【士師記2:1~5:16】(2022/05/29)


【2:1】
『さて、主の使いがギルガルからボキムに上って来て言った。』
 『ギルガル』とはヨルダン川を渡ってすぐの場所にあり、イスラエル人がカナンに入ってから築かれた最初の陣営でした。このギルガルから『主の使い』がユダヤ人のいる『ボキム』に上って来ました。これはキリストであられます。主は旧約時代において、このように『主の使い』として何度も御民の前に現われて下さいました。この『主の使い』を被造物の御使いだと考えてはなりません。この御方の言われた御言葉を見れば、この御方が主であられると分かるからです(士師記2:1~3)。

【2:1~3】
『「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れて来て言った。『わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。それゆえわたしは言う。『わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる。』」』
 主はユダヤ人をエジプトからカナンに連れて来られた際、ユダヤ人に2つのことを言われました。一つ目は、神がユダヤ人との『契約を決して破らない』ということです。これは神が『誠実な神』(申命記7章9節)だからです。誠実であるため決して契約を破らないマルクス・アティリウス・レグルスのような人間を造られた神は、そういった誠実な人間よりも尚のこと誠実であられ、尚のこと契約を破られません。二つ目は、神との契約のうちにあるユダヤ人が、決してカナン人と契約を結んだりカナンにある邪悪な祭壇を壊さないままでいてはならない、ということです。もしユダヤ人がカナン人と契約を結ぶのであれば、カナン人はユダヤ人をカナンの神々に引き込むため誘惑するだろうからです。また悪霊である偽りの神々の祭壇をそのまま壊さずにいれば、いつかその祭壇で祭儀をしてみようと魔が差すことになりかねません。こんなことが起これば、それは神との契約を汚すことになります。ですから、ユダヤ人はカナン人と契約を結んだり彼らの祭壇を残したりしてはなりませんでした。ところが、ユダヤ人は神の言われた通りにしませんでした。ユダヤ人は、カナン人と契約を結んで彼らが生き延びるようにし、カナンにあった祭壇も全ては滅ぼすことをしていませんでした。これは明らかに罪です。このため、神は『なぜこのようなことをしたのか。』とユダヤ人を断罪しておられます。

 このようにユダヤ人が罪を犯したので、神の裁きとして、もはやカナン人はユダヤ人の前から追い払われなくなりました。それはユダヤ人がカナン人を滅ぼすどころかカナン人と仲良くしたからです。ユダヤ人にカナン人を追い払う気がないのであれば、もうどうにもなりません。その生き残されたカナン人はユダヤ人の敵となります。何故なら、カナン人の心にはユダヤ人に対する根本的な敵意があったからです。この敵意は抜き取り難いものでした。だからこそ、神はカナン人を全滅させよと命じておられたのです。また、ユダヤ人がカナンにあった偶像を滅ぼさないでいたので、その偶像の神々はユダヤ人に『わなとなる』ことになりました。何故なら、先にも述べた通り、これはデスクの上に麻薬を置いておくようなものだからです。デスクに置かれた麻薬は必ずそこで仕事をする人に罠となりましょう。人間は堕落しており弱いのですから。後ほど、ユダヤ人はこの罠に陥り、自分たちが壊さずにいた偶像の虜となってしまいました。これは、ちょうどデスクの上にあった麻薬に心が惹かれて「少しぐらいやってみようか…。」などと言いつつ呪われし禁断の快楽を味わってしまうのと一緒です。

【2:4~5】
『主の使いがこれらのことばをイスラエル人全体に語ったとき、民は声をあげて泣いた。それで、その場所の名をボキムと呼んだ。彼らはその場所で主にいけにえをささげた。』
 主がこのように語られると民は『声をあげて泣いた』のですが、これはほとんど眠りかけていた罪悪感が主の断罪により突如としてハッキリ目覚めさせられたからです。彼らも主の命令通りにしていなかったことを僅かさえも感じていなかったのではありませんでした。彼らは主の命令を知っていたのですが、ただ自分たちの好きなように行ないたかったので、自ら意識的に良心を微睡ませていたのでした。そうすれば罪悪感をほとんど感じずに好き放題できるからです。しかし、主はその罪悪感を微睡みから強力に呼び覚まされました。そして、ユダヤ人はこの場所で神に犠牲を捧げましたが、これは罪のためです。すなわち、ユダヤ人は神に罪を犯したので贖いをしなければいけませんでした。流石にこういう時でさえ贖いを忘れるほどユダヤ人も堕落していたわけではありませんでした。そして、この場所は『ボキム』と呼ばれるようになりましたが、これは「泣く」という意味です。この場所もそうでしたが、その場所で起きた事柄に基づいた名前を付けるのが古代ユダヤ人のよく行なう命名方法でした。

【2:6】
『ヨシュアが民を送り出したので、イスラエル人はそれぞれ地を自分の相続地として占領するために出て行った。』
 この箇所は前の箇所から内容的に繋がっていません。すなわち、この6節目は前の5節目の続きではありません。何故なら、前の箇所で書かれていたのはヨシュア亡き後の出来事でしたが、この6節目で書かれているのはヨシュアがまだ生きている時の出来事だからです。この6節目からは明らかに話の内容が変わっています。ですから、前の5節目までを1章とし、この6節目から2章としてもよかったでしょう。周知の通り、聖書の章と節は人間が勝手に付けた割り振りに過ぎませんから、いい加減な割り振りであれば文句を言うことが許されます。この箇所で言われている通り、ヨシュアはカナン占領のためイスラエル人をそれぞれ遣わしました。これについては既に見ておきました。

【2:7~9】
『民は、ヨシュアの生きている間、また、ヨシュアのあとまで生き残って主がイスラエルに行なわれたすべての大きなわざを見た長老たちの生きている間、主に仕えた。主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。人々は彼を、エフライムの山地、ガアシュ山の北にある彼の相続の地境ティムナテ・ヘレスに葬った。』
 この3節の箇所は既に書かれていたことの繰り返しです。7節目はヨシュア24:31の箇所と、8節目はヨシュア24:29の箇所と、9節目はヨシュア24:30の箇所と同じことが言われています。ただ9節目で『ティムナテ・ヘレス』と言われているのは、ヨシュア24:30の箇所では『ティムナテ・セラフ』となっています。このように既に書かれた内容が再び書かれるのは、これから新しい話に流れを展開させるためです。

【2:10】
『その同世代の者もみな、その先祖のもとに集められたが、彼らのあとに、主を知らず、また、主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代が起こった。』
 時間が経つと、ヨシュアおよび神の御業をその目で見た世代のユダヤ人が、『その先祖のもとに集められ』ました。『先祖のもとに集められた』とは、死んで既に神の御許へと引き上げられていた聖徒たちと一緒の状態になったということです。モーセも、間もなく死ぬ時に『あなたの民に加えられよ。』(申命記32章50節)と言われました。この世代のユダヤ人が先祖と一緒の状態になったというのは、つまり彼らがメシアにより贖われていたということです。何故なら、メシアの贖いを受けることなしに先祖のもとに集められることはないからです。彼らは『主に仕えた』のですから、確かにメシアにより贖われていました。人はまず贖われるからこそ聖徒として神に仕えるのだからです。

 しかし彼らが全てこの世から去ると、『主を知らず、また、主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代』が現われました。これは前の世代とは違った世代です。何故なら、神の御業をその目で見たか見ていないかというのは、あまりにも大きな違いだからです。車やスマホを見ているか見たことがないか、という違いよりそれは大きな違いです。神の御業は車やスマホよりも遥かに大きく素晴らしく衝撃的だからです。神の御業を五感で体験するということがどれだけ大きなことか私たちは悟らなければなりません。それを体験するのとしないのとでは世界観がかなり変わってしまいます。その御業を実際に見るのは、ただ御業を信じたり思い描くのと比べて段違いのことだからです。

