【士師記14:18~18:26】(2022/06/26)


【14:18】
『町の人々は、七日目の日が沈む前にサムソンに言った。「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」すると、サムソンは彼らに言った。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、私のなぞは解けなかったろうに。」』
 サムソンから解答を聞いたサムソンの妻がペリシテ人たちに告げ知らせたので、ペリシテ人たちは『七日目』にその解答をサムソンに告げます。サムソンはこの謎がまさか解かれるはずなどないと思っていたに違いありません。しかし、最後の最後で解かれてしまいます。サムソンにとって思いがけないことが起きました。こういうわけで、聖書は『何が起こるかを知っている者はいない。』(伝道者の書8章7節)と言っているのです。『七日目の日が沈む前』とは7日目の終わる頃ですから、つまり期限ギリギリだということです。何故なら、古代のユダヤ社会では日の沈む18時が1日の終わりだったからです。ペリシテ人たちは『蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。』と答えましたが、これはどういう意味でしょうか。『蜂蜜よりも甘いもの』とは、愛しい新妻のことです。初々しい新妻は、甘くて心をとろけさせる蜂蜜よりも、夫の心を甘くとろけさせるからです。『雄獅子よりも強いもの』も新妻です。何故なら、サムソンは雄獅子を打ち負かしましたが、新妻には打ち負かされたからです。この解答を聞いたサムソンはもし妻を利用しなければ決して答えられなかったろうに、と愚痴をこぼします。確かにペリシテ人たちが妻に働きかけなければ答えはいつまでも分からないままだったでしょう。ここでサムソンは、妻を『雌の子牛』に、自分をその子牛に耕される畑に例えています。

 この出来事からも分かる通り、男にとって女は蜂蜜よりも甘く雄獅子よりも強い存在です。サムソンほどの強者はかつていなかったでしょうし、これからもいないと思われます。そのサムソンでさえ女に打ち負かされてしまいました。最強の男でもか弱い女に打ち負かされる。これは驚くべきことだと言わねばなりません。魅惑的な女であるほど男を屈服させる力も強い。クレオパトラも美しさにおいて最高峰とまでは言えなかったものの(伝承によればオクタウィアのほうが美しかったらしい)、全体的に魅惑的な女性だったので、アントニウスやカエサルをはじめ多くの男を虜にしました。特にアントニウスが彼女に持った心酔ぶりには驚かされるばかりです。大の男が一人の女に操られているのです。アダムもエバに打ち負かされました。アダムはエバの声に聞き従うことで、女に服させられたのです。サタンはこのことをよく知っていますので、男の攻略のため女を利用するわけです。すなわち、サタンは男を陥落させられない場合、女を使って男を陥落させるのです。男はサタンに屈しなくても女には屈してしまうからです。この文章を読んだいかなる者も、私が今書いたことを決して悪用しないように。そのようにする者には神からの呪いが下るように。

【14:19~20】
『そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民三十人を打ち殺し、彼らからはぎ取って、なぞを明かした者たちにその晴れ着をやり、彼は怒りを燃やして、父の家へ帰った。それで、サムソンの妻は、彼につき添った客のひとりの妻となった。』
 サムソンはまさか謎解きゲームに敗北すると思っていませんでしたから、贈るための衣装を用意しておらず、そのためティムナから南西に30kmほど離れた『アシュケロン』に行き、衣装を調達しました。そこにいる者たちを30人殺し、その着ている衣装を剥ぎ取ったのです。サムソンはこの調達を神に動かされて行ないました。『そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った』ので、サムソンは調達しに行ったからです。この時に行なったサムソンの殺人行為は、神の御心に違反していませんでした。何故なら、アシュケロンにいたペリシテ人は神から滅びに定められていた者たちだったからです。ティムナからアシュケロンまでの長い距離を考えるならば、この調達には数日かかったとすべきです。

 こうしてサムソンと結婚した妻は、『彼につき添った客のひとりの妻となっ』てしまいました。これは彼女の父が、もうサムソンは彼女を嫌ってしまったと勘違いしたからです(士師記15:2)。もしサムソンが謎解きゲームに勝っていたなら、彼女がサムソンでない者の妻として与えられることもなかったはずです。

【15:1~3】
『しばらくたって、小麦の刈り入れの時に、サムソンは一匹の子やぎを持って自分の妻をたずね、「私の妻の部屋にはいりたい。」と言ったが、彼女の父は、はいらせなかった。彼女の父は言った。「私は、あなたがほんとうにあの娘をきらったものと思って、あれをあなたの客のひとりにやりました。あれの妹のほうが、あれよりもきれいではありませんか。どうぞ、あれの代わりに妹をあなたのものとしてください。」すると、サムソンは彼らに言った。「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私には何の罪もない。」』
 サムソンは妻と場所的には離れていましたが、心では離れておらず、まだ離婚してもいませんでした。彼は妻を愛していました。ですから、しばらくぶりに妻を訪ねに行きますが、妻の父から面会を断られてしまいます。サムソンの義父は、もうサムソンが娘を嫌ったと思い込んだので、その娘を別の男に妻として与えていたからです。この時にサムソンが『一匹の子やぎを持って』行ったのは、久々に会う妻への贈り物とするためです。サムソンの義父が娘を別の男に嫁がせたのはよくありませんでした。ペリシテ人という民族は実に悪く愚かで腐っていました。ですから、そのようなペリシテ人の一人であったこの義父も、平気でこんなことが出来たわけです。

 義父はサムソンに変わりの妻として妹を提案します。しかし、サムソンの心は姉のほうに向いていたので、サムソンは義父の提案を歓迎しません。このように酷いことをされたサムソンは、ペリシテ人に対する復讐を決意しますが、その復讐をしても『私には何の罪もない。』と言っています。確かにペリシテ人は前から滅びに定められていましたから、サムソンが復讐しても罪にはなりませんでした。

