【士師記8:5~11:29】(2022/06/12)


【8:5~9】
『彼はスコテの人々に言った。「どうか、私について来ている民にパンを下さい。彼らは疲れているが、私はミデヤン人の王ゼバフとツァルムナを追っているのです。」すると、スコテのつかさたちは言った。「ゼバフとツァルムナの手首を、今、あなたは手にしているのでしょうか。私たちがあなたの軍団にパンを与えなければならないなどとは。」そこでギデオンは言った。「そういうことなら、主が私の手にゼバフとツァルムナを渡されるとき、私は荒野のいばらやとげで、あなたがたを踏みつけてやる。」ギデオンはそこからペヌエルに上って行き、同じように彼らに言った。すると、ペヌエルの人々もスコテの人々が答えたように彼に答えた。それでギデオンはまたペヌエルの人々に言った。「私が無事に帰って来たら、このやぐらをたたきこわしてやる。」』
 ギデオンとギデオン率いる戦士たちは疲れて腹が減っていたので、ヨルダン川を渡ってすぐの場所にある『スコテ』の人たちからパンを貰おうとします。しかし、スコテの指導者たちはまだギデオンたちが敵の王たちを捕えていないという理由のため、パンを拒みます。つまり、スコテの指導者はこう言いたかったのです。「ギデオンたちが敵の王たちを捕えるかどうか今はまだ分からないので、そのような者たちをパンで養いたくない。もしパンを与えても敵の王たちを捕えられなければパンが無駄になってしまう。」指導者たちがギデオンたちの求めを拒んだのは、この指導者たちが神を愛していなかったからです。神を愛していないので、神と共に戦っている戦士たちをも愛さなかったのです。このようなスコテ人の対応にギデオンは憤り、敵を捕らえた暁には復讐してやると決意します。ギデオンはやがて『荒野のいばらやとげ』で復讐すると心に決めます。この『いばらやとげ』とは文字通りの意味です。実際、後ほどギデオンは茨や棘でスコテ人を罰しているからです(士師記8:16)。しかし、この茨や棘には象徴的な意味もあったと考えることができます。その意味とは、すなわちスコテの人々が滅びの子だったということです。聖書において茨や棘は不信者・非再生者の意味があるからです。ギデオンが自分たちを拒んだスコテ人に復讐しようとしたのは当然でした。何故なら、スコテ人は神の子らを蔑ろにしたからです。マタイ25章の箇所でも神の子らを蔑ろにした山羊たちが滅びに定められています。ギデオンはスコテでパンを得られなかったので、スコテのすぐ東にある『ペヌエル』に向かいます。このペヌエルでも、ギデオンたちはパンを拒まれました。ですから、またもギデオンは憤り、やがてペヌエルに復讐してやると決心します。その復讐はペヌエルの『やぐら』を破壊し、そこにいた人々を殺すというものでした。『やぐら』は聖書において神とその守りを象徴しています。ですから、ギデオンが櫓を壊して復讐するのは、ペヌエルの人々が神から見捨てられていたことを意味しています。

 私たちはギデオンのような神の仕事人を蔑ろにしないようにすべきです。とりわけ神の仕事人から何かを求められた際は注意すべきです。もし神の働きをしている人たちを蔑ろにすれば、裁かれて死ぬ可能性が大いにあります。私たちが今見ているギデオンを蔑ろにしたスコテとペヌエルの人々がそうだったからです。ナバルもそうでした。この愚か者は神の仕事人であるダビデをぞんざいに扱ったので、神に裁かれて死にました(Ⅰサムエル記25章)。このようになるのは当然です。キリストの御言葉からも分かる通り(ヨハネ15:18)、神の仕事人を蔑ろにする者は、まず先に神を蔑ろにしているからです。まず先に神を蔑ろにしているので、その神に仕えている仕事人をも蔑ろにするわけです。神を蔑ろにしている者がどうして裁かれないままでいられるでしょうか。

【8:10】
『ゼバフとツァルムナはカルコルにいたが、約一万五千からなるその陣営の者も彼らといっしょにいた。これは東の人々の陣営全体のうち生き残った者のすべてであった。剣を使う者十二万人が、すでに倒されていたからである。』
 ミデヤンの軍勢には4人の王が参戦していましたが、そのうち2人は先にエフライム族の手で打ち取られており、残りの2人はヨルダン川を渡って東のほうに逃げていました。この2人が逃げられたからといって、彼らは滅びの定めからも逃げられていたわけではありません。彼らはただ滅びに至る時を僅かばかり引き延ばしていたに過ぎませんでした。ですから、この2人の王はこれから打ち取られることとなります。この2人の王は、まだ殺されないでいた『約一万五千人』の戦士たちと共にいました。この1万5000という数字に象徴的な意味はないはずです。ミデヤンの軍勢は、既に『十二万人』が同士討ちおよびユダヤ人の手により倒れていました。この「120000」という数字にも象徴的な意味はないはずです。これは単に戦士の数が多かったということだけです。これを「12かける10000」と分解して捉えようとするのは不自然です。この箇所から分かる通り、ミデヤン人は13万5000人もの戦士を戦いの最初に召集していましたが、これは実に多い数であり、徹底的にユダヤを荒らそうとしていたことが分かります。先にも述べておきましたが、もし神がユダヤ人と共におられたのでなければ、13万5000人の敵に対して300人で挑むというのは狂気の沙汰でした。

【8:11~12】
『そこでギデオンは、ノバフとヨグボハの東の天幕に住む人々の道に沿って上って行き、陣営を打った。陣営は油断していた。ゼバフとツァルムナは逃げたが、ギデオンは彼らを追って、ミデヤンのふたりの王ゼバフとツァルムナを捕え、その全陣営をろうばいさせた。』
 ペヌエルから離れたギデオンは、そこから南東に離れた『ノバフとヨグボハ』の方面に向かい、そこにいた敵の『陣営を打』ちました。敵の『陣営は油断していた』ので、容易くかき乱すことができました。恐らく敵たちはノバフとヨグボハまで逃げればもう大丈夫だと思っていたのかもしれません。しかし、戦争においては僅かほどの油断も禁物なのです。歴史で多くの事例がある通り、油断していたため悲惨になった軍勢は何も珍しくありません。この時に『ゼバフとツァルムナは逃げた』のですが、この2人の王は既にギデオンの手に渡された状態だったので、ギデオンに追いつかれ捕えられてしまいました。王が捕えられたらもう全てが終わりとなります。ですから、敵の陣営は狼狽してしまいます。しかし、ギデオンはこの2人の王を殺さず捕らえたままにしておきました。これは2人の王がまだ捕らえられていないからというのでパンを拒んだスコテの人々に2人の王を見せ、思い知らせてやるためでした。

【8:13~17】
『それから、ヨアシュの子ギデオンは、ヘレスの坂道を通って戦いから帰って来た。そのとき、彼はスコテの人々の中からひとりの若者を捕え、尋問した。すると、彼はギデオンのために、スコテのつかさたちと七十七人の長老たちの名を書いた。そこで、ギデオンはスコテの人々のところに行って、言った。「あなたがたが、『ゼバフとツァルムナの手首を、今、あなたは手にしているのか。私たちがあなたに従う疲れた人たちにパンを与えなければならないとは。』と言って、私をそしったそのゼバフとツァルムナが、ここにいる。」そしてギデオンは、その町の長老たちを捕え、また荒野のいばらや、とげを取って、それでスコテの人々に思い知らせた。また彼はペヌエルのやぐらをたたきこわして、町の人々を殺した。』
 主により勝利を得たギデオンは、北西にあるスコテまで戻ります。これはスコテの人々に対しパンを与えない理由とされた2人の王がまざまざと見せられるためです。しかし、スコテの指導者たちは当然ながらギデオンの復讐を恐れて、自分たちから姿を現わそうとしなかったと思われます。このためギデオンはスコテ人の若者を尋問して『スコテのつかさたちと七十七人の長老たち』の名を書かせます。スコテの長老たちが77人いたのは、完全数「7」が2つ並んでいますから、スコテに十分な数の長老がいたということを示しているのでしょう。そして、ギデオンは2人の王を指導者たちに見せ、その指導者たちを捕えます。そうしてから指導者でない一般民衆にも思い知らせてやりました。これはスコテの人々が神の仕事人たちに良くしなかったからです。ギデオンは次にペヌエルに行き、その『やぐらをたたきこわし』ます。そして、ペヌエルの人間を殺しました。彼らはギデオンたちを蔑ろにしたので裁かれてしまったのです。

