【ヨシュア記11:6~17:18】(2022/05/08)


【11:6~9】
『主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするからだ。あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない。」そこで、ヨシュアは戦う民をみな率いて、メロムの水のあたりで、彼らを急襲し、彼らに襲いかかった。主が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは、彼らを打ち、大シドン、およびミスレフォテ・マイムまで追い、さらに東のほうでは、ミツパの谷まで彼らを追い、ひとりも生き残る者がないまでに彼らを打った。ヨシュアは、主が命じたとおりに彼らにして、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼いた。』
 メロムに集まった敵どもはイスラエルがことごとく滅ぼすので、神はヨシュアが恐れたりしないよう命じられます。敵が大軍勢であっても多くの戦車を持っていても、そんなことなど神にとっては何の問題でもありません。何故なら、神が敗北に定められた者たちは必ず敗北するからです。この時に敗北が定められていたのは敵どもでした。というのも敵の罪はもう満ちており裁かれる時が来ていたからでした(創世記15:16)。ヨシュアたちは敵を滅ぼす際、敵の『馬の足の筋を切り』馬が動けないようにすべきでした。これは敵に屈辱を与えるためです。何故なら、馬は戦争に役立つゆえ兵士たちにとって強さと自信の源となるからです。馬が生き生きと動けるのであれば兵士たちも生き生きできるでしょう。古代の戦争で騎兵ほど頼りになる存在はありませんでした。しかし、馬の足の筋が切られて動けなくなれば兵士たちはどれだけ惨めでしょうか。また、イスラエルは敵の戦車も火で焼いて使い物にならなくさせねばなりません。これもやはり敵に惨めさを与えるためです。燃えて使い物にならなくなった戦車を敵が呆然と眺めている状態。これほど惨めな光景があるでしょうか。こうしてイスラエルは兵士たちを『みな』動員させ、敵の大軍勢に立ち向かいます。この時に兵士たちが『みな』戦わなければならなかったのは、これが非常に大きな戦いだったからです。3000人しか動員させなかったアイ討伐の時のように敵を侮ることは決して許されませんでした。この時にイスラエルは敵に『急襲』しました。降伏を勧めたり講和を結ぼうとはしませんでした。これは敵どもが速やかに容赦なく滅ぼされなけれないけなかったからです。こうしてイスラエルは敵の大軍勢を打ち、殺されず西と北と東に逃げた敵については追撃して滅ぼしました。『大シドン』とはメロムから北に広がる場所です。『ミスレフォテ・マイム』とはメロムの西にあり、地中海の沿岸沿いにある場所です。『ミツパの谷』はメロムの東に位置しています。この時にヨシュアは神に命じられた通り敵の『馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼』きました。ここで私たちは、動けず藻掻いてばかりいるか死んでいる馬と火で焼かれた戦車が戦場に満ちている悲惨な光景を思い浮かべることが出来るでしょう。

【11:10~15】
『そのとき、ヨシュアは引き返して、ハツォルを攻め取り、その王を剣で打ち殺した。ハツォルは以前、これらすべての王国の首都だったからである。彼らは、その中のすべての者を剣の刃で打ち、彼らを聖絶した。息のあるものは、何も残さなかった。彼らはハツォルを火で焼いた。ヨシュアは、それらの王たちのすべての町々、および、そのすべての王たちを捕え、彼らを剣の刃で打ち殺し、聖絶した。主のしもべモーセが命じたとおりであった。ただしイスラエルは、丘の上に立っている町々は焼かなかった。ヨシュアが焼いたハツォルだけは例外である。これらの町々のすべての分捕り物と家畜とは、イスラエル人の戦利品として自分たちのものとした。ただし人間はみな、剣の刃で打ち殺し、彼らを一掃して、息のあるものはひとりも残さなかった。主がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりに行ない、主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かなかった。』
 こうしてヨシュアたちはハツォルに進み、ハツォルにいた王も一般民衆も全て打ち殺しました。また、ハツォルを火で焼き尽くしました。ここで言われているようにハツォルは『これらすべての王国の首都』でした。これは諸国を支配していた古代ローマと同じようだったと考えられます。古代ローマも諸国の首都でした。だからこそ、ハツォルは多くの国々を集めることができたのでしょう(ヨシュア記11:1~5)。そして、イスラエルは他の国々もハツォルと同じように王であれ一般民衆であれ殺して聖絶しました。しかし、火で焼かれたのはハツォルだけでした(13節)。これはハツォルこそ多くの国々を集めた張本人であり、他の国々よりも罪深さの度合いが大きかったからです。もしハツォルが呼びかけなければ他の国々はイスラエル討伐のため集まることなどなかったかもしれないのです。この時にイスラエルは敵の国にあった財物を戦利品として獲得しました(14節)。これは正しいことでした。何故なら、この時は神が戦利品の獲得を禁止しておられなかったからです。ヨシュアたちがこの時に占領した国は多くありましたから、獲得した戦利品も莫大な量になったと推測されます。

 この時にヨシュアは全てをしっかりと行ないました。すなわち、神がモーセを通してヨシュアに命じられた通りにヨシュアは行ないました(15節)。このようにヨシュアはイスラエルを指導するに相応しい御心に適った人物でした。一方、サウルはヨシュアのように神から命じられたことをしっかり行ないませんでした。このサウルは指導者として相応しくない御心に適わない人物でした。指導者はこのヨシュアのようでなければいけません。サウルのようになればサウルと同様の結末に陥ったとしても文句は言えません。ヨシュアのように神の命令を行なう御心に適った指導者とは一体誰でしょうか。

【11:16~17】
『こうして、ヨシュアはこの地のすべて、すなわち山地、ネゲブの全地域、ゴシェンの全土、低地、アラバ、およびイスラエルの山地と低地を取り、セイルへ上って行くハラク山から、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷にあるバアル・ガドまでを取った。』
 このようにしてヨシュアたちは、カナンの地域を一通り占領しました。これは神がそのようにさせて下さったからです。ヨシュアたちが自分自身の力や知恵でカナンを占領できたわけではありません。そうではなく神がカナンをヨシュアたちに占領させて下さったのです。というのも、あらゆる土地の所有権と配分権は神にあるからです。神はカナンを含め地球全土の所有権と配分権をお持ちですから、御心のままにある人またある人たちをある土地に住まわせ、またその逆にそこから追い出されたりされるのです。

【11:17~20】
『また、それらの王をことごとく捕えて、彼らを打って、殺した。ヨシュアは、これらすべての王たちと長い間戦った。ギブオンの住民ヒビ人を除いては、イスラエル人と和を講じた町は一つもなかった。彼らは戦って、すべてのものを取った。彼らの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたのは、主から出たことであり、それは主が彼らを容赦なく聖絶するためであった。まさに、主がモーセに命じたとおりに彼らを一掃するためであった。』
 ヨシュアたちは、カナンにいた多くの王たちも殺しました。王だからといって情けは与えられませんでした。むしろ、王こそ最も殺されねばなりませんでした。何故なら、王とは民衆の代表者であり、人体で言えば頭に当たるからです。肢体である民衆が殺されねばならないとすれば、頭である王は尚のこと殺されねばなりません。しかし、イスラエルは王たちと長く戦うことになりました(18節)。これは前述の通り、古代において王は最も殺されにくい存在だったからです。先に見た5人の王たちも、一般人が殺されている中、ほら穴に逃げて死を僅かばかりの間免れました(ヨシュア記10:16)。しかし、その王たちも最終的にはことごとく殺されました。ユダヤ人は征服した町にある財物をことごとく戦利品として獲得します(19節)。神がユダヤ人にそれらを与えて下さったのです。こうして神はユダヤがますます富むようにして下さいました。

 この時にイスラエルと和を結んだのはただ『ギブオンの住民ヒビ人』だけでした。それ以外の諸民族はイスラエルと仲良くしようとしませんでした。もしそれらの民族のどれかが、ギブオン人のように巧みなやり方でイスラエルと盟約を結んでいたとすれば、ギブオン人のように助かっていたかもしれません。何という愚かさでしょうか。助かるため神の民ユダヤと和を結ぼうとせず、滅びるため神の民ユダヤに敵対し続けたままでいたというのは。しかし、彼らがギブオン人のようにイスラエルと和を結ぼうとしなかったのは、神が彼らの滅びを定めておられたからでした。もし彼らのうち滅びに定められていない民族があれば、その民族はギブオン人のようにしていたはずです。ところが、ギブオン人以外の民族は滅びに定められていたので、そもそもイスラエルと和を結ぼうとしませんでしたし、もし和を結ぼうとしても失敗に終わり滅ぼされていたでしょう。このようにカナンの諸民族の中でギブオン人だけが救われました。このギブオン人もそうですが、神は往々にしてある集団のうちごく僅かな人また人たちだけを救われます。ナアマンやサレプタの寡婦女もこれの良い例です(ルカ4:25~27)。キリストが言われた通り、命に至る門に導かれて救われる者は少ないのです(マタイ7:14)。これは、神の救いに選ばれている人がいつの時代も数少ないからなのです。

