【ヨシュア記1:10~7:5】(2022/04/24)


【1:10~11】
『そこで、ヨシュアは民のつかさたちに命じて言った。「宿営の中を巡って、民に命じて、『糧食の準備をしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡って、あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしているのだから。』と言いなさい。」』
 ヨシュアは、三日後に開始されるカナン侵攻のため、『糧食の準備』をするよう命じます。準備の期間が『三日』なのは、侵攻の事業がこれから長くなるため、それなりの時間を準備に使わなければいけないからです。この準備内容がどのようであったかはよく分かりません。しかし、たとえ分からなくても、これはそこまで重要な問題ではありません。なお、これが『三日』なのは「3」ですから、その期間が十分であることを象徴させているのかもしれません。「3」は聖書で確認の意味を持つからです。ですが、この『三日』を単なる象徴としてのみ捉えることはできません。

【1:12~15】
『ヨシュアは、ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族に、こう言った。「主のしもべモーセがあなたがたに命じて、『あなたがたの神、主は、あなたがたに安住の地を与え、あなたがたにこの地を与える。』と言ったことばを思い出しなさい。あなたがたの妻子と家畜とは、モーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら側の地に、とどまらなければならない。しかし、あなたがたのうちの勇士は、みな編隊を組んで、あなたがたの同族よりも先に渡って、彼らを助けなければならない。主が、あなたがたと同様、あなたがたの同族にも安住の地を与え、彼らもまた、あなたがたの神、主が与えようとしておられる地を所有するようになったなら、あなたがたは、主のしもべモーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら側、日の上る方にある、あなたがたの所有地に帰って、それを所有することができる。」』
 既にヨルダン川の東側に相続地を先んじて得ていた『ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族』に、ヨシュアは侵攻の先頭に立って進むという彼らが立てた誓いを果たすよう命じます(民数記32:17)。ヨシュアがこのように命じたのは、誓った誓いは必ず果たさなければならないと律法が命じているからです。彼ら以外の部族における妻子と家畜は、カナン侵攻の際、ヨルダン川を勇士たちと一緒に渡ります。その妻子と家畜は、やがてヨルダン川の西側に住むのだからです。しかし、ルベン人とガド人とマナセの半部族における妻子と家畜は『ヨルダン川のこちら側の地に、とどまらなければな』りません。その妻子と家畜は、ヨルダン川の東側に住まなければならないからです。2部族と半部族の勇士たちが自分たちの相続地に戻れるのは、他の部族がカナンの地に相続地を得てからとなります(15節)。それよりも前に2部族と半部族が相続地に戻って住むのは誓願違反となりました。ところで、戦争の際に先立って進んで行くというのは、度胸のいることです。何故なら、古代の戦争では、最も先に進む者が最も死にやすかったからです。カエサルもある戦争の時に「先陣を切って突破口を開いた者には何でも願いが叶えられるであろう。」と言いましたが、なかなか先陣を切ろうとするローマ兵はいませんでした。このような危険を厭わず自ら先立って行こうとした彼らの度胸は大したものでした。

【1:16~18】
『彼らはヨシュアに答えて言った。「あなたが私たちに命じたことは、何でも行ないます。また、あなたが遣わす所、どこへでもまいります。私たちは、モーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。ただ、あなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。あなたの命令に逆らい、あなたが私たちに命じるどんなことばにも聞き従わない者があれば、その者は殺されなければなりません。ただ強く、雄々しくあってください。」』
 誓いを果たすよう命じたヨシュアに対し、2部族と半部族は潔い覚悟と見習うべき従順を示すことで応じました。彼らは、ヨシュアの命令であれば何でも従うと断言します。何故なら、ヨシュアはモーセと同様に神の使いだからです。ですから、もしヨシュアに従わない者があれば死刑に処さねばならないと認めます(18節)。彼らがこのように言ったのは正しいことでした。ヨシュアに逆らうというのは、すなわち神に逆らうことだからです。というのもヨシュアをイスラエル人の上に立てられたのは神だったからです。もし神に逆らうのであれば死の罰を受けます(ローマ6:23、創世記2:17)。それゆえ、ヨシュアに逆らう者は神に逆らっているため死ななければならないのです。

 ここでルベン人とガド人とマナセの半部族は、どうしてヨシュアに勇敢であることを求めているのでしょうか(18節)。これは彼らが命懸けの決心をしていたからに他なりません。つまり、彼らが命をかけて戦おうと奮起しているのに、ヨシュアが弱々しかったとすれば、釣り合いが取れないのです。波長が合わないということです。これを例えるならば、子どもがピクニックに行こうと元気一杯でいるのに、先生また親のほうは行きたくなさそうにだらけていることです。これでは子どもたちのエネルギーが窒息してしまうでしょう。しかし、ヨシュアが勇敢であれば、この2部族と半部族は自分たちの力を思う存分に発揮することができます。彼らの態度とヨシュアの態度が適合しているからです。要するに、ここで彼らはこう言っているのです。「私たちが決死の態度でいるのだから私たちを率いるヨシュアもその態度に相応しい態度を持っていてくれなければ困る。」

【2:1】
『ヌンの子ヨシュアは、シティムからひそかにふたりの者を斥候として遣わして、言った。「行って、あの地とエリコを偵察しなさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家にはいり、そこに泊まった。』
 ヨシュアは、カナン侵攻を開始する前に、二人の斥候をカナンに遣わして偵察させました。この偵察は全く問題ありませんでした。何故なら、ヨシュアが偵察させたのは、侵攻の事業をより良くするためだったからです。このヨシュアの行ないが、これからカナン占領を実現させて下さる神への愛から出ていたことは間違いありません。もし神が本当にカナンを占領させて下さるかどうか疑っているので占領できるかどうか確かめようとして不信仰な偵察を行なわせたのであれば、ヨシュアは大いに非難されるべきでした。何故なら、『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。』(ヘブル11章6節)と書かれてあるからです。ユダヤ人がまず侵攻すべきだったカナンの地は『エリコ』でした。エリコはヨルダン川を越えてからすぐの場所にあったからです。この時に遣わされた『ふたりの者』は、その名前が全く示されていませんから、恐らく無名の人物だったと思われます。聖書は有名であれば女の名前でも示すのが常だからです。しかし、この二人が偵察の際にヨシュアから指名されたにせよ自分たちから名乗り出たにせよ、無能とか臆病では決してなかったはずです。というのも無能または臆病であったら偵察者として相応しくないからです。またヨシュアが斥候を『ふたり』遣わしたのは、カナンの地を十分に確認させるためでした。パウロも言うように、『すべての事実は、ふたりか三人の証人の口によって確認されるのです』(Ⅱコリント13章1節)から。また2人で遣わされたのは、2人であれば1人に比べて大きなメリットがあるからです。これは伝道者の書4:9~12の箇所で言われている通りです。主キリストも、伝道に弟子たちを遣わされる際、2人一組で遣わされました(ルカ10:1)。これも、やはり2人であれば大きなメリットがあるからでした。この斥候たちは『シティムから』遣わされましたが、これはヨルダン川のすぐ東の場所にあります。

 この斥候たちを家に入れて泊まらせた『ラハブ』という遊女は、いつまでも語り継がれるべき注目に値する人物です。ラハブは『遊女』でしたが、これほどの遊女はどこにも存在しないでしょう。彼女は私たちの姉妹であり、今は天国にいます。何故なら、彼女はヘブル11:31の箇所で信仰の人として挙げられているからです。しかし、どうして斥候たちはこのラハブの家に導かれたのでしょうか。それは神がそのように働きかけられたからです。パウロがこう言っている通りです。『というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。』(ローマ11章36節)ラハブはユダヤ共同体の一員となるよう永遠の昔から定められていました。ですから、神は斥候たちをラハブの家に導き、彼女がユダヤ人と交わりを持つようにされたのです。もしラハブが選ばれていなければ、恐らく斥候たちは別の場所に導かれていたかもしれません。

【2:2~7】
『エリコの王に、「今、イスラエル人のある者たちが、今夜この地を探るために、はいって来ました。」と告げる者があったので、エリコの王はラハブのところに人をやって言った。「あなたのところに来て、あなたの家にはいった者たちを連れ出しなさい。その者たちは、この地のすべてを探るために来たのだから。」ところが、この女はそのふたりの人をかくまって、こう言った。「その人たちは私のところに来ました。しかし、私はその人たちがどこから来たのか知りませんでした。その人たちは、暗くなって、門が閉じられるころ、出て行きました。その人たちがどこへ行ったのか存じません。急いで彼らのあとを追ってごらんなさい。追いつけるでしょう。」彼女はふたりを屋上に連れて行き、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に隠していたのである。彼らはその人たちのあとを追って、ヨルダン川の道を渡し場へ向かった。彼らがあとを追って出て行くと、門はすぐ閉じられた。』
 ユダヤ人の斥候についてエリコ王に告げる者があったので、王は使いをやってラハブに引き渡すよう命じましたが、ラハブは出鱈目なことを言って斥候たちが捕まらないようにしました。もしラハブが嘘をついていなければ斥候たちは間違いなく捕まっていました。そうしたら彼らは一体どうなっていたことでしょうか。このように斥候が守られたのは、神が彼らをラハブの家に導かれたからです。また、神がラハブに嘘をつくよう働きかけられたからです。そして、神はラハブの嘘を王の使いが信じるようにされました。また神はラハブが屋上に隠れる場所を用意するよう前から働きかけておられました。要するに、斥候たちが捕まらなかったのは、全く神の恵みによりました。屋上にあった『亜麻の茎』について言えば、これはラハブが日頃から誰かを隠すために使っていたのかもしれません。というのも遊女には何かとトラブルが付き物だからです。なお、ここでの『亜麻』に何か象徴的な意味が含まれているとは思われません。

