【創世記4:25~6:2】(2021/02/28)


【4:25】
『アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。」』
 アダムとエバの三番目の男子は『セツ』でした。セツは創造の130年後に生まれています(創世記5:3)。彼が三男であったのは間違いありません。何故なら、エバはこの箇所で、アベルの代わりにセツが与えられたと言っているからです。もしセツ以外の男が三男だったとすれば、エバはその男がアベルの代わりに与えられたと言っていたでしょう。しかし、セツが生まれるよりも前に、いくらかの女子が生まれていた可能性はかなりあります。というのもカインがアベルを殺した際に言った言葉を読むと、その頃には既にそれなりの数の人間がいたように思われるからです(創世記4:14)。しかし、実際にその頃どれだけの人間がいたのかは私たちに全く分かりません。

 この箇所を読むと、カインの殺人事件は公にされずにいなかったことが分かります。エバはここで『カインがアベルを殺した』と言っているからです。エバとアダムがカインの殺人事件を知っていたのは間違いありませんが、その他の人たちも恐らくそのことを知っていたと推測されます。たとえカインが罪を隠そうとしても、必ず明らかにされていたでしょう。というのも主の御言葉にはこうあるからです。『隠れているのは、必ず現われるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。』(マルコ4章22節)殺人および不品行はどれだけ隠そうと努力苦心したとしても、必ずばれます。それは世の中を見れば分かることです。いかに隠しても神が何らかの形でそれを暴露されるのです。私たちはこのことをよく知っておくべきでしょう。

【4:26】
『セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。』
 セツは『エノシュ』という子を生みました。彼も、やはり近親婚をしました。姉妹と夫婦になったのです。これは、本当であれば神の御心に適わないことです。しかし、当時としては仕方がなく、そのようにしない限り人類は増え広がらなかったのです。ですから、神は当時の近親婚に怒られたり、それをした者たちを罰するということはなさいませんでした。また、この箇所を読むと、生まれた子に命名するというのは、原初の時代からあったことが分かります。生まれた子に命名がされなかった時代は、人間の歴史上、かつてなかったのです。

『そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。』
 このエノシュの代から、神への祈りが行なわれ始めました。この時の祈りがどのような祈りであったか私たちには全く分かりません。何故なら、その祈りについて、ここでは何も詳しく書かれていないからです。この箇所から分かるのは、エノシュの時代になるまでは、まだ祈りがなかったということです。それまで130年以上もの間、神への祈りはなされていなかった。しかし、どうしてエノシュの時代になるまでは祈りが行なわれていなかったのでしょうか。それは、エノシュの時には、既に神が直接的に語りかけて下さるということがなくなっていたからでしょう。ある時まで、神は人に直接お語りになっておられました。それはアダムやカインの例を見れば分かります(創世記3:9、4:6~7)。しかし、しばらくすると神がもう直接的に人へと語って下さらなくなり、そのため人間は神から見放されたのではないかと不安になった。そして、心配になったので、自ら祈りにより神に呼ばわるようになった。これが私の推測ですが、実際にこうであった可能性は高いと思われます。これは夫婦の例を考えれば分かりやすいでしょう。夫(または妻)が急に冷たくなって口を聞いてくれなくなれば、妻(または夫)は驚きつつ心配になり、元の状態に復帰させようと積極的に接したり働きかけたりするはずです。「ねえ、一体どうしたの。」などと言って。神に人が祈り始めるようになったのは、これと同じようにしてであったと思われます。祈りがどのような経緯により始まったにせよ、この箇所からは、祈りが約6000年もの歴史を持っていることが分かります。この祈りとは、人間の中でもっとも古い歴史を持つ営みの一つです。ですから、私たちはそのような古い歴史を持つ祈りを軽んじたりすべきではないでしょう。

【5:1】
『これは、アダムの歴史の記録である。』
 5:1から5:32までの箇所は、アダムからノアまでの歴史が記されています。それは真実な歴史です。私たちの古い先祖がどのようであったか、ここでは示されています。

【5:1~2】
『神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名をアダムと呼ばれた。』
 この箇所は、内容的に創世記1:26~28の箇所とほとんど一緒です。もっとも、全てが完全に一緒であるというわけではありません。

