【出エジプト記23:31~29:30】(2021/10/31)


【23:31】
『わたしは、あなたの領土を、葦の海からペリシテ人の海に至るまで、また、荒野からユーフラテス川に至るまでとする。それはその地に住んでいる者たちをわたしがあなたの手に渡し、あなたが彼らをあなたの前から追い払うからである。』
 神はカナンの全領土をユダヤ人に与えようとしておられました。その場所がここでは『葦の海からペリシテ人の海に至るまで、また、荒野からユーフラテス川に至るまで』と言われています。『葦の海』とは紅海を指します。『ペリシテ人の海』とは地中海のことです。当時のペリシテ人は地中海の沿岸(今のガザ地区)に住んでおり、そこを占領していたからです。『荒野』とはツィンの荒野のことです。『ユーフラテス川』は説明の必要がありません。実際、ユダヤ人はこれからこの地域一帯を占領することになりました。それは、神がカナンの地にいた諸民族を追い払われるからです。神は、カナンにいて忌まわしいことばかりしているカナン人たちを、そこから追い出したく思っておられました。ちょうど大家さんが自分のアパートに住んでいる悪い人に出て行ってもらいたいと思うのと一緒です。神にはカナン人をカナンの地から追い出す権限がありました。何故なら、全世界は神の所有物だからです(出エジプト記19:5)。つまり、神という地球の大家さんは、カナンというアパートに住んでいるカナン人という邪悪な住人を追い出し、その代わりに自分の子どもであるユダヤ人を入居させようとしておられたのです。神は大家さん、地球はアパート、カナンは「カナン号室」、カナン人は悪い住人、ユダヤ人は大家さんの子ども。このように捉えればカナン侵攻の出来事が理解しやすくなるでしょう。

【23:32~33】
『あなたは、彼らや、彼らの神々と契約を結んではならない。彼らは、あなたの国に住んではならない。彼らがあなたに、わたしに対する罪を犯させることのないためである。それがあなたにとってわなとなるので、あなたが彼らの神々に仕えるかもしれないからである。」』
 神は、ユダヤ人がカナン人やカナンの神々と関わることを禁止されます。神はユダヤ人がカナン人から霊的にも精神的にも身体的にも離れるよう求めておられます。何故なら、もしユダヤ人が彼らと関係を持てば、「自分たちもカナン式の礼拝を一度やってみようか。一度ぐらいだったら大丈夫さ。」ということになりかねないからです。また彼らの近くにいればカナンの偶像崇拝に感化されかねません。神は御自身の民がそのようになるのを望んでおられません。

 この箇所で命じられていることは、新約時代の聖徒たちにも向けられているとすべきです。つまり、私たちは自分たちに罪と不信仰をもたらすカナン人のような悪い人たちと友だちになるべきではありません。というのも、私たちは聖なる民として聖く歩まねばならないからです(Ⅰペテロ1:15~16)。パウロはこう言っています。『思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣が損なわれます。』(Ⅰコリント15章33節)邪悪な友人がいれば、その友人との関係のせいで、私たちがそれまで行なって来た『良い習慣』が行なえなくなったりその頻度が少なくなったりするのです。例えば、祈る時間が持てなくなったり、聖書を読めなくなったり、それ以外にも敬虔な行ないから遠ざかってしまうことになりかねません。またソロモンも、悪い者と関係を持つことについてこう言っています。『愚かな者の友となる者は害を受ける。』(箴言13章20節)例えばカルト集団と友だちになれば、同僚や友達や取引相手から不審に思われて、距離を置かれてしまうことになりかねません。また素行の悪い人と友だちでいれば何らかの事件に巻き込まれる可能性は決して低くありません。ヨハネも邪悪な反キリストに挨拶をすれば、もうそれだけでも邪悪な行ないが移ってしまうであろうと言っています(Ⅱヨハネ7~11)。

 出エジプト記20:22の箇所から命じられてきた戒めは、ここで語り終えられています。しかし、ここまでに語られた戒めが、神の戒めの全てだというのではありません。神の戒めはこれからも申命記の巻までずっと語られることになります。

【24:1~2】
『主は、モーセに仰せられた。「あなたとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は、主のところに上り、遠く離れて伏し拝め。モーセひとり主のもとに近づけ。他の者は近づいてはならない。民もモーセといっしょに上ってはならない。」』
 神は戒めを語り終えられると、モーセが『アロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人』を連れて再びシナイ山に上るよう命じられました。『ナダブとアビフ』はアロンの子どもです(出エジプト記6:23)。ユダヤの長老が『七十人』だったのは、「70」ですからその数が十分だったことを示しています。つまり、この数は「ユダヤには十分なだけの長老たちがいる。」ということを意味しています。バビロン捕囚の年数も『70年』(ダニエル9章2節)でしたし、キリストが遣わされた伝道者たちも『70人』(ルカ10章1節)でした。神はこの時にモーセだけしか御自分に近づくことを御許しになりませんでした。アロンさえも神のもとには近づけませんでした。これはモーセが特別に選ばれている人物であることをよく示すためです。神はこのようにしてモーセの人間的な権威を高めようとしておられます。それは神がモーセを通してイスラエル人の全体を統御されるからです。モーセは言わば神の代理なわけですから、モーセの権威が高められるのは神にとって良いことなのです。

【24:3】
『そこでモーセは来て、主のことばと、定めをことごとく民に告げた。すると、民はみな声を一つにして答えて言った。「主の仰せられたことは、みな行ないます。」』
 モーセは神の命令を聞き終えると、シナイ山から降り、自分が聞いた命令をことごとくユダヤ人に告げ知らせました。するとユダヤ人はその命令を守り行うと応じました。彼らがこのように応じたのは、もし服従するならば祝福が約束されていますから(出エジプト記23:25~28)ユダヤ人にとって神に服従するのは幸いなことだと思われたからでしょうし、「もし服従しなければ一体どうなることか…」という恐れもあったはずです。ユダヤ人が服従の意志を示したのはこれで三度目です(一度目は出エジプト記19:7~8、二度目は出エジプト記20:19)。

【24:4】
『それで、モーセは主のことばを、ことごとく書きしるした。』
 民が神に服従するつもりでいるのを見たモーセは、神の戒めをことごとく文書にしました。それは神の戒めを確認し、忘れないためです。また後世のユダヤ人が神の戒めを知るためです。モーセは恐らくパピルス紙か羊皮紙に戒めを書き記したと思われます。十戒は石の板に書き記されましたが(出エジプト記31:18)、出エジプト記20:22~23:33の箇所における細則は石に書かれなかったはずです。何故なら、もし石に細則を書いたとすれば石が莫大な数になってしまうからです。それは考えにくいことです。モーセはこの戒めをヘブル語で書き記しました。もしイスラエルが神に服従しないと言っていたら、モーセはこのように戒めを書き記していなかったでしょう。その場合、ユダヤ人は反逆者として滅ぼされるか捨てられるかしていただろうからです。しかし、もう80歳にもなるモーセがこんなにも長い戒めを記憶していることができたのでしょうか。出エジプト記20:22~23:33の戒めは、若い人でも暗記するのが大変だと思われます。年を取れば記憶力も減退するというのは周知の事実です。しかし、モーセはその戒めを記録する前から既に民に対して語っています。ですから、記録することは十分にできたと考えねばなりません。恐らくモーセという人は凄まじい記憶力を持っていたのかもしれません。モーセは学識の高い人だったからです(使徒行伝7:22)。そうでなければ、戒めを語られる神の御声はあまりにも凄まじかったので、自然と神の御声が脳の記憶領域に刻まれたのでしょう。もしくは神がモーセの記憶力を特別に強められたということなのかもしれません。なお、モーセが神の戒めを記したのは、新約時代の聖徒たちのためでもありました。モーセの書いた戒めが写本としてイスラエルのうちに保たれ(モーセ直筆の原本は失われています)、それを基にして王朝時代のあるユダヤ人が出エジプト記を神により作成しました。その出エジプト記が今に至るまで保たれ、翻訳された文章として私たちのところに届いているのです。そのようにして私たちは実際にモーセに命じられた戒めを知ることができています。これは神の私たちに対する計らいです。この計らいに私たちは感謝せねばならないでしょう。

【24:4~8】
『そうしてモーセは、翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、またイスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てた。それから、彼はイスラエル人の若者たちを遣わしたので、彼らは全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた。モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」』
 それからイスラエル人たちは一夜を明かしています。出エジプト記19:16の箇所からここまで一日が経過しています。つまり、神が十戒およびその細則をシナイ山で与えられたのは一日以内の出来事でした。そして『翌朝早く』にモーセは祭壇をシナイ山の麓に築きました。これは神に対して犠牲を捧げるためでした。その犠牲の作業は『若者たち』により行なわれました。これは若者には力があり躊躇なくスムーズに事を行なうからだと思われます。またモーセは『イスラエルの十二部族にしたがって、十二の石の柱を立て』ました。これはイスラエル人の諸部族がこの時に神と関わっていることを示しています。この12の石の柱も若者により立てられたかもしれません。何故なら、神に関する事柄は迅速に行なわれるべきだからです(創世記18:1~8、詩篇119:60)。

 モーセは屠られた雄牛の血の半分を、祭壇に注ぎかけました。これは祭壇さえも贖われなければいけないからです。祭壇は生命体ではありません。しかし、祭壇もそのままでは汚れており、血による清めを受けなければいけません。何故なら、この世界の全てはアダムの堕落と共に汚れてしまったからです。ですから、そのままの状態の祭壇では神に嘉せられません。贖われてこそ祭壇は神に受け入れられるのです。ここに神の聖性と被造物における堕落を感じ取ることができます。

 モーセは残りの半分の血を、ユダヤ人たちに注ぎかけました。恐らくモーセは血を振りまいたのでしょう。これは民の贖いです。ヘブル書9:22の箇所でも言われている通り、血なしに贖いはありません。ところが動物の血そのものに罪を贖う力は全くありません(ヘブル10:4)。ただイエス・キリストという神の小羊の血だけが人間の罪を贖います(エペソ1:7)。つまり、モーセが注いだ動物の血は、キリストの血を表示しています。それがキリストの血を示す血だからこそ、贖いの働きをしたわけです。民が服従の態度を見せたのでモーセはこの血を降り注ぎました。何故なら、贖われる者は神に服従するのであり、神に服従する者は贖われているからこそ服従するのだからです。それゆえ、もし民が服従しないとすれば、モーセは血を降り注いでいなかったはずです。何故なら、贖われない者は神に服従しないのであり、神に服従しない者は贖われていないからこそ服従しないのだからです。このようにイスラエルは血による贖いを受けていました。しかし、それにもかかわらず彼らの大部分は荒野で滅ぼされてしまいました。それは彼らが神の御心に適わなかったからです(Ⅰコリント10:5)。もし彼らが神の御心に適っていれば滅ぼされることもなかったでしょうに。

