【出エジプト記34:33~40:38】(2021/11/14)


【34:33~35】
『モーセは彼らと語り終えたとき、顔におおいを掛けた。モーセが主の前にはいって行って主と話すときには、いつも、外に出るときまで、おおいをはずしていた。そして出て来ると、命じられたことをイスラエル人に告げた。イスラエル人はモーセの顔を見た。まことに、モーセの顔のはだは光を放った。モーセは、主と話すためにはいって行くまで、自分の顔におおいを掛けていた。』
 ユダヤ人は光り輝くモーセの顔を直視できなかったので、モーセは顔覆いを付けていなければなりませんでした。恐らくモーセの輝きは太陽のようだったのかもしれません。しかし、神の御前では覆いを付けている必要がありませんから、会見の天幕に入るとモーセは覆いを外していました。主の御前においてさえ覆いを付けたままでいれば不敬だからです。光っているので覆いを付けねばならなかった人は、歴史を見てもこのモーセしかいません。これからの歴史でもこのような人は現われないでしょう。なお、ここでモーセが光ったと書かれていることを象徴表現だと捉えるべきではありません。これは明らかに実際の出来事を言っています。

 光り輝くモーセの顔が覆いにより隠されていたことは、深い意味が秘められています。まずモーセが覆いを付けていたのは、律法を宣言して罪に定める務めにさえ、非常な栄光があったことを意味しています。何故なら、律法を民に告げ知らせたのはモーセだったからです。旧約におけるこの務めにさえ覆いを付けねばならないほどの栄光が輝いているとすれば、尚のこと、新約における義の務めには栄光が輝いているのです。またモーセの顔に覆いがあったのは、今に至るまでユダヤ人が覆いで隠されつつ聖書に向かい合っていることを示しています。彼らは覆いを付けたままで真理に向かっているのですから、もやもやとした不明瞭な理解しか得られません。キリストを信じる信仰によりこの覆いが取り除けられてこそ、キリストのゆえに、初めて聖書が何を語っているのか弁えられるようになるのです。これらの事柄についてはパウロがⅡコリント3章で論じています。

【35:1~3】
『モーセはイスラエル人の全会衆を集めて彼らに言った。「これは、主が行なえと命じられたことばである。六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目には、主の聖なる全き休みの安息を守らなければならない。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。安息の日には、あなたがたのどの住まいのどこででも、火をたいてはならない。」』
 モーセはユダヤ人に神の命令を告げます。ここではまたもや安息日の遵守が命じられています。しかも、それは厳しく、違反した者は死刑に処せられねばならないと言われています。このことから考えても、やはり安息日の遵守がどれだけ重大な事柄であったか理解できます。ここでは安息日には火を焚いてはならないと言われています。これは要するに仕事をするなということです。何故なら、火を焚くのは往々にして何らかの仕事のためだからです。火で暖かくしていないと死んでしまう病人や、一刻も早く火で患部を焼かなければ大変なことになってしまう人のためであれば、火を焚いても赦されます。何故なら、これはキリストが破られたような安息日の破り方だからです。愛の律法を文字通りに守ることで人が死んでしまったら本末転倒なのです。パリサイ人たちは、安息日だからというので死の危険がある病人のために火を焚かなかったり、早く患部を焼かねばならない人のためにも火の使用を許さなかったりした、愛のない愚か者どもだったのです。なお、今の日本では多くの人が7日に1度、すなわち日曜日に休息を取っています。これは身体を休めるという観点からすれば律法に適っており、実に望ましいことです。

【35:4~9】
『モーセはイスラエル人の全会衆に告げて言った。「これは、主が命じて仰せられたことである。あなたがたの中から主への奉納物を受け取りなさい。すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。すなわち、金、銀、青銅、青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、燈油、そそぎの油とかおりの高い香のための香料、エポデや胸当てにはめ込むしまめのうや宝石である。』
 ユダヤ人は幕屋や聖具のために献品を捧げなければなりません。そうしなければ幕屋と聖具が作れないからです。それは『心から進んでささげる者』が捧げねばなりませんでした。何故なら、幕屋と聖具は、愛と信仰と誠実に基づいて作られなければならないからです。この箇所で書かれている献品リストは、出エジプト25:3~7の箇所で書かれているリストと一緒です。ここで『じゅごんの皮』が挙げられているのは、ユダヤ人がエジプトから持って来たか、エジプトからホレブ山へと南下している際にスエズ湾かどこかで猟をしたので持っていたのでしょう。

【35:10~19】
『あなたがたのうちの心に知恵のある者は、みな来て、主が命じられたものをすべて造らなければならない。幕屋、その天幕と、そのおおい、その留め金とその板、その横木、その柱と、その台座、箱と、その棒、『贖いのふた』とおおいの垂れ幕、机と、その棒とそのすべての用具と供えのパン、燈火のための燭台と、その用器とともしび皿と、燈火用の油、香の壇と、その棒とそそぎの油とかおりの高い香と幕屋の入口につける入口の垂れ幕、全焼のいけにえの祭壇とそれに付属する青銅の格子、その棒とそのすべての用具、洗盤と、その台、庭の掛け幕、その柱とその台座と庭の門の垂れ幕、幕屋の釘と庭の釘と、そのひも、聖所で仕えるための式服、すなわち、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として使える彼の子らの装束である。」』
 知恵の心を与えられた職人や技術人や強者たちは、幕屋と聖具のために奉仕しなければなりません。彼らは神から知恵の心を恵みにより受けたのですから、その業を神のために用いるべきなのです。それは理に適っており、そのようにするのは義務です。神の賜物を受けた者は神のためにそれを使わねばなりません。これは新約の聖徒たちにも言えることです。ですから私たちは賜物を有効利用すべきなのです。自分に与えられたタラントを用いない者は神に喜ばれることができないでしょう(マタイ25:24~30)。

