【士師記11:30~14:17】(2022/06/19)


【11:30~31】
『エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」』
 エフタはどうしてもアモン人に対し完全な勝利を得たかったので、もし主がアモン人に勝利させて下さるならば帰還の際は一人の人間を生贄として捧げる、と誓いました。エフタはここで捧げるのが誰なのか指定していません。ただ『私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者』を捧げるとだけ言っています。つまり、誰を生贄として捧げるかは神に任せました。エフタは誰を捧げるか指定することも出来たでしょうが、そうしませんでした。これは驚くべき誓願内容ですが、この誓願について私たちはどう判定すればいいでしょうか。「こんなことを誓願するとは無思慮である。」などと思う人もいるかもしれません。エフタが自分を捧げると言ったのであればまだしも、エフタは自分でない他人を捧げると言っています。つまり、ユダヤ人が勝利したら誰かを死なすということです。これではこの誓願を問題視する人がいたとしても不思議ではありません。エフタ自身もすぐ後ほどこの誓願を立てたことで発狂せんばかりとなりました(士師記11:35)。しかし、エフタの娘はこの誓願について何も問題視していません(士師記11:36)。私はこの誓願の良し悪しについて何も判定しないでおきます。何故なら、聖書はこの誓願について何も評価していないからです。「このような誓願を立てたエフタは、よく考えないで誓願をしたのであった。」とか「エフタは主に対する熱心のためこのような誓いをしたのである。」などと書かれていれば私もこの誓願についてしっかり評価できたでしょう。しかし、ここでそのようなことは書かれていません。私は聖書の評価を自分の評価にしたいので、聖書が何も評価していなければ私も何も評価しないことを選びます。しかし、誓願したそのやり方そのものは何も間違っていませんでした。何故なら、エフタは主に対して誓っているからです。これは律法が命じる誓願の立て方です(申命記6:13)。

【11:32~33】
『こうして、エフタはアモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。主は彼らをエフタの手に渡された。ついでエフタは、アロエルからミニテに至るまでの二十の町を、またアベル・ケラミムに至るまでを、非常に激しく打った。こうして、アモン人はイスラエル人に屈服した。』
 神が傲慢で忌まわしいアモン人どもをエフタに渡されたので、エフタは大いにアモン人を打ちのめしました。この時にまだイスラエルが呪われた状態であれば、こうはいきませんでした。その場合、イスラエルは呪われており、神が共にいて下さらず、敵もイスラエルに渡されなかったからです。しかし、もうこの時にイスラエルは悔い改めていたので、呪いがなく、神が共におられ、敵もイスラエルに渡されました。ですから、徹底的に敵を駆逐することができたのです。この時にエフタが『二十の町』を打ったのは大きな数です。これは神が本当に豊かに敵を渡して下さったことを意味しています。ここでの「20」という数字に象徴的な意味はないはずです。

【11:34~40】
『エフタが、ミツパの自分の家に来たとき、なんと、自分の娘が、タンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子であって、エフタには彼女のほかに、男の子も女の子もなかった。エフタは彼女を見るや、自分の着物を引き裂いて言った。「ああ、娘よ。あなたはほんとうに、私を打ちのめしてしまった。あなたは私を苦しめる者となった。私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」すると、娘は父に言った。「お父さま。あなたは主に対して口を開かれたのです。お口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アモン人に復讐なさったのですから。」そして、父に言った。「このことを私にさせてください。私に二か月のご猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、私が処女であることを私の友だちと泣き悲しみたいのです。」エフタは、「行きなさい。」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちといっしょに行き、山々の上で自分の処女であることを泣き悲しんだ。二か月の終わりに、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行なった。彼女はついに男を知らなかった。こうしてイスラエルでは、毎年、イスラエルの娘たちは出て行って、年に四日間、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うことがしきたりとなった。』
 勝利したエフタが家に帰還すると、その家からエフタの娘が出て来ましたから、神へ捧げられる生贄はエフタの娘に決まりました。先に見た通り、エフタは誰を捧げるかは指定していませんでした。それは神の決定に任されていました。ですから、神がエフタの娘を生贄として定められたのです。もしエフタが生贄として誰かを指定していたとすれば、まさか自分の娘を指定することはなかったでしょう。エフタは当然ながらこの出来事に動揺しますが(35節)、当の娘は父の立てた誓願を受け入れています。ですから、エフタの娘は誓願の通り自分を生贄として捧げることを決意します。これは非常に敬虔なことです。しかし、エフタの娘は処女だったので、自分が処女であることを悲しむため『二か月のご猶予を下さい。』と父に願います。これは恐怖のため死までの期間を引き延ばそうとしたというのでなく、単に処女のまま死ぬという嘆きを十分なだけ発散させるためでした。彼女はこの悲しみを友だちと共有しましたが、これは悲しみを幾らかでも和らげるためです。「友はもう一人の自分である。」とアリストテレスは言いましたが、これは真実らしく思われます。ですから、もし友と一緒に悲しめば、一つの悲しみを2人の精神により分有するわけですから、1人だけで悲しむ時よりも悲しみの度合いが軽減することとなるのです。1人だけで悲しむ場合は、一つの悲しみを全て自分だけで引き受けるのですから、分散されぬ容赦なき悲しみをダイレクトに引き受けなければいけません。

