【出エジプト記15:25~18:27】(2021/10/03)


【15:25~26】
『その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」』
 この場所で、神はモーセに掟と掟に伴う約束を与えられました。それは、もしモーセが神に従うならばエジプトで生じたような病気を免れる、ということでした。『病気』と言われているのは、モーセがエジプトで目にした酷い病のことです。この病気はユダヤ人の恐れるものでした(申命記28:60)。この『病気』を実際の病気ではなく、罪に対する天罰の象徴だと捉える人がいるかもしれません。確かに罪または罪に対する天罰およびその悲惨が病気に例えられるというのは、聖書から言えば、不思議なことではありません。実際、イザヤ53:4の箇所では、キリストが私たちの『病を負』ったと書かれています。これが実際の病ではなく、私たちの罪を指しているということは誰の目にも明らかでしょう。しかしながら、この箇所で『病気』と言われているのは文字通りに捉えるべきです。神はこのように、エジプト脱出後、すぐにもモーセを御自身に従順ならしめようとされました。神が新しい秩序の開始後、早くもこのようにされたのは誠に適切でした。何故なら、これからモーセは長らくイスラエルを指導することになるからです。神がここで言われている通り、病気が免除されるのはモーセが服従する限りにおいてでした。つまり、これはもしモーセが服従しなければ病気に襲われることを意味しています。

 ここでモーセに言われたことは、モーセだけでなく全ての聖徒たち、否、それどころか全人類にも適用されます。すなわち、いかなる人であれ神の法に適った歩みをすれば病気から免除されることにもなり、不法を重ねる者には病気が与えられやすくなります。というのも神に依怙贔屓はないからです(ローマ2:11)。ここでの御言葉がモーセやユダヤ人だけでなく全人類に適用されるということは、次のパウロの言葉を見れば分かります。『患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。』(ローマ2章9~10節)ただし、神の法に適った歩みをした時における祝福と、神に喜ばれない歩みをした時における呪いは、聖徒たちのほうがその度合いにおいて優っています。何故なら、聖徒たちには神に従う義務と責任があるからです。

【15:27】
『こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。』
 続いてユダヤ人はマラから南に40kmほど離れた『エリム』に着きました。そこには『十二の水の泉』がありましたが、これは「12」ですから<選び>を意味しています。つまり、これはユダヤ人という命の水の泉を持つ選ばれた民族が、そこにやって来たことを示しているのだと思われます。またそこには『七十本のなつめやしの木』もありましたが、これは「70」ですから<数の豊かさ>を意味しています。なつめやしの木は、倒れない屈強さを持っていることの象徴です。つまり、エリムに生えていた木々は、神にあって揺るがされることのない御民が大勢そこにやって来たということを示しているのでしょう。彼らがなつめやしの木のように屈強だったというのは、ユダヤ人がエジプトを出る際に『その部族の中でよろける者はひとりもなかった。』(詩篇105:37)と書かれていることから分かります。なお、この12と70という数字は、ここでは単なる象徴数としてだけ語られていると理解すべきではありません。ここでこの2つの数字は象徴数であると共に実際の数字でもあります。

【16:1】
『ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にはいった。』
 続いてユダヤ人はエリムから南東に広がる『シンの荒野』へ至りました。ここはシナイ半島の中央部分から見て西南に広がっている地域です。この荒野からホレブ山まではもう間もなくです。

【16:2~3】
『そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」』
 ユダヤ人たちは、かつてエジプトでしていたような食生活が無くなったので、モーセとアロンに文句を言います。中には荒野での生活を甘受していた正しいユダヤ人も僅かばかりいたはずです。それはエフネの子カレブやヌンの子ヨシュアがそうだったはずです。この2人は、後ほどユダヤ人がカナン侵攻に躊躇した際、周りの臆病な空気に呑み込まれませんでした。ですから、この時も他のユダヤ人たちのようでなかった可能性が高いのです。まだ古代であるのに原子の概念を持っていたデモクリトスやエピクロスまた人類に先駆けて地動説を奉じていたコペルニクスやケプラーを考えても分かる通り、どのような時代や集団であっても正しい人たちが幾らかは存在しているものです。ですが、ほとんど全てのイスラエル人は荒野での生活に不満でした。ですから、ここでは文句を言ったイスラエル人が『全会衆』であったと書かれています。それでは、荒野でも『肉なべ』と豊かな『パン』があったとすれば、ユダヤ人はこのように不満を言い立てていなかったのでしょうか。これはその通りです。

 この箇所ではユダヤ人が『つぶやいた』と言われていますが、この「つぶやく」という言葉は聖書では常に悪いニュアンスとして使われています。新約聖書でも、パリサイ人たちがよくキリストのことで呟いたと書かれています。この箇所でも当然ながら悪い意味としてこう言われています。つまり、聖書はユダヤ人が『つぶやいた』と言うことで、彼らの不遜さを非難しているのです。ですから、ユダヤ人は食生活のことで文句を言うべきではありませんでした。では、ユダヤ人がこのように呟いた原因は何だったのでしょうか。それは彼らがまだ霊的に幼く、肉的であり、不信仰また不敬虔だったからです。これは実に嘆かわしいことでした。彼らは次の御言葉を知りませんでした。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』(マタイ4章4節、申命記8章3節)