【15:4~8】
『それからサムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕え、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、二つの尾の間にそれぞれ一つのたいまつを取りつけ、そのたいまつに火をつけ、そのジャッカルをペリシテ人の麦畑の中に放して、たばねて積んである麦から、立穂、オリーブ畑に至るまでを燃やした。それで、ペリシテ人は言った。「だれがこういうことをしたのか。」また言った。「あのティムナ人の婿サムソンだ。あれが、彼の妻を取り上げて客のひとりにやったからだ。」それで、ペリシテ人は上って来て、彼女とその父を火で焼いた。すると、サムソンは彼らに言った。「あなたがたがこういうことをするなら、私は必ずあなたがたに復讐する。そのあとで、私は手を引こう。」そして、サムソンは彼らを取りひしいで、激しく打った。それから、サムソンは下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。』
 サムソンは企てた復讐の計画を早速実行に移しました。彼はジャッカルを300匹捕えて2匹ずつ纏め150組にし、2匹の結ばれた尾と尾の間に火が燃える松明を付け、ペリシテ人の畑に放って大火災を生じさせました。これは凄まじい復讐です。この箇所を見る限りでは、この大火災により死者は生じなかったようです。この時にジャッカルが『三百匹』用意されたのは、もしかしたらギデオンの時に選ばれた『三百人』(士師記7章7節)を参考にしたのかもしれません。

 この災害を見たペリシテ人は、誰が災害を引き起こしたのか探りますが、すぐにサムソンが原因だと気付きます。ペリシテ人はどうしてサムソンがこのようなことをしたのか理解し、またその動機にも納得しました。ですから、サムソンを怒らせた張本人であるサムソンの義父をその娘と共に焼き殺しました。義父がサムソンを怒らせなければ大火災は起きていなかっただろうからです。つまり、義父はペリシテ人から死の制裁を受けたわけです。しかし、ペリシテ人はここでやり過ぎました。彼らは何も義父とその娘を殺すことまでしなくてよかったのです。こうしてサムソンはまたもやペリシテ人の愚行に怒り、更なる復讐を決意しました(7節)。

 この後、サムソンは再びペリシテ人に復讐し、『彼らを取りひしいで、激しく打』ちました。恐らくサムソンはペリシテ人を何百人か殺したのでしょう。こうして後、サムソンはペリシテ人の地から遠く東に離れた『エタム』に行き、そこにある『岩の裂け目』を住まいとしました。これは恐らくサムソンがペリシテ人からの報復を避けるためだったと思われます。『岩の裂け目』は分かりにくく、見つけにくいからです。このエタムはベツレヘムのすぐ南西にあり、エルサレムからも近い場所にあります。

【15:9~10】
『ペリシテ人が上って行って、ユダに対して陣を敷き、レヒを攻めたとき、ユダの人々は言った。「なぜ、あなたがたは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上って来たのだ。」』
 しばらくすると、ペリシテ人がサムソンを求めて、ユダに攻めてきました。やはりサムソンが『エタムの岩の裂け目に住んだ』(士師記15章8節)のは、ペリシテ人を避けるためだったのです。サムソンはエタムに逃げる前、ペリシテ人を痛めつけていました。ですから、ペリシテ人はサムソンに復讐しようとやって来たのです。

【15:11~13】
『そこで、ユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った。「あなたはペリシテ人が私たちの支配者であることを知らないのか。あなたはどうしてこんなことをしてくれたのか。」すると、サムソンは彼らに言った。「彼らが私にしたとおり、私は彼らにしたのだ。」彼らはサムソンに言った。「私たちはあなたを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下って来たのだ。」サムソンは彼らに言った。「あなたがたは私に撃ちかからないと誓いなさい。」すると、彼らはサムソンに言った。「決してしない。ただあなたをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。私たちは決してあなたを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。』
 この時のユダヤ人たちはペリシテ人に支配される奴隷としての民族でした。ですから、ユダヤ人たちは『支配者である』ペリシテ人の求めに応じ、サムソンを縛ってペリシテ人に引き渡そうとしました。サムソンは自分を捕えにやって来たユダヤ人たちに、自分を殺さないよう誓わせます。これは捕えるだけならば別に構わないという暗黙の意志表示でした。これはユダヤ人がユダヤ人を殺すべきでないからです。ユダヤ人たちがサムソンを殺すのも、サムソンが自分を殺そうとするユダヤ人たちに反撃して殺すのも、どちらも望ましくありません。この時にユダヤ人が『三千人』でサムソンのもとへ来たのは、事の重大性をよく示しています。ユダヤ人は当然ながらサムソンの力強さを知っていたでしょうから、恐れと防衛のため、これほどの人数でやって来たという可能性も大いにあります。相手がサムソンであれば3000人いても打ち負かされてしまうかもしれないぐらいなのです。

【15:14~17】
『サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻布のようになって、そのなわめが手から解け落ちた。サムソンは、生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。そして、サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」こう言い終わったとき、彼はそのあご骨を投げ捨てた。彼はその場所を、ラマテ・レヒと名づけた。』
 捕らえられたサムソンがペリシテ人の前に引き渡されそうになると、『主の霊が激しく彼の上に下』られたので、サムソンを縛っていた綱は『火のついた亜麻布のようになって、そのなわめが手から解け落ち』ました。恐らく、神が働きかけてサムソンの身体から高熱を出されたので、その熱で綱が焼けてしまったのだと思われます。このように綱が解け落ちたのは素晴らしいことでした。神がサムソンを救われたからです。この時にサムソンを見たペリシテ人が『大声をあげて彼に近づいた』のは、激しい不満と憎きサムソンを見つけた時の刺激により彼らが激憤したからです。

 神がサムソンから綱を解き放たれたので、サムソンは近くにあった『生新しいろばのあご骨』を取り、その骨でペリシテ人の『千人を打ち殺し』ました。この時に殺された1000人が、そこにいた全てのペリシテ人だったかどうかは分かりません。これは単に殺されたペリシテ人の数だけであり、逃げて殺されなかったペリシテ人もいたのかもしれません。こうしてサムソンは殺したペリシテ人の死体を『山と積み上げ』ました。『ろば』とはヘブル語で「ハモル」であり、『山と積み上げた』は「ハモル、ハモラタイム」です。つまり、サムソンはここで洒落を言っています。このような洒落はサムソンに余裕があったことを示しています。それにしても1人で1000人も打ち殺すというのは凄まじいことです。これは、神がサムソンを動かされたからであり、サムソンが力強い者だったからであり、ペリシテ人たちがサムソンの前にすくんでしまったからでしょう。この3つが揃わなければ1人で1000人も殺すことなどできなかったはずです。この時に神はサムソンの近くに驢馬の骨を用意しておられました。これは何故だったのでしょうか。これは神がサムソンの荒々しさ、無骨さを示そうとされたからだと考えられます。驢馬の顎骨を振り回して戦うというのは、あまりスマートではないからです。

 ペリシテ人を殺し終えたサムソンは、血まみれであったろう骨を投げ捨てます。ここにもサムソンの無骨さが現われています。そして、サムソンはその場所を『ラマテ・レヒ』と命名しましたが、これは「あご骨の高台」という意味です。前にも述べましたが、そこで起きた事柄にちなんだ命名をするのがユダヤ人のやり方でした。

