【出エジプト記14:5~15:25】(2021/09/26)


【14:5~9】
『民の逃げたことがエジプトの王に告げられると、パロとその家臣たちは民についての考えを変えて言った。「われわれはいったい何ということをしたのか。イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは。」そこでパロは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率いた。主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。それでエジプトは彼らを追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。』
 パロとその家臣たちはイスラエル人を去らせたことについて後悔し、イスラエル人たちを追跡して引き戻そうとしました。彼らは『イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは。』と言っています。やはり、私が先に述べた通り、イスラエルはエジプトにとって大きな労働力だったのです。この時にはパロが『自分でその軍勢を率い』ました。パロ自ら出陣したのは事柄の大きさをよく示しています。また、この時には『えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて』パロが率いました。エジプト軍の戦車が全て動員されたのは、イスラエル人の数があまりにも多かったからです。もしイスラエル人が少なければ、戦車の数も少なくてよかったはずです。パロの軍勢が戦車で移動するのに対し、ユダヤ人たちは徒歩また驢馬で移動していましたから、パロはすぐにユダヤ人たちのいる場所に行き着けました。これは猫がカタツムリを追うようなものです。

 すぐにも心変わりしたこのパロと家臣たちを見ても分かる通り、人間は目の前のことしか見ないものです。ですから、危機が起きたならば、その危機を除くために努力したり犠牲を払ったりします。しかし、その危機が過ぎると、後悔して、その危機を過ぎ去らせるために行なったことを元に戻そうとします。そして、それを元に戻して後、再び危機が起こるならば、またもや元に戻したことを自分から遠ざけます。全ての人がこうではないにしても、このような傾向は誰でも持っているはずです。つまり、人間とは近視眼的であまり学習能力がないことになります。これの良い例は、痛ましい被害を出す戦争が今でも相変わらず起きていることです。いったい、どれだけの多くの国や権力者が、これまで戦争の直後に平和の誓いを立ててきたことでしょうか。それにもかかわらず、人間はそんな誓いなどなかったも同然に戦争を今でも行ない続けています。

【14:10~12】
『パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」』
 ユダヤ人はパロの軍勢を見て恐れたので、モーセに文句を言います。このように文句を彼らが言ったのは、不遜でした。何故なら、彼らはこれからエジプト軍に殺されると決めつけているからです。つまり、神がユダヤをエジプトから守り助けて下さるとは考えてもいませんでした。無敵の神が共におられるのに、エジプト軍という塵の集まりを恐れるとは、一体どういうわけでしょうか。まだまだ彼らは信仰的に幼児だったと言わねばなりません。ここにおいて既にユダヤ人の不敬虔と不信仰が明白に現われ出ています。この現われはこれからも続くことになります。

【14:13~14】
『それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」』
 モーセの信仰は幼くありませんでした。彼はしっかりと神とその御救いに信頼していました。モーセだけがこのようであればいいというわけではありません。当然ながら全てのユダヤ人がモーセのようになるべきです。ですから、モーセはユダヤ人の心を神に振り向けさせています。この時こそユダヤ人が最後にエジプト人を見る時でした。ここにおいてユダヤとエジプトの関係は完全に断ち切られます。要するに、この時はユダヤ人にとってエジプトの葬儀でした。

 ところで、この時にパロとその軍勢は、南西のほうからユダヤ人の群れに向かって来たはずです。何故なら、ユダヤ人のいたバアル・ツェフォンの手前にあるピ・ハヒロテは、パロのいる都から北東の場所にあるからです。西から来たのか、南西から来たのか、南から来たのか、それはよく分かりません。地図を見ると、北からユダヤ人に迫ったとは考えにくい。東から迫った可能性はほぼ0%です。

【14:15~18】
『主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真中のかわいた地を進み行くようにせよ。見よ。わたしはエジプト人の心をかたくなにする。彼らがそのあとからはいって来ると、わたしはパロとその全軍勢、戦車と騎兵を通して、わたしの栄光を現わそう。パロとその戦車とその騎兵を通して、わたしが栄光を現わすとき、エジプトはわたしが主であることを知るのだ。」』
 神は、モーセがユダヤ人をそのまま進ませるように命じられます。それは、これから神がエジプト人を裁き殺されるからです。神はその裁きを通して御自身の栄光を現わし、そしてイスラエル人に勝利を与えようとしておられます。ですから、ユダヤ人は慌てふためいてはなりませんでした。このように神は敵であるエジプト人を滅ぼすことで、御自身の栄光を現わされます。例えば、もしハンニバルをスキピオが実戦で打ち殺していたとすれば、世界中にスキピオの栄光が知れ渡ったはずです。何故なら、至上最も卓越した将軍の一人であるハンニバルに対して直接的な勝利を収めたからです。神がエジプト人を殺すことで栄光を現わされるのは、これと同じです。