【35:20~29】
『イスラエル人の全会衆は、モーセの前から立ち去った。感動した者と、心から進んでささげる者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。すべて心から進んでささげる男女は、飾り輪、耳輪、指輪、首飾り、すべての金の飾り物を持って来た。金の奉献物を主にささげた者はみな、そうした。また、青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮を持っている者はみな、それを持って来た。銀や青銅の奉献物をささげる者はみな、それを主への奉納物として持って来た。アカシヤ材を持っている者はみな、奉仕のすべての仕事のため、それを持って来た。また、心に知恵のある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。上に立つ者たちはエポデと胸当てにはめるしまめのうや宝石を持って来た。また、燈火、そそぎの油、かおりの高い香のためのバルサム油とオリーブ油とを持って来た。イスラエル人は、男も女もみな、主がモーセを通して、こうせよと命じられたすべての仕事のために、心から進んでささげたのであって、彼らはそれを進んでささげるささげ物として主に持って来た。』
 モーセが献品を命じると、ユダヤ人たちは自ら進んで奉納物を持って来ました。イスラエルは死んでいなかったのです。彼らは『うなじのこわい民』でしたが、神に対する愛と信仰は消えていませんでした。もし消えていたら誰も何も奉納物を持って来なかったでしょう。この時に具体的にどれだけの奉納物が持って来られたかは分かりません。ただ有り余るほど持って来たのは確かです(出エジプト36:3~7)。昨今の教会においては、このようなことは少なくなっているように思えます。教会堂の建設のために献金を求めても、なかなか目標額に達しません。建築費のために教材や神学書を売らねばならなくなる場合もあります。古くなった会堂の破損を直そうと献金を募っても、献金する人は多くありません。モーセの時と同じように、有り余るほど献金や献品が集まるということは珍しいのではないかと感じられます。

 ここで『感動した』と書かれているのは、神に心を動かされたということです。その人は本当に感動していました。神に関するこのような真の感動は、神の働きかけによります。何故なら、全ての人の心は神により支配されているからです。

 この時には『女』たちも紡いだ糸を持って来て奉仕しました(25~26節)。このような糸紡ぎの仕事は女に相応しい作業です。彼女たちは彼女たちに出来ることをしたわけです。神が彼女たちの業を喜んでおられたのは間違いありません。

【35:30~35】
『モーセはイスラエル人に言った。「見よ。主はユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し出し、彼に、知恵と英知と知識とあらゆる知識において、神の霊を満たされた。それは彼が金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、あらゆる設計的な仕事をさせるためである。また、彼の心に人を教える力を授けられた。彼とダン部族のアヒサマクの子オホリアブとに、そうされた。主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、および、青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繡する者、また機織りする者の仕事を成し遂げるためである。』
 神が出エジプト31:2~11の箇所でモーセに語っておられたベツァルエルとオホリアブについて、モーセはイスラエル人に紹介しています。このようにして特別に名が挙げられるのは、この2人が非常に卓越していたからなのでしょう。そうでなければ、このように名が挙げられていなかったはずです。恐らくこの2人は名匠と呼ばれるような人物だったと推測されます。またこの2人に神は『人を教える力』を授けられました。これは彼らよりも下にいる者たちを技術的に指導するためです。このような教える力は神によらねば持てません。何故なら、神から賜物を受けていないのにどうして人を上手に教えることができましょうか。ヤコブも言うように『すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです』(ヤコブ1章17節)が、これは教育する力も含まれています。パウロも教える力を神の賜物の一つに数えています(ローマ12:6~7)。

【36:1】
『ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を主に与えられた、心に知恵のある者はみな、主が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」』
 神から恵みを受けたベツァルエルやオホリアブやその他の者たちは、自分の受けた賜物を神のために用いねばなりません。そうしなければ何のために賜物を受けたのか分からなくなるからです。今の時代でもベツァルエルやオホリアブのように神から知恵の心を受けた人がいるはずです。そのような人は与えられた知恵を神のために用いるべきなのです。そうしなければ神に喜ばれることは難しいでしょう。なお、この時に集まった職人たちがどれだけいたのかは分かりません。

【36:2~3】
『モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。』
 モーセは、奉仕の仕事のために集められた奉納物を、仕事をする知恵ある者たちに渡します。ここでは『すべての奉納物』が渡されたと書かれていますから、モーセはイスラエル人からの奉納物を残らず渡したのです。

【36:3~7】
『しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげる物を彼のところに持って来た。そこで、聖所のすべての仕事をしていた、知恵のある者はみな、それぞれ自分たちがしていた仕事から離れてやって来て、モーセに告げて言った。「民は幾たびも、持って来ています。主がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です。」それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。』
 驚くべきことにユダヤ人は規定量を越える奉納物を次から次へとモーセのもとへ持って行きました。ですからモーセは布告を出して奉納物の奉献を止めさせねばなりませんでした。これは態度としては良かったのですが、適切さの面からすればやり過ぎだったのです。今のキリスト教界で、このようなことは珍しいと思われます。ルターは「多くの牧師が貧しくしている。」と嘆いていました。つまり献金が十分ではないのです。教会の世俗化が嘆かれている現今の教会員においては腹のほうが膨れ上がっているのでしょうか。だからこそ教会は膨れ上がらないのかもしれません。そのため牧師たちがキリスト教界の不調を嘆き続けることになるのです。