【8:18~21】
『それから、ギデオンはゼバフとツァルムナに言った。「おまえたちがタボルで殺した人たちは、どこにいるのか。」すると彼らは答えた。「あの人たちは、あなたのような人でした。どの人も王の子たちに似ていました。」ギデオンは言った。「彼らは私の兄弟、私の母の息子たちだ。主は生きておられる。おまえたちが彼らを生かしておいてくれたなら、私はおまえたちを殺しはしないのだが。」そしてギデオンは自分の長男エテルに「立って、彼らを殺しなさい。」と言ったが、その若者は自分の剣を抜かなかった。彼はまだ若かったので、恐ろしかったからである。そこで、ゼバフとツァルムナは言った。「立って、あなたが私たちに撃ちかかりなさい。人の勇気はそれぞれ違うのですから。」すると、ギデオンは立って、ゼバフとツァルムナを殺し、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを取った。』
 ゼバフとツァルムナたちは、かつてタボルでギデオンの兄弟たちを殺していました。ギデオンはまだ殺されずに生きていた2人の王に、この罪について確認しています。ギデオンはもう既に兄弟たちがタボルで殺されたことを知っていました。しかし、殺害者たちの頭領である2人の王たちに聞いて、実際に確認しようとしたのです。ギデオンは、もし敵どもが兄弟たちを殺していなければ、2人の王たちを殺すつもりはありませんでした。何故なら、『いのちにはいのち』と聖書には書かれているからです。つまり、敵が命を取っていなければ敵の王たちの命も取らなくてよいというわけです。19節目で『主は生きておられる。』と書かれているのは誓いの言葉です。ギデオンはこう言いたかったのです。「もし敵たちが兄弟たちの命を奪っていなければ私も敵の王から命を奪うことは決してなかったと主において誓う。」

 この2人の王たちが死刑になる時、ギデオンは『長男エテル』に死刑を行なわせようとします。これは恐らく息子に経験を積ませておこうとしたのかもしれません。しかし、この息子はまだ若かったので恐れ慄いて王たちを殺すことができませんでした。聖書は『あなたを生んだ父の言うことを聞け。』(箴言23章22節)と命じていますから、この息子は父ギデオンの言った通りにすべきでした。しかし、2人の王がすかさずギデオンに死刑を求めたので、息子ではなくギデオンが死刑をすることとなりました。この王たちの言葉は、彼らが高潔さに傾く精神を幾らかでも持っていたことを示しています。何故なら、高潔な王は避けられない死を前にした際、嫌がることもなく堂々と死のうとするものだからです。一方、高潔さのない王は何とかして死を免れようと情けない振る舞いに陥りがちです。古代のある王などは死にたくないあまり平民のように振る舞ったほどでしたが、それは見苦しいことでした。

 ギデオンは2人の王を殺すと、王のラクダに掛けてあった『三日月形の飾りを取っ』て自分の所有としました。後の箇所からも分かる通り、この行為にはギデオンの肉的な弱さが現われていました。ギデオンは金目のものに弱かったのです。この弱さが後ほどギデオンたちに悲惨を齎すこととなります。

【8:22~23】
『そのとき、イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたのご子息も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人の手から救ったのですから。」しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子もあなたがたを治めません。主があなたがたを治められます。」』
 神に用いられたギデオンを通してイスラエルが解放されたので、イスラエル人はギデオンに自分たちを治めるよう求めます。確かにギデオンはイスラエル人の統御者になっても全くおかしくない状況でした。イスラエル人がギデオンによる支配を求めたのは、人間的に考えれば自然でした。しかし、ギデオンは彼らの求めを拒否します。イスラエル人はギデオンがイスラエルを救ったからというので、ギデオンを統治者として求めました。しかし、ギデオンは単に神から用いられただけであり、イスラエルを救ったのはギデオンを用いた神であられます。ですから、ギデオンは神がイスラエルを治めると応じています。このギデオンの返答は正しい返答でした。

【8:24~26】
『ついで、ギデオンは彼らに言った。「あなたがたに一つ、お願いしたい。ひとりひとり、自分の分捕り物の耳輪を私に下さい。」―殺された者たちはイシュマエル人であったので、金の耳輪をつけていたからである。―すると、彼らは「差し上げますとも。」と答えて、一枚の上着を広げ、ひとりひとりその分捕り物の耳輪をその中に投げ込んだ。ギデオンが願った金の耳輪の目方は金で一千七百シェケルであった。このほかに、三日月形の飾りや、垂れ飾りや、ミデヤンの王たちの来ていた赤紫の衣、またほかに、彼らのらくだの首の回りに掛けていた首飾りなどもあった。』
 ギデオンは統御者になることを拒みましたが、その代わりに分捕り物を皆から貰うことを望みました。ギデオンはイスラエル人にとってヒーローでしたから、戦士たちはギデオンの求めに『差し上げますとも。』と言って快く応じました。「そんなことであれば喜んでいたしましょう。」とでも言っているかのようです。この戦いでギデオンが得た財物はかなりの量でした。先にギデオンは肉の弱さによりラクダから財物を取りましたが、ここでもその弱さが現われています。また、この戦いで殺された敵たちはユダヤ人の兄である『イシュマエル人』でした。つまり、敵たちは弟を虐めてやろうとして戦いに臨んでいたのです。それというのも、イシュマエルの遺伝子はイシュマエルにイサクを痛めつけよと指示するからです(創世記21:9)。

【8:27】
『ギデオンはそれで、一つのエポデを作り、彼の町のオフラにそれを置いた。すると、イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行なった。それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった。』
 ギデオンは獲得した戦利品を使い『一つのエポデを作り』ましたが、エポデとは祭司が祭儀のため身に纏う装束のことです。ギデオンはこのエポデを自分の町であるオフラに置きました。どうしてギデオンはエポデを作ったのか、またそのエポデは実際に用いられたのか。この2つの事柄について私たちには分かりません。ユダヤ人は、このエポデを崇拝し、偶像崇拝の罪に陥ってしまいます。恐らくギデオンはエポデを物凄く豪華に作成したのでしょう。そのためユダヤ人は素晴らしい出来のエポデに心を奪われてしまったと思われます。この偶像崇拝がここでは『淫行』と言われています。ギデオンがこのようなエポデを作ったので、それは『ギデオンとその一族にとって、落とし穴とな』りました。つまり、このエポデが罪を犯させる元凶になったということです。

【8:28】
『こうしてミデヤン人はイスラエル人によって屈服させられ、二度とその頭を上げなかった。この国はギデオンの時代、四十年の間、穏やかであった。』
 こうしてミデヤン人はイスラエル人にもう立ち向かわないようになりました。ミデヤン人は酷く痛めつけられたので、恐れを抱き、もうイスラエルに対抗する気力を失ったのです。ちょうど罠にかかって痛い目を見た動物が、再び罠にかかることを恐れて、罠の周辺に近づかなくなるようなものです。神がこのようにしてミデヤン人の支配を打ち砕いて下さったのは、ただその憐れみに基づいていました。神は御自分の憐れみがどれだけ大きいか示されることを欲されました。ですから、神は御自分の栄光のため、ユダヤ人をミデヤン人の支配から解放して下さったのです。

 イスラエルはギデオンが死ぬまで『四十年の間』、平穏を享受しました。神がギデオンを通してイスラエルに働きかけておられたからです。この『四十年』とはそれが十分な期間だったことを示します。しかし、ギデオンが死んだ40年目になると、イスラエルは再び偶像崇拝に逆戻りしてしまいます。これは神がトップにいる者を通じて集団の全体を恵まれるからです。このためトップがいなくなれば、そのトップを通じて注がれていた神の恵みも止んでしまうのです。ですから、イスラエルに対する平穏の恵みはギデオンが死んだ時点でストップしました。

