【士師記18:27~21:15】(2022/07/03)


【18:27~28】
『彼らは、ミカが造った物と、ミカの祭司とを取って、ライシュに行き、平穏で安心しきっている民を襲い、剣の刃で彼らを打ち、火でその町を焼いた。その町はシドンから遠く離れており、そのうえ、だれとも交渉がなかったので、救い出す者がいなかった。その町はベテ・レホブの近くの谷にあった。彼らは町を建てて、そこに住んだ。』
 ダン族たちはミカから取った祭儀道具と祭司を伴い、遥か北にある『ライシュに行き』、そこにいた『平穏で安心しきっている』ライシュ人を滅ぼして占領しました。この時にライシュ人は恐らく全滅したと思われます。ダン族の側に被害は出なかったと推測されます。このように穏やかにしている民を襲撃して滅ぼすことについて、問題視する人もいるかもしれません。「これは酷いのではないか。」と。しかし、この度の遠征は主に嘉せられていました(士師記18:6)。またライシュ人は神からダン人の手に渡されていました(士師記18:10)。ですから、私たちがこの襲撃を批判することはできません。神が認可された襲撃をどうして批判していいでしょうか。ダン族がライシュを火で焼いたのは、その町を浄化する意味があったと考えられます。

【18:29~31】
『そして、彼らはイスラエルに生まれた自分たちの先祖ダンの名にちなんで、その町にダンという名をつけた。その町のもとの名はライシュであった。さて、ダン族は自分たちのために彫像を立てた。モーセの子ゲルショムの子ヨナタンとその子孫が、国の捕囚の日まで、ダン部族の祭司であった。こうして、神の宮がシロにあった間中、彼らはミカの造った彫像を自分たちのために立てた。』
 ダン族は、自分たちの始祖であるダンに対する敬意を示すため、神の恵みにより占領したライシュを『ダン』へと改名しました。この改名は十戒の第5番目に適っていますから聖書的でした。

 ダン人たちは、彼らの相続地となったライシュに、ミカの造ったガラクタを立てました。これはガラクタを拝むためです。この邪悪な不要物は『神の宮がシロにあった間中』そこにあり続けました。つまり、宮がシロになくなってからは、この不要物がライシュから取り除かれました。

 ダン族がライシュに住んでから、彼らを担当した祭司は『モーセの子ゲルショムの子ヨナタンとその子孫』でした。その祭司はゲルショム族であり、ユダヤの祭司には他にもメラリ族とケハテ族がいました。この祭司がダンの祭司だったのは『捕囚の日まで』ですが、これは前720年のアッシリア捕囚を指しています。何故なら、ダン族の住んでいたライシュの場所は北王国イスラエルに属していたからです。アッシリヤに捕囚されたのはこの北王国の人々でした。すなわち、ここで『捕囚の日』と言われているのは、南王国ユダに起こったバビロン捕囚(前585)のことではありません。バビロン捕囚が起きた時、既にライシュの人々はアッシリアにより捕囚済みだったからです。これはこの士師記がアッシリア捕囚よりも後の時代に書かれたことを示しています。士師記は前の6つの巻と明らかに繋がっていますから、前の6つの巻も士師記と同じように、アッシリア捕囚より後の時代に書かれたことになります。

【19:1】
『イスラエルに王がなかった時代のこと、ひとりのレビ人が、エフライムの山地の奥に滞在していた。この人は、そばめとして、ユダのベツレヘムからひとりの女をめとった。』
 この箇所も、士師記17:6の箇所と同じで、士師記が王制の最中か王制終了後に書かれたことを示しています。ユダヤ人がもう王制を経験していたからこそ、ここでは『イスラエルに王がなかった時代のこと』と言われているわけです。これは創世記36:31の箇所でも同様のことが言えます。

 この箇所では、エフライムに住んでいたあるレビ人がユダ族の女をそばめとして娶ったと書かれています。そばめを持つのは古代において一般的な風習でしたが、それは単なる風習に過ぎず、実のところ御心に適ってはいませんでした。何故なら、律法では王でさえ一夫多妻が禁じられているほどだからです(申命記17:17)。

【19:2~9】
『ところが、そのそばめは彼をきらって、彼のところを去り、ユダのベツレヘムの自分の父の家に行き、そこに四か月の間いた。そこで、彼女の夫は、ねんごろに話をして彼女を引き戻すために、若い者と一くびきのろばを連れ、彼女のあとを追って出かけた。彼女が夫を自分の父の家に連れてはいったとき、娘の父は彼を見て、喜んで迎えた。娘の父であるしゅうとが引き止めたので、彼は、しゅうとといっしょに三日間とどまった。こうして、彼らは食べたり飲んだりして、夜を過ごした。四日目になって朝早く、彼は出かけようとして立ち上がった。すると、娘の父は婿に言った。「少し食事をして元気をつけ、そのあとで出かけなさい。」それで、彼らふたりは、すわって共に食べたり飲んだりした。娘の父はその人に言った。「どうぞ、もう一晩泊まることにして、楽しみなさい。」その人が出かけようとして立ち上がると、しゅうとが彼にしきりに勧めたので、彼はまたそこに泊まって一夜を明かした。五日目の朝早く、彼が出かけようとすると、娘の父は言った。「どうぞ、元気をつけて、日が傾くまで、ゆっくりしていなさい。」そこで、彼らふたりは食事をした。それから、その人が自分のそばめと、若い者を連れて、出かけようとすると、娘の父であるしゅうとは彼に言った。「ご覧なさい。もう日が暮れかかっています。どうぞ、もう一晩お泊まりなさい。もう日も傾いています。ここに泊まって、楽しみなさい。あすの朝早く旅立って、家に帰ればいいでしょう。」』
 ユダ族のそばめはレビ人を嫌って彼から離れてしまいますが、どうして彼女がレビ人を嫌ったかは分かりません。すると、彼女はユダにある父の家に行き、そこで『四か月の間』過ごしていました。この4か月の間に、彼女を娶ったレビ人が尋ねて来ることはなかったようです。どうしてこのレビ人が4か月もの間、そばめのもとへ行かなかったかは不明です。しかし、4か月が経つと、彼はそばめを引き戻すべく彼女の父の家へと向かいました。すると、彼女の父はレビ人を見て喜びますが、これは彼がレビ人だったからです。先の箇所で書かれていたミカやダン族を考えれば分かる通り、古代ユダヤ人にとってレビ人は歓迎すべき存在でした。これはレビ人がユダヤ民族の神と最も強い繋がりを持っていたからです。この時のユダヤ人は偶像崇拝に陥っていたものの、神を求める思いが全く消えていたわけでもありませんでした。ですから、彼らは神が共におられる祭司をも求めたのです。いつの時代であれ、神を求める者は、神の使いをも求めます。これは覚えておくに値することです。このレビ人は自分のそばめを取り戻そうとしてそばめの父の家に行っただけでした。ところが、そばめの父は5日間もレビ人を引き止めました。これは、そばめの父がこのレビ人をいかに重要な存在として見做していたかよく示しています。古代イスラエルにおいて宗教行為はこのレビ人を通して行なわれるのですから、レビ人が重要視されるのは自然なことでした。それゆえ、もしレビ人がそばめの父から思い切って離れていなければ、この父はずっとこのレビ人を引き止めていたはずです。