【36:8~13】
『仕事に携わっている者のうち、心に知恵のある者はみな、幕屋を十枚の幕で造った。撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でケルビムを織り出した。幕の長さは、おのおの二十八キュビト、幕の幅は、おのおの四キュビト、幕はみな同じ寸法とした。五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、また、他の五枚の幕も互いにつなぎ合わせた。そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に青いひもの輪をつけた。他のぐなぎ合わせたものの端にある幕の縁にも、そのようにした。その一枚の幕に輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の端にも輪五十個をつけ、その輪を互いに向かい合わせにした。そして、金の留め金五十個を作り、その留め金で、幕を互いにつなぎ合わせて、一つの幕屋にした。』
 心に知恵のある職人たちにより、出エジプト26:1~6の箇所で指示されていたことが、そのまま実行に移されています。職人たちは神がモーセを通して告げられた通りに全てを作成しました。

【36:14~19】
『また、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作った。その幕を十一枚作った。その一枚の幕の長さは三十キュビト。その一枚の幕の幅は四キュビト。その十一枚の幕は同じ寸法とした。その五枚の幕を一つにつなぎ合わせ、また、ほかの六枚の幕を一つにつなぎ合わせ、そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に、輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の縁にも輪五十個をつけた。また青銅の留め金五十個を作り、その天幕をつなぎ合わせて、一つにした。また、天幕のために、赤くなめした雄羊の皮のおおいと、じゅごんの皮でその上に掛けるおおいとを作った。』
 出エジプト26:7~14の箇所で前に指示されていた設計が、全くそのまま天幕の作成に反映されています。モーセや他のユダヤ人に「神はあのように指示されたが、ここはこうしたほうがよいのではないか。」などといった思いが少しも起こらなかったと私たちは信ずべきです。何故なら、それは神の指示だからです。この全宇宙をさえ設計された御方が、どうしておかしな指示を与えるはずがありましょうか。それは有り得ないことです。神の指示による幕屋や聖具はどれもこれも完全・完璧でした。それは燭台の造形一つだけを見ても明らかです。

【36:20~30】
『さらに、幕屋のためにアカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作った。板一枚の長さは十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半であった。板一枚ごとに、はめ込みのほぞ二つを作った。幕屋の板、全部にこのようにした。幕屋のために板を作った。南側に板二十枚。その二十枚の板の下に銀の台座四十個を作った。一枚の板の下に、二つのほぞに二個の台座、ほかの板の下にも、二つのほぞに二個の台座を作った。幕屋の他の側、すなわち、北側に板二十枚を作った。銀の台座四十個。すなわち、一枚の板の下に二個の台座、ほかの板の下にも二個の台座。幕屋のうしろ、すなわち、西側に板六枚を作った。幕屋のうしろの両側のために、板二枚を作った。底部では重なり合い、上部では一つの環で一つに合わさるようにした。二枚とも、そのように作った。それが両隅であった。板は八枚、その銀の台座は十六個、すなわち一枚の板の下に、二つずつ台座があった。』
 ここで作られているのは、出エジプト26:15~25の箇所で指示されていた設計と全く同じです。ベツァルエルや他の職人たちは心を込めて作っていたに違いないと私には思えます。

【36:31~34】
『ついで、アカシヤ材で横木を作った。すなわち、幕屋の一方の側の板のために五本、幕屋の他の側の板のために横木五本、幕屋のうしろ、すなわち西側の板のために横木五本を作った。それから、板の中間を、端から端まで通る中央横木を作った。板には金をかぶせ、横木を通す環を金で作った。横木には金をかぶせた。』
 ここに書かれている作業は、出エジプト26:26~29の箇所に基づいています。ベツァルエルをはじめとした職人たちは細心の注意を払って作成していたに違いありません。

【36:35~36】
『ついで、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、垂れ幕を作った。これに巧みな細工でケルビムを織り出した。そのために、アカシヤ材の四本の柱を作り、それに金をかぶせた。柱の鉤は金であった。そしてこの柱のために銀の四つの台座を鋳造した。』
 ここでは出エジプト26:31~32の箇所の設計通りに制作作業が行なわれています。

【36:37~38】
『次いで、天幕の入口のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、刺繡をした幕を作った。五本の柱と、その鉤を作り、その柱の頭部と帯輪に金をかぶせた。その五つの台座は青銅であった。』
 この箇所における作業は、出エジプト26:36~37の箇所で指示されていた設計に基づいています。

【37:1~9】
『ベツァルエルはアカシヤ材で一つの箱を作った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。その内側と外側を純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作った。箱のために、金の環四つを鋳造し、その四隅の基部に取りつけた。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取りつけた。また、アカシヤ材で棒を作り、これを金でかぶせ、その棒を、箱をかつぐために箱の両側にある環に通した。ついで彼は、純金で「贖いのふた」を作った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。また、槌で打って作った二つの金のケルビムを「贖いのふた」の両端に作った。一つのケルブを一方の端に、他のケルブを他方の端に。ケルビムを「贖いのふた」の一部として、その両端に作った。ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で「贖いのふた」をおおい、ケルビムは互いに向かい合い、その顔は「贖いのふた」に向いていた。』
 この箇所は出エジプト25:10~20の箇所と対応しています。