 この箇所を読むと、女は男が造られた創造の第6日目に造られたことが分かります。女は、男が造られてから数日後に造られたというわけではなかったのです。何故なら、ここでは『彼らが創造された日に』と書かれているからです。『彼ら』とは複数形ですから、すなわちアダムとエバのことでなくて何でしょうか。

 神は、男でも女でもない第三の性を創造することもお出来になりました。しかし、神はそのようになさいませんでした。それは、神の栄光が現わされるためには、男と女という2つの性だけがあればよかったからです。別に第三の性がなくとも、神の栄光は十全に現わされます。もし第三の性が神の栄光の顕現のためには必要であったとすれば、神は私たちが今知らない性を造っておられたでしょう。何故なら、神は御心に適ったことをなさる御方だからです。

【5:3】
『アダムは、130年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。』
 セツはアダムが130歳の時に生まれた三男でした。当時は、このぐらいの年齢で子を生むのが普通でした。それは、続く箇所を読めば分かる通りです。このセツは『彼に似た、彼のかたちどおりの子』でした。つまり、アダムのように罪深い堕落した子だったということです。何故なら、『彼(アダム)のかたち』は、罪により全的に毀損されていたからです。これは堕落した者のかたちであって、神のかたちのことではありません。また、この箇所から、アダムが堕落して楽園から追放されたのは130年以内だったことが分かります。何故なら、アダムは楽園にいた時、一人も子を生まなかったからです。

【5:4~5】
『アダムはセツを生んで後、800年生き、息子、娘たちを生んだ。アダムは全部で930年生きた。こうして彼は死んだ。』
 アダムには、カインとアベルとセツの他にも『息子、娘たち』が生まれました。その子どもたちがどれだけいたのかは全く分かりません。また、彼らがどのような外観と性格を持っていたのかも分かりません。ただ、かなりの数だったとは思われます。また、その子らのどれもが、堕落した罪深い人間であったことは間違いありません。というのも、アダムの子孫たちは原罪を持って生まれてくるからです。

 アダムは930歳で死にました。続く箇所を見れば分かる通り、当時はこのぐらいで死ぬのが普通でした。人間の寿命が100歳ぐらいにまで縮まったのは、ノアの大洪水が起きてからのことです。聖書がこのように昔の人は1000歳近くまで生きたと言っているのを聞くと、作り話ではないかと思う人がいるはずです。何故なら、今の世界を見ると、人間の寿命は100歳ぐらいしかないからです。つまり、今の状況と一致していないために聖書が示している過去の状況を否定するわけです。そこには「昔も今と同じ状況の世界があったはずだ。」という前提的認識があります。しかしながら、過去の状況が今の状況と同じであったと一体どうして言えるのでしょうか。今の状況を証拠として、過去の状況を判定できるのでしょうか。進化論でさえ、過去の状況は今の状況と大いに違っていたと教えています。もし過去の状況が今の状況と同じであるとせねばならないというのであれば、極端な話、世界はずっと昔から今の状況のようなままだったと判定せねばならないことになります。いったい、どうしてそのようなことが有り得るでしょうか。聖書の記述に疑念を持つ人たちは、理性をしっかりと働かせるべきです。果たして、嘘であることが誰の目にも明白な事柄を、自分自身で嘘であると認識しながら、あえて真実であるかのように見せかけるほど大胆な人がどこかにいるのでしょうか。もしそういう人がいたとすれば、その人は愚者の極みです。何故なら、その人は自分自身で自分の書いた事柄から信頼性を全く剥奪してしまっているからです。そのようにするのは、自ら「これは出鱈目な話だから信じなくてもよい。」と暗黙のうちに伝えることです。その場合、創世記を信じるキリスト教徒とユダヤ教徒とイスラム教徒も、創世記の著者と同様、愚かな者であるということになりましょう。しかし、人間の寿命が1000歳近くまであったというのは、真実なことです。だからこそ、創世記の著者は、全く臆することなく過去における人間の寿命をこのように書き記したわけです。ここでの記述における著者の真面目さを考えていただきたい。そこには、何の疚しさも感じられません。もし創世記の著者が嘘を書いていることを認識していたのであれば、このように淡々と書き記すことは出来なかったでしょう。

