12:18~20】
『そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」パロはアブラムについて部下に命じた。彼らは彼を、彼の妻と、彼のすべての所有物とともに送り出した。』
 パロはアブラハムを呼んで抗議し、アブラハムがエジプトから出て行くようにと言いました。この時のアブラハムはパロから命を取られても仕方がない状況にありました。何故なら、アブラハムは悪意からでなかったにせよ一国の王を騙したうえ、王に恥をかかせたからです。しかし、アブラハムは殺されずに済みました。神がパロにアブラハムを殺さないよう働きかけられたからです。

 しかも、アブラハムはその所有物をそのまま持って出て行くことが出来ました。パロは、自分がアブラハムに与えた財産を返却させようとはしなかったのです。これは神の恵みによりました。神は、アブラハムが富むのを望んでおられました。ですから神はパロがアブラハムに財産の返却を迫らないよう働きかけられたのです。というのも、神はこの時のパロの心を十全に支配しておられたからです。神は、このパロであれ他の王であれ、全ての王の心を御心のままに動かされます。聖書にこう書いてある通りです。『王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。』(箴言21章1節)それゆえ、アブラハムの繁栄が神の御心でなかったとすれば、神はパロがアブラハムに財産の返却を迫るよう働きかけておられたでしょう。

【13:1~2】
『それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトもいっしょであった。アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。』
 アブラハムは、エジプトから出て後、全ての財産を持って移動しました。多くの持ち物を持って移動するのは決して楽でなかったに違いありません。動物の世話と食糧の費用も尋常でなかったに違いありません。しかし、聖書はそのような細々としたことは記していません。そのようなことをいちいち書いていれば、内容が冗長になってしまい簡潔ではなくなるからです。

【13:3~5】
『彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、以前天幕を張った所まで来た。そこは彼が最初に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。』
 アブラハムは以前行った場所に再びやって来て、そこにあった祭壇の前で祈りを捧げました。これこそ当時の教会でした。この祭壇のあった場所が、当時の礼拝堂だったのです。

 ここで言われているように、ロトも多くの財産を持っていました。ロトはこの財産をどうして得たのでしょうか。自分自身で得たのでしょうか、それともアブラハムから譲り受けたのでしょうか。詳しいことは私たちによく分かりません。

【13:6~7】
『その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。』
 数が多いと、問題もそれだけ起こりやすくなります。大企業や大きな団体であれば、問題も多く生じるでしょう。そのため問題を専門的に対処するための相談センターなどを設置する必要が出てくるわけです。一方、個人商店や小さな慈善団体であれば、問題はそこまで多く生じないはずです。問題といっても、幾人かのクレームがあったり、些細なミスがあったり、ちょっとした嫌がらせがあるぐらいで済むでしょう。アブラハムとロトの陣営は生物といい財産といい数が多すぎたので、やはり問題が生じました。その問題は2つであって、一つ目は財産が多すぎて一緒に生活できないこと、二つ目は両陣営の牧者たちにおける争いです。一つ目のほうは、恐らく家畜の食べる草が足りなくなったか、井戸から汲む飲み水が不足したのだろうと思われます。二つ目のほうは、たぶん一つ目の問題に起因していたのでしょう。もし彼らの持ち物が多くなければ、または一つの陣営しかなければ、この2つの問題は生じなかったはずです。なお、ここでは持ち物の多さが問題にされているのではないという点に注意すべきです。つまり、この箇所を読んで「持ち物が多いのは悪いことだ。」と結論すべきではありません。何故なら、持ち物の多さは、すなわち神の恵みが豊かであることを示しているからです。神の恵みを否定していいはずがどうしてあるでしょうか。この箇所では、単に持ち物の多さのため問題が生じたと言われているだけに過ぎません。

 アブラハムとロトのいたベテルの地には、その頃、『カナン人とペリジ人が住んでい』ました。カナン人はハム系です。ペリジ人は創世記15:19~21や34:30の箇所でカナン人と一緒にして語られているのを考えると、カナン人と同じハム系であった可能性があります。このような悪い民族が周りにいる手前、アブラハムとロトが争いをするのは良いことではありませんでした。アブラハムとロトが争いをすれば、それを見た悪い民族たちが喜び楽しんで嘲ったり、批判する恐れがあったからです。そのようになれば、周りの民族に対して面目が立たなくなります。アブラハムとロトのような神の子らにとって、そのように惨めな状態は是非とも避けるべきことでした。

【13:8~9】
『そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」』
 アブラハムは、自分とロトが一緒にいるから問題が起こると考えました。そのため、2人は別れるのが最善であると思いました。それゆえ、アブラハムはロトに自分と別れるよう提案しています。これは実に懸命な判断でした。

 アブラハムのこの振る舞いについて、ソロモンはこう言っています。『争いを避けることは人の誉れ。愚か者はみな争いを引き起こす。』(箴言20章3節)アブラハムは愚かな者ではありませんでした。もしそうでなければ、アブラハムは争いにますます火を注いでいたことでしょう。また聖書にはこう書かれてもいます。『平和を求めてこれを追い求めよ。』(Ⅰペテロ3章11節)アブラハムは平和を求める人でした。そうでなければ、別れることで問題解決を図ろうとはしていなかったでしょう。私たちも、アブラハムのような平和の人になるべきです。何故なら、それこそ神の子に相応しいことだからです。主がこう言っておられます。『平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。』(マタイ5章9節)

