【創世記24:17~25:26】(2021/05/30)


【24:17~21】
『しもべは彼女に会いに走って行き、そして言った。「どうか、あなたの水がめから、少し水を飲ませてください。」すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。だんなさま。」と言って、すばやく、その手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。彼に水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだのためにも、それが飲み終わるまで、水を汲んで差し上げましょう。」と言った。彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲むためにまた井戸のところまで走って行き、その全部のらくだのために水を汲んだ。この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。』
 この箇所から分かるように、全て僕の祈った通りになりました。つまり、この娘こそイサクの妻として定められていた人でした。そうでなければ僕の言った通りにはなっていなかったでしょう。このリベカはイサクの叔父の孫でしたから、イサクと近い血縁関係にありました。今の時代であれば、これほどまでに近い関係にある2人が結婚するのは考えられません。しかし、当時においてこのような結婚は特に珍しくありませんでした。時代が変われば考えや風習も大いに変わるものなのです。

 僕はこの娘が本当にイサクの妻として定められた女性なのかどうか、慎重に見極めようとしていました。というのも、これは絶対に失敗が許されないことだからです。これはイサクの一生が左右される重大事項です。こういった事柄については、どれだけ慎重になっても慎重になり過ぎるということはありません。

 ここでは僕が『走って』リベカに会いに行ったと書かれています。これは僕の忠実さ・熱心さをよく表しています。不忠実な人、怠惰な人が一体どうして一生懸命に走って何かを成し遂げようとするのでしょうか。またリベカは僕に『すばやく』水を飲ませようとしました。この『すばやく』という言葉は、リベカの献身性をよく示しています。見ず知らずの人にこうして素早く善を行なうのは、リベカが隣人愛に富んだ人だったからでなくて何でしょうか。更にリベカは僕のラクダのためにさえ『急いで』水を汲むべく『走って行き』ました。これもリベカの献身性を表しています。一体どれだけリベカは性格が良かったのでしょうか。私たちは先の箇所で、アブラハムもこのように急いで主に奉仕したことを見ました(創世記18:1~8)。アブラハムは『走って』また『急いで』事を為しました。これも、やはりアブラハムの忠実さを示していました。このように人の精神や本性はその振る舞いにおいて発露されるものです。

【24:22~23】
『らくだが水を飲み終わったとき、その人は、重さ1ベカの金の飾り輪と、彼女の腕のために、重さ10シェケルの二つの金の腕輪を取り、尋ねた。「あなたは、どなたの娘さんですか。どうか私に言ってください。あなたの父上の家には、私どもが泊めていただく場所があるのでしょうか。」』
 ラクダが水を飲み終わると、僕はこの娘こそイサクに定められた人だと確信したので、携えて来た『金の飾り輪』と『二つの金の腕輪』を贈り物として準備しました。ここではまだ「準備」をしただけであって、実際に渡してはいません。そして結婚へと話を進めるべく僕はリベカの家に行こうとしています。『あなたの父上の家には、私どもが泊めていただく場所があるのでしょうか。』などと言って。これはリベカの家にいる人たちと結婚の話をするためです。

【24:24~25】
『彼女が答えた。「私はナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です。」そして言った。「私たちのところには、わらも、飼料もたくさんあります。それにまたお泊まりになる場所もあります。」』
 リベカは自分のことを告げ、また自分の家には客人を受け入れる余地があると知らせました。これはリベカが僕を並みの人物ではないと見做したからに他なりません。この僕は10頭のラクダと金の装飾品を持っていたのです。このような人が普通の人でないことは誰の目にも明らかだったでしょう。もしリベカがこの僕を信用に値しないと見做していたとすれば、このように自分のことを告げてはいなかったはずです。乙女がよく分からない人にわざわざ自分についての詳細を伝え知らせるという危険をどうしてあえてしようとするでしょうか。それはあまりにも無謀過ぎます。ここでリベカが言っている名乗り方は、今の時代からすれば幾らか奇異に感じられるかもしれません。しかしこの時代にはこのようにして名乗るのが普通でした。先にも述べたように、時代が変われば色々と変わるものなのです。また、ここでリベカが『わらも、飼料もたくさんあります』と言っているのは、リベカの家が少なくとも貧しくはなかったことを示しています。『お泊まりになる場所もあります』と言っているのは、リベカの家に十分な広さがあったことを示しています。

【24:26~27】
『そこでその人は、ひざまずき、主を礼拝して、言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」』
 僕は旅が成功したことを確信したので、神への賛美を捧げました。彼が『ひざまず』いたのは、本当に主の働きかけに心打たれたことを意味しています。何故なら、人の心の状態は振る舞いとなって表出されるものだからです。この僕はこう言っています。『主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。』これは、今回の旅が最初からここに至るまで、全て神に恵まれていたということです。それは神がアブラハムとその息子イサクに対して慈しみをお与えになるためでした。

