【士師記1:1~36】(2022/05/22)


 この文書は、ヨシュアの死後、イスラエルがカナンの地でどのような歩みをしたのか記録しています。その歴史は、堕落して敵の支配に委ねられたユダヤ人が神の起こされた「士師」という救助者により解放される、ということの繰り返しでした。ですから、この文書は適切にも「士師記」と呼ばれています。この文書も、これまでの5巻と同じで、前の巻からの続きです。それは冒頭の箇所を見れば明らかです。しかし、ここまでの巻が全て同一の人物により書かれたかどうかは不明です。前にも述べた通り、複数の著述者たちが協同してそれぞれの巻を書き上げたかもしれないからです。もちろん、ある一人の聖なる人物がここまでの巻を全て神に動かされて書き記したという可能性もないわけではありません。この文書では、聖徒に対する神の懲らしめと神の憐れみについて、よく学び知ることができます。この文書で書かれている通り、ユダヤ人は神に背いたため懲らしめとして敵の支配へと何度も委ねられました。これは聖徒の罪がどれだけ苦々しいことか分からせるためでした。しかし、神は聖徒たちが悔い改めて神に立ち返ると、士師により敵の支配から助け出して下さいました。これは神の憐れみとその栄光とが豊かに示されるためでした。ですから、この士師記を読み、考え、理解するのは非常に有益なことです。神の懲らしめと憐れみは今の私たちにも関わっているからです。

【1:1】
『さて、ヨシュアの死後、イスラエル人は主に伺って言った。「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦わなければならないでしょうか。」』
 以前の巻でも見た通り、カナンの地からまだ全てのカナン人が追い払われたわけではありませんでした。ヨシュアが命じた通り、ユダヤ人はその残りのカナン人たちをも追い払わなければなりません(ヨシュア記23:4~5)。神が残りのカナン人もこれまでと同様に追い払って下さいますから、ユダヤ人が残りのカナン人を攻めれば必ず勝利できました(ヨシュア記23:5)。というわけで、これからユダヤ人はカナンの占領率を100%に至らせねばならないのですが、まずどの部族が先んじて占領に進み出なければいけないか主に伺いを立てています。彼らがまず主に伺いを立てたのは大正解でした。何故なら、この伺いはユダヤ人が神に服そうとしていることを意味するからです。

 あのダビデもこのようによく伺いを立てる信仰者でした。これはサムエル記を見れば分かる通りです。新約時代に生きる聖徒たちも、そのように神に伺いを立てる信仰者とならねばなりません。何故なら、私たちは自分の意志ではなく神の意志を選択せねばならない存在だからです。世俗化が進んでいたり愚かな教理が見られる現今のプロテスタント界で、キリストの聖徒たちは神に伺いを立てているのでしょうか?もし立てていない聖徒がいれば立てるべきでしょう。そうすれば神は必ず答えを示して下さいます。但し、祈りにおいて伺いを立てる場合は、当然ながら答えが神から示されたらその答えに服従するという前提で伺いを立てねばなりません。神は御自分の意志に服そうとしない者を喜ばれないからです。また祈りにおいて伺いを立てても、すぐに答えが示されるとは限らない、ということを弁えておかねばなりません。神は御心のままに私たちに答えを示して下さるからです。ですから、すぐに答えが示される場合もあれば、そうではない場合もあります。また、御言葉からどうすればいいか確実に判断できる事柄であれば、伺いを立てる必要はないでしょう。私たちは、御言葉を読んでもどうすればいいのか判断に困る場合や御言葉でハッキリした指示が示されていないので自信が持てない場合などに、主に伺いを立てるべきなのです。私たちはギブオンでの時を思い返すべきです。あの時のユダヤ人たちは神に伺いを立てず、自分たちで勝手な判断をしたので、後ほど後悔せねばならなくなったのです(ヨシュア記9章)。

