【出エジプト記1:1~3:9】(2021/08/22)


 『出エジプト記』は、その名が示すようにユダヤ人たちがエジプトから脱出した出来事について記された文書です。これまでこの文書は伝統的にモーセにより書かれたとされてきましたが、これがモーセによることを示す箇所はありません。これが誰の手になるにせよ、神がある人を通してお書きになられたと信じていればそれで十分です。この文書が書かれた時期は、ユダヤの王制時代、すなわち紀元前1000年以降でしょう。しかし、この文書に記されている出来事は紀元前1300年頃に起こりました。

【1:1~5】
『さて、ヤコブといっしょに、それぞれ自分の家族を連れて、エジプトへ行ったイスラエルの子たちの名は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ。イッサカル、ゼブルンと、ベニヤミン。ダンとナフタリ。ガドとアシェル。ヤコブから生まれた者の総数は70人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。』
 冒頭に『さて』という言葉が書かれていることから、この文書を書いたのが創世記の著者と同一人物だったと分かります。何故なら、『さて』という言葉は、創世記の続きとして書かれているからです。宗教改革者たちや教父たちも、この文書は創世記の著者が書いたと信じていました。文書の連続性を考えるならば、この文書に続く3つの文書(レビ記、民数記、申命記)も創世記と出エジプト記の著者が書いたとすべきでしょう。このため、これまでこれら5つの文書は「モーセ5書」と言われてきたわけです。

 ここで書かれている内容は、ちょっとしたおさらいです。ですから再び説明する必要はありません。

【1:6】
『そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。』
 当時の人たちは例外なく死に絶え、エジプトの地は様変わりしました。最強の力である時の流れは、容赦なくあらゆる人間の命を奪い去ります。このようにして地は徐々に、しかし確実に変化していきます。というのも地上の本質の一つとは人間であって、この地上は人間が支配するためにあるからです。ですから、そこに生きている人間が変われば地上の状態も変わらざるを得ません。

【1:7】
『イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。』
 ユダヤ人たちは、当時の世界で唯一、『生めよ。増えよ。地を満たせ。』という神の増殖命令を明白に知っている民族でした。神が増殖を命じられたと知っているのであれば、その命令通りにしない宗教者が果たしているでしょうか。何かの理由でもない限り、いないはずです。それゆえユダヤ人たちは非常な多産でした。しかし、ユダヤ人たちがどれだけ子を産んでいたかという詳細はよく分かりません。古典派経済学でも言われていますが、人口が増えれば自然と経済力も強まります。お金は全ての必要に応じますから(伝道者の書10:19)、経済力の強まりは力の増加となります。ですからユダヤ人たちは人口の増加に伴って『すこぶる強くなり』ました。

【1:8~11】
『さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。』
 古代エジプト人のユダヤ人に対する本来的な感情は「軽蔑」です。ユダヤ人であるヨセフの家族たちは、ヨセフのゆえ例外的に好意を持たれていただけです。もしヨセフがいなければ、ヨセフの家族はエジプト人から良く思われていなかったでしょう。ですからヨセフを知らないエジプト人の世代になると、エジプト人はユダヤ人を問題視し始めました。このようにしてユダヤ人の虐待について語られた預言が遂に実現することになりました(創世記15:13)。エジプト人は、ユダヤ人が戦争の際に裏切ることを恐れました。何故なら、ユダヤ人は多くいただけでなく強かったからです。ですからエジプト人はユダヤ人たちに過重な労働を与えます。労苦で疲れたならば力が削がれるからです。この作戦はユダヤ人たちを疲弊させるという意味で成功しました。この作戦にユダヤ人たちは抵抗できませんでした。何故なら、このようにして苦しめられるというのが神の計画だったからです。この時、ユダヤ人を支配するために建てられた『ピトムとラメセス』という町はエジプトの北部にあります。この辺りにユダヤ人たちは住んでいました。