 私たちも主の慈しみ深い働きかけに心打たれたならば、このように神を賛美すべきでしょう。心における感謝や賛美は、敬虔な行ないとなって外面に表出されるのが望ましいからです。心における感謝や賛美を外面に表出しないのは、ずっと未開封のままにされ続けている誕生日プレゼントのようです。つまり、それは非常に残念であるということです。

【24:28~30】
『その娘は走って行って、自分の母の家の者に、これらのことを告げた。リベカにはひとりの兄があって、その名をラバンと言った。ラバンは外へ出て泉のところにいるその人のもとへ走って行った。彼は鼻の飾り輪と妹の腕にある腕輪を見、また、「あの人がこう私に言われました。」と言った妹リベカのことばを聞くとすぐ、その人のところに行った。すると見よ。その人は泉のほとり、らくだのそばに立っていた。』
 リベカは事の重要性を察したので、家族に伝え知らせようと家に戻りました。リベカが『走って』家に行ったのは、それが重要な事柄だったからです。ここで言われているラバンとはリベカの兄であり、後にイサクの子ヤコブを悩ませることになる人です。これについては、また後ほど見ることになります。ラバンはリベカに起きたことを知ると、すぐにも僕のところへ行きました。ラバンも事柄の重要性を察したので『走って』行きました。リベカの家から泉の場所まではかなり近かったのでしょう。ラバンはリベカから話を聞くと、すぐにも僕のところに到着しています。

【24:31~32】
『そこで彼は言った。「どうぞおいでください。主に祝福された方。どうして外に立っておられるのですか。私は家と、らくだのための場所を用意しております。」それでその人は家の中にはいった。らくだの荷は解かれ、らくだにはわらと飼料が与えられ、その人の足と、その従者たちの足を洗う水も与えられた。』
 こうして僕はリベカ一家から歓迎されることになりました。ラバンが僕を『主に祝福された方』と呼んでいるのは、僕がアブラハムの奉仕人だったからでしょう。当時、アブラハムの名声が周辺地域によく知れ渡っていたことは間違いないと思われます。そのような偉人の奉仕人として使われているからこそ主に祝福されているというわけです。

 この箇所では『その従者たち』と書かれていますから、僕は部下たちを引き連れて来たことが分かります。この部下たちがまた僕の特別性を際立たせていたことは間違いありません。何故なら、人は往々にして部下や取り巻きや弟子の数によって判断されるものだからです。私たちも多くの部下を引き連れて歩いている人を見れば「あの人はどれだけ偉い人なんだろうか。」などと思うことがあるはずです。

【24:33】
『それから、その人の前に食事が出されたが、その人は言った。「私の用向きを話すまでは食事をいただきません。」』
 リベカの家に入った僕には食事が出されましたが、僕は要件を話すまで食事をしようとはしませんでした。よく自制できる僕です。ここにこの僕の忠実性がよく表われています。言うまでもなく、この僕は出された食事を蔑ろにしたのではなく、単に自分の任務を何よりも優先させただけに過ぎませんでした。

【24:33~36】
『「お話しください。」と言われて、その人は言った。「私はアブラハムのしもべです。主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。私の主人の妻サラは、年をとってから、ひとりの男の子を主人に産み、主人はこの子に自分の全財産を譲っておられます。』
 僕は自分と主人およびその妻子の紹介から始めています。何かの要件を話す際には、最初に自己たちの紹介から始めるのが最も自然なことだからです。まず僕は自分が『アブラハムのしもべ』であると言っています。次に僕はアブラハムの裕福さを知らせています。アブラハムが裕福なのは主が祝福されたからであると。つまり、主がアブラハムに良くして下さらなければアブラハムは富んでいなかったということです。ここにおいて僕はアブラハムに対する神の恵みの栄光を際立たせています。そして最後に僕はサラとイサクのことを言っています。サラについては大変な高齢になってから出産したと。イサクについてはアブラハムが全ての財産を相続させていると。この僕の説明は実に簡潔であり、非常に分かりやすい。なお、ここで僕はハガルとイシュマエルについては何も言っていません。これはこの2人がアブラハムの家から追い出されたからです。

【24:37~41】
『私の主人は私に誓わせて、こう申しました。『私が住んでいるこの土地のカナン人の娘を私の息子の妻にめとってはならない。あなたは私の父の家、私の親族のところへ行って、私の息子のために妻を迎えなくてはならない。』そこで私は主人に申しました。『もしかすると、その女の人は私について来ないかもしれません。』すると主人は答えました。『私は主の前を歩んできた。その主が御使いをあなたといっしょに遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。あなたは、私の親族、私の父の家族から、私の息子のために妻を迎えなければならない。次のようなときは、あなたは私の誓いから解かれる。あなたが私の親族のところに行き、もしも彼らがあなたに娘を与えない場合、そのとき、あなたは私の誓いから解かれる。』』
 次に僕は、自分がどうしてここまで旅してきたのか説明しています。ここで言われているのは、私たちが既に見た創世記24:1~9の箇所で書かれていたことです。僕がここで話している内容は、先に見た箇所で書かれている内容と全体的には何も変わりません。ただ僕は相手に合わせて幾らかアブラハムとの会話内容を変えています。しかし、それは内容を全体的に変えるほどではありませんから、許容範囲内の変化であるとせねばなりません。