 アウグスティヌスの『神の国』には、創世記5章に書かれている年数が実は10倍されたものだという見解が紹介されています。例えば、アダムであれば13歳の時に子を生み、93歳の時に死んだということになります。これであれば、私たちの常識から乖離しているとは思われません。何故なら、今でも13歳の時に子を生む人がいないわけではありませんし、90代で死ぬというのは珍しいことではないからです。この見解であれば、非常に多くの人たちが納得するはずです。しかしながら、この見解は誤っています。何故なら、創世記5章では、エノクが65歳の時に子を生んだと書かれているからです(21節)。ケナンも70歳の時に子を生んだとあります(12節)。もしここで年数が10倍されているとすれば、エノクは6歳と半年(?)、ケナンは7歳の時に子を生んだことになります。これは、明らかに私たちの常識から乖離しています。13歳の時に子を生む人はいますが、6歳や7歳で生む人は例外的にしかいないからです。ですから、ここで年数が10倍されているという見解は斥けねばなりません。私たちは、ここで言われている年数が実際の年数だったという見解に立たねばならないでしょう。この見解は、当然ながらアウグスティヌスも斥けています。

 このアダムが、930歳で死んでから、天国に定められた人として神のもとに導かれたのは間違いありません。何故なら、アダムはルカが言ったように『神の子』(ルカ3章38節)だったからです。

 洪水前の寿命はこのように1000歳近くまであったのですが、この時の人生はどのようだったのでしょうか。あまりにも長く、退屈で、苦しかったのでしょうか。それとも、長いのではあっても飽き飽きしなかったのでしょうか。この時の人生は、恐らく全体的に言えば苦しかったと思われます。何故なら、レメクが創世記5:29の箇所で『主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労している』と言っているからです。これは、当時の人たちの嘆きを感じさせる言説です。この時には、今のように娯楽などといった楽しみや心の慰めとなるものは、まだあまりなかったと思われます。もちろん、快楽をもたらすものが全くなかったのではないでしょうが、今のように溢れているということはなかったでしょう。ですから、苦しみが楽しみを大いに凌駕しており、そのため人生は辛いと感じられるものだったと推測されます。もちろん、実際はどうだったのか、この時のことをあまり知らない私たちには分からないのですが。

【5:6~8】
『セツは105年生きて、エノシュを生んだ。セツはエノシュを生んで後、807年生き、息子、娘たちを生んだ。セツの一生は912年であった。こうして彼は死んだ。』
 912年生きた2代目のセツは、105歳の時に3代目のエノシュを生みました。この箇所には、特別変わったことは記されていません。

 なお、この創世記5章では、アダムからノアに至るまでの直系の系譜だけが記されています。ここで、それぞれの人にその生まれた子どもが一人だけしか記されていないのは、このためです。

【5:9~11】
『エノシュは90年生きて、ケナンを生んだ。エノシュはケナンを生んで後、815年生き、息子、娘たちを生んだ。エノシュの一生は905年であった。こうして彼は死んだ。』
 905年生きた3代目のエノシュは、90歳の時に4代目のケナンを生みました。ここでも何か変わったことは記されていません。

【5:12~14】
『ケナンは70年生きて、マハラエルを生んだ。ケナンはマハラエルを生んで後、840年生き、息子、娘たちを生んだ。ケナンの一生は910年であった。こうして彼は死んだ。』
 910年生きた4代目のケナンは、70歳の時に5代目のマハラエルを生みました。ここでも特に変わったことは書かれていません。

【5:15~17】
『マハラエルは65年生きて、エレデを生んだ。マハラエルはエレデを生んで後、830年生き、息子、娘たちを生んだ。マハラエルの一生は895年であった。こうして彼は死んだ。』
 895年生きた5代目のマハラエルは、65歳の時に6代目のエレデを生みました。この箇所の記述も、特に変わったところはありません。

【5:18~20】
『エレデは162年生きて、エノクを生んだ。エレデはエノクを生んで後、800年生き、息子、娘たちを生んだ。エレデの一生は962年であった。こうして彼は死んだ。』
 962年生きた6代目のエレデは、162歳の時に7代目のエノクを生みました。このエノクは、注目されるべき重要な存在です。