 こうしてイスラエル共同体では彼女のために『年に四日間』嘆きの歌を歌うことになりましたが、これは彼女の存在がイスラエルの勝利と強く結びついているからです。イスラエルが敵に勝利したので、エフタの娘が犠牲になることとなりました。ですから、イスラエル人は彼女を覚えて嘆きつつ歌わねばならないのです。歌を歌う期間が『四日間』なのは、彼女を覚えるためにはこのぐらいの期間が必要だと判断されたからなのでしょう。ここでの「4」という数字に象徴的な意味は含まれていません。

【12:1】
『エフライム人が集まって、ツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは、あなたとともに行くように私たちに呼びかけずに、進んで行ってアモン人と戦ったのか。私たちはあなたの家をあなたもろとも火で焼き払う。」』
 エフライムの人々は、アモン人との戦いでエフタが自分たちを召集しなかったからという理由により、エフタに怒りの復讐を下そうとします。エフライム人たちは勝利の光栄に自分たちも与かれなかったので憤慨したのでした。エフライム人が『ツァフォンへ進んだ』のは、エフタに戦いを仕掛けるためです。『ツァフォン』は、スコテとペヌエルの北西にあり、ヨルダン川沿いにあります。このエフライム人を見ても分かりますが、ユダヤ人は非常に短気な民族です。しかも、短期であるうえどうしてか自信が強い。これはユダヤ人が愚か者であることを意味しています。ソロモンがこう言っている通りです。『愚かな者は怒りやすくて自信が強い。』(箴言14章16節)確かにユダヤ人は愚かな民族でした。ですが、だからこそ神はユダヤ人を御自分の民として選ばれたのです。神とはそのようにされる御方です。それは愚かな者が選ばれることで知恵ある者たちが退けられ低められるためなのです。これはパウロがⅠコリント1章で言っている通りです。

【12:2~3】
『そこでエフタは彼らに言った。「かつて、私と私の民とがアモン人と激しく争ったとき、私はあなたがたを呼び集めたが、あなたがたは私を彼らの手から救ってくれなかった。あなたがたが私を救ってくれないことがわかったので、私は自分のいのちをかけてアモン人のところへ進んで行った。そのとき、主は彼らを私の手に渡された。なぜ、あなたがたは、きょう、私のところに上って来て、私と戦おうとするのか。」』
 エフタには、アモン人との戦いでエフライムの人たちを召集しない、しっかりした理由がありました。その理由とは、昔に味わわされた悲しみでした。かつてエフタはアモン人との戦いにおいてエフライム族の人たちを召集しましたが、結局は助けに来てもらえませんでした。ですから、今回の戦いでもどうせ来てくれないと思われたので、エフライム人を戦いに呼び集めなかったのです。エフタには召集しても集まらないと思われるエフライム人たちをあえて召集するぐらいであれば、さっさとアモン人を打ち倒しに行ったほうがいいと感じられました。何故なら、エフライム人を召集しても無駄な労力を使うことになるだけだからです。このようにして行なわれた今回の戦いは全く神に嘉せられていました。何故なら、神は敵であるアモン人をエフタに渡して下さったからです(3節)。もしこの戦いが御心でなければ、神はアモン人をエフタに渡しておられなかったはずです。このような正しい戦いをエフタは戦いました。それなのに、エフライム人は神の共におられたエフタを臆面もなく責め、滅ぼそうとしています。ですから、エフタはエフライム人に反発しています(3節)。この件で悪いのはもう全くエフライム人の側でした。何故なら、エフライム人は激しい妬みに動かされてエフタを滅ぼそうとしていたからです。このエフライム人の事例からも分かる通り、妬みが人を争いや殺人へと突き動かします。ヤコブがこう言った通りです。『何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。』(ヤコブ4章1~2節)

【12:4~6】
『そして、エフタはギルアデの人々をみな集めて、エフライムと戦った。ギルアデの人々はエフライムを打ち破った。これはエフライムが、「ギルアデ人よ。あなたがたはエフライムとマナセのうちにいるエフライムの逃亡者だ。」と言ったからである。ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が、「渡らせてくれ。」と言うとき、ギルアデの人々はその者に、「あなたはエフライム人か。」と尋ね、その者が「そうではない。」と答えると、その者に、「『シボレテ』と言え。」と言い、その者が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その者をつかまえて、ヨルダン川の渡し場で殺した。そのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。』
 エフライム人がエフタとギルアデの人たちに対しエフライム族とマナセ族の相続地から逃げた『逃亡者だ』と侮辱したので、エフライム人とエフタたちの間に戦いが起こり、エフライム人はエフタたちに打ち負かされます。これはエフライム人が神の共におられたエフタを侮辱したからです。神が共におられる人を侮辱するのは、神を侮辱することです。神を侮辱するならば呪われてしまいます。このため、エフライム人はエフタに滅ぼされてしまったのです。この時にエフタ陣営の者は、ヨルダン川で敵を打ち取りました。エフタたちがエフライムを襲っていたので、エフライムの相続地からヨルダン川を東に越えて逃げようとするエフライム人が生じました。エフタ陣営の者は、ヨルダン川に来た者たちに『シボレテ』と言わせることでその者がエフライム人なのかどうか試します。もしその者が正しく発音できず『スィボレテ』と言ったならば、エフライム人だと判明するので殺されました。この時代でギルアデの住民とエフライムの住民はヘブル語における発音がやや違っていたというわけです。日本で言えば、ちょうど東日本と西日本である単語を発音する際の強調点が違うようなものです。