【1:2】
『すると、主は仰せられた。「ユダが上って行かなければならない。見よ。わたしは、その地を彼の手に渡した。」』
 主が、名誉ある一番手に指名したのはユダ族でした。ユダ族が最初に指名されたのは、間違いなくこの部族がメシアの部族だからです。メシアこそ第一であるべきなのです。ですから、他の部族も最初にユダ族が選ばれたことを不満に思わなかったはずです。ユダ族が占領すべき『その地』とは『ベゼク』(士師記1章4節)でした。この場所はマナセの半部族の相続地にあり、シェケムから30kmほど北東に離れています。このベゼクはまだ未占領の地でした。

【1:3】
『そこで、ユダは自分の兄弟シメオンに言った。「私に割り当てられた地に私といっしょに上ってください。カナン人と戦うのです。私も、あなたに割り当てられた地にあなたといっしょに行きます。」そこでシメオンは彼といっしょに行った。』
 ユダ族は、ベゼクを攻め取りに行く際、シメオン族に協力を要請します。これはシメオン族がユダ族の相続地で共に住んでいたからであり、一人でなく二人であれば諸々のメリットが齎されるからです(伝道者の書4:9~12)。ユダ族がこのように協力者を求めたのは問題ありませんでした。何故なら、この協力要請は臆病や不信仰に基づいているのでなく、ただ任務に万全を期するためだったからです。ここで『兄弟シメオン』と書かれているのは、シメオンがユダの2つ上の兄だったからです。ユダ族は、もしシメオン族が協力してくれるなら、シメオン族が占領に出かける際は自分たちも協力すると約束します。協力して貰ったのに協力し返さないというのは礼儀知らずであり道義に悖るからです。

【1:4~5】
『ユダが上って行ったとき、主はカナン人とペリジ人を彼らの手に渡されたので、彼らはベゼクで一万人を打った。彼らはベゼクでアドニ・ベゼクに出会ったとき、彼と戦ってカナン人とペリジ人を打った。』
 ユダ族がシメオン族を連れて北にある『ベゼク』を攻め上ると、神がベゼクの人々をユダヤ人に渡されましたから、ユダヤはまたもや大勝利を収めました。この箇所でユダヤ側の被害状況については何も書かれていません。ですから、ベゼクでの戦いでどれだけの損失がユダヤ側に出たか全く不明です。しかし、神がベゼク人をユダヤ人に渡して下さったのですから、ユダヤ人には少しの損失も生じなかったと考えてよいでしょう。『アドニ・ベゼク』とはベゼクの王です。

【1:6~7】
『ところが、アドニ・ベゼクが逃げたので、彼らはあとを追って彼を捕え、その手足の親指を切り取った。すると、アドニ・ベゼクは言った。「私の食卓の下で、手足の親指を切り取られた七十人の王たちが、パンくずを集めていたものだ。神は私がしたとおりのことを、私に報いられた。」それから、彼らはアドニ・ベゼクをエルサレムに連れて行ったが、彼はそこで死んだ。』
 前の註解書でも述べた通り、古代の戦いにおいて王は最も死ぬ確率の低い存在でしたから、この時にはアドニ・ベゼク王もユダヤ人から逃げましたが、結局は追いかけられて捕らえられました。神により渡された者は逃げても逃げられないのです。そして、捕えられるとユダヤ人により『手足の親指を切り取』られました。これは悲惨なことですが、この仕打ちはアドニ・ベゼク自身がした通りのことでした。この王は、70人もの王たちの手足における親指を切り取り食卓の下でパンを集めさせていたのです。神は、この王がした通りにこの王にもなさいました。ですから、アドニ・ベゼクがこうなったとしても自業自得でした。自分がした通りにされても誰が文句を言えるのでしょうか。また、この箇所から分かるのは、アドニ・ベゼクが実に強大な王だったということです。何故なら、彼は『七十人の王』を屈服させていたからです。ところで、この『七十』(人)という数字は実際上の数字ですが、聖書において「七十」は十分さを示していますから、これはアドニ・ベゼクが実に多くの王たちを支配していたということです。また、手足の親指を切り取るという行為には、アドニ・ベゼクの残虐さ、邪悪さ、異常さが示されています。実際に親指を使わないで何か掴もうと試すと分かりますが、親指を抜きにパンを掴むというのは実に惨めであり、もし私たちがそのようにさせられたら屈辱を感じずにはいないでしょう。アドニ・ベゼクはこんな愚行を平気で行なう者でしたから、食卓の下でパンを一生懸命集めている王たちを見て、せせら笑っていた可能性が十分にあります。この時にユダヤ人がアドニ・ベゼクのこの愚行を知っていたのでアドニ・ベゼクにも同じようにしたのか、それとも知らないでこのようにしたのかは分かりません。どちらだったにせよ、アドニ・ベゼクは神に報いられたため親指を切り取られることとなりました。アドニ・ベゼクがもし70人の王たちの親指を切り取っていなければ、彼の親指も切り取られることはなかったでしょう。神が聖書でソロモンを通して教えられたように『いわれのないのろいはやって来ない』(箴言26章2節)からです。

