【創世記43:19~46:30】(2021/08/01)


【43:19~25】
『それで、彼らはヨセフの家の管理者に近づいて、家の入口のところで彼に話しかけて、言った。「失礼ですが、あなたさま。この前のときには、私たちは食糧を買うために下って来ただけです。ところが、宿泊所に着いて、袋をあけました。すると、私たちの銀がそのままそれぞれの袋の口にありました。それで、私たちはそれを返しに持って来ました。また、食糧を買うためには、ほかに銀を私たちは持って来ました。袋の中にだれが私たちの銀を入れたのか、私たちにはわかりません。」彼は答えた。「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのに違いありません。あなたがたの銀は私が受け取りました。」それから彼はシメオンを彼らのところに連れて来た。その人は人々をヨセフの家に連れて行き、水を与えた。彼らは足を洗い、ろばに飼料を与えた。彼らはヨセフが昼に帰って来るまでに、贈り物を用意しておいた。それは自分たちがそこで食事をすることになっているのを聞いたからである。』
 兄弟たちは銀のことで罠にかけられていると感じていたので、家の管理者に事情を話し、先手を打っておこうとしました。それは、このまま罠に陥るようなことがないためです。兄弟たちが先に家の管理者に弁明しておいたのは、ヨセフに話しても無駄だと思ったからです。確かに、もしこの支配者が本当に悪い意図から銀を入れていたとすれば、ヨセフに何かを話しても無駄だったでしょう。狡猾な詐欺師にはどんなことを言っても真っ当に取り扱ってもらえませんから。こうして兄弟たちはヨセフの家に入れられました。この時に足を洗う水が出されたのは古代社会のしきたりです。古代人はこのようにして客をもてなしていました。アブラハムやロトやラバンもそうしています(創世記18:4、19:2、24:32)。これは今で言えば家に来た客に飲み物を出すのと同じです。

【43:26~28】
『ヨセフが家に帰って来たとき、彼らは持って来た贈り物を家に持ち込み、地に伏して彼を拝んだ。ヨセフは彼らの安否を問うて言った。「あなたがたが先に話していた、あなたがたの年老いた父親は元気か。まだ生きているのか。」彼らは答えた。「あなたがたのしもべ、私たちの父は元気で、まだ生きております。」そして、彼らはひざまずいて伏し拝んだ。』
 ヨセフが家に帰って来たので、兄弟たちはヨセフを拝みます。これは明白な偶像崇拝でした。しかし、このようになることが預言されていたのです。ペテロの場合、自分を拝んだコルネリオをたしなめました(使徒の働き10:25~26)。御使いも、自分を拝んだヨハネに崇拝は止めよと言いました(黙示録19:10、22:8~9)。ヨセフも本来であれば兄弟たちに「崇拝は止めよ。」と言うべきだったでしょう。しかし、ヨセフは異教徒であるエジプト人の支配者として振る舞っていたので、あえてそのようなことは言いませんでした。エジプト人は猫であれワニであれ何でも拝む人たちでしたから。

 ヨセフがここで父ヤコブについて尋ねているのは、父のことが心配になっていたからです。何せこの時のヤコブはもう亡くなっていてもおかしくない年頃でした。しかし兄弟たちは、まさかヨセフが心配してヤコブのことを尋ねたなどとは思いもしませんでした。

【43:29~30】
『ヨセフは目を上げ、同じ母の子である弟のベニヤミンを見て言った。「これがあなたがたが私に話した末の弟か。」そして言った。「わが子よ。神があなたを恵まれるように。」ヨセフは弟なつかしさに胸が熱くなり、泣きたくなって、急いで奥の部屋にはいって行って、そこで泣いた。』
 ヨセフは血の繋がった弟ベニヤミンを見て心が熱くなりましたが、泣いている姿を見られたら威厳が損なわれると思い、奥の部屋に行ってそこで泣きました。何せ20年以上も全く会っていなかったのです。もしヨセフがエジプトに売られていなければ、他の兄弟たちと同様、ベニヤミンとずっと一緒にいられたはずなのです。ですからヨセフが泣いてしまったのは極自然なことでした。

【43:31~32】
『やがて、彼は顔を洗って出て来た。そして自分を制して、「食事を出せ。」と言いつけた。それでヨセフにはヨセフにだけ、彼らには彼らにだけ、ヨセフと食事を共にするエジプト人にはその者にだけ、それぞれ別に食事を出した。エジプト人はヘブル人とはいっしょに食事ができなかったからである。それはエジプト人の忌みきらうところであった。』
 戻って来たヨセフは食事の命令をし、ヨセフの分と、兄弟たちの分と、ヨセフの家にいたエジプト人の分の3種類が食事として持ち運ばれてきます。古代エジプト人は偏狭であり豊かな精神を持っていませんでしたから、こういったカースト的な区別をしていたように思われます。ヨセフだけの食事はヨセフが支配者だからであり、エジプト人と兄弟たちの食事が違っていたのはエジプト人はヘブル人を大いに差別していたからです。ここではヘブル人がエジプト人から差別されていたと示されていますが、先にも述べた通り、これはヘブル人だけに限られず、エジプト人は全ての外国人を差別していました。この時に出された食事がどのような内容であったかは分かりません。しかし、食事の内容など分からなくてもどうでもいいことです。私たちは今現在、グルメの歴史を研究しているわけではないのですから。