 この時に殺されたエフライム人は『四万二千人』でしたが、この数字に象徴的な意味はありません。聖書で「42」は意味があります。ですから、これを「42」かける「1000」という成り立ちで捉えようとする人もいるかもしれません。しかし、このように分解することはできません。何故なら、この2つの数字は意味が全く正反対だからです。すなわち、「42」は少ないことを意味し、「1000」は完全であることを意味します。ですから、「42」かける「1000」という成り立ちは矛盾しており意味不明なのです。エフタ陣営のほうはどれだけの損害があったのか何も書かれていないので分かりません。しかし、この時に神はエフタたちと共におられましたから、エフタ陣営に損害は全くなかったか、もしくはほとんどなかったはずです。

【12:7】
『こうして、エフタはイスラエルを六年間、さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。』
 エフタはアモン人を駆逐してから、『六年間』イスラエルを裁きました。これはエフタが敵に勝利してから6年後に死んだことを意味します。この6年間はかなり短い期間です。これからしばらくの間、士師たちの支配は短い期間だけとなります。これまではもっと長い支配期間でした。ここでの「6」年という数字に象徴的な意味はありません。これはただ単に少しの期間だけであったということです。神はエフタの期間がそこまで長くなるのを望まれませんでした。

【12:8~10】
『彼の後に、ベツレヘムの出のイブツァンがイスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいた。また彼は三十人の娘を自分の氏族以外の者にとつがせ、自分の息子たちのために、よそから三十人の娘たちをめとった。彼は七年間、イスラエルをさばいた。イブツァンは死んで、ベツレヘムに葬られた。』
 続いて士師として起こされたのはベツレヘム出身の『イブツァン』でしたが、ベツレヘムはエルサレムの南にあります。彼はそれぞれ30人ずつ息子と娘を持っていましたが、これは彼が一夫多妻者という律法の違反者であったことを示しています。しかも、彼は自分の息子と娘を、同族でない別の氏族のユダヤ人と結婚させました。本来であればその子たちは同族と結婚すべきでした。何故なら、部族ごとには固有性が保たれるべきだからです。これゆえ神は部族ごとに相続地を定め、それぞれの部族が一つに纏まるようにされたのです。イブツァンが一夫多妻者であり自分の子どもを別の氏族と結婚させたのは、この時代が律法に無知であったことの証拠です。誰も彼も律法をよく知らないので、そのような者の一人であるイブツァンも、もし律法をよく知っていればしなかったことをしたわけです。彼がイスラエルを裁いた期間は『七年』でした。これは先のエフタとほとんど変わりません。ここでの「7」年にもやはり象徴的な意味は含まれていません。

【12:11~12】
『彼の後に、ゼブルン人エロンがイスラエルをさばいた。彼は十年間、イスラエルをさばいた。ゼブルン人エロンは死んで、ゼブルンの地のアヤロンに葬られた。』
 次なる士師は『ゼブルン人エロン』ですが、ゼブルン族の相続地はユダヤの北のほうにあります。彼の裁いた期間が『十年』であったのも、やはり単に短いというだけのことです。すなわち、この「10」年という期間を完全な期間であったと捉える必要はありません。聖書で「10」は完全さを意味しますが、ここの箇所での「10」はそのような意味を持っていません。

【12:13~15】
『彼の後に、ピルアトン人ヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていた。彼は八年間、イスラエルをさばいた。ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地のピルアトンに葬られた。』
 次に起こされた士師は『アブドン』ですが、彼には『四十人の息子』がいたので、彼も一夫多妻者でした。1人で40人も生んだとすれば、イスラエルの成人年齢である13歳で初めて生んだとして、53歳まで毎年子を生んだことになります。これはほとんど人間の限界であり、考えることが難しいと言わねばなりません。であればアブドンには無数の妻がいたことになるでしょう。このアブドンには30人の孫も含めると全部で70人の子孫がいました。これは「70」ですから十分な数の子孫がいたことを意味します。また、この70人が『七十頭のろばに乗っていた』のは彼らに権威があったことを示しています。彼は『八年間、イスラエルをさばいた』のですが、これは先の3人、すなわちエフタとイブツァンとエロンの場合と同様、短い期間です。ここでの「8」という数字に象徴的な意味はありません。アブドンはエフライム族の人であり、自分の相続地にある『ピルアトン』に葬られました。このピルアトンはエバル山とゲリジム山の西にあり、近くには川が流れています。