【16:4~5】
『主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。六日目に、彼らが持って来た物をととのえる場合、日ごとに集める分の二倍とする。」』
 神は、ユダヤ人たちが天から降るパンすなわち『マナ』を集めて食べるようにされました。神がユダヤ人たちの悩みを顧みて下さったのです。すなわち、神はユダヤ人の呟く声に答えられました。神がこのようにしてマナを集めさせるようにされたのは、ユダヤ人の従順を試し、その従順を更に増し加えるためです。もしユダヤ人がマナをしっかり集めるならば、彼らの従順がその行ないにより証明されます。また、そのように日々していれば、神に服従することに慣れていくのです。

 神は、ユダヤ人が六日の間、日々このマナを集めることを仕事として与えられました。この仕事は恐らく単調だったと思われます。しかし、ユダヤ人が神に養われていることを学ぶためにはこれでよかったのです。何故なら、日々天から降って来るマナを集めていれば、神が自分たちの養い主であることを悟らないほど鈍い人は彼らのうちにいなかったはずだからです。要するに、これは教育手段としての側面が強くありました。

 六日目には、翌日の分も合わせていつもの2倍を集めねばなりませんでした。7日目は聖なる安息日であって、労働が禁止されているからです。これは勧めでなく命令すなわち義務でした。ユダヤの安息日である7日目は土曜日です。ですから、いつもの2倍集める6日目は金曜日でした。

【16:6~12】
『それでモーセとアロンは、すべてのイスラエル人に言った。「夕方には、あなたがたは、主がエジプトの地からあなたがたを連れ出されたことを知り、朝には、主の栄光を見る。主に対するあなたがたのつぶやきを主が聞かれたのです。あなたがたが、この私たちにつぶやくとは、いったい私たちは何なのだろう。」モーセはまた言った。「夕方には、主があなたがたに食べる肉を与え、朝には満ち足りるほどパンを与えてくださるのは、あなたがたが主に対してつぶやく、そのつぶやきを主が聞かれたからです。いったい私たちは何なのだろうか。あなたがたのつぶやきは、この私たちに対してではなく、主に対してなのです。」モーセはアロンに言った。「イスラエル人の全会衆に、『主の前に近づきなさい。主があなたがたのつぶやきを聞かれたから。』と言いなさい。」アロンがイスラエル人の全会衆に告げたとき、彼らは荒野のほうに振り向いた。見よ。主の栄光が雲の中に現われた。主はモーセに告げて仰せられた。「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。彼らに告げて言え。『あなたがたは、夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。』」』
 神は、ユダヤ人たちにパンだけでなく肉も与えられることを決定されました。これは彼らが肉のことを呟いたからです。このようにして神はユダヤ人がパンだけでなく肉のことでも充足するようにして下さいました。神は慈しみ深い御方です。肉も与えられるのは力と健康のためであった可能性があります。肉を食べないと気力が出ないと言っている人は世の中に少なくないからです。もっとも、肉と気力が関連しているかのように感じられるのは、栄養摂取の観点からすれば正確でなく、単に精神的なことであるのかもしれません。何故なら、菜食主義者であっても健康だったり気力の失せていない人は幾らでもいるからです。

 この時にアロンがイスラエル人に呼びかけると、荒野のほうで『主の栄光が雲の中に現われ』ました。これはパンと肉の授与が神の栄光のために実現されることを悟らせるためでした。神は御自身の栄光のため、パンと肉を食べたいというイスラエル人の願望が叶えられるようにされました。すなわち、神の第一目的はイスラエル人がパンや肉を食べることではありません。第一目的は神の栄光が現わされることです。ですから、ユダヤ人はパンと肉の授与が神の栄光のために実現されるということをよく知らなければいけなかったのです。主の栄光が『雲の中に現われ』たのは、神が人間理性を超越しておられるからです。つまり、神の栄光が雲により示されたのは、ユダヤ人が神の神秘的な測り知り難さをよく弁えるためでした。

 この時にモーセとアロンは、ユダヤ人の呟きが自分たちに向けられたことを訝しく思いました。この2人はこう言っています。『あなたがたが、この私たちにつぶやくとは、いったい私たちは何なのだろう。』2人がどうして訝しく思ったかと言えば、ユダヤ人が嘆いた原因である食糧不足は、そもそも神がユダヤ人を連れ出されたことにより起きたからです。モーセとアロンはただ神の命令通りにユダヤ人を連れ出していただけです。ですから、究極的に言えば食糧不足は神が原因でした。このために、モーセとアロンは自分たちに呟くのはお門違いだと言ったのです。モーセとアロンに食糧不足の責任はありませんでした。ですから、モーセとアロンが嘆いたのは至極当然でした。これは上官の命令に従っていただけなのに悲惨なことが起きた際、上官の部下だけが非難の的になるのと似ています。その部下はこう言うでしょう。「私はただ上官の命令に従っただけなのに、どうして私だけが責められなければならないのか。」この時のイスラエル人は部下だけ責めている人々のようでした。部下とはモーセとアロンのことです。

【16:13~15】
『それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。』
 夕方になると『うずら』がユダヤ人のところへ飛んで来ました。これこそ神の言われた『肉』でした。ユダヤ人には鶏肉が与えられたのです。最近ではイギリス人がそうであるように、神は肉を食べたいという人間の欲求をよく知っておられました。これは抱いてもよい欲求です。だからこそ、神はユダヤ人たちに肉を拒まれなかったのです。もし肉を食べるのが罪だったとすれば、神はウズラをユダヤ人に与えておられなかったでしょう。他の箇所でも神はユダヤ人に『あなたは食べたいだけ、肉を食べることができる。』(申命記12章20節)と言っておられます。大洪水の直後でも、神は全人類に動物の肉を食べてよいと言われました(創世記9:3)。これらのことから分かるように、神は人間が肉を食べることについては寛大であられます。

