【出エジプト記12:22~14:4】(2021/09/19)


【12:22~25】
『ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家にはいって、打つことがないようにされる。あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のためのおきてとして、永遠に守りなさい。また、主が約束どおりに与えてくださる地にはいるとき、あなたがたはこの儀式を守りなさい。』
 ユダヤ人は、屠られた羊の血を家に塗りつけなければなりません。それが印となり、裁きのため行き巡られる神に過ぎ越していただくためです。その血は『かもいと二本の門柱』の3か所に塗らねばなりませんでした。これは「3」ですから、神が確かに確認されるためです。というのも神の御心は事柄が3度(または2度)確認されることだからです。1か所だけでは不十分ですし、4か所も確認する場所がある必要はありません。神は、羊の血が塗られている家にいるユダヤ人を裁かれませんでした。何故なら、その血は永遠の子羊なるイエス・キリストの血を現わしているからです。神はキリストの血により贖われている者たちをお裁きになりません。『御子を信じる者は裁かれない。』とヨハネ福音書に書かれている通りです。御子に贖われている者は御子を信じている者であり、御子を信じている者は御子に贖われている者です。血を家に塗っていなかったエジプト人は子羊キリストの贖いを受けていませんでした。ですから、エジプト人たちは裁かれてしまったのです。

 この時、次のように言ったユダヤ人がいたかどうか私は知りません。「神はユダヤの民を嘉しておられる。だから、別に羊を屠り、その血を家に塗らなくても、ユダヤ人であれば裁かれることはあるまい。」もしこのように言うユダヤ人がいれば、その人の初子は助かりませんでした。何故なら、その人はイエス・キリストの血を指し示す子羊の血を蔑ろにしたからです。これは現代でも同様のことが言えます。自分たちこそ神に選ばれた特別な民なのだと思い込んでいるユダヤ教徒たちは、神の子イエス・キリストの血を蔑ろにしていますから、彼らが何と言おうと救われることはありません。御子の血潮による贖いを求めない者が、どうして救われるでしょうか。この血にこそ私たち人間の贖いがあるのです。また、この時には『だれも家の戸口から外に出てはな』りませんでした。このように命じられたのは、恐らく外に出れば、外を行き巡っておられる神に裁き殺されるからなのでしょう。神が御業を為しておられる時、私たちは静かにしているべきなのです。

 この箇所で命じられているように、この儀式は永遠に行なわれねばなりません。ユダヤ教徒は今でもこの儀式を行なっていますが、これは時代錯誤もいいところです。キリスト教徒は、聖餐式により過越祭の命令を全うしています。ユダヤ教徒たちはキリストに帰依し、聖餐式をすべきです。キリスト教徒たちは、聖餐式が過越祭の新約版であることをよく弁えるべきです。

【12:26~27】
『あなたがたの子どもたちが『この儀式はどういう意味ですか。』と言ったとき、あなたがたはこう答えなさい。『それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」』
 この過越際の意味内容を、後に生まれて来たユダヤ人の子に教えよとここでは言われています。これは子どもたちを教化するためです。ユダヤの子は神の民として、神のことが教えられなければなりません。そのようにして教えられることで、子どもたちが神を愛し、敬い、恐れるようになるためです。それゆえ、ここでは子たちに過ぎ越しのことを教えよと言われているのです。ルソーは『エミール』という本で、子どもたちに若い頃から宗教教育を施してはならないと言っています。愚かなことを言ったものです。聖書は聖徒の子たちに宗教教育が施されるべきだと命じています。ルターとカルヴァンも子どもの宗教教育を重視しており、子どもが敬虔に育つためルターは『小教理問答書』を、カルヴァンは『ジュネーヴ教会信仰問答』を書いたのでした。ルソーは知の巨人ですが、プロテステント教徒としての神学レベルは一般信徒と同等ですから、ルソーの宗教教育に関する言説を受け入れる必要はありません。どうして私たちがルソーに従い、子どもたちには神教育が施されるべきだと命じる聖書に背いてよいでしょうか。

【12:27~28】
『すると民はひざまずいて、礼拝した。こうしてイスラエル人は行って、行なった。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行なった。』
 こうしてユダヤ人は神を崇拝し、全て神の命令通りに行ないました。考えてもみて下さい。遂にエジプトという虐待者から救出され、真の神に仕えることができるようになるだけでなく、素晴らしい地にさえ導き入れられるのです。これではどうして神を崇拝し神に服従しなくてよいということがあるでしょうか。例えば、40年も牢屋にいた人が特赦され、それからアップル社かソニーで有意義に働けるというのであれば、恐らくその人は大喜びするのではないでしょうか。この時のユダヤ人に起きたのは、これ以上に素晴らしい出来事でした。ですから、当時のユダヤ人たちは自発的に喜んで神の言葉を実践したことでしょう。