 これから行なわれる御業は、これまでエジプト人に行なわれた御業よりも、輝かしい御業です。今度の御業は感動的です。これまでの御業は感動的というよりは、むしろ戦慄させる恐ろしさを強く持っていました。感動的な御業はクライマックスに相応しい御業です。このような御業が行なわれたのは、後にも先にもありません。この御業が行なわれたと考えられる場所は6か所ほどありますが、実際にどの場所で行なわれたかは分かりません。

【14:19~20】
『ついでイスラエルの陣営の前を進んでいた神の使いは、移って、彼らのあとを進んだ。それで、雲の柱は彼らの前から移って、彼らのうしろに立ち、エジプトの陣営とイスラエルの陣営との間にはいった。それは真暗な雲であったので、夜を迷い込ませ、一晩中、一方が他方に近づくことはなかった。』
 神は、御自身のおられた柱を、ユダヤ人の前方から後方に移されました。その柱は『真暗な雲であったので、夜を迷い込ませ、一晩中、一方が他方に近づくことは』ありませんでした。神はこのようにしてエジプト軍をユダヤから遮り、ユダヤ人が襲われないように守られました。もし柱がユダヤの後ろに移っていなければ、すぐにもユダヤはエジプト軍にやられていたでしょう。この柱は『真暗』でしたから、エジプト人は雲の後ろにいるユダヤ人を見ることが出来なかったはずです。同様に、ユダヤ人も雲の後ろにいるエジプト人を見れなかったでしょう。この時にはエジプトの『全戦車』(出エジプト14章7節)がやって来ていました。ユダヤ人たちも非常に多くいました。このことから、両者を遮る柱の横幅は非常に長かったことが分かります。何故なら、もし柱の横幅が短ければ、エジプト軍は横回りしてユダヤ人のところに行けたでしょうから。多くの人は、この時の柱が非常に長いペットボトルのようだったと想像しがちではないかと思います。しかし、この柱はニューヨークに建っている超高層ビルのようだったと想像すべきでしょう。

 この箇所から、ユダヤ人は『神の使い』に率いられていたことが分かります。これはキリストのことだと考えられます。パウロも言っている通り、キリストはエジプトを出たユダヤ人と共におられたからです(Ⅰコリント10:1~4)。もしキリストでなければ、これは厳密な意味での御使いだったことになります。しかし、どの御使いだったかは不明です。可能性として高いのは『御使いのかしらミカエル』(ユダ9節)です。ユダヤ人の群れを率いるのは、御使いのリーダーにとって相応しい仕事だからです。

【14:21~23】
『そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。エジプト人は追いかけて来て、パロの馬も戦車も騎兵も、みな彼らのあとから海の中にはいって行った。』
 モーセが神に命じられた通りに手を差し伸ばすと、神は海に風を吹かせて陸地が生じるようにされました。これは大変素晴らしいことです。この場面を見ると、あたかもモーセその人が海を2つに裂いたかのようにも感じられます。何故なら、モーセが手を差し伸べると真っ二つに分かれたからです。しかし、神はこのようにモーセに海を分けさせられることを望まれました。それはモーセに神の輝きが及ぼされるためです。そうすれば民はモーセが神から遣わされた使者であることを堅く信じるだろうからです。しかし、モーセは単に仕草をしただけであり、実際に海を割られたのは神でした。アロンはどうやら、この奇跡をモーセと共に行なわなかったようです。つまり、モーセが海を割るのを見ていたのでしょう。というのも、この箇所からアロンもモーセと一緒に奇跡を行なったとは読み取れないからです。

 この分けられた海の陸地を、ユダヤ人の群れが皆揃って進み行きました。100万人以上ものユダヤ人がそこを進んだのですから、乾いて陸地となった部分は非常に大きかったはずです。また、そこを陸地とするために吹きつけられた風は、非常に激しかったはずです。ユダヤ人がそこを進んでいる時は、両側の水の壁がユダヤ人に襲いかかりませんでした。神がユダヤ人たちの進行中には水をずっと分けておられたからです。この時の出来事を描いた映画がアメリカにありますが、見ても見なくてもどっちでもよいでしょう。それは単なる参考情報にしかならないからです。聖書の出来事を再現した映画は沢山ありますが、私がこのような映画について懸念するのは、本当にその映画のシーンが実際の出来事と合致しているのかという点です。私はこの点が何よりも心配なのです。