【43:33~34】
『彼らはヨセフの指図によって、年長者は年長の座に、年下の者は年下の座にすわらされたので、この人たちは互いに驚き合った。また、ヨセフの食卓から、彼らに分け前が分けられたが、ベニヤミンの分け前はほかのだれの分け前よりも五倍も多かった。彼らはヨセフとともに酒を飲み、酔いごこちになった。』
 ヨセフは席順を兄弟たちの生まれた順に指定したので、兄弟たちは非常に驚かされました。エジプトの支配者が何故か自分たちの兄弟における順番を知っているからです。兄弟たちがそのことをヨセフに話していたら驚くこともなかったでしょう。しかし、彼らはそのことを話していませんでした。またシメオンが一人だけ捕えられている間に話した場合でも驚かなかったはずです。何故なら、その場合にはシメオンが「実は私が一人の時に私たちのことをあの支配者に話したのだ。」などと言って、それを聞いた兄弟たちが「何だ。だから俺たちの順番を知っているのか。」などと納得するだろうからです。しかし、ここではシメオンも驚いたと書かれていますから、シメオンは一人だけの時に自分たちのことを話していませんでした。

 この時にヨセフがベニヤミンだけに他の兄弟よりも5倍の分け前を分けたのは、ベニヤミンがヨセフにとって真の兄弟だったからです。他の兄弟はヨセフと父については一緒ですが、母は違っています。この『5倍』の分け前における「5」という数字には何も象徴的意味が含まれていないはずです。これは単にベニヤミンだけ他の兄弟より遥かに分け前が多かったというだけのことです。

 この食事会の時、彼らが酒を飲んだのは問題ありませんでしたが、酔ったのは罪でした。聖なる伝承すなわち人間における真実の歴史はユダヤのうちに継承されていたのですから、彼らは小さい時からノアの醜態すなわち洪水後に起きた酒乱について聞かされていたはずです(創世記9:21)。それにもかかわらず彼らは酒を酔うほどに飲みました。このように彼らが酔ったことは非難されねばなりません。

【44:1~6】
『さて、ヨセフは家の管理者に命じて言った。「あの人々の袋を彼らに運べるだけの食糧で満たし、おのおのの銀を彼らの袋の口に入れておけ。また、私の杯、あの銀の杯を一番年下の者の袋の口に、穀物の代金といっしょに入れておけ。」彼はヨセフの言いつけどおりにした。明け方、人々はろばといっしょに送り出された。彼らが町を出てまだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは家の管理者に言った。「さあ、あの人々のあとを追え。追いついたら彼らに、『なぜ、あなたがたは悪をもって善に報いるのか。これは、私の主人が、これで飲み、また、これでいつもまじないをしておられるのではないか。あなたがたのしたことは悪らつだ。』と言うのだ。」彼は彼らに追いついて、このことばを彼らに告げた。』
 ヨセフは家の管理者に命じて、全ての兄弟たちの袋を穀物と銀で一杯にし、ベニヤミンの袋だけはヨセフがいつも使っている杯を入れるようにさせました。これは兄弟たちを嵌めるためでした。特にベニヤミンに大きな咎を負わせて捕えるためでした。このようなことをヨセフがしたのには驚かされます。これはほとんどヨセフだとは思えないほどの行為です。しかし、このようにして兄弟たちがヨセフから支配されることが神の預言では示されていました(創世記37:8)。

 この箇所を見ると、どうやらヨセフは銀の杯で『まじない』をしていたようです。創世記44:15の箇所からも、ヨセフがまじないをしていた可能性は高いと思われます。このまじないは聖書において罪です(レビ記19:26)。恐らくヨセフはエジプト人の風習に染まっていたのでしょう。10代後半から20代という多感で柔らかく物事を吸収しやすい時期にエジプトで住んでいたのですから、ヨセフがエジプト人のまじないに毒されていたのは自然なことだったのかもしれません。しかしヨセフがまじないをしていたことについて弁解の余地はありません。何故なら、まじないとは悪霊どもの業だからです。一体、ヨセフのような聖徒が神に信頼せず、悪霊の業であるまじないに信頼していいはずがどうしてあるでしょうか。

【44:7~13】
『すると、彼らは言った。「あなたさまは、なぜそのようなことをおっしゃるのですか。しもべどもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。私たちが、袋の中から見つけた銀でさえ、カナンの地からあなたのもとへ返しに来たではありませんか。どうしてあなたのご主人の家から銀や金を盗んだりいたしましょう。しもべどものうちのだれからでも、それが見つかった者は殺してください。そして私たちもまた、ご主人の奴隷となりましょう。」彼は言った。「今度も、あなたがたの言うことはもっともだが、それが見つかった者は、私の奴隷となり、他の者は無罪としよう。」そこで、彼らは急いで自分の袋を地に降ろし、おのおの袋の口を開いた。彼は年長の者から調べ始めて年下の者で終わった。ところがその杯はベニヤミンの袋から見つかった。そこで彼らは着物を引き裂き、おのおのろばに荷を負わせて町に引き返した。』
 兄弟たちは悪を行なっていないという確信に基づき、この管理者に言い返しています。このように彼らが堂々と言い返せたのは、本当に悪をしていなかったからです。ですから、彼らは杯が見つかった者は死刑にされて構わず、それ以外の者たちはパロの奴隷になってもよい、と言いました。もし彼らが悪を行なっていたとすれば、こんなことは言えなかったでしょう。