【15:18~19】
『そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主に呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」すると、神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれ、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで回復して生き返った。それゆえその名は、エン・ハコレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。』
 サムソンは最強の男と呼んで間違いない者だったはずですが、1000人も殺せば大量の発汗により水分が身体から失われますから、当然ながら『ひどく渇きを覚え』ました。無敵のサムソンも喉の渇きには耐えられませんでした。恐らく、殺している間中、サムソンは何も水分を取らなかったのかもしれません。敵の持つ水の皮袋を奪って水分補給した可能性もあります。たとえ水分補給をしたとしても、1000人を殺すのであれば、とてつもない渇きが生じても全くおかしくありません。このままでは脱水症状で倒れ、駆け付けてきたペリシテ人の手に落ちてしまいかねません。このため、サムソンは渇きのため神に助けを叫び求めました。この叫びを神は聞き入れられました。サムソンが水分を取れるため、『くぼんだ所』から水を出され、サムソンが飲むようにされたのです。サムソンの叫びが聞き届けられたのは、サムソンが神を恐れていたからです。このように、神は御自分を恐れる者の叫びを聞いて下さいます。しかし、神を恐れない罪人の叫びは聞かれません。『神は、罪人の言うことはお聞きになりません。』(ヨハネ9章31節)と書かれている通りです。サムソンはこの奇跡を記念し、水が出たその場所を『エン・ハコレ』と命名します。これは「呼ばわる者の泉」という意味です。

【15:20】
『こうして、サムソンはペリシテ人の時代に二十年間、イスラエルをさばいた。』
 サムソンがペリシテ人の時代に士師だった期間は『二十年間』でしたが、この「20」という数字に象徴的な意味は含まれていないはずです。この期間は40年も裁いたギデオンの半分ですが、それでもかなり長い期間でした。

【16:1】
『サムソンは、ガザへ行ったとき、そこでひとりの遊女を見つけ、彼女のところにはいった。』
 サムソンはペリシテ人の領域である『ガザ』に行き、そこにいたある遊女と交わります。この遊女は異邦人でありペリシテ人だったと思われます。これは姦通の罪ですから御心に適いませんでした。しかし、サムソンはそれが罪であると思っていなかったはずです。何故なら、この時代のイスラエルは律法を捨て去っていたからです。パウロが言ったように、『罪は、何かの律法がなければ、認められないものです』(ローマ5章12節)。ですから、姦淫に関する律法を知らなかったこの時代のユダヤ人は、遊女と姦通しても罪悪感を持てなかったはずです。もちろん、罪悪感を持てないからといってそれが罪であることに変わりはないのですが。

【16:2~3】
『このとき、「サムソンがここにやって来た。」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはサムソンを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。そして、「明け方まで待ち、彼を殺そう。」と言いながら、一晩中、鳴りをひそめていた。しかしサムソンは真夜中まで寝て、真夜中に起き上がり、町の門のとびら、二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩にかついで、ヘブロンに面する山の頂へ運んで行った。』
 サムソンはペリシテ人から恨まれていましたから、ある者は彼がペリシテ人の地域にいると周知し、このためサムソンはペリシテ人から包囲され殺される危機に陥りました。サムソンがやって来たのは城壁の町でした。ペリシテ人たちは、朝まで城壁の中にサムソンを閉じ込めておき、朝になったら殺そうとしました。「このまま生かして逃がすものか。」というわけです。サムソンはどうして自分を憎むペリシテ人たちのいるガザにやって来たのでしょうか。夜遊びに来たのでしょうか、妻のところに行こうとしたのでしょうか、偵察しに来たのでしょうか、滅ぼしてやろうとしたのでしょうか。どういう理由からサムソンがガザに行ったのか私たちには分かりません。

 サムソンは、ペリシテ人の包囲と監視を嘲笑うかのように、ガザから脱出しました。『町の門のとびらと、二本の門柱』を引き抜いて担ぎ、ぶち壊された場所を通って脱出したのです。このように型破りなやり方はサムソンらしいと言えるかもしれません。しかも、サムソンは引き抜いた扉と門柱を担いで、ガザから東に60kmほども離れた『ヘブロン』にまで持って行ったのです。これもサムソンの荒々しさをよく示す出来事です。サムソンが大きな荷物を担いで脱出する際は、恐らくペリシテ人に追われたり襲われたりしなかったのでしょう。少なくともこの箇所では追われたとか襲われたなどとは何も書かれていないからです。

【16:4~5】
『その後、サムソンはソレクの谷にいるひとりの女を愛した。彼女の名はデリラといった。すると、ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、彼女に言った。「サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千枚をあげよう。」』
 サムソンは続いて『デリラ』という女を愛します。このデリラは愛人です。彼女については「サムソンとデリラ」という1949年の映画で知っている人も多いかもしれません。デリラは恐らくペリシテ人だったと思われます。このデリラは先に書かれていた遊女ではなかったはずです(士師記16:1)。このデリラによりサムソンは悲惨な状態となってしまいます。やはり、男にとって女は最強の存在なのかもしれません。アダムもエバにより全人類を巻き込む堕落へと陥ったのです。『ソレクの谷』とはエグロンの西の場所であり、地中海の沿岸沿いにあります。

 ペリシテ人たちはサムソンを憎んでおり、いつか滅ぼしたいと考えていました。しかし、サムソンは強かったので、自分たちが戦っても倒せる相手ではありませんでした。そこでペリシテ人の領主たちは、サムソンの愛するデリラに働きかけ、彼女によりサムソンの打倒方法を知ろうとしました。サムソンも愛人にならば心を許すだろうからです。そこでペリシテ人の領主たちは、もしデリラが自分たちの命令を聞くのであれば、やって来た領主一人あたり『銀千百枚』を支払うと約束します。この時に領主が何人来たのかは分かりません。何人来たにせよ、デリラの前には大金を掴むチャンスが訪れました。