【5:21~24】
『エノクは65年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、300年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は365年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。』
 365年生きた7代目のエノクは、65歳の時に8代目のメトシェラを生みました。65歳で子を生むというのは、創世記5章で書かれている中では、もっとも早い。ケナンは70年生きて子を生んでいますが(創世記5:12)、それよりも5年早いのです。このエノクが7代目であるというのは、ユダも確認しています(ユダ14)。ユダは恐らくこの創世記5章の内容を念頭に置いて、エノクが7代目であると言ったのでしょう。前にも述べたように、聖書で「7」とは神聖とか完全とか無限を意味します。神は、エノクにこの7(代目)という数字をお与えになりました。それは、エノクが聖なる人物として定められていたからです。もしエノクが邪悪な人物だったとしたら、666の数字が与えられていたかもしれません。この666とは、邪悪であることを意味する象徴数だからです。実際、邪悪な皇帝であったネロに、この数字が与えられています(黙示録13:18)。ところで、エノクの一生が『365年』であったということは、365日(1年)と何か関わりがあるのでしょうか。何かありそうな気もしますが、これはないと見るべきでしょう。何故なら、たとえエノクの一生が1年と何らかの関連を持っていたとしても、私たちにはその関連における意味が分からないからです。

 このエノクは『神とともに歩』みました。これは、彼が神を愛し、神に従い、神の御心に反することを嫌悪するような人だったという意味です。一言で言えば「敬虔」だったということです。創世記5章の中で、このように書かれているのはエノクだけです。恐らく、この時代において、エノクのように聖なる人物は他にいなかったのだと思われます。このためエノクは神により取られました。つまり、生きたままで地上から消え、そのまま天国へと移動させられました。しかも、それは365歳という当時としてはまだ若かった時に起こりました。ですから、エノクは死を味わうことがありませんでした。エノクは敬虔であって神に喜ばれていたので、神が死を見ないように取り計らって下さったのです。ヘブル11:5の箇所で次のように言われている通りです。『信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。』しかし、エノクが神により地上から取られたのは何故だったのでしょうか。これは、再臨の時に起こる携挙を予表しています。再臨が起きた際には、選ばれていた聖徒たちが、突如として地上から取り去られたので見えなくなりました。キリストがこう言われた通りです。『そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。』(マタイ24章40~41節)要するに、エノクが地上から取り去られた出来事は、やがて聖徒たちが携挙されるという預言だったわけです。この携挙は、既に実現しています。それはパウロが、紀元1世紀のテサロニケ人たちが『生き残っている』(Ⅰテサロニケ4章17節)時に携挙は起こると言った通りです。ですから、この携挙がまだ実現していないと考えるのは誤っています。なお、エリヤも、このエノクと同様、生きながらにして神のもとに移されています。エリヤのほうは、エノクとは幾らか異なり、かなりドラマティックな移転でした。エリヤの移転も、やはり携挙を予表しています。聖書の中で、このように生きながらにして神のもとへ移されているのが記されているのは、この2人だけです。エリヤの移転については、Ⅱ列王記2:11~12の箇所に記されています。

 エノクは、地上にいた時、キリストの再臨を預言していました。それはユダ14~15の箇所で書かれている通りです。このエノクの預言は、「エノク書」という古代の文書の中で書き記されています。その預言の内容は、ユダ書に書かれている内容とほとんど一致しています。ユダはこのエノク書から、エノクの預言を引用したのでしょう。このエノクが生きていたのは紀元前3200年頃です。キリストの再臨が起きたのは紀元66年です。ですから、エノクは3000年以上も前からキリストの再臨を預言していたことになります。そんなにも前から再臨が預言されていたということには、非常に驚かされます。

 古代のよく知られた文書の中では、このように言われています。生きながらにして引き上げられたエノクは、やがて再びこの地上に降りて来て、聖なる活動をすると。しかも、それはエノクと同様に生きながらにして引き上げられたエリヤも一緒に行なうと。要するに、黙示録11:3の箇所に書かれている『ふたりの証人』とは、この2人を指しているというのです。これは私たちの心を引き付ける話です。ですが、この話は単なる妄想話に過ぎません。黙示録11章の証人をエノクおよびエリヤだとするのは、強引なこじつけです。何故なら、黙示録11章の証人をこの2人であると示す根拠は聖書の中に見出せないからです。私が神の恵みにより黙示録註解の中で書いたように、この証人とは教会を指しています。私たちは間違えないようにすべきです。