 エジプトの軍勢も、罠に自ら入って来る虫のようにして、陸地となった場所に進んで行きました。この時の彼らは狂気に陥っていたのかもしれません。何故なら、海が真っ二つに分けられるという神の素晴らしい御業をまざまざと見ておきながら、その御業を為された神の民を追跡しているからです。これは100人のボディーガードに囲まれた要人を追跡することよりも無謀です。軍隊の力があれば、神が共におられたとしても、何とかしてユダヤ人を連れ戻すことができるとでも思っていたのでしょうか。もしこう思っていたとしたら誠に愚かだったと言わねばなりません。もしエジプト人に思慮があれば、神により海が分けられた時点で追跡を止めていたでしょう。しかし、エジプト人は滅びに定められていました。

【14:24~25】
『朝の見張りのころ、主は火と雲の柱のうちからエジプトの陣営を見おろし、エジプトの陣営をかき乱された。その戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされた。それでエジプト人は言った。「イスラエル人の前から逃げよう。主が彼らのために、エジプトと戦っておられるのだから。」』
 陸地に進んで来たエジプト人を主はかき乱され、『その戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされ』ました。戦車の車輪が外されたのは、柱である火と雲による作用だったはずです。このように彼らの自信の源である戦車の車輪が外されたので、エジプト人は自分たちが相手にしてはならない御方を相手にしていると気付かされました。このため彼らは『イスラエル人の前から逃げよう。』と言います。ところが逃げると言っても、もはや走って逃げるしかありませんでした。もう戦車は使い物にならなくなっていたからです。車輪が外されたのは『朝の見張りのころ』でした。これは兵士たちが朝になるまで行なっている夜番の時間帯を言っているのだと思われます。また、この時に主は『柱のうちからエジプトの陣営を見おろし』ました。これは神が至高の主権者として、被造物に過ぎないエジプト人たちを被造物として圧倒的優位のうちに眺められたという意味です。

【14:26~28】
『このとき主はモーセに仰せられた。「あなたの手を海の上に差し伸べ、水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真中に投げ込まれた。水はもとに戻り、あとを追って海にはいったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかった。』
 神の指示によりモーセが再び手を海へ差し伸べると、両側に裂かれていた海が、元の状態に戻りました。すなわち、この時に風が止みました。元に戻った水は後方のエジプト軍にだけ襲いかかりました。先のほうを進んでいたユダヤ人たちは水に呑み込まれませんでした。この時にはエジプト兵だけでなくパロも水に襲われて死にました。この時に死んだパロは聖書で、水の中にいる竜として例えられています。イザヤ51:9~10の箇所がそうです。エジプト人たちの死因が溺死だったのは間違いありません。溺死は5分ぐらいで死に至ります。ですから、エジプト人はあっという間に死んでしまいました。兵士たちは兜や鎧やその他の装備を身に着けていたでしょうから、助かる見込みはありませんでした。彼らと一緒にいた馬たちも溺死したのは間違いありません。

 見て下さい、神に逆らう敵どもの悲惨な末路を。神に逆らう者たちは、最後に滅ぼされるのです。神の御前にうなじを恐くして、誰がそのままでいられるでしょうか。これは詩篇2篇を読んでも分かることです。それゆえ、神に滅ぼされたい者は神に逆らえばよいのです。しかし、祝福されたい者は神に属して味方となるべきです。

【14:29】
『イスラエル人は海の真中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。』
 このように神はユダヤ人のため、海を左右に切り開いて壁とし、そこをユダヤ人が通れるようにされました。この壁が横に長かったのは明らかです。しかし、高さがどのぐらいだったかは不明です。ただかなりの高さだったとは推測されます。また、この壁が完全に垂直だったかどうかは分かりません。もしかしたらアーチ状もしくは少し斜めになっていた可能性もあります。また、この時には海にいた魚が乾いた陸地に放り出されていた可能性もあります。貝殻なんかも陸地に転がっていたかもしれません。しかし、これは些細なことですから、別にどうでもよいことです。

【14:30~31】
『こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。』
 こうして神はユダヤ人を助けて下さいました。ユダヤには神の勝利が与えられたのです。ユダヤ人の勝因は何だったのでしょうか。彼らが神に従ったからです。しかし、彼らが神に従ったことを含めて全ては神の恵みによりました。ではエジプト人の敗因は何だったのでしょうか。それは彼らが神に逆らい続けたからです。このように神への服従が勝敗を決定づけます。これは律法も教えているところです。ですから、ユダヤ人たちも、神に従わない時は敗北しました。アッシリヤやバビロンやローマに滅ぼされたのがそれです。一方、ダビデの頃は神に従っていたので、ユダヤ王国は勝利に勝利を重ねていたのでした。我が日本も、八百万の神々を崇拝して真の神を無視していましたから、第二次世界大戦で敗北してしまいました。もし日本が真の神に従っていたならば、連合国に勝利していた可能性が高いのです。いや、その場合は祝福により日本も連合国の一員となって、枢軸国側に対する勝利を収めていたでしょう。この出来事の後、エジプトでは大きな不安が満ちたに違いありません。何故なら、パロとその軍勢が帰還しないからです。そして、暫くするとエジプトの敗北に気付かされたはずです。その時、エジプト人はヤハウェこそ真の神であることを恐れと共に悟りました(出エジプト記14:18)。この時に死んだエジプト人は海辺で大勢確認されました。私の推測では、後ほどエジプト人がこの死骸を見つけ、墓に葬るかミイラにしたことでしょう。