【2:11~12】
『それで、イスラエル人は主の目の前に悪を行ない、バアルに仕えた。彼らは、エジプトの地から自分たちを連れ出した父祖の神、主を捨てて、ほかの神々、彼らの回りにいる国々の民の神々に従い、それらを拝み、主を怒らせた。』
 主の御業をその目でまざまざと見た世代のユダヤ人が全くいなくなると、全く新しい世代のユダヤ人たちはやすやすと偶像崇拝に引き込まれてしまいました。神の御業を見ていなければ、御業を見た世代に比べて信仰と敬虔の度合いが弱まったとしても不思議ではありません。信仰や敬虔がさほど強くなければ、それだけ神から離れやすくなりましょう。このため、神の御業を知らない世代は平気で偶像を拝んでしまったのでした。彼らの帰依した『バアル』とはカナンの神々の一人であって、バアルは「主」という意味です。今でもカナン人の拝んでいたバアルの像が残っていますが、人の姿をしています。こんな下らない馬鹿げたガラクタをカナン人は大事そうに拝んでいたのです。それはカナン人が下らない馬鹿げたゴミくずのような民族だったからです。そして、ユダヤ人も残念ながらこのような愚かしい像を拝んでしまいました。これはユダヤ人が愚かだったからです。カナンでは多くの神々が拝まれていました。ですから、ユダヤ人はこのバアル以外にもアシュタロテやモレクなどといった偶像に帰依しました。11節目で『悪』と書かれているのは偶像崇拝を指します。これは最も大きな罪の一つです。何故なら、偶像崇拝とは神という存在そのものであられる御方を蔑ろにし偽りの神々という存在しないただの妄想神を重んじる倒錯した振る舞いだからです。これが悪でなければ一体何を悪と言えばよいでしょうか。

 このような偶像崇拝を行なったユダヤ人に対し、唯一真の神は御怒りを燃やされました。ユダヤ人が『エジプトの地から自分たちを連れ出した父祖の神、主を捨てて、他の神々、彼らの回りにいる国々の民の神々に従い、それらを拝』んだからです。せっかく神が慈しみ深く奴隷の家エジプトから惨めなユダヤ人を助け出して下さったというのに、ユダヤ人はこの神を裏切ったのですから、神が御怒りを持たれたのは当然でした。確かなところ、ユダヤ人はもうこの時点で1000回の滅びに値しました。しかし、神はこんなにも邪悪な振る舞いに陥ったユダヤ人をたったの1回でさえ滅ぼされませんでした。これは神が『あわれみ深く、情け深い神』(出エジプト記34章6節)であられたからです。

 それにしてもユダヤ人が神を捨て去るのはどれだけ早かったことでしょうか!彼らは神の御業を見た世代がいなくなると、すぐさま神を捨て去ったのです。ユダヤ人はこのように不敬虔な民族でした。だからこそ、この民の不敬虔さをよく御存知であられた神は、律法の中であれほどまで何度も繰り返し繰り返し堕落しないよう警告しておられたのです。

【2:13~15】
『彼らが主を捨てて、バアルとアシュタロテに仕えたので、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを略奪者の手に渡して、彼らを略奪させた。主は回りの敵の手に彼らを売り渡した。それで、彼らはもはや、敵の前に立ち向かうことができなかった。彼らがどこへ出て行っても、主の手が彼らにわざわいをもたらした。主が告げ、主が彼らに誓われたとおりであった。それで、彼らは非常に苦しんだ。』
 忌むべき偶像崇拝に陥ったユダヤ人は、神の裁きにより、敵の手に渡され苦しみ悩まされることとなりました。これまではユダヤ人に敵が渡されていました。しかし、今度は逆にユダヤ人のほうが敵に渡されるようになったのです。また、ユダヤ人はどこに行っても災いに遭遇させられました(15節)。これは律法の呪いで言われていたことです。『あなたは、はいるときにものろわれ、出て行くときにものろわれる。』(申命記28章19節)ユダヤ人の悲惨はユダヤ人が偶像を拝んだゆえに起こりましたから、全く自業自得でした。もしユダヤ人が偶像を避けていればこういった悲惨は生じなかったのです。

 このようにユダヤ人は罪のため敵に屈従させられましたが、このような出来事がこれから士師記では何度も書かれています。私たちはその出来事をただ読むだけではいけません。それを読んだら教訓として心に刻み付けるべきです。というのも、こういった出来事がユダヤ人に起きたのは、神が後世の聖徒たちに失敗例を示して学ばせるためだったからです。

【2:16】
『そのとき、主はさばきつかさを起こして、彼らを略奪する者の手から救われた。』
 ユダヤ人は自分の罪により敵から支配されましたが、しかし主は『さばきつかさ』によりユダヤ人を救い出して下さいました。この『さばきつかさ』が士師です。神は、ユダヤ人に自分で自分自身を救い出させませんでした。それはユダヤ人が自分のことを誇らないためです。寧ろ、神は士師を遣わすことでユダヤ人が救われるようにされました。こうすれば救いの栄誉が神にのみ帰されるからです。この士師は、やがて来られるキリストの予表でした。というのも、キリストと士師がしたことは一致しているからです。すなわち、士師が突如として神から遣わされて多くのユダヤ人を救ったように、キリストも突如として神から遣わされて全人類の救いを実現されました。士師がキリストを示しているとは何と素晴らしいことでしょうか。この文書でも聖書はキリストについて指し示しているのです。他の箇所でもこれは同じです。こういうわけで聖書は「キリストの文書」なのです。ところで、神は士師を一度に一人だけしか遣わされませんでした。この箇所では『さばきつかさ』と書かれており「さばきつかさたち」とは書かれていません。これは士師の示しているキリストが御一人だったからです。キリストが2人もおられるということはないのです。

【2:17】
『ところが、彼らはそのさばきつかさにも聞き従わず、ほかの神々を慕って淫行を行ない、それを拝み、彼らの先祖たちが主の命令に聞き従って歩んだ道から、またたくまにそれて、先祖たちのようには行なわなかった。』
 神がせっかく士師たちにより敵から解放して下さったのに、ユダヤ人は『またたくまに』再び神を裏切りました。これは、一時的に伸ばしておいたバネがすぐさま元通りになるようなものです。彼らは心の割礼を受けていませんでした。また、主は彼らに『悟る心と、見る目と、聞く耳』(申命記29章4節)を与えておられませんでした。だからこそ、彼らは神とその聖なる命令に踏みとどまれなかったのです。

 この箇所ではユダヤ人の偶像崇拝が『淫行』と呼ばれています。これは偶像崇拝が霊的な姦淫だからです。神はユダヤ人という妻の夫であられます。他方、偽りの神々はユダヤ人にとって夫でない他の男です。このため、ユダヤ人が他の男である偽りの神々を崇拝するのは霊的な不倫なので『淫行』と呼ばれるのです。これ以降でも聖書は多くの箇所において偶像崇拝を『淫行』と呼んでいますから、この表現は是非とも覚えておかねばなりません。

【2:18】
『主が彼らのためにさばきつかさを起こされる場合は、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさの生きている間は、敵の手から彼らを救われた。これは、圧迫し、苦しめる者のために彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。』
 士師は神が共におられたので、この士師によりユダヤ人は助け出された状態でいることが出来ました。神がこの士師を通してユダヤ人を守り導かれたからです。このように神はある特定の人を用いて民が救われるようになさいます。神がなさるやり方は、いつもこうです。多くの者が救助者として遣わされるということはほとんどありません。神が士師を通してユダヤ人を救われたのは、ただただ憐れみに基づいています。神はユダヤ人を『宝の民』(申命記7章6節)として心にかけておられました。これだけがユダヤ人の憐れまれた理由です。もしユダヤ人が異邦人のように御前から疎外されていたとすれば、敵の手から救い出されることもなかったでしょう。

【2:19】
『しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行ないや、頑迷な生き方を捨てなかった。』
 ユダヤ人が神に仕えていたのは、士師がイスラエルを統導している時だけに限られました。ユダヤ人は士師が死ぬと、すぐに神を再び捨て、更に酷い堕落へと陥ったのです。そして、そのようになっても決して『頑迷な生き方を捨てなかった』のです。これは生徒が先生のいる間だけ静かにしており、先生がどこかに行くとすぐさまわあわあ好き放題するのと似ています。このような生徒たちと同じで、ユダヤ人も士師がいなくなるとすぐさま好き放題な歩みをしたのです。