【1:12~14】
『しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。それでエジプトはイスラエル人に苛酷な労働を課し、粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する苛酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。』
 エジプト人がユダヤ人をどれだけ酷使させても、ユダヤ人の増殖は止まりませんでした。何故なら、ユダヤ人たちは神の増殖命令に固く立っていたからです。つまり、ユダヤ人の増殖は宗教に基づいていました。そうであればエジプト人がユダヤ人の増殖を抑制できなかったとしても不思議なことはありません。何よりも神に従うようにと命じるのが宗教なのですから。エジプト人は更にユダヤ人を苦しめ、何とかしてユダヤ人の繁栄を抑えようとします。しかしユダヤ人の増殖は一向に止む気配を見せませんでした。

【1:15~16】
『また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」』
 どれだけ苦しめてもユダヤ人の増殖が止まらないので、エジプトの王パロは、生まれたばかりのユダヤ人の男の子を死なせるように命じます。男子がいなくなればユダヤの民は自然と弱まるからです。女ばかりの民族がどうして男らしい強さを持てるでしょうか。女性は力が弱いうえ、女性に多く出る女性ホルモンは争いではなく平和と一致を精神に命じるのです。ですから、パロはまたもや賢く考えたことになります(出エジプト記1:10)。この命令を受けたユダヤ人の助産婦たちとしてこの箇所では『シフラ』と『プア』が挙げられていますが、この2人以外にもユダヤ人の助産婦はいました。恐らく、この2人はユダヤ人の中で代表的またはリーダー的な助産婦だったのかもしれません。このような殺害命令は助産婦たちにとって非道に思われたはずです。女性の母性本能が彼女らに赤子の殺害を容認させるとはとてもじゃないが考えられないからです。これが男子である兵士だったならば平気で殺してしまえるでしょうが。

 普通であれば、このような殺害命令は呪いが注がれたので発せられたと思えるかもしれません。実際、神の呪いが注がれるならば、このようにもなるでしょう。しかし、この出来事においては神が呪いを注がれたのではありませんでした。これは一見すると呪いに見えるものの、神が御自身のために生じさせられた出来事でした。すなわち、このようにしてユダヤ人たちが悲惨になるからこそ、その悲惨からユダヤ人が救われることで神の栄光が豊かに現れるようになるのです。もしユダヤ人が悲惨にならなければ神の救いの栄光も現わされなくなってしまいます。これは創世記の註解でも述べた通り、映画やドラマで最高に感動的なラストシーンが描かれるため、とんでもなく不幸な出来事が主人公に降りかからねばならないのと一緒です。福音書に出てくる生まれながらの盲人もこれと一緒です。あの盲人が産まれた時から盲人だったのは、ユダヤ人の男子を殺せとの命令が出されたのと同様で、呪いのためだと思えるのですが、実は呪いではありませんでした。福音書で言われている通り、あの盲人は神の栄光のためにこそ盲人として生まれてきたのです(ヨハネ9章)。このようにこの世界では呪いに見えるものの実は呪いでない不幸があります。ヨブに降りかかった諸々の不幸もそうでした。どこかで起きたある不幸を呪いであるか呪いでないか見分けるのは難しい場合がしばしばあります。

【1:17~21】
『しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。』
 助産婦たちは神を恐れたので、パロの命令に従いませんでした。何故なら、神が幼児殺しを喜ばれないのは明らかだからです。このためパロはこの助産婦たちを呼び寄せて咎めますが、助産婦たちが命令違反に対する刑罰を受けることはありませんでした。神が彼女たちを守っておられたからです。この時、助産婦たちは適当なことを言って、その場を切り抜けました。この助産婦たちがしたことは実に正しいことでした。聖書に書いてあるように神の子らは『人に従うより、神に従うべき』(使徒行伝5章29節)なのですから。

 このように助産婦たちは神を恐れたので祝福されて繁栄しました。神はこのように御自身を恐れる者を恵んで下さいます。次の御言葉はこの助産婦たちについて言われているかのような御言葉です。『謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。』(箴言22章4節)私たちも祝福が欲しいのなら神を恐れねばなりません。もし神を恐れなければ呪いを受けることになります。