【16:6~9】
『そこで、デリラはサムソンに言った。「あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください。」サムソンは彼女に言った。「もし彼らが、まだ干されていない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」そこで、ペリシテ人の領主たちは、干されていない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。彼女は、奥の部屋に待ち伏せしている者をおいていた。そこで彼女は、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」と言った。しかし、サムソンはちょうど麻くずの糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力のもとは知られなかった。』
 デリラは領主たちの要請を受諾しました。莫大な報酬を欲したのか、協力しないことでサムソンの味方であると思われることを避けようとしたのか、デリラもサムソンの敗北を願っていたのか。デリラがどういった動機から領主たちに従ったのかは不明です。こうしてデリラがサムソンにどうしたら苦しめられるかと聞いたところ、サムソンは『まだ干されていない七本の新しい弓の弦』で縛るならば弱くなると言ったので、デリラは弦で縛ってから待ち伏せしていたペリシテ人たちを呼び寄せます。しかし、サムソンは弦を容易く断ち切ったので、襲撃者たちは襲撃することができませんでした。この襲撃者たちがどうなったのかここでは書かれていませんが、サムソンから殺された可能性もあります。また、この襲撃者が何人いたのか私たちには分かりません。

 この時にサムソンは自分の弱点を正しく話しませんでした。つまり、サムソンは嘘をつきました。しかし、この嘘は罪となりませんでした。何故なら、サムソンが自分を殺そうとしている敵に知られるよう自分の弱点を明かすのは、自殺行為であって愚かだからです。例えば、誰かがこれから銀行強盗をしようとしている人から、銀行のセキュリティを解除する方法を教えてくれと頼まれた場合、嘘の方法を教えたとしても誰が悪いことだと見做すでしょうか。むしろ、嘘の方法を教えたことで銀行強盗をした人が捕まったとすれば、褒められることにさえなります。サムソンが嘘をついても全く問題なかったのは、この場合と同じです。

【16:10~12】
『デリラはサムソンに言った。「まあ、あなたは私をだまして、うそをつきました。さあ、今度は、どうしたらあなたを縛れるか、教えてください。」すると、サムソンは彼女に言った。「もし、彼らが仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンはその綱を糸のように腕から切り落とした。』
 デリラはまたどうしたらサムソンを苦しめられるのか聞いたので、サムソンはまたもや嘘を言います。ですから、今回も待ち伏せしているペリシテ人は襲撃することができませんでした。サムソンが本当のことを言えば破滅に至ります。ですから、サムソンが嘘をついたのは自己防衛であり、全く問題ありませんでした。しかし、デリラと領主たちと待ち伏せしていた者たちは落胆させられたはずです。デリラはこの時に騙されたので失望しています(10節)。こういった愛人の失望は男にとって大きなダメージとなるものです。何故なら、男は愛人を喜ばせたいと思うものだからです。

【16:13~14】
『デリラはまた、サムソンに言った。「今まで、あなたは私をだまして、うそをつきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」サムソンは彼女に言った。「もしあなたが機の縦糸といっしょに私の髪の毛七ふさを織り込み、機のさおで突き刺しておけば、私は弱くなり、並みの人のようになろう。」彼が深く眠っているとき、デリラは彼の髪の毛七ふさを取って、機の縦糸といっしょに織り込み、それを機のさおで突き刺し、彼に言った。「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」すると、サムソンは眠りからさめて、機のおさと機の縦糸を引き抜いた。』
 デリラは2回も騙されたので大いに失望したに違いありません。デリラの失望はサムソンを動揺させたはずです。デリラはもう1度サムソンに弱点を聞きますが、サムソンはまたもや嘘をつきます。このため待機していたペリシテ人たちはまたもや襲撃することができませんでした。これでサムソンが嘘をついたのは3度目になります。

【16:15~17】
『そこで、彼女はサムソンに言った。「あなたの心は私を離れているのに、どうして、あなたは『おまえを愛する。』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのかを教えてくださいませんでした。」こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。それで、ついにサムソンは、自分の心をみな彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎内にいるときから、神へのナジル人だからだ。もし私の髪の毛がそり落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなり、普通の人のようになろう。」』
 3回も騙されたデリラは大いに失望していました(15節)。サムソンは繰り返しデリラに質問され責められるので『死ぬほどつら』い状態でした。これは自然なことだったでしょう。何故なら、愛する女の度重なる求めに応じられないというのは苦痛以外の何でもないからです。パウロも言ったように愛とは愛する者の益を求めることです(Ⅰコリント13:5)。

 デリラが何度も聞いて来るので、サムソンは遂に本当のことを答えてしまいます。サムソンが本当のことを答えれば、サムソンは敵の手に陥ってしまいます。サムソンはこのことを分かっていなかったはずがありません。しかし、それにもかかわらずサムソンはデリラに正しく答えてしまいました。これはデリラの質問攻撃があまりにも苦痛になっていたからです。サムソンが自分で言っている通り、サムソンの力の源は、ナジル人として長い髪を持っていたからでした。神はナジル人であるサムソンを髪の長さゆえ強くしておられました。そうするのが神のやり方だからです。ですから、もしサムソンの『髪の毛がそり落とされたら』神の働きかけもなくなりますから、サムソンは『弱くなり、普通の人のようにな』るのです。一体誰がサムソンの力の源は髪にあるなどと思ったでしょうか。誰もいなかったに違いありません。

 このように忍耐強く繰り返し迫ればサムソンのようなリーダーでさえ屈服させられてしまいます。ですから、こう言われているのです。『忍耐強く説けば、首領も納得する。』(箴言25章15節)それゆえ、事を成し遂げるため屈服させたければ、デリラのような忍耐強い繰り返しの行為が必要となります。「継続は力なり」とか「塵も積もれば山となる」という諺は真実なのです。

【16:18】
『デリラは、サムソンが自分の心をみな明かしたことがわかったので、人をやって、ペリシテ人の領主たちを呼んで言った。「今度は上って来てください。サムソンは彼の心をみな私に明かしました。」ペリシテ人の領主たちは、彼女のところに上って来た。そのとき、彼らはその手に銀を持って上って来た。』
 女の直感は当たることが少なくありません。女は繊細なので、人が本当のことを言えば往々にして分かります。男に比べて裏を読む能力に長けているのです。ですから、「鈍感」だと言われるのはいつも男のほうばかりなのです。そのような女の一人であるデリラは、この時に『サムソンが自分の心をみな明かしたことがわか』りました。ですから、今度こそはサムソンを敗北に至らせることができると確信できました。このため、デリラは領主たちを呼び寄せ、サムソンが捕縛される時、そこにいるようにさせました。この時に領主たちは銀を持って来ましたが、まだデリラは銀を貰っていませんでした。つまり、この仕事は前払い制でなく成果制でした。