【13:1】
『イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なったので、主は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。』
 イスラエル人はこれまで幾度となく神から救い出されたのに、またもや神を裏切って偶像崇拝に走りました。神はユダヤ人を救ってもこのようになると知っておられました。だからこそ、ユダヤ人が助けを求めて叫んだ時、神はその叫びを退けられたのでした(士師記10:10~14)。しかし、神は憐れみ深い御方なので、悔い改めたユダヤ人の態度を御覧になり憐れんで下さったのでした(士師記10:16)。ユダヤ人は神のことなど別にどうでもいいと思っていました。彼らにとって重要で愛すべき存在は偶像の神々だったのです。だからこそ、ユダヤ人は何度も何度も神から離れて他の神々に帰依したのでした。このようなユダヤ人の罪に対する裁きとして、神は『彼らをペリシテ人の手に渡され』ました。このペリシテ人が起こされ、強くされたので、ユダヤ人はペリシテ人に打ち勝てませんでした。もしユダヤ人が罪を犯していなければペリシテ人に苦しめられてはいなかったでしょう。この時にペリシテ人から苦しめられた期間は『四十年間』でしたが、これは「40」ですから十分な期間だったことを意味しています。

【13:2~7】
『さて、ダン人の氏族で、その名をマノアというツォルアの出のひとりの人がいた。彼の妻は不妊の女で、子どもを産んだことがなかった。主の使いがその女に現われて、彼女に言った。「見よ。あなたは不妊の女で、子どもを産まなかったが、あなたはみごもり、男の子を産む。今、気をつけなさい。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。見よ。あなたはみごもっていて、男の子を産もうとしている。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから神へのナジル人であるからだ。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」その女は夫のところに行き、次のように言った。「神の人が私のところに来られました。その姿は神の使いの姿のようで、とても恐ろしゅうございました。私はその方がどちらから来られたか伺いませんでした。その方も私に名をお告げになりませんでした。けれども、その方は私に言われました。『見よ。あなたはみごもっていて、男の子を産もうとしている。今、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。その子は胎内にいるときから死ぬ日まで、神へのナジル人であるからだ。』」』
 次なる士師サムソンを産むマノアの妻に、サムソンの誕生を予め知らせるため『主の使い』が現われます。この『主の使い』はキリストであられます。後の箇所でこの御方は『主』(士師記13章19節)と言われているからです。主が前もってサムソンの誕生を告げに来られたのは、それが非常に重大な出来事であり、神は御自分の聖徒たちに前もって告げることなしに何もなさらない御方だからです。こう書かれている通りです。『まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。』(アモス3章7節)この出来事はマリヤに対する受胎告知と似ています。どちらも天からの使いが解放者の生誕を一人の女性に告げ知らせているからです。ですから、この出来事はキリスト生誕の予表です。ダビデがキリストの予表であるのと同じで、サムソンもキリストの予表なのです。しかし、この2つの出来事には幾つかの違いがあります。まず、マリヤは聖なるキリストを生むのに対し、マノアの妻は堕落している罪人を生むという点。また、マリヤは聖霊により処女のまま身籠ったのに対し、マノアの妻は男の種により身籠ったという点。そして、マリヤには被造物の御使いが告げ知らせたのに対し、マノアの妻に告げられたのは主であったという点。士師サムソンの父マノアは『ダン人』であり『ツォルア』出身でしたが、このツォルアはアヤロンの南にある場所です。サムソンも父と同じでダン族でした。マノアの妻はこれから『胎内にいるときから神へのナジル人』であるサムソンを生むのですから、葡萄酒や汚れた物を食べてはなりませんでした。ナジル人については既に民数記で見た通りです。葡萄酒を飲むべきでないのはナジル人である当の本人です。しかし、ここではナジル人でないサムソンの母に葡萄酒が禁じられています。これはサムソンが母の胎内にいたからです。つまり、サムソンと母は一体だったので、もし母が葡萄酒を飲むならばサムソンも葡萄酒を飲んだことになってしまうのです。彼女はこの命令をしっかりと守りました。神は御自分の命令を守るような女をサムソンの母として定めておられたからです。こうしてマノアの妻は自分に主の使いが現われたことを夫に知らせます。彼女がこのようにしたのは問題ありませんでした、いや、むしろ彼女は必ずこのようにすべきでした。