【12:29~30】
『真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる捕虜の初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。それで、その夜、パロやその家臣および全エジプトが起き上がった。そして、エジプトには激しい泣き叫びが起こった。それは死人のない家がなかったからである。』
 神は遂に、エジプトの初子を殺すという最後の災いを下されました。その時には『死人のない家がなかった』のです。子どもを持たないエジプト人の家ならばあったかもしれませんが、家畜を持たない家はなかったからです。このためエジプト全土が悲しみで満ちました。神がどのようにして初子の命を取られたかは、何も聖書に書かれていませんので、分かりません。恐らく、初子の心臓が直接停止されたのだと思われます。そうでなければ脳血管が破裂したのかもしれません。これについては、とにかく推測することしかできません。注意せねばならないのは、この時に殺されたのはエジプト人の持っている初子だけだったということです。何故なら、これはエジプト人に対する裁きだからです。つまり、エジプトにはいるものの野生動物の初子は殺されなかったはずです。

【12:31~33】
『パロはその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立ち上がって、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って、主に仕えよ。おまえたちの言うとおりに、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」エジプトは、民をせきたてて、強制的にその国から追い出した。人々が、「われわれもみな死んでしまう。」と言ったからである。』
 パロは遂に、ユダヤ人たちをユダヤ人の望む通りに行かせると言いました。今度は何も制約が付けられませんでした。というのも、ユダヤを行かせないために、このような恐るべき災いが起こったからです。エジプト全体も、ユダヤ人を強制的に追い出しました。そうでもしなければ、いずれ更なる災いが降りかかると思って恐れたからです。彼らがこのように恐れたのは間違っていませんでした。人間はこのように実際の害が起こってから行動に出ます。必ずそうだというわけではなく、このような傾向が非常に強いのです。何故なら、目の前で起こっている現実には非常な力があるからです。まだ現実になっていないうちは、そこに現実がありませんから、行動を起こさないことが多いのです。パロにしても「エジプト中の初子が殺されるであろう。」と言われていただけだった間は、まだ初子が殺されていませんでしたから、ユダヤ人を去らせようとはしませんでした。

【12:34】
『それで民は練り粉をまだパン種を入れないままで取り、こね鉢を着物に包み、肩にかついだ。』
 イスラエル人は急かされていたので、祭りの準備をする際、練り粉にパン種を入れていることができませんでした。大地震の時に着替えている余裕がないのと一緒です。先に述べた通り、パン種が入れられるべきでないのは、イスラエルのうちに僅かな悪さえあってはならないからです。パウロが言っているように『ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませる』(Ⅰコリント5章6節)のです。ですが、パン種を入れなかったのは、余裕がなかったからでもありました。では、エジプト脱出の際に余裕があれば、パン種を練り粉に入れてもよかったのでしょうか。そういうことにはなりません。たとえ余裕があった場合でも、悪の象徴であるパン種を入れるべきではありませんでした。

【12:35~36】
『イスラエル人はモーセのことばどおりに行ない、エジプトから銀の飾り、金の飾り、それに着物を求めた。主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプトは彼らの願いを聞き入れた。こうして、彼らはエジプトからはぎ取った。』
 イスラエルの出エジプトは華やかになるべきでしたから、ユダヤ人はエジプト人から装飾品や着物を求めます。神がエジプト人の心に働きかけ好意を生じさせられたので、ユダヤはエジプトから剥ぎ取ることができました。これは既に出エジプト記3:22の箇所で前もって言われていたことでした。ユダヤ人はこれまで400年もの間、エジプトから搾取され続けていました。このため、神はユダヤがエジプトから搾取された分を取り戻すようにされたのです。そうすれば全てのバランスが取れるからです。神は公平な裁判者であられますから、最終的にはこのようにバランスを取られるのです。この時にユダヤ人がどれだけエジプトから剥ぎ取ったかは分かりません。ただ非常に多い量だったことは確かです。