【8:29~32】
『ヨアシュの子エルバアルは帰って自分の家に住んだ。ギデオンには彼から生まれた息子が七十人いた。彼には大ぜいの妻がいたからである。シェケムにいたそばめもまた、彼にひとりの男の子を産んだ。そこで彼はアビメレクという名をつけた。やがて、ヨアシュの子ギデオンは長寿を全うして死に、アビエゼル人のオフラにある父ヨアシュの墓に葬られた。』
 戦いが終わると、ギデオンは『自分の家』があるオフラに帰って住みました。このギデオンは多くの妻を持っていましたが、これは明白な律法違反でした(申命記17:17)。この時代のユダヤ人は律法を投げ捨てていましたから、このような律法違反を平気で行なっていました。妻を多く持てば子どもも多く生まれますから、ギデオンには『彼から生まれた息子が七十人』いました。これは「70」人ですから、ギデオンの子どもが本当に沢山いたことを示しています。また、70人いたと言われているのは息子だけですから、娘も含めれば更に多くの子どもがいたことになります。31節目ではアビメレクの誕生について書かれていますが、これはこの子どもがやがて大きな騒ぎを起こすことになるからです。こうしてギデオンも死にましたが、彼は長く生きて死にました。神がギデオンを長く生かされたのです。彼が何歳でどのように死んだのかは不明です。

【8:33~35】
『ギデオンが死ぬとすぐ、イスラエル人は再びバアルを慕って淫行を行ない、バアル・ベリテを自分たちの神とした。イスラエル人は、周囲のすべての敵から自分たちを救い出した彼らの神、主を心を留めなかった。彼らは、エルバアルすなわちギデオンがイスラエルに尽くした善意のすべてにふさわしい真実を、彼の家族に尽くさなかった。』
 ギデオンが死んでからすぐにもイスラエル人はバアル崇拝者に逆戻りします。つまり、こういうわけだったのです。イスラエル人の心にはバアルに対する強烈な愛があったので、いつもバアルを拝みたくて仕方ありませんでした。しかし、神が共におられる士師のいる間は、断罪されることを恐れてバアル崇拝ができません。この士師がいなくなれば、バアル崇拝をしても、もはや断罪されることがなくなります。ですから、士師であるギデオンが死んだら、すぐにも彼らは「この時を待っていました!」と言わんばかりにバアルを拝み始めたのです。つまり、彼らは士師のいる間は単にバアル崇拝を我慢していただけでした。これは何と忌まわしいことでしょうか。士師がいる間だけ偶像崇拝をせず選民らしく振る舞っていたのは、心の底からそのようにしていたわけでなく、ただ単に御芝居をしていただけだったのです。

 ギデオンが死んでから、ユダヤ人は自分たちを救われた神および神から解放者として起こされたギデオンに対し、誠実な態度を持ちませんでした。これは忘恩の罪です。彼らがこのようにしたのはキリストが言われた最も重要な2つの戒めに対する違反でした。すなわち、ユダヤ人は神を全力で愛し隣人を自分のように愛せよという戒めを行ないませんでした。これは実に罪深いことでした。

【9:1~3】
『さて、エルバアルの子アビメレクは、シェケムにいる自分の母の身内の者たちのところに行き、彼らと母の一族の氏族全員に告げて言った。「どうかシェケムのすべての者に、よく言って聞かせてください。エルバアルの息子七十人がみなで、あなたがたを治めるのと、ただひとりがあなたがたを治めるのと、あなたがたにとって、どちらがよいか。私があなたがたの骨肉であることを思い起こしてください。」アビメレクの母の身内の者たちが、彼に代わって、これらのことをみな、シェケムのすべての者に言って聞かせたとき、彼らの心はアビメレクに傾いた。彼らは「彼は私たちの身内の者だ。」と思ったからである。』
 ギデオンのそばめから生まれたアビメレクは非常な野心家でした。野心は人の心に頂点を獲得せよと指示します。野心とはそういうものだからです。ですから、アビメレクは兄弟70人がイスラエルを治めるより自分一人で治めたいと願いました。彼はこの傲慢な願望を、母の一族に告げ知らせます。母の一族はアビメレクのこの願望を聞き、自分たちの住んでいたシェケムにいる全ての者にそれを聞かせました。すると、シェケムの人たちはその願望を歓迎します。『エルバアルの息子七十人』がイスラエルを治めるより、自分たちの身内であるアビメレクによる支配のほうが、自分たちにとって喜ばしく光栄となるからです。このようにしてアビメレクの同族の者たちは、アビメレクの野心に巻き込まれてしまいました。ここでアビメレクが自分の願望を、自分でなく他人の口から告げさせようとしたのは(2節)、アビメレクに恐れがあったことを示しているのでしょう。古代ギリシャの僭主やダーウィンを考えても分かる通り、野心家とはその多くが臆病だからです。野心家は自分に対して悪い思いが抱かれることを酷く嫌い恐がります。目の前で反論などされたら気が動転しておかしくなってしまいます。ですから、ダーウィンが進化論を講壇から語ることはほとんどありませんでした。

【9:4~5】
『彼らはバアル・ペリテの宮から銀七十シェケルを取り出して彼に与えた。アビメレクはそれで、ごろつきの、ずうずうしい者たちを雇った。彼らはアビメレクのあとについた。それから、アビメレクはオフラにある彼の父の家に行って、自分の兄弟であるエルバアルの息子たち七十人を一つの石の上で殺した。しかし、エルバアルの末子ヨタムは隠れていたので生き残った。』
 シェケムの人々は自分と同郷であるアビメレクが支配者になるのを望んだので、アビメレクが王となるよう彼に協力します。政治家になろうとする者に資金が必要なのと同様、アビメレクが王となるためにも資金が必要なので、『彼らはバアル・ペリテの宮から銀七十シェケルを取り出して彼に与え』ました。これは「70」シェケルですから、その資金が十分だったことを意味します。資金の出所を見ればその人や団体の正邪が分かります。例えば、誰かがエホバの証人からの援助で潤っていたとすれば、その人は決して信用できません。何故なら、その人は異端者の資金により力を得ているからです。こういうわけですから、このアビメレクが邪悪な人物だったことは明らかです。彼はバアルの神殿に蓄えてあるお金を資金として貰ったからです。私たちはある人や団体における資金の出所がどこなのか注意すべきです。この資金を使ってアビメレクは邪悪なゴロツキたちを雇います。それはギデオンの70人の息子を殺すためです。今で言えば殺人のためヘルズエンジェルスを雇うようなものです。

 こうしてギデオンはゴロツキどもと共に70人の兄弟たちを殺しました。兄弟たちは『石の上で殺』されたのですが、どうして石の上だったのでしょうか。この『石』はキリストを示しているのかもしれません。その石の上に兄弟たちがいた。つまり、これは70人の兄弟たちがキリストの贖いを受けていた聖徒だったということなのかもしれません。この70人は上から石を落とされて死んだはずです。何故なら、後ほどアビメレクは石を上から落とされて死ぬからです(士師記9:53)。これは間違いなく神がアビメレクに対し殺人の悪を報いられたからです。神は人がした通りにその人にもなさいます。ですから、この70人は石の投下により殺されたと考えてよいでしょう。

 しかし、末っ子のヨタムだけは殺されずに生き残りました。これはヨタムがアビメレクに対する呪いを告げるためです。すなわち、神はヨタムに呪いを告げさせるため、彼を生かして下さいました。この事例からも分かる通り、悪者の悪事はいつも必ずどこかに欠けや隙が生じてしまうものです。神が悪事の行なわれる際に働きかけるのです。ところで、どうして神は末子であるヨタムを生き残るように定めておられたのでしょうか。それは先にも述べた通り、神は低い者をこそ積極的に選ばれる御方だからです。前の箇所で見たように、ギデオンも低い存在だったので神から選ばれました(士師記6:15)。神とは低い者を憐れんだり高きに引き上げて下さる御方なのです。