 ギブオン人を除くカナン人が心を頑なにしイスラエルと戦って滅ぶようにさせたのは、『主から出たこと』でした。カナン人はイスラエルに敵対心を抱いていました。神は彼らの敵対心をそのままにしておくことも出来ますし、その敵対心を友愛心へと転じることも出来ます。もし敵の敵対心がそのままであればイスラエルと戦って滅ぶことになり、敵対心が消し去られたらギブオン人のように助かることにもなりました。つまり、カナン人の運命は神の働きかけにかかっていました。神はカナン人の敵対心がそのままに保たれるのを望まれました。それは敵がイスラエル人と戦って滅ぶことで、敵の地をイスラエル人に所有地として持たせるためだったのです。もしイスラエル人が敵の地を所有すべきではなかったとすれば、敵の敵対心は雪のように溶かされていたかもしれません。しかし、既に満ちていた敵の罪がイスラエル人を通して裁かれるため、神は敵の敵対心を消し去ろうとはなさいませんでした。神がカナン人にイスラエルへの敵対心を生じさせ、その敵対心により敵とイスラエルの戦いを実現させ、敵が滅ぼされてその所有する地を奪われるようにされたのでした。これは『すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至る』(ローマ11章36節)とパウロが言った通りのことです。

【11:21~23】
『そのとき、ヨシュアは行って、アナク人を、山地、ヘブロン、デビル、アナブ、ユダのすべての山地、イスラエルのすべての山地から断ち、彼らをその町々とともに聖絶した。それでイスラエル人の地には、アナク人がいなくなった。ただガザ、ガテ、アシュドデにわずかの者が残っていた。こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。』
 この時にイスラエルは『ガザ、ガテ、アシュドデ』を除いて、カナンにいたアナク人を聖絶して殺しました。この『アナク人』とは民数記13章の箇所から分かる通り、背の高い巨人の民族でした。『ガザ』は既に説明済みですが、『ガテ』とはガザから40kmほど北東に離れた場所であり、『アシュドデ』とはガザから40kmほど北に離れた場所にあります。『デビル』とはヘブロンから30kmほど西に離れた場所にあり、『アナブ』とはヘブロンから30kmほど南西に離れた場所にあります。このアナク人たちは、エドム人のように山をその住まいとしていました。彼らが『ガザ、ガテ、アシュドデ』に僅かばかり残されたのは、何事にでもよくあるように、単に滅ぼしきれなかったからだと考えられます。多くの事柄において100%隅々まで全てをやり遂げるというのはなかなか難しいものです。家の掃除でも全てを隈なく綺麗にしたつもりでも、どこかに少しぐらいはホコリや蜘蛛の糸が残っていたりするものです。このアナク人は40年前のイスラエル人たちを臆病にさせる元凶となった者どもです。ですから、このアナク人たちは実に忌まわしい者どもでした。

 このようにしてヨシュアたちはカナンの地の全体を神の恵みにより占領しましたから、『その地に戦争はや』みました。そして、ヨシュアはその占領した地を、部族ごとに相続地としてイスラエル人に分け与えます。この配分の出来事は後ほどまた書かれることになります。

【12:1】
『イスラエル人は、ヨルダン川の向こう側、日の上る方で、アルノン川からヘルモン山まで、それと東アラバの全部を打ち、それを占領したが、その地の王たちは次のとおりである。』
 イスラエルがヨルダン川の東側で行なった占領の事績について書かれています(6節目まで)。ヨルダン川の西側で行なった占領の事績は12:7の箇所から書かれています(24節目まで)。『日の上る方』とは東ですから、ヨルダン川の東のことを言っています。『アルノン川』とは死海の東にあり、ネボ山から40kmほど南に離れています。『ヘルモン山』とはカナンの最北部にあり、レバノン山が近くにあります。イスラエルがまずヨルダン川の東を占領したのは、進路の都合上、普通に考えてそうなるからです。東京から車で旅に出るならば、名古屋を通って大阪に至るのであり、名古屋より大阪が先になることはありません。それと同じことです。

【12:2~6】
『エモリ人の王シホン。彼はヘシュボンに住み、アルノン川の縁にあるアロエル、川の中部とギルアデの半分、アモン人の国境のヤボク川までを支配していた。またアラバを、東のキネレテ湖までと、東のアラバの海、すなわち塩の海、ベテ・ハエシモテの道まで、南はピスガの傾斜地のふもとまで支配していた。また、レファイムの生き残りのひとりであったバシャンの王オグの領土。彼は、アシュタロテとエデレイに住み、ヘルモン山、サルカ、ゲシュル人とマアカ人の国境に至るバシャンの全土、およびギルアデの半分、ヘシュボンの王シホンの国境までを支配していた。主のしもべモーセとイスラエル人とは彼らを打った。主のしもべモーセは、ルベン人と、ガド人と、マナセの半部族に、これらを所有地として与えた。』
 まずイスラエルが最初に占領したのは、シホン王の支配するヘシュボンの地域でした。シホンは死海の北東から東に広がる部分を支配していました。『アロエル』とはアルノン川の中央辺りの北側にある場所です。シホンはギルアデの南半分を支配していましたが、このギルアデとは死海の北東に広がる大きな場所です。『ヤボク川』とはギルアデの中央部分を東西に流れる長い川です。『キネレテ湖』とは死海にまで流れを注いでいるカナン北部にある湖です。『塩の海』は死海です。『ベテ・ハエシモテ』とはヨルダン川の水が死海に注いでいる入口のすぐ東側にある場所です。『ピスガ』とはモーセが死んだネボ山の山頂部分です。

 次に占領したのはオグ王の支配するバシャンの地域でした。『アシュタロテ』とはバシャンの首都であり、キネレテ湖から40kmほど東に離れています。『エデレイ』もアシュタロテと同じでオグ王の住まいでした。このオグ王はギルアデの北半分を支配していました。バシャンはその南の国境がヘシュボンの北の国境と接していました。

 このヘシュボンとバシャンの国を占領してから、イスラエル人はそこを自分たちの所有地としました。すなわち、ギルアデの北半分を『マナセの半部族』が、ギルアデの南半分を『ガド人』が、シホンの支配する国の南半分を『ルベン人』が相続地としました。こられの地域は非常に緑が豊かでしたが、そのため家畜を多く所有していたガド人とルベン人はそこを所有地として求めたのでした(民数記32:1~5)。しかし、これらの地域は周辺にいるアモン人、モアブ人、ミデヤン人から侵入される危険があり、実際に士師時代にはこれらの外敵が侵入してきました。

【12:7】
『ヨシュアとイスラエル人とがヨルダン川のこちら側、西のほうで、レバノンの谷にあるバアル・ガドから、セイルへ上って行くハラク山までの地で打った王たちは、次のとおりである。―ヨシュアはこの地をイスラエルの部族に、所有地、その割り当ての地として与えた。―』
 続いてイスラエル人がヨルダン川の西側で行なった占領の事績について書かれています。40年前は南から北に進んでカナンの占領が行なわれるはずでした。しかし、それは御心ではありませんでした。東から西に進んで占領するというのが御心でした。これは太陽の進む方向および聖所の入り方と同様です。

 この箇所で書かれている通り、ヨルダンの西側はヨシュアがイスラエル人に割り当て地として与えました。これに対し、ヨルダンの東側はモーセがイスラエル人に分け与えました(ヨシュア記12:6)。

【12:8~24】
『これらは、山地、低地、アラバ、傾斜地、荒野、およびネゲブにおり、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人であった。エリコの王ひとり。ベテルのそばのアイの王ひとり。エルサレムの王ひとり、ヘブロンの王ひとり。ヤルムテの王ひとり。ラキシュの王ひとり。エグロンの王ひとり。ゲゼルの王ひとり。デビルの王ひとり。ゲデルの王ひとり。ホルマの王ひとり。アラデの王ひとり。リブナの王ひとり。アドラムの王ひとり。マケダの王ひとり。ベテルの王ひとり。タプアハの王ひとり。ヘフェルの王ひとり。アフェクの王ひとり。シャロンの王ひとり。マドンの王ひとり。ハツォルの王ひとり。シムロン・メロンの王ひとり。アクシャフの王ひとり。タナクの王ひとり。メギドの王ひとり。ケデシュの王ひとり。カルメルのヨクネアムの王ひとり。ドルの高地にいるドルの王ひとり。ギルガルのゴイムの王ひとり。ティルツァの王ひとり。合計三十一人である。』
 ここまでにイスラエルが占領したカナンの地は山があれば低地もあり荒野もありました。そこに前からカナン人たちが住まわされていたのは、やがてそこに住むユダヤ人のため地を整えておくべきだったからです。ずっと住んでいない家が傷んでしまうのと同じで、カナンの地もユダヤ人が住む前に誰も住んでいなければ荒れてしまいます。ですから、神はカナンの地を無人のままにさせておかなかったのです。もし無人であったとすれば、ユダヤ人が入植する時には地が荒れ放題だったでしょうから、入植してすぐに快適な生活を営むのは難しかったでしょう。しかし、そこにはカナン人が住んでいましたから、ユダヤ人は入植してから大変な思いをせずに済みました。こういうわけですから、カナン人がそこに前から住んでいたのはユダヤ人に対する神の恵みだったのです。