【12:37~38】
『イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。さらに、多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上った。』
 まずユダヤ人は居住地であるラメセスから、南東に約50km離れた場所にあるスコテに向かいました。これはスコテという場所が、ユダヤ人の目的地であるホレブ山の通り道にあったからです。この時にエジプトから出たユダヤ人は、壮年男子だけでも『約六十万人』いたのですから、全部で200万人ぐらいいた可能性もあります。コリン・マッケヴェディとリチャード・ジョーンズによれば、この頃の世界人口は5000万人ぐらいですが、もしこれが本当だったとすると、200万人という数はあまりにも多い数だったことになります。これは70億人の世界人口である今で言えば、2億8000万人に相当します。パロが彼らを行かせようとしなかったのは紛れもない罪でした。しかし、ユダヤ人の人口を考えれば、パロがユダヤを手放したくなかったのは少なくとも「異常」また「狂気」だったとは言えないことになります。何故なら、今で言えば約3億人もいる集団を国家から失うのは、あまりにも大きな損失となるからです。約3億人(=200万人)というのは非常に大きな労働力です。この脱出の時には、エジプト人たちもユダヤ人に付いて行きました。それはエジプト人たちが数々の御業を見てヤハウェ神に帰依したからだと思われますが、そうでなければ自分の国を嫌っていたか好奇心からユダヤ人に付いて行ったのでしょう。ユダヤ人と一緒にエジプトを出たエジプト人の数は不明です。また、この時には『羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上』りました。この家畜たちが数えきれないぐらい多かったのは間違いありません。ですから、この時には非常に長い行列ができたことでしょう。その行列は実に壮大な眺めだったはずです。もっとも、パロにとってその行列は、ただただ不快な眺めだったに違いありませんが。詩篇105:37の箇所では、この時に『その部族の中でよろける者はひとりもなかった』と言われています。これは、エジプトを出るユダヤ人たちが全て力にみなぎっていたということです。

 前3世紀頃のエジプトの歴史家であるマネトンによれば、この時にユダヤ人たちがエジプトを出た原因は「らい病」だったということです。すなわち、エジプト人に感染させないためユダヤが追い出されたというのです。この出鱈目な歴史認識は退けられます。何故なら、聖書はまったくそのようなことを述べていないからです。恐らく、ユダヤがエジプトから出て後、エジプトはユダヤについてプロパガンダを流布させたのだと思われます。「ユダヤの民は感染症を広げないために追放された。」などと。今もそうですが、国家というものは往々にして都合の悪いことを隠したり誤魔化そうとします。もしエジプト政府がユダヤ人追放について有りのままを民衆に告げていたとすれば、国家の威信およびエジプトの宗教制度が大きな打撃を受けていたはずです。何故なら、そのように聞かされれば、エジプトがユダヤおよびユダヤの神に完敗したということを民衆は理解するだろうからです。ですから、マネトンはそのようなプロパガンダを史実として受け入れてしまったということなのだと考えられます。私たちは、霊感されていないマネトンの記述ではなく、霊感されている出エジプト記の記述に信頼すべきです。

【12:39】
『彼らはエジプトから携えて来た練り粉を焼いて、パン種の入れていないパン菓子を作った。それには、パン種がはいっていなかった。というのは、彼らは、エジプトを追い出され、ぐずぐずしてはおられず、また食料の準備もできていなかったからである。』
 出エジプトが起きた時、ユダヤ人は祭りのために使うパンにパン種を入れたいと思ったかもしれませんが、とてもそのような余裕はありませんでした。しかし、たとえ余裕があったとしても、パン種を入れるべきではありませんでした。これ以降、ユダヤ人は過越の祭りが行なわれる際、パン種を口にすることがありません。それは当時の切迫した状況を忘れないためです。コンピューターのような記憶力を持たない人間は、すぐに何かを忘れがちです。ですから、神はユダヤ人が出エジプトについて忘れないよう、祭りの際にはパン種を取り除くべきだと定められたのです。

【12:40~41】
『イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は四百三十年であった。四百三十年が終わったとき、ちょうどその日に、主の全集団はエジプトの国を出た。』
 ユダヤ人はエジプトに『四百三十年』滞在していましたが、これは前1700年頃から前1300年頃までのことです。400年と言われている箇所も聖書にはあります(創世記15:13、使徒行伝7:6)。これは概数であって、覚えを良くするためです。ですから正確な年数は『四百三十年』のほうです。神はこんなにも長い間、ユダヤ人が虐待されるままにしておかれました。これはユダヤ人が救われた時、神の救いの栄光が豊かに表われるためでした。

