【ヨシュア記7:6~11:5】(2022/05/01)


【7:6~9】
『ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうしてこの民にヨルダン川をあくまでも渡らせ、私たちをエモリ人の手に渡して、滅ぼそうとされるのですか。私たちは心を決めてヨルダン川の向こう側に居残ればよかったのです。ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができましょう。カナン人や、この地の住民がみな、これを聞いて、私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさろうとするのですか。」』
 ヨシュアはイスラエルの敗走を嘆き、主の御前にひれ伏します。これはどうして敗北したのか理解できなかったものの、とにかく主の御前に面目が立たなかったからです。ヨシュアが『主の箱の前で』ひれ伏したのは、箱に主がおられたからです。箱そのものが主であったというわけではありません。その箱のところに主がイスラエルの支配者として臨在しておられたのです。ヨシュアが着物を裂いたのは、心における動揺の激しさを示しています。ヨシュアの心理状態がそのまま振る舞いに反映しています。ヨシュアが『頭にちりをかぶった』のは、自分などはただの『ちりや灰にすぎません』(創世記18章28節)という遜った態度を示すためです。というのも、人間が塵から取られ塵に返るただの被造物に過ぎないということを、この行ないは認めているからです。またヨシュアが『夕方まで』ひれ伏していたのは、1日の終わりまでひれ伏していたということです。イスラエル社会の1日は『夕方』すなわち18時で終わったからです(始まりは朝の6時)。

 ヨシュアは、神がアイにいたエモリ人によりユダヤ人を滅ぼすつもりではないかと心配し恐れました。何故なら、イスラエルはアイの人々に勝てなかったからです。つまり、ヨシュアにはアイに対する敗北がこれから起こる滅亡の予兆ではないかと思われました。このため、ヨシュアは『私たちは心を決めてヨルダン川の向こう側に居残ればよかった』と言いました。もしヨルダン川を渡らなければ、アイの人々に敗けることも、これから全滅させられることも起こらなかったと感じられたからです。

 また、ヨシュアはこの時の敗北を聞いたカナンの諸民族が勢い付き、ユダヤ人を滅ぼしに来るのではないかと心配しました。すなわち、ヨシュアはカナンにいる敵がこう言うのではないかと恐れました。「見よ、ユダヤ人はアイの人々に敗北した。もう彼らの神は彼らから離れている。だから我々が攻めるならば必ず勝つことができるだろう。」予期せぬ敗北は人をネガティブな思考の連鎖に陥らせます。これが人間の一般的な傾向です。ヨシュアといえども例外ではありませんでした。

【7:10~15】
『主はヨシュアに仰せられた。「立て。あなたはどうしてそのようにひれ伏しているのか。イスラエルは罪を犯した。現に、彼らは、わたしが彼らに命じたわたしの契約を破り、聖絶のものの中から取り、盗み、偽って、それを自分たちのものの中に入れさえした。だから、イスラエル人は敵の前に立つことができず、敵に背を見せたのだ。彼らが聖絶のものとなったからである。あなたがたのうちから、その聖絶のものを一掃してしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。立て。民をきよめよ。そして言え。あなたがたは、あすのために身をきよめなさい。イスラエルの神、主がこう仰せられるからだ。『イスラエルよ。あなたのうちに、聖絶のものがある。あなたがたがその聖絶のものを、あなたがたのうちから除き去るまで、敵の前に立つことはできない。あしたの朝、あなたがたは部族ごとに進み出なければならない。主がくじで取り分ける部族は、氏族ごとに進みいで、主が取り分ける氏族は、家族ごとに進みいで、主が取り分ける家族は、男ひとりひとり進み出なければならない。その聖絶のものを持っている者が取り分けられたなら、その者は、所有物全部といっしょに、火で焼かれなければならない。彼が主の契約を破り、イスラエルの中で恥辱になることをしたからである。』」』
 ずっとひれ伏していたヨシュアに対し神が『立て』と言われたのは、敗北の原因がヨシュアにあるわけではないので、ヨシュアがひれ伏す必要はなかったからです。ヨシュアと一緒にひれ伏していた長老たちも立つべきでした。もし敗北の原因がヨシュアにあったとすれば、ヨシュアはひれ伏し続けるべきだったでしょう。ヨシュアはあれこれ言うのを止めて、立ち上がらなければなりませんでした。これから為すべきことがあるからです。

 イスラエルが敗走した理由は、アカンが聖絶の財物を盗んだことにありました。イスラエルはアカンにおいて聖絶の財物を自分の所有にしたので、自分自身が聖絶されるべき存在になっており、このため神は彼らと共に戦って下さらなかったのです。というのも、神は聖絶されるべき存在に味方して下さらないからです。このように敗北は罪に原因がありました。この世であればこの世的な事柄に敗北の理由を求めるでしょう。士気に不足があったのではないか…、人数が足りなかったのではないか…、油断が生じていたのではないか…、などと。このような事柄を真の敗北理由と考えてはなりません。もちろん、こういった事柄も敗北の理由としてはあるでしょう。しかし、それはどれも二次的な敗北理由に過ぎません。真の敗北理由、すなわち一次的な敗北理由は罪にあります。つまり、罪を犯すからこそ神により敗北が定められ、実際に敗北するため神が士気や人数に働きかけたり油断させたりされるのです。この世は敗北の二次理由しか見ていませんし、第二理由以外は見ることができません。ですから、二次理由を何とか改善することで勝利を得ようとします。これでは遠回りであり大変です。私たちは一次理由である罪を取り去ることに集中すべきです。そうすれば一次理由が取り去られると同時に二次理由も自然と取り去られるからです。何故なら、二次理由は一次理由のゆえ生じさせられているからです。こうしたほうがどれだけ近道で楽でしょうか。罪を止めれば全てが自動的に改善されるのですから。

 イスラエルが聖絶されるべき状態でいる限り、これからも敵に勝てない状態が続きます。ですから、イスラエルを罪に陥らせた罪人は死刑に処せられなければなりません。その処刑が明日に行なわれると神は言っておられます。その罪人は『くじ』により民の中から取り分けられます。籤とは神に答えを求めることですから、これは犯人の正しい見つけ方でした。聖絶の財物を盗んだ者が分かったなら、その者を関連する全ての者と一緒に火で焼かねばなりません。これは前述の通り、神が契約的な御方だからです。明日行なわれるこの審判のため、イスラエル人は身を清めておかなければなりません(13節)。神が聖なる働きかけにより審判を下されるのですから、それに相応しくイスラエル人も聖い状態で居なければならないのです。

【7:16~21】
『そこで、ヨシュアは朝早く、イスラエルを部族ごとに進み出させた。するとユダの部族がくじで取り分けられた。ユダの氏族を進み出させると、ゼラフ人の氏族が取られた。ゼラフ人の氏族を男ひとりひとり進み出させると、ザブディが取られた。ザブディの家族を男ひとりひとり進み出させると、ユダの部族のゼラフの子ザブディの子カルミの子のアカンが取られた。そこで、ヨシュアはアカンに言った。「わが子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。あなたが何をしたのか私に告げなさい。私に隠してはいけない。」アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。」』
 翌朝になって籤を引くと、イスラエルの全部族からユダ部族が取られ、ユダ部族からゼラフ人の氏族が取られ、ゼラフ人の氏族からザブディの家系が取られ、ザブディの家系から孫のアカンが取られました。このアカンがイスラエルに災いを齎す罪を犯していました。アカンは胡麻化したり逃げたりすることが出来ませんでした。先述の通り、籤とは神の選びが明かされることだからです。すなわち、神は籤により御自分の意志や真実を示されます。このアカンにヨシュアが説明を求めると、アカンはもう観念していたはずですから、全てを告白します。アカンはエリコにあった敵の財物が欲しくても、その欲求を抑え込むべきでした。何故なら、もし敵の財物に手を出せばイスラエルが悲惨になると予め警告されていたからです(ヨシュア記6:18)。それにもかかわらずアカンは愚かにも敵の財物を自分の物にしました。ここに彼の大きな罪がありました。神は、こうしてユダ族の名誉がアカンにより汚されることを許されました。このユダ族はそこからメシアが出るユダヤで最も重要な部族です。神がこのようなことを許されたのには理由がありました。それは、ユダ族がメシアに定められていることをユダ族の素晴らしい行状に帰させないためです。もしユダ族がこのような不名誉を蒙ったとすれば、ユダ族からメシアが出るのはユダ族の優秀性に基づいていないと誰でも分かります。神は、ただ御自分がメシアの出自をユダ族に定められたからこそユダ族にメシアが定められていることを分からせるため、ユダ族がアカンにより言わば汚されることを許可されたのでした。

 ヤコブも言ったように『欲がはらむと罪を生み』(ヤコブ1章15節)ます。欲があるからこそ罪もあります。何故なら、欲は人に神の命令を無視させるからです。アダムとエバも、欲により神の命令に背き、善悪の知識の木の実を食べるという罪を犯しました。ダビデも欲によりバテ・シェバとの姦通に陥りました。アカンもそうでした。もし悪い欲がなければ罪も犯されてはいなかったでしょう。この欲は非常に危険です。それがあれば人は罪を犯すので、自分自身だけでなく他者をも裁きにより滅ぼすことになるからです。

 19節目でヨシュアがアカンに『わが子よ。』と呼び掛けているのは、アカンを自分の子でもあるかのように親しく取り扱っているのです。これは古代イスラエル人がよく言っていた呼び掛けです。キリストやヨハネも自分に教えられるべき聖徒たちを子どもとして取り扱っています(ヨハネ21:5、ヨハネ2:1)。つまり、これは古代ユダヤの慣習的な言い方です。『子よ。』と呼ばれているからといって実際に血の繋がりがあるというわけではありません。もちろん、本当に親子である場合だけは話が別ですが。この19節目でヨシュアが主に栄光を帰するため告白せよと命じているのは、主に罪を告白するのは主が真実な御方であると認めることだからです。もし罪を告白しなければ神を偽り者に仕立て上げてしまいます。ヨハネも『もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。』(Ⅰヨハネ1章10節)と言っています。これは神が何もかも完全に知っておられる方だからであり、そのような神の御前で罪を否認することは、神が何もかも完全に知っておられる方ではないと主張することだからです。このようにすれば神を侮辱することになります。つまり、神に栄光を帰していません。しかし罪を告白するのであれば、神は全知の存在であると主張することになりますから、神に栄光を帰しています。