 また朝には、神のパンであるマナがユダヤ人の宿営に落ちていました。このマナこそ神がユダヤ人の養い主であることを証明しています。何故なら、それは神が直接生じさせられた食物だからです。これは人間がそれまで見たことのない物体でしたから、ユダヤ人たちは『それが何か知らなかった』のでした。このマナについてはまた後ほど詳しく説明されています(出エジプト記16:31)。

【16:16~18】
『主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」そこで、イスラエル人はそのとおりにした。ある者は多く、ある者は少なく集めた。しかし、彼らがオメルでそれを計ってみると、多く集めた者も余ることはなく、少なく集めた者も足りないことはなかった。各自は自分の食べる分だけ集めたのである。』
 神は、このマナを各自が食べる分だけ集めるように命じられました。ユダヤ人が言われた通りにすると、一人一人が食べるには調度良い分量となりました。何故なら、『各自は自分の食べる分だけ集めた』からです。ユダヤ人の仕事は日毎にこのマナを集めることでした。ここで『一オメル』と言われているのは2.3リットルに相当します。なお、この箇所における17節目をパウロはⅡコリント8:15の箇所で引用しています。

【16:19~20】
『モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。』
 モーセは、マナを翌日まで取っておいてはならないと命じます。恐らくモーセは神から教えられて事前にこのことを知っていたのでしょう。ところが、幾らかの不届き者が命令に従わなかったところ、残しておいたマナには『虫がわき、悪臭を放』ちました。このようになったのは命令に従わなかったからですから、自業自得でした。モーセは彼らが聞き従わなかったことに憤りました。何故なら、イスラエルが正しいことを行なわなかったからです。翌日まで残したマナが駄目になったのは、ユダヤ人が日毎にしっかり働くためでした。神はユダヤ人が実直な精神を持つことを望んでおられたのです。残しておいたマナに湧いた『虫』とは『うじ』(出エジプト記16:24)でした。腐ったマナに生じた『悪臭』がどれだけ酷かったかは不明です。

【16:21】
『彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。』
 このマナは高温に弱かったようです。しかし、熱さで溶けても食べられなくなるというわけではなかったと思われます。砂糖やチョコレートと同じことです。

【16:22~24】
『六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、モーセのところに来て、告げたとき、モーセは彼らに言った。「主の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。』」それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。』
 1日目から5日目までに集めたマナを翌日まで残すと全く駄目になりました。食べられなくなってしまったのです。ところが、六日目に集めたマナは翌日まで残してもそのままの状態でした。これは大変驚くべきことです。このようになったのは一体どういうわけなのでしょうか。どうして六日目のマナだけは駄目にならなかったのでしょうか。神が働きかけられたのは間違いありませんが、どのように神はマナに働きかけられたのでしょうか。これは恐らく、宿営に降りた露が、六日目だけはマナに防腐処理を与えたからだと思われます。ちょうど果物が熟した時にだけ素晴らしい香りを放つようなものです。要するに、神が生じさせられたこの露は、六日目だけは特別な作用を齎す露だったのでしょう。しかし、本当にこのようだったかどうかは分かりません。もしかしたら神が超自然的にマナに働きかけられたということもありえます。

 この箇所の23節目から、ユダヤ人はこのマナを焼いたり煮たりして食べていたことが分かります。焼いたら煎餅のように、煮たらお粥のようになったのでしょうか。詳しくは分かりません。しかし、この2つ以外にも色々な調理方法、食べ方があったのではないかと推測されます。

【16:25~30】
『それでモーセは言った。「きょうは、それを食べなさい。きょうは主の安息であるから。きょうはそれを野で見つけることはできません。六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。そのとき、主はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」それで、民は七日目に休んだ。』
 七日目は安息日ですから、労働が堅く禁止されており、その日にはマナが地に落ちていませんでした。この7日目の安息は、キリストという永遠の安息を象徴していました。ですからキリストを待望していたユダヤの民にとって、この安息日はあまりにも重要な意味を持っていました。この日を安息のため休まないのは、ユダヤにとって致命的な罪となりました。ところが、まだまだ未熟だったユダヤ人たちは、この日に労働をしようとしました。これはあってはならないことですから、神はそのようなユダヤ人の行動を責められました。『あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。』

【16:31】
『イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。』
 ユダヤ人はこのパンを『マナと名づけ』ましたが、誰が命名したかは分かりません。この『マナ』とは「ハレルヤ」や「アーメン」や「ヤハ」や「ホサナ」と同じくヘブル語そのままであり、訳されてはいません。このマナは『コエンドロ』すなわちコリアンダーの種のようでした。つまり小さく、『白く』、球形で、沢山ありました。これを実際にイメージするのは非常に難しいでしょう。マナの絵でも残っていれば話は別でしたが、たとえマナを古代ユダヤ人が絵に描いていたとしても、その絵は既に消失してしまっています。このマナは味もコリアンダーと似ていたようです。コリアンダーはほのかな甘みを持ちますが、マナも『蜜』のような甘い味がありました。このマナはもう誰一人として食べることができません。これは荒野のユダヤ人にだけ与えられていた特別な食物だったからです。