【2:20~23】
『それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がった。主は仰せられた。「この民は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に聞き従わなかったから、わたしもまた、ヨシュアが死んだとき残していた国民を、彼らの前から一つも追い払わない。彼らの先祖たちが主の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」こうして、主はこれらの国民をただちに追い出さないで、残しておき、ヨシュアの手に渡されなかったのである。』
 ユダヤ人が偶像崇拝を行なうと、神の正当なる報いとして、カナンにいるまだ生き残されていたカナン人が追い払われなくなりました。というのも、神が御自分に背くユダヤ人たちにどうして良くして下さるでしょうか。私たち人間でさえ、自分に敵対する裏切り者に対しては良くしようとしません。このようにしてユダヤ人は追い払われないままでいるカナン人のことで狼狽することとなりました。また、この箇所で書かれている通り、神がヨシュアに全てのカナン人を追い払わせないままでいたのは、生かされたままのカナン人によりユダヤ人を試みるためでした。つまり、ずっと残されていたカナン人たちがユダヤ人たちの敬虔における試金石またバロメーターとなります。もしユダヤ人が敬虔に歩めば、敬虔の度合いに応じてまだ残されていたカナン人の数は少なくなります。しかし反逆すれば、反逆の度合いに応じて残されていたカナン人も追い払われないままとなります。ですから、カナンにどれだけカナン人がいるか見れば、ユダヤ人がどれだけ敬虔に歩んでいるか、もしくはどれだけ反逆しているか、まざまざと知ることができました。

 このように神は人を試みられる御方です。もちろん、神は人を試みられなくても、最初から全て人の本性・真の姿を御存知であられます。ですから、試みて実際にどうなのか知る必要があるからというので人を試みられるのではありません。もしそうだったとすれば、神は全知の存在でないことになります。しかし、神は既に知っておられる事柄について、この物質界で実際の状態が確認されることを欲されます。ですから、神は試みなくても既に知っておられる事柄を実際に確認すべく試みられるのです。

【3:1~4】
『カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、主が残しておかれた国民は次のとおり。―これはただイスラエルの次の世代の者、これまで戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためである。―すなわち、ペリシテ人の五人の領主と、すべてのカナン人と、シドン人と、バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人とであった。これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。』
 全く新しい世代のユダヤ人を試み彼らに戦いを覚えさせるため、前述の通り、カナンには滅ぼされないでいた民族が幾つも残されていました。神はそれらの民族を即座に駆除してしまうこともお出来になりました。しかし、神はあえて邪悪な民族どもを滅ぼさず、その民族をユダヤ人のために有効利用しようとされました。これが神のやり方なのです。その残されていた『ペリシテ人の五人の領主』は、ヨシュア記13:3の箇所でも書かれていました。『すべてのカナン人』とは、カナンにまだ残っていた諸々の民族です。『シドン人』とはカナンを北に超えた場所であるシドンの地の民族です。『ヒビ人』はレバノン山とその東に位置するヘルモン山の辺りに住んでいた異邦人です。

【3:5~7】
『イスラエル人は、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の間に住んで、彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。こうして、イスラエル人は、主の目の前に悪を行ない、彼らの神、主を忘れて、バアルやアシェラに仕えた。』
 ユダヤ人はカナンの諸民族と愚かにも交わり、結ぶべきではない縁を結んで親戚同士になりました。これはユダヤ人がカナン人を生かしておいたからです。麻薬常習者の部屋に麻薬が置かれていれば、その麻薬が使われないままでいることはまずないでしょう。ユダヤ人がカナン人を生かしておいたのでカナン人と交流したのは、この麻薬常習者と似ている点があります。そして、ユダヤ人は縁を結んだカナン人により偶像崇拝へと引き込まれました。これは神が予め警告しておられたことでした(申命記7:2~5)。ユダヤ人はその警告を心に留めなかったのです。正常な信仰者であれば、ユダヤ人がこういった最悪の状態に陥ったことを嘆かずにはいられないはずです。何故なら、これは悲劇中の悲劇だからです。神の民が神を捨てて偽りの神々に帰依するというのは、邪悪な霊的曲芸であり、これは古代ユダヤ人ぐらいしか他に事例がないことです。他の宗教ではこんなことなど起こりません。もしユダヤ人がカナン人を熱心に追い払っていたとすれば、こういった悲劇は起こらなかったはずなのですが。

【3:8】
『それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡された。こうして、イスラエル人は、八年の間、クシャン・リシュアタイムに仕えた。』
 忌むべき偶像崇拝の罪に対する裁きとして、ユダヤ人はカナンの北東部アラムにいる『クシャン・リシュアタイム』という王に『八年の間』支配され苦しめられました。ユダヤ人が自分から進んでアラム王の支配に服したというのではありません。そうではなく強制的にこの王の支配へと引きずり込まれたのです。ユダヤ人はこんなことなど全く望んでいませんでした。このアラム王への屈従から逃れることもできませんでした。もし逃れられたならば、もはや呪いが呪いではなくなってしまいます。このアラム王に支配されていたのは「8」年ですが、これには何か意味があるのでしょうか。八日目の幼児割礼から分かるように、「8」は聖書で新生を意味しています(創世記17:12)。では、クシャン・リシュアタイムに支配されたいた8年間も新生を意味するのでしょうか。この8年間は「新生の8年間」というより「屈従の8年間」として見做すべきだと思われます。しかし、8年目になるとユダヤ人はこの王から解放され、誰にも屈従しない新しい状態へと導かれました。ですから、この「8」年間は8年目に新しい状態となることが示されている可能性もあります。8年間のこの屈従は、ユダヤ人が自分たちの罪深さと罪に対する神の懲らしめを悟るための期間でした。というのも、ユダヤ人は神に罪を犯したからこそ酷い屈従の苦しみを味わう羽目となったからです。

 このように神は罪を犯した御民が強い者から苦しめられるようになさいます。本来であれば神の子らが他の者を支配するはずでした。しかし、罪を犯すと神の子らには逆のことが起こります。これはいつの時代でも言えることです。例えば、今のアメリカは世界で最もキリスト教的なので(これはアメリカに行けば分かります)、他の多くの国々を凌駕し大きなプレゼンスが与えられています。ですから、神を求めようともしない我が日本がアメリカの言いなりになっているのは仕方ないことです。神に近い国に、どうして神から離れた国が、支配されないままでいられるのでしょうか。しかし、このアメリカも神を忘れ神から離れるならば、他の国に屈従しなければいけなくなります。こういわけですから、私たちは他の者から支配されないため、神に従い続けねばなりません。神の子が神に背くのは、自分で自分を支配の苦しみへと投げ込むことに他なりません。私たちはこのような愚かさに陥らないようにすべきなのです。

【3:9~11】
『イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟オテニエルを起こされた。主の霊が彼の上にあった。彼はイスラエルをさばき、戦いに出て行った。主はアラムの王クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡された。それで彼の勢力はクシャン・リシュアタイムを押えた。こうして、この国は四十年の間、穏やかであった。その後、ケナズの子オテニエルは死んだ。』
 8年間の隷属において流石にユダヤ人も自分たちが罪を犯したと認め、大いに反省し、『主に叫び求め』ました。この叫びは嘘偽りのない叫びでした。主は誠をもって呼び求める者に対し、必ず応じて下さる御方です(詩篇145:18~19)。このため、主はイスラエルをアラムの王から助け出すため、あのオテニエルを士師として起こされました。オテニエルについては既に見ておきました。『主の霊が彼の上にあった』とは、神の聖なる霊がオテニエルを導いておられたということです。このため、オテニエルは神によりクシャン・リシュアタイムの支配を覆すことができました。そしてイスラエルはこのオテニエルに『四十年の間』統導されましたが、これは「40」ですからオテニエルが十分なだけ支配したということです。神がこのようにオテニエルによりユダヤ人を助けて下さったのは、ただその憐れみによります。幼子が見知らぬ大人から虐められて泣き叫んでいるのを見ても放置したままでいる親などいないのです。イスラエルの穏やかだった期間はオテニエルが起こされてから『四十年の間』でした。これは恐らく40年目にオテニエルが死んだからなのでしょう。つまり、40年目にオテニエルという士師がイスラエルからいなくなったので、イスラエルは再び悲惨になり穏やかでなくなったというわけです。

