【申命記1:1~2:37】(2022/02/06)


 『申命記』は民数記からの続きです。この巻では、カナン侵攻を前にしたイスラエル人に対し諸々の律法が命じられています。先の巻で書かれていたのは主に祭儀律法でしたが、こちらのほうでは道徳的な律法が多くを占めています。祭儀律法はキリストの到来により廃止されましたが、道徳律法は今でも聖徒の規範として有効です(律法の第三効用)。それゆえ、この申命記に書かれている律法を学ぶのは、私たちにとって大きな意味と益があります。この巻で書かれている出来事そのものは紀元前1300年頃に起こりました。しかし、この巻が正式な文書として纏められたのはそれから数百年後のことです。

【1:1~6】
『これは、モーセがヨルダンの向こうの地、パランと、トフェル、ラバン、ハツェロテ、ディ・ザハブとの間の、スフの前にあるアラバの荒野で、イスラエルのすべての民に告げたことばである。ホレブから、セイル山を経てカデシュ・バルネアに至るのには十一日かかる。第四十年の第十一月の一日にモーセは、主がイスラエル人のために彼に命じられたことを、ことごとく彼らに告げた。モーセが、ヘシュボンに住んでいたエモリ人の王シホン、およびアシュタロテに住んでいたバシャンの王オグをエデレイで打ち破って後のことである。ヨルダンの向こうの地、モアブの地で、モーセは、このみおしえを説明し始めて言った。私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。』
 間もなくカナン侵攻が行なわれようとしている中にあって、モーセはモアブの地で神から告げられたことをことごとく民に知らせます。このように神は、ユダヤ人がカナンへと入る前に予め戒めを知らせておかれました。これはユダヤ人がカナンに入る前から神の戒めを守り、カナンに入ってからも守るようにするためでした。この箇所で書かれている『アラバの荒野』とは死海の付近に広がる荒野です。『ホレブ』はモーセが神から十の戒めを受けた山です。『カデシュ・バルネア』はシナイ半島のツィンの荒野にある場所であり、モーセはこの場所からユダヤ人の族長たちをカナン偵察へ遣わしました(民数記32:8)。『ヘシュボン』はエモリ人の国の首都です。『アシュタロテ』はバシャンの国の首都です。

【1:6~8】
『「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、主があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」』
 神は約40年前、ホレブに留まっていたユダヤ人がそこから旅立ってカナンの地、北の方面に向かうよう命じられました。それはユダヤ人がカナンの地を占領するためでした。この時はまだ長い放浪の裁きが決まっていませんでした。ですから、この時はまだユダヤ人の未来は明るくて良かったのです。しかし、もう間もなくすると、私たちが既に見た通り、大変なことになりました。神は約束の地を与えると前から誓っておられたのですから、ユダヤ人がそのまま臆せず進めば、必ずその地を占領できていました。しかしユダヤ人はそこを得ようとしませんでしたから、そこを獲得できませんでした。これはもう全く自業自得でした。

【1:9~18】
『私はあの時、あなたがたにこう言った。「私だけではあなたがたの重荷を負うことはできない。あなたがたの神、主が、あなたがたをふやされたので、見よ、あなたがたは、きょう、空の星のように多い。―どうかあなたがたの父祖の神、主が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように。―私ひとりで、どうして、あなたがたのもめごとと重荷と争いを背負いきれよう。あなたがたは、部族ごとに、知恵があり、悟りがあり、経験のある人々を出しなさい。彼らを、あなたがたのかしらとして立てよう。」すると、あなたがたは私に答えて、「あなたが、しようと言われることは良い。」と言った。そこで私は、あなたがたの部族のかしらで、知恵があり、経験のある者たちを取り、彼らをあたがたの上に置き、かしらとした。千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長、また、あなたがたの部族のつかさである。またそのとき、私はあなたがたのさばきつかさたちに命じて言った。「あなたがたの身内の者たちの間の事をよく聞きなさい。ある人と身内の者たちとの間、また在留異国人との間を正しくさばきなさい。さばきをするとき、人をかたよって見てはならない。身分の低い人にも高い人にもみな、同じように聞かなければならない。人を恐れてはならない。さばきは神のものである。あなたがたにとってむずかしすぎる事は、私のところに持って来なさい。私がそれを聞こう。」私はまた、そのとき、あなたがたのなすべきすべてのことを命じた。』
 神がかつてアブラハムに約束された通り、この時のユダヤ人は『空の星のように』数多い民族となっていました(創世記15:5)。モーセは既に多くなっていたユダヤ人が更に多くなるように、すなわち『今の千倍に』なるように、願いました。これはユダヤ人が更に増えれば、アブラハムの子孫を増やすという神の約束がより確かになるからであり、また恐らく神の民の人数的な栄えは神の誉れになるからでした。そして、モーセはユダヤ人が神から祝福されるようにとも願います。そのようになるのが神の約束だったからです。しかし、ユダヤ人はあまりにも増えていたので、増殖したこと自体に何も問題はなかったものの、モーセ一人ではイスラエル人全体の裁きを負いきれない状況が生じていました。このためモーセは自分の代わりにイスラエル人の裁きを行わせるべく、『千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長』を裁判者として立てるようにさせました。これは神がモーセの義理の父であるイテロを通して命じられたことであり(出エジプト記18章)、イスラエル人がこの提案に賛同したので(14節)、すぐにもモーセの代行者としての裁判者が多く立てられることになりました。そこまで大きくない問題事はこれらの代行者たちが裁きました(出エジプト記18:25~26)。難解な問題事はモーセのもとに持って来られ(前同)、モーセが自分自身でそれを裁けるならば裁き、モーセでさえ裁きかねるほどに難解であればモーセが神のもとにその問題事を持って行きました。このようにしてイスラエル共同体の統治体制・裁判形式が確立されたのでした。