 このような大いなる出来事により神の御力が示されたので、それを見たユダヤ人は神を恐れ、神とモーセを自分たちの統率者として認め受け入れました。要するに、これは証拠としての奇跡の一つでした。キリストが奇跡を行なわれると、それを見た人たちはキリストを信じました。それと同じことです。

【15:1】
『そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。』
 モーセとユダヤ人は、神が勝利と救いを与えて下さったので、神への褒め歌を歌います。この歌の歌詞が霊感されていることは疑い得ませんが、歌詞を作った人が誰かまでは分かりません。最も可能性として高いのはモーセでしょう。そうでなければ卓越したユダヤの詩人または音楽家が作ったのかもしれません。

『「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。』
 神は、エジプト人を海へと葬り去られ、エジプトに対する勝利を収められました。それは光が輝くかのように見事な勝利だったので『輝かしくも』と言われています。この勝利はユダヤ人のために獲得されました。ですから、ユダヤ人たちは神に賛美を捧げるのです。自分たちを救い勝利させて下さった御方に賛美するのは、当然のことです。この箇所で『私』と言われているのは、モーセまたは他のユダヤ人、つまり「個人」を言っているのではありません。この『私』とはユダヤ人の全体を指しています。何故なら、確かにユダヤ人は多くの人員がいるものの、神の御前における民族としては一人だからです。ちょうど、ミカンの粒が沢山あっても、全て纏めて一つのミカンであるのと同じです。これを「多と一の原理」と言い、神の三一性を示しています。

【15:2】
『主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。』
 神は御民にとって『力』であられます。何故なら、聖徒たちは神の民であり、神が共におられるからです。聖徒たちと神は契約的に一体です。ですから、神の御力は私たちの力なのです。それは、神の御力が私たちに、また私たちのために働くからです。契約の外にいる人たちは、神を己の力とはしません。これは、妻が夫の稼いだお金を所持したり使うのと似ています。神と聖徒たちは夫婦です。また、神は聖徒たちの『ほめ歌』であられます。これは、神こそ聖徒たちが褒め称えるべき御方であるということです。また神は聖徒たちの『救い』であられます。何故なら、救いとは神のものであって(ヨナ2:9)、救いは神から来るからです。

『この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。』
 このような素晴らしい救いを齎して下さった御方こそ真の神であられます。ですから、ユダヤ人はその神を褒め称えました。また、その神は父たちが崇めていたのと同一の神であられます。ですから、ユダヤ人も父たちに倣ってその神を崇めるのです。ここでは神と神を賛美することが2回繰り返して言われています。これは強調です。新約時代のイスラエルである私たちも、神を賛美せねばなりません。神を賛美しなくてよい聖徒など一人もいないからです。

【15:3】
『主はいくさびと。その御名は主。』
 神がエジプト軍と戦われたので、ここでは『主はいくさびと。』と言われています。エジプト人も主が戦っておられるのを感じました(出エジプト記14:25)。このように神は敵と戦われる御方です。これから40年後のカナン侵攻の時も、神はユダヤ人に先立って行かれカナン人を滅ぼされました。ダビデの時も同様でした。コンスタンティヌス大帝も、恐らくそうだったろうと思われます。エウセビオスによれば、コンスタンティヌスは戦いの時に十字架を上空に見ましたが、その戦いで勝利を収めました(『コンスタンティヌスの生涯』)。これは神がコンスタンティヌスと共に戦われたからなのかもしれません。なお、神という戦士と、人間という戦士とでは、2つの違いがあります。一つ目は、目に見えるか見えないかという違いです。二つ目は勝率です。神の勝率は100%ですが、人間はハンニバルのような強者でも敗北を避けられません。

 続いてユダヤ人は『その御名は主。』と歌います。主の御名を示したのは、御名が非常に大事だからです。何となれば御名とは神そのものだからです。ところで、私の使っている新改訳聖書では『主』と訳されていますが、これは原文では「ヤハウェ」です。新改訳聖書の訳業における原則は「原文にできるだけ忠実であること。」ですが、これは忠実ではありません。カルヴァンはしっかり『エホバ』と訳していますが(前に述べたように今ではエホバと訳すのは間違いだと分かっています)、このカルヴァンのように、そのまま訳すのが正しいでしょう。新改訳聖書では、これを「ヤハウェ」と訳さない代わりに太文字で「主」と訳していますが、太文字にすればいいというわけではありません。進化論や諸々の異常教理に翻弄されてしまっている教会の現況を考えても分かりますが、これも霊性の衰えが現れているのかもしれません。もし霊性が衰えていなければ、多くの人がこの訳を問題視していたでしょう。こういうわけですから、もし私が翻訳部隊の長だったとすれば、そのまま御名を訳させていたでしょう。そんなのは当然過ぎることだからです。