【13:8~11】
『そこで、マノアは主に願って言った。「ああ、主よ。どうぞ、あなたが遣わされたあの神の人をまた、私たちのところに来させてください。私たちが、生まれて来る子に、何をすればよいか、教えてください。」神は、マノアの声を聞き入れられたので、神の使いが再びこの女のところに来た。彼女は、畑にすわっており、夫マノアは彼女といっしょにいなかった。それで、この女は急いで走って行き、夫に告げて言った。「早く。あの日、私のところに来られたあの方が、また私に現われました。」マノアは立ち上がって妻のあとについて行き、その方のところに行って尋ねた。「この女にお話しになった方はあなたなのですか。」その方は言った。「わたしだ。」』
 妻から話を聞いたマノアは、これから生まれる子どもについてどうすればいいのか聖なる御方に聞きたかったので、もう再びその御方が現われるよう神に祈ったところその祈りは聞かれました。しかし、主はマノアの前には現われず、今回も妻の前に現われました。それで妻は夫マノアに主の使いが現われたことを知らせます。どうして主はマノアの前には現われて下さらなかったのでしょうか。その理由は間違いなく霊性の違いです。妻は霊的な物分かりの良い聖徒でしたが(士師記13:6~7、23)、夫は妻に比べると霊的な鈍さがありました(士師記13:11、22)。主は霊的に柔らかいことを喜ばれる御方です。ですから、主はマノアの妻に対してだけ現われ、霊的な固さがある夫には二次的にしか御姿を見せて下さらなかったのです。

【13:12~14】
『マノアは言った。「今、あなたのおことばは実現するでしょう。その子のための定めとならわしはどのようにすべきでしょうか。」すると、主の使いはマノアに言った。「わたしがこの女に言ったことすべてに気をつけなければならない。ぶどうの木からできる物はいっさい食べてはならない。ぶどう酒や、強い酒も飲んではならない。汚れた物はいっさい食べてはならない。わたしが彼女に命令したことはみな、守らなければならない。」』
 マノアが生まれて来る子どもをどうすればいいか聞いたところ、主はマノアの妻に命じた通りにせよと答えられました。もしその通りにしなければマノア夫妻は罪を犯すこととなります。罪を犯せば、主の聖なる御計画と御救いを台無しにしてしまいます。しかし、この点でマノア夫妻に問題はありませんでした。神は御自分の言われた通りにする夫妻を、次なる士師の親として定めておられたのだからです。こういうわけで、マノアには何も新しいことが告げられませんでした。主はもう既に告げるべき事柄を全て妻に告げておられたからです。

【13:15~21】
『マノアは主の使いに言った。「私たちにあなたをお引き止めできますでしょうか。あなたのために子やぎを料理したいのですが。」すると、主の使いはマノアに言った。「たとい、あなたがたがわたしを引き止めても、わたしはあなたの食物は食べない。もし全焼のいけにえをささげたいなら、それは主にささげなさい。」マノアはその方が主の使いであることを知らなかったのである。そこで、マノアは主の使いに言った。「お名まえは何とおっしゃるのですか。あなたのおことばが実現しましたら、私たちは、あなたをほめたたえたいのです。」主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはをそれを聞こうとするのか。わたしの名は不思議という。」そこでマノアは、子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主にささげた。主はマノアとその妻が見ているところで、不思議なことをされた。炎が祭壇から天に向かって上ったとき、マノアとその妻の見ているところで、主の使いは祭壇の炎の中を上って行った。彼らは地にひれ伏した。―主の使いは再びマノアとその妻に現われなかった。―そのとき、マノアは、この方が主の使いであったのを知った。』
 マノアはこの御方が聖なる存在だと感じられたので、料理を食べていただこうと申し出ます。健全な人であれば高貴な存在を積極的にもてなそうとするものだからです。マノアの言葉を見る限り、彼が健全な人であったことは間違いありません。マノアが『子やぎ』を差し出そうとしたのは、それが美味で出すのに適切だったからでしょう。

 マノアはこの御方が主であると知らなかったので、物質的な料理を出して食べてもらおうとしました。しかし、主は御使いのペルソナにおいて現われたのですから、そのような料理を食べることはされませんでした。主は、その子やぎを料理としてでなく祭儀として差し出すべきだと言われます。マノアはこの言葉に従って子やぎで祭儀を行ないます。すると、その子やぎが焼かれた炎のうちを主は天へと上って行かれました。主はマノアの捧げ物を受納されたのです。それはマノアが正しい心で捧げ物を捧げたからです。主は偽善を忌み嫌われますから、もしマノアが二心から捧げ物を捧げたとすれば、その捧げ物は受納されていなかったでしょう。

 この出来事は実に不思議でした。何故なら、主の使いが捧げ物を焼いた炎の中を天に上がって行かれたからです。このような出来事はこれまで見られたことがありませんでした。ですから、マノアから御名を聞かれた際、主は御自分のことを『不思議』と言われたのです。そして、御自分が不思議であられることを示すため、このような不思議を行なわれたのでした。主はこのように不思議なことを行なわれる御方です。主は人間と違いますから、人間が考えるような普通のことはなさいません。これは不思議な御業により主が御自分の栄光を現わされるためなのです。