【16:19~22】
『彼女は自分のひざの上でサムソンを眠らせ、ひとりの人を呼んで、彼の髪の毛七ふさをそり落とさせ、彼を苦しめ始めた。彼の力は彼を去っていた。彼女が、「サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。」と言ったとき、サムソンは眠りからさめて、「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう。」と言った。彼は主が自分から去られたことを知らなかった。そこで、ペリシテ人は彼をつかまえて、その目をえぐり出し、彼をガザに引き立てて行って、青銅の足かせをかけて、彼をつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。しかし、サムソンの頭の毛はそり落とされてから、また伸び始めた。』
 サムソンから秘密を聞き出したデリラは、サムソンを眠らせてからその髪を剃り落とさせましたが、ここにおいてサムソンは終わりました。確かなところ、サムソンは秘密を明かしたその時点で、デリラおよびペリシテ人の地から逃げるべきでした。しかし、サムソンはそうしないで、ずっとデリラと一緒にいました。これはサムソンがデリラを愛していたので、ずっと一緒にいたかったからだと思われます。こうしてサムソンは髪の毛を剃り落とされたので力が失われてしまいます。たったの『七ふさ』剃り落とされただけでも駄目でした。たとえ一ふさ剃り落とされるだけでも駄目でした。何故なら、ナジル人でいるためにはほんの少しでも髪が剃り落とされてはいけなかったからです(民数記6:5)。サムソンが髪を剃られたのは生まれて初めてでした。これまでずっとサムソンは髪を伸ばしたままでいたのです。しかし、伸びた髪の先を生活の支障にならないよう僅かだけ切り落とすというのであれば、していたかもしれません。律法では頭に剃刀を当てて剃り落とすなと言われているのであって、先端部分を切り落とすことまでは禁止されていないと思われるからです。こうしてサムソンからは力が去りました。すなわち、神はサムソンから去られました。何故なら、力は神のものだからです(ダニエル2:20)。サムソンがナジル人として髪を伸ばしていたからこそ、神はサムソンと共におられ、サムソンに強い力を授けておられたのでした。

 デリラが再びいつものようにペリシテ人を呼び寄せたので、サムソンもいつも通りに撃退しようとしますが、もはやサムソンからは力が失われていましたから、今度はペリシテ人を撃退することができませんでした。こうしてサムソンは捕えられて、その目を抉り取られてしまいます。目が取られたのは、ペリシテ人が万が一にも危害をサムソンから受けないためだったはずです。ただ縛るだけでは何か危害を加えられる恐れがありました。しかし、目が見えないのであれば、身体全体を振り回されても空振りするだけとなります。この後、サムソンは南にある『ガザ』に連れて行かれ、奴隷の状態に陥らされました。やはり、女こそ男にとって最強の存在なのかもしれません。サムソンほどの男がか弱い一人の女により打ち負かされてしまいました。女が身体的に非力だからといって弱いというのではありません。彼女たちの美貌と魅惑が男を敗北に至らせる強大な力となるのです。

 髪を剃り落とされたナジル人ほど惨めな存在はありません。それは、翼をもぎ取られた鳥、プロペラを失ったヘリコプター、剥製状態にされた獅子のようです。しかし、人間の生理現象として老いや病気でもない限り再び髪は生えて来るものであり、サムソンも例外ではありませんでした。彼には再び髪が生えて来ましたから、再びナジル人の状態に戻ることとなりました。つまり、神が再び力を与えて下さる状態となりました。サムソンは後ほど、その力を使って、ペリシテ人に最後の復讐を果たすこととなります。

【16:23~24】
『さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえをささげて楽しもうと集まり、そして言った。「私たちの神は、私たちの敵サムソンを、私たちの手に渡してくださった。」民はサムソンを見たとき、自分たちの神をほめたたえて言った。「私たちの神は、私たちの敵を、この国を荒らし、私たち大ぜいを殺した者を、私たちの手に渡してくださった。」』
 ペリシテ人たちは偽りの神々の一人である『ダゴン』を拝んでいましたが、彼らも他の異邦人と同様、偶像崇拝者でした。イスラエル人もこのダゴンを拝んでいました(士師記10:6)。

 ペリシテ人の領主どもはいもしないダゴンに生贄を捧げ、ダゴンがペリシテ人にサムソンを渡したなどと愚かにも言っていました。民衆もダゴンを崇め、領主どもと一緒のことを言います。これはあからさまな偶像崇拝でした。彼らは思い違いをしていました。ダゴンによりサムソンがペリシテ人へと渡されたのではありません。神がペリシテ人の滅びを求められたので、サムソンをペリシテ人の手に渡されたのです。

【16:25】
『彼らは、心が陽気になったとき、「サムソンを呼んで来い。私たちのために見せしめにしよう。」と言って、サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で戯れた。』
 ペリシテ人は『心が陽気になった』ので、その陽気さを更に楽しむため、また陽気さを保つため、サムソンを牢から連れて来て、彼らの前で見せしめとなるようにしました。彼らはまさか、これからこのサムソンが自分たちを滅ぼすことになるなどと決して思わなかったはずです。何故なら、彼らには既に力が失われていると思われていた盲目のサムソンが、自分たちを滅ぼす脅威になるなどと感じられなかったからです。ところが、神はこのようなサムソンによりペリシテ人を滅ぼされました。このように神は人の思いと真逆のことを実現される御方です。それは神が「不思議」な御方だからなのです。この箇所でサムソンが『戯れた』と書かれているのは何のことかよく分かりません。可能性の一つとして考えられるのは、サムソンの盲目を利用してペリシテ人が面白おかしく取り扱ったということです。

【16:25~30】
『彼らがサムソンを柱の間に立たせたとき、サムソンは自分の手を堅く握っている若者に言った。「私の手を放して、この宮をささえている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」宮は、男や女でいっぱいであった。ペリシテ人の領主たちもみなそこにいた。屋上にも約三千人の男女がいて、サムソンが演技するのを見ていた。サムソンは主に呼ばわって言った。「神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。」そして、サムソンは、宮をささえている二本の中柱を、一本は右の手に、一本は左の手にかかえ、それに寄りかかった。そしてサムソンは、「ペリシテ人といっしょに死のう。」と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。』
 サムソンは抉り取られた両の目のため、ペリシテ人にもう再び復讐したいと望みます。そこでサムソンは神に再び強い力を下さるよう求めます。もうこの時にはサムソンの髪がかなり伸びていたはずです。ですから、神もサムソンの願い通りかつての力を彼に与えて下さいました。こうしてサムソンは自分の命をも顧みず宮を崩壊させることで、ペリシテ人に対する最後の復讐を遂げました。これは実にサムソンらしいやり方であり、サムソンぐらいにしか出来ない芸当でした。力強い勇士であったダビデでもこれは出来なかったでしょう。ゴリアテでも出来なかったはずです。