 最初に占領したのは『エリコ』でした。エリコはヨルダンを越えてすぐの場所にあるからです。2番目に占領したのはエリコから20kmほど西に離れた『アイ』です。アイのすぐ西側には『ベテル』があります。後にユダヤの首都となる『エルサレム』は3番目に占領されました。『ヘブロン』はエルサレムから40kmほど南に離れています。ヘブロンの王はエルサレム王と協力してユダヤを打ち倒そうとしました(ヨシュア記10:3~4)。『ヤルムテ』はエルサレムから30kmほど南西に離れています。ヤルムテの王もエルサレム王の要請に応じました。『ラキシュ』はエルサレムから50kmほど南西に離れています。ラキシュの王もエルサレムと協力しました。『エグロン』はエルサレムから60kmほど南西に離れています。このエグロンにいた王もエルサレム王と一緒にユダヤを滅ぼそうとしました。『ゲゼル』は月がその上に留まったアヤロンの谷の近くにあります。このゲゼルはイスラエルからラキシュを守ろうと救援に来ましたが滅ぼされました(ヨシュア記10:33)。『デビル』とはヘブロンから30kmほど南西に離れた場所です。この地名また国名を読んで悪魔(=デビル)を思い浮かべる必要は全くありません。『ホルマ』はエルサレムから南に60kmほど離れています。『アラデ』はホルマの北東にあります。この国はかなり前にイスラエル人が聖絶していました(民数記21:1~3)。『リブナ』はあの5人の王たちが逃げ込んだマケダの西近くにあります。『アドラム』はエルサレムから30km南西の場所にあります。5人の王が逃げた『マケダ』はエルサレムから西に30kmほど離れています。『ベテル』は既に述べた通りアイの近くにあります。『タプアハ』はゲリジム山の南にあります。この辺から記述される場所が北のほうになっていきます。『ヘフェル』はキネレテ湖の西にあり、その近くにはタボル山があります。『アフェク』はカルメル山の北にある場所です。『シャロン』とは地中海に接した場所に広がる平原です。『マドン』はキネレテ湖のすぐ西にあります。『ハツォル』はカナンの最も北側のほうにあります。既に見た通りこのハツォルは周辺諸国のリーダー格でした。『シムロン・メロン』はカルメル山の東にある場所です。『アクシャフ』はカルメル山の北にあり、そのすぐ南にはアフェクがあります。『タナク』はシャロンの平原にあります。『メギド』はタナクのすぐ北にあり、古代では戦場として有名な場所でした。メギドのヘブル語がハルマゲドンであり、これは黙示録にも出て来ますが(黙示録16:16)、ここではこれについて詳しく取り扱うことをしません。この地名は、今でもファンタジー作品で名称として使われるほどよく知られています。『ケデシュ』はハツォルの北にあります。22節目で言われている『カルメル』とはカルメル山の場所であり、カナンの南また死海の西にあるカルメルとは別の場所です。『ドル』はカルメル山の南にある地中海に面した場所であり、そこには『高地』がありました。23節目ではイスラエルの宿営地であった『ギルガル』にも打ち殺された王がいたと示されています。『ティルツァ』とはエバル山の北側にある場所です。このティルツァは雅歌6:4の箇所で美しさを示すために言及されています。つまり、この場所は非常に良い景観でした。

 ここまでイスラエル人に打ち殺された王は『合計三十一人』(24節)でしたが、この「31」という数字に何か象徴的な意味は含まれているのでしょうか。これは何も象徴的な意味がないと思われます。分解することもできないでしょう。15.5かける2と分解することは正しくありません。何故なら、「15.5」とは聖書で何の意味も持っていないからです。この「31」という数字に何か意味があるとすれば、その可能性は一つであり「1か月」(=31日)です。しかし、この可能性はほとんど0%に近いでしょう。何故なら、イスラエル人に殺された31人の王と1か月(31日)がどのように関連しているのでしょうか。この王たちが1か月の間に殺されたことを示していると考えることはできません。というのも、これらの王がいたカナンの広大な地を考えるならば31日間で全て殺し終えたというのは不可能に近いと分かりますし、ヨシュア記11:18の箇所ではヨシュアが王たちと『長い間戦った』と書かれているからです。31日で全て殺せたのであれば『長い間戦った』とは言われていなかったでしょう。聖書の他の箇所でもこの「31」は象徴数また象徴を含んだ実際数として書かれていません。「30」や「33」であれば象徴性を含んでいますが、「31」はそうではありません。それゆえ、この31人という死者数に象徴的な意味はないとすべきです。それにしても、31人もの王を討ち取るというのは凄まじいことです。一つの民族がこれほどまでの王を一挙に討ち取ったというのは、他に例がないと思われます。古代ローマは多くの国を占領しましたが、それでも王を殺すことまではしませんでした。しかも、イスラエル人はこれからもまだ生き残っているカナンの王を討ち取ることになります。これはイスラエル人がカナンの地を所有するためでした。そのため神は多くの王たちをユダヤ人のために消し去って下さったのです。神がこうして下さったことを私は喜び感謝したいと思います。その恵みはとこしえまで。

【13:1】
『ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。』
 ヨシュアも万人の運命である老いから逃れることはできず、古代で「第二の幼年期」とよく言われた老齢に入っていました。ここまでヨシュアはよくやっていました。彼は神の命令通り、恐れないで勇敢に歩んでいたはずです。しかし、ここで神が言っておられる通り、ヨシュアはまだカナンで占領していない場所を多く残していました。これはヨシュアが臆病または怠惰だったからではありません。そうではなく、カナンの地が非常に広大だったので、全ての場所を占領するためには時間がまだまだ必要だったからです。これは仕方ありませんから、ヨシュアに非は全くありません。ですから、神もここでまだ未占領の場所が残っていることについてヨシュアを非難されませんでした。

【13:2~6】
『その残っている地は次のとおりである。ペリシテ人の全地域、ゲシュル人の全土、エジプトの東のシホルから、北方のカナン人のものとみなされているエクロンの国境まで、ペリシテ人の五人の領主、ガザ人、アシュドデ人、アシュケロン人、ガテ人、エクロン人の地、それに南のアビム人の地、カナン人の全土、シドン人のメアラからエモリ人の国境のアフェクまでの地。また、ヘルモン山のふもとのバアル・ガドから、レボ・ハマテまでのゲバル人の地、およびレバノンの東側全部。レバノンからミスレフォテ・マイムまでの山地のすべての住民、すなわちシドン人の全部。』
 イスラエル人は、地中海の沿岸沿いにいる『ペリシテ人の全地域』をまだ占領していませんでした。このペリシテ人は「パレスチナ」という言葉の元になった民族です。『エクロン』はアヤロンの南にある場所です。『アシュドデ』と『アシュケロン』とはガザの北側にある地中海の沿岸沿いの場所です。『ガテ』はガザから40kmほど北東に離れています。レバノン山の麓にある『バアル・ガド』という場所は、イスラエルのガド族と関わりがあるわけではありません。『レボ・ハマテ』はキネレテ湖の西にあります。カナンの最北部にある『シドン』の場所も未占領でした。

【13:6~7】
『わたしは彼らをイスラエル人の前から追い払おう。わたしが命じたとおりに、ただあなたはその地をイスラエルに相続地としてくじで分けよ。今、あなたはこの地を、九つの部族と、マナセの半部族とに、相続地として割り当てよ。」』
 これら未占領だった地域もこれから神が占領させて下さるとここでは言われています。それらの地もイスラエル人の地として定められている以上、神はそこを必ず占領させて下さいますし、実際に占領させて下さいました。このように神から言われたヨシュアは元気を持ったと思われます。何故なら、神がまだ占領していない地から敵を追い払い、そこをイスラエル人に与えて下さると約束して下さったからです。

 これまでに占領したカナンの地を、これからヨシュアは籤でイスラエルの9部族と半部族に割り当てなければなりません。籤で割り当て地を決めるのは、すなわち神の決定に委ねることです。ですから、イスラエル人は自分たちに割り当てられた場所を嫌がったり、他の場所に取り換えてほしいなどと要求することはできませんでした。籤における神の決定は最善であって、最善であるゆえ文句を言うべきではないからです。

【13:8~13】
『マナセの半部族とともにルベン人とガド人とは、ヨルダン川の向こう側、東のほうで、モーセが彼らに与えた相続地を取っていた。主のしもべモーセが彼らに与えたとおりである。アルノン川の縁にあるアロエルと、その谷の中にある町からディボンまでのメデバの全台地。ヘシュボンを治めていたエモリ人の王シホンの、アモン人の国境までのすべての町々。ギルアデと、ゲシュル人、ならびにマアカ人の領土、ヘルモン山の全部、サルカまでのバシャンの全部。アシュタロテとエデレイを治めていたバシャンのオグの全王国。オグはレファイムの生き残りであった。モーセはこれらを打って、追い払った。しかし、イスラエル人は、ゲシュル人とマアカ人とを追い払わなかったので、ゲシュルとマアカとは、イスラエルの中に住んだ。今日もそうである。』
 ルベン族とガド族とマナセの半部族は既にヨルダン川の東側で相続地を取っていましたから、ヨルダン川の西側で相続地は割り振られませんでした。この時に彼らはヨルダン川の東側で与えられた相続地に戻れるようになりました。彼らはイスラエル人に先立ってカナン侵攻を行なうという誓いをしっかり全うしたからです。彼らは誓った通りに行ない、誓いを破るという大きな罪は犯しませんでした。ですから、神の裁きが彼らに下ることはありませんでした。このように神は、モーセも自分で相続地をイスラエル人に割り振るという名誉に与からせました。これは40年もイスラエル人を率いていながらどの部族にも相続地を割り振れないというのは惨めだったからだと思われます。確かにモーセが40年間もイスラエルの指導者だったことを考えれば、少しぐらいは相続地を与える名誉に与かって良かったのです。

 『アルノン川』はエモリ人の国とモアブ人の国の境界線となっていた死海付近の川です。この川のすぐ北に『アロエル』があります。『ディボン』はアロエルのすぐ西にあります。『メデバ』はモーセが死んだネボ山の東にある場所です。『ヘシュボン』はルベンの相続地における最北部にあり、そこはかつてエモリ人の国の首都でした。『アモン人の国境』はエモリ人の国の東側にあります。イスラエル人はこのアモン人の国を占領することがありませんでした。今見た場所はルベン族の相続地となりました。『ギルアデ』と『ヘルモン山』については既に述べておきました。『アシュタロテとエデレイ』はバシャンにある王の住まいだった場所です。この辺りはマナセの半部族が相続しました。13節目で言われている『ゲシュル人とマアカ人』はヨルダン川の東側を占領する際に駆逐されず、イスラエル共同体の一員として組み込まれました。聖書はどうしてこの2つの民族が追い払われなかったのか何も示していません。恐らく、ゲシュル人とマアカ人はギブオン人のようにイスラエル人と和を結んだのかもしれません。この2つの民族はヨシュア記が書かれた時代でもイスラエル共同体の中に存在していました。