【15:4~5】
『主はパロの戦車も軍勢も海の中に投げ込まれた。えり抜きの補佐官たちも葦の海におぼれて死んだ。大いなる水は彼らを包んでしまい、彼らは石のように深みに下った。』
 主はエジプトの軍勢をことごとく海に投げ込まれて滅ぼされました。『えり抜きの補佐官たち』も例外ではありませんでした。彼らは戦力的に貴重な存在だったでしょうが、パロはまさかエジプト軍が全滅するなどとは思っていなかったので、卓越した補佐官をエジプトに残して温存させるという選択はしていませんでした。『おぼれて死んだ。』と書かれているのは、速やかな死を齎す溺死のことです。『大いなる水』とは壮大さを持った海のことです。『彼らは石のように深みに下った。』と書かれているのは、装備のため水に抗って浮かび上がることが出来なかったということです。普通の服を付けていても溺れたら沈んでしまうぐらいですから、戦闘用の装備を付けている兵士たちが沈んだのは尚更のことでした。

【15:6~8】
『主よ。あなたの右の手は力に輝く。主よ。あなたの右の手は敵を打ち砕く。あなたは大いなる威力によって、あなたに立ち向かう者どもを打ち破られる。あなたが燃える怒りを発せられると、それは彼らを刈り株のように焼き尽くす。あなたの鼻の息で、水は積み上げられ、流れはせきのように、まっすぐ立ち、大いなる水は海の真中で固まった。』
 ここではエジプトに勝利された神のことが示されています。まず、歌の中では神が『右の手』を動かして敵に打ち勝たれたと言われています。これは、大半の人は右利きだからです。私たちは、非常に重要な仕事か精密さが要求される作業をする場合は、右手でするはずです。左手でやれば震えたり力が入らなかったりして、上手にできないからです。つまり、神はこの時に本格的に事を為されたということです。それを『右の手』という比喩で示しているのです。『大いなる威力』とは全てを動かす神の全能性です。全能の神の御力は無限であられます。それゆえ、神は全宇宙をも曲げることができます。このような神にとってエジプト人を打ち負かすことなどは朝飯前でした。7節目では、神の怒りは敵を『刈り株のように焼き尽くす』と言われています。これは神の敵が常に焼き尽くされるという裁きを受けるという意味ではありません。これは単に神の怒りが敵を滅ぼすということを示しているだけです。実際、この時のエジプト人たちは神の怒りで滅ぼされたものの、それは焼き尽くされるというやり方にはよりませんでした。ですが、ユダヤ人のように火で焼き滅ぼされるという裁きが下されることはしばしば起こります。ここで言われているように、確かにエジプト人は『刈り株のよう』でした。彼らは刈り株が炎に対処する術を持たないように、神の怒りという炎の前に為す術がありませんでした。ですから、刈り株が焼き滅ぼされるかのようにして滅んでしまったのです。8節目では、海に吹きつけられた風が神の『鼻の息』と言われています。これを野卑な比喩だと思ってはなりません。これは怒られた神の『とがめ』(詩篇18:15)が注がれたことを示しています。恐るべき獰猛な獣は、鼻をフーフー鳴らせつつ、敵を滅ぼそうとします。神もそのようにしてエジプト人という敵を滅ぼしてしまわれたのです。8節目の最後では『水は海の真中で固まった』と言われています。これは海に吹きつける風の風量が常に一定だったことを示しています。というのも、風量が一定でなければ海の水は固まらないからです。また、この『固まった』というのは、風の冷たさにより水が凍ったという意味ではないことに注意せねばなりません。

【15:9】
『敵は言った。『私は追って、追いついて、略奪した物を分けよう。おのれの望みを彼らによってかなえよう。剣を抜いて、この手で彼らを滅ぼそう。』』
 この箇所から分かる通り、エジプトがユダヤを追跡したのは、ユダヤが持って行った貴重な品々を取り返すためでした。彼らはユダヤ人が剥ぎ取った財物を何としても奪いたかったのです。たとえ、略奪の結果、剣でユダヤ人を殺戮することになったとしてもです。何故なら、エジプト人にとってユダヤ人はミミズ同然であり、財物のほうがよっぽど大切だからです。しかしながら、殺戮はエジプトが追跡した主目的ではありませんでした。ただ略奪の際に殺戮が伴うということだけに過ぎません。エジプトの主目的はユダヤ人を国家経済のため連れ戻すことでした。このためにこそエジプトは追跡したのです。これは出エジプト記14:5の箇所を見れば分かります。略奪のために殺戮するというのは二次目的です。この時にもし神がユダヤと共におられなければ、間違いなくユダヤ人はエジプト軍から酷い目に遭わされたでしょう。これはアメリカ軍が軍事力のない国や民族を攻めるのと一緒だからです。当時のエジプトは世界のスーパーパワーでしたから今のアメリカに該当するのです。しかし、神はユダヤと共に戦っておられました。このためユダヤ人には全く被害が生じませんでした。