【24:42~48】
『きょう、私は泉のところに来て申しました。『私の主人アブラハムの神、主よ。私がここまで来た旅を、もしあなたが成功させてくださるのなら、ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。おとめが水を汲みに出て来たなら、私は、あなたの水がめから少し水を飲ませてください、と言います。その人が私に、「どうぞお飲みください。私はあなたのらくだにも水を汲んであげましょう。」と言ったなら、その人こそ、主が私の主人の息子のために定められた妻でありますように。』私が心の中で話し終わらないうちに、どうです、リベカさんが水がめを肩に載せて出て来て、泉のところに降りて行き、水を汲みました。それで私が『どうか水を飲ませてください。』と言うと、急いで水がめを降ろし、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。私が尋ねて、『あなたはどなたの娘さんですか。』と言いますと、『ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です。』と答えられました。そこで私は彼女の鼻に飾り輪をつけ、彼女の腕に腕輪をはめました。そうして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主を賛美しました。主は私の主人の兄弟の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです。』
 続いて僕は、泉の場所で起きた出来事について伝え知らせています。この出来事については既に見ました。ここでもやはり実際の発言内容から幾らか変えられていますが、これは便宜上の理由からされたことなので、許容範囲内であるとすべきです。私たちは何か過去のことを話す際、話が伝わりやすくなるようにと実際の発言内容を問題ない範囲で変えるものです。僕がここでしているのは、それと同じことです。

【24:49】
『それで今、あなたがたが私の主人に、恵みとまこととを施してくださるのなら、私にそう言ってください。そうでなければ、そうでないと私に言ってください。それによって、私は右か左に向かうことになるでしょう。」』
 僕はリベカの家族に対し、リベカを妻として与える気があるのかないのか聞いています。ここで次のように思う人がいるかもしれません。「結婚という重大な要件において、ここまで早急な回答を求めるのはいかがなものか。結婚とは重大なのだから、もっと熟慮する余裕をリベカの家族に与えるべきではなかったのか。」私は言いますが、この僕はリベカについて神の働きかけがあると確信していましたから、このように即答を求めるのは間違いではありませんでした。リベカの家族たちも敬虔な宗教精神を持っていましたから、神が関わっている要件となれば、僕がこのように求めて来たことについて早急過ぎると感じ困惑しなかったはずです。私がこのように言ったことは続く箇所で証明されています。ここで僕が『右か左に向かう』と言っているのは、相手の回答次第で全く異なった進路を取ることになるだろうという意味です。これはアブラハムが創世記13:9の箇所で言っていたのとよく似ています。

【24:50~51】
『するとラバンとベトエルは答えて言った。「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。主が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。」』
 リベカの兄と父は、リベカがイサクの妻になることを即座に認めました。というか認めないわけにはいきませんでした。何故なら、これは『主から出たこと』だったからです。それゆえ、リベカの家族は自ら積極的にリベカを妻として送り出そうとしています。そこには何の躊躇も見られません。それが神から出た以上、躊躇するということは出来なかったからです。

 神から出たことに誰が逆らえるでしょうか。もし逆らうのであれば、その人は絶対に裁きを受けるでしょう。例えば私たちの立てた計画を1匹の蛆が妨害して来たとすればどうでしょうか。恐らく多くの人がその蛆を踏み潰すのではないでしょうか。神が御自身の為されることに逆らおうとする人間を裁かれるのは、邪魔をしてくる蛆を私たちが踏み潰すのと同じです。何故なら、ヨブ記25:6でも言われているように私たち人間とは神の御前において蛆も同然だからです。そもそも神から出たことを曲げられると考えること自体が間違っています。何故なら、神とは全知全能の絶対者また主権者であられるのに対し、私たち人間は矮小で未熟な被造物に過ぎないからです。ですからイザヤ書14:27の箇所ではこう言われています。『万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。御手が伸ばされた。だれがそれを引き戻しえよう。』

【24:52~54】
『アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。そうして、このしもべは、銀や金の品物や衣装を取り出してリベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。それから、このしもべと、その従者たちとは飲み食いして、そこに泊まった。』
 僕は全てを神が成功させておられるので、心打たれて『ひれ伏して主を礼拝し』ました。これは僕の敬神性をよく表しています。なるほど、僕がこのようであれば、アブラハムがこの僕に全財産を委ねたのも納得できます。このような敬神性を持つ僕であれば財産をしっかり管理するだろうからです。私たちもこの僕のように敬神的でありたいものです。何故なら、それは明らかに神の御心だからです。