【3:12~14】
『そうすると、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。彼らが主の目の前に悪を行なったので、主はモアブの王エグロンを強くして、イスラエルに逆らわせた。エグロンはアモン人とアマレク人を集め、イスラエルを攻めて打ち破り、彼らはなつめやしの町を占領した。それで、イスラエル人は十八年の間、モアブの王エグロンに仕えた。』
 一時的に自制していただけの生徒たちも同然だったイスラエル人は、オテニエルという士師がいなくなってしまうと、またもや偶像崇拝に逆戻りしてしまいました。このため、イスラエル人はまたもや懲らしめられて他国の王に屈服しなければいけなくなります。今度は『モアブの王エグロン』です。神は、このエグロン王がイスラエルを支配できるよう、この王を強くしてユダヤ人が対抗できないようにされました。モアブの場所は、死海の東、ルベン族の相続地における南、エドム人の領地における北です。アモン人の国はモアブの北東にありました。イスラエルが支配された『十八年』の期間に、聖書的な意味はないでしょう。これを「6たす6たす6」と分解して、エグロンの支配は邪悪(666)だったと捉えるのは難しいと思います。私は聖書のどこで「18」が邪悪な意味として使われているのか全く知りません。もちろん、数字的な意味はなくとも、エグロンとその支配が邪悪だったということに間違いはないのですが。『なつめやしの町』とはエリコです。

【3:15】
『イスラエル人が主に叫び求めたとき、主は彼らのために、ひとりの救助者、ベニヤミン人ゲラの子で、左ききのエフデを起こされた。』
 先のクシャン・リシュアタイムの時と同じで、ユダヤ人は18年間もの苦しい屈従の末、遂に自分たちの罪を認めて『主に叫び求め』ました。これは心からの叫びでしたから主もその叫びを聞き入れて下さいました。今度はベニヤミン人のエフデが士師として起こされました。ベニヤミン人から士師が起こされたのは、エグロン王の陣取ったエリコがベニヤミンの相続地にあったからなのでしょう。このエフデは『左きき』でしたが、今の時代でもそうであるように、エフデの時代でも右利きでない人は珍しかったはずです。神が左利きのエフデを起こされたのは、後の箇所から分かる通り、エフデの左利きを用いるためでした。意味もなく左利きの士師が起こされたわけではありません。

【3:15~23】
『イスラエル人は、彼を通してモアブの王エグロンにみつぎものを送った。エフデは長さ一キュビトの、一振りのもろ刃の剣を作り、それを着物の下の右ももの上の帯にはさんだ。こうして、彼はモアブの王エグロンにみつぎものをささげた。エグロンは非常に太っていた。みつぎものをささげ終わったとき、エフデはみつぎものを運んで来た者たちを帰らせ、彼自身はギルガルのそばの石切り場から戻って来て言った。「王さま。私はあなたに秘密のお知らせがあります。」すると王は、「今、言うな。」と言った。そこで、王のそばに立っていた者たちはみな、彼のところから出て行った。エフデは王のところへ行った。そのとき、王はひとりで涼しい屋上の部屋に座していた。エフデが、「私にあなたへの神のお告げがあります。」と言うと、王はその座から立ち上がった。このとき、エフデは左手を伸ばして、右ももから剣を取り出し、王の腹を刺した。柄も刃も、共にはいってしまった。彼が剣を王の腹から抜かなかったので、脂肪が刃をふさいでしまった。エフデは窓から出て、廊下へ出て行き、王のいる屋上の部屋の戸を閉じ、かんぬきで締めた。』
 ユダヤ人はエフデを通してエグロン王に貢を送りますが、このことから考えると、エフデはかなり高い地位にあったのでしょう。これからこのエフデがエグロン王を殺すのですが、最初からユダヤ人たちがエグロン王殺害のためエフデを送ったのか、それともただ神だけに動かされてエフデが民の知らぬうちに王を殺したのかは、分かりません。というのもこの箇所を読んでもそのことは分からないからです。

 エフデは自分で作った剣を隠し持って行き、貢を王に捧げ終えた後、その剣でエグロン王を刺し殺します。この剣が『一キュビト』すなわち約44cmで『もろ刃』だったのは、エグロン王を必ず殺すためです。この王は『非常に太っていた』ので、長くて両面に刃が無ければ、厚い肉に邪魔されて致命傷を与えられないかもしれないからです。これは、エフデがエグロン王の必死を求めてよく考えていたことを示していると思われます。また、エグロン王が非常に太っていたのは、この王の傲慢さを意味していたのかもしれません。傲慢な王は絶大な権力があるのを良いことに、食事であれ刑罰であれ閨房であれ限度を弁えないことが珍しくなかったからです。つまり、傲慢さがこの王に自制を命じなかったので好き放題に食べたということです。エグロン王は、まさかエフデが左手で右腿に隠しておいた剣を取り出して襲いかかって来るなどとは想定していなかったはずです。というのも普通は右手で剣を取るものだからです。ですから、エフデはエグロンの意表を突くことができました。このようなことが実現するため、今回の士師は左利きのエフデが選ばれたのでした。この箇所でエフデが『秘密のお知らせ』(19節)と言っているのは『神のお告げ』(20節)であり、それはすなわち死の裁きでした。ここで「エグロンに死の裁きが下されるべきどんな罪があったのか?」と思う人がいるかもしれません。私は答えましょう、エグロンには死に値する2つの大きな罪がありました。それは、彼も民と同じように行なっていたであろうモアブの神々に対する崇拝行為および神の民を屈従させ苦しめるという罪です。また、この時にエグロン王が『あなたへの神のお告げがあります。』と言われて『座から立ち上がった』のは、この王に神への恐れが多かれ少なかれあったことを意味しています。もしエグロン王が無神論者かネロのような神を冒涜する者だったとすれば、どうして神の御告げがあると聞いただけでわざわざ立ち上がったのでしょうか。もし無神論者か冒涜者だったとすれば、ずっと座り続けていたに違いありません。

 このようにしてエグロンは殺されましたが、誰もエフデのエグロン王殺害を問題視すべきではありません。何故なら、エフデは神の裁きを代行する死刑執行人としてエグロン王のもとに遣わされたのだからです。これはカエサルの殺害とは異なります。カエサルの殺害は神の御心でなかったのに、ブルートゥスたちはカエサルを殺したのです。また、これはダビデがサウル王を殺せたのに殺さなかったあの時の状況とも異なっています。サウル王の殺害は神に嘉されませんでした。ダビデはそれを知っていたからこそ、サウル王を殺せたのに殺さなかったのです。しかし、この時のエグロン王は話が別でした。

【3:24~26】
『彼が出て行くと、王のしもべたちがやって来た。そして見ると、屋上の部屋にかんぬきがかけられていたので、彼らは、「王はきっと涼み部屋で用をたしておられるのだろう。」と思った。それで、しもべたちはいつまでも待っていたが、王が屋上の部屋の戸をいっこうにあけないので、かぎを取ってあけると、なんと、彼らの主人は床の上に倒れて死んでいた。エフデはしもべたちが手間取っている間にのがれて、石切り場の所を通り過ぎ、セイラにのがれた。』
 エグロン王を殺したのがエフデだと知られれば、臣下たちに捕えられ死刑となるのは火を見るよりも明らかでした。ですから、エフデは逃げるためエグロン王のいた戸を閉め、そうしてから逃げ去りました。この作戦は上手く行き、エフデは無事に逃げることができました。このように神の御心であればどのような事柄であっても上手く成し遂げられます。エグロン王がエフデに殺されるのは神の御心でした。だからこそ、エフデは全てをすんなりやり通せたのです。もしこれが主の御心でなければこうはいかなったでしょう。王を殺す前に隠していた剣が見つけられたり、刺し所が悪かったので王を殺せなかったり、逃げている際に捕えられて処刑されていたりしていたはずです。このエフデの事例も示す通り、この世界では神の御心が全て成るのです。ですから、御心であれば非常に難しい仕事もすんなり成し遂げられます。しかし御心でなければ、実に簡単な仕事であっても全く上手くできなくなります。このことを理解するのは大きな悟りです。