 このようにしたラハブの行ないは誠に素晴らしいことでした。彼女は神の民ユダヤに良くしたからです。ラハブはユダヤ人に良くしましたが、それは神に対し良くすることでもありました。何故なら、この斥候たちは神の御名においてエリコにやって来たからです。このため、ヘブル11章ではラハブが遊女であるのに称賛されているのです。この時にラハブは偽証をしました。これは一見すると『偽証してはならない。』という戒めに違反していると感じられます。確かにラハブは『偽証してはならない。』という戒めを字義的には守りませんでしたが、本質的にはそれを守りました。何故なら、この戒めの本質は隣人愛だからです。もしラハブが『偽証してはならない。』という戒めを字義通りに守ったとすれば、ユダヤ人が捕まってしまうのですから、この戒めを本質的には守らなかったことになります。つまり、この時にラハブが偽証しなかったとすれば、ラハブは律法の違反者になっていました。キリストも、隣人愛のためであれば、平気で安息日を破られました。何故なら、律法を字義通りに守ったので隣人が損なわれてしまうのであれば、本末転倒であって、律法が何のためにあるのか分からなくなるからです。実に律法は隣人愛のために定められたのです。隣人愛を考慮せずただ律法を字義通りに守ろうとするのはパリサイ的です。パリサイ人はこのような思い違いをしていたので、キリストから非難されてしまったのでした。もしこのラハブがパリサイ人だったとすれば、王の使いに対して偽証せず、ユダヤ人を悲惨に陥らせていたでしょう。私たちはこのような過ちに陥らないよう注意せねばなりません。

【2:8~11】
『ふたりの人がまだ寝ないうちに、彼女は屋上の彼らのところに上って来て、その人たちに言った。「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。あなたがたがエジプトから出て来られたとき、主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、彼らを聖絶したことを、私たちは聞いているからです。私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。』
 王の使いがラハブの家から出て行くと、ラハブは『ふたりの人がまだ寝ないうちに』、すなわち翌朝にならない間に彼らと話しをすることにしました。これは起きている事柄があまりにも重大だったからです。エリコの人間だけでなくカナン全体の人間が、これから侵攻して来るユダヤ人に滅ぼされようとしているのです。それなのに一体どうして斥候が起きるまで待ってから話をしてもいいでしょうか。それではあまりにも遅過ぎます。

 ここでラハブが言っている通り、カナン人はユダヤ人の神ヤハウェのことで非常に恐れ慄いていました。彼らは神が出エジプトの際に行なわれた紅海分断の奇跡や、神がシホンとオグに為されたことを、その耳で聞いていたからです。このようなことを行なわれる神はかつて聞かれたことがありませんでした。カナン人の神々はもちろんヤハウェのされたようなことなど出来ません。ですから、カナン人はヤハウェのことで戦慄せざるを得ませんでした。ラハブはここでヤハウェこそ天と地における神であることを認めています(11節)。これはラハブ以外のカナン人もそうだったでしょう。また、この箇所から分かるように、当時においてヤハウェの名声は諸国に鳴り響いていました。神が御自分の栄光ある御名を国々に知らされたからです。

【2:12~14】
『どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。」その人たちは、彼女に言った。「あなたがたが、私たちのことをしゃべらなければ、私たちはいのちにかけて誓おう。主が私たちにこの地を与えてくださるとき、私たちはあなたに真実と誠実を尽くそう。」』
 ラハブは自分がユダヤ人の命を助けたように、ユダヤ人たちも侵攻の際はラハブとその家族を助けるように求めます。なるほど、ラハブは斥候の命を救ったのですから、確かに自分もユダヤ人から救われる権利があったでしょう。ラハブが『真実を尽くした』と言っているのは、「偽りのない心で命を救おうと働きかけた」という意味です。ラハブが斥候たちに誓わせようとしたのは、絶対的な安全と安心を得るためです。この求めを受け、斥候たちはもしラハブがこれからもユダヤ人を裏切らなければ、ラハブとその家族を侵攻の際に救うと誓いました。こういうわけで、もしラハブが今後もユダヤ人に味方するのであれば、ユダヤ人は必ずラハブ一家を助けなければいけませんでした。もしラハブが裏切らなかったのに、ラハブ一家の誰か一人でも殺すようなことがあれば、ユダヤ人のほうが罪に定められてしまいます。しかし、ラハブがこれから裏切るならば、ユダヤ人はラハブ一家を助ける義務から解放されることになります。

 ここでラハブは自分だけでなく家族をも救うよう求めています。つまり、ラハブは自分の属する有機体に対する救いを求めました。ここには契約の概念が示されています。神は契約的に事を見られ、行なわれる御方です。ですから、神はある人が救われるとその救われた人の属する有機体の全体にも救いをお与えになります。このラハブの場合で言えば、ラハブが救われるので、神はラハブの家族にも救いを与えて下さいます。パウロも救いを求めた看守に対してこう言いました。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』(使徒の働き16:31)実際、看守が救われると、神は看守の家族をも救って下さいました(使徒の働き16:32~34)。家族の代表者である父が救われたので、家族の全体にも救いが及ぼされたわけです。これはローマ帝国とコンスタンティヌス大帝の場合でもそうです。神はキリスト教徒のコンスタンティヌスがローマ皇帝になったので、国家の代表者である者がキリスト者であるゆえ、国家の全体をもキリスト教で染められたのです。こうしてローマはキリスト教国となったのでした。このような契約の概念は是非とも覚えておかねばなりません。聖書には契約の思想が至る所に見られますから。

【2:15~16】
『そこで、ラハブは綱で彼らを窓からつり降ろした。彼女の家は城壁の中に建て込まれていて、彼女はその城壁の中に住んでいたからである。彼女は彼らに言った。「追っ手に出会わないように、あなたがたは山地のほうへ行き、追っ手が引き返すまで三日間、そこで身を隠していてください。それから帰って行かれたらよいでしょう。」』
 エリコとは城壁の町であって、ラハブは城壁に建て込まれていた家に住んでいました。ラハブの家が城壁の何階にあったかは分かりません。ただラハブは斥候たちを無事に屋上まで導くことが出来ましたから、高い階だった可能性があります。この城壁がどれぐらいの高さだったかは不明です。ラハブはこの城壁の窓から、2人の斥候たちを綱で下に吊り降ろしました。城壁に窓があったのも、綱があったのも神の恵みによります。吊り降ろしている途中で綱が切れなかったのも神の恵みです。もし神の恵みがなければ、窓や綱がなかったかもしれず、たとえあっても吊り降ろしている途中で綱が切れたりしていたかもしれません。

 ラハブは彼らが山のほうに逃げ隠れているよう指示します。キリストも、ローマ軍の攻撃から免れるため、聖徒たちが山へ逃げるよう指示されました(マタイ24:16)。敵も山にまではなかなか追って来ないものだからです。ラハブはその山に斥候たちが『三日間』隠れているよう命じました。これは三日も見つからなければ王の使いたちが諦めてしまうだろうからです。これは「3」日ですから聖書的な日数でもありました。

【2:17~21】
『その人たちは彼女に言った。「あなたが私たちに誓わせたこのあなたの誓いから、私たちは解かれる。私たちが、この地にはいって来たなら、あなたは、私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。また、あなたの父と母、兄弟、また、あなたの父の家族を全部、あなたの家に集めておかなければならない。あなたの家の戸口から外へ出る者があれば、その血はその者自身のこうべに帰する。私たちは誓いから解かれる。しかし、あなたといっしょに家の中にいる者に手をかけるなら、その血は私たちのこうべに帰する。だが、もしあなたが私たちのこのことをしゃべるなら、あなたが私たちに誓わせたあなたの誓いから私たちは解かれる。」ラハブは言った。「おことばどおりにいたしましょう。」こうして、彼女は彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は窓に赤いひもを結んだ。』
 ラハブが斥候に求めた『証拠』(ヨシュア記2章12節)として、斥候は『赤いひも』をラハブに渡します。この紐はラハブ一家が保護・救出されるための目印です。ラハブがこの紐を城壁の窓に結びつけておけば、ユダヤ人たちは侵攻の際、その紐が結ばれている家にいる者たちを保護・救出しなければなりません。もしラハブがユダヤ人を裏切らなかったにもかかわらず、赤い紐が結ばれている家にいる者を攻撃したり殺すのであれば、ユダヤ人は咎を負うことになります(19節)。しかし、もしラハブがこれから侵攻までの間にユダヤ人を裏切るならば、たとえ紐が窓に結ばれていたとしても、ユダヤ人から保護・救出される権利を失ってしまいます。ラハブは自分に属する家族を、ユダヤ人が侵攻してきた際には、紐の結ばれている家に全て集めねばなりませんでした(18節)。もしラハブの家族が誰か来ようとしなかったり、一度は来ても家の中から出てしまうならば、保護・救出されることはできませんでした(19節)。こうしてラハブの口次第でラハブの運命が変わることになりました。ラハブは神に恵まれていたので、決してユダヤ人のことをカナン人に告げることがありませんでした。そのため、ラハブとその家族は侵攻の際に守られ救われました。これはソロモンがこう言っていることです。『自分の口と舌を守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。』(箴言21章23節)この『赤いひも』は、非常に長いか、非常に目立つ色だったと推測されます。何故なら、もし短かったり分かりにくいのであれば、ユダヤ人が侵攻の際に見つけにくくなるからです。

 『この赤いひも』ですが、これはキリストの血による贖いを象徴していたと思われます。つまり、ラハブがこの紐を窓に結んだのは、ラハブとその家族がキリストの救いに定められていたということです。何故なら、キリストの聖なる血は赤いからです。ヘブル11章の箇所により、ラハブがキリストにある神の聖徒だったことは確定しています。ですから、この紐がキリストの贖いを示していたと捉えるのは荒唐無稽ではありません。