 僕は結婚が決まったリベカに『銀や金の品物や衣装を』与えました。これは要するに結婚祝いの贈り物です。現代でも結婚した人には贈り物を与えるものですが、これはそれと一緒です。また僕はリベカの兄や母にも贈り物を与えました。これはこの2人がリベカの家族だからです。私たちも結婚した人にはその家族にさえ良くすることがありますから、僕のこの行為には違和感を感じないはずです。この僕は父ベトエルには何か贈り物を与えたのでしょうか。この箇所では父に何かを贈ったとは書かれていませんから、どうだったのかよく分かりません。実際には贈り物が父にも与えられたのに書かれていないだけなのかもしれません。

 僕は話が一息ついたので従者たちと一緒に食事をし、そうしてからリベカの家に泊まりました。もしリベカの結婚が決まっていなければ、彼らが食事をしたり泊まったりしたかどうかは分かりません。その場合、恐らくすぐにも帰っていたのではないかと思われます。この時に出された食事がどのようであったかは分かりません。また僕の従者たちが何人いたのかも分かりません。

【24:54~55】
『朝になって、彼らが起きると、そのしもべは「私の主人のところへ帰してください。」と言った。すると彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど、私たちといっしょにとどめておき、それから後、行かせたいのですが。」と言った。』
 怒りであれ欲望であれ熱意であれ、時間が経てばその勢いも衰えるものです。リベカの家族たちにもそういったことが起こりました。前の日にはリベカを結婚させるべく行かせようとしていたのに、次の日になると前日ほどの思いはなくなっています。そのためリベカを結婚のために行かせるのを渋っています。『娘をしばらく、十日間ほど、私たちといっしょにとどめておき、それから後、行かせたいのですが。』と彼らが言ったのは、リベカを出来るならば行かせたくない、リベカとなるべく一緒にいたい、という心理が現われたのです。

【24:56~59】
『しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。私が主人のところへ行けるように私を帰らせてください。」と言った。彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」それで彼らはリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか。」と尋ねた。すると彼女は、「はい。まいります。」と答えた。そこで彼らは、妹リベカとそのうばを、アブラハムのしもべとその従者たちといっしょに送り出した。』
 僕はリベカの件で神が働きかけておられることを確信しており、またアブラハムから与えられた使命を完遂せねばならないという義務感を持っていたので、一刻も早くアブラハムのところへ帰りたいと思っていました。ですから、僕は早く帰らせてくれないか、とここで言ってます。これに対し、リベカの兄と母は「リベカが行くのを拒否すればこの人も黙らざるを得まい。」と考えました。それでリベカを呼んでリベカに行く気があるのかどうか聞こうとしました。つまり、兄と母は実のところリベカに行ってもらいたくなかったのです。ところが、当のリベカはイサクの妻になるため行きたいと言いました。リベカがこう言ったのですから、兄と母はもはやリベカを家に留めておくことが出来なくなりました。こうしてリベカはイサクの妻となるべく家から出て行くことになったのです。この時にはリベカの『うば』もリベカと一緒に行きました。これは乳母がいれば何かと役に立つからだったと思われます。

 ここで悪かったのは明らかにリベカの家族のほうでした。彼らはリベカの嫁入りが神から出たことだったと知っていたのですから、即座にリベカを送り出すべきだったのです。ところが彼らは神の御心よりも家族の情を優先させてしまいました。ここに彼らの罪があります。この点でアブラハムは違っていました。アブラハムは神の御心に従って躊躇せず父と故郷から離れ、また神を自分の一人息子よりも優先させたのです。もしリベカの兄と母がこのアブラハムのようであったとすれば、即座にリベカを送り出していたことでしょう。

【24:60】
『彼らはリベカを祝福して言った。「われらの妹よ。あなたは幾千万にもふえるように。そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」』
 リベカの家族はリベカを送り出す際、2つの祝福を述べました。まず一つ目はリベカの子孫が大いに増え広がることです。これは既に実現しています。リベカの子らであるユダヤ人は数多い民族となったからです。二つ目はリベカの子孫が敵に勝利することです。『子孫』とはイエス・キリストであり、『敵』とはサタンであり、『門』とは支配の力また支配領域です。つまり、これはキリストの贖いによりサタンが滅ぼされることですが、これも既に実現しています。リベカの兄と母が『あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。』と言った際、キリストを念頭に置いていたかどうかは分かりません。もしかしたら彼らは一般的なことを言っているつもりだったのかもしれません。しかし、神の働きかけにより彼らがこのようにキリストのことを言ったのは間違いありません。