【19:10~15】
『その人は泊まりたくなかったので、立ち上がって出て行き、エブスすなわちエルサレムの向かい側にやって来た。鞍をつけた一くびきのろばと彼のそばめとが、いっしょだった。彼らがエブスの近くに来たとき、日は非常に低くなっていた。それで、若い者は主人に言った。「さあ、このエブス人の町に寄り道して、そこで一夜を明かしましょう。」すると、彼の主人は言った。「私たちは、イスラエル人ではない外国人の町には立ち寄らない。さあ、ギブアまで進もう。」それから、彼は若い者に言った。「さあ、ギブアかラマのどちらかの地に着いて、そこで一夜を明かそう。」こうして、彼らは進んで行った。彼らがベニヤミンに属するギブアの近くに来たとき、日は沈んだ。彼らはギブアに行って泊まろうとして、そこに立ち寄り、町にはいって行って、広場にすわった。だれも彼らを迎えて家に泊めてくれる者がいなかったからである。』
 そばめを引き戻したレビ人は、ベツレヘムを離れ、北に進んで行きます。10kmほど進んで当時はエブスと呼ばれていたエルサレムに来ると、一緒に付いてきた若者はエブスで宿営すべきだと提案しますが、若者の主人であるレビ人はこの提案を拒絶します。この時にはまだ異邦人がエルサレムに住んでいましたが、汚れた異邦人と一緒に住むのはユダヤ人にとって忌むべきことだったからです。このためレビ人は『ギブアかラマのどちらかの地』で宿営しようとします。彼らが宿営地として選んだのはギブアでした。もう日がかなり沈んでいたので、なるべく早く宿営するため、より近くにあったギブアを選んだのです。しかし、ギブアでは誰もこのレビ人を受け入れてくれなかったので、彼らは広場に留まりました。エルサレムから見て、『ギブア』は北に10kmほど離れており、『ラマ』は北に20kmほど離れています。この2つの町はどちらも『ベニヤミン』の相続地にありました。

【19:16~21】
『そこへ、夕暮れになって野ら仕事から帰ったひとりの老人がやって来た。この人はエフライムの山地の人で、ギブアに滞在していた。この土地の者たちはベニヤミン族であった。目を上げて、町の広場にいる旅人を見たとき、この老人は、「どちらへおいでですか。どちらからおいでになったのですか。」と尋ねた。そこで、その人は彼に言った。「私たちは、ユダのベツレヘムから、エフライムの山地の奥まで旅を続けているのです。私はその奥地の者です。ユダのベツレヘムまで行って来ました。今、主の宮へ帰る途中ですが、だれも私を家に迎えてくれる者がありません。私たちのろばのためには、わらも飼葉もあり、また、私と、妻と、私たちといっしょにいる若い者とのためにはパンも酒もあります。足りないものは何もありません。」すると、この老人は言った。「安心なさい。ただ、足りないものはみな、私に任せて。ただ広場では夜を過ごさないでください。」こうして彼は、この人を自分の家に連れて行き、ろばに、まぐさをやった。彼らは足を洗って、食べたり飲んだりした。』
 レビ人が広場にいると、ベニヤミン族の相続地に滞在しているエフライム族の老人がやって来て、この老人の家に泊めてもらうこととなります。広場で夜を過ごすのは非常に危険だったからです。ギブアにいた住民も夜が危ないことぐらい分かっていたはずです。しかし、それにもかかわらず彼らはレビ人を迎えてくれなかったのです。これはギブアにいたベニヤミン族の人たちがあまり善良でなかったことを示しています。このレビ人のように遠くまで旅をしていると、この老人のように親切な人が現われるものです。それは神が憐れみ深い御方だからです。神はその憐れみにより、旅人のため親切な人を導いて下さるのです。確かにこの老人は実に親切な人でした。