 『神は私がしたとおりのことを、私に報いられた。』アドニ・ベゼクは邪悪な王でしたが、この言葉は正に真実であり、それゆえ心に留めるに値します。この言葉は重要です。このアドニ・ベゼクもそうでしたが、神は人の行ないにそのまま報いられる御方です。聖書の全体がそう教えています。オバデヤ15の箇所ではこう書かれています。『あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。』ダビデも神に対しこう言いました。『あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。』(詩篇18:25~26)こういうわけですから、私たちは神の報いを前提として生き、誰にも決して悪をしないようにすべきです。これは聖書に基づいた忠告ですから、押し付けだなどと思ってはなりません。私たちが誰かに悪をすればやがて自分も同じように悪くされるのです!未信者の人さえこのことを認めています。もしこれが押し付けだと言うのであれば、その人は自分がした通りの悪を自分にもされてよいと思うのでしょうか。まさか、そのようには思う人はいないでしょう。ですから、私が今言ったことを自分のため心に留めるとよいのです。もし神の報いを前提として生きるならば、その人は悪を避けるようになるでしょう。何故なら、誰かに悪を行なえば自分にも悪が行なわれると知っているからです。その人は寧ろ善を寛大に行なおうとするはずです。何故なら、善を豊かに行なえば、やがて自分にも善が豊かに行なわれると知っているからです。ですから、神の報いを心に留め、その報いを前提として生きるのは非常に重要であり有益です。

 こうしてユダヤ人は、アドニ・ベゼクをかなり南のほうにあるエルサレムに連れて行きましたが、これは何故だったのでしょうか。これは難攻不落のエルサレムを突破するため、アドニ・ベゼクをエルサレムに使者として遣わした可能性があります。エルサレムにいたエブス人は、ユダヤ人でなく自分たちと同じカナン人であれば、心を許すことが出来たはずだからです。アドニ・ベゼクという王であれば尚のこと心を許せたと思われます。しかし、これはあくまでも推測に過ぎません。聖書はどうしてユダヤ人がこの王をエルサレムに連れて行ったのか何も示していないからです。

【1:8】
『また、ユダ族はエルサレムを攻めて、これを取り、剣の刃でこれを打ち破り、町に火をつけた。』
 続いてユダ族はエルサレムを攻め、神の恵みによりそこを占領します。前述の通り、この時の占領では、アドニ・ベゼクがエルサレム突破のためユダヤ人の道具として使用された可能性もあります。しかし、この時の占領でエルサレムが全て占領されたのではありません。すなわち、占領された部分は限られていました。というのも、エルサレムにはダビデの時代までずっとエブス人が住んでいたからです(Ⅱサムエル5:6~7)。また、この時のエルサレムにそこまで重要性はありませんでした。何故なら、そこにはまだ神殿も契約の箱もなかったからです。この時であればシェケムのほうが遥かに重要な場所でした。シェケムには主の幕屋および契約の箱があったからです。