【2:22~24】
『彼らは去って山地のほうへ行き、追っ手が引き返すまで三日間、そこにとどまった。追っ手は彼らを道中くまなく捜したが、見つけることができなかった。ふたりの人は、帰途につき、山を下り、川を渡り、ヌンの子ヨシュアのところに来て、その身に起こったことを、ことごとく話した。それから、ヨシュアにこう言った。「主は、あの地をことごとく私たちの手に渡されました。そればかりか、あの地の住民はみな、私たちのことで震えおののいています。」』
 斥候たちは山に三日ほど逃げ隠れ、それから山を下り、ヨルダン川を渡って、ヨシュアのいる場所へ戻りました。恵み深い神が彼らを無事に帰らせて下さったのです。―その恵みはとこしえまで。―もし神の恵みがなければ、2人の斥候は大変なことになっていたかもしれません。帰って来たこの斥候たちは、ヨシュアに偵察の報告をしました。その報告は良い内容でした。彼らは良い報告しかしませんでした。今回の偵察は40年前の偵察に続く二度目です。今回は前回の偵察とかなり異なる点がありました。まず、前回は族長たちが12人で偵察に行きましたが(民数記13:1~16)、今回は2人だけであり、しかも2名とも無名の人物でした。また、前回は南から行きましたが、今回は東から行きました。また、前回は果物を土産として取って来なければいけませんでしたが(民数記13:20)、今回は土産を求められませんでした。また、前回は偵察後に良い報告も悪い報告もされましたが(民数記13:27~29)、今回は良い報告だけがされました。また、前回はカナン人に出エジプトの際に行なわれた神の御業だけが知らされているだけでしたが、今回はそれに加えてシホンとオグの抹殺についても知らされていました。また、前回はモーセが遣わしましたが、今回はヨシュアが遣わしました。また、前回は出エジプトから数えて1世代目が遣わされましたが、今回は2世代目が遣わされました。また、前回は帰還後に恐るべき裁きを受けることになりましたが、今回は裁かれませんでした。結論を言えば、前回は最悪の偵察だったのに対し、今回は最高の偵察でした。状況・状態が異なれば偵察した結果も異なるものなのです。

【3:1~4】
『ヨシュアは翌朝早く、イスラエル人全部といっしょに、シティムを出発してヨルダン川の川岸まで行き、それを渡る前に、そこに泊まった。三日たってから、つかさたちは宿営の中を巡り、民に命じて言った。「あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない。あなたがたと箱との間には、約二千キュビトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」』
 斥候が帰還すると、ヨシュアは民をヨルダン川の川岸にまで進ませ、その川岸で三日ほど宿営させました。宿営の期間が『三日』だったのは、カナン侵攻のために物質的な準備や心の準備をするためだったと推測されます。この箇所で指導者たちが民に言っている通り、祭司たちが神のおられる契約の箱を担ぎ始めたならば、民はその箱の後に『約二千キュビト』すなわち880mほど距離を置いて進まなければなりません(1キュビトは44cm)。これは契約の箱が民の進むべき道を示すためでした。「880mも距離を取るのは離れ過ぎではないか。」と思う人もいるかもしれません。しかし、この距離で調度良いのです。考えてもみて下さい。箱の後に100万人以上ものユダヤ人が続くのです。ユダヤ人が100人しかいなければ、確かに880mも距離を置くのはやり過ぎだったかもしれません。しかし、ユダヤ人は莫大な数がいるのですから、880mぐらい離れていなければ、箱の正面に向かって進んでいる人たちは問題ないとしても、群れの左右両端にいる人たちからは箱が見にくくなってしまうでしょう。もし88mぐらいしか離れていなければ、左右にいるユダヤ人たちは箱までの距離が近いので、常に右また左を向いていなければいけないことになります。また、神のおられる箱との間に880mもの距離を置くのは、罪人であるユダヤ人が聖なる神からかなりの距離を置くべきだったからというのではありませんでした。つまり、聖性がこの距離の理由ではありませんでした。何故なら、ここではそのような理由が示されていないからです。ここで示されているのは道標のため離れていなければならないという理由です。『それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。』と書かれている通りです。

【3:5】
『ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」』
 1日後に主が行なわれる奇跡すなわち『不思議』のため身を清めねばならないと命じられているのは、主の奇跡における聖性にユダヤ人も自分を合わせるべきだったからです。主が聖なる奇跡をユダヤ人たちに行なわれるというのに、ユダヤ人はといえば身を清めていないというのであれば、釣り合いが取れないのです。例えば、王が宮殿で自分の詩を詠む儀式に招かれる人であれば、やはり正装できちんとしているべきでしょう。たとえ本来であれば招かれるに相応しい人であったとしても、不祥事を起こしてニュースになっていたとすれば、儀式に招かれるのは相応しくないはずです。神が聖なる奇跡を行なわれるのでユダヤ人も身を清めていなければならなかったのは、これとよく似ています。「身を清める」とは、汚れを避け、もし汚れているのであれば身を清めることです。つまり、聖なる状態でいるということです。1日後に行なわれる『不思議』はすぐ後ほどの箇所で記されています。

【3:6】
『ヨシュアは祭司たちに命じて言った。「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」そこで、彼らは契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って行った。』
 もうヨルダン川を渡る時が来たので、ヨシュアは祭司たちが箱を担いで発つように命じます。ヨシュアはイスラエルの社会的な領域を支配する指導者でした。ですから、彼は祭司たちにイスラエルの歩みを指示できたのです。しかし、霊的な領域は祭司たちが指導者です。ですから、ヨシュアも霊的な事柄では祭司たちに従います。これは王と司祭の関係に似ています。王は社会的な事柄で司祭に指示を出しますが、霊的な事柄では司祭が王に指示を出します。例えば、テオドシウス帝は社会的には司教であったアンブロシウスを支配しましたが、霊的にはアンブロシウスが一般信徒であったテオドシウス帝を支配していました。ヨシュアは王に、祭司たちは司祭に該当します。ところで、契約の箱を担ぐというのは実に大きな光栄であると同時に計り知れない責任を負うことでもありました。何故なら、神は契約の箱におられたからです。

【3:7~8】
『主はヨシュアに仰せられた。「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう。それは、わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを、彼らが知るためである。あなたは契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』」』
 この日以降、神はヨシュアをイスラエルの指導者として『大いなる者』となるようにされました。つまり、神が非常に強くヨシュアを通してイスラエルの全体に働きかけるので、民はヨシュアを指導者として認め、恐れ、敬い、その支配に服するようになります。こうして民は、神がモーセと共におられたように、ヨシュアとも共におられることを知ります。神がこのようにヨシュアの名声と力を高めて下さるのは、ヨシュアがイスラエルの指導者だったからです。ヨシュアが『大いなる者』となれば、神はより良くヨシュアによりイスラエルを支配できるようになります。もしヨシュアが『大いなる者』とされなければ、どうなっていたでしょうか。その場合、民はヨシュアを高く見ていないので、ヨシュアに聞き従わなかったり聞き従っても心から聞き従うのではないということが起こりかねません。そうなればヨシュアを通して行なわれる神のイスラエル支配に影響が出てしまいます。ですから、ヨシュアが偉大な者とされるのは神にとって益なのです。

 これからヨルダン川で神の奇跡が行なわれるので、ヨシュアは箱を担ぐ祭司たちがヨルダン川に入ったならばそこで立ち止まるよう命じます。このヨルダン川はキネレテの海から死海にまで流れる全長100kmほどの川であり、そこではバプテスマのヨハネもバプテスマを授けていましたが、流れの激しい川です。

【3:9~13】
『ヨシュアはイスラエル人に言った。「ここに近づき、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたのうちにおられ、あなたがたの前から、カナン人、ヘテ人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、エモリ人、エブス人を、必ず追い払われることを、次のことで知らなければならない。見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立って、ヨルダン川を渡ろうとしている。今、部族ごとにひとりずつ、イスラエルの部族の中から十二人を選び出しなさい。全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」』
 神は箱を担ぐ祭司たちが水の中で立ち止まると、北すなわちキネレテの海から流れて来る水の流れをせき止め、祭司たちがいる場所を涸らし、そこを全てのイスラエル人が通るようにされます。偶然にこのようなことが起こるのではありません。神が奇跡を行なわれるのです。神はこのようにされることで御自分の栄光を現わされます。これは奇跡すなわち自然法則に対する神の意図的な介入ですから、この現象を科学的に把捉することは全く不可能です。超自然的な現象は科学の考察対象ではないからです。ですから、これは『不思議』(ヨシュア記3:5)と言われたのです。

 神がこのような奇跡を行なわれる目的は2つありました。一つ目は、『生ける神があなたがたのうちにおられ』ることを奇跡を通して証明するためです。神がこのような驚くべき御業を行なわれたのであれば、どれだけ感性の鈍い者であっても神がユダヤ人と共におられることを悟らないわけにはいきません。神が共におられると分かれば、ユダヤ人は強められます。ユダヤ人が強められるのは、これから行なわれるカナン侵攻にとって大きな益となります。ここでヨシュアは『生ける神』と言っていますが、これは神が偽りの神々のように死んだ神ではなく、常に生きて働きかける御方であるという意味です。二つ目は、神がユダヤ人の前から『カナン人、ヘテ人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、エモリ人、エブス人を、必ず追い払われることを』証明するためです。神がヨルダン川で水の奇跡を行なわれたら、その奇跡を通して、ユダヤ人は神がカナンにいる諸民族をも駆逐して下さると確信できるようになります。何故なら、神がヨルダン川でユダヤ人のために大いなることをして下さったのであれば、そのような神はカナンにいる諸民族をもユダヤ人のために追い払って下さるだろうからです。実際、神はユダヤ人のためカナンにいた忌まわしい敵どもを滅ぼして下さいました。ここでヨシュアはカナンの民族を「7」つ挙げていますが、これは「7」ですから、この7つの民族だけでなく、それ以外のカナンにいた諸民族をも含めています。