【19:22~26】
『彼らが楽しんでいると、町の者で、よこしまな者たちが、その家を取り囲んで、戸をたたき続けた。そして彼らは、その家の主人である老人に言った。「あなたの家に来たあの男を引き出せ。あの男を知りたい。」そこで、家の主人であるその人は彼らのところに出て行って言った。「いけない。兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ。この人が私の家にはいって後に、そんな恥ずべきことはしないでくれ。ここに処女の私の娘と、あの人のそばめがいる。今、ふたりを連れ出すから、彼らをはずかしめて、あなたがたの好きなようにしなさい。あの人には、そのような恥ずべきことはしないでくれ。」しかし、人々は彼に聞こうとしなかった。そこで、その人は自分のそばめをつかんで、外の彼らのところへ出した。すると、彼らは彼女を犯して、夜通し、朝まで暴行を加え、夜が明けかかるころ彼女を放した。夜明け前に、その女は自分の主人のいるその人の家の戸口に来て倒れ、明るくなるまでそこにいた。』
 レビ人が老人と食べたり飲んだりして楽しんでいたところ、『よこしまな者』たちが老人の家に来て、レビ人を知りたいとしきりに求めます。彼らは同性愛者であり、レビ人との男色を求めたのです。これは文脈を考えれば分かることです。老人はレビ人を汚物に引き渡さないため、処女である自分の娘とレビ人のそばめを代わりに差し出そうとします。そうすれば汚物の情動も鎮まると考えたからです。しかし、汚物たちは老人の言葉を無視したため、レビ人は自分のそばめを無理やり汚物たちの前に出しました。こうしてこのそばめは犯されたうえ、暴行され、遂には死んでしまいます。

 この出来事は、ソドムで起きたあの出来事と、よく似ています。このレビ人が老人の家へ招かれたのと同様に、御使いたちも広場ではなく、ロトの家に招かれそこで寝泊まりすることとなりました(創世記19:1~3)。すると、同性愛者たちがロトの家に集まって来て、客である御使いたちいを知ろうと切に求めます(創世記19:4~5)。そして、ロトは私たちが今見た老人と同じように、女たちを代わりの存在として同性愛者たちに差し出そうとします(創世記19:6~8)。しかし、ここからの展開は異なっています。すなわち、ロトの場合は女が犠牲者とならずに済んだのに対し、こちらのほうでは一人の女が犠牲となってしまいました。ですから、この出来事とソドムの出来事は似ていますが完全に一致しているわけではありません。この2つの出来事もそうでしたが、この世界では昔の出来事と似た出来事が繰り返し起こります。それは神が同様の事柄を何度も起こされる御方だからなのです。『今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。』(伝道者の書3:15)と書かれている通りです。ですから、「二度あることは三度ある」という諺は真実なのです。

【19:27~30】
『その女の主人は、朝になって起き、家の戸を開いて、旅に出ようとして外に出た。見ると、そこに自分のそばめであるその女が、手を敷居にかけて、家の入口に倒れていた。それで、彼はその女に、「立ちなさい。行こう。」と言ったが、何の返事もなかった。それで、その人は彼女をろばに乗せ、立って自分の所へ向かって行った。彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分のそばめをつかんで、その死体を十二の部分に切り分けて、イスラエルの国中に送った。それを見た者はみな言った。「イスラエル人がエジプトの地から上って来た日から今日まで、こんなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考えて、相談をし、意見を述べよ。」』
 レビ人が朝になってそばめを見つけると、既にそばめが死んでいたことを確認したので、家に着くとその死体を『十二の部分に切り分けて、イスラエルの国中に送』りました。12の部分に切り分けられた死体は、一つの部分につき1部族に送られました。これはイスラエルの全部族にこの出来事を知らせるためです。彼女の直接的な死因が何だったかは分かりません。このそばめは『手を敷居にかけて』いましたから、『戸口に来て倒れ』るまではまだかろうじて生きていたはずです。脱水症状で死んだのか、脳内出血が死の原因だったのか、ショックで心臓が破裂してしまったのか、暴行による出血多量が死に至らせたのか…、色々と原因が考えられますが少なくとも私たちにとってそこまで重要な問題ではありません。このそばめが殺されたのは実に酷い事件でした。それは重大事件ですからイスラエル全体においてニュースとならねばなりません。それゆえ、レビ人が死体を切り分けて送ったのは、むごい行為ではありましたが、間違っていませんでした。

 死体を送られたイスラエル人は当然ながら驚き、これから何をすればいいのか皆で相談し始めます。この事件は前代未聞でした。『何が起こるかを知っている者はいない。』(伝道者の書8:7)という御言葉は正にこのことです。

【20:1~3】
『そこで、ダンからベエル・シェバ、およびギルアデの地に至るイスラエル人はみな、出て来て、その会衆は、こぞってミツパの主のところに集まった。イスラエルの全部族、民全体のかしらたち、四十万の剣を使う歩兵が神の民の集まりに出た。―ベニヤミン族は、イスラエル人がミツパに上って来たことを聞いた。―イスラエル人は、「こんな悪い事がどうして起こったのか、話してください。」と言った。』
 実に重大な事件が起きたので、イスラエル人はイスラエル各地から大勢の人々を集め、ギブアから北に15kmほど離れた『ミツパ』というベニヤミンの相続地へ向かいます。この時に召集された『四十万の剣を使う歩兵』は、「40」ですから、十分な数の歩兵が集められたことを意味しています。40万人も戦士が集められたは事の重大性をよく示しています。このミツパにはあのレビ人もいましたから、イスラエル人たちは『こんな悪い事がどうして起こったのか、話してください。』と当事者であるあのレビ人に聞きます。この時には、『ダン』のある西からも『ベエル・シェバ』のある南からも『ギルアデの地』である東からもユダヤ人が集まって来ました。これはこの事件がユダヤ人全体にとって衝撃的だったことを意味しています。