【5:25~27】
『メトシェラは187年生きて、レメクを生んだ。メトシェラはレメクを生んで後、782年生き、息子、娘たちを生んだ。メトシェラの一生は969年であった。こうして彼は死んだ。』
 969年生きた8代目のメトシェラは、187歳の時に9代目のレメクを生みました。このレメクはノアの父です。レメクが人間の中でもっとも生きたと考えている人は少なくありません。何故なら、創世記5章の中で書かれている人物の中では、レメクがもっとも長く生きたからです。ですが、レメクの年齢が人間の最高齢だったと決めることはできません。洪水前の時代において、レメクよりも長く生きた人がいたということを否定することは誰にもできません。少し考えれば分かるように、創世記5章に出てくる人間が、洪水前における人間の全てではないのです。創世記5章からメトシェラの年齢が人間における最高齢だったと考える人たちは、思考の力が不足していると思われます。そのように考えていた人たちのうち、教会の教職者たちは、もっと難しい本を読んで思考の筋力を鍛えたほうがよいでしょう。

【5:28~31】
『レメクは182年生きて、ひとりの男の子を生んだ。彼はその子をノアと名づけて言った。「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。」レメクはノアを生んで後、595年生き、息子、娘たちを生んだ。レメクの一生は777年であった。こうして彼は死んだ。』
 777年生きた9代目のレメクは、182歳の時に10代目のノアを生みました。このノアは、あまりにも重要な人物です。レメクはそのノアの父でしたが、レメクについて聖書ではこの箇所にしか書き記されていません。このレメクは、前に見たあの邪悪なレメクと同じ名前です。ですが、こちらのほうのレメクは、あの邪悪なレメクとは違い、邪悪性は高くなかったと思われます。何故なら、彼はノアの父ですし、これから見るように777歳生きましたし、この箇所で言われている言葉からは何の狡猾さも感じ取れないからです。もっとも、このレメクも、あのレメクやカインほどではなかったものの、他の全ての人たちと同様、罪深い堕落した者だったのは間違いありませんが。

 レメクは『777』歳まで生きましたが、この数字には意味があると考えられます。これは完全数「7」が3つ並んでいるのですから、非常に幸いな数字であると言えます。その数字がレメクに与えられています。これは、レメクという者が幸いな者であったことを意味していると思われます。このレメクは、あのノアを生んだ人です。ノアを生んだ人が幸いであるということは、十分に納得できることです。注目されるべき偉大な人物を生んだ者が幸いであるということを理解できないほどに、愚鈍な人が誰かいるのでしょうか。なお、この777という数字は、邪悪な数字である666ともっとも真逆に位置している数字です。

 この箇所でレメクは、ノアが当時の世界に幸いをもたらすであろうと言っています。これは確かにその通りでした。このノアにより、人類の新しい歴史が展開されることになったからです。このノアについては、これから見ていくことになります。しかし、レメクはどうしてノアが世界に幸いをもたらすことになると言えたのでしょうか。レメクは、ノアが生まれた際に、そのように言っています。レメクは、ノアが幼児の時から、既にノアの未来を知っていたかのようです。これは明らかに普通ではありません。私の考えでは、レメクは神か御使いからノアについて何らかの啓示を受けたのでしょう。ちょうどマリヤが受胎告知を受けた時のように。このように考えるのは、荒唐無稽ではありません。というのも、もしこうでなかったとすれば、どうしてレメクはあらかじめノアについて、このようなことを言えたのでしょうか。事前に何らかの働きかけを受けていなければ、このように言うのは難しいでしょう。まさか、レメクがたまたま思いつきでこのように言ったとでもいうのでしょうか。それはなかったと見るべきでしょう。もし事前に啓示を受けていたのでなければ、レメクはノアが生まれた際、預言の霊に動かされてこう言ったことになります。

 前にも述べましたが、この箇所におけるレメクの言説は、この時代の呪いがどれほどであったか示していると思われます。この時に注がれていた地上の呪いは、あまりにも凄まじく、果物が全く、もしくはほとんど産出されないような状況でした。それどころか、『いばらとあざみ』(創世記3章18節)が多く生え、大きな悩みと労苦を生じさせていました。しかし、ノアの時から、この大きな呪いが低減されることになりました。それゆえ、ノアの時以降、人々から悩みと苦労はそれ以前よりも少なくなりました。つまり、ノアの時を境として、呪いの度合いが明らかに変わった。だからこそ、レメクはここでノアにより人々には『慰め』が与えられるであろうと言っていると考えられます。もしノアの時から地に注がれていた呪いの度合いが低減されるというのでなければ、レメクが何を言っているのか理解できなくなります。レメクは、ここでノアが呪いにより生じた労苦を味わっている人々を慰めてくれる、と言っているのです。もしノアの時から呪いによる労苦が低減されるというのでなければ、レメクは何を言いたかったのでしょうか。ノアが現われてからも呪いによる労苦は何も変わらないのに、レメクはこう言ったのでしょうか。レメクはそんなことを言うほど愚かな者ではなかったでしょう。