【24:9~11】
『それからモーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は上って行った。そうして、彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイアを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった。神はイスラエル人の指導者たちに手を下されなかったので、彼らは神を見、しかも飲み食いをした。』
 民に血を注いでからモーセは多くの指導者たちと一緒にシナイ山へ上り、そこで彼らは神を見ましたが、これは物質という影のもとに神を間接的に見たという意味です。神は物質的な存在ではありませんから、実際の目で直接見ることはできません。それは意味不明です。物質を越えた無限の存在を有限の目で見る。これは決して出来ないことです。彼らは『透き通っていて青空のよう』である『サファイアを敷いたようなもの』の上に神の『御足』があるのを見ました。つまり、神の御足が神秘的な空間を足台としていました。このような光景は、エゼキエルやヨハネの見た光景と共通しているところがあります(エゼキエル書1:26、黙示録4:6)。これは大空でさえ神の御足に踏まれている部分に過ぎないということを示しています。このような示し方は最もよく神を物質的に表現していますが、しかしそれでも神を表現するためには無理なところがあります。しかし、神はこの程度の示され方でも良しとされました。つまり神はユダヤ人たちが御自身を間接的にであれ知るために、このような示し方で譲歩されたのです。ですから私たちは神の御足が実際には大空を足台にするどころではないということに注意すべきです。大空がどれだけあっても神の御足を入れることはできません。

 そしてユダヤ人の指導者は神を見たばかりか、神の御前で食事さえしました。その時に神は罪深い人間に過ぎない指導者たちを打たれませんでした。これは既にユダヤ人たちが『契約の血』を受けていたからです(出エジプト記24:8)。キリストの血による贖いを受けている人たちには神との平和がありますから、神はそのような人たちが罪深くても打たれることをしません。パウロがローマ5:1の箇所で述べている通りです。

【24:12~14】
『主はモーセに仰せられた。「山へ行き、わたしのところに上り、そこにおれ。彼らを教えるために、わたしが書きしるしたおしえと命令の石の板をあなたに授けよう。」そこで、モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり、モーセは神の山に登った。彼は長老たちに言った。「私たちがあなたがたのところに帰って来るまで、ここにいなさい。ここに、アロンとフルがあなたがたといっしょにいます。訴え事のある者は、だれでも彼らに告げるようにしなさい。」』
 モーセはヨシュアを連れてシナイ山に再び登ることにしました。それは神がモーセに教えを記した石の板を授けられるからです。ヨシュアはモーセの後継者として永遠の昔から定められていましたから、神のもとに連れて行かれるべきでした。ヨシュアが出てくるのはこれで二度目です(一度目は出エジプト記17:8~16)。

 モーセとヨシュア以外は、山の途中で待機させられました。これは当時の指導者モーセと将来の指導者ヨシュアだけを特別扱いするためです。キリストも、やはりごく少数の弟子だけを特別的に取り扱われました(マタイ17:1)。神は選ばれた者のうち更に選ばれた者だけを御自身の傍近くに呼び寄せられるのです。また、ここでは再び『フル』が出てきますが、やはり70人の長老よりも格上の存在として取り扱われています。しかし、このフルは教会においてほとんど認知されることがありません。

【24:15~18】
『モーセが山に登ると、雲が山をおおった。主の栄光はシナイ山の上にとどまり、雲は六日間、山をおおっていた。七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。主の栄光は、イスラエル人の目には、山の頂で燃え上がる火のように見えた。モーセは雲の中にはいって行き、山に登った。そして、モーセは四十日四十夜、山にいた。』
 モーセが山に登ると山が雲で満ちましたが、この雲は神の栄光を示しています。雲は神の栄光を示す被造物として相応しいからです。これからも神はこの雲により御自身の栄光を御示しになられます。ユダヤ人たちの目には、雲の満ちた山が『燃え上がる火のよう』に見えました。これは、つまり神がそこに御自身を顕示しておられるということです。何故なら、神とは『焼き尽くす火』(ヘブル12章29節)だからです。

 雲が『六日間』山を覆い、それから『七日目』にモーセが神から呼ばれたのは、「7」ですから全てが聖であることを示しています。すなわち、山に神の栄光を示す雲が満ちたことは聖であり、神が七日目にモーセを呼ばれたことも聖でした。聖なる神は聖なることをなさいます。ですから「7」なのです。

 モーセが雲の中に入ると、そこに『四十日四十夜』居続けましたが、「40」は聖書で十分であることを示します。つまり、モーセは神と共に十分なだけいたということです。モーセが山にいた日数である「40」という数字には、このように象徴的な意味がこめられています。しかし、ここでの「40」日間は象徴的な意味があると同時に実際の日数でもあります。

【25:1~2】
『主はモーセに告げて仰せられた。「わたしに奉納物をささげるように、イスラエル人に告げよ。すべて、心から進んでささげる人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。』
 ここからは祭儀律法が語られます。律法は、祭儀律法、道徳律法、司法律法の3種類に分けられます。このうち祭儀律法は既に廃止されています。祭儀律法の目標はキリストでしたから、キリストの現われによりそれはその役目を終えたからです(ローマ10:4)。ですから今やキリストを信じる者はキリストにおいてこの祭儀律法を全うしています。未だに古代のようにして祭儀律法を守るならば、それはキリスト否定となります。愚かなガラテヤ人たちは既にキリストが現われたにもかかわらず、まだ祭儀律法に固執していたので、パウロから厳しく非難されてしまったのです(ガラテヤ書)。私たちはガラテヤ人のように理解を誤らないよう注意せねばなりません。

 神は、ユダヤ人が感謝と崇拝の印として『奉納物』を捧げるように命じておられます。そのように奉納物を捧げることでユダヤ人は礼拝するのです。「私は神に感謝している」「神を崇めている」などと口では言っていても、もし奉納物を何も捧げようとしなければ、その人は口先だけの人です。その人に神への純粋な信仰はありません。何故なら、『行ないのない信仰は、死んでいる』(ヤコブ2章26節)からです。例えば、私たちに対して「あなたの誕生日を心から祝いたい。しかし、あなたに誕生日プレゼントを贈ることは何があってもしたくないと思っている。たとえどれだけ僅かなプレゼントであっても。」などと言う人がいたらどうでしょうか。このように言う人は、本当のところ、私たちの誕生日などどうでもよいと思っているに違いありません。神への信仰を口にしておきながら奉納物を何も捧げようとしない人は、このようです。しかし、ユダヤ人が奉納物を捧げるといっても、喜んで捧げる人ばかりではありません。中には『いやいやながら』また『強いられて』(Ⅱコリント9章7節)奉納物を捧げるユダヤ人もいたはずです。神はそういった人たちよりも『心から進んでささげる人』の奉納物を優先して受け取るよう命じておられます。何故なら、自分から喜んで捧げる人がそうでない人よりも尊重されるべきだからです。新約時代の聖徒たちも、教会への献金や献品といった仕方で、神への感謝と崇拝を形また行ないとして表わすべきです。その際は喜んで捧げるようにすべきです。そうするならば神に嘉せられるからです。パウロがⅡコリント9:7の箇所で言っている通りです。

【25:3~7】
『彼らから受けてよい奉納物は次のものである。金、銀、青銅、青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、燈油、そそぎの油とかおりの高い香のための香料、エポデや胸当てにはめ込むしまめのうや宝石。』
 神に捧げられる奉納物は何でもよいというのではありません。何を捧げればよいか神はここで指定しておられます。神が指定しておられない奉納物を捧げるのは罪です。神はそのような奉納物を受け入れられません。というのも宗教とは神の意志により成り立っているからです。もし人間が好き勝手にやってもよいというのであれば、それは宗教とは言えないでしょう。この箇所で挙げられている奉納物はどれも神に相応しい物ばかりです。これらのどれかを捧げる際、自分の持っている物のうち最上の物を捧げるべきであったのは言うまでもありません。

【25:8】
『彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。』
 ここからは祭儀律法のうち聖所の規定が語られます。この『聖所』とは『幕屋』のことです。神は、ソロモンが神殿を建てるまでこの幕屋を御自身の聖所としておられました。神殿が出来るとその神殿が神の聖所となりました。新約の時代になってからはキリスト者の身体が聖所となっています(Ⅰコリント3:16~17)。神はこの聖所のあるユダヤ人のうちに住んでおられました。神が実際に住まわれたのは幕屋です。その幕屋はすなわちユダヤ人の場所です。ですから、神は『彼らの中に住む』と言われています。

【25:9】
『幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示すのと全く同じように作らなければならない。』
 モーセとユダヤ人たちは、全く神の指示通りに幕屋を作らねばなりませんでした。神の指示から僅かばかりでも逸脱するのは許されません。何故なら、幕屋とは神の家だからです。

【25:10~16】
『アカシヤ材の箱を作らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。これに純金をかぶせる。それは、その内側と外側とにかぶせなければならない。その回りには金の飾り縁を作る。箱のために、四つの金の環を鋳造し、それをその四隅の基部に取りつける。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取りつける。アカシヤ材で棒を作り、それを金でかぶせる。その棒は、箱をかつぐために、箱の両側にある環に通す。棒は箱の環に差し込んだままにしなければならない。抜いてはならない。わたしが与えるさとしをその箱に納める。』
 神は、『さとし』をその中に納める箱を作るよう命じられます。『さとし』とは『あかし』とも訳せますが、これは後に与えられる十戒を記した2枚の石の板のことです(出エジプト記34:28~29)。この箱は『契約の箱』(ヘブル9章4節)と言われ、ユダヤのうち最も重要な物でした。この箱は『長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半』ですが、1キュビトは約44センチなので、長さ110cm、幅66cm、高さ66cmとなります。例えが卑俗ですが、かなり大きめのダンボールを思い浮かべると分かりやすいかと思います。この箱の四隅には環を付けて、持ち運ぶため長い棒をそこに通さねばなりませんでした。この棒は決して抜かれてはなりません。つまり、この箱は箱そのものに手を触れて持つのではなく、棒をかつぐことで持ち運ぶようになっていました。また、この箱には純金が覆われねばなりませんでした。これは神の箱ですから、神の尊厳に相応しい価値とせねばならないからです。純金ほど神の尊厳に相応しい物質はないでしょう。とはいっても、究極的に言えば、この純金でさえ神の尊厳には相応しくありません。何故なら、純金は価値高いといっても単なる物質に過ぎませんが、神の尊厳は無限の輝きを持っているからです。この純金に混ぜ物がされてはならなかったのは言うまでもありません。また、箱に純金の塗り残しがあってもいけません。ユダヤ人たちは箱を塗る純金に不足していませんでした。というのも、ユダヤ人は出エジプトの際、エジプトから金を大量に剥ぎ取ったからです(出エジプト12:35~36)。