【24:61】
『リベカとその侍女たちは立ち上がり、らくだに乗って、その人のあとについて行った。こうして、しもべはリベカを連れて出かけた。』
 こうして僕はリベカを結婚相手として連れて帰ることになりました。この旅の順調さには感嘆とさせられます。ここまでスムーズに旅が進んだのは、この旅が祝福されていたからに他なりません。もし祝福されていなければここまで上手に事が進むことはなかったはずです。何故なら、祝福とは人を成功に至らせる神の好意ある働きかけだからです。この旅の成功は、この旅が神の御心に適っていたことを意味しています。すなわち、神の御心はリベカがイサクの妻になることでした。ですから、神がこのように旅を祝福して下さったわけです。もしこれが神の御心でなければ旅は順調に進まなかったはずです。そしてリベカを連れ帰ることも出来なかったはずです。

【24:62~65】
『そのとき、イサクは、ベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていた。彼はネゲブの地に住んでいたのである。イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼がふと目を上げ、見ると、らくだが近づいて来た。リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、そして、しもべに尋ねた。「野を歩いてこちらのほうに、私たちを迎えに来るあの人はだれですか。」しもべは答えた。「あの方が私の主人です。」そこでリベカはベールを取って身をおおった。』
 ネゲブに住んでいたイサクが夕方に散歩しに行ったところ、僕と一緒にやって来るリベカを見ました。リベカもイサクを見ましたが、この時にはまだイサクが誰なのか知りませんでした。リベカがイサクについて僕に聞くと、僕はその人こそ私の主人だ、つまりリベカの結婚相手だ、と答えました。リベカはそれが自分の結婚相手だと知ると『ベールを取って身をおお』いましたが、これは彼女の慎みと恥じらいがその理由だったと思われます。昔から女は、結婚相手が現われるか、その人が結婚相手になるかもしれないと察すると、このように自分を隠したり逃げたりするものです。男からすれば、これがどういった心理なのかは判断しづらいところです。私の推測を言わせてもらえば、これは女の防衛反応であると思えます。つまり、突如として結婚相手が現われたので精神が驚いて距離を取ろうとする心理が働くのでしょう。何故なら、結婚とはその相手と大いに近づくこと、いや近づくどころか一体化することだからです。いきなりそのようにくっつくことを感じたとすれば、女の精神が「ちょっと待って!」という状態になったとしても不思議ではありません。このようにイサクには、神が一方的に妻をお与えになりました。これはアダムにエバが与えられたのと全く一緒の方式です。

【24:66~67】
『しもべは自分がしてきたことを残らずイサクに告げた。イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカをめとり、彼女は彼の妻となった。彼は彼女を愛した。イサクは、母のなきあと、慰めを得た。』
 僕がここまでの次第をイサクに知らせると、イサクはリベカを娶りました。これはイサクが敬虔な人であり、僕がリベカを連れて来たことに神の働きを認めたからです。もしこれが僕の勝手にしたことだと思ったとすれば、イサクがリベカを娶っていたかどうかは定かではありません。イサクはこのリベカを愛しました。男であれば誰でもこうありたいものです。何故なら、それは神の御心に適っているからです。神はパウロを通してこう言われました。『夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。』(コロサイ3章19節)この際の結婚は、イサクにとって慰めとなりました。つまり、リベカを娶ったことによる幸せと満足感が、母を失ったことによる悲しみと喪失感を和らげてくれたのです。イサクがこのように慰められたのは神の恵みです。

【25:1~4】
『アブラハムは、もうひとりの妻をめとった。その名はケトラといった。彼女は彼に、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハを産んだ。ヨクシャンはシェバとデダンを生んだ。デダンの子孫はアシュル人とレトシム人とレウミム人であった。ミデヤンの子は、エファ、エフェル、エノク、アビダ、エルダアであって、これらはみな、ケトラの子孫であった。』
 アブラハムはサラの死後、ケトラという妻を持ちました。カルヴァンはこれがサラの存命中に起きたと言っていますが、私にはそのように思えません。アブラハムほどの人が、サラという本来の妻がまだ生きている時に、どうして他の妻を持つということがあるでしょうか。しかし、ケトラはあくまでも『そばめ』(創世記25:6)としての妻であって、正式な妻ではありませんでした。何故なら、アブラハムの正式な妻はサラ一人だけだからです。この時のアブラハムは100歳を過ぎていましたが、それでも子を産むことができました。先にも述べたように男に子を産めなくなる期限はないからです。創世記の著者は、この箇所でケトラがアブラハムに産んだ子らの子を一部分だけ書いているに過ぎません。すなわち、ここではケトラの生んだ6人の子のうち、ヨクシャンとミデヤンの生んだ子しか書かれていません。これは著者がこの2人の子だけ書けばそれで良しと考えたか、この2人の子しか知らなかったからです。『ミデヤン』とは後にモーセが逃れ住むことになる地域の創建者です(出エジプト2:15)。『エノク』とは洪水前のあのエノクから付けられた名前なのかもしれません。

 世の中には再婚を罪悪視する人がいます。個人的に再婚しないというのであればそれは個人の自由ですが、再婚を悪だとするのは間違っています。アブラハムはサラが死んでから再婚しました。キリストも再婚を否定してはおられません。律法でも再婚は禁止されていません。