【9:6】
『それで、シェケムの者とベテ・ミロの者はみな集まり、出かけて行って、シェケムにある石の柱のそばの樫の木のところで、アビメレクを王とした。』
 ヨタムを除いたギデオンの息子たちが全て殺されましたから、もうアビメレクの前に邪魔者はいなくなりました。これでアビメレクが王になろうとしても妨げられません。もしまだ70人の息子たちが生きていれば、アビメレクが王になろうとした際、暗殺されたり、妨害が行なわれたり、戦争が起きていたかもしれません。しかし、もうそういったことが起こる可能性は少なくなりました。そのためにこそアビメレクは70人の兄弟たちを殺したのです。アビメレクには70人の兄弟たちの命よりも自分の野心を実現させるほうが大事だったのです。これは何と忌まわしいことでしょうか。こうして『シェケムの者とベテ・ミロの者』はアビメレクを王として立てました。彼が王になったのは聖所のある場所でした(ヨシュア24:26)。イスラエル人の上に王が正式な形で立てられたのはこれが最初だったはずです。もっとも、これは王というより僭主と呼んだほうが正確だと思えます。

【9:7~20】
『このことがヨタムに告げられたとき、彼は行って、ゲリジム山の頂点に立ち、声を張り上げ、彼らに叫んで言った。「シェケムの者たち。私に聞け。そうすれば神はあなたがたに聞いてくださろう。木々が自分たちの王を立てて油をそそごうと出かけた。彼らはオリーブの木に言った。『私たちの王となってください。』すると、オリーブの木は彼らに言った。『私は神と人とをあがめるために使われる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。』ついで、木々はいちじくの木に言った。『来て、私たちの王となってください。』しかし、いちじくの木は彼らに言った。『私は、私の甘みと私の良い実を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。』それから、木々はぶどうの木に言った。『来て、私たちの王となってください。』しかし、ぶどうの木は彼らに言った。『私は、神と人とを喜ばせる私の新しいぶどう酒を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。』そこで、すべての木がいばらに言った。『来て、私たちの王となってください。』すると、いばらは木々に言った。『もしあなたがたがまことをもって私に油をそそぎ、あなたがたの王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。そうでなければ、いばらから火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くそう。』今、あなたがたはまことと真心をもって行動して、アビメレクを王にしたのか。あなたがたはエルバアルとその家族とを、ねんごろに取り扱い、彼のてがらに報いたのか。私の父は、あなたがたのために戦い、自分のいのちをかけて、あなたがたをミデヤン人の手から助け出したのだ。あなたがたは、きょう、私の父の家にそむいて立ち上がり、その息子たち七十人を、一つの石の上で殺し、女奴隷の子アビメレクをあなたがたの身内の者だからというので、シェケムの者たちの王として立てた。もしあなたがたが、きょう、エルバアルと、その家族とにまことと真心をもって行動したのなら、あなたがたはアビメレクを喜び、彼もまた、あなたがたを喜ぶがよい。そうでなかったなら、アビメレクから火が出て、シェケムとベテ・ミロの者たちを食い尽くし、シェケムとベテ・ミロの者たちから火が出て、アビメレクを食い尽くそう。」』
 70人の兄弟たちが殺されたと知らされたヨタムは、ゲリジム山に登り、そこで民に対して言葉を告げます。このゲリジム山はかつて祝福がそこで宣言された山です。これは呪いが宣言されたエバル山ではありません。ヨタムがこの山に登ったのは、彼が祝福されていたことを示していると思われます。というのも彼は70人の兄弟のうち一人だけ生き残ったのですから。単に近かったからというだけであった可能性もありますが。

 ヨタムは木の例えを話すことで、アビメレクに対する呪いを宣言しています。『木々』とはシェケムの人々を示します。聖書において人は木で表現されるからです。キリストも人間を木に例えられました。ここで『オリーブの木』と『いちじくの木』と『ぶどうの木』と書かれているのは、アビメレクを除いたギデオンの息子たちを示しています。ここでは3つの木しか書かれていませんが、この3つの木で70人の息子たちが表示されています。これらはどれも良い木です。つまり、これらの木は70人の息子たちにおける善良さを示しています。オリーブもイチジクも葡萄も、神と人とのために役立ちます。そのように70人の息子たちも神と人とのために役立つ者でした。彼らは王になれと求められても決してなろうとしません。何故なら、彼はただただ神と人とのため役立とうとするのみであって、自分の野心を満たそうという気持ちは全くないからです。彼らが王にならないのは、既にギデオンが宣言していたことでした(士師記8:23)。一方、『いばら』はアビメレクのことです。この茨はただアビメレク一人だけを示しています。アビメレクが茨で示されているのは、彼が茨のように神のためにも人のためにも役立たなかったからです。彼に神と人への愛はなく、ただ王になりたいという野心の棘しかありませんでした。ですから、彼は民の王になることを厭いません(14~15節)。15節目で油注ぎについて言われているのは、王の任職のことです。古代では王となる者の頭に儀式として油を注ぐのが一般的でした。サウルも王になる際は油を注がれました(Ⅰサムエル記10:1)。このアビメレクはもし自分を王としなければ、『レバノンの杉の木を焼き尽くそう』と言っていますが、『レバノンの杉の木』とは恐らくレバノンの方面にいたユダヤ人であり、提喩法としてユダヤ人の全体を表示しているのでしょう。しかし、ヨタムはもしシェケムの人々が正しい心からアビメレクを王にしたのでなければ、アビメレクとアビメレクを王に立てたシェケムの人々のほうこそ火で焼き尽くされると言っています。「火が焼き尽くす」とは、つまり死ぬこと、滅ぼされること、裁かれることです。ヨタムがここで言っている通り、もし本当に善良な心でアビメレクが王とされたとすれば、それは誠に喜ばしいことでした。

【9:21】
『それから、ヨタムは逃げ去り、ベエルに行き、兄弟アビメレクを避けてそこに住んだ。』
 自分を除く全ての兄弟を殺した殺人鬼アビメレクと、ヨタムは共にいることが出来ませんでした。アビメレクに対しては精神的な嫌悪が生じていたでしょうし、近くにいれば命が危険となるからです。それゆえ、ヨタムはシェケムから離れ、遥か南に位置する『ベエル』へと移り住みました。この時にヨタムが抱いていた悲しみはどれほどだったでしょうか。男が女の生理を理解できないのと同様、私たちにはヨタムの悲しみを理解できないでしょう。何故なら、誰もヨタムのような経験を持っていないからです。今の時代では王族でさえ70人の子どもを持つことがないぐらいなのです。つまり、王族でさえこのヨタムのような経験を持ち得ないわけです。経験していないことを理解するのは難しいのです。

【9:22】
『アビメレクは三年間、イスラエルを支配した。』
 アビメレクの支配は3年しか続きませんでしたが、これはかなり短い期間です。僭主の支配はこのように短い期間であるのが普通です。その支配は神にも人にも喜ばれないからです。神と人の支持なしに打ち立てられた支配は、土台が非常に弱いので、すぐに崩れ去ってしまいます。

【9:23~25】
『神は、アビメレクとシェケムの者たちの間に悪霊を送ったので、シェケムの者たちはアビメレクを裏切った。そのためエルバアルの七十人の息子たちへの暴虐が再現し、彼らの血が、彼らを殺した兄弟アビメレクと、アビメレクに加勢して彼の兄弟たちを殺したシェケムの者たちの上に臨んだ。シェケムの者たちは、山々の頂上に彼を待ち伏せる者たちを置いたので、彼らは道でそばを過ぎるすべての者を略奪した。やがて、このことがアビメレクに告げられた。』
 70人の兄弟を殺した極悪人アビメレクが裁かれないままでいることは決してありませんでした。何故なら、『主は決して罰せずにおくことはしない方』(ナホム1章3節)であられるからです。もしこのアビメレクが裁かれなかったとすれば、いったい誰が裁かれるべきだというのでしょうか。彼は裁かれるべきだったので、神は『アビメレクとシェケムの者たちの間に悪霊を送』られました。この悪霊とは争いを掻き立てる悪い霊です。このため、アビメレクを王に立てたシェケムの人々は、悪霊の働きに動かされてアビメレクを裏切りました。そして、シェケムの山々でアビメレクを殺そうと待ち伏せしました。悪霊が働いていたので、この山を通る者で、アビメレクの仲間である者は全て酷い目に遭わされました。ここで彼らを『略奪した』と書かれているのが、ただ単に略奪したただけなのか、略奪の際に命をも奪ったのかは分かりません。アビメレクがこのように神からも人からも酷くされたのは当然でした。彼は70人の息子たちを殺すことで、その息子たちの父であるギデオンにも、ギデオンを解放者として起こされた神にも、善意を尽くさなかったからです。ですから、このようになったのは報いであり自業自得でした。神はこのように罰されるべき者には裁きの悪霊を送られます。神はサウルにも悪霊を送られました。神は裁きの代行者として悪霊どもを用いられる御方なのです。