 ヨシュアが代表者を12部族からそれぞれ一人ずつ選出するように命じたのは(12節)、後ほどヨルダン川から記念として石を拾わせるためです。選出する人物が有名であるか無名であるかは指示されていません。それゆえ、私たちはどのような者が選出されたのか知りません。12部族すなわち全部族からそれぞれ一人ずつが選び出されるべきなのは、神がヨルダン川で行なわれる奇跡には全ての部族のユダヤ人が関わっていたからです。

【3:14~17】
『民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、―ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが―上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。』
 ヨシュアが告げた通り、箱を担ぐ祭司たちがヨルダン川に来ると、神は北から流れて来る水を北のほうにある町アダムの場所でせき止められました。ユダヤ人はこの間に、乾いた場所を急いで渡りました。アダムでせき止められた水は、どこに流れて行ったかは何も書かれていませんが、恐らく左右に分けられて地面に吸収されたりしたのでしょう。このアダムという町は、ユダヤ人がヨルダン川を渡った場所から、北に30kmほどの場所にあります。『アダム』とはヘブル語で土を意味します。よって、ヨルダン川の水がアダムでせき止められたのは、神がアダムの土に変化を生じさせられたゆえであったのかもしれません。もっとも、聖書はアダムでどのようにして水がせき止められたのか詳細を述べていませんから、確かなことは何も言えないのですが。

 今の時代ではこのような奇跡が見られないからといって、この時にもこういった奇跡が行なわれなかったなどと考えてはなりません。そのように考えるのは不信仰です。確かに今であれば、もうこういった奇跡は見られないかもしれません。しかし、古代ではこういった奇跡が見られたのです。もっとも、古代でも奇跡が見られたのはユダヤだけに限られました。ユダヤ以外では、今と同様、このような奇跡を見ることはできませんでした。神にはユダヤで奇跡を行なう明白な目的があったのです。それは御自分がユダヤ人に与えられた啓示の真実性を確証させるという目的です。つまり、私が言っているのは「証拠としての奇跡」のことです。旧約時代において啓示が与えられていたのはユダヤだけでした。このため、神には啓示が与えられていなかったユダヤ以外で奇跡を行なう目的がありませんでした。ですから、古代ユダヤでだけはこういった素晴らしい奇跡が見られたのでした。

【4:1~8】
『民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに告げて仰せられた。「民の中から十二人、部族ごとにひとりずつを選び出し、彼らに命じて言え。『ヨルダン川の真中で、祭司たちの足が堅く立ったその所から十二の石を取り、それを持って来て、あなたがたが今夜泊まる宿営地にそれを据えよ。』」そこで、ヨシュアはイスラエルの人々の中から、部族ごとにひとりずつ、あらかじめ用意しておいた十二人の者を召し出した。ヨシュアは彼らに言った。「ヨルダン川の真中の、あなたがたの神、主の箱の前に渡って行って、イスラエルの子らの部族の数に合うように、各自、石一つずつを背負って来なさい。それがあなたがたの間で、しるしとなるためである。後になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか。』と聞いたなら、あなたがたは彼らに言わなければならない。『ヨルダン川の水は、主の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」イスラエルの人々は、ヨシュアが命じたとおりにした。主がヨシュアに告げたとおり、イスラエルの子らの部族の数に合うように、ヨルダン川の真中から十二の石を取り、それを宿営地に運び、そこに据えた。』
 民がヨルダン川を全て渡り終えると、神は先に選出されていた12人の者たちがヨルダン川の石をそれぞれ一つずつ取り、ヨルダン川を渡ってから宿営した場所に据えるよう命じられます。この石を『背負って来なさい。』とここでは命じられていますから、かなり大きい石でなければいけなかったと思われます。この12の石が据えられたのはユダヤ人の『しるしとなるため』でした。つまり、これは神の奇跡における記念碑としての意味があります。神が大いなる奇跡をユダヤ人のために行なわれたのですから、ユダヤ人はそれを覚え、忘れないよう物質的な形で残すべきだったのです。この記念碑をヨルダン川での奇跡について知らない世代のユダヤ人が『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか。』と尋ねたならば、この奇跡を経験した世代のユダヤ人は神の奇跡についてしっかり教えねばなりませんでした。それは子どもたちが神のことをよく知り、ますます神を信頼するようになるためです。このような大いなる御業の記憶がそれを見た世代にだけ限定されるべきではないのです。その記憶は永久に継承されなければなりません。

【4:9】
『―ヨシュアはヨルダン川の真中で、契約の箱をかつぐ祭司たちの足の立っていた場所の下にあった十二の石を、立てたのである。それが今日までそこにある。―』
 この記念碑は非常に目立ったと推測されますが、それは『今日までそこにあ』りました。これは申命記が書かれた時代における『今日』です。今となってはもうこの記念碑は見当たりません。ですから、この『今日』を私たちが今生きている21世紀における「今日」だと捉えてはなりません。私がわざわざこのような分かり切ったことを言うのは、今の教会は聖書の記述における時代性を弁えない傾向がかなりあるからです。このようなことをいちいち言わなければならないほど、今の教会の霊性と神学レベルは低くなっているのです。

【4:10~12】
『箱をかつぐ祭司たちは、主がヨシュアに命じて民に告げさせたことがすべて終わるまで、ヨルダン川の真中に立っていた。すべてモーセがヨシュアに命じたとおりである。その間に民は急いで渡った。民がすべて渡り終わったとき、主の箱が渡った。祭司たちは民の先頭に立ち、ルベン人と、ガド人と、マナセの半部族は、モーセが彼らに告げたように、イスラエルの人々の先頭を隊を組んで進んだ。』
 民の全てがヨルダン川を渡り終えるまで、祭司たちは川で立ち止まっていなければなりませんでした。これは神の奇跡が祭司たちの動きと呼応していたからです。民が全て渡り終えると、祭司たちも渡り終え、再び民の先頭に立ちました。民の群れの一番前列に進んでいたのは『ルベン人と、ガド人と、マナセの半部族』でした。この2部族と半部族には一番最初を進み行くという彼らの立てた誓いがあったからです。ヨシュアは箱を担いでいる祭司たちの群れと一緒に進んでいたでしょう。この時に進んでいた群れの順序を示すと次の通りです。1:箱を担ぐ祭司たちとヨシュア。2:ルベン人とガド人とマナセの半部族。3:他の諸部族。

【4:13~14】
『いくさのために武装した約四万人が、エリコの草原で戦うために主の前を進んで行った。その日、主は全イスラエルの見ている前でヨシュアを大いなる者とされたので、彼らは、モーセを恐れたように、ヨシュアをその一生の間恐れた。』
 イスラエル人の戦士は『約四万人』いましたが、これはまだ少なかった当時の世界人口を考えると、かなりの数だったと思われます。この戦士たちは群れの先頭に進んで行きました。この時のイスラエルは戦争をしに進んでいたのですから、これは当然のことです。この時には、戦士たちの中に騎兵がいた可能性もあります。ユダヤ人はこれまでエモリ人の国やミデヤン人から略奪していたのですから、その時に馬を戦利品として獲得していたならば、騎兵を持つこともできたでしょう。また象部隊がいた可能性もあります。エモリ人やミデヤン人が象を持っていたのであれば、これはあり得る話です。古代において象は今の戦車に該当する強力な動物兵でした。戦士たちの数が『約四万人』だったのは、恐らく何も象徴的な意味が含まれていないと思われます。もし象徴的な意味があるとすれば、40かける1000でしょう。つまり、十分であることを示す40と完全数10の三乗である1000。もしこうだったとすれば、この人数はイスラエルの兵士たちが本当に豊かであったことを示していることになります。

 ユダヤ人がヨルダン川を渡った日―『その日』―から、神はヨシュアを偉大な指導者とされました。つまり、ヨシュアは神に立てられた大いなる恐るべき力強いリーダーとして見做されるようになりました。民はモーセと同じように、このヨシュアとも神が共におられることを悟りました。このようにして神はヨシュアを通して為されるイスラエルの支配を容易にされました。これまでのヨシュアはまだ偉大な指導者として見られていませんでした。以前は「モーセに付き従っている従者」ぐらいにしか思われていませんでした。このことからも分かりますが、人を『大いなる者』にされるのは神です。人がどれだけ願ったとしても神の御心でなければ『大いなる者』になることはありません。名声は神の賜物だからです。しかし、偉大にされる者であれば必ず偉大にされます。

【4:15~18】
『主がヨシュアに、「あかしの箱をかつぐ祭司たちに命じて、ヨルダン川から上がって来させよ。」と仰せられたとき、ヨシュアは祭司たちに、「ヨルダン川から上がって来なさい。」と命じた。主の契約の箱をかつぐ祭司たちが、ヨルダン川の真中から上がって来て、祭司たちの足の裏が、かわいた地に上がったとき、ヨルダン川の水はもとの所に返って、以前のように、その岸いっぱいになった。』
 民が通り過ぎるまで川で立ち止まっていた祭司たちに、ヨシュアが川から上がるよう命じると、祭司たちも川から上がりました。神がヨシュアにそう命じよと命じられたからです。このように神はヨシュアを通して祭司たちを動かしておられました。祭司たちが川から上がると、神はせき止めていた水が再び元の流れに戻るようにされました。これは前述の通り、神の奇跡が祭司たちと呼応すなわち連動していたからです。神が、水をせき止めていたアダムの町で「何か」をされたので、水が再び元の流れに戻りました。その「何か」とは、盛り上げられて壁となっていたアダムの土を流れる水が打ち破ったということなのかもしれません。しかし、聖書はアダムで何が起こったか示していませんから、確かなことは何も言えません。