【3:27~30】
『エフデは行って、エフライムの山地で角笛を吹き鳴らした。すると、イスラエル人は彼といっしょに山地から下って行き、彼はその先頭に立った。エフデは彼らに言った。「私を追って来なさい。主はあなたがたの敵モアブ人をあなたがたの手に渡された。」それで、彼らはエフデのあとについて下って行き、モアブへのヨルダン川の渡し場を攻め取って、ひとりも渡らせなかった。このとき彼らは約一万人のモアブ人を打った。彼らはみなたくましい、力ある者たちであったが、ひとりも助からなかった。このようにして、モアブはその日イスラエルによって征服され、この国は八十年の間、穏やかであった。』
 神の御心により逃げることができたエフデは、神と関係の強い山地に行き―神と山の関係は前に説明した通りです―、角笛を吹き鳴らしてイスラエル人たちを召集します。エフデには神が共におられました。ですから、この召集によりユダヤの戦士たちがやって来ました。これはユダヤを苦しめていたモアブを打ち倒すためです。この箇所でエフデは『主はあなたがたの敵モアブ人をあなたがたの手に渡された。』と言っています。エフデはモアブがイスラエルに渡されたことを知っていました。というのも、もしモアブが渡されたのでなければ、どうしてエフデがモアブ人の王を打ち取ることができたでしょうか。こうしてエフデは戦士たちを引き連れて進み行き、ヨルダン川を渡ってモアブに逃げようとするモアブ人たちを全て滅ぼしました。モアブ人は『みなたくましい、力ある者たちであったが、ひとりも助か』りませんでした。これは神がモアブをユダヤ人に渡されたからです。神から渡されるのであれば、1人の子どもだけで1000人のゴリアテを打ち倒すことさえできるようになります。ですから、この時に戦っていたモアブ人が屈強な戦士たちだったとしても関係ありませんでした。

 こうしてユダヤは『八十年の間』平和になりましたが、この「80」年という数字に聖書的な意味はありません。この年数はオテニエルが士師だった頃の『四十年』(士師記3章11節)と比べて2倍です。つまり、この時は前の時よりも祝福の度合いが強かったということです。この時に齎された平和の期間が80年だったのは、エフデがかなり長生きしたことを示しています。エフデがエグロン王とモアブ人を打ち倒してから80年も生きていたので、その間はイスラエルに平和があったというわけなのです。何故なら、先の箇所では士師の存命中に神から平和が齎されると示されていたからです(士師記2:18~19)。ですから、エフデがエグロン王を30歳の時に殺したとすれば、エフデは110歳まで生きたことになります。殺したのが20歳の時であれば100歳です。

【3:31】
『エフデのあとにアナテの子シャムガルが起こり、牛の突き棒でペリシテ人六百人を打った。彼もまたイスラエルを救った。』
 エフデの次に起こされた士師は『アナテの子シャムガル』でしたが、彼がユダヤの何族だったかは分かりません。このシャムガルという士師については、あまり多くのことが示されていません。ただ分かるのは、エフデが死んでからイスラエルは再び偶像崇拝に陥り、神の裁きとしてペリシテ人の手に渡された、ということです。だからこそ、今度はシャムガルが士師として起こされ、この士師により『ペリシテ人六百人』が打ち倒されたのです。この士師が『牛の突き棒』で600人ものペリシテ人を殺したのは、恐らく非常に屈強な戦士だったことを示しているのかもしれません。このようにシャムガルの関連事項についてはこの1節および後の箇所である士師記5:6にしか書かれていませんから、分からないことも多くあります。例えば、この時にイスラエルを屈服させたペリシテ人の王は誰だったのか、またペリシテ人に支配されている期間はどのぐらいだったのか、そしてペリシテ人の支配を覆したシャムガルはどれだけ生き長らえたのか、などといった事柄は私たちに知らされていません。

【4:1】
『その後、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。エフデは死んでいた。』
 シャムガルがいなくなると、またもやユダヤ人は偶像崇拝という『悪』に逆戻りします。既にもう何度もユダヤ人は偶像崇拝を行なったことに対して神から裁かれていました。ですから、彼らがユダヤ人の歴史を振り返れば、偶像崇拝を行なうことにより裁かれることぐらい分かったはずです。それにもかかわらず、ユダヤ人はまたもや偶像崇拝に陥りました。これは正(まさ)しく聖書にこう書かれていることです。『愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦といっしょについても、その愚かさは彼から離れない。』(箴言27章22節)古代の哲学者はよく「人の本性は決して変えられない。」と言いましたが、これは古代のユダヤ人について言えば当てはまっているかもしれません。古代ユダヤ人の本性は偶像崇拝と非常に強い親和性がありましたから、どれだけ偶像崇拝により痛い目を見ても、性懲りもなく邪悪なガラクタを慕い求め続けたのです。要するに、決して変わらないからこそ「本性」と言えるのでしょう。もし変わるのであれば、それは「本性」などと言えなかったと思われます。それは「本性のように見えたものの一過性に過ぎなかった強力な性向」だったと言われるべきなのかもしれません。

【4:2~3】
『それで、主はハツォルで治めていたカナンの王ヤビンの手に彼らを売り渡した。ヤビンの将軍はシセラで、彼はハロシェテ・ハゴイムに住んでいた。彼は鉄の戦車九百両を持ち、そのうえに二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫したので、イスラエル人は主に叫び求めた。』
 飽きもせず偶像への愛に逆戻りしたユダヤ人たちでしたが、今度の裁きでは、ハツォルの王ヤビンがイスラエルを支配する者として起こされました。『ハツォル』は前の註解書で見ておいた通り、周辺諸国に大きなプレゼンスを持つリーダー的な国でした(ヨシュア記11章)。今度は『二十年の間』支配されてしまいました。これはかなり長い期間です。しかも、敵は900両の『鉄の戦車』を持っていましたから手強い相手でした。実に、偶像崇拝をして神から離れたからこそ、こういった苦難がユダヤ人に降りかかったのです。今の日本もずっと真の神を求めないでいますから、いつまでもアメリカに対して子分のようでいなければなりません。アメリカの日本に対する態度を見ると、ジャイアンとのび太でもあるかのようです。日本が神を求めるようになれば、神が日本を高めて下さいますから、アメリカの言いなりにならなくても済むようになるのですが。ヤビン王の将軍であったシセラは『ハロシェテ・ハゴイム』に住んでいましたが、これはカルメル山の麓、キション川沿い、イズレエル平原の北、アシェル族の相続地における南にあります。20年の圧迫による苦しみから抜け出させてもらうため、ユダヤ人は遂に『主に叫び求め』ました。自分たちが偶像を拝んだからこそ裁きとして屈従させられていると痛感し反省したのです。こうして遜りの時、救いの時、神の時が来ました。

【4:4~5】
『そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。彼女はエフライムの山地のラマとベテルとの間にあるデボラのなつめやしの木の下にいつもすわっていたので、イスラエル人は彼女のところに上って来て、さばきを受けた。』
 この時のユダヤでは、『女預言デボラ』が民の全体を支配していました。『さばき』と書かれているのは、デボラが民に対し神からの判決を取り次ぐことです。このデボラはモーセの座に着いていました。ユダヤ人に自分たちで裁きかねる案件があると、彼女のもとに行って神の裁きを求めていたのです。これはモーセの時代と全く同じです。デボラは『ラマとベテルとの間』にいましたが、『ラマ』はギブオンのすぐ東にあり、『ベテル』はギブオンから10kmほど北東に離れています。彼女のいた『デボラのなつめやしの木』とは、いつもそこにデボラがいたので名付けられた木の名前です。彼女が『なつめやし』の木にいたのは、彼女が聖徒であり力強い指導者だったことを意味します。聖書においてこの木は聖徒の揺るがぬ堅固さを象徴しているからです。

 イスラエルを女性が支配していたのは、恐らくこれが最初だったのではないかと思われます。モーセの姉ミリヤムはモーセを非難できたほどの女性でしたから(民数記12:1)、イスラエル社会でかなりの力を持っていたに違いありませんが、しかしイスラエルを支配していたのはモーセでした。デボラという女性がイスラエルを裁いていたのは、この時のイスラエルが実に罪深かったからです。というのも、女性(また子ども)に支配されるというのは呪いの一つだからです。イザヤ書では、非常に罪深かったユダヤ人に対して次のような呪いが告げられています。『わが民よ。幼子が彼をしいたげ、女たちが彼を治める。』(イザヤ3章11節)2番目に造られたうえ誘惑に陥った女性が、1番目に造られて誘惑も撥ねつけた男性を支配するというのは、確かに呪いです。それゆえ、この時のユダヤ人がもし酷い堕落に陥っていなければ、ユダヤを裁く指導者は女性でなく男性だったはずです。もちろん、女性が男性を支配するといっても男の子が母親に支配されるのはまた別の話です。これは「男と女」における支配関係というより、むしろ「親と子」における支配関係だからです。私が今言っているのは親子の事柄ではなく社会の事柄についてです。