【13:14】
『ただレビの部族だけには、相続地が与えられなかった。主が約束されたとおり、イスラエルの神、主への火によるささげ物、それが彼らの相続地であった。』
 レビ族だけは、ヨルダン川の西側であれ東側であれ、カナンのいかなる場所も相続地として与えられませんでした。それは『イスラエルの神、主への火によるささげ物』がレビ族の相続地だからです。他の部族は物理的な土地を相続しそこで生きます。しかしレビ族は目に見えない神を相続しその神への祭儀により生きるのです。このようにレビ族とそれ以外の部族における相続地には明白で大きな違いがありました。この世はレビ族が目に見える土地を相続できなかったので不幸だと見做すでしょう。しかし、不幸なのはこの世の感覚です。何故なら、この世は神が相続地であることによる幸いと喜びを悟らないからです。霊的な人には分かるでしょう。レビ人が神と神への祭儀を相続したことは良き恵みであったと。しかし、霊的でない人にはこのことが分からないでしょう。その人は肉的だからです。

【13:15~23】
『モーセはルベン部族の諸氏族に相続地を与えた。彼らの地域は、アルノン川の縁にあるアロエルとその谷の中にある町から、メデバの全台地、ヘシュボンとその台地にあるすべての町々、ディボン、バモテ・バアルとベテ・バアル・メオン、ヤハツと、ケデモテと、メファアテと、キルヤタイムと、シブマ、谷の丘にあるツェレテ・ハシャハル、ベテ・ペオルと、ピスガの傾斜地と、ベテ・ハエシモテ、台地ののすべての町々と、ヘシュボンを治めていたエモリ人の王シホンの王国の全部。モーセは、シホンと、ミデヤンの君主、エビ、レケム、ツル、フル、レバとを打った。これらは、その地に住んでいたシホンの首長たちであった。イスラエル人は、これらを殺したほか、ベオルの子、占い師のバラムをも剣で殺した。ルベン人の地域は、ヨルダン川とその地域であった。これはルベン族の諸氏族の相続地であり、その町々と村々であった。』
 まずルベン族が相続した場所から記されます。『アルノン川の縁にあるアロエル』はルベン人の所有地となりました。このアルノン川はルベン人の相続地における南の境界線であり、モアブ国の北側と接しています。ネボ山の東にある『メデバの全台地』もルベン人の住まいとなりました。『ヘシュボン』はルベン人の相続地における最北端の場所となりました。『ディボン』はアロエルのすぐ西側にあります。『ベテ・バアル・メオン』はネボ山の南にある場所です。『ヤハツ』はルベン人の相続地の中央部分から少し東に離れた場所です。『メファアテ』は最北東にあります。『キルヤタイム』はディボンの20kmほど北西にあります。『ツェレテ・ハシャハル』はルベン人の相続地における最も西側にあり、死海に面していました。そこは『谷』の場所でした。ネボ山にある『ピスガの傾斜地』もルベン人の所有地となりました。『ベテ・ハエシモテ』はヨルダン川が死海に注いでいる場所のすぐ東にあります。要するに、ルベン人が相続したのは『エモリ人の王シホンの王国』のほとんど大部分でした。この地をモーセたちが占領した際は、シホン王の他に『ミデヤンの君主、エビ、レケム、ツル、フル、レバ』といった指導者たちも打ち取られました。彼らも聖絶の対象だったからです。

 22節目で言われている通り、この時にはあのバラムも殺されました(民数記31:8)。このバラムは神の霊により預言しました。それは本当の預言であり、偽りの預言ではありませんでした。しかし、バラムはただ預言しただけでした。すなわち、彼は神により本物の預言をしたものの神の子ではありませんでした。ですから、使徒はこの預言者を厳しく大胆に詰っているわけです(Ⅱペテロ2:15~16)。もしこのバラムが神の子だったとすれば、ここまで使徒も辛辣に批判していなかったでしょうし、モーセ時代のユダヤ人も同じ神の子であるバラムを殺していなかったでしょう。つまり、神により預言するからといって必ずしも神の子というわけではないのです。マタイ8:22~23の箇所でも、主に向かって『主よ、主よ。』と言った者たちが預言をしていたものの(それだけでなく悪霊の追い出しや奇跡さえ行なっていたものの)、実のところ神の子ではなかったと示されています。

【13:24~28】
『モーセはまた、ガド部族、ガド族の諸氏族にも相続地を与えた。彼らの地域は、ヤゼルと、ギルアデのすべての町々、アモン人の地の半分で、ラバに面するアロエルまでの地、ヘシュボンからラマテ・ハミツパとベトニムまで、マハナイムからデビルの国境まで。谷の中ではベテ・ハラムと、ベテ・ニムラと、スコテと、ツァフォン。ヘシュボンの王シホンの王国の残りの地、ヨルダン川とその地域でヨルダン川の向こう側、東のほうで、キネレテ湖の端までであった。これらは、ガド族の諸氏族の相続地であり、その町々と村々であった。』
 続いてガド族が得た相続地について記されています。ガドがルベンに続いて記されるのは、ルベンのほうが年長だからであり、また場所の進み具合からしてルベンを先に記すのが適切だったからでしょう。

 『ヤゼル』はネボ山から30kmほど北に離れています。『ギルアデのすべての町々』はガドの住まいとなりました。『ベトニム』はヤゼルのすぐ南西にあります。『マハナイム』はガドの相続地における最北端です。『ベテ・ニムラ』はギルガルから北東に20kmほど離れています。そこは谷でした。『ツァフォン』はヨルダン川沿いにあり、『スコテ』はヤボク川沿いにあります。シホンの国はその北半分がガドの相続地となりました(南半分はルベンの相続地)。このガド族は、ルベン族およびマナセの半部族と同様、ヨルダン川の西側に相続地を全く持ちませんでした。

【13:29~31】
『モーセはまた、マナセの半部族にも、相続地を与えた。マナセの半部族の諸氏族のものである。彼らの地域は、マハナイムからバシャンの全部、バシャンの王オグの王国の全部、バシャンにあるハボテ・ヤイルの全部、その六十の町。またギルアデの半分、バシャンのオグの王国の町であるアシュタロテとエデレイ。これらは、マナセの子マキルの子孫、すなわち、マキル族の半分の諸氏族に与えられた。』
 マナセの半部族は3番目に記されます。ガド族の相続地における最北端である『マハナイム』は、マナセの半部族の相続地における最南端と接していました。カナンの東北に広がる『バシャンの全部』は彼らの所有地となりました。オグ王の支配していた領地は全てマナセの半部族に相続されました。『ハボテ・ヤイル』とはキネレテ湖の南東に広がる地域を指します。そこにあった『六十の町』をマナセの半部族は自分たちの住まいとします。これは人間を示す6かける完全数10ですから、それらの町に多くの人間が住んでいたことを示しているのでしょう。ギルアデの北半分は彼らの相続地となりました。南半分はガドの相続地となりました。オグ王の住まいであった『アシュタロテとエデレイ』もマナセの半部族に所有されました。

【13:32】
『これらは、エリコのあたりのヨルダン川の向こう側、東のほうのモアブの草原で、モーセが割り当てた相続地である。』
 以上がモーセによりヨルダン川の東、モアブの草原で2部族と半部族に割り当てられた相続地でした。このように相続地が与えられたのはただ神の恵みによりました。神はまず2部族と半部族に先駆けて相続地を与えることで、他の部族もやがて同じように相続地を得られると期待できるようになさいました。この期待がイスラエルの戦士たちの士気に良い影響を及ぼしたことは間違いありません。

【13:33】
『レビ部族には、モーセは相続地を与えなかった。主が彼らに約束されたとおりにイスラエルの神、主が彼らの相続地である。』
 レビ族は神を相続するゆえ地上の相続地がないとヨシュア記13:14の箇所に続いて繰り返されています。これはヨシュア記より前の巻でも何回か述べられていました。このように繰り返されるのは、レビ族の相続地とは非常に重要な事柄であって、聖徒たちに強く認識され記憶されるべき事柄だからです。重要な事柄は何度でも繰り返すのが聖書のやり方です。

【14:1~5】
『イスラエル人がカナンの地で相続地の割り当てをした地は次のとおりである。その地を祭司エルアザルと、ヌンの子ヨシュアと、イスラエル人の諸部族の一族のかしらたちが、彼らに割り当て、主がモーセを通して命じたとおりに、九部族と半部族とにくじで相続地を割り当てた。モーセはすでに二部族と半部族とに、ヨルダン川の向こう側で相続地を与えており、またレビ人には、彼らの中で相続地を与えなかったからであり、ヨセフの子孫が、マナセとエフライムの二部族になっていたからである。彼らは、レビ族には、その住むための町々と彼らの所有になる家畜のための放牧地を除いては、その地で割り当て地を与えなかった。イスラエル人は、主がモーセに命じたとおりに行なって、その地を割り当てた。』
 9部族と半部族は、モーセではなくエルアザルとヨシュアと部族の族長たちにより、ヨルダン川の西側で相続地が割り振られました。指導者たちにより相続地が割り当てられたのは、指導者たちがイスラエル人たちの代表であり、神はこの指導者たちを通してイスラエル人を統御しておられたからです。