【9:26~29】
『エベデの子ガアルとその身内の者たちが来て、シェケムを通りかかったとき、シェケムの者たちは彼を信用した。そこで彼らは畑に出て行って、ぶどうを収穫して、踏んだ。そして祭りをし、自分たちの神の宮にはいって行って、飲み食いし、アビメレクをののしった。そのとき、エベデの子ガアルは言った。「アビメレクとは何者か。シェケムとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。アビメレクはエルバアルの子、ゼブルはアビメレクの役人ではないか。シェケムの父ハモルの人々に仕えなさい。なぜわれわれはアビメレクに仕えなければならないのか。だれか、この民を私の手に与えてくれないものか。そうすれば私はアビメレクを追い出すのだが。」そして彼はアビメレクに言った。「おまえの軍勢をふやして、出て来い。」』
 『エベデの子ガアル』も、悪霊の働きかけのため、アビメレクを裏切った者の一人でした。彼は反アビメレク派だったので、シェケムの山を通っても略奪されませんでした。その山では親アビメレク派の者を略奪することになっていたからです。『畑に出て行って、ぶどうを収穫して、踏んだ』と書かれているのは、日常の仕事であり、葡萄酒を作ることです。『祭り』とはバアルに関する祭りだったと思われます。『神の宮』とは『バアル・ペリテの宮』(士師記9章4節)のことです。ガアルはこの偶像の宮の中で、『飲み食いし、アビメレクをののし』りました。彼にはアビメレクの支配が気に入らなかったからです。そして、「もしアビメレクの支配を覆せるものなら覆してやるから、アビメレクは軍勢を増やして俺の前に出て来やがれ。」と挑発の言葉を吐きます(29節)。僭主の支配する社会ではこのような謀反者の発生が避けられません。それは僭主への呪いとして悪霊がその社会に神から送られるからなのです。

【9:30~33】
『この町のつかさゼブルは、エベデの子ガアルの言ったことを聞いて、怒りを燃やし、トルマにいるアビメレクのところに使者を送って言わせた。「今、エベデの子ガアルとその身内の者たちがシェケムに来ています。今、彼らは町を、あなたにそむかせようとしています。今、あなたとあなたとともにいる民は、夜のうちに立って、野で待ち伏せしなさい。朝早く、太陽が上るころ、町に突入しなさい。すると、ガアルと、彼とともにいる民は、あなたに向かって出て来るでしょう。あなたは好機をつかんで、彼らを攻撃することができます。」』
 アビメレクの役人ゼブルはガアルの言葉を聞いて怒り、アビメレクに対策を講ずるよう告げます。僭主の時代には至る所に聞き耳を立てるエージェントがいるものです。ですから、ガアルの言葉がアビメレクに知られないままでいることはありませんでした。僭主はこういった謀反に恐ろしいぐらい敏感です。ですから、少しでも謀反の動きがあれば、すぐさま大きな対策が講じられることになります。この時もそうでした。

【9:34~40】
『そこでアビメレクと、彼とともにいた民はみな、夜のうちに立って、四隊に分かれてシェケムに向かって待ち伏せた。エベデの子ガアルが出て来て、町の門の入口に立ったとき、アビメレクと、彼とともにいた民は、待ち伏せしていた所から立ち上がった。ガアルはその民を見て、ゼブルに言った。「あれ、山々の頂から民が降りて来る。」すると、ゼブルは彼に言った。「あなたは、山々の影が人のように見えるのです。」ガアルはまた言った。「いや。人々がこの地の一番高い所から降りて来る。また一隊がメオヌニムの樫の木のほうから来る。」すると、ゼブルは彼に言った。「『アビメレクとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。』と言ったあなたの口は、いったいどこにあるのですか。あなたが見くびったのは、この民ではありませんか。さあ、今、出て行って、彼と戦いなさい。」そこで、ガアルはシェケムの者たちの先頭に立って出て行き、アビメレクと戦った。アビメレクが彼を追ったので、ガアルは彼の前から逃げた。そして多くの者が刺し殺されて倒れ、門の入口にまで及んだ。』
 ガアルは、シェケムの人々をアビメレクに背かせ、アビメレクを打ち倒そうとしていました。本来であればガアルたちがアビメレクたちを急襲して勝利していたかもしれません。しかし、ガアルにとって悲惨なことが起こりました。いざアビメレクを打ち倒そうとガアルたちが『町の門の入口に立ったとき』、ゼブルから話を聞いて事前に戦う準備を整えたアビメレク軍が、突如としてその姿をガアルたちの前に見せたのです。ガアルは敵の軍勢を見て大いに驚きます。まさかアビメレクが軍勢を率いてやって来るなどとは予想していなかったからです。ここでゼブルはガアルに「おやおや、人の姿を見るなんて勘違いをしているんじゃないのか?」と全てを知っていながらあざ笑うかのように話しかけます(36節)。ゼブルは何と嫌らしい奴でしょうか。こうしてガアルはアビメレク軍と戦いますが、事前に準備を整えていたアビメレクには敵うはずもなく、ガアルは敗走させられてしまいます。シェケムにいた多くの人々は殺されましたが、ガアルは生き延びました。神が彼を死なせられなかったからです。

 ガアルは思いがけない事態に動じさせられたはずです。一方、アビメレクたちは勝利したので意気が上がったはずです。このように最初はアビメレクたちの調子が良好でした。しかし、最初が良いからといっても最後までそうなのではありません。最初は良くても最後が悪くなる場合も多くあります。寧ろ、最後に悪くなるため最初が良い場合さえあります。例えば、第二次世界大戦の時の日本がそうです。日本軍は初め非常に良い調子でしたが、後半になると苦戦するようになり、最後には敗北してしまいました。このアビメレクもそのようであり、最初の頃は良くても最後には悲惨な死に方をしました。

【9:41】
『アビメレクはアルマにとどまったが、ゼブルは、ガアルとその身内の者たちを追い払って、彼らをシェケムに住ませなかった。』
 こうしてゼブルは当然ながらガアルをその家族と共にシェケムから追放します。しかし、ガアルは追放されるだけで死刑にはされませんでした。どうして追放されるだけで済んだかは分かりません。ただ神の御心はガアルが死なないことでした。

【9:42~45】
『翌日、民は、野に出かけて行って、アビメレクに告げた。そこで、アビメレクは自分の民を引き連れて、それを三隊に分け、野で待ち伏せた。すると、民が町から出て来るのが見えたので、彼らを襲って打った。アビメレクと、彼とともにいた一隊は突入して、町の門の入口に立った。一方、他の二隊は野にいたすべての者を襲って、打ち殺した。アビメレクはその日、一日中、町で戦い、この町を攻め取り、そのうちにいた民を殺し、町を破壊して、そこに塩をまいた。』
 翌日になるとアビメレクは、シェケムの町を徹底的に打ち滅ぼしました。この時に軍隊は3つに分けられましたが、アビメレクはそのうち1隊を率いて町に突入し、残りの2隊は町から野に出て来た人たちを打ち殺しました。2隊が町の周囲に配置されたのは、町がかなり大きかったので、多くの人員が散らばっているべきだったからだと思われます。アビメレクがこの町を滅ぼしたのは、再びこの町で謀反が起こることを防ぐためであり、また他の町も同じような謀反を起こさないよう見せしめとするためです。アビメレクが破壊し尽くした町に『塩をまいた』のは、町を浄化するためです。塩は腐敗を防ぐものです。つまり、アビメレクはシェケムの町に腐敗が再び発生しないよう塩を蒔いたのです。その腐敗とは<アビメレクに対する謀反>という彼にとっての悪です。ですから、この時に蒔かれた塩が何か衛生的だったり環境的だったりする意味を持っていたわけではありません。この塩は単にアビメレクの望みを示しているだけです。