 ところがベニヤミンの袋の中にヨセフの杯が入っていたので、兄弟たちは驚いて怒りました。兄弟たちが『着物を引き裂』いたのは怒りの感情を表明するためです。古代人はこのようにして自分の怒りを示していました。かつてヨセフは兄弟たちから酷いことをされました。ですから今度はヨセフが兄弟たちに酷いことをする番になったのです。神はこのようにしてバランスを取られます。

【44:14~17】
『ユダと兄弟たちがヨセフの家にはいって行ったとき、ヨセフはまだそこにいた。彼らはヨセフの前で顔を地に伏せた。ヨセフは彼らに言った。「あなたがたのしたこのしわざは、何だ。私のような者はまじないをするということを知らなかったのか。」ユダが答えた。「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。今このとおり、私たちも、そして杯を持っているのを見つかった者も、あなたさまの奴隷となりましょう。」しかし、ヨセフは言った。「そんなことはとんでもないことだ。杯を持っているのを見つかった者だけが、私の奴隷となればよい。ほかのあなたがたは安心して父のもとへ帰るがよい。」』
 兄弟たちはヨセフの家に戻ると、またヨセフの前でひれ伏しました。これでひれ伏すのは3回目です(創世記42:6、43:26、44:14)。これはヨセフの見た夢が本当に実現されたことを大いに証明しています(創世記37:7)。何故なら、あらゆる事柄は2回または3回の繰り返しにより確証されるからです(Ⅱコリント13:1)。この時、兄弟たちは自分たちの咎を潔く認めました。ベニヤミンの袋にヨセフの杯が入っていた以上、弁解の余地がないからです。たとえ何か言い訳をしてもヨセフは聞いてくれなかったはずです。ですから兄弟たちは助かることを諦め、ヨセフの奴隷になることを覚悟しました。もっとも、彼らは奴隷になるべきような悪を実際には何もしていなかったのですが。ところがヨセフは奴隷になるのは杯を持って行った者だけでよいと言います。またヨセフはベニヤミン以外の兄弟たちをヤコブのいるカナンに帰らせようとします。それは彼らが帰らないとヤコブの家にいる人たちが飢えで苦しむことになってしまうからです。しかし、ベニヤミンだけがエジプトに残るのであれば、ヤコブの家にいる人たちが飢えることはありません。それゆえ、全員が奴隷になってエジプトに残るのはヤコブの願いではありませんでした。

【44:18~29】
『すると、ユダが彼に近づいて言った。「あなたさま。どうかあなたのしもべの申し上げることに耳を貸してください。そして、どうかしもべを激しくお怒りにならないでください。あなたはパロのようなお方なのですから。あなたさまは、しもべどもに、あなたがたに父や弟があるかとお尋ねになりました。それで、私たちはあなたさまに、『私たちには年老いた父と、年寄り子の末の弟がおります。そしてその兄は死にました。彼だけがその母に残されましたので、父は彼を愛しています。』と申し上げました。するとあなたは、しもべどもに、『彼を私のところに連れて来い。私はこの目で彼を見たい。』と言われました。それで、私たちはあなたさまに、『その子は父親と離れることはできません。父親と離れたら、父親は死ぬでしょう。』と申し上げました。しかし、あなたはしもべどもに言われました。『末の弟といっしょに下って来なければ、二度とあなたがたは私の顔を見ることはできない。』それで、私たちは、あなたのしもべである私の父のもとに帰ったとき、父にあなたさまのおことばを伝えました。それから私たちの父が、『また行って、われわれのために少し食糧を買って来てくれ。』と言ったので、私たちは、『私たちは下って行くことはできません。もし、末の弟が私たちといっしょなら、私たちは下って行きます。というのは、末の弟といっしょでなければあの方のお顔を見ることはできないのです。』と答えました。すると、あなたのしもべである私の父が言いました。『あなたがたも知っているように、私の妻はふたりの子を産んだ。そしてひとりは私のところから出て行ったきりだ。確かに裂き殺されてしまったのだ、と私は言った。そして、それ以来、今まで私は彼を見ない。あなたがたがこの子をも私から取ってしまって、この子にわざわいが起こるなら、あなたがたは、しらが頭の私を、苦しみながらよみに下らせることになるのだ。』』
 この箇所でユダが話している内容は既に確認済みのことです。ここでのユダの言葉には何の偽りも誇張もありません。

 ここでユダはヨセフのことを『パロのようなお方』と言っていますが、このことからヨセフがどれだけ大きな権力を持っていたかが分かります。ヨセフはパロも同然だったのです。