【4:6~7】
『あるとき、デボラは使いを送って、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、彼に言った。「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族のうちから一万人を取れ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ、彼をあなたの手に渡す。』」』
 20年の圧迫の末に叫ばれたユダヤ人の叫びは実に真摯な叫びでしたから、真実で正しい御方はその叫びに御心を動かして下さいました。神は、デボラにナフタリ族のバラクを呼ばせ、このバラクにイスラエル解放の御言葉をお与えになります。バラクはケデシュから、かなり遠く離れたデボラのいる場所まで南下してやって来ました。ところで、この『バラク』という名前は異邦人の名前です。ユダヤ人が自分の子に異邦人の名を付けたのは、この時のユダヤ社会が異邦人から大いに影響されていたことを意味しています。ユダヤ人が自分の子にさえ異邦人の名を付けるぐらいであれば、それ以外の諸々の事柄ではどれだけ異邦人から影響されていたことでしょうか。このバラクがいた『ケデシュ』とは、ハツォルから15kmほど北にあります。神はバラクにナフタリ族とゼブルン族から戦士を『一万人』集めるよう命じられます。これはかなりの人数です。そうしたらバラクは戦士を率いて、ゼブルン族の相続地とナフタリ族の相続地における南にある『タボル山に進軍』しなければいけません。ユダヤの戦士がこの山まで来れば、ヤビン王の将軍シセラはその動向について知るでしょう。そうなればシセラは自分の住む『ハロシェテ・ハゴイム』(士師記4章2節)の近くにある『キション川』に、ユダヤ人と戦うべく『戦車と大軍』を召集させることとなります。このようにして召集されたシセラの軍隊がユダヤ人の手に渡されるのです。

【4:8~10】
『バラクは彼女に言った。「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」そこでデボラは言った。「私は必ずあなたといっしょに行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に売り渡されるからです。」こうして、デボラは立ってバラクといっしょにケデシュへ行った。バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに呼び集め、一万人を引き連れて上った。デボラも彼といっしょに上った。』
 神の命令をデボラから聞いたバラクは、もしデボラが共に来てくれるならば言われた通りにするけども、もしデボラが共に来なければ言われた通りにはできない、と答えます。これはデボラが当時のユダヤを裁く司(つかさ)だったからです。先に見た通り、敵はあまりにも手強い存在です(士師記4:3)。ですから、バラクは神の預言者であるデボラが一緒でなければ行けない、と言ったのでした。もしデボラが一緒に来てくれれば、それは神が一緒におられることを意味するからです。それゆえ、バラクがデボラを求めたのは不信仰や臆病の現われではありませんでした。これは寧ろ神への信仰と信頼の現われです。こういうわけですから、デボラもバラクの求めを非難したりせず、バラクと共に行くことを約束しました(9節)。こうしてバラクはデボラと共にケデシュまで行き、主の命令通りナフタリ族とゼブルン族から構成される『一万人』の戦士部隊を作ります。この『一万人』におけるナフタリ族とゼブルン族の比率がどのようであったかは全く不明です。しかし、これは分からなくても特に問題となりません。

 9節目で『あなたが行こうとしている道』とは、バラクが主の命令通りにこれから歩もうとしているその歩みを意味します。バラクはその道において『光栄』を得ようとしていました。それは敵の将軍シセラを打ち倒すことによる勝利の光栄です。ところが、デボラは前もってバラクがそのような『光栄を得ることはできません』と注意します。つまり、バラクはシセラを自分の手で倒すことができません。何故なら、シセラは『ひとりの女の手』で殺されるからです。これはバラクが主の御前で誇らないようにするためです。このように注意されたバラクが動揺し落胆しただろうことは間違いないと見てよいでしょう。アルタクセルクセス王のことを考えても分かる通り、男にとって勝利の光栄は最も希求するものの一つだからです。

【4:11】
『ケニ人ヘベルは、モーセの義兄弟ホバブの子孫のカインから離れて、ケデシュの近くのツァアナニムの樫の木のそばで天幕を張っていた。』
 先に見た通り、モーセの親戚であるケニ人は、アラデの南の場所でユダヤ共同体の一員としてユダヤ人たちと一緒に歩んでいました(士師記1:16)。このケニ人である『ヘベル』という人は、アラデの場所から離れ、北にかなり離れた『ケデシュ』に移り住んでいました。このヘベルは自分と同じケニ人である『カインから離れ』てケデシュまで行ったのですが、どうしてカインから離れたかは分かりません。このヘベルの妻であった『ヤエル』という女性が、先ほどデボラの言っていたシセラを打ち倒す『ひとりの女』(士師記4章9節)です。ヤエルがシセラを殺すので、バラクが勝利の光栄を掴むことはできませんでした。

【4:12~13】
『一方シセラは、アビノアムの子バラクがタボル山に登った、と知らされたので、シセラは鉄の戦車九百両全部と、自分といっしょにいた民をみな、ハロシェテ・ハゴイムからキション川に呼び集めた。』
 バラクが戦士たちを引き連れてタボル山に登ると、神が言っておられた通り(士師記4:7)、シセラが大群をキション川に集めました。シセラはユダヤ人を打ち負かそうとして軍勢を召集したつもりでいたはずです。しかし、シセラは神に滅ぼされるため軍勢を召集していたことを知りませんでした。もしユダヤ人に神がおられなければ、バラクが戦士たちとタボル山に登ったのは狂気の沙汰でした。その場合、バラクたちが敵に打ち負かされるのは間違いないからです。つまり、自ら自殺しに行くようなものでした。しかし、この時には神がバラクたちと共におられました。ですから、バラクがタボル山に登ったのは正しいことでした。なお、このタボル山は後ほどキリストが変貌されることになる山です。

【4:14~16】
『そこで、デボラはバラクに言った。「さあ、やりなさい。きょう、主があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」それで、バラクはタボル山から下り、一万人が彼について行った。主がシセラとそのすべての戦車と、すべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したので、シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げた。バラクは戦車と陣営をハロシェテ・ハゴイムに追いつめた。こうして、シセラの陣営の者はみな剣の刃に倒れ、残された者はひとりもいなかった。』
 デボラが出撃を命じたので、バラクが軍勢を率いてシセラに立ち向かうと、神により大勝利を収め、敵の中でシセラを除き『残された者はひとりもいな』いまでとなりました。普通であればユダヤ人の勝利はあり得ないことだったかもしれません。しかし、この時には神が共におられましたから、ユダヤ人たちは圧勝できました。前々から書いている通り、古代の戦争で最も生き残る可能性が高いのは指揮官ですから、この時にもやはりシセラ一人だけ何とか逃げることができました。彼が『徒歩』で逃げたのは、つまり「走って」逃げなかったのは、恐らく疲れていたか年のためだったのでしょう。

 14節目でデボラは主が『あなたの前に出て行かれる』と言っていますが、主が私たちの前に出て行かれると私たちは1000%の確率で、否、∞%の確率で敵に勝利できます。神がその前に出て行かれる存在とは、遜った者です。それゆえ、私たちは神に私たちの前を進んでいただけるよう遜らなければいけません。

【4:17~22】
『しかし、シセラは徒歩でケニ人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げて来た。ハツォルの王ヤビンとケニ人ヘベルの家とは親しかったからである。ヤエルはシセラを迎えに出て来て、彼に言った。「お立ち寄りください。ご主人さま。私のところにお立ち寄りください。ご心配には及びません。」シセラが彼女の天幕にはいったので、ヤエルは彼に毛布を掛けた。シセラはヤエルに言った。「どうか、水を少し飲ませてください。のどが渇いているから。」ヤエルは乳の皮袋をあけて、彼に飲ませ、また彼をおおった。シセラはまた彼女に言った。「天幕の入口に立っていてください。もしだれかが来て、『ここにだれかいないか。』とあなたに尋ねたら、『いない。』と言ってください。」だが、ヘベルの妻ヤエルは天幕の鉄のくいを取ると、手に槌を持ってそっと彼のところへ近づき、彼のこめかみに鉄のくいを打ち込んで地に刺し通した。彼は疲れていたので、熟睡していた。こうして彼は死んだ。ちょうどその時、バラクがシセラを追って来たので、ヤエルは彼を迎えに出て、行った。「さあ、あなたの捜している人をお見せしましょう。」彼がヤエルのところに来ると、そこに、シセラは倒れて死んでおり、そのこめかみには鉄のくいが刺さっていた。』
 シセラは先に見た『ケニ人ヘベル』と親しかったので、ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げましたが、このヤエルは殺意を隠しつつ穏やかにもてなし、シセラが熟睡した時を狙って殺しました。先にも述べた通り、この世界では神の御心であればどんなことでもスムーズに成し遂げられます。神の御心は、シセラがヤエルに打ち殺されることでした。ですから、ヤエルはすんなりとシセラを殺すことができたのです。もしこれが御心でなければ、ヤエルが殺そうとする前に誰かから妨害されたり、殺そうとしたのに殺せなかったりしていたでしょう。このヤエルの行為については後ほどまた詳しく書かれます。こうしてデボラが前もって預言した通り、シセラはヤエルという『ひとりの女』(士師記4章9節)に打ち倒されました。またこの時のイスラエルはデボラという女に指導されていました。2人の女にユダヤ人の男たちが先んじられるというのは、前述の通り、この時のユダヤが罪深かったことを示しています。