 主がマノア夫妻に現われて下さったのはこれきりでした。これは主の特別性が保持されるためでした。このように一時的にのみ現われて下さるからこそ、主は特別な御方なのです。もし何度も何度も現われておられたとすれば、それはもはや「普通」であって「特別」でなくなってしまいます。この現われによりマノアはこの御方が主であられることを知りました。それは、この御方により御言葉が語られ、不思議も行なわれ、一度だけ現われてからもう現われなくなられたからです。このようにされる御方は「主」以外ではあり得ません。ですから、マノアは自分に現われた御方のことを悟ったのです。マノアはこの御方について悟れないほど霊的に鈍くありませんでした。

【13:22~23】
『それで、マノアは妻に言った。「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう。」妻は彼に言った。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のいけにえと穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、いましがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったでしょう。」』
 この箇所からは、2人の霊性がどのようであるか分かります。マノアは神を目の前で見たので死ぬに違いない、と言います。ギデオンも神を見たので死ぬのではないかと恐れました(士師記6:22~23)。マノア(またギデオン)は、主の偉大な存在に圧倒されてしまい、霊的に正しく考えられなくなったのです。これは彼らの霊性が弱かったからです。一方、妻は主がマノア夫妻を殺しに来られたのでないと言います。何故なら、もし殺す目的で主が来られたのであれば、捧げ物を受納されたり御自分の存在について示されたりしなかっただろうからです。これは正しい考えでした。このように、神は、夫よりも妻のほうに恵みを多く注がれました。もしこれが逆であれば、マノアの前に主が現われ、マノアのほうが正しいことを言っていたでしょう。

【13:24~25】
『その後、この女は男の子を産み、その名をサムソンと呼んだ。その子は大きくなり、主は彼を祝福された。そして、主の霊は、ツォルアとエシュタオルとの間のマハネ・ダンで彼を揺り動かし始めた。』
 こうしてマノアの妻は次に士師となるサムソンを産みます。神はその子を選んでおられたので、子どもの頃から『彼を祝福され』ました。この祝福は部分的な祝福ではなく、全体的な祝福です。

 サムソンが大きくなると、『主の霊』がサムソンを『揺り動かし始め』られました。この『揺り動かし』とは身体的に揺るがすのではなく、サムソンの士師としての歩みが始まったということです。

【14:1~3】
『サムソンはティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘でティムナにいるひとりの女を見た。彼は帰ったとき、父と母に告げて言った。「私はティムナで、ある女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、あの女をめとって、私の妻にしてください。」すると、父と母は彼に言った。「あなたの身内の娘たちのうちに、または、私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか。割礼を受けていないペリシテ人のうちから、妻を迎えるとは。」サムソンは父に言った。「あの女を私にもらってください。あの女が私の気に入ったのですから。」』
 サムソンはダンの相続地における南にいたペリシテ人の女を妻として欲します。サムソンは自分と同族のユダヤ人と結婚すべきでした。何故なら、異邦人と結婚すれば、その異邦人を通して偶像崇拝をはじめとした諸々の悪が結婚したユダヤ人に流れ込んで来るからです(申命記7:3~4)。しかし、良きにつけ悪しきにつけ愛には規則を超越させる力があります。何故なら、『愛は死のように強』(雅歌8章6節)いからです。サムソンもペリシテ女に対する愛の力に押し流されてしまったのです。サムソンは彼女さえ手に入れば、民族の問題などべ別にどうでもいいと感じました(3節)。両親はもちろんサムソンの異常な願いを聞いて訝ります。この時に悪いのは言うまでもなくサムソンでした。サムソンが両親に結婚できるよう願っているのは、古代社会では両親が子の結婚における主導権を持っていたからです。シェケムもヤコブの娘ディナと結婚したかったので、父に結婚させてくれと頼んでいます(創世記34:3~4)。

【14:4】
『彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していた。』
 サムソンが異邦人であるペリシテ人と結婚するのは本来であれば良くありませんでした。彼は同族のユダヤ人と結婚すべきでした。しかし、サムソンがペリシテ女を妻として求めたのは、神から出たことでした。すなわち、神はペリシテ人を打ち砕こうとしておられたので、サムソンがペリシテ人の女を欲するように働きかけられたのです。彼がペリシテ人の女と結婚すれば、ユダヤ人とペリシテ人との間に接点が生じるからです。これが普通であればサムソンは御心に適っていませんでした。しかし、この時は神の御計画のためこういったことが許されました。サムソンにしても、もし神がペリシテ人を打ち砕こうとしておられなければ、ペリシテ人の女を求めたりはしなかったでしょう。その場合、彼は同族のユダヤ人と結婚しようとしたはずです。サムソンの両親も、これが主から出たことだと知っていれば、サムソンの結婚話に訝りはしなかったでしょう。しかし、両親は神の御計画について何も知りませんでしたので、サムソンの願望を歓迎しなかったのです。この箇所で言われている通り、この時には『ペリシテ人がイスラエルを支配してい』ました。イスラエル人が偶像崇拝の罪を犯して裁かれていたからです。