 この時にサムソンが殺したペリシテ人の数は、それまでに殺したペリシテ人の数よりも多かったのですが(30節)、サムソンのいた宮には屋上だけでも『三千人の男女』(27節)がいました。屋上の他にいたペリシテ人も含めるとどれだけのペリシテ人がそこにいたか私たちには分かりませんが、とにかく沢山いたことは確かです。サムソンがこれまでの生涯において3000人を超えるペリシテ人を殺していなかったことも確かです。

【16:31】
『そこで、彼の身内の者や父の家族の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルとの間にある父マノアの墓に彼を運んで行って葬った。サムソンは二十年間、イスラエルをさばいた。』
 宮にいたペリシテ人が滅ぼされると、サムソンの親族がサムソンの死体を引き取り、それをサムソンの父マノアと同じ墓へと葬ります。サムソンの死体がペリシテ人の死体と一緒に埋もれていたことは間違いありません。しかし、親族は容易くサムソンの死体を見つけられたでしょう。サムソンはユダヤ人であり特徴的な外観を持っていただろうからです。この時に起きたペリシテ人の破滅は、タイタニック号の悲惨をさえ上回っていました。というのもタイタニック号には2500人さえも乗船者がいなかったのに対し、この時には屋上だけでも3000人の人々がいたからです。こうしてサムソンは最後の最後で超新星爆発のごとく輝いて終わりを迎えました。この時に宮の崩壊から逃れたペリシテ人がいたことは間違いありません。その生き残ったペリシテ人が、ユダヤ人たちにサムソンの最後がどうなったか話したのです。その話は口伝か文書の記録もしくはその両方によりイスラエル人に語り継がれたはずです。このため、士師記ではこのようにサムソンの最後について詳しく書き記されているわけです。もし生き残ってユダヤ人に話すペリシテ人がいなければ、神が特別的に教えて下さったのでもない限り、このようにサムソンの最後について詳しく書き記されていることはなかったでしょう。このサムソンは『二十年間』イスラエルで裁いていましたが、これは既に士師記15:20の箇所で言われていたことです。

【17:1~2】
『エフライムの山地の出で、その名をミカという人がいた。彼は母に言った。「あなたが、銀千百枚を盗まれたとき、のろって言われたことが、私の耳にはいりました。実は、私がその銀を持っています。私がそれを盗んだのです。」すると、母は言った。「主が私の息子を祝福されますように。」』
 エフライム族のミカという人はかつて母から『銀千百枚』を盗みましたが、母が盗んだ者を呪っていたので、母に自分が盗んだことを告白します。母はいかなる場合であっても子の幸せを望むものです。それゆえ、母はミカが呪われないよう祝福を与えました。ミカが行なったことは罪でした。まず彼は『盗んではならない。』という律法に違反しました。これについては、いちいち説明する必要はないでしょう。また彼は『あなたの父と母を敬え。』という律法にも違反していました。盗むというのは、盗む相手とその所有権を蔑ろにすることだからです。ミカがこのように罪を告白したのは正しいことでした。罪を犯したならば即座に悔い改めるべきなのです。ずっと隠していても罪はやがて必ず知られてしまうものだからです。

 この時にミカの母は『銀千百枚』を盗まれましたが、これはデリラに約束され与えられた報酬の額である『銀千百枚』(士師記16:5)と一緒です。この一致は何かを示しているのでしょうか。聖書は全て神の霊感により書かれました(Ⅱテモテ3:16)。ですから、聖書には秘密の知識や秘儀が多く隠されています。それゆえ、このような一致を単なる偶然として片付けるわけにはいきません。この一致は、この母がデリラであったことを示唆しているのかもしれません。この可能性がないとは誰にも言えません。もしこうだった場合、デリラはサムソンの死後、エフライムの地に住み、そこでユダヤ人との間に子を生んだことになります。

【17:3~4】
『彼が母にその銀千百枚を返したとき、母は言った。「私の手でその銀を聖別して主にささげ、わが子のために、それで彫像と鋳像を造りましょう。今は、それをあなたに返します。」しかし彼は母にその銀を返した。そこで母は銀二百枚を取って、それを銀細工人に与えた。すると、彼はそれで彫像と鋳像を造った。それがミカの家にあった。』
 母は子が自分に罪を犯しても、子どもの予想に反して怒らなかったり、怒ってもそこまで怒ることはないものです。むしろ、「この子は頭の働く子だわ。」などと思って感心してしまうぐらいです。ミカの母も同様であって、ミカが盗んだ銀を返したのに激することはほとんどせず、それを子に持ったままでいさせようとしました。しかし、ミカが銀を返したので、母はその銀のうち『二百枚』で『彫像と鋳像』を造ってしまいます。これは律法に対するあからさまな違反でした(出エジプト記20:4)。ミカの母がこのような罪を犯したのは、この時代のイスラエル社会が律法について何も知らなかったことを示しています。

【17:5~6】
『このミカという人は神の宮を持っていた。それで彼はエポデとテラフィムを作り、その息子のひとりを任命して、自分の祭司としていた。そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。』
 ミカは好き勝手な宗教行為をしており、自分独自の『神の宮』を持っていました。そのうえ更にミカは『テラフィム』という偶像をさえ愚かにも作っていました。これは異教徒であったラバンも拝んでいた偽りの神々の一人です(創世記31:19、30)。またミカは『エポデ』さえも勝手に作っていました。エポデそのものは律法で規定されていますので悪いものではありません。しかし、ミカはそのエポデをエフライム人である息子に着せて祭司としていました。これは大いに問題でした。というのも、イスラエルで祭司になれるのはレビ人だけであり、エポデとはこのレビ人が着る衣装だからです。このようにミカが行なっていたことは滅茶苦茶でした。この時代のイスラエルは律法を後ろに投げ捨てていました。だからこそ、ミカは好き勝手に祭儀を行なっていたのです。

 この時代のイスラエルに王はまだいませんでしたから、イスラエル人は統率されておらず、そのため『めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なって』おり、イスラエル社会はカオスな状態でした。王がまだいないことについて述べている6節目の箇所は、士師記の記述時期が、王制終了後(前575~)か王制の最中(前1000頃~前575)だったことを示しています。士師記が書かれた時代のユダヤ人は、もう王制を既に経験済みでした。ですから6節目では『そのころ、イスラエルには王がなく』などと、まだ王制が始まっていない昔の状態について書かれているわけです。