【44:30~34】
『私が今、あなたのしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちといっしょにいなかったら、父のいのちは彼のいのちにかかっているのですから、あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。そして、しもべどもが、あなたのしもべであるしらが頭の私たちの父を、悲しみながら、よみに下らせることになります。というのは、このしもべは私の父に、『もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります。』と言って、あの子の保証をしているのです。ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。あの子が私といっしょでなくて、どうして私は父のところへ帰れましょう。私の父に起こるわざわいを見たくありません。』
 ユダはベニヤミンの保証人になった以上、ベニヤミンを父ヤコブのもとに連れ戻さないわけにはいかないので、ベニヤミンに代わって自分がこの支配者の奴隷になると申し出ます。ユダはこうするしかありませんでした。もしベニヤミンがカナンに帰らなかったら、本当にヤコブが死ぬことになるかもしれないからです。ユダはヤコブがベニヤミンのゆえに死ぬのを見たくありませんでした。ところで、ヤコブがベニヤミンを失ったら悲しみつつ死ぬと言ったのは具体的にどういった意味なのでしょうか。激しいショックで急激な心不全が起こるという意味でしょうか。それとも悲しみによるストレスで死へと導かれる病気に陥るという意味でしょうか。そうでなければ嘆きのあまり食を断って自殺してしまうということでしょうか。もしくは、ヤコブは単に極度の悲しみをこのような言葉で表現したに過ぎないのでしょうか。どれが本当なのか私たちには分かりません。さて、ユダがここでこのように言ったのは、ユダおよび他の兄弟たちが昔の邪悪さから脱却していたことを意味しています。何故なら、兄弟の一人であるユダが、ベニヤミンの代わりに悲惨を受けようとしているからです。ユダが変わっていたのであれば、他の兄弟たちも変わっていたと見てよいでしょう。もし兄弟たちが変わっておらずヨセフを売った時の状態のままであれば、このような犠牲を払おうとはしなかったはずです。往々にして時間が経って大人になれば若い時の邪悪さは抜き取られるものです。例えば、若い時に不良だった人が、大人になって真面目な優良社会人になるというのがそれです。ユダと他の兄弟たちもそのようでした。

【45:1~3】
『ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい。」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。』
 激しい情動がヨセフの精神をはち切れんばかりにします。ヨセフは溢れる思いで自己を制御できなくなりました。このためヨセフは自分を兄弟たちに明らかにしようとし、そこにいたエジプト人たちを全て退出させました。エジプト人を退出させたのは、これがプライベートな事柄であり、泣いている姿を見られることで支配者としての威厳が傷つかないようにしたかったからです。とはいってもヨセフは大声で泣いたので、結局はエジプト人から泣いていることを知られてしまったのでありますが。またヨセフが自分を明かそうと決意したのは、兄弟たちがもはや邪悪でなくなっていたことを確信したからでもあるはずです。兄弟たちが以前の状態から変節していたのであれば、もはやヨセフだと分かっても前のように悪いことはしないだろうからです。もし彼らが倫理的に何も前から変わっていなければ、ヨセフが自分を明かしていたかどうかは定かではありません。その場合、以前のように再び悪いことをされる恐れが十分にあるからです。悪いことをされる可能性があると分かっていながら、わざわざ自分を明かすというのは自分から苦しみに身を投じることです。ヨセフがそのようなことをする愚かさを持っていたとは思えません。

 ヨセフの告白を聞いた兄弟たちは驚いて何も言えなくなります。私たちは兄弟たちのこの驚きがどれほどであったか理解できません。というのは、私たちのうちほとんどがこのような経験を持っていないだろうからです。ですから、私たちは兄弟たちの驚きを「想像」することしかできません。兄弟たちの驚きを間接的に実感できるのは、この兄弟たちと同様の経験を持っている人だけに限られます。この時に兄弟たちは本当にポカンとしたでしょう。何せパロも同然の支配者が自分たちの弟だったのです。しかも、その支配者が急にヘブル語で話しかけてきました。これまでは通訳を通して話していましたからヘブル語を解さない人だと思われていたのに、です(創世記42:23)。このようなことが起きて驚かない人は恐らく一人さえもいないのではないかと思われます。

【45:4~8】
『ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。』
 ヨセフは兄弟たちの悪を非難しようとはしません。それどころか『どうか私に近寄ってください。』などと言って、親愛の態度を見せているぐらいです。これが普通の人であれば過去の悪を責めていたかもしれません。支配者という立場を利用してとんでもない目に遭わせてやったかもしれません。しかし、ヨセフは全然そんなことはしませんでした。これは現在のパレスチナにいるユダヤ人とは全く違っています。あの地域にいるユダヤ人は自分たちの兄であるアラブ人から行なわれた悪を見つめ―ユダヤ人は弟です―、それを忘れず、必ず復讐しています。彼らは復讐の塊です。兄に対して『どうか私に近寄ってください。』などと言ったヨセフの欠片すらないのです。ところで今私は「ユダヤ人」と言いましたが、これは表面的で一般的な認識のことであって、「ユダヤ人」と呼ばれている者の多くは非ユダヤ人です。何故なら、彼らはイスラエルの血を持っておらず、ハザール人がその祖先だからです。すなわち、その者たちはアシュケナージ系のユダヤ人です。本当はユダヤ人でないからこそ復讐に次ぐ復讐を重ねているわけです。本当のユダヤ人であるスファラディ系の人たちは、その多くが暴力的な復讐に反対していますし、それどころかシオニズムにさえ異を唱えているぐらいです。ですから今のパレスチナにいるユダヤ人の多くは、血縁的にこのヨセフと何の関係もないわけです。シオニズムを開始させた張本人であるロスチャイルドも偽ユダヤ人であり、彼自身が言ったように、彼と血縁関係にあるのはヨセフではなくハム系のニムロデなのです。このように復讐しなかったヨセフには愛がありました。パウロが言った通り、愛とは『怒らず』『人のした悪を思わ』(Ⅰコリント13章5節)ないことだからです。このことからヨセフは支配者として適切だったことが分かります。支配者はこのヨセフのようであるのが望ましいのです。何故なら、人を愛さない支配者は民衆からも愛されないからです。この時のヨセフは模範として見られるべきでしょう。ヨセフはこの時に怒らず人の悪を思わなかったからです。神の民であるクリスチャンたちがヨセフのようになれば、主に喜ばれることは間違いありません。