【37:10~16】
『彼は、アカシヤ材で、一つの机を作った。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半。これを純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作った。その回りに、手幅のわくを作り、そのわくの回りに金の飾り縁を作った。その机のために、金の環四個を鋳造し、その四本の足のところの四隅に、その環を取りつけた。その環はわくのわきにつけ、机をかつぐ棒を入れる所とした。その環はわくのわきにつけ、机をかつぐ棒を入れる所とした。アカシヤ材で、机をかつぐ棒を作り、これを金でかぶせた。さらに、机の上の器、すなわち、注ぎのささげ物を注ぐための皿や、ひしゃく、水差しや、びんを純金で作った。』
 出エジプト25:23~29の箇所で命じられていた指示が実行に移されています。ここで『手幅』と書かれているのは一単位7,4cmです。

【37:17~24】
『また彼は、純金で燭台を作った。その燭台は、槌で打って作り、その台座と、支柱と、がくと、節と、花弁とで一個の燭台とした。六つの枝をそのわきから、すなわち、燭台の三つの枝を一方のわきから、燭台の他の三つの枝を他のわきから出した。一方の一つの枝に、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくを、また、他方の一つの枝にも、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくをつけた。こうして燭台から出る六つの枝をみな、そのようにした。燭台の支柱には、アーモンドの花の形をした節と花弁のある四つのがくをつけた。それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六つの枝が燭台から出ていた。それらの節と枝とは燭台と一体にし、その全体は一つの純金を打って作った。また、そのともしび皿七つと、その心切りばさみと、心取り皿とを純金で作った。すなわち、純金一タラントで、燭台とそのすべての用具を作った。』
 ここで行なわれている作成も、出エジプト25:31~39の箇所における指示をそのまま守っています。

【37:25~28】
『彼は、アカシヤ材で香の壇を作った。長さは一キュビト、幅は一キュビトの四角形で、高さは二キュビト。これの一部として角をつけた。そして、上面と回りの側面と角を純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作った。その壇のために、その飾り縁の下の両わきに、相対する両側に二つの金環を作った。それは、壇をかつぐ棒を通す所である。その棒をアカシヤ材で作り、それに金をかぶせた。』
 この箇所は出エジプト30:1~5の箇所と対応しています。

【37:29】
『彼はまた、調合法にしたがい、聖なるそそぎの油と純粋なかおりの高い香を作った。』
 ベツァルエルは、出エジプト30:22~38の箇所で命じられていた注ぎの油および香油を作っています。前の箇所では、モーセがこの油と香油を作るように言われていました。それなのに、この箇所ではベツァルエルによりこれらが作られたと書かれています。しかし、出エジプト31:11の箇所ではベツァルエルやその他の職人たちが油と香油を作るように命じられていますから、ベツァルエルたちが油と香油を作ったとしても問題はありません。つまり、神は心に知恵のある職人たちに命じてモーセが油と香油を作るように命じられたわけです。

【38:1~7】
『ついで、彼は、アカシヤ材で全焼のいけにえのための祭壇を作った。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形で、高さは三キュビト。その四隅の上に、角を作った。その角はその一部である。彼は祭壇に青銅をかぶせた。彼は、祭壇のすべての用具、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作った。そのすべての用具を青銅で作った。祭壇のために、その下のほうに、すなわち、祭壇の出張りの下で、祭壇の高さの半ばに達する青銅の網細工の格子を作った。彼は四つの環を鋳造して、青銅の格子の四隅で棒を通す所とした。彼はアカシヤ材で棒を作り、それに青銅をかぶせた。その棒を祭壇の両側にある環に通して、それをかつぐようにした。祭壇は板で中空に作った。』
 祭壇も、出エジプト27:1~8の箇所で言われている指示通りに作られています。これもベツァルエルが作りました。彼はこれ以外にも諸々の聖具を作っています。このことを考えると、ベツァルエルという人はあまりにも凄い人だったことが分かります。ベツァルエルは、教皇の顕示欲の現われであるサン・ピエトロ大聖堂を作ったミケランジェロよりも遥かに偉大な人物でした。何故なら、ベツァルエルは神の物を神の聖なる指示により作りましたが、ミケランジェロは教皇の物を教皇の欲深い指示により作ったからです。ところが今ではベツァルエルなど知る人さえいないぐらいです。それに対して同性愛者のミケランジェロは称賛されるばかり。つまり、この世は無知で盲目なのです。ベツァルエルの作った物は非常に素晴らしかったはずです。もう今となってはそれを見ることはできませんが。

【38:8】
『また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。』
 ベツァルエルは出エジプト30:18の箇所で言われていた洗盤と台も作りました。それを作る鏡は天幕で務めていた女たちが供しました。昔から今に至るまで、どの民族であっても、女たちに美容は重要であったはずです。それにもかかわらずユダヤの女は鏡を聖具のために奉納しました。これは彼女たちが自分の見栄えより、神の物における見栄えを優先させたということなのかもしれません。そうだったとすれば、それは大変に敬虔なことでした。神はそのような女性を喜ばれます(箴言31:30)。ところで、この箇所から分かる通り、古代では既にモーセの時代から鏡が存在していました。しかし、それは今よりも高価だったでしょうし、その出来栄えも今より良くなかったはずです。

【38:9~20】
『彼はまた、庭を造った。南側では、庭の掛け幕は百キュビトの撚り糸で織った亜麻布でできていた。柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。北側も百キュビトで、柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。西側には、五十キュビトの掛け幕があり、柱は十本、その台座は十個。柱の鉤と帯輪は銀であった。前面の東側も、五十キュビト。その片側には十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、その台座は三個であった。庭の門の両側をなすもう一方の片側にも十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、台座は三個であった。庭の周囲の掛け幕はみな、撚り糸で織った亜麻布であった。柱のための台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀、その柱の頭のかぶせ物も銀であった。それで、庭の柱はみな銀の帯輪が巻きつけられていた。庭の門の幕は、刺繍されたもので、青色、紫色、緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とでできていた。長さは二十キュビト。高さ、あるいは幅は五キュビトで、庭の掛け幕に準じていた。その柱は四本。その台座は四個で青銅であった。その鉤は銀であり、柱の頭のかぶせ物と帯輪とは銀であった。ただし、幕屋と、その回りの庭の釘は、みな青銅であった。』
 庭もやはり出エジプト27:9~19の箇所で指示されている通りにベツァルエルが作りました。