【5:32】
『ノアが500歳になったとき、ノアはセム、ハム、ヤペテを生んだ。』
 10代目のノアは、500歳の時にセムとハムとヤペテを生みました。この3人の息子は三つ子でした。何故なら、この3人は『ノアが500歳になったとき』生まれたと書かれているからです。つまり、ノアが500歳であった「その年」に、3人の息子が生まれたわけです。であればセムとハムとヤペテは三つ子以外ではなかったでしょう。もし三つ子でなければ、3人とも同じ年に生まれたということはありえませんから、『ノアが500歳になったとき、ノアはセム、ハム、ヤペテを生んだ。』とは書かれていなかったはずです。恐らくこれまでこのことに触れた人は、キリスト教の歴史の中で誰もいなかったのではないでしょうか。アウグスティヌスもカルヴァンもこのことには触れていません。触れた人がいるのですが、単に私がその人を知らないというだけでしょうか。もし誰もこれについて過去に触れた人がいなかったとすれば、これまで教会はこの箇所をあまりよく考えていなかったということになりましょう。もしセムとハムとヤペテが三つ子であるという私の見解を否定する人がいれば、その人は聖書から否定の根拠を示すべきです。しかし、そのようなことは出来ないでしょう。私も他の箇所ではどう言われているか知ろうと思い聖書を調べましたが、この見解を否定する箇所は見出せませんでした。

 この3人の息子とその子孫について簡潔に見たいと思います。セムとハムとヤペテにおける人類の歴史は、真実な歴史であって、ユダヤ人が異邦人に知ってほしくないと願っている歴史です。イスラエル国も作成に協力した三貴という企業が出している日本語訳のタルムードの中では、非常に重要だと思える歴史のことが書かれていましたが、不思議なことに何故かそのページだけ2段組みの文章ではなくなっており(この書物は2段組みの文章でした)、そのうえ下の段のほうには奇異かつ巨大な模様が2つ描かれており、タルムードを読む異邦人たちの気を紛らわせようとしているのは見え見えでした。どうしてユダヤ人が真の歴史を異邦人に知らせたくないかと言えば、彼らにとって異邦人は豚に過ぎないからです。低劣な豚どもは進化論というゴミ思想の中で転がり回っていればよい、というわけです。ですから、このようにして真の歴史に関して私が書き記すのは、非常に意味のあることなのです。まず『セム』ですが、彼はヤペテの兄でした(創世記10:21)。セムの子孫たちは、中東の辺りに住みつきました。この種族は、3種族の中でもっとも移動の度合いが少ない種族です。これは彼らがもっとも祝福されていたからではないかと思われます。祝福されていたからこそ、敬愛すべき人類の父であるノアからあまり遠ざからなかったのでしょう。今の時代で言えば、スファラディ系のユダヤ人やアラブ人たちがセム人です。ビンラディンの顔であれば誰でもすぐ思い出せると思いますが、ビンラディンはセム系であって、セムは恐らくこのビンラディンのような顔立ちだったと推測されます。このセム族たちは知性の面ではあまり高いものを持っておらず、それは彼らの国における平均IQを見ても明らかですが、しかし3種族の中ではもっとも啓示や宗教的な事柄に馴染みやすい傾向を持っています。ですから、セム族のことを私は頭の中で「啓示人」また「宗教人」と認識するようにしています。次に『ハム』ですが、彼は三男でした(創世記9:24)。ハムの子孫たちは、エジプトのある南やアジアのある東のほうに移り住みました。彼らが西に行かなかったのは、恐らくハム系が呪われているからだと思われます。既に述べた通り、西ではなく東に行くというのは、自然や歴史の流れに逆行しているからです。また彼らは、3種族の中でもっとも移動の度合いが大きい。つまり、ノアからもっとも遠く離れた。これは、彼らがノアに対して精神的な抵抗感を抱いていたことの現われなのかもしれません。何故なら、ノアは3人の息子のうち、ハム系だけを呪ったからです(創世記9章)。兄弟の中で自分だけこんなことをされたのであれば、そのようにしたノアから離れたくなるのは自然でしょう。このハムの子孫たちは、エジプト人をはじめとしたアフリカ人たちや、中国人をはじめとしたアジア人たちがそうです。アシュケナージ系のユダヤ人であるロスチャイルドも自分がハム系であることを認めています。このハム族たちは、ヤペテ族が哲学的・理性的であるのとは違い、私の見るところでは非常に感覚的な傾向を持っています。ハム族の書く書物を見て下さい。ヤペテ族であるカントやロックなどのように哲学的・理性的な書物を書く人は例外的にしかいません。ですから、彼らは「感覚系」また「詩人系」とするのが適切だと感じられます。内村鑑三も日本人は詩人だと言っています(「我は如何にして基督教徒となりしか」)。最後の『ヤペテ』はセムの弟でした。ヤペテの子孫たちは、アッシリヤなどの中東地域およびヨーロッパ地域に移り住んでいます。彼らはセム人よりは移動の度合いが多く、ハム人よりは移動の度合いが少なかった。彼らがヨーロッパのある西へと進んで行ったのは、彼らが祝福されていたからだと思われます。西の流れは自然と歴史の流れに適合しているからです。現代のヨーロッパ人たちは、このヤペテ系の人たちです。彼らは、近代のヨーロッパ人や古代ギリシャ人を見れば分かるように、非常に哲学的・理性的です。ですから、ヤペテ族のことを私は頭の中で「哲学人」また「理性人」と認識するようにしています。この3人の子孫たちには、歴然とした性質の相違があります。今世界にいる人たちは、必ずこの3人の誰かを父祖として持っています。もちろん、現代では人種的な混合がかなりされていますから、この3人における複数の人を父祖として持っているという人も珍しくはありません。例えば、アメリカ元大統領のオバマはヤペテ人とハム人とのハーフですから、ヤペテとハムを父祖として持っていることになります。