【4:19~23】
『民は第一の月の十日にヨルダン川から上がって、エリコの東の境にあるギルガルに宿営した。ヨシュアは、彼らがヨルダン川から取って来たあの十二の石をギルガルに立てて、イスラエルの人々に、次のように言った。「後になって、あなたがたの子どもたちがその父たちに、『これらの石はどういうものなのですか。』と聞いたなら、あなたがたは、その子どもたちにこう言って教えなければならない。『イスラエルは、このヨルダン川のかわいた土の上を渡ったのだ。』あなたがたの神、主は、あなたがたが渡ってしまうまで、あなたがたの前からヨルダン川の水をからしてくださった。ちょうど、あなたがたの神、主が葦の海になさったのと同じである。それを、私たちが渡り終わってしまうまで、私たちの前からからしてくださったのである。それは、地のすべての民が、主の御手の強いことを知り、あなたがたがいつも、あなたがたの神、主を恐れるためである。」』
 ヨシュアは、ヨルダン川から12人の者たちに取らせた記念の石を、エリコから南東に10kmほど離れたギルガルの宿営地に据えて記念碑としました。先に書かれていた通り、これからこの奇跡を知らない世代のユダヤ人が記念碑について尋ねて来たら、その奇跡を知る親たちは子どもたちにしっかりどういうことなのか教えてやらねばなりません。この箇所で言われている通り、ヨルダン川が涸らされたのは、約40年前に『葦の海』すなわち紅海が涸らされたのと同じでした。前回の奇跡では風が水を分けました(出エジプト14:21)。今回の奇跡では、先に述べたようにアダムの町で土が水を防ぐ壁となったか、そうでなければ風がアダムの町で水をせき止めた可能性もあります。主がヨルダン川でこの奇跡を行なわれたのは、『地のすべての民が、主の御手の強いことを知』るためでした。主がヨルダン川の水を涸らされたと聞けば、どの民が主の偉大な力強さを感じずにいられるでしょうか。そんな愚鈍な民はいないはずです。このようにして神は諸民族に対して御自分の栄光を示されたのです。また、この奇跡が行なわれたのは『あなたがたがいつも、あなたがたの神、主を恐れるため』でもありました。神を恐れるのは人間の創造目的ですが(伝道者の書12:13)、ユダヤ人は神に生きるべき聖なる人々でしたから、この奇跡を通して神への恐れを学ばなければいけなかったのです。

 この12の石が示す奇跡について、ユダヤ人はずっと記憶しなければいけませんでした。そのためにこそ石で記念碑が据えられたのですから。この奇跡は、御言葉を通して今でも新約時代の聖徒たちに知らされています。ですから、私たちもこの奇跡を記憶すべきです。というのも新約時代の聖徒たちは、神の民として旧約時代の聖徒たちの延長線上にいる存在だからです。旧約時代ではユダヤ人が神の民でしたが、新約時代ではキリストを信じる私たちが神の民です。旧約時代の聖徒と新約時代の聖徒は繋がっているのです。ですから、新約時代の聖徒である者は、この奇跡を記憶しましょう。そして、ますます神の知識に富むようにしましょう。ジュネーブ教会信仰問答の最初の個条で言われている通り、人生の主な目的は「神を知ること」(問1の答え)なのですから。

【5:1】
『ヨルダン川のこちら側、西のほうにいたエモリ人のすべての王たちと、海辺にいるカナン人のすべての王たちとは、主がイスラエル人の前でヨルダン川の水をからし、ついに彼らが渡って来たことを聞いて、イスラエル人のために彼らの心がしなえ、彼らのうちに、もはや勇気がなくなってしまった。』
 前の節で書かれていたように、ヨルダン川の奇跡は諸民族が神の力強さを知るために行なわれましたが、この奇跡によりカナンにいた諸王は恐れ慄きました。彼らは恐れで気が狂わんばかりだったでしょう。こうしてカナンの王たちは、戦う前から既にユダヤ人に敗北してしまったのです。ユダヤ人は恐れ慄く王たちを容易に撃破することができました。このようになったのは全て神の恵みによります。つまり、カナン人たちに対する勝利は、ユダヤ人から出た勝利ではありませんでした。確かにユダヤ人は勝利するための剣を持っていましたし、馬を略奪していたのであれば騎兵もいた可能性があります。この騎兵は戦いの勝利に大きく貢献する存在です。しかし、剣や馬が勝利を齎したのではなく、神が勝利を齎されたのです。何故なら、もし剣や馬があっても神がカナンの王たちを戦慄させておられなければ、ユダヤ人はカナン人を討ち取ることが出来ていなかったかもしれないからです。これはソロモンがこう言っている通りです。『馬は戦いの日のために備えられる。しかし救いは主による。』(箴言21章31節)詩篇33:17の箇所でもこう言われています。『軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。』この2つの御言葉では馬についてだけ言われていますが、これは剣の所持も含めて捉えるべき内容です。

【5:2~9】
『そのとき、主はヨシュアに仰せられた。「火打石の小刀を作り、もう一度イスラエル人に割礼をせよ。」そこで、ヨシュアは自分で火打石の小刀を作り、ギブアテ・ハアラロテで、イスラエル人に割礼を施した。ヨシュアがすべての民に割礼を施した理由はこうである。エジプトから出て来た者のうち、男子、すなわち戦士たちはすべて、エジプトを出て後、途中、荒野で死んだ。その出て来た民は、すべて割礼を受けていたが、エジプトを出て後、途中、荒野で生まれた民は、だれも割礼を受けていなかったからである。イスラエル人は、四十年間、荒野を旅していて、エジプトから出て来た民、すなわち戦士たちは、ことごとく死に絶えてしまったからである。彼らは主の御声に聞き従わなかったので、主が私たちに与えると彼らの先祖たちに誓われた地、乳と蜜の流れる地を、主は彼らには見せないと誓われたのであった。主は彼らに代わって、その息子たちを起こされた。ヨシュアは、彼らが無割礼の者で、途中で割礼を受けていなかったので、彼らに割礼を施した。民のすべてが割礼を完了したとき、彼らは傷が直るまで、宿営の自分たちのところにとどまった。すると、主はヨシュアに仰せられた。「きょう、わたしはエジプトのそしりを、あなたがたから取り除いた。」それで、その所の名は、ギルガルと呼ばれた。今日もそうである。』
 エジプトから脱出した1世代目のユダヤ人は全て割礼を受けていましたが、その1世代目が荒野で生んだ2世代目のユダヤ人は全く割礼を受けていませんでした(5節)。2世代目のユダヤ人がこのような状態だったので、神はヨシュアが全てのイスラエル男子に割礼を施すよう命じます。これからカナンの地を占領し神と共に歩むことになるユダヤ人が、神の民としての印を帯びていないというのではいけなかったからです。これは新約時代のクリスチャンと同じです。新約時代において救われキリストと共に歩むようになった人が、ずっとバプテスマの聖礼典を受けないままでいるというのは良くありません。その人は信じて救われたのですから、なるべく早くバプテスマを受けるべきなのです。ここではヨシュアが一人で全てのイスラエル人に割礼を施したかのように書かれています(3~4、7節)。これはヨシュア一人だけで全ての割礼を施したという意味ではありません。何故なら、数十万人もいたイスラエルの男子に、どうしてヨシュア一人だけで割礼を全て施せるでしょうか。決してできません。これはヨシュアが割礼を命じ、命じられた者たちがそれぞれ割礼を男子に施したということです。もちろん、ヨシュアも幾人かに自分で割礼を施したということであれば、十分にあり得る話ですが。また、ヨシュアに割礼用の小刀を作れと命じられているのも、ヨシュア一人だけで全ての男子に割礼を施すための小刀を作れと言われているのではありません。当然ながらヨシュアは小刀を他の者たちに作らせたのです。ヨシュア一人だけでどうしてイスラエル男子全てのために小刀を作れるでしょうか。もっとも、ヨシュアも幾らかは小刀を自分で作ったということであれば、十分にあり得る話ですが。この時にユダヤ人が割礼を拒絶することは許されませんでした。何故なら、それは自分が神の民であることを否定することだからです。創世記17:14の箇所で言われている通り、割礼を拒絶するのは神との契約を破ることです。

 1世代目のユダヤ人が2世代目に割礼を施していなかったのは、1世代目がどれだけ不敬虔であったか如実に示しています。何故なら、割礼の実施はユダヤにとって基本中の基本だからです。そのようなことさえ行なわなかったのですから、1世代目のユダヤ人は徹底的に不従順だったことが分かります。だからこそ、1世代目はカナン侵攻の命令をも拒絶したのです。このため、彼らは罰としてカナンに入れなくなりました。ヘブル書3:18の箇所で言われている通り、1世代目がカナンの安息に入れなかったのはこのような不従順がその理由でした。私たちはこの1世代目のようにならないようにしましょう。そうしなければ私たちも彼らのように悲惨になりかねないからです。