 16~17節目で言われている通り、裁きは全て完全な公正さをもって行なわれねばなりません。これは既にこれまでの箇所で言われていたことでもあります(出エジプト記23:6~8、レビ記19:15)。これは、いつの時代であれ、どこの場所であれ、守られるべき普遍的な事柄です。もし裁きを曲げるのであれば、その人は悪を行なったのですから、神の裁きを受けることになるでしょう。すなわち、裁きを曲げたためやがて悲惨な状態になったり、将来自分が裁判にかけられた際、かつて自分がしたのと同じようにして裁きを曲げる人物が現われたりします。神はそのようにしてその者を裁かれるのです。

【1:19~25】
『私たちの神、主が、私たちに命じられたとおりに、私たちはホレブを旅立ち、あなたがたが見た、あの大きな恐ろしい荒野を、エモリ人の山地への道をとって進み、カデシュ・バルネアまで来た。そのとき、私はあなたがたに言った。「あなたがたは、私たちの神、主が私たちに与えようとされるエモリ人の山地に来た。見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」すると、あなたがた全部が、私に近寄って来て、「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、はいって行く町々について、報告を持ち帰らせよう。」と言った。私にとってこのことは良いと思われたので、私は各部族からひとりずつ、十二人をあなたがたの中から取った。彼らは山地に向かって登って行き、エシュコルの谷まで行き、そこを探り、また、その地のくだものを手に入れ、私たちのもとに持って下って来た。そして報告をもたらし、「私たちの神、主が、私たちに与えようとしておられる地は良い地です。」と言った。』
 カデシュ・バルネアまで来たイスラエル人に対しモーセはカナン侵攻を指示しましたが、イスラエル人はまずカナンを調査すべきだと提案しました。この提案は全く民衆から出たものです。神とモーセからは出ていません。神とモーセはただ侵攻せよと命じただけだからです。しかし、この提案はモーセにとって良いと思われました。侵攻の前に偵察をするのは思慮だからです。箴言10:21の箇所では『愚か者は思慮がないために死ぬ。』と書かれています。このため、モーセはまずユダヤの族長たちを偵察のためカナンへ遣わすことにしました。偵察から帰って来たユダヤ人は、カナンの地について良い報告をします。その報告通り、確かにその地は本当に『良い地』でした。カナンは『乳と蜜の流れる地』と表現されるに相応しい甘美な場所です。今現在のこの地を見ても、そこは自然が豊かであり、住むのに適した場所であることが分かります。日本で言えば、私としては三島に似ていると感じられます。風景に視覚的な心地良さがあるという点で一致しているからです。