 この箇所では、どうして9部族と半部族にだけカナンの地で相続地が割り振られたのか説明されています。まず2部族とマナセの半部族は既にヨルダン川の東で相続地を受けていましたから、当然のこととしてヨルダン川の西で相続地は受けられませんでした。またレビ人にはそもそも土地の相続地が定められていません。そして、ヨセフの部族はマナセ族とエフライム族という2つの部族に分かれていたので、ヨセフの部族だけ半分ずつに分かれていました。聖書がまざまざと示しているように、古代ユダヤ人は不敬虔で神に逆らってばかりいましたが、この相続地の割り当て命令についてはしっかりと実行しました(5節)。もしユダヤ人がこの割り当て命令にまで従わなかったとすれば、ほとんど獣も同然だったと言われねばならなかったでしょう。

 レビ族には相続地がなく、ただ住むための場所と家畜を養うための放牧地が宛がわれただけでした(4節)。これはどうしても必要だからこそ備えられたに過ぎず、備えられたからといって根本的な所有者になったわけではありませんでした。ちょうどある人が金持ちの屋敷に専用の住む場所を宛がわれるようなものです。レビ人にはイスラエルの各地で住む場所と放牧地が与えられました。ですから、レビ人だけはイスラエルのどこにも存在していた、すなわち散在していました。こうしてヤコブがレビの子孫に対して語った『私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。』(創世記49章7節)という預言は実現されたのです。

【14:6~12】
『ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネのカレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである。』と言いました。今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」』
 そうこうしているうちに、あのカレブを筆頭として戴くあるユダ族の群れが、ギルガルの宿営地にいるヨシュアのもとへやって来ました。これは相続地のことで嘆願するためでした。

 カデシュ・バルネアからカナン偵察へと行った時には40歳だったカレブも(7節)、もう85歳になっていました(10節)。これはまだ寿命が短かった古代からすればかなりの高齢です。40年前の偵察の際、カレブ以外の偵察者たちは臆病で不信仰だったので『民の心をくじ』きました。しかし、このカレブは主に祝福されていたので、カナン侵攻に尻込みすることもせず、堅固な精神をもって『神、主に従い通し』ました。これは主の御心に適っていました。ですから、御心に適っていたカレブは85歳に至るまで生かされ、しかも『壮健』でした。彼は40年前の時と同様に戦争を行なうことさえできたほどです。これは神がカレブを祝福しておられたからに他なりません。しかし、他の不敬虔だった者たちはもう荒野で全て死んで滅びていました。これは彼らが御心に適わず呪われたからです。神はこのようにカレブを恵まれることで、御自分が敬虔な者を喜ばれると証ししておられます。神はカレブのように敬虔な者に、祝福の一つとして長寿と壮健を与えて下さるのです。つまり、カレブは敬虔な者が神から祝福されるという見本です。ですから、神から祝福を頂きたい者はカレブのごとく敬虔にならねばなりません。

 このカレブはモーセの誓いに基づいてカナンの山地を相続地として頂きたいと申し出ます。確かにモーセはカレブに対し『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。』と誓っていましたから、このカレブの申し出は正当でした。12節目を見ると、カレブの求めた山地には、どうやらまだ幾らかのアナク人が残されていたようです。カレブはそのアナク人を追い払い、その山地を相続するつもりでいました。何故なら、主がカレブと共におられるならば、必ずアナク人を追い払うことができるからです。

【14:13~15】
『それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。ヘブロンの名は、以前はキルヤテ・アルバであった。アルバというのは、アナク人の中の最も偉大な人物であった。そして、その地に戦争はやんだ。』
 カレブの求めは正当だったので、ヨシュアはカレブの求めた通り、その山地であるヘブロンをカレブに相続地として与えました。この時にヨシュアがカレブを『祝福し』たのは、神における祝福であり、カレブが必ずそこを相続できるようにするためです。こうしてカレブはヘブロンにいたアナク人の生き残りを追い払い、そこを自分の相続地としました。カレブがこのような幸いを受けたのは、『彼がイスラエルの神、主に従い通したから』でした。すなわち、神は40年前にカレブが示した敬虔な態度を覚えておられ、それに対し報いて下さったのです。このように神は敬虔に対し祝福をもって報いられます。ですから、祝福の報いを受けたければカレブのようにならねばなりません。なお、この『ヘブロン』という地名はイスラエルの入植後に付けられた名前であって、それまでは『アナク人の中の最も偉大な人物であった』『アルバ』という人間の名を冠した『キルヤテ・アルバ』という地名でした。ユダヤ人の聖なる相続地が汚れた異邦人の名を冠した地名のままではいけませんでした。

【15:1~12】
『ユダ族の諸氏族が、くじで割り当てられた地は、エドムの国境に至り、その南端は、南のほうのツィンの荒野であった。その南の境界線は、塩の海の端、南に面する入江から、アクラビムの坂の南に出て、ツィンに進み、カデシュ・バルネアの南から上って、ヘツロンに進み、さらにアダルに上って、カルカに回り、アツモンに進んで、エジプト川に出て、その境界線の終わりは海である。これが、あなたがたの南の境界線である。東の境界線は、塩の海であって、ヨルダン川の川口までで、北側の境界線は、ヨルダン川の川口の湖の入江から始まり、境界線は、ベテ・ホグラに上り、ベテ・ハアラバの北に進み、境界線は、ルベンの子ボハンの石に上って行き、境界線はまた、アコルの谷からデビルに上り、川の南側のアドミムの坂の反対側にあるギルガルに向かって北に向かう。また境界線はエン・シェメシュの水に進み、その終わりはエン・ロゲルであった。またその境界線は、ベン・ヒノムの谷を上って、南のほう、エブス人のいる傾斜地、すなわちエルサレムに至る。また境界線は、西のほうヒノムの谷を見おろす山の頂に上る。この谷はレファイムの谷の北のほうの端にある。それからその境界線は、この山の頂から、メ・ネフトアハの泉のほうに折れ、エフロン山の町々に出て、それから境界線は、バアラ、すなわちキルヤテ・エアリムのほうに折れる。またその境界線は、バアラから西に回って、セイル山に至り、エアリムの山の北側、すなわちケサロンに進み、ベテ・シェメシュに下り、さらにティムナに進み、その境界線は、エクロンの北側に出て、それから境界線は、シカロンのほうに折れ、バアラ山に進み、ヤブネエルに出て、その境界線の終わりは海であった。また西の境界線は、大海とその沿岸であった。これが、ユダ族の諸氏族の周囲の境界線であった。』
 ヨルダン川の西側ではユダ族に与えられた相続地がまず記されます。どうしてユダ族が第一番目に記されるのでしょうか。これはユダ族が最もユダヤの中で重要な部族であって、その重要性からして最初に記されるべきだったからでしょう。

 ユダ族の相続地はその南を『エドムの国境』と接していました。『ツィンの荒野』とはユダの地の最も南にある荒野です。ユダの相続地における最南端は『塩の海』すなわち死海の南部分から西側に伸びています。『アクラビム』とは南に広がる丘陵地帯です。その南の境界線は『カデシュ・バルネア』にも面しています。『エジプト川』とはシナイ半島の北で南北に流れるかなり長い川です。南の『境界線の終わり』である<『海』>とは紅海のことでしょう。このようにユダの相続地は南に長く伸びていました。『東の境界線は、塩の海』ですが、これは非常に分かりやすい境界線です。東の境界線における最北端は『ヨルダン川の川口』までです。そこを東に超えるとベニヤミンの相続地に行きます。また、この東の境界線の最北端から『北側の境界線』が西のほうへと伸びています。『ベテ・ホグラ』とはユダの相続地の最北端にある場所であり、そこはギルガルのすぐ南にあります。6節目で言われている『ルベンの子ボハンの石』はヨシュア記18:17の箇所にも出てきます。『アコルの谷』とはあのアカンが裁き殺された場所です(ヨシュア記7章)。後に首都となるエルサレムは『エブス人』(8節)の町でした。そこは『傾斜地』であって、エルサレムは山に囲まれています。『キルヤテ・エアリム』はギブオンの南西10kmほどの場所にあります。『ケサロン』はキルヤテ・エアリムのすぐ南西にあります。『ベテ・シェメシュ』はケサロンのすぐ南西にあります。『ティムナ』はベテ・シェメシュのすぐ西にあります。『エクロン』はティムナから15kmほど北西に離れています。『ヤブネエル』はエクロンのすぐ西にあります。このまま西に進むと地中海に至ります。そして西側の境界線は『大海とその沿岸』すなわち地中海がそのまま境界になっていますから、非常に分かりやすい。

【15:13~14】
『ヨシュアは、主の命令で、エフネの子カレブに、ユダ族の中で、キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンを割り当て地として与えた。アルバはアナクの父であった。カレブは、その所からアナクの三人の息子、シェシャイ、アヒマン、タルマイを追い払った。これらはアナクの子どもである。』
 先にも書かれていた通り、キルヤテ・アルバと呼ばれていたヘブロンにいたアナク人は追い払われ、そこの地は神によりカレブの相続地とされました。これはアナク人の罪が満ちていたからであり、また神のユダヤ人に対するカナン占領の約束が成就されるためでした。ここで言われているように、アルバがアナクおよびアナク人の始祖であり、そこにはアナクの子が3人いました。この3人がヘブロンにいた全てのアナク人だというのではなく、この3人はアナク人の群れの指導者だったと思われます。しかし、どうしてカレブはこのヘブロンの地を相続地として欲したのでしょうか。これはヘブロンにいたアナク人がその理由だったはずです。このアナク人が40年前のユダヤ人たちを恥ずべき恐怖に陥れた元凶でした(というのもアナク人は背が非常に高かったので)。40年前に他のユダヤ人たちがこのアナク人を恐れる中、カレブ(またヨシュア)だけはたとえ背の高いアナク人であっても必ず神により打ち倒せると確信していたわけですから、その時にアナク人を倒したいのに倒せなかった雪辱をこの時において果たそうとしたのでしょう。「アナク人よ、40年前にお前たちを倒そうと思っていたのに倒せなかったから今倒してやろう。」というわけです。