【20:4~7】
『殺された女の夫であるレビ人は答えて言った。「私は、そばめといっしょに、ベニヤミンに属するギブアに行き、一夜を明かそうとしました。すると、ギブアの者たちは私を襲い、夜中に私のいる家を取り囲み、私を殺そうと計りましたが、彼らは私のそばめに暴行を加えました。それで彼女は死にました。そこで私は、そばめをつかみ、彼女を切り分け、それをイスラエルの相続地の全地に送りました。これは、彼らがイスラエルの中で、みだらな恥ずべきことを行なったからです。さあ、あなたがたイスラエル人のすべてよ。今ここで、意見を述べて、相談してください。」』
 レビ人は、ユダヤ人に対し、自分とそのそばめに起きた出来事を詳しく説明します。しかし、同性愛の事柄については触れていません。これは同性愛については言うのも憚れたからだと思われます。この時代は、今とは違い、同性愛についてタブー視されていました(ミシャエル・フーコーによれば20世紀になるまで同性愛は世界中でタブー視されていました)。ですから、レビ人が公衆の前で恥ずべき倒錯したこの性感覚について言及しなかったのは自然なことでした。もし言及していたら、このレビ人も公衆も気色の悪い恥ずかしさを感じて赤面していたかもしれません。こうしてレビ人は、ユダヤ人がこの事件についてどのような対応をするのか相談するよう求めます。この事件は実に重大だったので、民衆の総意に基づいて対処を講じるべきだったからです。

 ここでレビ人は相談による決定を求め、ユダヤ人も少し前に相談による決定を求めました(士師記19:30)。彼らが相談により事を決めようとしたのは聖書的でした。何故なら、聖書にはこう書かれているからです。『相談して計画を整え、すぐれた指揮のもとに戦いを交えよ。』(箴言20章18節)『密議をこらさなければ、計画は破れ、多くの助言者によって、成功する。』(箴言15章22節)こういうわけですから、私たちも何かをする際は、相談の重要性をよく弁える必要があります。独裁的になればカエサルのように破滅しかねません。

【20:8~11】
『そこで、民はみな、こぞって立ち上がって言った。「私たちは、だれも自分の天幕に帰らない。だれも自分の家に戻らない。今、私たちがギブアに対してしようとしていることはこうだ。くじを引いて、攻め上ろう。私たちは、イスラエルの全部族について、百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人をとって、民のための糧食を持って行かせ、民がベニヤミンのギブアに行って、ベニヤミンがイスラエルでしたこのすべての恥ずべき行ないに対して、報復させよう。」こうして、イスラエル人は団結し、こぞってその町に集まって来た。』
 ユダヤ人は、悪が行なわれたギブアに行き、報復することに決めました。この時には戦士たちが『百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人』召集されました。この動員数の多さは、事件があまりにも重大だったことを物語っています。この時に『くじ』が引かれたのは、事の決定を神に委ねるためです。籤を通じて神に決めていただくならば、ユダヤ人は誰もその決定に不平を述べられなくなるからです。この時にユダヤ人は報復を決意しましたが、律法で報復は禁じられています(レビ記19:18)。しかし、律法で報復が禁じられているのは個人的な報復です。個人的な報復ではなく、国家的・政治的な報復であれば問題ありません。何故なら、国家には悪を罰するための剣が与えられているからです(ローマ13:4)。ここでユダヤ人が『報復させよう。』と言っているのはこの政治的な報復でした。

【20:12~16】
『それから、イスラエルの諸部族は、ベニヤミンの諸族のすべてに人をやって言わせた。「あなたがたのうちに起こったあの悪い事は、何ということか。今、ギブアにいるあのよこしまな者たちを渡せ。彼らを殺して、イスラエルから悪を除き去ろう。」べニヤミン族は、自分たちの同族イスラエル人の言うことに聞き従おうとしなかった。それどころか、ベニヤミン族は町々からギブアに集まり、イスラエル人との戦いに出て行こうとした。その日、ベニヤミン族は、町々から二万六千人の剣を使う者を召集した。そのほかにギブアの住民のうちから七百人の精鋭を召集した。この民全体のうちに、左ききの精鋭が七百人いた。彼らはみな、一本の毛をねらって石を投げて、失敗することがなかった。』
 ユダヤ人がベニヤミン族に忌むべき悪者を引き渡して死刑にすべきだと求めたところ、ベニヤミン族はユダヤ人の言葉に聞こうとしませんでした。どの民族であれ、仲間の引き渡しと死刑を求められたら、往々にして拒絶するものです。この時のベニヤミン族もそうでしたが、悪者の引き渡しを求められた民族は、もちろんその悪者が悪に陥った事実を知らないわけではありません。当事者である民族にとってそれは百も承知のことです。しかし、その事実を知っているにもかかわらず、仲間の引き渡しを拒むのです。何故なら、仲間に対する強烈な同胞愛が、悪人はたとえ仲間であったとしても他の民族に引き渡して処罰させなければいけないという正義の意志を押し潰してしまうからです。今の日本で言えば、日本はレバノンに逃亡しているカルロス・ゴーンの引き渡しを求め続けていますが、レバノンは一向に彼を引き渡そうとしていません。同胞愛とは正義を無視させるほどに力強い心の状態また働きなのです。これは、犯罪を行なった者をひたすら匿う家族でも同じことが言えます。ベニヤミン族はユダヤ人の求めを拒絶したばかりか、何と戦士たちを召集してユダヤ人に戦いを挑もうとしました。「気に入らないことを言うから打ち倒してやろう。」というわけです。ベニヤミン族は『二万六千人の剣を使う者』(15節)を召集しましたが、これはかなりの数です。この2万6000という数字からは象徴的な意味を見出せません。この時には『左ききの精鋭が七百人』も召集されましたが、これは何を示しているのでしょうか。700人も左利きの精鋭を召集したというのは何か意味がありそうです。聖書において「右」側は主体的・本質的・中心的・本道的であることを示しています。左利きの精鋭が700人もいるというのは明らかに普通ではありません。ですから、これはベニヤミン族が悪い意味で普通でない状態に陥っていたことを意味しているのかもしれません。実際、べニヤミン族が普通でなかったのは、私たちが今見ている通りです。この精鋭たちは『一本の毛をねらって石を投げて、失敗することがなかった』のですから、かなりの強者だったことは間違いありません。