【12:42】
『この夜、主は彼らをエジプトの国から連れ出すために、寝ずの番をされた。この夜こそ、イスラエル人はすべて、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。』
 出エジプトの際、神は夜番をなさいました。夜番には、神経力、精神力、忍耐力、集中力が求められます。何故なら、夜番をするのは夜ですから視界が悪く、眠気との戦いもあるからです。古代ローマ兵について言えば、彼らが夜番をする時、居眠りをしたら死刑に処せられることになりました。ですから、ここで主が『寝ずの番をされた』と書かれているのは、主が夜番をする兵士のようにイスラエルを守り、注視し、慈しみ、導かれたということです。また、この時には神だけでなくユダヤ人たちも、自分たちの大移動に注意を払っていました。ですからユダヤ人も『寝ずの番をする』と書かれています。要するに、この時の出エジプトは誠に注目すべき重大な出来事だったということです。

【12:43~47】
『主はモーセとアロンに仰せられた。「過越のいけにえに関するおきては次のとおりである。外国人はだれもこれを食べてはならない。しかし、だれでも金で買われた奴隷は、あなたが割礼を施せば、これを食べることができる。居留者と雇い人は、これを食べてはならない。これは一つの家の中で食べなければならない。あなたはその肉を家の外に持ち出してはならない。またその骨を折ってはならない。イスラエルの全会衆はこれを行なわなければならない。』
 過越祭を行なう際、外国人であるエジプト人はパンを食べられませんでした。彼らは異邦人だからです。これはユダヤ人が神から過ぎ越されたことを記念する儀式です。であれば、どうしてユダヤ人でない外国人がこの儀式に与かってよいでしょうか。もし間違ってパンを食べてしまった異邦人がいたとしても、効果は何もないでしょう。それどころか、神からの裁きを招く恐れがあったでしょう。これは外国人差別ではありません。日本にいる外国人が日本の選挙で投票できないからといって外国人差別にはならないのと同じです。また『居留者と雇い人』もパンを食べてはなりませんでした。彼らも異邦人だからです。

 しかしながら、割礼を施された奴隷であれば、ユダヤ人と一緒にパンを食べられました。何故なら、その者はヤハウェ神に帰依して割礼を受けており、ユダヤの正式な一員となったからです。その者は神とそのキリストの贖いを信じ、信仰の証印として割礼を受けたのです。ですからその者は神の民の一員であって、ユダヤ人と同じく天国へ行きます。こういった者であれば儀式に与かっても問題ありませんでした。この祭りの参加要件は神の民であるかどうかが基準です。ですから、参加できるかできないかは割礼の有無に置かれていました。

 また、食べる時は家の中でしなければなりませんでした。屠られた羊の肉を家から持って出ることは罪となります。宗教改革者たちが報告している通り、カトリックでは、聖餐のパンを教会から持ち出すということが行なわれていました。聖餐式は過越祭の新約バージョンですから、このような振る舞いはこの箇所から否定されます。しかも、カトリック教徒たちは、その持ち運ばれた聖餐のパンを拝むということさえしていました。これはもう滅茶滅茶だったと言わねばなりません。

 また、羊の骨は決して折ってはなりませんでした。これは非常に重要です。何故なら、この羊はイエス・キリストを示す影だからです。羊の本体である御子キリストの骨が折られることで、その御身体が無様になってはならないのです。もしキリストの骨が折られたとすれば、復活された際には不完全な身体となってしまいます。聖徒たちの初穂として蘇られたキリストがそのような格好になるのは、あってはならないことなのです。このため、十字架に架けられた人の骨はしばしば折られていたのですが(それは骨を折ることで早く死なせてやるためです)、神の摂理により、キリストの骨は折られなかったのです。ヨハネ19:31~36の箇所で書かれている通りです。

 47節目で言われている通り、ユダヤ人であれば必ずこの祭りに参加せねばなりませんでした。これは命令であり義務です。つまり、過越祭に参加しないのは罪でした。これは、今で言えば、聖餐式が行なわれるのに参加を拒むキリスト教徒と同じです。アメリカの初代大統領ワシントンがこうでした。過越祭に出ようとしないユダヤ人も、聖餐式に出ようとしないキリスト教徒も、実に不敬虔です。