【4:23~24】
『こうして神はその日、イスラエル人の前でカナンの王ヤビンを服従させた。それから、イスラエル人の勢力がますますカナンの王ヤビンを圧するようになり、ついにカナンの王ヤビンを断ち滅ぼした。』
 ヤビン王からは右腕であったろう将軍シセラと力また自信の源である大量の戦車部隊が失われたのですから、イスラエル人の前に屈服せざるを得なくさせられました。それからイスラエル人はますます強くなったので、遂にこの王はイスラエル人の前で没落します。こうして神はイスラエルに解放と勝利を与えて下さいました。今回の出来事で特徴的だったのは、イスラエル人が2人の女を通して助け出されたという点にあります。こんなことはイスラエルの歴史でそれまで一度もなかったと思われます。

【5:1】
『その日、デボラとアビノアムの子バラクはこう歌った。』
 イスラエルが敵から解放されたので、デボラとバラクは勝利を与えて下さった神に賛美の歌を歌います。神が敵に勝たせて下さった際、このように賛美するのが古代ユダヤ人の常でした。パロとその軍勢を神が滅ぼして下さった時も、やはり神への賛美が歌われました(出エジプト記15:1~18)。ダビデもよくそのようにしました。これは、神が恵みにより勝利をイスラエル人に与えて下さったからです。神が勝利の恵みを下さったのであれば、良い言葉の歌で応じるのは当然為すべき義務です。この世でも、国を助け出した英雄が現われたら、その英雄を僅かでさえ称賛しないほど愚昧な人はほとんどいないでしょう。ですから、神がその大いなる御業でユダヤ人を救い勝利させて下さったのならば、ユダヤ人が褒め歌を歌うのは当然でした。もしそうしなければユダヤ人は罪に定められていたでしょう。また、この箇所でも当時のユダヤ社会における「女>男」という構図が反映されています。何故なら、ここでは「アビノアムの子バラクとデボラ」と書かれておらず、その逆だからです。女に先んじられたくない男は呪いの源である罪から離れるべきです。

【5:2】
『「イスラエルで髪の毛を乱すとき、民が進んで身をささげるとき、主をほめたたえよ。』
 『イスラエルで髪の毛を乱すとき』とは、ユダヤ人がヤビン王の齎す圧迫に飽き飽きして悔い改める時です。真に悔い改める時は、心の激しさが頭をはじめ身体の諸部位の動作に現われるものです。『民が進んで身をささげるとき』とは、バラクが1万人の戦士を集めた時です。その時、ユダヤ人は強制されてでなく自らの意思で戦うために身を捧げました。召集したのに人が集まらない、という往々にして起こりがちな悲しむべきことは起こりませんでした。何故なら、この時は「神の救いの時」だったからです。この時にユダヤ人は『主をほめたたえ』なければなりませんでした。何故なら、主が遂にイスラエルを救って下さるからです。神が救って下さるのに、神を賛美しようとしないほど愚鈍な人がどこにいるでしょうか。

【5:3】
『聞け、王たちよ。耳を傾けよ、君主たちよ。私は主に向かって歌う。イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。』
 『聞け、王たちよ。』と『耳を傾けよ、君主たちよ。』という2つの部分は同じ意味であり繰り返しです。『私は主に向かって歌う。』と『イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。』という2つの部分も同様です。この繰り返しはユダヤ的な言い方です。ここで『王たち』『君主たち』と言われているのは、カナンにまだ生き残っていた異邦人の王たちです。彼らも神に対して捧げられる歌を聞くべきでした。何故なら、主とその偉大さは、聖なる賛美の歌を通じて、この世の王たちにも認められるべきだからです。

【5:4~5】
『主よ。あなたがセイルを出て、エドムの野を進み行かれたとき、大地は揺れ、天もまた、したたり、雲は水をしたたらせた。山々は主の前に揺れ動いた。シナイもまた、イスラエルの神、主の前に。』
 神が『セイルを出て、エドムの野を進み行かれたとき』とは、モーセがまだ生きていた頃におけるイスラエルの歩みです。その時に『大地は揺れ』ましたが、『大地』とは諸国の人間を指します。何故なら、人々は大地に住んでいるからです。つまり、主がイスラエルを引き連れて歩まれた時、周辺諸国の人々は動揺して慄きました。『天もまた、したたり、雲は水をしたたらせた』とは、神の恵みについて言われています。天また雲の降らせる雨により畑が潤うのと同じで、この時のユダヤ人も神の恵みで潤っていました。5節目で言われている『山々』とは堅固だった異邦人のことでしょう。しかし、そのような異邦人も『主の前に揺れ動いた』のです。その時には『シナイ』にいる多くの異邦人も動揺させられました。主が大きな御業を行なわれたことについて聞き知らされていたからです。

【5:6~7】
『アナテの子シャムガルのとき、またヤエルのときに、隊商は絶え、旅人はわき道を通った。農民は絶えた。イスラエルに絶えた。』
 シャムガルおよびヤエルの時代に『隊商は絶え、旅人はわき道を通った』と書かれているのは、その時代のイスラエル人が敵に支配されていたので自由を奪われていたということです。隊商がいなくなり旅人も道を堂々と歩けないというのは、敵がイスラエル人を大いに圧迫していたからです。ユダヤ人の農民は自由に畑を耕すことさえできませんでした。ですから、その時に『農民は絶えた』のです。このような惨状は、この時のユダヤ人が完全に敵から屈従させられていた証拠です。しかし、これはユダヤ人の犯した罪に対し神から齎された懲らしめでした。ユダヤ人が酷い罪を犯したので、神も報いとしてユダヤ人に酷い状態を齎されたのです。「自業自得」とは正にこのことです。もしユダヤ人が罪を犯さなければこんなことにはなっていませんでした。

【5:7】
『私、デボラが立ち、イスラエルに母として立つまでは。』
 イスラエル人の悲惨な状況は、デボラが神により立つまで続きました。『デボラが立ち』とは、つまり神がデボラを通してイスラエルに働きかけて下さることです。そのようにしてデボラが立つと、遂にイスラエルは敵が齎す諸々の悲惨から解き放たれました。この箇所でデボラは自分を『母』としていますが、これはデボラという女がイスラエル人を教え導いていたからです。母が子どもを教え導くように、デボラもイスラエルの人々を教え導いていました。実際、先に書かれていたデボラとバラクのやり取りを見ると、正に母親と子どものようです。デボラが教導者であるため『母』なのであれば、モーセは「父」だったと言えるでしょう。いや、モーセは乳母でした。実際、民数記11:12の箇所において、モーセは『乳飲み子』であるユダヤ人を抱きかかえる『うば』として取り扱われています。

【5:8】
『新しい神々が選ばれたとき、城門で戦いがあった。イスラエルの四万人のうちに、盾と槍が見られたであろうか。』
 『新しい神々が選ばれたとき』とは、ユダヤ人が偽りの神々をユダヤにおける主として採用したことです。これは真の神ヤハウェを裏切り捨てる邪悪な背徳行為でした。『新しい神々』とは、申命記32:17の箇所でも書かれている『近ごろ出てきた新しい神々』でしょう。ユダヤ人は、他の民族が新しい神々を崇拝しているのを見て、邪悪な好奇心から自分たちも倣ったのだと考えられます。そうすると『城門で戦いが』起こりました。これは偶像崇拝の罪に対する呪いとして神から送られた強い敵とユダヤ人が城門で戦ったことを言っています。古代世界では、敵がやって来た際、往々にして城門の場所でねちねちとした攻防が繰り広げられました。この城門が突破されるかどうかに勝敗がかかっていたからです。その時、ユダヤの戦士たちの手には『盾と槍が見られ』ませんでした。これはユダヤ人が呪いを受けていたからです。『イスラエルの四万人』と書かれているのは戦士のことでしょう。