【38:21】
『幕屋、すなわち、あかしの幕屋の記録は、次のとおりである。これは、モーセの命令によって調べたもの、祭司アロンの子イタマルのもとでの、レビ人の奉仕である。』
 モーセは、アロンの子イタマルに幕屋の記録を取らせました。それは幕屋がしっかりと作られたことを確認するためであり、またそのことを後世に伝えるためです。アロンに記録の仕事が任されなかったのは、他に為すべき仕事があったからだと思われます。ナダブとアビフも忙しかったのかもしれません。そうでなければモーセはこの2人の本性を察知していたので、任せようとしなかったと考えられます(レビ10:1~2)。エルアザルも忙しかったのかもしれません。他の何かの理由があった可能性もあります。イタマル監督のもとで調べられた記録は、石板か羊皮紙かパピルス紙に書かれたはずです。その原本はもう残っていません。

【38:22~23】
『ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことを、ことごとく行なった。彼とともに、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブがいた。彼は彫刻をし、設計をする者、また青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繡をする者であった。』
 まずはベツァルエルとオホリアブについて記録されています。この2人の手で幕屋が作られたのですから、彼らがまず最初に記録されているのは当然です。

【38:24】
『仕事すなわち聖所のあらゆる仕事のために用いられたすべての金は、奉献物の金であるが、聖所のシェケルで二十九タラント七百三十シェケルであった。』
 幕屋のために使われた金は『二十九タラント七百三十シェケル』すなわち約986kgです。2021年10月時点で金の価格を1kg当たり700万円だとすれば、これは約69億円の価値になります。これ以外にもユダヤ人の手元には金がまだあったはずです。つまり、ユダヤ人はエジプトから物凄い量の金を持って来たのです。神はエジプト人からユダヤ人へと金を豊かに移されました。それは、このようにして聖所のために用いるのが一つの目的でした。

【38:25~26】
『会衆のうちの登録された者による銀は、聖所のシェケルで百タラント千七百七十五シェケルであった。これは、ひとり当たり一ベカ、すなわち、聖所のシェケルの半シェケルであって、すべて、二十歳以上で登録された者が六十万三千五百五十人であったからである。』
 先の箇所で書かれていた『贖い金』(出エジプト30:12)である銀の総量は『百タラント千七百七十五シェケル』であり、これは約3400kgです。2021年11月時点で銀の価格を1kg当たり9万9000円だとすれば、これは3億3660万円の価値になります。登録される際にこの納付金を収めたのは『六十万三千五百五十人』でしたが、これは20歳以上の成人男子のみです。何故なら、エジプトから出た際に『徒歩の壮年の男子は約60万人』(出エジプト12:37)だったからです。ユダヤ人の女性は登録されませんでした。女性は男性に従属する助け手として創造されたからです。このようなことを聞くと、今の社会は「女性差別だ。」などと大いに喚き立てるかもしれません。しかし、ゲイやレズを受容するという狂った性感覚を持つ現代社会における性倫理の声は、耳を貸す必要がありません。倒錯した社会の倒錯した声に耳を傾けるというのは倒錯しているからです。ロックフェラーのばら撒いたフェミニズム思想により、現代社会の性倫理はおかしくなっています。また、この登録者数にはレビ人が含まれていません(レビ記1:45~47)。

【38:27~28】
『聖所の台座と垂れ幕の台座とを鋳造するために用いた銀は、百タラントであった。すなわち、一個の台座に一タラント、百の台座に百タラントであった。また、千七百七十五シェケルで彼は柱の鉤を作り、柱の頭をかぶせ、柱に帯輪を巻きつけた。』
 納付金として納められた銀は、ことごとく聖所のために使われました。すなわち、100タラント1775シェケルのうち、100の台座に100タラント、その他の物に1775シェケルが使われました。ところで、イスラエル人のうちで大量の銀また金などをユダのように盗む人はいなかったのでしょうか。そういう人はいなかったと私は信じたい。しかし、もしいた場合、聖書はそのことについて全く何も書いていません。それは聖なる幕屋と聖具に悪い要素―つまり罪―を関わらせないためだったはずです。ちょうどデパートで盗む人が沢山いても、そのことについてデパートが印象のため何も公にしないのと同じです。

【38:29~31】
『奉献物の青銅は七十タラント二千四百シェケルであった。これを用いて、彼は会見の天幕の入口の台座、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子、および、祭壇のすべての用具を作った。また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。』
 奉献された青銅は約2380kgでした。2021年11月時点で青銅の価格を1kg当たり800円だとすれば、これは約190万円の価値になります。これは金や銀に比べればあまり価格的に高くありませんが、そもそも青銅の価値があまり高くないことを考えれば、たとえ約190万円でも青銅としてはかなりの価格です。

【39:1】
『彼らは、青色、紫色、緋色の撚り糸で、聖所で仕えるための式服を作った。また、主がモーセに命じられたとおりに、アロンの聖なる装束を作った。』
 ベツァルエルとオホリアブたちは、出エジプト31:10、35:19の箇所で書かれている式服を作りました。ところで、職人たちは自分たちの奉仕に対して何らかの報酬を受けていたのでしょうか。主に仕えるならば報いがあります(ヨハネ12:26)。出エジプト記ではベツァルエルたちが仕事への報酬を受けていたことについて何も記されていません。つまり、この件については別に私たちが知らなくてもよいということなのでしょう。ですから、私はこれ以上、報酬のことについて何か記そうとは思いません。