【20:17~18】
『イスラエル人は、ベニヤミンを除いて、剣を使う者四十万を召集した。彼らはみな、戦士であった。イスラエル人は立ち上がって、ベテルに上り、神に伺って言った。「私たちのため、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うのでしょうか。」すると、主は仰せられた。「ユダが最初だ。」』
 戦士たちを召集したベニヤミン族に応じ、ユダヤ人も『剣を使う者四十万人を召集した』のですが、これは士師記20:2の箇所で書かれていたのと同じ数です。ユダヤ人はミツパから北に10kmほど離れた『ベテル』に行きました。これはベテルに聖所があったからです(士師記20:26~27)。そこで彼らが最初に戦う者はどの部族にすべきかと伺ったところ、神は『ユダが最初だ。』とお答えになりました。これはイスラエルにとってユダ部族こそ第一となるべき部族だったからです。そうでなければ、ユダ族が指名されたのは、ユダ族がギブアのあるベニヤミン族の相続地の最も近くに住んでいたからなのでしょう。ギブアに最も近い場所に住んでいる部族は西のダン族でも北のエフライム族でも北東のガド族でも東のルベン族でもなく、南のユダ族だったのです。このようにユダヤ人が事を開始する前にまず伺ったのは正しいことですから、私たちも彼らのこの伺いを見習わなければいけないでしょう。

【20:19~23】
『朝になると、イスラエル人は立ち上がり、ギブアに対して陣を敷いた。イスラエル人はベニヤミンとの戦いに出て行った。そのとき、イスラエル人はギブアで彼らと戦うための陣ぞなえをした。ベニヤミン族はギブアから出て来て、その日、イスラエル人二万二千人をその場で殺した。しかし、この民、イスラエル人は奮い立って、初めの日に陣を敷いた場所で、再び戦いの備えをした。そしてイスラエル人は上って行って、主の前で夕方まで泣き、主に伺って言った。「私は再び、私の兄弟ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」すると、主は仰せられた。「攻め上れ。」』
 ユダヤ人がベニヤミン族と戦ったところ、何と『二万二千人』が殺されてしまいました。これはかなりの数ですが、この数に象徴的な意味はありません。ユダヤ人はまさかこのような敗北を喫するなどと予想していなかったと思われます。こうして敗北させられたユダヤ人はベテルに集まります。この戦いが本当に御心なのか神に伺うためです。この戦いは神の御心でした。御心でしたがこのように多くの死者が出たのです。『攻め上れ。』と神が言われたのですから、ユダヤ人は再び戦うしかありませんでした。この時は敵となっていたベニヤミンもユダヤ人ですから、この戦いはつまり仲間割れだということになります。ユダヤ人がユダヤ人と殺し合うというのは誠に悲惨です。こうなったのは全てベニヤミン族とあの忌まわしい同性愛者たちに原因がありました。

 この時にユダヤ人は本当に悩まされたはずです。何故なら、多くの戦死者が出たのは、この戦いが御心でないことの証拠ではないかと感じられたからです。しかし、御心であってもこのように悲惨となるケースがあるのです。すなわち、最後には勝利に至るのですが途中までは勝利しそうもないケースが往々にしてあります。第二次世界大戦でも、連合国軍の勝利が神の御心でしたが、それにもかかわらず中盤になるまで連合国軍は日本やドイツにかなり苦しめられたのです。

【20:24~28】
『そこで、イスラエル人は次の日、ベニヤミン族に攻め寄せたが、べニヤミンも次の日、ギブアから出て来て、彼らを迎え撃ち、再びイスラエル人のうち一万八千人をその場で殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。それで、すべてのイスラエル人は、全民こぞってベテルに上って行って、泣き、その所で主の前にすわり、その日は、夕方まで断食をし、全焼のいけにえと和解のいけにえを主の前にささげた。そして、イスラエル人は主に伺い、―当時、神の契約の箱はそこにあった。当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた。―そして言った。「私はまた、出て行って、私の兄弟ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」主は仰せられた。「攻め上れ。あす、彼らをあなたがたの手に渡す。」』
 ユダヤ人が再びベニヤミン族を攻めたところ、再び敗けてしまい、今度は『一万八千人』がベニヤミン族に殺されてしまいました。先の戦死者と合わせればこれで4万人が死にました。ユダヤ人の戦士たちは『四十万人』(士師記20章17節)が召集されましたから、10分の1が失われたことになります。ベニヤミン族に被害はほとんどなかったでしょう。こうして再び敗北したユダヤ人はまたベテルに集まりました。これほどまでベニヤミン族から被害を被ったので、本当にこの戦いは御心なのかどうか、神に伺いを立てるためです。すると、この戦いは神の御心であることが分かります。神が言われた通り、次に戦う時はユダヤ人が勝利できるからです。すなわち、次は神がベニヤミン族をユダヤ人の手に渡して下さいます。この戦いは御心でしたから、最後にはユダヤ人が勝利するわけです。もし御心でなければ最後の勝利をユダヤ人が掴むことは出来なかったはずです。

 この時にベテルに行ったユダヤ人が泣き断食し犠牲を捧げたのは、自分たちが罪を犯していたため、裁きとして凄まじい敗北が与えられたかもしれないと感じられたからです。何故なら、この時に味わった2回の大きな敗北は、律法の呪いに書かれている通りの出来事だったからです。確かに律法に違反するならば裁きとして敵対者たちから敗北させられてしまいます。しかし、この時の敗北は裁きにより引き起こされた敗北ではありませんでした。無理もなかったと言うべきかもしれませんがユダヤ人はこのことについてまだ分かっていませんでした。後ほど、ユダヤ人は2回の敗北が裁きにより引き起こされたのではなかったと知ることとなります。