【1:26~28】
『しかし、あなたがたは登って行こうとせず、あなたがたの神、主の命令に逆らった。そしてあなたがたの天幕の中でつぶやいて言った。「主は私たちを憎んでおられるので、私たちをエジプトの地から連れ出してエモリ人の手に渡し、私たちを根絶やしにしようとしておられる。私たちはどこへ上って行くのか。私たちの身内の者たちは、『その民は私たちよりも大きくて背が高い。町町は大きく城壁は高く天にそびえている。しかも、そこでアナク人を見た。』と言って、私たちの心をくじいた。」』
 ユダヤ人が偵察をしに行ったこと自体は何も問題なく、それは良いことでした。何故なら、偵察という行ないは不信仰や反逆心に基づいていなかったからです。もし偵察をすれば偵察をしなかった場合よりも、より良い征服ができるようになるのは目に見えています。そうすれば、より神の御心に適ったカナン侵攻をすることができます。ところが、偵察に行ったユダヤ人たちはカナンの地に強力な民族がいると言って不安を煽り、民衆が侵攻に尻込みするよう働きかけました。もしカナンに侵攻すれば間違いなくそこにいるアナク人などの猛者に滅ぼされるであろう、と言うのです。このため、ユダヤ人の民衆の間では、もしカナン侵攻をすればユダヤの民が全滅するということになりました。そして、そのような猛者のいるカナンに連れ出したヤハウェ神はユダヤ人を憎んでいると勝手に結論されました。一体何なのでしょうか、これは。気が狂っていたとしか言いようがありません。彼らはカナン人のことで頭が一杯になり、全能の神とその約束を蔑ろにしたからです。この悲劇について私たちは民数記13章、14章の箇所で詳細を見ておきました。

【1:29~33】
『それで、私はあなたがたに言った。「おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主が、エジプトにおいて、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったそのとおりに、あなたがたのために戦われるのだ。また、荒野では、あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。このようなことによってもまだ、あなたがたはあなたがたの神、主を信じていない。主は、あなたがたが宿営する場所を捜すため、道中あなたがたの先に立って行かれ、夜は火のうち、昼は雲のうちにあって、あなたがたの進んで行く道を示されるのだ。」』
 神に反逆した臆病なユダヤ人たちでしたが、モーセは彼らを戒めるかのようにして、彼らが自分たちの神に信頼するよう語りかけました。神はエジプトでユダヤ人のために大いなる働きかけをして下さったように、この度の侵攻でもユダヤ人に対し大いに働きかけて下さるはずでした(30節)。また荒野で神は親が子を養い育てるかのようにして、ずっとユダヤ人と共に歩んでおられました(31節)。しかも、その荒野で神は大いなる柱によりユダヤ人たちを目に見える形で統率しておられました(33節)。このようなことを考えれば、たとえ強力な猛者がカナンにいたとしても、偉大な神のゆえに侵攻をするのは全く問題ないことが分かります。ユダヤ人たちに働きかけておられた神がカナン人を蹴散らして下さることは明らかだったからです。それにもかかわらず、ユダヤ人は神とその御力を信じていませんでした。つまり、彼らはカナン人の齎す恐怖のことしか考えておらず、神のことなどどうでもよくなっていたのです。

【1:34~40】
『主は、あなたがたの不平を言う声を聞いて怒り、誓って言われた。「この悪い世代のこれらの者のうちには、わたしが、あなたがたの先祖たちに与えると誓ったあの良い地を見る者は、ひとりもいない。ただエフネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。」主はあなたがたのために、この私に対しても怒って言われた。「あなたも、そこに、はいれない。あなたに仕えているヌンの子ヨシュアが、そこに、はいるのだ。彼を力づけよ。彼がそこをイスラエルに受け継がせるからだ。あなたがたが、略奪されるだろうと言ったあなたがたの幼子たち、今はまだ善悪のわきまえのないあなたがたの子どもたちが、そこに、はいる。わたしは彼らにそこを与えよう。彼らはそれを所有するようになる。あなたがたは向きを変え、葦の海への道を荒野に向かって旅立て。」』
 神は臆病で反逆的なユダヤ人に激怒されたので、その時に20歳以上だった全てのユダヤ人を、カレブとヨシュアを除き、裁きとしてカナンに入れないようにされました。これはその時のユダヤ人が神の御心に真っ向から逆らったからでした。彼らが侵攻に尻込みしたのは、彼らの本質的な不信仰が如実に現われたことでした。もしこの時にしっかり侵攻をしていれば、たとえそれまでに反逆的であったにしても、神は彼らをカナンに入れて下さっておられました。ところが、この時の罪は、それまでの反逆が実を結んだ言わば反抗の象徴としての罪でした。これはユダヤ人が根本的に不敬虔であることを示す致命的な罪でしたから、神はこの罪により、彼らからカナンを取り上げられたのでした。これは正に自業自得でした。しかし、その時に20歳以下だったユダヤ人は、約40年後にカナンに入ることができます。若いユダヤ人たちはイスラエルの人口名簿に登録されていなかったので、罪の責任を負わされなかったからです。もし彼らまでカナンに入れないとすれば、ユダヤ人は誰一人としてカナンに入れなくなります。神の約束は絶対に実現されねばなりませんから、神は20歳以下のユダヤ人たちからはカナンを取り上げられませんでした。こうして神の約束は、約40年後に次の世代において成就することとなります。これから神は、ユダヤ人たちが引き続き旅をするように命じられます。もうカナンには入れなくなりましたが旅を続けるのです。つまり、この旅は裁きとしての放浪です。40節目で『葦の海』と言われているのは紅海です。