【7:22~23】
『そこで、ヨシュアが使いたちを遣わした。彼らは天幕に走って行った。そして、見よ、それらが彼の天幕に隠してあって、銀はその下にあった。彼らは、それらを天幕の中から取り出して、ヨシュアと全イスラエル人のところに持って来た。彼らは、それらを主の前に置いた。』
 ヨシュアに遣わされた使いたちが『走って行った』のは、事があまりにも重大だったからです。この件にイスラエルの存続がかかっています。もし使いたちが走らなければ、それは愚鈍の極みでした。ですから、使いたちは出来るならば光よりも速く行くべきだったのです。この使いたちがアカンの天幕に行くと、アカンの告白通り、あってはならない物がそこには隠してありました。財物を天幕に隠しておいたというアカンの告白に偽りはありませんでした。つまり、彼は正しい告白により主に栄光を帰し、主を偽り者とはしませんでした(ヨシュア記7:19)。もっとも、アカンが主に栄光を帰したからといって、彼に情けがかけられるということにはなりませんでしたが。ここで『見よ』と言われているのは、読者にこの出来事をよく認識させようとしています。こうしてアカンの盗んだ物が、ヨシュアと全会衆のところに持ち運ばれました。これこそ動かぬ証拠でした。これがイスラエルに敗北を齎した元凶だったのです。

 アカンがこの財物を隠しておいたのは、もちろん誰にもバレたくなかったからです。つまり、隠しておけばバレないで済むかもしれないという思いがあったわけです。しかし、このようにアカンの隠した物は全て明らかにされました。これは神が隠されている事柄を公にされる御方だからです。ですから、このアカンの例も示す通り、隠されていても現われないままでいることは決してありません。キリストがこう言われた通りです。『隠れているのは、必ず現われるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。』(マルコ4章22節)あのマチュピチュでさえ神が人類に明かされました。マチュピチュが見つけられたのは正に奇跡的としか言いようがありませんでした。マチュピチュでさえこうであれば、明かされない事柄などあるはずがありません。

【7:24~26】
『ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと、銀や、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部を取って、アコルの谷へ連れて行った。そこでヨシュアは言った。「なぜあなたは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけた。こうして彼らはアカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。そういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。』
 こうしてヨシュアはアカンをアコルの谷で死刑に処しました。この時にアカンが殺された谷は、それまで『アコルの谷』とは呼ばれていませんでした。アコルとは「災いを齎す」という意味です。この谷がアコルという名前で『今日』まで呼ばれていると書かれているのは、これまでも何度か述べましたが、ヨシュア記の執筆当時における『今日』です。神は契約的な御方ですから、この時にはアカンだけでなく彼に関連する人間と彼の所有物さえ滅ぼされました。このアカンに対する死刑には多くのユダヤ人が参加しました。これはイスラエル社会に恐れを持たせるためです。というのも、このような事件がもう二度と起きてはならなかったからです。アカン一族が石を投げられて殺されたのは、前の註解書でも書いておいた通り、これが石なるキリストの裁きであることを示すためです。キリストは聖書で石また岩として象徴されているからです。また彼らの所有物が火で焼かれたのは、神が彼らに対して怒りの火を燃やしておられたからでした。こうしてアカンの上には大きな石が積み上げられ、それはヨシュア記が書かれた時代における『今日もそのまま』残されていました。これは神がこの罪人を見せしめにしておられたからです。つまり、この石の山は、アカンのような罪を犯せばその者もこのようになるぞという威嚇でした。このようにして死刑が終わると、神の燃える怒りが鎮められました。罪を犯したアカンが滅ぼされたからです。実に、神は彼のために怒っておられたのです。また、この時からイスラエル人はもうアイの人々をはじめカナンの諸民族に打ち負かされることがなくなりました。何故なら、敗北を招く罪の問題が全く処理されたからです。

 しかしながら、ここで「敵の財物を少しぐらい取っただけでここまでやるのは少しやり過ぎなのではないか。」と思う人が、もしかしたらいるかもしれません。私は言いますが、アカンがこのような処罰を受けたのは当然であり、やり過ぎではありませんでした。考えてもみてください。このアカンの罪により『約三十六人』(ヨシュア記7章5節)の戦士が死んでしまったのです。これはアカンが自分の手で36人ものユダヤ人を打ち殺したも同然です。36人もの人間を殺した殺人者が死刑になるのはやり過ぎでしょうか。私は決してやり過ぎだと思いません。また、このアカンは聖なる民ユダヤを敗北に陥れ、民全体の意気を大いに挫きました(ヨシュア記7:5)。たとえアイ人にイスラエル人が全く殺されなかったとしても、イスラエルを敗北させたというだけでもう死刑に値します。何故なら、神の民ユダヤが敗北するというのはとんでもないことであり、決してあってはならないことだからです。つまり、アカンはイスラエルの名声に傷を付けたわけですから、死刑になって当然でした。イスラエルの名声はその主であられるヤハウェの栄光と大いに関わりがあるからです。

【8:1~2】
『主はヨシュアに仰せられた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。ただし、その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。あなたは町のうしろに伏兵を置け。」』
 ヨシュアの心が先の敗走によりまだ動揺していたことは確かだったと思われます。しかし、神はヨシュアが恐れたり慄いたりしないよう命じられます。何故なら、神はアイとそこにいる人間をヨシュアの手に渡されたからです。もうアカンの罪は処理されました。それゆえ、イスラエルが敵に敗けることもなくなりました。状況は前とすっかり変わったのです。ですから、寧ろヨシュアは勇敢になるべきでした。ここで神に『恐れてはならない。おののいてはならない。』と命じられたヨシュアは、気力を奮い立たせたはずです。神がアイに対するイスラエルの勝利を約束して下さったからです。

 ここで神はアイに対し『戦う民全部』を投入せよと命じられます。その数は『三万人』(ヨシュア記8章3節)ですから、前に遣わした『およそ三千人』(ヨシュア記7章4節)の10倍です。神は正しい判断しかなさいません。神は全てを知っておられるからです。それゆえ、アイに対しては『三万人』の戦士を向かわせるべきだったのです。以前にイスラエルが3000人しか戦士を投入しなかったのは愚かであり誤りでした。これでは本来投入すべき戦士の1割しか投入していないからです。これではイスラエルが敗走させられたのは当然でした。前にイスラエル人がこのような判断の誤りを犯した原因は罪でした。すなわち、アカンの罪に対する呪いがイスラエルに注がれていたので、神はイスラエル人が「敵はあんなに少ないのだから2000~3000人ぐらいであれば快勝できるはずだ。」(ヨシュア記7:3)などと思って敵を侮るよう働きかけられたのでした。もしアカンの呪いがなければ、イスラエル人はこのように油断せず、最初から3万人の戦士を投入していたでしょう。そして神の助けによりアイ人を最初の戦いで討ち取ることが出来ていたでしょう。

 神はアイを討ち取ったらそこにある『分捕り物と家畜』を戦利品にしてよいと言われます。ですから、今回は敵の財物を獲得しても罪にはなりませんでした。以前の場合は禁止命令が出ていたので、財物を獲得すれば罪となりました(ヨシュア記6:18)。神が今回は戦利品を得て良いと言われたのです。であれば、どうして戦利品を得ることが罪になるのでしょうか。実際、ユダヤ人はこれからアイの財物を獲得することになりますが(ヨシュア記8:27)、神からの断罪は全くありませんでした。

 神が『町のうしろに伏兵を置け』と命じられたのは、後述する通り、アイの人々を挟み撃ちにするためです。ご覧ください。3万人の戦士を投入せよと言われたうえに伏兵まで配置せよと言われた神の命令は、ただ3000人ぐらいの戦士を遣わせばそれだけで勝てると予想していたイスラエル人の単純な考えと、どれだけ大きな差があることでしょうか。イスラエル人がこのような浅はかな考えしかできなかったのは罪により呪われていたからだったのです。

【8:3~9】
『そこで、ヨシュアは戦う民全部と、アイに上って行く準備をした。ヨシュアは勇士たち三万人を選び、彼らを夜のうちに派遣した。そのとき、ヨシュアは彼らに命じて言った。「聞きなさい。あなたがたは町のうしろから町に向かう伏兵である。町からあまり遠く離れないで、みな用意をしていなさい。私と私とともにいる民はすべて、町に近づく。彼らがこの前と同じように、私たちに向かって出て来るなら、私たちは彼らの前で、逃げよう。彼らが私たちを追って出て、私たちは彼らを町からおびき出すことになる。彼らは、『われわれの前から逃げて行く。前と同じことだ。』と言うだろうから。そうして私たちは彼らの前から逃げる。あなたがたは伏している所から立ち上がり、町を占領しなければならない。あなたがたの神、主が、それをあなたがたの手に渡される。その町を取ったら、その町に火をかけなければならない。主の言いつけどおりに行なわなければならない。見よ。私はあなたがたに命じた。」こうして、ヨシュアは彼らを派遣した。彼らは待ち伏せの場所へ行き、アイの西方、ベテルとアイの間にとどまった。ヨシュアはその夜、民の中で夜を過ごした。』
 ヨシュアは、神から命じられた作戦を戦士たちに告げ知らせます。まず伏兵たちがアイの後ろに行き、ヨシュアたちが正面からアイの人々をおびき寄せると、空になったアイの町を伏兵たちが襲って火で焼きます。そして、アイの人々がもはや町に戻れなくなったところで、両側から挟み撃ちにして打ち殺すのです。もし町の後ろに伏兵がいませんと、ヨシュアたちが正面から攻めても、敵は町に退避して身を守ることができます。しかし、伏兵が後ろにいれば、敵は町に戻っても殺されてしまいます。こうしてアイの人々を全て聖絶することができるのです。アイの人々は以前にイスラエルを撃退していますから、今回も前回と同じように撃退できると考えるはずです。『われわれの前から逃げて行く。前と同じことだ。』と。ヨシュアたちはこの考え方を利用するわけです。この時に伏兵たちがアイの町を焼くのは、アイに対する神の燃える怒りが現わされるためでした。アイ人の罪はもう満ちていたので、神の怒りが実際の火として彼らの町に襲いかかるのです。ヨシュアがアイの西に遣わした伏兵たちはアイ人に見つかりませんでした。神が見つからないように働きかけられたのです。というのも、神の御心はアイ人が全滅することだったからです。もし伏兵がアイ人に見つかれば、作戦が台無しになり、アイ人を全滅できなくなりかねませんでした。