【16:32~34】
『モーセは言った。「主の命じられたことはこうです。『それを一オメルたっぷり、あなたがたの子孫のために保存せよ。わたしがあなたがたをエジプトの地から連れ出したとき、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らが見ることができるために。』」モーセはアロンに言った。「つぼを一つ持って来て、マナを一オメルたっぷりその中に入れ、それを主の前に置いて、あなたがたの子孫のために保存しなさい。」主がモーセに命じられたとおりである。そこでアロンはそれを保存するために、あかしの箱の前に置いた。』
 神は、このマナを後の子孫のために幾らか保存しておけと命じられました。それは、もうマナの降らなくなった時代に生きるユダヤ人たちが、マナの存在を信じ、そのマナを与えて下さった神への信頼を深めるためです。目に見える証拠に人間はいつも弱い傾向を持っています。ですから、マナの存在を信じないユダヤ人も、実際のマナを見れば、本当にマナがあったことを信じれるようになるのです。マナを保存する量が『一オメル』だったのは、それだけ保存すれば証拠としては十分だからです。この保存用のマナは長い時間が経ってもそのままの状態を保ちました。それは主の御前に保存されていたからです。神の聖なる力がマナをそのままに保たせたのです。また、それは『つぼ』の中に入っていましたから虫が入ることもありませんでした。

【16:35~36】
『イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マナを食べた。一オメルは一エパの十分の一である。』
 後に見ていくことになりますが、ユダヤ人たちは40年も荒野を彷徨っていたので、40年もマナを食べていました。カナン侵攻の時に、マナの降るのが急に止みました(ヨシュア5:10~12)。ユダヤ人はずっとマナを見ていたので、マナを食べるのに飽き飽きすることにもなりました。しかし、神はユダヤ人を教育するためにマナがずっと降るようにしておられました。

 36節目で書かれている『一エパ』は23リットルに相当します。

【17:1】
『イスラエル人の全会衆は、主の命により、シンの荒野から旅立ち、旅を重ねて、レフィディムで宿営した。そこには民の飲む水がなかった。』
 続いてユダヤ人はシンの荒野から南東に40kmほど離れた『レフィディム』に着きました。これはシナイ半島の南側にあり、ホレブ山の麓です。そこには『民の飲む水がなかった』のですが、これはそこに川や泉や井戸が何もなかったことを意味しています。普通に考えるならば、100万人以上もの人々が渇きに悩まされるというのは悲惨だったと言わねばなりません。

【17:2~4】
『それで、民はモーセと争い、「私たちに飲む水を下さい。」と言った。モーセは彼らに、「あなたがたはなぜ私と争うのですか。なぜ主を試みるのですか。」と言った。民はその所で水に渇いた。それで民はモーセにつぶやいて言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか。」そこでモーセは主に叫んで言った。「私はこの民をどうすればよいのでしょう。もう少しで私を石で打ち殺そうとしています。」』
 民は水がないので気も狂わんばかりだったのでしょう、モーセに対して不満を述べ、モーセを打ち殺そうとしていました。それというのもユダヤ人にはモーセが水不足を生じさせた張本人だと感じられたからです。また、この時にユダヤ人は『主を試み』ていました。何故なら、彼らは『主は私たちの中におられるのか、おられないのか。』(出エジプト記17章7節)と言っていたからです。このように主を試みるのは罪です(申命記6:16)。私たちはこの時のユダヤ人のように神を試みてはなりません。そうでないと神の裁きが下るでしょうから。

 この時、敬虔なモーセは聖徒たちの避け所であられる神を求めました。すなわち、モーセは神に叫んで祈りました。モーセは問題を自分で解決しようとしませんでした。むしろ、神に問題解決を委ねています。自分では解決できない問題があれば、聖徒たちはこのようにするのが正解です。しかし、ニーチェはこのように神に頼ることを弱さの現われだと言いました。弱くない者は神になど頼らないと。この化物は知恵のない間抜け者だ。聖徒たちが神に頼るのは、僕また奴隷が主人に、妻がその夫に、子どもが父あるいは母に、民衆が国家の支配者や警察などに、病人が医者に、弟子が師匠に、被告人が弁護士に頼るのと一緒です。このようにしたとしても非難する人はほとんどいないはずです。むしろ、主人であれ国家機関であれ、自分の上位にいる人間や機関に頼るのは自然なことです。もし聖徒たちに対するニーチェの批判が正当だとすれば、例えば一般人が警察に逃げ込んだり相談したりするのも弱さの現われとして非難せねばならなくなるでしょう。何故なら、ニーチェの考え方からすれば、その人は「弱いからこそ警察に頼る」ことになるからです。つまり、弱くなければ警察などには頼らないと。これがおかしなことであるのは、いちいち説明するまでもありません。ところが、ニーチェは何も分かっていないので、神に頼るモーセのような人たちを非難しています。この哲学者は気が狂っていました。だからこそ、晩年には発狂して精神障害者になってしまったのです。ニーチェはモーセとは違って神に頼らない人でしたから、神も精神障害者になったニーチェを憐れんでは下さいませんでした。