【1:22】
『また、パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」』
 パロは助産婦たちにだけ命じたのがいけなかったと気付きます。そこで今度は助産婦たちだけでなくユダヤ人の全体に生まれた男子をナイル川に捨てて殺せと命じます。この箇所で『すべての民』と書かれているのはユダヤ人のことです。何故なら、パロが人口削減を願っているのはユダヤ人であって、エジプト人に生まれた男子も殺させるというのは狂気の沙汰だからです。もし『すべての民』という言葉にエジプト人も含まれているとすれば、当時のパロは精神障害者だったことになりますが、パロの精神は正常の範囲内に保たれていました。この命令がどれだけの効果を齎したかはよく分かりません。今に至るまでユダヤ人はずっと権威に反抗的な傾向を持ち続けていますから、この時に従おうとしなかったユダヤ人は多かったかもしれません。もっとも、この時の場合はパロの命令に従わなくても全く問題なかったのですが。しかし、これから見る通り、モーセはこの命令によりナイルへ捨てられてしまいました。パロがこのように命じたのは、今で言えばちょうど中国政府がチベットやウイグルの人々を弾圧しているのと似ています。少し前の時代で言えば、アメリカ人が黒人を酷く取り扱ったのと似ています。

【2:1~3】
『さて、レビの家のひとりの人がレビ人の妻をめとった。女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。』
 ここでは生後3か月のモーセが捨てられたことについて書かれています。モーセの場合は言わば小さな船に乗せられて捨てられましたが、他のユダヤ人たちもそのようにしていたかどうかは分かりません。他のユダヤ人たちは、そのまま幼児をナイルに捨てていた可能性もあります。いずれにせよ、このようにしてモーセがナイルの水で死ななかったのは神の働きかけによりました。

 もしかしたら、この箇所で書かれている期間と小舟について象徴的な解釈をする人がいるかもしれません。すなわち、『三か月』というのは神の三つの位格を示しており、小舟はモーセがノアのようにして舟で救われたことを示している、と。アウグスティヌスであればこのように考えそうです。私たちは、このようにここで象徴的な意味を見出そうとすべきではありません。ここで言われていることは普通に捉えればよいのです。

【2:4~6】
『その子の姉が、その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。それをあけると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、「これはきっとヘブル人の子どもです。」と言った。』
 不幸にも捨てられたモーセでしたが、神の摂理により、パロの娘に見つけられることとなりました。女性の母性本能は国籍を超越しているのでしょうか。パロの娘は、モーセがユダヤ人というエジプト人からすれば嫌悪すべき民族の子であるというのに、『その子をあわれに思い』ました。恐らく女性は幼児であればどの国の子であっても可愛らしく感じるように創造されているのでしょう。近代の日本にはハローキティという幼児のようなキャラクターがいますが、女性たちはそれが猫を擬人化したキャラクターだというのに、可愛いと思って大いに愛好しているぐらいなのです。別にハローキティを好むのは構いませんが、幼児のような猫でさえ好むのであれば、リアルの幼児はどれだけ好ましく感じられるでしょうか。ですから、これがエジプト人の男であれば、モーセを見てもユダヤ人だというので放っておいたかもしれません。母性本能を持たない男にとっては、まず人種における好悪が頭の中に上って来るからです。神はこのモーセをユダヤ人の指導者として永遠の昔から定めておられました。だからこそ、このようにしてパロの娘から奇跡的に見つけられることとなったのです。

【2:7~9】
『そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」パロの娘が「そうしておくれ。」と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た。パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた。』
 パロの娘は、自分の見つけたモーセを、モーセの姉が提案したことに従い、モーセの母に委ねました。モーセの姉はモーセの母について何も言いませんでしたし、モーセの母も自分がモーセの母だとは言いませんでした。パロの娘はこの女がモーセの母だと思っていなかったので、養育費をモーセの母に払いました。こうしてモーセは結局、自分の母に育てられました。このためモーセはユダヤ人としてのアイデンティティを強く持てるようになりました。