【14:5~9】
『こうして、サムソンは彼の父母とともに、ティムナに下って行き、ティムナのぶどう畑にやって来た。見よ。一頭の若い獅子がほえたけりながら彼に向かって来た。このとき、主の霊が激しく彼の上に下って、彼は、まるで子やぎを引き裂くように、それを引き裂いた。彼はその手に何も持っていなかった。サムソンは自分のしたことを父にも母にも言わなかった。サムソンは下って行って、その女と話し合った。彼女はサムソンの気に入った。しばらくたってから、サムソンは、彼女をめとろうと引き返して来た。そして、あの獅子の死体を見ようと、わき道にはいって行くと、見よ、獅子のからだの中に、蜜蜂の群れと蜜があった。彼はそれを手にかき集めて、歩きながら食べた。彼は自分の父母のところに来て、それを彼らに与えたので、彼らも食べた。その蜜を、獅子のからだからかき集めたことは彼らに言わなかった。』
 サムソンは両親を連れて愛するペリシテ女のところに向かいます。両親も一緒に行ったところから推測するに、両親はサムソンに何を言っても無駄だと判断したのでしょう。両親が何を言ってもサムソンはこのペリシテ人と結婚しようとしたはずだからです。これを今の日本で例えるならば、韓国人嫌いな両親の子が韓国人と結婚しようとするようなものです。その親は子どもの結婚を喜べないでしょう。サムソンの両親もサムソンの結婚を喜べなかったはずです。何故なら、両親には子どもの結婚相手に対する愛などありませんから、規則や体裁が何よりも重視されるからです。しかし子どもには愛がありますから、その愛が規則や体裁を無視させてしまいます。こうしてサムソンがペリシテ人の女と話し合ってみると、『彼女はサムソンの気に入った』(7節)ので、サムソンは彼女と結婚することに決めました。この決定そのものはユダヤ人の同族結婚を望まれる神の御心ではありませんでしたが、神の御計画のためこうなることが必要でした。

 ティムナの場所にサムソンがいると、獅子がサムソンに向かって来たので、サムソンは主の霊に動かされてその獅子を裂き殺しました。この出来事からサムソンは屈強な大男だったと推測されます。この時には『主の霊が激しく彼の上に下って』おられましたから、サムソンに恐れや不安は全くありませんでした。この『獅子』はペリシテ人とその支配を象徴しています。その獅子をサムソンが裂き殺したのは、これからサムソンがイスラエルをペリシテ人の支配から解放する予表としての出来事でした。

 サムソンが後ほど殺された獅子の死体を見ると、その死体には『蜜蜂の群れと蜜があ』りました。これは何を意味しているのでしょうか。『蜜蜂の群れ』はユダヤ人を、『蜜』は幸せを象徴しています。これはサムソンが獅子すなわちペリシテ人を打ち砕くと、ユダヤ人に幸せが訪れることを予表しています。これは実に象徴的な出来事です。

【14:10~11】
『彼の父がその女のところに下って行ったとき、サムソンはそこで祝宴を催した。若い男たちはそのようにするのが常だった。人々は、サムソンを見たとき、三十人の客を連れて来た。彼らはサムソンにつき添った。』
 こうしてサムソンは、一緒に連れて来た親と共に、ティムナの場所で『祝宴』すなわち結婚式を行ないました。古代も今と同じように結婚式がありました。この時の祝宴には『三十人の客』が集まりました。これは「30」ですから十分な人数が集まったことを意味しています。この30人はペリシテ人たちでした。

【14:12~14】
『サムソンは彼らに言った。「さあ、あなたがたに、一つのなぞをかけましょう。もし、あなたがたが七日の祝宴の間に、それを解いて、私に明かすことができれば、あなたがたに亜麻布の着物三十着と、晴れ着三十着をあげましょう。もし、それを私に明かすことができなければ、あなたがたが亜麻布の着物三十着と晴れ着三十着とを私に下さい。」すると、彼らは言った。「あなたのなぞをかけて、私たちに聞かせてください。」そこで、サムソンは彼らに言った。「食らうものから食べ物が出、強いものから甘い物が出た。」彼らは三日たっても、そのなぞを明かすことができなかった。』
 結婚式の期間が『七日』だったのは、その期間が完全で申し分なかったことを意味しています。この「7」日とは結婚式の日数ですから<聖さ>を意味していると捉えてもいいでしょう。結婚とは、神がある男とある女とを結び合わせる聖なる御業なのですから。