【6:1】
『さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、』
 これは紀元前2400年頃のことです。その頃には『人が地上にふえ始め』ていました。しかし、それが実際にどれぐらいの数だったのかは分かりません。私たちに分かるのは、その頃には世界に人が一杯いたということだけです。学者たちもこの頃の世界人口を算出してはいますが、彼らの数値は信頼できません。何故なら、彼らは進化論の歴史観に基づいて古代の世界人口を算出しており、ノアの大洪水が起きたということさえ考慮していないからです。誤謬の歴史観に基づく数値を、どうして信頼できるでしょうか。誤謬を前提としていたのであれば、その前提から算出される数値も誤らざるを得ないでしょう。

【6:2】
『神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。』
 この時代にも、神とキリスト預言を信じる選ばれた聖徒たちが、地上にはいました。ここで『神の子ら』と言われているのは、彼らを指しています。しかし、『神の子ら』であった当時の聖徒たちは、結婚相手を選ぶ際、ただただ美しさ、すなわち女性の容貌を何よりも重要な基準としていました。つまり、結婚相手に求める要素として、信仰も、性格も、能力も、相性も二の次にしていました。この箇所から分かる通り、「とにかく美しい自分好みの女性を妻とする。」というのが当時の聖徒たちにおける思いだったのです。これは神の子らにはあるまじきことでした。何故なら、神の子らにとって、結婚する際にもっとも重要な要素となるのは明らかに美しさではなく「信仰」だからです。誰がこれを疑うでしょうか。もちろん、美しさがまったく駄目などと言っているわけではありません。聖書は、明らかに女性の美しさを首肯しています(創世記24:16、29:17、Ⅰサムエル記25:3、エステル記2:7、ヨブ記42:15)。というのも、それは神の賜物だからです。美しさという要素を完全に斥けるのは非人間的であると言えましょう。私が言っているのは、結婚の基準として美しさという要素を完全に否定せねばならないということではなく、信仰の要素に対して美しさの要素が上位に位置づけられてはいけない、ということなのです。