【1:41~46】
『すると、あなたがたは私に答えて言った。「私たちは主に向かって罪を犯した。私たちの神、主が命じられたとおりに、私たちは上って行って、戦おう。」そして、おのおの武具を身に帯びて、向こう見ずに山地に登って行こうとした。それで主は私に言われた。「彼らに言え。『上ってはならない。戦ってはならない。わたしがあなたがたのうちにはいないからだ。あなたがたは敵に打ち負かされてはならない。』」私が、あなたがたにこう告げたのに、あなたがたは聞き従わず、主の命令に逆らい、不遜にも山地に登って行った。すると、その山地に住んでいたエモリ人が出て来て、あなたがたを迎え撃ち、蜂が負うようにあなたがたを追いかけ、あなたがたをセイルのホルマにまで追い散らした。あなたがたは帰って来て、主の前で泣いた。主はあなたがたの声を聞き入れず、あなたがたに耳を傾けられなかった。こうしてあなたがたは、あなたがたがとどまった期間だけの長い間カデシュにとどまった。』
 神の恐るべき裁きを宣告されたユダヤ人は恐れ、悪いことをしたと思ったので、気を取り直して侵攻に挑戦しようとしました。ところがその侵攻は全く上手に行きませんでした。神が罪を犯した彼らと共にいて下さらなかったからです。彼らは侵攻に尻込みするという決定的な罪を犯しました。これは彼らが根本的に神を信じていないという証拠・果実としての罪でした。ですから、あの時に尻込みした時点で全てがアウトだったのです。神は、そのようなユダヤ人たちと共に戦って下さいません。実際、裁きを宣告されてからユダヤ人が気を変えて侵攻しようとしたり泣き喚いたりしたのは、神への愛、服従の精神、敬虔な態度に基づいていたのではありません。確かに侵攻を行なおうとしたり泣いたりした彼らは悔い改めたかのようにも見えましたが、その心が神に回心していないということは全く変わっていませんでした。彼らがやり直そうとしたり悲しんだりしたのは、ただ神の裁きに恐怖を抱いたからに過ぎません。もし神が彼らに裁きを宣告されなければ、ユダヤ人は恐れを持たなかったでしょうから、神の命令通りに侵攻をするようなこともなかったでしょう。これは、ちょうどいつも反抗ばかりしている家畜が、主人が恐ろしい懲らしめの鞭を持ってやって来た時だけ、従順になったかのように命令に服従するようなものです。その家畜が主人に忠実であるということは全くなく、ただ鞭を恐れて一時的に服従しているだけなのです。このようにユダヤ人は「占領できるから行け。」と言われた時には行かず、「もう占領できないから行くな。」と言われた時には行きました。これは何という愚かさでしょうか。これだから彼らは『うなじのこわい民』と呼ばれてしまったのです。イギリス人も言われたことや常識が命じることと逆の行ないをしたがる傾向を持っていますが(ブレグジットが良い例です)、この時のユダヤ人とはまた違っています。何故なら、ユダヤ人は本質的な反逆性を持っていたのに対し、イギリス人はただオリジナルでユニークな行ないを好むだけであって、神に対しては従順な傾向を持つ民族だからです(だからこそ神はイギリスを大いに祝福されたわけです)。このようにしてユダヤ人は再度のカナン侵攻という無謀な挑戦をしましたが、やはり結果は駄目であり、敵から排撃されてしまいます。神が共におられないのにどうして敵に打ち勝てるでしょうか。ありえないことです。こうして彼らは自分たちの不信仰に対する当然の報いを受けました。