【12:48~49】
『もし、あなたのところに異国人が在留していて、主に過越のいけにえをささげようとするなら、彼の家の男子はみな割礼を受けなければならない。そうしてから、その者は、近づいてささげることができる。彼はこの国に生まれた者と同じになる。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはならない。このおしえは、この国に生まれた者にも、あなたがたの中にいる在留異国人にも同じである。」』
 もしユダヤのうちにいる外国人が過越祭に与かりたければ、割礼を受けねばなりませんでした。割礼を受けるのであれば、その外国人はユダヤ人として見做されます。そうしてから祭りに参加できるのです。しかし、実際に割礼を受けた外国人がどれだけいたのかは分かりません。確かに割礼を受けた外国人はユダヤ人と同じになります。割礼がユダヤの標識だからです。しかし、実際には準ユダヤ人として取り扱われていたようです。これはタルムードを見ても分かります。割礼を受けた外国人は、生まれながらのユダヤ人に比べると、幾らか制約がありました。しかし、それにもかかわらずその外国人は、ユダヤ人と同様、やがて天国に入ることができます。また、これは言うまでもないことかもしれませんが、既に割礼を受けていた他の宗教の信者がいた場合、たとえ割礼を受けていてもパンを食べることはできませんでした。古代にはユダヤ人以外にも割礼を受けている民族がありました。しかし、ヤハウェ神に帰依した信仰の証印としての割礼でなければ、ユダヤにおいては意味をなしません。もし既に割礼を受けていた外国人がユダヤにいたならば、割礼を再び受けることはできませんから、宗教を変えることで祭りに参加することができていたでしょう。

 割礼を受けるならば外国人であっても聖礼典に与かれるという定めには、愛の神の寛大さが示されています。神は「来る者拒まず」であられます。これは、仏教徒やイスラム教徒であっても信仰を持てば聖餐に与かれるのと一緒です。しかし、割礼を受けない外国人は、神に帰依していないわけですから、決して神に受け入れられることがありません。

【12:50~51】
『イスラエル人はみな、そのように行なった。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行なった。ちょうどその日に、主はイスラエル人を、集団ごとに、エジプトの国から連れ出された。』
 この時、神の命令に従わないユダヤ人はいませんでした。何故なら、遂にエジプトという虐待者から解放されるのだからです。もし神に従わないユダヤ人がいたとすれば、重労働で死にそうになっている捕虜が解放者としてやって来た人を拒むのに似て愚かです。このような人がいれば狂気のマゾヒストだったと言わなければなりません。このようにしてユダヤ人はエジプトから出ました。正確には神が連れ出して下さったと言うべきでしょう。何故なら、ユダヤ人が出ようとしたからというのでエジプトから出れたわけではないからです。そうではなく、神が出させて下さったのでユダヤ人はエジプトから出れるようになったのです。

【13:1】
『主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それはわたしのものである。」』
 ユダヤ人の初子は人も家畜も神に捧げなければいけませんでした。出エジプト記22:29~30の箇所でもこう命じられています。『あなたの息子のうち初子は、わたしにささげなければならない。あなたの牛と羊についても同様にしなければならない。』この初子は『八日目』(出エジプト記22章30節)に捧げられねばなりませんでした。キリストも、この命令の通り、主に捧げられました(ルカ2:22~23)。これは主キリストが長子であり初子だったからです。しかし、どうして神に初子を捧げなければいけなかったのでしょうか。それは子の宿る胎を開かれたのが神だからです。もし神が働きかけなければ、その胎は開かず、ずっと不妊のままだったでしょう。ですから、最初に身籠った子は神に所有権があるのです。

【13:3】
『モーセは民に言った。「奴隷の家であるエジプトから出て来たこの日を覚えていなさい。主が力強い御手で、あなたがたをそこから連れ出されたからである。』
 ユダヤ人は出エジプトの日を覚えていなければなりませんでした。何故なら、主がその日にエジプトという牢獄からユダヤを解放して下さったからです。もし主が解放して下さらなければ、ユダヤはずっとエジプトで苦しんでいたかもしれないのです。例えば、自分の誕生日や結婚した日を忘れる人がいるでしょうか。恐らくいないだろうと思われます。出エジプトの日を覚えているべきなのは、これと一緒です。それでは、どうしてモーセはこのような重大な日を忘れるなと言ったのでしょうか。それはモーセが、人間は何でも忘れがちな存在であることを考慮したからなのでしょう。「忘れるな。」と言われても、往々にして人間は忘れてしまいます。であれば「忘れるな。」と言われなければ、尚のこと忘れやすくなってしまうでしょう。つまり、モーセはここで少しでも記憶の減退を抑制しようとさせたのだと思われます。