【1:9~10】
『その後、ユダ族は山地やネゲブや低地に住んでいるカナン人と戦うために下って行った。ユダはヘブロンに住んでいるカナン人を攻めた。ヘブロンの名は以前はキルヤテ・アルバであった。彼らはシェシャイとアヒマンとタルマイを打ち破った。』
 エルサレムを攻め取ったユダヤ人は、エルサレムから南下して更に占領を続けます。エルサレムに続いて占領したのはヘブロンでした。この場所はそれまで『キルヤテ・アルバ』という異邦人の名を冠した名前で呼ばれていましたが、ユダヤ人が占領してからは『ヘブロン』という名前に改められました。また、この時にはアナクの3人の息子である『シェシャイとアヒマンとタルマイ』が打ち滅ぼされました。このヘブロン占領については、既にヨシュア記15:13~14の箇所で書かれていました。

【1:11~15】
『ユダはそこから進んでデビルの住民を攻めた。デビルの名は以前はキルヤテ・セフェルであった。そのときカレブは言った。「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」ケナズの子で、カレブの弟オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを彼に妻として与えた。彼女がとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めることにした。彼女がろばから降りたので、カレブは彼女に、「何がほしいのか。」と尋ねた。アクサは彼に言った。「どうか私に祝いの品を下さい。あなたはネゲブの地に私を送るのですから、水の泉を私に下さい。」そこでカレブは、上の泉と下の泉とを彼女に与えた。』
 この箇所は、前に見たヨシュア記15:15~19の箇所と同じ内容です。すなわち、どちらも同じ出来事について記録されています。創世記から一巻ずつ順々に読み進めた人であれば、ヨシュア記15:15~19の箇所に来た時、そこではヨシュア存命中の出来事が書かれていたと思っていたはずです。しかし、そこと同様の内容が書かれているこの箇所を見ると、前の箇所で書かれていたのは実はヨシュア亡き後の出来事だったと分かります。何故なら、私たちが今見ているこの箇所で書かれているのは『ヨシュアの死後』(士師記1章1節)に起きた出来事だからです。つまり、前にヨシュア記15:15~19の箇所で書かれていたのは、記述的に時系列通りでなかったということです。このように聖書では、他の箇所と併せて読まないと思い違いをしてしまう箇所が非常に多くあります。だからこそ聖書は難しい書物なのです。ある箇所を単体的に見て考えると思い違いをする場合も少なくありません。私たちは気を付けねばなりません。というわけで、この箇所は既にヨシュア記の註解書で見ておきましたから、繰り返しを避けるためここで再び詳しく見ることはしません。

【1:16】
『モーセの義兄弟であるケニ人の子孫は、ユダ族といっしょに、なつめやしの町からアラデの南にあるユダの荒野に上って行って、民とともに住んだ。』
 モーセは異邦人と結婚しましたから(出エジプト記2:21)、義父も異邦人であり、義父の息子である『義兄弟』も異邦人でした。モーセもユダヤ人でしたから本来であれば同族のユダヤ人と結婚すべきでしたが、モーセの境遇を考えれば異邦人と結婚しても仕方ない面がかなりありました。モーセの姉ミリヤムはモーセの妻が異邦人なのでモーセを非難しましたが(民数記12:1)、神はモーセの妻について問題視しておられませんでした。何故なら、モーセに異邦人を妻として与えたのは神だったからです。結婚とは、神がある男とある女を結び付けて一緒にすることです(マタイ19:6)。ですから、モーセの妻と義父と義兄弟が異邦人であったことについて、私たちはとやかく言うべきではありません。さて、かつてモーセは義兄弟である異邦人のホバブに、シナイでの案内役になるよう懇願しましたが(民数記10:29~32)、ホバブはこの懇願を受諾していました。民数記10章の箇所では、ただモーセの懇願に対しホバブが拒絶している出来事しか書かれておらず、実際にホバブがイスラエル人と共に行ったかまでは分かりませんでした。しかし、私たちが今見ている箇所から、ホバブは最終的にモーセの懇願を受諾していたことが分かります。何故なら、この箇所ではホバブの子孫がヨシュア亡き後のユダヤ人と共にいたと示されているからです。ホバブがモーセたちと一緒に行ったのでなければ、どうしてこの時のユダヤ共同体にホバブの子孫がいるのでしょうか。この子孫たちはユダ族と共に『なつめやしの町』であるエリコから、南に70kmほど離れた『アラデの南にあるユダの荒野』に行き、ユダヤの一員としてユダヤ人と共に住みました。この『アラデ』は死海の西にあり、南に進んでアクラビムの丘陵地帯を超えるとエドムの国に至ります。