 また、この箇所からエジプト兵たちが『剣』を身に帯びていたことが分かります。これは杖のように手放せる形としてではなく、身に付ける形としての所持でした。このような装備のため彼らは『石のように深みに下った』(出エジプト記15:5)のです。剣にはかなりの重量があるからです。

【15:10】
『あなたが風を吹かせられると、海は彼らを包んでしまった。彼らは大いなる水の中に鉛のように沈んだ。』
 この箇所では既に語られたことが繰り返されています。今度はエジプト人が『鉛』でもあるかのように水に沈んだと言われています。これは分かりやすい例えです。

【15:11】
『主よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれかあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行なうことができましょうか。』
 ユダヤ人は、神の唯一性と聖性について称揚します。それはユダヤ人の前に神の救いと栄光が現われたからです。人が神の救いと栄光を感じるならば、神を賛美せずにはいられません。何故ならば、人間とは神を賛美するために創造されたからです。ここで『神々』と言われているのは「天上の者」また「力ある者」とも訳せます。これは3通りの解釈ができます。すなわち、偽りの神々、聖なる御使い、地上における支配者です。どの解釈を取るにせよ文の意味は一つです。つまり、いかなる存在も神とは比べることさえできないということです。この神は『聖』であられます。この神のように聖であられる御方は他にありません。この神の御前ではセラフィムでさえ恥じ入って自分の身体を隠さねばならないほどなのです(イザヤ6:1~3)。また神は『力強く』あられます。神のように力ある御方は他にありません。何故なら、神は全宇宙を造られたからです。この神は『たたえられつつ恐れられ』ます。これは神が偉大であり、裁かれる御方だからです。神は審判者であるため称えられるだけで恐れられないということはなく、偉大であるため恐れられるだけで称えられないということもありません。また神は『奇しいわざを行なう』御方です。神以外に奇しい御業を為される御方はありません。『ただ、主ひとり、奇しいわざを行なう。』(詩篇72:18)とダビデも言っています。

【15:12】
『あなたが右の手を伸ばされると、地は彼らをのみこんだ。』
 『右の手』については先ほど述べた通りです。『地は彼らをのみこんだ。』とは、エジプト人が元に戻った海で溺死したことですが、あたかも地面が口を開いてエジプト人を呑み込むかのようだったのでこう言われています。つまりこの『地』とは、本来は海でしたが、神の風により一時的に乾いた場所のことを言っています。

【15:13】
『あなたが贖われたこの民を、あなたは恵みをもって導き、御力をもって、聖なる御住まいに伴われた。』
 神は、エジプトから出たユダヤ人を『恵みをもって導き』ました。『恵み』とは一方的な好意によるということです。ですから、神が特別に働きかけて下さらなければ、ユダヤはずっとエジプトにいたままでした。それゆえ、出エジプトの出来事は賛美されねばならないのです(詩篇136:11~15)。『御力をもって』とは紅海での奇跡のことを言っています。『聖なる御住まい』とはホレブ山を指します。この山に神が住んでおられました。ですからユダヤ人は贖われた者として、そこへ礼拝しに行くのです。『伴われた』とはそこに招き入れられたということです。