【39:2~21】
『彼はまた、金色、青色、紫色、緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布で、エポデを作った。彼らは金の板を打ち延ばし、巧みなわざで青色、紫色、緋色の撚り糸に撚り込み、亜麻布に織り込むために、これを切って糸とした。彼らは、エポデにつける肩当てを作った。それぞれ、エポデの両端につけられた。エポデの上で結ぶあや織りの帯は、エポデと同じ材料で、主がモーセに命じられたとおり、金色、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、エポデと同様に作った。彼らは、しまめのうを、金のわくにはめ込み、これに印を彫るようにして、イスラエルの子らの名を彫った。彼らはそれをエポデの肩当てにつけ、主がモーセに命じられたとおりに、イスラエルの子らの記念の石とした。彼はまた、胸当てを巧みな細工で、エポデの細工と同じように、金色や青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で作った。四角形で二重にし、その胸当てを作った。長さ一あたり、幅一あたりで、二重であった。それに、四列の宝石をはめ込んだ。第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。第二列はトルコ玉、サファイア、ダイヤモンド。第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶。第四列は緑柱石、しまめのう、碧玉。これらを金のわくに入れてはめ込んだ。これらの宝石は、イスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい、十二個で、十二の部族のために印の彫り物が、一つの名につき一つずつあった。ついで、編んで撚った純金の鎖を、胸当ての上に作った。彼らは金のわく二個と金の環を二個作り、二個の環を胸当ての両端につけた。そして彼らは、二筋の金のひもを胸当ての両端の二個の環につけた。その二筋のひもの他の端を、先の二つのわくにつけ、エポデの肩当てに外側に向くようにつけた。ほかに、二個の金の環を作り、これを胸当ての両端、すなわち、エポデの前に来る胸当ての内側の縁につけた。ほかに、二個の金の環を作り、エポデの二つの肩当ての下端の外側に、すなわち、エポデのあや織りの帯の上部の継ぎ目に接した面の上につけた。胸当ては青ひもで、その環のところをエポデの環に結びつけ、エポデのあや織りの帯の上にあるようにし、胸当てがエポデからずり落ちないようにした。主がモーセに命じられたとおりである。』
 ベツァルエルたちは、エポデも出エジプト28:6~28の箇所で言われている指示通りに作りました。このエポデは世に一つしかありません。しかも、そこには宝石が幾つもあります。このエポデは霊感されていました。ですから、このエポデは歴史の中で最も貴重な身に着ける物だったと断言できます。

【39:22~26】
『また、エポデの下に着る青服を青色の撚り糸だけで織って作った。青服の口は、その真中にあって、よろいのえりのようで、その口の周囲には縁をつけて、ほころびないようにした。青服のすその上に、青色、紫色、緋色の撚り糸で、撚ったざくろを作った。また彼らは、純金の鈴を作り、その鈴を青服のすそ回りの、ざくろとざくろとの間につけた。主がモーセに命じられたとおりに、仕えるための青服のすそ回りには、鈴にざくろ、鈴にざくろがあった。』
 エポデの下に着る青服も、出エジプト28:31~34の箇所で指示されている通りに作られました。『主がモーセに命じられたとおりに』とあります。ベツァルエルたちは全くミスを犯さなかったのです。

【39:27~29】
『彼らは、アロンとその子らのために、織った亜麻布で長服と、亜麻布でかぶり物と、亜麻布で美しいターバンと、撚り糸で織った亜麻布でももひきを作った。撚り糸で織った亜麻布や青色、紫色、緋色の撚り糸で、刺繡してできた飾り帯を作った。主がモーセに命じられたとおりである。』
 この箇所は出エジプト28:39~42の箇所と対応しています。

【39:30~31】
『ついで、聖別の記章の札を純金で作り、その上に印を彫るように、「主の聖なるもの」という文字を書きつけた。これに青ひもをつけ、それをかぶり物の回りに上から結びつけた。主がモーセに命じられたとおりである。』
 ここは出エジプト28:36~37の箇所で指示されていたことが書かれています。

【39:32】
『こうして、会見の天幕である幕屋の、すべての奉仕が終わった。イスラエル人は、すべて、主がモーセに命じられたとおりにした。そのようにした。』
 ここまで神の命じられた指示に従って作成されている様子が書き記されていました。この箇所では『主がモーセに命じられたとおりにした。そのようにした。』と書かれています。この繰り返しは、本当にイスラエル人が指示通りに聖なる物を作ったからです。彼らは『うなじのこわい民』と言われましたが、神の指示通りに聖なる物を作ったのでした。弁護士の司法試験に満点で合格するのと同じで、そこには塵ほどのミスもありませんでした。よくぞ彼らは行なった!