【25:17~22】
『また、純金の『贖いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端に作る。一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作らなければならない。ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしを納めなければならない。わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。』
 契約の箱を覆う『贖いのふた』が作られねばなりません。これは箱の中に入っている戒めの板を隠すためです。贖われていない人間が神の戒めに向かい合うのは出来ない話です。もし贖われていないのに戒めと向き合うならば、人間は戒めから呪いと死刑宣告を受けてしまうだけだからです。それは私たち人間が決して戒めを遵守し得ないからです。そのような人間に戒めは「あなたは戒めを守れないから呪われて死ななければならない。」と宣言するのです。律法ではこう言われています。『このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。』(申命記27章26節)しかし、キリストの贖いを受けている場合は、律法と向き合っても呪いを宣言されることはありません。何故なら、その人が受けるべき律法違反の呪いは贖い主キリストの上に移されたからです(ガラテヤ3:13)。この『贖いのふた』は、キリストの贖い無しには人間が決して律法と向き合えないことを示しています。それでは、もし『贖いのふた』が箱の上になければ、どういうことになっていたのでしょうか。その場合は、罪人に死をもたらす律法が剥き出しのまま、すなわち贖いなしに置かれているわけですから、それは死と呪いを意味していたことになります。何故なら、贖いがなければ律法はただただ人間を死なすことしかしないからです。この蓋は『長さは二キュビト半、幅は一キュビト半』(長さ110cm、幅66cm)でしたが、高さについては指示されていません。指示されていないのは自由裁量で良かったということなのかもしれません。なお、この『贖いのふた』も純金で覆わねばなりませんでした。隙間があってはならなかったのです。

 また、契約の箱の両端には金で作られた2つのケルビムが置かれました。『ケルビム』とは単数形ケルブの複数形であり、これはケルビムという種類の御使いです。創世記3:24の箇所で書かれていたケルビムは実際のケルビムでしたが、契約の箱に置かれているケルビムは単なる像に過ぎませんでした。このケルビムについては黙示録註解や創世記註解などで詳しく述べておきました。ケルビムの翼が『贖いのふた』を覆っているのは、それを守護し見張っているからです。堕落した人間が再び戻れないようにエデンの東にケルビムが置かれたことからも分かる通り(創世記3:24)、ケルビムとは守護者としての御使いなのです。核兵器のボタンが置かれている部屋を厳重に守っている警備員のように、ケルビムは箱の全体を守っていたのです。これは箱とその蓋が非常に重要であることを意味しています。2つのケルビムが置かれた意味は、このように「守護」という観点からです。セラフィムという御使いは守護というより神を崇拝するための役割がありますから、箱には配置されなかったのです。ミカエルやガブリエルといった一人しかいない御使いも配置されませんでした。何故なら、この蓋に配置される御使いは複数いなければいけないからです。

 神はこのケルビムの上に座しておられました(詩篇80:1)。ですから、神はこのケルビムの間からユダヤ人たちに御語りになられました。古代のユダヤ人たちは金のケルビムの場所から神の御声を聞いていたのです。それは空想上の声とか幻の音とか単なる概念などではなく、本当に物質的な粒子により耳の鼓膜へと到達する音声でした。古代の例や、ニザール・アルムルクの有名な「統治の書」にも書かれている通り、異教徒たちの世界では人間が隠れて勝手に神の声を偶像のところから演じるということがよくありました。例えば、偶像の傍にある壁に隠れて誰かが神の声を語ったり、地下に隠れて偶像から神の声を出すということもありました。特に古代人がそうでしたが、こういった演出に騙されてしまう異教徒は少なくありませんでした。しかし、古代ユダヤ人の間ではそういった演出が全くありませんでした。すなわち、神が本当に実際的・物理的な音声をユダヤ人たちに向けて語っておられたのです。それは実際に神が語られた諸々の御言葉における天上性を考えればよく分かります。神の御言葉における天上性はあまりにも明白ですが、いったい人間のうち誰がそのような天上的内容の言葉を創作できるというのでしょうか。ありえない話です。

【25:23~28】
『机をアカシヤ材で作らなければならない。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半。これを純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作り、その回りに手幅のわくを作り、そのわくの回りに金の飾り縁を作る。その机のために金の環を四個作り、その四隅の四本の足のところにその環を取りつける。環はわくのわきにつけ、机をかつぐ棒を入れる所としなければならない。棒をアカシヤ材で作り、これに金をかぶせ、それをもって机をかつぐ。』
 モーセは純金による机も作り、それを棒で担げるようにせねばなりませんでした。この机は礼拝のために使われ、聖所に置かれる物です(ヘブル9:2)。この机は『高さは一キュビト半』すなわち66cmありますが、これはかなりの厚みを持った机です。

【25:29~30】
『注ぎのささげ物を注ぐための皿やひしゃく、びんや水差しを作る。これらは純金で作らなければならない。机の上には供えのパンを置き、絶えずわたしの前にあるようにする。』
 また『皿やひしゃく、びんや水差し』も作られねばなりません。これは神礼拝のために使われる物です。これもやはり『純金』で隙間なく作らねばなりません。

 また『供えのパン』が常に机の上に置かれていなければなりませんでした。これは神を礼拝するためです。もちろん神がこういったパンを必要とされているというのではありません。神は物質を超越された御方ですから、人間とは違いパンなどなくても問題ないからです。そのような神にパンを捧げるというのは無意味にも思えるかもしれません。しかし、神はユダヤ人がこうするのを望まれました。何故なら、このようにしてパンを実際に捧げさせ、あたかも生身の人間を相手にしているかのようにして神を礼拝させなければ、ユダヤ人はすぐに神への礼節を忘れてしまうだろうからです。しかし、生身の人間にそうするかのようにパンを神に捧げるのであれば、ユダヤ人たちは人間相手に行なう行為との親近性から、神を自然と敬うことにもなります。つまり、パンが置かれるのは神がそれを欲されるからというよりは、ユダヤ人たちの敬虔と神崇拝のためでした。

【25:31~36】
『また、純金の燭台を作る。その燭台は槌で打って作らなければならない。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁がなければならない。六つの枝をそのわきから、すなわち燭台の三つの枝を一方のわきから、燭台の他の三つの枝を他のわきから出す。一方の枝に、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくを、また、他方の枝にも、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくをつける。燭台から出る六つの枝をみな、そのようにする。燭台の支柱には、アーモンドの花の形をした節と花弁のある四つのがくをつける。それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六つの枝が燭台から出ていることになる。それらの節と枝とは燭台と一体にし、その全体は一つの純金を打って作らなければならない。』
 聖務で使われる燭台の規定が語られます。この『純金の燭台』は聖所に置かれる物です(ヘブル9:2)。これは芸術的な規定となっています。この燭台を写真か絵で見たことがあるでしょうか。それは非常に美術的な外観です。しかも、それは実用的です。芸術性と実用性の完全なる調和。諸々の被造物を見ても分かりますが、このようにするのが神のやり方なのです。この燭台の支柱からは、右と左にそれぞれ三つずつの枝が両側に出ています。左側に纏まっている3つの枝と右側に纏まっている3つの枝と合わせて一つの燭台です。つまり、2つであるが1つ、1つであるが2つ。このようにするのが神の設計です。夫婦も2人いますが夫婦として一つの存在ですし、生物には目と鼻と耳と脳が2つあるものの一つの頭ですし、ピーナッツやアーモンドやカシューナッツも二つの部分から成り立っていますが一つですし、葉も左右対称の部分が鏡のようにして2つ並んでいるものの一つの葉です。人間の身体も左右対称ですが一つの身体です。これは、神の位格が複数あるものの神は一人であること、またキリストには神性と人性があるものの一つのキリストであることを象徴しています。また、この燭台も純金で作らねばなりませんでした。ここまでの箇所からも分かる通り、聖具はどれも純金ばかりです。至聖所は溢れるばかりの純金で満ちていました。その純金の豊かさは、異邦人が至聖所に侵入した際、思わず息を呑んだほどです。その異邦人は神への畏怖に打たれたのでしょう、そこにある純金に全く手をつけないで退出したのです。このように豊かな純金があるのは、神の栄光に相応しいのです。また、この燭台は『槌で打って作らなければな』りませんでした。これは祭壇の石に工具を当ててはいけなかったのと対極的です(出エジプト20:25)。

【25:37~39】
『それにともしび皿を七つ作る。ともしび皿を上げて、その前方を照らすようにする。その心切りばさみも心取り皿も純金である。純金一タラントで燭台とこれらのすべての用具を作らなければならない。』
 また7つの『ともしび皿』も作られねばなりません。この皿に火の明かりを灯すのです。そして、その皿を燭台の支柱と支柱から左右に出ている6つの枝の上に置きます。このようにして燭台が聖所を照らすようにするのです。火が輝いているだけでなく、燭台とそこに置かれている皿も純金なので輝いていました。これは何という素晴らしい芸術的な光景でしょうか。正に神の尊厳に相応しいと言えます。

 ここまでに規定された聖具は『純金一タラント』(34kg)で作らねばなりません。これは純金としてはかなりの量です。2021年現在の金相場から計算すると、これは2億4千万円に相当します。イスラエルのうちにはこれだけの純金がありました。神がエジプト人からユダヤ人に多くの純金を与えて下さったからです。このように大量の純金が使われるのは、神の栄光に聖具の価値を少しでも対応させるためです。もし純金が少ししか使われないとすれば、聖具は神礼拝に使われる物として相応しくなくなっていたでしょう。もっとも、たとえ宇宙一杯に積み込めるだけの純金が聖具に使われたとしても、神の無限の栄光に対応させることは到底できないのではありますが。