 9節目で神が『きょう、わたしはエジプトのそしりを、あなたがたから取り除いた。』と言っているのは、どういった意味でしょうか。これはもちろん割礼のことです。割礼の風習がユダヤ以外の民族にもあったことは周知の事実です。モーセ時代のエジプト人も割礼を受けていました。割礼はどの民族においても霊的・宗教的・社会的なステータスとなりますから、割礼を受けている者は無割礼の者を誹ります。ダビデでさえ割礼を受けていなかったゴリアテを軽蔑しました(Ⅰサムエル記17:27、36)。2世代目のユダヤ人は無割礼でしたから、エジプト人がそのことを知れば2世代目のユダヤ人を誹ったでしょう。「あいつらは割礼を受けていないぞ。」などと。しかし、ヨシュアが2世代目のユダヤ人に割礼を施すならば、もはやエジプト人から誹られることはなくなります。そのことがここでは「エジプトの誹りが取り除かれた。」と言われているのです。9節はこのように解釈するのが正しいと思われます。これ以外に正しい解釈はないはずです。ヨシュアにより割礼の施されたこの場所は『ギルガル』と呼ばれましたが、それ以前は『ギブアテ・ハアラロテ』と呼ばれていました。9節目で『今日』と言われているのは、ヨシュア記が書かれた時代における『今日』です。

【5:10~12】
『イスラエル人が、ギルガルに宿営しているとき、その月の十四日の夕方、エリコの草原で彼らは過越のいけにえをささげた。過越のいけにえをささげた翌日、彼らはその地の産物、「種を入れないパン」と、炒り麦を食べた。その日のうちであった。彼らがその地の産物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエル人には、もうマナはなかった。それで、彼らはその年のうちにカナンの地で収穫した物を食べた。』
 ユダヤ人は、ヨルダン川を渡ってから宿営したギルガルで、しっかりと過越祭を行ないました。これから間もなく戦いが始まるからというので、過越祭を行わなくてもいいということにはなりませんでした。何故なら、年ごとの14日に過越祭を行なうというのが神の定めだからです。しかし、この日はまだギルガルに宿営している時でした。まだ戦いが始まってはいませんでした。また、ユダヤ人の戦士たちは割礼の傷で痛みがありましたから(ヨシュア記5:8)、この時はあまり戦いに適していませんでした。つまり、神は調度良い日に過越祭が行なわれるよう計算しつつユダヤ人を導いておられたのです。もしこれが戦いの最中であれば過越祭を行なうのは難しくなっていたでしょう。

 ユダヤ人は過越の生贄を捧げた翌日、カナンの地で取れた果物か野菜、またはその両方を食べました。この日が終わると、もうユダヤ人の上にはマナが降らなくなりました。つまり、過越祭が始まってから2日後にマナの降下が止みました。これはもうマナを食べる必要がなくなったからです。マナを食べることでユダヤ人が神から生かされているという真実を学ぶ教育の時期は、この日で終わったのです。荒野で初めてマナが降ってからここまで40年でした(出エジプト16章)。『その地の産物』がどのような産物だったかは不明です。『種を入れないパン』とは、この時まで降っていたマナにより作られた特別なパンです。『炒り麦』はヨルダン川の東の場所で取った麦を持って来たのでしょう。こういうわけで、マナの降下と停止にも時がありました。伝道者の書3章の言い方で言えばこうなります。「マナが降るのに時があり、マナが降らなくなるのに時がある。」

【5:13~15】
『さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、彼が目を上げて見ると、見よ、ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていた。ヨシュアはその人のところへ行って、言った。「あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」すると、主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。』
 ギルガルで宿営していたヨシュアが見ると、剣を持った人がヨシュアの前に立っていましたが、これはキリストです。キリストはアブラハムやヤコブに現われましたが(創世記18:1、32:22~32)、このヨシュアにも現われて下さったのです。ここで言われている主の現われは単なる象徴とか比喩表現などではありません。主は実際に現われて下さったのです。この現われを見ていたのはヨシュア一人だけだったでしょう。ヨシュアがこの出来事を民に知らせたのは間違いありません。この出来事は口伝としてユダヤ人に記憶されたはずです。また文章でも記録されたと思われます。その口伝か文章、またはその両方に基づき、ヨシュア記の記者はこの箇所を書いたわけです。ここで主御自身が言っておられるように、主は『主の軍の将』であられました。キリストこそユダヤ軍の将軍だったのです。この世的な見方をすればヨシュアこそがユダヤ軍の将軍だと思えたでしょう。しかし、ヨシュアは将軍であるキリストの代理としてユダヤ軍を支配する副官に過ぎませんでした。主がヨシュアの前に現われたのは何故だったのでしょうか。それは2つの理由がありました。一つ目は、ヨシュアに戦争の命令を与えるためです。二つ目は、ヨシュアが主に選ばれた特別な指導者であることをヨシュア自身と民の全体によく理解させるためです。主がヨシュアに現われたとすれば、ヨシュアの特別性が誰の目にも明らかとなるからです。このキリストが持っておられた『抜き身の剣』とは何でしょうか。これは霊的に理解すれば御言葉と捉えることもできます。何故なら、御言葉とは霊の剣だからです(エペソ6:17)。しかし、これは単に実際的な剣だったと捉えるべきでしょう。もしこれが御言葉の剣であれば、この剣は口から出ていたはずだからです(黙示録1:16)。主が剣を持って現われたのは、主がユダヤ人のために敵と戦って下さることを示すためです。また、これはヨシュアに御自身を恐れさせる目的もあったと思われます。何故なら、主が剣を持って現われたならば、誰が恐れを抱かないでしょうか。主はバラムに対しても抜き身の剣を手にして現われました(民数記22:31)。

 ヨシュアはこの人が誰なのか初めは分かりませんでしたが、主が御自分のことを明かされると、主の御前で『頭を地につけて伏し拝み』ました。これは最大限の敬意と謙譲を示しています。何故なら、地よりも下に頭を下げることは出来ないからです。イスラエルを支配する王が来られたのですから、ヨシュアがこのようにしたのは当然でした。このヨシュアに対し、主は靴を脱ぐように命じます。その場所は主が来られたので『聖なる所』になっていたからです。主は柴の中でモーセに現われた時もこのように命じられました(出エジプト3:5)。もし主が現われておられなければ、ヨシュアは靴を脱ぐ必要がなかったはずです。

【6:1】
『エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。』
 エリコの人たちは、ユダヤ人から自分たちを守るため、城門を閉じそこから誰も出入りしませんでした。彼らがこのようにしても全く無意味でした。ユダヤ人と共におられた神の御前ではどんな城壁も「無」同然だからです。実際、すぐ後ほど彼らの城壁など無かったも同然だったことが明らかになります。エリコ人は或いは城壁が自分たちを保護し生き延びさせてくれると思っていたかもしれません。しかし、彼らが何を思おうともどんな策略を立てようとも無駄でした。神が滅ぼされると決めたならば、1000人の天才が策略を立てていたとしても、必ず滅ぼされてしまうからです。ですから、ソロモンはこう言ったのです。『主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。』(箴言21章30節)

【6:2】
『主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。』
 主はエリコの人間をヨシュアの手に渡されましたが、『渡した』とはその対象の上に神のごとき主権を行使できる状態にされたということです。ですから、主から渡されたその対象は手のうちにありますから、それを利用しても、握り潰しても、投げ捨てても、売り渡しても、その人の自由です。この「渡す」という表現は聖書で多く使われています。エリコの人はどうしてヨシュアに渡されたのでしょうか。それはエリコ人の罪が神の御前に満ちたからです。つまり、エリコ人はもう裁かれる時が来ていたので、呪いとしてヨシュアの手に渡されたのでした。もしエリコ人が善良な民族であれば、罪を犯していないのですから、ヨシュアに渡されはしなかったでしょう。寧ろ、エリコ人の手に他の罪深い民族が渡されていたはずです。日本人もずっと八百万の神々を拝むという偶像崇拝に陥っていましたから、裁きとして連合軍の手に渡されてしまいました。インディアンも同性愛の罪を犯していたので白人たちの手に渡されました。古代ユダヤ人も酷く罪深かったので、ローマ人の手に渡されて滅ぼされました。罪が人を外部の者の手に渡させます。これは覚えておかねばならない重要な知識です。

【6:3~7】
『あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」そこで、ヌンの子ヨシュアは祭司たちを呼び寄せ、彼らに言った。「契約の箱をかつぎなさい。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、主の箱の前を行かなければならない。」ついで、彼は民に言った。「進んで行き、あの町のまわりを回りなさい。武装した者たちは、主の箱の前を進みなさい。」』
 城壁に守られている限り、城壁の中にいる敵どもを滅ぼすことはできません。城壁とは人間を守るためにあるのですから。城壁の中にいる人間が餓死したり自殺したりするというのでなければ、確かにそうです。この時にはまだ飛行機で上から爆撃したり大砲を打ち込んだりすることもできませんでした。主は、エリコ人を滅ぼすために、城壁を崩すという正攻法を選ばれました。主が城壁を破壊する方法は誠に驚くべきものでした。ユダヤ人が7日間、城壁の周囲を回ると、城壁が一挙に崩れ落ちるのです。そうしたらユダヤの戦士たちが町の中に雪崩れ込み、そこにいるエリコ人を全て聖絶するのです。このようにして城壁を崩すというのは前代未聞の方法です。かつてこのようにして城壁が崩されたことなどありませんでしたし、これからもこういったことは起こらないでしょう。戦士たちが6日間は城壁の周囲を1度だけ回るのは、それが人間の働きであることを意味します。何故なら、聖書で「6」という数字は人間を示すからです。そして7日目に7つの角笛を持つ7人の祭司たちと共に7度、城壁の周囲を回るのは、6日間に行なわれた人間の働きが神により完成されることを意味します。何故なら、聖書で「7」は聖なる数字だからです。城壁が7日間の周回により崩れたのは、神が城壁の状態を知っておられたからなのでしょうか。つまり、神は城壁の基盤が緩いことを知っておられたので、7日間その周囲を回らせることで、ますます城壁の基盤が緩くなるようにされたのでしょうか。こうであった可能性は十分にあります。しかし、聖書は城壁が崩れ去った理由を何も示していません。城壁の基盤は堅固だったのに、神が7日目になると、直に城壁をその力強い御手で崩されたということも十分に考えられます。ところで、7日目に祭司たちが吹くべき『雄羊の角笛』とはどういった角笛だったのでしょうか。これは次の3つのどれかだったと思われます。すなわち、雄羊の角で作られた角笛か、雄羊の絵が刻まれたり雄羊の形をしていた角笛か、神の雄羊であられるキリストを覚えさせるための角笛か。