【9:46~49】
『シェケムのやぐらの者たちはみな、これを聞いて、エル・ベリテの宮の地下室にはいって行った。シェケムのやぐらの者たちがみな集まったことがアビメレクに告げられたとき、アビメレクは、自分とともにいた民とツァルモン山に登って行った。アビメレクは手に斧を取って、木の枝を切り、これを持ち上げて、自分の肩に載せ、共にいる民に言った。「私がするのを見たとおりに、あなたがたも急いでそのとおりにしなさい。」それで民もまた、みなめいめい枝を切って、アビメレクについて行き、それを地下室の上に置き、火をつけて、地下室を焼いた。それでシェケムのやぐらの人たち、男女約一千人もみな死んだ。』
 『シェケムのやぐらの者たち』とは、シェケムの櫓があった場所に住んでいた反アビメレク派の人々です。彼らはアビメレクに殺されないため、『エル・ベリテの宮の地下室にはいって行っ』て身を守ろうとします。しかし、アビメレクは枝を持って来て彼らを地下室もろとも焼き殺します。これは、もしアビメレクが王になるのを拒めばその者たちは火で焼き尽くされる、とアビメレクが前に言っていた通りのことでした(士師記9:15)。この時に殺されたのが『一千人』だったのは、完全数10の三乗=1000ですから、本当に多くの人々が殺されたことを意味しています。アビメレクがこの時にしたこの虐殺は悪でした。しかし、アビメレクに虐殺された1000人も悪かったのです。何故なら、1000人がアビメレクに殺されたのは、偶像崇拝に対する神からの裁きだったからです。彼らはバアル崇拝で火による捧げ物を捧げていました。ですから、神は裁きとして彼らも火で焼かれるようにされたのです。ここでアビメレクは民がどうすればいいのか手本を示しています。民はその手本に従いました。これはアビメレクが王であったことをよく示しています。

 この時もアビメレクは非常に良い調子でした。彼はまだ敗北を味わっていません。しかし、この時がまだ良くても最後は悲惨となります。最初は良くても最後が悲惨であれば虚しいと言わねばなりません。『事の終わりは、その初めにまさ』(伝道者の書7章8節)ると言われている通り、事は最後にどうなるかが最も重要なのです。

【9:50~57】
『それから、アビメレクはテベツに行き、テベツに対して陣を敷き、これを攻め取った。この町の中に、一つ、堅固なやぐらがあった。すべての男、女、この町の者たちはみなそこへ逃げて、立てこもり、やぐらの屋根に上った。そこで、アビメレクはやぐらのところまで行って、これと戦い、やぐらの戸に近づいて、それを火で焼こうとした。そのとき、ひとりの女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。アビメレクは急いで道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私を殺してくれ。女が殺したのだと私のことを人が言わないように。」それで、若者が彼を刺し通したので、彼は死んだ。イスラエル人はアビメレクが死んだのを見たとき、ひとりひとり自分のところへ帰った。こうして神は、アビメレクが彼の兄弟七十人を殺して、その父に行なった悪を、彼に報いられた。神はシェケムの人々のすべての悪を彼らの頭上に報いられた。こうしてエルバアルの子ヨタムののろいが彼らに実現した。』
 テベツにいたユダヤ人は、南からやって来たアビメレクたちを恐れ、櫓により自分たちの身を守ります。アビメレクはこの櫓に火をつけて櫓ごと敵対者たちを滅ぼそうとします。この『テベツ』はシェケムから20kmほど北東に離れています。

 アビメレクが兄弟70人を殺した時点で、彼に死の裁きが下されることは決まっていました。何故なら、『主は報復の神で、必ず報復されるから』(エレミヤ51章56節)です。この時にその裁きが実現しました。今にも焼かれようとしている櫓に上っていたある『ひとりの女が』、上から石をアビメレクの頭に落としたのです。これはアビメレクが兄弟70人をこのような仕方で殺したため、自分もそのようにされたと考えて間違いありません。神は人の行なった通りに報いられる御方ですから。しかし、石の投下だけでは死に至らなかったので、女に殺されたと言われる屈辱を避けるため、アビメレクは『道具持ちの若者』に止めを刺させ、最後は部下の手で死ぬことを選びました。このアビメレクもそうでしたが、不名誉を避けようとする死に方を選ぶのは、古代では珍しくありませんでした。このようにしてヨタムの告げた呪いがアビメレクに実現しました。ヨタムは、もしアビメレクが真実な心から王に立てられたのでなければアビメレクは死ぬであろう、と呪いを告げていました(士師記9:20)。もしアビメレクが正しく王に立てられていれば、このように殺されることもありませんでした。

 頭が消えれば肢体も動かなくなります。この時に頭であるアビメレクが消えたので肢体である民は機能停止状態となり、アビメレクの支配体制は終焉に至りました。こうしてイスラエルは王がまだいなかった3年前の状態に戻りました。神が悪しき僭主であるアビメレクを裁いてイスラエルから取り除かれたからです。

【10:1~2】
『さて、アビメレクの後、イスラエルを救うために、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラが立ち上がった。彼はエフライムの山地にあるシャミルに住んだ。彼は、二十三年間、イスラエルをさばいて後、死んでシャミルに葬られた。』
 続いて士師として立てられたのはイッサカル部族のトラです。彼はイッサカル部族でしたが、住んだのは『エフライムの山地』です。これはそこが聖所に近かったからだと思われます。トラが士師だった期間は『二十三年間』でしたが、「23」という数字に聖書的な意味はありません。このトラの時代でどのような出来事が起きたは、ほとんど書かれていないのでよく分かりません。

【10:3~5】
『彼の後にギルアデ人ヤイルが立ち上がり、二十二年間、イスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいて、三十頭のろばに乗り、三十の町を持っていたが、それは今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれ、ギルアデの地にある。ヤイルは死んでカモンに葬られた。』
 続いてマナセ族の『ギルアデ人ヤイル』が士師として起こされ、『二十二年間、イスラエルをさば』きました。この「22」にも聖書的な意味はありません。これは先に見たトラの期間より1年少ないだけです。ヤイルに『三十人の息子がい』たのは、かなりの数の息子だったことを示しています。聖書において「30」は十分さを意味するからです。このヤイルもギデオンと同様で多くの妻を持った律法の違反者だったはずです。というのも、1人の妻に30人もの子を産ませたとは考えにくいからです。この30人の息子たちが『三十の町を持っていた』のは、1人ずつがそれぞれ一つの町を支配していたということだと考えられます。ヤイルのいた地域は彼の名にちなんで『ハボテ・ヤイルと呼ばれ』ましたが、これはユダヤの東北にある場所です。ヤイルが葬られた『カモン』はキネレテ湖とヤルムク川の南東にあります。このヤイルの時代も、先に見たトラと同様、どのような出来事が起きたのかよく分かりません。

【10:6】
『またイスラエル人は、主の目の前に重ねて悪を行ない、バアルや、アシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。』
 ヤイルが死ぬと、またもやユダヤ人は偶像崇拝の悪に逆戻りしてしまいます。せっかく神が敵の支配から救い出して下さったのに、再び敵の支配を齎す偶像崇拝に陥ってしまいました。これについて何と言えばいいでしょうか。「呆れて言葉が出て来ない。」としか言いようがありません。この箇所では偽りの神々が7つ挙げられています。これはユダヤ人が本当に多くの偶像に帰依していたことを示しています。『バアル』はカナン人の神です。『アシュタロテ』はオグ王の国バシャンで拝まれていた神です。『アラムの神々』とはカナンの北東にある地域で拝まれていた神々です。『シドンの神々』はカナンの北にあるシドンで拝まれていました。ユダヤ人は『モアブの神々、アモン人の神々』まで拝んでしまいます。ユダヤの南西にいた『ペリシテ人の神々』にもユダヤ人は引き込まれてしまいます。これは正に偶像のパラダイス、背信のオンパレード、罪の大洪水です。ユダヤ人が多くの汚物にまみれてしまいました。あまりの酷さに本当に言葉が出て来ません。