 ヨセフは自分が売られたことを完全に神の働きとして理解しています。確かにヨセフは兄弟たちからエジプトに売られました。しかし、ヨセフにとってそれは神がヨセフをエジプトに遣わして下さることだったのです。神の御心は、エジプトとその他の国々がエジプトにいるヨセフによって救われることでした。ですからヨセフはどうしてもエジプトに移されねばなりませんでした。神はそれを兄弟たちの極悪(すなわちヨセフを売り渡すこと)を許されることで実現なさったのでした。事をこのように捉えることができれば何と信仰的でしょうか。何と寛大になれることでしょうか。何と平安が生じることでしょうか。実にこのような神的把握がヨセフを怒りと復讐の念から遠ざけていたのです。

 ここでヨセフは自分がパロの父にされたと言っています。これは大変驚くべきことであり普通ではありません。今の日本で言えば、これは普通の一般人が天皇陛下の父になることです。つまり、天皇がその一般人の言ったことを尊重し、その言葉に父に聞き従うかのごとくに聞き従うのです。これがどれだけ驚嘆すべきことか分からない人がいるのでしょうか。パロは聞き従うという意味でヨセフの子供でした。神がこのような高みへとヨセフを引き上げて下さったのです。

【45:9~13】
『それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう。』と。さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉とあなたがたが見たいっさいのこととを私の父上に告げ、急いで私の父上をここにお連れしてください。」』
 ヨセフは、兄弟たちが父ヤコブにヨセフのことを知らせ、ヤコブをカナンからエジプトに連れて来るよう言いました。ヨセフが自分のことを知らせようとしたのは、ヤコブを元気づけるためだったはずです。既に死んだと思われていた最愛の子が大国の支配者になっていると聞くのは、砂漠で喉が渇いた人に冷たい水を好きなだけ飲ませるのと一緒です。またヨセフがヤコブをエジプトに住まわせようとしたのは、ヤコブが困らないようにするためでした。この時期は飢饉で非常に大変だったからです。この時にヨセフが父の移住を急がせたのは飢饉が異常なほどに激しかったからでした。一刻の猶予も許されない状況があったのです。ヨセフはエジプトに来たヤコブを『ゴシェンの地』に住まわせるつもりでした。後にも見ますが、この地はエジプトの中で『最も良い地』(創世記47章6節)でした。

 ところで、ヨセフがヤコブをカナンから引き離すのは問題なかったのでしょうか。ヤコブには、アブラハムやイサクと同様、カナンの地が神から相続の地として与えられています(創世記28:13~15)。であれば、ヤコブはカナンにずっと居続けるべきだったことにならないのでしょうか。ヨセフは神の約束に反する不適切なことをしようとしたことにならないでしょうか。私は言いますが、ヨセフのしたことは間違っていませんでした。確かにカナンはヤコブに与えられた地です。しかし、その一方で神は、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫たちがエジプトで長らく虐待されるとも言われました(創世記15:13)。この虐待の預言がヤコブの家に知れ渡っていたことは間違いありません。つまり、神の御心は、これからヤコブの子孫たちがエジプトに住むことでした。ヤコブも自分たちの民族がずっとカナンにいるはずはないと知っていました。ですから、後に見る通り、ヤコブは抵抗することもなくエジプトへ移り住んだのです。確かに神は、ヤコブがエジプトに移ることで、彼の子孫たちがエジプトで住むようになることを決めておられました。ですからヨセフがヤコブをエジプトに住ませようとしたのは神の御心に適っていました。たとえヤコブがエジプトに行くのを嫌がっていたとしても、ヤコブの子孫である誰かがエジプトに連れて行かれ、それ以降ユダヤ人たちはエジプトで住むことになっていたでしょう。

【45:14~15】
『それから、彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。』
 ヨセフは言うべきことを言うと、まずベニヤミンを抱いて泣き、次にその他の兄弟たちを抱いて泣きました。ヨセフと母も一緒なのはベニヤミンだけでしたから、ベニヤミンがまず第一に選ばれたのは自然なことでした。私たち日本人は、欧米人とは違い、このように抱き合うということはあまりありません。それは外国人が口を揃えて言うように、日本人が非常にシャイだからでしょう。このため、ヨセフと兄弟たちが抱き合っているこの出来事を、なかなか理解しにくいという人も、中にはいるかもしれません。また、この時に兄弟たちが何を語り合ったのかは分かりません。私の推測では、恐らくこれまでに起きたことを互いに知らせ合ったのではないかと思います。