 このようにして神が城壁を崩されたのは誠に不思議なことです。それゆえ、聖書は神が不思議な御方であると教えているのです。また、これは時節に適った美しい奇跡でもあります。何故なら、6日間は1度だけ回り、7日目に7度回ったことで、一挙に城壁が崩れ落ちたからです。これは正にソロモンが『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。』(伝道者の書3章11節)と言った通りです。こんなに芸術的な崩し方が他にあるでしょうか。

【6:8~11】
『ヨシュアが民に言ったとき、七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って主の前を進み、角笛を吹き鳴らした。主の契約の箱は、そのうしろを進んだ。武装した者たちは、角笛を吹き鳴らす祭司たちの先を行き、しんがりは箱のうしろを進んだ。彼らは進みながら、角笛を吹き鳴らした。ヨシュアは民に命じて言った。「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」こうして、彼は主の箱を、一度だけ町のまわりを回らせた。彼らは宿営に帰り、宿営の中で夜を過ごした。』
 聖なる殺戮のために行なわれる恐るべき周回が遂に始まりました。まずは第1日目からです。ヨシュアは、城壁の周囲を回る戦士たちが、回っている間はずっと黙らなければいけないと命じます。ヨシュアは神の御業のためこのように命じましたから、戦士たちが回っている最中に何か少しでも声を出せば罪となりました。どうして口から声を出すべきではなかったのでしょうか。聖書はその理由について何も示していません。これは、これから神の素晴らしい奇跡が行なわれるからだったと思われます。つまり、神の御業が行なわれる時まで静粛にしているのが相応しかったということです。私がこのように考えるのは、神が紅海の奇跡を行なわれる際にも、ユダヤ人は黙っていることが求められたからです(出エジプト14:14)。これは世の事柄でも同様です。例えば、誰か偉大な人物が凄い行ないをする場合、それを見ている人たちは状況を弁えしんとするものです。これから神が大いなる奇跡を行なわれるというのに、どうしてユダヤ人が騒がしくしていていいでしょうか。この周回の時には、戦士たちが先頭と最後尾を進みました。これは敵の襲撃があった場合に対処するためです。この時に進んでいた隊列順序はこうでした。戦士たち、角笛を吹き鳴らす祭司たち、箱とそれを担ぐ祭司たち、戦士たち。この時の周回がどれだけの時間を要したかは不明です。何故なら、私たちは城壁がどれぐらいの大きさだったのか、またユダヤ人たちの進む速度がどれぐらいだったのか知らないからです。城壁の中にいたエリコ人は、この周回に対し恐れと困惑を感じたに違いありません。彼らにはユダヤ人が何故このようにしているのか理解できなかっただろうからです。また、城壁の周囲を回るユダヤ人たちは、矢であれ投槍であれ投石であれ城壁からエリコ人による攻撃を受けなかったでしょう。聖書はエリコ人が城壁から攻撃したと書いていません。これはエリコ人がヤハウェ神とその民ユダヤのことで委縮していたからです(ヨシュア記2:9~11)。神はこのようにしてユダヤ人が城壁から攻撃を受けないよう働きかけておられました。もし神がエリコ人に恐れを与えておられなければ、ユダヤ人は城壁からの攻撃を受けていたかもしれません。

【6:12~14】
『翌朝、ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱をかついだ。七人の祭司たちが七つの雄羊の角笛を持って、主の箱の前を行き、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは彼らの先頭に立って行き、しんがりは主の箱のうしろを進んだ。彼らは進みながら角笛を吹き鳴らした。彼らはその次の日にも、町を一度回って宿営に帰り、六日、そのようにした。』
 6日目までこの周回が繰り返されました。日毎に行なうべきことは全く変わりません。ユダヤ人たちは、これがエリコ人を滅びに至らせる予兆であると理解できていました。しかし、エリコ人のほうは何が行なわれているのか理解できなかったはずです。なお、この周回はその回数から分かる通り、明らかに象徴的な意味を持っています。すなわち、これは人間の働きが「6」日により示されており、神の働きかけが「7」日目により示されています。これは週の7日とも共通しています。律法において週の6日は人間の労働に定められており、7日目は神の聖なる安息だからです。

【6:15】
『七日目になると、朝早く夜が明けかかるころ、彼らは同じしかたで町を七度回った。この日だけは七度町を回った。』
 7日目には、それまでの6日間とは違い、いつもの7倍すなわち7度の周回が行なわれました。ここには象徴性が示されています。また、ここで言われているように、この7日目の周回は朝から行なわれました。これまでの6日間でもやはり朝から周回が行なわれました(ヨシュア記6:12~14)。

【6:16~21】
『その七度目に祭司たちが角笛を吹いたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげなさい。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。この町と町の中のすべてのものを、主のために聖絶しなさい。ただし遊女ラハブと、その家に共にいる者たちは、すべて生かしておかなければならない。あの女は私たちの送った使者たちをかくまってくれたからだ。ただ、あなたがたは、聖絶のものに手を出すな。聖絶のものにしないため、聖絶のものを取って、イスラエルの宿営を聖絶のものにし、これにわざわいをもたらさないためである。ただし、銀、金、および青銅の器、鉄の器はすべて、主のために聖絶されたものだから、主の宝物倉に持ち込まなければならない。」そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、その町を攻め取った。彼らは町にあるものは、男も女も、若い者も年寄りも、また牛、羊、ろばも、すべて剣の刃で聖絶した。』
 7日目の周回で祭司たちが角笛を7度吹いてから、戦士たちが『ときの声』を上げると、たちまち『城壁がくずれ落ち』ました。先にも述べておいた通り、神が城壁の根底が緩いのを知っておられたので、この時に音の衝撃で城壁が崩れるよう、摂理により城壁に働きかけておられたのでしょうか。そうであった可能性はあります。しかし、実際はどうだったか確かなことを言えません。古代において城壁が突破されたら敗北はほとんど決まりました。その突破された城壁から雪崩れ込んだ敵により殺戮が行なわれるからです。この時もやはりそうなりました。ユダヤ人は崩れ去った城壁から町に入り込み、そこにいた人間と家畜をことごとく聖絶しました。どんな人間も家畜も容赦されませんでした。これはエリコ人がその罪のゆえ滅ぼされるべきだったからです。すなわち、これは神による裁きでした。この時、城壁に建て込まれていた家の住人たちは、悲惨になったはずです。崩れ去った城壁に呑み込まれて絶命した城壁の住人が多くいたと推測されます。

 このようにユダヤ人はエリコにいた人間と家畜を殺しました。しかし、エリコにあった財物は神に捧げるため確保しなければなりませんでした(19節)。それは神の獲得物になるべきですから、ユダヤ人が勝手に自分の所有にしてはなりませんでした(18節)。たとえ、その中に高価で素晴らしい財物があったとしても、です。何故なら、神への従順こそ真に高価で素晴らしい財物なのだからです。確かなところ、従順はどんな財物よりも優れた目に見えぬ財物なのです。

 また、ユダヤ人は、誓いを立てていたラハブとその家族を例外的に生き残さなければいけませんでした。もしラハブ一家の誰か一人でも害することがあれば、ユダヤ人たちは咎を負うことになります(ヨシュア記2:19)。これはラハブがこの時に至るまでユダヤ人のことを話さず、裏切らなかったからです。もしユダヤ人がラハブ一家に害を加えていたら、どうなっていたでしょうか。その場合、ユダヤ人は大きな裁きを神から受けていたはずです。誓いへの違反は神に忌み嫌われることだからです。ユダヤ人はしっかりとラハブのことを覚え、彼女とその家族を害することがありませんでした。このことからも分かる通り、ユダヤ人とは信義を守ることにかけてはきちんとした民族です。これは昔そうだったように今でもそうです。彼らには自分たちの味方であれば取り扱いを良くする性質があります。杉原千畝も多くのユダヤ人を救ったのでイスラエルから大いに顕彰されました(もっとも、彼が救った多くのユダヤ人は旧約時代で言えば在留異国人に該当するヤコブの血を持たないアシュケナージ・ユダヤ人なのでしたが)。

【6:22~25】
『ヨシュアはこの地を偵察したふたりの者に言った。「あなたがたがあの遊女に誓ったとおり、あの女の家に行って、その女とその女に属するすべての者を連れ出しなさい。」斥候になったその若者たちは、行って、ラハブとその父、母、兄弟、そのほか彼女に属するすべての者を連れ出し、また、彼女の親族をみな連れ出して、イスラエルの宿営の外にとどめておいた。彼らは町とその中のすべてのものを火で焼いた。ただ銀、金、および青銅の器、鉄の器は、主の宮の宝物倉に納めた。しかし、遊女ラハブとその父の家族と彼女に属するすべての者とは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブはイスラエルの中に住んだ。今日もそうである。これは、ヨシュアがエリコを偵察させるために遣わした使者たちを、ラハブがかくまったからである。』
 ヨシュアは、ラハブとの間に立てられた誓いを果たすため、2人の斥候たちを紐が結ばれているラハブの家へと遣わし保護・救出するようにしました。ラハブは自分だけでなく自分に属する多くの者をも家に集めていました。ラハブ一人だけが救われたのではありません。ラハブの救いはラハブに属する者たちにも及ぼされたのです。これは前述の通り、神が契約的な御方だからです。このラハブとその家族は助けられてから、ひとまず『宿営の外にとどめてお』かれました。これはラハブが異邦人、しかも遊女という罪深い職業に就いていた異邦人だからであり、どのように対処すればいいかすぐには決められなかったからです。しかし、彼女とその家族は、後ほど『イスラエルの中に住』みました。つまり、神の民の一員となりました。彼女は異邦人でしたが天国に行きました。神がこのような遊女を救われたのは、救いが神にだけかかっていることを示すためです。もしラハブが品行方正な素晴らしい女性だったとすれば、或いは救いがラハブの行状に基づいていたと勘違いする人も出かねません。しかし救いは全く神のものです(ヨナ2:9)。ラハブという罪深い遊女が神の救いを受けたのであれば、その救いがラハブから出たとは考えられなくなります。ですから、神は御自分だけが救いの主であられることを示すため、ラハブという遊女が斥候たちに会って救われるよう働きかけたのです。