【25:5~6】
『アブラハムは自分の全財産をイサクに与えた。しかしアブラハムのそばめたちの子らには、アブラハムは贈り物を与え、彼の生存中に、彼らを東のほう、東方の国にやって、自分の子イサクから遠ざけた。』
 アブラハムはイサクにこそ全財産を相続させました。これはアブラハムと結ばれていた神の契約がイサクにこそ継承されねばならなかったからです。契約がイサクにこそ移されるべきだったのと同様、財産もイサクにこそ移されるべきでした。

 イサク以外の子にアブラハムは贈り物を与えてイサクから遠ざけるようにしました。これはケトラの子たちがイサクに妬みの炎を燃え上がらせないためです。もしケトラの子がイサクと一緒にいれば、妬みに駆られてイサクに対して何を仕出かすか分かったものではありません。子らの間にある嫉妬を消し去ることはほとんど不可能です。ですからアブラハムがケトラの子をイサクから遠ざけたのは正解でした。この時にアブラハムがどのような贈り物を与えたのかはよく分かりません。私としてはそれなりの贈り物だったと推測します。『東のほう、東方の国』とはメソポタミア地域です。これがインドや中国ではないことは明らかです。そこまで東のほうに行かせるというのは非常に考えにくいからです。

【25:7~8】
『以上は、アブラハムの一生の年で、175年であった。アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。』
 アブラハムは175年の生涯でした。これが『長寿』だと言われているのは、もちろん寿命が今の段階にまで引き下げられてからの尺度において、です。1000年近くもの寿命があった洪水前の尺度からすれば、これは長寿どころか「短寿」なのですから。アブラハムは今の段階にまで寿命が引き下がる一歩手前の人でした。アブラハムより寿命の減退が一歩進むと、今の段階の寿命水準となります。すなわち、どれだけ長生きしても120年程度しか生きられなくなります。今の時代では当然ながら175年も生きる人など存在しません。ですがアブラハムの時代にはまだそのような人が存在していました。このアブラハムは『息絶えて死に』ました。これはアブラハムが老衰により亡くなったということです。今の時代でもこのような死に方をする人が、少しだけではありますが存在します。これは「眠るようにして死んだ。」という表現が相応しい死に方ですが、最も恵まれた死に方の一つでしょう。実に神は死ぬ時にまでアブラハムに良くして下さったのです。こうして、アブラハムは平安のうちに亡くなるという神の約束が成就されました(創世記15:15)。

 ここでアブラハムが『自分の民に加えられた』と言われているのは、つまり既に死んで神の御許に行った神の民の一員として加えられたという意味です。これは要するに天国に行ったということです。もしアブラハムが神の子でなければ、このようには言われていなかったでしょう。先に見た創世記15:15の箇所でも、神はこのようなことを言っておられました。

【25:9~10】
『彼の子らイサクとイシュマエルは、彼をマクペラのほら穴に葬った。このほら穴は、マムレに面するヘテ人ツォハルの子エフロンの畑地の中にあった。この畑地はアブラハムがヘテ人たちから買ったもので、そこにアブラハムと妻サラとが葬られたのである。』
 アブラハムから生まれた子たちは、アブラハムを葬りました。この埋葬の時には、恐らくイサクとイシュマエル以外の子らも集まったのではないかと思われます。アブラハムはかつて自分がサラを葬ろうとして買った場所に葬られました。アブラハムはいつかは自分もそこに葬られるという想定で、その場所を買っていたに違いありません。その想定が遂に現実化したのです。私たちもいつか自分自身が入ることになる墓を決して安くはない値段を払って買うものです。そこに入るというのは今はまだ想定の段階に過ぎません。ですが、いつかその想定が現実化する時に至ります。時間はどれだけ懇願しても全くその歩みを止めてはくれないのですから。

 この箇所では、アブラハムがサラと同じ墓地に葬られたと書かれているだけです。それ以上のことは何も言われていません。この箇所以外もそうですが、聖書は墓のことについて、ほとんど何も教えていません。「この人は死んで墓に入れられた。」聖書が言っているのはこれだけなのです。これは、人が死んだら天国か地獄に行くからです。墓とは抜け殻になった死体を入れる場所に過ぎず、もうそこにその人の本体はありません。その人の本体は既に別の場所に存在しています。このゆえに、聖書は墓についてほとんど教えていないわけです。例えば、私たちがお菓子の箱に覆われているビニール個装を取った際、そのビニールを重要視するでしょうか。何か特別な理由でもない限り、すぐにも捨てて心に留めないはずです。聖書が墓について教えていないのは、これとよく似ています。それでは私たちは墓について一体どうしたらいいのでしょうか。まず私たちは墓を建てたり墓に故人を埋葬することを否定すべきではありません。アブラハムはサラを墓に葬りましたし、ヨセフもキリストを墓地に葬りましたし(マタイ27:57~61)、カルヴァンも自分がやがて墓に葬られることを全く問題視しませんでした。しかし、墓の前で拝んだり合掌したりするのはいけません。それは偶像崇拝だからです。墓に行く頻度は個人が自由に決めればよいでしょう。全く墓に行かないというのは人間味に欠けると感じられます。しかし、既にそこに故人がいないと分かっている墓にまで私たちキリスト者が行く理由は何なのでしょうか。その理由は3つあります。一つ目は墓に行くことでその人に関する記憶が忘却の闇へと消え去らないようにするためであり、二つ目は私たちもやがて地上を去る時が来るということについて心を留めるためであり(伝道者の書7:1~2)、三つ目は故人に対するこれまでの感謝の思いを墓へ行くという行ないにより反映また具現化させるためです。