 先にも述べましたが、この時に聖所はベテルにありました。それは『契約の箱』がベテルにあったからです。神のおられる契約の箱がある場所に聖所もあります。しかし、どうして聖所がベテルに移っていたのかは分かりません。

【20:29~35】
『そこで、イスラエルはギブアの回りに伏兵を置いた。三日目にイスラエル人は、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣ぞなえをした。すると、ベニヤミン族は、この民を迎え撃つために出て来た。彼らは町からおびき出された。彼らは、一つはベテルに、他の一つはギブアに上る大路で、この前のようにこの民を打ち始め、イスラエル人約三十人を戦場で刺し殺した。ベニヤミン族は、「彼らは最初のときのようにわれわれに打ち負かされる。」と思った。イスラエル人は言った。「さあ、逃げよう。そして彼らを町から大路におびき出そう。」イスラエル人はみな、その持ち場を立ち、バアル・タマルで陣ぞなえをした。一方、イスラエルの伏兵たちは、自分たちの持ち場、マアレ・ゲバからおどり出た。こうして、全イスラエルの精鋭一万人がギブアに向かってやって来た。戦いは激しかった。ベニヤミン族は、わざわいが自分たちに迫っているのに気がつかなかった。こうして、主がイスラエルによってベニヤミンを打ったので、イスラエル人は、その日、ベニヤミンのうち二万五千百人を殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。』
 次にユダヤ人がベニヤミン族と戦った際は、前の2回とは違い、ユダヤ人に勝利が与えられました。神がベニヤミン族をユダヤ人の手に渡されたからです。このため、ベニヤミン族の戦士は『二万五千百人』が殺されました。ベニヤミン族の戦士は『二万六千人』でしたから(士師記20章15節)、その大半が滅ぼされたことになります。このうち600人の戦士たちは殺されず生きて逃れました(士師記20:47)。ユダヤ人は『ギブアの回りに伏兵を置い』て、この伏兵によりベニヤミン族の戦士を打つ方法を取りました。このため、ユダヤ人は先の2回と同様にべニヤミン族から逃れるよう見せかけ、べニヤミン族を『町からおびき出』します。この時にユダヤ人は本当の意味で逃げたわけでなく、単にべニヤミン族をおびき出そうとしただけでした。しかし、この際には『約三十人』のユダヤ人が犠牲となってしまいました。こうしておびき出されて町から離れたべニヤミン族を、『アマレ・ゲバ』に隠れていた伏兵たちが奇襲したので、べニヤミン族は不意打ちを食らって滅ぼされてしまいました。この時には主がユダヤ人に味方しておられました。ですから、ユダヤ人はべニヤミン族に打ち勝つことができたのです。いつの時代であれ、どこの場所であれ、どのような人であれ、最後に勝つのはいつも主が味方しておられる側のほうです。この時にべニヤミン族が打ち負かされたのは当然でした。何故なら、彼らは悪を行なっていたので裁かれるべき状態にあったのですから。

【20:36~48】
『ベニヤミン族は、自分たちが打ち負かされたのを見た。イスラエル人がベニヤミンの前から退却したのは、ギブアに対して伏せていた伏兵を信頼したからであった。伏兵は急ぎギブアに突入した。伏兵はその勢いに乗って、町中を剣の刃で打ちまくった。イスラエル人と伏兵との間には、合図が決めてあって、町からのろしが上げられたら、イスラエル人は引き返して戦うようになっていた。ベニヤミンは、約三十人のイスラエルを打ち殺し始めた。「彼らは、きっと最初の戦いのときのように、われわれに打ち負かされるに違いない。」と思ったのである。そのころ、のろしが煙の柱となって町から上り始めた。ベニヤミンは、うしろを振り向いた。見よ。町全体から煙が上っていた。そこへ、イスラエル人が引き返して来たので、ベニヤミン人は、わざわいが自分たちに迫っているのを見て、うろたえた。それで、彼らはイスラエル人の間から荒野のほうへ向かったが、戦いは彼らに追い迫り、町々から出て来た者も合流して、彼らを殺した。イスラエル人はベニヤミンを包囲して追いつめ、ヌアから東のほうギブアの向こう側まで踏みにじった。こうして、一万八千人のベニヤミンが倒れた。これらの町はみな、力ある者たちであった。また残りの者は荒野のほうに向かってリモンの岩に逃げたが、イスラエル人は、大路でそのうちの五千人を打ち取り、なお残りをギデオムまで追跡して、そのうちの二千人を打ち殺した。こうして、その日ベニヤミンの中で倒れた者はみなで二万五千人、剣を使う力ある者たちであった。それでも、六百人の者は荒野のほうに向かってリモンの岩に逃げ、四か月間、リモンの岩にいた。イスラエル人は、ベニヤミン族のところへ引き返し、無傷のままだった町をはじめ、家畜、見つかったものすべてを剣の刃で打ち、また見つかったすべての町々に火を放った。』
 この箇所では戦いの詳細が記されています。ベニヤミン族は苦境に立たされると、大いに狼狽します。これまでの2回の戦いでは良い調子だったのに、今度は最悪の事態に陥ったからです。こうしてベニヤミン族の戦士はそのほとんどが滅ぼされました。こうなったのは全てベニヤミン族に原因がありました。すなわち、悪いベニヤミン人がレビ人のそばめを殺し、ベニヤミン族の全体が正義の実現を拒んだからこそ、このような悲惨が降りかかったのです。この時にユダヤ人がベニヤミン族から逃げたのは単なる作戦でした。それはユダヤ人が『ギブアに対して伏せていた伏兵を信頼したから』です。逃げるふりをしてベニヤミン族をおびき出せば、伏せていた伏兵たちがベニヤミン族の出て行ったギブアを急襲できるうえ、ベニヤミン族を両側から挟み撃ち出来るのです。ベニヤミン族は約30人のユダヤ人を殺した際、『彼らは、きっと最初の戦いのときのように、われわれに打ち負かされるに違いない。』と思いました。しかし、この思い違いが彼らを滅びに至らせました。神は、このように3回目で致命的な思い違いをさせるため、これまで2回の戦いでベニヤミン族に好い目を見させておかれたのです。ですから、先の2回の戦いでユダヤ人が大きな損害を被ったのは実のところ無駄なことではなかったのです。この戦いで、ユダヤ人はまず『一万八千人』を殺し、次に『五千人』を殺し、最後に『二千人』を殺しました。総計2万5000人の死者数ですが、これはユダヤ人に生じた4万人もの死者数よりも少ない数です。このようにユダヤ人のほうが大きな被害を受けたものの、戦いに勝利したのはユダヤ人のほうでした。このようになるのは別にそれほど珍しくありません。第二次世界大戦でも勝利したのは連合国軍でしたが、連合国軍のほうが枢軸国側よりも多くの死者を出しました。日露戦争でも勝利した日本のほうが敗北したロシアよりも多くの死者を出しました。ベニヤミン族のうち『六百人の者』は生きたままリモンの岩に逃げ、そこで4か月ほど生き延びていました。しかし、4か月後にはどうなったのでしょうか。ユダヤ人に投降したのでしょうか、自殺や餓死などにより死んだのでしょうか、ユダヤ人に見つけられて殺されたのでしょうか。後の箇所で書かれている通り、彼らはユダヤ人の和解勧告により生き続けることとなりました(士師記21:13~14)。2万5000人のベニヤミン人を殺したユダヤ人は、それからべニヤミン族の相続地を容赦なく滅ぼし、そこを火で焼き尽くしました(48節)。これは悪の行なわれたべニヤミン族の相続地を浄化する意味があったと考えられます。ちょうど泥で汚れてしまった何かの道具を綺麗に洗うようなものです。