【10:7~9】
『主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、彼らをペリシテ人の手とアモン人の手に売り渡された。それで彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、苦しめた。彼らはヨルダン川の向こう側のギルアデにあるエモリ人の地にいたイスラエル人をみな、十八年の間、苦しめた。アモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったとき、イスラエルは非常な苦境に立った。』
 今度の裁きはペリシテ人とアモン人に苦しめられることでした。『ペリシテ人』はユダの相続地における西におり、『アモン人』が住んでいたのはカナンを東に越えた場所です。こうしてイスラエル人は『十八年の間』苦しめられましたが、聖書で「18」に意味はありませんから、『十八年』と聞いて何か特別に邪悪な支配があったとか考える必要はありません。私が念頭に置いているのは18を6たす6たす6(666)として捉える考え方です。ユダヤ人は偶像崇拝という神の嫌われることを行ないました。ですから、神もそれに応じて、敵に支配されるというユダヤ人の嫌うことを実現されたのです。というのも神とは報いられる御方だからです。ユダヤ人は偶像崇拝という種を蒔きました。ですから、神はユダヤ人に敵の支配という裁きの実を刈り取らさせたのです。『人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。』(ガラテヤ6章7節)と言われている通りです。こういうわけで、ユダヤ人は苦境に陥りましたがどうすることも出来ませんでした。敵に対抗しようとしても対抗できませんでした。神が裁きとしてユダヤ人を苦しめておられたのですから、苦境から抜け出すことなど出来るはずがありませんでした。神が閉じ込められたら一体どこの誰がそこから脱出できるでしょうか。

【10:10】
『そのとき、イスラエル人は主に叫んで言った。「私たちは、あなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルに仕えたのです。」』
 18年も敵の支配に苦しめられた末、ユダヤ人は遂に反省の心を持ちました。彼らは偶像崇拝のため裁きとして敵が自分たちを支配していることに気付いたのです。もしユダヤ人が偶像崇拝を行なわなければ敵による支配の苦しみも受けていませんでした。ユダヤ人はこの18年間の苦しみを通して、このことを悟ったのです。この箇所でユダヤ人は『バアルに仕えた』とだけ言われていますが、これはバアルだけを挙げているに過ぎず、実際はもっと多くの神々に仕えていました(士師記10:6)。

【10:11~16】
『すると、主はイスラエル人に仰せられた。「わたしは、かつてエジプト人、エモリ人、アモリ人、ペリシテ人から、あなたがたを救ったではないか。シドン人、アマレク人、マオン人が、あなたがたをしいたげたが、あなたがたがわたしに叫んだとき、わたしはあなたがたを彼らの手から救った。しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい。」すると、イスラエル人は主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でも私たちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。』
 主はこれまで幾度となくユダヤ人を敵の支配から解放しておられました。ここでは敵の数が7つ挙げられています。これは「7」ですから、本当に多くの敵からユダヤ人が救われたことを意味しています。これまでの出来事を考えれば、ユダヤ人が再び救い出されてもまた神を裏切ることは明らかでした。これまでずっと神から救われたのにその神を裏切っていたのです。であれば、これからもそうなるはずです。この時にきっちり今までと全く違った精神・態度を持つようになったということであれば話は別ですが、そういうことはありませんでした。実際、これからもユダヤ人は幾度となく神を裏切り続けます。ですから、神はユダヤ人の叫びを退けられました。これは当然のことです。何故なら、もし再びユダヤ人を救ってもまた彼らは神から離れるだろうからです。それゆえ、神は「偶像に叫んで救ってもらえばよい。」と言ってユダヤ人を撥ね付けられました。主がこう言われたのはもっともでした。ユダヤ人はこれまでずっと神を捨て偶像の神にすがっていたからです。この時になってヤハウェ神にすがるというのは自分勝手だというわけです。

 ユダヤ人は神から退けられても諦めず、あくまでも悔い改めて努力しました。彼らはそれまで拝んでいた全ての偶像を徹底的に捨て去りました。これは正しいことでした。このようなユダヤ人の遜った態度を見て、神は御心を動かされます(16節)。というのも、ユダヤ人がしっかり遜っているのに憐れまないのであれば、神は御自分が「憐れみの神」であることを否定されることになるからです。「憐れみの神」が遜って神を切に求める者を憐れまないとすれば、それはもはや「憐れみの神」ではありません。しかし、神は永遠から永遠に至るまで「憐れみの神」であられます。それゆえ、神はその憐れみにより、悔い改めたユダヤ人を顧みられました。もしこの時にユダヤ人が口先だけで悔い改めたに過ぎず偶像を取り除かなかったとすれば、神はユダヤ人を憐れんでおられなかったことでしょう。何故なら、悔い改めの実が見られないからです。その場合、ユダヤ人はバプテスマのヨハネが言ったようにこう言われていたはずです。『それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。』(マタイ3章8節)

 この事例からも分かる通り、神は真に悔い改める者を必ず憐れんで下さる御方です。何故なら、神は純粋な心と熱心な改悛を喜ばれる御方だからです。しかし、偽善的な悔い改めをする者は憐れまれることがありません。神は二心を忌み嫌われる御方だからです。これは大変に重要な事柄ですから、忘れないようにすべきです。

【10:17~18】
『このころ、アモン人が呼び集められ、ギルアデに陣を敷いた。一方、イスラエル人も集まって、ミツパに陣を敷いた。ギルアデの民や、その首長たちは互いに言った。「アモン人と戦いを始める者はだれか。その者がギルアデのすべての住民のかしらとなるのだ。」』
 カナンの東にいたアモン人がユダヤ人を打ちのめそうとギルアデの地に召集されました。これに応じユダヤ人も『ミツパ』に集まって陣を敷きました。ミツパとはペヌエルから20kmほど南東にある場所です。いつもであればアモン人がユダヤ人を苦しめるため集まったのは、ユダヤ人に対する神からの裁きとして起こっていました。しかし、この時はもうそのようではありませんでした。何故なら、ユダヤ人はもう裁きを引き起こす偶像崇拝を自分たちのうちから全く取り除いていたからです。この時にユダヤ人は、アモン人との戦いで先陣を切る勇敢な者が『ギルアデのすべての住民のかしらとなる』と決めました。古代の戦いでこのような報酬が作り上げられるのは普通のことです。古代人はこのようにして、戦士たちにやる気を生じさせたり、それまでにあったやる気を更に燃え上がらせようとしたのです。というのも、報酬を提示されたら戦士たちの熱意が燃え上がらせられるので恐れや不安は隅に退くことになるからです。

【11:1~3】
『さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子たちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の子だから、私たちの父の家を受け継いではいけない。」そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。すると、エフタのところに、ごろつきが集まって来て、彼といっしょに出歩いた。』
 ユダヤ人が偶像というゴミくずを捨てて本当に悔い改めたので、神は次の士師としてマナセ族の『ギルアデ人エフタ』を起こされました。エフタは相続権を持たない『遊女の子』すなわち非摘出子だったので、摘出子である他の兄弟たちから、『父の家を受け継いではいけない。』と言われて追い出されてしまします。エフタは『トブの地』に逃げて『ごろつき』と一緒に歩みました。「類は友を呼ぶ。」という言葉は真実です。それゆえ、ごろつきと一緒にいたエフタは高潔な紳士でなかったことが分かります。高貴な人士はあまり底辺に属する人たちとは関わらないものだからです。エフタは『遊女の子』として生まれた時から既に低い状態でしたが、兄弟たちから追い出されたことで更に低い状態へと下げられました。ところが、神はこの低きエフタを次の士師として選ばれました。これは神が低い者をこそ積極的に選ばれる憐れみ深い御方だからです。これはハンナがこう言った通りです。『主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。』(Ⅰサムエル記2章8節)ですから、もしエフタが低くなければ神から士師として選ばれていたかどうか分かりません。