【17:5~6】
『主はモーセに仰せられた。「民の前を通り、イスラエルの長老たちを幾人か連れ、あなたがナイルを打ったあの杖を手に取って出て行け。さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。」そこでモーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりにした。』
 神はユダヤ人が水不足であると困るのを知っておられたので、モーセが岩を打つと岩から水が出るようにされました。この奇跡をモーセに行なわせたのは、民がモーセを神から遣わされた使者として信じるためです。というのも、そのような奇跡を行なう人は、神から遣わされた使者でなくて何でしょうか。この奇跡を幾人かの長老たちだけに見せたのは、少数の長老がそれを見ればそれで十分だからです。何故なら、その長老が奇跡の証人となるからです。パウロも示している通り、この時に打たれた『岩』はキリストでした(Ⅰコリント10:4)。この岩から水が出たというのは、キリストが与えて下さる命の水を示しています(ヨハネ4:14)。キリストだけがこの命の水を私たちに与えて下さいます。よって、キリストの水を受けない人は、地獄で永遠の渇きに苦しむのです。

 この水を出す奇跡は、モーセ一人だけが行ない、アロンは何もしていなかったはずです。何故こう言えるかといえば、ここで神はモーセその人がこの奇跡をするように命じているからです。この箇所から、アロンもこの奇跡を一緒に行なっていたとは読み取れません。

【17:7】
『それで、彼はその所をマサ、またはメリバと名づけた。それは、イスラエル人が争ったからであり、また彼らが、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか。」と言って、主を試みたからである。』
 モーセはこの場所を、『マサ』すなわち「試み」または『メリバ』すなわち「争い」と名づけました。これはイスラエル人の記憶が薄れないためです。神の民が神を試みたり、争ったりするのは、あってはならないことです。ですからモーセはユダヤ人がレフィディムで起きた出来事を忘れないために、そこで起きたことをそこの地名としたのです。ユダヤ人は過去を非常に重んじ、過去から教訓を得ようとする傾向の強い民族ですから、しばしば起きた出来事を名前にして記憶が保たれるようにしていました。

【17:8~10】
『さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。モーセはヨシュアに言った。「私たちのために幾人かを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。あす私は神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。』
 イスラエル人がまだレフィディムにいた頃、『アマレク』人がやって来て戦うことになりました。アマレク人の始祖アマレクはエサウの孫です(創世記36:10~12)。ですからアマレク人とはエドム人であり異邦人でした。彼らは獰猛でしたからユダヤ人と平和を結ぶことはできませんでした。この時にアマレク人と戦うことになった理由は、次の2つが考えられます。一つ目はユダヤ人が神を試みた罪に対する裁きまたは懲らしめです。二つ目は神がユダヤ人に与えられた試練です。

 モーセは戦いの指揮官に『ヨシュア』を任じました。少し悪い例えですが、ネロがユダヤ戦争をウェスパシアヌスに任せたのと同じです。このヨシュアはモーセの後継者であり、カナン侵攻の時にはイスラエルを率いました。ヨシュアはここで初めて登場します。このヨシュアはギリシャ語では「イエス」です。つまり、ヨシュアはキリストの予表としての意味を持った人でした。モーセは戦陣には赴かず、『丘の頂に立ち』ました。これはイスラエルの最高指導者としてアマレク人との戦いを眺め、また神の働きかけを丘の頂から戦士たちに及ぼすためでした。

 アロンがモーセと一緒に丘に登ったのは理解できます。しかし、モーセおよびアロンと一緒に丘へ登った『フル』とは誰でしょうか。この人物はここで初めて出てきます。彼については、出エジプト記24:14、31:2、35:30、38:22、Ⅰ歴代誌2:19~20、50、4:1でも書かれています。このうち出エジプト記24:14の箇所を見ると、アロンとほとんど同格の非常に重んじられている人物だったことが分かります。その箇所によれば70人の長老たちでさえ、このフルにユダヤの訴え事を受理してもらうほどでした。つまり、フルは70人の長老たちよりも格上だったのです。アロンと一緒にして書かれていることからも、地位の高さが窺えます。しかし、この人物についてはその言行が聖書で詳しく記録されていませんから、具体的なことはよく分かりません。出エジプト記の講解説教や勉強会などを除き、教会でこのフルについて語られることはほぼ皆無です。

【17:11】
『モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。』
 神は、丘にいるモーセの手を通して、ユダヤの戦士たちに働きかけられました。神の杖を持ったモーセが手を上げている時だけ、ユダヤ人に有利な戦局が生じたのです。ヨシュア率いるイスラエル軍は、丘にいるモーセの姿を見ていたのでしょうか。もし見ていたとすれば、モーセが手を上げている時に強められたので、そのためアマレクに有利になれたということなのでしょうか。これについてはよく分かりません。ただヨシュアたちが見ていたにせよ見ていなかったにせよ、神がモーセの手を通してイスラエルに働きかけておられたのは確かです。

【17:12~13】
『しかし、モーセの手が重くなった。彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いたので、モーセはその上に腰かけた。アロンとフルは、ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった。ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。』
 80歳の老人がずっと立ったままでいるのは難しかったと思われます。アロンとフルが石を持って来ると、モーセはそれに座りました。また手をずっと上げ続けたままでいるのは、立ち続けていることよりも尚更、難しかったでしょう。これは力のある若者でも難しいはずです。ですから、アロンとフルは両側からモーセの手を支え、その手がずっと上げられたままでいるようにしました。というのも、そうしないとイスラエルは優勢にならないからです。この時にモーセが右手を上げていたのか左手を上げていたのかは分かりません。実際はどうだったか分かりませんが、モーセは疲労を軽減させるため、右手と左手を交互に上げることもできたでしょう。すなわち、右手を上げている間は左手を休め、左手を上げている間は右手を休めるわけです。