『種を入れたパンを食べてはならない。』
 これは聖礼典の期間だけのことです。当然ながら普通の日には種の入ったパンを食べても問題ありませんでした。

【13:4~7】
『アビブの月のこの日にあなたがたは出発する。主があなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたカナン人、ヘテ人、エモリ人、ヒビ人、エブス人の地、乳と蜜の流れる地に、あなたを連れて行かれるとき、次の儀式をこの月に守りなさい。七日間、あなたは種を入れないパンを食べなければならない。七日目は主への祭りである。種を入れないパンを七日間、食べなければならない。あなたのところに種を入れたパンがあってはならない。あなたの領土のどこにおいても、あなたのところにパン種があってはならない。』
 ユダヤにおける初めの月『アビブ』の15日目から七日間は、種の入ったパンを口にしてはなりませんでした。これは既に私たちが見た通りです。そして最後の『七日目は主への祭り』が行なわれます。先に見た出エジプト記12:47の箇所から分かる通り、この祭りへの参加は義務であり、参加しないのはユダヤにおいて罪でした。

【13:8~10】
『その日、あなたは息子に説明して、『これは、私がエジプトから出て来たとき、主が私にしてくださったことのためなのだ。』と言いなさい。これをあなたの手の上のしるしとし、またあなたの額の上の記念としなさい。それは主のおしえがあなたの口にあるためであり、主が力強い御手で、あなたをエジプトから連れ出されたからである。あなたはこのおきてを年々その定められた時に守りなさい。』
 ユダヤ人は出エジプトのことについて子どもに教えねばなりませんでした。それは子どもたちの教化のためです。そのようにして子どもたちが信仰を正しく継承できるようにするのです。何と敬虔なことでしょうか。このように聖書は聖徒の子らが神について教えられるべきだと示しています。申命記6:7の箇所でもそのように言われています。ルソーは、子どもに若い頃から宗教教育を施せば現実感を持てなくなるなどと言います。聖書を無視したこのような主張は、教会において受け入れられません。

 またユダヤ人は、この出来事を忘れないため、神の教えを『手の上のしるしとし』『額の上の記念とし』なければなりませんでした。古代ユダヤには、神の教えが刻まれている額と手の装飾品がありました。手の印を見るならば、頻繁に神の教えを見ることになります。額に神の教えが記念としてあれば、他の人がそれを何度も見ることになります。このようにする目的は、『主のおしえがあなたの口にあるため』です。つまり、ユダヤ人が主のことについて口ずさむことで、神の為された御業が忘れられてしまわないようにするためです。私たちも神の教えを口ずさまねばなりません。それは、私たちが神のことに関して忘れないためです。

 10節目で命じられている通り、この儀式は永遠に為されるべきですから、ユダヤ教徒は過越祭を昔のままで、キリスト教徒は置き換えられた儀式として聖餐式において、今でも行なっています。正しく行なっているのは後者のほうです。キリスト教徒はこれからも聖餐式を行ない続けます。ユダヤ教徒たちも過越祭を行ない続けることでしょう。彼らはそれが間違いだとは思っていないからです。

【13:11~13】
『主が、あなたとあなたの先祖たちに誓われたとおりに、あなたをカナン人の地に導き、そこをあなたに賜わるとき、すべて最初に生まれる者を、主のものとしてささげなさい。あなたの家畜から生まれる初子もみな、雄は主のものである。ただし、ろばの初子はみな、羊で贖わなければならない。もし贖わないなら、その首を折らなければならない。あなたの子どもたちのうち、男の初子はみな、贖わなければならない。』
 ユダヤ人はカナンに住んでからも、やはり初子を人であれ家畜であれ神に捧げなければなりませんでした。その際、『ろばの初子はみな、羊で贖わなければな』りませんでした。何故なら、驢馬は汚れた動物だからです。驢馬以外の動物も汚れていれば羊で贖う必要がありました。羊は清い動物ですから贖われる必要がありません。もし贖わなければ、その驢馬を殺して無に葬らねばなりませんでした。汚れた動物をそのままで神に捧げてはならないからです。人間の初子も羊で贖わなければなりませんでした。何故なら、ダビデが言っている通り、人間は生まれた時から、否、母の胎にいる時から既に罪で汚れているからです(詩篇51:5)。