 絶対に罪を犯してはいけない瞬間があります。それは、もし罪を犯せば二度とやり直しがきかなくなる瞬間です。この時にユダヤ人の犯した罪が正にそれでした。エサウが長子権をヤコブに渡したのもそうです。アダムとエバが善悪の知識の木の実を食べたのもそうです。このような罪を万が一にも犯してはなりません。もし犯せばそこで全てが終わるからです。というのも、それはその人が根本的に不信仰であったり不敬虔であったりすることを象徴する証拠物として現われた罪だからです。しかし、罪は多くの場合、犯してもやり直しができる罪です。例えば、ペテロがキリストを否んだのはやり直しがききました。ダビデがバテ・シェバの件で犯した罪も大きな罪ではあったものの、やり直しができました。テオドシウス帝が怒りに駆られて7000人のテサロニケ人を虐殺した罪も同様です。何故なら、この3人は心底では神に服従する態度を持っていたのであり、ただその身体に住みつく罪の発露として不本意ながら罪を犯したに過ぎなかったからです。

【2:1~6】
『それから、私たちは向きを変え、主が私に告げられたように、葦の海への道を荒野に向かって旅立って、その後、長らくセイル山のまわりを回っていた。主は私にこう仰せられた。「あなたがたは長らくこの山のまわりを回っていたが、北のほうに向かって行け。民に命じてこう言え。あなたがたは、セイルに住んでいるエサウの子孫、あなたがたの同族の領土内を通ろうとしている。彼らはあなたがたを恐れるであろう。あなたがたは、十分に注意せよ。彼らに争いをしかけてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほども、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイル山を彼の所有地として与えたからである。食物は、彼らから金で買って食べ、水もまた、彼らから金で買って飲まなければならない。』
 放浪の旅をせねばならなくなったユダヤ人は、エドム人の住まいである『セイル山のまわりを回っていた』のですが、これは彼らの苦悩を示しているのかもしれません。人間は悩んだり苦しんだりすると、目的地もなくウロウロして彷徨うものだからです。この時のユダヤ人に悲しいムードが漂っていたのは間違いありません。神は、ユダヤ人がエドム人と問題事を起こさないよう注意します。食物と飲物はしっかりとお金でエドム人から買わねばなりません。エドムの地を侵略することは禁じられました。その地は、地球の所有者であられる神がエドム人に貸し与えておられたからです。この命令をユダヤ人は守り通しました。もし彼らがカナン侵攻に尻込みした上、更にエドムを侵略するという愚まで犯していたとすれば、彼らは悪魔も同然だったことになります。または獣以下と言われねばならなかったでしょう。何故なら、獣が人間の住まいに来ないことから分かる通り、獣でさえ他者の領域に侵害しないことを弁えているというのに、ユダヤ人は他社の領域を侵害しているからです。幸いなことにユダヤ人は悪魔にも獣以下にもなることがありませんでした。神が彼らに抑制の恵みを与えておられたからです。4節目でエドム人がユダヤ人の『同族』と言われているのは、エドム人の先祖であるエサウがユダヤ人の先祖であるヤコブの兄弟だったからです。

 このように神は、エドム人という聖徒たちの敵対者・神に対する反逆者たちにも固有の領土を与え、良くしておられました。ですから、たとえユダヤ人であってもエドムの地を侵害することは許されませんでした。神は御自分の敵にさえ慈しみ深くあられるのです。これはキリストも言っておられることです(ルカ6:35、マタイ5:45)。ですから、聖徒である者もそのようにせねばなりません。何故なら、聖徒たちとは神に倣うべき存在だからです。

【2:7】
『事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。あなたの神、主は、この四十年の間あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けたものはなかった。」』
 40年の放浪は反逆の罪とそれに対する神の裁きにより齎されたものでしたが、しかし、その放浪の中には神の『祝福』もありました。その『祝福』はユダヤ人の『したすべてのこと』に注がれていました。それは、マナを集める日々の労働から為さねばならない雑事に至るまで、あらゆる事柄でした。神は40年もの間、ずっとそのような祝福を彼らに与えておられました。そのため、ユダヤ人は生きて行く上で何一つ困りませんでした。『あなたは、何一つ欠けたものはなかった。』と言われている通りです。この時に注がれていた神の祝福はそれを注いでおられた神と共に賛美されねばなりません。もし神が彼らを祝福されなければ、彼らは絶望的な困窮に悩まされていたでしょう。何もないあの荒野で40年も100万人以上いるユダヤ人が生きていたというのは、正に神の大いなる奇跡です。私が何か誇張したことを言っていると思われないため、読者はシナイの荒野の写真をネットで見てみたらよいでしょう。そうすれば私が本当のことを言っていると分かるはずですから。このように荒野でユダヤ人を養っておられた神が崇められますように。アーメン。なお、ここで書かれている『四十年』という年数における「40」は十分であることを示す象徴数であるということを忘れてはなりません。しかし、これは象徴数でありながら実際の年月でもあります。また、この「40」は「42」と数字が2しか違っていないからといって、「42」と同じ意味もしくは似た意味であると考えないようにせねばなりません。「42」は「40」とは逆の意味であり、<短いもしくは少ない>ことを示す象徴数だからです。