 神がモーセの手を通して働きかけて下さったので、『ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破』りました。アマレク人は全滅したと思われます。しかし、もしかしたら中には殺されないで逃げたアマレク人もいたかもしれません。イスラエル側の人的損失については不明です。このように神が付いておられる者たちは、必ず勝利します。全ての場合に損害が全くないわけではありません。また必ずしも迅速に勝利できるとは限りません。しかし、神が共におられる勢力は、最終的に勝利を獲得します。神が共におられても、部分的に見れば、敗北しかけたり苦戦を強いられることもあります。つまり、神がおられるからというので必ず圧倒的な勝利となるかどうかは分かりません。例えば、第二次世界大戦の時に神は連合国と共におられましたから、連合国が枢軸国に勝利しました。しかし、連合国は最終的に勝利したものの、その戦争の中では敗北したり酷い損害を被ることも多くあったのです。また連合国が勝利するのには数年間かかりました。

【17:14~16】
『主はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・シニと呼び、「それは『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる。」と言った。』
 神はアマレク人を憎まれたので、『アマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう』ことにされました。つまり、アマレク人は絶滅が決定されました。それは彼らがユダヤ人に酷いことをしたからです。この報復は、サウルが王の時に実現されることとなりました(Ⅰサムエル15:1~9)。神はサウルに命じてアマレク人を全滅しようとされたのです。もっとも、サウルは愚かな王でしたから、神に背いてアマレクの全てを全滅することはしませんでしたが…。この時にモーセが『主は代々にわたってアマレクと戦われる。』と言ったのは、神が永遠にアマレク人の敵となられたことを意味しています。つまり、神とアマレク人が和解する可能性はなくなりました。このことから神がどれだけアマレク人を嫌われたかが分かります。

 モーセは、神が勝利をイスラエルに与えて下さったことを記念して、祭壇を築きます。その祭壇は『アドナイ・ニシ』すなわち「主はわが旗」また『主の御座の上の手』と呼ばれました。これは神とアマレク人の間に交戦状態があることを示しています。何故なら「旗」は戦いに使われるからです。また『御座の上の手』は敵の勢力を打ち砕くからです。

【18:1】
『さて、モーセのしゅうと、ミデヤンの祭司イテロは、神がモーセと御民イスラエルのためになさったすべてのこと、すなわち、どのようにして主がイスラエルをエジプトから連れ出されたかを聞いた。』
 モーセの義理の父イテロにも、出エジプトの出来事が知らされていました。その出来事はペリシテやエドムやモアブやカナンの地域に知れ渡っていました(出エジプト記15:14~15)。まだ電話もテレビもない時代ですから少し言い過ぎかもしれませんが、911テロが瞬く間に世界中で知られたかのように、出エジプトの出来事は即座に知れ渡ったのです。ですからイテロもその話を聞いていないわけではありませんでした。しかし、イテロが誰から、またどこでそのことを知ったかは分かりません。

【18:2~5】
『それでモーセのしゅうとイテロは、先に送り返されていたモーセの妻チッポラとそのふたりの息子を連れて行った。そのひとりの名はゲルショムであった。それは「私は外国にいる寄留者だ。」という意味である。もうひとりの名はエリエゼル。それは「私の父の神は私の助けであり、パロの剣から私を救われた。」という意味である。モーセのしゅうとイテロは、モーセの息子と妻といっしょに、荒野のモーセのところに行った。彼はそこの神の山に宿営していた。』
 イテロは、モーセの妻子を連れて、モーセに会いに行こうとします。それはモーセから神のことについて聞き、イスラエルに対する神の救いを喜ぶためです。イテロがミデヤンのどこに住んでいたかによっても距離が違ってきますが、だいたいミデヤンからモーセのいたレフィディムは150~200kmぐらいありましたから、イテロは数日かけてモーセのいた場所に行ったことになります。2~3節目に書かれている通り、モーセの妻子はイテロの家に送り返されていました。いつ送り返されたのかは分かりません。恐らく、パロに奇跡を行なう前ではなかったかと思われます。モーセは奇跡を行なう際、妻子の存在が妨げになると感じたのでしょう。

 ここで紹介されている『ゲルショム』は、既に出エジプト記2:22の箇所で見た通りです。もう一人の『エリエゼル』は前の箇所(出エジプト記2章)では紹介されていませんでした。この人はゲルショムの次に書かれていることから、恐らくゲルショムの弟であった可能性が高いでしょう。『エリエゼル』とは「神は助け」という意味です。神がモーセをパロから助けて下さったので、このような命名となりました。

【18:6~7】
『イテロはモーセに伝えた。「あなたのしゅうとである私イテロは、あなたの妻とそのふたりの息子といっしょに、あなたのところに来ています。」モーセは、しゅうとを迎えに出て行き、身をかがめ、彼に口づけした。彼らは互いに安否を問い、天幕にはいった。』
 6節目でイテロが伝えたと書かれているのは、イテロが先に伝令を送って事情を伝えたということです。モーセはイテロを丁重に、そして親しく迎え出ました。このようなやり取りから、2人の関係が良好だったと分かります。神が両者の間に平和と親愛を保っておられたのです。