【13:14~15】
『後になってあなたの子があなたに尋ねて、『これは、どういうことですか。』と言うときは、彼に言いなさい。『主は力強い御手によって、私たちを奴隷の家、エジプトから連れ出された。パロが私たちを、なかなか行かせなかったとき、主はエジプトの地の初子を、人の初子をはじめ家畜の初子に至るまで、みな殺された。それで、私は初めに生まれる雄をみな、いけにえとして、主にささげ、私の子どもたちの初子をみな、私は贖うのだ。』』
 子どもたちには、初子を捧げることについても教えるべきでした。神は、子どもたちが神のことについて豊かに知るのを望んでおられます。そうすれば年老いても神から離れて無神論になることはないでしょう。ですから、こう言われています。『若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。』(箴言22章6節)ユダヤ人が初子を捧げるのは、胎を開かれたのが神だからですが、主がエジプトの初子をことごとく殺されたからでもあります。つまり、ユダヤ人が初子を捧げるのは、出エジプトの直前に起きたことを記念し感謝する意味もありました。

 初子を捧げる際、人と家畜では違いがあります。家畜の場合は生贄として神に捧げられます。つまり、家畜は殺されます。一方で人の初子の場合、ただ神に捧げられて神の所有とされるだけです。つまり、人の初子は殺されません。神に捧げるからと言って、人の初子まで家畜と同じように殺すのは逸脱です。それは異教徒のしていたことです。

【13:16】
『これを手の上のしるしとし、また、あなたの額の上の記章としなさい。それは主が力強い御手によって、私たちをエジプトから連れ出されたからである。」』
 この箇所は出エジプト記13:9の箇所で言われていたことの繰り返しです。この繰り返しは、つまり強調であり、絶対に神の救いが忘れられるべきではないからです。

【13:17~18】
『さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」それで神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた。』
 神は、ユダヤ人を『近道であるペリシテ人の国の道には導かれ』ませんでしたが、これはペリシテ人が野蛮で闘争的な民族だったからです。ユダヤ人がペリシテ人に会えば、ペリシテ人はユダヤ人と戦おうとするでしょう。そうなればユダヤ人が恐れ、エジプトへ引き返すことにもなります。これでは神がエジプトからユダヤを救われた意味はなくなってしまいます。ですから、神は『この民を葦の海に沿う荒野の道に回らせ』ました。その道であればペリシテ人を避けられるからです。『葦の海』とは紅海のことです。神は、ペリシテ人とユダヤ人との間に戦いが起こると知っておられました。というのも、ペリシテ人は獰猛な民族である上、ユダヤ人は民族的に虐められやすいからです。ユダヤ人が虐められやすいというのは、ヒトラーのナチスやローマやシリア王国(アンティオコス4世エピファネス)やバビロンやアッシリヤやエジプトから悲惨にさせられた歴史を見れば分かる通りです。中世でもやはりユダヤ人は虐められています。今でもシナゴーグが度々襲撃されています。ペリシテ人という狂暴な狼がユダヤ人という虐められやすい羊を見れば、間違いなく食い殺そうとするでしょう。ですから、神がペリシテ人からユダヤを避けさせたのは、理知的な判断だったことになります(神は理知そのものであられます)。しかし、ユダヤ人がペリシテ人を撃退することはできなかったのでしょうか。またはペリシテ人と交渉して平和に進むことはできなかったのでしょうか。どちらも神は有り得ないと判断されました。だからこそペリシテ人のいる場所にユダヤを行かせようとされなかったのです。

 この時にイスラエル人は『編隊を組』んでおり、秩序立っていました。秩序の神がユダヤ人を連れ出されたのです。またユダヤ人の指導者モーセは、学識と思慮と経験に富んだ人でした。ですから、ユダヤ人は統率されていない未熟な軍隊のようではありませんでした。

【13:19】
『モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない。」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせたからである。』
 モーセはエジプトを出る時に『ヨセフの遺骸を携えて来』ましたが、ここにおいてヨセフの願いが叶えられることになりました。ヨセフが自分の遺骸をカナンに持ち運ぶよう命じたのは、創世記50:24~25の箇所に書かれています。ここにはヨセフの信仰が表われています。すなわち、ヨセフが自分の遺骸をカナンに持って行くよう命じたのは、神の約束により、自分がカナンにこそ居るべきだと信じていたからです。たとえ遺骸になってからでも、です。この時のヨセフはミイラ状態であり、棺に納められていました(創世記50:26)。ですから骨や灰の状態ではありませんでした。