【25:40】
『よく注意して、あなたが山で示される型どおりに作れ。』
 神は再び指示から逸れないようにと命じられます。モーセたちは1mmすら神の規定を誤ってはなりませんでした。神は完全であられますから、神のために使われる聖具も完全でなければいけないからです。卓越した芸術家は僅かな点にさえ徹底的な拘りを持つものです。そのような芸術家を越えた芸術家であられる神は、尚のこと御自身の聖具に拘りを持たれます。ところで、ノアに箱舟製作が命じられた際は、このように注意が促されることはありませんでした。しかし、モーセたちには二度も誤らないようにと注意が促されています(出エジプト25:9、40)。この違いは何なのでしょうか。モーセの時は規定がかなり細かかったのでよく気を付けなければいけなかったからなのでしょうか、それともモーセ時代のユダヤ人は『うなじのこわい』(出エジプト33章3節)者ばかりだったのでいい加減に製作する恐れがあったからなのでしょうか。どちらでもあったと思われます。

【26:1~6】
『幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。幕の長さは、おのおの二十八キュビト、幕の幅は、おのおの四キュビト、幕はみな同じ寸法とする。その五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、また他の五枚の幕も互いにつなぎ合わせなければならない。そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に青いひもの輪をつける。他のつなぎ合わせたものの端にある幕の縁にも、そのようにしなければならない。その一枚の幕に輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の端にも輪五十個をつけ、その輪を互いに向かい合わせにしなければならない。金の留め金五十個を作り、その留め金で幕を互いにつなぎ合わせて一つの幕屋にする。』
 幕屋の規定に移ります。幕屋の外壁となる幕は、1枚の幕を5枚分繋げた一纏まりの幕を、互いに結び合わせます。そうすると合計で『十枚』の幕となりますが、これは「10」ですから幕屋の完全性を示していると思われます。この幕屋のサイズは『長さは、おのおの二十八キュビト』であり『幅は、おのおの四キュビト』ですから、長さ1232cm、幅176cmとなります。これはかなりの大きさです。また5枚の幕で一纏まりとなった一枚の幕には、その縁に『青いひもの輪』を50個付けねばなりませんでした。この紐の輪が金ではなく『青』であるというのは興味深い点です。そして、それぞれ50個ずつの青い輪の付いている2つの幕を、『金の留め金五十個』により結び合わせねばなりません。この留め具のほうは青でなく金となっています。また、この幕には『巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければな』りませんでしたが、これは芸術性と神の守護を示すためです。もしケルビムが描かれていなければ幕は淋しい物となっていたでしょう。ケルビムは神から守護のために遣わされる御使いですから、この幕にケルビムが描かれているのは、幕屋に神の守護があることを意味しています。

【26:7~14】
『また、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作る。その幕を十一枚作らなければならない。その一枚の幕の長さは三十キュビト。その一枚の幕の幅は四キュビト。その十一枚の幕は同じ寸法とする。その五枚の幕を一つにつなぎ合わせ、また、ほかの六枚の幕を一つにつなぎ合わせ、その六枚目の幕を天幕の前で折り重ねる。そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の縁にも輪五十個をつける。青銅の留め金五十個を作り、その留め金に輪をはめ、天幕をつなぎ合わせて一つとする。天幕の幕の残って垂れる部分、すなわち、その残りの半幕は幕屋のうしろに垂らさなければならない。そして、天幕の幕の長さで余る部分、すなわち、一方の一キュビトと他の一キュビトは幕屋をおおうように、その天幕の両側、こちら側とあちら側に、垂らしておかなければならない。天幕のために赤くなめした雄羊の皮のおおいと、その上に掛けるじゅごんの皮のおおいを作る。』
 続いて幕屋を覆う天幕の規定に移ります。この天幕は『十一枚』から構成されますが、「11」と聞くと今の時代ですから気になる人もいるかもしれません。何故なら、この「11」という数字は、今の時代において喜ばしくない数字だと思われているからです。フリーメイソンとイルミナティはよくこの11を使います。しかし、聖書において「11」という数字は何の意味も持っていません。ですから、天幕が「11」枚から構成されているのも特に象徴的な意味はありません。「11はユダヤ教・キリスト教で不吉な数字だ。」などと言っている人たちは、勝手にそのようなことを言っているだけでしょう。ユダヤ教とキリスト教の聖典である聖書のどの箇所から「11」が不吉な数字であることを示せるでしょうか。そんな箇所はありません。明らかに聖書は「11」という数字に意味を付与していません(これは一般に不吉だと思われている「13」の数字も同様です)。また、神はこの天幕に余りの部分、すなわち『残って垂れる部分』があるようにされました。これも規定の一部です。つまり、余る部分が出るように神は設計されたのです。神はその設計において余りを生じさせる御方です。これは4年に1日の余りが出てしまう地球の公転周期(太陽年)を考えても分かります。

 天幕にかける『雄羊の皮のおおいと、その上に掛けるじゅごんの皮のおおい』は、キリストを象徴していると思われます。何故なら、天幕の中にいる罪人たちはキリストにより覆われているべきだからです(ローマ13:14)。祭儀における動物はどれもキリストという神の小羊を象徴しています。

 ところで、このような幕屋などに関する規定は今の私たちにとって無意味なのではないか、と思われる方がいるかもしれません。確かに、私たちがこういった規定を知っていても実際にその規定通りに何か行なうということはありません。それは古代のユダヤ人だけに実際的な関わりを持っているからです。これから再び幕屋が作られるというのであれば話は別ですが、そういうことはありません。しかし私は言いますが、このような規定を知り、理解しておくのは大いに意味と益があります。まず、私たちが幕屋という昔の聖所について知るならば、キリスト者の身体という今の聖所に至るまでの聖所の連続性がよく掴めます。神は今、キリスト者を御自身の聖所としておられますが、モーセの時代には手で作られた幕屋を聖所としておられました。祖先について知ることが決して無意味ではないのと同様、まだ今の聖所ではなかった頃の聖所について知るのは無意味ではありません。また、黙示録やヘブル書を良く理解するためには、どうしても幕屋や聖所といった事柄を知っておく必要があります。何故なら、この2つの文書には幕屋について多く書かれているからです。黙示録やヘブル書を理解するのは重要なことですから、この2つの文書に書かれている幕屋をよく知っておくのも重要であることになります。また、幕屋に関わる規定を知っておくこと自体が有益です。何故なら、それは神の言葉だからです。神の言葉がそれ自体において重要であるということは疑えません。幕屋の規定が退屈に思えてしまう人はいるはずです。しかし今述べたような益があるのですから、聖徒であれば幕屋のことをよく知っておく必要があります。

【26:15~25】
『幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作る。板一枚の長さは十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。板一枚ごとに、はめ込みのほぞ二つを作る。幕屋の板全部にこのようにしなければならない。幕屋のために板を作る。南側に板二十枚。その二十枚の板の下に銀の台座四十個を作らなければならない。一枚の板の下に、二つのほぞに二個の台座を、他の板の下にも、二つのほぞに二個の台座を作る。幕屋の他の側、すなわち北側に、板二十枚。銀の台座四十個。すなわち一枚の板の下に二個の台座。他の板の下にも二個の台座。幕屋のうしろ、すなわち、西側に、板六枚を作らなければならない。幕屋のうしろの両隅のために板二枚を作らなければならない。底部では重なり合い、上部では、一つの環で一つに合うようになる。二枚とも、そのようにしなければならない。これらが両隅となる。板は八枚、その銀の台座は十六個、すなわち一枚の板の下に二個の台座、他の板の下にも二個の台座となる。』
 幕屋のため『まっすぐに立てる板』が作られなければなりません。この板にもやはり金がかぶせられます(出エジプト26:29)。すなわち、それはアカシヤ材のままにしてはいけませんでした。この板の幅は『一キュビト半』すなわち66cmですから、かなりの厚みがあります。また板の長さは『十キュビト』すなわち440cmですから、かなりの長さです。

【26:26~29】
『アカシヤ材で横木を作る。すなわち、幕屋の一方の側の板のために五本、幕屋の他の側の板のために横木五本、幕屋のうしろ、すなわち西側の板のために横木五本を作る。板の中間にある中央横木は、端から端まで通るようにする。板には金をかぶせ、横木を通す環を金で作らなければならない。横木には金をかぶせる。』
 板の横に通す横木が作られねばなりません。この横木も横木を通る環も純金にせねばなりません。この箇所では『幕屋のうしろ、すなわち西側』と書かれています。つまり、幕屋の正面、入口は東に向いていました。これは『義の太陽』(マラキ4章2節)であるイエス・キリストを象徴する太陽が、東から上るからです。このキリストという太陽が上る、すなわち現われると、キリストの身体という真の聖所が現われます(ヨハネ2:19~21)。ですから、聖所の入口は東に向いているのです。もし太陽が西から上っていたとすれば、聖所の入口も西にあったでしょう。

【26:30】
『あなたは山で示された定めのとおりに、幕屋を建てなければならない。』
 また再び指定通りに作らねばならないと命じられています。このように注意が促されるのはこれで3度目です(出エジプト25:9、40)。これは、間違わないようとにかく細心の注意を払わねばならないことを意味しています。

【26:31~35】
『青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。これを、四つの銀の台座の上に据えられ、その鉤が金でできている、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱につける。その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。至聖所にあるあかしの箱の上に『贖いのふた』を置く。机を垂れ幕の外側に置き、その机は幕屋の南側にある燭台と向かい合わせる。あなたはその机を北側に置かなければならない。』
 聖所と至聖所を区切る『垂れ幕』も作られねばなりません。この垂れ幕は非常に重要です。何故なら、聖所であれば全ての祭司がそこに入れますが、至聖所は大祭司が年に一度だけしか入れないからです(ヘブル9:7)。この垂れ幕には幕屋の幕と同様にケルビムを描かねばなりませんでしたが(出エジプト26:1)、垂れ幕にケルビムを描く理由は幕屋の幕の場合と同じです。また、この垂れ幕は『青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で』素晴らしく作られねばなりませんでした。

 聖所が幕屋ではなく石で造られた神殿になっていた頃のことですが、この仕切りの『垂れ幕』は、キリストが私たちの罪のため十字架で死なれた時に裂けました(マタイ27:51)。このような出来事はかつてありませんでした。これはキリストが天という真の至聖所に入られたことを意味していました(ヘブル9:24)。それまではレビ人である死すべき大祭司が、仕切りの幕を通って至聖所に入るだけでした。しかし、贖いが実現されると、ユダ族である永遠の大祭司なるイエス・キリストが本当の至聖所に入って聖務を行なわれることとなりました。ですから、紀元1世紀にこの幕が裂かれたのには深い意味があったのです。この裂かれた幕が再び元に戻ることはありません。何故なら、キリストは単なる模型に過ぎない人の手による至聖所ではなく、天という真の至聖所で永遠に聖務を行なわれるからです。この件についてここではこの程度に留めておくべきでしょう。これは福音書を取り扱っている際に詳しく説明されるべきことだからです。