【15:14~16】
『国々の民は聞いて震え、もだえがペリシテの住民を捉えた。そのとき、エドムの首長らは、おじ惑い、モアブの有力者らは、震え上がり、カナンの住民は、みな震えおのおく。恐れとおののきが彼らを襲い、あなたの偉大な御腕により、彼らが石のように黙りますように。主よ。あなたの民が通り過ぎるまで。あなたが買い取られたこの民が通り過ぎるまで。』
 紅海での出来事は当然ながら周辺の国や民族にも知れ渡りました。そのため『国々の民は聞いて震え』ました。それは、偉大なヤハウェ神がエジプトを全滅させられたからです。つまり、この神には自分たちをも滅ぼし尽くす御力があるということを感じたので、戦慄したわけです。彼らは自分たちもエジプト人のようにされたら…と思って震えたのです。『ペリシテの住民』はシナイ半島の北部にあるシュルの荒野にいました。『エドム』とはエサウの子孫たちであって、死海の南に住んでいます。『モアブ』はロトの呪われた子孫たちであり、死海の東、エドムの北側に住んでいました。『カナンの住民』は死海の西側全体にいました。ここではペリシテの『住民』が悶えたと書かれていますが、これはペリシテの住民だけでなく首長も悶えたのは間違いありません。住民だけが悶えて首長は毅然としていたということはありえないからです。またエドム人の『首長ら』がおじ惑ったたと書かれていますが、やはり首長たちだけでなく一般の人々もおじ惑ったことは間違いありません。『モアブ』と『カナン』についても同様のことが言えます。ユダヤ人は、これらの民族が『石のように黙りますように』と言っています。これは神の大きな御力がまざまざと示されたからです。例えば、愛しているスターやアーティストでもいれば、その人は「もっと多くの人に知られたらよいのに。」と願うことにもなりましょう。ここで紅海の出来事により諸民族が黙ればよいと言われているのは、これと幾らか似ています。また諸民族が震え慄くのは『あなたの民が通り過ぎるまで。あなたが買い取られたこの民が通り過ぎるまで。』と言われています。どうして、紅海を通り過ぎるまでの間だけ諸民族が恐れ戦かねばならないのでしょうか。イスラエルが紅海を通り過ぎれば、もう諸民族は神の御前に震えなくてもよくなるのでしょうか。そういうわけではありません。これを難しく捉えるべきではありません。ここでは、単に紅海を通過中の出来事が諸民族の戦慄となるように、と言われているだけです。実際、この出来事を知った諸民族は神のことで大いに戦慄しました。それはヨシュア記2:8~11の箇所を見れば分かります。当時の超大国であったエジプトの敗北が、多くの民族に恐れを齎さないはずはありませんでした。

【15:17】
『あなたは彼らを連れて行き、あなたご自身の山に植えられる。主よ。御住まいのためにあなたがお造りになった場所に。主よ。あなたの御手が堅く建てた聖所に。』
 このようにして主はユダヤ人をホレブ山へと連れて行かれました。この山は『あなたご自身の山』でした。神がそこにおられたのです。ですから、異邦人たちはユダヤの神が「山の神」であると思ったり言ったりしていました。しかし、これは単に神が山で御自身を強く明白に示されたというだけのことであり、神が山という場所に縛られているはずもなく、神は全世界また全人類の神であられるということをよく弁えねばなりません。このホレブ山は神が『お造りになった場所』でした。また、当時はこの山が神の『聖所』でした。ですから、ユダヤ人たちは神の聖所のあるこの山にまで礼拝をしに行ったのです。ちょうど新約時代の聖徒が教会に、ユダヤ教徒がシナゴーグに、イスラム教徒がモスクに、神道の信者が神社に礼拝しに行くのと同じです。

【15:18】
『主はとこしえまでも統べ治められる。」』
 歌の最後では神の統治が永遠であると言われます。神は確かに御自身の被造物を永遠に至るまでも統べ治められます。これには全く疑う余地がありません。しかし、ここでは神が被造物を支配することについて言われているのではありません。ここで『統べ治められる。』と言われているのは、ユダヤ人のことです。つまり、ここでは「神はこれからユダヤの民を永遠に統治されるであろうう。」ということが言われています。確かに本来的に言えば神はユダヤ人を永遠に統治されておられました。しかし、ユダヤ人は神の統治に逆らい、自ら神より離れ、他の神々にさえ従いました。ユダヤ人が神の統治を嫌がるというのであれば、どうしようもありません。こういうわけで神のユダヤに対する統治は紀元70年9月2日をもって完全に打ち切られたのでした。ですから今や彼らからは祭儀制度も神殿も預言者も取り去られています。ここではユダヤ人に対する統治が言われているという今述べられたことを理解できない人がいるのでしょうか。その人は出エジプト記15章における歌の文脈を考えるべきです。この歌ではユダヤ人のことが語られているのです。

【15:19】
『パロの馬が戦車や騎兵とともに海の中にはいったとき、主は海の水を彼らの上に返されたのであった。しかしイスラエル人は海の真中のかわいた土の上を歩いて行った。』
 ここでは紅海で起きた出来事が短く纏められています。ユダヤ人とエジプト人の結末における対極性は実に印象的です。