 こうしてヨシュアは戦士たちを『夜のうちに派遣』します。遣わしたのが『夜』だったのは敵に見つからないためです。この時代にはまだ電灯がありません。ですから、夜になると暗闇で何も見えなくなり、重要な戦いが行なわれていても戦いを朝になるまで休止していたほどです。戦おうとしても何も見えず戦えないのですから仕方ありませんでした。ヨシュアはこのような時間帯を派遣のため利用したのです。「しかし、火で明かりを灯せば夜でも敵を見つけることが出来たのではないか。」と思う人もいるかもしれません。もしそんなことをすれば自分たちの居場所を敵に自ら教えてしまい、襲撃されやすくなるだけです。ですから、古代の戦いでは、たとえ敵を見つたいからといって夜に火の灯りで明るくするのは良くありませんでした。

【8:10~13】
『ヨシュアは翌朝早く民を召集し、イスラエルの長老たちといっしょに、民の先頭に立って、アイに上って行った。彼とともに戦う民はみな、上って行って、町の前に近づき、アイの北側に陣を敷いた。彼とアイの間には、一つの谷があった。彼が約五千人を取り、町の西側、ベテルとアイの間に伏兵として配置してから、民は町の北に全陣営を置き、後陣を町の西に置いた。ヨシュアは、その夜、谷の中で夜を過ごした。』
 ヨシュアはアイに向かって行き、『約五千人』をアイの後ろに移動させ、ヨシュアは残りの2万5000人と共にアイの北側に陣を敷きました。後陣が5000人だけで問題なかったのは、後陣はただ逃げて来る敵たちを妨げることができればそれで十分だからです。戦争とは心理戦ですから、パニック状態になって逃げて来る敵を討ち取るのは5000人もいれば事足りるのです。昔の戦争ではパニック状態になった兵士たちが同士討ちを繰り広げるということさえよくあったぐらいですから。ここでの5000(人)という数字には何も象徴的な意味が含まれていないと思われます。

【8:14~17】
『アイの王が気づくとすぐ、町の人々は、急いで、朝早くイスラエルを迎えて戦うために、出て来た。王とその民全部はアラバの前の定められた所に出て来た。しかし王は、町のうしろに、伏兵がいることを知らなかった。ヨシュアと全イスラエルは、彼らに打たれて、荒野への道を逃げた。アイにいた民はみな、彼らのあとを追えと叫び、ヨシュアのあとを追って、町からおびき出された。イスラエルのあとを追って出なかった者は、アイとベテルにひとりもないまでになった。彼らは町を明け放しのまま捨てておいて、イスラエルのあとを追った。』
 アイの王がヨシュアたちの存在に気付くと、アイ人たちが町からユダヤ人を討ち取るため出て来たので、ヨシュアたちはアイ人たちからわざと敗走します。するとヨシュアたちの思惑通り、アイ人たちは今回も前回のようにユダヤ人を敗走させられると思い、次々と町にいたアイ人たちが出て来て加勢したので、遂には町が『ひとりもないまでにな』りました。ここにおいてアイの敗北が決まりました。アイの王はまさか町の後ろに伏兵が潜んでいるなどとは思っていませんでした(14節)。もし伏兵の存在に気付いていたとすれば、町に幾らかでも民が残るよう指示していたはずです。15節目ではユダヤ人がアイ人に『打たれて』と書かれていますが、これは本当に打たれたという意味ではなく、打たれたかのように振る舞ったという意味として解するべきだと思われます。何故なら、もし本当に打たれたとすれば幾人かでもユダヤ人に犠牲者が出たはずですが、この箇所ではユダヤ人の犠牲者については何も書かれていないからです。もちろん、本当は幾らかの犠牲者が出ていたのに単に書かれていないだけである可能性もあります。しかし、私としては、もし犠牲者が出ていればしっかりとそれについて書き記されていたはずだと思えます。

【8:18~26】
『そのとき、主はヨシュアに仰せられた。「手に持っている投げ槍をアイのほうに差し伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」そこで、ヨシュアは手に持っていた投げ槍を、その町のほうに差し伸ばした。伏兵はすぐにその場所から立ちあがり、彼の手が伸びたとき、すぐに走って町にはいり、それを攻め取り、急いで町に火をつけた。アイの人々がうしろを振り返ったとき、彼らは気づいた。見よ、町の煙が天に立ち上っていた。彼らには、こちらへも、あちらへも逃げる手だてがなかった。荒野へ逃げていた民は、追って来た者たちのほうに向き直った。ヨシュアと全イスラエルは、伏兵が町を攻め取り、町の煙が立ち上るのを見て、引き返して来て、アイの者どもを打った。ある者は町から出て来て、彼らに立ち向かったが、両方の側から、イスラエルのはさみ打ちに会った。彼らはこの者どもを打ち、生き残った者も、のがれた者も、ひとりもいないまでにした。しかし、アイの王は生けどりにして、ヨシュアのもとに連れて来た。イスラエルが、彼らを追って来たアイの住民をことごとく荒野の戦場で殺し、剣の刃で彼らをひとりも残さず倒して後、イスラエルの全員はアイに引き返し、その町を剣の刃で打った。その日、打ち倒された男や女は合わせて一万二千人で、アイのすべての人々であった。ヨシュアは、アイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。』
 神がアイをイスラエルに渡されましたので、神はヨシュアがその手に持っていた投げ槍をアイの方角へ差し伸ばすよう命じます。ヨシュアの手には剣ではなく『投げ槍』がありました。このヨシュアもそうでしたが、古代の指揮官はその手に投げ槍を持っていました。イッソスの戦いを描いた有名なモザイク画でも、アレクサンドロスがその右手に槍を握っています。ヨシュアが手の槍を差し伸ばしたのは、アイ人を討ち取るための合図でした。これはアマレク人との戦いで、モーセがその手に持つ杖を上げていたのと一緒だったのでしょう(出エジプト17:8~13)。すなわち、モーセの場合と同様で、ヨシュアが手で槍を差し伸べている時にはイスラエル人が優勢になり、槍を降ろす時には敵が優勢になるのです(出エジプト17:11)。しかし、モーセが老齢のため手を降ろしてしまったのとは違い、この時のヨシュアはまだ体力が衰えていなかったと思われますので、ずっと槍を差し伸べたままでいました(26節)。ですから、イスラエル人はアイ人に苦戦することがありませんでした。ヨシュアがこのように槍を差し伸べたのは実に象徴的です。戦いの状況とヨシュアの振る舞いが全く適合しているからです。

 ヨシュアが投げ槍を差し伸べると、町の後ろに潜んでいた伏兵たちが町を襲い、町に火を付けました。それを見たアイ人は、後方にユダヤ人が構えているので、町に戻ろうとしても戻れません。西に行けないからといって東のほうに行こうとしてもヨシュアたちが襲って来ます。正に四面楚歌です。こうしてユダヤ人は両側からアイ人を襲い、その全てを殺戮しました。殺されたアイ人の総数は『一万二千人』でした。これがアイ人の総人口でした。これは、定められていることを示す「12」かける完全数10の三乗である「1000」ですから、殺戮されたアイ人たちが前から全き滅びに定められていたことを意味しています。黙示録7:5~8の箇所でも、定められていたことを示す数字として『一万二千(人)』が使われています。しかし、黙示録のほうは実際的な数字でなく単に象徴数として書かれているだけです。このようにしてアイの人々が滅ぼされたのは、彼らの罪に対する裁きが下されたからでした。すなわち、アイの罪がもう満ちたので、神はユダヤ人という死刑執行人をアイに遣わされたのでした。

 アイの王だけは生け捕りにされましたが(23節)、この王も間もなく殺されます(ヨシュア記8:29)。実のところ、アイの王は捕えられる前に死んでいたほうが幸いでした。何故なら、捕えられる前に死ねば敵から屈辱を味わわされずに済みますが、捕えられてしまうと屈辱を味わわされるからです。ですから、昔から最近に至るまで、多くの支配者たちは敵から捕まえられる前に自殺することを選んだのでした。例えば、ヒトラーは捕まえられてムッソリーニのように死体が晒されるのを嫌がりましたから、連合軍に見つけられる前に拳銃で自殺しました。ところが、このアイ王は捕まえられるまでに自殺する余裕さえ与えられませんでした。これはこの王がその罪により極度に呪われていた証拠であったのかもしれません。この王の名前は聖書に書かれていませんから私たちには分かりません。

【8:27】
『ただし、イスラエルは、その町の家畜と分捕り物を、主がヨシュアに命じたことばのとおり、自分たちの戦利品として取った。』
 財物獲得の許可が出ていましたので、ユダヤ人はアイ人の財物を取り戦利品としました。このようにしたのは正しいことでした。今回は神が戦利品を得て良いと言っておられたからです(ヨシュア8:2)。善悪の基準は神の言葉にあります。ですから、今回もエリコの時と同様、財物を取ってはならないと命じられていたとすれば、アイの財物を取るのは罪となりました。先に見た通りアイ人の総人口は『一万二千人』でした。ですから戦利品の量もかなりあったと推測されます。神はこうしてユダヤ人たちを恵みにより敵の財物で富ませて下さいました。これはソロモンが次のように言ったことでした。『罪人の財宝は正しい者のためにたくわえられる。』(箴言13章22節)