 このようにラハブは聖徒たちに良くしたので、自分にも良くされました。このことから分かる通り、神は聖徒たちに良くする者に対し良くして下さる御方です。というのも神と聖徒は契約的に一体だからです。つまり、聖徒に良くする者は神に対して良くしています。神に良くする者にどうして神が良くして下さらないでしょうか。それゆえ、私たちは聖徒たちに良くすべきです。たとえラハブのように大きな善を行なう機会がなく、水1杯を与えることしか出来なかったとしても、聖徒に良くすれば神から良くされます。聖徒に水1杯でも与えれば、私たちに祝福が与えられることは決定します。それはキリストがこう言われたからです。『わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。』(マタイ10章42節)これとは逆に、聖徒たちに悪くするならば、その人は神から悪くされます。聖徒に悪くするのは神に悪くすることだからです。神に悪くする者がどうして悪い報いを受けないままでいられるでしょうか。

 こうしてユダヤ人はエリコの町をことごとく火で焼き尽くしました(24節)。これは神の怒りがエリコ人に燃え上がっていたからです。神の怒りの火は、エリコが実際の火で焼かれるという形で現実的に表現されたわけです。古代ユダヤ人も、エリコ人と同様に、神の怒りの火の現われとして実際に火で焼き尽くされてしまいました(紀元70年9月)。このようにして罪に汚れていたエリコの町は火で清められました。

 23節目では、あの2人の斥候たちが『若者』だったと言われています。しかし、ここでもやはり斥候たちの実名は全く示されていません。どうして彼らの名が示されていないのでしょうか。こう思う人もいるかもしれません。「彼らは偵察に行くという大きな仕事をしたのだから、彼らの名が示され、有名になったとしても良かったのではないか。」しかし、聖書は彼らの名について隠したままでいますから、私たちは彼らの名を知らないままで満足すべきでしょう。

【6:26】
『ヨシュアは、そのとき、誓って言った。「この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」』
 エリコは神の裁きにより、殺戮され、焼き滅ぼされ、惨めな荒野と化しました。恐らく、原爆投下後の広島や長崎のようになったと思われます。エリコ人が神の御前で酷いことをしていたので、彼らも酷いことになったのです。ヨシュアは、この廃墟となったエリコを再建する者は呪われるよう誓います。エリコの再建は、すなわち神のエリコに対する御業と裁きを否定することだからです。神がエリコをことごとく滅ぼされました。ですから、そこはそのままにしておくべきなのです。エリコを再建するのは、例えるならば警察が剥がした違法な張り紙を再び元通りの状態に戻すのと似ています。警察が違法だからというので張り紙を剥がしたのですから、それは剥がされたままにしておくべきなのです。ヨシュアは、エリコの『礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う』と宣言します。これは人の子どもで言えば、町の礎は長子に、門は末の子に該当するからです。これは実に象徴的です。エリコを再建する者は、神とその働きを蔑ろにする者です。神を蔑ろにする者は死の呪いを受けねばなりません。ですから、その再建者の子どもは呪いとして死ななければならないのです。再建した当事者でなく当事者の子どもが死ぬのは、神がその当事者に思い知らせるためです。ヨシュアはここで誓っていますが、これは再建が非常に重大なことだからです。このようにヨシュアは誓いましたから、その誓いには絶対的な意味と効力がありました。このようにしてヨシュアは誰もエリコを再建する者が出ないよう威嚇しています。ところが、これから数百年後にあるベテル人がエリコを再建したので、誓いの通りそのベテル人は長子と末の子を失いました(Ⅰ列王記16:34)。このベテル人は、ヨシュアの誓いを知らずにエリコを再建したのでしょうか、それとも知っていながらあえて再建したのでしょうか。どちらだったにせよ、このベテル人がしたことは愚かの極みでした。

【6:27】
『主がヨシュアとともにおられたので、そのうわさは地にあまねく広まった。』
 神がヨシュアと共におられましたから、ヨシュアは偉大な者として諸国で有名になりました。神とは偉大な存在であられます。であれば、その神と共にいたヨシュアが、神のゆえに大きな名声を得たとしてもおかしなことは何もありません。例えば、天皇といつも何故か一緒にいて親しく話している一般人がいたとすれば、その一般人は天皇のゆえ日本社会で有名になるでしょう。ニュースやネットで「彼は一体何者か?」などと騒がれるのは間違いありません。ヨシュアが神と共に歩んでいたので有名になったのは、これと似ています。なお、この箇所で『地』と書かれているのは、当時における慣用表現としての『地』だと解釈せねばなりません。すなわち、この『地』とは文字通り厳密な意味での地球全体という意味ではありません。それは、ルカ2:1の箇所で『全世界』の住民登録をせよと書かれているのが、文字通り厳密な意味での『全世界』ではなく、慣用表現としての『全世界』だったのと同じです。もしこの『全世界』をそのまま文字通りに捉えるとすれば、アウグストゥスはローマ世界以外に中国や日本でも住民登録をさせたことになりますが、こんなことを考えるのは歴史に無知な人だけでしょう。

 この箇所からも分かりますが、このヨシュアのように、神と共にいる人は神がその人の噂を周囲に広げられます。神がその人を有名にされるからです。これの良い例はルターとカルヴァンでしょう。とはいっても、有名な人であれば、誰であっても例外なく神がその人と共におられるというわけではありません。私がここで言っているのは神の民についてのことだからです。例えば、ユリウス・カエサルがそうです。カエサルの名声は諸国に鳴り響いており、多くの者はその名を聞くだけでも喜んだり動じたりするほどでした。カエサルという名前を聞いただけで戦う前から降伏を決めた民族もいました。しかし、だからといってカエサルがヨシュアのように神と共にいたということではありません。何故なら、カエサルとは無割礼の異邦人であり、滅びの子であり、サタンの民だったからです。また、神の民で偉大になることが定められている者も、昔からずっとその名声が鳴り響いていたというわけではありません。『そのうわさは地にあまねく広ま』ることになる時があるからです。例えばモーセは神により偉大な人物とされましたが、偉大にされ始めたのは80歳からであり、それまでは名声と無関係の羊飼いに過ぎなかったのです。

【7:1】
『しかしイスラエルの子らは、聖絶のもののことで罪を犯し、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。』
 ここまでは万事が順調に進んでいましたが、ここから悲惨なことが起こります。ユダ族のアカンが神に奉献すべき聖絶の財物を取って自分の所有物にしたのです。これは神の御心を大いに損ねることでした。何故なら、このアカンは神の獲得物である聖絶の財物を盗んだからです。この箇所でアカンの先祖が3人まで示されているのは、アカンの家系では先祖の代から不敬虔な傾向があったことを示すためだと思われます。

【7:2~5】
『ヨシュアはエリコから人々をベテルの東、ベテ・アベンの近くにあるアイに遣わすとき、その人々に次のように言った。「上って行って、あの地を偵察して来なさい。」そこで、人々は上って行って、アイを偵察した。彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。」そこで、民のうち、およそ三千人がそこに上ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。アイの人々は、彼らの中の約三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを打ったので、民の心がしなえ、水のようになった。』
 ヨシュアはエリコを討ち取ったので、次はエリコから西に20~30kmほど離れた『アイ』を討ち取ろうと決めました。このアイの地域は後ほどベニヤミンの相続地となります。ヨシュアはこの町に斥候を遣わします。この偵察は、先に見たエリコへの偵察の場合と同じで、より良く侵攻を行なうための偵察ですから、罪ではありませんでした。ヨシュアがこのように偵察を遣わしたことから分かる通り、重要な働きの際には偵察が重要となります。何故なら、何も知らないではどうして上手に事を為せるでしょうか。ただ勢いだけあっても知識や情報がなければ上手に行かなかったり失敗したりしかねません。ですから、ソロモンはこう言っています。『熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。』(箴言19:2)

 斥候が偵察から帰ったところ、『二、三千人ぐらい』を上らせれば簡単に攻略できると報告されましたので、ヨシュアは『およそ三千人』をアイに遣わします。このぐらいの戦力で占領できるというのですから、本当にアイの町には住民が少なかったのです。この2000また3000という数字には特に象徴性がないはずです。ヨシュアたちは楽に占領できると思っていたかもしれませんが、彼らの予想に反し、戦士たちは占領するどころか敗走させられてしまいました。しかも、『約三十六人』の戦士を失いました。この「36」という数字にも象徴性はないと思われます。もしあるとすれば「12かける3」でしょう。しかし、「36」が12かける3という成り立ちにおいて何らかの象徴性を持っているなどと私には思えません。アウグスティヌスであれば或いはこの成り立ちを気に入って採用するかもしれませんが。この敗北を受けてイスラエル人は大いに落胆します。エリコ人に勝てたように勝てると思っていたら勝てなかったからです。激しい勢いで走っていれば躓いた場合に衝撃は大きくなりますが、これは精神の疾走でも同じことが言えるのです。調子付いていたイスラエル人の勇敢な精神はここにおいて挫かれてしまいました。