【2:10】
『その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです。」と言ったからである。』
 モーセが成長すると、母はモーセをパロの娘のもとに預けに行きました。事情が事情であった以上、モーセの親権はパロの娘にあったからです。そのことをモーセの母も知っていましたから、自分がモーセの母だとは言いませんでしたし、また言ってはなりませんでした。モーセはこの時、王女の息子となりました。普通であればほとんど意識されることはありませんが、私たちの知っているこのモーセは王族の一員だったのです。モーセの王族入りが何歳の時だったかは分かりません。この時に『モーセ』という名前がパロの娘により付けられましたが、これはエジプト人の名前であり、古代ユダヤ人であれば付けない名前です。モーゼス・マイモニデスやモーゼス・ヘスやモシェ・シャレット(イスラエル2代目首相)やモシェ・カツァブ(イスラエル8代目大統領)など今に至るまでユダヤ人にはモーセ(Moses/Moshe)という名前の人が多くいますが、それはこのモーセに基づいて名付けられています。ユダヤ人以外でこの名前を付けている人は見られません。『モーセ』とは「引き出す」という意味であり、ナイルの水から引き出されたのでこの名前が付けられました。

【2:11】
『こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。』
 モーセは以前から同胞であるユダヤ人が虐待されているのを知っていましたが、ある時になるとユダヤ人のところへ行き、改めて同胞の苦難をその目で見ました。これはモーセが40歳になった時のことです。ステパノによれば、モーセはこの時、苦しめられているユダヤの民を救い出そうとして同胞のところへ出て行きました(使徒行伝7:23)。ここにはモーセの高潔な志が見られますが、それは神により生じた志でした(ピリピ2:13)。モーセが40歳の時にこうしたのは数字的な意味があります。聖書で「40」とは十分な期間また数量を示します。つまり、モーセは生まれてから十分な年月―40年―が経ってから、このようにしたということになります。これが70歳であったとしても、数字的な意味は同じでした。「70」も聖書では十分さを示しているからです。

【2:11~12】
『そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。』
 今でもアメリカの白人は黒人を酷く取り扱っていますが、アメリカの白人がこれまで黒人を虐めてきたように、当時のユダヤ人もエジプト人から虐められていました。別の国から移って来て異民族として虐待されているという点でも一緒です。もっとも、一方が呪われたハムの子孫であり、もう一方は祝福されたセムの子孫であるという点で大きく違っています。この時のユダヤ人がどれだけ虐げられていたか詳しくは分かりません。ただ酷い虐待があったということは確かです。そのような時代にあって、モーセはユダヤ人を打っているエジプト人を見、義憤に駆られてそのエジプト人を殺してしまいました。ステパノによればモーセはユダヤ人を庇おうとしました(使徒行伝7:24)。この時、モーセの始祖であるレビのDNAが騒いだのでしょうか。創世記に書いてある通り、レビは義憤に駆られて多くのシェケム人を虐殺しています。モーセのこの殺人行為はレビの虐殺と似ていますから、レビの遺伝子が強く働いたのかもしれません。殺人の際、モーセは『あたりを見回し』ました。また『ほかにだれもいないのを見届け』てから殺しました。殺人がばれたくなかったのです。つまり、モーセには悪をしたという自覚がしっかりあったことになります。

 モーセのこの行為は紛れもない罪です。聖書はこのようにモーセの失態をまざまざと記しています。これはモーセが崇拝されないためです。確かにモーセは人間的に言えばユダヤの偉大な指導者でした。しかし、このように大きな罪を犯していたとなれば、モーセもただの罪人に過ぎなかったということが分かります。モーセも罪人、しかも殺人を犯した罪人だとすれば、たとえモーセが偉大だと言っても彼を崇拝するのは理に適わないことになりましょう。何故なら、殺人者を崇拝するというのは自然なことではないからです。神は御自身だけが崇拝されるのを望んでおられます。だからこそ、モーセが間違って崇拝されないために、神はこのようにモーセの悪が記されるのを欲されたのでした。人間は弱いので、偉大だというと崇拝に傾きやすい傾向を持っているからです。しかし、言うまでもなく崇拝されるべきはモーセでなくモーセを偉大な人物にされた神に他なりません。

【2:13~15】
『次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに「なぜ自分の仲間を打つのか。」と言った。するとその男は、「だれがあなたを私のつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか。」と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。彼は井戸のかたわらにすわっていた。』
 翌日、モーセは2人のユダヤ人が争っていたので仲裁しようとしますが、咎められたユダヤ人はモーセが先日行なった殺人について言及します。悪い話は瞬く間に広がるものです。モーセの殺人は当然ながらパロの耳にも入ることになりました。そこでパロはモーセを死なせようと捜し求めますが、モーセはミデヤンの地に逃げます。このミデヤンとはシナイ半島にある荒野であって、エジプトからはかなり離れています。モーセはミデヤンまで逃げれば大丈夫だと思ったのでしょう。