【45:16~23】
『ヨセフの兄弟たちが来たという知らせが、パロの家に伝えられると、パロもその家臣たちも喜んだ。パロはヨセフに言った。「あなたの兄弟たちに言いなさい。『こうしなさい。あなたがたの家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、あなたがたの父と家族とを連れて、私のもとへ来なさい。私はあなたがたにエジプトの最良の地を与え、地の最も良い物を食べさせる。』あなたは命じなさい。『こうしなさい。子どもたちと妻たちのために、エジプトの地から車を持って行き、あなたがたの父を乗せて来なさい。家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから。』と。」イスラエルの子らは、そのようにした。ヨセフはパロの命により、彼らに車を与え、また道中のための食糧をも与えた。彼らすべてにめいめい晴れ着を与えたが、ベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五枚とを与えた。父には次のような物を贈った。エジプトの最良の物を積んだ十頭のろば、それと穀物とパンと父の道中の食糧とを積んだ十頭の雌ろばであった。』
 パロの家は、ヨセフの兄弟たちが来たことを喜びました。外国人嫌いのエジプト人が、多くのヘブル人のことを喜ぶというのは凄いことです。これはヨセフがどれだけ尊ばれていたかをよく示しています。つまり、ヨセフが非常に尊重されていたからこそ、ヨセフの兄弟たちも歓迎されたのです。人は重要視する者の家族にも親愛の態度を見せるものです。

 パロはヨセフの家族を寛大に取り扱いました。このためヨセフは家族に必要な物や贈り物を豊かに与えることができました。ヨセフは物分かりの良い幸いな支配者に巡り合えたことになります。もしパロが善良な支配者でなければヨセフの家族に良くしてやっていたかどうか分かりません。この時にヨセフは、兄弟のうちベニヤミンにだけ特別な贈り物を与えています。人にとって、やはり「血」は無視できないということなのでしょう。この血ほど親近感と愛情を引き起こさせるものは珍しいのです。何故なら、血とは聖書が教えるように命そのものだからです。この時にヨセフが与えた『車』とは馬車を指します。これは古代では高級品であって権力者と金持ちぐらいしか持っている人はいませんでした。

【45:24】
『こうしてヨセフは兄弟たちを送り出し、彼らが出発するとき、彼らに言った。「途中で言い争わないでください。」』
 ヨセフは何を言い争わないようにと注意したのでしょうか。これはヨセフを売ったことについてでしょう。少し前にルベンと他の兄弟たちが僅かばかり言い争いをしましたが(創世記42:21~23)、そのことについて言い争いをしないようにとヨセフは注意したのだと思われます。これはベニヤミンだけ特別扱いされていたことについてではないはずです。何故なら、誰がどう考えてもヨセフがベニヤミンを依怙贔屓するのは自然だからです。自分と血縁的に近い者を依怙贔屓しない人がどこかにいるのでしょうか。兄弟たちがこのことについて分からないほど愚かだったとは考えられません。このように言い争わないようにと言ったヨセフは平和を求める人でした。これは明らかに主の御心に適っています(マタイ5:9)。

【45:25~28】
『彼らはこうしてエジプトから上って、カナンの地にはいり、彼らの父ヤコブのもとへ行った。彼らは父に告げて言った。「ヨセフはまだ生きています。しかもエジプト全土を支配しているのは彼です。」しかし父はぼんやりしていた。彼らを信じることができなかったからである。彼らはヨセフが話したことを残らず話して聞かせ、彼はヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見た。すると彼らの父ヤコブは元気づいた。イスラエルは言った。「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」』
 カナンに帰った兄弟たちはイスラエルにヨセフのことを伝えましたが、イスラエルは最初何を言っているのか理解できませんでした。しかし、ヨセフが送ってくれた車を見ると、イスラエルは兄弟たちの言ったことを信じました。この車と様々な贈り物はヨセフが本当に支配者になっているという証拠物でした。このように実際の証拠物とは非常に強い力を持っているものです。ヤコブはこの時にどれだけ喜んだでしょうか。身体の老いと共に諸々の情動も衰えていたはずですが、本当に喜ばしかったに違いありません。神がこのような恵みを晩年のヤコブに与えて下さったのです。

 こうしてヤコブは急いでヨセフに会いに行こうとしました。それはもう死が間近に迫っていたからです。つまり、ヤコブは死ぬ前に何とかしてヨセフと再会したかったのです。何せこの時のヤコブは既に『130』(創世記47章9節)歳だったのですから。しかし、ヤコブにはカナンを離れていいものか不安がありました。というのもカナンこそヤコブに定められていた地だからです。ヤコブがエジプト行きを不安に感じていたということについては、続く箇所を見れば分かります。