【18:8~11】
『モーセはしゅうとに、主がイスラエルのために、パロとエジプトになさったすべてのこと、途中で彼らに降りかかったすべての困難、また主が彼らを救いだされた次第を語った。イテロは、主がイスラエルのためにしてくださったすべての良いこと、エジプトの手から救い出してくださったことを喜んだ。イテロは言った。「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプトの手と、パロの手から救い出し、この民をエジプトの支配から救い出されました。今こそ私は主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。実に彼らがこの民に対して不遜であったということにおいても。」』
 モーセが神の素晴らしい御業を話すと、それを聞いたイテロは喜び、主を賛美し、主の偉大性を認めました。イテロがこのように感激した理由は3つあります。一つ目は『ヤハウェがあらゆる神々にまさって偉大であること』を知ったからであり、二つ目はそのヤハウェが大いなる御業を行なわれたからであり、三つ目はそのヤハウェにより身内であるモーセとその同胞たちが救われたからです。この時のイテロは心地よい喜びと敬虔な感謝の念に満ちていたでしょう。モーセの時代は、まだ世界が今のように無神論的ではありませんでした。イテロその人にも無神論的な傾向はありませんでした。むしろ、祭司だったことからも分かる通り、宗教心に厚い人でした。ですからイテロはモーセの語ったヤハウェのことがよく理解できたのです。

 ここでイテロが『ヤハウェがあらゆる神々にまさって偉大である』と言ったのは真実です。何故なら、この神だけが『奇しいわざを行なう』(詩篇72:18)からです。また、この神の他に神は存在しないからです。『神は唯一です』(Ⅰテモテ2章5節)と書かれている通りです。一方、他の神々は本当の神ではありません。『唯一の神以外には神は存在しない』(Ⅰコリント8章4節)と書かれている通りです。そのような偽りの神々は滅びます。『偽りの神々は消えうせる。』(イザヤ2章18節)と書かれている通りです。ですが真の神ヤハウェは消え失せません。ですから『ヤハウェがあらゆる神々にまさって偉大』だということになるのです。また『彼らがこの民に対して不遜であった』という言葉も真実でした。ナチスがユダヤ人に対して不遜だったように、エジプトはユダヤ人に対して不遜でした。

 ここでイテロは明らかに主の偉大性を認めています。しかし、イテロとはミデヤンの宗教とその神を持つ異教徒でした。イテロがヤハウェ以外の神々を拝んでいたことは疑えません。それでは、どういうことになるのでしょうか。ここで主の偉大さを認めたイテロは、ヤハウェに帰依したのでしょうか。つまり、ヤハウェを全てに優る偉大な神として認めたので、ヤハウェの民であるユダヤの一員となったのでしょうか。後の箇所を見ると、どうやらイテロはヤハウェに帰依してはいなかったようです。イテロはこの後、モーセから離れて自分の国に帰っています(出エジプト記18:27)。もしイテロが主の偉大性を認めたことで本当にヤハウェに帰依していたとすれば、割礼を受けてモーセたちと一緒に歩んでいたはずです。しかし、イテロはそうしていません。つまり、イテロは主とその偉大性を認めたものの、主の御前で回心したというわけではありませんでした。ちょうどJ・S・ミルや松下幸之助がキリストを激賞したものの、キリストを主としていたわけではなかったのと一緒です。イテロにせよミルにせよ松下幸之助にせよ、主を称賛しておきながら帰依しなかったのは残念でした。彼らも主の民となっていたら、どれだけ良かったことでしょうか。しかし、彼らが帰依していなかったものの主について良く言ったこと自体は喜ばしいことでした。

【18:12】
『モーセのしゅうとイテロは、全焼のいけにえと神へのいけにえを持って来たので、アロンは、モーセのしゅうととともに神の前で食事をするために、イスラエルのすべての長老たちといっしょにやって来た。』
 モーセから神について話を聞いたイテロは、ヤハウェを礼拝するため、早速生贄の動物を持って来ました。神の救いと恵みが明らかになった時、このように神を礼拝するのは自然なことです。これを受けてアロンは全長老たちを引き連れて、イテロのところに来ました。アロンはユダヤの祭司として召されていたので、生贄の聖務を執行すべきだったからです。この時に『食事をする』ことになったのはユダヤの決まりです。ユダヤ人たちは生贄を神に捧げる際、その捧げた動物の肉を皆で食べていました。全ての長老たちもこの儀式に参加したのは、イスラエルを救われたヤハウェが大いに礼拝されるべきだったからです。これは日本で言えば、天皇の誕生日会に日本を代表する大物たちが参加するのと同じです。

【18:13~14】
『翌日、モーセは民をさばくためにさばきの座に着いた。民は朝から夕方まで、モーセのところに立っていた。モーセのしゅうとは、モーセが民のためにしているすべてのことを見て、こう言った。「あなたが民にしているこのことは、いったい何ですか。なぜあなたひとりだけがさばきの座に着き、民はみな朝から夕方まであなたのところに立っているのですか。」』
 ユダヤの共同体には100万人以上もの人がいたのですから、事件や問題が多く生じていたことは疑えません。というのも人間は罪深く不完全だからです。人口10万人ぐらいの街でさえ日々多くの問題事が起きています。であれば100万人以上もの人がいる共同体ではどれだけ多くの問題事が起きていたでしょうか。ユダヤ人たちはそれらの訴え事を解決すべく最高指導者であるモーセのところに行っていました。ですから、モーセは一人だけでそれらの訴え事を『朝から夕方まで』処理していました。モーセはイスラエルの裁判官だったのです。その訴え事の中には、殺人や強盗や強姦といった凶悪事件もあったはずです。何故なら、シメオンとレビの虐殺やモーセの殺人行為を見ても分かる通り、ユダヤ人という種族は激情に突き動かされやすい性質を強く持っているからです。イスラエルに混じって来たエジプト人たちに関わる事件もあったに違いありません。それらを裁くモーセの裁きは全て完璧でした。何故なら、モーセは神と直接会話することができたのですから。