【11:4~11】
『それからしばらくたって、アモン人がイスラエルに戦争をしかけてきた。アモン人がイスラエルに戦争をしかけてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れて来ようと出かけて行き、エフタに言った。「来て、私たちの首領になってください。そしてアモン人と戦いましょう。」エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、私の父の家から追い出したではありませんか。あなたがたが苦しみに会ったからといって、今なぜ私のところにやって来るのですか。」すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、私たちは、今、あなたのところに戻って来たのです。あなたが私たちといっしょに行き、アモン人と戦ってくださるなら、あなたは、私たちギルアデの住民全体のかしらになるのです。」エフタはギルアデの長老たちに言った。「もしあなたがたが、私を連れ戻して、アモン人と戦わせ、主が彼らを私に渡してくださったら、私はあなたがたのかしらになりましょう。」ギルアデの長老たちはエフタに言った。「主が私たちの間の証人となられます。私たちは必ずあなたの言われるとおりにします。」エフタがギルアデの長老たちといっしょに行き、民が彼を自分たちのかしらとして、首領としたとき、エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで主の前に告げた。』
 アモン人がイスラエルを痛めつけようと戦いにやって来たので、ギルアデの人々はエフタにイスラエルの首領となって戦うよう要請します。これはエフタが『勇士』(士師記11章1節)だったからでしょう。先の箇所で『勇士』と言われていたのは、つまり「名と功績のある勇士」という意味だと思われます。ギルアデの人たちはかつて憎しみにより追放したエフタを、わざわざ支配者になるよう招聘しました。これはエフタが非常に力強く優秀な勇士だったからに違いありません。もしエフタが普通か普通以下の勇士だったとすれば、どうして長老たちはエフタを首領にしようとしたはずがあるでしょうか。

 エフタは前に自分を追い出した者たちがやって来て懇願するのであまり良い気分を持ちませんでしたが、もし主が敵に勝利させて下さるというのであれば懇願を受諾してもいいと応じます(9節)。そして長老たちはエフタの応答を喜び、エフタの言った通りに全てを行なうと誓います。長老たちが『主が私たちの間の証人となられます。』と言っているのは誓いの言葉です。これは、「主が私たちの言葉を聞かれた証人であるゆえ、もし私たちが言った通りに行なわなければ、主は証人として私たちを裁かれるであろう。」という意味だからです。こうしてエフタは首領になりましたが、ギルアデの地にある『ミツパ』でこのことを主に報告しました。

【11:12】
『それから、エフタはアモン人の王に使者たちを送って、言った。「あなたは私と、どういうかかわりがあって、私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするのか。」』
 首領とされたエフタはアモン人たちと最初から戦おうとせず、まず使者を送って事情を探ります。これは思慮ある行ないでした。何故なら、『熱心だけで知識のないのはよくない。』(箴言19章2節)からです。『急ぎ足の者はつまずく』(同)のですから、もし事情を知らないままでアモン人と戦えば、無知のためとんでもない愚行をしてしまいかねません。そうすれば神の御心を損ない、愚行に対する裁きを受けて死んでしまいかねません。こういうわけで『愚か者は思慮がないために死ぬ』(箴言10章21節)と言われているのです。ですから、エフタがまず使者を送ったのは正解でした。私たちもエフタの思慮深い行ないを見習うべきでしょう。

【11:13~28】
『すると、アモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の国を取ったからだ。だから、今、これらの地を穏やかに返してくれ。」そこで、エフタは再びアモン人の王に使者たちを送って、彼に、エフタはこう言うと言わせた。「イスラエルはモアブの地も、アモン人の地も取らなかった。イスラエルは、エジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで行き、それからカデシュに来た。そこで、イスラエルはエドムの王に使者たちを送って、言った。『どうぞ、あなたの国を通らせてください。』ところが、エドムの王は聞き入れなかった。イスラエルはモアブの王にも使者たちを送ったが、彼も好まなかった。それでイスラエルはカデシュにとどまった。それから、彼らは荒野を行き、エドムの地とモアブの地を回って、モアブの地の東に来て、アルノン川の向こう側に宿営した。しかし、モアブの領土にははいらなかった。アルノンはモアブの領土だったから。そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、エモリ人の王シホンに使者たちを送って、彼に言った。『どうぞ、あなたの国を通らせて、私の目的地に行かせてください。』シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、シホンは民をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。しかし、イスラエルの神、主が、シホンとそのすべての民をイスラエルに渡されたので、イスラエルは彼らを打った。こうしてイスラエルはその地方に住んでいたエモリ人の全地を占領した。こうして彼らは、アルノン川からヤボク川までと、荒野からヨルダン川までのエモリ人の全領土を占領した。今、イスラエルの神、主は、ご自分の民イスラエルの前からエモリ人を追い払われた。それをあなたは占領しようとしている。あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、主が私たちの前から追い払ってくださる土地をみな占領するのだ。今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているのか。バラクは、イスラエルと争ったことがあるのか。彼らと戦ったことがあるのか。イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村落、アロエルとそれに属する村落、アルノン川の川岸のすべての町々に、三百年住んでいたのに、なぜあなたがたは、その期間中に、それを取り戻さなかったのか。私はあなたに罪を犯してはいないのに、あなたは私に戦いをいどんで、私に害を加えようとしている。審判者である主が、きょう、イスラエル人とアモン人との間をさばいてくださるように。」アモン人の王はエフタが彼に送ったことばを聞き入れなかった。』
 エフタが事情を探ると、アモン人はありもしないことを言って、ユダヤ人から領土を奪おうとしているに過ぎないことが分かりました。これはアモン人が傲慢な野心家だったからです。傲慢は人に領地を拡張せよと指示します。それが傲慢というものだからです。ユダヤ人がこれまでのように呪われた状態であれば、この時の出来事は呪いとして起きていました。それは呪いの出来事ですから、ユダヤ人はアモン人が欲する『アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの』地域を奪われていたでしょう。しかし、もうこの時にユダヤ人は悔い改めていましたから、呪いとしてこのような出来事が起きたのではありませんでした。この箇所でエフタが言っている言葉は正しく、嘘や偽りはありませんでした。他方、アモン人は自分たちの領土をかつてユダヤ人が奪ったなどと出鱈目を言っています。これは本当に出鱈目でした。何故なら、神はアモン人の領土を占領せよとまでユダヤ人に言われなかったからです。神がユダヤ人に言われたのはカナンの地を占領せよということです。アモン人の領地はカナンの外にありました。この時に悪かったのはもう徹底的にアモン人のほうでした。これはマフィアがいちゃもんをつけて他人の財産を奪い取ろうとするようなものだからです。しかし、ユダヤ人はただ神から与えられた領土に住んでいるだけでした。ユダヤ人に責められるべき悪はありませんでした。また、エフタはここで3つの事柄を挙げて、アモン人を非難しています。すなわち、どうしてアモン人はアモン人の神が与える領地を占領するだけで満足していないのか(24節)、モアブ王バラクでさえイスラエルと戦わなかったのにモアブの兄弟であるアモン人はイスラエルと戦おうとするのか(25節)、もし本当にアモン人の求めている地がアモン人の領地であったならどうしてこれまで300年の間にその領地を取り戻そうとしなかったのか(26節)、という3つの事柄です。これらの非難はどれも正しい内容です。エフタがこのように言ったにもかかわらず、アモン人の王は心を変えようとしませんでした(28節)。これはアモン人がユダヤ人に屈服するためです。つまり、神はアモン人の敗北を望んでおられたので、アモン人がエフタの言葉を聞き入れないで交戦するように働きかけられたのでした。もし神がアモン人の敗北を望んでおられなければ、アモン人はエフタの言葉を聞いて心変わりしていたでしょう。その場合、アモン人はユダヤ人と戦うべきでないからです。

 24節目で書かれているようにアモン人は『ケモシュ』という偽りの神々の一人を拝んでいましたが、この神はユダヤ人にも拝まれたことを忘れてはなりません。士師記10:6の箇所では、ユダヤ人が『アモン人の神々』『に仕えた』と書かれているからです。このケモシュは後ほどソロモンも拝みました(Ⅰ列王記11:7)。

【11:29】
『主の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ついで、ギルアデのミツパを通って、ギルアデのミツパからアモン人のところに進んで行った。』
 アモン人がエフタの言葉を無視したことで、ユダヤ人とアモン人が戦うことは決定しました。アモン人が敗北し屈服させられる時になったのです。それゆえ、神の霊がエフタを動かされたので、エフタはギルアデの地を通りアモン人の地へと突き進んで行きました。アモン人の地はガド族の相続地を東に越えた場所にあります。これは神の戦いでした。神がエフタによりイスラエル人から略奪しようとしていたアモン人たちを罰されるのです。