【46:1】
『イスラエルは、彼に属するすべてのものといっしょに出発し、ベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえをささげた。』
 ヤコブはヤコブの家にいた全てを引き連れてエジプトへ向かいます。『すべて』とは、家族、奴隷たち、家畜たちの全てを指しています。130歳にもかかわらず、このような大々的引っ越しをするのは普通ではありません。高齢になると新しい事柄にはなかなか積極的になれなくなるものであり、そのため多くの人が田舎で静かに暮らそうとするわけですが、50代・60代でさえ既に引っ越すなどということは億劫に感じられるぐらいなのです。であれば130歳の超老人であればどれだけ引っ越すことを億劫に感じたでしょうか。しかし、ヤコブはユダヤ人特有の実践性とヨセフへの愛によりエジプトへ旅立ったのでした。この旅の途中にあったベエル・シェバでヤコブは神に礼拝を捧げます。これは神に守りを求めるためだったと思われます。このベエル・シェバはこれまで何度も出てきた場所です。

【46:2~4】
『神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ、ヤコブよ。」と言って呼ばれた。彼は答えた。「はい。ここにいます。」すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」』
 このベエル・シェバで夜、神がヤコブに語られました。神は『ヤコブよ、ヤコブよ。』と言って呼びかけておられます。この繰り返しは神がヤコブに好意を持っておられたことを示しています。神に愛されていたサムエルも、このように繰り返して呼ばれています(Ⅰサムエル3:10)。キリストに愛されていたペテロもそうでした(ルカ22:31)。

 先にも述べたように、ヤコブにはエジプト行きに対する不安がありました。神は慈しみ深い御方なので、不安を持つヤコブに語られ励ましておられます。カナンを離れて大丈夫なのかという不安は、たとえエジプトに行っても再びカナンの地に帰らせると約束されることによって励ましておられます。またエジプトに行ったら大変な目に遭わされないだろうかという不安については、エジプトの地で大いなる者にされるという約束で励ましておられます。前のほうの約束はヤコブがエジプトで死んだ時に実現され(創世記50:13)、後のほうの約束はエジプトに行ったらすぐ実現されました。神がこのように言われたのですから、ヤコブがカナンを離れるのは御心だったことになります。ですからヨセフがヤコブをカナンから引き離そうとしたのも間違っていませんでした。

 また神はヤコブが死んだらヨセフにより目を閉じられると約束されることで、ヤコブに希望を持たせられました。古代人は死んだ者の目をそっと閉じてやっていました。これは古代の著作を読めば分かります。ヤコブが他でもないヨセフにより目を閉じられたいと願っていたことは間違いありません。神がその願い通りにして下さるとここで言っておられます。ですから、ヤコブはヨセフに目を閉じられると約束されたことで、よりエジプトに行くことを躊躇わなくなったはずです。エジプトに行けば自分の願い通りのことが起こるのですから。この約束はこれから17年後に実現されます(創世記47:28)。それが実現されたのは創世記50:1の箇所で書かれている出来事の時です。

【46:5~7】
『それから、ヤコブはベエル・シェバを立った。イスラエルの子らは、ヤコブを乗せるためにパロが送った車に、父ヤコブと自分たちの子や妻を乗せ、また彼らは家畜とカナンの地で得た財産も持って行った。こうしてヤコブはそのすべての子孫といっしょにエジプトに来た。すなわち、彼は、自分の息子たちと孫たち、自分の娘たちと孫娘たち、こうしてすべての子孫を連れてエジプトに来た。』
 こうしてヤコブは自分に属する全ての者たちを引き連れてエジプトへ行きました。例外はいなかったはずです。すなわち、ヤコブの家にいた人間と家畜は全くカナンに残りませんでした。7節目では『自分の息子たちと孫たち、自分の娘たちと孫娘たち』と書かれていますが、男のほうが先に書かれています。これは男のほうを優先させるのが聖書の書き方だからです。というのも、まず男が先に造られましたし、女は蛇に惑わされて罪を犯してしまったからです(Ⅰテモテ2:13~14)。聖書が男を優先させているのにはしっかりした理由があるのです。

【46:8~15】
『エジプトに来たイスラエルの子―ヤコブとその子―の名は次のとおりである。ヤコブの長子ルベン。ルベンの子はエノク、パル、ヘツロン、カルミ。シメオンの子はエムエル、ヤミン、オハデ、ヤキン、ツォハル、カナンの女の産んだ子サウル。レビの子はゲルション、ケハテ、メラリ。ユダの子はエル、オナン、シェラ、ペレツ、ゼラフ。しかしエルとオナンはカナンの地で死んだ。ペレツの子はヘツロンとハムルであった。イッサカルの子はトラ、プワ、ヨブ、シムロン。ゼブルンの子はセレデ、エロン、ヤフレエル。これらはレアがパダン・アラムでヤコブに産んだ子で、それにその娘ディナがあり、彼の息子、娘たちの総勢は三十三人。』
 この箇所からエジプトに行ったヤコブの子らが示されています。まず最初に示されるのはレアの子孫たちです。ルベンの子は4人示されています。『エノク』という子は、洪水前のあのエノクから取られた名前かもしれません。シメオンの子は6人示されています。『サウル』という子の名前は、イスラエル初代の王とパウロの回心前の名前でもあります。レビの子は3人示されています。ユダの子は5人示されています。既に見たように『エル、オナン』はカナンの地で裁かれて死にました。『ペレツ』からはやがてキリストが出ることになります。ペレツの子『ヘツロン』もキリストの肉的な祖先です。ナザレのイエスをキリストとして信じない不信仰なユダヤ人たちは、どうしてここでペレツの子が特別的に示されているのかよく理解できないはずです。イッサカルの子は4人示されています。『ヨブ』という子は、ヨブ記に書かれているヨブと同一人物ではありません。ゼブルンの子は3人示されています。レアの血縁における総数は孫とレア自身も含めると『三十三人』でした。このレアはヤコブの妻のうちで最も多くの子を産みました。