【25:11】
『アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みついた。』
 『アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された』と書かれているのは、アブラハムが死んでからイサクが更に祝福されるようになったということです。何故なら、イサクはアブラハムが死ぬ前から既に祝福を受けていたからです。もし祝福されていなければイサクは呪われていたことになります。神に愛されたアブラハムの一人息子イサクが神に呪われていた。これは有り得ないことです。ですから、ここではアブラハムの死後、イサクに対する神の祝福が増し加えられたと言われていることになります。

【25:12】
『これはサラの女奴隷エジプト人ハガルがアブラハムに産んだアブラハムの子イシュマエルの歴史である。』
 ここから25:18までの箇所ではイシュマエルの歴史が記されています。

【25:13~16】
『すなわちイシュマエルの子の名は、その生まれた順の名によれば、イシュマエルの長子ネバヨテ、ケダル、アデベエル、ミブサム、ミシュマ、ドマ、マサ、ハダデ、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。これらがイシュマエルの子孫で、それらは彼らの村落と宿営につけられた名であって、12人の、それぞれの氏族の長である。』
 イシュマエルには12人の子が生まれました。これは前に神が預言しておられたことです(創世記17:20)。『ケダル』とは他の箇所でも多く出てくる名前です(雅歌1:5、イザヤ60:7、21:17、詩篇120:5)。『ドマ』とはイザヤ21:11の箇所で宣告されている地域の創建者です。『マサ』とはユダヤ人たちが主を試みたあの場所の名前とは何の関係もありません(出エジプト17:7)。この『マサ』とは「試み」という意味です。

【25:17】
『以上はイシュマエルの生涯で、137年であった。彼は息絶えて死に、その民に加えられた。』
 イシュマエルは137歳まで生きましたが、このイシュマエルの時点で寿命は既にほとんど今の水準にまで引き下がっていることが分かります。このイシュマエルは『その民に加えられ』ました。つまり、イシュマエルもイサクと同様、救われてはいたわけです。そうでなければ『その民に加えられた』とは書かれていなかったはずです。彼は『息絶えて死に』ましたが、これは既に創世記25:8の箇所で見たように、老衰により死んだことを意味しています。

【25:18】
『イシュマエルの子孫は、ハビラから、エジプトに近い、アシュルへの道にあるシュルにわたって、住みつき、それぞれ自分のすべての兄弟たちに敵対して住んだ。』
 イシュマエルの子らは仲が悪かったようで、それぞれ互いに敵対していました。こうして神がイシュマエルについて『彼はすべての兄弟に敵対して住もう。』(創世記16章12節)と言われた言葉が実現されたのです。これはイシュマエルの子孫について言われていたのでした。イシュマエルにとって子孫たちが仲違いしているのは悲劇だったかもしれません。しかし、そのようになるのが主の御心でした。

【25:19】
『これはアブラハムの子イサクの歴史である。』
 ここからはイサクの歴史について書かれることになります。アブラハムは既に死にましたから、もうアブラハムの歴史が書き記されることはありません。もっとも、アブラハムに関する「歴史」ではなく「言及」であれば、聖書はこれからも幾度となく書き記しています。

【25:19~20】
『アブラハムはイサクを生んだ。イサクが、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であるリベカを妻にめとったときは、40歳であった。』
 イサクは40歳の時にリベカと結婚しましたが、これは少し遅すぎるのではないかと感じる方がいるかもしれません。確かに古代では10代・20代で結婚するのが一般的でした。私たちはこう考えるべきです。神の御心はイサクが40歳の時に初めて結婚することであったと。この世界では人間がどう感じるかということよりも、神の御心の実現が優先されるのです。