【2:8】
『それで私たちは、セイルに住むエサウの子孫である私たちの同族から離れ、アラバへの道から離れ、エラテからも、またエツヨン・ゲベルからも離れて進んで行った。そして、私たちはモアブの荒野への道を進んで行った。』
 こうしてユダヤ人はエドム人の住むセイルから離れ、モアブのほう、北の方角に向かって進んで行きます。それは、やがてカナンの地に北また東の方角から侵入するためです。『アラバ』という場所は先に見た通りです。『エラテ』また『エツヨン・ゲベル』とは、シナイ半島の右の付け根の付近に広がる場所です。『モアブ』はエドムのすぐ北側に広がるモアブ人の領地です。

【2:9~12】
『主は私に仰せられた。「モアブに敵対してはならない。彼らに戦いをしかけてはならない。あなたには、その土地を所有地としては与えない。わたしはロトの子孫にアルを所有地として与えたからである。―そこには以前、エミム人が住んでいた。強大な民で、数も多く、彼らもレファイムであるとみなされていたが、モアブ人は彼らをエミム人と呼んでいた。ホリ人は、以前セイルに住んでいたが、エサウの子孫がこれを追い払い、これを根絶やしにして、彼らに代わって住んでいた。ちょうど、イスラエルが主の下さった所有の地に対してしたようにである。―』
 ユダヤ人の行く先にはモアブの地がありましたが、神はこのモアブ人を襲ってはならないと命じられます。モアブ人は堕落していたとはいえ、義人ロトの子孫すなわちユダヤ人の甥にあたる民族なのですから、神はそのようなモアブ人をユダヤ人が支配したり滅ぼしたりしないようにされました。もしモアブ人がロトの子孫でなく、ユダヤ人と何の関係もなければ、モアブ人がどうなっていたかは分かりません。『アル』という場所はモアブの中央部分からやや北に離れた場所であり、これはモアブの首都ではありません(モアブの首都はキル・モアブ)。モアブはかつて『エミム人』という強者の住まう地でしたが、恐らくモアブ人が彼らをそこから追い払ったと思われます。このエミム人は『レファイム』と呼ばれる民族の一つでしたが、『レファイム』とはアブラハムの時代から滅びに定められていた民族です(創世記15:20)。セイルはかつて『ホリ人』の住まいでしたが、エサウの子孫であるエドム人がこの民族を滅ぼしてそこに住みつきました。神が、エドム人のためにホリ人をそこから駆逐して下さったのです。

【2:13~15】
『今、立ってゼレデ川を渡れ。」そこで私たちはゼレデ川を渡った。カデシュ・バルネアを出てからゼレデ川を渡るまでの期間は三十八年であった。それまでに、その世代の戦士たちはみな、宿営のうちから絶えてしまった。主が彼らについて誓われたとおりであった。まことに主の御手が彼らに下り、彼らをかき乱し、宿営のうちから絶やされた。』
 『ゼレデ川』とはエドムとモアブの境目にある川です。すなわち、エドムの最北端、モアブの最南端にある川です。神はイスラエル人がこの川を渡るように命じられます。ユダヤ人がカデシュ・バルネアでやり直しのできない致命的な反逆的巨悪を犯してから、この川を渡るまでは『三十八年』が経過していました。この「38」という数字は聖書で何の意味もありません。この川を越えると、もう間もなくカナンの地へと行けるようになります。この時は、もう放浪における刑罰の期間が満ちようとしていました(民数記14:34)。この38年の間に、カデシュ・バルネアで反逆した不信仰な世代は全く滅び失せていました(14節)。神の裁きが不敬虔な彼らを滅ぼし尽くしたのです(15節)。もう今やイスラエルの会衆は新しい世代に切り替わっていました。要するに、もうカナンに侵攻する『時期』(伝道者の書3:1)がユダヤ人には来ていました。