【46:16~18】
『ガドの子はツィブヨン、ハギ、シュニ、エツボン、エリ、アロディ、アルエリ。アシェルの子はイムナ、イシュワ、イシュビ、ベリアとその妹セラフ。ベリアの子はヘベル、マルキエル。これらは、ラバンが娘レアに与えたジルパの子である。彼女がヤコブに産んだのは16人であった。』
 続いてレアの女奴隷ジルパの子孫が示されています。ガドの子は7人示されています。アシェルの子は5人示されています。ジルパの子と孫の総数は『16人』でした。

【46:19~22】
『ヤコブの妻ラケルの子はヨセフとベニヤミンである。ヨセフにはエジプトの地で子どもが生まれた。それはオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテが彼に産んだマナセとエフライムである。ベニヤミンの子はベラ、ベケル、アシュベル、ゲラ、ナアマン、エヒ、ロシュ、ムピム、フピム、アルデ。これらはラケルがヤコブに産んだ子で、みなで14人である。』
 次にヤコブ最愛の妻ラケルの子孫が示されます。ヨセフの子は2人だけでした。これはヤコブの子たちの中では少ないほうです。昔から優秀な人ほどどうしてか子どもをあまり持たない傾向があります。カルヴァンやベーコンやニュートンやライプニッツやロックやヒュームやアダム・スミスやヴォルテールやカントやJ・S・ミルなどは一人さえも子を産みませんでした。ヨセフが2人しか子を産まなかったのも、もしかしたら彼の優秀性のためだったのかもしれません。その一方、ヨセフの弟ベニヤミンの子は10人もいました。ラケルの子と孫の総数は全部で『14人』でした。

【46:23~25】
『ダンの子はフシム。ナフタリの子はヤフツェエル、グニ、エツェル、シレム。これらはラバンが娘ラケルに与えたビルハの子である。彼女がヤコブに産んだのはみなで7人であった。』
 最後はラケルの女奴隷ビルハの子孫が示されています。ダンの子は一人だけでした。ナフタリの子は4人示されています。ビルハの子と孫の総数は『7人』でした。これはヤコブの妻のうち最も少ない数です。

【46:26~27】
『ヤコブに属する者、すなわち、ヤコブから生まれた子でエジプトへ行った者は、ヤコブの息子たちの妻は別として、みなで66人であった。エジプトでヨセフに生まれた子らはふたりで、エジプトに行ったヤコブの家族はみなで70人であった。』
 エジプトに移住したヤコブの子と孫は全部で『66人』であって、ヤコブと3人の妻(レアとジルパとビルハ)も加えると『70人』でした。ラケルが生きていれば71人になっていました。ヤコブ一家はエジプト人から拒絶されませんでした。ヘブル人嫌いのエジプト人が、70人ものヘブル人を拒まなかったのです。これは彼らがヨセフの家族だったからに他なりません。この『66』という数字には何も象徴的な意味が含まれていないと思われます。もし象徴的な意味があるとすれば、聖書において「6」は人間を示していますから、その6が2つ並んでいる『66』は「大勢の人間」という意味を持っていることになるでしょう。『70』という数字のほうにはしっかりとした意味があります。聖書において「70」はそれが豊かな量や人数であることを示しています。例えば、古代イスラエルの長老は『70人』(出エジプト24章9節)でしたし、古代イスラエル国家におけるサンヘドリン議会も70人で構成されていましたし、キリストが遣わされた伝道者も『70人』(ルカ10章1節)でしたが、これらはどれもそれが十分な数であることを示しています。

【46:28】
『さて、ヤコブはユダを先にヨセフのところに遣わしてゴシェンへの道を示させた。それから彼らはゴシェンの地に行った。』
 ヤコブは道が分からなかったのだと思いますが、まずユダをヨセフのところに遣わしてゴシェンへの道のりを示させました。この時にユダが遣わされたのはユダが最も息子たちの中で重んじられていたからなのでしょう。メシアがそこから出ることになるユダを一体どうして重んじなくていいということがあるでしょうか。ユダが重んじられないのは、私たち日本人が将来に確実に天皇になると分かっている皇族を重んじないのと一緒です。もっとも、ユダ自身としては特別に優れていたり聖人そのものであるかのような人物だったというのではなく、一人の罪人に過ぎない存在でした。彼が罪人に過ぎない存在だったということは、既に創世記38章の箇所で見た通りです。ただ彼に対するメシアの定めが彼を重んじるように要求していたのです。

【46:29~30】
『ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えるためにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた。イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。」』
 ヨセフは父ヤコブと再会して大いに泣きましたが、その涙は喜びや嘆きや神に対する感謝といった諸々の情動がその背景にあったはずです。ヤコブはヨセフを見たことでもう死んでもいいと言いましたが、この言葉は嘘でなかったでしょう。もうこの時にヤコブは130歳でした。それなのにこのような思いがけないことが起きたのです。人生とは晩年になるまで何が起こるか分からないものです。