【15:15~19】
『その後、その所から彼は、デビルの住民のところに攻め上った。デビルの名は、以前はキルヤテ・セフェルであった。そのとき、カレブは言った。「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」ケナズの子で、カレブの兄弟オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを、彼に妻として与えた。彼女がとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めることにした。彼女がろばから降りたので、カレブは彼女に、「何がほしいのか。」と尋ねた。彼女は言った。「私に祝いの品を下さい。あなたはネゲブの地に私を送るのですから、水の泉を私に下さい。」そこで彼は、上の泉と下の泉とを彼女に与えた。』
 ヘブロンからアナク人を神により追い払ったカレブは、続いてデビルの占領に向かいます。これはカレブが神により必ずそこも占領できると確信していたからです。確かにモーセはカレブの『踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。』(ヨシュア記14章9節)と誓っていました。この時にカレブは、デビルを打ち取った者はカレブの『娘アクサ』と結婚できると宣言しました。このようにカレブが宣言したのは、結婚という報酬を提示することで戦士たちのやる気を奮い立たせるためであり、必ずそこを占領するためです。カエサルもそうでしたが、古代の指揮官はよくこのような類の宣言をしたものでした。このようにカレブは宣言をして戦わせるだけで、自分は戦おうとしなかったのですが、これは指揮官ですから何もおかしくありません。というのも、指揮官も全く戦わないというわけではないものの、多くの場合は指揮をしているのが普通だったからです。指揮官が戦いに参加していたら、指揮をしにくくなり、戦況も見極め難くなってしまいます。この『デビル』という地名はイスラエル人の入植後に付けられた名前であって、それ以前は『キルヤテ・セフェル』という地名でした。この場所は先に占領したヘブロンから30kmほど西に離れています。デビルを打ち取ったのは『オテニエル』でした。17節目ではこのオテニエルが、あたかもカレブの兄弟であるかのように書かれていますが、士師記3:9の箇所から分かるように彼はカレブの甥でした。ここでオテニエルがカレブの兄弟であるかのように言われているのは古代ユダヤ社会において甥を『兄弟』として呼ぶ風習があったからです。オテニエルがデビルを取ったのは、それが神の御心だったからです。もし彼が御心でなければ、誰か別の者がデビルを打ち取っていたでしょう。ところで、ここで「カレブの娘を妻に出来たとしても何が喜ばしいのか。カレブの娘がデビル占領を成し遂げるための強い動機になるとでもいうのか。」と思う人がいるかもしれません。私は言いますが、カレブの娘を妻に出来るというのは大きな光栄でした。何故なら、古代ユダヤ社会でカレブが敬虔かつ偉大な戦士として見做されていたことは間違いないからです。カレブはカエサルほどの名声を持っていたはずです。カレブは40年前に神への信仰を貫き通した伝説的な人なのですから、大きな名声があっても不思議ではありません。それゆえ、そのようなカレブの娘を妻に出来るのは大きな意味がありました。カレブにしても、娘アクサが戦士たちにとって言わば価値ある賞品とならないのであれば、あえて娘を賞品として提供することはしていなかったでしょう。妻として娶っても光栄とならない普通の娘を賞品として差し出すということほど知恵足らずな振る舞いはないからです。彼はそういったことをする愚か者ではありませんでした。しかしながら、現代社会からすれば、このような光栄を得るための結婚を理解することが難しいかもしれません。何故なら、古代社会では結婚の際に光栄を重んじていましたが、現代のフリーセックス社会においては結婚により得られる光栄など見向きもされず欲望が重視されるからです。現代も少し前までは光栄を重視する傾向を持っていました。しかし、フリーセックスが世の中に満ちてから結婚観は変わってしまったのです。というわけで、カレブの娘はカレブの甥と結婚することになりましたが、これはかなり血縁的に近い結婚です。しかし、この結婚すなわち親戚同士の結婚は罪となりません。律法では親戚同士の結婚が咎められていないからです(レビ記18:6~18)。そしてこの2人が結婚する際、オテニエルは妻となったアクサを通してカレブに祝いの品を得させようとします(18~19節)。どうしてこのような出来事がここでは記されているのでしょうか。これはオテニエルが『そそのかして』祝いの品を求めさせたと書かれていますから、恐らくオテニエルの欲深さを示そうとしているのかもしれません。この時にアクサが『ろばから降りた』のは、父から祝いの品を求めるための振る舞いです。この時にアクサは驢馬に乗っていましたから、これは結婚式の時またはカレブの家から出て行く時に起きた出来事なのでしょう。オテニエルは欲深かったかもしれませんが、カレブは娘の求めに応じて祝いの品を与えました。オテニエルが裏で働きかけていたにせよカレブが娘にしたこと自体は問題ありませんでした。なお、ここで書かれている出来事は士師記1:11~15の箇所でも再び書かれています。

【15:20~62】
『ユダ部族の諸氏族の相続地は次のとおり。ユダ部族が、エドムの国境のほうに持っていた最南端の町々は、カブツェル、エデル、ヤグル、キナ、ディモナ、アデアダ、ケデシュ、ハツォル、イテナン、ジフ、テレム、ベアロテ、ハツォル・ハダタ、ケリヨテ・ヘツロンすなわちハツォル、アマム、シェマ、モラダ、ハツァル・ガダ、ヘシュモン、ベテ・ペレテ、ハツァル・シュアル、ベエル・シェバ、ビズヨテヤ、バアラ、イイム、エツェム、エルトラデ、ケシル、ホルマ、ツィケラグ、マデマナ、サヌサナ、レバオテ、シルヒム、アイン、リモンであり、二十九の町と、それらに属する村々の全部である。低地では、エシュタオル、ツォルア、アシュナ、ザノアハ、エン・ガニム、タプアハ、エナム、ヤルムテ、アドラム、ソコ、アゼカ、シャアライム、アディタイム、ゲデラとゲデロタイム。すなわち、十四の町と、それらに属する村々。ツェナン、ハダシャ、ミグダル・ガド、ディルアン、ミツパ、ヨクテエル、ラキシュ、ボツカテ、エグロン、カボン、ラフマス、キテリシュ、ゲデロテ、ベテ・ダゴン、ナアマ、マケダ。すなわち、十六の町と、それらに属する村々。リブナ、エテル、アシャン、エフタ、アシュナ、ネツィブ、ケイラ、アクジブ、マレシャ。すなわち、九つの町と、それらに属する村々。エクロンと、それに属する村落、すなわち、村々。エクロンから海まで、すべてアシュドデのほとりにある町々と、それらに属する村々。アシュドデと、それに属する村落、すなわち、村々。ガザと、それに属する村落、すなわち、村々。エジプト川と大海までとその沿岸。山地では、シャミル、ヤティル、ソコ、ダナ、キルヤテ・サナ、すなわちデビル、アナブ、エシュテモア、アニム、ゴシェン、ホロン、ギロ。すなわち、十一の町と、それらに属する村々。アラブ、ドマ、エシュアン、ヤニム、ベテ・タプアハ、アフェカ、フムタ、キルヤテ・アルバ、すなわち、ヘブロン、ツィオル。すなわち、九つの町と、それらに属する村々。マオン、カルメル、ジフ、ユタ、イズレエル、ヨクデアム、ザノアハ、カイン、ギブア、ティムナ、すなわち、十の町と、それらに属する村々。ハルフル、ベテ・ツル、ゲドル、マアラテ、ベテ・アノテ、エルテコン。すなわち、六つの町と、それらに属する村々。キルヤテ・アルバすなわちキルヤテ・エアリムと、ラバ。すなわち、二つの町と、それらに属する村々。荒野では、ベテ・ハアラバ、ミディン、セカカ、ニブシャン、塩の町、エン・ゲディ。すなわち、六つの町と、それらに属する村々である。』
 ユダ族の相続地は、カナンの南全体に広がっています。『エドムの国境』とは最も南東にあり、その国境は死海から南西に向かっています。そこを超えるとエドム人すなわちエサウの子孫が住んでいる国に行きます。『ハツォル』(23節)とはヨシュア記11章で出てきたカナンの北にある場所と異なる場所です。『モラダ』(26節)はヘブロンから40kmほど南西に離れた場所です。『ベテ・ペレテ』(27節)はモラダの南20kmほどの場所にあり、この2つの場所の間には東西に流れる川があります。『ベエル・シェバ』(28節)はモラダから10kmほど西に離れています。『ホルマ』(30節)はモラダから15kmほど南東に離れており、川沿いにあります。『ツィケラグ』(31節)はオテニエルが打ち取ったデビルから20kmほど南に離れています。『マデマナ』(31節)はデビルから20kmほど南東に離れています。南の町の総数である『二十九』という数字に象徴的な意味はありません。『ツォルア』(33節)はアヤロンの南東にあります。『タプアハ』(34節)はゲリジム山の南20kmほどの場所です。『ヤルムテ』(35節)はあのマケダのすぐ東にあります。『アドラム』(35節)はヤルムテの南の場所です。『アゼカ』は前にも見た通りマケダのすぐ南です。低地の町の『十四』は聖書で少なさや短さを示す象徴数ですが、もしこの箇所での『十四』がそのような意味を持つならば、ユダ族にある低地の町は数少なかったことが示されていることになります。『ミツパ』(38節)はギブオンのすぐ北です。『ラキシュ』(39節)はデビルから20kmほど北です。『エグロン』(39節)はデビルから30kmほど北西に離れており、そこはペリシテ人の地域です。『マケダ』(41節)もユダの相続地となりました。41節目で書かれている『十六』という数字は聖書で象徴的な意味を持ちません。『リブナ』(42節)はマケダの西10kmほどの場所です。『ケイラ』(44節)はヘブロンの北西20kmほどの場所です。『マレシャ』(44節)はケイラから20kmほど西に離れています。44節目で書かれている『九』という数字に象徴的な意味はありません。『エクロン』(45節)はアヤロンの南西にあり、地中海が近い。46節目で『海』と書かれているのは地中海です。地中海の沿岸にある『アシュドデ』(47節)の一帯もユダ族が相続しました。私たちがよく知っている『ガザ』(47節)もユダ族の相続地となりました。ユダの相続地における南の境界線は『エジプト川』にまでも伸びていました。これはかなり南のほうです。『デビル』は既に見た通りです。『アナブ』(50節)はデビルから10kmほど南の場所です。『エシュテモア』(50節)はデビルから25kmほど南東に離れています。51節目で書かれている『十一』という数字に象徴性はありません。『ヘブロン』は既に見た通りです。『マオン、カルメル、ジフ、ユタ』(55節)はヘブロンの南にあり、それぞれ近い距離にあります。『ギブア』(57節)はエルサレムのすぐ北です。『ティムナ』(57節)はマケダのすぐ北にあります。『ベテ・ツル』(58節)はヘブロンの北にあります。59節目で書かれている『六』は、この箇所においては何か特別な意味を持っているというわけではなさそうです(62節目も同様)。ギブオンから10kmほど南西に離れている『キルヤテ・エアリム』(60節)もユダの相続地です。