 この箇所では聖具の配置が示されています。『垂れ幕の内側』すなわち至聖所には、『あかしの箱』および『贖いのふた』が置かれます。『垂れ幕の外側』すなわち聖所には、南側に『燭台』を、北側に『机』を置きます。どうして机が北側で、燭台が南側に置かれるべきなのでしょうか。聖書はこれについて何も説明していません。これは机に捧げ物のパンが置かれるからなのでしょう。神に捧げる捧げ物は重要です。ですから、そのような重要な捧げ物が置かれる机は北に配置されるべきなのです。何故なら、北とはすなわち「上」であり、神のおられる天を示すからです。サタンも高ぶって神のようになろうと思った際、神のおられる場所として『北』のほうに行こうと言いました(イザヤ14:13)。燭台には捧げ物を置きませんから、机よりも下つまり『南側』でよいのです。ですから、もし燭台に捧げ物が置かれて机には火の灯りが置かれるということであれば、燭台が北で机が南になっていたはずです。

【26:36~37】
『天幕の入口のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で刺繍をした幕を作る。その幕のためにアカシヤ材の柱五本を作り、これに金をかぶせる。それの鉤も金で、また、それらの柱のために青銅の台座五つを鋳造する。』
 天幕の入口の幕を、仕切りの幕と同様、素晴らしく作らねばなりません。また、その幕のために純金の柱および鉤も作らねばなりません。しかし、その柱の下に作る5つの台座は青銅でした。台座は金でなくてもよいのです。これが金でなくてもよいとい点は興味深いことです。

【27:1~2】
『祭壇をアカシヤ材で作る。その祭壇は長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形でなければならない。高さは三キュビトとする。その四隅の上に角を作る。その角は祭壇の一部でなければならない。青銅をその祭壇にかぶせる。』
 犠牲獣を屠る祭壇が作られねばなりません。それは、長さ220cm、幅220cm、高さ132cmです。これを何かで分かりやすく例えれば、かなりの高さがある非常に巨大な鉄板といったところでしょうか。この祭壇の面積は獣を屠るためには実に調度良い大きさです。またその高さも調度良くなっています。祭壇が『四角形』であるのは近代魔術においても取り入れられています。クロウリーの魔術書を読むと、四角形(もっと正確に言えば立方体)の祭壇が説明また紹介されています。しかし、だからといってユダヤの祭壇に何か魔術的な要素があるのではないことは言うまでもありません。聖書は魔術や魔術師たちから何の影響も受けていないからです。影響を受けているのは、むしろ魔術や魔術師たちのほうなのです。

 祭壇の四方には『角』を作らねばなりませんでした。聖書において角は王権や権威を示します。ですから、これは祭壇に尊厳を付与しているのでしょう。というのも、祭壇とは神への聖なる捧げ物を捧げる場所だからです。そのような祭壇は『角』が付けられて高められるべきなのです。この『角』が動物を示していると考えることはできません。これは安直な解釈です。既に述べましたが、古代ユダヤにはこの角にしがみつけば守られ救われるという考えがありました。律法はそのようなことを規定していませんが、ユダヤ人たちの間には一般にそう言った考えがあったのです。これは古代の異教徒たちも同様でした。ですから、異教徒たちが大変な危機を感じた際は、祭壇のところに逃げ込んで祭壇にしがみついたのです。しかし、神は祭壇にしがみついていても、殺されるべき者は必ず殺されねばならないと命じておられます(出エジプト21:14)。何故なら、律法では「祭壇にしがみつけば守られ救われる。」などとは定められていないからです。

 この祭壇には『青銅』をかぶせねばなりません。青銅であって純金ではないのです。何故なら、獣が屠られる場所に相応しいのは純金よりも青銅だからです。何であれその場所に適切な物質があります。獣を焼く場所が金で輝いているのは望ましくないのです。

【27:3】
『灰を取るつぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作る。祭壇の用具はみな、青銅で作らなければならない。』
 祭壇のために使う『つぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿』といった諸々の聖具も、やはり青銅でなければいけません。獣の灰や血やカスが付着するのですから青銅であるべきなのです。純金はこういった物が付かないことのために使用されるべきです。

【27:4~5】
『祭壇のために、青銅の網細工の格子を作り、その網の上の四隅に、青銅の環を四個作る。その網を下方、祭壇の出張りの下に取りつけ、これを祭壇の高さの半ばに達するようにする。』
 祭壇の下に取りつける網細工もやはり青銅で作らねばなりませんでした。なお、このような祭壇に関する物に使われる青銅は、言うまでもなく欠損のない最上の物であるべきでした。神に関する事柄では物惜しみがされるべきではないからです。

【27:6~7】
『祭壇のために、棒を、アカシヤ材の棒を作り、それらに青銅をかぶせる。それらの棒は環に通されなければならない。祭壇がかつがれるとき、棒は祭壇の両側にある。』
 祭壇には棒を通すための環が作られねばなりません。つまり、この祭壇は全体を直接運ぶのではなく、棒を持つことで運ぶようになっています。この棒は環に通したままでいなければならなかったと思われます。契約の箱も棒を環から抜いてはならなかったからです(出エジプト25:15)。この棒の長さについては指示がありません。恐らく自由裁量で良かったのでしょう。

【27:8】
『祭壇は中をからにして板で作らなければならない。』
 祭壇の中は空白になっていなければなりません。つまり、祭壇は6つの板で構成されています。もし祭壇が中まで青銅で満ちていたとすれば、恐らく重くて運べなかったかもしれません。

『山であなたに示されたところにしたがって、彼らはこれを作らなければならない。』
 再び規定通りに作らねばならないと注意が促されています。ユダヤ人は、失敗の許されない外科手術でもあるかのように制作作業をせねばなりませんでした。

【27:9~18】
『幕屋の庭を作る。南側に面して、庭の掛け幕を、その側のための長さ百キュビトの撚り糸で織った亜麻布を、張る。柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀とする。同じように、北に面して、その長さで、長さ百キュビトの掛け幕とする。柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀とする。また、西に面して庭の幅には五十キュビトの掛け幕、その柱十本、その台座十個とする。前面の東に面する庭の幅も五十キュビト。片側に寄せて、十五キュビトの掛け幕と、その三本の柱、その三個の台座とする。他の片側にも十五キュビトの掛け幕と、その三本の柱、その三個の台座とする。庭の門には、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を使った長さ二十キュビトの刺繍した幕と、その四本の柱、その四個の台座とする。庭の周囲の柱はみな、銀の帯輪を巻きつけ、その鉤は銀、台座は青銅とする。この庭は、長さ百キュビト、幅は五十キュビトに五十キュビト、高さ五キュビト、幕は撚り糸で織った亜麻布、その台座は青銅とする。』
 庭の規定に移ります。聖所の入口は東に向いていますから、庭は聖所から東の方面にありました。この庭には異邦人も入ることができました。しかし、その先にある聖所には決して入れませんでした。わざわざ遠くからユダヤの神に犠牲を捧げるためにやって来た異邦人の王や権威者は多くいましたが、聖所の中を見てみたいと思っても許可されることはありませんでした。ヤハウェの名声は異邦人のうちにも鳴り響いていましたから、異邦人もやって来てはこの庭で礼拝を捧げました。この庭には女性だけで礼拝する専用のスペースがありました。女性が礼拝する場合はこの場所に行くのです。この庭には亜麻布が張られていました。庭の門には刺繍の施された亜麻布の幕もあります。ですから、幕屋ほどではありませんでしたが、庭もその見栄えは相当なものでした。

 この庭の大きさは『長さ百キュビト、幅は五十キュビトに五十キュビト、高さ五キュビト』すなわち長さ44m、幅22m、高さ2m20cmです。かなり広々としています。

 この庭には、幕屋とは違い、銀と青銅しか使われていません。幕屋のように金は使われないのです。これは幕屋との格の違いを示すためです。もし庭にも金が使われていれば序列の秩序がよく分からなくなっていたでしょう。高貴な場所ほど高貴な物質が使われるべきであるというのは理の当然なのです。これは王の宮殿などを考えても分かります。

【27:19】
『幕屋の奉仕に用いるすべての用具、すべての釘、庭のすべての釘は青銅とする。』
 『幕屋の奉仕に用いるすべての用具、すべての釘、庭のすべての釘』に純金は使われません。幕屋の奉仕に用いる用具が青銅であるのは、先にも述べた通り、犠牲獣の灰などが付着するからです。幕屋に用いる釘が青銅であるのは、アウグスティヌスであれば「釘でキリストは十字架に付けられたからである。」などと言ったかもしれません。しかし、幕屋の釘が青銅であるのは、それに本体的な要素がないからだと思われます。つまり、釘は付随的な要素なので青銅が相応しいわけです。庭で用いる釘を青銅にせねばならないのも、やはり庭が第一次的な場所ではないからでしょう。幕屋こそが第一次的な場所です。

【27:20~21】
『あなたはイスラエル人に命じて、燈火用に上質の純粋なオリーブ油を持って来させ、ともしびを絶えずともしておかなければならない。アロンとその子らは、あかしの箱の前の垂れ幕の外側にある会見の天幕で夕方から朝まで、主の前にそのともしびをととのえなければならない。これはイスラエル人が代々守るべき永遠のおきてである。』
 アロンとその子たちは、『夕方から朝まで』オリーブ油により燭台を灯し続けねばなりませんでした。これが彼らの聖務です。これは神が光であられ(Ⅰヨハネ1:5)、その神の買い取られた民であるイスラエルの聖所は決して闇になってはならないからです。光の神のおられる聖所に闇が生じる。これはあってはなりません。聖所が闇になるのはイスラエルにとって心臓が止まるようなものです。この燭台に灯す火は『上質の純粋なオリーブ油』でなければいけませんでした。神の聖務において劣悪な物が使われてはならないからです。どの国であっても王の儀式には上質な物が使われるでしょう。神の場合もそうでなければいけないのです。このように聖所で仕える祭司たちには、強い精神力が求められました。何故なら、夜であっても灯りが消えないようにせねばならないからです。また、祭司たちは夜でも裸足で冷たい床を移動していたので、胃病にかかる祭司たちが多くいました。要するに職業病です。