【39:33~41】
『彼らは幕屋と天幕、および、そのすべての用具をモーセのところに持って来た。すなわち、それは、その留め金、その板、その横木、その柱、その台座、赤くなめした雄羊の皮のおおい、じゅごんの皮のおおい、仕切りの垂れ幕、あかしの箱と、その棒、「贖いのふた」、机と、すべての器、供えのパン、純金の燭台と、そのともしび皿、すなわち、一列に並べるともしび皿と、そのすべての用具、および、その燈火用の油、金の祭壇、そそぎの油、かおりの高い香、天幕の入口の垂れ幕、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子と、棒と、そのすべての用具、洗盤とその台、庭の掛け幕とそのひもと、その釘、また、会見の天幕のための幕屋に用いるすべての用具、聖所で仕えるための式服、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として使える彼の子らの装束である。』
 ベツァルエルたちは自分たちの作成した物を全てモーセのもとへ持って行きます。これは指示通りに作られたかモーセが確認するためです。モーセが神からこれこれこうして作れと指示されたのです。ですから、モーセには全てがしっかり作成されているか確認する責任がありました。

【39:42~43】
『イスラエル人は、すべて、主がモーセに命じられたとおりに、そのすべての奉仕を行なった。モーセが、すべての仕事を彼らが、まことに主が命じられたとおりに、したのを見たとき、モーセは彼らを祝福した。』
 モーセが確認すると全てが指示通りに作成されていました。神がここでそのように言っておられます。ですから、本当にユダヤ人は間違いなく幕屋と聖具を作成したのです。こうしてモーセは作成人たちを祝福しました。すなわち、祝福の言葉を彼らに与えました。モーセが祝福した時に神の栄光が現われたのかはわかりません。レビ記9:23~24の箇所では祝福の後で神の栄光が現われています。

【40:1~2】
『主はモーセに告げて仰せられた。「第一の月の一日に、あなたは会見の天幕である幕屋を建てなければならない。』
 新年の最初の日に幕屋を建てねばならないのは、そうするのが理に適っているからです。つまり秩序のためです。もし例えば5月とか8月とかであれば流れが悪いでしょう。ですから神は『第一の月の一日』を指定されました。神は『混乱の神ではな』(Ⅰコリント14章33節)いのです。

【40:3~8】
『その中にあかしの箱を置き、垂れ幕で箱の前を仕切り、机を入れ、その備品を並べ、燭台を入れ、そのともしび皿を上げる。あなたは香のための金の壇をあかしの箱の前に置き、垂れ幕を幕屋の入口に掛ける。会見の天幕である幕屋の入口の前に、全焼のいけにえの祭壇を据え、会見の天幕と祭壇との間に洗盤を据えて、これに水を入れる。回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛ける。』
 幕屋を張るための順番が規定されています。この規定通りに張らないのは罪でした。ここでは基本的に重要な順にやり方が示されています。①:まず契約の箱を至聖所となる場所に置いたら、垂れ幕で至聖所と聖所が区切られるようにします(3節)。この至聖所が何よりも第一に設けられねばなりません。聖所や庭は至聖所よりも後です。②:聖所に机や燭台やその聖具を設置します(4節)。北に置くべき机と南に置くべき燭台の配置を間違えないようにせねばなりません。③:金の壇を契約の箱の前に置いたら、幕屋の入口に垂れ幕を掛けます(5節)。④:幕屋の前に祭壇を設置します(6節)。⑤:幕屋と祭壇の間に洗盤を設置したら、そこに水を入れます(7節)。⑥:庭を設置します。これらの作業を行なったのはモーセ以外にも協力者がいたはずです。聖具の両側に持ち運び用の棒が2つ付いていることからも、これは明らかです。棒が2つ付いているのに一人だけで持つというのはおかしいからです。しかし、具体的にどのぐらいの協力者がいたかは不明です。

【40:9~11】
『あなたは、そそぎの油を取って、幕屋とその中のすべてのものにそそぎ、それと、そのすべての用具とを聖別する。それは聖なるものとなる。あなたは全焼のいけにえの祭壇と、そのすべての用具に油をそそぎ、その祭壇を聖別する。祭壇は最も聖なるものとなる。洗盤とその台とに油をそそいで、これを聖別する。』
 モーセは聖なる注ぎの油を幕屋とそこにある全ての聖具に注いで聖別せねばなりません。そうしないと神のために使用できないからです。まずは、幕屋の中で注ぎ、次に外の物へと注ぎます。これは幕屋の中のほうが外側よりも重要だからです。庭にある物にこの注ぎの油は注がれません。何故なら、庭の物には注ぐよう命じられていないからです(出エジプト30:26~28)。

【40:12~15】
『アロンとその子らを会見の天幕の入口に近づかせ、水で彼らを洗い、アロンに聖なる装束を着けさせ、彼に油をそそぎ彼を聖別する。彼は祭司としてわたしに仕える。彼の子らを近づかせ、これに長服を着せなければならない。あなたは、彼らの父に油をそそいだように、彼らにも油をそそぐ。彼らは祭司としてわたしに仕える。彼らが油をそそがれることは、彼らの代々にわたる永遠の祭司職のためである。」』
 非生命体に油を注ぎ終えたら、今度は生命体すなわち祭司になるアロンとその子たちへ油を注ぎます。まずモーセはアロンとその子らを水で洗います。ちょうど新しく買って来た食器や服を使用する前に一度洗うのと似ています。そして、まずアロンを聖別し、次にアロンの子たちを聖別します。アロンが大祭司であるのに対して子たちは祭司ですから、大祭司のほうが先に聖別されねばなりません。

【40:16】
『モーセはそのようにした。すべて主が彼に命じられたとおりを行なった。』
 モーセは指示された通りに全てを仕上げました。このようにモーセとは忠実な人物でした。だからこそ、神はモーセをイスラエルの指導者として選ばれたのでしょう。もしモーセが忠実でなければ恐らく選ばれていなかったはずです。もっとも、このモーセも神に罪を全く犯さなかったというわけではありませんでしたが。