【8:28】
『こうして、ヨシュアはアイを焼いて、永久に荒れ果てた丘とした。今日もそのままである。』
 アイはヨシュアたちに焼かれたので、惨めな『荒れ果てた丘』となり、ヨシュア記が書かれた時代まで『そのまま』となりました。これはこの町が裁かれた場所として見せしめにされるためです。すなわち、ユダヤ人は荒地となったこのアイの場所を見て、罪人の末路がどのようであるかよく知るべきだったのです。先のエリコの場合は、ヨシュアが呪いの誓いと共に再建を禁止したのにもかかわらず(ヨシュア記6:26)、数百年後に再建されてしまいました。しかし、このアイの場合は、このような誓いがなかったのに再建されませんでした。

【8:29】
『ヨシュアはアイの王を、夕方まで木にかけてさらし、日の入るころ、命じて、その死体を木から降ろし、町の門の入口に投げ、その上に大きな、石くれの山を積み上げさせた。今日もそのままである。』
 ヨシュアはアイの王を木に架けましたが、木に架ける前に殺したのか、木に架けてから殺したのかは分かりません。また、この木が元から地面に生えていた自然の木だったのか、それとも何もない場所に人工的に立てた木だったのかも分かりません。ヨシュアがアイ王を木に架けたのは、この王が呪われた者であると示すためでした。というのも律法には『木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。』(申命記21章23節)と書かれているからです。アイの王はその罪により極度に呪われていた人物だったのでしょう。このアイ王の死体は、当日中に取り降ろされ、いつまでも吊るされたままではありませんでした。これは、もし死体を翌日になるまで吊るしておくならば、その地が汚されるからです(申命記21:22~23)。これからカナンの地は神とユダヤ人が住む聖なる場所になるのですから、死体でそこを汚してはなりませんでした。ヨシュアは取り降ろされたアイ王の死体に『石くれの山を積み上げさせ』ましたが、この石の山はヨシュア記が書かれた『今日』まで残されました。ヨシュアがこのように石を積み上げさせたのはこの王が非常に罪深かったからです。つまり、これはイスラエル人に対する見せしめの意味がありました。

【8:30~35】
『それからヨシュアは、エバル山に、イスラエルの神、主のために、一つの祭壇を築いた。それは、主のしもべモーセがイスラエルの人々に命じたとおりであり、モーセの律法の書にしるされているとおりに、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であった。彼らはその上で、主に全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげた。その所で、ヨシュアは、モーセが書いた律法の写しをイスラエルの人々の前で、石の上に書いた。全イスラエルは、その長老たち、つかさたち、さばきつかさたちとともに、それに在留異国人もこの国に生まれた者も同様に、主の契約の箱をかつぐレビ人の祭司たちの前で、箱のこちら側と向こう側とに分かれ、その半分はゲリジム山の前に、あとの半分はエバル山の前に立った。それは、主のしもべモーセが先に命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。それから後、ヨシュアは律法の書にしるされているとおりに、祝福とのろいについての律法のことばを、ことごとく読み上げた。モーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアがイスラエルの全集会、および女と子どもたち、ならびに彼らの間に来る在留異国人の前で読み上げなかったことばは、一つもなかった。』
 こうしてヨシュアはエバル山に行き、そこに祭壇を築きます。このエバル山はアイから北に40kmほど離れていますから、ヨシュアたちはかなり歩いて移動したことが分かります。この時に築かれた祭壇は、人工的に加工されていてはならず、『鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇』でなければいけませんでした。これは出エジプト記20:25の箇所で命じられていたことです。どうして祭壇の石に鉄の道具を当ててはいけなかったかといえば、神への祭儀には人間の考えや知恵といった人工的な要素が混入すべきでないことを示すためでした。それは徹底的に神的でなければいけないからです。もし鉄の道具を祭壇の石に当てたとすれば、その石を汚すことになりますから(出エジプト20:25)、その石により作られた祭壇を使ってはなりませんでした。もし使えば罪となるからです。この祭壇の上でイスラエル人は神に生贄を捧げます。これは、これから神の御前で聖なる儀式が行なわれるためです。神の御前で事を為すのですから、ユダヤ人はその直前に祭儀を行ない正しい状態になっていなければなりませんでした。

 こうしてヨシュアは、儀式のためユダヤ人をエバル山とゲリジム山の場所に立たせました。この儀式は前にモーセが申命記27:11~13の箇所で命じていたことです。モーセが命じた通り、祝福するためのゲリジム山には『シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ヨセフ、ベニヤミン』が立ち、呪いのためにエバル山に立つのは『ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリ』でした。このようにイスラエル人が半分ずつに分かれて2つの山に立ったのは儀式であって、彼らが主の祝福と呪いについて強く認識し記憶するためです。このような儀式を行なうことで、イスラエル人の脳には祝福と呪いの観念が強く刻まれます。北の山でなく南の山であるゲリジムのほうに祝福が当てられている理由については、既に申命記の註解で述べておきました。この時には契約の箱を基点として北の山エバルと南の山ゲリジムにユダヤ人が分かれました(33節)。これは主がイスラエルの中心であられるからです。また、この儀式には血統的にはユダヤ人ではない『在留異国人』も参加しました(33節)。これは在留異国人もイスラエル共同体の一員であって、この在留異国人も純粋なユダヤ人と同じく主の祝福と呪いに関わっているからです。在留異国人だからといって、その行ないにより主から祝福されたり呪われたりしないということはありません。

 犠牲が捧げ終わると、ヨシュアは全イスラエルの前で律法を石に書き記します(32節)。この石は祭壇の石とは別の石です。その書かれた文字はヘブル語であり、それはインクではなく刻むことによったはずです。この筆記作業はかなりの時間を要したと思われます。そして、ヨシュアはその書かれた律法を民の前で読み上げましたが、それは民が律法を覚え、行なうようになるためです。この時にはエバル山とゲリジム山で祝福と呪いが宣言されていましたから、律法を聞いた民は祝福を求め呪いを避けるため、律法を行なうよう精神的に動かされたはずです。この律法はイスラエル共同体の全ての人員が覚えて守るべきですから、共同体の全ての人員の前で読み上げられました。律法は決して短くありませんから、読み上げる時間はかなりかかったと思われます。この時にヨシュアが民の前で『読み上げなかったことばは、一つもなかった』のです。何故なら、律法はどれも例外なく覚えられ行なわれるべきだからです。

【9:1~2】
『さて、ヨルダン川のこちら側の山地、低地、およびレバノンの前の大海の全沿岸のヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞き、相集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。』
 ヨシュアたちがエリコとアイを討伐したと聞いたカナンの諸王は、エリコとアイがそれぞれ単体で戦ったから負けたと考え、『相集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとし』ました。つまり、皆で一緒に力を合わせればイスラエルに勝つこともできると考えたわけです。しかし、協力するならばイスラエルに勝てると考えた彼らは浅はかでした。何故なら、イスラエルには無敵の神が共におられたからです。この神が共におられるならば無限に協力者を得ても勝つことなどできません。

【9:3~13】
『しかし、ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行なったことを聞いて、彼らもまた計略をめぐらし、変装を企てた。彼らは古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、繕った古いはきものを足にはき、古びた着物を身に着けた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、ぼろぼろになっていた。こうして、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国からまいりました。ですから、今、私たちと盟約を結んでください。」イスラエルの人々は、そのヒビ人たちに言った。「たぶんあなたがたは私たちの中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結ぶことができようか。」すると、彼らはヨシュアに言った。「私たちはあなたのしもべです。」しかしヨシュアは彼らに言った。「あなたがたはだれだ。どこから来たのか。」彼らは言った。「しもべどもは、あなたの神、主の名を聞いて、非常に遠い国からまいりました。私たちは主のうわさ、および主がエジプトで行なわれたすべての事、主がヨルダン川の向こう側のエモリ人のふたりの王、ヘシュボンの王シホン、およびアシュタロテにいたバシャンの王オグになさったすべての事を聞いたからです。それで、私たちの長老たちや、私たちの国の住民はみな、私たちに言いました。『あなたがたは、旅のための食料を手に持って、彼らに会いに出かけよ。そして彼らに、私たちはあなたがたのしもべです。それで、今、私たちと盟約を結んでくださいと言え。』この私たちのパンは、私たちがあなたがたのところに来ようとして出た日に、それぞれの家から、まだあたたかなのを、食料として準備したのですが、今はもう、ご覧のとおり、かわいて、ぼろぼろになってしまいました。また、ぶどう酒を満たしたこれらの皮袋も、新しかったのですが、ご覧のとおり、破れてしまいました。私たちのこの着物も、はきものも、非常に長い旅のために、古びてしまいました。」』
 アイから西に10kmほど離れたギブオンの住民は、ユダヤ人がエリコとアイを討ったと聞き、ユダヤ人と盟約を結ぼうとヨルダン川の西にある『ギルガル』にやって来ました。もし盟約を結べればユダヤ人に滅ぼされることもないからです。ヨシュアたちはエバル山から南のほうに戻っていました。ギブオン人はなるべく急いでユダヤ人の場所に行く必要がありました。何故なら、イスラエルがエリコ、アイと滅ぼしたのであれば、次はその西にあるギブオンを滅ぼす可能性が非常に高いからです。この時にギブオンの人たちは、自分たちがギブオン人だと分からないよう『変装』して行きました。何故なら、もしユダヤ人が彼らをギブオンに住む『ヒビ人』だと認識すれば、滅ぼされてしまうだろうからです。『ヒビ人』は滅びに定められていた民族だからです(ヨシュア記3:10)。ですから、彼らは自分たちが遠い国から来た民族だと思われるよう種々の変装をして行きました。遠い国の民族であればユダヤ人から滅ぼされずに済むからです。この変装は成功しました。ユダヤ人の民衆は彼らがユダヤ共同体にいる在留異国人であると思い(7節)、ヨシュアは彼らの素性を探ろうとしましたが(8節)、彼らがヒビ人であることはバレませんでした。人間にとって外国人という存在はなかなか理解しにくいものなのです。というのも外国人には分からないこと、分かりづらいことが多いからです。外国人がただいつものような普通の状態でいるだけでも、他の外国人と見分けが付かない場合が多くあります。例えば、欧米人からすれば日本人と韓国人と中国人は全く見分けが付かないはずです。たとえ普通にしていても外国人が分かりにくいのであれば、このギブオン人のように変装した場合はどれだけ分かりにくくなるでしょうか。完全に騙されてしまったとしても何も不思議ではありません。