 ヨセフの遺骸は、400年もの間、エジプトでそのまま保たれていました。ユダヤ人たちにはヨセフとの誓いがありましたから、ずっとミイラを管理していたことでしょう。つまり、ヨセフの遺骸はユダヤ人のもとにありました。エジプト政府に管理されていたとは考えにくいと思われます。何故なら、『ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった』(出エジプト1章8節)からです。ヨセフのことを知りもしないパロが、どうして見ず知らずのミイラを政府に管理させておくでしょうか。普通に考えると、それは有り得ないと思えます。たとえエジプト政府が管理していたとしても、ユダヤ人が出て行く時、それをユダヤ人に譲ろうとしたでしょうか。疑問に感じられます。しかし、エジプト政府が管理していた可能性も全くないとは言えません。しかし、ユダヤ人たちにミイラの管理権が移されていたと考えるのが自然でしょう。何故なら、ユダヤ人にはどうしてもミイラをカナンに運ばなければいけない使命があったからです。

【13:20~22】
『こうして彼らはスコテから出て行き、荒野の端にあるエタムに宿営した。主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。』
 ユダヤ人はエジプトでの居住地だったラメセスからスコテまで行きましたが(出エジプト12:37)、今度はそこから南東に40kmほど離れた『エタム』に向かいました。ラメセスからスコテまでは50kmぐらいですから、イスラエル人はこれで90kmも進んだことになります。100万人以上もの人々が皆揃って一挙に90kmもの距離を移動するというのは凄いことです。これは他に例がないと思われます。外から見たらこの行列は実に壮大だったことでしょう。

 神はユダヤ人を2つの仕方で、すなわち昼は雲の柱、夜は火の柱により導かれました。神が雲と火の柱により道案内をして下さいました。ユダヤ人はただそれに付いて行けばよいのです。ですからユダヤ人が迷う可能性は0%でした。昼間は太陽の光が照らしているので、柱が火である必要はありません。しかし夜になると太陽が照らさないので、柱が火となりました。これは神の恵みです。この火の柱には、荒野の夜に寒さを和らげる意味もあったのでしょうか。これは分かりません。もしかしたら熱さを持たない火の柱だった可能性もあります。神はこの柱のうちにおられました。そして、この柱はユダヤ人の前から消えることがありませんでした。つまり、神は常にユダヤと共にいて下さったのです。これは大きな恵みです。また、この柱には神秘性があります。雲も火も定まりがなく捉え難いからです。神はこのような物質でユダヤ人に御自身の存在を感じさせられました。まだ信仰の初歩段階にいる幼児のような彼らにとって、これは霊的な教育手段として非常に有益でした。まだ信仰が幼かったユダヤ人に、神はこのような補助手段を備えて下さいました。ですからユダヤ人は柱を見て、そこにおられる神への信仰を強めたでしょう。

【14:1~4】
『主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。パロはイスラエル人について、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった。』と言うであろう。わたしはパロの心をかたくなにし、彼が彼らのあとを追えば、パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現わし、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」そこでイスラエル人はそのとおりにした。』
 神は、エタムに宿営しているユダヤ人が、引き返すよう命じられます。そして今度は『バアル・ツェフォンの手前で宿営』せよと言われます。この場所はエタムから北に60kmほど離れています。神がユダヤを引き返させたのは、そうすることでパロを侮らせ、御自身の栄光を表わすためです。ユダヤが引き返せば、パロはユダヤ人たちが迷っていると思って追跡するはずです。そのようにしてやって来たパロとその軍勢を通して、神は栄光を再び表そうとしておられました。ですから、ユダヤ人は神の栄光のため引き返さねばなりませんでした。神は御自身の栄光を第一とされるからです。よって、もし神がこの時に栄光を表わそうとされなければ、もうパロとの関わりを終わりにさせて、さっさとユダヤ人がホレブ山に行くようにしておられたでしょう。要するに、神はパロを欺き挑発されました。それはパロが神に対して不遜だったからです。もっとも、パロはまさか自分が神におびき寄せられているなどとは少しも思っていませんでしたが。

 これが人間であったら、ユダヤが引き返すようにするのは全く考えられないことです。せっかく虐待者のエジプトから逃げたのに、どうしてエジプトが追い付けるように引き返さなければいけないのでしょうか。もしそんなことをしたら気が狂っていると思われるでしょう。しかし神は人間ではありませんから(民数記23:19、Ⅰサムエル15:29)、人間であれば行なわないことをこの時に為さいました。それは神が御自身の栄光のために全てを為される御方だからなのです。ここに神と人間の違いがあります。このため神の為されることや言われることは、私たち人間にとって計り知れないのです。