【15:63】
『ユダ族は、エルサレムの住民エブス人を追い払うことができなかった。それで、エブス人はユダ族とともにエルサレムに住んでいた。今日もそうである。』
 前にも見た通り、エルサレムはエブス人の住まいでしたが、ユダヤ人はエルサレムからこのエブス人を追い払うことが出来ていませんでした。どうして追い払えなかったのでしょうか。この箇所では追い払えなかった理由が示されていません。これはエルサレムが堅固な要害だったからです。そのため、エルサレムはこれから300年後のダビデ時代になってもまだ攻め落とされていないほどでした(Ⅱサムエル5:6~9)。エルサレムは山に囲まれた場所です。そこは人を守るのに適した地形となっています。ですから、古代ローマ人も第一次ユダヤ戦争の際、エルサレム攻略には非常に手こずらされました(「ユダヤ戦記」)。こういうわけで、エルサレムの住民エブス人はヨシュア記が記された時代までエルサレムでユダ族と共にいました。これはベニヤミン族も同様でした(士師記1:21)。ベニヤミンの相続地はエルサレムのすぐ北側と接しているからです。ここで「しかし、神であればそんな要害など容易くユダヤ人のために打ち倒せたのではないか。」と考える人がいるかもしれません。なるほど、確かにこの考えはもっともです。何故なら、神にとってはどれだけ堅固な要害であっても、砂浜で作られた砂の城もしくは折り紙で作った建物も同然だからです。ですが、神はあえてダビデ時代になるまでもエルサレムが攻め落とされないままにしておかれました。それはエルサレムがどれだけ堅固で守備力の高い場所であるか示すためです。エルサレムには神が住まわれるのですから、その堅固さが前もって十分に証明されているべきだったのです。何故なら、難攻不落の場所こそ神の住まいとして相応しいからです。

【16:1~4】
『ヨセフ族が、くじで割り当てられた地の境界線は、東、エリコのあたりのヨルダン川、すなわちエリコの水から荒野に出、エリコから山地を上ってベテルに至り、ベテルからルズに出て、アルキ人の領土アタロテに進み、西のほう、ヤフレテ人の領土に下り、下ベテ・ホロンの地境、さらにゲゼルに至り、その終わりは海であった。こうして、ヨセフ族、マナセとエフライムは、彼らの相続地を受けた。』
 続いてヨセフ族であるエフライム族とマナセ族の相続地について記されます。ヨセフ族が2つに分かれていることは前にも書かれていました。しかし、どうしてユダ族の次にこのヨセフ族が記されるのでしょうか。それはヨセフがヤコブから兄弟のうちで最も愛されていたからだと思われます(創世記37:3)。もし場所の配置から記述の順序が決定されるべきだったとすれば、第二番目はベニヤミンの記述になるのが適切だったはずです。しかし、ここでは場所の配置における適切さを基に順序が決められているのではありません。しかし、ヤコブから最も愛されたヨセフの2部族といえども、流石にユダ族よりも先ではありません。何故なら、ユダ族こそ他のどの部族よりも大事なのだからです。もしユダ族がいなければキリストも出られなくなりますから、ユダヤ人の贖いも人類の贖いもなくなってしまうからです。もしユダ族がいなければ最初に記されていたのはこのヨセフ族だったでしょう。私がこのような順序について言及するのは、聖書において書き方の順序は重要であったり意味を持っていたりする場合が多いからです。

 エフライム族の東の境界線は、『エリコのあたりのヨルダン川』から始まり西に伸びています。その境界線は『エリコ』を通り、エリコから30kmほど西に離れた『ベテル』に向かいます。そして、ベテルから30kmほど西に離れた『下ベテ・ホロン』に至ります。そこから西に20kmほど離れた『ゲゼル』に境界線は伸びています。そして西の最後は『海』(地中海)です。これがエフライム族の相続地における南の境界線です。その境界線を越えると、東の半分にベニヤミンの相続地があり、西の半分にはダンの相続地があります。エフライム族の南端はユダ族の相続地と全く接していません。死海とも接していません。

【16:5~9】
『エフライム族の諸氏族の地域は、次のとおりである。彼らの相続地の東の境界線は、アテロテ・アダルから上ベテ・ホロンに至り、その境界線は、西に向かって、北方のミクメタテに出、その境界線は、東に回ってタアナテ・シロに至り、そこからヤノアハの東に進み、ヤノアハからアタロテとナアラに下り、それからエリコに達し、ヨルダン川に出る。西の境界線は、タプアハからカナ川に行き、その終わりは海であった。これが、エフライム部族の諸氏族の相続地であった。このほかに、マナセ族の相続地の中に、エフライム族のために取り分けられた町々、そのすべての町々と、それに属する村々とがあった。』
 『タアナテ・シロ』はゲリジム山から20kmほど東にあり、エフライムの相続地における最北端です。『ヤノアハ』はタアナテ・シロから10kmほど南に離れています。『アタロテ』はエフライムの相続地における最も東の北側に位置しています。『ナアラ』はこのアタロテから20kmほど南に離れています。エフライムの相続地における南の境界線は、エリコに達すると東に伸び、ヨルダン川にまで向かっています。『タプアハ』はヤノアハから20kmほど西に離れており、エフライムの最北端に位置しています。北の境界線はこのタプアハから西にある『カナ川』に進んでいます。そして、西に向かった最後は『海』(地中海)に至ります。また、エフライム族の住まいは、北に広がるマナセ族の相続地の中にもありました。

【16:10】
『彼らはゲゼルに住むカナン人を追い払わなかったので、カナン人はエフライムの中に住んでいた。今日もそうである。カナン人は苦役に服する奴隷となった。』
 エフライム族はアヤロンの南にある『ゲゼル』のカナン人を追い払わないままでいましたが、どうして追い払わなかったのでしょうか。これはこの箇所から考えると、ゲゼル人を奴隷として使うためだったと思われます。奴隷となったゲゼル人はヨシュア記が書かれた時代にもエフライム族の相続地で生かされていました。ゲゼル人が追い払われなかった理由は、エルサレムにいたエブス人が堅固な要害を有していたため追い払われなかった理由と一緒ではなかったはずです。士師記1:29の箇所でもここと同じことが言われています。このゲゼルは後の時代にエジプトから滅ぼされ、それからソロモンにより再建されています(Ⅰ列王記9:16~17)。

【17:1~2】
『マナセ部族が、くじで割り当てられた地は次のとおりである。マナセはヨセフの長子であった。マナセの長子で、ギルアデの父であるマキルは戦士であったので、ギルアデとバシャンが彼のものとなった。さらにそれはマナセ族のほかの諸氏族、アビエゼル族、ヘレク族、アスリエル族、シェケム族、ヘフェル族、シェミダ族のものになった。これらは、ヨセフの子マナセの男子の子孫の諸氏族である。』
 続いてヨセフ族のもう一つの部族マナセに割り当てられた相続地が記されます。ヨセフの長子マナセの長子であるマキルは戦士でありギルアデの父でしたが、『ギルアデとバシャン』の支配者となりました。『ギルアデ』とはカナンの北東に広がる大きな地域ですが、これはマキルの子ギルアデが地名の由来なのでしょう。『バシャン』もカナンの北東に広がる大きな地域であり、かつてオグに治められていました。この2つの地域は、マキルの氏族の他にもマナセの6つの氏族が相続しました。