【9:14~15】
『そこで人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示をあおがなかった。ヨシュアが彼らと和を講じ、彼らを生かしてやるとの盟約を結んだとき、会衆の上に立つ族長たちは、彼らに誓った。』
 ユダヤ人はヒビ人にすっかり騙されてしまいます。そのためユダヤ人はこの変装した者たちと盟約を結んで誓いました。これでもうヒビ人がユダヤ人に滅ぼされることはなくなりました。もし誓いを破って滅ぼすならばユダヤ人には神からの裁きが齎されるからです。この時にユダヤ人がヒビ人の『食料のいくらかを取った』のは、その食料を調べ、それを通してこの正体不明の者たちをより良く知るためでした。ちょうど警察官が路上でちょっとした持物検査をするようなものです。しかし、その食料は実に古びていたので、ユダヤ人にはどうやら本当に彼らが遠くからやって来た証拠であると感じられました。路上での持物検査と同じで、初めて会う者の持物を調べる場合は、そこまで深く追究されるということがありませんから、ヒビ人の策略は上手に行ったわけです。この時のヒビ人は間違いなく命懸けだったはずです。もし自分たちがヒビ人だと気付かれたならば滅ぼされてしまうからです。しかし、神は彼らがユダヤ人に気付かれないままでいるように働きかけられました。それは彼らがユダヤ人と盟約を結ぶことこそ神の御心だったからです。

 この時のユダヤ人が犯した致命的な過ちは『主の指示をあおがなかった』ことです。つまり、彼らは自分たちの考えに基づいて盟約を結びました。神は盟約を結ぼうとやって来た者がヒビ人であると知っておられました。ですから、ユダヤ人が主の指示を仰いでいたとすれば、主により彼らの正体を知ることができ、盟約を結ぶこともせずに済みました。そして、ヒビ人たちを当然聖絶されるべき者たちとして聖絶することができました。この出来事はユダヤ人に神信仰がまだまだ足りなかったことを示しています。彼らは次の御言葉を行なっていませんでした。『絶えず祈りなさい。』(Ⅰテサロニケ5章17節)もしユダヤ人が豊かな神信仰を持っており、この時にも絶えず祈り、神の指示を仰いでいたとすれば、ヒビ人と盟約を結んではいなかったはずです。確かなところ、この時のユダヤ人は神により頼むことをせず自分たちの悟りに頼っていました。ですから、主の指示を蔑ろにして自分たちの考えに基づいて行動したわけです。彼らは次の御言葉を行なっていませんでした。『心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。』(箴言3章5節)

【9:16~21】
『彼らと盟約を結んで後三日たったとき、人々は、彼らが近くの者たちで、自分たちの中に住んでいるということを聞いた。それから、イスラエル人は旅立って、三日目に彼らの町々に着いた。彼らの町々とは、ギブオン、ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリムであった。会衆の上に立つ族長たちがすでにイスラエルの神、主にかけて彼らに誓っていたので、イスラエル人は彼らを打たなかった。しかし、全会衆は族長たちに向かって不平を鳴らした。そこで族長たちはみな、全会衆に言った。「私たちはイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。だから今、私たちは彼らに触れることはできない。私たちは彼らにこうしよう。彼らを生かしておこう。そうすれば、私たちが彼らに誓った誓いのために、御怒りが私たちの上に下らないだろう。」族長たちが全会衆に、「彼らを生かしておこう。」と言ったので、彼らは全会衆のために、たきぎを割る者、水を汲む者となった。族長たちが彼らに言ったとおりである。』
 盟約を結んでから3日後に、ユダヤ人は盟約を結んだ者たちがヒビ人であり、聖絶すべき者たちだったことを知ります。隠されている事柄は明らかにされるため隠されているのだからです(マルコ4:22)。しかし、既に誓いを立てていたので、彼らの隠されていた正体が分かったからといって彼らを滅ぼすことはできませんでした。正に後の祭りでした。

 ユダヤ人がギルガルから出発し、エリコとアイを通って更に西に進むと、先に盟約を結んだギブオン人たちの町に着きました。本来であれば聖絶すべきこのギブオン人でしたが、既にギブオン人たちの命を守る誓いが立てられていたので、ユダヤ人はギブオンの町に手を出すことができません。もし少しでも手を出せば誓いへの違反となるので、神からの裁きを招いてしまいます。滅ぼすべきだった町と民族に全く手を出すことができない。ここでユダヤ人は大きなジレンマに陥ります。このため民衆はギブオンを征服できないことによる不満を述べ立てます。指導者たちにも民衆の不満はよく理解できたはずです。しかし、不満を持っても、もはやどうすることもできませんでした。この箇所で書かれている『ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリム』とは『ギブオン』の周辺にある町です。こうしてイスラエルはこのヒビ人たちを生かしておくことにし、イスラエル共同体の奴隷にしました。ヒビ人たちが『たきぎを割』ったり『水を汲』んだりするのは、下働きであり、奴隷のする行ないです。

 この出来事は、軽率な誓いを立ててはならないことを後世に示すための教訓として起こりました。誓いを立てること自体が悪いというのではありません。主の指示を仰がないで自分勝手な誓いを軽々しく立てることが悪いのです。もし軽々しい誓いをするならば、この時のユダヤ人のように自分たちの行動や望みが大きく制限されるという結果を招きます。そして、軽々しく誓ったことを後悔するのです。「何であんな誓いを立ててしまったのだろうか。」と。ですから、私たちはこの出来事からよく学ばなければなりません。私たちに何か判断できない事柄が生じたら、まず全知であられる神の御心を仰ぐべきです。そうすれば神の御心が何であるか分かるでしょう。そして誓いを立てても良ければ誓い、立てるべきでなければ誓いを立てないようにするのです。このようにするのが知恵であり思慮です。この時のユダヤ人はこのような知恵と思慮を持っていませんでした。

【9:22~27】
『ヨシュアは彼らを呼び寄せて、彼らに次のように言った。「あなたがたは、私たちの中に住んでいながら、なぜ、『私たちはあなたがたから非常に遠い所にいる。』と言って、私たちを欺いたのか。今、あなたがたはのろわれ、あなたがたはいつまでも奴隷となり、私の神の家のために、たきぎを割る者、水を汲む者となる。」すると、彼らはヨシュアに答えて言った。「あなたの神、主がそのしもべモーセに、この全土をあなたがたに与え、その地の住民のすべてをあなたがたの前から滅ぼしてしまうようにと、お命じになったことを、このあなたのしもべどもは、はっきり知らされたのです。ですから、あなたがたの前で私たちのいのちが失われるのを、非常に恐れたので、このようなことをしたのです。ご覧ください。私たちは今、あなたの手の中にあります。あなたのお気に召すように、お目にかなうように私たちをお扱いください。」ヨシュアは彼らにそのようにし、彼らをイスラエル人の手から救って、殺さなかった。こうしてヨシュアは、その日、彼らを会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれた場所で、たきぎを割る者、水を汲む者とした。今日もそうである。』
 ヨシュアはイスラエル人を欺いたヒビ人たちに抗議しますが、ヒビ人たちはユダヤ人から命を守るために欺くしかなかったと応じます。ヨシュアは滅ぼすべきだった者たちを滅ぼせないので良い思いを持てませんでしたが、しかしもうどうすることもできません。こうしてヒビ人はイスラエルの奴隷となり、この時から少なくともヨシュア記が書かれた数百年後の時代まではずっと奴隷としてイスラエル社会に居続けました。彼らが奴隷であることについて『今日もそうである。』と27節目で書かれている通りです。

 このヒビ人たちの自己防衛のための欺きは悪だったのでしょうか、それとも善だったのでしょうか。これは一概にはこうだと言えません。何故なら、見方によって考え方が異なるからです。まず、イスラエルからすれば、これは全くの悪でした。ヒビ人たちはイスラエル人を欺いたからです。しかし、ヒビ人からすればこれは善でした。何故なら、ヒビ人は主への恐れからユダヤ人を欺いたからです。主への恐れについて詩篇19:9の箇所ではこう書かれています。『主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。』つまり、ヒビ人が主を恐れて行なった欺きは清く敬虔な欺きでした。これはラハブの嘘が清く敬虔な嘘だったのと同じです。では神からすればどうだったのでしょうか。神の御心はヒビ人がイスラエル共同体に組み込まれることでした。だからこそ、神はヒビ人がイスラエルの一員となるため、彼らの欺きが成功するようにされたのです。もしヒビ人の滅びが神の御心であれば、彼らの欺きは失敗に終わっていたでしょう。また、神は御自分を恐れる人間を喜ばれる御方です。ですから、この欺きは神の御前で御心に適っていたと考えられます。ちょうどラハブの嘘を神が嘉せられたのと同じです。

【10:1~5】
『さて、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞き、大いに恐れた。それは、ギブオンが大きな町であって、王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きくて、そこの人々はみな勇士だちであったからである。それで、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに使いをやって言った。「私のところに上って来て、私を助けてください。私たちはギブオンを打ちましょう。ギブオンがヨシュア、イスラエル人と和を講じたから。」それで、エモリ人の五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王とその全陣営は、相集まり、上って行って、ギブオンに向かって陣を敷き、それを攻めて戦った。』
 この箇所で言われているようにギブオンは『大きな町』であり、そこは強力な戦士集団がいました。このギブオンは『アイよりも大き』い町でした。ギブオンが大きさでアイに優っていたとすれば、その人口でも優っていた可能性があります。もしそうであったとすれば、ギブオンの人口はアイの総人口1万2000人以上だったことになります。