 イテロは、モーセの裁いている様子を見て、その詳細を尋ねています。というのもモーセがたった一人だけでユダヤ人の問題を全て処理しているのは不思議に思えたからです。

【18:15~23】
『モーセはしゅうとに答えた。「民は、神のみこころを求めて、私のところに来るのです。彼らに何か事件があると、私のところに来ます。私は双方の間をさばいて、神のおきてとおしえを知らせるのです。」するとモーセのしゅうとは言った。「あなたのしていることは良くありません。あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことはあなたには重すぎますから、あなたはひとりでそれをすることはできません。さあ、私の言うことを聞いてください。私はあなたに助言をしましょう。どうか神があなたとともにおられるように。あなたは民に代わって神の前にいて、事件を神のところに持って行きなさい。あなたは彼らにおきてとおしえとを与えて、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを彼らに知らせなさい。あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。いつもは彼らが民をさばくのです。大きい事件はすべてあなたのところに持って来、小さい事件はみな、彼らがさばかなければなりません。あなたの重荷を軽くしなさい。彼らはあなたとともに重荷をになうのです。もしあなたがこのことを行なえば、―神があなたに命じられるのですが、―あなたはもちこたえることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができましょう。」』
 イテロは、モーセの裁きが『良くありません。』と忠告します。これは裁くこと自体についてではありません。裁きの仕方がいけないとイテロは言ったのです。1日中裁くというのは、体力のある若者でさえ、なかなか難しいと思われます。この時のモーセは若者ではなく、既に80を過ぎていました。ですからモーセにとってこの仕事は厳しい重労働だったと推測されます。このためイテロは、裁くために相応しい人物を選んで『千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長』として任じ、彼らに『小さな事件』を委ねるべきだと命じます。それに対しモーセは『大きい事件』を担当します。そうすればモーセにとっても御民イスラエルにとっても幸いが生じるとイテロは言っています。これは理に適った名案でした。『千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長』は、担当する人数が多いほど、その取り扱う案件も重要だったことは言うまでもありません。また担当する人数が多い人ほど、その数も少なかったことは確かです。つまり、『千人の長』がもっとも少数であり、その取り扱う問題も難しかったのです。また言うまでもなくモーセはこの『千人の長』の上に位置していました。

 23節目で書かれている通り、これは神の命令でした。すなわち、神がイテロを通してモーセにこう命じられたのです。イテロは自分に神が働きかけておられることを感じていました。だからこそ、モーセに対して『神があなたに命じられる』と言うことができたのです。もし神が働きかけておられなければ、イテロはこのように言えなかったでしょう。もしイテロが自分自身から勝手にこう言ったとすれば、それは僭越だったと言わねばなりません。何故なら、モーセは神の代理として裁きの聖務を行なっていたからです。間違ったことを勝手に言って、神の人の働きを邪魔したとすれば大変です。神の人の働きを妨げることがどれだけ危険であるか、ほとんど全ての人は何も知りません。その人は神の邪魔をしようとしているからです。

 このように神は、助言者を遣わして下さる御方です。助言者だと見えるものの実は邪魔をしようとしているのであれば、注意せねばなりません。その人は神から遣わされていないからです。しかし、本当に神から遣わされたイテロのような助言者がいれば、私たちはその人の助言を無視してはいけません。神の助言者が言ってくれた助言を無視するのは、神御自身を無視することです。神を無視する人は神から裁かれることになるでしょう。

【18:24~26】
『モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて言われたとおりにした。モーセは、イスラエル全体の中から力のある人々を選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民のかしらに任じた。いつもは彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセのところに持って来たが、小さい事件は、みな彼ら自身でさばいた。』
 モーセはイテロに全く聞き従いました。イテロの命令は神の命令だったからです。こうしてモーセの重荷は大いに軽くされました。彼が神に従ったからです。このように神に従う者には祝福があります。もしモーセが反発してイテロに従わなければ、ずっと大変な状態が続いていました。そうなれば老齢の身体に疲労が襲いかかって病や死が生じていた可能性もあります。神に従わないと悲惨になってしまうのです。

 このような謙遜さが、神がモーセを選ばれた一つの大きな理由だったと思われます。神は謙遜な者を喜ばれ、選び、用いられるからです。『神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられる』(Ⅰペテロ5章5節)と書かれている通りです。

【18:27】
『それから、モーセはしゅうと見送った。彼は自分の国へ帰って行った。』
 イテロはモーセとイスラエル人たちが益を受けるために遣わされました。イテロはユダヤに対する神からの祝福だったのです。神に喜ばれる者にはこのような助言者が遣わされます。もちろん、神に喜ばれている者が必ずこのような助言者に恵まれるというわけではありませんが。神は、人を用いられなくても助言を与えることがおできになるからです。このイテロは自分の住まいに帰り、イスラエルと共に歩むことがありませんでした。彼は助言者としては選ばれていましたが、神の子としては選ばれていなかったのです。