 燭台に火を灯す聖務は『代々守るべき永遠のおきて』であると定められています。ところが今や燭台を置く幕屋や人の手による神殿はありません。これから燭台を置く聖所が再び地上に建てられるというのであればこの聖務を行なえますが、もう地上に人工的な聖所は建てられません。つまり、この聖務がもう行なわれることはありえません。では、この箇所における神の御言葉は地に落ちてしまうことにならないでしょうか。そういうことはありません。キリストにより祭儀律法の全ては成就されました(マタイ5:17)。私たちキリストを信じる者はこのキリストにおいて燭台の規定を全うするのです。キリストは真の大祭司として今も天で日々聖務を行なっておられます。私たちもキリストにおける祭司として神の御前に仕えています(Ⅰペテロ2:9、黙示録1:5~6)。ですから、私たちは信仰においてこの祭儀規定を満足させています。というのも信仰は律法を確立するからです(ローマ3:31)。こういうわけですから、私たちは「もうこの規定を全うすることはできなくなった。」と言うべきではありません。私たちはキリスト信仰のゆえにキリストにおいて全ての祭儀律法を守ったと神から見做されているからです。こうでなければ私たちは律法の違反者だということになり、永遠の呪いを受けるべきことになります。しかし、信じる者たちが永遠の呪いを受けることなどどうしてあるでしょうか。

【28:1】
『あなたは、イスラエル人の中から、あなたの兄弟アロンとその子、すなわち、アロンとその子のナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを、あなたのそばに近づけ、祭司としてわたしに仕えさせよ。』
 神は、アロンとアロンに連なる子孫たちをイスラエルの祭司として任じられました。どうして彼らなのでしょうか。聖書はアロンとその子たちが祭司になるべき理由を示していません。これは、アロンがモーセと共にイスラエル人の指導者として選ばれたからなのでしょう。モーセに次ぐ第二位の人物であるアロンがイスラエルの祭儀を司るというのは自然なことです。また、アロンの子がアロンの聖務を引き継ぐというのも自然です。もしかしたらアロンは出エジプトの前から既にエジプトでユダヤ人のため宗教的な仕事をしていた可能性もあります。だからこそ、神の摂理により、前から宗教的な業をしていたアロンがイスラエルの大祭司にされたのかもしれません。もっとも、これは根拠のない推測に過ぎませんから、実際にアロンが宗教的な仕事を前からしていたかどうかは分かりません。このようにアロンとその子孫に祭司職を与えるというのが神の御心でした。つまり、努力とか祭司になりたいという意志により祭司になることは不可能でした。祭司になるのは「選び」だけが必要だからです。それゆえ、アロンの子孫であれば既に生まれた時から祭司としての役目が決まっていたのです。ちょうど天皇の長子として生まれたならば将来の天皇になることが決定しているのと同じです。

【28:2~5】
『また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表わす聖なる装束を作れ。あなたは、わたしが知恵の霊を満たした、心に知恵のある者たちに告げて、彼らにアロンの装束を作らせなければならない。彼を聖別し、わたしのために祭司の務めをさせるためである。彼らが作らなければならない装束は次のとおりである。胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯。彼らは、あなたの兄弟アロンとその子らに、わたしのために祭司の務めをさせるため、この聖なる装束を作らなければならない。それで彼らは、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取らなければならない。』
 大祭司であるアロンのためには『栄光と美を表わす聖なる装束』が作られます。旧約の大祭司は、キリストという真の大祭司における「影」です。すなわち、旧約の大祭司は大祭司キリストを象徴・予表しています。大祭司であられるイエス・キリストは大いなる存在です。ですから、そのようなキリストを示すため、旧約の大祭司は素晴らしい装束を付けねばならなかったのです。もし旧約の大祭司がみすぼらしい格好をしていたとすれば、大祭司であられるキリストを示す存在として相応しくありませんでした。

 この装束は神が『知恵の霊を満たした、心に知恵のある者たち』に作らせねばなりません。このような者たちは出エジプト31:3、6で書かれています。つまり、大祭司の装束はレンブラントやラファエロのように卓越した人物が作らねばなりませんでした。素人や卓越していない美術家はお呼びではありません。もちろん、卓越していなくても装束の作成に携わりたいという願いそのものは、神に蔑まれなかったでしょう。しかし、卓越していない人たちはキリストのために自分を引っ込めるべきでした。この装束は、キリストを象徴する大司祭にとって重要な要素だったからです。

 この箇所からも分かる通り、超絶的な職人業を持つ人は『知恵の霊』を神から受けています。神がその人の心に知恵を与えるのです。だからこそ、素晴らしい物を作ることができるわけです。もし神から知恵の心を受けていなければ、その人は何も卓越したことをできていなかったでしょう。パウロがⅠコリント4:7の箇所で示している通りです。近代で言えば、先に挙げたレンブラントやラファエロ、またモネなどがそうでしょう。ヒトラーやチャーチルは芸術をする人でした。しかし、この2人には芸術における卓越した知恵が与えられていませんでしたから、決して飛び抜けてはいない絵しか描けませんでした。彼らも知恵の霊を受けていればレンブラントのような有名芸術家になれていたのですが。

【28:6~14】
『彼らに金色や、青色、紫色、緋色の撚糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、巧みなわざでエポデを作らせる。それにつける二つの肩当てがあって、その両端に、それぞれつけられなければならない。エポデの上に結びあや織りの帯は、エポデと同じように、同じ材料、すなわち金色や、青色、紫色、緋色の撚糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作る。二つのしまめのうを取ったなら、その上にイスラエルの子らの名を刻む。その六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石に、生まれた順に刻む。印を彫る宝石細工師の細工で、イスラエルの子らの名を、その二つの石に彫り、それぞれを金のわくにはめ込まなければならない。その二つの石をイスラエルの子らの記念の石としてエポデの肩当てにつける。アロンは主の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。あなたは金のわくを作り、また、二つの純金の鎖を作り、これを編んで、撚ったひもとし、この撚った鎖を、先のわくに、取りつけなければならない。』
 エポデの芸術的な規定。エポデとは要するに大祭司の上半身に着ける宗教的な飾りです。それは非常に美術的な装飾品でした。ですから、これを着けることで大祭司としての尊厳が増し加えられるのです。また、エポデの肩当てには、イスラエルの12族長の名を6つに分けて刻んだ2つの石が、それぞれ右と左とに付けられていました。これは大祭司が御前においてイスラエル12部族の名を負っているからです。また、このエポデには『2つの純金の鎖』も取りつけられていました。この輝かしい鎖も大祭司の権威を高める物です。

【28:15~30】
『あなたはさばきの胸当てを、巧みな細工で作る。それをエポデの細工と同じように作らなければならない。すなわち、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作らなければならない。それは、四角形で、二重にし、長さは一あたり、幅は一あたりとしなければならない。その中に、宝石をはめ込み、宝石を四列にする。すなわち、第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。第二列はトルコ玉、サファイア、ダイヤモンド。第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶。第四列は緑柱石、しまめのう。碧玉。これらを金のわくにはめ込まなければならない。この宝石はイスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。十二部族のために、その印の彫り物が一つの名につき一つずつ、なければならない。また編んで撚った純金の鎖を胸当てにつける。胸当てに、金の環二個をつけ、その二個の環を胸当ての両端につける。この二筋の金のひもを胸当ての両端の二個の環につける。その二筋のひもの他の端を、先の二つのわくにつけ、エポデの肩当てに外側に向くようにつけなければならない。ほかに二個の金の環を作り、これを胸当ての両端、すなわち、エポデの前に来る胸当ての内側の縁につける。ほかに二個の金の環を作り、これをエポデの二つの肩当ての下端の外側に、すなわち、エポデのあや織りの帯の上部の継ぎ目に接した面の上につける。胸当ては、青ひもで、その環のところをエポデの環に結びつけ、エポデのあや織りの帯の上にあるようにする。胸当てがエポデからずり落ちないようにしなければならない。アロンが聖所にはいるときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子らの名をその胸の上に載せ、絶えず主の前で記念としなければならない。さばきの胸当てには、ウリムとトンミムを入れ、アロンが主の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。アロンは絶えず主の前に、イスラエルの子らのさばきを、その胸の上に載せる。』
 大祭司には『さばきの胸当て』も必要です。この胸当ては非常に装飾的でした。ですから、これを着けることで大祭司としての権威が増し加わるのです。また、この胸当てにはイスラエル12族長の名を刻んだ宝石が付けられていました。これは大祭司が『イスラエルの子らのさばき』、すなわち12族長たちの教訓または伝統を負っているということなのでしょう。この胸当ては先に見たエポデの上に着けますが、それは決してずり落ちないようにせねばなりませんでした。神の御前で胸当てがずり落ちるのは不作法極まりありません。

 この胸当てに入れる『ウリムとトンミム』とは何でしょうか。神は、これらが何か既に知っている古代のユダヤ人を対象として語っておられるのであり、これらが何か詳しく知らない今の私たちを対象に語ってはおられません。ですから、ウリムとトンミムについて具体的な説明がなかったとしても不思議ではありません。それは日本人が日本人に対して「納豆」のことを詳しく説明する必要がないのと同じだからです。聖書でこのウリムとトンミムについて書かれている箇所は幾つかありますが、Ⅰサムエル記28:6の箇所を見ると、どうやらこれは神に伺いを立てる時の聖具だったようです。その箇所では、サウルが主にウリムで伺ったけれども答えは何もなかった、と書かれているからです。つまり、これは神に語りかける際に祭司が持っているべき道具だったのでしょう。少し例えは適切でありませんが、今で言えば呼び出しのボタンと似た物であったと考えられます。これは『ウリム』と『トンミム』の2つがあります。しかし、どちらも本質的には同一の道具であり、ただバージョンが違うだけだったと思われます。

 この箇所で『ダイヤモンド』がイスラエルの子らを示す宝石として挙げられているのは、非常に驚くべきことであり、注目に値します。「これのどこが驚くべきことなのか。」と思われる人もいるでしょう。これの驚くべきことは、既にモーセ時代の頃(紀元前1300年頃)からユダヤではダイヤモンドの存在が知られていたということです。何故なら、ユダヤ人に知られているからこそ、神はダイヤモンドを挙げられたに違いないからです。もちろん、ユダヤ人はその存在を知らなかったのに神がダイヤモンドを挙げられたという可能性もないわけではありません。しかし、ユダヤ人に知られていたからこそダイヤモンドがここで挙げられているとするのが自然な理解でしょう。モーセ時代のユダヤ人がダイヤモンドを知っていたというのは、古代エジプト人もダイヤモンドを知っていたということです。何故なら、モーセ時代のユダヤ人はエジプト人と一緒の国にいたからです。