 このようにイスラエル人に敵対したベニヤミン族は滅ぼされましたが、この世界において悪者はベニヤミン族のように滅ぼされるものです。それは裁かれる正義の神がこの世界におられるからです。もしベニヤミン族がイスラエル人の求めに応じてあの腐敗者どもを引き渡していれば、滅ぼされることもありませんでした。

【21:1~4】
『イスラエル人はミツパで、「私たちはだれも、娘をベニヤミンにとつがせない。」と言って誓っていた。そこで、民はベテルに来て、そこで夕方まで神の前にすわり、声をあげて激しく泣いた。そして、彼らは言った。「イスラエルの神、主よ。なぜイスラエルにこのようなことが起こって、きょう、イスラエルから一つの部族が欠けるようになったのですか。」翌日になって、民は朝早く、そこに一つの祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。』
 今見たような大事件がべニヤミン族により引き起こされたので、ユダヤ人は自分の娘をベニヤミン族の男に嫁がせないと固く誓いました。これはベニヤミン族がもはや異邦人も同然に見做されていたことを示しています。ユダヤ人はもし自分たちの娘をベニヤミン族の男に嫁がせれば、娘を汚れた異邦人に嫁がせた場合と同様、宗教的・道徳的に退廃させてしまうと感じたのです。しかし、ユダヤ人の息子がベニヤミン族の女を娶ることまでは拒絶されませんでした。この場合、ベニヤミン族の女はユダヤ人の息子と結婚することで、もはやベニヤミン族ではなくなります。例えば、ベニヤミン族の女がユダ族の男と結婚すれば、その女はユダ族の一員となります。こうであれば問題はありませんでした。

 ユダヤ人は聖所のあるベテルに行き、神の御前で泣き悲しみ、生贄を神に捧げました。これは前代未聞の恐るべき事件が起こったからです。この時に起きた出来事は、日本で例えるならば突如として四国が海底に沈んで消失してしまうようなものです。日本人のうち誰がこの出来事に嘆かないでいられるでしょうか。

【21:5】
『そこで、イスラエルの人々は、「イスラエルの全部族のうちで、主のところの集まりに上って来なかった者はだれか。」と言った。彼らがミツパの主のところに上って来なかった者について、「その者は必ず殺されなければならない。」と言って、重い誓いを立てていたからである。』
 ユダヤ人はミツパに上って来なかったユダヤ人を必ず殺さなければいけないと固く誓っていました。この誓いを行き過ぎだと思ってはなりません。この時には実に重大な事件が起きたのですから、その事件のためミツパに上がって来ないユダヤ人は、イスラエル社会のことなど別にどうでもいいと思っているのです。このような極度の無関心を持つユダヤ人はイスラエルにいる資格がありません。ですから、ミツパに来ようとしないユダヤ人は滅ぼされ、イスラエル社会から断ち切られなければならないのです。ところで、『ミツパの主のところに上って来なかった者』とは具体的にどのような者を指すのでしょうか。これは部族また氏族のうち1人さえもミツパに出席者を送り出さなかった集団です。つまり、この時には、それぞれの集団が全ての構成員をミツパに送らなければいけないというわけではありませんでした。その集団から1人でもミツパに送れば問題はありませんでした。もし集団の全ての構成員と共にミツパに行かなければいけないとすれば、それは非常に難しい話だったはずです。

【21:6~7】
『イスラエル人は、その兄弟ベニヤミンのことで悔やんだ。それで言った。「きょう、イスラエルから、一つの部族が切り捨てられた。あの残った者たちに妻をめとらせるにはどうすればよいだろうか。私たちは主にかけて、彼らに娘をとつがせないと誓ったのだ。」』
 こうしてユダヤ人たちは、ベニヤミンが滅ぼされたことで、大いに嘆きました。べニヤミン族の滅びはベニヤミン族自身に原因があったものの、それでもユダヤの一部族が切り捨てられるのは実に悲しむべきことだからです。ヤコブの子らがイスラエルのうちから1人でも消え去っていいはずはありません。またユダヤ人は、まだ生き残っていた僅かなべニヤミン族の存続について悩まされました。べニヤミン族がユダヤから絶えてはなりませんから、生き残ったべニヤミン族は必ず子孫を持つべきです。しかし、ユダヤ人はもう自分たちの娘をべニヤミン族には娶らせないと固く誓っていたのです。