【15:20~21】
『アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。ミリヤムは人々に答えて歌った。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」』
 アロンの姉ミリヤムは女預言者でした。この時にアロンは83歳でしたから、ミリヤムはアロンよりも年を取っていました。ミリヤムは既に出エジプト記2:4~8の箇所で出てきましたが、そこではまだ実名が示されていませんでした。彼女は他の女たちと一緒に、踊りながら出てきました。それはユダヤ人たちの賛美熱を更に燃え上がらせるためです。『タンバリンを持って』いたのも、ユダヤ人に賛美の精神を増し加えさせるためです。楽器は精神に大きな作用を及ぼすからです。このミリヤムのように楽器を使って賛美するのは間違っていません。新約時代ではもはや賛美に楽器を使うべきでないとカルヴァンまたツヴィングリは考えましたが、この考えは受け入れられません。もしカルヴァンがそう考えたように、楽器は旧約時代という霊的にまだ幼い時代の教育手段に過ぎないというのであれば、どうして天の教会にいる24人の長老たちは立琴を用いて歌を歌ったのでしょうか(黙示録5:8~9)。まさか新約時代の教会のほうが天上の教会よりも大人的で優れているというのではないでしょう。またミリヤムが神のために踊っているのも間違っていません。ピューリタンは踊りを全て否定していましたが、これも楽器の禁止と同様、どうかと思われます。何故なら、この箇所でミリヤムが踊っていることを非難するわけにはいきませんし(聖徒のうち誰がミリヤムの踊りを非難するでしょうか)、ダビデなどは『力の限り』しかも『裸』で『踊った』とⅡサムエル記6:12~22の箇所では書かれているからです。しかし、ミリヤムという女預言者を例として、教会で女牧師を認めることはできません。これについては駄目です。何故なら、女牧師については新約聖書で明白な禁止箇所があるからです(Ⅰコリント14:33~35、Ⅰテモテ2:11~14)。ところが楽器と踊りについて新約聖書で禁止箇所はないのです。

 この箇所において紅海で起きた話は終わります。これから荒野の出来事について話が移ります。

【15:22】
『モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。』
 さて、ここから荒野の旅が始まります。まずユダヤ人は東から南にかけて広がっていた『シュルの荒野』に出て行きました。これはシナイ半島の北側を占めている地域です。この地域を、ユダヤ人は南に向かい、沿岸沿いに歩いて行きます。彼らの目指していたホレブ山は南のほうにあったからです。ユダヤ人はマラという場所に着くまで『三日間、荒野を歩』きました。1日に15時間歩くとします。徒歩の速度は時速4~5kmぐらいだったでしょう。すると、彼らは『三日間』で180~225km進んだことになりますが、これは紅海の場所からマラまでの距離と一致します。移動の際、少なくとも強制労働をさせられていた男子たちは、鍛えられていたでしょうから、それほど歩くのが苦にはならなかったはずです。しかし老人や子どもたちの中には移動が困難な人もいたかもしれません。この時、彼らはシュルの荒野を東に進みませんでした。何故なら、この時はまだカナンに行くべきではなかったからです。まずホレブ山に行き、それから約束の地カナンに行くのです。もしカナンを目指して東のほうに進んでいたとしても、獰猛なペリシテ人たちが立ちはだかっていたはずです。

【15:22~23】
『彼らには水が見つからなかった。彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。』
 ユダヤ人がマラという場所に着くと、そこには水がありましたが、それは苦くて飲めませんでした。ソロモンはこう言っています。『飢えている者には苦い物もみな甘い。』(箴言27章7節)これは食べ物だけでなく飲み物についても言えます。確かに非常にお腹が空いていたり渇きで死にそうな時には、苦い物でもどんどんと甘い物であるかのごとくに腹に入れられるものです。しかし、マラの水は口にできないほど苦い味でした。恐らく毒にも似た苦さだったのでしょう。ユダヤ人がエジプトから持って来た飲料水には当然ながら限りがありますし、家畜の出す乳にも限度があります。また自分や家畜の尿を飲むわけにはいきませんし、すぐ近くにあるスエズ湾の海水を飲むのも自殺行為でした。ですからユダヤ人は大いに悩まされました。このマラの水の苦さのため、そこは『マラ』と名づけられたのです。すなわち、その場所はユダヤ人が命名するまで『マラ』という地名ではありませんでした。

【15:24~25】
『民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。』
 水に悩まされたユダヤ人が叫び立てたのでモーセが神に祈ると、神が示された『一本の木』によりマラの水は『甘く』なりました。この木が何の木だったかは示されていません。この木により水が甘くなった理由は、次の2つのどちらかです。すなわち、木そのものに水を甘くする性質があったか。または木自体に水を甘くする性質はなかったが、神がその木を通して水を甘くして下さったか。どちらが本当なのかは判断がつきません。神はこのようにして水に悩むユダヤ人たちに良くして下さいました。神は全ての生命体に食物と飲物を与えて下さいます(詩篇136:25)。これは当然ながらユダヤ人たちも含まれています。ユダヤ人は昔から多くの民族に嫌われていますが、だからといって神はユダヤ人たちに食物と飲物で嫌がらせをなさいません。神の敵また反キリストとなった今でもそうなのです。ですから確かに『神は愛』(Ⅰヨハネ4章8節)だということになります。