【28:31~35】
『エポデの下に着る青服を、青色の撚り糸だけで作る。その真中に頭を通す口を作る。その口の周囲には、織物の縁をつけ、よろいのえりのようにし、ほころびないようにしなければならない。そのすそに、青色、紫色、緋色の撚り糸で、ざくろを作り、そのすその回りにこれをつけ、その回りのざくろの間に金の鈴をつける。すなわち、青服のすその周りの金の鈴、ざくろ、金の鈴、ざくろ、となるようにする。アロンはこれを務めを行なうために着る。彼が聖所にはいり、主の前を出るとき、またそこを去るとき、その音が聞こえるようにする。彼が死なないためである。』
 アロンがエポデの下に着る服について規定されています。この服で特徴的なのは、その裾にザクロと金の鈴が交互に付いていることです。このザクロはもちろん本物ではなく、撚り糸で作られた飾りです。このザクロが裾に付いているのは、神の妻である教会における頬の美しさを象徴させていると考えられます。雅歌では教会という神の妻について『あなたはなんと美しいことよ。…あなたの頬は、顔おおいのうしろにあって、ざくろの片割れのようだ。』(雅歌4章1、3節)と書かれているからです。このザクロの隣にある金の鈴は、神の御前に出入りする際にはその音を鳴り響かせなければ死んでしまいます。神は、盗人のようにこっそり御自身の御前に出入りする者を嫌われるのです。また、この服は『ほころびないようにしなければな』りませんでした。完全なる神の御前では完全さが要求されるからです(マタイ5:48)。

【28:36~38】
『また、純金の札を作り、その上に印を彫るように、『主への聖なるもの』と彫り、これを青ひもにつけ、それをかぶり物につける。それはかぶり物の前面に来るようにしなければならない。これがアロンの額の上にあるなら、アロンは、イスラエル人の聖別する聖なる物、すなわち、彼らのすべての聖なるささげ物に関しての咎を負う。これは、それらの物が主の前に受け入れられるために、絶えずアロンの額の上になければならない。』
 アロンがかぶる『かぶり物』の前面には『主への聖なるもの』と彫られた純金の札を付けねばなりませんでした。それを付けることでアロンが『主への聖なるもの』と見做されることになります。そうしますとアロン自体が主への聖なる存在となりますから、アロンが民に代わって捧げる捧げ物も神に受け入れられることになります。ですから、アロンが捧げ物を神に捧げる際は、この札をずっと頭に付けていなければなりません。そうしないと捧げ物は受け入れられないからです。というのも、その場合、捧げ物を捧げる当の主体者が、神に受け入れられる状態となっていないからです。捧げ物を捧げる主体者がまず神に受け入れられていないのであれば、当然ながら、その主体者が捧げる捧げ物も受け入れられることはありません。

【28:39~43】
『亜麻布で市松模様の長服を作り、亜麻布でかぶり物を作る。飾り帯は刺繍して作らなければならない。あなたはアロンの子らのために長服を作り、また彼らのために飾り帯を作り、彼らのために、栄光と美を表わすターバンを作らなければならない。これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。彼らのために、裸をおおう亜麻布のももひきを作れ。腰からももにまで届くようにしなければならない。アロンとその子らは、会見の天幕にはいるとき、あるいは聖所で務めを行なうために祭壇に近づくとき、これを着る。彼らが咎を負って、死ぬことのないためである。これは、彼と彼の後の子孫とのための永遠のおきてである。』
 アロンとその子らには『長服』と『飾り帯』と『ターバン』と『ももひき』が作られねばなりません。これらはどれも超一級品として作られねばなりません。これらを身に着けるのは、あまりにも重要です。何故なら、これらを着て裸を覆わず、祭司として相応しくしていなければ、聖務を行なう際に裁かれて死んでしまうからです。もし裸の状態で御前に出ることでもあれば、即刻死なされてしまうでしょう。何故なら、裸とは人間の罪深さを示しており、それは堕落した状態を如実に表示しているからです。神はそのような裸の状態を嫌っておられます。それというのも、人間の堕罪は神の義に真っ向から対立しているからです。ですから、聖務を行なう祭司たちは、裸をしっかりと覆い、しっかりとした聖装をしていなければなりませんでした。

 アロンとその子らは、素晴らしい『ターバン』によっても見栄えの良い外観とされねばなりません。このターバンというのは、よくイスラム教の指導者が頭にかぶっているのをテレビなどで見ますから、知らない人はいないでしょう。キリストの大祭司職を示すのが旧約の祭司たちです。ですから、こういった『栄光と美を表わすターバン』が祭司には必要なのです。もちろん、祭司であるレビ人に威光と尊厳を増し加えるというのが第一目的とされているわけではありません。第一目的は、祭司たちに栄光と美が増し加えられることで、より良くキリストという大祭司が象徴されるようになることです。何故なら、キリストが第一目的とされるのでなければ、祭司がその外観において研ぎ澄まされても意味はないからです。

 ここで書かれている通り、祭司になるレビ人は『油をそそぎ』かけられることで祭司の職に就きました。つまり、この油注ぎは任職の儀式です。当然ながらこの油は最上の物を使うべきでした。ユダヤでは祭司以外でも王が王職に就く際、油を注がれねばなりませんでした。イスラエル初代の王であるサウルは、王になる際、サムエルから油を注がれています(Ⅰサムエル10:1)。このような油注ぎについて聞くと、十字架に架かられる前のキリストに油を注いだ女のことを思い出す人もいるかもしれません(マタイ26:6~13)。確かにキリストの頭には油が注がれましたが、これに任職の意味はありませんでした。キリスト御自身がそれは『埋葬の用意』(マタイ26章12節)であると言っておられるからです。この油注ぎの際に祭司たちは『聖別』されますが、この「聖別」とは、つまり神のために使われる聖なる存在として選び取られるという意味です。エリヤやエレミヤといった預言者たちも神に聖別されていました。この『聖別』という言葉は聖書で非常に多く出てきます。

【29:1~9】
『あなたは、彼らを祭司としてわたしに仕えるように聖別するため、次のことを彼らにしなければならない。すなわち、若い雄牛一頭、傷のない雄羊二頭を取れ。種を入れないパンと、油を混ぜた種を入れない輪形のパンと、油を塗った種を入れないせんべいとを取れ。これらは最良の小麦粉で作らなければならない。これらを一つのかごに入れ、そのかごといっしょに、あの一頭の雄牛と二頭の雄羊とをささげよ。アロンとその子らを会見の天幕の入口に近づかせ、水で彼らを洗わなければならない。あなたは、装束を取り、アロンに長服とエポデの下に着る青服と、エポデと胸当てとを着せ、エポデのあや織りの帯を締めさせる。彼の頭にかぶり物をかぶらせ、そのかぶり物の上に、聖別の記章を掛ける。そそぎの油を取って、彼の頭にそそぎ、彼に油そそぎをする。彼の子らを近づけ、彼らに長服を着せなければならない。アロンとその子らに飾り帯を締めさせ、ターバンを巻きつけさせる。永遠のおきてによって、祭司の職は彼らのものとなる。あなたは、アロンとその子らを祭司職に任命せよ。』
 アロンとその子たちを祭司職に任ずるためには規定の順序があります。まず、3匹の動物を種無しのパンおよび煎餅と共に捧げます(1~3節)。動物のうち『若い雄牛』はアロンを、『雄羊二頭』はアロンの子たちを示していると思う人がいるかもしれません。後の箇所を見ると、このように考えるのは間違っていることが分かります。パンと煎餅に種を入れるのは禁止されています。種は罪の象徴だからです。このパンと煎餅は『最良の小麦粉で作らなければ』なりませんでした。それを捧げる相手は至高の神だからです。次にアロンとその子たちを水で洗います(4節)。祭司として聖別される者たちは清くあるべきだからです。そして、アロンに規定の格好をさせてから、任職の油をその頭に注ぎます(5~7節)。その次にアロンの子たちに規定の格好をさせ、任職の油を注ぎます(8~9節)。まずアロン、次にアロンの子たち、という順番で聖別されていることが分かります。なお、この箇所ではアロンの子たちに油注ぎをすることについて書かれていませんが、アロンの子たちにも油を注ぐべきだったことは明らかです。何故なら、先に見た出エジプト28:41の箇所では『彼ら』すなわちアロンの子たちにも『油をそそぎ』かけよと命じられていたからです。つまり、私たちが今見ているこの箇所では、アロンの子たちに油注ぎをすることが単に文章では書かれず省略されているだけです。

 この任職の儀式はモーセが全て行ないます。アロンとその子たちが自分自身で行なうのではないのです。このように、イスラエルの大祭司アロンでさえ、モーセの叙任抜きには大祭司になれていませんでした。ここにモーセのイスラエルにおける優位性が示されています。このようなことからも分かりますが、モーセは王ではありませんでしたが王のようであり、教皇ではありませんでしたが教皇のようでした。また、モーセは神ではありませんでしたが神のようでさえもありました。実際、神御自身がモーセは神のようにされると言われました(出エジプト4:16、7:1)。このような地位と権力の卓越さゆえ、今でもモーセは偉大な人物として語り継がれているわけです。

【29:10~14】
『あなたが、雄牛を会見の天幕の前に近づけたなら、アロンとその子らがその雄牛の頭に手を置く。あなたは、会見の天幕の入口で、主の前に、その雄牛をほふり、その雄牛の血を取り、あなたの指でこれを祭壇の角につける。その血はみな祭壇の土台に注がなければならない。その内臓をおおうすべての脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓と、その上の脂肪を取り、これらを祭壇の上で焼いて煙にする。ただし、その雄牛の肉と皮と汚物とは、宿営の外で火で焼かなければならない。これは罪のためのいけにえである。』
 先の箇所で書かれていた『若い雄牛一頭』(出エジプト29章1節)は、アロンとその子たちを贖うために生贄とされます。祭司となる前に彼らが贖われていなければどうしようもないからです。神は贖われていない者を決して受け入れられません。贖われてこそ人は神の御前に立つことができます。ですから、祭司職に就こうとしているアロンとその子たちのためには、まず『罪のためのいけにえ』が『雄牛』により捧げられねばなりませんでした。

 また、この雄牛の血を、祭壇の角に付け、祭壇の土台に注がねばなりません。これはどちらも祭壇の端の部分ですから、つまり祭壇の全体を贖っているのです。先にも述べたように、祭壇をそのままで使うことは出来ませんから、祭壇を使う際は、まずその全体を贖わねばならないのです。

 アロンとその子たちが『雄牛の頭に手を置く』のは、その雄牛がアロンとその子たちの罪を負うからです。これはレビ記1:4の箇所を見れば分かります。聖書では、手を置くことについて他の意味もあります。例えば、キリストは子どもたちの上に手を置かれました(マタイ19:13~15)。これは子どもたちを祝福されたのです。また、使徒たちはサマリヤ人たちの頭に手を置きました(使徒行伝8:14~17)。これによりサマリヤの聖徒たちは聖霊を受けたのです。また、アンテオケにいた聖徒たちはバルナバとパウロに手を置きました。これは聖なる任務のためこの2人を遣わすためでした(使徒行伝13:2~3)。