 この巨大な町ギブオンとイスラエルが和を講じました。またイスラエルは、ギブオンと盟約を結ぶ前にエリコとアイを討伐していました(1節)。この2つの事柄のため、エルサレムの王はユダヤを大いに恐れました。ユダヤ人がエリコ、アイ、ギブオンという順番で討ち取り、仲間に加えたのであれば、ユダヤ人の進路から考えて、次はこれら3つの町の南にあるエルサレムを攻略しに来る可能性が高いからです。もし日本と中国の戦争が起きたとすれば(これは起きてほしくないことですが)、中国軍が大阪、名古屋、横浜という順で攻めたので、その進路から考えて次は東京に攻める可能性が高いのと一緒です。このためエルサレムの王は、周辺にあった4つの国の王に協力を求め、ユダヤ人の仲間となったギブオンを滅ぼそうとします。どうしてエルサレム王はギブオンを滅ぼそうとしたのでしょうか。その理由は3つ考えられます。一つ目は、カナン人を裏切ったギブオン人に対し復讐するためです。「お前ら一人だけ裏切りやがって。ただで済むと思ってるのか。コラ。」というわけです。二つ目は、ギブオンを滅ぼすことでイスラエルを牽制するためです。ギブオンを滅ぼし力を見せつけておけばイスラエルを幾らかでも威嚇できるというわけです。三つ目は、ギブオンのようにイスラエルと講和を結ぶカナンの国がもう二度と現われないためです。ギブオンを滅ぼしておければ、イスラエルと講和を結ぼうとしているカナンの国に対する威嚇となります。エルサレム王の要請を受けた4つの国の王は、その要請を受託しました。イスラエルの存在はエルサレムだけでなくこの4つの国にも関わりがあるからです。イスラエルがエルサレムを滅ぼしたとすれば、続いてこれら4つの国を滅ぼに来るだろうことは容易く予想できました。というのも、エルサレム王が協力を要請した『ヘブロン』はエルサレムの南30kmほどの場所にあり、『ヤルムテ』は南西30kmほどの場所にあり、『ラキシュ』は南西40kmほどの場所にあり、『エグロン』は南西50kmほどの場所にあるからです。しかし、このエルサレム王は誠に阿呆な愚物でした。何故なら、ギブオンを滅ぼせばカナン諸国に対しては威嚇としての効果があったでしょうけども、イスラエルに対しては全く効果が無かっただろうからです。このイスラエルには最強の存在であられる偉大な神が共におられます。ギブオンを滅ぼしたところで、この神がイスラエルから離れてしまわれるわけではありません。ですから、たとえエルサレムがギブオンを滅ぼしても、やがてエルサレムは神の率いるイスラエルに襲われて打ち滅ぼされていたでしょう。もしエルサレム王が馬鹿者でなければ、ギブオンのように神の民ユダヤと講和を結ぼうとしていたはずです。

【10:6~7】
『ギブオンの人々は、ギルガルの陣営のヨシュアのところに使いをやって言った。「あなたのしもべどもからあなたの手を引かないで、早く、私たちのところに上って来て私たちを救い、助けてください。山地に住むエモリ人の王たちがみな集まって、私たちに向かっているからです。」そこでヨシュアは、すべての戦う民と、すべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行った。』
 ギブオンは大きく勇士たちの群れを有していましたが(ヨシュア記10:2)、5人もの王が軍隊を率いて来たのであれば流石に敗北は避けられません。南のほうから5つの国の軍隊がギブオンに向かって来ていました。この重大危機の時、ギブオン人たちはギルガルにいたヨシュアに救援を要請します。ヨシュアたちはギブオンに着いて後、再びヨルダン川を渡ってすぐの場所にあるギルガルに戻っていました。先にエバル山に行った後でもヨシュアたちはギルガルに戻っていました(ヨシュア記9:6)。ヨシュアたちがギルガルにわざわざ戻っていたのは、そこが基幹となる宿営場所であり、戦いに参加しない多くの女や子どもたちがそこで宿営していたからなのでしょう。ギブオンとイスラエルは既に盟約を結んでいましたから、この時におけるギブオン人の要請は全く正当でした。ギブオン人が『早く』助けに来てくれとヨシュアたちに要請しているのは、救援が遅れたならば敵に打ち滅ぼされてしまいかねないからです。この要請を受けヨシュアは『すべての戦う民と、すべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行』きました。これはギブオンがイスラエル共同体の一員になったからであり、ギブオンを助けなければギブオン人が滅ぼされてしまうからです。この時のイスラエル人は呪いを受けていませんでしたから、アイの時のようにたったの3000人しか戦士を動員させないなどという愚かなことはしませんでした。この時の出来事を例えるならば、日本がどこかの国に襲われた際、同盟国であるアメリカの軍隊に救援を緊急要請するのと一緒です。

【10:8~11】
『主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺し、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打った。彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。』
 ヨシュアの手にギブオンを襲う敵どもが渡されましたから、神はヨシュアが恐れないよう命じられました。神が敵の滅びを約束しておられるのに恐れたとすれば、そのような者は神の約束を信じていない不信仰な者なのです。ヨシュアはそのような者ではありませんでした。こういうわけでヨシュアはギルガルから『夜通し』移動してギブオンまで進んで行きました。つまり、寝ないで、休まず、熱烈に進んだということです。このような勤勉さはヨシュアが敵を恐れていなかったことを証明しています。何故なら、恐れと勤勉には密接な関係があり、恐れる者はその恐れている対象を回避しようとして怠けるからです。怠けて何もしなければ恐れている対象と向き合う必要がなくなるわけですから。これはソロモンがこう言った通りです。『なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される。」と。』(箴言22章13節)ヨシュアたちはとにかく早目にギブオンへと到達せねばなりませんでした。というのも、ギブオンからエルサレムは15kmぐらいしか離れていないのに対し、ギルガルは40kmぐらい離れているからです。もしヨシュアたちが到着するより早くエルサレムから敵の軍隊がギブオンに到着したとすれば、ギブオン人が敵の軍隊に打ち滅ぼされてしまいかねません。ですから、ヨシュアたちはどうしても『夜通し』進む必要がありました。古代においてこのような強行軍は珍しくありませんでした。

 こうしてイスラエル軍がギブオンに到着すると、イスラエルは『突然』敵どもを襲います。襲う前に降伏を勧めたり講和を結ぼうとはしませんでした。ヨシュアたちには神から敵が渡されましたが、神から敵が渡されるとは、つまり敵を容赦なく滅ぼせということだからです。ヨシュアたちがギブオンに着いた時は、もう既に5人の王たちの軍がギブオンに着いていたように思われます。何故なら、ここでは『イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺し』と書かれているからです。この時には『主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので』、イスラエルは容易く敵を打ち滅ぼすことができました。敵を『かき乱した』というのは、パニックや恐怖や混乱が敵に生じさせられたということです。敵はギブオンから西に10kmほど離れた『ベテ・ホロン』まで逃走しましたがイスラエルに追撃され、敵がそこから南に30kmほど離れた『マケダ』まで逃走してもまたイスラエルに追撃され、そこから南に5kmほど離れた『アゼカ』まで逃走してもやはりイスラエルに追撃されました。このように敵はギブオンから、まず西に逃げ、そうしてから南に逃げて行きました。その敵をイスラエル人はずっと追ったのですが、この追撃は非常に長い距離でした。

 イスラエルが敵を追撃している道中、神は敵の上に『大きな石を降らし』て敵が死ぬようにされました。その場所に雹を降らす濃い雲があったのかどうかは分かりません。しかし、とにかく神は雹を敵の上に降らせました。神は濃い雲がなくても雹を降らせることができる御方です。ユダヤ人が剣で殺した敵の数よりも、神が雹で殺した敵の数のほうが上回っていました(11節)。これは神の栄光が現われるためです。もし神が殺した敵の数よりもユダヤ人が殺した敵の数のほうが上回っていたとすれば、誰か不敬虔な愚物が「神の殺した数はユダヤ人の殺した数よりも少なかった。」と言いかねません。このように言われたら神の栄光が台無しになってしまうのです。神の栄光は絶対に守られねばなりませんから、神はユダヤ人よりも多くの敵を殺されたのでした。この時に降って来た雹が敵だけを打ち殺したのは言うまでもありません。神は敵だけを殺すよう上手に雹を降らせ、ユダヤ人も雹に当たらないよう上手に進んでいたはずです。このようにして神はユダヤ人を率いて忌まわしい敵どもが打ち滅ぼされるようにされました。これは輝かしく非常に素晴らしい出来事です。