【5:9】
『私の心はイスラエルの指導者たちに、民のうちの進んで身をささげる者たちに向かう。』
 デボラはユダヤの指導者および戦士たちに注目していました。というのも、彼らにユダヤの未来がかかっているからです。彼らは神が敵に対して振り回す武器としての存在でした。この指導者と戦士たちにより、神は敵を打ち倒されるのです。このため、デボラは彼らに聖なる期待を寄せていました。

【5:9~10】
『主をほめたたえよ。黄かっ色のろばに乗る者、さばきの座に座する者、道を歩く者よ。』
 この箇所で言われている3種類の者は、イスラエルの全体を表しています。『黄かっ色のろばに乗る者』とは指導者たちであり、『さばきの座に座する者』とは出エジプト記18:25~26の箇所で書かれていた裁き司たちであり、『道を歩く者』とは一般のユダヤ人たちです。この3種類の者により表されるイスラエル人の全体は、『主をほめたたえ』なければなりませんでした。何故なら、主がイスラエル全体を敵の手から解放して下さるのだからです。主が救って下さるのに主を褒め称えない主の民は実に不敬です。

【5:10~11】
『よく聞け。水汲み場での、水を汲む者たちの声に。そこで彼らは主の正しいみわざと、イスラエルの主の農民の正しいわざを唱えている。』
 『水を汲む』仕事は下働き中の下働きであり、それは奴隷となっていたギブオン人の行なう仕事でした(ヨシュア記9:23、27)。このギブオン人は『主の正しいみわざと、イスラエルの主の農民の正しいわざ』を口で語っていました。『主の正しいみわざ』とは、ユダヤ人の罪に対して下された神からの裁きを言っています。『イスラエルの主の農民の正しいわざ』とは、一般のイスラエル人が神の命令に従って正しく歩むことです。まだ第一次産業の比率が多かったこの時代のユダヤ社会では、その他の国もそうだったように、農業をする住民が大部分を占めていました。つまり、水汲み人のギブオン人たちは次のような類のことを言っていたわけです。「ああ、ユダヤ人たちは神の正しい裁きにより敵から支配され、このような悲惨を味わうことになったのだ。それはユダヤ人が神に従って正しく振る舞わなかったからだ。」このように言うのは誠に正しいことでした。ですから、デボラは彼らの声を『よく聞け。』と言っているのです。先の10節目で書かれていた3種類の者たちは、非常に堕落していたので、このようなことを言ってはいませんでした。だからこそ、デボラは彼らに『水を汲む者たちの声』を聞かせようとするのです。神はこのように、往々にして下に位置する蔑まれがちな者に正しいことを言わせます。キリストから盲目を癒してもらった福音書に書かれているあの男も、この通りでした。

【5:11~12】
『そのとき、主の民は城門におりて来た。目ざめよ、目ざめよ。デボラ。目ざめよ、目ざめよ。歌声をあげよ。起きよ。バラク。とりこを捕えて行け。アビノアムの子よ。』
 この時、多くのユダヤ人が戦うため『城門におりて来』ました。主がユダヤ人の心を戦いのため動かして下さったのです。もし主が民の心を動かして下さらなければ、民は全く城門に来なかったか、来ても少しだけだったでしょう。この箇所でデボラに『目ざめよ。』と言われているのは、主とその働きのため霊的に奮い立てという意味です。つまり、これは表現であって、生理現象の目覚めについて言われているのではありません。これはパウロが『目を覚ましていなさい。』(Ⅰコリント16章13節)と言っているのと同じ意味です。このように、デボラは霊的に強く雄々しく勢い付いていなければなりませんでした。これは当然のことです。何故なら、これから神が大いなる救いをユダヤ人に齎して下さるのだからです。ここでデボラに対し『目ざめよ。』と2回も2つ並べて繰り返されているのは、非常な強調を意味しています。つまり、デボラは何としても霊的に研ぎ澄まされていなければなりませんでした。神が救いを実現して下さるというのに、どうしてユダヤの指導者が霊的に微睡んでいてよいでしょうか。また、デボラは『歌声をあげ』ることもしなければいけません。それは主が素晴らしい救いをこれから実現して下さるからです。バラクに対して『起きよ。』と命じられているのも、デボラに『目ざめよ。』と命じられたのと同じ意味です。このバラクに『とりこを捕えて行け。』と言われたのは、つまりバラクが敵を虜にして捕えたら打ち滅ぼすように、という意味です。実際にバラクはこのようにしました(士師記4:15~16)。

【5:13~15】
『そのとき、生き残った者は貴人のようにおりて来た。主の民は私のために勇士のようにおりて来た。その根がアマレクにある者もエフライムからおりて来た。ベニヤミンはあなたのあとに続いて、あなたの民のうちにいる。指導者たちはマキルからおりて来た。指揮をとる者たちもゼブルンから。イッサカルのつかさたちはデボラとともにいた。イッサカルはバラクと同じく歩兵とともに谷の中を突進した。』
 『生き残った者』とは、バラクの呼び掛けに応じて集まって来た戦士たちを指します。彼らはイスラエルのため命を惜しまず集まって来たので、その勇敢な佇まいは『貴人のよう』でした。デボラはこの戦士たちが『私のため』に来たと言っています(13節)。これは戦士たちがデボラの指導に服そうとやって来たからです。また、アマレク人を先祖に持つエフライム人も、この時には戦いに参加しました。この時代のユダヤは既に異邦人との混合がかなり進んでいましたから、ユダヤ人とアマレク人のハーフもいたのです。この時にはベニヤミン族のユダヤ人も戦いに参加しました。またこの時には、『マキル』すなわちバシャンの地域から『指導者たち』も戦いに参加しました。つまり、ヨルダン川の東からも戦う者たちがやって来ました。ゼブルン族からも『指揮をとる者』がやって来ました。イッサカル族の指導者たちもそうでした。また、イッサカル族からは指導者たちだけでなく一般のユダヤ人も歩兵として戦いました。このようにこの度の戦いに参加したのは、ゼブルン族とナフタリ族だけではありませんでした。今回の戦いにはイスラエルの全体が関わっているのですから、多くの部族から参戦者が現われたのは不思議なことではありません。

【5:15~16】
『ルベンの氏族の間では、心の定めは大きかった。なぜ、あなたは二つの鞍袋の間にすわって、羊の群れに笛吹くのを聞いているのか。ルベンの氏族の間では、心の秘密は大きかった。』
 ルベン族の相続地は、ヨルダン川と死海の東にありました。このルベン族がここでは非難されています。何故なら、ルベンたちは主の聖なる戦いに参加しなかったからです。今回の戦いは偶像崇拝と密接な関わりがありました。この戦いはそもそも偶像崇拝が究極的な原因として起こったのであり、この戦いでイスラエルが勝利するならば全てのイスラエル人は偶像から離れなければいいけなくなるでしょう。ところが、ルベン族は偶像崇拝に全く根差していました。彼らは『新しい神々』(士師記5章8節)に徹底した崇拝心を持っていました。この崇拝心がここでは『心の定め』と言われています。彼らもヤハウェ神にこそ服従しなければいけないことぐらい分かっています。しかし、だからといって偶像から離れ去ることもしたくない。このようにルベン族はヤハウェ神と偽りの神々の板挟みになっていました。このような状態がここでは『鞍袋の間にすわって』と言われています。神という鞍袋を取るか、偽りの神々という鞍袋を取るか。彼らには決め難いことでした。『羊の群れに笛吹く』とは、デボラが笛吹く羊飼いのようにして羊であるユダヤ人たちを戦いのため召集したことです。ルベン族はこのような葛藤を持っていましたが、このようなことはとてもじゃないが他の部族に打ち明けることなどできません。これは非常に大きな問題です。ですから、ルベン族が持つ『心の秘密は大きかった』と言われているのです。言うまでもなく、ルベン族は偽りの神々から離れ、ヤハウェ神のため戦いに参加すべきでした。しかし、彼らは偽りの神々が恋しかったので、そのように出来ないでいました。ここに彼らの不信仰、不敬虔、酷い愚かさがありました。