【13:10~11】
『ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。』
 ロトの目には、ヨルダンの低地が魅力的に見えました。そちらの方面は、『主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた』からです。この『主の園』とはアダムが堕落する前のエデンの園のことであり、『エジプトの地』は古代では豊かな実りのある地域でした。ロトは、自分が良いと思ったヨルダンの地方をアブラハムに譲ろうとはせず、それを自分のために選び取りました。先にアブラハムが好きなほうを選ぶがよいと言っていたのですから、ロトが良いと思ったほうをアブラハムに譲らなかったとしても、ロトに愛の精神がなかったということにはなりません。しかし、ヨルダンのほうを選び取ったことが、後にロトに悲惨をもたらすことになります。

 このようにして『彼らは互いに別れ』ましたが、これは神から出たことでした。すなわち、神はもうアブラハムとロトが一緒にいるのを望んでおられなかったのです。何故なら、神はアブラハムに独立的に強く働きかけたいと願っておられたからです。ロトと一緒にいる場合よりも、ロトと一緒にいないほうがアブラハムへ強く働きかけられるのは言うまでもありません。

【13:12~13】
『アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町町に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人であった。』
 アブラハムは、既に来たことのあるカナンの地に住みました。ユダヤ人がカナンに住んだのは、カナン侵攻における時が初めてではなかったのです。ロトは天幕生活をしており、ソドムの近くに住んでいました。ロトは地の肥えたエデンのごとき地域にいて良い気分だったかもしれません。しかし、その地域にいたことが、後で命取りとなりました。美しい薔薇には棘があるものです。

 ロトの近くに住んでいたハム系のソドム人たちは、邪悪な民族でした。彼らの邪悪さは今でも決して忘れられていません。特にキリスト教圏ではそうです。ドイツには「ソドム」という名のメタルバンドがいますし、マルキ・ド・サドも「ソドムの120日」という最高に有害な書物を書いています。よく知られている通り、ソドムとは同性愛者たちの町でした。この箇所ではソドム人が『主に対しては非常な罪人であった』とあります。『主に対しては』と書かれたのは、ソドム人たちが一般的には非常な罪人だと見做されていなかったからだと思われます。つまり、ここでは「ソドム人は一般的には大犯罪人だと思われていないが神から見たら大犯罪人どもなのだ。」ということを言いたいかのようです。私たちキリスト者にとっては、神の前における状態や概念こそが大切です。聖書はソドム人が非常に邪悪な罪人であったと教えています。ですから私たちは聖書が言ってる通り、彼らがとんでもなく忌まわしい者たちだったと考えねばなりません。

【13:14~17】
『ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」』
 神は、アブラハムのいたカナンの地を、彼と彼の子孫に与えると約束されました。この約束は、創世記15:18~21の箇所でも繰り返されています。この約束はカナン侵攻の時に果たされました。実際、アブラハムの子孫たちは、その時にカナンの地を占領したのです。それはアブラハムに約束が与えられてから約500年後のことでした。少し考えれば分かる通り、実際にカナンの地を獲得したのは前13世紀頃のアブラハムの子孫であって、アブラハム自身は実際にカナンを獲得していません。もし獲得していればアブラハムはカナンの支配者になっていたでしょう。それにもかかわらず、神はアブラハムに『その地を与える』と言っておられます。実際には与えられていないのに与えると言われたのは、どういうことでしょうか。アブラハムには約束において与えられた、というのがその答えです。約束であっても与えられたことには変わりありませんから、神は間違ったことを言われたわけではありませんでした。また、この約束がまだ実現していないと考えるのは誤っています。そのように考えるのは無知だからに他なりません。

 また、神はアブラハムの『子孫を地のちりのようにならせる』とも言われました。これも既に実現しています。現在においてアラブ人は4億人ぐらいいますが、彼らは全てアブラハムの子孫です。4億というのは『地のちりのよう』だということでなくて何でしょうか。この約束が与えられたのは、まだアブラハムに一人も子どもがいない時、しかも高齢になってからの時です。普通の人であれば、子がまだいないうえに高齢なのですから、馬鹿らしいと思ってこのような約束は信じなかったかもしれません。しかし、アブラハムはこの約束を信じました。ここにアブラハムの敬虔があります。

 神は、御自身が与えると言われた地を『縦と横に歩き回りなさい。』とアブラハムに言われました。これは、その地がアブラハムに与えられたことをアブラハムによく感じさせるためです。神とは実際性を重視される御方です。ですから、アブラハムにその地を体感させたわけです。神はただ言葉を告げるだけで終わらせる御方ではないのです。

【13:18】
『そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。』
 アブラハムは、また住まいを移しました。そして、そこにまた主のために祭壇を築きました。その祭壇で捧げられた犠牲の動物は、先にも述べたようにイエス・キリストという小羊を象徴しています。ですから、アブラハムは全地の王であられるイエス・キリストの民だったことが分かります。アブラハムがいた紀元前1800年頃の時代は、大洪水から500年後ぐらいの時代であり、まだノアの行なっていた動物犠牲の伝統がノアの子らを通して諸民族に残っていましたから(その伝統はヨーロッパではコンスタンティヌス大帝の現われる紀元4世紀まで続きます)、もちろんアブラハム以外の民族も動物を犠牲として神と呼ばれる存在に捧げていました。しかし、だからといって他の民族もキリストの民だったというわけではありません。何故なら、他の民族たちは、確かに動物犠牲を捧げていたものの、本当は神でない偽りの神々に対し、イエス・キリストを表示しているのではない動物を捧げていたからです。当時において、この世界を造られた真の神に対し、キリストという真の犠牲を表示させる動物犠牲を捧げていたのは、アブラハムや後に登場するメルキゼデクといったごく一部の人たちだけでした。ですから、当時において真にキリストの民だったと言える人たちは本当に少なかったわけです。誰がこのことを疑うのでしょうか。