【21:8~12】
『ついで、彼らは言った。「イスラエルの部族のうちで、どこの者がミツパの主のところに上って来なかったのか。」見ると、ヤベシュ・ギルアデからは、ひとりも陣営に、その集まりに、出ていなかった。民は点呼したが、ヤベシュ・ギルアデの住民はひとりもそこにいなかった。会衆は、一万二千人の勇士をそこに送り、彼らに命じて言った。「行って、ヤベシュ・ギルアデの住民を、剣の刃で打て。女や子どもも。あなたがたは、こうしなければならない。男はみな、そして男と寝たことのある女はみな、聖絶しなければならない。」こうして、彼らはヤベシュ・ギルアデの住民のうちから、男と寝たことがなく、男を知らない若い処女四百人を見つけ出した。彼らは、この女たちをカナンの地にあるシロの陣営に連れて来た。』
 ユダヤ人がこのような時でさえ集まろうとしないほどユダヤのことで無関心な不届き者がいるかどうか点呼したところ、『ヤベシュ・ギルアデの住民はひとりもそこにいなかった』ので、彼らは未婚の若い処女を除いてことごとく滅ぼされてしまいました。この『ヤベシュ・ギルアデ』はスコテとペヌエルから20kmほど北に離れており、ヨルダン川の近くにあります。この時に彼らが一人さえもミツパに参加者を遣わさなかったのは、ユダヤに対する極度の無関心を証明していました。ですから、彼らはユダヤ人でありながら情けをかけられることもなく滅ぼされてしまいました。彼らはマナセの半部族であり、ギルアデ人です。彼らがこのように滅ぼされたのは当然でした。何故なら、ヤベシュ・ギルアデの人々にもミツパに上がって来ないユダヤ人は滅ぼされるという誓いが伝えられていたはずだからです。彼らがこの誓いを知らなかったはずはありません。彼らはその誓いを知りながらミツパでの集まりに1人も遣わさなかったのですから、誓われた通りに滅ぼされても自業自得なのです。この時にヤベシュ・ギルアデの人々を滅ぼすため動員された『一万二千人の勇士』は、「1万2000」すなわち「12かける1000」ですから、ユダヤ人の中から選び抜かれた精鋭部隊だったことを示しています。また、この勇士の数が、ヤベシュ・ギルアデの人々を全て滅ぼすために十分な数だったことは間違いありません。

【21:13~14】
『それから、全会衆は、リモンの岩にいるベニヤミン族に使いをやり、彼らに和解を呼びかけたが、そのとき、べニヤミンは引き返して来たので、ヤベシュ・ギルアデの女のうちから生かしておいた女たちを彼らに与えた。しかし、彼らには足りなかった。』
 戦いが終わって4か月後になると、ユダヤ人はリモンの岩に逃げていたベニヤミン族に和解を勧告しました。この和解にべニヤミン族は応じ、『引き返して来』ました。どこに引き返したかと言えば、それはユダヤ人の陣営にです。このようにユダヤ人はベニヤミン族を見つけて滅ぼしたりしませんでした。むしろ、ユダヤ人はベニヤミン族を生かそうとしました。何故なら、どうしてヤコブの子がイスラエル共同体から消え去っていいのでしょうか。べニヤミン族もヤコブの子の一人ですから、イスラエル共同体にずっと居続けるべきなのです。

 ユダヤ人はベニヤミン族を存続させるべく、先にヤベシュ・ギルアデで生かしておいた400人の若い処女を、べニヤミン族に嫁がせました。ユダヤ人は誓いのため自分たちの娘をベニヤミン族に嫁がせられませんでしたが、ヤベシュ・ギルアデの処女であれば問題ありませんでした。何故なら、ヤベシュ・ギルアデのユダヤ人はミツパに上って来なかったので、他の全てのユダヤ人とは違い、自分の娘をベニヤミン族に嫁がせないなどと誓ってはいなかったからです(士師記21:1)。こうしてべニヤミン族にマナセ族の処女が与えられましたが、女のほうが200人ほど足りませんでした。生き残ったべニヤミン族が600人だったのに対し(士師記20:47)、ヤベシュ・ギルアデで生かされた若い処女たちは400人しかいなかったからです(士師記21:12)。あとの200人をどうすればいいのか。ここにおいて再び問題が生じることとなりました。

【21:15】
『民はべニヤミンのことで悔やんでいた。主がイスラエルの部族の間を裂かれたからである。』
 ベニヤミン族がイスラエル共同体から裂かれたこの出来事は、神の働きかけにより起こりました。偶然このようになったわけではありません。この事件は最初も、途中も、そして最後に至るまで神の御計画により起きた出来事でした。それはこう書かれている通りです。『すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至る』(ローマ11章36節)。この出来事は誠に痛ましかったので、当然ながらユダヤ人たちは嘆かざるを得ませんでした。ユダヤ人は、もし可能であれば、このような悲惨など見たくなかったはずです。これは間違いありません。しかし、この世ではこういった悲惨な出来事が起きてしまうのです。日本も、決して望んでいなかったのに、原爆を2つの都市に落とされました。歴史および今の世界を見ても分かる通り、悲惨な出来事はどうしても起きてしまうのであり、それは神の御心により起こるわけですから、その発生を私たちが食い止めることはできません。そして、起きたならばこの時のユダヤ人のように人は嘆くのです。