 モーセはミデヤンに逃れてから、荒野ばかりの場所で40年も過ごすことになりました。これは殺人に対する報いと見てよいでしょう。殺人を犯さなければ、王子としての名誉と先進国エジプトにおける利便性をずっと受け続けられていたでしょうから。モーセが『井戸のかたわらにすわっていた』のは、ホームレス状態だったことを示しています。つまりモーセは井戸の傍に寝泊まりしていました。当然ですが持ち家はありませんでした。

【2:16~17】
『ミデヤンの祭司に7人の娘がいた。彼女たちが父の羊の群れに水を飲ませるために来て、水を汲み、水ぶねに満たしていたとき、羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払った。すると、モーセは立ち上がり、彼女たちを救い、その羊の群れに水を飲ませた。』
 モーセはミデヤンの祭司の娘たちを意地悪な羊飼いたちから救いますが、これはモーセが道徳的な人だったことを示しています。祭司の娘が『7人』だったのは、もちろん実際の数なのですが、象徴的な意味としては彼女たちの純潔さを表示しているのだと思われます。もっとも、息子のほうが娘よりも尊ばれていた古代にあっては、娘が7人もいるのは世間的に羨ましいと感じられなかったはずですが。『ミデヤンの祭司』というのはもちろん異教の祭司です。

【2:18~21】
『彼女たちが父レウエルのところに帰ったとき、父は言った。「どうしてきょうはこんなに早く帰って来たのか。」彼女たちは答えた。「ひとりのエジプト人が私たちを羊飼いの手から救い出してくれました。そのうえその人は、私たちのために水まで汲み、羊の群れに飲ませてくれました。」父は娘たちに言った。「その人はどこにいるのか。どうしてその人を置いて来てしまったのか。食事をあげるためにその人を呼んで来なさい。」モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。』
 モーセは祭司レウエルから良くしてもらったので、この祭司と一緒に住むようにし、祭司は娘をモーセに妻として与えます。これ以降、モーセはレウエルと共に歩むこととなりました。ここでは娘たちがモーセを『エジプト人』と言っていますが、これはモーセが長いエジプト生活のためエジプト人に見えたからです。イスラエル人をエジプト人から救い出そうとしたモーセでしたが、自分の思惑に反し、こんなことになってしまいました。人生では何が起こるか分からず、思い通りに行かないことが多いのです。モーセはまさかこれからミデヤンの荒野で40年も生活することになるとは少しも予想していなかったはずです。ところがモーセはミデヤンに移されることとなったのです。こういうわけですから、ヤコブは次のように言ったのです。『聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」と言う人たち。あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」』(ヤコブ4章13~15節)

【2:22】
『彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。「私は外国にいる寄留者だ。」と言ったからである。』
 モーセとチッポラとの間には『ゲルショム』が産まれましたが、この名前は「寄留」という意味であり、モーセがミデヤンに寄留していたのでこのように名付けられました。ゲルショムローデン2世であれば何か偉大な人物になりそうな感じでしたが、この名前では意味といい印象といいどこかパッとしません。

【2:23】
『それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。』
 モーセがミデヤンに逃げてから幾年か経つと、モーセを殺そうとしていたエジプト王が死にます。このエジプト王がモーセの逃亡後、実際にどれだけ経ってから死んだのかは分かりません。モーセはエジプト王が死んだことについて何らかの形で知ったはずだと思われます。この時代は今とは違って情報の伝わる速度がまだ遅かったので、かなり経ってからエジプト王の死について知ったということも十分に考えられますが、モーセがいつ知ったかということはあまり重要な問題ではありません。