 この雄牛はキリストの象徴でした。神は、この雄牛の犠牲をキリストの犠牲として見做しておられました。だからこそ、雄牛の犠牲が罪の贖いとなったのです。雄牛そのものが罪を清めるというのではありません。罪を清めるのは、あくまでもこの雄牛がキリストを示しているからです。ですから、もし雄牛がキリストを表示していなければ、雄牛の犠牲を捧げても全く意味はありませんでした。神は、雄牛そのものにより罪を赦すことはなさらないからです。

 この雄牛の肉とか皮を宿営の外で焼かなければならないのは、キリストがユダヤ人から斥けられて苦しまれることを示しています。これはヘブル13:11~12の箇所から分かります。このような部分でも律法はキリストとその受難を予め示しています。これは本当に驚くべきことです。雄牛の肉とか皮を外で焼くというこの命令には、非常に深い意味があったわけです。

【29:15~18】
『あなたは雄羊一頭を取り、アロンとその子らはその雄羊の頭に手を置かなければならない。あなたはその雄羊をほふり、その血を取り、これを祭壇の回りに注ぎかける。また、その雄羊を部分に切り分け、その内臓とその足を洗い、これらをほかの部分や頭といっしょにしなければならない。その雄羊を全部祭壇の上で焼いて煙にする。これは、主への全焼のいけにえで、なだめのかおりであり、主への火によるささげ物である。』
 先に書かれていた『傷のない雄羊二頭』(出エジプト29章1節)のうち一頭は『全焼のいけにえ』として神に捧げられます。これは、その焼かれた煙の香りにより神を宥めるためです。アロンとその子らが祭司になる際は、このように神をまず宥めねばなりません。それは神が彼らに怒りを発されないためです。ノアもこのように全焼の生贄を捧げて神を宥めました(創世記8:20~21)。また、この雄羊の血を『祭壇の回りに注ぎかける』のは、祭壇の回りの場所を贖うためです。神のために使われる祭壇は、祭壇だけでなく、その回りの場所さえ清められねばなりません。祭壇そのものは既に雄牛の血で贖われていますから(出エジプト29:12)、雄羊の血を注ぎかける必要はありません。

 この雄羊の頭に手を置くのは、雄牛の頭に手を置くのと同様の意味があります。

【29:19~21】
『あなたはもう一頭の雄羊を取り、アロンとその子らはその雄羊の頭に手を置く。あなたはその雄羊をほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また、彼らの右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。あなたが、祭壇の上にある血とそそぎの油を取って、アロンとその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とに振りかけると、彼とその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とは聖なるものとなる。』
 もう一方の雄羊の血は、アロンとその子たちおよび彼らの装束と祭壇を贖うために使われます。祭壇の回りは既にもう一方の雄羊の血により贖われていますが(出エジプト29:16)、もう一度同様のことがなされます。雄羊の血を、彼らの『右の耳たぶ』、『右手の親指』、『右足の親指』の3か所に付けるのは、彼らが犠牲獣における右の腿を受けることと関係していると考えられます(レビ記7:32~33、8:25、9:21、民数記18:18)。

【29:22】
『あなたはその雄羊の脂肪、あぶら尾、内臓をおおう脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓、その上の脂肪、および、右のももを取る。これは、任職の雄羊である。』
 このもう一方の雄羊は、アロンとその子らが任職するための羊です。彼らはこの雄羊から分け前を貰うのです。アロンたちは、この雄羊の『右のもも』を神から受けました。腿肉は実に食べるに相応しい部位です。ですから、これは祭司に対して相応しい分け前でした。このことから考えると、どうやら祭司たちは内臓を食用にしていなかったのでしょう。一般のユダヤ人も内臓を食べていなかったと思われます。

【29:23~25】
『主の前にある種を入れないパンのかごの丸型のパン一個と、油を入れた輪型のパン一個と、せんべい一個、これらをみなアロンの手のひらと、その子らの手のひらに載せ、これらを奉献物として主に向かって揺り動かす。これらを、彼らの手から取り、全焼のいけにえといっしょに祭壇の上で焼いて煙とし、主の前になだめのかおりとする。これは、主への火によるささげ物である。』
 先に書かれていた2つのパンおよび煎餅を、犠牲獣と共に御前で捧げねばなりません。その焼かれて出た煙が神を宥めるのです。アロンとその子らが祭司になる際は、必ずこうせねばなりませんでした。ノアが全焼の生贄を捧げた時は、この時と違い、パンと煎餅は用意されませんでした(創世記8:20~21)。しかし、モーセ時代の時には、犠牲獣と共にパンおよび煎餅をも捧げねばなりませんでした。この3つの食物は、アロンとその子らの手で、神の御前において揺り動かされねばなりません。このような振る舞いを単なるお遊びだと思う人がいるかもしれません。しかし、このように揺り動かすことには目的と意味がありました。これは食物の奉献物を強調しています。アロンたちは奉献物を手で揺り動かすことで、それを神が心に留めて下さるようにしているのです。何故なら、それは非常に重要な奉納物だからです。つまり、重要なので揺らして強調せねばならないのです。もちろん、神がこういったパンや煎餅そのものを欲しておられるというのではありません。神は物質者でなく人間でもありませんから(民数記23:19)、地上的な食物がなくても、御自身そのものにおいて常に自存しておられます。ですから、このパンと煎餅それ自体に何か意味があるというわけではありません。この奉納物で目指されているのは、それを捧げることで神の栄光が表わされることであり、またその奉納物で礼拝することにより敬虔の度合いが増し加わるためです。

 奉納物のパンは2つありますが、その形状はどちらも違っています。一方は丸いだけですが、もう一方は丸いものの中に穴が開いています。この違いは単調さを避けるためかもしれません。パンが2つとも丸い形をしているのは何故なのでしょうか。科学者であれば「それは宇宙が球形だからだ。」と言い、美術家であれば「それは曲線にこそ美しさがあるからだ。」と言い、アウグスティヌスであれば「科学者と美術家の言ったことはどちらももっともである。」と言うかもしれません。私の考えを述べれば、確言は出来ませんが、これはやはり美的な意味を持っているのでしょう。何故なら、もし神に捧げるパンの形状が四角形だったとすれば、どこか違和感があると思えるからです。しかし、丸い形であれば違和感はありません。この2つのパンのうち一つには油を入れますが、この油にはどういった意味があるのでしょうか。これは恐らくアロンたちが聖別されることを示しているのでしょう。何故なら、アロンとその子らは祭司に任じられる際、油を注がれて聖別されるからです。パンに入れるこの油が最高級品であるべきだったのは言うまでもありません。また、もう一つの奉納物である煎餅も、恐らくパンと同様に丸い形にするのが望ましかったと思われます。しかし、聖書は煎餅について形状の指示を書いていませんから、実際はどうだったか分かりません。この煎餅に油を塗るのも(出エジプト29:2)、片方のパンに油を塗るのと同様の理由からだったはずです。またこれら3つの奉納物は、例のように、どれも種を入れることが禁止されていました。

【29:26~28】
『あなたはアロンの任職用の雄羊の胸を取り、これを奉献物として主に向かって揺り動かす。これは、あなたの受け取る分となる。あなたがアロンとその子らの任職用の雄羊の、奉献物として揺り動かされた胸と、奉納物として、ささげられたももとを聖別するなら、それは、アロンとその子らがイスラエル人から受け取る永遠の分け前となる。それは奉納物であり、それはイスラエル人からの和解のいけにえの奉納物、すなわち、主への奉納物であるから。』
 任職用の雄羊の胸の部位は、分け前としてモーセとアロンたちに神から与えられました。胸肉についてはアロンだけでなくモーセも分け前に与かります。ですから、胸肉はモーセが主の御前で揺り動かします。このように揺り動かすのは、あたかも「これを、これをあなたが私たちに下さいました。」とでも神に言っているかのようです。しかし、腿肉のほうはアロンとその子らだけが分け前に与かります。ですから、こちらのほうはアロンとその子らが揺り動かします。

 このように旧約の祭司たちは、胸肉と腿肉を神から受け取っていました。この部位は食べるに相応しいのですから、聖なる祭司たちが受けるのに相応しい物です。しかし、このように祭司たちが胸肉と腿肉だけを受け取っているからといって、私たちがこの2つの部位だけを食べるようにすべきだということにはなりません。確かに神は祭司たちにこの2つの部位を与えられました。しかしながら、聖書にはこの2つの部位だけしか食べてはならないなどとはどこにも定められていません。むしろ、聖書はどこの部位でも食用にしてよいとしています。御言葉にはこう書かれています。『神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。』(Ⅰテモテ4章4節)アメリカでは内臓類を食べない文化があります。もちろん人によっても好みはあるでしょうが、別に内臓類を食べてはいけないということではないのです。ほとんど全ての部位を食用にする日本人のように、食べたいのであれば胸肉や腿肉といった部位以外でも食べてよいのです。神に感謝するのであれば、どこの部位を食べたとしても、神の栄光を表わすことができます。また動物の全てを食用に用いるというのは資本的な意味でも望ましいと思われますし、神の下さった被造物を最大限に無駄なく使っているのですから非難されるべきことではありません。それゆえ、「私たちは昔の祭司たちのように胸肉と腿肉だけを食べるのが望ましい。」と言うことはできません。

【29:29~30】
『アロンの聖なる装束は、彼の跡を継ぐ子らのものとなり、彼らはこれを着けて、油そそがれ、祭司職に任命されなければならない。彼の子らのうち、彼に代わって祭司となる者は、聖所で務めを行なうために会見の天幕にはいるとき、七日間、これを着なければならない。』
 アロンの大祭司職を継がせることについて定められています。イスラエルに祭司は複数人いましたが、大祭司は一人しかいませんでした。ですから、大祭司アロンの後継者となる者も一人だけでした。その後継者はアロンの子たちから選ばれねばなりません。後の箇所を見れば分かる通り、後継者にはアロンの子エルアザルが選ばれました(民数記20:26、28)。後継者となる者は、アロンの着ていた『聖なる装束』を受け継ぎます。この装束は大祭司の印だからです。また、大祭司に任職される時は、この装束を着て聖所の中で『七日間』過ごさねばなりませんでした(レビ記8:33、35)。これは『七』ですから、この任職期間が聖であり完全な日数であることを示しています。