 サムソンはペリシテ人たちに謎をかけ、もしペリシテ人が解けなければ『亜麻布の着物三十着と晴れ着三十着』をサムソンが貰い、解ければこの衣装をサムソンが渡す、という挑戦を持ちかけました。これはサムソンが謎解きゲームに必ず勝てると確信していたからです。だからこそ、サムソンは謎をかけようとしたのです。もし確信がなければサムソンは謎をかけようとしていなかったかもしれません。しかし、どうしてサムソンはペリシテ人に謎をかけたのでしょうか。それは神がこの謎を通して2つのことを起こすためでした。すなわち、ペリシテ人が殺されるため(士師記14:19)、またサムソンの妻が即座にサムソンから引き離されるためでした(士師記14:20)。サムソンは別に謎をかけなくても、衣装をペリシテ人に求めて良かったはずです。この時は祝いの式が行なわれていたのですから、ペリシテ人もサムソンが自分たちと同族の女と結婚したというので、寛大に振る舞っていた可能性はかなり高いのです。しかし、サムソンは謎をかけてこれらの衣装が入手できるようにしました。サムソンが賞品とした『亜麻布の着物』と『晴れ着』は高価で良い衣装でした。それがそれぞれ『三十着』とされたのは、祝宴へやって来た「30人」のペリシテ人に合せたからです。また、この『三十着』は「30」ですから、それが十分な数だったことを意味しています。

 30人のペリシテ人はサムソンの挑戦に応じます。謎を解ける自信があったのか、挑戦に応じないのは男らしくないと考えたのか、単なるノリで応じたのか、謎が好きだったのか、賞品を欲する心が働いたのか。ペリシテ人が謎解きに応じた動機は何だったか分かりません。しかし、彼らの動機など私たちにとってあまり重要なことではありません。サムソンは『食らうものから食べ物が出、強いものから甘い物が出た。』という謎を出しましたが、これはどういう意味でしょうか。『食らうもの』と『強いもの』とはサムソンが先に裂き殺した獅子であり、『食べ物』と『甘い物』とは獅子の死体にあった蜜です。先の箇所を読んだ私たちであれば、これはすぐに分かることです。しかし、ペリシテ人たちはサムソンと獅子のことなど全く知りません。ですから、サムソンが出した謎を解くことは絶対にできませんでした。だからこそ、サムソンは100%の勝算を疑わずに謎かけをしたのです。この謎は祝宴の1日目にかけられました。ペリシテ人たちは『三日たっても』謎を解くことができません。サムソンは獅子のことを両親にさえ話さなかったぐらいですから(9節)、この謎を解けるのはただサムソン以外に誰もいませんでした。

【14:15~17】
『四日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。「あなたの夫をくどいて、あのなぞを私たちに明かしてください。さもないと、私たちは火であなたとあなたの父の家とを焼き払ってしまう。あなたがたは私たちからはぎ取るために招待したのですか。そうではないでしょう。」そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがって言った。「あなたは私を憎んでばかりいて、私を愛してくださいません。あなたは私の民の人々に、なぞをかけて、それを私に解いてくださいません。」すると、サムソンは彼女に言った。「ご覧。私は父にも母にもそれを明かしてはいない。あなたに、明かさなければならないのか。」彼女は祝宴の続いていた七日間、サムソンに泣きすがった。七日目になって、彼女がしきりにせがんだので、サムソンは彼女に明かした。それで、彼女はそのなぞを自分の民の人々に明かした。』
 決して解けるはずのない謎をかけられたペリシテ人たちは、『四日目になって』も当然ながら謎を解けませんでしたから、サムソンの妻に働きかけてサムソンから答えを引き出そうとします。ペリシテ人たちはもしサムソンの妻が解答を聞き出そうとしなければ酷い目に遭わせると脅迫しました。ペリシテ人は野蛮な民族でしたから、新婚の妻にこのような脅迫をしても不思議ではありません。

 サムソンの妻は命の危機を感じたので、ペリシテ人たちの求めに従い、何とかしてサムソンから答えを引き出そうとします。彼女はサムソンに『泣きすがって』答えを教えるよう頼みました。男は結婚していない女の涙にさえ弱いというのに、結婚している女の涙、しかも結婚したばかりの初々しい新妻が流す涙は、一体どれだけの破壊力を持っていることでしょうか。ダイヤモンドのような固さを持つ夫の心でさえ柔らかくされてしまうに違いありません。しかし、サムソンは『父にも母にもそれを明かしてはいない』のだからいかなる人にも明かすべきでないのだ、と言って解答を隠したままにしておきます。ところが、新妻に7日間も涙を流されたので流石にサムソンも屈してしまい、遂に解答を明かしてしまいます。この時に彼女は自分と家族の命がかかっていたのですから、サムソンに命懸けで頼み込んでいたことは間違いありません。結婚したばかりの新妻に7日も泣きすがられたらたまったものじゃありません。このような場合、誰が心を動かさずにいられるでしょうか。女たちはこの文章を読んで決して悪用したりしないように。

 この出来事からも分かる通り、人はしつこく頼み込まれるといつか屈してしまうものです。それは屈することで何度も頼み込まれる苦痛から解放されるためなのです。キリストの例え話からも、このことが分かります。ある人が友人にパンをしつこく求め続けると、その友人はしつこさから解放されるため仕方なくパンを与えることになるのです(ルカ11:5~8)。ですから、忍耐強く頼み続けるというのは強力な力です。諦めないで続けるからこそ望みが遂げられることにもなります。この妻にしても、もし7日もずっと頼み続けていなければ、サムソンから解答を引き出すことはできなかったでしょう。