【2:16~23】
『戦士たちがみな、民のうちから絶えたとき、主は私に告げて仰せられた。「あなたは、きょう、モアブの領土、アルを通ろうとしている。それで、アモン人に近づくが、彼らに敵対してはならない。彼らに争いをしかけてはならない。あなたには、アモン人の地を所有地としては与えない。ロトの子孫に、それを所有地として与えているからである。―そこもまたレファイムの国とみなされている。以前は、レファイムがそこに住んでいた。アモン人は、彼らをザムズミム人と呼んでいた。これは強大な民であって数も多く、アナク人のように背も高かった。主がこれを根絶やしにされたので、アモン人がこれを追い払い、彼らに代わって住んでいた。それは、セイルに住んでいるエサウの子孫のために、主が彼らの前からホリ人を根絶やしにされたのと同じである。それで彼らはホリ人を追い払い、彼らに代わって住みつき、今日に至っている。また、ガザ近郊の村々に住んでいたアビム人を、カフトルから出て来たカフトル人が根絶やしにして、これに代わって住みついた。―』
 ゼレデ川を渡ったユダヤ人は、モアブの国境に沿って北上しましたが、その先にはアモン人の地がありました。神は、先に言われたモアブ人と同様、このアモン人とも問題事を起こすなと命じられます。これはアモン人もモアブ人と同じようにロトの子孫だったからなのでしょう。かつてアブラハムとロトは平和のうちに別れ(創世記13章)、それからもアブラハムがロトを救出したりしました(創世記14:12~16)。ですから、アブラハムの子孫であるユダヤ人とロトの子孫であるアモン人の間にも、平和な関係があるべきだったのだと考えられます。ユダヤ人は、神の命令通りにし、アモン人に手を出すことはしませんでした。ああ、ユダヤ人がカナン侵攻でもこのように神の命令を忠実に守っていれば何と良かったことでしょうか。アモン人の地はかつて滅ぼされるべきだったレファイム人が住んでいました。しかし、神がアモン人のためにこの民族を駆逐し、その地をアモン人に与えて下さったのです。23節目では、ガザ周辺に住んでいたアビム人を『カフトル』すなわちクレタ島の民族が追い払って、そこに住んだと書かれています。この23節目は一見するとユダヤ人とはあまり関係がないように感じられます。どうしてここで突如としてガザというカナンの隅にある場所で起きた異邦人に関する出来事が書かれているのでしょうか。これは、神はある異邦人のためにもある異邦人を追い払ってその地に住まわせて下さる、ということを示すためです。つまり、神がある異邦人のためにさえ他の異邦人を追い払って下さるのであれば、尚のこと神は御自分の民ユダヤのために異邦人(すなわちカナン人)を追い払って下さるであろう、ということを分からせるためです。確かに神は異邦人にさえ領土のことで働きかけて下さるのですから、尚のことユダヤ人の領土のことでは強く働きかけて下さいます。ですから23節目は、よく考えると、ユダヤ人に関わりのある有意味な箇所だということが分かります。