【1:17】
『ユダは兄弟シメオンといっしょに行って、ツェファテに住んでいたカナン人を打ち、それを聖絶し、その町にホルマという名をつけた。』
 続いてユダ族はシメオン族と共に『ツァファテ』を占領し、そこを『ホルマ』という名前に改めました。この『ホルマ』はアラデから南西に15kmほど離れており、すぐ北には東西に流れるかなり長い川がありました。

【1:18~19】
『ついで、ユダはガザとその地域、アシュケロンとその地域、エクロンとその地域を攻め取った。主がユダとともにおられたので、ユダは山地を占領した。しかし、谷の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払わなかった。』
 続いてユダ族はガザとアシュケロンとエクロンを攻め取りますが、これらはペリシテ人の地域です。『ガザ』は今でもよくニュースで出て来ますから多くの人が知っている場所です。『アシュケロン』はガザから20kmほど北に離れており、『エクロン』はアシュケロンから30kmほど北東に離れています。これらの地域はカナンの最も西側、地中海の近くにあります。こうしてユダ族は『山地』にいたカナン人を打ち取りました。神が山地のカナン人をユダヤ人に渡して下さったからです。神がもしカナン人を渡して下さらなければ、ユダヤ人は彼らを打ち取れなかったはずです。何故なら、カナン人は強くて数も多かったからです。

 ユダ族は『鉄の戦車』を持つカナン人を追い払いませんでしたが、これは何故だったのでしょうか。戦車を持っているので勝利できはしないと判断したのでしょうか。しかし、神が戦って下さるのであれば、たとえ敵がダイヤモンドの戦車を持っていたとしても、そんなのはただのガラクタと化します。では、多くの損失を出さずには戦車を持つ敵には打ち勝てないと判断したので、戦って追い払おうとしなかったのでしょうか。しかし、ユダヤには神が共におられるのですから、ユダヤ側は損失を受けずに戦車部隊を撃破できたはずです。それでは、戦車部隊を見たユダ族があの40年前の時のように恐れたとでもいうのでしょうか。しかし、この箇所でそのようなことは書かれていません。戦車持ちのカナン人を倒そうとしなかった理由が必ず何かあったはずです。理由がないはずはありません。その理由として可能性が高いのは、戦車部隊を恐れて不信仰になったからなのかもしれません。何故なら、もしユダヤ人が神に強い信頼を寄せていれば、相手がどれだけ強力な戦車を持っていても問題にはしなかったでしょうから。

【1:20】
『彼らはモーセが約束したとおり、ヘブロンをカレブに与えたので、カレブはその所からアナクの三人の息子を追い払った。』
 モーセはカレブの踏む地がカレブの相続になると誓っていましたから(ヨシュア記14:9)、カレブはヘブロンから『アナクの三人の息子を追い払っ』て、その地を占領しました。この出来事については既に見た通りです。

【1:21】
『ベニヤミン族はエルサレムに住んでいたエブス人を追い払わなかったので、エブス人は今日までベニヤミン族といっしょにエルサレムに住んでいる。』
 エルサレムはユダ族だけでなくベニヤミン族の相続地にも含まれていましたが、ベニヤミン族はエルサレムにいたエブス人を追い払いませんでした。ユダ族も同じくエルサレムにいたエブス人を追い払いませんでした(ヨシュア記15:63)。ベニヤミン族とユダ族はエルサレムからエブス人たちを追い払うべきでした。しかし、そうしませんでした。これはカナン人の全てを滅ぼせと命じられた神の御心に適いませんでした。ユダヤ人が持っていた未熟な愚かさのゆえ仕方なく生かさねばならなくなったギブオン人でさえ、本来であれば全滅させるべきだったのです。このため、詩篇106:34の箇所では『彼らは、主が命じたのに、国々の民を滅ぼさず、…』とユダヤ人に対し非難がされているのです。