【2:23~25】
『イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。』
 神はユダヤ人たちの苦難を遂に顧みて下さいました。何せもう400年も虐待されていたのです。神はこれ以上、ユダヤ人たちが虐げられるようにしませんでした。この箇所では3つの注意すべき点があります。一つ目は、神が『アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた』という部分です。この『契約』とはアブラハム、イサク、ヤコブおよびその子孫たちにカナンが与えられるという契約のことです。この部分は、それまで神が聖なる契約をお忘れになっていたかのように感じられます。しかし、神が御自身の契約をお忘れになるということはありません。ここで言われているのは、神が御自身の契約に基づいて遂に行動なさるということです。二つ目は、『神はイスラエル人をご覧になった』という部分です。これは神がこの時までユダヤ人を御覧になっておられなかったかのように感じられます。しかし、神はそれまでもユダヤ人たちをずっと御覧になっておられました。神とは一切を常に御覧になっておられる御方だからです。これは、つまり神がユダヤ人たちの現状を改めて認識された上で行動を開始されるということです。三つ目は『神はみこころを留められた』という部分です。これも、神がそれまでユダヤ人たちを御心に留めておられなかったと言われているように感じられます。しかし、そういうことはありません。神は御自身の民をずっと御心に留めておられました。これも、要するに神が重ねてユダヤ人を御心に留めて事をなさるということです。神がこのようにユダヤ人を救われようとされたのは、御自身の計画と憐れみに基づいています。もしこれが御計画でなければ、神はユダヤ人を救われなかったでしょう。また神が憐れみの神でなければ、このようにユダヤ人たちを救出しようとされたかは分かりません。しかし、どうして神は400年間もユダヤ人たちを助けないままでおられたのでしょうか。それは神の救いの栄光が際立つためでした。ユダヤ人の苦しみが長ければ長いほど、そのユダヤ人を救われる神の素晴らしさや恵み深さがより豊かに示されることになるのは言うまでもありません。もしユダヤ人たちの救われるまでの期間が例えば40日間だったとすれば、どうでしょうか。この場合、神の救いの栄光は少ししか現わされません。ユダヤ人はたったの40日しか苦難を味わわなかったのですから。40日と400年では、救いにおける「感動」の度合いが違うのは火を見るよりも明らかでしょう。「感動」の度合いが違うのであれば、神の救いの栄光が際立つ度合いも違っているのです。しかし、ユダヤの苦難が長いほど望ましいからといって、1000年、2000年も苦難が続くのは流石に長すぎです。ですから神は400年という期間を定められたのでした(創世記15:13)。この「400」という数字は、十分な期間であることを示す「40」かける完全であることを示す「10」という成り立ちだと考えられます。私たちは、これから書かれる神の救いの御業を心に留めるべきです。神が御自身の民を恵みにより、大いなる御業を通して救って下さったのですから。

【3:1】
『モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。』
 モーセはミデヤンの荒野で40年も羊飼いとして歩んでいました。もっとも、モーセは自分の羊を飼っていたのではなく、舅の羊を代理で飼っていたのですが。荒野で羊飼いをするというのは快適な王宮住まいから何と変化したことでしょうか。モーセにはもはや富も美食も利便も名誉もありませんでした。この箇所で『イテロ』と言われているのは祭司レウエルのことです(出エジプト記2:18)。

【3:1~3】
『彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。モーセは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」』
 モーセは舅の羊を追って行き、『神の山ホレブにやって来た』のですが、これはシナイ山のことです。この山が『神の山』と言われているのは後世のことであって、このように言われているのはこの山で神がモーセに現れて下さったからです。それ以前においてシナイ山は神の山であると認識されていませんでした。この山についてはネットで見ることができます。モーセが『西側』に行ってシナイ山に着いたというのは、つまりモーセが今のエイラト付近に住んでいたことを示唆しています。とすると、地図を見ると分かりますが、モーセはエジプトからかなり離れた場所まで逃げたことが分かります。エジプトからの距離はだいたい400kmぐらいです。このホレブ山で神がモーセに現れて下さいました。その現われは『主の使い』すなわち天使の位格においてでした。現われた場所は『柴の中の火の炎の中』でした。その炎の中には神がおられましたから『火で燃えていたのに柴は焼け尽き』ませんでした。神とは不思議であられ、不思議なことをなされたのです(士師記13:18~19)。モーセはまだそこに神がおられると知りませんでしたから、一体どういうわけなのかと思って、この素晴らしい光景を観察しに行きました。