【40:17~19】
『第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。モーセは、幕屋を建てるとき、台座を据え、その板を立て、その横木を通し、その柱を立て、幕屋の上に天幕を広げ、その上に天幕のおおいを掛けた。主がモーセに命じられたとおりである。』
 モーセは神から命じられた通り、新年の最初の月の1日に幕屋を建てました。エジプト脱出後からちょうど1年目の日です。ユダヤ人がエジプトからシナイに来るまで2か月かかっています(出エジプト19:1)。モーセは『四十日四十夜』(出エジプト34:28)神とシナイ山にいました。それから幕屋が建てられるまでの間は約9か月もあります。これは幕屋と聖具の作成にかなりの時間が費やされたことを示しています。先にも述べた通り、モーセが他の人たちと幕屋を建てたことは明らかです。前に生贄をモーセに代わって捧げた『イスラエル人の若者たち』(出エジプト24:5)がこの時に協力していた可能性は高いでしょう。

【40:20~21】
『また、彼はさとしを取って箱に納め、棒を箱につけ、「贖いのふた」を箱の上に置き、箱を幕屋の中に入れ、仕切りのために垂れ幕を掛け、あかしの箱の前を仕切った。主がモーセに命じられたとおりである。』
 出エジプト40:3の箇所における指示が行なわれています。『さとし』とは『あかし』とも訳せますが、これは十戒が書かれた2枚の石板です。この時に設けられた契約の箱が置かれている至聖所は、地上で最も神聖な場所でした。

【40:22~25】
『また、彼は会見の天幕の中に、すなわち、幕屋の北のほうの側で垂れ幕の外側に、机を置いた。その上にパンを一列に並べて、主の前に供えた。主がモーセに命じられたとおりである。彼は会見の天幕の中、机の反対側の幕屋の南側に、燭台を置いた。そうして彼は主の前にともしび皿を上げた。主がモーセに命じられたとおりである。』
 出エジプト40:4の箇所で命じられていることが行なわれています。聖所の北側に置かれた机には、パンが複数個並べられました。その並べ方はきっちりしていたはずです。

【40:26~28】
『それから彼は、会見の天幕の中の垂れ幕の前に、金の壇を置き、その上でかおりの高い香をたいた。主がモーセに命じられたとおりである。彼は、幕屋の入口に垂れ幕を掛け、』
 この箇所は出エジプト40:5の箇所と対応しています。至聖所にある壇で香が焚かれたのは、この時が初めてでした。

【40:29】
『全焼のいけにえの祭壇を、会見の天幕である幕屋の入口に置き、その上に全焼のいけにえと穀物のささげ物とをささげた。主がモーセに命じられたとおりである。』
 この箇所は出エジプト40:6の箇所と対応しています。この祭壇で生贄が捧げられたのは、この時が初めてです。

【40:30~32】
『また彼は、会見の天幕と祭壇との間に洗盤を置き、洗いのために、それに水を入れた。モーセとアロンとその子らは、それで手と足を洗った。会見の天幕にはいるとき、または、祭壇に近づくとき、彼らはいつも洗った。主がモーセに命じられたとおりである。』
 これは出エジプト40:7の箇所で書かれていることです。モーセとアロンたちは早速、この洗盤で手と足を洗いました。これ以降、彼らは聖所に入ったり祭壇に近づく際、この洗盤で手と足を洗うこととなります。

【40:33】
『また、幕屋と祭壇の回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けた。こうして、モーセはその仕事を終えた。』
 出エジプト40:8の箇所における指示が実行されています。この庭は巨大でしたから恐らく多くの協力者が動員されたと思われます。これを少数で作るのは難しいと思われるからです。

【40:34~35】
『そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕にはいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。』
 全て幕屋が完成すると、神の栄光が雲という形で幕屋に満ち満ちました。これは幕屋に関する神の聖なる指示が物質的に具現化されたからです。栄光はそれが完成された時に輝き出ます。これは人間が作った創作物を考えても分かります。何かが出来上がると多くの人が「おおー」などと感嘆の声をあげるものです。この栄光の雲は凄まじかったので、モーセが幕屋に入れなかったほどでした。

【40:36~38】
『イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。』
 幕屋の上には、昼においては雲の柱が、夜においては火の柱が立っていました。これは主の強い臨在を示しています。ですから、イスラエル人はその柱を見て神の存在をそこに感じていました。実際、主はそこにおられました。イスラエル人はこの柱が幕屋から進むと、自分たちもそれに付いて行きました。神はこの柱によりイスラエル人を導いておられたのです。このようにして導かれた民族はこれまでユダヤ人以外にいませんでしたし、これからもいないでしょう。

 モーセ時代のように明瞭な形としてではありませんが、神は今でも聖徒たちを導いておられます。例えば、何かをしたいのに、状況が全くそれを許さないのでしようにもできないという場合があります。これは神がその行ないまたは歩みを許可しておられないからです。モーセ時代で言えば、これはずっと幕屋の上に柱があるので、移動できないのと一緒です。しかし、ある時になると状況が変わり、今まで出来なかったことが出来るようになります。これは神が許可を出されたのです。モーセ時代で言えば、幕屋から柱が進んだので、イスラエル人が一斉に旅立つのと一緒です。しかし、こういった導きの目印は、なかなか見分けるのが難しい場合もあります。それは神の目に見えない働きかけが察知しにくい時も多いからです。ヨブ記でこう言われている通りです。『神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。』(ヨブ33章14節)霊的に言えば、神は新約の聖徒たちをも柱によって導いておられます。その霊的な柱とは、摂理とか状況とかキッカケなどといったものです。霊の目をよく研ぎ澄まして下さい。そうすれば私たちも主の柱に導かれていることが分かるはずです。