【10:12~14】
『主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。』
 この箇所は非常によく知られた箇所です。物理学者たちもこの箇所に興味を示します。ホーキングはある本でこの箇所に言及していました。この箇所は重要です。この箇所では、神がヨシュアたちのため『日』すなわち太陽を『まる一日ほど』上空に留められたという誠に驚くべき、そして非常に素晴らしい奇跡が書かれています。まず、キリスト者である私たちはこの奇跡を問答無用に信じなければなりません。何故なら、『みことばのすべてはまこと』(詩篇119:160)だからです。もしここで書かれている御言葉を信じなければ、その人は『まこと』である御言葉を信じなかったのですから、主の御前に偽り者です。主の御前に偽りである者はキリスト者ではありません。この箇所の記述は、科学的な見方をすれば、この時代で当たり前の天体観であった天動説に基づいています。何故なら、この箇所では太陽が移動していると書かれているからです。地動説であればこうは書きません。地動説は「いや、太陽が地球の上を移動しているのではなく、地球が自転しているから太陽が移動しているように見えるだけだ。」と言います。ヨシュアは当時の他の人たちと同じで天動説論者だった可能性が高い。そうでなければ、ここで太陽が動いているかのようには言っていなかったはずです。言い方や当時の常識的な天体観(天動説)はさておき、この箇所で言われている出来事そのものを考えるとどうでしょうか。この箇所で言われているのは、つまり地球の自転が1日ほど停止したということです。自転の停止は昼頃でしたから(12節)、次の日の昼まで地球の自転は停止したままでした。このため、ヨシュアたちの頭上にずっと太陽があったわけです。自転が停止したというこの現象そのものについて言えば、神を信じる私たち信仰者にとっては全く問題になりません。何故なら、『神にとって不可能なことはひとつもありません』(ルカ1章37節)から。真のキリスト者は神の全能を信じます。問題となるのは神がどのような仕方で自転を止められたかという点です。神が地球の自転を止められたのは「徐々に」だったと考えなければなりません。もし時速1700kmの速さで自転している地球が急に自転を止めたとすれば、地球にいる人間は全て吹き飛ばされてしまうだろうからです。しかし、ゆっくりと自転が止まるに至れば、人間はそのままの状態でいられるでしょう。これはちょうどオープンカーに乗っている人と同じです。時速777kmで走っているオープンカーが急に停止すれば、乗っている人は全て放り出されてしまうでしょう(シートベルトを付けていないとして)。しかし、徐々に速度を落として0kmになるのであれば、乗っている人は乗ったままでいられます。また、これは地球の自転が止まってから再び自転し始める場合も同様でした。つまり、「徐々に」自転が再会されて元通りの自転速度にまで戻ったのです。もし急に自転速度が元の状態に戻れば、地球にいる人間が全て吹き飛ばされただろうからです。停止しているオープンカーが急に時速777kmまで加速したとすれば、その車に乗っているシートベルトを付けていない人が全て車外に放り出されてしまうのと同じです。この箇所で『アヤロンの谷』と言われているのは、敵どもが逃げた『ベテ・ホロン』(ヨシュア記10章10節)の西側に広がる場所です。ヨシュアたちから見てこの谷の方角に『月』がありました。太陽は『ギブオンの上』にありました。

 神がイスラエル人のためこのようにされたのは、『先にもあとにも』ありませんでした。これからもこういう奇跡は行なわれないと思われます。というのも、神が奇跡を行なわれるのは御自分の啓示を確証させるためだけだからです。啓示の時代は紀元1世紀で終わりました。ですから、これからはもうこういった奇跡は起こらないはずです。また、神がこのように大いなる奇跡を行なわれたのは、この時の戦いがいかに重要だったか示しています。神の民ユダヤは敵どもに必ず打ち勝つべきでした。またイスラエルと同盟を結んだギブオン人たちは必ず助けられるべきでした。そして、邪悪な敵どもは徹底的に打ち滅ぼされるべきでした。ですから、神は全てが完全に遂行されるよう、太陽をヨシュアたちの頭上に留め続けて下さったのです。もし太陽が沈んで暗くなれば事を不十分にしか行なえなくなりますから。

 13節目ではこの奇跡が『ヤシャルの書にしるされている』と書かれていますが、この文書は既に失われてしまいました。恐らく、この文書にはこの時の奇跡が詳しく記録されていたのだろうと推測されます。しかし、神はこの書が世に残されるのを望まれませんでした。このように滅びてしまった文書は古代において珍しくありません。もし神がこの文書の存続を望まれたら、今でもこの文書は残っていたでしょう。もっとも、これからこの文書がどこかで発見される可能性もないわけではありません。もしこれからこの文書が見つかったとすれば、それは驚くべきニュースとなるでしょうが、この場合、この文書を神が人間のため明かして下さったことになります。しかし、この『ヤシャルの書』が失われたのはいつ頃なのでしょうか。13節目から考えると、ヨシュア記が書かれた時代にはまだ残っていたと考えられます。何故なら、『これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。』という文章は、明らかにこの文書が閲覧可能な一般的文書だったことを示唆しているからです。ですから、ヤシャルの書が失われたのはヨシュア記が書かれた時代以降だったと思われます。また、この文書はⅡサムエル記1:18の箇所でも言及されています。

 12節目で『主に語り』と言われているのは、つまり「主に祈って語りかけた」という意味です。また、13節目でイスラエルが『敵に復讐する』と言われているのは、敵がイスラエルの奴隷となったギブオン人たちを滅ぼそうとしたからです。奴隷とはアリストテレスも言った通り<生きた道具>であり(「ニコマコス倫理学」)、主人に属する主人の所有物です。その奴隷を滅ぼそうとしたのは、奴隷の主人であるイスラエルへの間接的な攻撃となります。敵は主人であるイスラエルに属する部分としての奴隷を攻撃するからです。このため、イスラエルは敵に復讐することになったのです。

【10:15】
『ヨシュアは、全イスラエルを率いてギルガルの陣営に引き揚げた。』
 ヨシュアは一通り敵を打ち倒すと、ベテ・ホロンとギブオンから見て東にあり、マケダとアゼカから見て北東にあるギルガルの陣営に戻りました。神が敵に報復して下さったからです。この時に生じたイスラエル戦士たちの死者数は何も書かれていません。しかし、神がイスラエルを守られたことは間違いありませんから、イスラエル側に戦死者は出なかったはずです。ギブオン人の犠牲者についても、ここでは何も書かれていません。

【10:16~21】
『これらの五人の王たちは逃げて、マケダのほら穴に隠れた。その後、マケダのほら穴に隠れている五人の王たちが見つかったという知らせがヨシュアにはいった。そこでヨシュアは言った。「ほら穴の口に大きな石をころがし、そのそばに人を置いて、彼らを見張りなさい。しかしあなたがたはそこにとどまってはならない。敵のあとを追い、彼らのしんがりを攻撃しなさい。彼らの町にはいらせてはならない。あなたがたの神、主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ。」ヨシュアとイスラエル人は、非常に激しく打って、彼らを絶ち滅ぼし、ついに全滅させた。彼らのうちの生き残った者たちは、城壁のある町々に逃げ込んだ。そこで民はみな無事にマケダの陣営のヨシュアのもとに引き上げたが、イスラエル人に向かってののしる者はだれもなかった。』
 古代の戦争で最も良く生き残ったのは王でした。王は最も重要な存在なので、最強の部隊である親衛隊や騎兵長官(これは軍隊のナンバー2でした)が近くにおり、王の命が危なくなれば兵士たちがすぐさま命懸けで助けに来るからです。これは将棋で王将が最も取られにくいのと同じです。この戦争の時もやはりそうでした。無数の兵士たちが滅ぼされた中、5人の王たちだけは、恐らく親衛隊や側近も一緒だったと思われますが、逃げて生き延びました。この5人の王たちは『マケダのほら穴』に逃げ隠れます。ダビデもサウルから逃げている際、ほら穴に隠れました(Ⅰサムエル記24:3)。カルヴァンも迫害から逃れた際は岩穴に入り、そこで礼拝をしていました。危機的状況のため逃れる際はほら穴に入るというのが人間の自然な心理なのです。何故なら、ほら穴であれば誰かがやって来る可能性は低いと思えるからです。確かにほら穴であれば捜す敵たちも大変でしょう。しかし、隠れている存在は見つかってしまうものですから、この王たちもやはり見つけられ、ヨシュアにその隠れ場所が報告されてしまいます(17節)。ヨシュアはそのほら穴を大きな石で封じよと命じます。これはこの王たちを殺すため、ひとまず逃げられないようにすべきだからでした。

 大きな石で穴を封じておけば見張りは少人数で十分ですから、ヨシュアは少しの見張り人以外は敵を追撃して滅ぼせと命じます。神が敵をユダヤ人に渡された以上、その敵はことごとく滅ぼされねばならないからです。そして、ヨシュアの命令通り追撃したユダヤ人は、遂に敵どもを全滅させました。神が敵どもに対する勝利をイスラエル人に与えて下さったのです。この時、ヨシュアはギルガルから南西にあるマケダまで行き、そこに陣営を張っていました。敵に打ち勝った兵士たちはこのヨシュアがいるマケダの陣営まで引き揚げます。この時に民の中で『イスラエル人に向かってののしる者はだれもなかった』とここでは書かれています。これは全てが問題なく遂行されていたことを示しています。

【10:22~27】
『その後、ヨシュアは言った。「ほら穴の口を開いて、ほら穴からあの五人の王たちを私のもとに引き出して来なさい。」彼らはそのとおりにして、ほら穴からあの五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王を彼のもとに引き出して来た。彼らがその王たちをヨシュアのもとに引き出して来たとき、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、自分といっしょに行った戦士たちを率いた人たちに言った。「近寄って、この王たちの首に足をかけなさい。」そこで彼らは近寄り、その王たちの首に足をかけた。ヨシュアは彼らに言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」このようにして後、ヨシュアは彼らを打って死なせ、彼らを五本の木にかけ、夕方まで木にかけておいた。日の入るころになって、ヨシュアは彼らを木から降ろすように命じ、彼らが隠れていたほら穴の中に投げ込み、ほら穴の口に大きな石を置かせた。今日もそうである。』
 ヨシュアは忌まわしい敵の王どもをほら穴から引き出すと、この王どもを戦士たちの指揮官たちの足の下にかけさせ、そうしてから処刑させました。処刑の方法が何であったかは分かりません。ヨシュアが指揮官たちの足の下に王をかけさせたのは、指揮官たちが今後もこのようにカナンの王たちを足蹴にできると示すためであり、そのことにより指揮官たちを強めるためでした(25節)。これは実に象徴的です。実際、神はこれからもユダヤ人の指揮官たちがカナンの王たちを足蹴にできるよう働きかけて下さいました。処刑されたこの王どもは、呪われていたことを示すため、アイの王と同じで木に架けられました(ヨシュア記8:29)。しかし、その地が死体により汚されてはいけませんから、この王たちの死体は当日中に取り降ろされました。そして、ヨシュアは王の死体を彼らが隠れていたほら穴に投げ込んでそこを石で封印しましたが、これは見せしめにするためでした。この石はヨシュア記の書かれた時代でも確認することができました(27節)。神が、呪いの印とするため、その石をそのままの状態でそこにずっと残しておかれたのです。ところで、この5人の王たちはほら穴がイスラエル人により石で封じられた時に、もう駄目だと諦めて自殺することがありませんでした。ヒトラーはこのような時に自殺しています。