【2:24~37】
『立ち上がれ。出発せよ。アルノン川を渡れ。見よ。わたしはヘシュボンの王エモリ人シホンとその国とを、あなたの手に渡す。占領し始めよ。彼と戦いを交えよ。きょうから、わたしは全天下の国々の民に、あなたのことでおびえと恐れを臨ませる。彼らは、あなたのうわさを聞いて震え、あなたのことでわななこう。」そこで私は、ケデモテの荒野から、ヘシュボンの王シホンに使者を送り、和平を申し込んで言った。「あなたの国を通らせてください。私は大路だけを通って、右にも左にも曲がりません。食物は金で私に売ってください。それを食べます。水も、金を取って私に与えてください。それを飲みます。徒歩で通らせてくださるだけでよいのです。セイルに住んでいるエサウの子孫や、アルに住んでいるモアブ人が、私にしたようにしてください。そうすれば、私はヨルダンを渡って、私たちの神、主が私たちに与えようとしておられる地に行けるのです。」しかし、ヘシュボンの王シホンは、私たちをどうしても通らせようとはしなかった。それは今日見るとおり、彼をあなたの手に渡すために、あなたの神、主が、彼を強気にし、その心をかたくなにされたからである。主は私に言われた。「見よ。わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めた。占領し始めよ。その地を所有せよ。」シホンとそのすべての民が、私たちを迎えて戦うため、ヤハツに出て来たとき、私たちの神、主は、彼を私たちの手に渡された。私たちは彼とその子らと、そのすべての民とを打ち殺した。そのとき、私たちは、彼のすべての町々を攻め取り、すべての町々―男、女および子ども―を聖絶して、ひとりの生存者も残さなかった。ただし、私たちが分捕った家畜と私たちが攻め取った町々で略奪した物とは別である。アルノン川の縁にあるアロエルおよび谷の中の町から、ギルアデに至るまで、私たちよりも強い町は一つもなかった。私たちの神、主が、それらをみな、私たちの手に渡されたのである。ただアモン人の地、ヤボク川の全岸と山地の町々は、私たちの神、主が命じられたとおりに、近寄らなかった。』
 こうしてイスラエルは占領の歩みを開始しました。まず最初に占領する地はエモリ人の地からでした。というのも、進路の都合上、どうしてもエモリ人の地が最初になるからです。この時に神が『立ち上がれ。』と言われたのは文字通りの意味として捉えるべきではありません。すなわち、これはユダヤ人たちが座っていたので起立するようにと言われたのではありません。これは侵略のため精神を奮起させるという意味で『立ち上がれ。』と言われたのです。神はこれからあらゆる民族にイスラエル人を恐れさせられます。そのため、カナン人たちはユダヤ人を前にして弱まったり逃走したりして打ち負かされることとなります。ですから、ユダヤ人はカナンにいる諸民族に打ち勝つことができました。しかし、モーセは最初からエモリ人を殲滅せず、まずは講和をエモリ人に対して申し込みました。これは律法で侵略の前には和平交渉をすべきだと命じられているからです(申命記20:10~14)。モーセが申し込んだ和平の言葉は穏やかであり、問題点は何も見られません。誠にモーセという人は、思慮深く謙遜で礼節を弁えた人だったのです。ところが、この紳士的な申し出に対してエモリ人は反発し、愚かにもイスラエル人と戦おうしました。悪いのはもう全くエモリ人のほうでした。モーセとイスラエル人には全く非がありません。こうしてイスラエル人は立ち向かって来たエモリ人と防衛戦争を戦うことになりました。これはどうしてもせねばならなかった戦いです。もし抗戦しなければイスラエル人は斃れてしまうのですから。聖書は防衛戦争であれば戦うことを禁じていません。エモリ人がこのように愚かな振る舞いをしたのは、神がイスラエル人とエモリ人の間に戦いを起こし、エモリ人の地をイスラエル人に占領させるためでした。つまり、これは神から出たことでした。偶然とか自然にこうなったというのではありません。また、この時にはエモリ人の犯していた裁かれるべき罪が完全に満ちたので、エモリ人の裁かれる時が来ていました(創世記15:16)。神は、エモリ人に満ちた罪を、エモリ人が愚かにもユダヤ人に立ち向かって返り討ちにされるという仕方で裁かれるようにされました。もしまだエモリ人が裁かれる時でなければ、またはエモリ人が裁かれるべき罪を犯していなければ、エモリ人はこの時にモーセたちと和平を結んでいたでしょう。神はこのようにしてエモリ人を裁かれました。これが神のやり方なのです。エモリ人はまさか自分たちが裁かれているなどとは思いもしなかったはずです。しかし、それは紛れもなく神からの裁きでした。そして戦いの結果、ユダヤ人たちがエモリ人に対し完勝を得ました。ユダヤ人たちは分捕り物を除き、エモリ国にいた人間をことごとく殲滅しました。この時におけるユダヤ人の虐殺と略奪を非難してはなりません。ユダヤ人はただ死刑執行人として神の裁きを代行したに過ぎなかったからです。このエモリ人が住んでいたギルアデ周辺の地域で、ユダヤ人に対抗できるような町は全くありませんでした(36節)。それは神がユダヤ人たちにそれらの町を渡されたからです。これはユダヤ人が強かったというより神の働きかけのゆえであったと考えなければいけません。また、ユダヤ人は神の命令通り、エモリ人の国の東に接していたアモン人の国には全く手出しをしませんでした(37節)。

 このように神が共におられるのであれば、その民族は必ず勝利します。これはいつの時代であってもそうです。神が共におられるのであれば必ず勝ち、神が共におられなければ必ず敗ける。ただこれだけなのです。力の強さとか数の多さといった要素は意味を持ちません。思い違いをしてはなりません。何故なら、神が共におられたダビデは恐るべき強者であったゴリアテを打ち負かし、同じく神が共におられたヨナタンも道具持ちだけを連れて2人で敵の大軍勢に勝利したからです。私たちが今見ているユダヤ人にも神が共におられたので、カナンにいた強大な民族を滅ぼすことができました。