【1:22】
『ヨセフの一族もまた、ベテルに上って行った。主は彼らとともにおられた。』
 続いてヨセフの一族が行なった占領について書かれています。ここでは『ベテル』の占領について書かれていますが、この場所はギブオンから15kmほど北東に離れています。このベテルはまだ未占領でした。

【1:23~26】
『ヨセフの一族はベテルを探った。この町の名は以前はルズであった。見張りの者は、ひとりの人がその町から出て来るのを見て、その者に言った。「この町の出入口を教えてくれないか。私たちは、あなたにまことを尽くすから。」彼が町の出入口を教えたので、彼らは剣の刃でこの町を打った。しかし、その者とその氏族の者全部は自由にしてやった。そこで、その者はヘテ人の地に行って、一つの町を建て、その名をルズと呼んだ。これが今日までその名である。』
 ヨセフ一族はベテルを占領する際、まず調査から開始します。これは情報がなければ占領を上手く成し遂げられなくなりかねないからです。言うまでもなく情報があればあるほど勝利や成功の度合いもより深まるようになります。ヨセフ族は、ベテルから出て来たある人物と交渉して町の出入口を教えてもらい、その出入口から突入してベテルを壊滅させました。ベテルの人々はユダヤ人に全く対抗できませんでした。神がベテルとそこにいた人間をユダヤ人に渡して下さったからです。この町は『ルズ』という名前でしたが、これは異邦人による名前だったので、ユダヤ人は『ベテル』と改名します。しかし、ユダヤ人と交渉したベテル人は別の地に行って新しい町を建て、その町に自分がかつて住んでいた町と同じ『ルズ』という名前を付けました。この人はユダヤ人に滅ぼされた自分の町が心惜しかったので、その町の名前を新しい町において残そうとしたのだと思われます。ユダヤ人はこの人物に『まことを尽くす』と誓っていましたから、この人物が新しく建てた町を滅ぼすことはしませんでした。ですから、その町は士師記が書かれた『今日』までずっと存続していました。

【1:27~28】
『マナセはベテ・シェアンとそれに属する村落、タナクとそれに属する村落、ドルの住民とそれに属する村落、イブレアムの住民とそれに属する村落、メギドの住民とそれに属する村落は占領しなかった。それで、カナン人はその土地に住みとおした。イスラエルは、強くなってから、カナン人を苦役に服させたが、彼らを追い払ってしまうことはなかった。』
 マナセ族はここで書かれている5つの地域を占領しませんでしたが、これはマナセ族がまだ強くなっていなかったからです。それはユダヤ人の罪のためでした。罪があると人や集団は弱くなります。ですから、ユダヤ人は強くなってからこれらの地域を占領することができました。しかし、占領された地域にいたカナン人は占領されてからもずっと『その土地に住みとおし』ました。ユダヤ人は彼らを奴隷にするだけで滅ぼし尽くさなかったのです。ここに彼らの未熟さ、妥協性、不信仰がありました。『ベテ・シェアン』はベゼクから20kmほど北東に離れており、すぐ東側にヨルダン川があります。『タナク』はメギドから南に10kmほど離れています。『ドル』はカルメル山の南西、シャロンの平原の北にあり、地中海に面した場所です。『イブレアム』はタナクから15kmほど南東に離れており、その東にはギルボア山があります。『メギド』はタボル山から20kmほど南西に離れており、古代ではよく戦場になった場所です。

【1:29】
『エフライムはゲゼルの住民カナン人を追い払わなかった。それで、カナン人はゲゼルで彼らの中に住んだ。』
 エフライム族は、アヤロンの南にある『ゲゼル』にいたカナン人を追い払いませんでしたが、これはカナン人の全滅を命じておられた神の御心に適いませんでした。ここに彼らの不敬虔がありました。もう既にこの時からユダヤ人には偶像崇拝の芽が出始めていました。ですから、これからその芽が実を結び、ユダヤ人は生かしておいたカナン人を通して偶像崇拝に引き込まれてしまったのです。もし主の命令通りゲゼルのカナン人を含め全てのカナン人を滅ぼしていたとすれば、カナン人を通じて偶像崇拝に陥ることなど無かったでしょうに。ああ、愚かで悟ることのなかったユダヤ人よ!