 これは当時の世界が酷く堕落していたことを意味しています。何故なら、もっとも正しくあるべき聖徒たちでさえ、結婚相手の基準を何よりも美貌に据えるという肉的な傾向に陥っていたからです。聖徒たちでさえこうだったのであれば、尚のこと、他の人たちが肉的だったのは間違いありません。つまり、世界全体が倫理的に異常となっていた。だからこそ、神は当時の世界に滅びの大洪水を引き起こされたのです。後にも見るようにこの大洪水は人類を滅ぼしましたが、この刑罰の大きさが、当時の世界における堕落性をよく示しています。何故なら、神とは真実で正しい御方ですから、その罪悪の度合いに応じた刑罰を御与えになられるからです。つまり、大洪水という破壊的な刑罰を下さねばならなかったほどに当時の世界は狂っていたということです。

 神の子らである聖徒たちが世の堕落に影響されている度合いは、その世界がどれだけ堕落しているかということを示しています。聖徒たちが世に毒される度合いは、この世界の堕落度を測るバロメーターなのです。もしその時の聖徒たちがこの世の原理や腐敗に呑み込まれていたとすれば、それはその世界が大いに堕落していることを意味しています。何故ならば、その時の世界の腐敗は、もっとも正しくあるべき聖徒たちをさえ呑み込んで押し流してしまうほどに力強いからです。ノアの時代には、聖徒たちがこの世の基準に完全に染まっていました。これは当時の世界に凄まじい腐敗が満ちていたからです。後に見る創世記5:11の箇所で『地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。』と書かれている通りです。南北朝時代のユダヤ人も、周りの民族の風習に大いに毒され、偶像崇拝や愚かな行ないをし、神の民として相応しく歩んでいませんでした。これも、当時における世界の腐敗が凄まじかったからです。しかし、アウグスティヌスの時代は違っていました。当時の聖徒たちは非常に敬虔であり、熱心に聖書の話を求め、女性でさえ難しい神学を学んでいるぐらいでしたから、この世の腐敗に呑み込まれていませんでした。確かにアウグスティヌスの時代には、教会の影響力が非常に強く、世界における腐敗の度合いはそこまで強かったとは言えません。とはいっても、これはあくまでもヨーロッパ地域のことだけに限られますが。今の時代はどうでしょうか。真のキリスト教であるプロテスタントにだけ話を絞りたいと思います。現在のプロテスタントは、たびたび世俗化が問題視されていることからも分かる通り、間違いなく世の原理に呑み込まれてしまっています。フェミニズムに毒されたのでもはや女性牧師が珍しくなくなり、歴史観も進化論に影響を受けており、常に世を光として振る舞う外に捨てられた従属的な存在に成り下がっているのです。これは、今の時代における腐敗があまりにも凄まじいからです。

 この箇所は、昔から夢想的な解釈を施す人が多くいます。全体的に言えば今の教職者よりも遥かに卓越していた教父たちも、そのような解釈を持っていました。今でも、その解釈を持つ人は少なくありません。どのような解釈かと言えば、ここで言われている『神の子ら』を天使のことだと捉えるのです。人間という聖徒とは捉えないのです。つまり、彼らは、この箇所で言われていることを天使たちが人間の女性と結婚して夫婦になったと解釈します。確かに聖書では、天使が肉体のペルソナを取って人の前に現われた出来事が、いくつも書かれています。また、天使とは確かに神の子らです。ですが、だからといって天使が肉体のペルソナを取ったうえで人間の女性と結婚したなどと考えるのは、行き過ぎです。カルヴァンも言いましたが、このように解釈するのは誤っています。しかも、彼らはこの天使と人間の女性におけるハーフが、創世記6:4の箇所で言われている巨人だったなどと考えます。天使と人間が子を生んだから、その子は巨人なのだと。ある偽典には、このハーフの人間が「悪霊」と呼ばれており、それが地上に凄まじい暴虐をもたらしていたなどと書かれています。カルヴァンも言っていましたが、どうしてこのような解釈が取れるのか私には理解できません。この箇所をこのように解釈するのは、呪われているとしか言いようがありません。このように解釈する人たちには、聖句を直視しない傾向があります。その傾向が呪いの対象となるので、呪いとしてとんでもない解釈を時折してしまうということになるわけです。もし彼らが聖句を直視する人たちであれば、この箇所で言われているのが天使のことだなどとは考えなかったでしょう。