【17:7~13】
『ユダのベツレヘムの出の、ユダの氏族に属するひとりの若者がいた。彼はレビ人で、そこに滞在していた。その人がユダのベツレヘムの町を出て、滞在する所を見つけに、旅を続けてエフライムの山地のミカの家まで来たとき、ミカは彼に言った。「あなたはどこから来たのですか。」彼は答えた。「私はユダのベツレヘムから来たレビ人です。私は滞在する所を見つけようとして、歩いているのです。」そこでミカは言った。「私といっしょに住んで、私のために父となり、また祭司となってください。あなたに毎年、銀十枚と、衣服ひとそろいと、あなたの生活費をあげます。」それで、このレビ人は同意した。このレビ人は心を決めてその人といっしょに住むことにした。この若者は彼の息子のひとりのようになった。ミカがこのレビ人を任命したので、この若者は彼の祭司となり、ミカの家にいた。そこで、ミカは言った。「私は主が私をしあわせにしてくださることをいま知った。レビ人を私の祭司に得たから。」』
 ユダ出身である一人のレビ人である若者が、滞在する場所を見つけにエフライムの地まで行くと、そこにいたミカと出会い彼の祭司になりました。前の註解書でも既に見た通り、レビ人には固有の相続地が割り当てられていませんでしたから、イスラエルの各地に住むことができました。レビ人が住む場所を変えても罪にはなりません。彼らは渡り鳥のような部族だからです。ミカはこのレビ人の若者に『毎年、銀十枚と、衣服ひとそろいと、あなたの生活費をあげます。』と言いましたが、これは当然のことでした。何故なら、『働く者が報酬を受けるのは、当然だから』(ルカ10章7節)です。ミカが住んでいたエフライムの山地は、ベツレヘムから北に30~60km離れています。この若者は『ユダのベツレヘムの出の、ユダの氏族に属する』者でしたが、これは彼がユダ族だということを意味していません。これはユダの地が出身であるレビ人だという意味です。何故なら、ユダ族でありながらレビ人でもあるということがどうしてあるのでしょうか。

【18:1~6】
『そのころ、イスラエルには王がなかった。そのころ、ダン人の部族は、自分たちの住む相続地を求めていた。イスラエルの諸部族の中にあって、相続地はその時まで彼らに割り当てられていなかったからである。そこで、ダン族は、彼らの諸氏族全体のうちから五人の者、ツォルアとエシュタオルからの勇士たちを派遣して、土地を偵察し、調べることにした。それで、彼らに言った。「行って、あの地を調べなさい。」彼らはエフライムの山地のミカの家に行って、そこで一夜を明かした。彼らはミカの家のそばに来、あのレビ人の若者の声に気づいた。そこで、そこに立ち寄り、彼に言った。「だれがあなたをここに連れて来たのですか。ここで何をしているのですか。ここに何の用事があるのですか。」その若者は彼らに言った。「ミカが、かくかくのことを私にしてくれて、私を雇い、私は彼の祭司になったのです。」彼らはその若者に言った。「どうぞ、神に伺ってください。私たちのしているこの旅が、成功するかどうかを知りたいのです。」その祭司は彼らに言った。「安心して行きなさい。あなたがたのしている旅は、主が認めておられます。」』
 ダン族は相続地のない状態のままだったので、相続地を得るため、エフライムの地まで『五人』の偵察部隊を遣わします。これが「5人」だったのは、単に複数人いたというだけです。この「5人」に特別な意味が潜んでいるということはありません。聖書で「5」に象徴的な意味はないからです。この偵察者たちは、『ツォルアとエシュタオル』から北東にあるエフライムの相続地に行き、そこにあるミカの家に辿り着きました。神が彼らをミカの家に導かれたのです。5人の偵察者がミカの家近くまで来ると、ミカの祭司となったレビ人の存在に気付いたので、今回の偵察が主に嘉せられているかどうか伺ってほしいと頼みます。すると、この祭司は彼らの偵察が御心に適っていると返答しました。このように古代イスラエルの祭司には、民のため神の御心を示す役目がありました。この時に『勇士たち』が偵察者として遣わされたのは、戦いや襲撃など万が一のことに備えてのことだったはずです。この時代のイスラエル社会は罪と罪に対する裁きのため、あまり穏やかではなかったのですから。

【18:7】
『五人の者は進んで行って、ライシュに着き、そこの住民を見ると、彼らは安らかに住んでおり、シドン人のならわしに従って、平穏で安心しきっていた。この地には足りないものは何もなく、押さえつける者もなかった。彼らはシドン人から遠く離れており、そのうえ、だれとも交渉がなかった。』
 5人の偵察者たちはミカの家からカナンの最北部まで北上し、レバノン山の近くにありヘルモン山の麓にある『ライシュ』という場所に着きました。この場所は他の部族の相続地に比べると小さいのですが、そこの住民は穏やかに暮らしていました。しかも、北にいるシドン人との交流もありません。偵察者たちの目には、この場所こそ自分たちの相続地に相応しいと感じられました。何故なら、そこを占領して住んだならば、北にいるシドン人と接触しないまま平和でいられそうだからです。偵察者たちは正に理想の場所を探し出しました。世の中では、このように探せば必ず見つかるものなのです。それはキリストが『捜しなさい。そうすれば見つかります。』(マタイ7章7節)と言われた通りです。

【18:8~10】
『五人の者がツォルアとエシュタオルの身内の者たちのところに帰って来たとき、身内の者たちは彼らに、どうだったかと尋ねた。そこで、彼らは言った。「さあ、彼らのところへ攻め上ろう。私たちはその土地を見たが、実に、すばらしい。あなたがたはためらっている。ぐずぐずせずに進んで行って、あの地を占領しよう。あなたがたが行くときは、安心しきっている民のところに行けるのだ。しかもその地は広々としている。神はそれをあなたがたの手に渡しておられる。その場所には、地にあるもので足りないものは何もない。」』
 偵察者たちが仲間であるダン族のもとに帰ると、偵察の結果を聞かれたので、偵察者たちはすぐにもライシュを占領すべきだと答えます。ライシュは素晴らしい場所だったので、偵察者たちはすぐにもそこを占領したいと思っていました。また、そこの民は安心していますから100%勝利できると感じられました。このため、偵察者たちは「ぐずぐずしてはならない。」と仲間に言ったわけです。このような気持ちは私たちにも分からないことではありません。誰でも非常に欲するものはすぐにも得たいと思うはずだからです。