【1:30】
『ゼブルンはキテロンの住民とナハラルの住民を追い払わなかった。それで、カナン人は彼らの中に住み、苦役に服した。』
 ゼブルン族の相続地は、北西をアシェル族の相続地と、北東をナフタリ族の相続地と、南西をマナセの半部族の相続地と、南東をイッサカル族の相続地と接しています。このゼブルン族もキテロンとナハラルにいたカナン人を追い払いませんでした。彼らは奴隷にされましたが、苦役に服させればそれで良いというわけではありませんでした。彼らは滅ぼされるべきだったからです。

【1:31】
『アシェルはアコの住民や、シドンの住民や、またマハレブ、アクジブ、ヘルバ、アフェク、レホブの住民を追い払わなかった。そして、アシェル人は、その土地に住むカナン人の中に住みついた。彼らを追い払わなかったからである。』
 アシェル族の相続地は、南をマナセの半部族の相続地と、南東をゼブルンの相続地と、東をナフタリ族の相続地と接しています。アシェル族も、ここで書かれている7つの民族を追い払いませんでした。これはアシェル族の不遜さを示しています。このようにしてユダヤ人は偶像崇拝という罠を自分自身の前に平気で置きました。神が言われた通り、カナン人が生かされたならばユダヤ人を偶像崇拝に陥らせる作用因となるからです(申命記7:1~4)。これはデスクに麻薬を置いておくようなものです。目に入る場所に麻薬があれば、いつか魔が差して、その麻薬に手を出すことにもなりかねません。ユダヤ人もそのようにしてカナン人の神々を拝むに至りました。『アコ』はカルメル山の北にあり、地中海に面しています。『シドン』はシドン人の国であり、レバノン山の西にある場所です。『アクジブ』はアコから20kmほど北にあります。『アフェク』はアコから10kmほど南東にあり、カルメル山の北東に位置しています。アシェル族が7つの民族を追い払わないでいたのは、聖書で意味のある数字である「7」ですから、<本当に多くの民族を追い払わないでいた>ということが示されているのかもしれません。「7」は聖書で豊かさを示すからです。

【1:33】
『ナフタリはベテ・シェメシュの住民やベテ・アナテの住民を追い払わなかった。そして、その土地に住むカナン人の中に住みついた。しかし、ベテ・シェメシュとベテ・アナテの住民は、彼らのために苦役に服した。』
 ナフタリ族の相続地はカナンの最も北にあり、西をアシェル族の相続地と、南西をゼブルン族の相続地と、南をイッサカル族の相続地と、東をマナセの半部族の相続地と、北東をダン族の相続地と接しています。彼らも2つの地域に住んでいたカナン人を追い払いませんでしたが、これは彼らが不遜だったからです。この世は、カナン人を滅ぼさず生かしておいた古代ユダヤ人の態度を「憐れみ」と見做して称賛するかもしれません。しかし、これは神の御前で不遜な態度に他なりませんでした。何故なら、神が滅ぼせと命じられたのにユダヤ人は滅ぼさなかったからです。このことからも分かる通り、往々にして人間が憐れみと見做す事柄は神の御前で傲慢となります。

【1:34~36】
『エモリ人はダン族を山地のほうに圧迫した。エモリ人は、なにせ、彼らの谷に降りて来ることを許さなかった。こうして、エモリ人はハル・ヘレスと、アヤロンと、シャアルビムに住みとおした。しかし、ヨセフの一族が勢力を得るようになると、彼らは苦役に服した。エモリ人の国境はアクラビムの坂から、セラを経て、上のほうに及んだ。』
 ダン族は力不足のため山地にいたエモリ人を打ち負かせませんでしたが、やがて『ヨセフの一族』―これはエフライム族でしょう―が強くなると、このヨセフ族によりエモリ人は屈服させられました。しかし、このエモリ人もやはり苦役に服させられただけで、滅ぼされることはありませんでした。一体何なのでしょうか、この命令違反は。これではまるで「カナン人を全ては滅ぼさなくてもよい。」と神が命じておられたかのようです。こういうわけで古代ユダヤ人は非難されても文句を言えませんでした。