【10:28】
『その日、ヨシュアはマケダを攻め取り、剣の刃で、この地とその王とを打った。彼は、この地とその中にいたすべての者を聖絶し、ひとりも生き残る者がないようにした。彼はエリコの王にしたように、マケダの王にもした。』
 ヨシュアたちは王たちの逃げたマケダを攻め、神がそこもイスラエルに渡しておられたので、マケダの全てを聖絶します。これはマケダの人々が偶像崇拝をはじめとした当然裁かれるべき諸々の罪に陥っていたからです。もちろんイスラエル人も罪と無縁ではありませんでしたが、カナン人ほど酷く罪に染まっていたというわけではありません。ですから、神はより罪深いカナン人をカナン人よりは罪深くないユダヤ人に蹂躙させ殲滅させられたのでした。

【10:29~30】
『ヨシュアは全イスラエルを率いて、マケダからリブナに進み、リブナと戦った。主が、その地も、その王も、イスラエルの手に渡されたので、彼は、この地とその中のすべての者を、剣の刃で打ち、その中にひとりも生き残る者がないようにした。彼はエリコの王にしたように、その王にもした。』
 イスラエルはマケダから10kmほど西に離れた『リブナ』を占領し、神によりまたもやその領地を拡大させました。これからもイスラエルはカナンに自分たちの領地を拡大させていきます。このようにカナンの地をイスラエルに与えられた神が崇められ賛美されますように。アーメン。

【10:31~33】
『ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、リブナからラキシュに進み、それに向かって陣を敷き、それと戦った。主がラキシュをイスラエルの手に渡されたので、彼は二日目にそれを取り、それと、その中のすべての者を、剣の刃で打った。すべてリブナにしたとおりであった。そのとき、ゲゼルの王ホラムが、ラキシュを助けるために上って来たので、ヨシュアは、彼とその民を打ち、ひとりも生き残る者のないまでにした。』
 続いてイスラエルはリブナから20kmほど南に離れた『ラキシュ』を、そこも神がイスラエルの手に渡されましたから、ことごとく聖絶しました。マケダは1日の間に攻略されました(ヨシュア記10:28)。続いて占領するエグロンもそうです(ヨシュア記10:35)。しかし、このラキシュは『二日目にそれを取り』ました。どうしてラキシュ攻略には二日かかったのでしょうか。それはラキシュから40kmほど北に離れた『ゲゼルの王ホラム』が軍隊を率いてラキシュの救援に来たからです(33節)。しかし、ゲゼル王の努力も虚しく終わり、救援に来たこの王とその軍隊はイスラエルに滅ぼされました。神がゲゼル人をもイスラエルの手に渡されたからです。

【10:34~35】
『ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、ラキシュからエグロンに進み、それに向かって陣を敷き、それと戦った。彼らはその日それを取り、剣の刃でそれを打ち、その日、その中のすべての者を聖絶した。すべてラキシュにしたとおりであった。』
 続いてイスラエルはラキシュから20kmほど西に離れた『エグロン』を神の恵みにより聖絶し占領します。エグロン占領は、先のラキシュのように2日要するということはありませんでした。

【10:36~37】
『ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、エグロンからヘブロンに上り、彼らはそれと戦った。彼らは、それを取り、それとその王、およびそのすべての町々とその中のすべての者を、剣の刃で打ち、ひとりも生き残る者がないようにした。すべてエグロンにしたとおりであった。彼は、それとその中のすべての者を聖絶した。』
 次はエグロンから50kmほど東に離れた『ヘブロン』が占領されました。先に占領したエグロンは地中海の近くにありますが、このヘブロンは死海の近くにあります。

【10:38~39】
『ヨシュアは全イスラエルを率いて、デビルに引き返し、これと戦った。そして彼は、その地とその王、およびその中のすべての町々を取り、剣の刃でこれらを打ち、その中のすべての者を聖絶し、ひとりも生き残る者がないようにした。彼がデビルとその王にしたことは、ヘブロンにしたとおりであり、またリブナとその王にしたとおりであった。』
 続いてヨシュアたちはヘブロンから30kmほど南西に離れた『デビル』へと『引き返し』、この町を神により聖絶し占領しました。このデビルは、先に見たラキシュとは異なり占領までの日数が何も書かれていませんから、マケダやエグロンと同じように1日で占領が完了したのでしょう。ラキシュ占領の時のように邪魔者が入らなければイスラエルは当日中に占領できたのです。

【10:40】
『こうして、ヨシュアはその全土、すなわち山地、ネゲブ、低地、傾斜地、そのすべての王たちを打ち、ひとりも生き残る者がないようにし、息のあるものはみな聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。』
 こうしてヨシュア率いるイスラエルは、この辺りの地域を神において聖絶し占領しました。このように出来たのは、前から神がこの地をイスラエルに与えると約束しておられた通りでした。このようにして神の語られた約束に偽りはなかったことが明らかとなりました。ですから、聖書は次のように言っているのです。『主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。』(ルカ1章45節)ここまでにイスラエルが攻め取った場所は、山地があれば低地もありました。そこは自然が豊かです。エリコの辺りにはバルサム樹が多く生えています。イスラエルが攻め取った地域はエジプトなどと全然違います。それゆえ、ここは『乳と蜜の流れる地』と言い表されたのでした。

【10:41~43】
『ヨシュアは、また、カデシュ・バルネアからガザまで、およびゴシェンの全土をギブオンに至るまで打った。ヨシュアはこれらすべての王たちとその地とをいちどきに攻め取った。イスラエルの神、主が、イスラエルのために戦われたからである。それで、ヨシュアは全イスラエルを率いて、ギルガルの陣営に引き揚げた。』
 ヨシュアが打ち取ったのは『カデシュ・バルネアからガザまで』でした。『カデシュ・バルネア』とはシナイ半島のやや北にあり、約40年前に不信仰な世代がそこからカナン偵察へと出発した場所です(民数記13章)。『ガザ』とは地中海に面した沿岸沿いの場所であり、最近でもよくニュースで報道されることの多い場所です。またヨシュアは『ゴシェンの全土をギブオンに至るまで打』ちました。『ゴシェン』とはかつてイスラエル人がエジプトで住んでいた場所であり、『ギブオン』は既に見た通りヨルダン川から西に40kmほど離れた場所にあります。ゴシェンからギブオンに至る地域一帯を征服したというのは、その広さから考えると、非常に大きな事業です。この征服は『いちどき』に成し遂げられました。イスラエル人は手間取ることが一切ありませんでした。それは『イスラエルの神、主が、イスラエルのために戦われたから』でした。こうしてヨシュアはこの辺りを征服すると、ギルガルの陣営へと帰還します。このギルガルの陣営にヨシュアは戦いが終わる毎に帰りましたが、ここは当時のイスラエルにおける首都のような場所だったと見做してよいでしょう。

【11:1~5】
『ハツォルの王ヤビンは、このことを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、アクシャフの王、また北方の山地、キネレテの南のアラバ、低地、西方のドルの高地にいる王たち、すなわち、東西のカナン人、エモリ人、ヘテ人、ペリジ人、山地のエブス人、ミツパの地にあるヘルモンのふもとのヒビ人に使いをやった。それで彼らは、その全陣営を率いて出て来た。その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった。これらの王たちはみな、相集まり、進んで来て、イスラエルと戦うために、メロムの水のあたりに一つになって陣を敷いた。』
 こうしてヨシュア率いるイスラエルは、カナンの南半分を神の素晴らしい恵みにより征服しました。しかし、北半分はまだです。これからカナンの北も征服されねばなりません。ところが、ヨシュアたちが北に攻め入る前に、その北にいるカナンの諸民族が自分たちから先んじてヨシュアたちに対し陣を構えてきました。ところで、どうしてイスラエルはまず最初にカナンで南の半分を征服したのでしょうか。これは恐らくエジプトとの関連があったからだと推測されます。もし南を先に征服しておけば、イスラエルが南を征服してから北を征服する際に、エジプトがカナンの南にいる諸民族と結託して北にいるイスラエルを煩わすこともなくなります。しかし、先に北を征服しようとしたのであれば、北を征服中に、まだ征服していない南にいる諸民族がエジプトと結託して北にいるイスラエルを倒しに向かって来るということも起こり得ます。これはあくまでも推測に過ぎませんが、この推測が当たっていたとすれば、確かに南のほうを先に征服すべきだったことになります。さて、『ハツォルの王ヤビン』はイスラエルがカナンの南にある地域を征服したと聞いて、このイスラエルを倒すべく周辺諸国に協力を求めます。『ハツォル』とはカナンの北にあり、そこはレバノン山の麓です。ハツォル王が協力を求めた『マドン』とは、キネレテの海のすぐ西側にある町です。『シムロン』はマドンから30kmほど南西に離れた町です。『アクシャフ』とはシムロンから25kmほど北に離れた町です。『キネレテの南のアラバ』とはキネレテの海の南にある場所です。『ドル』とは地中海の沿岸沿いにある町であり、エリヤの戦いで有名なカルメル山が近くにあります。『ミツパ』はギブオンのすぐ北にあります。これらの諸国が連合を組み、イスラエルと戦うため『全陣営を率いて出て来』きました。イスラエルが非常に大きな戦果を挙げていたので、皆一緒に全力で共闘しなければイスラエルには打ち勝てないと判断したわけです。彼らが陣を敷いた『メロムの水のあたり』とは、ハツォルのすぐ西側であり、そこはレバノン山の麓にあります。このメロムの場所を基点として敵どもはイスラエルに立ち向かおうというわけです。