【18:11~13】
『そこで、ダン人の氏族の者六百人は武具を身に着けて、そこ、ツォルアとエシュタオルから旅立ち、上って行って、ユダのキルヤテ・エアリムに宿営した。それで、その所はマハネ・ダンと呼ばれた。今日もそうである。それはキルヤテ・エアリムの西にある。彼らはさらにそこからエフライムの山地へと進み、ミカの家に着いた。』
 偵察者たちの言葉に同意したダン族の人々は、すぐにもライシュを占領するため準備に取りかかります。そして、まず彼らは『ツォルアとエシュタオル』から東に10kmほど離れた『キルヤテ・エアリム』に進みそこを中継地点として宿営しましたが、そこはダン族が宿営したので「ダンの宿営」という意味の『マハネ・ダン』という名前で呼ばれるようになりました。それから彼らは北に進み『ミカの家に着』きました。この時にダン族から戦士が『六百人』だけ動員されたのは、これだけいればライシュにいる異邦人を駆逐するのは十分だと判断したからなのでしょう。というのも、ライシュの異邦人どもは踏めばすぐ滅ぼせるアオムシのようにおとなしく、またその数もあまり多くはなかったと思われるからです。小物相手にわざわざ多くの戦士を動員する必要はありません。この「600」という数字に象徴的な意味は含まれていないはずです。

【18:14~20】
『そのとき、あのライシュの地を偵察に行った五人の者は、その身内の者たちに告げて言った。「これらの建物の中にエポデやテラフィム、彫像や鋳像があるのを知っているか。今あなたがたは何をすべきかを知りなさい。」そこで、彼らは、それらのほうに行き、あのレビ人の若者の家ミカの家に来て、彼の安否を尋ねた。武具を身に着けた六百人のダンの人々は、門の入口のところに立っていた。あの地を偵察に行った五人の者は上って行き、そこにはいり、彫像とエポデとテラフィムと鋳像を取った。祭司は武具を身に着けた六百人の者と、門の入口のところに立っていた。五人の者がミカの家にはいり、彫像とエポデとテラフィムと鋳像を取った。そのとき祭司は彼らに言った。「あなたがたは何をしているのか。」彼らは祭司に言った。「黙っていてください。あなたの手を口に当てて、私たちといっしょに来て、私たちのために父となり、また祭司となってください。あなたはひとりの家の祭司になるのと、イスラエルで部族または氏族の祭司になるのと、どちらがよいですか。」祭司の心ははずんだ。彼はエポデとテラフィムと彫像を取り、この人々の中にはいって行った。』
 5人の偵察者たちは、かつてミカの家に行ったことがあったので、そこに祭儀道具と祭司が存在していることを知っていました。この偵察者たちは、それらがミカからダン族へと移されるべきだと考えていました。何故なら、祭儀道具も祭司も個人のためでなく部族のため用いられるべきだからです。つまり、ミカ1人だけでこの2つは勿体ないというわけです。確かにこれは全くその通りでした。ダン族の人々は、偵察者たちの思惑を悟り、偵察者たちの思いに賛同しました。このためダン族はミカの家から、まず祭儀の道具を奪い取ります。すると祭司に気付かれたので、祭司に自分たちの祭司となるよう要請します。祭司は本来的に個人用でなく氏族用なのです。こうして祭司はダン族の祭司となりました。つまり、この祭司はスカウトされたのでした。このスカウトに『祭司の心ははず』みました。何故なら、ミカ1人よりもダン族全体の祭司になったほうが光栄だからです。

【18:21~26】
『そこで、彼らは子どもや家畜や貴重品を先にして引き返して行った。彼らがミカの家からかなり離れると、ミカは家の近くの家にいた人々を集め、ダン族に追いついた。彼らがダン族に呼びかけたとき、彼らは振り向いて、ミカに言った。「あなたは、どうしたのだ。人を集めたりして。」すると、ミカは言った。「あなたがたは私の造った神々と、それに祭司とを取って行った。私のところには何が残っていますか。私に向かって『どうしたのだ。』と言うのは、いったい何事です。」そこで、ダン族はミカに言った。「あなたの声が私たちの中で聞こえないようにせよ。でなければ、気の荒い連中があなたがたに撃ちかかろう。あなたは、自分のいのちも、家族のいのちも失おう。」こうして、ダン族は去って行った。ミカは、彼らが自分よりも強いのを見てとり、向きを変えて、自分の家に帰った。』
 こうしてダン族は祭儀道具と祭司を伴ってミカの家から離れますが、当然ながらミカがダン族を追って来たので、ダン族はミカを脅して退けます。ミカは容易く退けられてしまいました。餌を勝手に持って行ったライオンの後を追いかけてきたネズミが、ライオンの短い咆哮によりすぐ追い返されてしまったかのようです。相手が強かったのでミカはどうすることもできませんでした。この時にダン族が『子どもや家畜や貴重品を先にして引き返して行った』のは、もちろん追いかけてきたミカに備えるためです。もしこれらがダン族の後方にあれば、追いかけてきたミカに奪われたり攻撃されたりしかねません。ダン族はこのようなことが分からないほど馬鹿ではありませんでした。ここでダン族は追いかけてきたミカに対し、何も恥じる様子を見せず自信満々で話しかけました(23節)。ダン族にはミカの祭儀道具と祭司を盗んだことについて罪の意識がありませんでした。実際、ダン族がしたことは罪ではありませんでした。何故なら、祭司には移籍の自由があるからです。祭司が別の働き場所に移籍したいと願ったのですから(士師記18:20)、どうしてミカにその願いを阻止する権利があるでしょうか。また『私の造った神々』であるテラフィムをダン族が取ったことも罪ではありませんでした。ユダヤ人は本来的に神だけを拝むべきですから、ユダヤ人の作ったテラフィムをユダヤ人が盗む盗まないという次元で考えるべきではなく、そもそも最初から作るべきではなかったのです。この問題は、「どうしてテラフィムを盗んだのか。」などと考えるべきでなく、「どうしてテラフィムが作られたのか。」ということから考え始められなければいけないのです。ダン族は、このテラフィムを盗んだのであり、壊したりしませんでした。これはダン族がこのテラフィムを拝むつもりでいたからです。彼らは神の律法を知りませんでした。もし彼らが律法を知っていれば、テラフィムを盗まず、むしろ宗教改革者たちが聖人像を壊したように壊していたでしょう。