【3:4~6】
『主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ。」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります。」と答えた。神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。』
 神は『モーセ、モーセ。』とモーセの名を二度呼ばれましたが、これは神がモーセを親しく呼んでおられるのです。モーセは自分を呼ぶ声を聞いて神の存在を感じたのでしょう、特に驚く様子も見せず『はい。ここにおります。』と答えています。

 神はモーセのいる場所が神聖であるから靴を脱げと命じられます。神が現われたので、そこは聖なる場所となったのです。もし神が現われておられなければ、そこは神聖な地とはなっていませんでした。神はヨシュアに対しても同じように命じておられます(ヨシュア5:15)。この箇所では書かれていませんが、このように命じられたモーセが靴を脱いだのは間違いありません。

 そして神は御自身がモーセの先祖たちの神と同一の神であると示されることで、御自身が異教の虚しい神々の一人ではないことを明示されます。モーセは唯一真の神から語りかけられているのを知ると恐れて顔を隠しましたが、これは神が無限の栄光を持っておられるからであり、それに対して人間モーセは罪に汚れたただの塵に過ぎなかったからです。誰かが格上で偉大とされている人物の目を直視できなかったとしても、それほど驚くことだとは見做されないはずです。モーセが神を直視できなかったのは、これとよく似ています。人間は自分の認識能力や把捉範囲を超え出た存在に対しては、直視することさえ難しくなってしまいます。

【3:7~9】
『主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、父と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。』
 神がモーセの前に現われて下さったのは、モーセを通してユダヤ人をエジプトから救出なさるためでした。つまり、モーセはイスラエル解放の指導者として選ばれたわけです。しかし、どうしてモーセが指導者として選ばれたのでしょうか。それはモーセが地上の中で最も謙遜な人間だったからです(民数記12:3)。神がユダヤ人を解放して指導するために用いるリーダーは、神に忠実でなければお話しになりません。こんなのは言うまでもないことです。ですから神は御自分の僕として謙遜なモーセを選ばれたのでした。神はユダヤを救い出してから、カナンの地に住まわせようとしておられました。神は良い御方なので、御自身の民に素晴らしい地をお与えになろうとしていたのです。そのカナンが『広い良い地』と言われているのは、カナンが広くて快適に過ごせる場所だったからです。カナンは陽が強い上にナイル川で水浸しになってしまうエジプトとは大違いです。『乳と蜜の流れる地』と言われているのは、実際のことではなく、その地の幸いが詩的に表現されているに過ぎません。『カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所』と言われているのは、カナンの地には多くの民族が住んでいたからです。このカナンの地は、カルヴァンも度々言っていたように、天国を象徴しています。当時のユダヤ人はまだまだ霊的に幼かったので、神はユダヤ人がカナンという実際の地により天国を希求できるよう教育されたのです。要するに、カナンとそこにおける幸福は、天国とそこにおける幸福の前味としてユダヤ人の前に置かれていました。ですから、古代におけるカナンと天国は対応していることになります。どちらも約束されている至福の場所なのですから。

 神はユダヤ人たちの苦難をずっと知っておられました。ただまだ救いの時が来ていなかったので、これまではずっとユダヤ人に働きかけておられなかっただけに過ぎません。ですから、400年も働きかけておられなかったということは、その間ずっと知っておられなかったということを意味していません。目を造られた方がユダヤの苦難を見ておられないはずがどうしてあるでしょうか。耳を造られた方がユダヤの叫びを聞いておられなかったということがどうしてあるでしょうか。脳を造られた方がユダヤの悲しみを知らなかったということがどうしてあるでしょうか。このように、神は正しいのに苦しめられている者を知っておられる御方です。ただ神は長期的に物事を見、事を為さる御方なので、ずっと苦しめられている者を見放しておられるように人間からすれば感じられるだけなのです。苦難を味わっている正しい者は時が来れば神により救われることとなります。これは私たちが今見ている古代ユダヤ人以外では、古代のクリスチャンがそうでした。彼らは約300年間、ずっと迫害され続けていましたから、神から見放されているかのようにも感じられました。しかし救いの時が来ると、神はコンスタンティヌス大帝を通してクリスチャンたちが遂に救い出されるようにされたのです。その300年の間、神は眠っておられたのでなく、ずっと聖徒たちの苦難を御覧になっておられたのでした。