【17:3~6】
『ところが、マナセの子マキルの子ギルアデの子ヘフェルの子ツェロフハデには、娘だけで息子がなかった。その娘たちの名は、マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。彼女たちは、祭司エルアザルと、ヌンの子ヨシュアと、族長たちとの前に進み出て、「私たちの親類の間で、私たちにも相続地を与えるように、主はモーセに命じられました。」と言ったので、ヨシュアは主の命令で、彼女たちの父の兄弟たちの間で、彼女たちに相続地を与えた。こうして、マナセはヨルダン川の向こう側のギルアデとバシャンの地のほかに、なお十の割り当て地があてがわれた。マナセの娘たちが、彼の息子たちの間に、相続地を受けたからである。ギルアデの地は、マナセのほかの子孫のものとなった。』
 マナセ族に相続地が割り当てられた際、ツェロフハデの兄弟を持たない娘たちが、『祭司エルアザルと、ヌンの子ヨシュアと、族長たち』との前に来て、相続地を求めました。つまり、ツェロフハデに娘しかいないからといって相続地を受けられないままでいていいはずがどうしてあるのか、と言うのです。この問題は既にどうすべきか決められていました(民数記27:1~7)。その決定事項を今ここで彼女たちは実現させようとしたのです。それゆえ、彼女たちの求めは全く正当なものでした。確かに娘しか子がいないからといって父の氏族から相続地が削り取られるのは、どう考えても不公平です。神は人を依怙贔屓されない御方です。ですから、神は彼女たちも相続地を持てるようにされたのでした。このような事柄では男女の平等が必要です。こうしてツェロフハデの娘たちはその『親類の間で』『十の割り当て地があてがわれ』ました。ところで、ここで書かれているツェロフハデの娘『ティルツァ』(3節)とは、雅歌6:4の箇所で書かれている『ティルツァ』ではありません。前述した通り、雅歌の『ティルツァ』は場所としてのティルツァです。

【17:7~11】
『マナセの境界線は、アシェルからシェケムに面したミクメタテに向かい、その境界線は、さらに南に行って、エン・タプアハの住民のところに至った。タプアハの地は、マナセのものであったが、マナセの境界に近いタプアハは、エフライム族のものであった。またその境界線は、カナ川に下り、川の南に向かった。そこの町々は、マナセの町々の中にあって、エフライムのものであった。マナセの境界線は、川の北で、その終わりは海であった。その南は、エフライムのもの、北はマナセのものであった。海がその境界となった。マナセは、北はアシェルに、東はイッサカルに達していた。またマナセには、イッサカルとアシェルの中に、ベテ・シェアンとそれに属する村落、イブレアムとそれに属する村落、ドルの住民とそれに属する村落、エン・ドルの住民とそれに属する村落、タナクの住民とそれに属する村落、メギドの住民とそれに属する村落があった。この第三番目は高地であった。』
 マナセの相続地における北西は『アシェル』の相続地と接しています。ゲリジム山とエバル山の麓にある『シェケム』がマナセの相続地の最南端です。『タプアハ』は南の境界線にありましたが、この一帯には『エフライム族』もいました。南の境界線は東西に伸びる『カナ川』です。川が境界線であるというのは分かりやすい。この川の一帯には『マナセの町々』があったものの、そこは『エフライムのもの』でもありました。マナセの地の西の境界線は『海』(地中海)です。マナセの相続地を南に超えるとそこは『エフライムのもの』である相続地でした。また北の境界線を超えると『アシェル』の地に入り、東すなわち北東の境界線を越えると『イッサカル』の地に入りました。そして、マナセ族は『イッサカルとアシェルの中に』も自分たちの村落を持っていました。その村落の数は6です。『ベテ・シェアン』はヨルダン川の西にあり、イッサカルの相続地における最南端の場所です。『イブレアム』はギルボア山の西の麓です。『ドル』は地中海沿いにあるアシェルの相続地であり、そこは『高地』(11節)でした。『エン・ドル』は山上の変貌で有名なタボル山のすぐ南東の麓にあり、そこはイッサカルの相続地です。『タナク』はイブレアムから20kmほど北西に離れており、そこには川があります。『メギド』はタナクから10kmほど北にあります。

【17:12~13】
『しかしマナセ族は、これらの町々を占領することができなかった。カナン人はこの土地に住みとおした。イスラエル人は、強くなってから、カナン人に苦役を課したが、彼らを追い払ってしまうことはなかった。』
 前の箇所で書かれていた6つの村落をマナセ族は攻め落とせませんでしたが、どうして攻め落とせなかったのでしょうか。これはこれらの村落にいたカナン人が手強かったためです。まだこの時はそれらのカナン人たちを打ち倒せるほどマナセ族が強くなっていませんでした。しかし、やがてマナセ族が強くなると、この6つの村落にいるカナン人を屈服させることができました。もしこの時から既にこのカナン人を屈服させることが出来たとすれば、マナセ族は容赦なくそうしていたでしょう。しかし、まだそのようには出来なかったのです。では、どうして神はまだこれらのカナン人が攻め落とされないままにしておかれたのでしょうか。それはどこもかしこもカナンの地にいるカナン人がすぐに駆逐されたなら、土地が荒れ果ててユダヤ人にとって良くないからです(出エジプト23:29)。神は一挙にユダヤ人がカナンを占領できるなどと言われませんでした(出エジプト23:30)。ですから、これら6つの村落にいたカナン人が追い払われないよう強くされていたのは、ユダヤ人が害を受けないための神による働きかけだったわけです。後ほどマナセ族はこれらのカナン人を屈服させ、自分たちの奴隷にしました。滅ぼしはしませんでした。これは滅ぼすより奴隷として使うほうが良かったからなのでしょう。なお、ここと同じことは士師記1:27~28の箇所でも書かれています。

【17:14~18】
『ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」ヨシュアは彼らに言った。「もしあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」ヨセフ族は答えた。「山地は私どもには十分ではありません。それに、谷間の地に住んでいるカナン人も、ベテ・シェアンとそれに属する村落にいる者も、イズレエルの谷にいる者もみな、鉄の戦車を持っています。」するとヨシュアは、ヨセフ家の者、エフライムとマナセにこう言った。「あなたは数の多い民で、大きな力を持っている。あなたは、ただ一つのくじによる割り当て地だけを持っていてはならない。山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。」』
 ヨセフ族は神に祝福されていたので数が多くなりました。5年前の人口調査の際、マナセ族は『五万二千七百人』(民数記26章34節)であり、エフライム族は『三万二千五百人』(民数記26章37節)でした。マナセ族とエフライム族をそれぞれ独立した一つの部族とするならば、この2部族よりも数の多い部族が幾つも存在します。しかし、マナセ族とエフライム族をヨセフ族という一つの部族とするならば総計8万5200人であって、『七万六千五百人』(民数記26章22節)いたユダ族よりも上回っています。ユダ族よりも多く増やされている。これは非常に大きな祝福です。このように、神から祝福されると人口の増加が起こります。増殖とは神の祝福の一つなのです。神はある集団や人間を増やすことで、その集団や人間を祝福し喜んでおられることの証しとされるのです。このヨセフ族もそうでした。もっとも、祝福されているからといって、必ず増殖の祝福が与えられるというわけでもありません。私が言っているのは、増殖は数ある祝福のうちの一つだということです。祝福される者にどのような種類の祝福が与えられるかは神の御心次第です。ですから、キプリアヌスやアンブロシウスやカルヴァンのように祝福されていても増やされていない人がいるわけです。一方、祝福されていなければ増えることもなくなります。これはシメオン族が良い例です。シメオン族はあまり祝福されていなかったので、その数はレビ族以外の11族中で最も少ない『二万二千二百人』(民数記26章14節)でした。しかし、前述したキプリアヌスやアンブロシウスやカルヴァンのように増やされていないことがあまり祝福されていないことを意味しない人もいる点は注意しなければなりません。

 このヨセフ族は自分たちに与えられた相続地だけでは範囲が狭すぎると不満を訴えます。確かにヨセフ族の総数を考えるならば、『エフライムの山地は、あなたには狭すぎ』(15節)ました。しかし、この訴えは不当でした。何故なら、ヨセフ族の相続地は籤で定められたからです。籤による決定はすなわち神による決定です。そのような定めにどうして不満をぶちまけていいでしょうか。ヨシュアは、もしヨセフ族が相続地を更に欲しければカナン人の地を開拓すればいいと言います。そうです、確かにヨセフ族はそのようにして自分たちの相続地を広げるべきでした。神はヨセフ族がそのようにして相続地をますます拡張するため、最初から小さめの相続地をヨセフ族に定められたのですから。ヨセフ族は不満を訴えている暇があれば、さっさと開拓に乗り出すべきでした。しかし、ヨセフ族はまだ未開拓の地には戦車を持つ異邦人がいると言って開拓するのを躊躇います(16節)。これは恐れが怠惰の父だからです。このような態度を見せたヨセフ族に対し、ヨシュアはあたかも学校に行こうとしない子どもを学校に行かせようとする親でもあるかのように、ヨセフ族が開拓を行なうように促します。親に促された子どもが学校へ行くべきであるのと同様、ヨセフ族もヨシュアの言った通りに開拓して相続地を拡張すべきでした。ヨセフ族に籤で割り当てられるべき残りの地はありません。ですから、ヨセフ族は自分自身で更なる相続地を獲得せねばなりませんでした。ヨシュアが言っている通りヨセフ族は『数の多い民で、大きな力を持っている』のですから、鉄の戦車を持っているカナン人を追い払うことが十分にできました。数と力において多くの祝福を受けているにもかかわらず、その数と力を建設的に利用しないのは、神の僕として相応しくありません。