【25:21】
『イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。』
 リベカは不妊でしたからイサクはリベカが子を産むようにと祈りました。すると神はその祈りを聞いて下さいました。この箇所を読む限りでは、イサクがリベカの不妊のために1回または少しだけ祈っただけであるかのように感じられますが、それまでに長らく祈り続けていたことは間違いありません。カルヴァンも私と同じ理解を持っていたようです。リベカが20年間も不妊であったのに、ずっと祈り続けていなかったというのは考えにくいと思われます。不妊は夫婦にとって実に悲しむべき残念なことなのですから、どうしてイサクが前々から祈っていなかったということがありましょうか。イサクがこのように神へと祈ることで不妊を解決しようとしたのは正しいことでした。何故なら、子を人に産ませるのは神だからです。神は不妊と妊娠の支配者であられます。サラの場合、このイサクのようではありませんでした。彼女は不妊を神への祈りによってではなく、自分自身の意志と力により解決しようとしました。ですから女奴隷をアブラハムに妻として与えてしまったのです(創世記16:1~4)。私たちは不妊に悩まされていたなら、このイサクのように祈りへと解決手段を見いだすべきです。そうすれば祈りが聞かれて子を産むようにもなるでしょう。もっとも、罪に対する罰としてずっと不妊が続いている場合は別です。その場合は罪を悔い改めない限り、どれだけ祈っても不妊が治ることはないでしょう。

【25:22~23】
『子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったとき、彼女は、「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は。」と言った。そして主のみこころを求めに行った。すると主は彼女に仰せられた。「2つの国があなたの胎内にあり、2つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」』
 リベカは双子を身籠りました。一人でさえ妊娠したら大変だというのに2人も妊娠したら一体どれだけ大変なのでしょうか。男には想像もつきません。このためリベカは『こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は。』と不安になり、『主のみこころを求めに行』きました。『主のみこころを求めに行った』とは、つまり一人だけで祈りに行ったということです。

 神は思い悩むリベカの祈りに答えられました。その答えは2つでした。一つ目は、神がリベカの胎内にいるエサウとヤコブから2つの国・2つの国民を生じさせるということです。実際、エサウとヤコブからは確かに2つの大きな民族が生じることになりました。二つ目は、兄エサウが弟ヤコブを主人にするようになるということです。兄が弟に服従するとは驚くべきことです。しかし、これはエサウその人がヤコブその人に服従するというのではなく、この2人の子孫についてのことです。すなわち、エサウの子孫はやがてヤコブの子孫に奉仕させられるということです。実際、ヤコブの子孫であるユダヤ人たちはダビデが王の頃、エサウ族たちを支配することになりました。ここにおいて『兄が弟に仕える』ことになったわけです。つまり、リベカに告げられたこれら2つのことは、未来に関する預言でした。リベカは、このように言われてもまだ実感を持てなかったかもしれません。何故なら、エサウとイサクから2つの国・民族が生じ、前者が後者に支配されるようになるのは、リベカが死んでからの話だからです。しかし、リベカはこのように言われて少なからず励まされたに違いありません。女は、たといあまり実感が持てなくても、それどころかあまり意味が分からなくても、そこに真実さや熱心さや誠実さがあれば往々にして心打たれるものだからです。

【25:24~26】
『出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。』
 先にも述べたように、リベカは双子を身籠りましたが、この双子は外観も性格も全く似ていませんでした。つまり二卵性双生児だったわけです。現代でも二卵性双生児は珍しいと私には思えます。私が知ったことのある二卵性双生児は一組だけであり、それは白い肌の子と黒い肌の子でしたが、しかもそれを知ったのはネットの中です。恐らく他の方々も、実際に見たことのある双子は一卵性双生児だけである方が多いのではないでしょうか。この双子のうち兄は『エサウ』と名づけられました。これは彼が深い赤毛の人だったからです。生まれた時から全身が毛深いというのは、笑いながら生まれて来たと伝えられているあのゾロアスターと同様、非常に不気味です。これはエサウが神に憎まれ呪われていたからだったのかもしれません。今までにこのエサウという名を付けられた人は見られません。エサウとは呪われた人の名前ですから、これは当然でしょう。子にエサウと名づけるのは、今の日本で言えば「悪魔」と名づけるのと一緒です。つまり、その親は精神状態が普通ではありません。弟のほうは『ヤコブ』と名づけられました。これは「後の者」というほどの意味です。ヤコブは肌の『なめらか』(創世記27章11節)な人でした。エサウと対極的だったわけです。この「ヤコブ」という名前を付けられている人は、今でも山ほどいます。これは英語では「ジェームズ」です。長子は多くの点で得をするのが普通です。しかし、イサクの子の場合は違いました。イサクの子であれば、長子エサウよりも次男ヤコブであったほうが幸いでした。これは後の箇所で私たちが見ることになる通りです。

【25:26】
『イサクは彼らを生んだとき、60歳であった。』
 イサクが結婚したのは40歳の時でしたから(創世記25:20)、先にも述べたようにイサクとリベカには20年も子がいなかったことになります。これは2人にとって実に嘆かわしかったはずです。夫婦が一緒になってもその実りである子が生まれないというのは悲劇そのものです。しかし、神の御心はこの2人に20年子がないままでいることでした。